一論文‑ 応 岡 短 期 大 学 紀 要 第1 6巻 平 成1 3年7月 Bull Taka oka Natio n al College,VoL1 6,July 2 0 0 1
社会
理論
と管
理会計
研究 ( 5)‑ ラ ディ カル ・ セ オリ ー によ るア プロ ー チ ー
上 東 正 和
( 平 成1 3年3 月3 0日受理)
近年、 会 計学の領 域にも他の学 問分野の研 究分 野が盛ん に導入さ れ、 その学 問的様 相が変化し
つ つある。 し か し、 社 会理論を援用し た会計 研究は, わが国に お いて は、 あ ま り 浸透し て いない
の が現状である。 そこで、 本連載に おいて は、 社 会理論を 援用し た管理会 計研 究につ いて、 既往
の管理会計 研究にどのよ う なイン パ ク トを 与え得る の か検 討 する。
禎 雑なリア リ ティをもつ社 会 科学は、 自 然科 学と は異な り、 多 種 多 様な研 究の パ ラ ダイムが存 在し, その目的に応じ た理論の援用が必要となる。 本連 載において は、 こ の よ う な多様な 理論の 管理会 計研 究へ の援用 可能 性につ いて検討し てきた。 本稿で はさ らに、 ラディ カル ・ セオリ ー ,
とり わ けハ ー バ マ スの批 判理 論に焦 点 をあて て検 討 する。
キ ー ワ ー ド
弁証法、 イデ オロ ギ ー 、 ラディカル ・ セオリ ー , 批 判理論
Ⅰ. はじ めに
わが国に おける これ まで の管 理会計 研 究 は, 会計 学が実学か らス タ ー トした た めか 、
その技術 面に関 する研 究が主 体であ り、 会 計
にまつ わる社会的 ・ 組織的 ・ 人 的 側 面 を 究 明 しよ うとする研 究は少 数であ っ た と思 わ れ る。 本 連 載では, これ まで の技 術 的な研 究 を 補強 する研 究と し て、 管 理 会 計に まつ わる組 織的 ・ 社会的コ ン テ クス トを捉え、 組織 ・ 社 会現象と し ての会計の記 述 ・ 説 明 ・ 理解 ・ 予 測 を 目 指し た研 究の方法論につ いて検 討して
きた。
そし て, そ うし た研 究の パ ラダ イムと し て、
「 解釈的アプロ ー チ」 、 「 機能 主義」 、 「統合理 論」, 「構 造 主義的アプロ ー チ」 につ いて検 討 し てきた。 本 稿ではさら に、 「ラディカル ・ セオ リ ー」 の管 理 会 計 研 究 への援用に焦 点 を あて て検 討 する。 当 該パ ラダ イムは, 社会や 組織を 理解するだ けで はな く, その変 革を も 目 的とするもの である。
Ⅰ. 社会理論の パラダイム
本 節で は、 これ までも述べ てきた社会理 論
の パ ラ ダ イム につ い て若 干ふれ、 本稿の主 題
高岡短 期 大学産業 情 報 学科
12 2 i‑. 如 i[̲: 糾
であるラデ ィ カル ・ セオ リ ー、 とり わ け 社 会 学 者 ハ ーバ マ ス の批判理 論に焦 点 を 当て て検 討 する。
1 . パ ラダイム の位置づけ
Bu r r ell a nd M o rg a n(1979) の社会理 論の 分 類の 一 つ の側 面は、 「主観主 義パ ラダ イ ム」
と 「 嘗観 主義パ ラダ イ ム」 であっ た。 主 観 主 義パ ラ ダ イムは、 主 体 を 重視し理 論は主 観 的 な 経 験 を もとに し て築 く こと が できる と考 え、 嘗観 主 義は, 構造 を 重視し社会の構 造に 焦 点 を 当てることによって理 論 を 構 築しよう とするもの であること は別 稿にお いて既にみ た,c そして、 そ れ そ れの観 点にたつ 社 会 理 論 およ び、 そ れ を 援 用し た管理 会 計 研 究に つ い
て検 討し てきた。
Bu 汀 ell a nd M o rga n(1979)は, さ ら に、 社 会 理 論 を 「‑レギュ レ ー ショ ン」 と 「 ラディ カ ル ・ チ ェ ンジ」 の観 点か ら分 類 するc 既に み てき た 「 レ ギュ レ ーシ ョ ン」 の社会理 論は、 現 状、 社会秩 序、
一 致、 安 定と い っ たもの に
関 心 を もち、 な ぜ社会が 一 つの実 在と し て稚 持されるの かを 理 解し、 社 会に関 する説 明 を 提示しよ うとする。) これに対 して、 「 ラディ
カ ル 〇 チ ェ ンジ」 の社会理 論は、 「変 動̲」、
「 コ ン フリ ク ト」、 「 支 配の諸様式」 , 「矛盾」,
「 解放」 などに関JL を も ち、 人 間 を 阻 害する よう な諸 構 造から人 びとを 解 放 することに関 心 を もつ社会理 論である。 本 稿では、 こうし た 「 ラディ カル ・ チ ェ ンジ」 の社会理 論に焦 点 を 当て、 そ う し た社会理 論 を援用し た管 理 会 計 研 究につ いて検 討 するc
2 . ラディカル ・ セオリ ー
ラディ カル 。 セオリ ー は、 社会的 ・ 組織的 構 造 を 集 団 的 利 害と関 連づけて理解しよう と するc 別 稿に おいて詳 述し た今日まで の管 理 会計 研 究の中心 的パ ラダ イム である機 能 主 義
が、 実際の変 動の メ カ ニ ズムを 明らか にし な
いの に対して , 本 稿で焦 点 を あてる 「 ラディ
カ ル ・ セオ リ ー」 は、 権力の移 動や社 会 変 動
の メ カ ニ ズムを把握しよう とする と ころに特 徴がある。
機 能 主義が事 実 を 価 値判断から分 離しよう とするの に対して、 ラディ カル ・ セオ リ ー は, そ れらを 分離すべ きでは ないと考え、 その理 論 を変革と進 歩のた めの武器にすべ きである する,: そして 、 社 会 科 学は、 中立 的 ・ 嘗観 的
なもの では なく、 科 学 者の個 人 的 見解と不 可 分に結 びつ き、 ま た、 こ の科 学 者の見解は社 会によっ て規 定されたもの であ り、 社 会 分析
は道 徳 的なこと から は分 離 でき ない と考え る。、
こう したパ ラダ イム では、人々 の考え方は、 その人 びとの属 する社 会の産 物 であ り、 嘗観 的な知 識に到達し、 その時代の影 響力から自 由に な ること は不 可 能である と し, そ うし た 社 会に対 し て批 判的な姿勢をと るべ きである
とする。 そ れゆ え、 連 載の(2) で既にみ た 機 能 主 義の理 論は現 状と し ての社 会 的 現 実 を 再 生 産 し椎 持 するもの であ る と批 判する。
こ の よ う なラデ ィ カル っ セオ リ ー のおく 前 提と し ては、 第 一 に、 社会は現 状のま までは
な いものに な る可 能 性 を 秘めて い ること。 第
二 に、 良 識のある人 間 行 為は社 会 を 現状と
は異な る 「 よ り よい社 会」 に変革する こと が できる と考え る こと一。} 第三に, こう した変革
はラデ ィ カ ル 〇 セオリ ー が提 示 する理 論 的 提 言によっ て促進される とい うことである。
当該パ ラ ダ イムで は、 「 弁証 法」 とい う思 考様式によ り 考 察が進め られ、 「 イ デ オ ロ ギー」 と い う概念が ‑‑一つ の 分析枠 組と な る。
そして , こう し た思 考 様 式ない し分 析 枠 組 を 用 い た考 察に特 色が み られる
.。 そこ で次に 、
こうし た思 考様式ない し分析枠 組につ い て言 及 する。
(1)弁証 法
本 稿で焦 点 を あてるパ ラダ イム にまつ わる 思 考様式と し ての 「 弁証 法」 と は、 思 考と存 在 を 貫 く 運 動 こ 発 展の論 理である。
一 般に有
社 会 軌諒と 管 理 会 計 研 究 (5)
限なものは, 自 己 人身の なか に, 自 己と対 立 し矛盾する契機を含んでおり, こ の対 立 ・ 矛 盾を 止 揚 することによって, よ り 高 次のもの
へ と発 展する と考え るのが弁証 法 的 思考法で あるo
こ れ を著名な論 者に し た が っ てみ て み る と、 哲 学 者 ヘ ー ゲル は, 現 実のすべて が弁証 法 的な運 動 。 発 展の過 程にある と して , その
内 的な連 関 を 明らか に しよ うと試み た。 そこ
に は事 物 を 相 互 連 関、 相 互 規 定の うちに捉え、
不 断の変 化と発 展のなか に位置づけるという 観 点が示 さ れている。 ヘ ー ゲル は, 対 立 ・ 矛 盾を 運 動 ・ 発 展の推 進 力とする ことによ っ
て、 弁証 法 を 思 考およ び 存 在 をつ ら ぬく 一 般 的な運 動 ・ 発 展の論 理と してと ら え た。 そし て、 そう した運 動 ・ 発 展の論 理 構 造は, ふ つ
う 「 正」 ・ 「 反」 ・ 「 合」 とか 「定 立」 I
「反 定 立」 。 「 総合」 と い っ た 三段 階の発 展 過 程と して理 解されて い る。 弁証 法の特質 は, 自 己 完 結 的か つ 不 変の実 体 を もっ て真 実と み なす 見 地 を 退 け、 社 会 的事 象を, そ れらの内 部に お け る さま ぎ まな力, 矛盾、 対 立に よっ て生じ る発 展の 過 程と み る点に ある( 1 ) 。
(2)イ デ オロ ギー
次に イ デ オ ロ ギ ー の概念につ いて言 及 す る。 イ デ オ ロ ギー と い う吉 葉は, 簡 単に定義
づける こと は困 難である が, 通 常では、 社会
のなか の個 人の もつ見解, 社 会の構成 員がも
つ 誤っ た意 識、 真 理と公 言されてい るもの の 仮象, 社 会 的な動 きや制 度 を 正 当 化する意 識 形 態、 社会が自 己 を再生 産 するプロ セス で見
られる社会の力とい っ た意味で用いられる( 2 )
よ うである。 イ デ オロ ギ ー と いうことばは、
狭義では 、 政 治 的な側 面、 すなわ ち ある 一 定の政 治 的傾向 ある いは政 治 的 選択をともな
っ た思 想の体 系と して用い られることも ある
が、 本 稿では こうし た狭い意 味で用いて議 論 するもの では全 くな い。
当 該パ ラ ダ イム では、 社 会には幻 想が広が
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ってい ること が批判 的に分析さ れ, こうし た
幻 想は イ デ オ ロギ ー から生じ るもの である と 考え られ, こう し た誤 った意 識から社会を解 放し、 個々人 をこうし た抑圧から解放するこ とを 目 的とする。
こうし た弁証 法 的 思 考や イ デオロ ギ ー とい
っ た概念の分 析枠組がどのよう に会計 研 究に 援 用されるかと い っ たこと は次 節において み る。
2 . 批 判 理論
こうし たラディ カ ル 。 セオ リ ー に分類され る理 論に は, 寄 観 主義の立 場から理 論 を 展 開 しよう とするものと, 主 観 主義の立 場からア
プロ‑ チするものがある(二i)。 「ラディ カ ル 。
セオ リ ー」 に分類される理 論に は, 多様な理 論が存 在 する が、 本 稿ではそのうち 会 計 研 究
に広 く 援 用される 「批判理 論」 につ いても う 少し詳しくみてみ る。
批判理 論は、 主と し て1 9 2 3年にフ ラ ン クフ
ル トで設 立された社会調査団 休の構成 員た ちによって構築された理 論 をさす。 今 日 知ら れている批 判理 論の形 を 造 り 上げたの は ,
「フ ラ ン ク フ ル ト学 派」 とよ ば れる ホル クハ イマ ー、 ア ドルノ , マ ル ク‑ ゼ、 ハ ーバ マ ス
とい っ た論 者たちである。
そ れ ぞ れの論 者の理 論には, そ れ ぞ れ特 徴
があ り多様 性がある が, 共 通 する特 徴と して
は, 歴史分析に 基づいて社会理 論 を構築し よう とする と ころであ ろ うか。 批 判理 論 書 達 に と って、 社会の現 状は満足できるもの では なく、 将 来の現 実は、 現 状 よ り も よ くなり 得 るもの であ り、 彼ら は、 こうし た改善を「 批 判的な思 考」 によ り 達 成しよ うとする。
批 判理 論は実 践に結 びつく 理 論 を提供 する こと, 実 践 的 調査と し て批判, 革新、 発 展 を 促 すた め、 当 該 理 論が会 計 研 究に有 効である こと が指摘される。 そし て、 こうし た論 者の なか で, 特に ハ ー バ マ ス の社 会 理 論が会計シ ス テ ム の デザイ ンを 理解し変革する た めの潜