Posted at the Institutional Resources for Unique Collection and Academic Archives at Tokyo Dental College, Available from http://ir.tdc.ac.jp/
Title
震災から学んだ「決断する」ということ
Author(s)
佐藤, 陽子
Journal
歯科学報, 112(2): 149-149
URL
http://hdl.handle.net/10130/2737
Right
未曾有の被害をもたらした東日本大震災から1年以上が過ぎた。今,あらためて当時を振り返ってみると, 誰もが刻々と変化する局面ごとに決断を迫られていたことが思い出される。 宮城高等歯科衛生士学院は仙台市内にあるが,震度6強の揺れにより天井や壁の一部が崩壊し,柱には亀裂 が生じた。建物内にとどまることは危険と判断し,90名近い在校生を屋外へ避難させた。避難経路の確保と過 呼吸で動けない学生の搬送では,教員間の連携が大きな力を発揮した。指定避難所では,次々と続く余震に怯 えながら状況の把握に務めたが,沿岸部の津波による甚大な被害が明らかとなり,交通機関の完全麻痺という 深刻な状況を知った。そこで帰宅困難な学生は学校周辺に居住する学生宅に避難するよう指示した。固定・携 帯電話回線が機能しない状況下,インターネットを用いて互いの安否を確認した。 震災後は授業再開に向けての日程調整を行いつつ,津波等で被災した学生への学費支援を決定し,新学期開 始に周知した。在校生および新入生で津波により家屋が流出した学生が9名いたが,全員が学校生活を継続し ている。 一方,震災から1カ月を過ぎたころ,被災地では口腔衛生状態の悪化が問題となった。その現状を知ること で,歯科衛生士として何ができるのか学生に伝えるべきことがあると考え,他の教員とともに被災地を訪れる ことを決めた。自衛隊の給水車は来ているものの,避難所では生活用水が不足し,歯ブラシはあっても満足に うがいもできない状況だった。歯の不具合を聞いても何も困っていないと答える方が多かったが,歯磨きをし て差し上げるというと,子どもからお年寄りまで,たくさんの希望者が集まった。 本学の卒業生たちは,それぞれの場所で自らの役割を果たそうとしていた。南三陸町志津川病院は4階まで 津波に襲われて孤立したが,歯科衛生士として勤務していた卒業生は速やかに屋上に避難して SOS の文字を 作ることで助けを求めた。歯科診療の再開に際しては,学生時代の教科書を読み直しながら,準備できる器材 を活用することで治療が行える環境を整えたという。今何をすべきかを常に考え,意思決定を行い,行動する 習慣が役に立ったと話してくれた。 失ったものの大きさに押しつぶされそうな日々であったが,あの大震災の経験から教員として,歯科衛生士 として,そして一人の人間として学んだことを,決断を重ねていく大切さをとおして報告させていただきた い。 ≪プロフィール≫ <略 歴> 1983年 宮城歯科衛生士学院卒業,歯科診療所勤務 1997年 多賀城市役所健康長寿課勤務 2001年 宮城高等歯科衛生士学院専任教員 2003年 宮城高等歯科衛生士学院教務主任 2007年 東北大学大学院歯学研究科修士課程修了 口腔 科学修士 <役 職> 日本摂食・嚥下リハビリテーション学会評議員 <著 書> 佐藤陽子(編著):歯科衛生ケアプロセス.医歯薬出版, 2007 佐藤陽子(共著):歯科衛生のための摂食・嚥下リハビリ テーション.医歯薬出版,2011