新聞小説としての菊池寛「貞操問答」
その他のタイトル Kan Kikuchi's Teiso‑Mondo as a Newspaper Novel
著者 関 肇
雑誌名 關西大學文學論集
巻 68
号 3
ページ 25‑58
発行年 2018‑12‑18
URL http://hdl.handle.net/10112/16468
新聞 小説 とし ての 菊池 寛﹁ 貞操 問答
﹂ 関
肇
大正 八年 三月 に大 阪毎 日新 聞の 特別 契約 社員 とし て入 社し
︑翌 年の
﹁真 珠夫 人﹂︵
大
・
・
~
・ で︶ 新聞 小説 9 6 9 12 22 家と して のス ター トを 切っ た菊 池寛 は︑ 同十 三年 八月 に退 社し た後
︑約 十年 のブ ラン クを 挟ん で︑ 昭和 九年 三月
︑大 阪毎 日新 聞・ 東京 日日 新聞 に再 入社 する
︒﹁ 貞操 問答
﹂は
︑そ の再 入社 後の 第一 作目 の新 聞小 説で あり
︑昭 和九 年七 月二 十二 日か ら翌 十年 二月 四日 にか けて
︑百 九十 六回 にわ たっ て﹃ 大阪 毎日 新聞
﹄お よび
﹃東 京日 日新 聞﹄ に連 載さ れた
︒挿 絵は
︑新 人の 小林 秀恒 が担 当し てい る︒ 三上 於菟 吉の
﹁街 の暴 風﹂︵ 昭
・
・
~
・ の︶ 後を 受け たも ので
︑ 9 1 1 7 21 同じ 時期 の夕 刊に は︑ 白井 喬二 の﹁ 帰去 来峠
﹂︵ 昭
・
・
~
・
・ が︶ 載っ てい た︒ 本稿 では
︑こ の菊 池寛 の再 9 4 21 10 2 10 入社 第一 作﹁ 貞操 問答
﹂の 新聞 小説 とし ての 特質 につ いて 考察 して いき たい
︒︵ 以下
︑適 宜︑ 新聞 名を 大毎
・東 日と 略称 し︑ 両紙 に併 載さ れた 記事 およ び﹁ 貞操 問答
﹂の 引用 は﹃ 東京 日日 新聞
﹄に 拠り
︑年 月日 のみ を略 記す る︒
︶
屈折 する 構想 大毎
・東 日の 両紙 には
︑﹁ 貞操 問答
﹂の 連載 開始 の一 週間 前に 予告 が掲 げら れ︑ 次の よう な菊 池寛 の﹁ 作者 の言 葉﹂ が付 され てい る︒ 新聞 小説 とし ての 菊池 寛﹁ 貞操 問答
﹂︵ 関︶
二五
時代 がど んな に変 つて 行つ ても
︑ま た変 つて 行く につ れ︑ 女子 の貞 操は 人生 問題 の中 でも つと も大 きい 問題 の 一つ であ る︒ 貞操 の価 値は
︑ど のや うに 変遷 して 行く か︑ また 現代 の女 性の 貞操 観は どん なに 変つ て行 くか
︑い ろ
〳 〵
考 へて よい 問題 が多 いと 思ふ︒私 はこ の小 説に おい て︑ 数人 の女 性を 中心 に︑ 貞操 問題 を︑ いろ
〳 〵
描き なが ら考 へて 行き たい と思 ふ︒ 最初の﹁ 真珠 夫人
﹂以 来︑ 菊池 寛は これ まで にも 女性 の貞 操を めぐ る小 説を いく つも 書い てい るが
︑こ こに はた ん なる 趣向 や風 俗と して では なく
︑﹁ 人生 問題 の中 でも つと も大 きい 問題 の一 つ﹂ とし て︑ 時代 とと もに 変化 して いく
﹁貞 操の 価値
﹂を 問い
︑﹁ 現代 の女 性の 貞操 観﹂ を正 面か ら描 いて いこ うと する 意欲 的な 姿勢 がう かが える
︒そ のこ と は︑ 物語 の冒 頭部 にも 明瞭 に示 され てい る︒
﹁金きん を売 る﹂ と題 して 七回 分が あて られ た最 初の 章で は︑ 第一 回の 書き 出し から
︑ヒ ロイ ンの 南條 新子 が登 場す る︒ 新子 が家 の二 階の 居間 から ぼん やり 小雨 の降 る屋 外を 眺め てい ると
︑路 地に 魚屋 や豆 腐屋 がや って 来る
︒そ のあ りふ れた 庶民 生活 の日 常的 な光 景を 見な がら
︑新 子は かる い欠 伸を する
︒こ の雨 の日 の場 面が
︑窮 乏し た家 庭生 活に 閉じ 込め られ てい る新 子の 孤立 した 状況 を示 唆す るも ので ある こと は明 らか だろ う︒ そこ に妹 の美 和子 が潑 溂と した さま で現 れ︑ 新子 にス トッ キン グ代 をね だっ て遊 びに 行っ てし まう と︑ 今度 は隣 の部 屋か ら姉 の呼 ぶ声 がす る︒ そし て第 三回 にか けて
︑学 問好 きな 姉の 圭子 の家 計に 無頓 着で 贅沢 な生 活ぶ りや
︑製 糖会 社の 技師 だっ た父 が亡 くな った 後の 南條 家が 凋落 した 経緯
︑新 子が 一身 に生 活の 苦労 を引 き受 けて 一家 を支 えよ うと して いる さま が呈 示さ れる
︒ この 初め から わず か連 載三 回分 の三 人姉 妹の やり 取り を通 して
︑彼 女た ちの 性格 の違 いが 鮮や かに 描き 分け られ て いる
︒そ の中 心と なる 次女 の新 子は
︑﹁ 広い 聡明 な額
﹂に
﹁の どか さう な︑ それ でゐ てひ どく 謎め いて ゐる 大き な目
﹂
關西 大學
﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号
二六
︵一 を︶ した 女性 であ り︑
﹁聖 母の やう な清 かさ と︑ 娼婦 のや うな エロ があ る﹂︵ 二︶ のに 対し て︑ 三女 の美 和子 は︑
﹁あ まり 成育 しな い前 に︑ 熟れ てし まつ た果 物の やう に︑ 小柄 な︑ 身体 全体 が︑ ピチ
〳 〵
した﹂︵ 一︶ モダ ンガ ール であ る︒ また
︑演 劇に 熱中 して いる 長女 の圭 子は
︑﹁ 姉妹 の中 で一 番美 しい
﹂﹁ 完璧 な美 人タ イプ
﹂だ が︑
﹁お 白粉 気が なく
﹂﹁ 清 楚な 感じ
﹂︵ 二︶ とさ れる
︒こ の個 性的 な三 人姉 妹が
︑そ れぞ れの 貞操 観に した がっ て動 いて いく 姿を 浮き 彫り にす る こと によ って
︑時 代の 変化 にさ らさ れた 女性 の貞 操問 題の あり 方を 捉え よう とす る道 筋が 用意 され てい るの であ る︒ さら に第 四回 から は︑ 舞台 を階 下に 移し て︑ 新子 と没 常識 な母 親と のや り取 りが 展開 され る︒ 母親 が生 活費 のた し にエ ンゲ ージ
・リ ング を売 り払 うエ ピソ ード には
︑金 輸出 再禁 止に いた る昭 和恐 慌の 経済 的混 乱や 就職 難と いっ た︑ 当時 の社 会の 動向 が絡 めら れて いる
︒
︵
︶
そう した 厳し い経 済不 況に さら され た︑ 寄る 辺な い中 流家 庭と して 南條 家が 設
1
定さ れて いる のは
︑よ り時 代に 密着 した かた ちで
﹁貞 操の 価値
﹂を 問題 にす るた めで あっ たと 考え られ る︒ 冒頭 の﹁ 金を 売る
﹂の 章は
︑﹁ 前途 に横 はる 生活 の不 安﹂︵
三︶ にか られ た新 子が
︑﹁ 非生 活的 な一 家の 代り に︑ 自 分が 働く より 仕様 がな い﹂︵
五︶ と決 心し
︑恋 人の 美沢 直巳 との 結婚 を先 延ば しに して
︑前 川家 の家 庭教 師に なろ う とす るま でで 結ば れる
︒そ の末 尾で は︑ 前川 家の 主人 が品 行方 正な 好人 物で ある のに 対し て︑ その 妻が 相当 扱い にく い人 物で ある こと がほ のめ かさ れて いる
︒一 種の 職業 婦人 とし ての 新子 の前 途に 待ち 受け てい る波 瀾の 要因 を指 し示 すこ とに よっ て︑ 読者 の関 心を その 先の 物語 へと つな いで いく ので ある
︒ 新聞 小説 の成 否は
︑そ の書 き出 しに 多く を負 って いる
︒冒 頭部 には
︑読 者を 物語 世界 へと 導き 入れ る簡 潔で 確か な 造形 力と
︑先 へ先 へと 読み を推 進さ せて いく ため の牽 引力 が作 者に 求め られ るだ ろう
︒連 載開 始か らち ょう ど一 週間 のう ちに
︑新 子を 中心 とす る南 條家 の三 人姉 妹の 性格 を描 き分 け︑ 困窮 する 一家 の生 活事 情を 示し
︑新 子の 婚約 者の 美沢 の存 在や 家庭 教師 とな る前 川家 の主 人と その 妻な どの 主要 な人 間関 係ま でを 呈示 した うえ で︑ 波瀾 含み の新 子の 新聞 小説 とし ての 菊池 寛﹁ 貞操 問答
﹂︵ 関︶
二七
前途 に対 する 読者 の関 心を 喚起 する とい った
︑速 いテ ンポ で展 開し てい く﹁ 貞操 問答
﹂の 書き 出し には
︑新 聞小 説に ふさ わし い練 り上 げら れた 作者 の表 現力 が十 分に 発揮 され てい ると いえ る︒ しか し︑ 順調 な滑 り出 しを 見せ なが らも
︑こ の小 説は 必ず しも 当初 の作 者の 意図 どお りに は進 展し てい かな かっ た︒ 結末 部近 くに は︑ タイ トル と同 じく
﹁貞 操問 答﹂ と題 され た章 があ り︑ 前川 準之 助の 資金 援助 によ って バー
・ス ワン を開 業し た新 子の もと に︑ 前川 の妻 綾子 が乗 り込 んで きて 新子 を面 詰す る︑ 物語 のク ライ マッ クス が形 作ら れて いる
︒ しか し︑ そこ では 新子 が前 川に 貞操 を売 って 妾に なっ てい ると 思い 込む 綾子 夫人 に対 して
︑美 和子 が姉 の純 潔を 主張 して 撃退 する にす ぎず
︑貞 操問 答そ のも のは 未発 に終 わっ てい る︒ 片山 宏行 の指 摘の とお り︑
﹁新 子は ただ ひた すら に耐 える のみ の存 在と して 男性 優位 の社 会の 前に
︑可 憐な 一輪 の花 のご とく たた ずむ ばか り﹂
︵
︶
であ って
︑本 来の 主題
2
は追 究さ れな いま まな ので ある
︒ 新聞 連載 が完 結し た直 後に 出版 され た単 行本
﹃貞 操問 答﹄︵
昭
・
︑改 造社 の︶
﹁跋
﹂に は︑ その 事情 がこ う明 か 10 2 され てい る︒ 長
篇
小説 を書 く場 合︑ 性格 は経 で︑ 筋は 緯で ある
︒最 初か ら︑ 筋に 適合 する やう に︑ 性格 を書 いて 行く ので あ るが
︑し かし 一日 一日 書い て行 つて ゐる と︑ 性格 も亦 一個 の生 物と なつ て︑ 作者 の考 以外 に成 長し てし まふ こと があ る︒ そん な場 合︑ よく 筋と 矛盾 を生 ずる ので ある
︒筋 通り にか けば
︑性 格を 傷け るこ とに なる し︑ 性格 に忠 実な らん とす れば
︑予 定の 筋を 運べ なく なる
︒自 分の この 小説 など も︑ あま りに 性格 本位 にし たた め︑ 最初 の主 題が 充分 書け なか つた 小説 であ る︒
關西 大學
﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 三号
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最初 に予 定し てい た筋 が︑ 新聞 連載 の途 中か ら変 更さ れた こと が分 かる
︒小 説を 書き 進め るに した がっ て︑ 筋通 り に書 くか
︑登 場人 物の 性格 に忠 実に 書い てい くか とい うジ レン マに 直面 し︑
﹁性 格本 位﹂ を選 び取 った 結果
︑﹁ 予定 の 筋を 運べ なく な﹂ り︑
﹁最 初の 主題 が充 分書 けな かつ た﹂ とい うが
︑で はそ の﹁ 予定 の筋
﹂と
﹁最 初の 主題
﹂と は︑ いっ たい どの よう に構 想さ れて いた のだ ろう か︒ また
︑当 初の 構想 を変 化さ せ︑
﹁性 格本 位﹂ に書 いて いく とい う選 択に は︑ どの よう な要 因が 介在 して いた のだ ろう か︒ この こと に関 して
︑菊 池寛 が詳 しく 言及 して いる のが
︑座 談会
﹁結 婚・ 貞操
・性
・恋 愛を 語る 夕﹂︵
﹃経 済往 来﹄ 昭
・10 で︶ ある
︒彼 は﹁ 貞操 問答
﹂に 書こ うと した テー マと 筋に つい て︑ 次の よう に述 べて いる
︒ 4
私の
﹁貞 操問 答﹂ は最 初考 へた 事が 書け なか つて 出来 損な つて しま つた んで す︒ 初め の考 へぢ や生 活の ため に 貞操 を売 つて もい ゝと 云ふ テー マで 書く 積り だつ たん です
︒前 川と 新子 と早 くか ら関 係し ちや つて
︑前 川か ら金 を貰 つて 一家 を支 へて 行く のを 姉妹 達が 非難 する と云 ふ積 りで 書き 始め たん です よ︒ それ が余 り上 品に 書き 過ぎ ちや つた もん だか ら関 係さ せら れな くな ち
︹マ マ︺
やつ た︒ あん なこ とで 終つ ちや つた から 結局 題に 副は なか つた んで す ね︒ 僕の 積り では 貞操 と云 ふも のは 万一 の場 合に 売つ ても いゝ と云 ふこ とを 書く 積り で居 たけ れど も︑ 新聞 小説 のテ ーマ とし て少 し大 胆す ぎて その まゝ 書け ば嫌 がる 読者 も居 たん ぢや ない かと 思ふ
︒ ここ
で菊 池寛 は︑
﹁生 活の ため に貞 操を 売つ ても いゝ と云 ふテ ーマ
﹂が 当初 の構 想だ った こと を披 瀝し てい るが
︑ その 貞操 観が
︑女 性に とっ て貞 操に 至高 の価 値が ある とす る当 時の 一般 的な 社会 通念 を大 きく 逸脱 した もの であ るこ とは 間違 いな いだ ろう
︒生 活問 題の よう に﹁ 或る 程度 まで 止む を得 ない 事情 があ れば
︑貞 操を 売る と云 ふこ とは 許さ 新聞 小説 とし ての 菊池 寛﹁ 貞操 問答
﹂︵ 関︶
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