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職業としての国際協力

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Academic year: 2021

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職業としての国際協力

「プロジェクト批判」というエッセイで、ひも付き援助的な国際共同研究が広く行われてい るようだという現状を紹介した。このように書くと、国際援助を含めて、国際協力の場面で 金を儲けたり何らかの利益を得たりすることがけしからんと主張しているかのように受け 取られるかもせれない。それは誤解である。それを専門的な職業として「国際協力」をする こと自体は構わない。私は若い時に開発コンサルタントを職業としていた。共稼ぎだったか ら、それで家族を養ったとまでは言わないが、主観的には家族を養うための生業だった。今 でも、開発コンサルタント(あるいは専門家)として開発プロジェクトにかかわっている友 人はたくさんいる。その一方で、途上国の国連開発機構(UNDP)やユニセフの職員を見ると

「何だこいつらは」と思うことがある。我ながら、この辺りの感情や理屈付けには一貫性が ない。業界の内側から見ると、開発関係の専門家の給与は高いに越したことはない。その方 が優秀な人が業界に集まるからだ。私自身、自分の給料は不当に低いと、現役時代には思っ ていた。金が欲しいということではなく、給料高さは自分のやっている仕事に対する評価だ と思っていたから、それが低く評価されることは不満だった。現在も似たような活動を続け ているが、報酬はもらっていない。すべて自腹で様々な活動をしている。これについて不満 はない。私はすでに現役を離れた。今やっていることは道楽だと思っている。道楽は自腹を 切ってするものだ。仕事であれば、その仕事の内容を正確に評価し、それに対する適正な支 払いを主張すべきだ。途上国の UNDP 職員に腹が立つのは、実質的に良い仕事をしていな いと思うからだろう。ユネスコやユニセフの仕事もろくなものではない。それで金をもらっ ているから腹が立つ。つまり、本来の目的のところで、どのくらいの成果を上げているのか が問われるのだと思う。

完全に善意だけで行われる行為も、悪意だけで行われる行為もない。動機が正しいか否か の議論してみても仕方がない。また、不当に安い給与で働くべきではない。どのくらいの成 果を上げたかというその人間が持つスキルが問われるのだ。開発協力の対象となっている 地域の人々の利益をもたらし、自分の利益を生み出す微妙なバランスが必要だ。力もないの に、一方的に自己利益を追求すれば、次の仕事をなくす。「正義」ではなくて、「技量」の問 題なのだろう。

どんな仕事にも正義の部分と不正義の部分がある。そういう意味では、専門家はその技量 を誇っても良いが、自分の仕事を「正義」などと思い込んではいけない。そういうことは恥 ずべきことだ。

要は結果だ。REDD+や Blue Carbon などということを、疑いもない正義だと思い込んで 行動する人間がいるが、それだって様々な不正義を含んでいる、そういう羞恥心のなさと幼 児性を私は軽蔑する。

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