Title
沖縄の米軍基地の縮小および撤去政策に関する国内外の
諸相
Author(s)
仲地, 清
Citation
名桜大学紀要 = THE MEIO UNIVERSITY BULLETIN(8-9):
1-8
Issue Date
2004-03-29
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/8001
名桜 人`F'r紀LJ1 2OOI M(、1()UnlV,OklnaWapp1-8
沖縄の米軍基地の縮小および撤去政策に関する国内外の諸相
仲
地
酒
Dome
s
t
i
candi
nt
e
r
nat
i
onalvi
e
wsonr
e
movaland
6e
k
qn
uZ
t
j;
o
a
n
un
pd
O
!
i
r
c
I
B
at
o
a
f
ai
h
d
e
I
n
U
a
S
mF
●
ni
e
l
i
i
a
d
r
温i
b
nT
s
s
t
e
r
s
at
f
i
r
.
O
n
T.
KiyoshiNakachi要
約
論文の内容 は大 田県政 と稲嶺県政 における沖縄 の米軍基地の縮小 と撤去 に関す る政策 を概略的に分析 し た ものである。そ して、その時期 における海外 か ら沖縄 の基地の一部 を受け入れることを表明 したハ ワイ 州、グアム準州の知事、お よびフイリッピン大統領、 また海外の研究者の見解 を紹介 しなが ら、沖縄 の基 地 をめ ぐる諸利 を整理 した。その上 にたって、沖縄が今後 とるべ き政策の視点 を述べ た。 AbstractThecontentofthispaperistoanalyzepoliciesonremovalandrearrangementoftheUS military bases in Okinawa under the Ohta and lnamine Administrations.The paper also introducesviewsofforeign nationsand forelgn scholarsforaccepting somepartsoftheUS military basesin Okinawato theirterritories. Thepaperfurthermoretriestoproposesome stepped upideashow toachievetheaim ofreduction andtheremovalofthemilitary bases from Okinawainthefuture.
1
.視点
1945年以来、沖縄 の米軍基地の縮小 お よび撤去 に 関する伝統的なアプローチは大衆運動 による無条件全 面即時返還か段階的返還運動であった。 しか しなが ら、 1990年 の大 田昌秀革新県政以来、沖縄側が イニ シア チブをとって、群論で本土お よび米政府 を説得す ると い う戦術が生 まれて きた。その後に続いた稲嶺知事 も 大山知事が意味付 け したイニシアチブを踏襲 して、基 地の縮小お よび撤去 に関す る施策 にあたっている。一 方、周辺国で も沖縄基地の機能の一部受 け入れ を容認 する動 きもある。大田県政 と稲嶺県政時代 の国内外の 基地縮小お よび撤去 に関する諸相 を整理 し、今後の沖 縄県民の課題 を提示す る。2.
復帰前 までの沖縄の伝統的アプローチ
太平洋戦争が終 わった後、1951年 のサ ンフラ ンシ スコ講和条約 によって沖縄 は日本政府の統治か ら切 り 離 され、米国の単独支配下 に置かれた沖縄 は米軍政府 が直接統治す る長い時代 が1972年 に復帰す るまで続 いた。戦後の沖縄 の政治 目標 は 日本へ復帰することで あった。それは 口本国の主権 を回復す ることで、その 実硯のために沖縄県祖 国復帰協議会 を中心 とす る大衆 運動が中心であった。沖縄県民の祖 国復帰連動の中心 課題 には常 に米軍基地 をどの ように撤去す るかの方法 論が付随 していた。それは時の 日本政府の 自由民主党 政権 と足並み を揃 えた保守派の沖縄県政が主張す る段 階的返還論 と、時の 日本政府の 自由民主党政権 に反対 す る革新派の沖縄県政の主張す る全面的無条件即時返 還論 に分 け られた。 復帰運動が高 まる中で、米軍基地の撤去 ・縮小の方 法 は単 に 「安全保障の面か ら基地 を無 くす る」 とい う 視点のみならず、沖縄の将来の政治体制、自立の思想、 沖縄 人のアイデ ンテ ィテ ィ、経済 自立の模索 など、 さ まざまな方法の知的試みが なされて きたtW l)0 1972年 に本土復帰す る ことによって、 R米安全保 障条約が沖縄 に も適用 され、沖縄基地は本土並みに使 用 されることとなった。そ して政治体制論の視点か ら、 沖縄 は 日本の一県 として主権が回復 され、沖縄 の基地仲 地 問題 は沖縄県民だけに横 たわった問題ではな くな り、 日本の安全保障の問題 として、一応全国民の共通の課 題 として考えることが建前 になったO復帰前 に復帰運 動 と絡めて沖縄 県民が否応 な しに、時の状況の中で模 索 して きた沖縄 の米軍基地 の有 り様 は1971年 に締結 された 「沖縄返還協定」の内容に組み込 まれた形になっ た。その結果 、沖縄 の米軍基地の縮小お よび撤去の問 題 は 日本の安全保障体制 における問題 として考 えざる を得 ない仕組み となった1712)0 しか しなが ら、1951年 にサ ンフラ ンシス コ講和 条 約 が発効 し、沖縄 が本土 か ら切 り離 された 「4月29 円」、沖縄 が復帰 した 「5月15日」、そ して沖縄 戦が 終 了 した 「6月23日」 は、 もう一一度立 ち止 まって、 復帰前の期待 と復帰後の実状 の遠い、 さらには米軍政 府統治下の沖縄 の歴 史が 目指 した ものは何 であったか について考 える習慣が続いている。 復帰後 も続 く基地 と関連 した住民の被害、 さらに湾 岸較争 とイラク戦争時の沖縄基地の重要性 、 日本政府 の有事関連法案の動 きに直面す ると、米軍基地が密集 している沖縄の住民は 「なせ沖縄 だけが」 と、考 えざ るをえない。1990年か ら1998年 までの大 田県政お よ び1998年 か ら2002年 までの稲嶺県政の基地問題 に対 す る政策 を分析 す る事 で、1990年以前 とは異 なった 基地問題 に対す る県政の特徴 を取 り出す。
3.
大 田昌秀革新県政
(
1
9
9
0
年
∼1
9
9
8
年)
大 凹昌秀前知事 は長年、琉球大学で教鞭 を執 られた 万であった。 自らも旧制の沖縄 師範学校学生時代 に鉄 血勤畠隊 として沖縄戦 に参加 した。九死 に一生 を得た あと、早稲田大学を経て、米国政府の奨学金でシラキュー ス大学院でマスコ ミ学 を研究 した。留学後は琉球大学 で学究生活 に入 り、沖縄戦の内実 を考察す る研究 を重 ねた。1990年 、 これ まで 3期 も続 いた保守系 の ドン と言われていた自由民主党の西銘順治保守知事 を破 り 当選 した。 在職中の基地問題 に対す る基地行政 において、顕著 に評価で きる点は従来の基地問題 を本土政府 にお願い する事で解決す る視点 を、沖縄県民が 自らイニ シアチ ブをとる事で解決する とい う方向へ視点 に変 えたこと にあった。大 出県政が採 った主要 な基地政策の中に、 その姿勢が組み こまれている。 ① 県道104号線越 え実弾訓練禁止 と本土へ一部移転 県道104号棟 は恩納村安富祖 か ら金武町金武 まで を 結ぶ全長約8.3キ ロメー トルの生活道路 で,その内約 3.7キロメー トルはR本政府が米軍 に提供す る基地キャ ンプハ ンセ ン内に位置 していた。 この道路 は金武町民 お よび恩納村民の生活道路で、 また沖縄本島東側の国 道330号線 と沖縄本島西側の国道58号線 を結ぶ路線で 清 もある。その県道の中間には喜瀬武原′ト学校がある。 訓練のたびにこの道路 は封鎖 されて、住民が不便 を請 い、沖縄県お よび金武町か ら早期の演習移転が要請 さ れていた。それに応 えて、平成8
年のSACO
(沖縄 に 関す る特 別行動委員会) の最終報告 では、
平成9年
度中に県道104号線越 え実弾訓練 を日本本土へ移転す る事が決定 され、平成8年 8月29日の 日米合同委員 会 で は、 県道104号線越 え実弾訓練 を失 白別演習場 (北海道)、王城寺演 習場 (宮 城県)、東富士演習場 (静 岡県 )、 北富士演 習場 (山梨 県)、 日出生演習場 (大分県) に分散す ることを決定 した。 これ らの5カ 所 を移転先 とし、訓練 は年 間最大4回、合計35日以 内 とす るこ とが決め られた。平成9年6月の 日米合 同委員会 においては、同年度は7月に北富士演習場 、 9月 に矢 臼別演習場、11月 に王城寺原演習場 、 2F寸 に束富士演習場で演習 を実地することを決定 した。平 成9年3月 まで180回 と続 いた県道 104号線越 え実弾 訓練 は終了 した。 平成8年 8月19日、臼井 防衛庁長官 は山梨県の天 野知事 と静岡県の石川知事 を訪ねて、実弾訓練の受け 入れ を要請 したが、天野知事 は反対 を表明、ホ川知事 は周辺市 町村 との協議 を尊重す る と応 えた。 8月23 日には、臼井長官 は大分県の平松知事 を訪ねて受け入 れ を要請 したが、平松 知事 は拒否 した。 また 8月26 日北海道 に堀知事 を訪ねて要請 したが、地元の意向を 十分尊重 して欲 しい と掘知事 は応 えた。その後、移転 先の県、住民 との十分 な了解が得 られない まま、久開 防衛庁長官は訓練実施の通知 を出 して、訓練実地に至っ ている。その時は社会民主党出身の村山富 rh
が首相で、 首相の出身県の大分県が引 き受けることとなった。 こ れは大田知事が 「沖縄県民が 日本全体の安全保障を担っ ているので、それ を全国民で分担すべ きである」 との 持論 を繰 り返 し展開 していたので、その理論構成 に対 して本土の国民が、そ して村 山首相で さえ積棒的に反 対する理論 を構築出来なか ったか らである川l)o (診 基地返還アクションプラン (素案) と国際都市形 成構想 大 田県政の もう 1つの貢献 は、沖縄 県が イニ シア チブを取って策定 した基地返還アクションプランであっ た。 その 目的 は、21世紀 に向けた沖縄 の グラ ン ドデ ザ インである 「国際都市形成構想」 を素案 として、 目 標年次である2015年 を目途 に、米帯基地の計画的か つ段階的な返還 を目指す ものであった。それは 「沖縄 と近い気候風土 を持つアジア諸国 との多面的な交流 ネッ トワークの構築 を図る とともに、高次の都市機能 を備 えた都市 としての整備 をFH旨す ものであった.そのた め には国際郡市 に相応 しい交通機能、情報機能などの 整備 と拠点の形成 を図る必要があるが、特 に沖縄本島沖縄の米等基地の縮小お よび撤去政策に関する国内外の諸相 の約20%を占め る米軍基 地の存在 が大 きな障害 となっ てい る と して 、基 地 を2015年 まで に完 全撤 去 す るス ロ グラム」 の骨 子 で あ った。 そ れ は、 平 成8年 の1 月に素案 と して発表 され たが、噂 の本土 政府 との調整 が至 らず 、素案倒 れ になった川 4'。 その具 体 的 なr^J零 は返 還 の 日程 を第1期 (-2001 午 )、 第2期 (2002年 か ら2010年 )、 第3期 (2011 年 か ら2015年 ) と区分 し、合計40施設 を2015年 まで に完 全 に返還す るこ とであ った。 しか しなが ら、国際 政治の動 き
、
日本政府 の安 全保 障政策 の変遷 と深 く結 びついてい る沖縄 芯地が 日程 通 りに返還 で きない事 は 以 前か ら予 想で きた事 であ った。 とはい え沖縄 県の県 庁 、経 済 界、 市町村 界、軍用地地主連合会 、そ して市 民 な どが 、「基 地の全面 返還へ 向 け て」 討 議 した こ と は大 きな成果 であ った。 それ は、基地返還 の方 法 を県 民側 か ら日本政府へ示 した こ とで意義が あ った。 ③ 海兵隊 の県外移転 お よび グアム 、ハ ワイへの海外移転 大 田知事 は1998年 5月20日、米国務省のデ ミング上 級顧問 との会談で 「安保条約 、地位協定の どこをみて も 沖縄 に基地 を碍 (とは書いていない。本土の人々は自分 た ちが住 んでいる所 に基地 を持 って来 ることに反対 して いるO安保が乗宴であるならば負担 を平等 に負 うべ きで、 本+.も貝担 を引 き受けるべ きである.沖縄 県民 は自らの 痛み をよそに移す事 には遠慮 していたが、最近は、本土 移設 を目にす る人 も出て きた」
「岩国飛行場 は2006年 ま でには完成す ることになってお り、かって、その基地 に は6000人の兵隊がいたが、今では2800人に減 った。岩 凶に移設 して も強化 にはな らない と思 う。 それが、困難 ならグアム、ハ ワイに移 して欲 しい とい うことだ」 と、 沖縄の実状 を説明 した'tl5'. 大 田知事 は また、米 軍 当局が海兵 隊 は陸 、海 、空 の 部隊が一緒 に存在 しなけ らば な らない と応 えた事 に対 して、キ ャンプ ・ハ ンセ ンには陸上部隊が お り、キ ャ ンプ ・シュ ワープには 「海」 の部 隊がい る。 そ こに、 さらに普天間の 「空」 の部隊 が加 わ る と、北部 に海兵 隊が永久基地 として存在 して しまうこ とになる とした。 沖縄 か ら海外へ の基 地移転 に関 して は、大 田知事 が ワシ ン トンで陳情 訪問 を してい る際 に私 は グアム を取 材 した。 グアム州 のギテ レス知事 は私 の取材 に対 して 「沖縄 か ら2000人ほ どの海兵 隊 の移転 を引 き受 けて も 良い」 と応 えたO また グアム商工 会 も、沖縄 の海兵隊 の グアム移転 に賛成 を示 した。 しか しなが ら、 グアム のマ リアナ諸 島海軍司令官 は グアム- の移転計画 は無 い と否定 した`rEい。 またハ ワイの州 議 会 も沖縄 か らハ ワイ- の移転 を歓迎 す る決議 を した。私がハ ワイの太 平洋軍司令 ;・';l''か ら招待 を受 けた際 の イ ンタビューで、 太平 洋軍 司令部 は、海兵隊 は 「陸」
「海」
「空」 の部隊 が同地域 に駐 留 していることが重要 であるので 、例 えば 北 海道への一部移動 は出来ないとの説 明 を受 けたO:I.71 1945年 の米 軍 に よる沖縄 統 治 の 開始 以 来 、 変 わ ら ない米 国の主張 はア ジアにお け る沖縄 の地勢上 の戦 略 的重要性 とアジアは まだ安定 してい ない とい う指摘 で あ る。 さらに復帰 後 は、沖縄 の米軍基 地 問題 は沖縄 一 米 国間の問題 で はな く、沖縄 と日本政府 間の問題 であ る とい う視 点 に向 け られた事 は新 しい視 点で あ った。 だか ら沖縄 県民が どんな に主張 して も、 アジア全体 の 安 全保 障の ため には沖縄 基地 は必要 であ る とい う帰結 しかで て こない。沖縄 の知事 が 、直接 ワシ ン トン政府 に訴 え る戦術 は1985年 に丙 銘 知事 が始 め た 日本 の外 務 省 を通 り越 した ワシ ン トン外 交 に対 して 日本政府 か ら批判 が あ った。 沖縄 の安全保 障 の問題 は 日本全体 の 安 全保 障政策 の問題 であ るか ら、沖縄 県が独 L]の対 ワ シ ン トン外 交 をす る こ とは、その限界が あ る と指摘 し て、好 ま しくない との意見が 日本政府 の官僚のL恒こあっ た。 しか しなが ら、沖縄 県庁 の対 ワシン トンの独 自外 交 を否定す る こ とはで きない。大 uJ知事 が、 自ら米軍 統 治下 で米 軍 の恩恵 を うけて米 国留学 して習得 した英 語 を駆使 した外 交 を した こ とは評価 に値 す る。 また、 大 凹知事 は研 究者 、学 者 の過去 の経験 を生 か して、学 会 お よび研 究発 表 会 で沖縄 問題 を訴 えた`-州 。 大 山知 事 の貢献 は研 究発表 お よび学 問 の分野 で沖縄 問題 を訴 えた事 で、特 に海兵 隊 は移せ る とい う視 点 を提起 した こ とにあ った。 ④ 基地 関連 の裁判訴訟 と安全保 障責任 負担 の分担 1996年 、村 山富 市 首 相 は軍 用 地特 別措 置 法 に基 づ く代 理署名 と公告縦 覧 を大 D]知事 が応 じない と して裁 判所 に訴 えた。大 田知事 は多分 、敗訴す る事 を覚悟 で、 国 に問 いかけた と推 察す る。 それ は、土地 を戦 争の た め には貸 さない、土地 は地権 者 の財 産であ る、平和 的 生存権 の重 さな どを訴訟 の焦点 にあげた。結 果 と して、 沖縄 県側 は敗訴 したが、大 田知事 が提起 した課題 は学 問研 究 の上 で重 要 な問題 を残 した。社 民党 (当時)出
身の村 山首相 が原告 で、同 じ革新系 の大 山知事 が被吉
席 に居 た事 も不 思議 な こ とであ った。 一方、大 日知事 は沖縄 県が 日本の安全安全保障 を担 っ ている とい う自信か ら、政府 か ら沖縄側の利
点 となる諸 施策 を引 き出 した。50億 円の沖縄振興 の特別資金、 また 橋本龍太郎首相 国外奨学資金、あるいは高速道路の割 り 引 き料金 な どであ る。 この ように基地 をカー ドに して県 民 メ リッ トの施策 を引 き出す戦術 は別 に新 しい ことでは なかった催9'。 けれ ども、沖縄 県の保守政権 は本土政府 が提示 した政策 (懐柔政策 と見る人 もいる) を積極的に 受 け入れた事 に対 して、大 田知事 は建前では 「基地は認 めない」 と しなが らも、本音 では 「基地 は国政の問題で伸 地 あるから、やむをえない」 と言 う視点から、基地をカー ドに して沖縄問題 を解決 してい くと言 う戦術 を編み出 したOた とえば、なぜ大 田知事 はBlへの敗訴 を覚悟 に して軍用地の契約 に関す る縦覧 を拒否 し、裁判所で争 う事にしたか。そのことは、後 H、検討 されるべ きテ-マであるO言 えることは、大出知事 は沖縄問題の解決 に積極的に基地カー ドを利用す るとい う礎 を敷 いたこ とである。基地 カー ドを示 された本土政府 は 日本の防 衛政策 を沖縄が握 っている とい うアキ レス健 ゆえに、 沖縄側の要求 を断れない状況 に追い込 まれているL7[)0・10 ⑤ SACO合意 と県内移転反対 1996年 12月の 日米特 別委 員会 (SACO)で沖縄 県 在の米軍施設11の返還合意が示 された時、県民のほ と ん どは驚いた。沖縄 タイムスと琉球新報の両新聞社 は 写・外 さえ出 した。動かない と思 っていた基地の返還の 兆 しが見えて きた。 しか しなが らよく見入 ると、県内 移設 とい う条件がついていた。当時、名護市役所 を預 かっていた比嘉鉄也市長 も辞任 を覚悟 に 辺野古沖へ の受 け入れ を表明 し、 1997年辞任 した。 住民投 票で は、少ない票差で移転受 け入れ反対票が上回った。そ して、その後の選挙で、比嘉前市長の後継者で、当時 の助役、岸本建男が当選 した。岸本市長 は諸条件 を付 けなが ら受け入れに賛成 した。 沖縄戦の研 究 を深めて きた大 田知事 が学者の姿勢 を EJiくのか、政治家 として動 くのかが焦点なった。結局、 1998年 2J」6口、大 u知事 は次の理 由で受 け入れに 反対 した。① 名護市民投票で建設反対が多数を示 した、 (彰県議会 も全会一致で県内移設反対の決議 を した、③ 市町村 な どの県内諸団体か らの意見聴取で も建設反対 が多数 を占めた、④県 自然環境保全審議会が、建設予 定海域 は自然環境 の厳正 な保護 を図るべ き区域 である と答 申 した、⑤ 海上ヘ リポー ト基地建設に反対する県 民の意思 は県政道営 の基 本理 念 に合致す る、 をあげ た'7Ft
l
'
O
結局、大田知事 は学者知事 の理念 を貫 く立場か ら、 辺野古沖での基地建設反対 を決定 した。その ことは、 R米政府の安全保障政策の流れに反するものであった。 けれ ども、大 田知事の反対 は北部 における普天間基地 の辺野古沖への移転が容易でないことを日米両政府へ 明 らかに した。 それに付随 して、北部の開発が よ り重 要であるとい う認識 を中央政府が持つ ようになった。4.
稲嶺恵一保守県政
(
1
9
9
8-2
0
0
2
年)
稲嶺県政の探 っている基地関連の政策 を分析す る事 で、稲嶺県政の特徴 を浮 き出 した。 ① 普天間基地移設受 け入れ同意 と15年期限の保持 経 済 界出身の稲 嶺恵一 は1998年 の知事選挙 に立候 清 補 した。稲嶺知事 は第 1期選挙の公約で、普天間基地 を辺野市
沖へ移す事 を軍民共用の15年期限を条件 とす ることを公約 に挙げた。宜野湾市普天間か ら名護市辺 野古へ移す事 をベ ターな選択 として とった。2002年 の第2期 の選挙 で も、15年使用 の解決 な くしては着 工 を認めない と繰 り返 し述べていた。現在、環境 アセ スメン トが行 われているが、その結果が得 られるまで 3年か ら4年 はかかるといわれている。15年間の民間 共用後は山口県の岩国基地へ移転 を要望 している。そ の手法 に対 して、「普天間基地の県内移転 は実質的な 基地機能の拡充で縮小ではな く、 ジュゴンの海 を破壊 する、限定期限付 きでは米軍が納得 しない」 と批判す る側 もある。一方、普天間基地移転の交渉 と北部振興 策の取 り引 きを しているとの批判 もある。そ うである とす る証明は、今す ぐはで きないが、普天間基地の辺 野古移転事業の成否が北部発展策の交渉 カー ドを壬El.っ ている事 は事実であ るL7F1㌔ その他 、普天間移転問題 が らみで出て きた と思 われる北部開発の事業には沖縄 米軍基地所在市町村 に関する懇談会 (鳥山懇談会)辛 業 、国立高等専 門学校 、名護 市の金融特区構想、宜野 座 村 の情 報 特 別 区構 想 な どが あ げ られ る。 さ らに 1999年 12月の閣議決定で、北部地域 の振興-向けて 10年 間で1000億 円の投資が決め られた。 これ らの事 業 と普天間基地移転の直接 に結 びつ きの証明に関する 研 究は後 日に回す として、沖縄 県側 か ら見ればそれ ら のプロジェク トを沖縄県県政が基地 カー ドとして強 く 握 っていることは推測で きる。その姿勢は大 円県政が 生み出 し、稲嶺県政 に引 き継がれた。 ② 2000年G8サ ミッ トを契機 と した国際会議の利用 2000年 7月21日か ら23口まで九州沖縄サ ミッ トの G8首脳会議が名護市で開かれた。稲嶺知事 は2000年 G8サ ミッ トを適 して、沖縄が世 界に知れわたった と 評価 した。基地の島沖縄 におけるサ ミッ ト取材 に参加 した世界の ジヤナ- リス トを通 して沖縄の実状が世界 -伝 えられた と、評価 して もよい。冷戦時代、沖縄の 基地は中華人民共和 国お よびソビエ ト連邦封 じ込めの ための基地であった。その ソ連が崩壊後、独立国家共 同体 となり、その代表国のロシア共和国のプーチ ン大 統領 もサ ミッ ト参加のため来押 し、 ソ連へ向け られて いた沖縄基地 を目のあた りに見た。稲嶺知事お よび岸 本市長は沖縄県民、名護市民が国際会議の運営 に参加 す る事で、国際会議 を招致 、運営で きる自信 を持つ こ とがで きた と評価 した。 円本政府がG8サ ミッ トの首 脳会議 を沖縄で開 くことを決定 した裏 には、普天間基 地の辺野古移転事業の地ならしであるとする見方 もあっ た(7斗13'Oその後、引 き続 き、太平洋の島峡凶の大統領、 首相が参加す る 「太平洋 島サ ミッ ト」 が2003年 5月 に沖縄で開催 されるな どして、沖縄県はコンペ ンショ沖縄の米軍基地の縮小お よび撤去政策に関す る国内外の諸州 ンアイラン ドの一歩 を歩みだ した('附 。 ③ 平和賞の制定 と花の親善
1
999
年2
日の定例議 会で、大 Lu前 知事 が構 想 して いた国際平和研究所 (仮称) に代 わる 臼玉事業 として、 アジア太平洋地域 の平和 弓 F暴力の実現 の促進 な どに 貢献 した人物や、団体 を顕彰す る平和賞が制定 された。 第 1回tlは、2003年 の8月未 、 ア フガニ ス タンで長 年医療 活動 に従事 してい るNGO
「ペ シ ャワー ル会」 (高松勇雄会長) と硯地代表の中村曹 医師 に贈 られた。 「医療 や井戸据 りな どの実践 を通 じて、平和 と安全保 障 に寅献 した」が理 由だった。 中村 医師はアフガニス タンを攻撃す る爆撃機が飛 び出す沖縄 か らの賞であ る 事 に受賞の特別の意義がある として、賞金の1千万円 は沖縄 クリニ ックの名前で病 院 を建 てる費用 に使 う事 を約束 した。,このノ酎 二対 して、基地存続 を許 し、かつ アフガニス タン攻撃の発信場所 になっている沖縄 県か らの平和賞 は矛盾がある と批判す る勢力 もあ った。平 和賞 は稲嶺知事 の発案で、平和賞 を創設 して沖縄 か ら 平和 の発信 を し、かつ沖縄 の実状 をも知 らせ るのが狙 いであるo これは、アジアの平和賞 に育てる意気込み があ り、 これ も沖縄側が イニチ アナ ブを とった行政 と いえる。 ④ 日米地位協定の改定問題1
995
年 のマ リン兵 に よる少 女暴行事件 以 来 、米兵 の被疑者の県警への移送 を巡 って沖縄 県警 と米軍 との 交渉 は合意 に達 して しない。 それは、起訴前 には被疑 者 を渡 さない とす る 日米地位協定 に よって阻 まれてい るか らであるO沖縄 県民 はその協定の改定 を求めて き たが、運用改善で対処す る とい うことが 日米両政府 で 合意 され、米軍の善意 な理解 に依存す る ことになって いる。たびたび外 人事件が発生 して、大田知事 に代 わっ た稲嶺県政 も地位協定の改定 を求める運動の先頭 に立 っ ている。 自民党 (当時)の下地幹郎議 員 と社民党の東 門美津子議員が中心 になって、超党派で改定す る運動 がお こなわれて きた。稲嶺知事 の熱心 さに全国知事会 も改定-向けた運動 を支持す ることを表明、 また石原 慎 太郎 東京都 知事 も協 力す る こ とを約 束 してい る。1
995
年 の事件 で は、連用改善 の面 か ら、起訴前 の容 疑者の軍か ら民への引渡 しが な された。 ⑤ 稲嶺県政 を取 り巻 く新 しい政治環境 稲嶺県政 を取 り巻 く新 しい諸環境 を提示 してお く。 そ うす る事 で稲嶺県政の事が よ り理解 で きる。前 国会 議員の下地幹郎 は普天間基地の嘉手納基地へ の統合案 を出 したLT115-。 これ に対 して、本土 の 自民党 か ら反対 の意 見がでたO嘉手納 町の宮城篤実町長 も当初 は反対 していたが、聞 くに値す る提案である とした。ただ し、 これ以上嘉手納飛行場が騒音 を出 さない とい うことが 条件 である とい うこ とであ った。 これに対 して、n
民 党本部 はSACOの報告 を踏 まえて、普天間基地の辺野 古海岸へ の移転 を政府案 として取 り込 んでい るの に、 い まさら別案 を提示す ることは 自民党所属議員の取 る べ き態度ではない と下地議員 を叱責 した。 下地の考 えに近い方 に阪中友久 (前青 山大学教授) が い る。 阪 中は前平和 ・安全保 障研 究所 長 で、2001 年 の年次報告 として沖縄 問題 の特集 をあげて 「駐留米 軍の基地 を縮小 して、有事 の際 は再利用 を認 める。そ の際 は 自衛 隊基地の共 同使用 を考 える」 ことを提案 し てい る。 マル タ会談で米国のブ ッシュ大統領 と冷戦終 章 宣言 を した ソ連 の ゴルバチ ョフ大統 領 は、2001年 に那覇市 の翁長市 長 か ら招待 を受 けた講演 会で、 「近 い うちに米軍 は沖縄 か ら撤退す ることが望 ま しい」 と 述べ た。 また ロバ ー ト ・エ ル ドリッジ大阪大学大学 院助教授 は2002年3月、東 京 で開かれ た平和 ・安全保 障研 究 所 での講演 会で 、「使用期 限が切 れた1
5
年 後、米 国 は 汚 び使用 申請 をす るこ と、 さらに自衛 隊 と米軍が共 同 使用 をす ること」 を提案 したl什
1
6
)
0
2003年、新 しく市長に当選 した宜野湾市長の伊波洋一 は基地被害を拡大する名護市への移転に反対 して、返還に 伴 う代替施設建設ではなく、海兵隊の匡‖LJ外-機能分散を 求めている。また、米国の基地閉鎖法に照 らして、普天間 基地を5年以内で県外移転 ・閉鎖 を求める運動を展開す ることを決意 している. さらに伊波市長は米国とヨーロッ パの基地閉鎖の実例から可能性があると見ている。5.
国外の見解
大 田知事 と稲嶺知事が基地縮小 ・撤去案 を出 してい る中、周辺諸国 も沖縄基地 に関心 を示 した。 (む太平洋軍司令部 ハ ワイの太平洋軍司令部 のマイケル ・ヘ イギー総司 令官 は 「海兵隊 は運用上 、航空部隊 と地上部隊が協力 して機能 してお り、双方が沖縄 にいる事が重要である」 と述べ た。 また、 ウル フオイソ米 国務長官 は2003年4 月18日、米下院軍事委員会で、「朝鮮半 島有事 の際 、 在沖縄 の海兵隊は2日で現地 に到着することがで き、 沖縄基地 は戦争 に備 えた即応体制がすで に組 まれてい る」 と証言 した(結 け )。 私がハ ワイの太平洋軍司令部 と米大使館 の 「SEAS Program」の招待で参加 した際 にハ ワイの司令部は沖 縄 の海兵隊 は陸軍、空軍 と海軍が連携 して行動 で きる 距離 に駐 屯 してい るか ら有 効 で あ る との説 明 を受 け た (I-
t
18
)
0
仲 地 ② グアム 米国準 州 ・グアムの カール ・ギテ レス知事 は 「在沖 米海兵隊 を2000人か ら2500人程受 け入れたい」 と、 嘉数憲昇県議 に答 えたrlも19-0受 け入れ理 由 として①B -52の撤退 などが原因で基地関連収入が減少 した、②地 元の基地従業員の リス トラな どをあげていた。 また、 在 日海兵 隊 とハ ワイの太平 洋軍 海兵隊 司令 部 は2000 年6月にグアムでの在沖縄 海兵隊の訓練 の可敵 性につ いて調査 し、「約1500人規模大隊の一時駐留 に適 して いる」 との報告書 を出 した。 これに対 して、太平洋軍 の海兵隊司令部 の ジ ョン-ズ司令官 は 「グアムでは砲 弾演習がで きない。サ イパ ン、テニア ンでは
1
0
日か ら 2週 間の訓練 しかで きない」 と しなが らも、移転 の可 能性があることを示唆 した ことがある〔1も2O)O (勤 パ ラオ 2001年 4月 2日、パ ラオ共和 国上院は在神米軍基 地 をパ ラオへ建設す る事 を求め る共 同決議 した。 その 決議文は 「沖縄 か ら米軍基地 を移設す るこ とで雇用効 果が生 まれて、 また技術習得がで きる。パ ラオ人は地 :/tに住み なが ら入隊で きる」 としている。 さらに、パ ラオ と米 国は 自由連合協定 を結 んでいるので、パ ラオ は米軍 に基地 を提供す る義務がある としているは 2H。 ④ フイリッピン ブ イリッピンの ア ヨロ大統領 は、2002年 8月28日 の下地幹郎経 済産業省政務次官 の要請 に対 して、 「ハ ワイか ら米寄部隊 を受 け入れて訓練 を しているので、 沖縄 か ら訓練 に来て も問題 はない」 と述べ て、沖縄 か らの受 け入 れ を表 明 した。 また、 ア ヨロ大統 領 は、 2003年 6月29日の小泉首相 との対談で、沖縄 の海兵 隊の訓練 を受 け入れ る準備 を具体的 に進 めてい ること を明 らか に した。 また、 ドミンゴ ・シアゾン駐 日フ イ リッピン大使 は2003年6月20日に、伊波宜野湾市長 を訪ねて、ア ヨロ大統領が海兵隊の訓練受 け入れ に賛 成であるこ とを示 した。 その場合 、「米比訪問軍協 定」
に基づいて、上 院の承認が必要である事 を説明 した。 ⑤ ア メ リカの政府高官 および研究者の見解 2000年 10月 に発表 した 日米 関係 に関す る報 告 書 「米国 と日本一 成熟 したパ ー トナー シ ップにむけて」
で、 リチ ャー ド・ア ミテー ジ元 国防次官補 は、 日本 と の関係 を英 国 との関係の ように発展 させ る事 を目指 し、 日本 に対 して危機管理法の制定 、国連平和維持活動や 人道的な救 出作戦 に対す る各種規制法の除去 、弾道 ミ サ イル防衛 と情報活動分野 における協力 、防衛技術 の相
吐交流 な とtをあげてい る。それ を しなが ら、沖縄 の 米海兵隊 を各国に分散す ることを提案 してい る。 カー ト ・キ ャンベ ル元米 国防副次官補 (現在 は戦略 清 国際問題研 究所 上級副所長) は 日米特別委員会 におけ るアメ リカ側 の責任者であ った。今 日、 日米特別行動 委員会合意が進 まない事 については予想 しなかった と して、普天間基地の嘉手納基地への統合案 には考 える 余地 はある と理解 を示 した。稲嶺知事の15年期限付 き に普天 間基地移転 については、否定的見解 を示 し、そ れがSACO合意の促進の妨 げになっている と指摘 して いる。 また沖縄 の海兵隊 は多す ぎる として、 フイリッ ピン、オース トラ リアへの分散 を提案 している川Z2'O マ イケル ・望 月はブル ッキ ング研 究所研 究員であ っ た1995年 に 「2万 人の海兵 隊 は沖縄 に不必要 で 、 2000人程度の第31海兵隊ユニ ッ トを中心 に5000人 ぐ らいの海兵隊 とい くらかの装備 を沖縄 に残す だけで よ い」 と提言 した。 その裏付 けは 日本 に25000人、韓国 に37000人の軍隊 、 そ して1000人以上が丙太平洋 を 巡 回 しているので有事 の際 に対応 で きる と した。現在 はジ ョー ジ ・ワシン トン大学教授 で、沖縄 は北朝鮮危 機 、中台危機 の際、重要 な基地 となるので 日米関係 、 特 に沖縄 との住 民 との関係 を良 くしてお くために も、 沖縄 県民 の要望で海兵隊 を縮小す る必要がある との見 解 を今 も持 っている。 これ に対 して、沖縄基地の縮小 に反対す る代表者 は マ イケル .グ リー ン (外交問題協議会) で、「朝鮮半 島の有事 の際 、ハ ワイか ら朝鮮半島へ空輸 で8時間、 カ リフ ォルニ アか ら12時間かか る。 沖縄 か らだ と 2 時間程度で行 ける」 と、説 く。沖縄 は地政学上の重要 な地位 に在 る とす る説 は1945年以来、米政府 、米軍 が言い続 けて きた説である`712㌔6.
要約 と課題
1990年 に大 田知事 が誕生す る以前 は、本土政府の ペースによる基地問題 の解決であったが、大 田知事以 来 、沖縄側が イニ シアチ ヴをとる形 になって きた。そ れ らの結果 は、大 田知事 の104号線越 え実弾演習の廃 ILと本土移転 、基地関連 の裁判訴訟 、 ワシン トンへの 直接外交 、稲嶺知事の普天間基地の辺野古移転 に伴 う 15年 の期 限付 き軍民共用 、沖縄平和賞 の創設 な どで ある。 また、沖縄基地への関心 は高 く、海外 の専 門家 お よび政府首脳 も関心 を寄せている。ハ ワイ、グアム、 ブイT)ッピンか らは一部移転 の容認の声明 も出 されて いる。 ア ミテ- ジ前国防次官補 、キ ャンベ ル前国防副 次官補 やマ イク ・望 月な どの国際政治の専 門家 も沖縄 が過重負担 してい ることを指摘す る。 けれ ども、ア メ リカ政府 の沖縄政策 は 「北朝鮮 を中心 にアジアはまだ 平安でないので沖縄基地は必要。陸軍、海軍、航空隊、 海兵 隊 の4軍が揃 う沖縄 基地 は重要」 との従来か ら の定説 を繰 り返す だけである。 日米 同盟 にと、っぶ り依 存 してい る 日本政府 は、 日本の安全保障の負担 を沖縄 県民 に背負 わせ なが ら、それ を根本的 な立場か ら軽減沖縄の米軍基地の縮小および撤去政策に関する国内外の諸相 す る施策 は示 さない。 これ らの諸相 を関連づ け る中で 、 米 軍基 地 の縮 小 ・撤去 に関す る戦 略 を編 み 出す事 が課 題 で あ る。 沖縄 タイム ス紙 は 「県議 会 が
1
97
2年 か ら2001
年1
2
月 まで の30年 間 で 、 県 議 会 が 可 決 した米 軍 関係 の抗 議 決議 と意 見書 は2
85
件 で 、 これ以上 に県 は米 軍へ 抗 議 ・要 請 を行 って い る。 ''儀 式 化 ''した要 請 活動 の あ り 方 を含 め て 、県 は実効 の あ る基 地 負担 の軽 減 を 日米 両 政府 に ど う働 きか けて い くのかが 、厳 しく問 われ てい る」 と戦 術 の変 更 を提 起 す る'L-24'。 この よ うに、 世 論 も新 しい方法 での基地 問題 の訴 え方 を考 え始 めてい る。 私 は常 々基 地 問題 に関す る政 策 の準 備 よび解 決へ 向 け た交 渉 能力 につ いて沖縄 県庁 の政 策担 当 の公務 員 と日 本政府 の 国家 公務 員 (官僚 ) を比較 す る と沖縄 側 に力 不足 が あ るの で は とい う問題 意識 を持 って い る。 そ の 意 味 では 、沖縄 側 の能力 を どの よ うに して高 め て い く かが重 要 であ る。 す なわ ち、沖縄 県 の 人 々は伝統 的 な 「訴 える」
「要 請 す る」 との視 点 か ら 「BJ民 全 体 の課 題 と して 一箱 にな って考 え る」 視 点 に力 点 をお いて主 張 す る こ とに変 わ って きた。 そ こで 、今 、沖縄 の 人 々の 「知 力 の磨 き」 が期 待 され る。 具 体 的 に は 、 国 際 政 治 の研 究者、H本外 交 お よび ア メ リカ外 交 の研 究者 、 さ らに語学 お よび コ ミュニ ケ ー シ ョンの堪 能者 、本土 の 官僚 と渡 り合 え る専 門家 の育成 こそ 、長期化 す るであ ろ う基 地問題 に対 比 す るパ ワー にな りうる。 そ うす る こ とが 阿l^J外 の米 甲基 地 の縮 小 、撤 去 を探 る手掛 りと な るO 脚注 注1.今 まで 、独
立 、米 国へ 州 と して付 属 、 そ して1 県 と して復 帰 す る な どの政治 体制 の研 究 、沖縄 共和 国憲法、反復帰論 、沖縄独 立論 、 リュ ウキュ ウ ネ シア論 、戦争 と平和 、加 害 者 と被 害者 論 な どの,l且憩 の営 み に関す る研 究 、 さらに経 済特 別 rq_にな どの経 済 的 な 自立 に関す る挑戟 的 な研 究 な どが行 われ て きた。 これ らは引 き続 き行 うべ き研 究課題 で あ る。 注2.人 多数 の 県民 は、核 な しの無 条件 返還 を希望 し たが 、結果 は基地 の体様 は本土並返還 で あ った。 す なわ ち沖縄 県 に も日米 安 全保 障 条約 が適 用 さ れ るの で 、基 地 の施 設 数 お よび機 能 と も大 きな 変化 は なか った。 その結 果 、復帰 後 も基地 の縮 小 お よび撤去 は県民 の課題 と して残 った。 注 3.なぜ 、本土 の 人々は沖縄 が 日本全 国 の安 全保 障 の過重 負担 を担 って い る事 を認識 しなが ら も、 と反対 す るか につ い て の実証 的研 究 が必 要 で あ るO 注 4.沖縄 県編 「21世 紀 :沖縄 の グ ラ ン ドデ ザ イ ン の実現へ 向 けて 、 国際都 市 基 本 計 画 、平 成9咋 5月」 を参 照 せ よ。 この評価 につ い て は、平 成 9年 のRBC報 道番 組 で 沖縄 タイ ムス の長 元朝 浩 記 者 が 「県 民 自 ら作 った将 来構 想」 と して評価 した。 私 も同番組 に コメ ンテエ イ クー と して 出 演 して、長元 記 者 と同様 な評価 を した。 注5.2
000
年1
月 、東 京 の ア メ リカ大 使館 の招 待 で 、 私 が ハ ワ イの太平 洋 軍 司令 部 の海 兵 隊 本部 を訪 ね た と き、海兵 隊 は空 軍 、陸軍 、海軍 が揃 って いる沖縄 に駐留す るこ とが乗要 だ との説明があ っ た。沖縄 タイム ス、2000
年 1月5
H
。 注6.
沖縄 タイ ム ス、2000
年5
月5
円、 グアム の知 事 、商工会議所 、海軍司令官 を直接 イ ンタビュー したO名桜大 学 総 合研 究所 月報 (8
月、9
F3合 併 号 ) に グアム知事 との イ ン タ ビュ ウ記事 を掲 載 した。 注7.なぜ 山 口県民 は海上 に基 地 を建 設 す る事 を受 け 入 れ て岩 国基 地 の増 設 を認 め たか につ い て 、 後 日、調査研 究 を したい。 注8.1
999
年1
月5
日、大 凹知事 は ワ シ ン トンの カ トウ研 究所 の招 待 を受 け て、沖縄 問題 につ い て 講演 した。 沖縄 タイムス、1
999
年1
月1
0日。
注9.沖縄 を知 る辞 典編 集 委員会編 、沖縄 を知 る辞 典 、 日外 ア ソ シエ ー ツ、200
0
年、2
46
頁。症l
o.
沖縄 人の積 極 的 な政 治 意識 は従 来 の 本 十 に対 す る劣等 意 識 で は な くて沖縄 の 人 々が スポー ツ、 音 楽 、文化 活動 で よい成績 を残 す こ とで ,F
′
日吉
3
-と誇 りを持 つ よ うにな り、 その結 果 、基 地 カー ドを快 い気持 ちで使 え る よ うに な った と推 察す る。大 田知事 は 自著 「醜 い 日本 人」 で 、本土 の 人 々が持 つ 沖縄 の 人々 に対す る差 別 意識 を指摘 した。基 地 カー ドを利 用 す る とい う今 Hの時代 風 景 、精 神風 上 は 、昭和 初期 の沖縄 民権 運 動 の 父 と称 せ らjtた謝 花昇 が時 の 奈良原 知事 の圧 制 を受 け て 、山 口県へ転 勤 す る途 上 、神 戸駅 で精 神 面 の異 常 を き したそれ とは共 な る。 注11.大 田知事 が普 天 間基 地 を辺 野古 沖 へ移 設 す る こ とに反対 す る に至 った事 に関 して は 、大 山昌秀 著 「沖縄 、 基 地 な き島へ の 道標 」 (集 英 社 ) が 詳 しい。 な お 、 私 の 名桜 第 学 総 合研 究所 紀 要 (平 成1
5
年 版 ) の 「戦 後 沖縄 の 政 治 文化 の 変 遷 と価 値」 も参 照せ よ。 注1
2.1
5
年使 用 を含 め た稲 嶺 恵一 の選挙 政 策 はあ る学 者 グル ー プで な され た。 私 が その主要 メ ンバ ー に問 い か け た ところ、 沖縄 の基 地 問題 は 日米安 全保 障 の問題 で 、 目米 政府 が安 全保 障 政策 で沖 縄 基 地 を縮 小 で きる と合意 が で きて は じめ てで きる もの で あ る。 従 って 、 当分 は基 地縮 小 の 見 通 しが で きない な ら、基 地 カー ドを使 って振 興仲 地 開発 を考 えた万 が 良 い と県庁 首脳 部 の本 音 を聞 い た。 注