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井 上 靖 の 歴 史 小 説

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全文

(1)

学 位 論 文

( 令 和 三 年 三 月

井 上 靖 の 歴 史 小 説

――

『 敦 煌 』 に お け る 歴 史 的 要 素 に 関 す る 研 究 を 通 じ て ――

岡 山

大 学

社 会

科 学

究 科

(2)

井 上 靖 の 歴 史 小 説

――

『 敦 煌 』 に お け る 歴 史 的 要 素 に 関 す る 研 究 を 通 じ て ――

【 目 次

】 序

章 敦 煌 の 地 と 小 説

『 敦 煌

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・ 4 第一 節 敦煌 の地 と敦 煌学

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・ 5 第二 節 井上 靖の

『 敦煌

』創 作・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 20 第三

節 小説

『 敦煌

』と その 研究

・・

・・

・・

・・

・・

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・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・ 35

第 一 章

開 封 ・ 科 挙

・・

・・

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・・

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・・

・・

・・

・・

・・

・ 47 第一 節 宋代 の科 挙・

・・

・・

・・

・・

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・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・ 48 第二

節 開封 の都 市風 景・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 60

第 二 章

涼 州 ・ 馬

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

74 第一 節 河西 地方 と涼 州の 概要

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・ 75 第二

節 涼州 の馬

・・

・・

・・

・・

・・

・・

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・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 81

第 三 章

興 慶 ・ 西 夏 と 西 夏 文 字 ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

90 第一 節 李元 昊の 西夏 王国

・・

・・

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・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 91 第二

節 西夏 文字

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

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・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 105

(3)

第 四 章

于 闐 ・ 尉 遅 光 ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

116 第一 節 于闐 の尉 遅一 族・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 117 第二

節 尉遅 隊商 の旗 印・

・・

・・

・・

・・

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・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 121

第 五 章

瓜 沙 二 州 ・ 節 度 使 と 仏 教

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

127 第一 節 沙州 帰義 軍節 度使

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 128 第二

節 敦煌 の仏 教・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 139

終 章 井 上 靖 の 歴 史 小 説 ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

156 第一 節 散文 詩に 源を 発す る「 漆胡 樽」

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・ 157 第二

『 蒼き 狼』 論争

・・

・・

・・

・・

・・

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・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 162 第三

節 井上 靖の 歴史 小説 の作 法・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・ 175

【 注

】・

・・

・・

・・

・ 184

【参 考文 献】

・・

・・

・・

・・

・・

・・

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・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・

・・ 216

(4)

凡例

・ 小 説

『 敦 煌』 の 本 文は

『 井 上 靖全 集 第 12 巻』

( 新 潮社

、 一 九九 六 年 四月

) に よ った

・ 引 用 に あ たり

、難 読 と思 わ れ る箇 所 以 外の ル ビ は省 略 し た。 ま た

、旧 字体 は 新 字 体に 改 め た。 た だ し、 地 名

、 人 名 な ど の 固 有 名 詞 は 原文 の ま ま と し た

。 傍 線 及 び

――

周 注〕 で 示 し た 注 記 は筆 者 に よ る も の で あ る

。 な お

、 引用 の 中 に

、 現 代 の 判 断 基 準 で は 不 適 切 な表 現 が あ る が

、 原 文 の歴 史 性 を考 慮 し

、 元の ま ま とし た

・ 暦 年 の表 記 は ま ず 年 号 を 示 し

、 そ の 後 に西 暦 を

) で 補 っ た

。 た だ し

、 注 に おけ る 文 献 の 出 版 年 は 西暦 の み で表 記 し た

・ 歴 史 上 の 固有 名 詞 や本 稿 中 の 章名

・ 節 名・ 項 目 名を 挙 げ る場 合 は

、〈

〉 で示 し た

・ 井 上 靖作 品 の 初 出 情 報 は

、『 井 上 靖 全 集

』( 一九 九 五年 四 月

~ 二

〇 年 四 月

) に よ っ た

。短 編 小 説 は

」、 長編 小 説 は『

』 で示 し た

(5)

序 章 敦 煌 の 地 と 小 説

『 敦 煌

井 上 靖

の歴 史 小 説『 敦 煌』

14 1

5

は 一 一 世 紀 初頭 の 中 国、 北 宋 の 時 代を 背 景 に描 か れ たも の で ある

。主 人 公「 趙行 徳

」が

「進 士 試験

」 を 受 験 す るた め

、 郷里 で あ る 湖南 の 田 舎か ら 都 開封 に 上 る。 彼 は 礼部 の 試 験を 優 秀 な成 績 で 通過 し た が

、 吏部 に お ける

「 身

、 言、 書

、 判」 の 試 験の 待 ち 時間 に 居 眠り を し

、目 が 覚 める と 試 験は 終 わ っ て いた た め

、落 第 す る こと に な る。 落 胆 した 趙 行 徳は ひ た すら 歩 き 続け

、 開 封城 外 の 市場 に 入 り

、そ こ で 全裸 の 西 夏の 女 が 売り に 出 され て い ると こ ろ を救 い 出 す。 西 夏の 女 は お 礼と し て、 趙 行 徳 に 一枚 の 小 さな 布 切 れ を差 し 出 した が

、 そこ に は 意味 の わ から な い 異様 な 形 の文 字 が 記さ れ て い る

。 そ の 文 字 に 惹か れ

、 趙 行徳 は 西 夏 行 きの 旅 に 発 つ。 途 中 で

「 朱 王礼

」 の 率 いる 西 夏 軍 の 漢人 部 隊 に 編 入 さ れ

、射 手 と し て幾 多 の 戦 闘 を経 験 す る

。 そし て

、 戦 火 の中 の 甘 州 城内 で

、 彼 は ウイ グ ル の 王 女 を 救 い、 や が て 彼女 と 愛 し 合 うよ う に な る。 し か し

、 そ れか ら ま も なく

、 西 夏 文 字を 学 ぶ た め に 興 慶 に派 遣 さ れ る。 趙 行 徳 は 一年 以 内 に 帰 って 来 る と い う約 束 を し てか ら

、 ウ イ グ ルの 王 女 と 別 れ を 告げ る

。 そ の後 朱 王 礼 も 王女 に 恋 慕 する よ う に な る が、 結 局

、 王女 は 西 夏 王

「李 元 昊

」 に 奪 わ れ

、彼 の 側 室 にな る

。 二 年 後、 生 き て 帰 って き た 趙 行 徳に 再 会 し た後

、 王 女 は 苦し ん で

、 心 の 潔白 を 証 明す る た め に城 壁 か ら投 身 自 殺す る

。 朱 王 礼 は

、 王女 へ の 思 いか ら

、 彼 女 の死 を 惜 し み、 帰 義 軍 節 度 使配 下 の 瓜 州で 李 元 昊 に 背く こ と に な り

、 趙 行徳 も そ の部 下 と し て 軍に 加 わ る

。最 後 に

、 彼 らは 沙 州

ま で撤 退 し

、 東か ら は 西 夏 の 軍 に 追い つ め ら れ、 西 か ら は 回教 徒 の 軍 に 迫ら れ

、 沙 州 の僅 か な 兵 力と と も に 壊 滅の 運 命 を た ど る

。 朱王 礼 も 沙 州帰 義 軍 節 度 使「 曹 賢 順

」 も戦 死 し

、 賢 順の 弟

「 延 恵」 は 城 内 に 留ま っ て 自 ら を 火 中 に投 じ る

。 趙行 徳 は 沙 州 が焼 け 落 ち る 寸前

、 寺 に 所 蔵さ れ て い る膨 大 な 経 典 を守 る た め

、 于 闐 王 族の 後 裔 と 称す る 商 人

「 尉遅 光

」 の 欲心 に 乗 じ て そ れら を 城 外 の千 仏 洞 へ 運 んで 塗 り こ め る

。 そ れ か ら 九

〇〇 年 近 い 歳月 が 経 ち

、 二〇 世 紀 初 頭 にな っ て

、 そ れら の 経 典 が発 掘 さ れ

、 文化 遺 産 と し て 世界 の 注 目を 集 め る

。 以 上 が 小 説『 敦 煌

』の 内 容 であ る

。 本章 で は まず

、 敦 煌の 地 の 歴史

、 敦 煌学 の 興 起 と発 展 に 関 す る 情 報 を確 認 す る。 そ して

、井 上 の 著 述に 基 づ き

、『 敦 煌

』創 作 時の 参 考 文献 リ ス ト を整 理 する

。 そ の 後

、『 敦 煌

』 の先 行 研 究を 紹 介 した う え で、 本 研 究 の意 義 を 述べ る

(6)

第一 節 敦煌 の地 と敦 煌学 一、

〈敦 煌〉 の歴 史沿 革 敦 煌 の 地 は 中国 甘 粛 省 の西 北 部

、 新 疆ウ イ グ ル 自治 区 に 接 す る あた り に 位 置す る

。 砂 漠 の中 に あ る が

、 南 側 には 祁 連 山 脈の 支 脈 が 伸 びて き て

、 そこ か ら 流 れ こ む党 河 の 水 によ り 形 成 さ れ たオ ア シ ス 都 市 で あ る。 前 漢 武 帝

の 時 代に

、衛 青

、 霍 去 病を 将 軍 と す る漢 の 部 隊 は 匈 奴 との 戦 い に勝 ち

、河 西 地方

西

を 回 復し た

。そ の後

、元 鼎 二

年 に は 武 威

酒 泉

の 二 郡

、元 鼎 六

年 に は 張 掖

敦煌

の 二 郡 が 設置 さ れ

、こ れ で〈 河西 四 郡

〉が 成 立 し た。

〈 敦 煌

〉と い う 地 名が 史 書 に現 わ れ るの は

、こ の 時 が 最初 で あ る

。 以 降

、 漢

西

時 代 に開 拓 が 進む に つ れて

、敦 煌 に は内 陸 か ら官 僚 や 移 民が 送 り 込ま れ

、 漢 民 族 が 人口 の 主 体 を占 め る よ う にな っ た

。 一方

、 周 辺 の 諸 民族 に 囲 ま れる 中

、 民 族 構 成が 複 雑 に 変 化し

、 長 い間 敦 煌 は

、漢 民 族 と異 民 族 によ り 交 代で 支 配 され て い た。

1)

以 下

、 支 配に 関 わ る歴 史 上 の重 要 事 項を

【 表

①】(

2)

にま と め る。

西

使

(7)

敦 煌 は シ ル ク ロ ー ド

上 の 要 衝 と し て、 政 治

、 軍 事

、 経 済や 東 西 文 化 の 交 流 な どに お い て 重 要 な 役 割 を果 た し て いた

。 漢 代 か ら、 敦 煌 の 盛衰 は こ の 地 の 安定 と 密 接 に関 連 し て い る

。ま た

、こ こは 東 西 の貿 易 と 文化 交 流 の中 心 地 にあ た り

、中 国 と西 方 諸 国と を 緊 密に 結 び 付 けて い る。 中 国 か ら は特 産 の 絹が

、西 方 か ら は玉 や 宝 石な ど が

、敦 煌 を中 継 駅 とし て 運 ば れて い た

。さ ら に、 中 国 文 化 が 西 方に 伝 わ っ てい く 起 点 で ある と と も に、 西 方 文 化 が 東に 伝 わ っ てく る 最 初 の 受容 地 で も あ っ た。(

3)

な お

、西 方 か ら伝 わ っ てき た 代 表 的な 文 化 とし て

、〈 仏 教

〉が 大 き な位 置 を占 め て い た。 前漢 と 後 漢 の 交 代 期 頃に は

、 既 に仏 教 は 中 央 アジ ア の 大 月氏 の と こ ろ か ら、 河 西 地 方を 通 し て 中 国 本土 に 入 り

、後 漢の 都 洛 陽と 東 南 海 一帯 に 流 伝し は じ めて い た(

4)

と い う。 一方

、敦 煌 の 仏教 と 言 えば

〈 莫 高 窟〉 を 外 す こと は で きな い の であ る

。莫 高 窟 は

、〈 千 仏 洞〉 と も 呼 ばれ

、敦 煌の 南 東 郊外 に 広 が る 鳴 沙山 の 断 崖に 営 ま れ た石 窟 寺 院で あ る

。莫 高窟 の 開 鑿 は前

の 建 元二

、楽 僔 と いう 沙 門 が修 行 の 場と し て 鳴沙 山 の 断崖 に 窟 を掘 っ た のが 始 め と され る

。そ の 後、 窟 が 増 え 続 け

、壁 画 や 塑 像も 施 さ れ る よう に な っ た。 ま た

、 自 分 自身 の 功 徳 を後 世 に 伝 え よ うと し

、有 力 者や 為 政 者も 石 窟 造 営に 参 画 して い た

。こ う し て、 四 世 紀か ら 一 四世 紀 の 元 代

に至 る ま で、 千 年 に 渡っ て 掘 り続 け ら れ、 約 四 九〇 窟 が 現存 す る

(

5)

莫 高 窟 は 一九 八 七 年に 世 界 遺産 に 登 録さ れ

、龍 門 石窟

雲 岡 石 窟

西

麦 積山 石 窟

とと も に

「中 国 四 大 石窟

」 に 数え ら れ る。 二、

敦 煌 学の 興起 敦 煌 莫 高 窟 に残 さ れ た 遺産 と し て は

、壁 画

、 塑 像、 文 書 類 な ど があ る

。 こ のう ち 文 書 は

、西 夏 が 敦 煌 を 支 配 した 一 一 世 紀に

、 第 一 七 窟の 蔵 経 洞 に 封じ 込 め ら れ てい た と 見 なさ れ る も の で

、大 部 分 が 経 典 で ある

。 こ れ らの 文 書 は 二

〇世 紀 初 頭 の 清朝 末 期

、 こ こに 住 み つ いた 一 人 の 道 士

・王 圓 籙 が 偶 然 に 発見 し た も ので あ る

。 当 時、 王 道 士 は 敦煌 の 役 所 に 届け 出 た が

、誰 も 関 心 を 示さ ず 反 古 同 然 の扱 い で あっ た

。そ の 後

、一 九

〇七 年 の イギ リ ス の スタ イ ン 探検 隊 を はじ め

、フ ラ ン ス、 日 本

、 ロ シ ア

、ア メ リ カ など

、 列 強 各 国の 探 検 隊 が 敦煌 を 相 次 い で訪 れ

、 王 圓籙 と 交 渉 し

、お び た だ し い 文書 や 美 術品 を 持 ち 帰っ た

。以 下

、敦 煌 文物 の 発 見 及び 流 出 に関 す る 重 要事 項 を【 表

②】 に ま と め る。

(8)

れ ら の 文 物 類 は そ れ ぞれ 中国 の 京 師 図 書 館

イ ギ リ ス の 大 英 博 物 館

、フ ラ ン ス の ギ メ 東 洋 美 術館

、 日 本 の東 京 国 立 博 物館

、 ロ シ ア のエ ル ミ タ ー ジュ 美 術 館 やア メ リ カ の フォ ッ グ 美 術 館 など に 所 蔵さ れ て い る。(

6)

な お

、敦 煌 蔵 経洞 の 発 見と 敦 煌 文 物の 流 出 に伴 い

、〈 敦 煌 学〉 が 誕 生し

、学 界 の 関 心を 集 めて い る

。 広 い 意 味 では

、 壁 画 や塑 像 な ど を 扱う 美 術 史 的研 究 や 石 窟 の 考古 的 研 究 など も

〈 敦 煌 学

〉に 含 ま れ る が

、 中心 に な っ てい る の は 各 種古 文 書 に 関 する 研 究 で あ る。 蔵 経 洞 から 発 見 さ れ た古 文 書 の 内 容 と し ては

、 仏 教 をは じ め

、 歴 史、 地 理

、 法制

、 経 済

、 文 学、 言 語 な ど多 方 面 に 及 んで い る

。 そ し て

、 漢語 だ け で なく

、 チ ベ ッ ト語

、 コ ー タン 語

、 ウ イ グ ル語

、 西 夏 語、 モ ン ゴ ル 語な ど

調

(9)

西 域 の 諸 言語 に よ って 書 か れ たも の も ある

(

7)

敦 煌 文 書 の年 代 に 関し て

、東 洋 史 学 者の 池 田 温

に よ れば

、「 全体 の 三

、四

% の 紀年 文 献 に よ って み る と、 五 世 紀 初の 十 六 国時 代 か ら北 宋 初 の十 一 世 紀初 に わ たっ て お り、 無 紀 年の も の も

、 おお む ね 四世 紀 後 半

~十 一 世 紀前 半 に 属す と 認 めら れ る

(

8)

と いう

。 さ らに

、 池 田 温は 敦 煌 学 の 歴史 を 概 観し

、 次 の 四つ の 時 期に 区 分 して い る

。 第

一 期 二 十 世紀 初

~ 一九 一

〇 年代

、 探 険、 発 見 から 初 期 の紹 介 整 理の 時 期

。〔 草 創 期

〕 第 二 期 一 九 二〇 年 代

~四

〇 年 代初

、 各 国で 将 来 文献

・ 文 物を 対 象 にバ ラ バ ラ に研 究 の 進 め ら れた 時 期

。〔 生 長 期〕 第 三 期 一 九 四〇 年 代 中期

~ 七

〇年 代

、 敦煌 芸 術 研究 所 が 現地 に 設 立さ れ

( 一 九四 四

) 石 窟 研 究の 中 核 がで き

、 五〇 年 代 に はス タ イ ン将 来 文 献の マ イ クロ が 完 成し

、 総 括的 研 究 が緒 に つ いた 時 期

。〔 確 立 期〕 第 四 期 一 九 八〇 年 代

、中 国 敦 煌吐 魯 番 学会 が 成 立し

、 研 究の 推 進 母体 と な り

、急 速 な 進 展 を 見つ つ あ る時 期

。〔 発 展 期

(

9)

そ し て

、 日本 の

〈 敦煌 学

〉 に絞 っ て 言う と

、 それ は 日 中両 国 の 学者 の 提 携に よ り 築 かれ た も の で あ る

。 先の

【 表

②】 に 示 し たよ う に

、一 九

〇 九

、 ペ リオ が 敦 煌か ら 持 ち 出 し た 一部 の 古 文書 を 北 京 の学 者 た ちに 披 露 した

。そ の 学 者に は

、中 国 人 の蒋 伯 斧

董 康

羅 振 玉

以 外 に、 当 時北 京 に 住 ん で い た 日 本 人 の 田 中慶 太 郎

もい た

。 彼ら は ペ リ オの 披 露 に甚 だ し くシ ョ ッ クを 受 け

、 そ の 後 羅 振玉 ら に よっ て

、 中 国の

〈 敦 煌学

〉 が 発足 し た

。一 方

、 田中 は 救 堂生 と い うペ ン ネ ーム で

、北 京 在住 の 日 本人 居 留 民が 発 行 して い た『 燕 塵

』誌

の第 2 巻 第 12 号 に

「 敦煌 石 室 中の 典 籍

」 と い う 題 で敦 煌 文 書 を 紹 介 し た

。 そ し て

、 羅振 玉 と 田中 は

、 京 都帝 国 大 学の 旧 知 の内 藤 虎 次郎

と 狩 野 直 喜

に も 報告 し

、そ の後 ま も なく 日 本 では 京 都 を中 心 に

〈 敦 煌 学

〉が 開 け てき た

。 翌 一九 一

年、 清 朝 政府 の 官 令に よ り 敦煌 残 存 の 古 文 書 が 北京 に 運 搬さ れ た

。 それ ら の 古文 書 を 調査 す る ため に

、 京都 帝 国 大学 の 内 藤虎 次 郎

、狩 野 直 喜

、 小川 琢 治

富 岡 謙 蔵

濱 田 耕作

の五 人 は 清国 に 派 遣さ れ

、 同年 八 月 下 旬か ら 一

〇月 中 旬 にわ た り 北京 に 滞 在 し て い た

。彼 らの 調 査 につ い て は、 翌 一 九 一一

年 二 月五 日 付 の『 大阪 朝 日 新聞

』の 日 曜

(10)

附 録 に

、「 京 都文 科 大 学清 国 派 遣教 授 報 告展 覧 会 号」 とい う 題 で二 頁 に わた り 報 道さ れ た

。中 国行 き の 目 的 と実 績(

10)

に 関 す る内 容 だ け でな く

、「 敦煌 石 室 発 見写 経

」、

「 北京 護 国 寺仏 像

」、

「 北 京天 寧 寺 十 三 重 塔」

、「 洛 陽附 近 発 掘 物」 や

「 河南 龍 門 の景

」 な どの 見 出 し付 き の 写真 も 載 せら れ た

。さ ら に

、 二 月一 一 日 から 翌 一 二 日に

、 京 都大 学 に おい て 報 告の 展 覧 会が 開 か れ、 学 会 をは じ め

、社 会 的 に も 興味 関 心 が寄 せ ら れ

、い わ ゆ る「 敦 煌 ブー ム

」 が引 き 起 こさ れ る

。 ま た

、大 谷探 検 隊 は一 九

〇 二

~一 九 一 四年 の 間 に三 回

に わ た り、 中 央 ア ジ ア 各 地で 探 検 を 行 な っ て い た。 第 三 回 の 一 九 一 一

、隊 員 の 吉川 小 一 郎

は 敦 煌に 着 き

、 道 士 王 圓籙 と 交 渉 した 結 果

、 数 百点 の 古 文 書 を入 手 し て 日 本に 持 ち 帰 った

。 同 年

、 中 国で は 清 朝 を 倒 す 辛亥 革 命(

11)

が 勃 発 し

、羅 振 玉 は 北 京に 在 住 し てい た 親 友 の藤 田 豊 八

と京 都 の 内藤 虎 次 郎、 狩野 直 喜

、桑 原隲 蔵

ら の斡 旋 に よ って

、大 谷 光 瑞

の 資 金 援助 を 受 け

、 王国 維

や家 族 を 伴っ て 日 本へ 東 渡 した

。そ の 後

、八 年 間

京 都 に 居留 す る こと に な った

。大 谷探 検 隊 の収 集 し た文 物 が 日本 に 将 来 され た こと

、 そ し て 羅 振 玉 と王 国 維 の 滞日 は

、 京 都 にお け る 中 国学

、 こ と に 金 石学

、 甲 骨 学や 敦 煌 学 に 刺激 を 与 え た

。 た だ し

、 北 京搬 送 分 と 大谷 探 検 隊 の 将来 品 に は 仏教 典 籍 が 多 く を占 め て い る。 そ れ 以 外 の研 究 を 行 な う た め に、 日 本 の 学者 た ち は イ ギリ ス や フ ラン ス な ど の 収 蔵品 を 実 地 に調 査 し

、 写 本や 文 書 を筆 録 あ る い は 撮 影し て 学 界 に 紹 介 す る こと に つ と め た

。 一 九一 二

、 狩 野直 喜 が ヨ ー ロ ッ パ 出 張 に派 遣 さ れ

、ロ ン ド ン や パリ の 敦 煌 文書 を 調 査 し

、 貴重 な 資 料 を筆 写 し て 日 本に 持 っ て き た

。 その 後

、 矢吹 慶 輝

が 二度 ロ ン ドン に わ た り、 ス タ イン の 将 来し た 古 写 経 を 写真 に 撮 って 日 本 に 持ち 帰 っ た。 そ し て、 一 九 一 九

年か ら 一 九二 一

年 に かけ て 羽 田 亨

が フ ラ ン ス に 留 学し

、 そ の 後 一 九 二 六

年 に ペリ オ と 共 編 で

『 敦 煌 遺 書』 第 一 集 を 出 版 した

。 羽 田 の 次 に

、一 九 二 四

~ 一 九 二五

、 内 藤 虎 次 郎 と石 濱 純 太郎

も ヨ ー ロッ パ に わた り

、 多 くの 材 料 と 多数 の 写真 を 日 本 に 持 っ て きた

。 昭 和 に 入る と

、 小 島 祐馬

が 一 九 二 六

年 から 一 九 二 八

年 ま で に パリ に 留 学 し

、 ペ リ オ 将来 の 敦 煌 文 書 を 調査 し

、 そ の 結 果 を

『 支那 学

』 誌 上 に

、「 巴 黎国 立 図 書館 蔵 敦 煌遺 書 所 見録

」と いう 題 で 九回 に わ たり 連 載 した

。ま た

、那 波 利貞

が一 九 三 一

年 よ り

、二 年 間 フ ラン ス に 滞在 し

、多 く の 社 会 経済 史 学 関連 の 文 書 を 筆 写 した

。 そ の後

、 神 田 喜 一郎

が 一 九三 五

年 か ら 翌

(11)

年 に か け て、 一 年 余 り パ リ に と どま り

、 敦 煌 古 書 を 調 査 する と と も に

、 多 く の 写 真を 撮 り

『 敦 煌 秘 籍 留 真』 と

『 敦 煌秘 籍 留 真 新 編』 の 二 書 を 作成 し た

。 そ の他 に も た くさ ん の 学 者 がパ リ や ロ ン ド ン に 留学 し

、 敦 煌文 書 の 抄 写 や写 真 を 日 本 に持 ち 帰 っ た

。そ れ ら 日 本に 持 っ て き た情 報 は 実 物 を 見 て いな い 研 究 者に も 伝 え ら れ、 日 本 に おけ る

〈 敦 煌 学

〉は 京 都 を 中心 に さ ら に 展開 す る

(

12)

そ の 中 で も

、京 都 帝 国 大学 は 先 頭 に 立ち

、 敦 煌 学 を含 む 東 洋 学 関係 の 教 官 を迎 え

、 様 々 な講 座 を 設 け る

。開 設 時 から 昭 和 前 期の 状 況 は、 次 の

【表

(

13)

に 示 した と お りで あ る

し て

、 京都 帝 国 大学 関 係 の 雑誌

『 芸 文』

と『 支 那 学

も刊 行 さ れ、 そ の 中に は〈 敦 煌 学

〉や

〈 西 域 学

〉に 関 す る 論文 が 数 多 く 掲 載 され て い た

。 ま た

、 一 九二 九

年 に

、東 洋 学 の 研 究 機 関 と して の 東 方 文 化 学 院 京都 研 究 所

が 発 足し

、そ の 所員 の 多く は

西

参照

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﹃講 談倶楽 部﹄ の発行 者であ っ た 野間清

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今回の授業実践には小学校低学年も参加していたので、内容的に難しかった