昭和七年十月白根山噴火報告
草津白根山は本年(昭和七年)十月一日午後一時五十四分噴 火し群馬豚下に多量の降友を見たと'とは営時の新聞の等しく報 じた庭で噴煙は其後今日迄品川ほ断たや長野市よりもとれを望む ととがある。余等雨名はとの噴火の跡を踏査すぺく同月十九日 長野を裂し山間温泉を荏て同夜は寓座温泉に一泊翌二十日寓座 を裂して白根山を調査し同夜草津に下山した次にとの踏査の結 果 を 叙 す る 。 一、活動の場所 草津白根山は昭和二年十二月噴火して湯釜の北壁下に細長き 濠を作り叉その南東壁には数僚の大趨裂£多数の小亀裂とを生 じ湯釜の水位は約一四米の低下を来してその南東壁外に揖氏八C
度の熱泉を涌出するに至ったと左は翌昭和三年六月廿六日の 梶間五味の踏盗により報じた庭である。(気象集誌昭和三年第十 長野測候所長 日 i d i Hl夫 樹
百
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目
一 披 四OOi
四O
八頁)倫ほ営時は天候に踊されてその存在を 充分明かにすると・とが出来たかった空釜及湯釜の北西壁土端に 沿ひ長さ約四OO
米の顕著たる亀裂を生じたのである。 今岡の活動も亦湯釜を中心として行はれその東北部水釜との 境の壁下・と‘又その南東に接し湯釜の東壁の内側下底とに大な る孔を生じた、目測によれば、その長さは前者は約六O
米後者 は 八O
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米位で幅は何れも三O
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四O
米位である。孔の北 東側は一は水釜に接した断崖、一は直ちに湯釜の東側の壁をた した高い絶壁であり南西側は僅かな低い岩壁を隔て L 湯釜の水 面に接して居る南東の大孔の南東端から愛した大亀裂は南に伸 びて湯釜の南東壁を斜断し前向の湧火に熱泉を涌出するに至っ た附近迄達して居る 0 ・との延長約四OO
米でとの大鐘裂に沿ひ 一 二 ( U │ 四O
米を隔て L 、略等間隔に径一ーー二米の十個飴の噴気 ゴL 五孔が一列に並び噴煙して居る様は誠に批観である、是等噴気孔 の中には既にその精力衰へて噴煙を絶ちその跡に水の溜りたる ものもあった。以上が今岡の噴火に於ける変動の最も著しかっ た庭だ二個の大孔と大亀裂'とは略一直線をなし東側に凸面を向 けて少しく管出して居る、此の外小愛動を禦ぐれば湯釜の北西 壁の下底(前同噴火にて納長い溝を生じた所﹀も倫ほ相営噴煙 し居り又湯釜の東部及南部の岸壁下にも現に瓦斯を噴出し居る 所や就にその噴出をやめた形跡が所々に見えるその南岸(鴻の 東部)には汀線に沿ひ長さ二
OO
米に近い税大友る趨裂を生じ 将に湯釜に向ひ崩壊せん主ずる欣態である、叉前記の噴煙せる 大鐘裂の南部に並行してその西側に柏著しい一裂線がある、水 釜の南々束壁外前向の調益附面にパイ)'と記した遅から湯釜の南 壁外の前同の調査附固に(ホ)左記した漫迄多数の破砕された岩 石(経凡そO
、七米以下﹀左泥土'とを噴出して居る。 此の外出益釜の南岸には是迄相山口同噴煙したらしき跡があり今も 命ほ少量の煙を見又その中央部より精北に寄り二箇所許り銀頭 B 形に泥を堆積して噴出の跡を止めて居る、芳ケ平よりの登山道 の街営りの山の中腹水釜より北方に二OO
米位距れた場所に少 量の噴煙を見る、是江田疋迄見・なかったものでとの前同の噴火に ' u-、
イノ﹂ノ 湯釜空釜の北西壁土に出来た大裂紋の延長上に営って居るらし ︿思はれる。 二、湯釜ω
水位愛化 LC 壁外熱泉の停止 湯釜の水位は前同の噴火により一四米の低下を見たが今同は 好遁の目標を後見するとと不可能であった魚めに測定が出来な かった打見たる所更に多少の低下を見たるは確かなれどその程 度は五米作遣し・ないであらう、寓座温泉常盤館主人中津君の語 る庭によれば数丈の低下を見たん﹂一疋へど自分等には程度は夫程 には忠はれない、或は昭和二年の噴火で一旦減水したものがそ の後徐々に同復今岡の噴火により又減水したものかも知れな い、その水温は直接測定すると之が出来なかったが水面から 幾分蒸気の立昇る所より察するに微温湯程度であらう、南東部 では底部より噴出して出来た泥土の土銀頭が水面上に現はれて 尽り湯釜の水 i 深は現今は僅かに二、三米か四五の程度で今少し の減水で全部澗渇するではないかと云ふ感じがする。 前向の噴火に於て湯釜の南東壁外湯釜の中心から凡そ四00
米余の箇所に涌出するに至った温度掃氏八O
度。熱泉は今岡 の噴火の前迄引績き多量に涌出し草津に引湯の計書一で既に共の 工事中であったが今同の噴火で全く澗渇するに至った u三、噴出物 岩石の砕片噴出された岩石は噴出前迄熔融欣態にあった岩 跡あるものは全くたく何れも地表附近を構成して度た堅き岩石 の破砕し噴出されたん﹂思はる L もので主として水釜の南東壁の 外側から湯釜の南東壁の犬裂線の少しく西に至る聞に最も多く 分布し大きさは径三
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糎上り七O
糎程度のものが多い湯釜の北 西壁土には殆んど是を見や南東方は湯釜の中心から大凡五00
米位を限度としてその内に分布して居る主主して前記二個の大 噴孔を生じた時に共庭から噴出されたもの k 様である、西方は 湯釜祭釜の境界線北東は水釜附近迄でその分布区域は甚だ狭小 で あ る 。 泥 土 及 ・ 一 火 泥土も次も結局同一物で潤へば黒色を呈し乾燥し たるものは友色で充分に水分を吸牧すれば泥溶と友って若しと の中に鰭み込め.はその深きに臆じて膝迄でも腿迄でも浸してし まうがとれが乾燥すれば廻化して下端に銭の尖端を有する登山 杖を突立つるに相官強力を要する程度となる、 A A れが単に地上 に噴出されて共庭に堆積し又は流れ出したものは泥土で粉欣を なし空中に噴き揚げられ再び地上に降下したものが友である。 (二目安山した東京朝日新聞記者が溶岩の小川左記したのはこ の泥土の流九邸ち泥涜を一去ったものであろう) 泥土は湯釜の部分水釜の南東壁の中央部以南湯釜の南方壁に 至る迄の壁土には彩じきその流れを見る。とれ等は主としてそ の壁の地下より噴出したもの左忠はる L も湯釜の水底より噴き 揚打たる泥土もあるかも知れたい。 会釜の西壁より王南に一一線を却し芳ケ平より一止東に一線そ劃 して前者の北端 ξ 後者の西端を引伸して甘く曲げ連絡せしむれ ばとれによって包まれたその南東側が犬鰻降友直城主在る、印 ち湯釜を中心主してその西方は降次区域近々五六百米以内で友 の萱も少︿北方北西方は深き所にて二糎に近く南東方に於ては 柏多く湯釜の東壁を外側に降りたる附近にて三糎内外であろ う。夫より南東に遠ざかるに従ひ漸弐降友量を減ビ草津町では 尾根や地上を漸︿補ひ議す程度であった ' Y﹂ 一 五 ふ 、 ム ん も 降 次 は 一 日午後一時五三分の外四日午後二時半頃にもあり山上ではとの 外にも少量の降友は数度はあったであろうから、既に述べた降 友直域を以て直ちに一日の噴火の降友院域を見ると之は出来・泣 いが一日の降友が最も多量でありその区域は前述のものより損 がって居なかったと主だけは確賓である。 噴畑今岡踏益の際には前記大鐘裂に沿ふた一列の噴気孔か 九古ら盛んに噴畑しその中で鍾裂線が湯釜の壁を将に越えん左ずる そ の 外 側 に 於 て 最 も 旺 盛 に 一 耳 目 を 立 て L 噴畑して居り水釜の南東 壁の外側(前向調蜜増告の附固に(イ﹀左記した附近﹀から犬裂 線迄の間は地上一面に小噴畑の立昇るを見た、との裂線に績く 湯釜東壁内側の犬噴孔の底には既に少量の水を堪えて居るがそ の南東隅の側壁からは盛に噴畑じとの北東にある大噴孔の底部 は見ると之を得・なかったが今はとの内部からは全く噴畑を絶ち 湯釜北西壁の下底からは相営多量の噴畑があった。此の外湯釜 の南東部の汀線に近い水中及南東壁の内側の所々塁釜の南壁の 内側壁下水釜の北方二
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米許の中腹等に小噴姻を見たのであ るが、前記中津君の云ふ所によればとれ等の噴畑の旺盛た箇所 は日により常に移動するーと云ふ、今同会等の撮影したもの主他 の二三氏の撮影した局員とを照合するも明かにその還り消息を 覗 ふ と ー と が 出 来 る 。 一日の噴火後十月末迄長野よりも屡3
七の噴畑の高く昇騰す るを見たがとれは上陸の風の弱いか或は南東風の場合等であっ て勿論噴畑の相営多量の時には建ひたいがとれを以て特に強く 噴 火 し た ・ と 見 る は 営 ら 伝 い 。 加、噴火む音響在地動 九 e 凡 噴火の爆忌日は本所の調査の結果によれば長野勝下にては下高 井郡後補温泉(平穏村)小勝郡菅平(長村)北佐久郡御牧ケ原(川 遅村)等で微かに爆一音らしきものを聞いたが湯釜の西方二粁徐 にある寓座混泉にては全く一音響を聞かやノ(此庭にては地震も感 ぜや降友もなく山上よりの避難者により漸く噴火を知ったι
云 ふ、草津へ下山の途中湯釜の東微南に営り、とれより直線に三 五粁を距りたる所にて近頃建築された、山楽園左稀ずる放館が あるその主婦の一語る所によれば肝庭にては一日噴火の時は飛行 機の如き音響は聞きたるも﹁ド l ン ﹂ 左 云 ふ が 如 き 一 音 響 は 聞 か 宇 左云ひ、草津町にては何んだか爆一音らしきものを開きたり左云 へど、その蓬粕陵昧である故にとれ等の一音響は爆一音よりは寧ろ 鳴動が大であったものかも知れ宇、斯の如き二大噴孔左大鐘裂 ・とを作り相営量の岩石を破砕してとれを弛出したのであるから その際会く爆音が無かった ξ 考へられないがその案外に低音で あったと左は間遠ひたき事賓の様である。 山の近くの(噴火の現場では感じた筈であるがその外の)地 では未だ地勤を感じたものあるを聞かたい、唯々長野の﹁ウヰ l ヘルト地震計は一日午後一時五三分四一秒より板微動を感じ 同五四分二五秒に至って会振幅二九ミクロンの大たる地動を措いて居、る白根山から長野迄の距離は三二粁であるから今同の噴 火は午後一時五三分三五秒か或はそれより少し前に噴火を開始 しその勢,次第に加はって同五四分一九秒頃に強い爆禁・となった も の ξ 忠はれる命ほ追分の微動計に感じたとの地動の全振幅は 四二ミクロンであった、昭和二年十二月の噴火の際には長野の 地震計は地動を感じたかったのに今岡はとれを感じた難かられ 見ば今岡の噴火が前向より遥かに強烈であった、採に考へられる が現場観察の感じは、前向 ξ 大した差遣がたい。 五、噴火の前兆 湯釜の渚の部分は地下に硫黄の沈澱が幾重にも居をなして堆 積し居り牲時よりとれを採掘して居たものであるが現時は某製 剤命日枇に於て多数人夫を使役しとれを採掘して居るのである噴 火前是等人夫は二九名あった ξ 云ふ事で彼等は夜間は湯釜
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中 央より南西に六OO
米許距りたる火口外の小合に宿泊して居た のであるが一週間許り前より夜間飛行機の爆音に似た音響を地、 下に聞くとと屡主であったーと云ふ、恐らく霊間は諜取出来たい 程度。弱い鳴動が時々・あったのであろうとれが矯め人夫中には 噴・火の恐怖より下山を主張する者を生じ迭に一日朝に至りその 中三人は決然他の同僚主別れ高座山間を経て下山したーと云ふ、 との外噴火前湯釜の水が念に減じたと云ふ話あるもその時期等 明かでたいから省略する。 六、被 害 寓座源泉よりは約一時間で白根山の山頂に達する、晴天の日 は高座混泉の溶客の登山する者が少くない、此日も十数名の登 山者があった模様であったが、噴火時刻が精遅かった鴬めにと れ等登山者は大抵下山の詮に就いて居た矯め幸に死傷者を出さ なかったん﹂云ふ、唯前記製剤舎祉の人夫二六名中の或者は湯釜 の渚部に於て採掘中であった震めとの噴火に遭ひ二名は印死し 三名は重傷を負ひ翌二日草津町から登山した救援隊により同町 に搬下された左一五ふ、即死者は岩石の落下による左云ふが重傷 者は何れも外傷によるに非宇して瓦斯による呼吸器の傷痕であ る ル ﹂ 云 ふ 。 製剤命日祉人夫の起臥する室釜南方壁外の小合は殆んど降友さ へも被ら中損傷はないが向命日祉は近時湯釜の渚部南西隅に二棟 の作業場を建てとれより一直線に草津停車場側迄索道を設け (との工事は本年六月竣工した主云ふ﹀て居るとの作業場は勿 論多少の友を被り柾葺屋根は所々降下した岩片に打抜かれては 居るが損害は大した事ではたい、その北西・少許ρ
の所にある白 九 九根一岬祉の小一刷は少量の友を被ったのみで何等の損害がたい。 前向の噴火により涌出し始めた熱泉の湖渇したととは前述の 通りであってその引湯工事が既に可?なり進渉して居た模様であ るから人命の損害を外にしてはとの損害が案外大であらう M 七、温泉温度の翻測 登山の途中七味温泉主高座温泉主に於てその湿度を測定した から弐にとれを前同の観測と比較封照して掲げる。観測の方法 は前向主同じく。体欣寒暖計を涌出口に挿入して測った D で あ るから度の小数位は和不正縫の嫌があるのは己むを得たい。 七味温泉の湿度 上方より 第 一 第 二 第 三 俸 四 昭昭三年六 月二十四日 月昭 二 和 十 三 四年' 日ハ 同七年十 月十九日 同七年十月 十九日 均 七 六 五 六 回 ・
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七 0 ・ 一 ニ 六 0・
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五 問 ・ O 四 八 ・ 六 六 九 ・ 八六 ニ
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五 五 ・ 八 四 四 ・ 八 五 0 ・ 三 六 一 ・ 一 五 四 ・ 一 平 第 第 第 三 0 ・ 四 四 一 ・o
五 五 ・ 五 五 六 ・ 五 平均の上に於ては一・四の上昇であってとの程度の礎化はこ の温泉が涌出量の極めてー少量である震に浅居地湿の竣化に影響 される主云ふ考で説明もつくが第一涌出日は一ニO
、 四 が 四 問 、 八 ・となって一四、叫度の上昇を示し第五涌出口は六四・O
が四八六 で あ る 。 ル﹂なって一五、四度の低下を示して居るのは注目に値するとと一
O O 第一固 第一園 高座温泉の温度 姥 昭 和 一 一 一 年 六 月 二 十 五 日 湯 八 九 ・O
湯 湯 附 岡- t
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同七年十月中 l 九 日 八 九 ・ 五 苦 七0
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七 三 ・ 八 生令 九 四 ・O
設 明 昭和二年十二月の噴火により生じたる裂線 同 噴 火 に よ り 生 じ た る 熱 泉 同 噴 火 に よ り 生 じ た る 噴 気 孔 列 の 跡 同 噴 火 に よ り り 生 ヒ た 濠 同 噴 火 に よ り 生 じ た る 大 裂 線 製剤曾祉の出張所(人夫等の起臥する所) 同 所 作 業 場 同一位索道(採掘せる硫黄を草津に輪選) 昭和七年十月一日噴火により生口た大噴孔 同 大 亀 裂 線 同 小 亀 裂 線 現在噴畑せる箇所 ノ 噴 出 の 跡 を 遺 せ る 場 所 中の﹁ツ﹂の大噴孔を南から見たものが第三園右端の孔南西より ィ 、 ロ 、 ハ 、 ‘ 、 ホ 、 へ ト テ 、 リ 、 ヌ lL ヲ 1 ワ ヨ タ MTI レ ソ 、 ツ ネ ー ナ ラ 、 ク ム 、 ゥ 、 牛 、 ャ国 略 国 近 頂 一 山 , 山 第 根 白 津 草 O o 100 200 JOO 400 $00 m.
O 見たものが第四国中央の孔蓮く西南西より見かものが第五園中央より 梢右に偏し最も多く噴姻せる孔四方から見たもの第六園中央の孔北西 より見たもの第七園の遠き方の大穴(底に少量の溜水がある) 第一国の﹁ソ﹂の大噴孔南方より見たもの第三園の中央(その手前汀線 近くに少量の噴姻見ゆ)西南西より見たもの第六園左方の大穴(その 中央に一の隔壁がある)第七園中の逗く椅に黒く見ゆるものこの孔の 上部である。