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丸山薫と海――その明暗を中心に――

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はじめに 丸山窯は、 一般に「海の詩人」と呼ばれている が、 こ .の 小諭でも、 海についてうたった詩篇を中心に考察した いと思う。 さて、 丸山滋が多くの海の詩を書くようになったきっ かけは、 背年時代、 船乗りになり たいという希望 をもっ (注) ていた ことに、 起因している。 それゆえ、 彼が描く 洵の詩は、 海辺から見た海をうたうような詩とは、 趣 を 異にしている。それについては、 中日新聞に二十回にわ たって迎散された「.私と詩 友」と題する回想記の第四回、 「海洋へのあこがれ」の中で、 丸山照自身が、 次のよう に述ぺている。「私 は詩人とし て出発して以来、 比較的 ・多 くの海の詩を摺い てきた。海の詩といっても私のは洵 辺のそれではなく、 大洋、 航海、 海上のくらしを題材に したいわゆる海洋の詩である。 」事実彼は、 二度、 投期 の船旅に出かけ、 それぞれ「点錨叫るところ」「迎れ去 ー しかし、実際に航海を終えてみて、 彼自身、『述れ去ら れた海 』の 「著者の言菓」の中で次のように困い ている。 「阻党、 私の詩は陸からの思染の中で洵をうた ってきた のであろう。 海の生活の中でうたう海貝 の詩とはらがう ところである。 」この一文は、 さきほど引用した一文と 矛盾するようだが、 同じ「陸からの思森」といって も、 船乗りになる 炒を破られた者と、 そ うでない 者との、 海 の見方はおのずから違ってくるであろう。 丸山蕉が切実 に陸から思恭 し たものは、 「大洋、 航海、 海上のくらし」 そのものだったのである。 「帆・ ランプ ・ 鴎」における海の詩について 丸山窯の陸からの思嵌を、 最も強く、 最も哀切にうた いあげているのが、 彼の処女詩保r帆・ ランブ ・臨」で ある。 海に関する詩は、 この詩集全34筒中8篇あるが、 そのうらの7筒 までが、 夜明け、 夕硲れ、 夜といった、 2 られた海 』 という詩集に、 そ の 惑慨を述ぺている。

lその明暗を中心にー—

丸山薫と海

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-28-暗い囲の海をうたっている。 らなみに、 その題名を列挙 すると 、「河口」「錨」「帆の歌」「 ラ ンブの歌」「鴎 の歌」「ランブと信天翁」「陪い海」となる。 そのこと .については、 山敷和男も、 「転換期の詩人たち」の中で、 次のように述べている。「彼の用いた海は、 つねに、 タ 暮とか夜とか、 暗い時の海なのであ る 。 」 残りの一篇は、「離愁」という題の詩で、 錨と鴎の別 れという港の―つの景色をう た った詩であるが、 あるい ば、 それは、 船乗りになる拶と 煎との別雌を象徴しよう と した詩かもしれない。 その詩の殴後の行は、 次のよう なものであ る。「臨の胸に残った思いが哀しい培さ声に なっ て空に散る」 丸山漑の未刊詩篇は、 便宜上、 この 小論では、 丸山煎 全集第三巻の分類に従うことにする。 未刊詩篇ーの部分 には、 昭和七年までの薫の未刊詩箭が収められているの で、 つまり、 1の部分には、 彼が処女詩集を出す以帥に 香いた詩が集められていることになる。 (r帆・ ランプ . 鴎 」が出版されたのは昭和七年である。)未刊詩筒ー における海に関する詩は、 そのはとんどが、 港の風娯ゃ、 航海のようすをうたったものであるが、 そのうち「菊と 海」という一筒に、 次のような一行が見える。「私の感 情は、 揺れひろがる海のやう であった」自分の感情を洵 にたとえたところにも、 彼のなみなみならぬ海への思恭 があらわれているように思う。 8 r 鶴の葬式」における海の詩について 窯の第二詩巣r訟の葬式」には、 81筒の詩が収められ ているが、 そのうち海に関す る詩は1節しかない。 それ は、 「入江」という貧しい漁港の風景をうたった詩だが、 煎の心の中でくずれて いった海への夢を象徴しているの かもし れない。 r帆 この詩もやはり、 暁方の暗い 海をうたった詩で、 、 ラ ンプ ・ 鴎」の海に 関する詩と同じような雰囲気をも っているが、 それについて、 萩原朔太郎は、 次のように 述ぺている。「忌憚なく批評す ると、 詩集「紐の葬式」 は、 前の詩集r帆・ ランプ ・鴎」の惰性的な延長であり、 いはば前の詩集の拾逍筒であ って、 第二詩集としての独 立的な価値に欠けて居た。 」しかし、 この意見には、 反 対である。 もちろんある一面から見ると 、 朔 太郎のよう な見方ができなくはないが、 丸山滋に と って、 船乗りに なる歩がかなえられなかった こ とが、 あまりにも大きな 打撃だったので‘ ーつの詩集では、 その気持ちをうたい きれなかった とみたらどうだろうか。 いや加の場合は、 むしろ一生涯にわたっ て、 海というものが、 詩のテーマ だったのである。

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もちろん、 4 「幼年」における海の詩について 第三詩集「幼年」は、詩集として出版され たのは、三 番目だが、そこに収められている詩は、r帆・ランプ・ 鴎」よりさらに以前に柑かれたものである。この詩集の 中には、18篇中3篇の海に関する詩がはいっている。 丸山 滋は、最初は小説家をめざしていたので、特にこの時期 の詩は、詩と小説との中間のようなものが多 くなってい る。また、海のとらえ方も 、「練習船」の明るい南の海、 「稲妻来」のまっ青な海など、明る<希望にもえたもの が多く、「望港」のように、夕経の 海を扱っていても、 夕賜が照り、口笛の聞こえる楽しげな港の風景をうたっ ている 。. 「幼年」が掛かれた時点では、すでに、船 乗りになろうとし た歩は破れていたのであるが、この詩 渠の序文に見えるように、「郷愁の上にのみ 永久に輝い てゐるやうに見えるあの可哀想な時刻のために」困いた 詩で あるので、かえって幼年の頃の歩そのものを明るい ・タッチで描いたのであろう。 未刊詩箆ーに収められている海

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する詩のうちの最 初の三筒、「咽吃記紺」「航海」「望洋」は、r幼年」 .と同時代に菩 かれた詩である が、すぺて船をモチーフと した詩で、 .「三楷棲船」の「逃げて行った」、「航海」 の「遠ざかってゆく」、「望洋」の「震のむかうのはう で」と、三箭とも距粧的に離れていることが描かれてい が、それ は葉の遠い歩をあらわし ているのかも しれな r物象詩集」 における海の詩にっ.いて r物象詩集」には、新作お岡中2筒の海に関する詩が 収められている。「海風」は、 海から吹いてくる風を素 材としてうたった詩で、彼の哀しみは、前面におしださ いないが、もう_節の方、「海窮れる」には、彼の 哀しみが、直接に描 かれている。その詩の終わりの部分

は、次のようなも である。 O 3 遂げ得なかった約婚の希みを思ふと僕は悲しかった。― わかさ 彼女こそいまもあの日の青 を乳房に抱きしめてゐる /. しかも僕の背後に垂れる窓のほのむかうで、飾り をはづし、促を解き、衣裳を すぺらし 、沖の碇泊燈の ーつだけを消し忘れて、言葉もなく窮れていった 丸山薫には、この詩のように、海を女性にたとえた詩 がいくつかある。「どんなに好きかは/もりあがるその 乳房の母ほどに」ではじまる「海という女」は、その代 表的な例である。実生活のうえでは、滋には、三四子 いう愛茨がいるが、「海」は、黛にとって、永遠に手の 届かない憧れの人だったのかもしれない。 5 • 9

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7 6 r涙した神」における海の詩について r涙した神」には、 新作9篇中、 1篇海に関する詩 ある。「汽艇」という題のこの詩は、 波止楊に碇泊して いる汽艇を見て、「いたづらざかりの少年」のようだと 述ぺた詩で、 ほのぼのとし た情感があふれ、 三好達治が 「笑ふと眼の細くなるの がもうそれだけである大きな動 物を筍彿せしめた」と評した細い眼で、 ニコニコと汽艇 を見つめている滋の姿が、 目に浮かぷようである。 丸山 は、 戦中、 戦後を通じて三年の間、 山形県の岩根沢と いう山中の一寒村に、 代用教貝を勤めながら諒開してい たことがあるが、 その頃、 「背い黒板」という、 少年少 女詩集を著わしている。 それ以外にも、 いくつかの少年 少女向けの詩があり、 小学校の教科也に採用されたりも しているが、 この「汽艇」なども、 そういった駕の子供 を愛する気持ちのにじみ出た詩だと言えるだろう。 実生 活においては、 子供をもうけなかった滋だが、 それゆえ にこそ、 少年少女一般向けの詩が、 自由奔放に害けたの かもしれない。 室生屈星や中原中也が、 愛児を失った悲 しみをうた った詩の中には、 ひじょうに高く評価されて いるものもあるようだが、 それらは決して、 一般的な普 遥的なものではないのである。 r 点鏑嗚るところ いて 明暗について 丸山滋は、 昭和十六年の五月し七月にかけて、 二箇月 間、 中央公論社特派記者として線習船「海王丸」で、 平洋を航海してきた。 その時の印象を綴った 詩をまとめ た詩集が、 「点蹄嗚るところ」である。 この詩集の詩は、 14筒こととと くが、 海に関する詩 であるが、 そのことに ついては、 の詩渠の自序の中で、 彼自身、 次のように 述ぺて る。 人は或はこれらの詩篇が航海の典趣に終止して の彼方なる陸地の見聞や時局当 面のことにふれてゐな いの を廉らず思ふ もし れない。 が元々、 それはこの 詩集の目的ではないのだ。 なぜなら著者はこヽでは只、 海そのもの を純粋に晒好し、 船と航海と船乗とをひと すぢに郷愁してゐるのだからー-0 それらの三者を一 悛とする陰酪のいくらかでも詩的に表硯出来たらと、 それだけを念じるものである。 この詩集の第一番目におかれた詩を読む と、 彼が、 の航海に、 どれ ほど期待していたか ということが よくわ かる。 その「音 楽のやうに」と いう詩の最終迎をあげる と次のようなものである。 出帆よ おれに目覧しい未来となれ をりから季節はまぱゆい祝典のさなかで 7

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そのせいか、 この詩集では、 人生航路を示唆した。 r帆・ランプ・鴎』など に出てきた海とはうってかわって、 明る<広々とした海 が多く描かれている。 その比険も、 「海は群青のインク を溶したやう」(「南の花」より)とか、「行い鏡を覗 くやうな海」(「シイラ来たる」 より)とかのように、 太平洋の紺碧の海のようすを、 よくあらわしている。 への関心も、 もっばら、 その広さや深さについて、 示し ているようである。 この詩集において暗い海をうたった詩は、 8篇と決し て少なくは いが、 その暗さは、.r帆・ランブ・臨」に 代表されるような精神的な暗さに結びつくものではなく、 単に現実の夜の海を描写したにすぎない。 例えば、「日 没五分前」には、「寵燈が貼 って船にたのしい夜がくる」 情は外面の海風の明るさに向って放たれ、 明郎快活の この航海によって、 作者は多年の心内の罰を払い、 わが小さな庭にも五月の花々が色を競ひ 軽る経る夏蝶も朝から垣根を越えてくる おれの心も音楽のやうに派手だ また、 r日本の詩歌24」の脚注で、 阪本越郎は、 次の ように述ぺている。 泳いでゐるのは あれは人魚です 次のように言ってい という表現がみえるし、 「大洋 で」には、「なんと大洋 う一行が見える。 このよ の日没は美しかったらう」 うに、 この詩集における暗い海は、 船旅のたのしく美 い夜を表現したものなのである。 7

2 [ 人魚」に関する詩について この詩集の、 ほとんどの詩は、 航海中の出来届や、 乗たちのようすを、 写実的に習いたものだが、 その中で、 「昼の海」「詩人の言菓」の二筒は、 毛色の変わった詩 である。「詩人の一呂菓」で、 煎は、 中原中也の「北の海」 という詩から引用して、 次のように述ぺている。 いまは亡き中原中也が言った 「海には人魚はゐないのです 海にゐるのは あれは波ばかりです」と (中略) この言業を呟きながら 去りし日の南の航海 を想ひ起すと 海づらの青い高まりに 無数の人魚の手と尾が見え阻れする また、 「昼の海」という詩では、 る。

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-32-人魚は波にのっ てくるのです すぐに遠くへ行ってしまふのです 伝説上の人魚 これは、表面的には、波 を人魚に 見たて ているわけだが、 〗人魚は、 やはり、 丸山滋の、 海に対する夢や憧れの象徴 ではないだろうか。 この詩集最後の詩、 「わが窓に」の最終迎にも、 人魚 があらわれてくる。 以下に引用すると、 わが窓は 五十日がほど わが豚の愁に母れり 袋れるか なた 人魚ひらめきて泳ぎぬ 薫からは、「無数の人魚の手と尾」が見えるのだが、 それは、「すぐに遠くへ行ってしまふ」のだ。 そして、 「曇れるかなた」で「ひらめきて泳」いでいるのである。 丸山薫晩年の詩集「月渡る」にも3篇、 未刊詩筒Nに は1筒人魚 を素材とした詩がある。 これらの四篇の詩に 共通していることは、 人魚はいつ も遠くにいるというこ とである。 かりに、 近寄ってきても、 すぐに「ひき波に のって行ってしまった 」(r月渡る」「水平線」より) り、「消えた」(r月渡る」「海早春」より)りしてし まうの である。 海を女性にたとえた滋は、 の姿の中に、 さらに凝縮された節れを見ていたのかもし れない。 海を「青い」と形容した詩について 丸山滋は、 また、 この詩 集で、 海を描くときに 、しば しば「あお」に関する形容を用いている。 その例は以下 のとおりである。

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まっ蒼い山の彩のやうな巨きな浪(浪)

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海づらの青い高まり(詩人の言菓) 青一色のカレンダア(日没五分前)

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海は群宵のインクを溶したやう(南の花)

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青い鋭を覗くやうな海(シイーっ来たる)

空も洋上も染めたや うに蒼い水咄日の午前 緑短艇部 署) 真青になった奴(海の印象) この詩集以前に書かれた「海」に関する詩のうら、 を「青い」と形容しているのは、 r帆・ランプ・臨」 「ランプと信天翁」だけである しかし、 この詩の 青い 海は、 日吾れの暗い海との対照として書かれたもので、 この詩の場合は、 むしろ、 暗い海の方が主体になってい この詩集以後について詢ぺてみると、 海を「青い」と 形容しているのは、 わずかに「青 い黒板」の「燕はとん 7

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でくる」、 「青春不在」の「泡 」、 r迎れ去られた海」 の「海の彩色」、「月渡る」の「海の芙学」「砂丘を歩む の五篇のみである。 「熊はとんでくる」は、 児堂向けの詩なので、 海を音 いと形容しているのも、.子供に夢を与えるためであろう 「泡」は、 「点鏑嗚るところ」の航海の体験を素材とし て書かれた詩であるらしい で、 r点鎚嗚るところ」の 詩と同系列に考えてもいいと思 r連れ去られた海」の「海の彩色」の第一迎は、 次の ようなものである。 海はいくども僕から色鉛箪を咽った いくどもペンとィンク 桟ぎとった また しかもなお言薬さえもー その拒絶の前に僕は絶望し 絶望のたびに僕はデッキから身を投げた すると僕の溺れて沈んだあたり 波はそのままに深い酪りをつくり 泡は揺れて雲のかがやき なって

海は日ととにその冑さと明かるさを増していった この海は、青いのは青いのだが、 それは丸山窯の生命 力を吸って、 宵くなったにすぎないのである。 r月渡る」の「海の美学」の府の表現は、次のような 男の航くところ これも、 あくまで窯 の希望 を述べたものであっ て、後に あげるこの詩の別の部分に描かれているように、 現実の 海は、決して蒼<澄んでいたわけで ないのである。 じ<r月渡る」中の「砂丘を歩む」は、「海だけがわが 希わぬ方向に/歌をひろげて 青<ー」と述べられて いるように、 蕉をおいてけほりにした海が描 かれている のである。 拾造詩箭中の「南へ」という詩にも、 「青い」という 表現がみえる が、これは、詩中に「その一艘の海王丸に 乗って/ばくはこんど二月ばかり/海の旅行をすること になった」とあるように、 明らかに、

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節栂るところ」 の航海直前に書かれた詩だとわかるので、問起なかろう。 未刊詩篇にあたると、 海を「行い」と形容した詩が、 十二郡ある。「季節」「青い色」「背い色」(同図の詩 が二筒ある。)の三筒は、 南から飛んでくる韮溢ふ浣ぼし てうたった詩であ る。「和堕丸首途」という特は、ある 同人雑誌の創刊号の序詩として滋が宙いた詩である。 「総貝洗烈」というのは、 「点鈍咀るところ」の航海を うたっに詩である。 「旧」という持で、 船は「胃い悔洋 ものである。

蒼澄めるメールエスプリのかなたこそ

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-34-の上を」飛んでいるが、 その姿は「すすほけた蝙蝠傘の よう」だと形容されている。「綾の海」は、 彼の若き日 の冊れをうたった詩である。「自由化の嵐の中で」と 「人魚」に描かれた海の青さは、 否定的なものである。 「海の 子よ」とい うのは、 児竜詩として智かれた詩であ る。 , 海には花の匂いがする. は、 薫が海沿いをパスで 行くことによって、 海に花の匂いをかいでいるわけだが、 . . . . . 「青々とした水平線の壁」から、 花の匂いを感じた作者 .は 、 もはや陸の人に すぎないのである。 以上、 みてきたように、 詩集「点鎚嗚るところ」以外 では、 率直に、 海を「育い」と形容し た詩は一篇もない。 このことからも、 歩破れ た森の心 の痛手の深 さが察知で きよう。 未刊詩篇ー に、 「赤い海 青い鯛」という詩が あるが、「赤い海」といって、「宵い海」と言わなかっ たのも、 決して、 山敷和男の言う「アップ ・ツー ・デイ トな感覚」(「転換期の 詩 人たち」より)からばかりで はないように思う。 8 r 花の芯」における海の詩について 昭和二十一 1 一年に発表された詩集百安り芯』には、 新作43 篇中、 3篇面に関する詩があるが、 それらは、「航海人形」 「運命」「ドッグ ・ウォ ッチ」という座の詩で、「航洵 人形」と「ドッグ ・ウォッチ」は、 先のr点鏑鳴るとこ ろ」の時の航海を素材としたものと思われる。 前者では、 「日本は戦争に敗れて/海洋を失ひ/こんな話も思ひ出 となった」と、 海を失ったことを咲 き、 後者では、 航海 の思い出を語っている。「運命」という詩は、あ るいは 薫が、 実際に聞いた話を素材として書いた詩かも しれな いが、 「こ の 話を語った老人は瞼の父をたづねて/青春 を北海にさすらうこと十幾年」という二行 は、 「腺の父」 を「海」、 「北海」を「陸」 と でも変えたら、 そのまま 照自身にもあ てはまりそうである。 しかし、 この時期の 丸山点の心情を端的にあ らわしてい るの は、 分類の都合 上、 海の項目にはいれていないが、「うみどり」という 詩である。 第一迎で、 嵐の中、 断崖にたどりついて、そ のまま死んで しまったうみどり達の姿を描き、 さらに二 迎以降、 庶は、 次のように続けてい る。 そのやうに 焦燥の海に 詩を書き つづけて いつかは私も命果てるであろう 運命の狭霧のかなたに 在るがCとき燈台のランプよ なんのため に だ/. この詩には、 生きる目的 を見失った作者 の悲哀が、痛烈 ああ

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うたわれている。 , r 育春不在」における海の詩について 昭和二十七年に刊行された詩集 青春不在』には、 作49篇中、 7篇海に関する詩がある。 これらの詩篇もや はり、 「点鏑祖る ころ」の航海中 に見聞したことを、 素材としているようである。 その中の「海の瞳」という 時に、 次のような一日葉が見える。 安の陸を逃れてきて しかも いま の不安の中に 逃げ場のな 僕という憐れな魚を覗いた この詩を見ると、 かつての航海は、r点錦咀るところ」 の自序にみえるように、「半生のゆめのいくぶんかでも 満してくれた」と はいう ものの して、 すぺてを禍し てくれたものではなかったことが、 よくわかる。 原稿に 追われる陸の生活から逃れてきた滋にとっ て、 海も、 して、 生計のすぺてを忘れることのできる安 息の場とは ならなかったのであろう。 10 「迎れ去られた海」について 丸山滋は、 もう一度、 長途の船旅に出ている。 それは 昭和三十年、 彼が五十六栽の年であった。 同年七月に、 山下汽船の貨物船「山下丸」に便乗して、 香港、 マニラ、 ジドニー、 メルポルンなどの諸港を巡ってきたのである。 •9 ` • その きの印象をまとめたものが、 詩集「迎れ去られた 海」である。 この 船旅のことを書いた詩は、 この詩集に 収められたものに限れば、 わずかに11筒で、 「点節咀る ところ」と比ぺ て、 ひじょうに少ないが、 そのことにつ いて、 作者は、 二つの理由を、 「著者の宮菓」の中で、 あげている。 ―つは、 「新聞・雑誌にルポルタアジュを 送る約束があって、 詩の素材になるものを散文に街いて しまった」こ と、 もう―つは、 「商船をとり巻く海の現 実が、 私の夢を戸惑わせたこと」だそうである。 しかし、 後の理由の方が、 より多く作用 しているのではないだろ うか。 はたして、 同じ素材を、 散文に宙いたからといっ て、 詩には寄かないものだろうか。 もし、 本当に、 海に 魅力を感じていたら、 いくら香いても柑きっくせないは ずである。 薫本人 が述べているのだから、 その理由 あえて否定はしないが、 やはり、 もう昔のままではない 海の現実に失望したことが、 大きな理由だと思う 河盛好蔵は、 『日本詩人全集お』の「丸山滋・ 人と作 品」の中で、 「迎れ去られた海」の時の航海をさして、 「これは育春の夢が老年に至って実現された、 彼にとっ ては会心の船旅であったに相迎ない。 」と述ぺているが、 この 意見には、 賛成できない。 この航海は庶にとっ て、 決して会心のものではなかったと思う。

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-36-また、『日本の詩歌24』の脚注で、 阪本越郎は次のよ うに述べているが、 むし ろこちらの意見の方に賛成であ る。 海への絶えざる著者の思慕は、 齢六十を越えてもなお 燃え続けているが、 彼の心象の「海」は、 日本の連命 とともに変貌し てしまった。 そのことは、 この詩集中の幾篇かの詩を 見ても明らか である。 特に、 詩集の題ともなった「迎れ去られた海」 •という詩は、 すでにすっかり若 を失い、 そろそろ老境 に入りかけた詩人の気持ち を、 再び海を女性にたとえる ことによって、 うたいあげている。 かつては生き生きとして あんなに 僕らの青春の中に息づいていた海/. けれど いまは犯され むざんに汚されてし まった彼女 諾にしびれたその乳房 その全身よ また、 この詩集には収められていないが、 同時代に害 かれた、 未刊詩篇Nの中にある、「緑の瞳」という詩に も、 次のような一節が ある。 灰いろにひらいたその瞳孔のむこうには 世界の荒い波濤が見えた 捲かれてうCく貨物の山が見えた. 叫喚する錨の揚げ卸しが見えた けむりと埃と 我利々々の取引と 底窓と猜疑と威噛で塗りこめられた 海のつめ たい現実が見えた 同じく未刊詩篇Nの中にある、 同じ時期に書かれた「自 由化の嵐の中で」という詩の次の部分をみても、 当時の 彼の気持ちがよくわかる。 さあ まっさお9海風の中へ/. いや 海も風ももう背くなんかない 経済の 貿易の 海迎競争の 血走る眼の色だ これらの詩を見 ると、 彼が商業主義に汚された海を憐 れむ気持ちが、 よく描かれている。 しかし、 彼は決して、 海自体に失望したわけではない。 それは、 先にもあげた 「海という女」の第三迎をみれば明 かである。 ぉ前のいない世界の 想うさえ、 死にもまさる荒涼さよ 僕にとっては古びた恋い茨 しかもなお 若い歌をうたいつづける おまえ 海という女 砿にいる奴」に書かれてあるよ うに、 彼の「意隣の底 ふかく」には、 いまも海が「無限にひ ろが」っているの

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である。 11 月渡る」における海の詩について 詩集「月渡る

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が刊行されたのは、昭和四十七年、丸 山紫は、すでに、七十三歳を迎えている。この詩集には、 全22慌中、9筒海に関する詩が収められているが、その うち、「父島近海」「 海にみる夢」「S船長」「岩と波」 は、昭和三十年の航海に詩想を得ているようである。 残りの5篇のうち3篇は、人魚を素材とした詩で、先 に一部あげ た。もう2篇のうち1篇は、「海の芙学」と いう、詩集中の小題ともなっている詩であるが、汚され た海に対する老詩人の悲 みと静かな怒りが、行間に揺 曳している 以下、その一部をあげる。 商船ともなれば たとえィ`tテーションにしろ 白亜のポートデッキの中心には すこ し傾い巴島要紐 はしいもの あれらカッコイィ奴らよ いまは何処へ消えちゃつ た? それにしてもヨットの写真に ピキニスタイルのヌードは無くもがな 最後に残った一篇も、やはり、丸山薫の海への佃れが 破れたことをうたったもので、レントゲンでとっ た自分; の胸のかげりを、海への執念にみたてて、「 かつての背 春の海が昏<澱んでいるのだ/いまは もう/赤錆ぴた 龍骨と肋材になり果てた/憧れの横朝船の残骸を沈めて」 と、述ぺている。彼の海への佃れは、とっくの昔にこわ れて、いつのまにか、彼の胸の奥底で、「貝殻になって 固く貼りついた影」となり、彼をむしばんでいたのであ 12 すび 以上、見てきたように、丸山滋は、「帆・ランプぶ匹」 r囮の葬式」『物象詩集」と、暗い海をうたい続けてき た。r幼年」だけは 明るい海もあらわ れているが、その 海は、あくまで も疫の希望であって、現実ではなかった のである。そし 、r点蹄嗚るところ」で、生まれて初 めての 航海に出て、いま までと全く異なった、まばゆ ばかりの海をうたっているが、それ も、航海を終えてみ ると、またもとの砂に変わってしまったのである。そし て、r花の芯」「青春不在」と、再び、冷 たい現実を つめていくようになるのである。この二詩集を通じて 本当に明るい海をうたったのは、「青春不在」の「岬の 、 ブ たより」一篇であるが、それも、「ゆっくりと堅琴が嗚 り出し/古た痴如磁絵のように/空をサカナの列がまわ ります」 と幻想的な風景をうたっており、照の夢の一場

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-38-面にすぎないことがわかる。 r連れ去られた海」を生ん だ二度目の航海は、 彼自身が年老いてしまったこと もあ って、 r点鏑嗚 るところ」 の感激はなくなって いる. 彼 が、 憧れていた海は、 実際に、 連れ去られ てし まったの である。 この詩集では、 明る い海 が意外に多くう たわれ ているが、そこに深っている ものは、「さびし い朽薬」 や「溶けかかった飛行靴」や「老け て苦労した表情」 の サカナなどであって、 その明るさというの も、 彼の心の 淋しさを反映し た明るさであることがわかる。 そして、 r月渡る」にいた っては、 彼は、 海へのひどい冒漬に、 怒りをす ら感じている 。 彼 の 佃れ の海は、 もう彼の心の 中にしか存在し ないも のになってしま ったのである。 父の転勤に伴い、 あ ら こらを転々とする、 あわただし い幼年時代ののら、 少年時代には、 海に佃れ、 商船学校 に入学したが、 わずか一学期間で、 その 夢も無残にうち 砕かれた。 以来、 死ぬまで、 彼は、 海に 佃れ続けた。 彼 の詩業から、 「海」という一字をとり除いたら、 きっ と ぁちらこちらが、 大きな穴だらけになってし まうだろう。 臼井たつ子は、 「丸山葉の世界—'r帆・ランプ ・鴎」に ついて」 の中で、 次のように述べている。「健康上の理 由で商船学校を遂に終える ことができなかった の は、 彼 の人生か らす れば、 ーつ の大きな挫折であ ったろうが、 彼の詩業に とっては、 はか りしれないほどのブラスであ ったと考えられる。 」この意見 に は、 贅成であ る。 もし 丸山薫が、 望みどおりに、 船只になっていた ら、 彼は、 そこでバッタリと詩を嘗くことをやめたかも しれない 。 また、 かりに詩 を書き続けた とし ても、 これほどの業績 は、 残さ なか ったのではないかとい う気がする。 やは り 、 丸山滋は、「海の詩人]‘ いや もう少しつ け加えるなら ば、「海に佃れた詩人 」であった。 ※引用文献 r現代文学研究叢宙

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転換期の詩人たち」 丸山烹

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山敷和男 監修 稲垣達郎 芳賀祖店 s44. 4.16発行 「ノートルダム消心女子大学国文学科紀要」 丸山点の世界ー「机・ランプ ・随」について1 s46. 3(第4号) 「萩原朔太郎全集(新潮社版)」第5巻 狼百 Sあ・ 12 r三好達治全集(筑限吾房)」第9巻 文学的 i甘 春伝 s40. 4 「日本の詩歌・ 24J 脚注 阪本越郎 (上)

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「日本詩人全集・28」 丸山鷲·人と作品 河盛好蔵 ※(注)そのことについては、 彼のエッセイ「海への郷 愁」「海の魅力」「老優の話」にも描かれている。 付記 本文中に引用した薫の詩については、 便宜上旧字体 . を新字体に改めたところもある。 . (岡山大学法文学部学生) 己一夏 m-――-aemsm.g-『ia-—5-―― .. g .. 5-.sigu-—ー●ーーー・aこg-―-a-ga-g-―― 研究室受贈図書雑誌目録 皿 国文学論考 第十四号 ( 都留文科大) 因文学論集 第十一号 ( 上智大) 国文学論集 第十六梨 ( 山梨大) 国文学論叢第二十三輯 (龍谷大) 国文研究 第十一号 (静岡女子大) 国文研究 二十八号 ( 愛媛大) 困文研究と教育 創刊号、 第二号 (奈良教育大) 国文白百合 第九号 (白百合女子大) 国文鶴見 第十三号 ( 鶴見女子大) 国文目白 第十七号 ( 日本女子大) 国立国語研究所年報 第二十九号 国立固語研究所報告 第六十号 語文 第四十五、 四十六相 ( 日本大) 語文 第三十四号 (大阪大) 語文論叢第六号 (千葉大) 駒沢国文 第十五号 佐賀大国文 第六号 滋賀大国文 第十五号 実践国文学 第十四号 ( 実践女子大) 樟蔭国文学 第十六号 ( 大阪樺蔭女子大) 女子大国文 第八 十二、 八十三号 (京都女子大) I 女子大文学国文篇 第二十九号 (大阪女子大) 0 4 叙説 昭和五十二年十月号、 五十 三年四月号 (奈良女 ー 子大) 書陵部紀要 第二十六号 (宮内庁嘗陵部) 史料と研究 第八、 九号 (札幌大) 人文 創刊号 第二号 (鹿児島県立短大) 人文学部紀要 創刊号 (宮山大) 人文科学科紀要 第六十七組 (東京大) 人 文学論集 第十一号 (仏教大) 親和国文 第十二号 (親和女子大) 成城国文学論染 第十輯 (成城大) ( 六十六頁に続く)

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