スピノザの反=共感論 : ニューロサイエンスで『エ
チカ』を読む
著者
柴田 健志
雑誌名
鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集
巻
86
ページ
109-116
発行年
2019-03-13
URL
http://hdl.handle.net/10232/00030448
一〇九 て い ま す。 「 共 感 」 と は 外 部 か ら の 刺 激 に よ っ て 発 生 す る「 受 動 感 情 」 にすぎないからです。現代の心理学的な視点からすると、スピノザの主 張は実効性のない内容空疎な主張であるかに見えます。ところが、最近 5年ほどのあいだにニューロサイエンスによってなされた「共感」につ いての実証研究は、むしろスピノザの主張を支持するものであると考え られます。そこで、この視点からスピノザの主張を見直し、その倫理的 意味についてあらためて考察してみたいと思います。
1
共感と理性
ス ピ ノ ザ の 用 語 で「 憐 れ み (commiseratio) 」( Eth.III.22.Sch. ) と 呼 ば れている感情があります。それは他者の「悲しみ」が「模倣」されるこ とから生じる「悲しみ」の感情であると説明されています。他者の感じ て い る「 悲 し み 」 を 自 分 も 感 じ る こ と で「 憐 れ み 」 の 感 情 が 生 じ る と い う わ け で す。 こ れ は ま さ し く 現 代 の 用 語 で「 共 感 (empathy) 」 と 呼 ば れている感情のことです( Maibom 2014 )。スピノザによれば「憐れみ」 を 生 み 出 す の は「 感 情 の 模 倣 」( Eth.III.27.Sch. ) で す。 で は 他 者 の 感 情 はいったいどんなふうにして 「模倣」 されるのでしょうか。 スピノザは 「表 象」を生み出す一般的な原理の特殊事例として「模倣」という現象を説 明しています。それはだいたい次のような説明です。 人間身体はつねに外部の物体によって刺激され、その結果として「変 容 」 を 被 っ て い る( Eth.II.13.Dem. )。 人 間 は 身 体 の「 変 容 」 の 観 念 を と お し て 自 己 の 身 体 を 現 実 に 存 在 す る も の と し て 認 識 し て い る( Eth.II.19. Pr. )。ところが、 身体の「変容」には身体の本性とともに身体の「変容」スピノザの反
=
共感論
ニューロサイエンスで『エチカ』を読む
柴
田
健
志
この論文は関西哲学会第70回大会(二○一七年、大阪体育大学)での 口頭発表に加筆および修正を施し、注を付したものである。題目は発表 時のものと同一である。口頭発表にもとづくという経緯を考慮して文体 は口語調で統一した。
はじめに
人間には他者と「共感」する能力があります。他者を援助するという 行為はこの能力にもとづいていると考えられています。それゆえ 「共感」 す る 能 力 の 有 無 は 社 会 的 に 重 要 な も の で す。 実 際、 心 理 学 に お い て は、 反社会的な行為が他者に対する 「共感」 の欠如に起因する可能性 ( Blair 1995 )や、幼児における「共感」の形成がその後の道徳的発達に及ぼす 影 響( Hoffman 2000 ) 等 が す で に 研 究 さ れ て い ま す。 と こ ろ が ス ピ ノ ザは「共感」がなくても人間は他者を援助することができるといってい ま す。 ス ピ ノ ザ が 提 案 す る の は「 理 性 」 に よ る 他 者 の 援 助 で す。 ま た、 スピノザは 「共感」 よりも 「理性」 による援助の方がすぐれているといっ柴 田 健 志 一一〇 Cor. ) と 呼 び ま す。 「 共 感 」 に は 道 徳 的 行 為 の 動 機 づ け と い う 性 質 が 認 められているわけです。ところがスピノザは「憐れみ」にもとづいて他 者 を 援 助 す る と い う 行 為 を 否 定 的 に 見 て い ま す。 「 容 易 に 憐 れ み の 感 情 にとらえられ、他人の不幸や涙に動かされる人は、後に自ら後悔するよ うなことをしばしばしている」 ( Eth.IV.50.Sch. )。 では、いったいどうしてこのような見方が成立するのでしょうか。ス ピ ノ ザ が「 理 性 」 の 視 点 に 立 っ て い る か ら で す ね。 実 際、 「 理 性 」 が あ れ ば「 憐 れ み 」 は 無 用 で あ る と ス ピ ノ ザ は 主 張 し て い ま す。 「 理 性 の 導 き に よ っ て 生 き る 人 間 に お い て は、 憐 れ み は そ れ 自 体 と し て 悪 で あ り、 無用である」 ( Eth.IV.50.Pr. )。スピノザの考えでは、 「憐れみ」 という 「受 動感情」ではなく「理性」にもとづいて他者の援助がおこなわれるべき な の で す( Eth.II.49.Sch. )。 と い う の も、 ま さ し く「 理 性 」 か ら 他 者 を 援助する欲望が生み出されると考えられるからです。ちなみに現代の心 理学者ポール・ブルームが同じことをいっています( Bloom 2015 )。 このように、スピノザの「反共感論」というべき思想は「理性」によ る 他 者 の 援 助 が 可 能 で あ る と い う 考 え を 背 景 に し て い ま す。 し た が っ て、 「 共 感 」 に 対 す る 否 定 的 な 取 扱 い そ の も の よ り も、 む し ろ「 理 性 」 による他者の援助という考えの可能性それ自体がまず問われなければな ら な い で し ょ う。 こ の 考 え は『 エ チ カ 』 第 三 部 の 終 わ り の ほ う に 出 て きます。スピノザはこのテキストで「理性」に導かれる人間には「強さ (fortitudo) 」 があるといっています。さらに、 「強さ」 は二つの欲望となっ て あ ら わ れ る と 主 張 し て い ま す( Eth.III.59.Sch. )。 ひ と つ は、 自 己 の 存 在を維持しそれを楽しもうとする欲望 (animositas) です。 もうひとつは、 他者がその存在を維持することを援助しようとする欲望 (generositas) で を 引 き 起 こ し た 外 部 の 物 体 の 本 性 が 含 ま れ る( Eth.II.16.Pr. ) が ゆ え に、 人間は「変容」の観念によって外部の物体をも現実に存在するものとし て 認 識 し て い る( Eth.II.26.Pr. )。 ス ピ ノ ザ は こ の 一 般 的 な 原 理 を 前 提 し たうえで、身体を刺激する外部の物体が「人間身体」である場合には次 のような特殊な事情が生じるという形で「感情の模倣」を説明していま す。 「 も し 外 部 の 物 体 の 本 性 が わ れ わ れ の 身 体 の 本 性 に 類 似 す る な ら 、 わ れ われが表象する外部の物体の観念は、外部の物体の変容に類似したわれ われの身体の変容を含むであろう」 ( Eth.III.27.Dem. 傍線引用者) 。他者 の身体は自己の身体に「類似」しているため、他者の身体から刺激を受 ける場合には通常の「変容」とは違ったことが起こるというのがポイン トです。他者の身体に生じている「変容」と類似の「変容」が自己の身 体 に も 生 じ る か ら で す。 だ か ら 他 者 の「 悲 し み 」 か ら 刺 激 を 受 け る と、 自 分 が「 悲 し み 」 を 感 じ る と き の 状 態 が 生 じ る わ け で す。 「 憐 れ み 」 は こ こ か ら も た ら さ れ る と 考 え ら れ ま す。 「 感 情 の 模 倣 」 に よ っ て 自 分 に 生じた「悲しみ」をともなって他者の「悲しみ」が表象されることから もたらされるのが「憐れみ」であると。スピノザの論理は現代のニュー ロサイエンスが主張する論理と同じです。自分が苦痛を感じるときに活 性 化 す る 大 脳 ネ ッ ト ワ ー ク は、 他 者 の 苦 痛 に「 共 感 」 し た と き に も 活 性 化 し て い る こ と が 発 見 さ れ て い る か ら で す( De Vignemont&Singer 2006 )。この発見は1990年代後半からひろがった「ミラーシステム」 の研究においてすでに予想されていたものです( Gallese 2002 )。 と こ ろ で、 「 憐 れ み 」 か ら は 他 者 を 援 助 し よ う と す る 欲 望 が 生 じ る と 考 え ら れ ま す。 ス ピ ノ ザ は そ れ を「 慈 悲 (benevolentia) 」( Eth.III.22.
スピノザの反 = 共感論 一一一 ワークとは独立した機能をもっているということがすでに明らかにされ ています (
Klimecki&Singer 2014; Klimecki et al. 2014
)。 また、 「コンパッ ション・トレーニング」後の実験では、他者を援助するパフォーマンス が高まることが検証されるだけでなく、自己の存在感も充実したものに なるということが被験者から報告されています。みんな次のようにいう わけです。 「他の人たちによくなって欲しいと願うことは、素晴らしく、 充 実 し た 感 じ で す 」。 「 幸 福 の 感 覚 が 沸 き 起 こ り ま す 」。 「 人 間 が 自 分 の 内 側 に こ う い う も の を 作 り 出 す と 感 じ る こ と は 素 晴 ら し い と 思 い ま す 」 ( Klimecki et al. 2012 )。これと逆の場合もあります。自己の存在感を高 め る こ と に 特 化 し た ト レ ー ニ ン グ( mindfulness meditation ) に よ っ て 他 者 の 援 助 を 主 眼 と し た ト レ ー ニ ン グ( compassion meditation ) と 同 様 の 効 果 が え ら れ る と い う こ と が 実 証 さ れ て い ま す( Lim et al. 2015 )。 一般的な観点から他者を援助することは自己の存在感を充実させ、また 自己の存在を内的に充実させることは他者への援助という欲望をもたら すということです。スピノザのいうように、これらは「強さ」の二つの あらわれだと考えてよいでしょう。ですから「強さ」によって生きると いうことは、自分を犠牲にして他者に尽くすのでもなく、他者を見捨て て自分を守るのでもない。むしろ自分と他者を同時に救うことです。ス ピノザが「理性」という硬い言葉で伝えようとしたのはこういうことで はないでしょうか。 そう考えれば、 スピノザの主張のポイントである (1) ( 2) を 強 力 に 支 持 す る よ う な 実 証 結 果 が す で に 存 在 し て い る と み な す ことができます。 次に考えなければならないことは、 「理性」と「共感」との関係はいっ たいどのようなものになるのかという点です。すでにみたように、人間 す。 こ れ ら は 同 一 の 欲 望 の 二 つ の 発 現 形 態 と し て と ら え ら れ て い ま す。 したがって、他者を援助する欲望は自己の存在を充実させる欲望でもあ るということになりますね。また、 この generositas という欲望は、 「共 感 」 の よ う に 誰 か 特 定 の 人 の 不 幸 に よ っ て 動 か さ れ て い る の で は な く、 もっと一般的に他者の幸福を高めようとする欲望です。以下ではこのひ と ま と ま り の 主 張 を 具 体 的 に 検 討 し て み ま す。 ち な み に、 generositas と い う 言 葉 は デ カ ル ト の『 情 念 論 』 に も 出 て き ま す ね。 フ ラ ン ス 語 の générosité で す が、 同 じ 言 葉 で す。 日 本 語 で は「 高 邁 」 と 訳 さ れ ま す。 しかし、 スピノザの用語としてはこの訳語は相応しくないと思われます。 この点はまた後で議論することにします。
2
コンパッション・トレーニング
「 理 性 」 に も と づ く 他 者 の 援 助 と い う ス ピ ノ ザ の 主 張 に 含 ま れ る 問 題 点は以下の2点にまとめることができます。 (1) 一 般 的 に 他 者 の 幸 福 を 高 め よ う と す る よ う な 欲 望 ( generositas )は存在するか。 (2) 他者を援助する欲望は自己の存在を維持する欲望 ( animositas ) と一体となっているか。 ニューロサイエンスの実証結果を参照することによってこれらに回答 することができると思います。一般的な観点から他者を援助するという 態度は「コンパッション・トレーニング」によって養うことができると いうことが分かっています。この態度を支持する大脳ネットワークが存 在し、またそのネットワークは「共感」を感じるときに活動するネット柴 田 健 志 一一二 Leiberget al.2011 )。 「 理 性 」 に よ っ て「 共 感 」 を 制 御 す る と い う ス ピ ノ ザ の 考 え に は 実 効 性 が あ る と い う こ と が 以 上 か ら 主 張 で き る と 思 い ま す。
3
相互性と贈与
こ れ ま で の 内 容 を ま と め ま す と、 「 理 性 」 に よ っ て「 他 者 」 を 援 助 す るという行為は可能であること、また「理性」によって「共感」を制御 することができるということ、 以上二点を論じてきました。では「理性」 はいったいどんな原理にしたがっているのでしょうか。この問いかけに 答えるには、 やはり『エチカ』のテキストを読み込むことが重要ですが、 ニューロサイエンスの実証データを参照することがその読解に役立つは ずです。 「 コ ン パ ッ シ ョ ン・ ト レ ー ニ ン グ 」 前 に な さ れ る 他 者 援 助 の 行 動 原 理 は「相互性」です。どういうことかというと、 「コンパッション ・ トレー ニング」前にはかつて自分を援助してくれた人に援助する傾向が強いわ け で す。 し か し、 「 コ ン パ ッ シ ョ ン・ ト レ ー ニ ン グ 」 後 は 違 い ま す。 そ の 援 助 は ま っ た く の「 よ そ 者( stranger )」 に ま で 及 ぶ と い う こ と が 明 らかになっています(Leiberg et al. 2011; Hutcherson et al. 2008
)。 「 相 互 性 」 と い う 行 動 原 理 を 脅 か す の は「 フ リ ー ラ イ ダ ー」 の 存 在 で あるといわれています。したがって、 「相互性」を維持するには「フリー ラ イ ダ ー」 を 罰 す る 必 要 が あ る わ け で す。 実 際、 「 フ リ ー ラ イ ダ ー」 を 罰することによって「相互性」にもとづく行為の実施率が高まることが 実 証 さ れ て い ま す。 比 較 的 大 き な 規 模 の 集 団 で は、 「 相 互 性 」 に も と づ は 生 ま れ つ き 他 者 に「 共 感 」 し や す く、 「 慈 悲 」 に よ っ て 動 か さ れ や す いというのがスピノザの考えですが、それと同時に人間がもともともっ ている「共感」への傾向は「理性」によって制御できるとスピノザは主 張 し て い る か ら で す。 「 理 性 の 命 令 に よ っ て 生 き る 人 間 は、 で き る か ぎ り 憐 れ み に と ら え ら れ な い よ う に し よ う と つ と め る 」( Eth.IV.50.Cor. )。 一 見 す る と、 「 理 性 」 に よ る 感 情 の 制 御 と い う 何 ら 実 効 性 の な い 思 想 が 語られているようにも感じられます。ところが、この思想もまた「コン パ ッ シ ョ ン・ ト レ ー ニ ン グ 」 の 実 証 結 果 に 一 致 し て い ま す。 「 コ ン パ ッ ション・トレーニング」によってポジティブ感情が増大するのと同時に ネガティブ感情が減少することや、トレーニング後には苦痛を感じるよ うなビデオクリップを見てもポジティブ感情が維持され、 安易に「共感」 を感じなくなることが知られています。特に後者の結果について、苦痛 をもたらす現実を無視するのではなく、それに悪影響を受けないような 感情制御のストラテジーが神経レベルで構築されているという解釈が神 経 科 学 に お い て 合 意 さ れ た 解 釈 に な っ て い る よ う で す( Klimacki et al. 2014 )。 ま た、 ス ピ ノ ザ の 考 え に よ れ ば、 「 理 性 」 に よ る「 共 感 」 の 制 御 に は 持続性が認められています。 「共感」 は外部からの刺激によって生じる 「受 動感情」 であるがゆえに一時的で不安定なものであるのに対して、 「理性」 に も と づ く 欲 望 で あ る generositas は 真 理 の 認 識 に よ っ て 支 持 さ れ て い るから持続的で一貫していると考えられるからです。ところがこの点に ついても「コンパッション ・ トレーニング」の実証結果があるわけです。 ト レ ー ニ ン グ が 終 了 し て か ら 一 定 期 間 を 置 い た 後 の 実 験 で も ト レ ー ニ ン グ 直 後 と 同 じ 傾 向 が 認 め ら れ る と い う こ と で す( Klimecki et al.2012;
スピノザの反 = 共感論 一一三 す る と い う 定 理 が あ り ま す( Eth.IV.35.Pr. )。 こ の 定 理 も 分 か り に く い 定 理 で す。 し か し、 「 理 性 」 に し た が う 人 間 は「 相 互 性 」 と は 異 な る 行 動原理を持っているということは分かりますね。この点を指摘している 研 究 が す で に あ り ま す( Nadler 2014 )。 実 際、 「 相 互 性 」 に も と づ く 行 動原理と「理性」にもとづく行動原理をスピノザは対立させているわけ で す。 「 理 性 的 な 人 間 は 無 知 な 人 間 の 親 切 を 避 け る 」( Eth.IV.70.Pr. ) と い う 定 理 で す。 親 切 を 受 け 取 る こ と に よ っ て 返 礼 の 義 務 が 生 じ ま す が、 これは「相互性」の論理です。理性的な人間がそれを避けることができ るのは、 「相互性」とは異なる行動原理をもっているからですね。 では、 「理性」の行動原理とはいったいどのような行動原理なのでしょ う か。 「 理 性 」 に し た が う 人 間 は「 自 分 の た め に 求 め る 善 を 他 の 人 の た め に も 欲 す る 」( Eth.IV.37.Pr. ) と い う 定 理 が あ り ま す。 こ の 定 理 は 重 要です。なぜならここに「贈与」という考えを読みとることができるか らです。それは返礼を要求するような「贈与」ではなく、まったく無償 でなされる純粋な「贈与」であると考えられます。これが「理性」の行 動原理ではないでしょうか。 最後にこの点を考えておきたいと思います。 そ の 前 に、 用 語 法 に つ い て 若 干 の 注 釈 を つ け 加 え て お き た い と 思 い ま す。 前 に 出 て き た generositas の 訳 語 に つ い て で す。 「 贈 与 」 と い う 観 点 か ら す る と、 「 理 性 」 に も と づ い て 他 者 に 援 助 す る 欲 望 で あ る generositas は ス ピ ノ ザ の 用 語 と し て は「 寛 大 」 と 訳 さ れ る べ き で あ る と 思 い ま す( 岩 波 文 庫 で は「 寛 仁 」 で す )。 「 寛 大 」 と は「 気 前 が よ い 」 あ る い は「 無 欲 」 と い う 意 味 で す。 generosus と は も と も と「 生 ま れ が よ い 」「 育 ち が よ い 」 と い う 意 味 で、 1 7 世 紀 の フ ラ ン ス 語 générosité も そ う い う 意 味 で 使 わ れ て い ま し た。 デ カ ル ト も『 情 念 論 』 で は く協力行動が時間とともに減少し、フリーライダーが増加するというこ と が 知 ら れ て い ま す が、 フ リ ー ラ イ ダ ー に 対 す る 罰 を 実 施 す る と、 そ の 時 点 か ら フ リ ー ラ イ ダ ー が 減 少 し て い く ば か り で な く、 い っ た ん 減 少 傾 向 を 示 し た 協 力 行 動 が 回 復 し、 も と も と の 水 準 を 超 え る 地 点 ま で 増 加 す る と い う 驚 く べ き こ と が 起 こ る わ け で す( Fehr& Gächter 2000., Fehr&Fischbacher 2004 )。 こ れ に 関 連 し て 興 味 深 い 実 証 結 果 が あ り ま す。 「 フ リ ー ラ イ ダ ー」 を 罰 す る こ と は 人 間 に と っ て「 快 」 で あ る と い う こ と を 示 し た も の で す。 報 酬 を 得 る と き に 活 性 化 す る 大 脳 ネ ッ ト ワ ー ク が「 フ リ ー ラ イ ダ ー」 を 罰 す る と き に も 活 性 化 し て い る こ と が 分 か っ て い ま す ( Singer&Steinberg 2009 )。でもどうして 「快」 が発生するのでしょうか。 「フリーライダー」に対する憎しみがあるからですね。したがって、 「相 互性」という行動原理はじつは他者への憎しみによって維持されている と考えられるわけです。この観点から『エチカ』をみると、スピノザに も同じ考えが発見できます。 スピノザによれば、 人間は 「受動」 である限りで 「対立的」 である ( Eth. IV.34.Pr. )。 ち ょ っ と 分 か り に く い 定 理 で す。 と こ ろ が、 「 受 動 」 で あ る 限りでの感情から「相互性」がもたらされると考えればこの定理の意味 はきわめて明確に理解することができます。例えば、人間は自分が愛す る相手には「愛し返し」を要求するということを証明した定理がありま す( Eth.III.33.Pr. )。 贈 与 に 対 す る 返 礼 の 要 求 で す ね。 こ れ が「 相 互 性 」 です。ところが相手がこの要求に応じなければ、その相手を憎み、罰し たくなるでしょう。 これに対し、 「理性」 にしたがう人間は 「能動」 であり、 その限りで 「一致」
柴 田 健 志 一一四 ではないからです。 「神に対する愛は憎しみに転化することはできない」 ( Eth.V.18.Cor. )。それなら、 「神への愛」 とはいったい何なのでしょうか。 そ れ は「 神 が 自 己 自 身 を 愛 す る 無 限 の 愛 の 一 部 分 」( Eth.V.36.Dem. ) で あることが証明されています。この愛は特に 「神への知的愛」 ( Eth.V.36. Dem. ) と 呼 ば れ る も の で す。 ス ピ ノ ザ の 形 而 上 学 に お い て は、 す べ て の存在は神という 「実体」 の 「変容」 であり、 したがってまた人間も 「変 容」ですから、人間が神を愛するということはじつは神が自己自身を愛 することの一部分だということになります。自分自身を愛しているわけ ですから、愛に対する返礼も何もないわけです。また、この愛は神とい う「実体」の「変容」すべてに及んでいるはずですから、人間はこの愛 に参与することでじつは自己自身を愛すると同時に自分以外の人間も愛 することになっています * 。 このように、返礼を要求しない無償の「贈与」という行動原理は「神 へ の 愛 」 に よ っ て も た ら さ れ て い る と 考 え る こ と が で き ま す。 「 理 性 」 による他者の援助をただたんに認知的な次元でなされるものとして理解 し よ う と す る よ う な 解 釈( Della Rocca 2004 ) が あ り ま す が、 以 上 述 べ た こ と か ら 判 断 す る と、 そ う い う 解 釈 で は 不 十 分 で あ る と い う こ と が 分 か り ま す ね。 他 者 に 対 す る 援 助 の 根 底 に は「 愛 」 が な け れ ば な ら な * ベ ル ク ソ ン の 哲 学 が ス ピ ノ ザ に も っ と も 接 近 し た の は『 道 徳 と 宗 教 の 二 源 泉 』 に お い て で あ る と 思 い ま す。 ベ ル ク ソ ン の い う「 閉 じ た 道 徳 」 と は 「 相 互 性 」 の 原 理 に も と づ く 責 務 の シ ス テ ム で す。 こ れ に 対 し「 開 い た 道 徳」が提案されますが、 それは「すべての人間に対する神の愛」 ( Bergson 1984:1173 ) にもとづくというのです。ベルクソンは神秘主義者の 「愛」 に つ い て こ う 述 べ て い ま す。 「 彼 は 神 を と お し て、 神 に よ っ て、 神 的 な 愛 で 全人類を愛する」 ( Bergson 1984:1173 ) générosité という言葉を使用する際にこの意味を踏まえたと述べている ので間違いありませんね ( Descartes 1989 : 1074 )。 転じて現代語では 「気 前がよい」という意味になっているようです。例えばマルセル・モース は『 贈 与 論 』 で「 ポ ト ラ ッ チ 」 を 論 じ る 際 に こ の 意 味 で générosité を 使 用 し て い ま す( Mauss 1997: 262-263 )。 ス ピ ノ ザ の generositas に は このような現代的な意味を先取りしているようなところがあると考えら れます。その意味で「高邁」ではなく「寛大」と訳すのが適切ではない かと考えられます。
4
神への愛
「 理 性 」 の 行 動 原 理 は「 贈 与 」 で あ る と い う 理 解 に 立 っ て 解 釈 を 進 め て み ま す。 す る と、 「 贈 与 」 と い う 行 動 原 理 の 根 拠 と な る 思 想 と は い っ たい何かという問いかけが生まれてきます。端的にいいますと、それは 「神の認識」 ということになると思います。 すでに指摘したとおり、 「贈与」 の論理は「自分のために求める善を他の人のためにも欲する」と表現さ れ て い ま す が、 こ の 論 理 に は じ つ は 神 の 認 識 が 含 ま れ て い る か ら で す。 「 徳 に し た が う 各 々 の 人 は、 自 分 に 求 め る 善 を 他 の 人 間 た ち に も ま た 欲 するであろう。そして各々の人間はより大きな神の認識を持つことでま すます多くそれを欲するであろう」 ( Eth.IV.37.Pr. ) という定理です。で は、 「神の認識」 からいったいどうして 「贈与」 が出てくるのでしょうか。 ひ と こ と で い え ば、 「 神 の 認 識 」 と は「 神 へ の 愛 」 だ か ら で す。 人 間 と 神とのあいだには「相互性」の論理は成立しません。人間に対する愛は も し そ れ が 報 わ れ な け れ ば 憎 し み に 転 化 し ま す が、 「 神 へ の 愛 」 は そ うスピノザの反 = 共感論 一一五 ザはいっています。 そういう人間をスピノザは 「非人間」 と断じます ( Eth. IV.50.Sch. )。 ス ピ ノ ザ が 考 え て い た の は お そ ら く「 サ イ コ パ ス 」 の こ と で す。 実 際、 「 共 感 」 の 欠 如 は「 サ イ コ パ ス 」 診 断 の 重 要 な 規 準 の ひ と つ で す( Blair et al. 2005 )。 人 間 が 人 間 に 危 害 を 加 え る ビ デ オ ク リ ッ プ を見て活性化する大脳ネットワークが「サイコパス」においては活性化 しないことが実証されているからです( Decety&Cowell 2014 )。 このように、スピノザは「共感」を否定していません。人間の道徳が 事実として「共感」をもとに出来上がっているということは否定できま せんから。たしかに、スピノザが「共感」についてかなり否定的なトー ンで語っているテキストはあります。それはすでに引用しました。しか し最終的にはその存在意義を認めているわけです。結局、スピノザがや ろ う と し た こ と は、 「 共 感 」 に よ る 道 徳 を 認 め た 上 で、 そ れ よ り も す ぐ れた生を提案することだったと考えられます。 凡例 『エチカ』 ( Ethica : Eth. )の参照箇所は以下の略号を用いて本文中に挿入する。 定理: Pr. 証明: Dem. 系: Cor. 注解: Sch. 使用テキスト:
Gebhardt(ed.) 1972, Spinoza Opera II, Heidelberg
文献
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おわりに
それでは「共感」にもとづいて他者を援助するという行為はどうなる のでしょうか。この問題がまだ残っています。そこで、これに回答する ことをとおして、以上の考察を倫理的な次元でまとめておきたいと思い ます。 「共感」にもとづく他者の援助は廃棄されるべきなのでしょうか。 例えば、傷ついた子どもを可哀想に感じて助けてあげることは間違って いるのでしょうか。スピノザはそうは考えていません。むしろ、 「共感」 によって他者に援助するということは人間として当然のことであると考 えていたと思います。この解釈はべつにいままでの解釈と矛盾していま せん。人間には生まれつき「共感」という能力があり、それによって他 者に援助することができるようになっています。スピノザはこの点を事 実 と し て 認 め た 上 で、 「 理 性 」 に よ っ て 同 じ こ と を す る こ と が で き る と い っ て い る だ け で す ね。 「 わ れ わ れ は 受 動 で あ る 感 情 に よ っ て 決 定 さ れ るすべての活動に、その感情なしに理性によって決定されることができ る」 ( Eth.IV.59.Pr. )。しかしそれだけではありません。 「共感」 という能 力によって他者を援助することができない人間には問題があるとスピノ柴 田 健 志 一一六 “Functional Neuronal Plasticity and Assiciated Changes in Positive Affect
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