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ヨーロッパの放送の自由  比較憲法研究

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ヨーロッパの放送の自由

  比較憲法研究  

波多江 悟 史

 本稿は、ドイツ、フランス、イタリアの放送の自由を主要な素材として、

一 独占秩序の展開   1  ドイツ   2  フランス   3  イタリア   4  比 較 二 二元秩序の成立   1  ドイツ   2  フランス   3  イタリア   4  比 較 三 二元秩序の展開   1  ドイツ   2  フランス   3  イタリア   4  比 較 結

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ヨーロッパの放送の自由の特質を解明しようとするものである( 1 )。近年の比較 憲法学における研究動向は、ヨーロッパの放送の自由がアメリカの放送の自 由とは異なる独自性を有すること、およびヨーロッパの中でも構成国の放送 の自由が共同体の放送の自由とは異なる独自性を有することを強調してい る。ヨーロッパの放送の自由の独自性、特にヨーロッパ構成国の放送の自由 の独自性が強調されるのは、その放送の自由の伝統的な理解が今日的状況に おいて重要な意義を有していることが強く意識されているからであると考え られる。先ずは、この点を敷衍することによって、本稿の有する問題関心を 明らかにすることにしたい( 1 )。その上で、ヨーロッパの放送の自由をい かに分析するのかについて、本稿の見解を述べることにする( 2 )。

 ( 1 )問題関心

 ヨーロッパの放送の自由は、比較法的に見れば、非常に特異な性質を有し ていると言うことができる。ヨーロッパの放送秩序は、1920年代に放送が導 入されて以来、公共放送の独占秩序として形成された。その放送の理念は、

第二次世界大戦後に新憲法が制定され、放送法制が改革されたことを背景に して、信託原理(Treuhand/service public/servizio pubblico)として定式 化された。信託原理は、放送が多様な情報を提供し、放送が公衆に奉仕する ことを放送の目的とするものであり、放送が公衆に奉仕することを確保する ために、国家が放送に関与することを正当化した。

 しかし、放送秩序は、1980年代に商業放送が導入されることに伴って、大 きな変容を経験する。放送秩序は、公共放送が単独で活動する独占秩序では なく、公共放送と商業放送が並存して活動する二元秩序として形成された。

さらに、放送の理念も、市場原理として定式化されることになった。市場原 理は、放送が企業の広告を重視し、放送が市場に従属することを放送の目的 とするものであり、放送が市場に従属することを徹底するために、国家が放 送に関与することを不当視する。それ故に、国家に対しては、放送規制を緩 和し撤廃することが、放送の自由の名の下に要請されてくる。

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 もっとも、放送の自由の理解において重視されていた信託原理は、二元秩 序において市場原理が導入される中で、従来の規範力を喪失したわけではな い。むしろ、信託原理は、市場原理に対して自己の存在意義を主張し続けて いる。従って、ヨーロッパの放送の自由は、放送秩序が独占秩序から二元秩 序へ転換する中で、信託原理と市場原理が相互に対抗し合う過程として特質 付けることができるだろう。

 ヨーロッパの放送の自由の特質は、放送が市場に従属することに抵抗し、

放送が公衆に奉仕することを擁護することにある。しかし、こうした放送の 自由の理解は、アメリカの放送の自由およびヨーロッパ共同体の放送の自由 の中には見出すことはできない。先ず、アメリカの放送秩序は、1920年代に 放送が導入されて以来、公共放送ではなく商業放送を中心にして発達してき た。商業放送が、商業広告を財源として、放送活動を展開することが積極的 に評価される反面で、公共放送が、二元秩序において、重要な役割を引き受 けることは否定的に評価された。国家が放送に関与することは、特に1970年 代以降に進展した規制緩和からも理解されるように、表現の自由を侵害する ものとして位置付けられている。

 さらに、ヨーロッパ共同体法は、特に1980年代以降、構成国の放送法に多 大な影響力を行使してきた。その共同体法が主要な目標とするのは、共同体 内部において放送の共通市場を設立することである。従って、構成国の放送 法は、市場の設立を阻害する要因として評価され、特に公共放送の受信料制 度は、自由な競争を歪曲する要因として、限定的にしか許容されない。構成 国における放送規制を緩和し撤廃することが、共同体法における規範的要請 である。

 従って、アメリカの放送の自由およびヨーロッパ共同体の放送の自由は、

公共放送と放送規制を否定的に位置付ける点において、放送が市場に従属す る現実を強く受容し肯定するものに外ならない。こうした放送の自由の理解 は、ヨーロッパ構成国の放送の自由とは対蹠的である。というのも、ヨーロ

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ッパ構成国の放送の自由においては、放送が公衆に奉仕することが重視され た上で、国家が放送を規制すること、特に公共放送を保障することが強調さ れているからである。

 本稿は、アメリカ、ヨーロッパ共同体、ヨーロッパ構成国の中でも、特に ヨーロッパ構成国の放送の自由を解明することにしたい。ヨーロッパ構成国 の放送の自由は、放送が公衆に奉仕することを重視するものである。放送 は、多様な情報を供給することを通して、個人と社会が発展することに寄与 する。言い換えれば、市民は、放送の供給する多様な情報を介して、政治過 程に参加し、社会内部に統合され、文化空間を形成することができる。そう した関連性は、今日の放送の自由の理解においても、維持すべきであるよう に思われる。

 確かに、放送の関連する対象は、公衆に限られるわけではない。むしろ、

放送は、国家と市場に対しても、強度の関連性を有している。というのも、

特に独占秩序において強く見られるように、放送が政治的に利用される危険 性は非常に高く、さらにまた、特に二元秩序において強く見られるように、

放送が経済的に濫用される危険性は非常に高いからである。しかし、放送の 政治的利用は、放送の国家からの自由を侵害するものとして、強く否定され るべきであり、放送の経済的濫用は、放送の公衆に対する奉仕を阻害するも のとして、強く否定されるべきである。

 確かに、放送が市場に従属することは、昨今においても顕著に観察される 傾向である。しかも、その関連を放送の自由の理解に積極的に導入する見解 も、強く主張されている。しかし、市場に従属する放送が重視する言論は、

単に商業的な価値を有するものに限定されてしまう。その事態を規範的に肯 定するならば、商業的に低価値な言論を排除することが容認されることにな るであろう。こうした事態が生起することを肯定しないとすれば、放送にお いて重視すべきは、市場に適合する言論が支配的地位を獲得することではな く、社会に関連する言論が平等な表現の機会を有することであると考えるべ

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きである。

 従って、放送の自由は、放送の経済的関連性の中ではなく、放送の社会的 関連性の中において理解されるべきである。その関連を確保するのは、市場 ではなく国家であろう。たとえ放送の政治的利用が否定されるべきであると しても、放送が国家ではなく市場によって規定されるべきことが帰結するわ けではない。むしろ重視すべきは、国家が放送の規制者ではなく放送の保障 者として機能する可能性である。総じて、国家が放送を市場から保護し社会 に帰属させることは、国家が市場優位の中で社会から撤退していく現状を鑑 みれば、十分に主張する意義のあることであると考えられよう。本稿がヨー ロッパ構成国の放送の自由を検討するのは、このような問題意識に基づいて いる。

 ( 2 )分析方法

 本稿は、国家が社会を市場から保護することは、いかなる意義を有するの かという問題に焦点を当てて、ヨーロッパの放送の自由の特質を解明するこ とにしたい。その際にヨーロッパとして特に想定されるのが、ドイツ、フラ ンス、イタリアの三ヶ国である。その三国はヨーロッパ諸国の中でも特に重 要な放送法制を発達させてきた。三国の放送の自由は主に憲法裁判所によっ て形成された。実際に、憲法裁判所は、放送の自由に関する憲法判例を数多 く蓄積させている。その中で主張されたのは、放送の自由は放送が社会に帰 属することを目的とするものであり、その目的を実現するためには国家が放 送を保障することが必要になるということである。その理解は三国に共通し て見出される観念であると考えられる。従って、ヨーロッパの放送の自由 は、ドイツ、フランス、イタリアの放送の自由を検討することによって、推 察することができるだろう。

 本稿が放送の自由を分析する際に重視するのは、放送の歴史的展開と放送 の理論的構造である。先ず、放送の歴史的展開は、第一に、1960年代から 1970年代にかけて公共放送の独占秩序が展開する時期、第二に、1980年代に

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おいて商業放送が放送秩序に導入される時期、第三に、1990年代から2000年 代にかけて公共放送と商業放送の二元秩序が展開する時期に区分することが できる。各々の時期は放送の理念の転換を伴う。独占秩序の展開は信託原理 の形成時期であり、二元秩序の成立は市場原理の導入時期であり、二元秩序 の展開は信託原理と市場原理の対抗時期である。従って、独占秩序の展開、

二元秩序の成立、二元秩序の展開を時期区分として設定する目的は、信託原 理がいかなる理念として形成され、市場原理に対していかに対抗してきたの かを解明しようとすることにある。

 さらに、放送の理論的構造は、放送の自由の問題と放送の秩序の問題に区 分することができる。放送の自由の問題は、放送の理念をいかに理解すべき かというものである。その中で特に想定されるのが、第一に、放送活動で重 視されるのはいかなる主体のいかなる利益であるのか、第二に、私人は国家 に対していかなる権利を有するのか、特に商業放送を設立し運営する権利を 有するのか、第三に、放送活動は言論活動として性質付けられるのか、それ とも経済活動として性質付けられるのかという問題である。それらの問題は 相互に密接な関連性を有している。一方において、放送の送り手の個人的利 益が問題とされる場合には、私人は国家に対して商業放送を設立し運営する 権利を主張することができると観念される。その際に、私人は企業体として 存在するのが通例であるから、放送活動は経済活動として性質付けられるこ とになる。他方において、放送の受け手の社会的利益が問題とされる場合に は、私人は国家に対して商業放送を設立し運営する権利を主張することはで きないと観念される。むしろ、国家は、経済的利害に拘束されることなく、

放送の自由を形成しなければならない。その際に放送活動は言論活動として 性質付けられることになる。

 それに対して、放送の秩序の問題は、放送の理念をいかに実現すべきかと いうものである。憲法裁判所の主要な役割は放送の自由を定義することであ るのに対して、立法者の主要な役割は放送の自由を実現することである。立

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法者は、放送の自由の形成に際して、様々な選択肢を有する。その主要な選 択肢は、国家が放送を独占する場合と、市場に開放する場合である。放送秩 序が歴史的に独占秩序から二元秩序へ展開してきたことは、既に述べた通り である。立法者の秩序形成が放送の自由を実際に実現しているのかは、憲法 裁判所にとって非常に重要な問題となる。独占秩序が選択される場合には、

国家が放送を市場から排除することは、いかなる根拠によって正当化される のか、特に公共放送の独占秩序は、何らかの仕方で条件付けられるのかが問 題とされるのに対して、二元秩序が選択される場合には、国家が放送を市場 に開放することは、いかなる根拠によって正当化されるのか、特に公共放送 と商業放送の各々は、 いかなる性質において理解されるのかが問題とされる。

 放送の自由と放送の秩序を理論視座として設定するのは、信託原理と市場 原理がいかなる理論構造を有するのかを把握しようとするためである。信託 原理および市場原理は放送の自由および放送の秩序の解釈として表現され る。その解釈に際して、放送の受け手の利益を重視し、放送を言論活動とし て把握した上で、独占秩序を擁護し、さらには公共放送の保障を提唱する立 場と、放送の送り手の利益を重視し、放送を経済活動として把握した上で、

二元秩序を要請し、ひいては公共放送の民営化を主張する立場は、激しく対 立してきた。従って、放送の自由と放送の秩序を分析枠組とすることによっ て、信託原理と市場原理の対抗過程を理論的に解明することができるだろ う。

 本稿は、ドイツ、フランス、イタリアの放送の自由を比較法的な素材とし て、ヨーロッパの放送の自由の特質を究明する。各国の放送の自由を考察す る際には、独占秩序の展開、二元秩序の成立、二元秩序の展開を時代区分と して設定し、さらに、放送の自由および放送の秩序を理論視座として採用す る。ヨーロッパの放送の自由は以上の考察を通して解明することができるだ ろう。

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一 独占秩序の展開

 1970年代以前のヨーロッパ放送秩序は、公共放送が単独で存在する独占秩 序として形成された。その際に、放送の自由は、放送の受け手の自由として 理解されている。放送が憲法上いかに理解されるのかを提示したのは、ドイ ツとイタリアでは憲法裁判所であり、フランスでは立法者であった。ドイツ 連邦憲法裁判所は、1961年の第一次放送判決( 2 )において放送の特殊事情に論及 した後に、1981年の第三次放送判決( 3 )において意見形成の自由を展開した。イ タリア憲法裁判所は、1960年判決( 4 )と1974年225号判決( 5 )においては放送の社会 的意義を主張し、放送の受け手の自由を優位させつつ、1974年225号判決( 6 )、 1974年226号判決( 7 )、1976年判決( 8 )においては放送の技術的要素を強調し、放送 の送り手の自由を主張した。フランス立法者は、1964年法( 9 )、1972年法(10)、1974 年法(11)において、放送の公役務の概念を重視している。本章は、独占秩序の展 開において、ヨーロッパの放送の自由がいかに理解されたのかを検討する。

  1  ドイツ

 ドイツの放送の自由は、独占秩序の展開において、初めに放送の特殊事情 に関連して理解された(12)。放送の特殊事情とは、放送に利用する周波数が稀少 であり、放送に使用する設備費が高額であることである。放送は、特有の特 殊事情によって規定されるが故に、自由競争を前提とすることはできない。

というのも、放送が特殊事情下で自由競争を展開するならば、放送領域にお いて私的独占が形成することになってしまうからである。従って、放送は、

広告料に基づく私経済性ではなく、受信料に基づく共同経済性によって組織 されざるをえない。こうした事態は新聞とは異なるものである。というの も、新聞は、多数の主体が自由に競争することを前提とすることができるか ら、広告料に基づく私経済性によって組織することができるからである。

 しかし、放送の自由は、それ以後の展開において、放送の特殊事情から独

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立し、意見形成の自由として理解されるに至った。というのも、放送の自由 の保障は、放送の特殊事情が解消する場合であっても、堅持すべきであるか らである(13)。放送の自由は自由な個人的で公共的な意見形成を保障し、意見形 成とは意見の表明主体と受領主体が相互に関連する過程のことであるから、

放送の自由は意見形成の媒体および要因として公衆の意見形成に奉仕する自 由となる。さらに、放送の自由は、国家が放送の自由を制限しないことだけ でなく、国家が放送の自由を形成することをも要請している(14)。言い換えれ ば、立法者は、放送の自由を消極的に制限しない義務だけでなく、放送の自 由を積極的に保護する義務を負う。

 放送の自由は意見形成の自由として理解され、言論を受領し意見を形成す る主体は放送の受け手であるから、意見形成の自由は放送の受け手の自由を 意味する。それに対して、放送の自由が放送の送り手の自由を保護するもの であるかという問題は、明確に判断されることがなかった。独占秩序は私人 が商業放送を設立し運営することを原則的に禁止するから、私人による商業 放送の設立運営の権利が憲法上いかに位置付けられるのかが、非常に重要な 論点となる。というのも、憲法がそうした権利を保障するとすれば、放送企 業者は独占秩序が憲法に違反することを容易に主張することができるからで ある。しかし、その権利が憲法によって保障されることは、明確に主張され ることはなかった(15)。従って、放送の自由は、送り手の自由ではなく、受け手 の自由として理解されていると言えるだろう。

 独占秩序の意味内容は、以上の放送の自由の展開によって規定される。先 ず、放送の特殊事情は、独占秩序の正当性を根拠付けた(16)。放送の特殊事情 は、放送領域において多数の主体による競争が成立しないことを帰結するか ら、放送の自由の実現に際して、国家が特別な措置を講ずることを要請す る。独占秩序はそうした措置として正当化することができる。確かに、放送 の自由は、独占秩序を要請するものではなく、さらにまた、二元秩序を禁止 するものでもない。しかし、商業放送の導入に対しては、公共放送と同程度

(10)

の厳格な規律が要請される(17)。商業放送は、仮に導入するとすれば、そうした 厳格な規律に服する必要がある。いずれにせよ、放送の自由が否定するの は、放送が国家に統制されること、あるいは、一部の社会集団に支配される ことである。

 次に、意見形成の自由は、商業放送の不当性を基礎付けた。公共放送の独 占は原則的に肯定されたのに対して、商業放送の導入は例外的に許容される に過ぎない(18)。放送は少数の主体の独占を帰結し、私的独占が公共的意見を支 配する危険性を内在するから、私的支配を排除し意見の多様性を確保するこ とが要請される。立法者は、商業放送を導入する場合には、商業放送が意見 の多様性を伝達することを確保しなければならない。言い換えれば、商業放 送は、意見の多様性を確保する規制を前提としてしか、存在することはでき ない。そうした商業放送に対する規律要請は、公共放送が意見の多様性を確 保する場合であっても、依然として妥当する。というのも、商業放送におけ る言論の一様性は、 公共放送における言論の多様性を阻害し得るからである(19)。  ドイツ独占秩序の展開は、放送の自由が、放送の特殊事情ではなく、意見 形成の自由として理解されること、および独占秩序が原則的に憲法に適合 し、二元秩序が原則的に憲法に違反することを帰結させた。放送の自由は、

送り手の自由ではなく、受け手の自由として理解され、放送の秩序は、放送 が国家と集団から独立し、既存の意見の多様性を保障することを要請する。

公共放送はこの放送秩序の要請を充足するが故に、独占秩序は無条件に肯定 される。それに対して、商業放送はこの放送秩序の要請を充足しないが故 に、二元秩序は条件付きでしか肯定されない。放送の自由が受け手の自由と してのみ理解され、公共放送が放送秩序において原則的地位を占めること は、相互に緊密な関連性を構成するものである。商業放送が例外的にしか自 己の存立を許容されないのは、放送の自由が送り手の自由を保護しないこと に鑑みれば、当然の帰結であろう。独占秩序の展開全体は公共放送に対する 強い信頼感を示唆するものである。

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  2  フランス

 フランスの放送の自由は、独占秩序の展開において、放送の公役務の概念(20)

に関連して理解された。放送の公役務の概念は一般的利益を本質とし、文化 的役務を任務とするものである。一般的利益とは公衆の利益を保護すること であり、文化的役務は情報、文化、娯楽を指示するものである。従って、放 送の公役務の概念は、公衆が情報への権利を享受することを帰結する(21)。確か に、放送の公役務の概念は、送り手の自由を否定するものではない。しか し、放送の公役務の概念は、受け手の自由が送り手の自由に優位することを 含意する。というのも、受け手の情報への権利という一般的利益は、送り手 の表現の自由という個別的利益を制約することができるからである。従っ て、独占秩序は、受け手の自由が送り手の自由を制約するものとして位置付 けられる(22)

 独占秩序の意味内容も、以上の放送の公役務の概念によって規定される。

独占秩序を正当化する根拠は、公衆の情報への権利を充足するのは、商業放 送ではなく公共放送であるという想定である。しかし、現実の放送組織の実 態は、国家が放送に介入することを容認するものであり、放送が市場に依存 することを受容するものであった。放送が国家によって政治的に利用され、

しかも市場によって経済的に規定されるのであれば、公共放送が商業放送に 優位するという想定はもはや妥当しなくなる。むしろ公衆の情報への権利を 充足するのは、公共放送ではなく商業放送であると観念されるであろう。そ の場合に、公衆の情報への権利は、公共放送の独占を維持するものではな く、商業放送の導入を容認するものとなる。もっとも、放送の公役務の概念 は、商業放送の導入を無条件に容認するものではなく、商業放送の導入に厳 格な条件を設定するものでもあった。というのも、放送の公役務の概念が否 定されない限り、公衆の情報への権利を確保するために商業放送を規制する 余地は残されるからである。

 フランス独占秩序の展開は、放送の自由が送り手の自由を保護することを

(12)

前提としつつ、受け手の自由が送り手の自由に優位することを帰結する。受 け手の自由は、公共放送の独占を正当化する側面を有する一方で、商業放送 の導入を正当化する側面をも有していた。もっとも、受け手の自由は、国家 が商業放送を規制することを容認する。放送の公役務の意義は、受け手の自 由を明確化させつつ、独占秩序を相対化させたことにある。

 

  3  イタリア

 イタリアの独占秩序は、全国的領域においては、合憲性を肯定されるのに 対して、地域的領域においては、合憲性を否定されている。従って、独占秩 序の展開は、全国的領域の場合と地域的領域の場合に区分して考察すること ができる。全国的な独占秩序を正当化する根拠は、一方では、放送に利用す る周波数が稀少であり、放送に使用する設備費が高額であることであり、他 方では、放送が公役務として性格付けられることである(23)。全国的な放送活動 は、周波数の稀少性と設備費の高額性を要因にして、私的独占の形成余地を 強く有している。というのも、全国的領域において、自由な放送活動の展開 は、多数の主体が競争する事態を帰結するのではなく、少数の主体が独占す る事態を帰結するからである。

 しかし、放送は、高度の一般的利益を充足する公役務活動として規定され

(24)る

。その点で、放送活動から利益を享受する主要な主体は、放送の受け手に 外ならない(25)。従って、放送の公役務の概念は、放送の自由が放送の受け手の 自由であることを帰結する。総じて、放送の公役務の概念は、特定の送り手 が私的独占を形成し放送領域を支配することを許容するのではなく、多数の 受け手が放送活動から利益を享受することを要請する。国家が全国放送を公 共放送の独占秩序として設定することは、そうした要請を充足するものとし て正当化することができる(26)

 それに対して、地域的な独占秩序は、正当化され得ない。独占秩序は、外 国番組の中継活動に関して適用される限りで、憲法に違反すると評価された

(13)

後に、地方規模のケーブル放送および地方規模の地上波放送に関して適用さ れる場合でも、憲法に違反すると判断された。全国的な独占秩序を正当化す る根拠は、周波数の稀少性と設備費の高額性、および放送の公役務の概念で あった。地域的な二元秩序を正当化する根拠は、それらの諸要素が地域的な 放送活動には妥当しないということである。周波数の稀少性は外国番組の中 継活動に対しては妥当せず(27)、周波数の稀少性と設備費の高額性は地方規模の ケーブル放送および地方規模の地上波放送に対しては妥当しない(28)。というの も、地域的領域においては、放送に利用する周波数が豊富に存在し、放送に 使用する設備費は低廉であるから、多数の主体が相互に競争する事態が成立 し得るからである。

 さらに、地域的な放送活動は、公役務活動ではなく、通常の企業活動とし て規定される(29)。その場合に、放送活動から利益を享受する主要な主体は、多 様な情報を視聴する受け手ではなく、放送企業を設立運営する送り手である ことが強調される(30)。従って、地域的な放送秩序は、多数の主体が自由に競争 する領域として規定される。その限りで、独占秩序は、送り手の自由を侵害 するものとして評価される。その侵害を正当化する技術的根拠は、地域的領 域においては存在しない。従って、地域的な放送秩序は、二元秩序として形 成される。

 イタリア独占秩序の展開は、全国的な独占秩序と地域的な二元秩序が並存 して存在する事態を成立させた。その際に、独占秩序と二元秩序の関係は、

独占秩序が法的統制に服すると共に、二元秩序も法的統制に服することによ って相互に調整されている。独占秩序が法的統制に服するのは、国家が全国 的領域において受け手の自由を保障し、地域的領域において送り手の自由を 侵害しないことが確保される必要があるからである(31)。それに対して、二元秩 序が法的統制に服するのは、国家が地域的領域において送り手の自由を保障 し、全国的領域において受け手の自由を侵害しないことが確保される必要が あるからである(32)。従って、全国的な独占秩序と地域的な二元秩序が共に法的

(14)

統制に服することが、当時の放送秩序の存立条件であったと言えるだろう。

 イタリア独占秩序の展開は、全国的領域においては独占秩序が憲法に適合 することを堅持するのに対して、地域的領域においては独占秩序が憲法に違 反することを帰結させる。地域的領域において成立したのは、公共放送と商 業放送が並存して活動する二元秩序であった。放送の自由は、全国的領域に おいては、受け手の自由を送り手の自由に優位させたけれども、地域的領域 においては、送り手の自由を受け手の自由に優位させた。全国的な独占秩序 と地域的な二元秩序は、受け手の自由と送り手の自由を適切に調整するため に、特定の法律上の条件によって統制する必要があるとされている。独占秩 序の展開を特徴付けたのは、受け手の自由に依拠して独占秩序を条件付きで 維持し、 送り手の自由に依拠して二元秩序を条件付きで導入することであった。

  4  比 較

 ヨーロッパ独占秩序の展開は放送の自由と放送の秩序に関する理解を明確 化させた。ドイツの放送の自由は、送り手の自由を肯定することなく、受け 手の自由を重視した。それに対して、イタリアの放送の自由は、受け手の自 由と共に送り手の自由を肯定した上で、全国的領域では受け手の自由を貫徹 させつつ、地域的領域では送り手の自由を優位させた。フランスの放送の自 由は、送り手の自由を承認しながらも、受け手の自由を送り手の自由に優位 させている。従って、各国の放送の自由は、送り手の自由を承認するか否 か、および送り手の自由を受け手の自由に優位させるか否かについて、相互 に相違している。ドイツの放送の自由は送り手の自由を承認しないのに対し て、フランスとイタリアの放送の自由は送り手の自由を承認している。その 上で、フランスの放送の自由は全般的領域で受け手の自由を送り手の自由に 優位させるのに対して、イタリアの放送の自由は地域的領域では送り手の自 由を受け手の自由に優位させている。従って、三国の放送の自由は、特に送 り手の自由の受容に関して、顕著な相違を示していると言えよう。しかし、

(15)

三国の放送の自由は、放送の自由の核心を受け手の自由として理解する点に おいて、相互に一致していると考えられる。そのことは、ドイツとフランス だけでなく、イタリアにおいても妥当している。というのも、イタリアの放 送の自由は、全国的領域においては、受け手の自由が送り手の自由に優位す ることを堅持してきたからである。送り手の自由の妥当する領域は地域的領 域に限定されている。受け手の自由の優位は、その点において、表現されて いると言えるだろう。

 さらに、ドイツの放送秩序は、公共放送の独占を無条件に肯定するのに対 して、商業放送の導入には厳格な条件を要請している。それに対して、イタ リアの放送秩序は、商業放送の導入に特別な条件を設定するだけでなく、公 共放送の独占にも厳格な条件を要求している。フランスの放送秩序は、公共 放送の独占を正当化するだけでなく、商業放送の導入を正当化している。も っとも、放送の公役務の概念は、公共放送と共に商業放送を規律することを 想定している。従って、各国の放送秩序は、独占秩序に特別な条件を付与す るか否かについて、相互に相違している。ドイツの放送秩序は独占秩序を無 条件に肯定するのに対して、イタリアの放送秩序は独占秩序を条件付きで容 認するに過ぎない。フランスの放送秩序は独占秩序の統制可能性を有してい たけれども、その可能性は潜在的なものに止まっていた。憲法院が独占秩序 の合憲性を審査しなかった(33)ことが、その主要な原因であろう。しかし、三国 の放送秩序は、独占秩序が合憲と判断された点において、相互に一致してい ると考えられる。たとえイタリアの独占秩序が地域的領域に関して憲法に違 反すると判断されたとしても、全国的な独占秩序の合憲性は憲法裁判所によ って肯定されている。三国の独占秩序の原則性は、三国の放送秩序が一致し て商業放送の導入に厳格な条件を設定する点においても、強く表現されてい ると言えるだろう。

 総じて、ヨーロッパの独占秩序の展開が共通の特徴としたのは、受け手の 自由を重視し独占秩序を強調したことであったと言うことができる。放送の

(16)

自由と独占秩序の位置付けを明確化したことは、独占秩序の展開が生み出し た成果に外ならない。次章では、二元秩序の成立に伴って、放送の自由と放 送秩序がいかに変容するのかを検討することにしたい。

二 二元秩序の成立

 1980年代以降のヨーロッパ放送秩序は、公共放送と商業放送が並存して活 動する二元秩序として特徴付けられる。二元秩序はドイツでは1986年の第四 次放送判決(34)において、フランスでは1982年判決(35)と1986判決(36)において、イタリ アでは1981年判決(37)と1988年判決(38)において承認された。二元秩序の成立は放送 の自由と放送の秩序の変容を帰結する。独占秩序の展開において、放送の自 由は受け手の自由として理解され、独占秩序の憲法上の位置付けが明確化さ れた。しかし、1980年代には、商業放送の導入が容認され、公共放送の独占 が解体されるだけでなく、送り手の自由が重要な位置を獲得することにな る。本章は二元秩序の成立におけるヨーロッパの放送の自由を検討する。

 

  1  ドイツ

 第四次放送判決は、立法者による商業放送の導入を容認するに際して、放 送の自由に関する理解を再定式している。放送の自由は、独占秩序の展開に おいて、放送の特殊事情に依拠する理解から、公衆の意見形成を重視する理 解へ転換していた。第四次放送判決においては、放送の自由を意見形成の自 由として理解する枠組は維持されながらも、放送には固有の特殊事情が存在 することが再び強調されている(39)。放送の特殊事情とは周波数の稀少性と財政 費の高額性のことである。確かに、放送の特殊事情は、特に衛星放送とケー ブル放送の導入によって、以前よりも技術的に改善されている。

 しかし、そうした新規の放送技術は、全ての人が利用可能なものとはなっ ていない。従って、放送の特殊事情は、現在においても放送を強く規定する 要素であり続けている。しかも、従来の特殊事情に付加して、新たに放送の

(17)

ヨーロッパ化という事情が強調される。ヨーロッパでは放送の共通市場が成 立している。それ故に、ある国に属する放送局は、自国の国境を越えて、他 国の国民に番組を伝達することができる。その場合に、一国が単独で放送を 規制することは、非常に困難となる。特にドイツにおける各州は、従来のよ うに、自州における放送を有効に規律することはできない。

 従って、商業放送は、新旧の特殊事情に規定される結果として、放送の自 由を十全に実現することはできない(40)。第一に、商業放送は、新規の放送技術 を活用する場合には、公衆一般を対象とすることはできない。第二に、商業 放送は、活動財源を商業広告に依存するから、主に娯楽番組を提供する傾向 を有する。第三に、商業放送は、国境を越えて放送活動を展開する場合に は、各州の規律を回避することができる。

 しかし、商業放送が重大な欠陥を胚胎するにしても、そうした欠陥は、立 法者による商業放送の導入が憲法に違反することを帰結するものではない。

むしろ、立法者の形成余地は、商業放送の実現を可能とするように制限され

(41)る

。言い換えれば、立法者は、商業放送を導入する場合には、商業放送に過 度の規制を加えてはならない。というのも、商業放送は、立法者による導入 判断を前提にして、送り手の自由を享受することができるからである(42)。それ 故に、 商業放送に対する規制は、 原則的に緩和されたものでなければならない。

 従って、二元秩序は、公共放送による基本供給と商業放送に対する規制緩 和を原則とする。一方において、二元秩序は、公共放送による基本供給に依 拠している。放送の自由が関連する対象は、商業放送だけでなく公共放送を も含んでいる。公共放送は、二元秩序において、特に基本供給を実現するこ とができる。というのも、公共放送における放送番組は、第一に、国民全体 によって受信可能なものであり、第二に、高視聴率に依存する必要がない故 に、包括的内容を提供することができるからである(43)。公共放送の負う主要任 務は、放送の民主的および文化的な機能を達成することである(44)。公共放送の 存在は基本供給の任務遂行によって正当化され、基本供給の任務遂行は公共

(18)

放送の保障を要請している(45)

 他方において、商業放送に対する法的規制は、公共放送が基本供給を実現 することを条件にして緩和される(46)。商業放送は、商業広告に依存し、高視聴 率を追求するから、一様な言論しか提供することはできない。しかし、商業 放送における言論の一様性は、公共放送における言論の多様性を背景にし て、許容することができる(47)。もっとも、商業放送に対する法的規制を全廃す ることが、憲法上許容可能となるわけではない。商業放送は最低限度の法的 要請を遵守する必要がある(48)

 ドイツ二元秩序の成立は、受け手の自由を重視し、公共放送の基本供給を 強調しつつ、立法者の導入判断を前提にして、送り手の自由を承認し、商業 放送の規制緩和を要請する。放送の特殊事情は商業放送の重大な欠陥を帰結 するけれども、独占秩序を維持することではなく、商業放送を導入すること が結論付けられた。その判断は放送の自由が送り手の自由を受容することに 立脚するものである。送り手の自由は、憲法上の権利ではないけれども、法 律に依拠して成立する自由である。商業放送は、公共放送の基本供給に依存 するとはいえ、規制緩和を享受することができる。受け手の自由と公共放送 の基本供給は、二元秩序の展開において、送り手の自由と商業放送の規制緩 和と対抗していくことになる。

 

  2  フランス

 放送の自由は、二元秩序の成立において、特に人権宣言11条(49)に定礎され、

言論活動の自由として理解された。その言論活動の自由は、当初は、特に送 り手の自由として解釈されていた。それに対して、受け手の自由は、単に憲 法価値目的としてしか規定されておらず、しかも言論活動の自由に対立する ものとして位置付けられた(50)

 しかし、言論活動の自由は、それ以後の展開において(51)、受け手の自由を本 質的内容とするに至っている。その上で、受け手の自由は、放送の民主的機

(19)

能を根拠にして、送り手の自由に優位すると結論付けられた(52)。さらに、受け 手の自由は、国家が放送を積極的に保護することを要請する。受け手の自由 は、放送が多様な言論を伝達することによって、充足することができる。し かし、言論の多元性は、市場に依拠して自生的に生成するものではない。む しろ、言論の多元性は、国家によって積極的に組織される必要がある。従っ て、国家は、放送の多元性を確保する義務を負う(53)

 総じて、放送の自由は、国家による自由として理解されている。その際 に、国家からの自由という契機は、さほど重視されているとは思われない。

確かに、新聞の自由は、国家からの自由をも内容としている。実際に、国家 からの自由を根拠にして、違憲判断を下した判決も存在している(54)。しかし、

国家による介入を憲法に違反すると判断した判決は、放送領域においては存 在しない。従って、放送の自由は、国家からの自由というよりは、国家によ る自由として理解されている。

 二元秩序は、以上で展開された放送の多元性に立脚して、構想される。放 送の多元性がいかに理解されているのかは、新聞の多元性がいかに理解され ているのかと対比することによって、説明することができるだろう。という のも、新聞の多元性は、新聞領域において、多数の企業が設立され相互に競 争していることであるのに対して、放送の多元性は、放送番組において、社 会の多様な意見が反映され主張されていることであるからである(55)。言い換え れば、新聞の多元性は、表現を伝達する主体が多数存在するという意味にお いて、外部的多元主義を意味するのに対して、放送の多元性は、個々の番組 が多様な意見を反映するという意味において、 内部的多元主義を意味する。

 従って、立法者は、放送領域においては、内部的多元主義を確保する義務 を負う。その要請は公共放送と商業放送の双方に妥当するものである。とい うのも、公共放送と商業放送の双方において、放送の内部的多元主義が確保 されない限り、放送の自由は実質的なものとはならないからである(56)。それ故 に、公共放送と商業放送は、等しく放送の内部的多元主義という規範を充足

(20)

する必要があるという意味において、対等な関係に位置付けられている。も っとも、立法者は、放送の多元性の確保という目的によって拘束されながら も、その目的をいかに実現するかという手段に関しては広範な立法裁量を有 している(57)

 フランス二元秩序の成立は、放送の自由が受け手の自由を送り手の自由に 優位させること、および外部的多元主義が否定され内部的多元主義が要請さ れることを帰結した。二元秩序は公共放送と商業放送から構成される。その 両主体間の関係は、公共放送と商業放送の双方が等しく内部的多元主義によ って規律されるというように理解された。特に商業放送は、受け手の自由に よって拘束され、外部的多元主義を否定されるが故に、国家による厳格な規 律を甘受する余地を有していると言えるだろう。総じて、放送の多元性は、

国家に対して受け手の自由の保障を要請するものである。そうした理解は放 送の公役務の概念を継承するものであろう。

 

  3  イタリア

 イタリア二元秩序は、商業放送に関して、私的独占が形成しないことを成 立条件としている。放送の自由は、独占秩序の展開を継承して、放送の公役 務の概念に立脚して理解される。その上で、独占秩序も、私的独占を排除す る必要性があるという理由で、一端は、正当化された(58)。私的独占を惹起する 要因は、周波数の稀少性という要素に限定されるわけではない。むしろ、放 送の有する経済的性質が、新たに強調された。というのも、当時の放送局 は、本来は地域的領域でしか活動してはならないけれども、同一の内容を有 する番組を同時に放送することによって、実際上は全国的領域に進出してい たからである。

 その企業の集中形態が進行することは、決して容認することができるもの ではない(59)。放送は、特有の浸透力と示唆力を背景にして、特別な社会的影響 力を有している。ところで、地域的領域においては、多数の放送局が設立さ

(21)

れ相互に競争することが可能であるけれども、全国的領域においては、少数 の主体が放送局を独占するという事態が生起してしまうであろう。それ故 に、私的独占が全国的領域において生起した場合には、その独占主体は、放 送に固有の特別な影響力を行使して、民主主義に違反し多数者の自由を侵害 することが可能となる(60)

 従って、商業放送を全国的領域に導入することは、全国的領域において私 的独占が形成しないことを確保しない限り、憲法に違反するものとなる。し かし、逆に言えば、全国的領域において多数の放送局による競争を確保する ことができるのであれば、商業放送を全国的領域に導入することは、憲法に 適合するものとなるであろう。というのも、その場合には、放送が特別な影 響力を発揮し、民主的自由を侵害することは回避されるからである。従っ て、全国的な商業放送は、私的独占を禁止する法律を条件にして、導入する ことができる(61)

 しかし、全国的な商業放送は、独占を禁止する法律が制定されていないの にも拘らず、憲法上許容されることになった。確かに、放送の自由を放送の 多元性として理解した上で、放送の多元性を私的独占から保護するために、

全国的な独占秩序を正当化する試みがなされた(62)。その場合に、放送の多元性 は、二つのことを意味している。放送の多元性とは、第一に、送り手が放送 領域に参入することができる可能性のことであり、第二に、受け手が放送番 組を選択することができる可能性のことである(63)。さらに、公共放送と商業放 送の役割は、この放送の多元性の把握に対応して理解される。というのも、

公共放送は、受け手の選択可能性に立脚し、内部的多元主義を固有の任務と するのに対して、商業放送は、送り手の参入可能性に立脚し、外部的多元主 義を固有の任務とするからである(64)

 しかし、商業放送の外部的多元主義は、結局のところ、実現されなかっ た。1980年代前半のイタリアでは、特に後に政治家に転身するベルルスコー ニの所有する放送企業が、全国的領域においても独占的放送活動を展開して

(22)

いた。その活動は、本来は違法なものであったが、数多の法的措置によって 暫定的に容認された(65)。全国的な商業放送の私的独占を追認する法律は、特定 の放送局に特別の影響力行使を容認する点において、憲法に違反するものと 評価されても不思議ではない。しかし、全国的な商業放送の独占状態が批判 されるにも拘らず(66)、独占を追認する法律は、その追認が暫定的であることを 根拠にして、憲法に適合すると判断されている(67)。従って、二元秩序は、本来 の規範を貫徹したものではなく、既存の現実に妥協したものとして成立した と言えるだろう。

 総じて、イタリア二元秩序の成立は、放送の自由が受け手の自由を内容と することを根拠にして、全国的な独占秩序の合憲性を堅持しながらも、放送 の自由が送り手の自由を内容とすることを根拠にして、全国的な二元秩序の 合憲性を容認するものであった。受け手の自由は、放送の公役務が放送の多 元性へ展開する中で、受け手の選択可能性として理解された。その上で、公 共放送の独占は、受け手の自由を私的独占から保護するために正当化され、

さらに、二元秩序における公共放送は、内部的多元主義を実現することを固 有の役割としている。それに対して、送り手の自由も、送り手の参入可能性 として定義された。その上で、商業放送の導入が、送り手の自由を確保する ことを根拠にして容認され、さらに、二元秩序における商業放送は、外部的 多元主義を実現することを固有の役割としている。もっとも、当時の放送は 公共放送と商業放送の複占状態として規定されたから、送り手の自由は現実 には確保されなかった。全国的な商業放送は、その現実を追認する形で、暫 定的ながら許容されている。

 

  4  比 較

 ヨーロッパ二元秩序の成立は放送の自由と放送の秩序の変容を帰結する。

ドイツの放送の自由は、立法者による導入判断を根拠にして、送り手の自由 を肯定し、商業放送に対する規制緩和を要請した。しかし送り手の自由は憲

(23)

法上の保障を獲得したわけではなく、商業放送に対する規制緩和は公共放送 による基本供給を前提としている。むしろ放送の自由は受け手の自由を堅持 しており、二元秩序は公共放送による基本供給を要請する。従って、受け手 の自由と公共放送の基本供給は、送り手の自由と商業放送の規制緩和に優位 している。ドイツの二元秩序は公共放送による基本供給に依拠していると言 えるだろう。

 それに対して、イタリアの二元秩序は、商業放送の外部的多元主義に立脚 している。イタリアの二元秩序は、受け手の自由を重視し、公共放送の内部 的多元主義を要請すると共に、送り手の自由を重視し、商業放送の外部的多 元主義をも要請する。公共放送の内部的多元主義は、全国的な独占秩序にお いて形成され、全国的な独占秩序を合憲と判断する際に重視された。それに 対して、商業放送の外部的多元主義は、地域的な二元秩序において導入さ れ、全国的な二元秩序を合憲と判断する際に援用された。従って、全国的な 二元秩序は、多数の放送局が相互に競争することを条件にして、成立するこ とができる。しかし、現実の二元秩序は公共放送と商業放送の複占状態とし て規定されたから、 二元秩序の成立条件が十全に充足されることはなかった。

 フランスの放送の自由は、送り手の自由と受け手の自由を承認しながら も、受け手の自由を送り手の自由に優位させる。放送の自由は、当初は送り 手の自由を唯一の内容としたけれども、後に受け手の自由を本質的内容とす るに至っている。従って、受け手の自由は公共放送と商業放送の双方に対し て内部的多元主義を要請し、二元秩序は公共放送と商業放送が共に内部的多 元主義を実現することを想定している。新聞の自由の要請する外部的多元主 義は放送の自由に関しては妥当しない。

 三国の放送の自由を相互に比較すれば、三国の放送の自由は、特に送り手 の自由と外部的多元主義の位置付けに関しては、相互に相違していることが 理解できるだろう。ドイツの放送の自由は送り手の自由を肯定しないのに対 して、フランスとイタリアの放送の自由は送り手の自由を肯定する。その上

(24)

で、フランスの放送の自由は、受け手の自由を送り手の自由に優位させるの に対して、イタリアの放送の自由は、受け手の自由と送り手の自由を並列さ せている。さらに、ドイツの二元秩序は、商業放送の導入を公共放送の活動 に依存させるという意味において、二元秩序を一体として把握した上で、公 共放送による基本供給を条件にして、商業放送に対する規制緩和を容認す る。それに対して、フランスとイタリアの二元秩序は、商業放送の導入を公 共放送の活動に依存させないという意味において、放送秩序を一体としては 把握していない。その上で、フランスの商業放送は、外部的多元主義を享受 しないのに対して、イタリアの商業放送は、外部的多元主義によって規律さ れる。言い換えれば、フランスの二元秩序は外部的多元主義を承認しないの に対して、ドイツとイタリアの二元秩序は外部的多元主義を承認している。

その上で、ドイツの二元秩序は、商業放送の外部的多元主義を公共放送の内 部的多元主義に依存させるのに対して、イタリアの二元秩序は、公共放送の 内部的多元主義と区別して、商業放送の外部的多元主義を主張している。

 しかし、三国の放送の自由は、特に受け手の自由と公共放送の位置付けに 関しては、相互に一致している。ドイツの放送の自由は、受け手の自由を重 視し、公共放送による基本供給を強調した。商業放送は、規制緩和を享受す るけれども、単独で存立するものではなく、公共放送による基本供給に依存 している。フランスの放送の自由は、受け手の自由を送り手の自由に優位さ せ、公共放送と商業放送に内部的多元主義を要請した。特に商業放送は、外 部的多元主義ではなく、内部的多元主義によって規律される。従って、内部 的多元主義が公共放送の独占秩序において形成されたものであることを考慮 すれば、商業放送は二元秩序において自己に固有の論理を展開することがで きなかったと考えられよう。イタリアの放送の自由は送り手の自由を受け手 の自由と並列させ、その結果として、二元秩序は商業放送の外部的多元主義 に定位されている。しかし、送り手の自由に基づく商業放送の外部的多元主 義は、商業放送において私的独占が強く形成される中では、現実に確保する

(25)

ことはできなかった。それとは異なり、受け手の自由に基づく公共放送の内 部的多元主義は、公共放送の放送活動において堅持されている。

 総じて、ヨーロッパ二元秩序の成立が共通の特徴としたのは、受け手の自 由を重視し、公共放送の内部的多元主義を強調したことであったと言えるだ ろう。確かに、二元秩序の成立は、送り手の自由を重視し、商業放送の外部 的多元主義を強調した。この変容は、放送秩序が独占秩序から二元秩序へ転 換する現実を、規範の側面において反映するものであろう。商業放送の導入 は放送領域において市場原理を受容するものであるから、独占秩序で形成さ れた信託原理が一定の変容を被ることは当然である。しかし、信託原理は、

独占秩序の展開に際して保持していた理念的意味を喪失したわけではない。

むしろ、信託原理は、市場原理に対抗して、自己の理念を主張し続けている と言うべきであろう。二元秩序の成立に際して受け手の自由と内部的多元主 義が重視されたことは、そうした歴史的位置付けにおいて理解されるべきで ある。次章では、信託原理がいかに市場原理に対抗していくのかを、考究す ることにしたい。

三 二元秩序の展開

 1990年代以降のヨーロッパ放送秩序は、公共放送と商業放送が相互に対抗 する過程として特徴付けられる。公共放送は、商業放送の急速な発展を背景 にして、従来の優位性を喪失していく。公共放送は、受信料に依拠して、公 衆の利益に奉仕するものである。それに対して、商業放送は、広告料に依拠 して、市場の利益を追求することができる。確かに、商業放送は、公衆の利 益に奉仕する側面をも有している。しかし、商業放送の追求する主要な対象 は、市場における利益に外ならない。従って、商業放送が公共放送に優位す るという事態は、商業放送が放送市場において高い市場占有率を獲得してい ることに起因する。こうした二元秩序の展開は、放送の理念の問題として把 握すべきである。というのも、そこで問われているのは、公共放送に体現さ

(26)

れる信託原理と、商業放送に化体される市場原理は、いかに調整されるべき かという問題であるからである。従って、商業放送をいかに規制し、公共放 送をいかに保障するのかが、二元秩序の展開における基本問題となる。本章 は二元秩序の展開におけるヨーロッパの放送の自由を検討する。

 

  1  ドイツ

 ドイツ二元秩序は、公共放送による基本供給に依拠し、商業放送に対する 規制緩和を容認していた。従って、二元秩序における基本問題は、商業放送 を規制することではなく、公共放送を保障することとして設定される。その 際に、公共放送の保障は、特に公共放送の基本供給と機能保障に関連して問 題とされる。従ってその二点について検討することにしよう。

 基本供給の概念は、公共放送と商業放送を一定の関係に置いた上で、商業 放送の機能不全を容認することと引き換えにして、公共放送の活動範囲を広 範に保障しようとするものである。逆に言えば、基本供給の概念は、公共放 送は最低限度の言論伝達しか遂行してはならないということを意味するもの ではなく、さらにまた、公共放送は最低限度の言論伝達を遂行するのに対し て、それ以上の言論伝達は商業放送によって遂行されるということを意味す るものでもない(68)。というのも、二元秩序は、公共放送と商業放送が平等な条 件下で競争することを通して、活性化すべきであるからである(69)。従って、基 本供給の概念が要請することは、公共放送の活動を制約することではなく、

公共放送の活動を保障することである。

 さらに、基本供給の任務内容は、商業放送の機能不全との関係において規 定されるから、公共放送の基本供給が要請されるのは、商業放送が、特定の 放送活動に関して、放送の任務を十全に実現しない場合である。商業放送が 放送の任務を十全に実現するか否かは、特に放送の自由の関連する現実に即 して判断される。確かに、商業放送が、特定の時点において、放送の任務を 十全に実現する場合もあるだろう。しかし、その事態が、放送の現実が変化

(27)

するのに伴って、妥当しなくなる場合には、公共放送による基本供給が要請 されることになる(70)

 機能保障の概念は、基本供給の実現を目的としており、特に公共放送の存 続および発展を確保するものである(71)。機能保障の内容は、基本供給の概念に 関連するが故に、基本供給と同じく、放送の任務との関係において規定され

(72)る

。機能保障の内容が特に重視するのは、公共放送が将来的に十全な発展を 遂げることである。というのも、放送の現実が急速に変化する今日におい て、従来の公共放送の存続に配慮するだけでは、公共放送による基本供給を 確保することはできないからである(73)

 さらに、機能保障の概念は、公共放送の番組と財源を保障する。番組活動 は放送活動の構成要素であり、活動財源は放送活動の前提条件である。従っ て、番組と財源の二契機は、公共放送の存続および発展を確保する上で核心 的な領域である。先ず、番組活動の自由は、公論形成に強く寄与する点にお いて、放送の自由の中核である(74)。番組活動の内容は、特定の時点において固 定されるものではなく、放送の現実との関係の中で発展するものである。公 共放送の番組活動は、従来は番組を編成し流布することを核心的領域として いたけれども、二元秩序の展開の中で番組を宣伝し利用することなどの周辺 的領域をも包摂してきた。さらに、番組製作に必要な情報を入手すること が、私的独占の形成を背景にして困難となる事態も生じている。従って、放 送の自由の保護する対象は、番組活動の中核的領域に限定されるのではな く、番組活動の周辺的領域にも拡大されている(75)。放送番組は、放送の自由に 奉仕する限りで、広範に保護される。

 次に、公共放送の財源保障は、番組活動の任務遂行にとって重要な論点と なる(76)。財源保障は、個々の財源ではなく、財源の総体を対象としている。特 に受信料を主要財源とすることが強く要請される。確かに、受信料と広告料 は、相互に利点と欠点を有している。というのも、受信料は、放送を経済的 影響力から解放する一方で、政治的影響力に従属させ、それに対して、広告

(28)

料は、放送を政治的影響力から解放する一方で、経済的影響力に従属させる からである。その場合に、公共放送が受信料と広告料を共に活動財源とする ことは、両者の短所を相殺することによって、放送を経済と政治に対する従 属から解放することができるだろう。しかし、公共放送は、広告料を主要財 源とする場合には、高視聴率を追求することになる。その場合に基本供給は もはや実現することはできない。従って、立法者は、公共放送に対して、十 分な受信料を確保する義務を負う。

 さらに受信料額の決定に関して言えば、受信料額は放送局や立法者が単独 で決定するべきではない。というのも、放送局は自己の利益を追求し、立法 者は不当に介入する危険性を有するからである(77)。ところで、放送の任務は放 送局の内部領域において実現されるから、放送の任務に必要な資源を適切に 確定することは困難である。その場合に要請されるのが、放送の自由の手続 的保護である。従って、受信料額は、関係主体が共同して参加する手続によ って決定されるべきである(78)。受信料額の決定に際しては、公共放送の判断を 重視しながら、受信料の負担者を尊重する必要がある。その場合には、専門 家の合議体こそが、受信料額に関する適切な判断を担保することができる。

立法者は、合議体を設置する場合には、合議体の任務、構成、手続を規定 し、構成員の独立性を確保する義務を負う。

 

  2  フランス

 フランス二元秩序は、公共放送と商業放送が共に内部的多元主義を達成す ることを想定していた。従って、商業放送を規制することは、二元秩序にお ける基本問題となる可能性があった。しかし、立法者によって実際に選択さ れたのは、商業放送を規制することではなく、公共放送を保障することであ る。特に2000年 8 月 1 日法(79)は、公共放送と商業放送を明確に区別した上で、

公共放送を商業放送に対抗可能なものに強化している。

 先ず、公共放送は、放送の公役務を特別な任務とする点において、商業放

(29)

送とは明確に区別された。公共放送は、独占秩序の展開において、公役務と して規定されていた。しかし、公共放送は、二元秩序の成立に際して、公役 務ではなく、単に公的部門として規定された(80)。その限りで、公共放送の独自 性は、国家が所有に参加することによってしか根拠付けられていない。しか し、2000年法は、公共放送を再び公役務として規定した上で、放送の公役務 の任務を詳細に定義している(43-11条)。従って、公共放送は、再び放送の 公役務の概念によって正当化されたと言えるだろう。

 さらに、公共放送は、組織的一体化を通して強化されている。2000年法 は、公共放送が商業放送に対抗することを可能にするために、個々の公共放 送局が担う放送事業を共通化しようとする。実際に、個々の放送局は、単一 の持株会社に編入された(44条Ⅰ項)。特に持株会社は個々の放送局の資本 を全て保有し(44条Ⅰ項)、個々の放送局の基本方針を規定し(44条Ⅰ項)、

持株会社の人材を個々の放送局の人材に反映させる(47- 1 項)。従って、公 共放送は、組織的に一体のものとして改革された。

 以上の公共放送の保障は、憲法院においては、主要な問題として位置付け られていない。というのも、放送の自由をいかに具体化するのかは、立法者 における広範な裁量に委ねられるからである。むしろ、憲法院は、この時期 に、言論活動の自由を経済活動の自由から明確に区別している。フランス二 元秩序の性格は、その区別によって、一層と明確化された。言論活動の自由 と経済活動の自由がいかに関係するのかという問題は、憲法院による判示に 帰因するものである。憲法院は、二元秩序の成立に際して、言論活動の自由 と経済活動の自由を並列させていた(81)。従って、経済活動の自由は、放送活動 において、いかなる位置を占めることになるのかが、重要な問題となった。

 今や憲法院は、言論活動の自由は人権宣言11条に帰属するのに対して、経 済活動の自由が帰属するのは人権宣言 4 条(82)であると判断している(83)。従って、

放送活動は、言論活動の自由という要素と経済活動の自由という要素を有し ている。しかし、言論活動の自由と経済活動の自由は、相互に異質な範疇に

参照

関連したドキュメント

いない」と述べている。(『韓国文学の比較文学的研究』、

(( .  entrenchment のであって、それ自体は質的な手段( )ではない。 カナダ憲法では憲法上の人権を といい、

Council Directive (( /((( /EEC of (( July (((( on the approximation of the laws, regulations and administrative provisions of the Member States relating

Recomendaciones para el personal de lucha contra incendios Equipo de Protección personal en caso de fuego:.. Utilizar traje de bombero completo y equipo de protección de respiración

Facsimile-edition of the Latin Charters prior to the ninth century, part XV, France III, Dietikon/ Zürich, 1986.. eds., Chartae

[r]

以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒

○「調査期間(平成 6 年〜10 年)」と「平成 12 年〜16 年」の状況の比較検証 . ・多くの観測井において、 「平成 12 年から