大江健三郎『万延元年のフットボール』論 41
大江健三郎『万延元年のフットボール』論
史 姫淑(シ
キシュク)A Critic of The Silent Cry in the Literary Works of Ke皿zaburo Oe
Abstract
This paper investigates The SZtent Cry (llレZα7z en gαnnen 7zo fzettoborze,1967)
which is an㎞portant turning point in the literary works of Kenzaburo Oe.
This novel set in the present post−war Japan 1960, moves toward the future and there is another story that moves from 1860(the year of Man en gannen)to 1960. The story deals with the tale of two brothers iMitsusaburou and Takashi)and their search for information about their great−grandfather and his younger brother s;both of whom were involved in the Manengannen(1860)uprising.
Oe s this work re且ects a society that is moVing toward the 100th Commemoration of the Founding of Meiji in 1967. The hundred year period identified in the story
(1860〜1960)represents Oe as he explores the identity of Japan and himself as a Japanese in the hundred year period 1867〜1967. To do this, Oe examines both the present and past so Japanese can make clearer sense of the contemporary age.
Before writing this novel, Oe first visited the Okinawa which was ruled by the United States of America in the spring of 1965 and then he visited many times thereafter with different purposes. These experiences gave Oe a new view of local cultural potentia1,
which he brought back to the v且lage in the deep wooded valley in Shikoku where he was born. This new discovery inspired Oe to fictionalize this 垂?窒奄垂??窒≠戟f 垂撃≠モ?@m his literary world and the first instance is The S乞lent C㍗. In the same year, from the surnmer to the fall, Oe also had a chance to亘sit㎞erica and deliberate the complicated relationship shared between the US and Japan.
These experiences forced Oe to explore a new method for his hterary works, and made htm confront his responsibility as a writer to simultaneously reflect and take an active role in society.
Accordingly, this paper atms to show the potential of his new literary deVice as seen in The Silent C7・y, which is set in his village in the deep wooded valley in Shikoku.
はじめに
いざな 一 「自分探し」の旅への誘い 二 作品背後にあるもの(その1)
三 作品背後にあるもの(その2)
四 血と狂気と暴力
五 「超国家主義」を乗り越える
六 抵抗と蹟罪物語 その読みの可能性 おわりに
はじめに
『万延元年のフットボール』(「群像」一九六七 年一月〜七月)は「まことに切実な意味で、乗越
え点をきざむものであった」1と、作家が読者に向 けて自ら語っていたように、大江健三郎の作家活 動の転換点に位置する重要な作品である。
この作品は、「根所」という奇妙な姓を持つ 兄・蜜三郎と弟・鷹四 東京から「新生活」再 建を目指して、生まれ故郷の四国の森の中の大窪 村に帰還した兄弟 が、万延元年の一入六〇年 と安保の年である一九六〇年という百年の時空を 行き来しつつ、苦悶の中で各々自分探しをする魂 の葛藤劇である。
この主人公兄弟に与えた「根所」という姓は大 江の「自己解釈」によると、伊波普猷が『古琉球 の政治』において、沖縄の古い田舎の村が今でも 村落の中心として、村全体を家族的に強固に束ね る「根所」を持っていると記述した個所から触発 されたものである。そこで生まれ故郷に目を向け た作家は、「四国の森のなかの村に、かつて強固 であった協同体の中心をなす家系を考え、それに
『根所』という姓をあたえた」ことで、作品全体 の構想を確保するに至る2。
このように主人公兄弟の姓が沖縄と深い関わり を持っているのは、一九六五年の春、『万延元年 のフットボール』の執筆前、大江が初めて本土復 帰前の沖縄を訪れたことに起因する。これを機に、
大江はそれ以降も幾度もの沖縄を訪れており、大
江の文学世界の全体的な方向性も深く沖縄と結び つくようになる。
大江の一九六五年の沖縄への旅は、まだアメリ カ支配下にあった沖縄の本土への施政権返還を求 める運動に参加しての、政治的な目的の旅であっ た。しかし、大江は初めて訪れたこの地で、「日 本本土の東京という中心、あるいはその新憲法の あいまいな表層のもとでも確固と実在する、天皇 という中心を指向する文化とは別の文化」を発見 し、「文化的な大きい衝撃」を受ける。このカル チャー・ショックらしきものによって、彼が発見 した「それは沖縄独自の、日本的なというよりア ジア的な宇宙観、神話構造に根ざし」た「民衆文 化」であった。すなわちこれは、大江にとっての
「日本の東京一天皇という中心に対立する、周縁 の文化の発見」であり、さらにこの発見は彼に
「四国の森のなかの自分の土地の伝承を新しい眼 で見るきっかけ」をもたらしたのである。「その 成果の最初の表現」が、『万延元年のフットボー ル』の主人公兄弟の姓を「根所」としたことであ り、それは「沖縄における集落の信仰と文化の中 軸をなす家の呼び名一ネンドゥクルー を記 念するため」であった3。
大江が好んで用いる、「周縁」(四国の森のなか の谷間・民衆文化)と「中心」(東京・天皇制文 化)という構図は、一九七五年に出版された文化 人類学者である山口昌男の著書『文化と両義性』
に影響を受けたことから、より具体的に形作られ て行く。が、大江の「周縁」への指向は、すでに
『万延元年のフットボール』の前から始まってい たものであり、またそれは沖縄との衝撃的な出会 いから「周縁」への移行が試みられたと言える。
そこで、ここでは『万延元年のフットボール』
が、大江文学の「周縁」への移行を示した作品で あることを念頭に入れつつ、大江の「根所」探し が、如何なる形で主人公兄弟の「自分探し」に託 されているのかを考察する。と同時に、大江を取
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り巻く社会状況、個人的な体験などを視野に、彼 の文学が「周縁」へと移行した原因とその意味を 問う試みである。
いざな
一 「自分探し」の旅への誘い
『万延元年のフットボール』(「群像」一九六七 年一月〜七月)は万延元年の一入六〇年と安保の 年である一九六〇年という百年の時間を軸にした 作品であると同時に、主に東京と谷間の村という 二つの空間で展開される、構造的において大変面 白い作品である。
この作品は全体で十三章に分かれているが、空 間的配置として第一、第二章は東京、第三〜第十 三章は谷間の村が舞台になっている。そして、第 一章では、蜜三郎が死者にみちびかれて夜明け前 に庭の穴ぼこで踵ること、友人の異様な死などが 出てくる。さらに第十二章は鷹四の死、第十三章 は鷹四の死後発見された倉屋敷の地下室で蜜三郎 が、曾祖父の弟にまねて地下室に閉じこもる場面 で、これらは第一章と照応している。このように
『万延元年のフットボール』の前後照応する設定 は、作品の円環的な構造を示しており、第一章は 序章として、また第二章は谷間への移動開始とな る過渡的な内容となっている。
そこで、この前二章をまず検討することで、蜜 三郎兄弟が自分探しの旅へと、四国へ赴くことに なる経緯を眺める。
『万延元年のフットボール』は夜明け前に、「死 者にみちびかれて」自宅の庭の浄化水槽のための 穴ぼこの底に、犬を連れて降りていった蜜三郎が、
浅い眠りと酔いのなかで得体の知れない熱い「期 待」の感覚を求めて、「胎児のように」構えてい
るシーンから始まる。
夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い「期 待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残ってい えんる意識を手さぐりする。内臓を燃えあがらせて嚥
か
下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期 待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきている
のを、おちつかぬ気持で望んでいる手さぐりは、
いつまでもむなしいままだ。力をうしなった指を 閉じる。そして、躰のあらゆる場所で、肉と骨の それぞれの重みが区別して自覚され、しかもその 自覚が鈍い痛みにかわってゆくのを、明るみにむ かっていやいやながらあとずさりに進んでゆく意 識が認める。そのような、躰の各部分において鈍 く痛み、連続性の感じられない重い肉体を、僕自 身があきらめの感情において再び引きうける。そ れがいったいどのようなものの、どのようなとき の姿勢であるか思いだすことを、あきらかに自分 の望まない、そういう姿勢で、手足をねじまげて 僕は眠っていたのである。
眼ざめるたびに、うしなわれた熱い「期待」の 感覚をさがしもとめる。欠落感ではなく、それ自 体が積極的な実体たる熱い「期待」の感覚。見つ けることができないと納得すると、あらためて再 度の眠りへの斜面に自分を誘導しようとする、眠 れ、眠れ、世界は存在しない。しかし今朝は、い かにも強い毒が躰のなか全体を痛くして眠りへの 潮行を妨たげる。恐怖心が噴出しようとする。陽そこう
がのぼるまで一時間はあるだろう。それまでは今 たいじ日がどのような日であるかを把握できない。胎児 のように、なにもわからないで暗闇のうちに横た わっている。「後略」。(「1 死者にみちびかれ て」、七〜八頁)
「躰のあらゆる場所で、肉と骨のそれぞれの重 みが区別して自覚され」る、「連続性の感じられ ない重い肉体」、統合を失いバラバラになった身 体をもって、蜜三郎は「熱い『期待』の感覚をも とめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐ りする」。しかし、その熱い「期待」の感覚は
「眼ざめるたびに」失われてしまい、彼はひたす ら眠りへと突き進もうとする。が今朝は、どうし てか眠りへの突入を何ものかに強く拒まれてしま う。「世界は存在しない」とひっきりなしに自分 を説得しようとするが、陽は一時間後には必ず昇 るに違いない。「どのような日であるかを把握で きない」、いくつもの「今日」がいつも待ち構え
ている。直面しなければ現実は依然として存在す る。そこからの逃避願望は一時的で、いつも空回
りするばかりで空しさだけが後に残る。限りなく 離れてゆこうとする肉体と意識の拮抗の最中、
「おちつかぬ気持」で蜜三郎は、「それがどのよう なものの、どのような時の姿勢であるかを思いだ すことを、あきらかに自分の望まない、そういう たい じ姿勢で、手足をねじまげて」、「胎児のように、な にもわからないで暗闇のうちに横たわっている」。
このように、すべては混沌の中に包まれている。
蜜三郎が探し求めている熱い「期待」の感覚が何 であるのかは知りようもなく、またそれは他人の 理解を寄せ付けない隠ぺいされた印象さえ醸し出 す。しかし、それは切実な「期待」であるようで ある。また「夜明けまえ」の時間設定と「胎児」
は、それ自体が混沌と曖昧さを内包しているもの の、主人公の新生、再生への希求として読み取れ なくもない。が、「暗闇のうち」の「胎児」の姿 勢は、彼が望んでいるものでもないようである。
それでも彼は、何かを切実に心待ちしている。
小森陽一は「夜明けまえ」から始まる冒頭の一 文だけに焦点を当て、文の言語学的構造、選別さ れた語彙の意味の生成関係などについて詳細な分 析を施しながら、「この一文を構成している言葉 は、一方で、読み進めていくうちに当初は思いも よらなかった意味作用を事後的に生み出しながら、
他方で、瞬時にその意味作用の実体を失っていく という、矛盾というしかない運動のなかに置かれ ている」と指摘している4。冒頭の書き出しのみ へ言及ではあるが、上の引用全般にも当てはめう
る。
このように、冒頭部から受け取る「矛盾という しかない運動のなかに置かれている」言葉のイメ ージは、作家が創作段階において、手探り状態で 一方では言葉に意味を付与しながら、片方ではそ の意味を解体していくしかなかったことを意味す るのかも知れない。長大な作品全体の方向性、ま たこの作品が『個人的な体験』(一九六四年)以 来、二年間の沈黙と鯵屈を強いられた後の文学表 現の序章であるのを考慮するならば、この書き出
しこそ大江の創作生活の乗越え点であったと言え
る。
また『万延元年のフットボール』の書き出しに おける、二つのセンテンスに批評の目を向けた柄 谷行人は、大江の「固有名への固執」が、結果的 に「固有名の排除」につながるという作品の「ア レゴリー的」な特徴を踏まえながら、この冒頭部 の「僕」という語り手も「アレゴリー的」である と指摘している。また柄谷は、書き出しにおいて
「僕」という主語が省略されていることに注意を 促しながら、この熱い「期待」の感覚は、「僕」
という語り手のものでさえなく、それは「この作 品の基底に存する気分」であり、「存在感」その ものであるとともに、「僕」は「状況そのものを 暗喩する」のであると言い切る5。ここでの「状 況」とは、おそらく戦後日本の置かれた政治的、
社会的状況を暗黙の前提として示唆するものであ ろう。ともあれ、この柄谷の論から掬い取れるの は、この冒頭部の書き出しにおける「気分」的な もの、得体の知れぬ何か「存在感」らしきもので あり、確かな意味付与を拒むような撹乱された感 覚的な表現のあり方であり、個別的な主体の喪失 であると言える。
それゆえ、蜜三郎はあの夜明け前の体験の後、
自分の「肉体、精神ともに下降しており、下降の 斜面はあきらかに死の匂いのより濃密な場所へと むかっていることを自覚」せざるをえない。
確かに僕はその自信をうしなった哲学者とおな じくネズミに似てきているにちがいないのである。
浄化槽のための穴ぼこですごした夜明けがたの百 はんすう
分間のあと、僕はあの体験を反努しつづけてきた。
僕は自分が肉体、精神ともに下降しており、下降 の斜面はあきらかに死の匂いのより濃密な場所へ とむかっていることを自覚している。はじめは分 断されて感じられる躰の各部の理由のない痛みと してあらわれてきたものの意味を、いまは明瞭に つきとめた。しかもこの心理的な痛みは意識化さ れることによって克服されたというのではない。
ひんぱん
それはかえってより頻繁に襲ってくるのである。
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そして熱い「期待」の感覚はいつまでも回復して くることがない。(「2 一族再会」、六八頁)
自己の存在の根源に立ち向かおうとする蜜三郎 であるが、「下降」型の精神と肉体を背負った彼 は、自己回復の手ごたえを失ったままである。ゆ えに熱い「期待」の感覚も、依然として回復の兆 しを見せていない。穴ぼこの中で「百分間」鱒っ ている間、壁の土を爪でほじくり自分を生き埋め にしようと試みた蜜三郎は、「死の匂い」から逃 れえず自由ではない。そこで第二章の「一族再 会」において、アメリカから急に東京へ帰還した 鷹四が「新生活」を提案した際、蜜三郎はその
「新生活」計画に自己回復の念を託し、谷間の村 へと「出発」しようと自ら言い出すに至る。
鷹四を迎えに空港にやってきたのは、蜜三郎と 妻の菜採子、鷹四の親衛隊員と呼ばれる桃子と星 男を含めた四人であった。空港で鷹四を待ってい る間、蜜三郎はその風貌と消沈ぶりから、星男に
「ネズミそっくり」と嘲弄される。そこに現れた 鷹四が、アメリカで会った日本人の隠遁哲学者が 蜜に似ているだけでなく、あの人もネズミという あだ名であると気恥ずかしそうに告げてくれる。
そこで蜜三郎は上の引用における感想を持つのだ が第二章のこの箇所は、第一章の冒頭の穴ぼこに 入った蜜三郎の奇妙な行動に対する、ある種の自 己解釈になっている。
がここでも、熱い「期待」の感覚の実体は明ら かにされていない。ただここで注目に値するのは、
「浄化槽のための穴ぼこ」で蜜三郎が「夜明けが たの百分間」を過ごしていたという、明確な時間 提示である。これ以外にも第二章においては、何 度もの「百」の数字が繰り返し現われている。
そもそも鷹四の帰国理由は、アメリカでスーパ
ー・ }ーケットの視察にやってきた日本人旅行団 の通訳をした際、彼の生まれ故郷の四国地方で、
スーパー・マーケット・チェーンを経営するスー パー・マーケットの天皇と出会ったことに起因し たそうである。鷹四はスーパー・マーケットの天 皇との話から、彼が根所家の倉屋敷を買いたがっ
ており、その建物を東京に運搬して郷土料理屋に する計画であることを知る。そこで倉屋敷を売る ことに蜜が賛成なら、その建物の解体を見届けに 行く必要があると、鷹四は兄を四国行きへと誘う。
また彼自身はこの際、曾祖父と彼の弟の事件の真 相を正確に知りたいとも語る。
鷹四のこの計画に対し、蜜三郎は初めは懐疑的 であった。彼は鷹四が敏腕な事業家を相手に、
「百年来」の古い倉屋敷の売買をうまく成功させ ることができるのかに、まず疑問を持っていた。
しかし疑問はともあれ、蜜三郎は何よりも鷹四が、
自分たちの曽祖父と彼の弟の「百年前」の事件に 確執を持っていることに鮮明な印象を受ける。こ の箇所で蜜三郎によって、倉屋敷および彼らの祖 先が「百年」と繋がっている存在であることが明 かされる。
そしてもう一つ、「百」の数字が意図的に使用 されている箇所もこの第二章にはある。蜜三郎ら 四人が空港で鷹四を待っている間、星男は蜜三郎 と議論を交わすなか、鷹四の「勇敢さ」を必死に 弁護していた。これに対し蜜三郎は、子供の時分 の鷹四は「指の腹に、ほんのちっぽけな傷がつい てそこから百分の一ミリグラムの血が湧きだし」
た時、「胃液をぴゅっと嘔いて気絶した」という 話をもって反撃に出る。この表現は誇張的にも映 るが、ここで注意したいのは、作家が「百」とい う記号を反復しているイメージ戦略である。これ は万延元年の一八六〇年と安保の年である一九六
〇年が、一つの「百年」としてこの作品展開の主 軸をなしていることと関連する。
すなわち、この作品全体の過度的な章である第 二章において、作家は幾度も「百」を繰り返すこ とで、四国に赴いた鷹四が取った行動と彼の百年 前の祖先との関係をあらかじめ示唆しているので ある。それと同時に、この作品が書かれた時期、
政府主導で行われていた「明治百年」記念行事を 喚起させるのも、その主な狙いの一つであろうと 思われる。
このような状況で主人公兄弟は、谷間に向けて 出発することになる。しかし、出発する際に蜜三
郎はまたこう考えるのである。
「前略」。ネズミのような下降型の外見をもつ最 年長の男として行進の末尾に加わりながら、僕は 結局のところ自分が弟のまことに疑わしい計画に 従順にしたがうであろうことを予感していた。現 きようじん 在の僕には弟にたちむかいうるだけの強靭な反 擬力が失われている。そのように観念するとウイ スキーのひとすすりのもたらした熱さは、思いが けなく躰の内奥において、「期待」の感覚につな がってゆこうとする。しかしそれに集中しようと する僕を、自己放棄によって自分がよみがえろう とすることに様ざまな危惧を見出す醒めた意識が 妨げた。(「2 一族再会」、七三〜七四頁)
そして、蜜三郎のこの予感は的中する。谷間で の指導者は鷹四であり、蜜三郎は鷹四の行動に対 して批判的でありながら、孤立した傍観者で居つ づけるのである。しかし、鷹四に立ち向かいうる
きようじん
ような「強靭な反擬力」を失った蜜三郎は、あ えて「自己放棄によって自分がよみがえろうとす ること」に強い危惧を見出していながらも、それ が「期待」の感覚につながってゆこうとする自己 矛盾をも意識せざるを得ない。
結局、鷹四の死後、倉屋敷の地下に閉じこもっ ている蜜三郎を訪ねてきた菜採子が、「あなたは 鷹に対抗するために、自分のなかの鷹的なものを 故意に排除して生きてきたのでしょう?」と言っ ていたように、鷹四は蜜三郎の中のもう一人の自 分いわば鏡像的な存在である。蜜三郎が「自己放 棄」をするのは、谷間での行動者であることをあ らかじめ放棄することであり、よってこれは鷹四 が最大限に行動しうる前提として、根所兄弟が谷 間を目指して出発する際に仕組まれた伏線である
と言える。そして、蜜三郎の熱い「期待」は谷間 の村で、分身である鷹四によって、具体的な形を 取って展開されることになる。
二 作品背後にあるもの(その1)
そこで、鷹四の谷間での行動を検討する前に、
作家が主人公兄弟を四国の谷間の村へと自分探し に赴かせた、その背後にあるものをおさえること にする。この作品が書かれた一九六七年前後、日 本では「明治百年」に関する知識人の言論と、政 府主導による明治記念イベントが頻繁に行われて
いた。
小熊英二の戦後時代に関する論考によれば、日 本の丸山真男をはじめとする知識人たちの中では、
戦後時代との比較のなかで、「近代化と国家建設 の時代」として「明治」を高く評価する動きがあ った。一九六〇年二月には竹内好が日本の近代化 を見直す意図から、一九六八年を明治維新百周年 の記念年として「明治維新百年祭」を提唱するな ど、戦後の知識人たちは「明治」を「革新と自由 民権運動の時代」として積極的に捉えようとして いたようである。このような「明治」への賞賛は、
六〇年安保闘争の高まりのなかでもしばらく継続 を見せる。が、一九六四年の東京オリンピック開 催によるナショナリズムの高まりを受け、一九六
〇年代半ばからは日本政府が知識人たちとの意図 とは異なる方向で、「明治」を「国家意識と元勲 たちの時代」として唱え、「明治百年」記念イベ ントを大々的に展開するに至る6。
振り返ってみると、この作品の書かれた十年前 の一九五七年、大江が作家としてスタートを切っ たこの年、映画「明治天皇と日露大戦争」が上演 されていた。「毎日新聞」は当映画が「ゴールデ ン・ウィークのトップを奪うあたり方」の「大ヒ ット」である模様を報じ、五月九日と十日日付の
「学芸」欄では、それぞれ〈明治は生きている?
映画「日露大戦争」の巻(上)〉と〈明治は生き ている? 紀元節 復活論争の巻(下)〉の題で 記事を載せていた。その中の五月九日の記事では 三島由紀夫が、今まで日本が負ける映画ばかりだ ったので、勝つ映画を見たら「生理的な快感をお ぼえた」、しかしこれが「すぐに右翼の台頭とか 何とかとは結びつけて考えられない」とのコメン
大江健三郎『万延元年のフットボール」論 47
トを出している7。
「生理的な快感」を覚えたという三島の映画へ の素朴とも直感的とも言えるこの感想は、敗戦お よび戦後のGHQ占領への屈辱感に対する反擬が 裏打ちされていると捉えても良いものであろう。
と同時に、この映画が国民的人気を得た感情基盤 をもある程度、代弁していると言えなくもない。
「日露大戦争」と「紀元節」の問題が同時に騒 がれていたこの時期、社会的情勢に危機感を抱い ていた知識人たちも少なくはなかった。同じく五 月九日の「毎日新聞」は、文化人ら百十一人が
「歴史的にみても合理性がなくしかも戦前には超 国家主義の宣伝に使われていた二月十一日を再び 建国の日 として祝日にすることは反対します」
という声明を出したことをも報じていた8。
この問題になっている「建国記念の日」の制定 であるが、その草案提出は一九五七年二月が最初 であった。が、肝心な期日が決められず、計八回 もの草案提出がなされた結果、一九六六年十二月 八日、もっとも反対の多かった「二月十一日」案 がそのまま通ることになる。この日は明治政府が、
神武天皇の即位した日を紀元節とする天皇神話に 基づいて制定されたものである9。
そもそもこの紀元節を「建国記念の日」とする 草案は、当時の与党である自民党から提出された
ものである。これには「現在の日本は精神的統一 を欠き、日本人かロシア人かアメリカ人かわから ぬ」ものだから、「それに正しい魂をいれるのに 意義がある」とする理由が掲げられていた。また 自民党は、神武天皇即位前の詔勅に現れる天皇は
「平和主義的、民主主義的であり」、「軍国主義者」
でないことを強調する立場を取っていた。一方、
当時の社会党は、神武天皇の詔勅が明治以降の軍 隊教育に引き継がれたことを指摘しながら、「明 治体制の復活を目ざすもの」と反対の立場に立っ ていた1°。与党自民党が掲げる主張からは、戦後 新しく構築された象徴天皇制の意義をさらに強化
し、「正しい魂」を持った「精神的」に「統一」
された日本、日本人を作りあげたいという意図が 察しかねない。と同時に、「建国記念の日」の制
定そのものが、戦後の新しい文化ナショナリズム を形成するための、政府主導の具体的な政治的パ フォーマンスの一環であったとも見てとれる。
このように、九年以上もの歳月をかけてようや く誕生した「建国記念の日」が正式に実施される のは、大江が『万延元年のフットボール』(一九 六七年一月〜七月)の執筆を開始した一・九六七年 からである。大江自身はこの政府の動きに対し、
常に批判的であったし、危機感をも覚えていた。
例えば大江は一九六五年、若い世代のうちに「あ えて反対ではない」種類の紀元節復活賛成派がか なり数多い現象について、これは「現代の日本の ようなマス・コミュニケーション時代に『強権』
が隠秘に発揮する宣伝力の感化」によるものであ ると指摘しながら、「いかなる問題についてもつ ねに個人の『自己』にかかわって、みずからの態 度を決定するほかに、マス・コミュニケーション 時代における『強権』への抵抗法はありえないは ずである」と、警鐘を鳴らしていた11。
三 作品背後にあるもの(その2)
また、この「明治百年」と「紀元節」といった 社会状況以外、作品の背後にある大江の沖縄、ア メリカ、ヨーロッパ各地への旅をはじめとする個 的な体験も同じく無視できない。しばしば、旅が 他者との出会いをもたらし、自己への再発見を促 す契機を与えているように、大江にとっても旅は、
日本、日本人としての存在を問い直す重要な要素 として作用している。
『万延元年のフットボール』(一・九六七年一月〜
七月)を執筆する前の一九六五年、大江が初めて 沖縄を訪れた経験が、彼に「周縁」を発見する契 機をなし、それが「根所」という主人公兄弟の姓 と結びついていることは、「はじめに」おいて言 及したとおりである。
大江は一九六五年の春以降、幾度もの沖縄を訪 れている。そしてこれら度重なる沖縄経験は、主 に「本土復帰」前であった基地沖縄が抱える政治 コア
的・社会的現状報告として、「沖縄を核として、
日本人としての自己検証をめざすノート」と名付 けられた『沖縄ノート』(「世界」一九六九年八月
〜一緕オ〇年六月)にまとめられており、また
『沖縄ノート』を含めた、その他この時期に発表 された文章は『大江健三郎同時代論集4 沖縄経 験』(一九八一年二月)にも収められている。ま た一九七一年から一九七三年にかけては、琉球大 学教授大田昌秀と季刊誌「沖縄経験」(一九七三 年十一月の第五号で終刊)を創刊し、一部編集を 東京で担当するなど、この時期の大江と沖縄の関 わりは緊密であった。
「中心(東京・天皇制文化)と周縁(四国の森 のなかの谷間・民衆文化)とを対比して、自分の 文学をはっきり周縁の側に築こうということ」は、
大江が『万延元年のフットボール』の執筆前の段 階で、既に「早くから作りあげていたプログラム だった」ようである12。『万延元年のフットボー ル』は大江が、「周縁」に位置する文学を目指し た最初の実践であり、彼の文学表現が本格的に
「四国の森のなかの谷間の村」という虚構的なト ポスへと移行し始めた作品であり、その意味にお いても「乗越え点」であったと言える。と同時に
『万延元年のフットボール』は、「根所」いわば根 っこのある所として、字義とおり蜜三郎と鷹四に 仮託された大江自身の「自分探し」でもある。
『沖縄ノート』の随所に繰り返し現れる「日本人 とはなにか」13というどこか切羽詰まった問いは、
まぎれもなく沖縄経験が作家大江にとって、日本、
日本人の「根所」いわばアイデンティティーの模 索を促した大きな要素であったことを物語る。
ところで一九六五年、大江は六月に初めて沖縄 を訪ねた後、その年の夏から初冬にかけて初めて アメリカを訪れている。ハーバード大学のセミナ ーに参加する形で渡米した大江は、セミナーが終 わった後、アメリカ各地を転々と見てまわる。こ の経験は翌年「アメリカ旅行者の夢」シリーズと して、九月から十二月にわたって「世界」に連載 され、『大江健三郎同時代論集5 読む行為』(一・
九八一年三月)にも収められている。これは、大 江のアメリカでの足跡と、彼のアメリカへの複雑
な気持ちを読み取るには格好の材料であり、当時 のアメリカの社会状況を垣間見せている点でも貴 重な記録であると言える。
アメリカ。アメリカという言葉の胸苦しいよう な魔力から僕がまったく自由になることはないだ ろう。僕はものこころついて以来、ずっと、アメ
リカという言葉のひきおこす錯綜した複雑きわま るコムプ1/ックスのうちに生きてきた。僕の生涯 で最初にして最大の恐怖感は、アメリカという言 葉にみちびかれた14。
これは「アメリカ旅行者の夢」シリーズの、最 初のエッセイ〈地獄にゆくハックルベリィ・フィ ン〉の書き出しである。戦後日本にとってアメリ カが特別な存在であったように、大江にとっても
「アメリカ」は彼の情感を束縛し、「複雑きわまる コムプレックスのうち」に引き落とす特別な存在 であった。そして大江の「アメリカ」観は、同エ ッセイで述べられたように時とともに変化してい
る。
大江にとって戦前の「アメリカ」は、彼の「最 初にして最大の恐怖感」を引き起こした「強姦し 殺菱する」忌々しい存在であった。そして敗戦と ともに、このおぞましい国は「デモクラシー、デ モクラシーのアメリカ。骨おしみせず啓蒙的な明 るいアメリカ」、「物量のアメリカ、科学力優位の アメリカ、気前のいいお人善しのアメリカ」へと 変わっていく。そして朝鮮戦争の際、大江は再び
「殺毅するアメリカの幻影」を見る。同じくこの 時期、地方都市の高校生だった大江は、アメリカ の大学から旅行にきた女子学生グループと出会う。
そこで彼女らの見せてくれた、漫画の本に「醜 悪」に描かれている日本人を眼にした大江は、
「自分の生涯ではじめて、自国の人間でないもの の眼で自分自身」、「アメリカの眼にうつった自分 自身」を見ることになる。そして大学で砂川基地 闘争に加わった時、米軍基地わきの桑畑で大江は 強大な「政治的なアメリカ」を体験する。
そこから一九六五年の夏、初めてアメリカの土
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を踏んだ大江は、「人種的な多様さ」を持つアメ リカを見、セミナ・・一・一ではアメリカのヴェトナム北 爆について、また広島を話題にのぼらせる。そし て「入月十五日」、街で不意にアメリカ人の若者 たちの嘲弄に曝された大江は、「二十年前のその 日とそれ以来の、あるいは巨大な屈伏感、解放感 そして自由の感覚といったもの」に圧倒され、
「眼も昏むような気分」を味わう。
『万年元年のフットボール』において、様々な 形で「アメリカ」が出ているのは、偶然ではなく 作家のこの実体験によるものである。異様な形で 死んだ蜜三郎の友人は、アメリカのコロンビア大 学での留学経験を持つ人物として設定されている。
また鷹四は、改俊した学生運動家の名において、
革新政党の右派の婦人議員に率いられた劇団メン バーとしてアメリカに渡っている。六〇年安保闘 争に参加した学生のみで構成されたこの一座は、
アメリカ各地を転々としながら、転向劇『われら 自身の恥辱』をアメリカ市民に向けて、米大統領 の訪日を妨げたことへの繊悔として演じてみせる のである。そしてこの巡回公演がきっかけとなり、
鷹四と蜜三郎の友人はブロードウェイのドラッ グ・ストアで思いがけない出会いを果たす展開と
なる。
さらに、鷹四はアメリカにスーパー・マーケッ トの視察に訪れた日本人旅行団の通訳をする際、
スーパー・マーケットの天皇と出会う。その彼と の話から、鷹四は根所「一族の倉屋敷が百年ぶり に姿を消してしまうこと」を見届けようと、帰国 を決意したそうである。そして彼は、自分が打ち たてた「新生活」の計画に消沈しきっている蜜三 郎を誘い、四国の生まれ故郷へと帰還する。この ように根所兄弟の自分探しの旅には、沖縄ととも にアメリカという存在が大きな媒介項をなしてい ると言える。
すでに安保闘争の翌年である一九六一年、「セ ヴンティーン」二部作の「筆禍事件」以降、その 年の夏の終わりから冬にかけて、大江はヨーロッ パ旅行を行なっていた。この旅行の最中、大江は
「西欧と日本の異質」、「深い溝」を感じながら、
日本の近代化の歩みが「第二の西欧人としての日 本人」を形作ったと深く認識するに至る。それと
「同時に、アジア・アフリカ・ブロックの一員と しての日本の人間であると実感的に自覚すること が、きわめて困難に思えていた」という「自己矛 盾」の中に置かれている日本人の一人である自己
を発見する 5。
これは大江にしてみれば、日本の近代化の歩み がもたらした日本、日本人の曖昧さを認識させた 出来事であると同時に、西欧との間で「異質」と
「溝」を抱えながらも「第二の西欧人」であると いう、不確かな日本および日本人のあり方への痛 切な発見である。一九九四年のノーベル賞受賞式 においても、大江は〈あいまいな日本の私〉とし て世界に向けて、次のように述べたのである。
開国以後、百二十年の近代化に続く現在の日本
アムブギユイテイ−
は、根本的に、あいまいさの二極に引き裂かれて いる、と私は観察しています。のみならず、その
アムブギユイテイ−
あいまいさに傷のような深いしるしをきざまれた 小説家として、私自身が生きているのでもありま
す16。
明治の近代化から「第二の西欧人」になった日 本人、そしてその近代化のひずみから戦争へと突 っ走り、アジアにおいてどこか孤立しているよう アムブギユイテイ−
な現在の日本を、大江は彼なりに「あいまいさ」
という言葉で捉えようとしているのである。
アムブギユイテイ−
「あいまいさの両極に引き裂かれている」日本、
アムブギユイテイ−
「そのあいまいさに傷のような深いしるしをきざ まれた」日本人の作家として、日本とは、そして 日本人とはなにかという問いが、大江の思考しつ づけてきたモティーフの一つであったとも言える。
すると、『万延元年のフットボール』の冒頭の曖 昧性をはらんだ不透明な言葉の世界は、このよう
に「引き裂かれている」日本の寓意であり、その
「しるし」をつけられた作家自身の自画像ではな いだろうか。
四 血と狂気と暴力
谷間へ戻った直後、鷹四は谷間でのかつての多 くのことを覚えていないことから、根こそぎ取り 抜かれたような感覚に襲われる。そこで鷹四は、
「おれは自分の根を確かめてみようとして谷間に 戻って来て、結局おれの根が、もうすっかり引き ぬかれていて、自分は根無し草なんだと感じはじ めたよ、おれこそuprootedだ」と言わざるをえ ない。自分を探しに谷間へやってきたが、「自分 が生まれた場所へ戻ってきたからといって、そこ に自分の根っこがちゃんと埋っているということ はな」かったし、鷹四が思い描いていた「草の 家」も残っていなかった。
同じく、鷹四のこのような根無し草的な故郷喪 失の感覚もすでに蜜三郎にも起きていた。鷹四が 上のような話をするくだりのちょっと前の部分で、
蜜三郎が子供の時の記憶を思い出しながら湧き水 を飲む時である。その時、蜜三郎は「いま現にこ こに屈みこんでいる僕が、かつてそこに剥きだし しやがの膝をついて踵みこんでいた子供の僕と同一では
なく、そのふたつの僕のあいだに持続的な一貫性 かがはなくて、現にここに屈みこんでいる僕は真の僕 自身とは異質の他人だ」という感覚に襲われる。
そこで、蜜三郎は「現在の僕は、真の僕自身への うしな
identityを喪っている」と思い、「内側にも外側 にも回復の手がかりはない」と考える。
しかし、蜜三郎が「回復の手がかりはない」と 言っているのに対し、鷹四は喪われた自己を取り 戻すために、「いまやここで新しい根をつくらね
ばならな」いと思い、「それにふさわしい行為」
の必要性を蜜三郎に説く。むろんこの時点におい て、鷹四にとってそれが果たして「どういう行為 かは、はっきりしな」いにしても、彼が「行為」
を思いついている点で、蜜三郎とは相反する性格 の持ち主であることが分かる。これは作中におい て、作家が蜜三郎には静的なイメージを、鷹四に 動的なイメージを分け持たせていることからも明 らかである。蜜三郎は谷間へ出発する際、すでに
「自己放棄」をしており、鷹四を媒介にした自己
回復に身を委ねている人物であるがゆえ、彼が
「行為」を起こす可能性はきわめて低い。
このように、根所兄弟の上のような根無し草的 な自己喪失の感覚には、やはり執筆時の一九六〇 年代の社会経済状況が根底に流れていると見てと れる。日本経済は、一九六〇年安保運動の際に総 辞職した岸内閣の後を受けた池田内閣が「所得倍 増」をスローガンに掲げたことに始まり、六十年 代から高度経済成長期に突入することになる。そ して、この作品執筆時の翌年である一九六入年に、
日本はアメリカに次ぐ世界第二の経済大国へと躍 進している。この作品のなかで、谷間の村がスー パー・マーケットの経済支配に左右されているこ とは、経済の波が山村にも波及されたことを示し ており、また画一化される消費経済は、村で新築 しても洋風で畳を使わないとのことで、ついに畳 屋が夜逃げするといった離郷者を産み出すまでに、
村の経済構造にも影響を及ぼすに至っている。さ らに、「五年ほど」盆踊りが行なわれないなど、
村人の土着文化への無関心も、スーパー・マーケ ットの天皇に複雑な気持ちを抱きながら、何とか 消費生活を享受しようとする態度との比較の中で、
村の住職によってシニカルに表現される始末であ る。このように変貌した谷間を眼の前に、根所兄 弟が共に故郷喪失の感覚に襲われたのは、ある意 味当然であったのかも知れない。すると鷹四のス ーパー・マーケット襲撃は、作家の戦後日本の消 費社会への批判として読みとれる部分がある。
一方作家自身の、このような経済発展、日本の 進む道へ対して抱いている心情も複雑なものであ った。一九五九年のエッセイ〈われらの性の世 界〉において、大江は「現代日本」は安保体制の
なかで、アメリカに屈服し「天下泰平の風潮」の なかで「社会政治情勢の現状に満足し、この安逸 を享楽している」と批判している17。また一九六 三年、大江は、池田首相が日本の経済成長と好景 気の時期に採用した「日本一等国説」宣伝に対し、
「日本小国説」という言い方を用いながら、「ぼく の区別する二十世紀後半の大国の基準」は「外国 に基地をおいているのが大国で、自国に基地をお
大江健三郎『万延元年のフットボール』論 51
かれているのが小国だ」と言い切っている18。つ まり、大江は政治関係において、アメリカに従属 する形で経済大国として安楽だけに浸っている
「現代日本」のあり方、すなわちある意味で政治 主体性を犠牲にして豊かさを手に入れた「現代日 本」のあり方に敏感に反応せざるをえなかった。
ところで、「根所」という姓の来歴が沖縄と関 わっており、それが自分探しへとつながっている ことは既に言及したとおりである。この作品にお いて根所家の名字のネンドコルー説は、蜜三郎が 念仏踊りの行列が根所家の庭で踊るその原因を村 役場の助役に尋ねた時に出てくる話である。蜜三 郎の質問に対し、助役は「谷間の人間の魂の根が ある所」と蜜三郎の父親が、「沖縄で、根所と同 じ意味あいの言葉」の「ネンドコルーという琉球 語」を引き合いに根所家の名字の意味を「講演」
し、「黒砂糖の樽を二十個寄付」したことを言い 聞かせる。
この下りでは、根所家の名字の意味あいが提示 されていると同時に、見逃せないのは蜜三郎が
「根所→ネンドコルー説」が村で長い間にわたっ て一番の「笑い話」にされたことを思い出しなが ら、「血」に過敏に反応しているところである。
「前略」もし根所→ネンドコルー説についての 助役の誘惑に僕がのっていたとしたら、かれはあ らためてその友人たちと、根所の息子は父親の血 をひいているという新しい笑い話を作っただろう。
(「7 念仏踊りの復興」、二百二十一頁」
家計が傾きかかっているところへ、黒砂糖二十 樽を小学校に寄付し、「谷間のすべての魂の根元 を独占すべく試みた」父親の狂人のような行動は、
それゆえに村人の笑いのネタに晒されたのである。
明らかに、この下りでは血と狂気の関連性が示唆 されていると言える。
また、菜採子がジンに赤ん坊の話をした時、ジ ンも「赤んぼうの異常が蜜をつうじての遺伝じゃ ないか」と、狂気が血によって遺伝するものだと 分析して聞かせる。それは、蜜三郎が幼少時に小
学校の学芸会で、百年前の農民一揆を題材にした 芝居を見る時、曾祖父の弟の首が落ちるシーンで 突然「恐慌にかられて泣き喚きながら床に墜落し て、引きつけをおこし気を失った」経験を持って いるからである。気を失い家に運ばれた蜜三郎は、
ひまご枕元で祖母が母に向かって、「曾孫でも血のつな がりは恐ろしいものですが1」と言っているのを 耳にする。そして、彼は「恐怖心のあまりになお 眼をつむり躰をこわばらせて気絶したままのふり
をしていた」のである。
この祖母の話は、蜜三郎に「血のつながり」の 恐ろしさを自覚させ、またそれ以後も蜜三郎が曾 祖父とその弟の関係、疑わしい死をとげた父の死 因にずっとこだわり続けてきた原因でもある。ま た、芝居を見ながら過剰に反応する蜜三郎は、過 剰な想像力により祖先の死に自己を重ねてしまう ような、強烈な同化指向の持ち主であるとも言え る。そして、その「血のつながり」の恐ろしさを 自覚している蜜三郎だからこそ、あえてその血に 距離を取りながら生きようとする。
同じく弟の鷹四も、血に過剰に反応するタイプ の人間である。前に言及したように、「2一族再 会」で蜜三郎ら一行が空港で鷹四を待っている間、
星が鷹四の「勇敢さ」を弁護しているのに対し、
蜜三郎は子供時分の鷹四は、「指の腹に、ほんの ちっぽけな傷がついてそこから百分の一ミリグラ ムの血が湧きだし」た時、「胃液をぴゅっと嘔い て気絶した」という話を聞かせてあげた場面があ った。蜜三郎の記憶のなかの鷹四は、「自分は掌 をナイフで切りさかれることなどなんとも思わな いと豪語し」、また「自分がいかなる暴力的なる ものも、肉体的な苦痛も、あるいは死をもまた恐 れない」とたびたび言い張っていた。そして、蜜 三郎がそのたびごとに「全面的な否定」をうちだ し、そのあげく弟の鷹四の「右の中指の腹をナイ
さきフの尖」で突っつく類の「ゲーム」をしばしば行 っていた。しかも、幼い鷹四自身が自ら「ゲーム
ため しようこ
によって試みられること験されることを、性懲 りもなく熱望したのだった」。蜜三郎のこの幼少 時の鷹四に関する記憶は、鷹四の血に過剰に反応
する性格を浮き彫りにする一方、鷹四の血に恐怖 を抱いていながらも、積極的にそれを「熱望」す る性質を物語っていると読み取れる。
また狂気と血の関連性は、『われらの狂気を生 き延びる道を教えよ』(一九六九年四月)のなか でも顕著に表れている。この短編集に収められた すべての作品が「狂気」を主題としているように、
「狂気」は当時大江が愛用していたイメージのひ とつであることが傍証できよう。
ところで、血に敏感である点において、蜜三郎 と鷹四は同性質であるが、この二人が決定的に違 っているところは、幼少時のエピソードなどです でに現れているように、曾祖父から伝わってきた 根所家の「血のつながり」に対しての各自の関わ り方である。蜜三郎は「血のつながり」を恐れて それに距離を置いて生きているが、鷹四はあえて 血を恐れていながらも家系の血に積極的に関わっ て生きて行こうとし、また自らそれを実践してい
くことになる。蜜三郎が静的で、鷹四が動的であ るイメージを受けるのは、この相違点にも表れて
いる。
またこの作品のなかで、蜜三郎が「血」と「狂 気」について何度も語っているのに対し、鷹四は
「百年前の祖先」などの言い方はするものの、直 接的に祖先の「血のつながり」について語ってい ないのは面白い。それは、おそらく蜜三郎が傍観 者として単なる語る者であるのに対し、鷹四は自 ら行動で狂気を具現化する存在として、余計に語 る必要がないゆえんでもあろう。
そして谷間に戻った鷹四は、家系の「血のつな がり」に関わる手立てとして、百年前の曾祖父の 弟に見習い、谷間の村でいわゆる「想像力の暴 動」を引き起こす行動を実行に移す。これは、谷 間に戻ってから根無し草のような感覚に襲われた 鷹四が、自分のアイデンティティーを回復するた めに取った手立てであり、いわば「想像力の暴 動」を通して、百年前の祖先と同化を計る行為で あると言える。そして、この暴動の相手として選 ばれ.たのがスーパー・マーケットの天皇である。
実は鷹四は初めのところ、自分の起こすべき行
為に対して明確なプランを持っていなかったよう である。しかし、谷間の村の養鶏場で死んだ鶏の 処理を巡って、スーパー・マーケットの天皇との 交渉で町に出かけたことをきっかけに、谷間の青 年グループをはじめ、村人のスーパー・マーケッ トの天皇に対する憎悪の念を確認するようになる。
そこで、「徹底的に想像力に欠けている」青年グ ループが、「かれらの身がわりとして想像力を働 かせることを期待して」いることを知った鷹四は、
これを機にスーパー・マーケットの天皇と対抗す ることを決意する。
また、スーパー・マーケットの天皇自身から
「S兄さんが殺された日にも、部落に居た」とい う話を聞いた鷹四は、「おれにも、谷間の青年グ ループと一緒にあいつに対立する、個人的な理由 があるわけだ」と言い張る。このようにスーパ
ー・ }ーケットの天皇は、鷹四の「想像力の暴 動」を実現するための格好の標的として選ばれる
に至る。
そして、今回対決するこの相手が、「S兄さん」
が殺された時と同じ朝鮮人部落の出身であったが ゆえ、暴動を遂行するなかで死んだS兄さんは鷹 四の身近な存在として同化しやすい人物であった。
また、鷹四の行動のモデルが百年前の一揆の指導 者である曾祖父の弟であったがゆえ、鷹四はS兄
さんにも曾祖父の弟と同様に「ヒロイック」なイ メージを再編成する必要に迫まられる。それゆえ、
蜜三郎が鷹四のS兄さんのことへの「夢の創作」
を何度も訂正し聞かせてやっても、鷹四は自分の 持論に固執せざるをえなかったと思われる。鷹四 は行動者としての自分を、百年前の曾祖父の弟と
S兄さんに重ね合わせることで、自己同一を実現 しようと試みたのである。
しかし、一つ見過ごしできないことに、鷹四が この暴動を計画していた最終的な目的は、スーパ
ー・ }ーケットの天皇が鷹四らのスーパーの略奪 に怒り、暴力団を連れてきて青年グループと暴力 で対抗することであった。すわわち、この暴動は 暴力を前提としている。これはスーパーの略奪を 行ったあと、鷹四が暴力を執行する者として蜜三
大江健三郎『万延元年のフットボール』論 53
郎のいるところで、菜採子に向けてS兄さんをは じめとする祖先が自分に与えた印象は、暴力にお いての関わりであると語っていることからも明ら かである。
「〈前略〉単純な話だが、おれは暴力的なるもの について考えるといつも、自分の先祖たちがかれ らをめぐる暴力的なるものに対抗してよくも生き のびることができ、おれという子孫に生命をつた え得たものだと不思議に思うよ。かれらは恐しい 暴力の時代を生きたんだからね。ここにおれが生 きている事実の背後に、おれにつながる人間がい ったいどれだけの量の暴力的なるものに対抗しな ければならなかっただろうと考えると気が遠くな るなあ」(「8 本当のことを云おうか」、二三六
頁)
またこの話の前半部分において、鷹四はS兄さ んが朝鮮人部落で殺された日、蜜三郎とジンによ ってその死体がリヤカーで庭に運ばれた時のこと をも語っていた。息子の死に狂気に陥った母とS 兄さんの死体の存在に脅かされた記憶を辿りなが ら、鷹四は「死体も狂気も、もっとも端的な暴力 だ」と、そしてその時の自分は飴をなめながら、
「外部の暴力的なるものにすっかり背を向けてし まえるよう希望していた」という。つまり、鷹四 が「暴力」と祖先を結びつけて考えるのは、この 幼少時の原体験が潜在的な形で、彼の心の中の恐 怖として居座っているからであると言える。
そこで、鷹四が暴力の視点から祖先を捕らえて いることは、現の暴動を指揮する彼自身を家系の 二人の先駆者 百年前の「一揆の指導者」であ った曾祖父の弟、そして朝鮮人部落襲撃の際、
「谷間の指導者」であったというヒロイックなイ メージで再構成されたS兄さん に自分を重ね 合わせること、そこからさらに「想像力の暴動」
を通して、最終的に「暴力的な人間」として自己 正当化を計る戦略であると言える。しかし、この 時点において蜜三郎も鷹四も、曾祖父の弟につい て本当のところ何も知っていなかった。曾祖父の
弟についての新しい解釈が可能になるのは、鷹四 の死後発見される倉屋敷の地下室、そして寺の住 職が持ってきた新たな記録、手紙などによってで
ある。
しかし事実が何であれ、虚構に固執する鷹四に とって、百年前の曾祖父の弟は単なる指導者であ る点で十分である。また彼は「非業の死」を遂げ た祖先という意味でも、鷹四の同化の対象として 選ばれているのである。そんな鷹四にとって、も っとも身近な同化しやすい人物は、直接幼少期の 記憶とつながっているS兄さんである。そこで、
S兄さんに指導者たる「ヒロイック」なイメージ を賦与する鷹四の狙いは、S兄さんの死がもたら した「暴力的な死」への極度の恐怖を覆い隠すた めの仕掛けであったと言える。それは、菜採子を 誘惑し性交を終えた後の鷹四の自己告白に現われ ているように、常々死を恐れている彼にとって、
特に「暴力的な死」への極度の恐怖が「S兄さん が撲り殺された日以来の、克服しようのない」
「属性」となっているからである。
おれは引き裂かれていると感じていたんだよ。
「中略」……考えてみればおれはいつも暴力的な 人間としての自分を正当化したいという欲求と、
そのような自己を処罰したいという欲求に、引き 裂かれて生きてきたんだよ。そのような自分が存 在する以上、そのような自分のままで生き続けた いという希望を持つのは当然だろう? しかし、
同時にその希望が強くなれば強くなるほど、逆に、
そのようなおぞましい自分を抹消(まっしょう)
したいと願う欲求も強まって、おれはなおさら激 しく引き裂かれた。安保の間、おれがわざわざ暴 力の場に入りこむことを引き受けたのは、しかも 学生運動家として、不当な暴力にやむなく反撃す る弱者としての暴力との関わり方から、逆に暴力 団に参加して、どんな意味でも不当な暴力をふる う立場に立ったりしたのは、このような自分をそ のまま引き受けて生きたいと、暴力的な人間とし ての自分をそのまま正当化したいと望んでいたか らなんだよ……(「11蝿の力」、三四六〜三四七
頁)
このように「暴力」を恐れる人間でありながら、
あえて「暴力をふるう立場」に立つことで自己正 当化を計ろうとする鷹四の行為自体、すでに矛盾 を抱えているのである。それゆえ、鷹四が「引き 裂かれ」を感じているのは当然であったかも知れ
ない。
つまり、「暴力」を恐れていながらあえて「暴 力をふるう」側に立ちたいという捻じれた心理は、
「暴力」を恐れる本来の自分と距離を取ろうとす る鷹四の、ある種の自己相対化の原理であるとも 言える。しかし、近親相姦した白痴の妹を死に追 い詰めたという罪悪感による自己処罰の欲求から、
鷹四の自己相対化の原理はそれで完結するもので はない。またこの自己相対化の原理が、鷹四の生 き延びるために考案した自己欺臓である以上、そ れは自己嫌悪、自己否定へとつながり、結局自己 処罰、自己抹消の欲求へと連鎖反応を起こしてい く。そして自己処罰、自己抹消の形が、究極的に
「死」であることは明白である。それは、S兄さ んの記憶から「死体も狂気も、もっとも端的な暴 力だ」と認識している鷹四のイメージのなかで、
「暴力」は常に「死」と背中合せの存在であるか
らだ。
すると、「死を極度に恐れる者の自己処罰の行 動」とも見て取れる鷹四の自殺行為は、結局彼が 選び取った自己処罰、自己抹消の最も完結した形 ではないかと思わざるをえない。大江は、子供向 けの書物『「自分の木」の下で』子供の自殺問題 について話した時、ダンテの『神曲』の自殺者の 森では、自殺をした人間の魂を「自分自身に対し て暴力をふるった者ら」と呼んでいると語ったこ とがある19。この観点からすると、鷹四は自殺と いう形で、「暴力」を恐れる者から完全に「暴力 をふるう」立場に転換することで、結果的には
「暴力的な人間」としての自己正当化を計り、「暴 力的な人間」としての自己同一性を獲得したとも 言えるのではないか。
五 「超国家主義」を乗り越える
しかし、死の恐怖を乗り越えようとする鷹四に とって、一方で大事なのは、祖先を媒介に百年の 歴史という大きな流れへの統合こそ、何より切迫
した問題ではなかったかと思われる。それゆえ、
谷間の人間を同じくスーパーの略奪に煽動するこ とで、「暴動の物質的なエネルギー源」を確保す ること、念仏踊りの復活によって「暴動の情念的 なエネルギー源」を確保することも、単なる自己 正当化を遂行するための一つの演出にも映る。
そして、蜜三郎はその大きな歴史への流れへの 統合を、暴動の始まる前、すでに「暴力的な人 間」としての鷹四に見出している。フットボール チームからも妻の菜採子からも見放され、倉屋敷 の二階で一人で暮らすようになった蜜三郎は、友 人の死に誘われ百年の時間が刻まれた大梁に首を 吊ろうと思っていた時、ふと雪のなかを「素裸の 鷹四が輪をえがいて駈けている」のを目撃する。
そこで蜜三郎は、百年を越えて時空間がびっしり 重なっているという不思議な感覚に捉われる。
「前略」雪はなおも降りしきっている。この一 秒間のすべての雪片のえがく線条が、谷間の空間 に雪の降りしきるあいだそのままずっと維持され るのであって、他に雪の動きはありえないという 不思議な固定観念が生れる。一秒間の実質が無限
にひきのばされる。雪の層に音が吸収されつくし ているように、時の方向性もまた降りしきる雪に 吸いこまれて失われた。遍在する「時」。素裸で 駈けている鷹四は、曾祖父の弟であり、僕の弟だ。
百年間のすべての瞬間がこの一瞬間にびっしり重 なっている。「後略」。(「8 本当のことを云おう か」、 二四一頁)
この一瞬に「時」は「遍在」し、百年の時空を 越えて「現在」と「過去」が出会う。すなわち
「歴史的時間」の「同時性」が、完全にこの一瞬 に実現されているとも言える。またこの瞬間に、
蜜三郎が「素裸で駈けている鷹四」を「曾祖父の
大江健三郎『万延元年のフットボール』論 55
弟」として、また「僕の弟」としても認識してい ることは、鷹四を「歴史的時間」の「同時性」の 中に統合させていることを物語る。またこの箇所 は、谷間へ向けて出発した際に「自己放棄」によ って甦ろうとした蜜三郎が、この「歴史的時間」
が統合される一瞬に、その実現の可能性を完全に 鷹四に見出していたことをも示唆している。蜜三 郎が鷹四の行動から、この不思議な「時」の統合 を体験した後、自殺を取りやめるのもおそらくこ の一因からであろう。むろん蜜三郎は、初めから 如何なる行動性を剥ぎ取られた人物であるがゆえ、
彼の自殺は常に一時的な企図に留まってしまう。
二〇〇一年、大江は井上ひさしと小森陽一との 間で交わされた座談会で、当時の自分は「超国家 主義的なものに引きずられやすい、それに強い魅 力を感じる人間」であったと告白している。そん な大江にとって「戦後の視覚的な最大の経験」は、
安保闘争後の一九六〇年十月十二日に起きた、社 会党の浅沼稲次郎委員長がテレビ放映の講演中、
右翼少年の山ロニ矢に殺されていく写真を新聞で 目にした時であった。そこで大江は、「自分が信 じている戦後民主主義的なものを体現している人 の、肉体的なもろさ」を感じると共に、「それが 精神的なもろさとも関係しているんじゃないか」
と危惧していたとも語っている。そこで、小森陽 一が大江のこの感覚が、『セヴンティーン』(一九 六一年一月)という作品に結実したと指摘すると、
大江は「ええ」と同意を示す。またこの座談会に おいて、大江は三島由紀夫の割腹事件(一九七〇 年十一月二十五日)にも言及しながら、三島は初 めから「死んでしまえば超国家主義的な人間とさ れるはずと、終わりから勘定を合わせるようにし て、あの全体を構想したのだろう」と言い、三島 は山口二矢みたいに「完全に超国家主義的な形」
で天皇と「自己同一化」を果たしていないとも解 釈している20。
大江は初めから三島の割腹自殺は、彼「独自の ファナティシズムと美的偏向」がきたしたもので あり、三島を一人自衛隊に閲入して「憲法を愚弄 し、生きた者として責任をとることは回避して自
己の幻を完結させた人間」であると捉え、終始批 判的な立場に立っていた21。天皇制は「赤裸の人 間としての自分を、日本人が見つめるために役立 つ制度ではな」く、「架空の『日本』『日本人』の みを見るためにもっとも有効な発明であったとい
うべきであろう」とも語っている大江は、同時に 三島の「最後の叫び声がそのような天皇制の中心 の機能が力を持ちなおしつつある」ところへ、恐 ろしいメッセージこそを残したという危惧を抱か ざるをえなかったのである22。近年になっても
「三島の天皇観は、かれ独自の伝統文化論にもと つく特殊なものである」23と、三島の自殺にしばし ば言及せざるをえないのをみても、大江がいかに 天皇制について思索を続けてきたかを十分伺うこ
とができる。
『万延元年のフットボール』の鷹四は、安保闘 争で右翼の暴力団側の人間として、棒を振るいな がら戦ったわけであるが、これは『セヴンティー ン』の皇道派青年グループの一員である「おれ」
という人物と重なる所がたぶんにある。『万延元 年のフットボール』の第二章「一族再開」におい て、鷹四の親衛隊員の星男は、鷹四の勇敢さを蜜 三郎の前で誇示するために、「あんたは、友達が 国会議事堂前で殴られて怪我をしたから、いま、
こんぼう
鷹がその殴る方の仲間にはいって棍棒をふりまわ したことを聞いて、鷹を憎んでいるんだよ」と言 い張る。また、蜜三郎の友人は安保闘争の夜、混 乱の最中にいたわけで、その友人の頭を割ったの はもしかしたら鷹四なのかも知れないと、星男は ほのめかしたりもする。これを『セヴンティー ン』の「おれ」が、「女どものかたまりにむかっ て」暴力を行使したことに引き合わせると、鷹四 が友人の頭を割った可能性もたぶんに排除できな いようにも思われる。
また星男は、「人生はしらふでやってゆかなけ ればだめだ」という鷹四の言いつけを守り、「朝 から夜中まで」続けて「ジンを飲んでた」アルコ ール中毒患者のような生活をもやめている。これ も『セヴンティーン』とつながる部分である。
『セヴンティーン』の最終部分では、「ナチスのヒ