中国雲南省に居住する彝族の婚姻慣習法に関する考察 ―法人類学の視点から―
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(2) 21世紀東アジア社会学 第10号. ものであるが、本稿で述べるように、彝族の婚姻慣習法にも特徴的な点がある。また、本稿 で述べるような婚姻慣習法以外にも、独自の犯罪処罰規定なども持っている(孙 2007:117; 陈 2014:71-72)。 ところで、彝族の慣習法については、これまで四川省涼山彝族自治州に居住する彝族につ いては多くの研究がなされてきた 2。例えば、孙(2007:104-123)や陈(2014:71-73)、 于(2014)などである。むろん、あくまで四川省涼山彝族自治州に居住する彝族の慣習法が 「多く」研究の素材になってきたというだけであり、四川省涼山彝族自治州以外の地方に居 住する彝族の慣習法が研究の素材になってこなかったわけではない。例えば、日本語では厳 (1996:68-70)が、雲南省路南彝族自治県圭山地区に住む彝族の婚姻慣習法について触れ ている。しかし、同時に「紙幅に限りがある本稿では各地のイ族の婚姻習俗をすべて明らか に述べるのは不可能なことである」とも述べている(厳 1996:68)。また、 「彝族の婚姻慣 習」として一括りに論じられている例も散見する。例えば、馬(1987:47)は彝族では、 「母方交差イトコ間の通婚はできなかった」と述べている(馬 1987:47)。さらに、孙(2007: 49)も「彝族は、血統を重んじる意識を持ち、厳格に民族内婚[本族内婚]、親族外婚[家 支外婚]、等級内婚、父方交差イトコ優先婚[姑舅表優先婚]などを実行しており、この法 則は数千年の間不変であった」と述べている(なお、本稿で言う「父方交差イトコ優先婚」 とは、婚姻する男と、その男の父の姉妹の娘との婚姻が優先されるという意味である。これ に対し、禁止されているとされる母方交差イトコ婚とは、 「男から見て、母の兄弟の娘との 婚姻」である) (吉田 1984:70-71)。なお、 「等級内婚」とは、身分の等級が同じ者同士の 婚姻を意味する(詳しくは、次節で述べる)。 しかし、慣習というのは、「民族」でくくれる場合もあるが、どちらかと言うと「社会」 でくくれるものである 3。その意味では、馬(1987:47)のように彝族の婚姻慣習法を一括 りにして論じるのは誤りであるし、これまでに各地方ごとの彝族の婚姻慣習法を検討した 研究はなかったことになる。 そこで本稿は、彝族の婚姻慣習法を各地方ごとに挙げ、地方ごとに彝族の婚姻慣習法はど こまで異なるのか、また地方が異なっても彝族に共通する婚姻慣習法はあるのかを検討し たい。そこから明らかになる共通した部分こそが、「彝族の婚姻慣習法」と言えよう。さら に、その共通した部分から、彝族にとって婚姻とは何か、家族とは何かという点もこれまで に法人類学の分野で指摘されてきた理論と重ね合わせながら見ていく。残念ながら、これま での中国の少数民族慣習法研究は、 「このような慣習がこの民族にはある」と紹介するだけ に留まっており、それまでに指摘されてきた理論などを用いて考察されることが少なかっ たように思われる。本稿はこのような中国の少数民族慣習法を法人類学の理論から見ると いう研究の空白を埋めるという側面もある。 ところで、本稿でもやはり紙幅の都合から全ての彝族の居住する地域の彝族の婚姻慣習 法を検討することはできない。そこで、特に雲南省に居住する彝族に焦点を当てて各地方ご との彝族婚姻慣習法を検討したい。研究の方法としては、中国の各地方誌や『中国少数民族. - 150 -.
(3) 研究ノート:中国雲南省に居住する彝族の婚姻慣習法に関する考察. 社会歴史調査資料叢刊』シリーズなどを調査するという方法を用いる。地方誌とは、中国の 各地方の歴史や慣習について調査し、まとめた資料集で、少数民族が居住している地方の地 方誌にはその地方ごとの少数民族の慣習についても触れている。また、中国の少数民族の調 査に関しては、『中国少数民族社会歴史調査資料叢刊』というシリーズがある。これは『民 族問題五種叢書』というシリーズの第 5 弾として出版されたシリーズで、1958 年から 1991 年まで約 30 年に亘り刊行された。基本的な内容は、1950 年代から 60 年代初頭にかけて調 査された内容である。この『中国少数民族社会歴史調査資料叢刊』は 2005 年から修正版の 刊行が行われ、これは『中国少数民族社会歴史調査資料叢刊(修訂本)』シリーズと呼ばれ ている。 このように、各地方誌や『中国少数民族社会歴史調査資料叢刊』シリーズを調査するだけ でも、中国の少数民族の慣習法などを各地方ごとにまとめるという作業はできるはずなの であるが、これまでにそのような作業は行われてこなかった。本稿は、このこれまでに行わ れてこなかった作業を行うことによって、中国の少数民族慣習法研究があまり行ってこな かった、居住地方が異なる同じ民族の慣習法を検討するものである 4。無論、このような研 究方法は、既に公刊されている資料を用いており、その資料に誤りがある可能性も否定でき ない。しかし、4.でも述べるように、中国では 1950 年から「婚姻法貫徹運動」が展開し、 慣習法による婚姻が急速に見られなくなっていった。そのため、現在では少数民族の婚姻慣 習法がどのようなものだったのかを調査することは困難となっており、かつて行われた調 査結果を再確認するという研究手法にも意義があると言えよう。 (2)議論の前提――彝族の概要 彝族の源流に関しては明確なことは分かっていないとされつつも(《彝族简史》编写组 2009:9;陈 2014:12)、古代羌族と現在の中国西南部に居住していた土着の部落民の血が 混じり合った民族であるということは学説上も共通して言われている(郭 2009:1; 《彝族 简史》编写组 2009:13;陈 2014:12;王 2012:2)。彝族は、紀元初頭頃には、現在の 四川省西昌市を主な活動の場としていたという(馬 1987:10)。しかし、次第にその活動 範囲を、現在の雲南省、貴州省、広西チワン族自治区へと移していったと言われている(馬 1987:10)。 漢王朝の時代に、武帝は西方へと進出を行い、さらにインドへ抜けるための「南方シルク ロード」の開拓を始めた。しかし、この武帝の「南方シルクロード」の開拓の際には、昆明 付近に武帝の勢力は寄りつかなかったという。これは、昆明付近には武装した彝族の集団が 居住していたためと言われている(陈 2014:14)。これにより、古代中国の皇帝の権力は 雲南省では大きな力を持っていなかったと言われている(孙 2007:5-6;陈 2014:14)。 唐王朝の時代になると、戎州(現在の四川省宜賓市)、姚州(現在の雲南省)などに都督 府が設置され、現在の中国の西南地方の大部分は皇帝の版図に取り込まれた(《彝族简史》 编写组 2009:72)。しかし、瀾滄江以西および現在の雲南省西南部の大部分には事実上唐. - 151 -.
(4) 21世紀東アジア社会学 第10号. 王朝の勢力が及んでいなかった(陈 2014:15)。これを背景として、彝族を主として南詔 政権の成立が始まったという(郭 2009:25)。しかし、南詔政権は総じて唐王朝に従属し ていたとも言われる(孙 2007:7)。例えば、南詔政権での全 13 代の王の中で、10 代が唐 王朝に朝貢を行っていた(《彝族简史》编写组 2009:75)。ところで、南詔政権により独自 の文化が発達し、特に建築面で大理三塔、崇聖寺などの優れた建築が見られるようになった という(陈 2014:16)。 さらに、宋王朝の時代には、現在の雲南省を主な領土として白族が大理国を建国した。大 理国は白族が建国した国家であるが、現在の雲南省東部の滇東地方に居住していた彝族も 大理国の建国に協力し、支持していたとされる(孙 2007:7;郭 2009:33;《彝族简史》 编写组 2009:93)。そのため、大理国でも彝族は地方の領主になり、荘園を持つこともあ った(郭 2009:33; 《彝族简史》编写组 2009:95)。後の明王朝、元王朝の時代になると、 皇帝の支配が強まり、雲南にも「三司(雲南都指揮使司、雲南布政使司、雲南按察使司)」 や土司が置かれ(郭 2009:37;王 2012:16)、古代中国の一部という認識が強くなってい った。 なお、彝族の居住していた地域の多くでは、奴隷制が相当発達しており(郭 2009:18、 20、25-26; 《彝族简史》编写组 2009:51-61)、彝族社会でも相当多くの地域で奴隷制が実 行されていたと考えられる。特に彝族は、黒彝と白彝に分けられ、黒彝は貴族階級を、白彝 は奴隷階級を表すと言われており(郭 2009:1)、貴族階級と奴隷階級との区分があったの である。なお、彝族社会では「厳格に等級内婚を実行していた」と前節で述べた。これにつ いて、「黒彝の男子と白彝の女子が肉体関係になった場合、厳重に処罰し、その者を一族か ら除籍するか死を与える」とされていた(王 2012:35)。 また、彝族は歴史的にも成文法を持っていなかったとの主張があるが(孙 2007:37)、 広西チワン族自治区隆林各族自治県に居住する彝族には光緒 14 年(1888 年)にできた婚 姻に関する成文法があったとも指摘されている(古遺物に刻まれている) (《中国少数民族社 会历史调查资料丛刊》修订编辑委员会 2009:36)5。逆に言えば、彝族の中でも成文法を必 要としたのは、広西チワン族自治区隆林各族自治県に居住する彝族くらいと言えるのかも しれない。未開人が「整った法律や政府をもたぬのは、ほとんどその必要を認めないからで あろう」とも指摘されるが(杉浦 1996:223)、多くの彝族も成文法を必要のないものと捉 えていたと考えられる。 2.各地域ごとの彝族の婚姻慣習 本節では、本稿の目的でもある雲南省各地域ごとの彝族の婚姻慣習を見ていきたい。ここ では、雲南省を特に西北部と東南部に分け、 (1)で西北部を、 (2)で東南部を見ていく。 また、以下、参考文献の原文に従い、「解放」という表現を用いるが、これは「中国共産党 統治」という意味である。. - 152 -.
(5) 研究ノート:中国雲南省に居住する彝族の婚姻慣習法に関する考察. (1)雲南省西北部に居住する彝族の婚姻慣習 1)巍山龍街郷に居住する彝族の婚姻慣習(云南省编辑组 1986:123-124) 雲南省西北部に位置する大理白族自治州巍山彝族回族自治県巍山龍街郷に居住する彝族 は、解放前にはその多くが一夫一婦制をとっており、一夫多妻は稀であったとされる。父方 交差イトコ婚が主であり、妻が死亡したために子育てをしなければならなくなった男と夫 が死亡し夫の家に一人で暮らす女同士で夫婦となることもあった。これを「一合両扇瓢」と 呼んだ。また、稀に兄や姉が弟や妹と婚姻することもあったという。これは双方の合意があ れば可能であった。一部では父母が婚姻相手を決めることもあったが多くは自主的な婚姻 であり、父母が決めた婚姻に同意できない場合は、意中の男女で逃げ、他の集落で生きてい くといういわゆる駆け落ち[逃婚]も見られたという。 なお、この多くの自主的な婚姻の場合、男女双方が知り合い、一族の者か親友が女の家に 行き婚姻の意思があることを伝えると同時に酒、砂糖、麺を贈り、女の家がこれら酒、砂糖、 麺を受け取った場合、婚姻に対する初歩的合意の成立となる。合意が成立すると、婚姻の禁 忌とされている「八字」に該当しないかの議論がなされる。この場合の禁忌とは、 「女大三」 (女側が男側より 3 歳以上年上である場合)と家族 5 代内の者である場合、直系親族にあ る者である。この「女大『三』」と家族「5」代内を合わせて「『八』字」と呼ばれている。 「八字」に該当しないことが分かり、他の婚姻条件などについても合意が両家の間で得られ た場合、女の父母もしくは姉妹は男の家に適切な財物を贈り、男の父母は女に服を贈り、ま れに女の父母にも贈り物をする。 2)巍山東山小潭子村に居住する彝族の婚姻慣習(云南省编辑组 1986:138) 大理白族自治州巍山彝族回族自治県巍山東山小潭子村に居住する彝族の婚姻は、男女の 自由意思で行われ、互いに知り合った後、父母の決定を経て媒酌人が女側と「八字」に該当 しないかを議論する。婚約時には、男側は女側へ砂糖と酒を贈る。ここで八字に該当しなけ れば婚約は即成立し、男は女側へ婚姻期日を連絡する。 3)巍山谷波羅村に居住する彝族の婚姻慣習(云南省编辑组 1986:146) 大理白族自治州巍山彝族回族自治県巍山谷波羅村に居住する彝族は、歴史的に一夫一婦 制をとっており、男女双方 1、2 歳のときに父母が婚姻相手を決め、男 15~16 歳、女 13~ 14 歳で婚礼の儀を行っていたと言われている。しかし、解放後に中国共産党政権が婚姻法 を制定したことにより、このような慣習は途絶えたと言われている。 4)漾濞彝族自治県に居住する彝族の婚姻慣習(漾濞彝族自治县地方志编纂委员会 2000: 135) 大理白族自治州漾濞彝族自治県に居住する彝族は、解放前にごく少数の裕福な者は一夫 多妻制をとっていたが、それ以外は一夫一婦制をとっていた。彝族は、男に気に入った女が. - 153 -.
(6) 21世紀東アジア社会学 第10号. できた場合、一族の中から媒介人を出し、婚姻の申込をするか、男女が意気投合して男女間 で婚姻の合意をしてから媒介人にその旨説明をするか、自由恋愛の結果、媒介人を通さずに 男が砂糖、酒、たばこ、茶などをもって女の家に挨拶に行くなどの方法をとった。どのよう な方法を取ったとしても、改めて男側の家は女側の家に酒、肉、茶、たばこ、米などや大き な鶏一匹と数着の衣服を持って挨拶に行き、その際の席で、男が女側の父母を「お父さん」、 「お母さん」と呼べば婚姻関係は確定する。なお、彝族は伝統的には早婚で出産年齢も低く、 子を多く産むという慣習があった。 しかし、解放後には一夫多妻制をとる者はいなくなり、計画出産などを行うようになった とされている。 5)雲龍県に居住する彝族の婚姻慣習(云南省云龙县志编纂委员会 1992:124) 大理白族自治州雲龍県に居住する彝族は、一夫一婦制をとり、婚姻相手は父母が決める。 しかし、この婚姻相手の決定の際には、父方交差イトコが優先され、媒酌人の意見を聞き、 「合八字」に該当しないかを判断するか鳥を使った占いを行うことによって決定する。媒酌 人が初めて女側に婚姻の話をしに行く際は線香と茶と酒を持ち、女の家に入ったらまず祖 先の位牌に土下座をし、線香に火をつけ、茶と酒を供える。その後、女の父母にも茶と酒を ふるまう。そして、女の家は鳥を殺して媒酌人をもてなす。そして媒酌人が二回目に女の家 を訪れるときには、大きな鳥、米および酒数キロを贈り、女の家の長老とその村の長老と食 事をする(この食事は媒酌人のおごりである) 。この食事の中で両家は婚姻したことが宣言 される。媒酌人が三回目に女の家に行く際には、女の父母に衣服を贈り、女には首飾りを贈 る。さらに巫女に婚姻の日付や婚姻の儀式の規模、結納金などについて尋ねる。そして婚姻 の儀式の日に女は馬に乗って男の家に行く。 6)永平県に居住する彝族の婚姻慣習(永平县志编纂委员会 1994:626) 大理白族自治州永平県に居住する彝族は、解放前には、婚姻相手は父母が決めることが多 く行われており、基本的に一夫一婦制で少数ながら一夫多妻制が行われていた。彝族の支系 である「聶蘇」は近親婚を割と普遍的に行い、女側から婿を探す場合には、候補の男に斧を ふるってもらい、最も早く羊を殺し、水を使わずに羊の腹の中の糞便を清浄できるかを見る。 これは女の家は婚姻相手となる男の労働能力や技術を確認する必要があるからと言われて いる。 7)兵川県に居住する彝族の婚姻慣習(宾川县志编纂委员会 1997:764) 大理白族自治州兵川県に居住する彝族は、解放前には一夫一婦制をとり、一族外の者と婚 姻をし、また、妾を取ることが行われ、早婚、早期出産、多数出産が行われていた。さらに、 12~13 歳が婚姻適齢期であり、12~13 歳の者の父母の命を受けた媒酌人が婚姻相手を探 すということをしていた。. - 154 -.
(7) 研究ノート:中国雲南省に居住する彝族の婚姻慣習法に関する考察. 8)南澗県に居住する彝族の婚姻慣習(南涧县志编纂委员会 1993:135) 大理白族自治州南澗県に居住する彝族は、解放前には、一夫一婦制をとった上で民族内婚、 支系内婚、親族外婚、父方交差イトコ優先婚を原則とし、年が大きく異なる者同士は婚姻で きないとされていた。また、裕福な者は 3~5 歳で婚姻し、それ以外の者は十数歳で婚姻し た。婚姻相手については父母が決めるものとされていた。 しかし、解放後には自由恋愛により婚姻を行うようになった。 9)鶴慶県に居住する彝族の婚姻慣習(鹤庆县志编纂委员会 1991:741-743) 大理白族自治州鶴慶県に居住する黒彝は、黒彝は一般的に一夫一婦制とり、婚姻について は父母が決定することが多かったとされている。これに対し、鶴慶県に居住する白彝は一夫 一婦制をとり、彝族以外の者とは一般的に婚姻しないものの、男女は比較的自由に婚姻をす ることができた。 10)剣川県に居住する彝族の婚姻慣習(云南省剑川县志编纂委员会 1999:400-401) 大理白族自治州剣川県に居住する彝族は、解放前には基本的に一夫一婦の売買婚を行っ ていた。一般的に婚姻相手については媒介人の斡旋により、父もしくは兄が決定するのであ り、婚姻する本人に決定権はなかった。この中でもさらに、族内等級婚、親族外婚、母方交 差イトコとの不婚、父方交差イトコ優先婚などの習慣があった。また奴隷階級に対しては、 一方的に婚姻相手が決定されるという習慣も見られた。なお、特に女性については 17 歳で 婚姻するのが一般的であった。 しかし、解放後には族内等級婚や父方交差イトコ婚などの慣習は打破され、自由恋愛が進 み、女性は 17 歳で婚姻するという慣習も消えていった。 11)跑馬坪郷に居住する彝族の婚姻慣習(《民族问题五种丛书》云南省编辑委员会 1984: 59) 雲南省西北部に麗江市は位置している。さらに麗江市の中に、寧蒗彝族自治県跑馬坪郷が あるわけだが、跑馬坪郷に居住する彝族は、厳格に民族内婚と等級内婚を行っており、同姓 同士の婚姻はできなかった。男女 10 歳頃に父母が婚姻相手を見つけ、婚姻前には婚約をす る必要があった。婚約の際には、男側は女側に子豚 2 頭、つがいの鳥を 1 匹ずつ、一定数の 財物を送ることとなっていた。この財物の量については男側の経済状況に応じて決定され る。女側がこれらの財物を受け取り、子豚と鶏を各 1 匹ずつ返すことが婚姻の承諾の意味 を持っていた。 婚約後、婚約破棄をすることは多くなく、男側から婚姻破棄を申し出たときは、女側は受 け取った財物を返還せず、女側から婚約破棄を申し出るときは、男側に婚約時に受け取った 財物を 2 倍にして返還することが必要であった。. - 155 -.
(8) 21世紀東アジア社会学 第10号. また、一夫一婦制が実行されているものの、妻に出産能力がない場合、もしくは子どもが できない場合、二人目の妻を娶ることができる。この場合、譴責などを受けることはなかっ た。一部の黒彝や裕福な者は一夫多妻の特権を持っていたが、あまり見られる現象ではなか った。一般的に、婚姻の際には男側に取って、多額の財物の交付が必要であるため、離婚お よび再婚はあまり行われるものではなかった。一般的に兄が死亡した場合、弟は兄嫁を妻に 娶り、弟の死亡後には兄が弟嫁を娶った。兄が死亡したときに、弟が既に婚姻していた場合、 弟は兄嫁とも婚姻し、妻が 2 人いる状態になった。また、兄弟が 3 人いて、うち妻のいる 2 人が同時に死亡した場合、残った兄弟は同時に 2 人の兄弟の妻と婚姻した。 また、父方交差イトコ婚を優先していた。一般的に父方交差イトコ同士で婚姻しようとす るとき、先に男の同意を得なければならない。そして男らが婚姻に同意しなかった場合、父 方交差イトコの女子は他者へ嫁ぐことができる。同様に男の婚姻対象としては、まず父方交 差イトコの女を選択することとなっていた。しかし、婚姻前にいとこ間で性行為があった場 合には親族一同から厳しい叱責を受けた。また、おば(母と姉妹)との婚姻は厳しく禁止さ れており、もし男とおばの間で性的関係が発生した場合、男女双方とも殺害されたという。 12)玉龍納西族自治県に居住する彝族の婚姻慣習(丽江纳西族自治县志编纂委员会 2001: 166) 麗江市玉龍納西族自治県に居住する彝族は、解放前には厳格な民族内婚と等級内婚を実 施しており、同姓同宗婚の禁止、父方交差イトコ婚の優先、おばとの婚姻の禁止が行われて いた。婚姻は父母によって行われるもので、幼少期には婚約することは普通であったとされ ている。父方交差イトコ以外と婚姻するときは媒酌人に婚姻を依頼していた。婚約前には男 女両家の家長が豚か羊の胆嚢を取り出し、吉凶を占う。肥えた胆嚢であるかもしく適度な大 きさの胆嚢であれば「吉」だと判断され、婚約は成立し、痩せた胆嚢であるか大きすぎる胆 嚢の場合、「凶」と判断され、婚約は不成立となる。婚約が成立したときには、金銭、酒、 茶、糖、衣服などを婚約財産として男は女側に交付することになる。また、兄が死ぬと兄の 妻は弟と婚姻し、弟が死ぬと弟の妻は兄と婚姻していた。解放後には、これらの婚姻習慣に 変化が見られ、異なる民族との婚姻などが見られるようになった。 13)華坪県に居住する彝族の婚姻慣習(云南省华坪县地方志编纂委员会 1997:125) 麗江市華坪県に居住する彝族は、女が 14 歳になると、父母は女子に小屋[耳房]を与え る。これは「青春棚」とも呼ばれ、当該女子が男と自由恋愛をする場所であった。すなわち、 女は自由恋愛をすることができ、父母により恋愛対象を決められることはなかった。この自 由恋愛の対象となった男は、当該女子の同意を経た後、話し合いをするために当該小屋に通 い、両者の恋愛感情を基礎として媒酌人を通じて婚姻を申込む。申込をした後は、正式な婚 姻をしていなくても、子の出産が許されるようになる。華坪県に居住する彝族は、漢族と雑 居しており、婚姻慣習は漢族と近かったとされている。しかし、同宗不婚、おばとの婚姻の. - 156 -.
(9) 研究ノート:中国雲南省に居住する彝族の婚姻慣習法に関する考察. 禁止などが見られるという。 14)楚雄彝族自治州に居住する彝族の婚姻慣習(楚雄彝族自治州地方志编纂委员会 1993: 373) 雲南省の西北部に楚雄彝族自治州はある。楚雄彝族自治州の州境に居住する彝族は一夫 一婦制をとり、民族内婚、支系内婚、親族外婚、父方交差イトコ優先婚を原則とし、年代が 異なる者同士は婚姻できないとされていた。また、男女は自由に恋愛をしていたが、婚姻に 際しては自身で決定することはできなかった。また、それまであったことのない男女に会う 機会を提供するという「見合い」のような慣習もあった。 15)龍陵県に居住する彝族の婚姻慣習(龙陵县志编纂委员会 2000:718) 雲南省西北部には保山市があり、保山市の中に龍陵県がある。龍陵県に居住する彝族は、 一夫一婦制をとり、他民族との婚姻も行われていた。婚姻関係は安定している者が多く、離 別はあまり見られないという。恋愛から婚姻までは一般的には相愛になる、媒酌人を通じて 話し合う、礼品を贈る、婚姻するという流れになっていた。 なお、解放後には、自由恋愛をする者ばかりとなったと言われている。 (2)雲南省東南部に居住する彝族の婚姻慣習 1)石屏県に居住する彝族の婚姻慣習(石屏县志编纂委员会 1990:662) 雲南省の東南部に紅河哈尼族彝族自治州があり、紅河哈尼族彝族自治州の中に石屏県は ある。石屏県に居住する彝族は、一夫一婦制をとっているが、裕福な者は一夫多妻を取るこ ともあったという。婚姻の相手などについては父母の命を受けた媒酌人が決定する。 2)瀘西県に居住する彝族の婚姻慣習(泸西县志编纂委员会 1992:696) 紅河哈尼族彝族自治州瀘西県に居住する彝族は、一夫一婦制をとり、男女の自由恋愛によ って婚姻を成立させていた。特に白彝は、婚姻の日に男は女側の家に酒、肉、衣服などの土 産を持たせた人を派遣し、女側の家長は宴席を用意して、これを迎え入れる。そして、夕方 になる頃妻となる女を連れて帰り、あたりが暗くなる頃に男の家に入り婚姻が完成すると いう。 なお、瀘西県に居住する彝族は、自由恋愛を行っていたはずであるが、黒彝では、やはり 父方交差イトコ優先婚、等級内婚が盛んに行われていたという。 3)弥勒市に居住する彝族の婚姻慣習(弥勒县县志编纂委员会 1987:696-699) 紅河哈尼族彝族自治州弥勒市に居住する黒彝の多くはかつては近親婚を行っており、特 に父方交差イトコ婚が最優先され、その次に近親ではない同年代の相手が優先される。また、 かつては子の出生前に父母が既に生まれる子のために婚約しておくこともあった。なお、男. - 157 -.
(10) 21世紀東アジア社会学 第10号. が婚姻した後、子ができないか妻が死去した場合、再婚をするか妾を取ることも行われてい た。なお、彝族内に適切な配偶者がいない場合、彝族外の者を配偶者にすることもあった。 婚姻の方法としては、まず男側が媒酌人を派遣し、婚姻の意思を女側に伝え、女側は生年 月日を教え、男側がそれを元に婚姻について占うという方法を取っていた。そして、媒酌人 3 人が話し合った後、壺 2 杯の酒と、砂糖 2 包みを女側の家に持っていき、婚約の際には白 酒 8 キロ、豚肉 8~10 キロ、米 3 キロ、砂糖 6 包、豚の頭半分を用意し、さらに豚肉一塊 を女側の父に渡すことになる。そしてさらに婚姻時期が決まったら婚姻時期の半年前に金 銭、豚、羊、絹の衣装、銀の器、米、白酒などを女側の家に渡すことになる。そして、婚姻 の際には 5 日間宴席を開くとされている。 これに対し白彝は、婚姻相手は父母が決めるものとの認識があり、また父方交差イトコ優 先婚などは見られず、漢族と同様の婚姻習俗であったとされている。 4)紅河県に居住する彝族の婚姻慣習(云南省红河县志编纂委员会 1991:104) 紅河哈尼族彝族自治州紅河県に居住する彝族は一夫一婦制を実行しており、同姓不婚で あった。多くの方法は、幼少期に父母が婚姻相手を決め、媒酌人を通じて求婚し、八字に該 当しないかを確認してから、父母の同意を経て婚約が成立した。婚礼の方法には二種類があ り、一つは男側が女側に贈り物をし、あらかじめ決めた婚姻の日を待って婚姻が成立すると いう方法である。もう一つは、男女の自由恋愛で、父母の同意を得て男が夜な夜な女の元に 通い、子が出生した後、男女が子と鶏、肉、酒、米などの礼品をもって女の家に挨拶に行き 婚姻が成立するという方法である。なお、妾の習俗は存在していた。夫婦関係が破綻した場 合、一般的に女が男に賠償金を払うことのみをもって離婚が成立し、これによって別の配偶 者を探すことができるようになった。解放後、妾に関する慣習は消えていき、父母が決める 婚姻も減少していった。 5)丘北県に居住する彝族の婚姻慣習(邱北县地方志编纂委员会 1999:121) 雲南省東南部にある文山壮族苗族自治州の丘北県に居住する彝族は、一夫一婦制をとっ ており、母方交差イトコ婚は許されないが、父方交差イトコ婚は許されている。黒彝も白彝 も、祭りの際に恋愛相手を見つけるということを行っており、特に白彝は、父母が婚姻相手 を決めるという方式と自由恋愛による婚姻の双方がある。 6)広南県に居住する彝族の婚姻慣習(云南省广南县地方志编纂委员会 2001:228) 文山壮族苗族自治州広南県に居住する彝族は、一夫一婦制をとっており、一般的に彝族内 での婚姻を普通としている。基本的に他の民族と婚姻することはなく、特に同族の中でもい とこ同士の婚姻が普通である。これは「親上加親」とも呼ばれる。まれに異民族と婚姻した 場合には、その子どもは「ニセ彝族[仮彝]」と呼ばれ、家長と同席で食事をすることが許 されず、常に下座に座らなければならないなどの冷遇がなされた。基本的に自由恋愛で結婚. - 158 -.
(11) 研究ノート:中国雲南省に居住する彝族の婚姻慣習法に関する考察. 相手を決めるものの、父母の同意は必要で、もし父母が同意しない場合は、駆け落ちなども 見られた。 3.雲南省各地に居住する彝族の婚姻慣習を概観して 2.では雲南省各地に居住する彝族の婚姻慣習を、各地方誌や『中国少数民族社会歴史調 査資料叢刊』シリーズを素材に概観してきた。本章ではこれらの婚姻慣習に対して考察をし 節 ていく。 (1)全体を概観して 2.で挙げた婚姻慣習を見ると、雲南省内でも彝族の婚姻慣習は地域ごとに大きく異なっ ていることが分かる。また、2.では述べなかったものの、雲南省西南部にあるシーサンパ ンナ・タイ族自治州[西双版纳傣族自治州]勐腊県に居住する彝族には、略奪婚や父方交差 イトコ婚という習慣があり、一夫一婦制と一夫多妻制が並列していた。また、父母による婚 姻の決定も行われていた(しかし、解放後には一夫一婦制と婚姻の自由に基づいた婚姻が行 われるようになったとされている)(勐腊县志编纂委员会 1994:111)。また、これはシー サンパンナ・タイ族自治州景洪県に居住する彝族も全く同じ婚姻慣習である(景洪县地方志 编纂委员会 2000:149)。 ここから、1.でも引用した孙(2007:49)の「彝族は、血統を重んじる意識を持ち、厳 格に民族内婚、家系外婚、等級内婚、父方交差イトコ優先婚などを実行しており、この法則 は数千年の間不変であった」との指摘は誤りであることが分かる。ただし、本稿で見た限り でも全ての彝族ではないものの、ある程度の彝族がこのような慣習を持っており、 「彝族は、 血統を重んじる意識を持ち、厳格に民族内婚、家系外婚、等級内婚、父方交差イトコ優先婚 などを実行する傾向がある」と言うことはできるだろう。 また、彝族の婚姻慣習は各地域によっても異なるわけであるが、それは地域ごとに区分で きるものでもない。例えば、彝族の婚姻慣習で特徴的とも言えるのは、父方交差イトコ婚で あるが、雲南省西北部の大理白族自治州の内部でも、それを主とするとする地域(巍山龍街 郷)、優先する地域(永平県)、原則とする地域(南澗県)、自由意思で婚姻を行い父方交差 イトコ婚に縛られない地域(巍山東山小潭子村、漾濞彝族自治県)などがある。さらに、雲 南省東南部である紅河哈尼族彝族自治州のうち、瀘西県や弥勒市に居住する黒彝は、父方交 差イトコ優先婚を盛んに行ったり最優先にしているが、同じく雲南省東南部の文山壮族苗 族自治州丘北県に居住する彝族は、父方交差イトコ婚を「許容している」に過ぎない。この ように、雲南省西北部では父方交差イトコ婚の慣習が強く、東南部は弱いなど地方ごとに分 けられるものではなく、彝族全体で父方交差イトコ婚の慣習に強弱があると言える。このよ うになった理由として考えられるのは、もともと彝族には父方交差イトコ優先婚の習慣が あったが、その慣習が消滅していった地方やその慣習がそのまま残った地方があり、結果と. - 159 -.
(12) 21世紀東アジア社会学 第10号. して現在のように雲南省に居住する彝族全体では特定の地域に偏ることなく父方交差イト コ婚を優先する地方があったり、許容されているに過ぎない地方があったり、優先するわけ ではない地方があったりといったモザイク模様になっているものと思われる。イトコ婚は、 よくないとか弊害があるとか言われており(吉田 1975:67;中根 1987:87)、原始社会で もある程度禁止されている場合が多い。しかし、原始社会でも禁じられることの多いイトコ 婚を優先している傾向が全体としてあるということは、民族全体という一つの慣習から出 発し、時間の経過で優先することをやめた地方があると考える方が説得力があると言える からである。特に、かつては日本の農村やスイスやポルトガルの山村などでもイトコ婚はか なりの頻度で見られたとの指摘もあるが、これは狭い村の中から婚姻相手を見つけようと するため結果としてイトコ婚になるのであり、一部の彝族のように積極的に父方交差イト コ婚を行おうとする慣習は特殊と言えるかもしれず、なおさらである。 (2)父方交差イトコ優先婚に関する考察 彝族では、なぜ父方交差イトコ婚が優先され、逆に母方交差イトコ婚が許されないのであ ろうか。本節はこの点につき考察してみたい。 彝族社会では、父方交差イトコ婚を行うことにより「親族がより親密になった[親上加親]」 と言われており(《民族问题五种丛书》云南省编辑委员会 1984:59)、彝族は血統を重んじ ていることが分かる。これは2.で見た多くの地方でも「民族内婚」の慣習があり、文山壮 族苗族自治州広南県に居住する彝族には、異民族との混血の子は冷遇するなどの慣習もあ ることからもそのように判断できよう。すなわち、彝族は親族がより親密になるために父方 交差イトコ婚を行うと考えられているわけであるが、同時に「親族外婚」も重んじており、 矛盾があるようにも思える(もっとも、巍山彝族回族自治県巍山龍街郷に居住する彝族のよ うに、稀にとはいえ、兄や姉が弟や妹と婚姻することがある彝族もいる。これは、「親族が より親密になる」という点からは支持できるものの、「親族外婚」の立場からは許容できな いであろう。このように、「親族外婚を重んじる」ことも地方によってやはり濃淡があると 言える)。 中根(1987:88)は、 「社会によっては、ある種のイトコ婚が大変好まれ、親たちが強く それを望んで、イトコとの結婚をなかば強制的にさせられるケースも少なくない」と指摘し ている。そして、中根(1987:88)は、以下のように続ける。交差婚「クロス・ガズン婚 (筆者注――「交差婚」の意味)は父系あるいは母系の社会のなかに見出せる。すなわち、 エクソガミー(筆者注――「親族外婚」の意味)のルールからいうと、母の兄弟の娘はその 規制のソトにあるわけで、実際の血縁関係が近いにもかかわらず配偶者になりうるのであ る」。 この意味では、彝族も男にとっての「父の姉妹の娘」は、親族の範囲外にあると考えてい ると考えられる。これについては、彝族の親族観が「父系制」であり、一度女を挟むとその 女の娘は一族の者ではないと見ているからと考えることができる。例えば、男 A に息子 B. - 160 -.
(13) 研究ノート:中国雲南省に居住する彝族の婚姻慣習法に関する考察. と娘 C がいたとして、父系制社会の場合、「男」を介して血縁成員の範囲が決定するため、 B のさらに息子 D は父 B を通して A の血縁成員となるが、C のさらに娘 E は自身の父(C の夫)側の血縁成員となるため(C 自身は A の娘であるため A の血縁成員)、男 D と女 E は同一の一族にはならないのである。そして、彝族社会が父系制という点は、裕福な者や黒 彝に一部の地方で「一夫多妻」が認められている点からも言える(一夫一婦制と父系制には 関連性があると指摘されている)(吉田 1975:187)。 ところが、彝族の慣習では、母方交差イトコ婚は許されていない(馬(1987:47)や大 理白族自治州剣川県、文山壮族苗族自治州丘北県の例)。しかし、男から見て母の兄弟の娘 は同様の考え方でいけば同一の血縁成員ではないため、母方交差イトコ婚も許容されて然 るべきとならなければならないはずである。そのため、彝族が単純に父系制で同一の血縁成 員は婚姻できないが、彝族外の者との婚姻を避けるため、ある程度の近親者が婚姻相手とし て望まれると言うことはできない。 父方交差イトコ婚は望まれるが、母方交差イトコ婚は許されないという慣習を血縁成員 の関係で説明しようとすると、以下のような説明が考えられる(この場合の血縁成員は父系 制を前提とする)。婚姻は婚姻する本人同士の関係ではなく、婚姻する男の親を基準に見る。 すなわち、父方交差イトコ婚の場合、父 A から見ると、A の姉妹 B の娘 C は C の父の血縁 成員となるため、A と C は血縁成員関係になく、A から見て A の息子 D と C が婚姻するこ とには問題がないということになる。これに対し、母方交差イトコ婚の場合、母 A から見 ると、A の兄弟 B の娘 C は、A と同一の血縁成員となるため、A の息子 D と C の婚姻も近 親婚として許されないということになる。2.で見た多くの地方の彝族は、婚姻相手は「父 母」が決めるとしており(もっとも剣川県は、婚姻相手は「父または兄」が決定することに なっている) 、婚姻は婚姻当事者ではなく、婚姻する者の親と婚姻相手の血縁関係が判断基 準となっていたと考えられるということである。日本や中国(の漢族)も伝統的には婚姻相 手を「父」が決めていたが、彝族の場合、多くの地方で「父母」が決定し、しかも母方交差 イトコ婚が許されないなど母から見た婚姻相手の位置なども判断素材に入っていると言え よう。この意味では、彝族の慣習でも婚姻は本人が決めるものではないのだが、伝統的な日 本や中国のような「家父長」による婚姻への介入とはまた異なる。 しかし、この論理で言えば、平行婚(男から見ると、父の姉妹の娘との婚姻、女から見る と、母の兄弟の息子との婚姻)も許されないはずである。しかし、残念ながら彝族が平行婚 を許されないものとしているのか否かについて触れた資料は管見の限り存在しない。 (3)一夫多妻制に関する考察 2.で見たように、彝族は基本的に一夫一婦制をとっている。未開社会であっても、普遍 的に一夫一婦制が採用されていたことは、既に指摘されている(千葉 1974:12)。その意 味では、彝族が基本的に一夫一婦制をとっていることは当然のことと言えよう。しかし、ご く一部とはいえ彝族にも一夫多妻制が見られることもある。しかも、彝族で特に一夫多妻が. - 161 -.
(14) 21世紀東アジア社会学 第10号. 認められるための条件を必要とする場合には、裕福な者や黒彝である場合(漾濞彝族自治県、 石屏県の例)や妻に出産能力がない、もしくは子どもができない場合(跑馬坪郷の例)など がある。 これらの一夫多妻が認められるための条件を必要とする場合から読み取れることは、婚 姻に「子の確保」や「扶養能力のある者が一夫多妻を行う」という側面があるように見える ということである。すなわち、子ができない場合に別の妻とさらなる婚姻をする、経済的に 余裕があるためさらなる婚姻をする(裕福な者や黒彝(貴族階級)に一夫多妻を認めるとい う点)ということである。1.(2)でも見たように、彝族の居住する地方では、奴隷制が 高度に発達していた。この点からも、彝族の慣習に「経済力」という要素が入りこむ余地は 十分にあったと考えられる。 4.結びにかえて 本稿では、彝族の婚姻慣習法を、各地方誌や『中国少数民族社会歴史調査資料叢刊』シリ ーズを研究の素材にして検討してきた。そこで明らかになったことは、これまで彝族の婚姻 慣習法については、「厳格に民族内婚、親族外婚、等級内婚、父方交差イトコ優先婚などを 実行していた」と言われていたものの、居住している地方により、これらの慣習についても 積極的に実行していたり、許容しているに過ぎなかったり、また実行されていなかったりと 慣習の強制性についてはかなりの濃淡があるということである。3. (1)でも述べたよう に、「彝族は、血統を重んじる意識を持ち、厳格に民族内婚、親族外婚、等級内婚、父方交 差イトコ優先婚などを実行する傾向がある」との認識が「正しい」ということになるだろう。 そして、父方交差イトコ婚は優先されたり、原則とされているのに対し、母方交差イトコ婚 は許されていない点については、3. (2)で述べたように、 「婚姻は婚姻当事者ではなく、 婚姻する者の親と婚姻相手の血縁関係を判断基準にして婚姻相手を決める」のが彝族社会 における婚姻慣習と考察できる。また、彝族は奴隷制も持っているため、経済力を基準とし た婚姻慣習もあり、裕福な者や黒彝などには一夫多妻が認められているのではないかとも 考察した。 ところで、2.で見た多くの地方で「解放後は、一夫一婦制がとられるようになった」、 「解放後は自由恋愛によって婚姻するようになった」と言われている。「解放」を行った中 国共産党は、中国の伝統的婚姻制度の打破を謳い(杨 2008:41;西村 2008:155)、男女 平等、自由意思に基づく婚姻の実行を掲げ、それを定着させようとしていた(大塚 1985: 133-141;宋,刘 2007:17)。そのため、1950 年からは「婚姻法貫徹運動」などが展開さ れた(陈 2011:23-24)。これらの影響により、解放後には彝族も一夫多妻制は消えゆき、 自由意思による婚姻が基本的な婚姻方法になったものと考えられる。現在にもいまだ慣習 として残っている法文化などについては、 「そのような原始社会や未開社会のものではなく、 現代実際におこなわれているものであり、そのかぎりにおいて、現代の政治権力がこれを何. - 162 -.
(15) 研究ノート:中国雲南省に居住する彝族の婚姻慣習法に関する考察. らかの形で支持したか、あるいはすくなくとも完全なその消滅に努力をはらわなかったこ との証である」と言われている(千葉 1970:204)。彝族の「民族内婚、親族外婚、等級内 婚、父方交差イトコ優先婚など」はこれとは逆で中国共産党政権には支持されず、積極的に 消滅を図られた慣習であったということができるだろう。中国共産党政権下では、少数民族 の慣習などには手厚い保護をしている側面があるものの、少なくとも彝族の婚姻慣習に対 してはそのような態度は見られないと言えよう。 また、原始社会でも禁じられることの多いイトコ婚を彝族社会が優先している点も指摘 した。これは、3.(2)でも述べたように、彝族が血統を重んじ、イトコ婚をすることに よって親族がより親密になったと好事と捉えてさえいる。これは、3.(1)でも述べたよ うに、狭い村の中から婚姻相手を見つけようとして結果としてイトコ婚となった日本の農 村などとは大きく異なる。今後、積極的にイトコ婚を優先しようとする民族もあるという例 は法人類学の分野でもっと話題にしなければならないだろう。 本稿では、彝族の婚姻慣習について、これまで一元的に論じてきたのではないかという視 点から、彝族が居住する地方ごとにそれぞれ見てきた。その結果、同じ彝族でも居住してい る地方によって婚姻慣習は異なっていることが明らかとなった。しかし、異なっていても、 ある程度方向性には類似の慣習が見れるということは言えたように思う。紙幅の都合から、 雲南省に居住する彝族にのみ焦点を当て、さらに雲南省内に居住する全ての彝族の地方に 触れることはできなかった。彝族が居住する全ての地方の彝族の慣習法を確認することは 今後の課題と言えよう。 <注> 1 ただし、《彝族简史》编写组(2009:2)では 30 種としている。 2 四川省涼山彝族自治州が最も多く研究の素材とされている理由は、四川省涼山彝族自治 州が彝族が集団で居住している最大の地区だからであろう(覃[ほか] 1993:334)。 3 例えば、 「文化は社会(society)によってになわれている」、 「一定の集団、一定の人間関 係にある人々が集まって、集団的な活動をおこなうのである」と指摘されている(吉田 1984:3)。 4 本稿では、 「慣習法」とは、六本(1986:153)の述べる「国家権力以外のさまざまの『多 かれ少なかれ組織された社会力』によって強制される」という「生ける法」と同義と理解 している。しかし、この場合でも慣習法にはサンクションという物理的強制があるのかと いう点で「法」と呼べるのかにはやはり疑義があることも自認している(ホーベル 1984: 317)。 5. なお、この明文規定によれば、広西チワン族自治区隆林各族自治県に居住する彝族は、 一夫一妻制を持ち、一夫多妻や婚外性交渉が行われることは少なかったとされている (《中国少数民族社会历史调查资料丛刊》修订编辑委员会 2009:36)。また男の婿入りや 同姓不婚といった慣習も見られないとされている。. - 163 -.
(16) 21世紀東アジア社会学 第10号. <参考文献> ・日本語文献(50 音順) 大塚勝美,1985,『中国家族法論』お茶の水書房. 厳汝嫻主編,1996,『中国少数民族の婚姻と家族(下巻)』第一書房. 杉浦健一,1996,『未開人の政治と法律(アジア学叢書 5)』大空社. 覃光広ほか編著,1993,『中国少数民族の信仰と習俗(上巻)』第一書房. 千葉正士,1970,『祭りの法社会学』弘文堂. 千葉正士編,1974,『法人類学入門』弘文堂. 中根千枝,1987,『社会人類学――アジア諸社会の考察』東京大学出版会. 西村幸次郎編,2008,『現代中国法講義』(第 3 版)法律文化社. E.A.ホーベル(千葉正士=中村孚美(共訳)) ,1984, 『法人類学の基礎理論――未開人の法 ――』成文堂. 馬寅主編,1987,『概説 中国の少数民族』三省堂. 吉田禎吾編,1975,『文化人類学読本』東洋経済新報社. 六本佳平,1986,『法社会学』有斐閣. ・中国語文献(ピンインアルファベット順) 宾川县志编纂委员会编纂,1997,《宾川县志》 ,云南人民出版社. 陈国光,2014,《彝族》 ,辽宁民族出版社. 陈苇主编,2011,《婚姻家庭继承法学》 ,中国政法大学出版社. 楚雄彝族自治州地方志编纂委员会编,1993,《楚雄彝族自治州志(第一卷)》,人民出版社. 郭力华主编,2009,《彝族》 ,新疆美术摄影出版社. 鹤庆县志编纂委员会编纂,1991,《鹤庆县志》 ,云南人民出版社. 景洪县地方志编纂委员会编纂,2000,《景洪县志》 ,云南人民出版社. 丽江纳西族自治县志编纂委员会编纂,2001,《丽江纳西族自治县志》 ,云南人民出版社. 龙陵县志编纂委员会编,2000,《龙陵县志》 ,中华书局. 泸西县志编纂委员会编纂,1992,《泸西县志》 ,云南人民出版社. 勐腊县志编纂委员会编纂,1994,《勐腊县志》 ,云南人民出版社. 《民族问题五种丛书》云南省编辑委员会编,1984, 《云南小凉山彝族社会历史调查》 ,云南人 民出版社. 弥勒县县志编纂委员会编纂,1987,《弥勒县志》 ,云南人民出版社. 南涧县志编纂委员会编,1993,《南涧县志》 ,四川辞书出版社. 邱北县地方志编纂委员会编,1999,《邱北县志》 ,中华书局. 石屏县志编纂委员会编纂,1990,《石屏县志》 ,云南人民出版社. 宋刚,刘阅春主编) ,2007,《婚姻与继承法教程》 ,对外经济贸易大学出版社. 孙怜怜,2007,《彝族法文化——构建和谐社会的新视角》 ,中国人民大学出版社.. - 164 -.
(17) 研究ノート:中国雲南省に居住する彝族の婚姻慣習法に関する考察. 漾濞彝族自治县地方志编纂委员会编纂,2000,《漾濞彝族自治县志》 ,云南人民出版社. 杨大文主编) ,2008,《婚姻家庭法》(第 4 版) ,中国人民大学出版社. 《彝族简史》编写组编,2009,《彝族简史》(修订本) ,民族出版社. 永平县志编纂委员会编纂,1994,《永平县志》云南人民出版社. 于君刚,2014, 〈凉山彝族婚姻习惯规范的法文化思考〉, 《贵州民族研究》贵州省民族研究院 2014 年 8 期:38-41. 云南省编辑组編,1986,《云南巍山彝族社会历史调查》,云南人民出版社. 云南省广南县地方志编纂委员会编,2001,《广南县志》 ,中华书局. 云南省红河县志编纂委员会编纂,1991,《红河县志》云南人民出版社. 云南省华坪县地方志编纂委员会编,1997,《华坪县志》 ,云南民族出版社. 云南省剑川县志编纂委员会编,1999,《剑川县志》 ,云南民族出版社. 云南省云龙县志编纂委员会编纂,1992,《云龙县志》 ,农业出版社. 王明贵,2012,《彝族》 ,中国人口出版社. 《中国少数民族社会历史调查资料丛刊》修订编辑委员会,2009, 《广西彝族仡佬族水族社会 历史调查》(修订本),民族出版社. (TAKAHASHI,Koji/所属なし). - 165 -.
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