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受け継がれ、手放さる民俗―鹿児島県志布市における神さあと人の営み― [ PDF

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Academic year: 2021

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受け継がれ、手放される民俗

―鹿児島県志布志市における神

か ん

さあと人の営み―

キーワード:祭り、信仰、講、日常、非日常、郷土、忘却、知の継承 人間共生システム専攻 保利 美貴 問題と目的 本論文は鹿児島県の志布志町・有明町の農村におい て、人びとが郷土における民俗の知を如何にして受け 継いできて、現在どのような状況において手放してい るのか、手放されたのち民俗はどのような境遇にある のか、こうした民俗を手放す状況が主流の中、なお受 け継がれている事例に着目して記述する。 伊藤はかつての農村において日常世界から非日常世 界へ転換するのには、祭りの際に「日常生活を超える」 という点からの「超日常化」と、物忌や精進を行う際 に「日常生活を離れる」という点からの「脱日常化」 という指向があったと述べる。しかし高度経済成長期 ののち都市化された現代において、それぞれは日常に 接近したものとなる。「超日常生活」は「日常生活の退 屈さを紛らわし、日常生活のためのエネルギーを補充 してくれる機会」となり、「脱日常生活」は、そもそも 「ケ」の持っていた休息という属性が顕在化し、「日常 生活に復帰するための、活力を養う機会」として受け 止められるようになっていった。[伊藤 1984:53-54] こうした世界観の転換は都市のみで行われているも のではない。一般的に「田舎」と称している農村地域 も、都市化の波にさらされて若者が不足し、都市の原 理に基づいた会社勤めを優先するために祭りへの参加 が優先できず、以前の農村の原理とは異なる状況に変 化しているのである。 本論では日常世界において「神さあを祭ること」、非 日常世界において「神さあと共食する祭」である講、 それよりもより広範に執り行われる「祭礼」を取り上 げる。この「神さあ」とごく親しげに呼びかけられて いる民俗的な小さな神がみは即物的な願いを叶える役 割を持っており、これを「信仰」することは、「祈願」 し「感謝」するということなのである。 そこから検討すると、「講」は小規模で、神との共食 を伴い、それを文化として保存する組織を持たず、そ の役割は共食を通じて集落の紐帯を強めることであり、 元来は祭る神の性格に応じた祈りや感謝を捧げつつ、 集落で寄りあって楽しむ、素朴な行事であった。つま りかつては日常生活を超えて神がみとの交流を積極的 に図る「超日常世界」の祭りであった。しかし現代の 世界観の転換により姿を変えている。また「祭礼」は 規模も大きく、神主が氏子に対して神事を行い、定形 化された舞や踊りを伴い、前者を素朴な農民の祭りと すれば、より文化的な性格が強い。またこの踊りを文 化として保存する組織を持つ。「講」と同様「超日常世 界」の祭りであったものだが、祭りの担い手以外の周 囲の部外者もまた見物に来る都市祭礼的な様相を帯び ている。 日常・非日常において実践されている祭りの変化に 関連した人びとの信仰を考察して行くものである。 方法 鹿児島県志布志市の志布志町、有明町のおいて、カ ミ(神さあ)に対して日常的にどのような祭りを行っ ているのか、または行ってきたのかを聞き書きし、ま た非日常的な祭りに関してはどのように行ってきたの かを聞き取り調査するとともに、志布志町安楽校区上 門集落の田の神講と、安楽校区の山宮神社・安楽神社 にて行われる春祭に関しては参与観察して、日常・非 日常における祭りの近代的転換に関して調査を行った。 結果 1、日常の祭りの継承 鹿児島は民俗学の盛んな地域であり、神がみに関し ても多くの先行研究がある。その中で一つ指摘されて いるのが、機能・役割の重複する神がみが存在するこ とと、ある名前の神に複数の役割が存在する場合があ ることである。つまり多種多様な起源・由来をもつ神 がみは、その土地の生活習慣により即した物に収束し てゆく。 そのことに関して伊藤は、小さな神がみの世界はほ とんどが産業社会以前の伝統の中に根をおろしている、 古典的な神がみと民衆生活の中から生まれた即物的な

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2 神がみであるため、このように汎神論的な世界では、 民衆の願望に応えて機能分化しながら共存共栄してき たものと指摘する。しかし中には生活様式の変化に対 応しきれなくなっている神がみもおり、特に田の神は 農業技術の革新に伴って存在理由を失っているとする。 [伊藤 1984:131-135]この他にも、生活変化の只中にお いて神がみはその役割を変質させる例がある。現在も、 土地の人びとが指摘するようにただ失われていくもの を危惧するだけでなく、機能の変質という側面に着目 して考えることができる。 しかし現代においては新しい生活習慣の中で古い信 仰は忘却される。こうした役割の転換を引き起こす環 境変化の要因としては信仰対象の消失により祭る動機 がなくなるといった社会変動と、神を祭る習慣が世代 を超えて伝わらないといった世代交代が重要な要素と なっている。そしてその役割の転換を引き起こす環境 変化の要因として、以下のように社会変動と世代交代 が重要な要素となっている。 (ⅰ)社会変動 水道の普及による水神信仰の衰退、農業や畜産業をし なくなったことにより田の神信仰や早馬信仰の衰退が 見られるなど、信仰対象の消失により祭る動機がなく なる。 (ⅱ)世代交代 人口減少の割に世帯数が増加していることから、核家 族が増えていることが分かる。このように子世代が親 世代と同居しないことにより神を祭る習慣が世代を超 えて伝わらず、忘れられてゆく。 このように忘却され手放されるのが懸念される中で 受け継がれていくものの例としては、 (ⅰ)公民館長の申し渡しなど、祭祀のシステムが仕事 に組み込まれる。 (ⅱ) 高齢化した集落において需要に沿った形で役割 が転換。田の神像はそのデフォルメされた見た目や祟 らない性質、長年集落で大事にしてきた経験から、小 さな子どもの少ない集落においてお年寄りに愛着を持 たれ、可愛がられている様子もある。 しかしこれらは受け継がれているもののもはや祈り を伴わずに形式的に祭られている様子も見て取れ、そ もそも神が持っていた性質や役割に対する信仰は失わ れ、新たな意味を付与されて惰性的に祭られている様 子もあり、世代が変わるにつれ失われる可能性は高い。 こうした事象は非日常の祭りにおいても見られる。 2、講の継承 ここでは、定期的に集落内で神さあ持ち回ってノンカ タ(飲み方・宴)を催している事例、地域のレクリエー ション的側面の強い祭り、講を取り上げた。旧薩摩藩領 では講が盛んである。門割制度・外城制度に代表される 武士による独自の農民支配体制を築き、厳しい年貢の取 り立てを行った。門割制度のため仕事に休みがなく、明 るくなってから日が落ちるまで毎日休みなく働いてい たが、神に祈る日、祭りの日は休めて米・酒を飲食出来 たため、薩摩藩領の農村部では多くの講が執り行われて いたといわれている。 現在ではそれぞれの講はすべて地域の社会的紐帯を 保つものと見て取れるし、祈りという面においてもあ まり差は見られない。 小さな神がみの祭りは、かつては集落を信仰集団と した信仰行事としての側面、集落の社会的紐帯を保つ ためのレクリエーションとしての側面、相互扶助的な 繋がりを持つ手段としての側面が存在した。祭りは個 人での祭りとは異なり、集団を巻き込むものであり、 また儀礼を伴う。儀礼は知識が必要な上、準備や片付 けなど煩雑な手続きが必要であるため、急激な変化に 対応するのは困難であり、持続しやすい。また権威者 の目があるうちは持続しやすいが、それがなくなると 失われる可能性がある。 失われる環境要因としては「社会変動」「世代交代」 「女性への負担」がその鍵となっている。そもそも農 村においては、昔は集落の内部で完結しており、集落 内の付き合いは最重要視すべきもので重要だった。そ れが集落の外部との関連が密になるに従い、集落の事 情を最重要視できなくなり、またする必要もなくなっ た。集落内の事情としては、 (ⅰ)社会変動…生活習慣の変化により、祭りの対象を 祭る必然性がない。家構造が変化し宴会の開催が困難。 (ⅱ)世代交代…世代交代により若者と老人で集落行事 に対する考え方に差がある (ⅲ)女性…準備にかかる女性の負担が大きい ということが考えられ、外部関連の事情としては、 (ⅳ)社会変動…仕事の変化(農業から勤め人)により 集落の用事を最優先できなくなった (ⅴ)世代交代…若者の郷土離れにより後継者が不足し ている。また若者流出に伴い、高齢化し、担ぎ手が不 足している。 (ⅵ)女性…働いている女性は昼間からかかる準備には 携わることができない ということが考えられる。

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3 その一方で、手放されずに受け継がれているものは 「社会変動」、「世代交代」、「女性への負担」に関して 手放す方向に転がらないものである。これは非常に個 人的な信仰と郷土への考えに支えられている。つまり、 (ⅰ)信仰…「神様だから粗末に出来ない」 (ⅱ)郷土への考え…「伝統だから大事にしなければ」 という考えによるものである。桜井徳太郎は「講」は そもそも「人びとが自分の住む地域社会の外へ出かけ ていって、そこに所在する霊社名刹とのあいだに進行 的つながりを持とうとするところに団体結集の主要な 動機を置いて」おりそれが目的であったものだが、「近 世になると講の持つ宗教的意義は次第に失われ、本来 の精神を逸脱して宴食や行楽を主とする形に堕落して きた」ことにより、明治以降は「中核となってきた社 寺崇敬の要素は次第に忘れ去られいたずらに行楽的要 素のみを求め追う娯楽のための旅行が流行してきた」 と指摘しており、これが現代の慰安旅行や町内旅行に つながっているものと推測したが、[桜井 1977:3-5]現 在行われている講も、「講」という名の行事に現在求め られている役割を付与することによって、成立過程の 目的とは異なる目的で伝統行事が維持されているとい う側面もある。 また、女性の講は相互扶助的な役割を負っていたが、 こちらも従来の役割を失っている。安井は、そもそも 民俗学が対象としてきたものは近世の村落から続く自 主的な存在の「自然村」、すなわち今日の「大字」であ ったが今日のムラに過去のムラの姿を見出そうとして も、そこには既に多くの変化が生じてしまっていると して、ムラの消滅に関していくつかの段階を想定して いる。第一に村落の生業を支えてきた共同労働の激減 に伴って、地縁共同体の役割が縮小される過程、第二 に都市文化や情報化などの影響によって村落が伝承し てきた様々な文化自体が変容して行く過程、第三に地 縁共同体の結びつきが弱まるにつれて、人びとのムラ への帰属意識が希薄化し、「ムラ人」よりもより広い「集 団」、例えば「会社」や「国家」などへと村に住んでい る人々が回収されていく過程を経て、最終的にムラを 構成していた人びとが、ムラの空間的領域とそれに根 差した集団から離脱していく、としている。[安井 2002:139-140]志布志町・有明町の事例は安井の指摘す る段階的なムラの消滅によって、集落の外の世界が重 要になってくることにより、講の規模が縮小したり消 失したり、「講」に新たな意味を付与して持続したりし ていった例であった。この女性の講のように相互扶助 的な役割を負い、抑圧された女性の楽しみであったも のも、世界観の転換により役割が失われ、祈願の対象 や郷土から離れることが前提となる都市的な社会シス テムがあるため、伝統を支える個人の信仰や郷土への 考えも離れて行く。かつて超日常世界の中で行われて いた小さな神がみの祭りは、人びとの祈願や感謝の気 持ちが神がみに向きにくい日常世界に転換したため成 立しなくなった。むしろ都市において「仕事あけくれ る日常生活から解放されて休息し、再び仕事に復帰す るために活力をやしなう世界」[伊藤 1984:145]たる、 「脱日常世界」の中で行われる祭りへと転換している のである。 3、祭礼の継承 祭りは「酒食を伴う宗教的な節日」とは対照的な「節 制」と「禁欲」があってはじめて祭りは成立している。 これはリーチの言う「乱痴気騒ぎ」と「堅苦しさ」の 対比である。しかし「堅苦しさ」が簡略化されて見え にくくなるにつれ、「乱痴気騒ぎ」は肥大化していく。 この傾向は観光や娯楽的色彩の濃い都市の祭りに顕著 に見られるものである。[関 2002:242-243] 農村においても、こうした娯楽的都市祭礼的な祭り が行われている。こちらの祭りはよりシステムに組み 込まれており、講と同様の「社会変動」「世代交代」の 問題を抱えていても、手放すことが困難なものである。 ここで取り上げる「春祭」は神社が主催であり、観客 が見に来るという点で講とは異なり都市祭礼的な性格 が強いが、タノカンサアが登場するなど神は重複して おり、祭りにこめる祈りや願いも似通っていて元来の 目的は共通している。神社の執り行う厳粛で荘重な神 事があり、また集落の人が扮する田の神様と神主との 間で田の神問答という厳粛且つ野卑な神事が執り行わ れ、集落の人びとが執り行うカギヒキなどの喧騒な祭 事もあり、祭儀と祝祭の二側面を併せ持つ祭礼である。 高岡は民俗学には「カミが支配する農村」と「貨幣 が支配する都市」の二項対立が存在すると指摘したう えで、高度経済成長期の「近代化」もしくは「都市化」 は貨幣がカミを排除して歴史であると述べ、地理的・ 景観的な農村は失われていないものの、原理としての 「農村」が失われてしまっていると述べている。[高岡 2002:130-131]志布志・有明町地域も農村原理はかつて ほどの隆盛しておらず、都市のシステムに取り込まれ ていると考えられる。こうしたことから、そもそも農 耕儀礼ではありながらも都市祭礼的な側面を持つ春祭 には、豊作の祈願と子の健やかな成長祈願という祈願

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4 の側面と、近隣住民の楽しみとしての娯楽の側面があ るため、狭い範囲での小さな神がみの祭りとは違い、 「社会変動」「世代交代」「女性への負担」という同様 の失われる環境要因を備えていても、手放せない民俗、 手放しにくい民俗であると考えられる。正月踊に関し ては 1962(昭和 37)年県より指定無形民俗文化財に指 定されていることから保護される前提があり、従来の 踊り手であった青年団員を構成する独身男性の不足と いう事態があっても、小学生の踊り手である程度解消 された上、踊りが安楽小学校の運動会でも披露されて より普及されている。農業に関する祈願は衰退しても 子どもが元気に育つようにという祈願は健在であり、 より広範囲の地域で支えられているため祈願人口が一 定数確保されている。また後継者不足が懸念されてい ても、文化財指定や保存会の存在などのシステムが整 備されているため失われにくい。 考察 「民俗の知識」とはライルの分類でいう knowing how の知識であり、郷土の人びとが持つ実践の知であり、 その根底に渦巻く何か芯のようなものである。本論に おいては、人びとが郷土における民俗の知識を如何に して受け継いできて、現在どのような状況において手 放しているのか、こうした民俗を手放す状況が主流の 中なお受け継がれている事例に関する記述を元に、日 常・非日常において実践されている「祭ること」「祭り」 の変化に関連した人びとの信仰を考察した。この「祭 ること」に関しては、日常世界において「神さあを祭 ること」、非日常世界での「神さあのお祭り」、それよ りも広範囲における「祭礼」の三つの観点を持った。 前二者おいては受け継いできたものを手放す傾向にあ るが、それには環境の要因があった。受け継がれてい くものもあるが、日常の祭りではその場合もそもそも 神が持っていた性質や役割に対する信仰は失われ、新 たな意味を付与されて惰性的に祭られている様子もあ り、世代が変わるにつれ失われる可能性は高いもので あった。これは超日常の祭りにおいてもそれは同様で あり、それに加え「講」というシステムに便乗して現 代的な価値観を付与することができれば持続して行く ものと考えられた。しかし祈願の対象や郷土から離れ ることが前提となる都市的な社会システムがあるため、 伝統を支える個人の信仰や郷土への考えも離れて行く のである。その一方で祭礼は、人びとの祈願と踊りな どの実践的な民俗をどちらも受け継いでいく要素が見 られる。しかしここで受け継がれているのは実践する 人びとの中で、そもそも受け継がれてきた理由である 祈りを以て受け継がれていく「民俗の知識」というよ りは、ただ楽しみを以て受け継がれていく民俗の知識 の外殻のように思われる。 祭りに際しての「信仰」は忘却され、その外殻のみ が残ったり、外殻も消えてしまったりしているのが現 状である。地域に息づいていた思想は時の流れに流れ て行く。これは汎神論的世界における民俗の在り方と しては昔ながらの正しい形である。但しかつては忘却 された神に代わる神が存在しており、それが汎神論的 な世界の特徴であったのに対し、現代においては忘却 された神に代わって祈願や感謝を捧げる対象の存在が なく、神の気配の希薄な世界観となった。 日常世界はかつての集落内でほぼ完結していた世界 観から都市化に伴い集落内部の世界のみでなく、集落 の外との繋がりが重要な世界観となり、超日常世界に おいて行われていた「祭り」も脱日常的世界の中で行 われるよう転換された。また日常世界の世界観の転換 により、祭りのもつ集落の社会的紐帯を結ぶ役割も希 薄になったために、「祭り」のシステムを保つ動機も曖 昧になってくるのである。 もともと存在した汎神論的な世界はぼんやりとした ものになり、「祭り」の形式を残してもそれはどこか異 なるものとなる。世界観が転換し、伝統行事の心を受 け継ぐのは難しい時代である。しかしまた新たな意味 を付与されて受け継がれていく、その取り組みは、神 の気配の希薄な都市化した土地の新たな世界観の上に 構築された新しい民俗なのである。 主要引用文献 伊藤幹治 1984『宴と日本文化―比較民俗学的アプロ ーチ』中央公論社 桜井徳太郎 1977(1962)『講集団成立過程の研究』吉 川弘文館 関一敏 2002「祭り」小松和彦・関一敏編『新しい民 俗学へ―野の学問のためのレッスン 26』せりか書房 242-251 高岡弘幸 2002「都市」小松和彦・関一敏編『新しい民 俗学へ―野の学問のためのレッスン 26』せりか書房 122-133 宮田登 2006『宮田登日本を語る 11 女の民俗学』吉川 弘文堂 安井眞奈美 2002「女性」小松和彦・関一敏編『新しい 民俗学へ―野の学問のためのレッスン 26』せりか書房 87-98

参照

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