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テレビ番組におけるバラエティ番組の分類 : 成長期

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Academic year: 2021

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Ⅰ はじめに 現在、バラエティ番組を取り巻く環境はけして良好 とはいえない。2013(平成 25)年 9 月から 2014(4 平成 26)年 8 月までを振り返ってみてもタモリが司 会を務めるフジテレビ制作のお昼のバラエティ番組 『笑っていいとも』が 3 月末をもって 32 年間の放送に 終止符を打った。また、同じフジテレビにおいては、 日曜 19 時の『ほこ×たて』が、過剰な演出、いわゆ る「やらせ問題」を遠因として打ち切りとなった。 それでも、民間放送(以降、民放)における 19 時 から 22 時までのゴールデンタイム、19 時から 23 時 までのプライムタイムの番組はほとんどがバラエティ 番組である。また、全日の視聴率にカウントされない 24 時以降の深夜枠においても民法各局は続々と実験 的なバラエティ番組を制作している。 筆者は放送作家として、多くのバラエティ番組の制 作に携わってきた立場から京都光華女子大学短期大学 部(以降本学)研究紀要第 49 集において、バラエティ 番組の定義づけを行い、同 51 集において、1953(昭 和 28)年 2 月 1 日、日本におけるテレビ放送開始か ら 1959(昭和 34)年 3 月 1 日のフジテレビ開局まで を「創世期」としたバラエティ番組の分類を試みた。 本稿はこれに続く続稿であり、全国ネットの大手民 法 4 局の開局以降、1969(昭和 44)年末までを「成 長期」として論ずるものである。この期間には 1956(昭 和 31)年に経済白書に「もはや戦後ではない」と明 記され、1958(昭和 33)年 7 月から 1961(昭和 36) 年まで 42 か月続いた岩戸景気があり、設備投資が景 気を主導し発展をつづけた期間が含まれる。放送業界 も皇太子御成婚、東京オリンピック開催において、放 送を充実させるため、VTR 機の導入、本格的なカラー 放送が始まるなどの技術革新が進み、テレビが娯楽の 中心に位置づけられる礎が築かれた時期でもある。 これらが、バラエティ番組にどんな影響を与えたか も検証したい。 Ⅱ 成長期「第一期」のバラエティ番組 1959(昭和 34)年 3 月 1 日、フジテレビの開局に より日本の 4 大ネットのキー局が全て開局を果たした 翌 4 月に行われたのが、皇太子御成婚のパレードであ る。このパレードの 1 週間前に NHK の受信者契約数 が 200 万台を突破したことからもこのイベントがテレ ビ界に与えた影響は大きいといえる。 1960(昭和 35)年 7 月には、東芝、日立、三菱の 3 社がカラーテレビの販売を開始。販売価格は 21 イン チ 52 万円、17 インチ 42 万円と高価ではあったが、 NHKと民法 4 局は同年 9 月 10 日、カラーテレビの 本放送をスタートさせ、新たな時代を迎える準備を始 めた。また、11 月には、ラジオ東京放送が東京放送 (TBS)に、12 月には日本教育テレビが NET に社名 を統一した。 そんな 1959(昭和 34)年 3 月 1 日から 1961(昭和 36)年 12 月 31 日までのバラエティ番組の分類を試み る。

テレビ番組におけるバラエティ番組の分類

−成長期−

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A Classification of the Variety Programs in TV Programs

− The Growth −

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1.1959 年 3 月∼ 1960 年に誕生したバラエティ 『スター千一夜』(1959 年 3 月 1 日 21 時∼ フジテレビ) フジテレビ開局の日にスタートした各界のスターを 招いてのインタビュー番組。ジャンル的にはオーソッ ドクスなトークバラエティに分類する。 『おとなの漫画』(1959 年 3 月 2 日 12 時 50 分∼ フ ジテレビ) フジテレビ開局の翌日にスタート。月曜から土曜ま で毎日 5 分間の生放送コントバラエティである。主演 はクレージーキャッツ。その日の朝刊に掲載された話 題を選び、昼の放送までに放送作家が台本を書き、出 演者がセリフを覚え、ディレクターが演出を加え、本 番に備えた。 『番頭はんと丁稚どん』(1959 年 3 月 9 日 19 時 30 分 ∼ NET) 大阪、毎日放送制作の公開コメディ型バラエティ。 作者は花登筺。番頭役の芦屋雁乃助と丁稚役の茶川一 郎、芦屋雁平、大村崑が毎回繰り広げる人情喜劇が話 題となった。 『お笑いタッグマッチ』(1959 年 3 月 12 日 12 時 15 分∼ フジテレビ) タイトルにタッグマッチとあるように落語家が紅 コーナーと白コーナー、紅白に分かれて争う。司会は 春風亭柳昇。上方落語の大喜利でいう「あたかも読書」 のルーツともいえる内容から大喜利型バラエティであ るといえる。 『デン助劇場』(1959 年 4 月 1 日 20 時∼ NET) タイトル通り、デン助劇団の劇場中継バラエティ。劇 団の主催者であるデン助こと大宮敏充が脚本、演出、主 演の一人三役をこなした。ハゲ頭に口ひげ、どんぐり眼 に濃い眉毛の江戸っ子、デン助が織りなす人情喜劇。 『ザ・ヒットパレード』(1959 年 6 月 17 日 19 時∼  フジテレビ) フジテレビが渡辺プロダクションの全面協力で制作 した音楽バラエティ。人気ロカビリー歌手だったミッ キー・カーチスや長沢淳が司会を務めた。作曲家で当 時、フジテレビのディレクターだった椙山浩一が演出 を担当。 2.1961 年に誕生したバラエティ 『スチャラカ社員』(1961 年 4 月 2 日 12 時 15 分∼  TBS) 海山物産の大阪支店を舞台に繰り広げられる大阪、 朝日放送制作の公開録画のコメディ。出演は女性社長 がミヤコ蝶々。中田ダイマル・ラケット、藤田まこと らやる気のない無気力社員たちが繰り広げる騒動を描 く。公開コメディ型バラエティ。 『 夢 で あ い ま し ょ う 』(1961 年 4 月 8 日 22 時 ∼  NHK) 人気デザイナー・中島弘子がホステス役を務める複 合ショー型バラエティ。歌とコントとトークで構成さ れる。番組から『上を向いて歩こう』『遠くへ行きたい』 『こんにちは赤ちゃん』等のヒット曲が生まれた。 『シャボン玉ホリデー』(1961 年 6 月 4 日 18 時 30 分 ∼ 日本テレビ) 初期はザ・ピーナッツ中心、61 年暮れからはクレ イジーキャッツ中心への複合ショー型バラエティ。コ ント、歌、トークを中心に構成されている。この番組 からクレイジーキャッツは「ガチョーン」「ハイそれ までよ」「お呼びでない」「ハラホロヒレハレ」等の流 行語を生みだした。 3.この時期の特徴 フジテレビが開局と同時に先発局に負けじと次々と ヒット番組を制作している。また、関西の民放局も「お 笑い」という武器と花登筺、香川登志緒という作家の 個性で全国に通じるコメディを制作しているのがよく わかる。現在は関西発の全国的なコメディは高視聴率 を期待するのは難しいことからその原因は今後、検証 したい。 Ⅲ 成長期「第二期」のバラエティ番組 VTRの導入、カラー放送の本放送開始という技術 的な進歩を遂げたテレビ界は東京オリンピックという ビッグイベントを控え、さらに整備を進めていく。 1962(昭和 37)年 9 月、民放 13 社、電通、東芝の共

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同出資による視聴率調査会社「ビデオリサーチ」が設 立。 本 格 的 な 視 聴 率 調 査 を 実 施 し た。10 月 に は、 NHK総合が中断していた平日 15 時∼ 17 時半の時間 帯に定時番組を放送。全日放送となった。 1963(昭和 38)年には、初の日米宇宙中継で、ア メリカ、ダラスでパレード中のケネディ大統領が暗殺 される衝撃映像が伝えられた。 10 月には、民放連が「テ レビの青少年におよぼす影響」の調査結果を発表。ま た、郵政省主催の放送番組懇談会、中央青少年問題協 議会の「暴力番組の影響調査」、国民政治研究会の「廃 止が望まれる低俗番組」が公表され、テレビの負の部 分が明らかになった時期でもある。1964(昭和 39) 年 4 月には日本科学技術振興団のテレビ部門として、 現在のテレビ東京の前身にあたる東京 12 チャンネル が開局したが、早々に経営不振に陥り、放送内容の改 善を迫られることになる。 そんな 1962 年から 1965 年までのバラエティ番組の 分類を試みる。 1.1962 年に誕生したバラエティ 『 て な も ん や 三 度 笠 』(1962 年 5 月 6 日 18 時 ∼  TBS) 大阪、朝日放送制作の公開コメディ型バラエティ。 舞台は江戸末期、主役は全国的に無名だった藤田まこ と、共演は白木みのる、財津一郎ら。最高視聴率が 60%を超える伝説の番組。 『アベック歌合戦』(1962 年 10 月 8 日 19 時 30 分∼ 日本テレビ) トニー谷司会の視聴者参加型ゲームバラエティ。タ イトル通り、アベックが出場し歌を競い合う。トニー 谷の「あなたのお名前なんてぇの?」という軽妙なフレー ズが流行語となった。 『オリンピックショウ 地上最大のクイズ』(1962 年 11 月 13 日 19 時 30 分∼ フジテレビ) オリンピック開幕の 2 年前に始まった視聴者参加型 クイズバラエティ。1 回の出場者が 100 人、優勝賞金 が 100 万円。クイズは毎回 15 問出題され、正解する と階段状の聖火台が点灯されていく。 2.1963 年に誕生したバラエティ 『アップダウンクイズ』(1963 年 10 月 6 日 19 時∼  NET) 大阪、毎日放送制作の視聴者参加クイズバラエティ。 6 人の回答者が上下動するゴンドラに乗り、1 問正解 するごとに 1 段階アップ、間違えると一気に最初の位 置まで落ちるというシステムが話題となった。10 問 正解の賞品がハワイ旅行であったことも人気の秘訣で あったと思われる。 3.1964 年に誕生したバラエティ 『ミュージックフェア』(1964 年 8 月 31 日 21 時∼  フジテレビ) オーソッドクッスな歌謡バラエティ。当初の司会は 越路吹雪。毎回違う歌手を共演させるのが唯一といっ ていい演出。現在も続く長寿番組である。 4.1965 年に誕生したバラエティ 『金曜寄席』(1965 年 3 月 12 日 22 時∼ 日本テレビ) 当時人気のなかった落語界を盛り上げ、寄席に客を 呼ぶために立川談志が企画を持ち込んだ落語の大喜利 バラエティ。演芸、インタビュー、大喜利の三部構成 であった。 『踊って歌って大合戦』(1965 年 4 月 2 日 日本テ レビ) 林家三平がメイン司会の視聴者参加ゲームバラエ ティ。視聴者が賞金をかけ、ただただ踊り狂うという 内容の番組。司会の三平も阿波踊りとツイストをミッ クスしたダンスで盛り上げた。当時「低俗番組」のレッ テルを貼られた。 『11PM』(1965 年 11 月 8 日 23 時∼ 日本テレビ) 日本テレビと大阪、読売テレビが交互に制作した深 夜の大人向けワイドバラエティ。愛川欣也、大橋巨泉、 藤本義一が司会進行を担当するようになり人気が上昇 した。 5.この時期の特徴 技術革新が進む中、バラエティ番組も大がかりな セットを組む等、視覚的に見せる番組が増加している ことが読み取れる。また、バラエティ番組がゴールデ ンタイムという枠からもはみ出し、テレビの娯楽性が

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さらに強調され始めた時期ということもいえる。 Ⅳ 成長期「第三期」のバラエティ番組 1966(昭和 41)年 3 月には、電電公社(NTT の前身) がカラーテレビ用マイクロ派回線の全国ネットワーク を完成させ、カラー番組の全国ネットが可能になリ、 テレビ界は急ピッチでカラー化を進める。これを受け て、11 月には通産省が家電 4 社にカラーテレビの値 下げを要請した。 1967(昭和 42)年 12 月 31 日、NHK のテレビ受信 契約数が 2000 万台を突破し、娯楽の王様として君臨、 1969(昭和 44)年 11 月にはアメリカ、アポロ 11 号 が月面着陸に成功。テレビ中継され、テレビの可能性 を強烈にアピールした。 また、1964(昭和 39)年の TBS 系 JNN 協定に続 き 1966(昭和 41)年、日本テレビ系の NNN 協定、 フジテレビの FNN 協定が締結され、キー局と系列局 の提携関係がより緊密化されたのもこの期間中である といえる。 そんな 1966 年から 1969 年のバラエティ番組の分類 を試みる。 1.1966 年∼ 1967 年に誕生したバラエティ 『笑点』(1966 年 5 月 15 日 16 時 30 分∼ 日本テレビ) 現在まで続く日曜日夕方の人気番組。大喜利型バラ エティである。既出の『金曜寄席』が発展的に日曜日 の夕方に進出した。当初は演芸、トーク、大喜利の三 部で構成。 2.1968 年∼ 1969 年に誕生したバラエティ 『お笑い頭の体操』(1968 年 2 月 3 日 19 時 30 分∼  TBS) 多湖輝のベストセラー『頭の体操』からタイトルを 借用。司会は大橋巨泉、レギュラー回答者は月の家円 鏡。毎回、「テスト」と称される設問数問に解答者が 答えていくという構成。ゲームバラエティ。 『お昼のゴールデンショー』(1968 年 4 月 1 日 12 時 ∼ フジテレビ) 毎回、お笑いのゲストと歌のゲストを迎え、コント やゲームを生放送で繰り広げるという内容。メイン司 会は前田武彦。売り出し中のコント 55 号もレギュラー であった。 『夜のヒットスタジオ』(1968 年 11 月 4 日 22 時∼  フジテレビ) 生放送・フルコーラスを基本に、あらゆるジャンル の歌手、ミュージシャンが出演した。オープニングで は、最初に紹介された歌手が次に紹介する歌手の持ち 歌をワンフレーズ歌い、それを次々と回していく等、 歌謡バラエティとは一線を画す音楽バラエティであ る。 『唄子・啓助のおもろい夫婦』(1969 年 4 月 6 日 22 時 15 分∼ フジテレビ) タイトル通り、司会は鳳啓助、京唄子の夫婦漫才コ ンビ。視聴者の熟年夫婦をスタジオに招き、なれそめ や悩みをおもしろおかしく聞いていく。視聴者参加 トークバラエティ。 『連想ゲーム』(1969 年 4 月 9 日 20 時∼ NHK) 『みんなの招待席』の 1 コーナーから独立し 1 つの 番組となった。クイズバラエティ。男女が赤組白組に 分かれ、キャプテンの出すヒントから連想して正解を 導いていく。 『コント 55 号の裏番組をぶっとばせ!』(1969 年 4 月 27 日 20 時∼ 日本テレビ) 当時、高視聴率番組だった NHK の大河ドラマ『天 と地と』に対し、「日曜日 20 時台に最も視聴率を稼ぐ 番組」をコンセプトに当時人気絶頂だったコント 55 号をメインに据えた番組。番組後半の野球拳が有名で、 低俗番組のレッテルを貼られた。公開バラエティ。 『ヤングおーおー』(1969年7月3日20時∼ NET→TBS) 制作は大阪、毎日放送。当初は NET でのネットだっ たが、いわゆる腸ねん転解消後、TBS でのネットに 切り替わった。関西型公開バラエティ。 『8 時だョ!全員集合』(1969 年 10 月 4 日 20 時∼  TBS) ザ・ドリフターズがメインの公開生放送バラエティ。 前半のコント、後半のミニコントのコナーの合間に短

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く歌のコーナーを挟んで進行した。大がかりなセット が話題となった。 『NTV 紅白歌のベスト 10』(1969 年 10 月 6 日 20 時 ∼ 日本テレビ) 『NHK 紅白歌合戦』を毎週お茶の間にと「紅白歌 合戦」と「ベストテン」を組み合わせた公開生放送の 音楽バラエティ。司会者の他に紅組と白組キャプテン の存在が番組を盛り上げた。裏番組の『水戸黄門』を 意識したのか、歌手はアイドルが中心。 『巨泉・前武ゲバゲバ 90 分 ‼』(1969 年 10 月 7 日 20 時∼ 日本テレビ) 放送作家出身の二人のトークの合間にコントが入り 込んでくるという手法で日曜日夜を圧巻する人気番組 となった。この 2 人に加え、クレイジーキャッツ、コ ント 55 号等、他の出演陣も豪華。コントバラエティ である。 『クイズタイムショック』(1969 年 1 月 9 日 19 時∼ NET) 視聴者参加型のクイズバラエティ。司会は田宮二郎。 1 分間 12 問のクイズに挑戦し、その解答数で優劣を 競う。解答席がクイズ挑戦中は上昇し、解答終了後に 元の位置に戻る。正解数が 3 問以下ならその際に回転 しながら下りてくるのが見せ場。現在もリニューアル されて不定期に放送中。 3. この時期の特徴 日本のバラエティ番組史上、伝説ともいえる誰もが 知る番組がこの時期に放送を始めている。VTR 機の 本格導入、カラー放送が始まる等、ハード面での充実 により番組制作体制の基盤が構築された結果であると 推測される。また、番組内容や放送時間こそリニュー アルされているが、現在もなお放送中の番組があり、 バラエティ番組の礎の多くがこの時期に完成したとい える。 映画や劇場ではなく、テレビから一挙にスターが生 まれたのもこの時期の特徴である。テレビが急ピッチ で娯楽の中心に躍り出たことを証明している。 Ⅴ まとめ 日本におけるテレビ放送開始からフジテレビの開局 前日までのバラエティ番組を系統だて、まとめた前稿 に続き、本稿では、フジテレビの開局から万国博覧会 (大阪万博)開幕の前年までのバラエティ番組を「成 長期」に系統だてた。 実際に成長期とするにふさわしい番組が数多く誕生 している。しかし、新しいバラエティジャンルは思っ たよりも少なく、あらためて、バラエティ番組のジャ ンルの多くは創世記(1953 年∼ 1959 年 1 月末)に誕 生していることを証明する結果となった。 次稿では、成長期に続く期間を検証し、さらにバラ エティ番組の系図作りを進めていきたい。 以上、本稿でのバラエティ番組の分類を図 1 に示し、 結びとする。 参考文献 鹿島我 テレビ番組におけるバラエティ番組の分類‐ 創世記‐ 京都光華女子大学部研究紀要第 51 集 テレビ 60 年 in テレビガイド 株式会社ニュース通信 社 高田文夫/笑芸人編 テレビバラエティ大笑辞典 白 夜書房  テレビ史ハンドブック 自由国民社 テレビ欄研究会 愛蔵版 昭和のテレビ欄 1954-1988 TOブックス

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司会 森本 郁代(関西学院大学法学部教授/手話言語研究センター副長). 第二部「手話言語に楽しく触れ合ってみましょう」

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