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百貨店におけるセールス・プロモーションの変遷(I) : 新聞広告に見る成立期からの五十年

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百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・

プ ロ モ ー シ ョ ン の 変 遷(1)

新 聞広 告 に見 る成 立期 か らの五 十年

1.は じ め に 日 本 に お い て 「マ ー ケ テ ィ ン グ と い う概 念 あ る い は 実 践 的 な 対 市 場 活 動 が 始 ま っ た の は,第2次 世 界 大 戦 以 降 で あ る 」1)とさ れ る 。 こ こ で 述 べ ら れ て い る の は,「 商 品 の 均 一 化 ・ブ ラ ン ド化 を 前 提 と した ナ シ ョ ナ ル ・ブ ラ ン ド」2) が お こ な う市 場 活 動 の こ と で あ り,「 加 工 食 品,日 用 雑 貨 品,家 電 製 品,乗 用 自 動 車 な ど の 分 野 を 中 心 」3)とし た 消 費 財 市 場 に お け る マ ー ケ テ ィ ン グ 戦 略 を 意 味 し て い る 。 ナ シ ョ ナ ル ・ブ ラ ン ド と い う言 葉 か ら も 連 想 さ れ る よ う に,マ ー ケ テ ィ ン グ 戦 略 は 主 に メ ー カ ー(製 造 業)の 視 点 か ら論 じ ら れ が ち で あ る 。 で は,小 売 の 実 践 的 な 対 市 場 活 動 の 嗜 矢 は い つ と み な せ る の で あ ろ う か 。 日 本 で は1900年 ご ろ に 百 貨 店 と い う 小 売 形 態 が 誕 生 し,小 売 に 大 き な 変 化 を も た ら し た4)。 一 般 的 に,1904年(明 治37年)12月 に 三 越 が 小 売 の 近 代 化 宣 伝 を新 聞 各 紙 に 掲 載 し た 「デ パ ー トメ ン トス トア 宣 言 」 を 期 に,百 貨 店 1)和 田允 夫 ・恩 蔵 直 人 ・三 浦 俊 彦,2012,「 序 章 マ ー ケ テ ィ ン グ戦 略 へ の招 待 」, 『マ ー ケ テ ィ ン グ戦 略 第4版 』 有 斐 閣,pp.1-18,2頁 。 2)和 田 允 夫 ・恩 蔵 直 人 ・三 浦 俊 彦,2012,「 第3章 標 的 市 場 の 選 択 」,同 上 書, pp.58-76,61頁 。 3)和 田允 夫 ・恩 蔵 直 人 ・三 浦 俊 彦,2012,同 上 書,61頁 。 4)大 岡聡,2009,「 昭和 戦 前 ・戦 時 期 の 百 貨 店 と消 費社 会 ⊥ 「成 城 大 学 経 済 研 究 所 研 究 報 告 』No.52,4頁 。 キ ー ワ ー ド:セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン,新 聞広 告,百 貨 店,大 阪,明 治 ・大 正

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桃 山学 院大学 経済 経営 論集

第56巻 第2号

は 誕 生 し た と さ れ る 場 合 が 多 い5)。 本 論 に お い て も,「 デ パ ー トメ ン トス トア

宣 言 」 以 降

呉 服 店 の 商 号 が 使 用 さ れ て い る が,百 貨 店 と み な して 議 論 す

る6)。

百 貨 店 は 欧米 の 百貨 店 を参 考 に7),小 売 の 近 代 化 を押 し進 め,1933年(昭

和8年)に,百

貨 店 の 店舗 数 は 日本 百貨 店 商業 組 合 加 入 企 業 が49企 業96店

舗(日

本 百 貨 店 商業 組 合 に無 加 入 の26店 舗 をあ わせ る と122店 舗)に

の ぼ

り,営 業 面 積 は 延 べ 坪 数238,903坪(加 入229,711坪,無 加 入9,192坪), 従 業 員 数49,908名(加 入48,540名,無 加 入1,368名)の 規 模 に 成 長 し て い る8)。 店 舗 数 の 増 大 に と も な い 店 舗 間 の 競 争 は 激 化 し,1932年(昭 和7年) に は 日本 百 貨 店 協 会9)が 自 制 協 定 声 明1°)をだ す 事 態 に 陥 っ て い る 。 こ の よ う

な競 争 が繰 り広 げ られ る 中 で,そ れ ぞ れ の 百貨 店 は 自店 で の購 買 を消 費者 に

促 す た め の 戦 略 を打 ち 出 さね ば な らな か っ た と考 え られ る 。

5)百 貨 店 事 業 研 究 会 編,1935,『 百 貨 店 の実 相 』,東 洋 経 済 新 報 社,6頁,な ど。 6)三 越 呉 服 店 が 三 越 に商 号 を 変 更 した の は,1928年(昭 和3年)で あ る(『 株 式 会 社 三 越85年 の 記 録 』100頁)。 7)1900年 初 頭 に 百 貨 店 の 経 営 者 が 多 く欧 米 視 察 を お こ な っ て い る。 例 を あ げ る と,1905年(明 治38年)の 三 越 の 豊 泉 益 三 氏 の シ ョー ウ イ ン ドー研 究 の た め の ニ ュ ー ヨー ク 出張(「 株 式 会 社 三 越85年 の 記 録 』45頁) ,1906年(明 治39年) の三 越 の 日比 専 務 欧 州 の デ パ ー トメ ン トス トア視 察 の た め の 渡 欧(『 株 式 会 社 三 越85年 の 記 録 』46頁),1910年(明 治43年)の 副 社 長 下 村 昇 之 介 欧 米 へ の 出 張(「 大 丸350年 史 』 年 表8頁)な どが あ る。 8)百 貨 店 事 業 研 究 会 編,1935,『 百 貨 店 の実 相 』,東 洋 経 済 新 報 社,9-21頁 。 9)商 業 組 合 日本 百 貨 店 商 業 組 合 が1933年9月 に設 立 され,日 本 百 貨 店 協 会 は解 散 と な っ て い る。 10)大 阪朝 日新 聞1932年(昭 和7)8月12日 付 に よる と,自 制 声 明 の 内 容 は 以 下 の とお りで あ る。(新 聞記 事 文 庫 経 営(6-050)神 戸 大 学 附属 図書 館) 一 、 出張売 出はこれを行 わざるこ ととす 二 、 商 品券 につ い て は 当局 の指 図 に よ り供 託 な ど適 当 な る措 置 を講 ず る こ ととす 三 、 支 店,分 店 の新 設 は 当分 の 内 こ れ を行 わ ざ る こ と とす,但 し 目下 建 設 準 備 中 の も の につ い て は これ を商 工 省 へ 具 申 し諒 承 を受 くる もの とす 四、 各 囮政 策 の 如 き廉 売 方 法 を採 らざ る こ と とす 五 、 下 等 な るサ ー ヴ ィス に よ る顧 客 誘 致 の方 法 を採 らざ る こ と とす 六 、 無 料 配 達 区域 は東 京 にお い て は最 近 これ を整 理 縮 小 せ り,関 西 にお い て も近 くこ れ を縮 小 す る こ と とす 七 、 毎 月一 斉 に三 日間の 休 業 を行 う こ ととす,但 し中元 歳 暮 並 に口 文 払 売 出期 間 中 は これ を除 く 八 、 商 業 組 合 法 制 定 あ りた る と きは百 貨 店 商 業 組 合 を設 立 し法 規 に よ る統 制 を行 う こ と とす

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百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 変 遷(1)67

マ ー ケ テ ィ ン グ 戦 略 を 構 成 す る 要 素 は,製 品 政 策(product),価 格 政 策

(price),チ ャ ネ ル 政 策(place),プ ロ モ ー シ ョ ン政 策(promotion)で あ り 一 般 的 に マ ー ケ テ ィ ン グ の4Pll)と い わ れ る 。4Pの ひ と つ で あ る プ ロ モ ー シ ョ ン 政 策 の 構 成 要 素'2)で あ る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン は,「 顧 客 の 行 動 に 焦 点 を 当 て,顧 客 の 行 動 を 直 接 的 に 変 容 させ る こ と を 企 図 し た マ ー ケ テ ィ ン グ 活 動 」13)であ る と さ れ る 。 セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン は 実 施 主 体 に よ り,メ ー カ ー が 小 売 に 対 し て お こ な う ト レ ー ド ・プ ロ モ ー シ ョ ン(Tradepromotion),メ ー カ ー が 消 費 者 に 対 し て お こ な う 消 費 者 向 け プ ロ モ ー シ ョ ン(ConsumerPromotion),小 売 が 消 費 者 に 対 し て お こ な う小 売 プ ロ モ ー シ ョ ン(RetailPromotion)の3つ に 分 類 さ れ る14)。百 貨 店 の 小 売 プ ロ モ ー シ ョ ン に 焦 点 を あ て た 場 合,セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン の 実 践 的 活 用 が 本 格 化 し た の は,第2次 世 界 大 戦 以 降 で あ る と み な し て よ い の で あ ろ う か 。 日 本 の 小 売 業 は,1683年 に 三 越 の 前 身 で あ る 越 後 屋 が,小 売 と 消 費 者 の 問 で 価 格 交 渉 を お こ な う こ とが 常 で あ っ た 取 引 に,「 現 金 掛 値 な し」 と い う 取 引 形 態 を 導 入 し,百 貨 店 の 原 始 形 態 を 生 み 出 し て い る15)。百 貨 店 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン は,1904年12月 の 「デ パ ー ト メ ン トス ト ア 宣 言 」 以 前 に す で に,様 々 な 手 法 が 試 み ら れ て お り'6),そ の 後 の1930年 代 に お け る 店 舗 間 の 顧 客 争 奪 競 争 の な か で,欧 米 か ら の 新 た な 手 法 の 導 入 や,自 分 た ち で 考 案 し た 独 自 の 手 法 の 実 践 的 な 活 用 が お こ な わ れ,発 展 し て い っ た の で は な い か と 筆 者 は 考 え る 。 そ こ で,本 論 で は,百 貨 店 の 成 立 か ら 第2次 世 界 大 戦 --)McCarthy,E.J.,1960,BasicMarketing,RichardD.Irwin,Inc. 12)プ ロ モ ー シ ョ ン 政 策 を 構 成 す る 要 素(プ ロ モ ー シ ョ ン ・ ミ ッ ク ス)は,広 告,人 的 販 売,パ ブ リ シ テ ィ,セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン で あ る 。 13)守 口 剛,2002,「 プ ロ モ ー シ ョ ン 効 果 分 析 』 朝 倉 書 店,3頁 。 14)Rossiter,J.R.andPercy,L.,1987,AdvertisingandPromotionManagement, McGraw-Hill,Inc.,p.310-311. 15)松 田 愼 三,1931,「 デ パ ー トメ ン トス ト ア 』 日 本 評 論 社,79頁 。 松 田 は 明 治38 年 の 正 式 デ ビ ュ ー 以 前 に 楽 屋 内 の 仕 事 と し て は 部 分 的 に ほ と ん ど 出 来 上 が っ て い た と述 べ て い る 。 16)百 貨 店 事 業 研 究 会 編,1935,「 百 貨 店 の 実 相 』,東 洋 経 済 新 報 社,6頁 。

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桃 山学 院大学 経済 経営 論集

第56巻 第2号

終 結 後 の 約50年

間 にお け る セ ー ル ス ・プ ロモ ー シ ョンの 変 遷 に 焦 点 を あ て

て 論 じる 。

これ まで の 百貨 店 の 成 立期 か ら第2次 世 界 大 戦 終 結 まで の 時期 に 関す る研

究 は,歴 史 的,社 会 学 視 点 か らの もの が多 くお こな わ れ て い る 。百 貨 店 の成

立 過 程 を内 国勧 業博 覧会 との密 接 な 関 連性 にお い て論 じた 研 究17),趣 味 の誕

生 を三越 の 百 貨 店 と して の 成 立期 の活 動 に も とめ る研 究18),百 貨 店 の 国策 へ

の 関 与 を1935年(昭

和10年)か

ら終 戦 の1945年(昭

和20年)ま

で の百 貨

店 の 国 策 を 目的 と した催 事 に 焦 点 を当 て て 論 じた研 究'9),消 費 社 会 化 の 地 方

都 市 へ の広 が りとい う論 点 に 力 点 をお き1930年 か ら1940年 代 の百 貨 店 の動

向 を概 観 した研 究2°)な

どが あ り,お もに1990年

代 に 大 きな 進 展 をみ た 。 こ

れ らの研 究 は い ず れ も,百 貨 店 と文化 の 関係 に つ い て論 じた もの で あ る 。

一 方

,近 代 小 売 業 の祖 と言 わ れ,わ が 国 に お い て も長 い歴 史 を もち,小 売

業 全体 の 売 上 げ を見 て も相 当 な割 合 を占 め て い る に もか か わ らず,流 通 や商

業,マ ー ケ テ ィ ング の領 域 に お い て あ ま り論 じ られ る こ とが な か っ た と され

る2D。 しか し,2000年

以 降 に は流 通 や 商業 の視 点 か らの研 究 がす す め られ て

い る 。 高 島屋 の 設 立期 か らの発 展 プ ロ セ ス 論 じた研 究22),流 通 史 の視 点 か ら

大 阪 の 高 島屋 と東 京 の 三越 の初 期 の経 営 形 態 の 特 徴 に つ い て 論 じた研 究23),

明 治 ・大 正期 の 三越 の 中 元 ギ フ トに つ い て 論 じた研 究24)などが み られ る が,

17)初 田 亨,1993,「 百 貨 店 の 誕 生 』 三 省 堂.吉 見 俊 哉,1992,「 博 覧 会 の 政 治 学 』 中 央 公 論 社 。 18)神 野 由 紀,1994,「 趣 味 の 誕 生 』 勤 草 書 房 。 19)難 波 功 士,1998,「 百 貨 店 の 国 策 展 覧 会 を め ぐ っ て ⊥ 「関 西 学 院 大 学 社 会 学 部 紀 要 』Vol.81,pp.195-209,195頁 。 20)大 岡 聡,2009,「 昭 和 戦 前 ・戦 時 期 の 百 貨 店 と 消 費 社 会 ⊥ 「成 城 大 学 経 済 研 究 所 研 究 報 告 』No.52,3頁 。 21)坂 田 隆 文,2001,「 百 貨 店 研 究 の 新 展 開 を 求 め て 」,「 六 甲 台 論 集 経 営 学 編 』 Vol.48(2),pp.109-124,109頁 。 22)藤 岡 里 圭,2006,「 百 貨 店 の 生 成 過 程 』 有 斐 閣 。 23)末 田 智 樹,2003,「 日本 に お け る 百 貨 店 の 成 立 過 程 一 三 越 と 高 島 屋 の 経 営 動 向 を 通 じ て 」,『 岡 山 大 学 大 学 院 文 化 科 学 研 究 科 紀 要 』Vol.16,pp.263-288。 24)島 永 嵩 子,2006,「 文 化 的"イ メ ー ジ ・ゲ ー ト キ ー パ ー"と し て の 百 貨 店 一 明 治 ・ 大 正 期 に お け る 中 元 ギ フ ト の 歴 史 的 考 察 を 通 じ て ⊥ 「神 戸 学 院 大 学 経 営 学 論 集 』 Vol.30(1),pp.55-71a

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百貨 店 にお けるセ ー ルス ・プ ロモー シ ョンの変 遷(1)69

い ず れ も単 一企 業 に 焦 点 をあ て た もの が多 く,百 貨 店 の店 舗 間競 争 を前 提 と

した もの で は な い。 さ ら にセ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンに つ い て 論 じた もの

は,筆 者 の 調べ た 限 りで は確 認 で きて い な い 。

本 論 で は,ま ず小 売 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンを説 明 し,つ ぎに百 貨 店

の セ ー ル ス ・プ ロモ ー シ ョンに つ い て新 聞広 告 を もち い て調 査 す る 。百 貨 店

の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョンが,新 聞広 告 に多 く掲 載 され て い る な らば,広

告 の 内 容 を比 較検 討 す る こ とに よ り,百 貨 店 間 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン

の競 争状 態

発展 の プ ロ セ ス をあ き らか に す る こ とが可 能 で あ る と考 え る。

そ こで,三 越 が デ パ ー トメ ン トス トア宣 言 をお こ な っ た 翌 年 の1905年(明

治37年)か

ら,第2次

世 界 大 戦 が 終 結 し,復 興 の 兆 しが み え は じめ る1950

年(昭 和30年)の

約50年

間 の 百 貨 店 の新 聞広 告 を調 査 し検 討 を お こ な う。

調査 対 象 は 大 阪 の 百貨 店 と した 。理 由 と して は 以下 の2点 が あ げ られ る。

ひ とつ は,東 京 の 百貨 店 は,昭 和 初 期 に 三越 が 日本 橋 の本 店 以外 に新 宿 店,

銀座 店 を,松 屋 が銀 座 本 店 以外 に 浅草 店 を 開 設 して い る た め に,百 貨 店 間 の

プ ロモ ー シ ョ ンの 比 較 が 複 雑 に な るが,大

阪 は,高 島屋 が1932年(昭

和7

年)か

ら約7年

間 難 波 店 と長堀 店 が併 存 して い た期 間 をの ぞ く と,1百

貨 店

1店 舗 で あ る た め比 較 を お こ な い やす い こ とで あ る。 も うひ とつ は,百 貨 店

に は 呉服 店 の流 れ を くむ もの の ほ か に,鉄 道会 社 の流 れ を くむ もの が あ り,

日本初 の鉄 道系 百貨 店 は 大 阪 の 阪急 百貨 店 で あ り,呉 服 系 の 百貨 店 と鉄 道 系

の 百 貨 店 の プ ロ モ ー シ ョン を比 較 す る こ とが可 能 な こ とで あ る 。

2.小 売 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン 小 売 が 消 費 者 に 対 し て お こ な う小 売 プ ロ モ ー シ ョ ン の 目 的 と,メ ー カ ー が 消 費 者 に 対 し て お こ な う 消 費 者 向 け プ ロ モ ー シ ョ ン の 目 的 と は 必 ず し も一 致 し な い 。 そ れ は,小 売 は 消 費 者 に よ る 「自 店 舗 で の 購 入 」 を 目 的 と し て い る の に 対 し,メ ー カ ー は,消 費 者 に よ る 「自社 商 品 の 購 入 」 を 目 的 と し て い る た め で あ る25)。 25)Rossiter,J.R.andPercy,L.,1987,0p.cit,p.318.

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70桃 山 学 院 大 学 経 済 経 営 論 集 第56巻 第2号 守 口 に よ る と,多 様 な 手 法 を 有 し て い る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン は,価 格 を コ ン トロ ー ル す る こ と に よ り新 規 顧 客 の 獲 得 や マ ー ケ ッ トシ ェ ア の 拡 大 を 目 指 す 値 引 き,ク ー ポ ン な ど の 「価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン」 と,商 品 や 店 舗 へ の ロ イ ヤ リ テ ィ を 高 め,リ ピ ー ト購 買 や 長 期 的 な マ ー ケ ッ トの 拡 大 を 目指 す ポ イ ン トカ ー ド に 代 表 さ れ る 継 続 プ ロ グ ラ ム な ど の 「非 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン 」 に 大 別 で き,い くつ か の プ ロ モ ー シ ョ ン 手 法 を 組 み 合 わ せ て 展 開 し や す い と い う特 徴 が あ る と し て い る26)。ま た,プ ロ モ ー シ ョ ン の 訴 求 ポ イ ン トに よ り分 類 す る と,「 価 格 訴 求 型 プ ロ モ ー シ ョ ン 」,「情 報 提 供 型 プ ロ モ ー シ ョ ン ⊥ 「商 品 体 験 型 プ ロ モ ー シ ョ ン ⊥ 「イ ン セ ン テ ィ ブ 提 供 型 プ ロ モ ー シ ョ ン 」 に 分 類 さ れ,情 報 提 供 型,商 品 体 験 型,イ ン セ ン テ ィ ブ 提 供 型 を ま と め て,非 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン と み な さ れ が ち で あ る が,情 報 提 供 型 の プ ロ モ ー シ ョ ン で あ る 特 別 陳 列,フ ラ イ ヤ ー,店 頭POPな ど の 情 報 の 中 身 は 価 格 訴 求 で あ る こ と が 多 い と し て い る27)。 辻 本 ら は,価 格 コ ン トロ ー ル 型 の プ ロ モ ー シ ョ ン を 「価 格 訴 求 型 プ ロ モ ー シ ョ ン(以 下,価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン)」,情 報 提 供 型 の プ ロ モ ー シ ョ ン を 「価 格 訴 求 補 完 型 プ ロ モ ー シ ョ ン(以 下,価 格 補 完 プ ロ モ ー シ ョ ン)」,商 品 体 験 型,イ ン セ ン テ ィ ブ 型 な ど の プ ロ モ ー シ ョ ン を 「非 価 格 訴 求 型 プ ロ モ ー シ ョ ン(以 下,非 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン)」 と位 置 付 け て い る28)。 本 論 で は 辻 本 ら の 分 類 に な ら い,セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン を 価 格 訴 求, 価 格 補 完,非 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン に 分 類 し て い る 。 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン の 代 表 的 な 手 法 に は,通 常 の 販 売 価 格 か ら値 引 き し て 販 売 す る 「直 接 値 下 げ 」,消 費 者 に 返 金 す る 「払 い 戻 し」,対 象 商 品 の 価 格 の 値 引 き が 可 能 な 引 換 券 を 購 買 者 に 配 布 す る 「ク ー ポ ン ⊥ 同 一 価 格 の ま ま, 商 品 の 容 量 を 増 量 し て 販 売 す る 「ボ ー ナ ス パ ッ ク 」 が あ げ ら れ る29)。 26)守 口 剛,2002,前 掲 書,8,9頁 。 27)守 口 剛,2002,前 掲 書,9頁 。 28)辻 本 法 子 ・石 垣 智 徳,2012,「 セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン 研 究 の 新 た な 展 開 ⊥ 『南 山 経 営 研 究 』Vol.27(2),pp.215-235,105頁 。 29)辻 本 法 子 ・石 垣 智 徳,2012,同 上 書,105-107頁 。

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百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 変 遷(1)71 価 格 補 完 プ ロ モ ー シ ョ ン の 代 表 的 な 手 法 に は,商 品 を 山 積 み に し て 目立 つ よ う に 陳 列 す る 「特 別 陳 列 」,特 別 価 格 を 知 ら せ る 商 品 情 報 を 掲 載 し,毎 日 や,週 に 一 度,新 聞 に 折 り込 ん だ り,商 圏 内 に 配 布 す る 「フ ラ イ ヤ ー 」,商 品 棚 に 購 買 を促 進 す る た め の キ ャ ッ チ フ レ ー ズ を 表 示 し,直 接 的 に 購 買 を 刺 激 す る 「店 頭POP」 が あ げ ら れ る3°)。 非 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン の 代 表 的 な 手 法 に は,商 品 を 試 し て も ら い 内 容 を 知 っ て も ら う こ と を 目 的 と す る 「サ ン プ ル 」,試 飲 や 試 食 を し て も ら い な が ら 販 売 を お こ な う 「デ モ ン ス ト レ ー シ ョ ン ⊥ 消 費 者 の 購 買 金 額 に 応 じ て ポ イ ン トや ス タ ン プ を た め,た ま る と特 定 の 商 品 と交 換 す る な ど の 「継 続 プ ロ グ ラ ム 」,製 品 に 応 募 シ ー ル を つ け,キ ャ ン ペ ー ン に 応 募 す る と,プ レ ミ ア ム グ ッ ズ が 当 た る な ど の 「プ レ ミ ア ム ⊥ 新 製 品 の 名 称 や キ ャ ッ チ フ レ ー ズ を募 集 し,そ の 中 か ら優 秀 な ア イ デ ア を 採 用 す る 「コ ン テ ス ト」,応 募 者 の 中 か ら 現 金 や,景 品 が 当 選 者 に 提 供 さ れ る 「懸 賞 ⊥ 来 店 客 を 増 加 さ せ る こ と を 目 的 と し た 「ス ペ シ ャ ル ・イ ベ ン ト」 が あ げ ら れ る31)。 ブ ラ ッ トバ ー グ ら に よ る と,ス ペ シ ャ ル ・イ ベ ン ト と は た と え ば,自 動 車 販 売 店 が 顧 客 を魅 了 す る た め に 目 立 つ ス ポ ー ツ カ ー を 展 示 し た り,食 料 品 店 が ク リ ス マ ス の 時 期 に ク リ ス マ ス 料 理 フ ェ ア を 開 催 し た り,百 貨 店 が 季 節 や 休 暇 に 沿 っ た イ ベ ン ト を 実 施 し た り す る こ と で あ り,ス ペ シ ャ ル ・イ ベ ン ト に よ っ て 来 店 客 を増 加 させ る こ と が で き,大 部 分 の 小 売 は 翌 年 の い く つ か の 核 イ ベ ン ト計 画 を 立 案 す る こ と に よ り,セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン計 画 を 始 め る と し て い る32)。 百 貨 店 の 成 立 は,内 国 勧 業 博 覧 会 と の 密 接 な 関 連 が あ り,「 百 貨 店 は,そ れ 自体 が い わ ば 常 設 化 し た 博 覧 会 空 間 と し て 急 速 に 発 達 し た も の 」33)であ る 。 博 覧 会 を 開 催 す る 空 間 と し て 明 治 の 末 期 頃 ご ろ か ら催 し に 使 え る 催 事 場 が 作 30)辻 本 法 子 ・石 垣 智 徳,2012,同 上 書,107頁 。 31)辻 本 法 子 ・石 垣 智 徳,2012,同 上 書,107-108頁 。 32)Blattberg,R.C.andNeslin,S.A.,1990,SalesPromotionConcepts,Methods,and Strategie,Prentic-Hall,Inc.,pp.432-437. 33)吉 見 俊 哉,1992,前 掲 書,159頁 。

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桃 山学 院大学 経済 経営 論集

第56巻 第2号

られ は じめ,大 正 の 末期 ごろ に は 百貨 店 は催 し物 で年 中博 覧会 の よ うな状 態

とな り,催 事 場 な どで行 わ れ る 各種 の催 し物 が,日 本 の 百貨 店 の娯 楽 場 的性

格 を高 め,百 貨 店 をた だ 買物 す る だ け の場 で は な く,家 族 が一 日が か りで 出

か け る こ との 出 来 る 楽 しい場 を作 りだ して い っ た と され る34)。

つ ま り,百 貨

店 の 催事 は ス ペ シ ャル ・イ ベ ン トの性 格 を もち,日 本 に 百貨 店 が誕 生 して か

ら現在 に 至 る まで盛 ん に 実 施 され て い る 主要 な セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの

ひ とつ で あ る とい え る 。本 論 に お い て,ス ペ シ ャル ・イ ベ ン トに つ い て,特

に 着 目 して論 じる 。

3.セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン に 対 す る 認 識 当 時 の 百 貨 店 に お い て セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン と い う概 念 は,ど の よ う に 認 識 さ れ て い た の で あ ろ う か 。 三 越 の 浜 田 四 郎35)は,1910年 ご ろ に 米 国 視 察 を お こ な い,後 に 『現 代 式 商 店 の 経 営 』 を 記 し て い る が,こ の 中 で 「今 日 は 帽 子 の 売 出 し を や る 。 平 常 よ りは 特 別 の 廉 価 に 売 る 。 そ れ で 客 の 来 る 事 影 し い 。 さ れ ど 売 出 し に は 広 告 費 と し て 相 当 の 経 費 を 計 上 せ ね ば な ら な い 。 そ の 売 上 高 の 割 に は 儲 か ら な い 。(中 略)然 ら ば 何 故 帽 子 の 売 出 し を 為 す か と い ふ に,か ・る 売 出 し の 為 に 客 が 入 り込 む,帽 子 以 外 の お 客 も入 り込 む で 遂 他 の 品 を 求 む る 様 に な る の で あ る 。 即 ち 帽 子 部 で は 損 し て も他 の 各 売 場 が 其 利 益 を 均 露 す る の で あ る 」36)と述 べ て い る 。 こ の こ と か ら,売 出 し(セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン)の 実 施 に は 経 費 が か か る た め,売 出 し単 体 で 考 え た 場 合 利 益 は で な い が,売 出 し に 吸 引 さ れ て 来 店 し た 消 費 者 が 他 の 商 品 を 購 入 す る こ と で,店 舗 と し て は 利 益 を あ げ る こ と が で き る と の 認 識 が す で に あ る こ と が わ か る 。 さ ら に ス ペ シ ャ ル ・イ ベ ン トで あ る 博 覧 会 式 売 出 し に 関 し て,「 来 客 を し 34)初 田亨,1993,前 掲 書,164頁,172頁 。 35)浜 田 四郎 は初 代 の 三 越 の 宣 伝 部 長 で あ り,「今 日は 帝 劇,明 日は 三 越 」 の キ ャ ッ チ コ ピ ー を作 成 した人 物 で あ る。 時 事 新 報1920年7月3日 付 の 記 事 に は,「 三 越 呉 服 店 大 阪 支 店 長 浜 田四 郎 」 と紹 介 さ れ てお り,大 阪支 店 に勤 務 して い た こ とが 推 察 さ れ る。 36)浜 田 四郎,1915,「 現 代 式 商 店 の経 営 』,佐 藤 出版 部,28-29頁 。

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百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 変 遷(1)73 て そ の 出 陳 の 商 品 を 隅 か ら 隅 ま で 熟 視 せ し む る 事 が 出 来 る と,縦 覧 客 も,よ し や 買 は な い で も 見 る 丈 な り と も 見 て 置 か う か と い ふ 位 の 考 え で,極 り を 悪 が ら な い で 見 に 来 ら れ る 。 之 れ に よ つ て,よ し や そ の 時 は 買 は な い で も,後 日 必 要 の 際 に は こ の 店 に 来 り買 ふ 様 に な る は,数 の 免 か れ ざ る 所 で あ る 」37) と 述 べ,そ の 時 は 見 る だ け で も,来 店 し て も ら う こ と が 将 来 の 売 上 に つ な が る と 認 識 し て い る 。 こ れ は,現 代 で も お こ な わ れ て い る 消 費 者 に 対 し ス ト ア ・ロ イ ヤ ル テ ィ38)を獲 得 す る た め の 取 り組 み で あ り,百 貨 店 の 成 立 期 に す で に,ス ペ シ ャ ル ・イ ベ ン トが ス トア ・ロ イ ヤ ル テ ィ を 獲 得 す る 手 法 だ と認 識 し て い る こ と が わ か る 。 こ の ほ か に も 集 客 の 手 法 と し て,定 価 の イ可割 引 き で 販 売 す る 割 引 政 策,卸 売 や 小 売 が お こ な う 懸 賞 や,ク ー ポ ン付 売 出 し な ど の 福 引 政 策,景 品 付 き販 売 で あ る 進 物 政 策 を論 じ て い る39)。浜 田 は さ ら に 福 引 な ど は 人 の 射 幸 心 を 利 用 す る も の で あ る た め,信 用 の あ る 店 や 上 品 な 店 は こ の よ う な 手 法 は な る べ く避 け て い る と 述 べ て お り4°),セー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン の デ メ リ ッ トに つ い て も 認 識 し て い る こ と が わ か る 。 1915年 の 時 点 で,セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン と い う 用 語 自 体 は 使 用 さ れ て い な い が,自 店 舗 に 集 客 す る こ と が 売 上 に つ な が る と い う考 え の も と,集 客 の 手 法 と し て,博 覧 会 式 売 出 し(ス ペ シ ャ ル ・イ ベ ン ト),割 引(直 接 値 下 げ),福 引(ク ー ポ ン,払 い 戻 し,懸 賞),景 品 付 き販 売(プ レ ミ ア ム)な ど の 手 法 を系 統 立 て て 認 識 し て い る こ と が う か が え る 。 1922年(大 正11年)に,白 木 屋 の 社 員 で あ る 石 渡 泰 三 郎 が,欧 米 百 貨 店 視 察 に 出 発 し て い る4')。「白 木 屋 社 員 と し て,は じ め て 欧 米 の 百 貨 店 事 業 の 視 察 旅 行 に た つ た 石 渡 泰 三 郎 は,仏,英,独,米 の 視 察 旅 行 を つ づ け,欧 米 百 貨 店 の 状 況,組 織,ま た 接 客 態 度 等 を刻 々 本 店 に 報 告 し て 白 木 屋 発 展 の 参 37)浜 田 四郎,1915,同 上 書,90-91頁 。 38)ス トア ・ロ イ ヤ ル テ ィ とは,特 定 の店 舗 に対 して消 費 者 が 抱 くロ イ ヤ ル テ ィ(忠 誠 心)の こ とで あ る。 39)浜 田 四郎,1915,同 上 書518-526頁, 40)浜 田 四郎,1915,同 上 書,40-41頁 。 41)株 式 会 社 白木 屋,1957,「 白木 屋 三 百 年 史 』 株 式 会 社 白木 屋,667頁 。

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74桃 山 学 院 大 学 経 済 経 営 論 集 第56巻 第2号 考 資 料 と し て 重 要 な 寄 与 を な し た 。」42)とい う 。 た と え ば,「 特 売 方 法 に つ い て は フ ラ ン ス か ら 『Soldes(見 切 品)と カ ー ド を 立 て ・一 卓 別 に し て あ る の を所 々 見 ま す,こ れ は ま だ 日本 で は 何 処 で も や つ て い な い よ う で す か ら,廉 売 市 場 の 方 法 を か え て 白 木 屋 で や つ て み て は 如 何 で す か 』」43)とい っ た 情 報 を 提 供 した 。 価 格 補 完 プ ロ モ ー シ ョ ン で あ る 店 頭POPは,「 日本 で は 何 処 で も や つ て い な い よ う だ 」 と 述 べ ら れ て い る こ と か ら,こ の 時 期 に 導 入 さ れ た の で は な い か と 考 え ら れ る 。 石 渡 は,欧 米 百 貨 店 視 察 で 得 た 情 報 を1925年(大 正14年)に 『欧 米 百 貨 店 事 情 』 と い う 本 に ま と め て 出 版 し て い る 。 こ の 中 で,欧 米 の 百 貨 店 と 日本 の 百 貨 店 の 差 に つ い て つ ぎ の よ う に 述 べ て い る 。

「日本 の 百 貨 店 を欧米 の 百 貨 店 と比 較 して見 る と概 観 で は も う大 した差 を

認 め な い,然

し仔 細 に特 に米 国 の 百貨 店 と云 は ず,凡 て の 商売 振 りを 日本 の

内 地 の 商 売 と比較 して み る と其 間 に は子 供 と大 人 の や うな相 違 が あ る,日 本

の は 漸 くか た ち は整 つ た が精 神 た るべ き未 だ 内容 が整 つ て居 らな い,殊 に販

売 員 の 顧 客 に接 す る態 度 所 謂 販 売 術 な る もの に 非 常 な 欠 陥 が あ るや う に思

ふ 。 米 国 は既 に 商売 が サ イ コロ ジ ー の領 域 に入 つ て,売 る買 ふ とい ふ こ とは

末 の研 究 で,其 本 質 た る売 買 の動 機 とな るべ き当事 者 の心 理 作 用 の研 究 に ま

で 進 ん で ゐ る 。殊 に広 告 の如 き勿論 で あ つ て簡 単 に 目で見 た と云 ふ ば か りで

な く,広 告 心 理 と して 非常 に広 い 範 囲 に於 て研 究 され て居 る」44)

石 渡 は米 国 で は 「商売 が サ イ コロ ジ ー 」 つ ま り心 理 学 の領 域 に及 ん で い る

と し,「売 る 買 ふ 」 は結 果 で しか ない た め,購 買 動 機 と な る 「当事 者 の 心 理

作 用 」 つ ま り消 費者 心 理 を解 明 す る 必 要 が あ る と して い る 。 こ れ は ま さに,

マ ー ケ テ ィ ン グ戦 略 の構 築 に不 可 欠 と され る消 費者 行 動 研 究 の必 要 性 の言 及

42)株 式 会 社 白 木 屋,1957,同 上 書,359頁 。 43)株 式 会 社 白 木 屋,1957,同 上 書,359頁 。 44)石 渡 泰 三 郎,1925,「 欧 米 百 貨 店 事 情 』 白 木 屋 呉 服 店 書 籍 部,52-53頁

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百貨 店 にお けるセ ー ルス ・プ ロモー シ ョンの変 遷(1)75

に あ た る 。 経営 学 と比較 しマ ー ケ テ ィ ング の特 徴 は,消 費者 が非 常 に重 視 さ

れ る45)。そ れ は顧 客 ニ ー ズへ の適 応 が マ ー ケ テ ィ ン グ戦 略 の 目的 で あ り,消

費 者 の 心 理 を研 究 し,そ の行 動 や 意識 を理 解 す る こ とに よ り,ニ ー ズ や購 買

の 動機 が解 明 で きれ ば,企 業 は効 果 的 な マ ー ケ テ ィ ング戦 略 を実 行 す る こ と

が で きる た め で あ る 。 当 時 の 百貨 店 の経 営 層 は,お そ ら くこ の著 書 に 目を通

して い た はず で あ り,百 貨 店 は1925年

ご ろ に は消 費 者 心 理 の研 究 の 必 要 性

と,消 費 者 心 理 の理 解 をふ まえ た セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン策 の構築 の必 要

性 を認 識 して い た と考 え られ る 。

欧 米 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンに つ い て石 渡 は 「

倫 敦 と云 はず 欧米 で も

百 貨 店 が 絶 え ず 売 出 し をや つ て ゐ る,冬 季 売 出 し,初 売 出 し,白 布 売 出 し,

特 別 売 出 し,蔵 梯 売 出 し,な ど盛 ん に新 聞広 告 欄 を賑 して居 る が,日 本 と同

じや うに お客 は 矢 張 り九 部 通 り婦 人 で,一 般 家 庭 の 主婦 が此 の売 出 しを待 つ

て ゐ る,名 前 こそ種 々 異 な つ て ゐ る が此 売 出 しは要 す る に 日本 の蔵 ざ らへ に

相 当 し,季 節 の残 品 や格 安 品 を仕 入 れ た場 合 に売 出 す の で,今 頃 は ホ ワ イ ト

セ ー ル と称 して 多 くリ ンネ,ハ

ンカ チ類 の如 き白色 の物 を売 る の で あ る が,

さ りと て 白 い もの に 限 つ た 訳 で もな い や うで あ る」46)と

述 べ,欧

米 で は 価 格

プ ロモ ー シ ョンが盛 ん で あ る こ と を報 告 して い る 。

さ らに 消 費 者 の特 徴 につ い て,「 欧 米,殊

に一 般 米 国 婦 人 は シ ョッ ピ ング

を盛 ん に す る,今

日は 幾件 百貨 店 を廻 つ た と云 ふ風 に買 物 に つ い て の値 段 の

比 較研 究 をす る が 之 は 一 般 に経 済 的観 念 が発 達 して居 る か らで,日 本 も追 々

と一 般 が か うい ふ傾 向 に な つ て くる と思 は れ る が此 点 は東 京 よ り も大 阪 の方

が 遥 か に進 ん で ゐ る と思 ふ 」47)と

し,価 格 に敏 感 な消 費 者 が 日本 で も増 加 す

る だ ろ う と予測 し,消 費者 をデ モ グ ラ フ ィ ック 変 数 で あ る 地域 で分 類 し,消

費 者 の 地域 的 な 差 異 に つ い て論 じて い る 。 つ ま り,消 費者 の特 性 に よ り,効

果 的 な プ ロ モ ー シ ョンが 異 な る こ とに つ い て の認 識 が こ の 時 点 で あ っ た と考

45)和 田 允 夫 ・恩 蔵 直 人 ・三 浦 俊 彦,2012,「 第5章 消 費 者 行 動 分 析 」,前 掲 書, pp.104-128,105頁 。 46)石 渡 泰 三 郎,1925,前 掲 書,6-7頁 。 47)石 渡 泰 三 郎,1925,前 掲 書,51頁 。

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76桃 山 学 院 大 学 経 済 経 営 論 集 第56巻 第2号 え ら れ る 。 1934年(昭 和9年)に は,「 セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン」 と い う 用 語 の 使 用 が 確 認 で き る 。 大 丸 の2月 に お こ な わ れ た 部 長 会 議 上 で,専 務 の 里 見 純 吉 は 「セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン 」 と い う用 語 を 使 用 し て 訓 示 を お こ な っ て い る 。

営 業 時 間 を変 更 して,午 前 九 時 開 店,午 後 七 時 閉 店 に改 め た い と思 う

が,実 行 に ま だ 日 もあ る こ とで あ る か ら,そ の利 害 得 失 を研 究 して貰 い た

い 。 午 後 六 時 を中心 と して,そ の前 後 の 一 時 間 に 買物 が多 く,売 上 高 も伸 び

る こ とは 多 年 の 経験 に徴 して 明 らか で あ る 。 一 方,午 前 十 時 頃 の一 時 間 に於

け る 売 上 高 は微 々 た る もの で,セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの立 場 か ら,午 後

六 時 か ら七 時 に 至 る有 力 な 一 時 間 に,売 上 を得 る こ との得 策 で あ る こ とは言

を侯 た ぬ 。(中 略)五 月 に は増 築 の 部 分 が 出 来 上 るが,面 積 が 増 した か ら必

ず 売 上 が 増加 す る とは 限 らな い 。経 営 方法 が拙 劣 で は駄 目で あ る 。要 は こ の

面積 を活 か して使 う こ とで,商 品 の観 察 を怠 らず,良 い こ とは ど し ど し実 行

して セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョンに 一 途湛 進 せ られ た い 。

」48)

こ こで は,「 良 い こ と」 が 具 体 的 に な んで あ る の か は述 べ られ て い な い。

しか し売 上 を増加 させ る 「良 い こ と」 の 実行 が,セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン

に 湛 進 す る こ とで あ る と読 み取 る こ とが で きる 。 この 時期 に は,す で に 百貨

店 の 管 理 者 層 に会 議 で使 用 され る ほ どセ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン とい う用 語

が浸 透 して い た とみ な す こ とが で きる 。

1930年 の 半 ば の 百 貨 店 経 営 に お い て,消 費 者 心 理 を ふ ま え た 売 上 増 加 策

と して,セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 必要 性 が 当然 の よ うに議 論 され る状 況

で あ っ た 。 百 貨 店 の 店舗 が急 拡 大 し,顧 客 の争 奪 が激 化 して い くな か で セ ー

ル ス ・プ ロ モ ー シ ョンの概 念 の 認識 と重 要性 の 認識 が進 ん で い っ た と考 え ら

48)大 丸 二 百 五 十 年 史 編 集 委 員 会,1967,「 大 丸 二 百 五 十 年 史』 株 式 会 社 大 丸,364 頁,365頁 。

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百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 変 遷(1) 77 れ る 。 4.新 聞 広 告 に み る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン 4.1新 聞 の 発 行 部 数 と 購 読 者 の 実 像 関 西 に お け る 新 聞 の 購 読 者 数 は,大 阪 毎 日新 聞 と大 阪 朝 日新 聞 の2紙 が 読 者 の 獲 得 を競 い あ う 形 で 発 展 し て い る(図 表1)。1905年(明 治38年)の, 大 阪 毎 日新 聞 の 発 行 部 数 は 約20万 部,大 阪 朝 日新 聞 が14万2千 部 で あ り, と も に 朝 刊10頁 建 て と な っ て い る 。 ち な み に,大 阪 府 の 調 査 で は リ テ ラ シ ー(読 書 き 能 力)を も つ も の が1904年 時 点 で は77%で あ っ た が,明 治 の 終 わ り ご ろ(1912年)に は95%に 達 し て い る49)。 1915(大 正4年)10月 に は,両 紙 が 夕 刊 を 発 行 す る よ う に な り朝 刊8頁, 夕 刊4頁 建 て と な っ た 。1924年(大 正13年)に,大 阪 毎 日新 聞 の 発 行 部 数 がlll万 部 を 突 破 し,大 阪 朝 日 新 聞 の69万 部 を あ わ せ る と,約200万 部 に 近 い 部 数 の 新 聞 が 発 行 さ れ る よ う に な る 。 「実 際 に 長 期 間,自 分 の 家 計 か ら 新 聞 料 金 を 支 払 っ て 購 読 し て い る 常 雇 用 労 働 者 の 比 率 は,第 一 次 大 戦 直 後 の 大 都 市 に お い て5割 前 後 」5°)であ る と 推 測 さ れ る が,そ れ 以 外 に,職 場 で の 購 読 な ど が 行 わ れ て い た た め,さ ら に 購 読 率 は 上 昇 す る と考 え ら れ る 。 ま た,1934年(昭 和9年)の 大 阪 市 近 郊 の 農 家 の 購 読 率 は 少 な く と も 50%は 超 え て い た51)と さ れ,残 りの 階 層 で あ る 医 師,官 吏,学 生 な ど の 知 識 人 階 層,会 社 銀 行 員,経 営 者,商 店 主 商 工 階 層 の 購 読 率 は そ れ よ り も 高 い と52)推測 さ れ る た め,大 正 末 期 か ら 昭 和 初 期 に か け て の 新 聞 の 購 読 者 層 は, 知 識 階 層 は も ち ろ ん の こ と常 勤 労 働 者 や 農 業 従 事 者 に ま で 拡 大 し て い る と考 え る こ と が で き る 。 新 聞 の 紙 面 数 が 最 も拡 大 し た の は,1931年(昭 和6年)9月 か ら で あ り, 大 阪 毎 日新 聞,大 阪 朝 日 新 聞 と も に 朝 刊12頁,夕 刊4頁 建 と な っ た 。 し か 49)山 本 武 利,1981,「 近 代 日本 の 新 聞 読 者 層 』 法 政 大 学 出版 局,167頁 。 50)山 本 武 利,1981,同 上 書,229頁 。 51)山 本 武 利,1981,同 上 書,239頁 。 52)山 本 武 利,1981,同 上 書,240頁 。

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桃 山学 院大学 経済 経営 論集

第56巻 第2号

図表1大

阪毎 日新 聞 ・

大 阪朝 日新 聞の発 行 部数一 覧 表

大阪毎日新聞 大阪朝 日新聞 西暦 元号 発行部数 備考 発行部数 備考 1905 明 治38 201,561 朝 刊10頁(明 治33年1月5日 〉 142,912 朝刊10頁(明 治32年1月25日) 1906 39 216,004 121,817 1907 40 289,699 136,820 1908 41 2sasio 159,009 1909 42 222,381 159,885 1910 43 262,845 166,056 1911 44 269,260 182,941 1912 45 283,497 190,767 1913 大正2 307,130 198,743 1914 3 321,454 241,777 1915 4 392,106 朝 刊8頁 、タ刊4頁(10月10日) 240,740 朝刊8頁 、タ 刊4頁(io月is日) 1916 5 451,303 259,924 1917 6 491,160 315,583 1918 7 541,843 342,386 1919 8 513,414 341,300 1920 9 602,408 376,032 1921 io 686,539 444,552 1922 n 824,941 562,700 1923 12 920,795 585,294 1924 13 1,111,459 689,974 1925 14 1,221,138 朝 刊10頁 、夕刊4頁(4月1日) 754,373 朝刊10頁 、夕刊4頁(4月1日) 1926 15 1,230,869 782,709 1927 昭和2 1,304,262 866,256 1928 3 1,370,291 922,891 1929 4 1,503,589 966,398 1930 5 1,500,609 979,530 1931 s 1,500,815 朝 刊12頁 、夕刊4頁(9月1日) 914,355 朝刊12頁 、タ刊4頁(9月 旧) 1932 7 1,508,371 1,054,021 1933 8 1,581,712 1,041,115 1934 9 1,690,368 1,138,482 1935 10 1,728,053 897,594九州、名古屋支社分離 1936 n 1,275,846 西 部 、中部 分離 861,334 1937 12 1,441,101 940,555 1938 13 1,099,541 938,812 1939 14 1,136,157 朝 刊10頁 、タ刊4頁(8月1日) 973,999 1940 15 1,190,557 朝 刊8頁 、タ刊4頁(3月1日〉 i,iiossa 朝刊10頁 、夕刊4頁(1月1日)、 朝刊8頁 、タ 刊4頁(3月1日) 1941 is 1,230,720朝 刊6頁 、タ刊4頁(6月1日)、 朝 刊4頁 、タ刊4頁(7月7日) 朝 刊4頁 、タ刊2頁(n月19日) 1,228,028 朝刊6頁 、タ 刊4頁(6月1日)、 朝刊6頁 、タ刊2頁(7月7日) 朝刊4頁 、タ 刊2頁(11月17日) 1942 17 1,122,342 1,334,724 1943 18 1,168,804 1,553,613 1944 19 1,211,850 朝 刊4頁(3月6日)、 朝 刊2頁(n月1日) 1,567,290 朝刊4頁(3月6日)、 朝 刊2頁(11月1日) 1945 zo 1,219,055 1,285,814 1946 21 1,458,824 1947 xz 1,459,174 1948 23 1,494,504 週1回4頁(8月1日) 1949 xa 1,532,990 1950 25 1,472,650週2回4頁(4月1日 〉、週3回4頁(9月1日 〉、 週4回4頁(11月1日) 川 上 富 蔵,1981,『 毎 日新 聞 販 売 史 戦 前 ・大 阪 編』毎 日新 聞 大 阪 開発 会 社,603-604頁 。大 阪本 社 販売 百 年 史 編 集 委 員 会 編,1979,「朝 日新 聞販 売 百 年 史(大 阪 編)』朝 日新 聞 大 阪 本 社,付 録 。より筆 者 作 成 。大 阪 毎 日新 聞は1943年 に社 名 を毎 日新 聞 と改 称,「毎 日新 聞」に改 題 している。毎 日新 聞 大 阪 版 の1946年 以 降 の発 行 部 数 は確 認 できなか った。大 阪 朝 日新 聞 は1940年 に 「朝 日新 聞」に改 題 。大 阪 毎 日新 聞 は1月1日 時 点 の 発 行 部 数 大 阪 朝 日新 聞 は1905年(明 治38年)か ら1928年(昭 和3年)ま で は5月20日 時 点 の発 行 部 数1929年 (昭和4年)以 降 は1月 の 発 行 部 数(日 付 は不 明)。網 掛 は今 回 調 査対 象 とした新 聞 。

(15)

百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 変 遷(1)79 し,政 府 は1938年(昭 和13年)6月 に,新 聞 用 紙 を 含 む 消 費 制 限 品 目33 種 を 発 表 し,輸 出 入 臨 時 措 置 法 に 基 づ く 商 工 令 に よ り,1937年(昭 和12 年)7月1日 よ り1938年(昭 和13年)3月30日 ま で の 使 用 実 績 を 基 準 に, 新 聞 用 紙 を1割2分 削 減 す る よ う各 社 へ 通 達 を お こ な っ だ3)。 こ れ に よ り大 阪 毎 日 新 聞 は1939年(昭 和14年)8月,大 阪 朝 日 新 聞 は 翌 年1940年(昭 和15年)1月 に 朝 刊10頁,夕 刊4頁 建 に 削 減 す る こ と に な る 。 さ ら に 戦 争 の 継 続 に と も な う 物 資 不 足 の た め,同 年3月 に,朝 刊8頁,夕 刊4頁 建 に,1941年(昭 和16年)6月 に 朝 刊6頁,夕 刊4頁 建,同 年7月 に 大 阪 毎 日 新 聞 は 朝 刊4頁,夕 刊4頁 建,朝 日新 聞 大 阪 版 は 朝 刊6頁,夕 刊2頁 建, 同 年11月 に 朝 刊4頁,夕 刊2頁 建,1944年(昭 和19年)3月 に 夕 刊 が 廃 止 と な り朝 刊4頁 建 に,同 年ll月 に は 朝 刊2頁 建 に ま で 紙 面 が 縮 小 す る 。 一 方 読 者 数 は,第2次 世 界 大 戦 が 終 結 し た1945年(昭 和20年)の 時 点 で,大 阪 毎 日新 聞 が121万 部,朝 日新 聞 大 阪 版 が128万 部 で あ る 。 新 聞 の 配 達 は 本 土 空 襲 が 本 格 化 す る な か で も,少 年 新 聞 報 国 隊54)や隣 組 配 達55)な ど の 協 力 を え な が ら継 続 さ れ,読 者 に は 情 報 が 提 供 さ れ て い る 。 つ ま り大 正 末 期 に 識 字 率 が9割 を 超 え 大 阪 近 郊 の 市 民 の ほ と ん ど は リ テ ラ シ ー を 持 ち,昭 和 初 期 に は 大 阪 府 や そ の 周 辺 地 域 で の 新 聞 購 読 率 は5割 を 超 え て い る こ と か ら,昭 和 初 期 の 段 階 で は,多 く の 市 民 が 新 聞 の 情 報 に 接 し て い た と 考 え ら れ る 。 さ ら に,戦 争 が 激 化 す る な か で も消 費 者 へ の 新 聞 に よ る 情 報 提 供 は お こ な わ れ 続 け た た め,百 貨 店 広 告 が 掲 載 さ れ て い れ ば 読 者 に 届 い て い る は ず で あ る 。 拡 大 し て い く 読 者 層 を 対 象 に,百 貨 店 は 新 聞 広 告 を 消 費 者 へ の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 手 段 と し て 活 用 し て い く。 前 述 の 浜 田 は 「米 国 の 如 き は,デ パ ー ト メ ン トス トー ア は 毎 日 売 出 し を為 す が 故 に,毎 日 三 四 の 新 聞 に,一 頁 大 の 広 告 を 載 せ,各 種 の 廉 価 販 売 を 提 供 し,各 種 の 売 出 し を 紹 介 す る に 努 め て 居 53)川 上 富 蔵,1979,「 毎 日新 聞 販 売 史 戦 前 ・大 阪 編』 毎 日新 聞 大 阪 開 発 会 社,443 頁 。 54)川 上 富 蔵1979,同 上 書,565頁 。 55)川 上 富 蔵1979,同 上 書,565-566頁 。

(16)

80桃

山学 院大学 経済 経営 論集

第56巻 第2号

る 。(中 略)我

国 で は(中 略)広 告 で安 物 を売 る こ とは 出 来 な い。 広 告 を為

す 際 は,(中 略)流 行 の 先 駆 を 為 す も の を 紹 介 せ ん が 為 め で あ る。」56)と

百 貨

店 と広 告 の 関係 に つ い て論 じて い る 。

白 木 屋 の 社 史 で は,新 聞 広 告 に つ い て,「 デ パ ー ト と宣 伝 は,切 つ て も切

れ ぬ 関係 に あ る 。現 在,新

聞広 告 の 中 で デパ ー トの広 告 は,映 画 の広 告 とな

らん で,恐

ら く最 大 の ス ペ ー ス を 占 め る もの で あ ろ う。 デパ ー トが極 め て広

範 囲 の 一 般 大 衆 を顧 客 と して,は

じめ て 成 立 つ営 業 で あ る 以上,昔

か ら宣 伝

広 告 に深 く意 を用 い た こ とは い う まで もな い 。

」57)と

述 べ て い る。

また,そ

ご うの社 史 で は,交 通 の発 達 と と もに 百貨 店 の 商 圏 が拡 大 し,そ

れ に と もな っ て広 域 へ の情 報 の発 信 に新 聞 が活 用 され て い っ た様 子 が つ ぎの

よ うに 述 べ られ て い る 。

呉 服 店 の 広 告 は,明 治 以 前 は招 牌 や 引 札(ち

ら し)な どが ほ と ん ど で

あ っ た 。 明 治 に 入 る と,こ れ に東 西 屋(ち

ん どん屋)が 加 わ り,鳴 物 入 りで

町 内 に 引札 を配 っ て 回 っ た 。 しか し,そ の 後交 通 の発 達 に つ れ て市 場 が広 が

る と,広 告 す る 範 囲 も広 が っ て,東 西 屋 ば か りに頼 っ て は い られ な くな っ て

きた 。 大 阪 本 店 で も こ う した傾 向 に い ち早 く対 応 して,合 名 会 社 設 立 の 頃 か

ら,さ か ん に新 聞広 告 を使 い始 め た 。 そ の 内容 は,売 出 し広 告 が 主 で あ っ た

が,流 行 商 品 の 紹介 広 告 を掲 載 す る こ と もあ っ た 。後 に呉 友 会 が生 れ る と,

年賀 や 連合 売 出 しの 時 に,連 合 広 告 を掲 載 す る こ とが活 発 とな っ た が,こ こ

で も大 阪 本 店 は加 盟 店 と して い つ も名 を 連 ね て い た 。

」58)

次 節 以 降 で,新 聞 広 告 に み る 百 貨 店 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン に つ い て 検 証 す る 。 な お,よ り多 くの 消 費 者 が 目 に し て い る と推 測 さ れ る 広 告 を 収 集 す る た め に,そ の 当 時 の 発 行 部 数 が よ り多 い 新 聞 を 対 象 に お こ な う こ と と し 56)浜 田 四郎,1915,前 掲 書,441-442頁 。 57)株 式 会 社 白木 屋,1957,「 白木 屋 三 百 年 史』 株 式 会 社 白木 屋,303-304頁 。 58)株 式 会 社 そ ご う社 長 室 広 報 室,1969,「 株 式 会 社 そ ご う 社 史 』株 式 会 社 そ ご う,91-92頁 。

(17)

百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 変 遷(1)81 た 。 大 阪 毎 日新 聞 の 発 行 部 数 が1941年(昭 和16年)ま で 大 阪 朝 日新 聞 を 上 回 っ て お り,1942年(昭 和17年)に 朝 日新 聞 が 毎 日 新 聞 を 逆 転 し て い る 。 そ こ で,1905年 か ら1942年 ま で は 大 阪 毎 日新 聞 を 毎 日 新 聞 社 の デ ー タ ベ ー ス で あ る 毎 索 に よ り収 集 し,1943年 か ら1950年 ま で は 朝 日新 聞 大 阪 版 を マ イ ク ロ フ ィ ル ム(1943年,1944年)お よ び 朝 日 新 聞 社 の デ ー タ ベ ー ス 聞 蔵 H(1945年 か ら1950年)に よ り収 集 し て い る 。1943年 以 降 を 朝 日新 聞 大 阪 版 で 収 集 し た の は,大 阪 毎 日新 聞 が1943年(昭 和18年)に 社 名 を 毎 日新 聞 と 改 称 し,1943年 以 降 の 毎 日新 聞 大 阪 版 は デ ー タ ベ ー ス 化 さ れ て お ら ず, 資 料 収 集 が 困 難 で あ っ た た め で あ る 。 本 論 で は,と く に 注 記 が な い 場 合 は,1905年 か ら1942年 ま で の 広 告 は 大 阪 毎 日 新 聞,1943年 か ら1950年 ま で の 広 告 は 朝 日新 聞 大 阪 版 を さ す 。

4.2大

阪 の 百 貨 店 の 競 争 状 況

本 論 で 議論 の対 象 とす る の は,日 本 百貨 店協 会 お よび 日本 百貨 店 組 合 に加

盟 して い た 三越,大

丸,そ

ご う,白 木屋,松 坂 屋,高

島屋,阪 急 百貨 店,大

軌 百 貨 店(現 近 鉄 百 貨 店 上 本 町 店),大 鉄 百 貨 店(現 あ べ の ハ ル カス 近 鉄 本

店)と す る59)(図 表2)。

三越 が デ パ ー トメ ン トス トア 宣 言 をお こな っ た の は1904年(明

治37年)

12月 で あ る が,大 阪 毎 日新 聞 に デ パ ー トメ ン トス トア 宣 言 が 掲 載 され た の

は,1905年(明

治38年)1月1日

で あ る。1905年 時 点 で 大 阪 に 店 舗 が 存 在

して い た の は,大 丸,高 島屋,そ

ご う,白 木屋 の4店 舗 で あ る 。 そ の後,三

越 が1907年(明

治40年)に

閉 鎖 して い た 大 阪 店 を再 開 し,1923年(大

12年)に

松 坂 屋 が 大 阪 店 を 開 設 して い る 。 これ らの6店 舗 は 呉 服 店 が 百 貨

店 へ と発 展 した もの で あ る 。

59)1932年8月15日 付 の 日本 百 貨 店 協 会 の 自制 声 明 の 共 同 広 告 に設 立 前 の 大 軌,大 鉄 を除 く7社,1940年12月4日 付 の 日本 百 貨 店 組 合 大 阪 支 部 共 同 広 告 に1932 年 に大 阪店 を 閉鎖 した 白木 屋 以 外 の8社 の社 名 が 確 認 で き る。 なお,そ ご う は初 期 に は 屋 号 を十 合 と表 記 し て い た が1934年5月31日 付 以 降 の 広 告 か ら 「そ ご う」 と ひ らが な表 記 して い る た め,本 論 で は ひ らが な で統 一 表 記 して い る。

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桃 山学 院大学 経済 経営 論集

第56巻 第2号

図表2大

阪の百貨 店の店舗 開設 時期 と,店舗規 模

百貨店名

店舗 開設

1938年(昭 和13年)時 点 の 店 舗 規 模 三 越60) 1907年5月1日 地 下1階 地 上8階,延 床 面積25,274㎡ 大 丸61) 1726年 地 下2階 地 上7階,延 床 面積41,250㎡ 高 島 屋62) 1898年6月 南 海 店:地 下2階 地 上7階,延 床 面 積43,000㎡ 長 堀 店:地 下1階 地 上7階,延 床 面 積10,560㎡ そ ご う63) 1877年 地 下3階 地 上8階,延 床 面積31,697㎡ 白 木 屋64) 1903年 閉 鎖(1932年7月31日) 松 坂 屋65) 1923年3月1日 地 下3階,地 上7階,延 床 面 積38,400㎡ 阪 急 百 貨 店66) 1929年4月15日 地 下2階 地 上8階 総 面積56,200㎡ 大 軌 百 貨 店67) 1936年7月1日 地 下1階,地 上5階,7,700m 大 鉄 百 貨 店68) 1937年7月15日 地 下1階,地 上7階,16,038㎡ 一 方 ,鉄 道 会 社 が 自社 の タ ー ミ ナ ル 駅 に お い て 百 貨 店 経 営 に 参 入 し,1929 年(昭 和4年)に 阪 急 電 鉄 に よ る 阪 急 百 貨 店 が 開 業,1936年(昭 和ll年) に 大 阪 電 気 軌 道 に よ る 大 軌 百 貨 店,1937年(昭 和12年)に 大 阪 鉄 道 に よ る 大 鉄 百 貨 店 が 開 業 し て い る 。 な お,白 木 屋 は1932年(昭 和7年)に 大 阪 店 を 閉 鎖 し て い る 。 1938年(昭 和13年)時 点 で の 各 百 貨 店 の 規 模(延 床 面 積)は,三 越 が 25,274㎡,大 丸 が41,250㎡,高 島 屋 が53,560㎡(南 海 店43,000㎡,長 堀 60)株 式 会 社 三 越,1990,『 株 式 会 社 三 越85年 の 記 録 』 株 式 会 社 三 越,48頁,76 頁,120頁 。 61)大 丸 二 百 五 十 年 史 編 集 委 員 会,1967,前 掲 書,年 表1頁,12頁,360-370頁 。 12,500坪 の 表 記 を筆 者 が ㎡ に換 算 。 62)高 島 屋150年 史 編 纂 委 員 会,1982,「 高 島屋 百 五 十 年 史』 株 式 会 社 高 島 屋,471 頁,114-115頁,98-99頁 。 63)株 式 会 社 そ ご う社 長 室 広 報 室,1969,前 掲 書,594頁,231頁 。 64)株 式 会 社 白木 屋,1957,前 掲 書,289頁,677頁 。 65)松 坂 屋70年 史 編 集 委 員 会,1981,「 松 坂 屋 七 十 年 史』 株 式 会 社 松 坂 屋,40 頁,55頁,60頁 。 66)株 式 会 社 阪 急 百 貨 店 社 史 編 集 委 員 会,1976,「 株 式 会 社 阪 急 百 貨 店 二 十 五 年 史』 株 式 会 社 阪 急 百 貨 店,101頁,104頁,155頁 。 67)河 野 省 三,1977,「 近 鉄 百 貨 店40年 の あ ゆみ 』 株 式 会 社 近 鉄 百 貨 店,198頁 。 68)河 野 省 三,1977,同 上 書,198-199頁 。

(19)

百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 変 遷(1)83 店10,560㎡),そ ご う が31,697㎡,松 坂 屋 が38,400㎡,阪 急 百 貨 店 が 56,200m,大 軌 百 貨 店 が7,700㎡,大 鉄 百 貨 店 が16,038mで あ り,8社 の 営 業 面 積 の 合 計 は 約27万 ㎡ に の ぼ る 。 無 統 制 な 自 由 競 争 は 百 貨 店 に 経 営 上 の 危 機 的 課 題 を生 じ さ せ た69)。ま た 百 貨 店 の 急 拡 大 に よ り小 売 業 者 と の 軋 礫 が 激 化 し,1932年(昭 和7年)に 日 本 百 貨 店 協 会 に よ る 自 制 協 定 声 明 が だ さ れ,1937年(昭 和12年)10月1日 に は 百 貨 店 法 が 施 行 さ れ た 。 百 貨 店 法 の 内 容 は,百 貨 店 営 業 の 許 可 制,支 店 ・出 張 所 そ の 他 の 店 舗 の 設 置,床 面 積 拡 張,店 舗 外 で の 営 業 に お け る 許 可 制,営 業 時 間,休 業 日 の 統 制 な ど で あ る7°)。百 貨 店 の 自 由 競 争 状 況 は,こ の 時 点 で 一 旦 収 束 す る こ と と な っ た 。 4.3新 聞 に お け る 百 貨 店 広 告 各 百 貨 店 の1905年 か ら1950年 ま で の 新 聞 広 告 を 調 査 し た 結 果,25,939 本 の 広 告 が 確 認 で き た(図 表3,4)。1905年 に は,年 間50本 で あ っ た 広 告 掲 載 数 が,1920年(大 正9年)に は100本 を 超 え,5年 後 の1925年(大 正 14年)に は504本 に 拡 大 し,さ ら に4年 後 の1929年(昭 和4年)に は 倍 増 の1,011本 と な っ て い る 。 そ の 後,1939年(昭 和14年)ま で は 毎 年1,000 本 を超 え る 掲 載 数 を維 持 し,第 二 次 世 界 大 戦 の 戦 況 の 悪 化 と と も に 次 第 に 減 少 し て い くが,終 戦 の 年 で あ る1945年(昭 和20年)で す ら,年 間201本 の 広 告 掲 載 数 が あ る71)。終 戦 の2年 後 の1947年(昭 和22年)に は,早 く も年 間 広 告 掲 載 数 は1,000本 を 超 え,1950年(昭 和25年)に は,1,402本 と 69)松 田(1931,前 掲 書,160-172頁)は,百 貨 店 の 危 機 的 課 題 と し て,(1)人 件 費,配 達 費,催 物,家 賃 ・利 子 負 債,広 告 費,包 装 費 な ど の 経 営 費 の 増 大,(2) 店 舗 の 新 設 増 設 に よ る 固 定 資 産 の 増 大,(3)大 衆 化 に よ る 生 活 必 需 品 の 販 売 割 合 の 増 加 に よ る 売 買 差 益 率 の 減 少 を あ げ て い る 。 70)内 閣,1937,「 百 貨 店 法(勅 令 第 五 百 三 十 三 号 参 看)・ 御 署 名 原 本 ・昭 和 十 二 年 ・ 法 律 第 七 六 号 』,国 立 公 文 書 館 デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ 。http://www.digitaLarchives. gojp/DAS/meta/Detail_FOOOOOOOOOOOOOO34778(ア クセ ス 日2014年6月10日)。 71)前 述 の よ う に,新 聞 広 告 は,1904年 か ら1942年 ま で を 大 阪 毎 日 新 聞,1943年 か ら1950年 ま で を 朝 日 新 聞 大 阪 版 を 収 集 し て い る 。 そ の た め,1942年 ま で と1943 年 以 降 の 掲 載 本 数 を 単 純 に 比 較 は で き な い 。

(20)

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図表3百

貨 店の年代 別新 聞広 告 数

単 位:本

西 暦 三 越 大 丸 高 島 屋 そ ご う 白 木 屋 松 坂屋 阪 急 大軌 大鉄 計 1905 1 12 13 13 11 50 第1期 導 入期 1906 2 7 12 10 8 39 1907 19 12 19 21 9 80 1908 19 10 19 21 9 78 1909 16 10 11 13 4 54 1910 11 12 10 10 0 43 1911 15 11 15 8 0 49 1912 19 15 18 11 1 64 1913 23 17 22 10 0 72 1914 24 10 16 10 0 60 1915 21 8 19 11 0 59 1916 17 5 15 11 3 51 1917 26 8 12 10 4 60 1918 36 6 21 11 3 77 1919 31 14 18 19 z 84 1920 25 33 28 34 5 125 第2期 普 及期 1921 38 26 31 33 11 1 140 1922 33 21 29 35 18 z 138 1923 26 29 32 41 16 26 170 1924 34 34 27 73 67 41 276 1925 57 89 38 165 68 87 504 1926 110 171 82 218 95 119 795 1927 146 203 113 232 108 126 928 1928 156 211 155 176 85 117 900 1929 158 210 211 157 114 127 34 1011 第3期 拡 大期 1930 157 237 225 153 105 132 61 1070 1931 139 209 229 174 120 142 104 1117 1932 146 z2s 310 145 63 132 104 1126 1933 124 248 359 134 132 120 1117 1934 111 237 314 137 159 115 1073 1935 133 226 237 146 156 109 1007 1936 137 223 264 177 162 119 17 1099 1937 113 209 237 139 157 118 43 14 1030 1938 127 zoo 243 151 160 125 28 25 1059 第4期 統 制期 1939 121 165 205 135 194 157 34 23 1034 1940 117 126 180 118 186 75 34 28 864 1941 121 174 161 141 190 47 42 42 918 1942 115 177 119 146 119 39 41 31 787 1943 86 116 92 142 115 61 52 55 719 1944 50 58 57 99 63 59 23 25 434 1945 22 33 41 37 za 30 6 4 201 1946 18 75 69 39 79 51 7 7 345 1947 59 187 172 97 173 166 71 89 1014 1948 98 zos 185 39 151 229 165 213 .. 1949 120 229 248 17 163 223 124 198 1322 1950 177 242 283 6 164 235 119 176 1402 合計 3,355 4,991 5,219 3,725 929 3,603 2,381 806 930 25,939 掲 載 数 の集 計 方 法 は,1頁 を1本 として 集 計 して いる。催 事 のタイトルご とに,同 一 ペ ージ に複 数 の囲 みで 掲 載 され ている場 合 も1本 と集 計 す る。各 社 が 共 同で1本 の広 告 を出 して いる場 合 は,店 舗 ご とに1本 と集 計 す る。高 島 屋 は1932年(昭 和7年)か ら約7年 間 難 波 店 と長 堀 店 が併 存 してい たが,こ れ はどちらの広 告 も高 島 屋 の 広 告 として集 計 してい る。大 軌 百 貨 店 と大 鉄 百 貨 店 は1944年 に近 畿 日本 鉄 道 が 設 立 され,そ れ ぞ れ 日本 鉄 道 上 本 町 百 貨 店,日 本 鉄 道 阿 倍 野 百 貨 店 となるが,これ は 個 別 に 集 計 してい る。1905年 ∼1942 年 は大 阪 毎 日新 聞1943年 ∼1950年 は朝 日新 聞 大 阪 版 の広 告 を調 査 した 。

(21)

百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 変 遷(1) 図 表4百 貨 店 の 広 告 数 85

な っ て い る 。

百 貨 店 の 成 立期 に は,各 社 と もそ れ ほ ど積 極 的 な新 聞広 告 に対 して の取 り

組 み は 見 られ な い 。 消 費者 の リテ ラ シ ー の 向上 に伴 い新 聞 の購 読 者 層 が拡 大

して い くに つ れ,百 貨 店 は新 聞広 告 を,自 店 に顧 客 を呼 び 込 む た め の セ ー ル

ス ・プ ロ モ ー シ ョンに 関 す る情 報 を提 供 す る媒 体 と して活 用 して い く。 昭和

初 期 の 百貨 店 の新 聞広 告 は,現 在 の 夕刊 紙 で 週 に1回

目に す る頻 度 の もの で

は な く,1店

舗 の 広 告 を週 に3,4回

以 上 も 目 にす る 状 態 で あ っ た 。 この こ

とか ら,筆 者 は新 聞広 告 に よ り店舗 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの状 況 を捉

え る こ とが,十 分 に 可 能 で あ る と考 え る 。

本 論 で は,掲 載 数 と店 舗 間競 争 の状 況 を考 慮 し,百 貨 店 の 成 立 か らの 約

50年 間 を,次 の4期

に 分 類 す る。1905年(明

治38年)か

ら1919年(大

9年)ま

で を呉 服 店 か ら百 貨 店 に 発 展 し て い く導 入 期(第1期),1920年

(大正10年)か

ら1928年(昭

和3年)ま

で を百 貨 店 の 大 衆 化 が 進 ん だ 普 及

期(第2期),1929年(昭

和4年)か

ら1937年(昭

和12年)ま

で を,呉 服

系 百 貨 店 に加 え 電鉄 系 百貨 店 が参 入 し,規 模 の競 争 を繰 り広 げ た拡 大 期(第

3期),1938年(昭

和13年)か

ら1950年(昭

和25年)ま

で を,百 貨 店 法 の

(22)

86桃

山学 院大学 経済 経営 論集

第56巻 第2号

施 行,第2次

世 界 大 戦 の 戦 時 下,戦 後 の 占領 下 で様 々 な統 制 が お こ な わ れ た

統 制期(第4期)と

す る 。

次 章 で は,導 入期 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンに つ い て論 じる 。普 及 期,

拡 大期,統

制期 に つ い て は 次稿 以 降 で順 次論 じる予 定 で あ る 。

5.導 入 期(1905年 ∼1919年)に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン 5.1成 立 時 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン 1905年(明 治38年)の 広 告 本 数 は,三 越1本,大 丸12本,高 島 屋13 本,そ ご う13本,白 木 屋ll本 の 計50本 で あ る 。 当 時,三 越 は 大 阪 に 店 舗 は な く,こ の1本 は1月1日 付 の 「デ パ ー トメ ン トス トア 宣 言 」 の 広 告 で あ る 。 三 越 が 大 阪 高 麗 橋 に 店 舗 を 再 開 し た1907年(明 治40年)の 広 告 は19 本 で あ る 。1920年(大 正9年)に は6社 の 年 間 広 告 本 数 が125本 と な り,100本 を 超 え る が,そ れ ま で は,三 越 が 年 間20本 か ら30本,大 丸,高 島 屋,そ ご う が10本 前 後,白 木 屋 に い た っ て は1本 も広 告 が な い 年 が あ る 。 そ ご う の 社 史 に よ る と,1903年(明 治36年)の 内 国 勧 業 博 覧 会 協 賛 の 売 出 し を,大 阪 市 内 の 呉 服 店 が 連 合 で お こ な い,「 こ の 時 の 連 合 売 出 しが 契 機 と な っ て,こ の 年,市 内 の 有 名 呉 服 店 の 連 合 会 と し て,『 呉 友 会 』72)が生 れ た 。 こ の 会 は,連 合 売 出 し や 共 同 宣 伝 を 目 的 と し て つ く ら れ た も の で あ っ た 。 そ し て そ れ か ら は,こ の 呉 友 会 を 中 心 と し て,連 合 売 出 し が,活 発 に 行 わ れ る よ う に な っ て い っ た 。」73)とあ る 。 呉 友 会 に は そ ご う の ほ か,高 島 屋 大 丸,白 木 屋 も参 加 し て お り,導 入 期 に は 呉 友 会 に よ る 共 同 広 告 が 多 く み ら れ る 。 1905年5月27日 付 の 共 同 広 告 は,「 夏 物 売 出 し 」 で あ り,価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン の 直 接 値 下 げ が お こ な わ れ て い る こ と が う か が え る74)。さ ら に,6月 72)そ ご う社 史(90頁)に よ る と呉 友 会 加 盟 店 は,高 島 屋 飯 田,白 木 屋,小 大 丸 白 井,大 丸 下 む ら,十 合,く つ わ や 荘 保,綿 屋,丹 波 屋 酒 井,い と や 竹 田,赤 大 丸,小 橋 屋 平 井,満 願 寺 屋,ゑ びす や 伊 藤,柏 原 屋 の14店 で あ る。 73)株 式 会 社 そ ご う社 長 室 広 報 室,1969,前 掲 書,90頁 。 74)売 出 しと は,「 通 常 よ りは特 別 の 廉 価 に売 る 」(浜 田 四 郎,1915,前 掲 書,28頁) と あ る た め,直 接 値 下 げ と み なす こ とが で きる。

(23)

百 貨 店 に お け る セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ンの 変 遷(1)87 10日 付 の 共 同 広 告 に は 「新 着 品 来 る 十 一,十 二 日 柳 御 そ へ も の 奉 差 上 候 」 と あ る 。 呉 友 会 加 盟 店 が11日,12日 の2日 間,新 た に 仕 入 れ た 商 品 を 販 売 し,商 品 購 入 者 に 「御 そ へ も の 」(粗 品)を 進 呈 す る と い う もの で あ る 。 こ れ は,購 入 者 に 特 別 に 景 品 を 進 呈 す る と い う,非 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン の プ レ ミ ア ム 手 法 で あ る 。1905年 に は 呉 友 会 に よ る 共 同 広 告 が9本 あ り,各 百 貨 店 の 単 独 の 広 告 は,三 越1本,大 丸3本,高 島 屋4本,そ ご う4本,白 木 屋2本 の 計14本 で あ る(図 表5)。

図表51905年

の百 貨店 単独広 告

掲載 日

タ イ トル 1月1日 恭 賀 新 年(大 丸),謹 賀 新 年(そ ご う) 1月1日 謹 賀 新 年(高 島 屋) 1月1日 恭 賀 新 年 デ パ ー トメ ン トス トア宣 言(三 越) 2月11日 ロ ゴ(高 島 屋) 5月11日

浴衣新柄陳列会(白 木屋)

6月22日

衣裳好み陳列会(高 島屋)

7月3日 暑 中 お 見 舞 い と して お そ へ もの(そ ご う) 10月13日 冬 物 売 出 御 礼(大 丸 ・そ ご う) 10月27日 ロ ゴ(高 島 屋,大 丸,白 木 屋,そ ご う) 百 貨 店 単 独 の 広 告 は,1月1日 付 の 新 年 の あ い さ つ が4本,百 貨 店 ロ ゴ の み の 広 告 が2月ll付 の 高 島 屋,10月27日 付 の 高 島 屋,大 丸,白 木 屋,そ ご う の4本 で あ り,14本 の 単 独 広 告 の う ち10本 が,企 業 広 告 的 な 性 格 を も つ も の で あ る 。 5月ll日 付 の 広 告 で は,白 木 屋 が 「浴 衣 新 柄 陳 列 会 」 の タ イ ト ル で,新 柄 の 浴 衣 地 の 陳 列 販 売 会 を,大 阪 博 物 場 で5月13日 か ら15日 ま で 開 催 す る と い う 告 知 が な さ れ て い る 。6月22日 付 の 高 島 屋 の 広 告 は 「衣 裳 好 み 陳 列 会 」 の タ イ トル で あ る 。 こ れ ら は,非 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン の ス ペ シ ャ ル ・イ

(24)

88桃 山 学 院 大 学 経 済 経 営 論 集 第56巻 第2号 ベ ン トに あ た る 。 ス ペ シ ャ ル ・イ ベ ン トは 百 貨 店 の 主 要 な 非 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン で あ る と さ れ る が,す で に デ パ ー トメ ン トス ト ア 宣 言 後 の1905年 に は 実 施 さ れ て い る 。 高 島 屋 の 「衣 裳 好 み 陳 列 会 」 で は,着 物 と帯 や 色 合 わ せ に つ い て 入 場 者 に 投 票 さ せ る75)こと が お こ な わ れ て お り,非 価 格 プ ロ モ ー シ ョ ン で あ る コ ン テ ス トの 手 法 が と りい れ ら れ て い る 。 そ ご う は7月3日 付 の 広 告 「暑 中 お 見 舞 い と し て お そ へ も の 」 の な か で,7月5日 か ら10日 ま で 購 入 者 に は 粗 品 を 進 呈 す る と し て お り,呉 友 会 で は な く単 独 で プ レ ミ ア ム 手 法 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン を お こ な っ て い る 。 そ ご う 社 史 に よ る と,「 明 治 三 十 八 年 一 月 の 旅 順 陥 落 祝 賀 売 出 し も,六 月 の 日 本 海 海 戦 勝 利 の 祝 賀 売 出 し も,大 阪 本 店 は 他 店 と連 合 し て 行 っ た 。 ど ち ら も売 出 し期 間 中 の 購 買 客 に 記 念 品 を 進 呈 し た の で,大 い に 賑 わ っ た 」76) と あ る の で,そ ご う は 既 に セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン の 成 功 体 験 を 有 し て い る こ と が う か が え る 。 そ こ で,翌 月 の7月 に 単 独 で プ レ ミ ア ム 手 法 の セ ー ル ス ・プ ロ モ ー シ ョ ン を お こ な っ た の で は な い か と 考 え る 。 そ ご う 社 史 に よ る と,「 連 合 売 出 し は,協 賛 記 念 売 出 し に と ど ま ら な か っ た 。 呉 友 会 が 生 れ て か ら は,季 節 売 出 し も 加 盟 店 が 足 並 み を そ ろ え, い っ せ い に 行 」77)い,そ の 売 出 し期 間 に は,「 購 買 客 に 『添 へ 物 』 を 進 呈 す る こ と も,こ の 頃 か ら行 わ れ る よ う に な っ た 。 今 日 で い え ば 『粗 品 呈 上 』 で あ る 。 大 阪 本 店 で も常 得 意 に は 手 鏡,た た み 敷 紙,糸 と針 の セ ッ ト,一 般 客 に は 手 拭,扇 子,う ち わ,こ よ み な ど を 進 呈 し た も の で あ っ た 。 こ う し て,明 治 三 十 年 代 に,売 出 し は 極 め て 多 彩 な も の と な り,趣 向 が こ ら さ れ る よ う に な っ た 。 そ れ は,旧 来 の 常 得 意 に 限 ら ず,一 般 の 消 費 大 衆 を 顧 客 と し て 吸 引 し よ う と す る 意 欲 の 現 わ れ だ っ た の で あ る 。」78)と述 べ ら れ て お り,そ ご う は 積 極 的 に プ レ ミ ア ム 手 法 を取 り入 れ,顧 客 を 集 客 し,ス トア ・ロ イ ヤ ル テ ィ を獲 得 し よ う と し て い た こ と が 推 察 さ れ る 。 75)高 島 屋150年 史 編 纂 委 員 会,1982,前 掲 書,78頁 。 76)株 式 会 社 そ ご う 社 長 室 広 報 室,1969,前 掲 書,91頁 。 77)株 式 会 社 そ ご う 社 長 室 広 報 室,1969,前 掲 書,91頁 。 78)株 式 会 社 そ ご う 社 長 室 広 報 室,1969,前 掲 書,91頁 。

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