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グラント先生のこと

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Academic year: 2021

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グラント先生のこと

著者 高山 修

雑誌名 主流

ページ 10‑12

発行年 1975‑09‑16

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015258

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10  グラント先生のζ

懇切な御指導をたまわりました.

Mase

fI

e l d

の詩などを一緒に読んだ日も ありました.すし屋でお酒のおつき合いをした日もありました.御宅のパ ーティに招いて下さったり,アメリカ留学のお世話をして下さったり,英 文科での勉強会にさそって下さったり,私は身に余る御恩を受けました.

英文科における先生の最初の「教え子」の一人として,何一つ御恩に報い ることなく,ただただ暫塊にたえません.語りたいことは尽きませんが,

ここに先生との思い出の片鱗を記して,心から悼み悲しむ次第です.

グラント先生のこと

T当‑I

山 修

たしか四年生の後期頃だったから昭和

2 6

年の秋のことだと思う グラγ ト先生から同級の北垣宗治民と私とに毎週一回先生宅で会合をやるので加 わらないかとの誘いがあった.どんな集りなのか,どんなメンバーなのか,

くわしいことはわからないままに決められた日時に飛鳥井町のお宅を訪れ た.

最初のメンバーが誰々であったかについては記憶さだかではないが,そ の後二年間ほど続いたこの会合には,北垣氏と私のほかに,金関寿夫,宮 井敏,斎藤勇,浅田美代子,岩山郁代,山田時子,大下道の諸氏が出席さ れていた.ほとんどの場合は夕食後に集まって

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時墳に終るのであったけ れど,時には夕食を御馳走になったり,また話がはずめば終るのが10時を すぎることもあった.

この会合は決められた方式でおこなわれたわけではなく,さまざまなこ とが試みられた. メンパーの誰かがあるトピックに関して

i n t r o d u c t o r y

t a l k

をやったあとで皆で話しあうとか,決められた作品(主として詩や短

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グラント先生のこと '11  篇小説〕を読んでおいて話しあうとか,時にはゲストを招いて話を聞く ζ

ともあった.たしか,この集まりがはじまって間もなくの噴,フランス文 学の桑原武夫先生をお招きしたこともあった. Why do we study 1itera

ture?というような基本的な問題について話しあったこともあったし,

Wagnerの Tris'tanund Isoldeのレコードを聞いて E.A. Robinsonの 詩 百 ゴ'stramとの比較を試み,詩と音楽との関連について話しあったこと

もあった.

この会合に参加したものは各人各様に大きな収穫をえたはずだ.私たち にとってグラント先生はまζとによき leaderであり, 同時によき me‑

diatorであった. またときにはきびしい criticでもあった. どんなに未 熟な考えであっても頭ごなしに否定されることはめったになかった.私は,

自分の粗雑な考えが, 先生から Why?とか How?とか問いかけられる ことによって,不足が補われ,誤りが修正され,まとまりあるものになっ ていくのを何遍も経験した.この会合には,自分の考えがいかに未熟であ っても,遠慮することなしにそれを語りうるという雰囲気があった.これ は貴重な雰囲気であった.また,お互いの意見がくいちがっていても,そ れらの平和的共存が可能であるという雰囲気もあった それも,決して閉11

れ合いによるものではなかった.こうした雰囲気がつくられたのは,グラ ント先生の tacticsによるものでもあったろうが, それ以土に先生の教育 者としてのすぐれた人格によるものであったと思う.

もちろん,この会合で、は英語が話された.私たちの話す英語は,先生に とってまことにもどかしいものであったにちがいない.そんな英語を辛抱 づよく聞いてくださった先生に心から感謝する. この会のメンパーのほと んどはその後アメリカへ留学したのだが,この会での経験は各人にずい分 大きな助けになっただろうと思う.

教壇で大きな図体をゆさぶりながら講義される赤ら顔の先生の姿からは とうてい想像できないような神経のこまやかさを先生は秘めておられたと

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12  グラント先生をしのんで

思う.先生のそんな一面をこの会合を通して私ははじめて知った.その後,

およそ20年間,いろいろなことでお世話になったが,私にとってグラント 先生は常に思いやりのある誠実な助言者であった.先生のご冥福を心から お祈りします.

グラント先生をしのんで

根 本 加 寿 子

「恩師」という語感はあまり好きではないのだけれど,グラント先生は,

私にとって,恩師としか言いようのない方だった.

先生との最初の出会いは,大学の英文学科主催の懇親会の時で,私が二 年生になった時だった.順番に誰かを指名するというやり方で自己紹介が 始まり,やがてグラント先生が立ち上がられた.たまたま同じテーフツレに 坐り合わせた私は,先生の巨体と思いがけないほどナイーヴな撞を見上げ ながら,先生の白己紹介を聞いたのだが,最後に「前回さん」と呼ばれた のには驚いた.初対面の先生から指名されるという予期せぬ出来事に驚い て飲物にむせている私に,先生はいたずらっぽい笑顔とウインクを送って 来られた.以後,キャンパスや図書館や街で偶然お会いすると,近規の私 は,たいてい自分から気づく前に,先生から「ハーイ,前田さん」と芦を かけられることになってしまった.

二年,三年と,先生の文学史や小説研究の講義を興味深く聴き,課題の レポートなどもおほめを頂いたりし,私は比較的良い生徒だったようだ.

それでも,サルトルやカミユに夢中になったり,サークル活動の方に熱を 入れたりしていた私は,英文学科の学生としては不熱心な方で,一方,グ ラント先生も,私にとって,わりと親しい先生の一人であるにとどまって

参照

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