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ハレ要約版『王子と苦行者〈ビラウハル〉の物語』試訳

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ハレ要約版

『王子と苦行者〈ビラウハル〉の物語』

試訳

Translation of

The Book of the King s Son and the Ascetic

(Halle epitome) into Japanese

西 村 正 身(作新学院大学名誉教授) Nishimura Masami(Sakushin Gakuin University,Professor Emeritus)

目 次

王子――神が彼を嘉せられますように――の誕生のこと・・・・・・・・・・・・ 6 思春期に達した王子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 賢者である苦行者ビラウハルの最初の寓話〈第 1 の寓話 信心深い王と死の太鼓〉 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10 美醜合わせて 4 つの箱の寓話〈第 2 の寓話  4 つの小箱〉 ・・・・・・・・・・・11 種を蒔く農夫の寓話〈第 3 の寓話 種を蒔く農夫〉 ・・・・・・・・・・・・・・12 象と男の寓話〈第 4 の寓話 井戸の中の男〉 ・・・・・・・・・・・・・・・・・13 3 人の友を持つ男のこと〈第 5 の寓話  3 人の友〉 ・・・・・・・・・・・・・・13 よそ者の王のこと〈第 6 の寓話  1 年だけの王〉 ・・・・・・・・・・・・・・・15 預言者たちと比べられる鳥の寓話〈第 7 の寓話 托卵するカーディム鳥〉 ・・・・17 心を照らす太陽と目に見える太陽の寓話〈第 8 の寓話  2 つの太陽〉 ・・・・・・18 満ち足りている王と思慮深い大臣のこと〈第 9 の寓話 王と大臣と貧しい夫婦〉 ・19 泳げる男とその友のこと〈第10の寓話 泳げる男とその友〉 ・・・・・・・・・・22 雀と狩人のこと〈第11の寓話 雀と庭師〉 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・22 付録(ハレ要約版で読めない物語の 概)――以下、次号 解説――付:系統図・話順一覧・文献 *( )、〔 〕は翻訳底本通り。〈 〉内は訳補。 * 訳文中[ ]内の数字は翻訳底本に記されている写本のページ数である。ただし一部を除き、 おおよその目安である。後掲の一覧でも使用しているので参考にされたい。

* 「彼は言った」に相当する [fa-] qāla [la-hu] が連続する場合、受動形も含めて、誤解の生じ ない範囲で、一部を除き、適宜訳出を省いた。

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[4]慈悲深く慈愛あまねき神の御名において   インドの優れた賢者たちのひとりについての   書物の要約。示唆に富む深い印象を与え   喜ばしい表現とすばらしい内容を備えた書物である。それを   アッラーが我らの役に立つようにしてくださいますよう。アーミーン。 作者は次のように語った。インドの国に偉大な王がいた。現世に執着し、来世に思いを 馳せることなどなくて王国のことに夢中になっていたので、その過ちを指摘する人はこの 世には 1 人もいなかった。信仰に身を捧げる人々を遠ざけ、偶像を崇拝する人々を身近に 置いていた。 〈ある日のこと〉王国に仕える人々の 1 人で、以前よく相談相手になってもらっていた 男の安否を尋ねたところ、すでに現世との関係を断ち、[5]家族や財産を捨てて苦行者た ちの仲間に加わってしまったとのことであった。〈王は〉そのことに苦痛を感じ、男を捜 させた。連れて来られた男が苦行者の身なりをしているのを見た王は、罵倒してこう言っ た、「そなたはこの王国の高官の 1 人であるというのに、自らの魂を軽んじ、家族を見捨 てて何の役にも立たぬことを求めているのか」。すると苦行者がこう言った、「王様、私に 対する義務など王様にはないのですが、それでも、怒らずに私の言い分を聞いてくださら なければなりません。そのあとでお望みのままにお命じください。なぜなら、怒りは理性 の敵であって、怒りに駆られる者と耳を傾け理解しようとする者の妨げとなるからでござ います」。王が「話を続けよ」と言ったので、苦行者は言った、「王様が私をお認めになら れないという罪は、私に跳ね返ってくるのでしょうか、それとも王様にでしょうか」。〈王 は〉言った、「そなたにも、わしにもだ。誰であれ、自滅しようとしている者に好き勝手 にさせるわけにはいかない。その者の破滅はほかの者の破滅に等しいと思うからだ。わし はその者の代理人であり、その者を公正に裁く者でもある。それゆえわしはそなたの魂の ためにそなたを裁き、国民のひとり、[6]つまりそなた自身の魂を破滅させ、それととも にそなたの家族に財産〈の喪失〉と悲嘆をもたらした〈咎〉ゆえに、そなたを罰しようと 思う」。すると苦行者が言った、「王様には、論証することでしか私を罰することはできま せん。そして、その論証ができるのは1裁判官だけなのです。王様、今人々の中に王様を 悩ますような裁判官はいないとはいえ、それでもなお王様には 2 人の裁判官がいるので す。私はその 1 人になら〈喜んで〉従いましょう」。「その 2 人とは誰のことだ」。苦行者 は言った、「私がその決定に従いたいと思うのは王様の理性であり、御免蒙りたいと願っ

1 「できる」と訳した tashbutu は不明。英訳 can be established による。ジマレによる校訂版も参照し た(12p.)が、同じ語は使われていない。

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ているのは王様の怒りです」。王が言った、「言いたいことを何でも言うがよい。そなたに ついて本当のことを言うのだ。いったいいつからそのように考えるようになったのだ。誰 かそなたを唆す者がいたのか」。 苦行者は言った、「私のことですが、まだ若かったときに心に染み入る言葉を聞いたこ とがあります。それが蒔かれた種のようになり、やがて芽を出し、成長し続けて、御覧の ような木になったのです。私が聞いたというのは、誰かが言っていた〈のですが〉、『愚か 者は大切なことをどうでもいいことだと思い、どうでもいいことを大切なことだと思って いる。どうでもいいことを拒まない者は[7]大切なことを手に入れることができない。 大切なことに目を向けようとしない者は、どうでもいいことを喜んで放棄するようなこと はしない。大切なこととは来世であり、どうでもいいこととは現世のことだ』〈という言 葉です〉。私はその言葉に感銘を受けたのですが、愛着とそこから得られる利益ゆえに現 世に打ち勝つことができませんでした。しかし、現世のことをよく考えてみた結果、どう でもいいことなのに愚かさゆえに大切なことだと信じていた現世が、私が求めていたもの とは違うものなのだということにようやく気づいたのです。すると突然、この世における 生は死であり、富は貧困であり、喜びは悲しみであり、満腹は飢餓であり、健康は病であ り、力は弱さであり、名誉は屈辱であり、楽しみは苦痛であるということが分かったので す。どうしてこの世における生は死であるのかというと、この世に生きるものは〈必ず〉 死に向かうからなのです。どうして富は貧困であるのかというと、現世から何かを手に入 れれば、その役に立つ別の何かが必要になるからなのです。それは動物を飼っている人が を必要とし、さらには世話人や小屋や道具類を必要とするようになるのと同じことなの です。そうしたすべてのものを利用するためにはさらに他のものが必要になってきます。 そうした〈何かが〉足りない状態が終われば、家族や財産や必要なものも手に入れること はなくなり、[8]そうなれば必要なものなどなくなるのです。どうしてこの世の喜びは悲 しみであるのかというと、悲しみというのはこの世の喜びを手に入れたすべての人を待ち 伏せしていて、苦しみを味わわせるからです。この世を楽しんでいる人も、いろいろなこ とに喜びを見いだしているときに、まさにそうしたことにさえ不幸を見つけてしまうので はないかと思って安心していられないのです。ですから、もし家族や子供や財産をどうし ても手放さざるを得なくなり、そうした別れが多くの不幸を伴なって避け難く起こること であるのなら、これまで申し上げたこと〈について〉は、そのよく起こりがちな何かが起 こる前に、それを自発的に放棄してしまうほうが賢明な者にはふさわしいことなのではな いでしょうか。それに、そういう目に遭っても失ったものを悲しむ必要はありませんし、 たとえそういう目に遭わなくても、それを求めたり選び取ったりしてはいけないのです。 どうして満腹は飢餓なのかというと、それが体の中で燃え上がり、それを消す水が見つか らなければ体を焼き尽くしてしまうし、食べ物や飲み物を摂取して体を焼き尽くさせない

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ようにしたとしても、そうすることで同じように燃え上がることになって、同じことを繰 り返す力となってしまうのです。つまり、満腹を習慣にすれば飢餓をあおることになるわ けです2。どうして健康は病なのかというと、健康というのは程好く集まった[9]体液に よるのですが、体液というのは互いに対立する性質を持っているのです。命に密接な係わ りを持っているのは血であって、それは明らかなことです。血は突然の死や悪疫、狭心症、 桃膿症、壊死、肋膜炎ともっとも密接な係わりを持っているのです。どうして力は弱さ なのかというと、それが必然的に衰え続けていくもの3だからなのです。どうして名誉は 屈辱なのかというと、奪われることのない名誉というものを私たちは見たことがないから です。名誉を奪われるということは、ひどい屈辱以外の何ものでもありません。どうして 楽しみは苦痛なのかというと、それが苦痛を遠ざけているだけで一瞬のうちに終わってし まい、〈楽しみを〉遠ざけた苦痛が引き続いて生じて来るからなのです。そうしたことを 王たちの生涯や晩年の諫めとするとき、名誉に包まれている日々は、晩年の屈辱や失意に まみれた日々と比べれば短いということが分かるのです。この命にかけて申し上げます が、現世から幸運を与えられた者にとっては現世を非難することこそふさわしいことなの です。なぜならそれは、財産や家族や子供たち、あるいは名誉や体や魂に襲いかかろうと、 毎日待ち構えているからなのです。どうして私が現世をけなすのかというと、それは与え たものを取り上げ、誰かに屈服するよう仕向け、与えたものを奪い、屈辱をもたらすから なのです。[10]高みに上げた者を貶め、悲しみを引き起こし、愛する人との結びつきを 断ち、後悔がつきまとい、その言いなりになる者を惑わせ、不幸は途切れることなく、愛 想良くしてくれるかと思えばそれは罠にかける手段であり、そこから逃れようとすれば苦 労と困惑をもたらすからなのです。さらにそれは裏切りの友であり、破滅へと続く道であ り、またがれば躓いてばかりいる動物であり、おんぼろ舟であり、おびただしい数の蛇に 満ちた家であり、猛獣だらけの庭園であるからなのです。必要なものではあるのですが、 皆に必要というのではありません。誰も愛することのない愛人であり、その友と遊びなが ら、食べ物を与えてくれるかと思うと突然獲物にし、仕えてくれているかと思うと突然召 使いにしてしまう。笑わせては笑い者にし、侮辱してはその不幸を笑い、泣かせてはその 人のために泣く。贈り物を受け取るためにその手を差し出させるかと思えば、物乞いと貧 しさゆえにその手を差し出させる。頭に王冠を結んでは、その頭を土の中に埋め、手足を 黄金で飾っては枷をはめる。今日、人を〈玉〉座にすわらせたかと思えば、明日は牢獄に 2 「あおること」。原文は ziyākatan だが、この語は手元の辞書には見当たらないので、ジマレ版に見 られる ziyādatan「増加、増大」を採用した。

3 「衰え続けていくもの」。原文は māzatan (165p. の注に mā izatan のこととある) ilā al-inkhilāli だが、 mā itan ilā al-inḥilāli と読む。

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すわらせる。朝に金襴を広げてやったかと思えば、[11]夕べには土をかける。歌手4や道 化師や称賛する者を集めたかと思えば、泣き女や泣き男、嘆き悲しむ人たちを集める。そ ばにいて家族に愛されるようにするかと思えば、遠くにいて愛されるようにする。今日、 芳香を漂わせたかと思えば、明日は腐敗臭を出させる。朝、その魂を希望で満たし、その 手に軍勢を〈握らせ〉たかと思えば、夕べにはその魂と手を空っぽにしてしまう。すべて が入れ替わることに喜びを見いだし、より良いものがあるべき場所を卑しむべきものでふ さぐ。人々を不毛な土地5から肥沃な土地へ、休息〈の日々〉から労役〈の日々〉へ、空 腹から満腹へと移すけれど、それに慣れさせるや〈状況を〉逆転させて豊かな実りを奪い、 人々を苦しめて平穏な生活をさせないようにする。彼らから容赦なく力を奪っておいてか ら、辛い労役に逆戻りさせるのです。王様は私が家族を失い、見捨てたのだとおっしゃい ましたが、私は家族を失ったのでも見捨てたのでもなく、むしろ家族との結びつきを大切 にして係わり合っていたのです。それは、惑わされた目で見ていたために家族と見知らぬ 人たちを、敵と愛する人たちを見分けることができなかったからなのです。[12]ところ が慧眼を与えられて見てみると、家族、友人、兄弟だと思っていた人たちが実は猛獣であ るにすぎず、私を食うことしか考えていないか、私に食われる〈ことを恐れている〉か〈の どちらか〉であったのです。彼らの違いはその力の優劣に従って、ある者はその残酷さに おいてライオンであり、ある者は奪い取ることにおいて狼であり、ある者はうなったり尻 尾を振ったりすることにおいて犬であり、またある者は策略を巡らせたり盗み取ったりす ることにおいて狐であったのです。その目的は 1 つなのですが、やり方は異なっていると いうわけです。もし王様が御自身のことをお考えになってくだされば、御家族や命令に従 う人々が、見知らぬ人たちや遠く離れている人たちより遙かにひどいことをするのだとい うことがお分かりになりましょう。6 では、今の私はどうなのかと申しますと、私には心を 1 つにする人たち、仲間たち、助けてくれる人たちがいて私を愛してくれていますし、私 もその人たちを愛しております。ですから、私たちの間の愛は失われることも断たれてし まうこともないのです。皆は私のために働いてくれますし、私も皆のために働きます。そ の果報は決して消えることがないので、活動は行なわれ続けるのです。私たちは皆、いっ しょに行なえることを探しています。他の人が〈何かを〉手に入れようとしているときに、 それを私たちがそれぞれに手に入れてしまっても差し支えありませんし、〈他の人が〉手 に入れようとしている〈のと同じ〉やり方で手に入れたとしても、[13]私たちの間には 争いも妬みも生じないのです。そうした人たちとは信仰の人たちであり、親しくしていた 4 「歌手」の原語は al-ghānī「歌」。続く 2 語が人を表わしているので、英訳にならって「歌手」とした。 5 「不毛な土地」。原語は al-jadhb「引き寄せること」だが、ジマレ版(15.20)により al-jadb と読む。 6 『ブッダ・チャリタ』11・27参照。

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だいており、その人たちと同じように自分自身の幸福を求めています。私が拒み避けてい るのは、どうでもいい現世に係わっている人たちです。現世がどのようなものであり、ど のように振舞うのかはすでにお分かりいただけたと思いますので、もし大切なこと〈とは 何か〉の説明をお望みであるのなら、耳を傾ける心構えをなさってください」。 それを聞いて王が賢者に言った、「そなたは何も分かっておらぬ。のっぴきならぬ悲惨 さと何の役にも立たぬ希望と居すわる貧困を手に入れただけではないか。わしの王国から 出て行くがよい。そなたは堕落してしまったのだ」。

王子――神が彼を嘉せられますように――の誕生のこと

その頃、王に男の子が生まれ、〈王は〉そのことを心底から喜んだ。男の子〈が生まれ ること〉に絶望していたからであった。その誕生を占わせるために早速占星術師や学者た ちを召集すると、彼らは、「私どもの見立てによりますと、この子はこの世の王中の王が これまで達したことのない高い地位に[14]昇られることでしょう」と報告した。ところ が、ある学者がこう言った、「この子が達する誉れは、この世で達する類の誉れであると は思いません。それは、禁欲主義の指導者になられる類のものであると、私は思うのです。 来世の様々な地位のうち、信仰に係わる高い地位に昇られることでしょう」7。〈作者は〉 言った。そのせいで、男の子が生まれたという王の喜びは台無しになってしまった。 やがて、命令を出して息子のためにある町の住民を追い出し、息子に仕えて教育に当た る信頼できる従者たちを選び出したうえで、彼らに向かって、「そなたたちの間で死や来 世、信仰や禁欲主義、〈この世から〉消え去ること、〈来世に〉帰ることなどを口にしては いけない。もし息子に不平不満や病のことを教える者がいたら、その者は即刻追放する」 と指図した。そのため皆は、口にするなと禁じられたことを口にすることはなかったので、 男の子が言葉を理解する年齢に達したときには、まどろんでいるときですら彼らはそうし た類のことをひと言も口にすることはなくなっていた。 〈作者は〉言った。さて、王にはその命令を良く守るある大臣がいたのだが、〈その人は〉 王の側近たちに妬まれていた。狩りに出かけたときに足の不自由な男を見つけ、〈訳を〉 問うと〈男は〉「獣にやられたのです」と答え、[15]さらに大臣にこう言った、「私をあ なたに仕えさせてください。私でもお役に立つことがありましょう」。〈大臣は〉男を屋敷 に連れて行くよう命じた。 ところでその大臣は〈禁欲主義を〉信奉していたが、賢明にもその信仰を秘密にしてい 7 『ブッダ・チャリタ』1・34~36、『ニダーナ・カター』Ⅱ「遠くない因縁話」[56]([ ] 内は春秋社 版『ジャータカ全集』1 の訳文中に記されている底本 Fausbøll のページ数。以下同じ)参照。

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た。しばらくして、大臣を妬む者たちが、あの男は王国を狙っていますと王に密告して、 こう言った、「あの男に、神に身を捧げる暮らしをするために王国を放棄しようと思うと 告げて、試すのです。そうすればあの男は、そうするよう王様にお勧めするでしょう」。 彼らがそうしたのは、禁欲主義や現世を放棄することについて大臣がどう考えているのか を〈よく〉知っていたからであった。 〈作者は〉言った。さて、大臣が王のもとを訪れたとき、王が言った、「大臣よ、わしが 1 人前になってからというもの、現世のことでわしがどれほど努力してきたのかをそなた は知っておろう。しかし、これまでのことをよくよく考えてみるに、その何ひとつとして この手中に見いだすことはできない。残っているものといえば、これまでのことと同じも ので、それもやがてはこの手中から消えてなくなってしまうことであろう。それゆえわし は、現世のためにして来たことを〈これからは〉来世のためにしたいと思うのだ。それに は、この王国とその民を放棄して苦行者たちの仲間入りをする以外に方法はないと思うの だが、そなたはどう思うか8」。大臣が言った、「王様、不滅のものは望ましいものではあ りますが、今ここにはありません。ですが、求めるに値するものです。はかないものは、 たとえ今ここにあろうとも退けるに値します」。[16]ところが、その言葉に対する嫌悪が 王の顔に見て取れたのだ。 恐怖を感じつつ屋敷に戻った大臣は、どうしたらいいのか分からなかった。足の不自由 な男に会って、何が起きたのかを伝えると、足の不自由な男が言った、「思うに、王様は あなたが王国を継ごうと目論んでいるのだと思われたのでしょう。夜が明けましたら、そ の身なりを改めて苦行者たちの服をまとい、頭を剃って公然と王宮に行ってください。そ うすれば人々がそれにびっくりして、あなたのありさまを王様に知らせるでしょう。王様 はあなたを呼び、なぜそのようなことをするのだとあなたにお ねになるでしょう。そう したら、こうお答えするのです、『これは王様が私にこうするようお求めになられたので す。友や主人に何かをするよう勧めたなら、自分もそれに加わらないのはふさわしいこと ではないからです。さあ、立ち上がりましょう、王様が私にお求めになられたことは私た ちにできるもっとも正しく優れたことだと思うからです』と」。 〈作者は〉言った。大臣は足の不自由な男に言われた通りにした。ところが王は心中の 怒りを彼にぶちまけた。〈作者は〉言った。そのうえ王は、苦行者たちがしっかりと人々 の心に根を下ろしていることに腹を立てていたのだ。[17]それで〈王は〉彼らを全土か ら追放するよう命じ、もし応じなければ処刑すると脅した。彼らは逃亡し、身を隠し始め た。 〈作者は〉言った。〈ある日〉狩りに出かけた王は遠くにいる 2 人の男を見かけて、呼び

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寄せた。すると何ということか、2 人は苦行者であったのだ。「なぜ早々に退去しなかっ たのだ」と王が問うと、2 人はこう答えた、「私たちは体が弱く、乗って行く動物も食糧 もないのです」。すると〈王が〉言った、「死を恐れる者は食糧などなくとも慌てて〈退去 するものだぞ〉」。「私たちは死は恐れていません、むしろそれを心待ちにし、楽しみにし ているのです。この世の人たちが喜ぶものはとうに捨て去っており、そこに戻ることはあ りません」。「そのほうたちは死を恐れて逃げることなどはないのだな」。「そのとおりです。 私たちが逃げるのは、私たちに対するあなた〈のやり方〉を助長するのが嫌だと思うから にすぎません」。すると王は 2 人を火刑に処するよう命じ、王国内で苦行者たちを見つけ たならば残らず火刑に処すと布告した。神が 2 人を嘉せられますように。

思春期に達した王子

[18]〈作者は〉言った。王子の肉体はこの上なく立派に成長し、教育は成功し、知識も 増した。自分が外出したり見たり聞いたりすることを制限されていることも理解するよう になり、「たぶん彼らはぼくに何が必要なのかを〈よく〉知っているのだろう」と〈ひと り言を〉言った。しかし、年も重ね、経験や理解が増して来ると、こう思うようになっ た9「彼らがぼくより優れているとは思わない。ぼくのことを彼らに任せていてはだめだ。 自分自身の選択権は残さなければいけない。いやむしろ、彼らがどう考えているのかを調 べて、協力してもらうことにしよう」。さらに、なぜ自分〈の行動〉が制限されているの かを父に ねてみようと思って、こう〈ひとり言を〉言った、「このことは父が原因であ るに違いない。それなのに、そのことをぼくに知らせてくれなかったのだ。だが、そのこ とについては、出世欲で味方につけて、脅しに屈する男から聞き出してみることにしよ う」。 そういうわけで〈王子は〉好意を抱いていたひとりに目を付け、深く知り合い、特別扱 いをして、こう言った、「知っての通り、王様はしばしば私の元を訪れて来る。王国は〈や がては〉私のものになるだろう。だから、もし私の言うことを聞けばそなたの地位は幸運 この上ないものになろうし、逆らえば最悪のものになるだろう。今すぐにか、あとでか〈は 関係ないのだ〉」。こうして〈王子は〉彼から真実を聞き出し、その誠実さゆえに彼を信頼 するようになった。 2 人でいろいろと話をするうち、男がすべてを教えてくれたので、 [19]〈王子は〉感謝した。 さて、父親が訪れて来ると、〈王子は〉こう言った、「父上、お気づきと思いますが、私 の〈置かれている〉状態は〈ほかとは〉異なっており、監禁されていることに私は苦しん 9 直訳は「こう言った」。

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でいます。もし父上が同じようにされたら、このような状態には我慢できず、そのまま留 まることはないはずです。なぜなら、変化は、御承知のように絶えることがないからで す」。こうして父親は、〈これ以上〉閉じ込めておいても息子を刺激するだけだということ を知って、こう言った、「息子よ、嫌な思いをすることをそなたから遠ざけておきたかっ たのだ。そなたを喜ばせてくれるもの以外は聞いたり見たりしないようにと思ってな」10 しばらくすると王は家臣たちに、最高の服を着て馬に乗るよう、そして、〈王子を〉悩 ませるようなものはすべて道から遠ざけ、王子のそばには美しい歌手たちを11集めるよう 命じた12。〈王子が〉馬に乗って繰り出し、その回数が増えるに従って、病人や足の不自由 な者たちを道から排除する人々の負担が増していった。 ある日のこと、施しを求める 2 人の男が〈排除されずに〉放っておかれた。その 1 人は ひどく腫れあがり、蒼ざめ、醜い姿をし、激しく呻いていた。もう 1 人は目が見えず、急 いで道から遠ざけてくれと言って、手を引く人を悩ませていた。その 2 人の姿を見た王子 がゾッとして、[20]「あれは、あの 2 人以外の人にも起こり得ることなのか」と尋ねると、 「そうです」という返事が返って来た。〈王子は〉生きていることに苦痛を感じ、ひどく憎 悪し、王権をさげすみながら立ち去って行った。その後〈王子は〉年のせいで腰が曲がり、 髪は白く、肌は黒く、体力の衰えた老人を見て、「あれは何なのだ」と尋ねた。老衰です との返事に王子は言った、「どのくらい〈の年数〉で人はあのようになるのだ」。「およそ 百年です」。「そのあとはどうなるのか」。「死にます」。「 1 日からひと月へ、ひと月から 1 年へ、1 年から一生へと、〈年月は〉何と早く過ぎ去っていくのだろう。〈成すべき〉ことは、 今係わりあっていることとは別のことなのだ」。〈王子は〉その言葉を繰り返しながら立ち 去り、現世とその様々な欲望をも放棄した。13 〈王子は〉信頼を寄せ、特別な関係にある例の男に会って、言った、「私たちの立場と違 う立場にいる人を誰か知っているか」。「はい。現世を拒み、来世を求めている苦行者たち です。彼らには知識と言葉がありますが、人々は彼らに敵意を抱き、お父上である王様が 彼らを追放したり、[21]火刑に処したりしたのです」。〈作者は〉言った。かくして王子 は失ったものを探し求めるようになった。14 〈作者は〉言った。やがて、〈王子の〉性格の良さ、完璧な教養、礼節、知識、現世放棄 10 『ブッダ・チャリタ』2・28、『ニダーナ・カター』Ⅱ[57] 参照。 11 「美しい歌手たちを」。原語は al-aghāniya al-ḥisān。al-aghāniya は「歌」の複数形なのだが、意味上 違和感があり、英訳に合わせて「歌手」とした。なお脚注 4 を参照。 12 『ブッダ・チャリタ』3・2 ∼ 6 参照。 13 『ブッダ・チャリタ』3・26∼48,54∼62、『ニダーナ・カター』Ⅱ[58~59] 参照。 14 ここまでがボンベイ石版のプロローグ(3 ∼37)の内容に相当する。ジョージア語『バラヴァリアー ニ』では第 1 章、ギリシア語『バルラームとヨアサフ』では 1 ∼ 5 に相当する。

(10)

の が遠方にまで知られるようになり、 はサランディーブ島15の苦行者である賢者のと ころにまで達した。その名をビラウハルという。彼は、「生きているその人を、あの死者 たちの中から何としても救い出さなければならない」と言って、王子に会うために旅立っ た。王子の住む町に着くと苦行者の装いを解き、商人の服をまとって王子の〈館の〉門に 通い詰め、〈やがて〉執事たちと知り合って親しく付き合うようになり、ついに王子と親 密な例の男と会って、内密にこう言った、「私はサランディーブから参りました異国の者 です。非常に珍しく貴重な品を持ってやって参りました。病人は回復し、目の見えぬ者は 見えるようになり、弱いものを丈夫にするという効用がございます16。性格の良さや完璧 な教養という点からみて、王子様よりそれを持つにふさわしい人を見いだすことはできま せん」。「あなたのおっしゃりようは素晴らしいです。お見受けしたところ、あなたの判断 力に欠陥はありませんし、言葉も素晴らしい。ですが、[22]あなたの商品を見るまでは、 あなたのことを〈王子様に〉お伝えするわけにはいきません」。「私は商いをするとともに 医者でもあります。あなたの視力は弱っておられるようですが、私の商品には弱っている 視力を回復する輝きがあります。王子様はお若く、視力もお強いのですが、それを必要と されるかどうか知りたいのです」。 執事は中に入って行き、王子に彼のことを告げた。〈王子は〉禁欲主義についての知識 を得られるかもしれないと予感して、その男を秘かに中に入れるよう執事に命じた。賢者 ビラウハルは書物の入った籠を携えて来て、「この籠の中に商品があるのです」と言った。 〈作者は〉言った。こうしてビラウハルが中に入ると執事は出て行った。王子は出会いを 心から喜び、歓迎し、敬意を表した。ビラウハルが言った、「王子様、あなたは私をあな たの王国の人々よりも敬意をもって迎えてくださいました」。「あなたから望むことができ る大切なことのために〈そうしたのです〉」。「私に対するあなたのなさり様は、王子様、 信仰ゆえにみすぼらしい 2 人の男に敬意を表した王の寓話に似ております」。

賢者である苦行者ビラウハルの最初の寓話〈第 1 の寓話 信心深

い王と死の太鼓〉

[23]「それはどういう話ですか」と王子が言った。苦行者は語った、「こういう話です」。17 善行を愛し、〈それを〉善良で優れた人々から受け継いでいる王がいたのですが、ある 日のこと、供の者たちを連れて進んでいたとき、思いがけないことに、裸足で歩いている 15 「サランディーブ島」はサンスクリットで suvarṇa-dvīpa「黄金の島」といい、スリランカのこと。 16 『ニダーナ・カター』Ⅱ[53, 76] 参照。 17 底本には段落はない。寓話そのものにはカッコは付けない。以下の寓話の訳も同様である。

(11)

2 人の男と行き会いました。着古した服をまとっていたのですが、敬 さと善良さを漂わ せていたのです。 2 人を見た王は馬から下り、抱擁して敬意を表したのですが、そのよう な振舞いは供の者たちにとっては耐え難いことでした。ところで王には、神に身を捧げて 献身的に生きる人々のことを知らず、兄に仕えること以外にすることとてない愚かな弟が いました。優れた王の供の者たちはその弟のところに出向いて、こう言ったのです、「王 様は御自分をさげすみ、国民に恥をかかせておられます。卑しむべき 2 人の男のために馬 を下りたのですぞ。ですから、そのようなことは 2 度となさらないようにお諫めくださ い」。〈言われた通りにして〉話をした弟は何がしかの返事をもらってその場を離れたので すが、王が腹を立てたのか、理解してくれたのかは分からないままでした。 それから数日後のこと、優れた王は死の触れ役に命じて弟の館の入口で布告させ、[24] 館の入口の前で死の太鼓を叩かせました。それが、誰かの死を求めるときの慣わしだった のです。王弟の館に悲嘆の声が上がり、弟は死衣をまとって、泣きながら、兄である優れ た王の〈館の〉入口へと向かい、王の前に進み出て床に崩れ落ち、嘆きの声を上げ、両手 を高々と挙げて哀願しました。すると、王がこう言ったのです、「何を嘆いているのだ、 愚かな者よ」。弟が言いました、「私に死を宣告しておきながら、私が嘆いていると言って 私を責めるのですか」。王は言いました、「死を宣告されるような罪などお前にはないこと くらい、お前は知っているであろうに、触れ役が、お前の兄である私の命令を大声で伝え たからといってお前は悲しんでいるのか。ならばどうして、主の触れ役の姿を目にして嘆 いた私を責めるのだ。嘆きのあまりにお前は床に崩れ落ちたが、それを見て私は、生まれ たときに主の触れ役によって確かに告げられた死のことを思い出したのだ。さあ、立ち去 るがいい、大臣たちがお前を誤解させたようだ。その過ちはやがて明らかになるだろう」。

美醜合わせて 4 つの箱の寓話〈第 2 の寓話  4 つの小箱〉

[25]苦行者は〈続けて〉語った。 それから王は 4 つの木箱を作らせ、その 2 つを金色の塗料で、〈残りの〉2 つをタール で塗るように命じました。そのあと、2 つのタールの箱には黄金と宝石を満たし、2 つの 金色の箱には悪臭を放つ腐肉を入れ、それから大臣たちを集めてその箱を見せ、それを評 価するよう命じました。すると大臣たちは言いました、「外側を見てどうかと言えば、立 派だからといって 2 つの金の箱に価値があるわけではありませんし、みすぼらしいからと いって 2 つのタールの箱には価値がないというわけでもありません」。そこで王がタール の箱を開けるよう命じると、室内が宝石で明るくなりました。王は言いました、「これこ そ、お前たちが粗末な服という上辺を見てさげすんだあの 2 人の男の寓意なのだ。あの 2 人は苦行者として暮らし、敬 さと英知とあらゆる徳に満ちあふれていて、それこそがこ

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の宝石よりも遙かに価値のあることなのだ」。そのあと王が 2 つの金の箱を開けさせると ひどい悪臭が広がり、目に見えぬ重苦しくて、〈その場の雰囲気を〉一変させ、反吐の出 そうなムカつく恐ろしいものが姿を現わしました。その光景に嫌悪を感じた彼らはその醜 悪な臭いから顔をそむけてしまいました。[26]すると王が言いました、「これは上辺を飾 る虚栄心の強い者たちの寓意なのだ。〈そういう者たちは〉束の間の滅びゆく姿をし、そ の内側は無知と邪悪と、この腐肉よりも不快で汚らわしいあらゆる悪徳に満たされている のだ」。すると大臣たちが言いました、「私たちは目を覚まされた思いです。〈今の話を〉 肝に銘じておきます」と言ったのです。 「これが、王子様、私を歓迎して受け入れてくださったあなたにふさわしい寓話です」。 すると王子はまっすぐに立ち上がり、こう言った、「今、自分が何を求めているのか、確 信が持てました。そういう話をもっとしてくれませんか」。

種を蒔く農夫の寓話〈第 3 の寓話 種を蒔く農夫〉

苦行者は語った。 農夫が良い種を蒔きに出かけました。手いっぱいにつかんで蒔くと、いくつかは道端に 落ちたのですが、やがてそれは鳥がついばんでしまいました。いくつかは石の上に落ち、 湿り気と土のおかげで芽を出したのですが、根が石の乾いているところまで達すると、枯 れてしまいました。また、いくつかは のある地面に落ち、まさに実を付けようとすると きになって のせいで窒息し、枯れてしまいました。ところが、ほんのわずかが良質で清 らかな[27]大地に落ちて生き永らえ、成長し、繁茂したのです。 「さて、農夫は言葉を運ぶ人であり、良い種は真実の言葉で、道端に落ちて鳥についば まれたものは、聞き届けられることなく、ついには〈人がそれを〉避けて通り過ぎてしまっ たものなのです。石の上に落ち、根が石に達して枯れたものは、好ましいと思って付き 合ってはみたものの、それを聞くのを恐れて(それが耳に届いたときに?)18目的を遂げ ることができなかったものなのです。成長して、まさに実を結ぼうとしたときに のせい でだめになってしまったものは、それを理解した人がいざ実行するときになってその実を 欲望や心配事で窒息させてしまい、だめにされてしまったものなのです。無事生き延びて 成長し繁茂したものは、聞き入れられ理解されて記憶され、その考えや思いが実行された ものなので、〈それ以外の〉人たちとは係わらずに済んだものなのです19」。 18 「それを聞くのを恐れて(それが耳に届いたときに?)」。原文は faza a と qara a の違いで、2 つの 点を f と z の 2 文字に分散して付けると前者に、q の 1 文字に付けると後者の意味になる。 19 英訳注134ページ「マタイ伝13.3∼23と比べよ。その同一性は著しい」。

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王子が言った、「あなたが私に蒔いてくださったものが無事に成長し、繁茂することを 願っています。今度は、この世とそこに住む人々をこの世が〈いかに〉欺いているかとい うことと、それが何によるのかを表わす寓話を話してください」。

[28]象と男の寓話〈第 4 の寓話 井戸の中の男〉

苦行者が語った、「こういう話があります」。 ある男が荒野に出かけて歩いていると、思いがけないことに発情した象が襲って来たの です。男が逃げると、象は追いかけて来ました。井戸を見つけた男は中に下りて、その縁 に生えていた 2 本の枝にぶら下がり、両足を井戸の内側にある何かの上に乗せたのです。 2 本の枝が〈はっきりと〉見えてきたとき、男の目に飛び込んで来たのは、ひっきりなし に枝をかじっている黒と白の 2 匹の鼠でした。足を乗せているほうを見ると、何とそれは 4 匹の毒蛇ではありませんか。井戸の底に目をやると、そこには口を大きく開けて彼を呑 み込もうとしている龍がいました。それから〈また〉2 本の枝のほうに頭を上げてみると、 その上のほうに少しばかりの蜂蜜がありました。それをなめた男は蜂蜜の甘さに、〈その ときまでに〉目にしたものから受けた不安を忘れてしまったのです。鼠が素早くかじって いるのを見たにもかかわらず、ぶら下がっている 2 本の枝のことも、4 匹のうちの 1 匹で もいつ彼に腹を立てるか分かりもしないのに、その上に足を乗せている 4 匹の蛇のこと も、大きく口を開けて、[29]その喉に落ちたらどうなるか分からない龍のことも、蜂蜜 をなめている間に刺して来る蜜蜂や雀蜂のことも〈忘れてしまったのです〉。井戸は災難 に満ちたこの世界のこと、2 本の枝は命、2 匹の鼠は夜と昼、鼠が枝をかじる速さは命を 削って行く昼と夜の〈過ぎ去る〉速さ、毒蛇はその 1 つでも荒れ狂えば〈男を〉死に至ら しめる 4 つの体液、龍は待ち構えている死、蜜蜂と雀蜂は不幸と災難、蜂蜜は、辛さと苦 しみの混じり合った人生の喜びをわずかだけ与えて、この世の人々を惑わすものであり、 〈それは〉雀蜂や蜜蜂に刺されながら〈味わう〉蜂蜜に似ているのです。 王子が言った、「今の寓話は素晴らしいし、寓意は的を射ています。この世についての 寓話をもっとお聞かせください。そこにいる人々が、何の役にも立たないどうでもいいこ とや自分のためになる有益なことに〈気づかずに〉惑わされてしまうという〈寓話を〉」。

[30]3 人の友を持つ男のこと〈第 5 の寓話  3 人の友〉

苦行者は語った、「こういう話があります」。 ある男に 3 人の友がいました。そのうちのひとりを男は贔屓し、心を尽くして守ってい ました。 2 人目は 1 人目よりは格下でしたが、それでも愛され、おろそかにされることは

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ありませんでした。そして 3 人目は、さげすまれ遠ざけられて、ほとんど構ってもらえま せんでした。ところで、その男に災難が降りかかり、そのことで友だちが必要になりまし た。王の使いの者たちが男を連行しに来たのです。そこで男は 1 人目の友人のところへ行 き、こう言いました、「私はほかならぬあなたを贔屓し、あなたのためにこの身を捧げて きたのです。今日は、〈あなたが〉必要な日なのですが、私のために何をしてくれますか」。 するとその友だちはこう言ったのです、「私にはあなたから私を遠ざける友人たちがいて、 今はその人たちのほうが私にはふさわしいのです。それに、私はあなたに服を 2 着着せて やったのに20、あなたはそれを利用しなかったではありませんか」。そこで男は 2 人目の友 だちのところに行って、こう言いました、「私はあなたのために必要なものを用意してや り、あなたに満足してもらうために努力して来ました。〈今〉あなたが必要なのです。私 のために何をしてくれますか」。するとその友だちはこう言いました、「今は[31]自分の ことで〈手いっぱいで〉あなたに構ってはいられないのです。それに、もう私たちの関係 は断たれているのです、あなたの行く道は私の行く道ではないのですからね。でも、少し の間ならお供をしてもいいですよ。それからあなたに別れを告げて私のためになることを しに行こうと思います」。それを聞いた男は 3 人目の友だちのもとに向かい、こう言いま した、「兄弟よ、あなたに頼るのは気が引けるのだけれど、どうしてもあなたに頼らずに はいられないのです。私のために何をしてくれますか」。〈すると、その友だちは〉こう言っ たのです、「私にはあなたから預かっているものとあなたが必要としているものがありま す。私をなおざりにしていたことは気にしないでください。私はあなたの友であり、あな たを見捨てたり、引き渡したりはしません。これまであなたが私のためにわずかなことし かしてくれなかったからといって、決して心配しないでください。私はあなたのためにそ れを守って来ましたし、〈いつでも〉お使いいただけるようにしてあります。ですから、 あなたのためにそれを受け取ってください。私のところに蓄えていたわずかなあなたの財 産、〈つまり〉私に預けていたものは何倍にもなっているのです。それを見て、王様があ なたに好意を持ってくださるといいのですが」。それを聞いた男はこう言いました、「 2 つ のうち、どちらを悲しむべきか私には分からない、悪友の卑劣さなのか、それとも本当の 友だちを遠ざけていたことなのか」。さて、最初の友だちは財産、2 人目は家族、3 人目は 善い行ないのことなのです。 [32]王子が言った、「それは真実ですね。そういう話をもっとしていただけませんか」。 20 英訳者は136ページで「この世とあの世のための富の利用か?」と補足している。

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よそ者の王のこと〈第 6 の寓話  1 年だけの王〉

苦行者は語った、「こういう話があります」。 ある町の住民たちには、自分たちにとってはよそ者であり、自分たちのことを何も知ら ない男を王にする習慣がありました。そして、1 年経つと身ぐるみ剝いで追放してしまう のです。そうなると、王国の仕事をして過ごしたことが彼にとっては〈かえって〉災いと なるのです。そうして〈王になった〉男たちの 1 人が、自分が町の人たちから見ればよそ 者に過ぎないことに気づくと、住民たちと親しくなることはせず、彼らがどういう人たち なのかやその風習21について教えてくれる同郷の男か〈その地の〉人を探し求めようとし ました。住民たちの秘密を教えてくれて、手に入るものなら何であろうと用意し、追放さ れたときにそれを見いだせるようにしておくほうが良いと注意してくれる人をついに見つ け出すまで、探索をやめなかったのです。男はそれを実行し、そのおかげで安穏無事な結 果を迎えることができたのです。 「あなたは、王子様、自分と異質な者たちとは親しくしようとしない〈今の話の〉よそ 者の男に当たり、私は探し求められて、あなたを説得し助ける男なのです」。 [33]王子が言った、「私はこの世のことには何の関心もありません。来世のことについ てもっとお聞かせください」。苦行者が言った、「世俗の喜びを捨てることが来世を求める になります。来世を求める人はそれを手に入れようとします。それを手に入れた人はそ こに至る扉を見つけるでしょう。その扉を見つけた人はその王国に入ることになります。 その王国に入った人は恵みを手に入れることになるのです。放棄することのできないその 肉体がどうなるのかを知っていながら、どうして俗世を捨てないのでしょう。肉体は高熱 で消えてなくなり、寒さで凍り、水で 死し、火で焼かれ、害虫どもによって腐敗し、野 獣に貪り食われ、剣で切り裂かれ、固い物で〈何度も〉叩かれれば粉々になり、病と苦痛 から解放されることのないものなのです。健康で息災であり続けることは望むべくもな く、そういうもの、つまり高熱、寒さ、病、恐怖、空腹、喉の渇き、死と比べられるもの なのです」。 「私の父が追放したり火刑にしたりした人たちはあなたのお友だちだったのですか」と 王子が尋ねた。「そうです」。「みんなは敵意を抱き、[34]罵詈雑言を吐きながらその人た ちの周りに集まって来たと聞いていますが」。「敵意についてはもっともなことだと思いま すが、罵詈雑言というのは真実を語るけれども嘘をつかない人、〈真実を〉知っていて無 知ではない人、わずかなもので満足している人、自分や家族の財産を失う人、自分をも他 の人々をも傷つけない人、自分自身はもちろんのこと、家族やその財産の心配をしない人

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に向けられるものなのです」。「それでは、同じ意見を持っていたわけではないのに、人々 はどうして皆 って敵意を抱くようになったのでしょう」。「それは動物の死体に群がる犬 が、その姿や色はさまざまでも、互いに噛みつき合い、唸り合いながら腐肉に食らいつく のと同じことなのです。腐肉を巡って争い合っているときに、思いがけなく人がそのそば を通りかかると、お互いに相手のことは放り出し、みんなして一致団結して人に襲いかか るのです。人にとっては腐肉などどうでもいいことなのですが、自分たちとは異なってい るせいで犬たちは人に反感を抱き、互いに団結し合うようになるのです。腐肉とはこの世 の財産であり、争い合ういろいろな種類の犬はこの世のこと以外には何の関心も持たない さまざまな人たちのことなのです。[35]腐肉などには用もないのに犬に囲まれてしまっ た人は苦行者のことなのですが、この世では誰とも争うつもりもないし、自分が人々と異 なっているという理由でそのようなことをするのはやめてほしいと人々に言うこともしな い者なのです。事情を知る者たちによって口実を与えてもらえないままに敵意を抱いてい る人たちにとって、考え方の違う人たちが力を合わせるのだということよりも効果のある どんな口実があるというのでしょう」。 王子が言った、「あなたのなすべきことに取りかかり、私の治療を始めてください」。苦 行者は言った、「腕のいい医者は体22が欲望や腐敗した体液で消耗し切っているのを見た ら、体力をつけて太るようにしますが、肉や力になる食べ物を初めは与えません23。栄養 価の高い食べ物を腐敗した体液に入れると体に良くないことを知っているからです。しか し、腐敗した体液を除き、血管をきれいにする治療は続けます。それから、体のためにな る食べ物や飲み物を与えていくと、やがてしっかりとした、〈食べ物に〉耐えられるよう な丈夫な体になるのです」24 王子が言った、「あなたが私にさせようとしていることは、そういう人たちがその思慮 分別によって成し遂げることであり、[36]だからこそ彼らは他の事ではなく、それを選 んだということなのですか」。すると苦行者は言った、「それは、この世の人々がするには 重いこと、あるいはよく考えて〈初めて〉行なえることなのです。この世の人たちが考え ることなら、仕事とか人の飾りとなるもの、〈例えば〉食べ物や飲み物、服、会合、建物、 娯楽、肉欲を求めるでしょう。しかし、それは〈その人たちにとっては〉無縁のことであ り、相容れないことなのです」。「そうするよう呼びかけている人は、あなた方のほかにも 誰かいるのですか」。「ええ、あらゆる国に信じる人々がいます」。王子が言った、「そのこ とについてあなた方のほうが他の人たちよりふさわしいという理由は何なのですか」。「呼 22 「体」。ḥasad を jasad と読む。

23 「初めは与えません」の原文は lam yabda-hu だが、ジマレ版(39.2)により lam yabda -hu と読む。 24 『ブッダ・チャリタ』23・55∼56参照。

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びかけの理由は真実そのものにあります。けれども、私たちと私たち以外の人たちを隔て ているのが、この世に神の預言者たちやその使徒たちとともにこれまで何百年にも亘って 広められ、訪れ、現われ続けているその呼びかけなのです。あらゆる呼びかけには正しい 導きと正当な理由があるのですが、国はその方向を逸らせて、可能性の行きつく先をなお ざりにし、その名称とのいろいろな関係をそのままにして、そのことは知っていると主張 しているのです。それが私たちと彼らとを隔てているのです。私たちは誰とも、どんなこ とでも反対するようなことはしません、相手の手元にある〈聖なる〉書物やその記述から 生じ、[37]相手の不利になる残された証拠が私たちにあれば別ですが。私たちの行動は 私たちが真理と調和していることを証明してくれていますし、彼らの行動は真理に反して いることを証明しています」。「では、預言者たちや使徒たちが現われたときはどうなるの でしょう。そのとき彼らは切り離され、その影響は消し去られ、その知識はなかったもの とされるのでしょうか」。「庭園の所有者がどんなふうに仕事をするのか、御存じないので すか。いろいろな種類の草木を植え、冬には全体を垣根で囲み、しばらくの間はたまにし かそこには入らず、やがて春の訪れとともに中に入って、必要なことをしないといけない 場所へ行くのです。それと同じように預言者たちや使徒たちも、強大で偉大な神から託さ れたことを果たすためだけにやって来るのです。どんな季節にもなすべきことがあり、季 節の花、季節の果物にはまた別のなすべきことがあるからなのです」。「彼らは託されたこ とだけのために人々のもとを訪れるのですか、それとも〈広く〉呼びかけをすることによっ て、彼らを受け入れる人が現われたり、気に入らないという人や受け入れないという人が 出て来たりするのですか。人々が応えてくれるのか、従ってくれるのか、ついて来てくれ るのか、まるで知らないみたいなのですね」。苦行者が言った、「これからお話しする寓話 をお聞きください」。

[38]預言者たちと比べられる鳥の寓話〈第 7 の寓話 托卵する

カーディム鳥〉

ある海岸にたくさんの卵を産む鳥がいたそうです。ところが、その海岸に棲み続けるこ とができない季節になり、その季節が過ぎ去るまで別の地方に移らざるを得なくなってし まったのです。鳥は卵をくわえては他の鳥たちの巣に運び、あらゆる種類の鳥たちの卵の 中にひとつずつ紛れ込ませました。鳥たちはその卵を自分たちの卵といっしょに孵化さ せ、雛はその鳥たちの雛とともに〈殻を破って〉出てきました。〈やがて〉時が満ちて帰っ て来た親鳥は、〈卵を托した〉いろいろな高さのところにある巣のそばを夜飛んでは、自 分の雛や他の鳥たちの雛にも聞こえるように呼びかけたのです。ところが、その声を聞い て集まって来たのはその鳥の雛たちだけで、他の鳥たちの雛は返事さえしなかったので

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す。 「預言者たちや使徒たちの場合もそれと同じで、その呼びかけに応じるのは彼らに属す る人々だけなのです」。 〈王子が〉言った、「使徒たちの言葉は人々の言葉と同じものではないのだと言うのなら、 それは神や天使たちの言葉だということなのですか、それとも別の〈言葉〉なのですか」。 「こういうことは御存じありませんか、人々が自分たちの望むままに[39]動物や鳥に、 前進したり後ろに下がったり、近づいたり離れたりすることを分からせようとするとき、 動物や鳥たちがそのままの言葉に耐えられ〈ず理解でき〉ないのだとわかったら、叱りつ けたり合図をしたりして理解させ、〈そうすることによって〉必要とする目的を遂げるの です。それと同じように、人々がその成熟度や資質に応じて神や天使たちの言葉にそのま までは耐えられ〈ず理解でき〉ないときには、もう一度考えてもらうために声を上げるの です。それが肉体の舌を通して発せられ、人々が耳にする知恵の言葉の声なのであり、小 さな声ではありますが、人々が動物を叱りつけて耐えさせ〈理解させ〉ようとする声と同 じものなのです。それと同じように知恵の神髄はそういう声の中に隠されていて、神の知 恵を含む言葉がその貴さゆえに敬われるのと同じように、肉体もその精神ゆえに敬われる のです。精神のない肉体が役に立たないのと同じように、その精神に当たる知恵を含まな い言葉は役に立てることができないのです」。「力があり、[40]卓越したものなのだと今 あなたが言った知恵とはいったいどんなものであり、今あなたが言ったことを人々は完全 には役に立てることができないのですか」。

心を照らす太陽と目に見える太陽の寓話〈第 8 の寓話  2 つの太

陽〉

苦行者は語った。 知恵の光は、いっしょに人々の顔に差す 2 つの太陽と同じなのです。その光はどちらも、 目が見えるか見えないかを問わず、すべての人々を照らしているのです。目に見える太陽 が見る目を持つ人の上に昇ると、人々は 3 つのグループに分かれます。第 1 は健全な視力 を持つ人たちで、光が役に立ち、光を見ることでさらに強くなるのです。第 2 は光とは無 縁の、目の見えない人たちで、太陽が昇ってもまったくその人たちの役には立ちません。 第 3 は健全ではない視力を持つ人たちで、目が見えないわけではありませんが、健全な視 力を持つのでもありません。そういう人たちはそれぞれの視力の程度に応じて光を役立て たり、両目の弱さの程度に応じて傷つけられるのです。それと同じように知恵の太陽、つ まり心を照らす太陽も、心の上に昇ると人々を 3 つのグループに分けるのです。洞察力の ある人々のグループは[41]知恵に従って行動するだけではなく、知恵を愛し信頼して、

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それに必要なことをいとわず知恵に従う人々を尊重し、まだ知らないことを知り、まだ経 験したことのないことをするためにその日々を使うのです。無分別な人々のグループの心 の知恵との関係は、太陽が見えない目と同じです。心が病んでいる人々のグループの知識 は限られており、その行動はおぼつかなくて、良いことや悪いこと、適切なことやどうで もいいことの集まりになっているのです。その 2 つの太陽の違いは、心を照らす太陽が せっかく25昇っているのに、ほとんどの人にはそれを見る目がないということなのです。 しかも、心を照らす視力〈を持つ人〉の各グループにも真珠の粒の間にある〈のと同じ〉 違いがあって、たとえ同じ名で呼ばれていてもその間には大きな違いがあるのです。 王子が言った、「では不完全な人たちには救いはあるのでしょうか」。〈苦行者は〉言った、 「無知や思い違いから自由になれば解放されますし、心を尽くして知恵を守れば救いがあ ります。消えることのないその果報は、たとえわずかであるとしても、大事なのです」。 王子が言った、「父はそうした言葉を少しでも聞いたことがあると思いますか」。「お聞き になられたとは思いません」。〈王子が〉言った、「賢者たちは[42]どうしてそうしなかっ たのですか。そんな大事なことを伝えて助言しなかったのですか」。「言葉を〈伝える〉相 手のことを知っていたからなのだと思います。そのため何人かの賢者は、ときには何も知 らない人と生涯に亘って交際し、その好意を得ることもあるのです。 2 人の間には信仰を 除けば何の違いもありません。賢者はそのことで彼のために心を痛めてはいるのですが、 ふさわしい相手であると思わなければ知恵の秘密を伝えることはしないのです。ちょう ど、満ち足りている王と思慮深い大臣の場合のように」。

満ち足りている王と思慮深い大臣のこと〈第 9 の寓話 王と大臣

と貧しい夫婦〉

世の中を良くしようとしている王と、誠実に王を支えている大臣がいたそうです。大臣 はすでに知恵についての話を聞いており、それを理解して受け入れ、それを信奉する人た ちとだけ係わるようにしていました。王は大臣に何の隠し事もせず、大臣も、信仰と知恵 に関することを除けば、王に何の隠し事もせず、そんなふうに長いこと係わりあっていた のです。それでも大臣は、王が偶像にひれ伏し、[43]捧げ物をし、間違った振舞いをし ているのを目にするたびに心を痛めて悲しくなり、そのことで王に話をすべきなのかどう か、信奉者たちに相談をしました。すると彼らはこう言いました、「あなたは御自分の主 君のことをよく御存知のはずです。ですから、もし話してもいい相手だとお思いなら、話

25 「せっかく」の次に原文には bi-ḥilani-hā があるが意味が取れない。英訳は with its charms と訳して いる。「せっかく不思議な力を伴なって」ということであろうか。ジマレ版に該当語句はない。

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せばよろしい。しかし、そうでないのなら、信仰や信じる人たちに向かい合うきっかけを 与えないよう気をつけなければなりません。支配者というものは思い違いをするものです から」。〈苦行者は〉話を続けた。人々が寝静まったある夜のこと、激しい雨が数日降り続 いていたのですが、王が大臣にこう言ったのです、「町へ行く気はあるか。人々の様子や、 このところ降り続いている雨の影響を見に行こう」。〈大臣は〉「はい、お望みなら」と言 いました。 2 人が町をあちこち歩き回っているうちに、やがてある通りの、住民たちが出 したゴミの山のそばまでやって来ました。それは大きな丘になっていました。その横から 〈燃える〉火の光が輝き出ているのを目にした王が、大臣にこう言いました、「下りて行っ てみよう。あの光をそばで見て、何なのか確かめるのだ」。そこまで行った 2 人は横穴の ような穴が掘られているのを見つけました。それは施し物で暮らしている貧しい夫婦が 掘ったもので、住まいとして使っていたのです。[44]歌声を聞いた〈王と大臣の〉2 人は、 横穴にいる夫婦からは見えない所から〈中を〉覗いて見ました。するとどうでしょう、醜 い姿の男が、ゴミの山から引っ張り出して来た長椅子にすわっているのが見えるではあり ませんか。やはりゴミの山から見つけた服を身につけています。その前には同じゴミの山 に投げ捨てられていた壊れた陶器が置かれ、中には飲み物が入っていました。手には捨て られた死体から取った骨を持ち、その骨には同じ死体から剝ぎ取った皮膚が太鼓のように 張られていたのです26。奥さんがその前に立っていましたが、その姿や着ている服は夫と 同じで、夫に飲み物を飲ませながら、呼びかけるときには「男たちの王よ」と呼びかけ、 夫は夫で「女主人よ」と呼びかけていました。 2 人の間には喜びと笑いと歌があり、言葉 では言い表わせないほどに仲睦まじかったのです。王は 2 人の境遇とそこでの幸福感に驚 きました。〈王と大臣は〉その場を離れたのですが、王の驚きはと言えば 2 人で目にした ことだけでは終わらず、しばらくして大臣にこう言ったのです、「まさにあの貧しい夫婦 に見たような喜びや幸福感を私たちが見いだしているかどうか、私には分からない。思う にあの 2 人は一晩中あんなふうにして過ごすのだろうな」。そこで大臣は王のその言葉を 26 英訳の脚注(145p.)は、ここに出る「ゴミの山 mazbalah」とは火葬場であり、それを仏教徒は単 に「山(堆積場)」と呼んでいたので、それをアラビア語テキストが「ゴミの山」としても驚くこ とではないと記している。死体から剝ぎ取った皮膚のことも出てくるので、敢えて火葬場と取ら なくてもいいように思う。死体置き場が同時にゴミ捨て場であったということなのであろう。そ こからまだ使えそうな物を取り出すことは古くは普通に行なわれていたことである。『アラビア ン・ナイト』第 7 夜「石に化した王子の話」におそらく同じ語が使われており、前嶋信次は「瓦 礫の山」、大場正史は「塵塚」と訳し、バートンが「東洋の諸都市の郊外にある塵埃の山で、中に は(カイロ付近のもの)高さ百フィート(約30メートル)を超えるものがある」と を付している。 「廃品の山」「ゴミ捨て場」ということなのであろう。死児の皮を張った太鼓の話が『増壱阿含経』 巻43善悪品47・10にある。

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好機と思って、こう言いました、「王様、まさにあの 2 人がそうであるように、[45]私た ちも錯覚しているのではないでしょうか」。「それはどういうことだ」。「〈この世の〉王国は、 永続する王国を知っている人たちにとっては、私たちの目に映っているあの仮の宿のよう なものであり、王様のお住まいは、変わることのない幸福の住まいを望む人たちにとって は、私たちの目に映っているあの横穴のようなものなのです。彼らは王様が享受されてい る見事さや完璧さに驚くことでしょうが、〈それは〉あの貧しい 2 人が心に感じているこ とに私たちが驚くのと同じことなのです」。王が言いました、「そういう類の者たちとはど ういう者たちなのだ。永続する王国については何と言っているのだ」。大臣が言いました、 「それは神を知っている人たちで、来世、〈つまり〉悲しみなど存在せず、しかも〈悲しみ が〉入って来ることのない喜びの家、苦労を伴なわない安らぎ、闇につきまとわれること のない光、知らぬことのない知識、憎しみのない愛、怒りや恐怖を知らぬ満足と安心、醜 さや堕落を伴なわない美しさと喜ばしさ、病気や死につきまとわれることのない健康と 命、すべての禍から守られていて、あらゆる善に恵まれていることを求めている[46]人 たちなのです」。王が言いました、「〈その者たちは〉そういう家に入りたいという願いや、 そこに至る道については〈何か〉述べているのか」。「はい。それを求める者はそこに入れ ることを疑っておりません」。「そのことをなぜ今日に至るまで教えてはくれなかったの だ」。大臣が言いました、「なぜなら、スルターンというものはそうしたこととは無縁〈の 存在〉であり、聞く耳を持たないものだからです。見ようとせず聞こうとしなければ、怒 りと興奮に駆られ、思索や熟慮の妨げとなります。スルターンの心は遠近さまざまな心配 事と係わっており、その耳は愉快ではあるけれどすぐに忘れられてしまう 話やゴシップ に傾けられ、その眼は数え切れぬほどの色や形を見なければならないからなのです」。王 が言いました、「それが本当なら、私たちは夜昼となく怠らず、耳や目をそれ以外のこと に使ったりしてはならないし、もしそれが疑わしいことであるなら、そのことについての 知識を求め続けて、それがもっともなことなのか、それとも取るに足りないことなのかを 知らなければならない。思うに、そなたがそのことを私に隠していたのは良いことではな い。私はそなたの好意を信頼しているし、そなたの弁解を認めているのだからな」。大臣 が言いました、「そのことですが、その始まりと終わり、それを知る者と知らない者との 間には互いに密接な関係があり、[47]はからずも双方が神の教えを放棄し、来世の敵で ある現世のために腐心することで意見が一致してしまうことがあるのです。ですから私 は、王様のためを思い、また王様を恐れて、これまでお教えしなかったのです。それは、 逆巻く水に落ちたとき、泳げる男が泳ぎを知らない友にどう対処するかということと同じ なのです」。

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