Kyushu University Institutional Repository
モニュメントのアナクロニズム : ゾラの『愛の一 ページ』をめぐって
中村, 翠
京都市立芸術大学美術学部 : 専任講師
https://doi.org/10.15017/1793615
出版情報:Stella. 35, pp.59-69, 2016-12-19. Société de Langue et Littérature Françaises de l’Université du Kyushu
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モニュメントのアナクロニズム
──ゾラの『愛の一ページ』をめぐって──
中 村 翠
「モニュメント monument」とは,『フランス語宝典』の与える第一義によれ ば,「人物や出来事の記憶を後世に伝えるために建てられた建造物あるいは彫 刻」の謂 1)。だがフィクションの世界では,時としてモニュメントが改竄され た記憶の表象として提示される。アナクロニズム(時代錯誤)の場合がまさに それである。
周知のように,自然主義の旗印を掲げたエミール・ゾラ(1840-1902 年)は 執筆前に資料に当たりフィールドワークを行うなど,綿密な下調べを経て執筆 に臨むタイプの小説家であった。時代考証についても意識が高く,たとえば中 井敦子の指摘するように,第 2 帝政のフランス社会を描く『ルーゴン・マッカー ル叢書』の第 11 巻『ボヌール・デ・ダム百貨店』(1883 年)の執筆にさいし,
作中に登場するデパートの設計図を建築家フランツ・ジュルダンに依頼したが,
できあがってきた図面を見て,1870 年以前という設定にはそぐわぬと苦言を呈 し,「アナクロニズムをおこなえば批評を刺激することは免れられない」と述べ ている 2)。
しかし中井によれば,こうした拘泥にもかかわらずゾラは結局,文学作品と してのダイナミズムのほうに力点を置いたため,ジュルダンの図面を採用し,
さらに自身が 1880 年代の百貨店に観察した詳細を加えたという 3)。これはけっ して例外的なことではなく,ゾラ作品にはあえてアナクロニズムに訴えたとみ られる箇所が散見する。現実を観察し写し取ることを唱える自然主義文学作品 において,時代設定の齟齬を冒してまで描き込まれるモニュメントには一体ど のような潜在的な意味があるのだろうか。本稿ではゾラ的アナクロニズムの代 表例と目される『愛の一ページ』(1878 年)を取り上げ,作家の書簡・草稿等 の考察を踏まえつつ,この問題の検討を試みたい。
1 .『愛の一ページ』におけるモニュメント
『愛の一ページ』は 1877 年から翌年にかけて『ビヤン・ピュブリック』紙に 連載後,1878 年に『ルーゴン・マッカール叢書』8 巻目の小説としてシャルパ ンティエ書店から上梓された。前作『居酒屋』とは異なり,病弱な娘ジャンヌ とふたりで穏やかに暮らす寡婦エレーヌの叙情的な物語である。彼女は娘の主 治医アンリと恋におち,一度きりの逢瀬を果たすが,これをきっかけに娘ジャ ンヌは母に対する独占欲と嫉妬から病の身で雨に打たれ,肺結核で死んでしま う。娘の死後,別の知人と再婚をしたエレーヌが,雪のなかパッシーの墓地に 眠る娘の墓参りをする,というシーンでしめくくられる。
5 部構成のこの小説において,各部の末尾にはパリの印象的な描写が添えら れる。最終部のそれをのぞき,いずれもが主人公が住むパッシーのアパルトマ ンから見晴らす街の光景であり,アンリへの恋を次第に自覚するエレーヌの心 理展開,第 4 部の嵐の場景では嫉妬に狂う娘ジャンヌの心理状態に対応してい る。街頭の描写のたびに,時間帯・季節・天候などに応じて変化を見せる光景 が示されるが,こうした特徴について吉田典子は印象派の画法である「連作」
の影響を指摘した 4)。たしかにゾラは 1877 年の第 3 回印象派展の記事でモネの
『サン・ラザール駅』連作に注目しているだけに,吉田の指摘は説得的である。
また印象派の連作がそもそも日本の浮世絵に想をえている点に着目した高橋 愛は,『愛の一ページ』における 5 回のパリ描写に浮世絵の間接的な影響を見て いる 5)。
ところで,このように本作品中で重要な役割を果たすパリの情景が実はアナ クロニズムを孕んでいることは,小説の発表当初から指摘されていた。問題と なったのは,モニュメントが描き込まれた以下の箇所である──
第 1 部 : より遠くには,マドレーヌ寺院の墓石のようなひしゃげた屋根の後ろに,オ ペラ座の巨大なかたまりがそびえていた。 6)
第 2 部:より遠くには,マドレーヌ寺院のひしゃげた屋根の後ろに,オペラ座の巨大 なかたまりが銅の塊のようにみえていた。 7)
第 3 部:サントーギュスタン教会がまず闇に消え,パンテオンは一瞬,青みがかった 光をとどめた。 8)
第 4 部:時折,産業宮のステンドグラスが雨の跳ね返りのなかで煙っているのや,光
を失った月のように霧の奥に丸屋根がとぐろを巻くサントーギュスタン教会や,大雨 で洗われた廃墟の中庭の敷石にも似たマドレーヌ寺院が平坦な屋根を横たえているの が,見分けられた。その一方で,背後では,オペラ座の巨大な沈み込むような塊が,
マストを失い,舟底がふたつの岩の間にはさまれつつも嵐の襲来に抵抗している船を 思わせるのであった。 9)
第 5 部:左手では,いくつかの地区にまたがる単調な平野に,他の先端が穴を穿って いた。サントーギュスタン教会,オペラ座,サン・ジャック塔は,万年雪が覆う山々 のようであった。 10)
第 1 部・第 2 部は,ほぼ同様の表現で「ひしゃげた」マドレーヌ寺院と「巨 大な」オペラ座がくり返し対比されている。だが,マドレーヌ寺院が完成した のは 1842 年であるのに対し 11),オペラ・ガルニエの建立されたのは 1862 年か ら 75 年にかけてである 12)。1853 年から 56 年にかけてという物語の時代設定を 踏まえれば,対比はいかにも不適切である。同様に第 3 部ではサントーギュス タン教会とパンテオンが対比されているが,後者の完成が 1790 年であるのに対 し 13),前者は 1860 年から 71 年にかけて建てられており,物語内では共存しえ まい。これらの時代錯誤について,おそらく新聞の読者や批評家が苦言を呈し たのだろう。というのも小説の初版にゾラはシャルパンティエ宛の書簡という 体裁で序文を添え,批判に対する言い訳をしているからだ──
批評家たちは私が許されざるアナクロニズムを犯したことを発見した。第 2 帝政の初 期,すなわちこれらのモニュメントがまだまったく建てられていなかった時代に,大 都市の地平線に新オペラ座とサントーギュスタン教会の丸屋根を配置するというアナ クロニズムである。自分の過ちを告白し,頭の内を明かそう。1877 年 4 月,私はノー トをとるためパッシーの丘に登ったとき,のちのトロカデロ宮の建設用足場がすでに かなり邪魔になっていて,北方面に私の描写を定めてくれるような目印がひとつも見 つからないことに大変困った。ただし新オペラ座とサントーギュスタン教会だけが混 沌とした煙突の海の上に浮き上がってきていた。はじめ私は日付への愛と戦った。し かし,これらの塊はあまりにも魅惑的で,空に輝いており,それらの背の高いギザギ ザの輪郭によって他に建造物がないパリの片隅を具現化してくれ,私の仕事をやりや すくしてくれていた。そして私は誘惑に負けた。もし読者がこれらふたつのモニュメ ントの年代について,この数年の意図的な過ちを受け入れる決心ができなければ,私 の作品はきっとなんの価値もなくなるだろう。 14)
ここで注目すべきは,ゾラが自らパッシーに赴いて眺望を確かめた 1877 年 4 月
にはすでに新オペラ座とサントーギュスタン教会は完成済みであり,アナクロ ニズムは承知のうえだったが,北の方角に目印が欲しかったので,ふたつの建 造物の魅力に負けたと彼が言い訳していることだ。この弁明について中井は先 述の論文のなかで問うている──「これらのふたつのモニュメントは,本当に 均衡のとれた構成のために不可欠なのだろうか。新しい建築に対するゾラの好 み,あるいはすべてを列挙するという彼の傾向によるなんらかの影響がそこに みえないだろうか」 15)。描写中には他にも産業宮,凱旋門,アンヴァリッド,
チュイルリー,サン・ジャック塔,サン・シュルピス,ノートル・ダム,パン テオン,マドレーヌ寺院,ヴァンドームの記念柱等など多くのモニュメントが ある。だがそれだけでは飽きたらず,オペラ座とサントーギュスタン教会をあ えて描き入れたのは,ジュルダンによるボヌール・デ・ダム百貨店の設計図を 採用したように,本当は新しい建築様式に惹かれていたからではないか,とい う指摘である。ガルニエによる新オペラ座とサントーギュスタン教会はいずれ も鉄を用いた近代的建築であり,たしかにゾラが強い興味を示したとしても不 思議はない。
とはいえ,ゾラによる弁解には他にも看過できない要素が 2 つある。まず方 角についてであるが,四方のうちトロカデロの工事に阻まれて北側の視界に難 があったので,北にモニュメントを追加したかったという理由である。1863 年 のパリ市街図〔図版 1 〕で確認すると,たしかに北の方角にはモニュメントが少 ない。とりわけ足場に阻まれるとよほど高い建物でなければ見えまい。中井論 文も示唆するとおり,すべてを列挙する傾向のあるゾラが全方角を網羅するよ う心がけることは充分に考えられる。なお,1878 年の市街図〔図版 2 〕と比較 するとその差はいっそう明らかになる。
つづいて高さの重要性を強調している点。「それらの背の高いギザギザの輪郭 leurs hautes découpures」とあるように,高い建造物であれば「目印 repère」
になる。では,ゾラはこの条件を構想段階から考えていたのだろうか。そうだ とすれば,いかなる理由からなのか。これらの問いに答えるために,執筆前に ゾラが書きためた準備ノートを見ていこう。
2 .「準備ノート」におけるモニュメントの描写
ゾラの準備ノートは一般的に,「草案 ébauche」と呼ばれる構想段階,「資料
図版 1 J - N・アンリオによるパリ市街図(1863 年)
図版 2 F・デュフールによるパリ市街図(1878 年)
これら市街図の画像 2 点はインターネットサイト « Les Paris DLD »(http://www.lesparisdld.
com)に掲載されているものであり,同サイトの管理責任者の同意のもとに本稿に採録する。
Passy
St Augustin
Opéra
ノート notes documentaires」,「概略プラン plan général」と呼ばれる章立て の段階,それに肉付けをした「第 1 詳細プラン premier plan détaillé」,さら に練り直した「第 2 詳細プラン deuxième plan détaillé」から構成されている。
ここではパリの風景をメモした 「パリの眺め」と題された資料ノート中,とく に問題のふたつの建造物がメモされている箇所に注目したい。
《浮かび上がる》
ゾラは準備ノートをとるさい,製本されたノートではなく,ルーズリーフの ように一枚一枚が分かれた「フォリオ」の表側だけに執筆していた 16)。そのう ちフォリオ 522 には次のように書かれている──
とても平坦で広大な水平線,凹凸はない,モンマルトルだけが左翼の肩をなしている。
まず水平線が「とても平坦 très plat」で広大と書かれている点が重要である。
同フォリオには « Saint-Augustin se détachant sur Montmartre » というメモ があるが,« se détacher » という語は,パッシーを視点に据え,モンマルトル を背景にして手前にはサントーギュスタン教会がくっきりと浮かび上がる構図 であろう。この語は次のメモでもくり返される──
空に浮かび上がる(se détachant)いくつかのモニュメント。サン・ヴァンサン・ド・
ポールのふたつの塔,オペラ座,サン・ジャック塔,サント・クロチルド,パンテオ ン,アンヴァリッド。[f os 522-523]
空をバックに浮かび上がるモニュメントの数々が列挙されている。このように
« se détacher » という語は,問題となっているオペラ座とサントーギュスタン
教会の両方に使われ,輪郭によって前景が背景から浮かび上がる切り絵や浮世 絵を想起させる効果をもたらしている。
《対(つい)》
次にフォリオ 523 から 524 にかけてオペラ座に言及がある箇所──
オペラ座が高みの上にあり,それから彼方には谷。高みの上にパンテオン,オペラ座 と対をなす。マドレーヌは平坦で,産業宮の後ろにくる。
ここで 2 度繰り返し用いられているのが,「高みの上に sur une hauteur」とい う表現である。オペラ座もパンテオンも,パリではやや高い場所にあり,また 建物自体も高いためか,対にされている。そしてオペラ座の向こう側には「谷 une vallée」の存在が書き留められており,高みと対照をなしている。また,マ ドレーヌ寺院が「平坦な plate」という形容とともに直後に置かれているのも,
そうした対照を意図してのことだろう。
さらにフォリオ 525 に目を移すと,この 1 枚だけ他と異なり,ノートを横置 きに使って走り書きのメモが記されている(< >は加筆)──
<後ろ / いくつかが空に浮かび上がっている。>
モニュメント。アンヴァリッド。ふたつの塔,サン・シュルピス。チュイルリー。奥 のノートル・ダム。
<モンマルトルの前にサントーギュスタン / ふたつの高みの上にオペラ座とパン テオン>
セーヌ川に前景を──通行人や馬車。赤い屋根。
「モニュメント」の列挙のあとは改行され,行間に「サントーギュスタン教会と モンマルトル」「ふたつの高みの上にあるオペラ座とパンテオン」という前述の 2 種の対比が加筆されている。この行間メモは,ゾラの主張するアナクロニズ ムへの躊躇と,その決断の痕跡を示しているかのようである。
《高み》
注目すべきは,ここでもやはり「高み」がキーワードとなってオペラ座とパ ンテオンとが一組になっていることだ。今いちど「モニュメント」の語義に立 ち戻るならば,『フランス語宝典』の « monument » の項には,本稿冒頭で引用 した説明以外に次のような語義も記されている──「そのサイズにより堂々た る建造物であり,歴史的美学的意義・宗教的あるいは象徴的価値により傑出し た建造物」 17)。歴史的・美学的・宗教的価値に先んじて「サイズ」が大きいと いう特徴が挙げられている点に留意したい。« monumental » という形容詞にい たっては「巨大な」という意味で用いられることも多い。とすれば,ゾラはモ ニュメントの語義のとおり,大きな建物を求めていたと考えられまいか。
その検証のために,他のモニュメントが目印になった可能性を示唆する中井 論文で列挙された建造物の高さを比較しよう(数字の単位はメートル)──
マドレーヌ寺院 30 サン・シュルピス教会 34 産業宮 35 ヴァンドーム記念柱 44.3 凱旋門 50 サン・ジャック塔 62
ノートル・ダム 69(尖塔は 96 ) アンヴァリッド 107
--- オペラ・ガルニエ 79 サントーギュスタン教会 80 パンテオン 83 モンマルトル 130.5
これらのモニュメントのうち,ノートルダムの尖塔とアンヴァリッド以外は比 較的低い。「平坦」と記されたマドレーヌ寺院は,30 メートルと実際に低いこ とが分かる。いっぽうフォリオ 525 で 2 種の対をなしていた建造物は,表の下 4 つであるが,これらは相対的に高い。トロカデロの工事の足場に視界を阻ま れることのない,一定の高さを持つ建造物を目印として求めるならば,やはり ふたつの建物は必要だったということになる。
以上の考察から,「目印が欲しかったためにアナクロニズムを冒した」という ゾラの弁解は,北の方角に背の高いモニュメントを配した事実からみて信憑性 が高い。では,作家はなぜそうまでして高い目印が欲しかったのだろうか。
3 .物語の起伏――《平坦さ》
高さを問題にするならば,対極の低さについても一考を要しよう。興味深い ことに,ゾラは同じ草案中のフォリオ 523 で「地形の起伏を示すために,パリ の谷を探すこと」と,自分自身に課題を与えている。たしかにここではオペラ 座の記述についで谷の存在が記されていたし,フォリオ 524 では,オペラ座の 高さとの対比でマドレーヌ寺院が「平坦 plat」と示されていた。また,決定稿 でも,第 1 部・第 2 部にわたりマドレーヌ寺院は「ひしゃげた屋根 la toiture écrasée」と描写され,第 4 部でもその低さがオペラ座の大きさと比されてい る。しかもフォリオ 522 では,水平線がとても「平坦」だと描かれていた。
この語が印象的に登場するゾラの資料がある。『愛の一ページ』を執筆中の 1877 年 7 月 23 日にエドモン・ド・ゴンクールに宛てた書簡である──
4 つの章を終えましたが,私はそれに大変満足しています。『居酒屋』とはかなり違っ て,とても穏やかで,ほろりとする,素朴で新しい趣です。これは対極をなすだろう し,私は真面目な小説家に分類されることでしょう。偏見からいえば,私は年金受給者 向けに書いているのであって,平坦で濃淡のない(plat et gris)ものにしています。 18)
文面からは,作者自身が執筆中から同作を「平坦」な物語と考えていたことが 窺い知れる。シャルパンティエ夫人に対する 1877 年 8 月 21 日の書簡でも同じ 旨を述べつつ,「今回『愛の一ページ』は人々を熱狂させるにはあまりに穏やか すぎる作品です」と断じている 19)。
ゾラには青年期に自分が眺めて過ごしたパリの街を作中で擬人化したいとい う構想があったため 20),描写が重要なポジションを占めたのだが,しかしその 結果,筋の展開を停滞させる描写が多くを占めることになってしまう。作者は こうした弱点を補う目的で,視覚的な「起伏 mouvement des terrains」の導 入を,描写によるダイナミズムを試みたのではあるまいか。
ここで最初に引用した第 1 部のモニュメント描写を今一度見てみたい──
第 1 部:より遠くには,マドレーヌ寺院の墓石のようなひしゃげた屋根の後ろに,オ ペラ座の巨大なかたまりがそびえていた。
この記述を目にした第 3 共和政以降の読者は,墓石のように冷たく,平坦なマ ドレーヌ寺院の後ろにのっそりと聳えるオペラ座を思い描くことだろう。だが ここでの起伏は,寡婦エレーヌの一見平静な表情の向こう側に,得体の知れな い大きな感情が控えているという,物語の内容上の起伏とも呼応していまいか。
さらに第 5 部の描写をふたたび見てみよう──
第 5 部:左手では,いくつかの地区にまたがる単調な平野に,他の先端が穴を穿って いた。サントーギュスタン教会,オペラ座,サン・ジャック塔は,万年雪が覆う山々 のようであった。
この箇所は,娘の死後,燃えあがった一時の恋を忘れ,すっかり落ち着きを取 り戻したエレーヌが,娘の墓参りに訪れたパッシーの墓地からパリを眺めると ころである。左手に描かれた「単調な平野」は,モノトーンのうちに終局を迎 えつつある物語と重ね合わせられている。とすれば,平野を穿つ山のようなサ ントーギュスタン教会やオペラ座は,平坦な物語進行において,それを時折つ
きやぶるドラマチックな場面の記憶を象徴していよう。それはすなわち,空間 的高さによって描写の平坦さにハイライトを与えるという,いわば次元の異な る「高さ」を与える創作手法である。このことは,作者がこれらの描写を視覚 的なものとして構成し,パリの新しいモニュメントの記憶を共有する同時代の 読者の想像力に強く訴えかけて,空間的高さを想起させるよう心を砕いていた ことを示しているのである。
*
ゾラは空間的な高さへの執着のあまり,時間的正確さへの愛着を放棄し,改 竄されたモニュメントの記憶を組み入れた。しかしながらそのことは,同時代 の読者の共有する記憶に働きかけ,想像上の視覚的効果によって,テクストの 読みにおいて立ち現れてくるモニュメントの高みを,物語のダイナミズムとし て用いるという新たな創作手法に結実したのであった。
註
*) 本稿は平成 28 年度科学研究費補助金(挑戦的萌芽研究,課題番号 16K13208,研究 課題「近現代文学におけるモニュメントの諸相」)による研究成果の一部である。
1 ) L’article « monument » A-1, in Trésor de la Langue française, Paris : Éd. du CNRS, 1971-1994. インターネットでも参照可能── « http://atilf.atilf.fr/tlf.htm ».
2 ) Voir Émile ZOLA, Correspondance, éd. sous la direction de B. H. BAKKER, Mont- réal : Presses de l’Universtié de Montréal / Paris : Éd. du CNRS, 1978-1995, t. IV [1983], lettre 226, 18 mai 1882, p. 303.
3 ) Voir Atsuko NAKAI, Du point au Réseau : l’espace architecturé dans « Les Rougon- Macquart » d’Émile Zola, Sarrebruck : Éditions universitaires européennes, 2011, pp. 67-68.
4 ) 吉田典子「ゾラ『愛の一ページ』と印象派絵画──モネとルノワールを中心に」,『国 際文化学』創刊号,神戸大学国際文化学会,1999 年 9 月,81-106 頁。ただし吉田 は,ゾラの小説において一連のパリ描写は,登場人物の心理に即して物語を緊密に 構築する骨組みであるという差異を指摘する。
5 ) 高橋愛「ゾラにおけるジャポニスムの問題──美術批評と『愛の一ページ』の関係 をめぐって」,『Gallia』第 50 号,大阪大学フランス語フランス文学会,2011 年 3 月,
33-41 頁。
6 ) Émile ZOLA, Une page d’amour in Les Rougon-Macquart, édition intégrale pu- bliée sous la direction d’Armand LANOUX, études, notes et variantes par Henri MITTERAND, Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », t. II, [éd. de 2007], p. 852.
7 ) Ibid., p. 908.
8 ) Ibid., p. 965.
9 ) Ibid., p. 1032.
10) Ibid., p. 1091.
11) 次の URL を参照── « http://www.eglise-lamadeleine.com/chronologie ».
12) Cf. « Étude » d’Une page d’amour, op. cit., p. 1643.
13) 次の URL を参照── « http://www.paris-pantheon.fr ».
14) « Étude » d’Une page d’amour, op. cit., p. 1608.
15) NAKAI, op. cit., p. 68.
16) Une page d’amour, Dossiers préparatoires, NAF 10318, Bibliothèque Nationale de France. この執筆ノートについては,コレット・ベッケールによるトランスクリ プションが公刊されている── La Fabrique des Rougon-Macquart : édition des dossiers préparatoires, publiée par Colette BECKER, avec la collaboration de Véronique LAVIELLE, Paris : Honoré Champion, t. III, 2006. またフランス国立図 書館の資料閲覧サイト Gallica でも画像が参照できる(http://gallica.bnf.fr/ark:/
12148/btv1b90797755)。
17) L’aticle « monument » B-1, in Trésor de la Langue française, op. cit.
18) ZOLA, Correspondance, op. cit., 1982, t. III, lettre 9, p. 82.
19) Ibid., lettre 15, pp. 101-102.
20) ゾラは『愛の一ページ』の序文で次のように打ち明けている──「青年時代の貧し い日々,私はパリ全体が見渡せる市外の屋根裏に住んだことがあった。〔…〕20 歳 の時から,パリが屋根の海とともに,ギリシア悲劇のコロスのように登場人物とな り得る小説を書きたいと夢みていた。親密なドラマと,小さな部屋の中にいる 3 〜 4 人の人間が必要だった。それから,常にそこにいて,これらの人間の笑いと涙を 石の目で見つめる,地平線に広がる街が必要だった。この古い構想こそ,私が『愛 の一ページ』で実現しようとしたものだったのだ」(« Étude » d’Une page d’amour, op. cit., pp. 1607-1608)。