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ポストモダンの歴史小説と奴隷制度

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著者 富山 太佳夫

雑誌名 同志社大学英語英文学研究

号 84

ページ 1‑21

発行年 2009‑03

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011691

(2)

富 山 太佳夫

 W. M. サッカレー(W. M. Thackeray)の『虚栄の市』(Vanity Fair, 1847)

の中に次のような件がある。

「あのムラートの女と結婚するんですか?……あんな色,嫌ですよ。

フリート・マーケット(Fleet Market)の向う側を掃いている黒ん坊 に言って下さいよ。僕はホッテントットのヴィーナス(Hottentot Venus)なんかとは結婚しませんからね」(Thackeray 259)

勿論,今ならば,この発言の裡に悪質の人種差別がひそんでいることくらい 簡単に見分けられるだろう。

 そこでジョン・サザーランド(John Sutherland)の手になるオックスフォー ド版の註釈に眼をやると,この「黒ん坊」については「下層民の中の最下層」

と説明され,更に,「1829年にいたるまで,フリート・マーケットでは肉や 野菜が売られており,道路は腐肉で汚れていた」(Thackeray 917)と補足さ れている。ところが,「ホッテントットのヴィーナス」についてはひと言の 説明もない。別のところに登場するダニエル・ランバート(Daniel Lambert, 1770-1809)については,「D. N. B. によれば,『真正の記録が存在する史上最 大の肥満男』。1806年から死に至るまで見せ物となり,サッカレーの時代の 人々にとっては,たくさんの宿屋の看板などを通して記憶に残っていた」

(Thackeray 898)と説明されているにもかかわらず,1810年月24日に異様

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な見せ物としてロンドンに登場すると同時に大評判となった「ホッテントッ トのヴィーナス」については,なぜまったく説明されていないのだろうか。「ほ とんど一晩のうちにロンドンはサーティエ(Saartjie)熱にとりつかれてしまっ た。彼女はアッと言う間に人々の想像力をとらえてしまったのだ。……サー ティエを題材にした民衆詩やバラッド,ブロードサイドの諷刺画,各種の記 事や諷刺文などがどっと流出した。店の窓に飾られたけばけばしい彩色のポ スターや,呼び子,呼び売り商人の高々とかざす絵草子にも彼女の姿があふ れかえり,そこいらじゅうで複製されているかのようであった」(Holmes 67-68)と紹介されるほどの黒人女性なのに。ジョージ・クルックシャンク

(George Cruickshank)の特徴的な戯画「ロンドンの混雑通り」(1812年)の 中には,そうしたポスターの一枚が描き込まれているほどである。1810年の クリスマスには『ホッテントットのヴィーナス,アフリカのハーレクイン』

(Hottentot Venus: or Harequin in Africa)なるパントマイムも上演されている。

サザーランドほどの学者がそうした事実をまったく知らないなどということ は考えられないから,この註釈回避は意図的なものと判断するしかないだろ う。『虚栄の市』の冒頭に登場する黒人の召使いサンボ(Sambo)についても,

彼は註釈をつけないままにした―そのこと自体が人種差別的な言説を黙殺 してしまう,この研究者の底意地の悪さを暗示しているのではないだろうか。

* * *

 レイチェル・ホームズ(Rachel Holmes)の伝記によれば,「ピカディリー

(Picadilly)225番地での見せ物は1811年月で終了し,1814年の夏までの 年間,ホッテントットのヴィーナスは英国を巡業することになった」(Holmes 111)。もともとこの場所がショウの舞台として選びとられた経緯については,

彼女は次のように説明している。「ダンロップ(Dunlop)とシーザーズ

(Caesers)は,リヴァプール博物館(Liverpool Museum)の近くの場所ならば,

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バロックの珍しい展示物を見ようと押しかける大勢の人々を引き寄せられる かもしれないと計算したのだが,これは正解であった。大きな通りの北側,

この博物館側からは対角線上に位置するピカディリー225番地を彼らは確保 することになった。ピカディリーというのは,ロンドンの中でも,畸形の人 間(生まれつきのもの,人工的なものを含めて),珍奇なもの,『驚異のもの』,

人気の高い娯楽などの出し物で活況のある中心区域であった」(Holmes 61)。

ウイリアム・バロック(William Bullock)は,クック船長(Captain Cook)

が南洋航海から持ち帰った珍品などを購入・展示して人気を博した人物であ り,彼の所有するリヴァプール博物館はピカディリー22番地に開設されて いた。1812年以降は新築のエジプト館(Egyptian Hall)に移動するものの,

19年の閉鎖にいたるまで彼の博物館は大変な人気を誇っていたことが知られ ている(Baigent 647-48)。そのような事情からするならば,南アフリカから 連れて来られた巨大な臀部をもつ女性を見せ物にして金儲けをたくらんだ 人の男は,いかにも適切な場所を選択したということになるであろう。しか も,その計画は図に当たって,ホッテントットのヴィーナスは大評判となる。

 地方からロンドンに出て来た人々にとってもこの地域が大いなる好奇心の 対象となったであろうことは容易に推測できるはずであるが,そのような田 舎者のひとりの名前がジェイン・オースティン(Jane Austen)であるとなると,

英文学者としての礼儀作法からして,多少なりとも驚かないではいられない だろう。1811年月18日附の姉カッサンドラ(Cassandra)宛ての手紙の中に,

次のような一節が見い出されるのである。

メアリと私は,父と母をおいて,リヴァプール博物館と英国ギャラリー に出かけて,それぞれで多少は楽しみましたが,私としては,男の人 や女の人の方に興味がありますから,そこで見られる物よりも,人の 方に注意をひかれてしまうことになります。(Le Faye 291)

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博物館に展示されている象やシマウマの剥製や珍しい植物よりも,それらを 眼にした人々の反応の方がオースティンには興味深かったのかもしれない が,ともかく36歳になったこの小説家がそうした場所に身を置いて,多少な りとも面白がったことは否定できないだろう。

 問題は,道路の反対側で大人気を博していたホッテントットのヴィーナス のショウの存在を彼女が知っていたかどうかということだ。当時の国民的な シェイクスピア役者ジョン・ケンブル(John Kemble)は実際にこのショウ を見に出かけ,深く同情したことが記録に残っているし,1810年11月24日か らは彼女に対する奴隷虐待と公然猥褻の行為をめぐって裁判となったことも 判っている(この裁判の結果としてホッテントットのヴィーナスが処罰され ることはなかった)。しかし,オースティンがこの黒人女性のことを知って いたことを示す資料は残されていない。ただ,そうであるとは言っても,当 時の言説状況からして,彼女がこの特異な体型の女性のことを噂話や街角に 貼られたポスターなどを通して,多少なりとも知っていたのではないかと推 測してみるのも,いちがいに不合理とは言えないだろう。

 残された資料がない―実証主義を良心とする歴史学はそこで立ち止まっ てしまうのかもしれないが,そこで立ち止まってしまうならば,歴史は建築 や絵画,墳墓,文字資料,口承伝説や語りを残せる人々だけの公共圏と化し てしまうはずである。しかもそうした資料は決して生活のすべての部分をカ バーするものではない。そのような公共圏の外側にいる〈無名の人々〉や,

外側にある生活に眼を向けるためには,たとえ実証的な資料の残存がまだ確 認されていないとしても,すでにある資料が合理的な推測を許す不安定な範 囲内で説得力のある想像力を働かせてみることも必要になってくるはずであ る。勿論アカデミズムの制約の中で仕事をする歴史学者にとってはそのよう なかたちで想像力を働かせることすらままならず,説得力のある想像力の行 使は読者共同体に任せるということも起きてしまうかもしれない。カルロ・

ギンズブルク(Carlo Ginsburg)やナタリー・デイヴィス(Natalie Davies),

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サイモン・シャーマ(Simon Schama)やリンダ・コリー(Linda Colley)の 仕事を手にして,私はそんな感想を抱いてしまう。〈歴史的事実〉と〈フィ クション〉の相互補完性が彼らの仕事の中では鮮烈に機能しているように感 じられるのだ―対照的に,ポストモダンの文学があざとい手法の実験に惑 溺するのに見切りをつけ,ニューヨークのような大都会の生活の表層にただ 軽く触れるだけの言葉を捨て,歴史に眼を向け直すとき,決してそれと同一 ものではないが,それと併行するかたちで〈歴史的事実〉と〈フィクション〉

の相互補完性を追求するポストモダンの歴史小説が浮上してくることになる ように思われる。これは異様なことではない。かつてヒューム(David Hume)からマコーレー(Thomas B. Macauley)にいたる英国史が書かれたと き,多少の時間的なズレをともないながらも,スコットやディケンズの歴史 小説がそれを補完していったという前例があるのだから。

* * *

 クレア・トマリン(Claire Tomalin)の伝記によれば,「オースティン家は,

遠いものではあるにしても,ともかく奴隷制度とひとつのつながりを持って いた。18世紀イングランドの多少なりとも資財のある家で,奴隷制度と何ら かの関わりのないものは殆どなかった。……奴隷貿易は犯罪であることにつ いては読者の考えが同じであるのを当然視していたことは疑う余地がない」

(Tomalin 291)ということになる。そのような共通の了解があるところでは 敢えてくどくどと書くことはない,奴隷,カリブ海の植民地と言えば,あと は読者の紋切型の知識と想像力が補ってくれるのである。『エマ』(Emma)

や『マンス・フィールド・パーク』(Mansfield Park)におけるあまりにも短 い奴隷制度への言及は,社会的言説の性格を考えるならば,そのように解釈 すべきであって,言及の量が少ないから軽視できるとするのは(『虚栄の市』

におけるホッテントットのヴィーナスへの言及もこの例である),フォルマ

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リズム的な旧式の読み方であると言うしかない。

 さらにトマリンは附録として,小説家の姪のファニー・オースティン(Fanny Austen)の1809年のポケット・ブックに含まれていた「アフリカの物語」(“An African Story”)(Tomalin 292-94)という小品を収録している。この作品の中 では,結婚を寸前にひかえたアフリカの若者が奴隷として拉致されてしまう。

「ヨーロッパの船が……何の悪をなすこともない人々を故郷の平原から切り 離し,一番大切にしているものを奪い取るために……沖に錯をおろした。

……〔彼は〕可哀想な同郷の人々と一緒に奴隷として売られた」。のちに彼 の恋人もやって来ることになる,難破船から投げ出された死体として。「そ の手首には鎖のあとが残っていた。彼は,彼女も自分と同じように,白人の 悪党どもの犠牲になったに違いないと思った。……彼は自分の胸にナイフを ぐさりと突き刺し,波の底深くへと沈んでいった」。語り口からして,奴隷 制度の恐ろしさを子どもに教えるための物語であるし,小説家オースティン がこれを読んでいたと断定する証拠はないのだが,それでも彼女を取り巻い ていた言説環境を推測するためのひとつの手掛りにはなるだろう。18〜19 世紀にはブリストル(Bristol)と並んで植民地から来る黒人たちの入港先と なっていたリヴァプール,その名前を使った博物館で多少は楽しませても らったと姉への手紙に書いた彼女は,すぐそばで大人気のショウを繰り広げ ていた黒い肌の女のことを本当に何も知らなかったのだろうか。噂話にも聞 かなかったのだろうか。

 歴史家であるならば,ここから先は読者の想像力の展開に任せるしかない のかもしれない。しかしながら,小説家・バーバラ・チェイス=リバウド

(Barbara Chase-Riboud)はそこから想像的なフィクションを展開し,そのフィ クションの枠組の中に,2002年日,ホッテントットのヴィーナスが故 郷南アフリカの大地に埋葬されるに至るまでの歴史的な事実を書き込んでゆ くことになる。フィクションの介入を避けようとする歴史記述や歴史的な伝 記―勿論それは表面的な思い込みにすぎないが―とは対照的に,ポスト

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モダンの歴史小説は,そのフィクションの枠組の中に歴史的事実を自在に書 き込むことができるのである。異種のディスクールの混在を平然と許すよう になったポストモダンの文学が最も大きな力を発揮しているのが歴史小説の ジャンルなのである。

 げんにチェイス=リバウドの小説『ホッテントットのヴィーナス』(2003年)

の中にもそれが認められる。そこには主人公の内的独白に近いもの,彼女の 視点からの語り,召使いの女アリス・ユニコーン(Alice Unicorn)の語り,

若い彫像師の語り,そして死体となったのちにパリの解剖学者ジョルジュ・

キュヴィエ(George Cuvier)に解剖されるときの主人公の語りがある。更に キュヴィエの著作からの引用がほぼ毎章のようにその冒頭に掲げられ,新聞 記事,戯歌,法廷でのやりとり,パリの自然史博物館での学者たちのやりと り(この部分はヘーゲル(Hegel),ダーウィン(Darwin),ゴルトン(Galton),

ブロカ(Broca)などからの引用で構成されていることが,明記してある)

などが織り込まれている。そして,何よりも第12章「親愛なるカッサンドラ 様」は小説家ジェイン・オースティンその人によって姉宛てに書かれた手紙 と,そのあとの小説家の仮構の独白によって構成されているのである。彼女 の小説の続編の出版がちょっとしたブームと化している最近の動向の中では このような工夫は別段驚くほどのことではないのかもしれないが,コンテク ストがコンテクストであるだけに読者としてはある種の衝撃を感じとると同 時に,作者の側にそれ相応の覚悟があることを察知しないわけにはいかない。

作者はオースティンにこう語らせているのだ。

私は手紙をしたためたペンを握ったまま,我々には偏見がある,我々 は自分の優越性を信じ込んで,そのために世の中をもてあそんでし まっている,この居場所を失った人物はその象徴なのだと語ったジョ ン・ケンブルの言葉について思いをめぐらした。メアリーと一緒に人 混みの中に立ったまま私が感じていたのは,同じ女性のひとりが残酷

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な辱めを受けているのを眼のあたりにしながら,自分は安全だ,他人 に手を出されることはないと密かに哀れな喜びを感じて……だからこ そ私は畸形ショウが好きなのではないのか。彼女はヴィーナス,所詮 は他人,私は私,ジェイン,田舎の特権的な白人の世界の囲いの中で 安全を約束されている。私は彼女のようにはなれない。それを侵犯す ることをやらないかぎりは。(Chase-Reboud 159)

要するにチェイス=リバウドは,その想像力の中で残存する資料の空白を踏 み越えて,この偉大な小説家を異形の体型の,殆ど裸体と見える黒人の女の 前に立たせたということである。

 しかし,ここで問題が生ずる。この仮構の独白の真実性を下支えするため には,手紙の中に独白と照応する何らかの表現がなければならないはずであ る。『ジェイン・オースティン書簡集』に収録されている1811年月18日附 の手紙の中にはそのような記述はない。ところが,『ホッテントットのヴィー ナス』は面白い工夫を凝らした。実在する問題の手紙の最初の数行はそのま ま小説の中の手紙に転写し,先程引用した部分については,「父と母をおいて」

と「英国ギャラリー」の語句を削除して,他の部分はそのまま残し,そのあ とでリヴァプール博物館の見物を具体性を持たせて創作し(キリンの剥製の 話など),更にそのあとに歴史的事実と認定できる事柄を書き込んだのであ る。以下に訳出する部分は所謂歴史的な事実を活用して構成された〈フィク ション〉である。

バロック氏の動物たちを見つめたあとで,私たちはピカディリー広場 を横切って225番地に向い,別の生き物を見て,ポカんとしてしまい ました,他には表現する言葉が見つかりません。この間,ダントレク

(D’Eetraiques)邸での食事の折にジョン・ケンブルが話題にした畸形 です。ホッテントットのヴィーナスと言って,南アフリカのチャンブー

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ス(Chamboos)から連れて来られた女,それがバロック氏のリヴァプー ル博物館のキリンとちょうど同じように見せ物になっているのです。

彼女を操っている男たちをアフリカ協会が訴えて,派手な裁判になっ たのですが,結局はまったくお咎めなしということになりました。

(Chase-Reboud 157)

どんなに客観性を保証された事実であっても,それが発話遂行的なコンテク ストにおいて呈示される限りは単なる事実性とは違う意味を持ちうるのは当 然のことであるが,ここではそれが「ジェイン・オースティンの手紙」とい う枠組を与えられることで何倍もの威力を発揮することになる。そして読者 としてはオースティンの書簡集をめくり返し,サイード(Edward Said)の『文 化と帝国主義』(Culture and Imperialism)以降の批評を読み直し,1807年の 奴隷売買禁止法の成立をめぐる議論が過熱していた時代に彼女が生きていた ことを改めて思い返すように促されることになるだろう。サー・トマス・バー トラム(Sir Thomas Bertram)が長男を連れて,カリブ海のアンティグア諸 島(Antigua)のプランテーションに赴くことが言及されるのみで,具体的 な奴隷制や万人を越えるイギリス国内の黒人の存在にはまったく話の及ば ない『マンスフィールド・パーク』(1814年)が刊行されてから20年ほど経 つと,それこそ大英帝国内では,少なくとも書面上では奴隷制度が廃止され ることも思い出してみる必要が出てくる。更に,『虚栄の市』の出版と同じ 1847年には,ジャマイカ(Jamaica)生まれの肌の黒い狂女の登場する『ジェ イン・エア』と,リヴァプールで拾われる肌の色の黒い少年ヒースクリフ

(Heathcliff)が主人公となる『嵐ヶ丘』が刊行されていることも。

 チェイス=リバウドがそうした歴史のコンテクストを知らなかったはずは ない。彼女がこの小説を書くことによってめざしたのは,そうした歴史のコ ンテクストをただ歴史的に復元するだけではなく,それから世紀の間に蓄 積された知を活用して,ホッテントットのヴィーナスの生涯を人種差別の問

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題のみに還元しないような考え方を読者の裡に触発することであったように 思われる。この小説は人種差別を大きなテーマとして内包している。しかし それが奴隷の所有主と奴隷の間の力関係に還元されてしまうことはない。作 者は人種差別が維持され,再生産され,強化されてしまうときの媒体として 民衆の娯楽意識や解剖学者の科学的な好奇心なるものがあることを,それこ そ執拗なくらいに書き込んでいるのだ。それは科学の名のもとに人種差別と 性的暴力とが一体化してしまう場面でもある。当然のことながら,それが男 女間の権力の問題一般につながってゆくことも見据えられている。「肌の色 が黒や褐色である人種が受ける明らさまなゾッとする抑圧を眼にすること以 上に,私たち女に自分たちの受けている抑圧を意識させるものはありません。

あるいは,肌の色が黒や褐色の女たちの受ける抑圧ほど。それを眼にするた めにお金を払ってしまったなんて!」(Chase-Reboud 158)オースティンの 手紙のこうした言葉を仮構することによって作者が伝えようとしたメッセー ジを誤解する余地はない。それは決して突拍子のないものではないにしても,

ともかくこれだけのフィクションを構成する力にはまず脱帽すべきかもしれ ない―そのフィクションは歴史的な事実をただ提示するためではなく,ひ とつの主張を強烈に浮上させるための場ともなっているのである。

* * *

 ところで,二人の白人の男に南アフリカからイギリスに連れ戻られたホッ テントットのヴィーナスは,〈奴隷〉なのだろうか,それとも〈召使い〉な のだろうか。重労働を強いられた労働者,地下の炭鉱で過酷な労働を強いら れた人々から,場合によっては,女性の家庭教師にいたるまで奴隷という言 葉で包摂された19世紀初めのイギリスの歴史的事情を念頭に置くならば,こ の区別には大した意味はないようにも思えるかも知れないが,それは違う。

奴隷制度の廃止へ向う動きが力を獲得してゆく18世紀の末から19世紀の前半

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にかけて,奴隷であるか召使いでるかは決定的な違いであった。奴隷ならば 主人の所有物(property)であって,主人の意のままに売買されてしまいか ねないのに対して,召使いであるならば法的にもさまざまの権利を,少なく とも名目上は保証されるからである。

 この歴史的な展開について,ホームズの評伝における説明を借りるならば,

買い取った奴隷を衆目にさらすということは,すでにエリザベス朝や スチュアート朝の宮廷でも行われていたし,18世紀の大半を通じてそ の売買広告が見られ,1820年代になっても遺言状の中に遺贈がしるさ れたりした。ところが,18世紀の初めにはホルト(Holt)高等法院長 官が,「黒人もイングランドに来ると同時に自由の身になる」として いたし,1762年には大法官が,「人はイングランドの大地に足をつけ ると同時に自由となる。黒人といえども,虐待を理由に,対主人の訴 訟を起こせるし,自由を奪われたときには人身保護令状を求めること ができる」と述べていた。

 不法の奴隷売買についてはすでに人身保護令状が行使される例があ りはしたものの,その行使を確実なものにしたのは,1762年のジェイ ムズ・サマセット(James Summerset)裁判におけるマンスフィール ド卿(Lord Mansfield)の判決であった。西インド諸島の商人たちと 奴隷制廃止論者たちが対決することになったこの審理をひっぱったの はグランヴィル・シャープ(Granville Sharp)であるが,これをもって,

イングランドには奴隷制度が存在できないことが確定した。所有主に よってヴァージニアからイングランドに連れて来られた奴隷のサマ セットが,一度は主人のもとから逃亡したものの,その後捕まってし まい,鎖につながれてジャマイカに輸送されかけたのである。(Holmes 15)1

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もしホッテントットのヴィーナスが奴隷という身分で,畸形のショウのため に毎日長時間さらしものになっているとすれば,このサマセット判決を踏ま えて彼女は,少なくともイングランドでは,自由の身になれるはずである。

実際にも,奴隷制度に反対するアフリカ協会(Africa Insutitution)からの訴 えを受けて,1810年11月24日から審理が始まった。しかし,ヴィーナスの側 から,ショウの利益は彼女にも分与されること,体調維持のために医者にか かれるようにしてあること,彼女の希望に応じて祖国に帰れることなどが説 明されて,奴隷という認定はされなかった。結局のところ,彼女は1814年の 夏までイギリス各地を巡業し(1811年12月日にはマンチェスターの教会で 洗礼を受けている。洗礼名はサラ・バートマン(Sarah Baatman)),そのあと パリに渡って巡業を続け,解剖学者や生物学者に屈辱的な扱いを受け,死後 はキュヴィエによって多くの学者たちの前で解剖されることになる。

 勿論,鋭い問題意識をもつ小説家チェイス=リバウドはこうした一連の事 実を調べ上げていたはずであり,問題の審理の場面もその場でのやりとりを なぞるかたちで作品化されることになるのだが,彼女はそこにもうひとりの 実に興味深い人物を登場させることになる―「スコットランドの貴族の荘 園主と奴隷の女」との間にできた私生児で,「奴隷制の廃止という過激な目 標に身を捧げ,アフリカの会を設立した人物」(Chase-Reboud 112)を。そ の名前は

ロバート・ウェダバーン(Robert Wedderburn)。ジャマイカの裕富な 荘園主であったインヴァレスク(Inveresk)のジェイムズ・ウェダバー ンを父とする何人かの私生児のひとり。ブラックネスのサー・ジョン・

ウェダバーンの孫にもあたるが,自立をめざすスコットランドの軍隊 が1746年にカロデン(Culloden)で敗北したあと,この一家は西イン ド諸島に逃げて来た。祖父にあたるサー・ジョンはイングランド側に 捕縛され,反逆罪で裁かれ,絞首刑となり,引きずりまわされて,四

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つ裂きにされてしまった。……私は独学で,ユニテリアンの説教師の 資格をもらうことができた。私は,西インド諸島の黒人とイギリスの 労働者階級の間には,そしてロンドンの職工階級と超過激派の間には 類似があると信じている。だからこそ,ブリテンのやる奴隷の家財扱 いと植民地での奴隷交易を廃絶する運動を始めることにもなった。私 は,国の議会の議員でもあるウイリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce) の 暗 黙 の 助 け を 受 け て, ア フ リ カ の 会(African Association)を設立した。それが,宣教協会やアフリカ協会と一緒に なって,イングランドの地での奴隷制度の廃止のために動いて,年 前に実現することになった。(Chase-Reboud 113-14)

奴隷問題と労働者問題の類似を示唆しようとする意図は疑うべくもない。問 題は,奴隷解放運動の中核となったウィルバーフォース,さらにはアフリカ 協会や宣教協会が確かに歴史の中に実在した人物や組織であることは疑い得 ないとして,ここに名前の挙がっている他の人物たちはどうなのかというこ とである。結論的に言えば,ウェダバーン姓の人は実在した。『オックス フォード英国人名辞典』(2004年)にはサー・ジョンの項があるし(但し,

長男の名前はジョンであり,ジェイムズは次男である),ロバートの項もある。

その記述によれば,彼は1762年,ジャマイカのキングストン(Kingston)生 まれの「過激派……アフリカ生まれの奴隷ロザンナ(Rosanna)と砂糖荘園 主で,エディンバラ近郊のインヴァレスクのジェイムズ・ウィダバーンの間 にできた非嫡子。後者はロザンナが妊娠ヶ月のとき,彼女を売りとばして しまうが,ロバートの方は生まれたときから,母親の新しい所有主たちから 自由の身分とみなされ,国教会で洗礼を受け,わずかながらも教育を受けた」

(Chase 915)ということになる。彼は1778年に英国海軍の水兵としてイング ランドに渡り,のちにはユニテリアンの説教師の資格も得ている。

 そのような彼が『ホッテントットのヴィーナス』という歴史小説の中に招

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き入れられているのである。そしてその主人公を自由の身分にするための訴 訟につながる行動に打って出た人物とされているのだが,彼女の方は,「あ なたは,イングランド人と戦うために革命を,反乱を起こすというあなた自 身の目的のための手段として,私を見ているだけ。……あなたなど信用でき ない,白くて黒い人なんて……私は奴隷なんかじゃない……私は自由な女」

(Chase-Reboud 112)と答えてしまうことになる。二人の間のこのようなや りとりはフィクションかもしれないし,二人の出会い自体もそうかもしれな い。つまり,ここにある設定も,ジェイン・オースティンの手紙に混入され たフィクションと似た性格をもつように見えるのだが,ただ手紙の場合には 有名な作家の驚くべき発言であったのに対して,ここで浮上してくるのは長 い18世紀の思想史や社会史ではまず扱われることのない黒人の活動家像であ る。1824年に自伝性をもつ『奴隷制の恐怖』(The Horrors of Slavery)を出版 していながら,白人主体のクラパム派(Clapham Sect)を中心に置くイギリ スの奴隷制廃止の運動史の中では日の当ることのないひとりの黒人の姿であ る。畸形ショウの見せ物となったサーティエ・バートマンと過激派の活動家 となったロバート・ウェダバーン―この人の黒人の運命を併置すること によって,作者は現代にまでも存続する人種差別のもたらす問題の一面を,

改めてそこに強烈なかたちで現前させていると言うしかない。その意味では,

ポストモダンの歴史小説の示差特徴を十分すぎるくらいに持っているという ことである。

 私は,彼がみずからの人生を独白する部分をもう一度読み返してみるしか なくなる。

私は町をうろつくムラートの子ども,お腹にヶ月の子どもを抱えた 母親を売りとばしたスコットランドの貴族の私生児というわけだ。ク リスチャンになったのはずっとあとのこと。私は過激で,気性も激し い。育ててくれた祖母はジャマイカの島の貧乏な黒人の奴隷だったが,

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歳の頃,その所有主で,私の親爺であり,白人のキリスト教徒であ る男に鞭で悲惨なほどに殴られるのを目撃した。……17歳で,アメリ カ革命の時機の英国海軍に入隊した。私は1780年,アメリカの黒人ベ ンジャミン・ボウジー(Benjamin Bowsey)とジョン・グラバー(John Glover)が率いたゴードン騒動(Gordon Riots)にも加わった。……

私の小さな教会には私の説教を聞きにたくさんの人がやって来るし,

『奴隷制の恐怖』はもう万部も出た。貴族の父親は私のためには何 もしてくれなかった。(Chase-Reboud 121-22)2

このゴードン騒動を取り込んだディケンズの歴史小説『バーナビー・ラッジ』

(Barnaby Rudge)の背後に埋もれているこの歴史を念頭に置きながら,それ を読み直すことまで『ホッテントットのヴィーナス』は誘っている,いや,

求めているように見える。錯覚だろうか。しかし,錯覚であっても構いはし ない,私の資料読みと研究は何度もそのような錯覚と偶然から始まったのだ から。

* * *

 ジェイムズ・ロバートソン(James Robertson)の歴史小説『ジョゼフ・ナ

イト』(Joseph Knight, 2003)を読み始めて,私は言葉を失ってしまった。ジャ

マイカからスコットランドへ連れて帰られ,そこでの自由の身分の保証を求 めて主人を相手に裁判を起こし,勝訴した黒人ジョゼフ・ナイトは実在した 人物であるが,その彼を連れ帰ったのが他でもないジェイムズ・ウェダバー ンその人なのである。しかも,この歴史小説の中にジェイムズから兄のサー・

ジョンに送られたことになっている1802年月20日附の手紙なるものが使わ れ,そこに次のような件があるのだ。

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ロバート・ウェダバーンなる人物が(本人はそう名乗ったとのこと)

この国に来たという話を……それからほどなくエディンバラに姿を見 せて,我が家の家の門を叩いたことを記憶しておられるでしょう。そ のときはピシャリと追い払ったのですが,また浮上してきて,我々の 関係を口実にしつこい要求を繰り返してきたのです……あの悪党は,

生まれつき自由の身分にしてもらっているのにあきたらず,名前にか こつけて援助を要求し続けています……。(Robertson 162)

ある人物の1762年月24日附の日記からとして,「ロザンナは週間前に男 の子を出産したとのこと,人とも元気」(Robertson 143)という一節まで もが小説の中に使われている。

 2003年という同じ年に,まったく相手のことを意識せずに,精細なリサー チを踏まえて発表されたはずの二つの歴史小説が,ひとりの黒人の影によっ てつながれているのである。ここにあるのはサーティエ・バートマンとジョ ゼフ・ナイトを主人公とした評伝小説であるだけでなく,もうひとり,ロバー ト・ウェダバーンのための評伝小説でもあると言うべきだろうか。そして三 人を待ちうけていた三つの運命,すなわち,娯楽ショウでの仕事,地元の女 性と結婚し,労働者のひとりとしてまわりの人々に助けられ,家庭と子ども を持つ父としての生活,宗教者であり,ラディカルな政治活動家でもある生 活は,ある意味では,C. L. R. ジェイムズ(C. L. R. James)からキャリル・フィ リップス(Carly Phillips)にいたるまでの後のディアスポラの人々を待ち受 けていた欧米社会での可能性を先取りしているようにさえ思われる。

 『ホッテントットのヴィーナス』と『ジョゼフ・ナイト』という二つのポ ストモダンの技法を駆使した歴史小説の大きな特徴がその相互的な相補性に あることは間違いない。ジャコバイトの第二次反乱(Jacobite Rebellion)の 記述から始まって,ジャマイカでの荘園経営,黒人奴隷たちの反乱,富を手 にしての帰国,そしてスコットランドでの裁判へと展開してゆく後者の中で,

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とりわけ前者との比較上注目に値するのは,人種差別や奴隷制の問題に宣教 協会やアフリカ協会とは別のかたちで関わりを持つ人々が登場してくる点で ある。端的に言えば,それは18世紀スコットランド啓蒙主義(Scottish Enlightenment)の人権思想と奴隷制度の根底にあったそれとの対決というこ とであった。1778年月,スコットランドで最も権威のある民事訴訟院は八 対四でジョゼフ・ナイト側の主張を認め,彼を召使いとして連れ戻そうとし たウェダバーン側の主張をしりぞけることになる。そのときの考え方は次の ように説明された。

奴隷状態はこの王国の法律では認可されなていないものであり,その 諸原理とも矛盾するものであって,ジャマイカにおける奴隷関係の規 制はこの王国にまで及ぶことはなく,恒久的使用権を求める所有主の 要求を斥けるものとする。(Whyte 18)

同年月18日附の『カレドニアン・マーキュリー』(Caledonian Mercury)紙 はスコットランド最高裁のこの判決を誇らしげに大歓迎したという。この裁 判の場における双方の主張は『ジョゼフ・ナイト』の中にも詳しく描写され ていて,サーティエ・バートマンの審理の場合とは違う歴史的,思想的な背 景がそこにあったことを痛感させるものとなっている。例えばスコットラン ドには,オランウータンこそ人間の初期段階であると主張したモンボドー

(Monboddo)判事から―因みに彼はナイトの裁判で,彼に不利な判定をし たひとりであった―黒人は生来的に白人に劣るとした哲学者ヒュームへと つらなる知の系列が存在したのを踏まえて,ジョンソン博士(Dr. Johnson)

とボズウェル(Boswell)の会話がこの小説の中に挿入されているのもその 例と考えてよいだろう。

「……〔ヒューム氏〕は風聞と黒人嫌いとから結論を引き出してしまっ

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ていて,分別のあるべき人間としては無知なやり方だね―哲学者な ら許されないことだ。私の場合は,ボズウェルがそういう無知を防ぐ 助けをしてくれる,そうだろう? 彼は私のところにいるフランシス・

バーバー(Francis Barber)を知っているからね―私のところで給料 付きで自由にやらせている召使い4 4 4の名前ですよ―ほら,窓のところ にいるあの猫みたいに黒いけれど,彼以上に高貴で文明化された白人 なんていやしない。おっと,忘れていた。ボズウェルは熱狂的な奴隷 制賛成派か」

 これにはボズウェルも反論したくなった。「その言い方はフェアじゃ ないですよ。私だってバーバーさんを尊敬しているのはご存知のはず なのに」

 「でも,彼の仲間は別というわけかい」ジョンソンは嬉しそうに言っ た。「ごらんの通り,私は,奴隷のサマセットの味方をしたマンスフィー ルド卿の最近の判断を素晴らしいと思うのでありますが,ここなる我 が友人は心をかき乱されてしまった。我等が帝国の破滅の前触れと見 えたようであります。皆さん,スコットランドではあれをどう読まれ ますか?」(Robertson 182)

フランシス・バーバーは実際にジョンソン博士の家で働いていた黒人の召使 いであるが,われわれの関心はこの件だけからでも思想や文化や文学,美術 へと多方向に展開してゆくだろう。勿論二つのポストモダンの歴史小説の狙 いもそこにあるはずだ。そこにあるのは過去への型通りのノスタルジアの復 唱ではなくて,大文字の歴史の下に埋没させられてしまった者の声によって,

そこに多方向のひび割れを走らせようとする欲望のはずである。

(*)この論文は2008年10月15日に同志社大学文学部で行った講演をベース にしているが,講演の中では触れる余裕のなかった事柄をなるたけ論ずるよ

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うにした。なお,ここで扱った二つの小説は志渡岡理恵君と松井優子君から プレゼントされたもの。かつての教え子に自分の知らなかった作家を教えら れて勉強するというのは多少ムカッとするような,照れ臭いような,幸福な ような感じではあるが,ともかく感謝しておくことにしたい。

1 グランヴィル・シャープとマンスフィールド卿についてはGretchen Gerzina, Black England: Life before Emancipation (London: John Murray, 1995), pp.90-131, Simon Schama, Rough Crossing: Britain, the Slaves and the American Revolution (New York:

Harper Collins, 2006), pp.35-37を参照。ロマン主義の詩や小説と奴隷制の関係を論じ たものとしては,Debbie Lee, Slavery and the Romantic Imagination (Philadelphia:

University of Pennsylvania Press, 2000)が有益。

2 彼の政治活動については,秘密警察関係の資料を利用したものがDavid Worral, Radical Culture: Discourse, Resistance and Suevillance, 1970-1820 (London: Harvester, 1992), pp.129-46にある。なお,『奴隷制の恐怖』については,Paul Edwards & David Dabydeen, eds., Black Writers in Britain 1760-1890 (Edinburgh: Edinburgh University Press, 1991), 140-53に抜粋が収録されている。

引用文献

Baigent, Elizabeth. “Willam Bullock.” Oxford D. N. B., 2004. 8: 647-48.

Chase, Malcom. “Robert Wedderburn.” Oxford D. N. B., 2004. 57: 915.

Chase-Reboud, Barbara. Hottentot Venus. New York: Anchor Books, 2004.

Holmes, Rachel. The Hottentot Venus: The Life and Death of Saartjie Baartman, Born 1789-Buried 2002. London: Bloomsbury, 2007.

Le Faye, Deirdre, ed. Jane Austen’s Letters. Oxford: Oxford University Letters, 2007.

Robertson, James. Joseph Knight. London: Fourth Estate, 2004.

Thackeray, W. M. Vanity Fair. Ed. John Sutherland. Oxford: Oxford University Press, 1988.

Tomalin, Claire. Jane Austen: A Life (1997). London: Penguin Books, 2007.

Whyte, Iain. Scotland and the Abolition of Black Slavery, 1756-1838. Edinburgh: Edinburgh University Press, 2006.

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Synopsis

Postmodern Historical Novel and Slavery

Takao Tomiyama

The aim of this paper is to consider how postmodern historical imagination can recover those aspects of black slavery which, though neglected until quite recently, were actually there in the 18th and 19th century Britain. Recent historical and literary studies of slavery induce or compel us to take up this problem to reconsider the historical interpretation of English Literature in general.

Saartjie Baartman, generally known as Hottentot Venus (1789-1815), was brought from Cape Town to London in 1810 to be shown as an extraordinary freak at Piccadilly 225, near which at Piccadilly 22 the Liverpool Museum attracted a great many visitors by its curious exhibits. Among the visitors we find the name of Jane Austen (cf. her letter to Cassandra, dated April 18, 1811). There remains no evidence that the novelist saw the semi-nude black woman. But Barbara Chase-Reboud represents imaginatively the novelist confronted with the pitiful victim as well as various problems of racism and gender in Hottentot Venus (2003). It is surely a well-researched, facts-based biographical novel, but, along with it, the shocking facts are re-interpreted in contemporary terms.

Chase-Reboud also introduces a black activist in London endeavouring to liberate Hottentot Venus. He was Robert Wedderburn, a real historical person born in Jamaica between a Scottish father and an African slave woman (cf. his entry in Oxford D. N. B. He is the author of The Horrors

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of Slavery [1824]). Probably it is a coincidence that he appears in James Robertson’s Joseph Knight (2003), another postmodern historical novel based on the well-researched historical facts. Joseph Knight was also a historical person, a Jamaica-born black servant, brought to Scotland, where he got married with a Scottish woman and tried to be a free worker.

This novel consists of the Wedderburn family’s involvement in the Jacobite rebellion, their management of plantations in Jamaica, the trial in Edinburgh in 1778, and its effects. Main focus is laid on the relationship between slavery and Scottish law. The Scottish Supreme Court judged Joseph Knight as a free citizen after the Sommerset Case in England in 1772.

These two postmodern historical novels turn their attention to little known, or intentionally neglected, aspects of British history and lay us under obligation to reconsider their painful meanings in post-colonial context.

And I sense a new moment of historical turn in literature behind them in parallel with the achievement of, say, Carlo Ginsburg, Natalie Davis, Linda Colley, Simon Schama and other historians.

参照

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