• 検索結果がありません。

「知覚判断」と「経験判断」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「知覚判断」と「経験判断」"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)「 知 覚 判断」 と「 経験判 断」 菫. 香. 序 1). カン トは Fプ ロレゴメナ』 において, 経験的判断 (empirisches Urteil) を,知 覚判断(Wahrnehmungsurteil)と 経験判断 (Erfahrungsurtell)と に 区別 し,「 我 々のすべての判断は最初は単なる知覚判断である」 (Bd.IV,S. 2). 298)と 語 って い る。 この小論 で は, 上 の知覚判断 と経験判 断 との区別 と関 係 が問題 に され る。. カ ン トは Fプ ロレゴメナ』 において,知 覚判断の一例 として,「 太陽が石を 照 らす と石が温か くなる」 (Bd.IV,S・ 301 Anm.)と い う判断を挙げてい る。つ まり,我 々が石,太 陽,太 陽光線,石 の温かさ等 々を知覚 し,そ れ ら 1) I. Kant: Prolegomena zu einer jeden ktinftigen Metaphysik, die als Wissen― schaft v″ id auftreten kё nnen, 1783.. 2). この小論 では,日 屯粋理性批判』 と『 形而上学講義』以外 のカ ン トの著作について は,そ の引用箇所 をすべてアカデ ミー版(Kants Gesammelte Schriften,Akademie. Ausgaube)の 巻数 と頁数を以 って示す ことにす る。 つい 『 純粋理性批判』 の第一版,第 二版 において,知 覚判断 と経験判断 との区別に ての直接 の主題的考察 は見 い出されな い。ただ,日 屯粋理性批判』第一版 には「 経 験的判断」 の意味で「経験判断」 の語 が使用 されてお り, 第二版 には内容的 に見 て両判断の 区別 に言及 されたと見 lllitさ れ る箇所があるに過 ぎない 。 (Vgl.Kritik 』 についての引用は慣例 der reinen Vernunft,A8;B141f。 一一『 純粋理性批半」 に従い,第 一版を A,第 二版を Bと 略 してその原版 の頁を示す ことにした一― )し か し,筆 者は,日 屯粋理性批判』 と『 プ ロレゴメナ』の間に経験についての基本的 な 考え方 の相違は存在 しないと考えるので, この小論 では特別 その言及を Fプ ロレ ゴメナ』に限ると言 うことを しなか った。.

(2) ゴイδ. 「知覚判断」 と「 経験判断」. を観察す る ことによ って,我 々は個別 的 な対象 につ いて一 つ の経験 的判 断 を 形成す ると考 えて い るので あ る。 それ ゆえ,知 覚 判断 は単 な る知覚 と言 うよ り, 判 断作用 を含む もの と して,「 思惟主観 に お け る知覚 の論 理 的 な結合 」. (Bdo IV,S.298)と 説 明 され る。 しか し,知 覚判 断 か ら区別 され る経 験判 断 も同様 に判断作用 を 含 む ので,知 覚 判断 の 判断作用 は経験判 断 の判 断作用 と区別 され,「 私 が単 に諸知覚 を比 較 し, それ らを私 の状態 に お いて結合 す る」(Bde IV,S0300)よ うな作用 で あ り,そ の 作用 によ る知覚 の結合 は「 二 つ の 感覚 の 同一主観 ,す なわ ち,私 自身 に対 す る関係 を表 わ し, しか も現在 1). の 私 の 知覚 の状態を表 わす に過 ぎな い」 (Bdo IV,S.299)と され る。 カ ン トはそ の 知覚判 断 の特徴を,『 反省』 において,具 体例 を 引用 しなが ら次 の よ うに説 明 してい る。 す なわ ち,「 単 な る知 覚 に基 づ く判 断 は, 私 が私 の表象 を知覚 と して 言表す る ことによ ってのみ可 能 で あ る。私 が あ る塔 を知覚 し. ,. その私 が その塔 において 赤色 を知覚す る。 しか し,私 は,塔 が赤 い と言 うこ とはで きない。 なぜ な ら,そ れ は単 に経験 的判断 で あ るばか りで な く,経 験判 石 を触 ると,私 は温か さを感 じる" 断 で も…… あろ うか らで ある。 た とえ ば “ とい う判 断は前者 で あ るが, しか し,“ 石 は温 い"と い う判 断 は後者 で あ る」. (Bdo XVI,S0678,Renexlonen,Nr。. 3145)と 。 あ るいは,「 “私 は暖炉 に 2). 触れ て温か さを感 じる"と い うのは知覚 で あ り, “暖炉 は温か い"と い うの は経験判 断 で あ る」 (Bde XVI,S.679,Re■ ex10nen,Nr。 3146)と 。「私 は ……を感 じる」 あ るいは「私 は ……を知覚 す る」 と言 うこの 知覚判断 の定式 化 において明 らか に されてい るよ うに,知 覚 判 断 におけ る表象 の結合 は,対 象 と無 関係 な私 の個人 的 な意識 の状態 にお ける表象 の結合 で あ り,我 々はた とえ こ う した判 断 を い くら積 み重 ねた と して も,ま た私以 外 の人 が どれ ば ど 同様 な事を知覚 した と して も,我 々が この判 断 に墓 づ く限 り,主 張 し得 るの これ に対 し,経 験判 断 の判 断作用 は,「 知覚 を意識一般 へ 結合す るもの」 (Bd.IV,. S.300)で あ り, この作用 によ る表象 の結合 は,主 毎1の その時 の 状態 に依存す る こ とな く対象 の性質 を表 わす 。 (Vglo Bd.IV,S。 298:s299) この場合 の「 知覚」 は「 知覚判 断」 の意 味 で あ る。.

(3) 香 川. ノイア. 豊. はせ いぜ い 知覚 は普通 その よ うに結合 されてい ると言 うことで あ り,我 々は ただ今 まで にそれ 以外 の結合 の仕方 を観察 しなか った と言 い得 るに過 ぎな い 。 た とえ我 々が,あ る現 象 (た とえ ば太陽光線 )に 他 の あ る現象 (た とえ ば石 の 温か さ)が 継起す る こ とを知覚 す ると して も,我 々は ここで は,た とえ ば 「物体 は長時 間太陽 に照 らされ ると温か くな る」 (Bd.IV,S。. 312)と 言 う. 経 験的規則 を獲得 し得 るのみで あ り,「 太陽 はその光 によ って 温か さの原 因 で あ る」 (ibid.)と い う普遍性 と必然性 を持 った経験法則 をそ こか ら導 き出す ことはで きな いので あ る。「 それ ゆえ,一 般 に考 え られ てい るよ うに,諸 知覚 を比 較 し,判 断作用 によ って一 つ の意 識 に結合 され ると言 うので は,経 験 に とって不十分で あ る」 (Bd.IV,S.300)。. そ うして また,「 太 陽が石 を温 め る. 」 と言 う客観妥 当性 を持 った経 験判 断 に対 し,「 太陽が石 を照 らす と,石 が温 か くな る」 と言 う知覚判断 は「単 に主観 的妥 当性 を持 つ に過 ぎない」 (ibid.) と考 え られ る。 ところで,我 々は今 まで経 験判 断 に対応 した 知覚判 断 の 例を とって考察 を 進 めて来 た。 しか し,カ ン トは経験判断 に対応 しない知覚判 断,す なわ ち. ,. 経験判 断 にな り得 ない知覚 判 断 も考 えてい る。た とえ ば,「 部室が温 か い」 ,. 「砂糖 は甘 い」,「 苦 蓬 はいやな もので あ る」,と 言 う判 断が それで, この種 の 判 断 は単 に感情 に関す るもので あ るか ら主観 的 に しか 妥 当 しない判断 で あ り. ,. 3). 経験判 断 にな り得 ない もので あ ると主張 され る。 この場合 の 知覚判 断 の例が 4). その表現上 の 問題 を 含む ことは別 と して,認 識 の要素 とな り得 ぬ まった く感. 3)Bd.IV,S.299;S.299 Anm.. 4)先 きの本文 中 に引用 した 『 反 省』 の叙述 にお いて見 たよ うに,「 部屋 が温 か い」 ,. 「砂精 は甘 い」,と 言 う表現 はむ しろ経験判 断 に相応 しい表現形式で あ る。同様 な表 現上 の 問題 は, 同 じく『 プ ロ レゴ メナ』 の 「 空気 は弾力性 が あ る」 (Bd.IV,S. 301)と 言 う例 に も見 られ るが , この場合 の「 部屋が温 か い」,「砂糖 は甘 い」,と 言 う判 断は感情 に関わ る例 と して考え られ て い るので あ るか ら, その温 か さ, 甘 さ の感 覚 は,事 象 内容を表 わす「 認 識 の要素 と して客句1に 関係付 け られ る」(Bd.VI,. S.212)も ので はな く,「 快 と不快」. (ibid。 )の 感情 に関わ るもの と して「 認識 の 要素 にな り得 ない」 (Bdo VI,S.212 Anm。 )主 観 的 な もの と言 え よ う。 「 温 か さ」 や「 甘 さ」 に対 す る快 ・ 不快 の感情 は客観 との関係 を持 たず,「 も っぱ ら主 観 との. 関係 を表現す るに過 ぎな い」 (Bd.VI,S.212)。. そ うして ,上 の例 も,た とえ ば こ.

(4) ゴイ8. 「知覚判断」 と「経験判断」. 情 に関わ る主観的なものについても知覚判断が下 されると言 うことは,知 覚 判断が経験判断 とまった く異なった対象領域を持 っていると言 うことを予想 5). させ る。 カ ン トは『形 而上 学講 義』にお いて,知 覚 判断を ,感 官 の対 象 に つ い ての悟 ′ 性 による「 さ しあた りの判 断 (vorlauttges urteil)」. (Metap"S。 87). と呼 び,そ れを「 仮象 (Schein)」 (ibid.)と 言 い換 えてい る。 この 知覚判 断 と しての「 仮象」 の対 象 は,私 に これ これ の形 で現 われ るよ うな「 自然学 的 な現象」. (Bdo XX,S.269), あ るいは 「現 われ (Apparenz)」 (ibid.)で. あ り, 我 々が経験判 断を通 して 出会 う経験 的 な意 味 での 対 象 自体 (現 象体 6). phaenOmenaと しての現 象 )と 区別 され た対 象 で あ る。 例を とれ ば,「 太 陽 が昇 り,ま た沈む」 と我 々が語 る場合 に我 々が関わ って い るよ うな対象 で あ る。 この場合 ,我 々は対 象が我 々の感官 に現 われ るままに対 象 につ いて語 る ので あ り,カ ン トが知覚判断を,単 に知覚 に基 づ いた判断 で あ り,私 の表 象を 8). 知覚 と して 言表す るよ うな判 断 とい うのは この こ とであ る。我 々は こ う した の部屋の温かさが私には快 いとか, あるいは不快で あると言 う意味で 「 部屋は温 かい」 と言われたと考え られ よう。 IInmanuel Kant's Vorlesungen tiber die Metaphysik, Zweite Auflage, nach der. Ausgabe von 1821,neu herausgaben Dr.Ko Schmdt。. 一一 以下同書 か らの引用は. Metap.と 略 してその頁を示す。 この対象 の 区別 については拙稿一「 先験的 な問 い」 と『 批判』 (人 間科学年報・ 創 刊号 )― を参看 されたい。 この場合,我 々がまった く一方的・受動的 に対象 によって決定 されると言 う形で 判断を下す と言 う意味で, 対象が我 々の感官に 現われるがままに対 象 について語 ると言 うのではない。 たとえば, ル ビンの図形 のよ うに客観的に変化 しない二つ の部分 が知覚にお いて互いに図 と地 と言 う関係を交替す るような事例においては 「人 我 々は一方を図,他 方を地 として見 る―ル ビンの図形 で言えば,黒 色 の部分が の横顔 」 として浮かび上 って見え る (図 )場 合 には, 自色 の部分は地 として背景 に退 き,自 色 の部分 が「 盃」 として浮かび上が って見える (図 )場 合 には, 黒色 の部分は地 として背景 に退 く一 ので あるか ら, 対象 によって 一方的・受動的 に決 定 され るような知覚を考えるのは困難 である。 また知覚判断が上 に 「 仮象」 と呼 ばれたのは, その判断が単 に知覚を根拠 とす る判断であるがゆえに, 知覚を通 し て現われた対象 の在 り方 が, そのまま客観的な 対象 の在 り方 とされて しまうか ら ,. で あ る。. 8)Bdo XVI,S・ 678,Renexionen,Nr。. 3145。.

(5) │1 香 り. 豊. ゴイ9. 対 象 に 日常 的 に 関わ ってい るので あ り,空 が 円天丼 の よ うに見 え,真 直 なガ ラス棒 が水 中 で 曲 って見 え ると言 うこ とは, この よ うな対 象 との 関係 で は決 して仮象 で はない と言 わねばな らな い。 これが仮象 と呼 ばれ るのは,カ ン ト が ニ ュー トン物 理 学的世界 を経 験 の対 象 の典型 と考 えたためで ある。私 の表 象を知覚 と して 言表す る こ とが,必 ず しも 自然科学的な客観 的世界 を正 当 に 言 い表 わ した もので ない こ とは,た とえ ば,我 々が 鉄 の玉. A,B,Cを. 9g,10g,1lgの 三 つ の. それ ぞれ手 のひ らにのせ て,そ の重 さを比 べ ,9gの. A. の鉄 の玉 と10gの Bの 鉄 の玉 とは 同 じ重 さだが,9gの Aの 鉄 の玉 よ り1lgの. Cの 鉄 の玉 が重 い と感 じたす る,そ う して,そ の知覚 に基 づ いて三 つ の鉄 の 玉 の重 さの 関係 を示せ ば,A=B<Cと. な る。 しか し, 自然科学的 な客観 的. 世界を支配す る重 さに関す る法則 に従 って測定 され る場合 には,二 つ の鉄 の 玉 の 重 さの関係 は A<B<Cと. して表 わ され ると言 う ことか ら知 る ことがで. きる。知覚判 断が主観 的な妥 当性 しか 持 たない と言 われ るの は,ま さに我 々 の感官 に現 われ るが ままに把握 され た対象 に知覚判断が関わ るか らで あ る。 知覚判 断は客観 的な妥 当性 を持 っ経 験判断 に比 べ て よ り劣 った妥 当性 しか 持 たない と言 うこ とで はな く,両 判 断が それ ぞれ異 な った対象領域 に対 して妥 当性 を持 っと言 う妥 当性 の質 的区別が この主観 的妥 当性 にい おて強調 されて 9). い るのであ る。 我 々は上 に知覚判 断 の諸特徴を考察 して来 はが,単 な る知覚 の比 較 か ら経. 9)vgl.G.Prauss:Erscheinung bei Kant,1971,S.171f.知 覚半」断 の 関わ る対 象領 域 を, 筆者 はゲ シュタル ト心 理 学 で言 うゲ シュタル トが語 られ るよ うな対 象領域 で あ り, フ ッサ ール 後 期 の生 活世界 (Lebenswelt)の 思想 と共 通 す るものが あ る と考え る。 確 か に我 々 にその よ うに見 え ると 言 うこ とを その判 断 の根拠 とす るよ うな知覚判 断が 関わ る世 界 は, 我 々の最初 の認 識 の場 で あ り, 自然科学 的 な認識 の前提を な して い る。 しか し, カ ン トは ニ ュー トン物 理 学 的 な世界を その経験 の 典型的 な対 象領域 と考 えたがゆえ に, 知覚判 断が 関わ る 世界 を考察 の主題 と して 据 なか った。それ はカ ン トの「 仮象」 と言 う表現 か らも窺 い知 る こ とがで きる。 なぜ な ら, 仮象 は 自然科学 的 な客観 的世界 を前提 と して のみ仮象であ り, 我 々に その よ うに見 え ると言 う世界 にお いて は 知覚判断 は決 して 仮象 で はな いか らで あ る。.

(6) ゴ5θ. 「 知覚判断」と「経験判断」. 験 が成立 しない と した ら,経 験判 断が成立す るためには更 にいかな る制約が 必要 にな るので あろ うか 。. カ ン トは Fプ ロレゴメナ』 において,「 我 々のすべての判断 は最初は単 な る知覚判断である」 (Bdo IV,S0298), これか ら経験判断が成立す るために は更 に「新 しい関係,す なわち客観 に対す る関係」 (ibid.)が 要求 され る。 そのためには知覚はカテ ゴ リー (純 粋悟性概念)に 包摂 されなければな らな しや ,と 語 るが,こ れはどのよ うな事態を語 っているのであろうか。. カン トは前批判期の著作 F可 感界 と可想界の形式と原理』において,我 々 がまず最初に達す る認識は感性的認識であり,そ れか ら悟性の反省を通 して 2). 経験 が生 じると考 えて い る。 これ は,我 々が まず最初 に認識 の対象 と して 感 覚 を持 ち, しか るの ち悟性 の反 省 を通 して経 験 的認識 とその対 象が導 き出 さ 3). れ ると言 う意味 に解す ることができる。 しか し, こうした所与経験 の経験判 断 に対す る先行性を,批 判期 においてもカ ン トが認めていたと考え られない。 なぜな ら,『 純粋理性批判」 において 「時間的 に見れ ばいかなる認識 も経験 に先 き立 って我 々の 内に生ず ることはな く,す べての認識は経験を以 って始 まる」 (BI)と 考 え られ てい るか らで あ る。 そ して また先 きに見 たよ うに. ,. 知覚 判 断 は決 して 純粋 な所与経験 と言 うよ うな もので はなか ったのであ る。. カン トは F形 而上学講義』において,「 仮象は経験 に生き立つ」(MCtapo S. 87)も のであり,仮 象は我 々を「経験に墨づ く判断に向かわせるものである」 (ibid.)と 考 えて い る。そ うす ると,我 々に経験判 断 に 向 かわせ る機縁 を与. え ると言 う意味 で,カ ン トは 日常的世界 におけ る知覚判断 の経験判 断 に対す. 『 純粋理性批判』において る先行性を認めていたと考えることができよう。 「経験は疑いもなく,我 々の悟性が感性的な感覚 と言 う生の素材を加工 して ,. 1)Bd.IV,S・ 300-301. 2) Bd. Ⅱ,S・ 393f. 3)Vgl.G Prauss:ao a.0。 ,S.145f..

(7) │1 香 り. ゴ5ゴ. 豊. 作 り出す最 初 の産物 で あ る」 (AI), あ るいは「我 々のす べ ての認識 は経 験 を以 って始 まる」 (BI)と 言われ るの は,認 識 を経 験判 断 に限 った場合 の こ とで あ り,認 識を もっと広義 に解 す ると,知 覚判断 の経験判断 に対す る先行 性 を批判 期 において 認 めて も差 し支 えない と考 え る。 しか し,カ ン トが経験 成立 の前提条件 と して 知覚判 断 の先行性 を認 めていたか ど うか につ いて は疑 間が あ る。む しろ経験判断 の成立 にはカテ ゴ リーが必要 で あ ると言 う こ とを 語 るため,カ ン トは知覚判 断か ら経験判 断が成立す るためには知覚 が カテ ゴ リーに包摂 され な けれ ばな らな い と語 るので あ るか ら, ここで は単 な る知覚 の比 較 の みを以 って は経験 は成立せ ず ,そ のためにはカ テ ゴ リーを必要 とす 4). ると言 う こ とを言 わんがために,そ して その限 りで 知覚判 断 の経験判 断 に対 す る先行性 を語 った と言 うこ とがで きよ う。 で は次 に,な ぜ 経験成立 のために知覚 が カテ ゴ リーに包摂 され る こ とが必 要 と考 え られ たので あろ うか。 た とえば,太 陽,太 陽光線 ,石 ,石 の温か さ等 の 知覚 か ら,我 々は連想 と 言 う再生 的構想力 の規則 に従 って「太 陽 が石 を照 らす と石 が温 くな る」 と言 う経験 的判 断を形成す る こ とがで きる。 しか し,「 太陽光線」 と「石 の 温か さ」 と言 う二 つ の 知覚 を時間関係 において結合す る場合 に,我 々が単 に構想 力 の総合 に従 うな らば,我 々は「 太 陽光線」 と「石 の温か さ」を三 様 の仕方 で,つ ま り前者 か ら後者 へ 継起す るよ うに も,後 者 か ら前者 へ 継起す るよ う に も結合 し得 る こ とにな り,「 太 陽光線」 が客観 において 「石 の 温か さ」 の 原 因 で あ るとは いか に して も決定 し得 ないのであ る。 この こ とを決 定す るた めには「 ま った く違 った判 断が先行す る」. (Bd.IV,Se 300)必 要 で あ り. ,. 5). その判断 こそ知覚 の カテ ゴ リーヘ の包摂 で あ る。 で は知覚 の カテ ゴ リーヘ の包 摂 によ って いかな る事態が生 じるか と言 うと. ,. 「 現象 を経 験 と して 読む こ とがで きるために,現 象を総合 的統一 に従 って文 字 と して綴 る」 (A314,B370-371)と 言 う こ とが生 ず るのであ る。. 4)Bd.IV,S.298(f。. 5)Bd.IVe s 300.. ):S。 300f..

(8) ゴ52. 「知覚判断」 と「経験判断」. 我 々は色 々な記号を組 み合 わ せ それを文字 と して綴 り,そ の 背後 に意 味 を 読 み とる。 た とえ ば. K,A,N,Tと. 言 う アル フ ァベ ッ トを 組 み合 わせ. ,. Kantと 言 う人 名を示す単語 と して 読 む。我 々は この よ うに記 号 か ら単語 や を 命 題 を形成 し,意 味 を獲得す る。それ と類比的 に,同 じよ うな事 態 が現象 経験 と して 読 む場合 に も生 ず る。 ここで「現象」 と言 われ る対 象 は,「 経験 的直観 の無規定 な対 象」 (A20,B34)で あ リキ 上 のK,A,N,Tに. あ た る。. そ う して,そ の よ うな アル フ ァベ ッ トを組 み合 わ せ ,そ の意味 を読 み とれ る 一 よ うにす るのが,そ こに言 う「総合 的統 一 」 で あ る。 これ は「知覚 を意織 この判 断 づ 般 へ 結合す る」 (Bdo IV,S。 300)経 験判 断 の判 断作用 に基 く。 によ って判 作用 はカテ ゴ リーに従 って お り,カ テ ゴ リーに従 った総合 的統 一 この客観 的統 一 断 にお け る表象 の結合 は統覚 の客観 的統 一 に もた らされ る。 に によ って,単 に主観 的妥 当性 しか持 たな い再生的構 想力 の規則 た る連想律 に従 従 った表象 の 関係 と十分 に区別 され た関係が生ず る。た とえ ば「連想律 " 私 が物体 を持 つ と,私 は重 さと圧 力を感 じる って 私 が言 い得 るの は,単 に “ づいて成 と言 うことだ けで あ る」 (B142)。 しか し,統 覚 の客観的統 一 に基 二 つの 立す る「物体 は重 い」 (ibid・ )と 言 う経験判 断 は,「 物体 と重 さと言 う この場合 の 「無規定 な対象」 とは触発 の 相関者 としての現象である。 (Vglo M・ Heidegger:Kant und das problem der Metaphysik,1929,S.36f。 )こ の対象を 経験的な意味での現象,す なわち「 現われ」 と解す る見解があるが (久 保元彦 :. <1974,哲 学会編,有 斐閣 >57頁 参照),「 知覚は仮 『 カ ン トにおける経験 と自然』 であるか ら 象 にも,経 験 の現実的な対象 にも同様 に関わる」 (Metap,S.87)の として意識 さ での現象 この無規定 な対象が, 一方で知覚判断を通 して 経験的意味 るのでは て れ , 他方経験 判断を通 して 経験的な 意味での対象 自体 とし 意識され る見解 (Vgl.F. と解す での対象 な意 自体 味 ないであろうか。また,こ れを経験的 ,. G}rayeff; Deutung und DarsteHung der theoretischen Philosophie Kants, 1951。. S.29)も 認 め難 い。なぜ な ら,経 験的な意味での対象 自体 は直観を媒介 として間 である。ただ し 接的 に与え られるものであり,決 して直接的な所与ではないか ら いない (noch unbestimmt)対 されて だ規定 「概念 は可能 な判断の述語 として,ま の さ 象 についてのある表象 に関係す る」 (A69.B94)と 言われる場合 「 まだ規定 れて いない対象」 とは経験的意味での対象 自体 で ある。 ,. B141‐ -143..

(9) ‖ 香 り. 豊. ゴ53. 表象が客観 において ,す なわ ち主観 の状態 の相違 に 関係 な しに結合 してお り. ,. 単 に知覚 において ……共存 してい るので はない と言 うこ とをむ しろ言 わん と す るもので あ る」 (ibid.)。 そ う して また,「 現象 を経験 と して読む」 とは. ,. K,A,N,Tと. 言 うアル フ ァベ ッ トを越 え. Kantと して それを読む よ うに. ,. 単 な る現象を越 え て 経験 の対象 (経 験 的意 味 での対象 自体 )に 至 り,同 時 に 現 実的経験 を獲得す る こ とに他 な らな い。経験 の対 象 た る現 象を カ ン トは覚 知 の総合 によ る単 な る表象 の総括 を考 え て い るが, この表象 の知覚 が経験統 一 の規則 に従 って他 の あ らゆ る知覚 と連 関す る時 ,現 象 は経験 の現 実的対 象 と見倣 され る。 つ ま り,現 象が可能 な知覚 の連 関 の 内で一 定 の時間的位 置 を 占め る客観 と して 定立 され る時 ,我 々は現実的対 象を得 るので あ り,そ れ と 能 的経験 が現実 的経験 とな る。経験統 一 の規則 とはカテ ゴ リーの 同時 に. ,可. こ とで あ り,こ の カテ ゴ リーに従 った覚知 の総合 を通 して ,知 覚 は可能 な経 験 の脈絡 の 内 の組 み込 まれ,経 験 の現実的対 象 と現 実的経験 が成立す ると言 う ことこそ,直 観 の多様 の統覚 による総合 的 ,客 観 的統 一 と言 う こ とに他 な らな い 。 したが って 知覚 を カテ ゴ リーに包 摂す る ことは,触 発 を通 して与 え られ た直観 (現 象 )の 多様 を「 可能的経験 の所与」 (Al19)と して綴 り,そ こ れを認識 の素材 と して経 験 の現 実的対 象を定立 し,同 時 に経 験 を獲得す る とを指 してい ると言 え る。 もっとも,カ テ ゴ リー も統覚 の総合的統 一 作用 も. ,. の 経験 の可 能性 の制約 で あ る,そ れ は一般 的 に経験 に 関わ り,経 験 形式を予 め確定す る。それゆえ経験 を通 して対象 と出会 う以前 にそ の 出会 ひの具体 的 内容 を決定す る こ とはで きない。験経 による対象 との 出会 いの具体相. は現実. ゴ ー 的経験 を待 たな くて はな らな い 。 したが って ,厳 密 に解す ると,カ テ リ てい や統覚 の総合 的統 一 作用 は経験 の可能性 の制約 と して もっぱ ら考察 され の制 るので あ り,知 覚判 断 と経験判 断 の 区別 は,カ テ ゴ リーを経験 の可 能性 い。 カ ン トが 約 と して主題化す るために カ ン トが持 ち込 んだ議論 に他 な らな. 8)A191,B236。. 9)A494-495,B523. 10)A200,B245..

(10) ゴ5イ. 「 知覚判断」 と「経験判断」. 経験判 断 に対 し,知 覚判 断を単 に主観 的な妥 当性 しか持 たない判 断 と主張す るのは,知 覚 の比 較 によ って経験 が成立す ると言 う一 般 的見解 を 否定 し,知 覚 か ら経 験 が生 じるためには更 にカテ ゴ リーが必要 で あ ると言 うこ とを語 ら んがためで あ り,経 験判 断 のた めには知覚 が カテ ゴ リーに包摂 されな くて は な らな い とは,カ テ ゴ リーを経 験 の可能性 の制約 と して証 明せんがための導 入部 に過 ぎない。 結. 五. 筆者 は別 の論稿 で ,カ ン トの批 判 の作業を,経 験 を可能 な らしめ る制 約 の 解 明を通 じて我 々に唯 一可 能 な経 験 の構造 と範 囲 を 明確 にす る企て と解 した 1). が,そ の場合 ,も っぱ ら経験 の形式的側面 にその考察 の重点 が置かれた。 し か し,知 覚判断 につ いての思考 に見 たよ うに,カ ン トの経 験 につ いての思 考 はそのよ うな場面 にのみ制 限 され るもので はな く,か な り広 い範 囲 の考察 の 中か ら生 まれた もので あ る。 この小論 で は,経 験 で はない認識 との対 比で経 験 が考察 された。. 1)拙 稿 :前 掲書.

(11)

参照

関連したドキュメント

について最高裁として初めての判断を示した。事案の特殊性から射程範囲は狭い、と考えられる。三「運行」に関する学説・判例

る、関与していることに伴う、または関与することとなる重大なリスクがある、と合理的に 判断される者を特定したリストを指します 51 。Entity

がん化学療法に十分な知識・経験を持つ医師のもとで、本剤の投与が適切と判断さ

現在入手可能な情報から得られたソニーの経営者の判断にもとづいています。実

本時は、「どのクラスが一番、テスト前の学習を頑張ったか」という課題を解決する際、その判断の根

(採択) 」と「先生が励ましの声をかけてくれなかった(削除) 」 )と判断した項目を削除すること で計 83

 

政治エリートの戦略的判断とそれを促す女性票の 存在,国際圧力,政治文化・規範との親和性がほ ぼ通説となっている (Krook