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心に響く道徳指導へ向けた工夫のあり方について(2) : 話し合い活動を基盤にした道徳授業をめざして

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(1)心に響く道徳指導へ向けた工夫のあり方について(2)    一話し合い活動を基盤にした道徳授業をめざして一. 渡 邉. 満. はじめに.  本稿は前稿に続いて、「心に響く道徳指導へ向けた工夫のあり方」について. 論じる。前町では、今日多様に工夫されている道徳授業論の主要な動向を踏 まえながら、価値に焦点をおく道徳授業論と子どもたちの道徳的思考の在り 方に焦点をおく道徳授業論とに分類し、各々の立場を簡略に説明し、それら の意義と諸課題について述べたが、本稿では、両者を統合する道徳授業論の 一つとして構想された「コミュニケーション的行為の理論に基づく道徳授業 論」(「討議による道徳授業論」)に焦点をおいて、具体的な授業例を示しな がらその可能性について論じる。. 6 「話し合い活動」を活性化する道徳授業構築の視点 6、1理由・根拠の追求  この道徳授業論の話し合い活動の特質は、話し合いの中で理由・根拠を追 求していくことにあります。理由・根拠の追求を道徳の授業の話し合い活動 に組み込んでいくことによって従来の道徳授業とはひと堕ちがつた授業を構 築することとなると考えております。理由・根拠を問題にする方向は今まで にもありましたが、それだけで新しいタイプの道徳授業とは言えません。し かし、話し合うということは少なくとも理由・根拠を明確にすることを含め て考えなければ、その意味を全うすることができないのではないかと、私は 考えております。これが新しいと言えるのは、少なくともここでは、理由・ 根拠を従来よりも厳密に考えているということによります。ハーバーマスと 近い学者にトゥールミンという哲学者がいますが、この人がつくった討論の 図式(トゥールミン図式)というのがあります。私たちがある主張をすると. きには、その根拠をデータで示します。たとえば、①「Aさんは日本人であ る。」②「なぜなら、Aさんは神戸で生まれたから。」というように。でもこ 一71一.

(2) れではこの主張は完全には成立しません。③「日本の法律では、日本で生ま れた人は日本人だと規定してある。」というのがあってはじめて先の主張①と. 根拠②はつながるのです。この③を追求するのが話し合いです。これは論拠 とも呼ばれます。この例は単純ですが、日常われわれがぶつかる問題はもっ と複雑です。論拠はかなり込み入った議論をしてはじめて合意される場合が 多いようです。要するに、私が考えている話し合うとは、この①、②そして ③を確認し合う作業だということなのです。話し合うとは、もともとそうい うものであるべきだったと考えているということです。.  ある行為が問題になると、その行為を正当化する価値が問題にされます。 その価値が、問題の行為を正当化できるのかどうかが議論の対象になります。 論拠として適切なのかどうかということが問われるのです。すると論拠の根 拠が追求されることになります。そして互いに納得できる論拠の根拠が明ら かとなります。価値の根拠ということです。それによって、伊藤先生が使わ れる意味とは違った価値と道徳的思考との「統合」ということにつながって いくのではないかと、私は思っているわけなのです。  つまり、価値の「正当性」、「正しさ」をその理由・根拠を問題にしながら、 みんなで迫求をしていく。そうすることによって、「正しさ」を考える力を育. て、同時にわれわれが一緒に生活をしていくときに、そこにきちんとみんな. が関わるものとして存在している価値というものを、子どもたちが確かめ 合っていくということになるわけです。.  だから、これによって価値も大事にするし考え方も大事にするという、二 つの道徳授業の課題を結びつけながら一緒に進めていくことができるのでは ないかと思っております。.  それもこれもしかし、話し合い活動というものが、それにふさわしいもの になるかどうかということが、非常に重要なポイントであろうと思います。 問題はそういう話し合い活動ができるような授業をどうやってつくるかとい うことです。.  そこで、そのために必要だと考えられるいくつかの視点について、「道徳授. 業構築の視点」ということでお話ししたいと思います。これだけではないか もしれませんが、重要だと考えられるかぎりであげてみました。. 6.2伝達から創造へ  時間のこともありますので、急いでいきまずけれども、「伝達から創造へ」 一72一.

(3) というのが一つ目の重要な点です。今までの道徳の授業、一般にオーソドッ クスな、ただ一つの道徳の授業のやり方として長い間考えられていたやり方 だと「伝達」になってしまいやすい。価値が道徳的価値として最初から道徳 的に大切だと見なされているわけですから、話し合いにおいて出てくる意見 は肯定的な意見だけです。しかも価値の伝達になってしまいます。.  それに対して私どもの考える道徳の授業では、行為とその行為を支える価 値がふくまれるある場面を設定して、「どうしてそうすることがよいのか」、. 「どうしてそう考えることが正しいと言えるのか」ということを、その行為 を規定している価値の正当性、「どうしてその価値が大切なのか」を追求し合. うことによって、それぞれの価値場面の中にある価値の正当性をみんなで確 かめ合います。それは価値を「伝達」することではなく、「創造」すること ではないかと思います。少なくとも、ある状況の中でその状況にとって適切 な価値を確認することになるのですから、子どもたちにとっては「創造」だ と考えています。.  今まで自分の中で、曖昧に考えていたものが、ここですきっと明確になっ ていくということにもなるわけです。自分の中に曖昧な形であったわけです から、それを自分たちですきっとさせたわけですから、それは与えられたわ けはでない、というふうに思います。. 6.3行為とその規範の根拠の学習  2番目。そこで大事にされているのは、「価値」だけではありません。日常 生活の中での様々な行動・行為というのがまずあるわけです。それがうまく いかないから、どうしたらいいかと、我々は考えていく.ことになるわけです から。.  それを考えていくときに、それぞれの行動や行為の背景にある「価値」に ついての考え方を問題にしていくということになりますので、これは現実に かなっている。.  しかし、一般の道徳の授業では、行動や行為みたいなものは、ちょっと横 に置いて、むしろ価値みたいなものが最初から問題にされていると私には思 えるのです。中学校では、23個の価値が最初から大切なものとして前提にお かれているのです。.  このことは道徳の授業や資料をつくるときに明らかになります。特に、こ のような授業論に立って資料を作るときにね。本当にこじつけですよ。はっ 一73一.

(4) きり言って。陥りやすいのは、こういうことです。例えば、1一(2)の資 料をつくるのに、どういう話を使ったらいいだろうかというふうに、そうい う順番で考えていくわけです。お話の方が先にあるのではないのです。23個 の価値の方が先にあるわけです。それは、やっぱり先生方においては、23個. の価値をどうやって教えようかということになりますから。そうなると ちょっとわけがわからなくなっていくということですね。あくまでも生活の 場面、現実がまずあるわけです。現実があって、その現実を何とかよくしな ければならないというのが道徳教育の根本のはずです。それで行為とその規. 範の根拠、あるいは現実にある行為とか規範を確かめ合っていく、追求し 合っていく学習活動が必要なのだということです。 6.4 根拠のより合理的な理解の追求.  そこでは、あくまでも合理的に、誰もが納得できるという部分を大事にし たいと思います。また、行為の正しさの根拠は、子どもの成長と共に変化し ていきます。それは私的な場から公的な場への移行でもあります。まだ小さ いときには心情や気持ちが中心をなします。しかし、やがて次第に子どもは 心情的な思考では対応できにくい様々な課題に遭遇することとなります。そ うなると心情ではなく筋道を立てて合理的に考えることが必要になります。 学校はその課題に対応する力を子どもたちに身につけさせなければなりませ ん。曖昧なものは日常生活の中によくあることですけれども、学校でもそう だったら、学校へ来ている値打ちがないじゃないかということにもなるわけ です。筋道を立てて考える。これを難しい言葉で言えば「普遍性」、「合理性」. あるいは「理性」とか言うわけです。理にかなっているものの考え方という のが理性ですからね。根拠は合理的に普遍性を持つことができるよう追求さ れなければならないのです。. 6.5 相互行為としての道徳学習.  それから4番目。道徳の授業において考えることは、一人で行うものでは ない。さっきも言いましたが、価値と考え方はコインの裏表ですから、みん なで追求し、みんなで前提に置いているものが見直され、作り変えられてい く。そうすることによって一人ひとりの考え方が変わっていく。こういう順 番で考えていくべきではないか。私はこういうふうに思います。  したがって、そこで行われる学習活動は、はじめの頃に申し上げましたよ うにインターアクション、相互行為を通してということが重要になって参り 一74一.

(5) ます。その子どもたち相互の具体的な取り組みが、「話し合い活動」でもある わけなのです。. 6.6規範の見直しによるその場の変容  5番目。規範の見直しは、その場の変容を生み出します。  価値や規範を見直していくと、それに基づいて成立している関係も変わっ てくるということです。問題だったものがよくなるということです。その問 題を生み出していた考え方が合理的なものになるのですから、よくならざる をえないわけですよね。.  だから道徳の学習を真面目にきちんとやっているクラスは雰囲気が良い。 雰囲気がいいだけではなくて、問題も生じにくいし、やはりきちんと学力も 高い。これは不思議でも何でもない。筋道を立てて考える力をそこで一生懸 命獲得しているわけですから、当然そうなるというものです。  しかし、話し合いというのは簡単にできるわけではありません。意識的に 原理・原則、つまりわかりやすく言えば、ルールに従っそ取り組まなければ ならない。それは話し合いをそれにふさわしいルールに従って行うというこ とに他なりません。ハーバーマスという人があげている話し合いが成り立つ ための条件をわかりやすく示すと次のようになります。最近、学校教育にお いて特に重要な課題にされているコミュニケーション能力とはこのことだと、 私は思っております。. 6.7 話し合いのルール.  それはこういうものです。ハーバーマス自身は、3つ挙げております。   ①ディスクルスの原則    「すべての妥当性を有する規範が当事者すべての一致を見るのは、当    事尽すべてがもっぱら実践的ディスクルスに参加できる場合である。」.   ②普遍化原則    「すべての妥当な規範は、各々の個々人の利害を充足させるためにそ    の規範に普遍的に従うことから生じると予測される結果や副次効果が、    あらゆる当事者によって共生なく受け入れられ得るという条件を満足    しなければならない。」.   ③理想的発話状況.     1 言語行為能力のあるすべての主体は、ディスクルスに参加して      よい。 一75一.

(6)     2一(1)誰もがどんな主張をしてよい。.     2一(2)誰もがどんな主張をもディスクルスに持ち込んでよい。     2一(3)誰もが自分の立場や希望や欲求を表明してもよい。.     3 どの話し手も、ディスクルスの内外を支配している強制によっ      ては、上で確定された自分の権利を行使するのを妨げられない。  これはむずかしすぎます。もう少しわかりやすく美術化すると次のような ものになるだろうと思います。子どもたちにもわかるルールでなければなり ません。学習活動、子どもたちが取るべき行為の理由を明確にしながら追求 する話し合い活動になるために、ハーバーマスの話し合いのルールをより具 体化していくと、以下の6つになるというふうに私どもは思っております。  私が勝手に言っているわけではありません。院生や現場の先生方と一緒に、 それから私がいろんなところに行ってお話をしたり先生たちと議論したりし て確かめ合ってきたものです。.  1番目。誰も自分の言うことをじゃまされてはならない。   ある特定の人だけがしゃべれるようなところでは話し合いは成り立たな  い。いいですか誰もが意見が言える。.  2番目。それから自分の意見は理由を必ずつけて言う。   理由が問題なのですから、「私は…と思う。なぜなら∼だから」と言う。  「なぜなら、だから」を必ずつけて言う。.  3番目。他の人の意見には、はっきり賛成か反対かの態度表明をする。   誰か意見を言っていても聞いてないとか、次に意見を言う人がそれを踏  まえてないとか、そういうことはありえない。あってはいけない。.  4番目。理由が納得できたらその意見は正しいと認める。   いいですか。「…は∼である」が、正しいかどうかを決めるのは、神様  ではないのです。先生でもないのです。理由なのです。根拠なのです。根  拠がはっきりしていれば、誰も否定できなかったらその意見は正しいと認  めようというのが18世紀以後のわれわれの社会の大原則、これを民主主義  というのです。.  5番目。意見を変えてもいい。ただし、その理由を言う。   意見は変わるものです。より正しい考え方に気づけば、それに変えてい  けばいいのです。いつまでも古い意見、自分の意見にこだわっているのを、  「頑固」というのですよね。頑固は居酒屋だけにしておいたほうがいいと 一76一.

(7)  いうことです。.   よろしいでしょうか。意見は変えてもいい。ただし、変わるには、何か  自分の間違いに気づいて、別の正しい意見の方がいいというふうに自分が  判断したということですから、その部分はきっちり表明しなければいけな  い。何の根拠もなしに変わるというのはありえないことです。だって、前  の意見が信用できなくなってしまう。したがって、話し合いを危うくして  しまう要因になるのでこれは認められない。.  6番目。 みんなが納得できる理由はみんなそれに従わなければならない。   これが意外と重要です。みんなで決めたらそれを守るというのが当然で  す。守れないと思えば、意見を言えばいいのです。「それはいくらなんで  もそう決めたら非現実的だよ」、「できないのにそう決めてもしょうがない  じゃないか」と、言えばいいのです。.   妥当なところで、できるところで、みんなが合意すればいいのですから。  合意するということはそれができるということになるわけですので。道徳  の時間や学級会で話し合いを行いますよね。その前提は、「決まったらそ  の通りやる」というのが前提だから話し合いに意味があるわけです。.  この6つがルールということだと思います。そこで、やはり先生は授業を 進め学習指導を行いながら、一方では、授業展開の部分だけ考えるのではな く、話し合いのあり方にも注意しながら、その指導もしていかなければいけ ないということになると思います。こういうルールに従った話し合いをして いくことによって、先ほどの課題に応えることのできる話し合い活動が成り 立ってくる。そのルールをきちんと認識するだけでなく、それを実行するこ とができるというのもコミュニケーション能力の中に組み込んで考えていか なければいけないのではないかと、私は思っております。.  最近、心理学のほうから、「アサーション」1とか「SST;ソーシャルス キルトレーニング」2というのですけれども、コミュニケーション能力に関わ るいろいろ取組が提案されているのですけれども、そこで行われているのは、 「こんにちは」、「おはよう」、「ごめんなさい」の程度のものが多いようです。. 実際は、その先が問題でしょう。さらに進んで、「ごめんなさい」ではすま ない問題が生じた場合、うまく解決していくようなものまでは心理学は取り 組んでいないと思います。.  大事なことなのですけれども、どうして、そこまで行かないかと言えば、 一77一.

(8) 簡単なのです。一人の人間の枠内(主体性)から出発して、先ず気持ちを考 えるからです。気持ちという部分を非常に重要視して考える。一方で、やっ ぱり人間には、気持ちも大事ですが、気持ちを規定しているものが主体の外 部にあります。それを冷静に見つめないと、気持ちを静めていく、押さえて いくということが、個々人でできなくなりますので、気持ちだけにとどまっ ていてはいけないと、私は思っております。. 7 道徳授業の開発1一小学校3年忌一 7.1 話し合い活動(討議)を活用する資料開発.  そこで、具体的に授業を考えていくということになるわけですけれども。 一応簡単な流れは次のところに書いていますし、図でも示しております。  ジレンマを応用して対立点を設定できるような資料を開発します。その資 料を子どもたちと読みながら、そして対立点を確認して、そのどちらが正し いのかという正しさを子どもたちが追求していく。その際に根拠を明確にし ながら話し合い活動を展開していく。それを「討議」と言っています。  そして、話し合いをしつぱなしではなくて、「合意・了解」を目指しなが ら話し合いを行っていく。これは最後には、必ずしも合意に達しなくてもい いと私は考えております。なぜかと言えば問題によって、難しい問題の場合. には、1時間や2時間、あるいは3時間でもとうてい合意はできないことも あります。しかし、たとえ合意できなくても、合意に向けて話し合い活動を 行っていく。1途中までしか進まなくても、途中のあるところまでは確実に成 果として残るわけですから…。私は、それはそれでいいと思っております。  つまり、完全ではないかもしれないけれども、価値について、明確に合理 的に自分の中のものを点検していくことになっているわけですし、みんなで 前提に置いているものを確かめ合っている作業は、途中まではできているわ けですから、それはそれで十分ではないかというふうに、思っております。  まあ、最後には合意できればそれにこしたことがないのですけれどもね。 7.2 『生きもの係』の資料概略.  小学校3年生の実践例を紹介します。  「生きもの係」という資料を使った授業です。対立点と課題が明確になるよ. う資料を開発いたしました。2時間で授業は実施しております。この資料で 一78一.

(9) 実施した授業は最後には合意しました。小学校3年生用の資料ですから、中 学生から見れば単純な話です。その概要は以下の通りです。.  みきさん、たか子さんという2人の女の子が主要な登場人物です。とりわ け、みきさんが主人公で、たか子さんとみきさんは仲良しです。2人とも動 物が大好きです。それで生きもの係をやっています。教室でも生きものを 飼っていますが、亀やハムスターなどです。2人で仲良くそれらの世話をし ています。その世話は、積極的に2人が引き受けているのです。  ところが、ある日、たか子さんが交通事故に遭ってしまいます。たか子さ んが入院するのですね。そこで一人で、みきさんが生きものの世話をしてい るわけです。.  ある日みきさんが、お見舞いに行ったら、たか子さんは、退屈そうだった のですよね。「何か持ってきてあげようか」とみきさんが言ったら、「じゃあ 宮沢賢治の本を図書室から借りてきて」って、頼まれるわけです。それで「水. 曜日に見舞いに来るからね」と約束をして、水曜日いつものように放課後、 生きものの世話をして、図書室から借りておいた本を持って病院に向かうわ けです。ところが、校門まで来たときに思い出してしまったのです。気づい たのです。ハムスターに水とえさをやることを忘れたことを。そこで、「ど うしょう」と、いうことになるわけです。.  3年生ですから、これは大変なことですよ。「このまま行こうか、でも、生 きものたちが心配だし。」「戻ってちゃんと世話をしようか、そうしていたら 面会時間が終わってしまうし。」「ああ、どうしょう。」ということになるわ けですね。.  ここで、タクシーを呼んでいくとか、担任の先生に連絡して水をやってお いてもらうとかはなしにしようと、教室の子どもたちとは約束しておかない といけないですね。そうしないと道徳の課題に焦点をおいて考えることがで きにくいですから。. 7.3 授業の展開.  こういうお話を示して、「どうすべきなのか」、そして「それはどうしてな. のか」ということを子どもたちに考えてもらう。そして二つに分かれますの で、どっちが正当なのか、正しいのか等を議論し合うということになります。  大人になれば、事情を話して面会時間を伸ばしてもらうとか、見舞いに行 く人に渡してもらうというふうに柔軟に考えるのですけれども。ここではそ 一79一.

(10) ういったことは考慮しないことにします。きっちりと子どもたちは真っ正直 に議論をしていくということになるわけです。.  その時に先程来お話しした話し合いのルールというのを踏まえながら議論 していく。判断の根拠、理由を追及していくのです。.  結構いろいろな意見に分かれます。資料には、お父さんからいつも「友達 は大事だと」いうふうに言われているということも入れています。大人と子 どもとの関係の中で、目上の人の言っていることを自分の判断の基準にして いる段階というのがあります。これは、低い段階ですけれども。それでも、. なんとか自分の頭で、自分できちんと考えるという方向に子どもたちの思考 を高めていかなければいけないということになるわけです。.  まあそういうふうなものも入れておりますので、「やっぱりお父さんも友 達は大事だと言っているし」、だとか。あるいは、「いや一日二日水やえさを やらなくてもハムスターは死なないよ」とか言う子もいます。「友達というの. は絶対大事だ。やっぱりハムスターは人間じゃないし、やっぱり人間の方が 大事だ」と言う子もでてくるわけです。いろんな意見がでてきまずから、そ れらをぶつけ合うということになる。.  話し合いでは、それぞれの子どもの体験からの意見も出てきます。かつて 入院したことがあって、友達が見舞いに来てくれてとてもうれしかった。そ ういう思いを持っている子は、いつまでも、やっぱりこだわります。最後に 実際授業の中で、一人だけ残りました。男の子でしたが、その子は交通事故 に遭って、同じように入院した経験のある子でしたね。  その子が最:後にうなずくのですよね、授業の中で。「生きものは、一日二日. で死なないとか、人間とは違うとか言ったけれども、やっぱり、たか子さん が悲しんでしまう。ハム君が死んじゃったら。それはやっぱり、まずいだろ う」と、子どもは考えるわけです。みきさんが戻って、水やえさをちゃんと やるということで、病院に行かなくても、後で説明すれば、たか子さんはき ちんと理解してくれるはずだというふうな考え方に同意することになります。 その子は、自分の経験だけでそれにこだわりながら考えていくというその制 約をそこで克服することができたと、いうことにもなるわけです。  ただしね、話し合いが効果的に進むためには、雰囲気というのが大事です。 みんながそう言っているから、ついやっぱり自信がなくなって、そっちにな びいて行きやすくなるのも3年生ですから。「そうならなくていいんだ」とい 一80一.

(11) うことをきちんと、みんなが踏まえておく。それも話し合いのルールの一つ ですね。.  そういう指導はきっちりそれ以前の段階でやっていますので、そのクラス は。なんとかうまくいったという事例です。  こういう授業をされたらどうでしょうか。 7.4 展開上の工夫.  小学校の3年生ですから、45分ではすべてを行うことはできません。45分 を2回やりました。場面をきちんと理解して対立点も理解して、一人一人が まず判断してみる。その上でそれぞれの考え方をワークシートや道徳カード に書いて提出する。.  あるいはその前に時間があれば意見を紹介し合う。そういうことを1時義 目でやって、2時今田の最初に復習をします。このお話はこういうことだっ たよね。みんなに判断してもらったらこうなりましたと確認をします。  さて、「じゃあこれからどうすることが正しいのかみんなで追求しましょ う」と、こういうふうに子どもたちに課題を出します。.  「みきさんはどうすることが正しいか。○組のみんなが納得できる考えを 作ろう。」1組だったら、「1組の考えを作ろう。」.  こういうふうに子どもたちに課題を伝える。この場合、○組の考えを作ろ うというのが重要です。なぜかというとそうすることによって、一つ制約が つきます。決まったら守らなければいけないというルールがありましたよね。 つまり、このクラスの考え方が決まるわけですから、そこで考えたことを実 行することが前提におかれるということになります。そうすることによって クラスが変わっていくし、一人ひとりが成長するだけでは終わらないという ことにもなるのです。. 7.5 クラスが変われば子どもが変わる.  これは、クラスが変わることによって、クラスを前提において、みんなが クラスの中でいろいろな関わりを営んでいく上で、前提に置いているものが 変わっていくことによって一人ひとりが変わっていくという考えが私にある からです。.  この発想は、先生方の常識的な普通の考え方とは違うと思います。多分、 なかなか理解しがたい部分ではないかと思います。みんなで営んでいる部分 を変えなければ、実は一人ひとりだけが変わっていくということはありえな 一81一.

(12) いと思うのです。.  それなのに、コールバーグという人はそこを考えていなかった。一人ひと りの発達段階が上がればこの社会は変わるだろう、よくなるだろうと考えた。. しかし、ジレンマの授業を何回も何回もやって確実に一人ひとりの考え方が 変わっていったのにクラスは変わらなかった。つまり、クラスの中で暴力沙 汰が起きたり盗みが起きたりというような問題は減らなかったというのです。  だから、ある校長先生がコールバーグさんのところへやって来て、「どうし. てくれるのだ。あなたの考え方はおかしくないか」、「先生たちが一生懸命 やってくれたのに、これは先生たちのやり方が問題だったのではなくて、考 え方が問題ではないか」というふうに迫ります。それから、さっきハーバー マスというドイツの人の名前を出しましたよね。コミュニケーション的行為. の理論を作ったという人。この人に同様の批判をされます。コールバーグ3 というアメリカ人は、非常に誠実な人です。これを認めてしまいます。「そ うなのだ。やはり。」と。それで、この考え方をやめて、ジレンマの授業も やめてしまう。そして、どうしたかというと、新しい道徳教育の考え方を提 案したのです。.  それを「ジャストコミュニティ」と言います。正義にかなった正しい社会 をみんなで作り出していく取組を道徳教育にしょうと考えるようになりまし た。学級が変わっていくことで、一人ひとりが成長していく。つまり、学級 づくりをきちんと進めていく取組をすることによって、一人ひとりが成長し ていくと考えるようになったのです。  私もその方が正しいと思います。.  なぜならば、子どもたちの道徳性と生活の在り方は、コインの裏表だから。 コインの社会性の部分がまずあったのです。それが基盤になって裏側の自分 という部分が、意味を持つというか、これがあったわけです。だから当然、. ハーバーマスの批判によってコールバーグが考え方を変えたのは、当然のこ とだと私は思っております。.  われわれは、18世紀以後の近代社会の常識的な考え方に振り回されている。 常識化している部分こそがむしろ問題なのです。近代社会や近代教育といっ たときに、先ず思い浮かぶのがルソーという人の『エミール』ですが、エミー. ルという少年は、大人に成長して都会に出て行きますが、都会に出て大変な ことになる。あの『エミール』の続編の中でルソーはこのことを正直に書い 一82一.

(13) ております。ルソーには分かっていたのだと思います。子どもの教育を、家 庭や社会から引き離して行うことはできないということを。それで、ペスタ ロッチーという人は家庭というものを一つの学校の教室のモデルにするべき だと考えたのではないでしょうか。.  一つの良い家庭を作っていく。親と子が話しながら子どもの成長に従って 親も成長していって、良い家庭ができる。そうすることで、子どももきちん と成長発達を遂げていくことができる。学級もそうです。学級も、一つの団 結したまとまりを持った一つの社会にふさわしい学級にしていくことによっ て、一人ひとりが確実に自分を変えていこうという動機i付けになっていくの だと。.  それなのに、近代教育の展開の中で、それがいつのまにか変わったのです。 その理由は、それを追求していく実行していくような基本的な戦略みたいな ものがなかったからです。ようするに、私は、いつも思うのですけれども、. このコミュニケーションや話し合いの理論みたいなものがきっちり作り上げ られてこなかったので、結局は個々人という方向に流れてしまったのではな いかと。. 8 道徳授業の開発Il一中学校3年生一 8.1 『缶コーヒー』の資料概略.  そこで、次は中学校なのですけど。中学校でどういう授業をしたらいいの かということになります。.  かつて、上のような考え方から、東京書籍の副読本の中に「缶コーヒー」 という資料を入れました。その指導案を先生方ごらんになったことがあると. 思います。3年生の副読本に出ていますので、3年生の先生はご存じだと思 います。電車の中のある場面を描いた資料があったので、それを参考にしな がら、修正してこういうお話を作りました。.  中学生の女の子が定期試験の日だったので、電車の中で、数学の復習をし. ていました。そしたら、目の前に若いOしの女性が座って、缶コーヒーのふ たをあけて、それを窓枠のところにぽんと置いて、今度はパンを食べ始めた のですよね。.  電車は動きますのでブレーキをかけたりカーブのときなんかは缶コーヒー 一83一.

(14) が動きますよ。そして、缶コーヒーが落ちますよ。「ちゃんと手でもってく ださい」と、小さい声で言うのですけれども、ヘッドホンをして大きな音で 音楽を聴いているので、当のOしには聞こえないわけです。  そのうちとうとう缶コーヒーが落ちて、女の子にコーヒーがかかってしま います。それでスカートが汚れちゃいます。「あらごめんね、電車が悪いか らよ」と、この女の人は言ってしまうのです。そのうちに、駅に着いて、そ そくさと女の人は出て行ってしまうのですけれども。.  そこで、隣iにすわっている顔見知りのおばさんが「あなた、しっかりしな さいよ」と、いうふうに言うわけです。.  そして、「あんな人が増えていったら、この社会はどうなるのだろうね」 という嘆きの一言を最後に言うわけです。 8.2 資料の中心課題.  これを使って子どもたちに考えてもらおう。つまり公徳心とか「4一(3). 社会連帯の自覚」とか、あるいは「4一(2)遵法・権利・義務・社会の秩 序と規律」というようなものがありますが、それを考えてもらおうと考えま した。.  そして、それを考えていく指導案展開過程を作りました。一番の主発問は 指導案の③のところにあります。女性の様子を見ていた隣のおばさんがどう して怒っているのだろうか。これですね、おばさんの言葉をきちんと考えて いくのがこの中心的な発問であり、中心的な課題ということになるわけです。 8.3 授業展開の工夫.  ところが、これをぽんと最初から投げ込んでも、子どもたちにはなかなか 考えにくいので、まずはその前にディスカッションをやらせようと、こう考 えたわけです。.  それで、ジレンマ的な部分を設定して、そうしてそこで子どもたちを二つ に分けます。その中で、他の人達の意見も聞きながら、自分の意見も少しで もより深めていけるような話し合いをしてもらいます。.  そこで話し合いをやって、初めて③番目のあの主発問をじっくり考えてい く事ができるのではないか。あるいは、その話し合いを入れることで、主発 問による思考が薄っぺらなもので終わるのではなくて、深くなっていくこと ができるのではないかというのが、この資料の工夫なのです。  展開の工夫というところです。よろしいでしょうか。 一84一.

(15)  そうすることが、実は第1ラウンドでお話しした「統合」ということにな りはしないかということでもあります。あg)小学校3年生の授業は、2時間 使って決着をつけていく話し合い活動を授業の全体でやったのですが、それ も大事、そのやり方もいいと思うのです。同時にそれだけではなくて、今ま での授業の展開の中に、一部分話し合いを挿入して、ジレンマ的な話し合い 活動を10分でも15分でも挿入して、その後の主発問による価値の自覚を深め る話し合い活動を活性化していく工夫を行ってもいいじゃないかと考えたの です。.  こういう使い方もあるのではないでしょうか。 8.4 資料作成上の留意点  もう一つの理由は…。.  中学校の先生方、全国の中学校の先生方には、討論によるやり方には実は 期待があると共に、難しいという抵抗感みたいなものがあるように思えるの です。つまり、はっきりとジレンマ的な授業とか、新しいタイプの問題解決 型の渡邉方式の授業は、もう突然にぽんと投げ出したら、混乱してわけが分 からなくなってしまうのではと心配もしています。.  だから、多少、全国の先生方の大事にしている、心情を問うような授業の 展開をベースに置いて、しかし、それではどうしょうもないわけですから、 そこに議論の部分をはめ込んでこういう展開にしたら、先生たちに少しは小. 学校3年生でやった授業が持つ意味みたいなものを考えて頂けるのではと 思っているのです。.  じゃあ、そのことがきちんと理解されているのか…。されていないのです よ、これが…。.  実際、何度も多くの先生方から指摘されましたよ。「おばさんこそ問題な のではないか。」隣にいるのだから、おばさんが注意してやればいいじゃない か。こういう意見がたくさん出ました。  私はそうではないと思っております。.  それは、誰かに頼ってしまうという現代社会のわれわれの困った問題でも あると思います。つまり、問題が起きたら、行政がそれを解決するべきだと 考えてしまう。誰かやるだろう。自分の問題ではないと考えてしまいやすい 傾向があると思うのです。.  先生方も子どもたちもそれにどっぶりとっかってしまっているからではな 一85一.

(16) いかと、私は思っています。やっぱり正しい正しくないをきちんと考えると いう課題は、学校の中に歴然としてあるわけです。「おばさんが、ちゃんとや. ればいいのではないか」ではなく、みんなの問題なのです。それは、おばさ んの問題でもあるし、女の子の問題でもあるし、教室で読んでいる私たちの 問題でもある。ということなのです。  だから、実際に授業をやられる場合は、その点に注意して、「おばさんがや. ればいいのに」と、子どもが言ったら、それは先生が、「いや、これは誰の 問題なのだろう。この場合それで解決できるだろうか」と、切り返しをして、 生徒がそういう方向に向かわないように、是非注意して頂きたい。  次回の改訂の際に指導書には、注意書きを入れて、「おばさんだけの問題に してはいけませんよ」と、いうふうにしたいと考えています。 8.5 モラルスキルトレーニング.  それから、いろんな工夫があります。今、話し合い活動の話をしたのです けれども、「缶コーヒー」では、もう一つ資料の後にエクササイズを置いて います。.  モラルスキルトレーニングと言っています。これは、構成的グループエン カウンターで行われているものとは、ちょっと違いまずけれども、ロールプ レイングを使った活動をそこに入れています。「こういう工夫もできますよ」 と、いうことです。.  「実際にやって見ようよ、どうしたらよかったのだろうか」と、子どもた ちにやってもらうわけです。実践力という話をさっきしましたけれども、実 践力は「かまえ」といいましたけれども、「かまえ」だけでは不十分なこと が多いようです。練習に取り組んでいくことも必要かもしれません。仮想的 なことがらでもいいから、練習に取り組むことでスキル的なものを多少意識 しながらやることによって、「かまえ」も、よりしっかりしたものになって いく。このような考え方に立ってこういうのを入れてみました。  一方で、ちょっと別の観点からの理由もあります。  つまり、指導書に丁寧にいろいろ書いているのですけれども、資料を使っ て、授業をしない先生もいるのです。.  そもそも、全国には資料を使った道徳の授業をちゃんとできない先生もい るのです。じゃあ、ロールプレイングだけでもやれば、資料を読みますし、 子どもたちも考えるわけです。指導案の展開にしたがった授業をしなくても、 一86一.

(17) これだけやってもいいじゃないかと。.  それをちゃんと、1時間あるいは2時間やれば、道徳の時間の授業につい ての先生方の消極的な姿勢も変わってくるのではないかという思いもあって、 ちょっとやりやすいようなものも入れようということです。. 9 道徳授業の開発llト中学校2年生一 9.1 資料改作の手順.  もう一つ、最初に申しましたけれども、「父の仕事」という資料を使った 指導案がありました。あれをちょっと出してみて下さい。.  これも、さっきの缶コーヒーと同じような工夫を使っています。  そういう工夫を入れることによって、体験活動、子どもたちが別のところ で行った職場体験(職業体験)のあと、そこで体験したものを道徳の時間に 深めていく。道徳の授業づくりあるいは展開づくりに、きちんと効果的なも のを行っていくことができるだろうということで生まれた工夫なのです。.  本校の紀要の方に掲載されていると思います。指導案はそっちのほうに 入っています。.  ここで何をやったかと言いますと、まず、資料の改作です。資料ですが、 「父の仕事」というのは本日の資料の最後に先生方にもコピーを入れており. ます。こんなに長い。7ページです。今時の中学校2年生は、こんな長い資 料を読んで自分を振り返るというようなことができるか。やっぱりできにく いですよね。.  そうするとこれをちょっと工夫して短くしていく。ただ短くするのではな くて、このミニチュア版を作るわけです。だから必要な要素はきちんと残し ながら、いらないと思われる周辺的なものは、ばっさりと削除していく。そ ういう短縮の努力をして、資料づくりを行ったのが工夫の一つです。さらに、. この授業づくりでは、展開に工美を施しますから、それに合わせて改作を 行っております。. 9.2授業展開の工夫  授業づくりをしていくときに、当然展開の工夫も考慮しながら考えていき ます。体験活動を踏まえて、子どもたちが活発に自分の体験を思い起こしな がら、この資料に即して考えていく。 一87一.

(18)  話し合いを行っていくことができるためには、普通のオーソドックスな道 徳の授業、「主人公のその時の心情はどういうものだったでしょう」と、問 うような授業では深めることはできない。そうすると展開に大きな工夫を施 す必要がある。.  よく資料を読んでみると、主人公が仕事をやめようか、やめまいか。親の あとを継ごうか、継ぐまいか悩んでいるところがあります。そこの部分をジ レンマ的な対立点の設定として生かしていけばどうか。.  そして、このお話は、最後の結論まで書かれています。その息子はお父さ んの跡を継ぐことを決心します。そしてお父さんと一緒に店を切り盛りして いく場面で終わります。この資料を使った普通の授業というのは、主人公が そう判断したときの心情や思いをみんなで追求していくことになるわけです。  そこで、その部分も残し、二つの資料を作ることになります。やめようか どうしようかと迷っている部分を一つ資料①として作って、いろいろ考えた あげくこの主人公が、父親の店を継いでいく。その決断をしている部分を資 料②として、作っていくのです。.  そして展開に応じて、その二つの資料をそれぞれのところで使っていこう という考え方をとっています。.  むしろ、そういうふうにすることによって、展開がやりやすくなっていく のではないかと、指導案作成者は考えているわけです。. 9.3つかむ・考える・深める・見つめ直す  それは当然です。実は私のゼミの人ですから…。兵庫教育大学の大学院に 来て、道徳教育の研究をして、福岡県に帰って三国中学校で実践をやってい る人です。今まで先生方にお話ししたこと、これを作った人は確実に実行し ているということです。.  そして展開のところを見て頂きたいのですが。展開の全体を、「つかむ」 「考える」「深める」「見つめ直す」の4段階で設定する。展開の中心部分を 二つにわけています。「考える」と「深める」の部分です。  「考える」の部分で対立点を設定して、親の後を継ごうか継ぐまいかと葛藤. しているところをここに位置づけます。そして、子どもたちに主人公はどっ ちにすべきだと思うかと問います。.  そして、働くことの意味を、子どもたちは、対立点がはっきりした話し合. いの中で、じっくり自分なりに見つめ直していくという作業をそこでおこ 一88一.

(19) なっていくわけです。.  それはオープンエンドにします。結論は出しません。.  ひとしきり話し合いをやったところで、今度は話し合いの舞台を変えて、 もう一つの資料を示して、どうして主人公はこう決断したのだろうかと、子 どもたちに発問します。これが中心発問です。.  これを投げ込むことで、前のところで子どもたちはある程度自分の考え方 を整理しておりますので、これは活発な議論になっていくということになる わけです。.  つまり、文字通り深まりを生み出す話し合い活動を、こういうふうに設定 することによって、達成していくことができるということになります。  そして、最後に「見つめ直す」で、子どもたち自身が書いた感想文あるい は体験させてもらったところにお礼状を書きますよね。そのお礼状の中に体 験したときに思ったことが書かれています。それを、みんなに戻して、それ を使いながら今日学んだことを踏まえながら、もう一度一人ひとりが自分の 体験の中で学んだこと、そこで気づいたことを見つめ直していくことになる わけです。.  これはある意味では完壁な授業だなと思います。まあこういう授業をする ことで、体験活動と道徳の授業をきっちりつなげていくという、かなり難し い課題が達成できるということです。それは、体験活動そのものを、実は子 どもたちの中にきちんと位置づけていくことにもなるのではないかど思いま す。.  それが、ちょっとした工夫で実現できるのです。そのためには、基本的な. 考え囲みたいなものがなければいけませんが、実際にやっていることは ちょっとした工夫なんですよね。.  そういう工夫をすることでまるっきり違った深まりのある授業を作ってい くことにつながります。.  資料の後ろの方に振り返りアンケートの結果、働くことに関するアンケー ト、前と後にやったアンケートを比べたものも表になって出ていますが、そ れを見ると確実に子どもたちは変わっています。この授業をすることで、体 験をしただけでは変わらないものが、この授業をすることによって大きく変 わっている。そのことがよくおわかりだろうと思います。.  次のところには、生徒の最後に判断した、その理由みたいなものも、具体 一89一.

(20) 的に一部分ですけれども出されています。読んでみれば、よくおわかり頂け るだろうと思います。.  その時にその授業を参観された先生方の感想も出ております。これら一つ 一つの感想・意見はとても納得のできる意見だなと思います。.  こういう授業を工夫の一例としながらやってみてはどうでしょうか。この 授業はそれほど難しいものではないのではないかと思います。こういう授業 をすることによって話し合い活動を活性化させていくことが可能になります。. おわりに.  今日、午前中から長時間にわたってお話しして参りました。ずいぶん乱暴 なことも述べてしまいましたが、はじめに挙げた今日の子どもたちの四つの 課題は、これまでの道徳教育、道徳の授業では対応が困難であると思います。 それを実現するためには、これまでの考え方を見直し、事柄の本質に従いな がら全く発想を変えて、道徳の授業を支える理論的な部分を再構成すること が必要ではないかと私は考えております。それは部分的な、技術的な改善で は困難な取組だとも考えております。とは言え、今日ご紹介した理論や授業 実践例が完全だとも考えておりません。まだ未完成で途上のものだと思いま すが、本校の取組にこれを加えていただき、一つ参考にして頂ければと思っ ておりますと同時に、その結果もお知らせいただければ、また見直し改善を はかって参りたいと考えております。  長時間にわたりご静聴ありがとうございました。. 参考文献  講演に関わる私自身の書いたものは以下の通りです。 1.林忠幸編(2000)『新世紀・道徳教育の創造』東信堂。. 2.渡邉満ほか(2001>「コミュニケーション的行為理論による道徳教育基礎理論の探  究(2)一自己形成的トポスとしての「教室という社会」の再構築一、『兵庫教育大  学研究紀要』第21巻。. 3。同(2002)「自己形成的とポストしての「教室という社会」の再構築、教育哲学会  編『教育哲学研究』第85号、20Q2。 4.押谷、諸富、渡邉編(2000)『生き生き「道徳の時間毒東京書籍。 5.村田昇平(2003)『道徳の指導法』玉川大学出版部。 一90一.

(21) 6.山崎英則編(2003)『教育哲学のすすめ』ミネルヴァ書房。. 1 このことについては以下を参考にしてください。平木典子(1993)『アサーション  トレーニング 一さわやかな「自己表現」のために』日本・精神技術研究所。. 2 このことについては以下を参考にしてください。河村茂雄(2001)『グループ体験  によるタイプ別!学級育成プログラム ーソーシャルスキルとエンカウンターの統  合 中学校編』図書文化社。. 3 このことについては,以下を参考にしてください。岩佐信道(1993∼1994)「コー  ルバーグの道徳性発達論と道徳教育」『道徳教育』連載,明治図書。. 一91一.

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参照

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