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智山學報 第60 - 020山本 匠一郎「『大日経』所説の菩提心について」

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(1)

経 』 所 説

菩 提

本 匠

  は じ め に

 

経』

に おい て

菩提

心が 中心 的なテ ーマ の 一つ と なっ てい るこ と は、

目の 一

致 す

る とこ ろ で ある1) 。

日経』の教

のエ ッ セ ン ス は、 い わ ゆ る

門」(菩提 心爲 因。 悲爲根本。 方便 爲 究竟。) に集 約 さ れ る とい

う観

念は、 イン ドで

立 ・流

した時代か ら通念 と して あっ た 。 よ く知られて い る よ

に、

KamalaSlla

740

・? −

797

第』

Bhdvandikrama

の 三 句の 法 門 を核 と し て 、仏 教思

体系

的に 理

し よ

と して い る2)。

 

近 現

日経 』 研 究におい ては、 シナや チ ベ ッ トにお

る 『

経』

注釈書

比 較研 究や、 唯識 系 論書 な どの 周 辺 文

のな か に 『

経』

提 心 思想の 淵 源 を探る試み を中心と して、

でに

多 く

す ぐ

れ た研

究蓄積

が ある。 だ が先 行研究の

くは

1

章 厂住心 品」に おける菩提心解釈 につ い て 述べ 、 『

日経』 全 体に わ たっ て菩 提心 を 理解し ようとする試 み はま だ充分 に は な されて い ない ように思 わ れる。

 

Buddhaguhya

8

世 紀)に関 して言 え ば、 従 来の研 究で は、 し ば しば

Bud

dhaguhya

菩提

は、 

Santideva

685

763

)の

願 pra

idhi

prastha

na

の 二

種菩

心説と比較 さ れる3>。 

Buddhaguhya

は確か に二 種 菩 提 心 説に つ い て言 及 するけれ ども、 後 述 する よ うに、 彼の 菩 提 心 説は 二 種 ・三種 ・四 種 と

様であるか ら、 そ れ らの 位相 と意

を注 意

見極

め なけれ ば な らない 。

 

善 無

637

735

)の 場 合、 その菩提心 に関する理解は、 一 行の 中国 仏教 的理

えて、

経 』(ル 軅 砂 伽 珈 燃 跏 α)や 『華 厳 経

Garpdavyahasatra

)、

大 乗 荘 厳 経 論

Mahdydinasatrdilamhara

)な どの

大乗経 典

論書

用 しつ つ

(2)

智 山学報 第六十 輯 解 釈 を施 して い る。

Buddhaguhya

も、 イ ン ド仏 教 思想の展 開状 況 をふ ま え、 そ れ らの

群 をソ ース と して適 宜

援用

しなが ら、

菩提

心 を

解釈す

姿勢

見受

けられ る。

所説

菩提

心が い か なる思

源に

基盤

つ か、 これ か ら

察を

め てい ことに したい 。  菩 提心 とい う語 につ い て

 菩 提

心とい

は、 世 出世 部所 伝の 『大 事

Mahdivastu

)中で使わ れて 以 降、

大乗

仏教 に おい て

ん に

使

用さ れ る よ

に なっ た とさ れ る4)。

大乗

の な かで発 展 してい っ た菩 提心 とい

語は、 仏教 思想の それぞれの展 開面に おい て、 鍵 語と して の

役 割

を果 た してい く。

くの

乗論 書 には、 「発 心 」 また は

菩提

の 語 を冠

節が

か れ、

菩提

心が 中心 的なテ ー と し じ られる 5)。

 

すで に

経 』におい て 、

提心は空

念の も とに把 握さ れてい る が 6)、 その空 性の 理解を め ぐっ て、 論 師た ち は解 釈 を重 ねて い っ た。

理 学 の

野、 さ らに中観、 唯識、 如 来 蔵の 思 想 分 野におい て、 そ れぞ れの 教 理 部 門は

互 に

影響

しあい なが ら空 性の 定義 を発展 させ てい 。 空や無 我 とい

概 念は、 声 聞 ・縁 覚菩 薩種姓 (gotra) 問題と リク して

じ られ る

薩は、 声 聞や縁

の 二つ の教 え(二 乗)の 立場に陥っ て は ならない とされ、 大 乗の 立場 を鮮 明にするため に、 空や無 我 とい っ た伝 統 的な真理概 念に、大

に とっ て

特別

で本

的 な意 味 内容が付 与 され 、 種 姓 を判 定 する指標と なる。

な わち、 人

無我

聞の境 地であ り、 法 無 我は菩 薩の境地で ある とする見

が 生 まれ る。 た とえ ば

摂 大乗論』

Mahdydinasamgraha

)な どに そ

したこ とが説か れる7)。

 

6

半か ら

7

世 紀 前 半には成 立した とされる

大日経』は、 こ う した大 乗の教

学を踏 まえてい る8) 。 すで に

行研究で 『

経』

菩提

に影

を与 えた とされ る経 論 書9) 指 摘 さ 、 「住心 品」の 「三劫 段

「六

畏 段 」 「如 実 知 自心 」 「三句 」 「三 心 」 「初 心 」 「自心 加 持 」 とい っ た術 語 を中 心 に、 その思

想源

泉 を

る試み がなされて い る 10)。 そ れ らの 試みを要約 す れば、

50

(3)

『大日経』所説の提心につ い て (山本 )

華厳経』

、 『十 地

経』

1

)誌α肋 腕 醜 α プo 雁 〃za 〃zahdyanasUtra )、

菩薩

地』(

Bodhisatvabhzami

)、

大 乗荘 厳 経 論』 な どの経

に おい て次

に整 備 さ れ てい っ た

体系

が、 『

日経

の 心 品転 昇 説 (菩 提心 展開論)へ と継

さ れて い っ た と さ れ る。

経』所説

菩提

は、 さ らに

期 密 教の

秘 密 集

タ ン トラ

Guhyasamdy

’atantra )に も

継承

さ れ 、い ゆ る

菩提

修習論

書 」 の 思想 基 盤形 成に寄与 し た とされ る 11)。   『大 日経』 所 説の菩 提心   『大 日経』 にお ける菩提 心の語の使 用 例につ い て、一瞥 してお き たい 。 菩

心の

大乗経 典

で は さ か ん に

使

用 さ れ る が、 諸

経 典

に比 して も 『

日 経』は菩 提 心の語 を

用 してい る12) 。

 

まず

大 日経』 第

1

「住心 品

で は、 菩 提心は悟 りの基 体 として論 じ ら れ、 悲や方 便 と ともに、 一智 智 を獲 得 す因 と し て 菩 提 心か れ る (三 句の法 門)。 三句の 法門 に 関 して は先 駆 的な経 典と して 『金 剛手 灌 頂タ ン トラ』(・歌yσ一吻 劉妙 砌ガーσ

6

傭 召々α一〃励 励 mtra )な ど が挙 げ ら れ る13)。 「住 心 品」所

菩提

心 説が もっ と も

有名

であ

世に

えた

影響

に おい て

多大

である こと は言 を俟たない 経 典お けるその 叙 述は短 く、 い たっ て シン プル で ある。

2

章 厂

具縁 品」にお ける

提 心 説は、 阿 闍梨の 資格 要 件 と して求め られる徳 目の一つ と して説か れ る。 ま た

儀礼

に おい て

子 がマ ン ダラに 入るた めの前 提 的 な

件として 、 菩 提 心の

習が 必

と され る 14) 。 マ ン ダラ に 入 る 前 に 菩 提 心 を 修 習 す る こ と を 説 くの は、 『グ ヒ ヤ タ ン トラ』

Sarvama

dalasdimdinyavidhi

−guhyatantra )15)、 また

金剛手 灌頂 タン トラ』で も

で 16) 、 この 一

qualification)と しての

提 心は、 後 述 する よ

Buddhaguhya

灌頂儀礼

に おい て だ けで な く、 さま ざ まな

面で く

か え し主 張する こ とで ある。

4

章 「

通真 言蔵 品

で は、

提 心が

行法

や儀

中の 一

素と して採用 され る。 菩 提 心は阿字四転の 起 点と して表 徴 され、 釈

の生涯 をふ まえた 「発心 ・

行 ・菩提 ・涅

槃」

(阿字四転 )とい

4

つ の コ ン パ ー メ ン トの第

1

段 階と して位 置づ られる。 菩 提 心が 、

言 と して

51

(4)

智山学報第六 十 的に表現 される。 さ らに第

7

章 「説 本

(漢訳は説本 尊三 昧品 第二十八) では、

本尊

瑜 伽 を理

する際に重要な教 理 基 盤 として菩提 心 が 説か れ る17)。 い わ ゆ る

大乗

思想の儀 軌 化 」(松長有慶)である。 教 理 と

実践

との

綜合

として、

17

章 「

明禁 戒 品 」(漢訳は持 明 禁 戒 品第十 五)、

20

章 「

受方

便 学処 品」(漢 訳は受方便学処第十八)で は、

菩提

心が

その もの とな っ て い く。 こ の

戒と して の

菩提

は、

2

章 「

具 縁 品

と密接に関わ り、 灌

頂儀礼

場面

に お い て弟 子が 三昧 耶 戒 を誓 う際に、 「決 して

菩提

心 を捨て ない

とい

う誓

戒 を 第一 に挙 げる。 これは 『金 剛手 灌

タン トラ』 もほ ぼ同様であ り、灌頂をテ ー 密教 経 典 に お け る ダ ー ド と 言 える18)。 こ の ように

大 日

経』

各章

にわ た っ て菩提心 が説か れるが その 内容 規 定は おの おの 異 なっ て い る こ とがわか る。

菩提

心には

々 の アス ペ ク トが あると考 え られるが、 と

れば、それ らの諸

相に おい て菩 提 心 とい 一つ の 語が採用 さ れ る には、 そ れ ら菩 提 心の ス ペ ク トル を統合 する任 意の視 点、 あるい は 一元 的 連 合が想

されてい ると

えら れ るで あろ

。 その視 点 と基盤は何か、 これ か ら

Buddhaguhya

の注釈を中心 に して探 っ て み る ことに

るが、 その

行 研 究にお ける

Buddhaguhya

菩 提 心 説問題 点につ い て触れ て お きたい 。

 

研究に お け る

題点

 

研 究で は、 田 上 太秀[

1990

]が

Buddhaguhya

の菩提心説を取 り上 げて、

の よ

摘 し批判を

えてい る。 そ れ は要 約 すれ ば 以下の とお りで ある。

 

Buddhaguhya

は本 来清 浄 心と して の菩 提 心 を考 えて い い 。 菩 提 心 を

   

客 塵 染 汚された もの と

えてい

 

Santideva

菩提

Buddhaguhya

は充 分に理解 してい な かっ た。

 

Buddhaguhya

の 菩提 心 説 には

Santideva

の よ うな積 極 的に実 習へ と向    か う菩提 心の 在 り方が示さ れてい い 。

   

Buddhaguhya

の 菩 提 心 説につ い 、 上 記 の 如 き批 判 を田上氏は

える。 氏は

Santideva

をス タン ダー ドな立脚点 として捉 えてい るの で 、氏の視 点か らすれば

Buddhaguhya

は そ

し た

標準

か ら逸 脱 し た もの とみ な さ れるか も (

52

(5)

『大日経』 所説の菩提心 につ い て 山 本) しれ ない

 

しか し

 

につ い 言 えば 如 来 蔵 説 はすで に

勝 鬘 経』(

Srimditisim

. 

hanada

− sabtrα)、 『華 厳 経 如 来生 起 品』(

TathagatotPatti

’ sambhavanirdeSa )、 『智 光 明 荘 厳 経』(擁

8

滋 ♂o 刷 雌 肋 α)な どの如 来 蔵 系経 典が 成 立 した後 に、 『大日経

自体が その 影響を受 けて成立 し て い る19> 。 また如来 蔵の理論におい て は

塵 煩

な る が ゆえに

自性清浄

とされ るの で あ り、 もちろ ん注 釈 者で ある

Bud

dhaguhya

もそ

し た如 来 蔵 説 を踏 ま えて い る20) 。 と りわ け

浄 説 は

経』

菩提

心テ ー ゼで あ

Buddhaguhya

におい てそ れは清 浄 ・空性 ・

真如

と して

じ ら れ る。 また

如来蔵説

で よ く用い られ る

金の 喩21)

Buddhaguhya

は主 と して

涅 槃 経』(漁 励 α漉 蜘 砌αs露’7α)や

経』

や 『

華厳経』

とい

ス タン ダー ドな大 乗 経 典 を念 頭に置 きなが ら述べ て い る喩例 が見

けら れ る。

Buddhaguhya

は 必ず しも文 脈に沿っ た論 述で は なく、 出典をい ちい ち明示 する よ

な ことは しない の で、 はっ き

見受

けに くい の で ある が、

乗 経 典に か な り

通 してい た よ

で、 他 にも 『三

王経 』(

SamddhiMl

’asdrtra)や

迦葉 品』(

Kas

’yaPaParivarta)な ど か ら達 意的 な

を引 く。 い まこ こ で 『大 日経 広釈 』(

Bhasya

.以 下

r

大 日経広釈』の 引用は とくに こ と わ らないか ぎ りすべ て 劭 α)か ら一例 を示 して み よう。 文 脈は 『大 日経亅

2

章 「

縁 品 」 中、 三昧 耶 戒を た もっ て加 行 ・正

後行

マ ン ラ を

ること によ

修行

者の 罪障 が 浄化 されるこ と を 、灯 火の比喩 によっ て

解釈

して い る 22)。

   

(行 )とは、 マ ン ダラに入 り終わ っ た後に、 正法と菩提 心 を

て ない

   等

の三昧 耶を

い 出すことである。 そ れ ら (加 行 ・正行 ・後行) 相 を具

  

えてマ ン ダラを見れ ば、

多劫

積集

した 罪障 も浄 まる で あろ うこ とは、

  

た とえば

年に わ たっ て あっ た暗黒が一度灯 火が 生 じれ ば

くな るの と

  

同じで

る23> 。 一 れ は 迦 葉 品

の 次の 文言に依 拠 してい る と思わ れ る。 文

は 、空

恵 (= 灯 火)に よ 業 ・煩 悩(三 暗黒)を浄 化 す る こ と を説 く

箇 処

る。

(6)

智山学報第六 十輯

    

カー シ ャ パ よ 、 た とえば、 つ ぎの よ

で ある。 どこ かの 家に せ よ建 物

  

にせ よ、 あるい は部屋 に せ よ、 千

もの な がい

い だ 、い ま だか つ て 油

  

灯 火が ともさ れ た こ とが ない とする。 だれか が そ こへ 油の 灯 火を とも

  

した な ら ば、 カ ー シ ャ パ よ、 どう思 うか。 その 暗 黒が 「私 は千

もの あ

  

い だ、 こ こ に積み重ね られ て きたの だ。 私は こ こか ら出てい か ない 」 な

  

ど と思

であろ

か 24) 。

  

tadyathapi

 nama  

kaSyapa

 

grhe

 va

 

layane

 va

 

avavarake  va

 

var

asa

  

hasrasyatyayena

 na  

tat

 

kadacit

 

tailapradyotah

 

k

to

 

bhavet

 atha ca 

tatra

  

kaScid

 eva  

puru

ab  

tailapradlpa

kuryat

 

tat

 

kiM

 manyase  

kaSyapa

  

maiva エ

p

 

tasya

 

tamondhakarasya

 

bhUd

 varSasahasram  samcito

ha

  

naham  

ito

 vigami

yamiti

/(

Kdis

’ yapaparivarta , 

71

.〉

  

こ の ほか

Buddhaguhya

は ま た 『三

王経』に依 拠 し な が ら、

菩提

心 を 母 胎 中の

胎 児

えた り もしてい る25)。 こ う した喩 例 に意 を 向

れ ば、

Buddhaguhya

が 諸 大 乗 経 典にお ける教

を念 頭に おきなが ら、

菩提

心 を

来清 浄 なる もの と して捉 えてい るの は 明 らかで あろ

 

また

 

につ い て 言 えば、

Satitideva

685

763

bodhipranidhicitta

)と 入 (

bQdhiprasthanacitta

)の

二 種

心説

は イン ド仏教 論 師の なか で 人口 に膾 炙

し た もの で あ り、

Aryavimuktisena

6c

)、 

Jfiatiagarbha

700

760

 

KamalaSi

la

740

?−

797

)26)

、 

Haribhadra

800

年 頃)、 

Pra

akaramati

950

1000

年 頃)、

DharmaldrtiSri

10

11c

)、 

Smrtijfianaklrti

1000

年 頃)、 

AtiSa

982

1054

)、 

Abha

yakaragupta

1064

1125

)な ど

多 く

論師

が言 及 して い る27)。 

Buddhaguhya

種菩提

心説

に関 して は今 さ ら言 及する まで もない こ ととして、 あえて く わ し く論述 し ない 態 度 を とる。 後 世

AtiSa

が 「(願 と入の 二 種 菩 提心に つ い て は)偉

な賢 者 らや 、 今の 賢者 らが、

くの 説を説い てい る」28>と言 うように、

Buddhaguhya

Santideva

の 〈二

提 心 説

い ない とい

の で はな く、

二種 菩提 心 説

に言 及 しな が ら、 そ れ をあ くまで も

大 日経 』 自体 の 文 脈に

沿

っ て

釈 してい る もの と

えたほ

が よい 。 そ もそ も 『大 日経

品」

理は

菩 薩

29) 、

十 地

経』

30 ) 、 『

乗 荘 厳 経 論』31)、 『摂 大 乗

54

(7)

『大 日経』 所説の菩提心 につ い て (山本) 論 』32)な ど

大 乗

の ス な修 道 論

し た の で

っ て、

Bud

dhaguhya

当時

の 仏教 学 説 を充分 にふ まえた 上で

らの思

開 して い る と言える。 ま た

Buddhaguhya

は二 種の 菩 提 心(〈願の菩 提 心〉と〈入の 菩提心〉、 また はく菩提を目的とした 心〉と〈菩提を自性 と す る 心〉の二 種)、 三種の菩 提心 (入 ・ 住 ・起)、 四種の菩 提心 (願 ・入 ・住 ・起 )な ど

多様

な菩提 心 説 を提示 してい る。

 

さらに

 

につ い 積 極 的 な実 習へ と

う菩提心

あ り方

こそが、

言門におい 修 行

菩 薩たちの 本 領 とする とこ ろ で

っ て、 そ れは

で に 『大 日経 』 自体の文

に おい て看 取さ れ る。 灌頂 儀礼、 阿

の 四

月輪観

、 字 輪 観、 また は修 法における本

瑜伽の教理基盤 として

提 心が説か れる箇 所 などは、 その実 習 的側 面を扱 うもの とすべ きであ っ て、

Buddhaguhya

の プラ クシス はまさ しくそこ に基 盤を置い て い る。

 

以上

た よ

に、 『

経』

は大 乗の諸テ キス トか ら

影響

けて成 立 し てお り、 また

経』 自体

に お

菩提

心の 用例 が さ まざ ま な場 面で説か れて 一

で ない 。 さ らに

注釈

におい て も

Buddhaguhya

々 の

菩提

を 提示 する の で、 非 常に理 解 しに くい 面が あるが 、 以 下 に 『

日経 広 釈

を中 心 に して 、 その 菩 提 心 説 を把 捉 してみ るこ とに したい 。   『大 日経 広 釈 』所 説の菩 提心の諸 相

 

『大 日経 広 釈 』 第

1

章 「住心 品

だけで

菩提

全 引用例の 三分の 一 を 占め、 第

2

章 「具縁 品」 を含め る と全 引用 箇 所の

半数

め る(後 出の 出典 表 を参 照)。

2

もほ ぼ全 体 に わ たっ て菩提 心の語が見

され る。 こ れ は そ もそ も

大 日経 』 本 文の 各 章におい て この 語 が見 出され る こ とによる。

Buddhaguhya

は基 本 的に 『

経』

脈に沿っ て注 釈 を施 し、 その 文

っ て

菩提

心の内

容規定

岐に

び、 こ の語を

と して

大乗

思想お よび 真言 門菩 薩の基 本 的立

形成

されて い る と言っ て よい 。 菩提 心に教 理が

約さ れ る 理 由は、 後 述 する よ うに、 師 弟の

学規

、 入

条件

種姓

(got− ra )、

とい っ た実 践上の 諸 問 題が、 菩 提 心 を核 と して リン ク し あい な が ら、 同一面 に おい て さま ざまな動 態 を現 出させ る か らで ある。

(8)

智山学報 第十輯

 

こ こ で は ま

ず先

に見た

願 と入の

菩提

Buddhaguhya

が どの よ

に 規

して い るか を見て みたい 。

 

〈願の 菩 提 心

(smon  

lam

 gyi 

byang

 chub  

kyi

 sems33 )

Skt

 

bodhipra4idhicitta

と は

Santideva

と同

、悟 りに対 して心 を志

するこ とである。 そ れは

有情

利 益を 目的と して私は成 仏 しま

す」

とい

う誓

を表わすとされる34) 。

Buddha

guhya

におい こ の

菩提

、 灌 頂 儀

i

礼の 際に 阿 闍梨が

子に要 請 する菩提 心である と され る 35)。 弟 子がマ ン ダラ に入 る際に

願 の菩 提 心

を生

るこ と に よ り、

子 は 浄化さ れ36)、 「勝 者の 族 」(

jinakUla

)37)すな わ ち仏 子 と して生じ、 仏

種姓

と なる こ とを保証 さ れた者 とな る。

 

入 の菩 提心〉(’

jug

 pa’

i

 

byang

 chub  

kyi

 sems38 ).

Skt

 

bodhiprasthanacitta

)とは

Santideva

に よれ ば、

悟 り

を願

心か らさら に歩み を進めて

律儀

(sarpvara )・

地 (

bhami

)・

波 羅蜜

(paramita )な どの 菩 薩 道 を実

践 す

る こ とで

る39)。 

Bud

dhaguhya

における

入の 菩提 心

は、 一

切法

を空性 と し修 習する こ る 40)。 その

空性

容は 「蘊 ・界 ・処、 所取 ・能取を捨て て、 自心は本不生 であ り、 空性の 自性 である」 とい

、 い わゆ る 「菩 提 心 句 」と して 規

さ れ る。

Buddhaguhya

願 ・入 ・住 ・起

の四種の 菩 提 心 説を提 示 す るが、 こ の

の菩 提心 を捨て て はな らない とい

41)。

入の

菩提

は、 蘊 ・界 ・処 等の 諸 法 (有為法)を滅 する性 格 を もつ 42)。

菩提

心 の

用は、 内的 に は煩 悩 などの 障碍 を 除 き、

的には 土 地 や

物を浄 化 する な どの 除 障 効 果 ・浄化 作用 が あ るが、 そ れ は こ の 諸法を滅 する は た ら きに基づ く43)。

 

菩提

(gnas pa’

i

 

byang

 chub  

kyi

 sems44 ).

Skt

. 

bodhisthiticitta

?)。ま

、 諸法 を滅 した

に空性 ・無 相 ・無 自性た る無 分別の 三

に住 するこ とである45) 。

提心 を空性とする規 定 こそ が、 『

経広釈

』における菩提 心 説の 中心 的 な プ リンシ プル と言 える46) 。

 

起の

菩提

ldang

 

ba

i

 

byang

 chub  

kyi

 sems47 >.

Skt

. 

bodhivytitthanacitta

 ?)と は 、

空性か ら再び起 っ て 、

情 利益のために 四支 念誦等の儀 軌 を修 習 して 自身を

本尊 身

として変 化 させ る こ とをい 48)

(9)

『大日経』 所説の菩提心につ いて 山本)

れ る 49>。

 

Buddhaguhya

は こ れ らの

4

菩 提 心 に加 えて

初 地菩 提 心

(sa 

dang

po・

i

 

byang

 chub  

kyi

 semsso ). 

Skt

. prathamabhUmibedhicitta  51)説 く

経 』

におい てそ れ は

の菩提 心

Tib

. 

byang

 chub  

kyi

 sems  

dang

 

po

, 

Chin

,初

心 . 

Skt

. 

prathamabOdhicitta

 )52) また は

初 発 心

prathamagcittotpadah

)と

されるが53) 、

Buddhaguhya

は それ を

初 地の

菩提

または

初 地の心

するM ) 。

Buddhaguhya

は、 初 地におい て

菩提

心の

活動態

出 そ

とする。 修 行 者はま

ずく

提心

習 するこ とに よっ て 「真理 を見 る

55)見 道 。 こ れ が

初 地の 菩 提 心 〉に相 当 する。 そ れは 「無上菩

と同一 の 自性 をもつ とされ56) 、 「 一切 法 平 等 性 自性 」

57) 「清 浄」であ り58) 、 「極 無 自

の 相

る59)。

 

こ の よ

Buddhaguhya

経広釈』

で、

願の 菩 提 心

〈入の 菩 提 心

〉〈

住の 菩提 心

〉〈

起の

菩提

〉〈

初地の

菩提

とい っ た さ まざ まな菩 提 心 を説 くが、 こ

した

菩提

心の

諸相

が生 じる

以 と、 それ らの菩提 心の 活動 領 域につ い て、

に見てい こ とに したい 。

 菩提

心の活

動領

  十

地 と十 波 羅蜜一

 

願 ・入 ・住 ・

起 〉

の 四

菩 提 心 と

初 地の 菩 提 心 〉、 『大 日経 広

釈』

の これ らの

菩提

心の諸相は、 初 地か ら十 地にい たる まで の

信解行

地の

昇の過

提 と して、 そ れ らの一個の 連 続 的系 列 を移 行 してい く心 的 基

の動 態 に応 じて名づ け られ た の と定 義さ れ る。 『

日経』 中に

解行

地 におい て 三心 を観 察 する」60)言 わ れ る よ

入 ・ 三 心

信 解 行 地 おける

提 心の動 態 を

表現

した もの で ある。 そこ での

信解行

地とは、

地か ら十 地にい た る までの 出世 間

自他

に信 じて

修行

する段 階 をい

61)。

釈』

は三心 を

端 的

信解行

地に

住す

る功

Tib

, yon tan 

Skt

騨 a,

「特 質」の 意)

現 する62)。 信

解 行

地と は、

地におい て菩 提 心が活 動 す

る起

で あ り、 かつ 全 体で ある。

(10)

智山学報 第六 十 れ、 『

菩薩

な どの唯識 文 献で は その よ

に説か れ るの で あるが63) 『大 日

釈』

で は 、

発心 が初 地の と解 釈 され るの で、 従 来の 信解 行 地の解 釈 と は異 なっ た理解が生

るの であ る。 つ ま り信 解 行 地の修 行 階梯が、 従来の 大 乗教 学で は初 発 心か ら初地 まで の ス パ ンで あっ たの が、 『

経広釈

』で は初 地か ら

十 地 まで と さ れ、 上 位ヘ ス ラ イ ド してい る。 こ

した理 解は

経疏』

で ある64)

 

「心 品転 昇 」と言 われ る、 こ の

菩提

心の展 開 過程は大 乗 菩 薩の

修行体系

に 沿っ て説か れ る。 その修 行 体系が 『十 地 経』 等に説か れ る

薩の 十地説であ り、 こ れ が

大 日経 』お よ び 『大 日経 広 釈

』所

説の

提心 の基 盤 となる 『十 地 経』に よれ ば 、 十 地 と十波 羅 蜜 と四摂 事 は、 以 下の よ

に対応 して説 か れ る。 十  地 波  羅 蜜 四  摂   事 出 典(Sktノ和 訳) 第一歓 喜地 布 施波 羅蜜 布 施 p.26/p61 第二 無 垢 地 戒 波 羅 蜜 愛語 p,46/p92 第三発 光地 忍 波 羅 蜜 利行 p.61/pユ16−117 第四焔 慧地 精 進 波 羅蜜 同事 p73 /pユ40 第五難 勝 地 禅 定 波 羅 蜜 p.87/p.165 第六現前地 般 若波 羅蜜 Pユ05/P.199 第 七 遠行地 方便 波 羅蜜 p.125/p.

232

第入 不 動 地 願波 羅蜜 pユ46/p.269 第九善慧地 力 波 羅 蜜 p.

166

/p.

305

第 十 法雲 地 智 波 羅 蜜 p199p.346

  

Buddhaguhya

は 『大 日経広釈』で十地 と十 波 羅蜜 と 四摂 事 の 対 応 を説 くが、 そ こ で ま さ しく 「詳細 は

十地経

等を見るべ きで ある

65)と典拠 を 明示 する。 すで に北 村 太 道 氏 と頼 富 本

氏が

指摘

してい る よ

日経

略釈

』(

P

4

’7焼α)で は、 三 心と信 解

地 を

解説す

る際に、

Buddhaguhya

所 伝 の 『大 日経

付属

してい た

外 篇」

(uttaratantra )の 「秘 密品」所説の 十 地

を引用する66) 。 こ の 引用は現 行の 「大 日経

出さ れ ない が、

十 地経』 を下敷 きと した十 波 羅蜜 と 四摂事との対 応 を説 く十地説は、 そ もそ も

58

(11)

『大日経亅 所説の菩 提心につ い て (山 本 経 』 「住 心 品 」の次の文 言を敷衍した もの で ある と言 える。

   

信 解 行地 は、 三心 を

観察す

ることで

る。 諸

波羅

蜜 を

行ず

ること と、

  

に よっ て、

信解

地は

等であ り、 無 量であ り不 思 議で ある。

量の

  

智を 生ずる のは、

心 に よっ て

るであろ

67) 。

  

なわ ち、

解 行 地 一 三 心一 十波 羅 蜜一 四摂

一十地 とい

薩 の一大 修 行体 系 がこの 短い 文 章の なかに集約 されてい る。 こ の

修行体系

が、 可 能態 として の 初発 心 か ら現 等 覚 とい う完成 態へ と到で におい て 、

菩提

心 が活 動す る基 盤領 域で ある。

 

信 解 と菩 提心

   

ゴ ー トラ を視 点 と して一

 

信 解 (adhimUkti .「宗教 的 傾 倒心」)には優 劣が あ り、 信 解の勝劣 に従 っ て、

と ラン クも

なる。

なわち

信解

題は、

姓 (

gotra

)の問 題と関 連 する。 こ

した

念は

で に 『般 若経

られ る68)。 十 地の 階梯に進 む

菩 薩

信解

菩 薩

る。 こ れ に

して

信 解

っ た

劣信

解 」

hlnadhimuktika

.・

Tib

. 

dman

 pa 

la

 mos  pa )と

。 劣信 解 者と は、 具

的 に は

聞 ・独 覚 乗、 我 見 ・ 見者 、 大乗 経を信 じない 者をい う。 大 乗に傾 倒 心 (信解 )を起こすこ とに よっ て、 菩 薩 候補生 とな り、 さとり(菩 提)へ

けて

ること に よっ て、

菩薩

道に入 る。

信解

菩提

心とは ほ とん ど同 じよ

な意 味である69) 。 信

度合

い に よ

り種姓

の 差

が生じる。 如 来蔵 説や後期 仏教 時代 以後の大 乗 仏教の究極 的立場で は、

姓や機

の区別 を

じるこ と は一つ の 仮設で あ り、 一切 衆

種姓

が 、

経』

は そ

した 立 場 を積 極的 には 説 か ない 。 仏教 徒 と なっ た 者に 関 して は種 姓 を 問わない とい の が

大 日経』の基 本 的立場で ある。 『

経』

に説か れる

劣信解者

Tib

. 

blo

 zhan  

Skt

. mandabuddhika )と表 現 さ れる 70)。

3

章 「息 障 品」で は、 劣 慧の 者 が 『大 日経

の 経 説 を外 道の 教

と見

な し、 仏

で は ない として退

るこ とが

か れ る。 『大 日経 広 釈

で はその

外 道の教 えを 「世 間の タン トラ

、仏 説を

出世 間の タン トラ である所 作 タ

(12)

智山十輯 であっ た り、 経 説を非仏 説と して誹 謗 し た

りす

の こ とで あ り、 大乗 経 典 には しば しばそ

した批 判者が描か れ る (た と え ば 搬 若経』 「魔事 品」7D )。 大 乗経 典に お い

辺 にい る

存在

者は

聞 ・独 覚な どの二 を指 すが 、 『大 日経

におい て はそ れ が二 か ら外道へ とシ フ ト して い るこ とが確 認 さ れ る。 これ は仏教の 対

論 者

が時代 的に変 質 して きた状 況 を反 映してい る もの と

考 え

られるが、

細は

今後

の研 究に またね ば な らない 。

 

日経 広 釈

』所 説

劣 信解 者

に つ い て

て み よ

。 以 下 に示 す 文 脈は 『大 日経 』 第

29

章 「真 言 門行 菩 薩行 儀 軌 品」(漢 訳 は 「嘱累 品第三十一」)中 、 仏 弟子の相を説 く箇所である。       「その と き世 尊 はすべ て の 集会 者た ちに仰っ た。 私が保 持 し行 っ た も

  

の を、 あ なた は こ の

の経

に おい て

行 う

べ きで ある

とい

の は 、 こ

  

経説

で は ない (

Tib

. snod  

du

 ma  gyur pa . 

Skt

. abhajanlbhata

  情

に は

み に

えるべ は ない の で あっ て 、 その ゆえに説い たの

  

機 根

を分 別せ

にまた

与 え

る こ とな く、 わ が 子 た ちは 分 別 せ ずに

  

(与え る)」とい の で ある。 まさ に その 子 た ちの

とは 、 以 下 の とお

  

お よそ 信解す る者た ち に対 して は機

を分別する必要な しに与え るが 、

  

そ れ 以外の た ちに は 、 こ の 甚 深経 説は 、般

(波羅 蜜)を具えて

  

い る か否か、 機

貪欲等

の境に流れてい る か否か を観 察 して判 断すべ     きで あっ て、 そ れらの諸の 欠点 が ない 器であ れ ば、 は じめ て与 え なさい 、

  

とい の で ある。 「智 慧の 少ない 不信心者に

深 広

な る法 を説 くな ら    ば菩 薩の あや まちで ある」とい われて い る か らで ある 72)。

  

『大 日経 広 釈』(

Bhdsya

)は 、 こ の 箇 所を 厂智慧 の 少 ない 不 信心 者 」(

blo

chung  zhing  ma  

dad

 pa )と訳 すが73) 

gZhon

nu

dpal

経 広 釈

y

漉)で

こ れ を ま さ しく 「劣 信 解 者 」(

dman

 

pa

 

la

 mos  pa )

校 訂

し てい る。 

Buddha

guhya

はこの 文 言に関して どこかの

経論書

か らの引 用を示 唆 してい る が 、 こ れ は

経』 本文

ではな く、 お そ ら く

迦 葉 品』か らの 引用であっ て、 そ れ は次の ようで ある。

   

その でない衆 生に広大な 仏法を説 くことは 、菩 薩の あ や まちで ある74) 。

60

(13)

『大 日経』 所説の菩提心につ い て (山本 )

   

abhajanlbhUte u satve §

UdarabuddhadharmasamprakaSanata

 

bodhisat

  

vasya  skhalitarp/(

Kdis

’yapaparivarta,

11

.)

  

種 姓、 機 根、 器 ・非 器 た さまざ ま な

、 信 解 とい

用 語 を核 と して密接に 関連 しあい な が ら、 通大 乗に共通する 問 題群を形 成 してい るこ とが わ か る。

を継 承 す る た め に は 、 まず 師弟の修 学 規 定 (学処)を定め、 弟 子の入 信条件 を設 定 する こ とが求め られる 75) 。 大 乗真 言 門におい ては 、その 設定こそ が 信解で あ り

提 心 で あ る と言 える。

子の

種姓

機根

や器 ・非器 を判

定す

る際の尺

は信

= 菩 提 心である 。

 

真 言 密 教にお ける

継承

灌頂 儀礼

(abhieka )に おい て遂

さ れ る。

礼 中の ク ライマ ック ス は入マ ン ラ の場 面であるが、 その際に弟 子は菩提 心 の修 習の 有 無を問わ れる。 菩 提 心が法 を継承 するため の

格(qualification)ま た は証 明 (certhication )の機 能 を担っ てい る と言 える。 密教 の灌 頂 儀 礼 とヒ ン ドゥー教の 入 門 式 (upanayana )との

違は こ こ にあっ て、

提心 の 宣 言こ らが 大 乗仏 教徒である こ との 宣言 に他な ら ない 。

子は

提心 の 修 習によっ て金 剛薩 捶 として灌

さ れ、

大乗

に生 まれ る(再生 すると言っ て もよい 76) 。

頂 とは、 入 信

に菩 提 心 を埋め込 むこ と に よっ て、 根 本 的に 大 乗 種 姓(mahayanagotra )に生 ま

わ らせ る

作業

。 入信

姓と して設 定 する基準が菩提心で ある と言える。   ま  と  め

  『

経』所

説の 菩提心 は

章にわ た っ て広 範に説 かれ る。 そ れらの 菩提 心の 種々 の アス ペ ク ト

Buddhaguhya

は諸 大 乗経 典の 教 説 を念 頭 に お き つ つ 、 菩 提 心= 空の 思想 を

景に して説い てい る。 彼の菩

心説に よ れ ば、

願 ・入 ・住 ・起

4

種の 菩 提 心 説、 また

入 ・

、 お よび

初 地の

菩提

概念

に よっ て、

菩提

心が

統合

的に

把捉

さ れ る。 その 菩 提心 の

活動領

地 と十 波羅 蜜であ り、 信解 行 地である。 信 解 と菩提 心 と はほ とん ど同

で あっ て、信 解の勝 劣 に従っ て、 弟 子や対 論 者の 種 姓、 機 根、 器 ・非 器が判 断 される。 こうした事 例は とりわ け灌

儀礼に

出さ れ る が、

61

(14)

智山学報第六 十輯 さ ら に

Buddhaguhya

はその

菩提

心の

機 能

(除障効果 ・浄化作用、資格 ・証 明機 能)を

教の さ ま

ま なプ ラ クシス 適 用 し解 釈 して。 大 乗

薩 と異 なる真 言 門菩 薩 不 共の 菩 提 心 思想は、 この 菩 提心の 儀 軌

にある が、 こ れ につ い て は、 また稿 を改め て論じな け れ ば な ら ない 。 菩 提 心の 修行 方法は 『金 剛

頂経』

へ と っ て、 五相 成

身観

(通達 菩提 心→ 修 菩提 心→ 成 金剛心)と して 、 さ らに洗練 される こ とになる 77) 。 大乗 思 想の範疇 内におい て も

提 心につ い て語 り残 し た部 分は

い が (た とえ ば 世俗 ・勝 義の菩 提心説な ど78) 、 こ こ で は

真言

菩薩

がい

大乗菩薩

行体系

を踏

してい るかにつ い て 、

地か ら 仏地 にい たるまで の

修行

焦点

をしぼっ て

述した。   菩提心 に具わる資 格の 機 能 と して は、 阿闍梨や弟子の資格の 一 と し

心 が

げ られ た り79>、 造 土 地 浄化

行 う

に ま

ず菩

心 が

っ てい な け ればな らなかっ た り80)、 弟 子 がマ ンダラに入る際に菩提 心の修 習 が

前提

となっ た

81)、

成就法

本尊瑜伽

修行す

菩提

心の

習が

め られた り82) 、 タ ン トラを学 習 する とき 83) 、 また弟 子に印 ・真 言 を授 け る に も菩提 心の修 習が必 須 と さ れ84) 、 月輪 観 ・字輪 観 な 、 諸 儀礼の 実 施前 に

菩提

心 を修 習

ことが説か れ る85) 。 菩提 心の 修習 とは 、 地 ・波 羅 蜜

とい

十 地(一信解 行地)の 活動 領 域に おい て〈入 ・住 ・起の 三 心 〉を修 習 することで る。

 信解

菩提

心 と

姓とが密 接に 関連

る一つ の

例 と して

儀礼

をあ げ たが、

菩 提

心 が

要請

される

面におい て、

Buddhaguhya

はそ れ を 一

と し て

三心

に よっ て

解釈

し よ

る。 た とえば

灌頂儀礼

場面

で は、

子に

願の菩提心

を お こ させてマ ン ダラ に入れ、

入の菩 提 心

に よっ て弟 子を浄 化 し、

菩提

に よっ て

子 を空

と して加 持 し、

起の 菩 提心

によっ て阿 闍梨は大 日如 来 と して変 化 し、弟 子は金 剛 薩睡 と して

化 する。

入 ・ 住 ・起の三 心〉が適 用 さ れ る のは、 灌 頂儀 礼のみ な らず、 月 輪観、字 輪 観、 四

種法

などの

各種

修行法

に おい て も同

である。

菩提

心は

真 言密教

理 と

践の両

えてお

Buddhaguhya

はそれ を

言の総 相は菩

心で ある」とい う命題 に集 約 して い 86) ら ゆ る

の 諸

礼に おい て 、

62

(15)

『大 日経』所 説の菩提 心につ い て (山本 )

菩提

心の

活動

んで い の である。

 

に は、 釈 尊の 降魔 成 道の 際に大 地の

神 が証 人となっ て

釈尊

過去

の あらゆる

行 を証 明 する

面がある87) 。 その

提 行 とは地と波羅 蜜に ほかな らない 。 その仏 伝をモ チ ーフと して、

大 日経』 「具縁品

で は、 マ ン ダ ラ制

面で

発 地

の 偈 」88)を唱 える。 そこ で は修 行 者のプ ラ ク シス であ る 「地と波 羅

女神

が証 人と なっ て

め、

行者

が マ ン ダラ を制 作 する こ と を承 認 する。

々 説い た よ

に、

菩提

心の 基 盤とは、 大 乗

薩が踏み 行 う べ

き十

地 (

っ たこ とが

起 さ れ よ

。 『大 日経』 出 典 表 Tib .(D/P)

Chi

凡 (章 〉 文   脈   ・  意   味   内   容 1153a /117alc (1) 三句 (菩提心 ・悲 ・方 便)

2154a

116blc

1

) 菩 提 心 を清 浄に して心 を知るため に法を説 く 3154b /118b2a (1) 菩提 心 をい かに して生ずる か。 金 剛手の発 問 4158b /122b3b (1) 眼 耳 鼻 舌 身意を離れ た極 無 自性心 が最 初の菩 提心で あ る。 如 来 の答説

5160b

124b4a

2

) 阿闍梨の 資 格の 一つ と して の菩提 心 6162b /126b5b (2) 阿 閣 梨 は内 我 を清 浄に して菩 提 心 をおこす。 入 曼 荼 羅の場 面 7163a /127b5c (2) 大悲 を もっ て有 情 を救 う誓 願 を たて る→ 菩 提 心の因 と な る 8172b /136b11a   弟子 は発 菩 提心 し て仏家に生ずる。弟子 を曼荼 羅に引 入 し加 持 する場面 9174a /138a12b (2) 菩提心 を捨て ては な ら ない。 四 重 禁 戒の一 10176a /

140a13b

3

) 障碍 を除 くた めに菩 提 心 を憶 念 する 11179a /143a16a (4) 菩提 真言。発 心 ・修 行 ・成 仏 ・涅槃 12180b /

144b17b

5

) 字は菩 提 心であること。 真 言の字 ・声 ・旬 を説 く 13181b /146a18a (6) 阿闍梨の資格の一つ とし て の菩提 心 14183a /147a18c (

6

) 菩提 心 を修習すべ こと。 成 就 法の前 行 15185a /149b19c (6) 悉地 を成就して菩提心 を忘れ ない 三昧 を得る 16185b /150a20a (6) 無 上菩提 心 を 修 習 す る。 自心の 実相を観 ずる 17190a /154a44a (28) 宇は二種であ り声と菩 提心であ る

18191b

156a22b

8

) 菩 提 心に帰命 する

(16)

智 山学報 第六十輯

19192a

/156b22c (8) 菩 提 心 を求めんに は仏 心 (阿字 )に帰 命 すべ きである 20194a /158b23c (8) 自 身 を法界の 自性として加 持 して菩 提 心 を 発 す 21194b /159a23c (

8

) 阿 闍梨は法 界の 自性た る菩 提心に住 する。 灌 頂の説段 22194b /159a23c (

8

) 弟 子 に 三 帰 依 を さ せ菩 提心 を発させる。灌 頂の説段 23194b /159a24a (

8

) 菩 提 心 を もっ 投華 す。 灌頂の説 段 24203a /168a30a (

9

) 菩 提心 をもっ て如 来 地に住 し てマ ンダ ラを 描 くべ きである 25203b /168b30c 10 ) 諸 字 門を四転 (発心 ・修 行 ・菩 提 ・涅 槃 )する

26206b

171b32b

(11) 不 浄 なる心 地は菩提 心 を離れ ること に よ る 27207a /171b32b (11) 弟子 に対して菩提 心の 化 を行 う 28207a /172a32c (

11

) 四種 供 養して各 尊に対して菩 提 心 を修習 する 29208a /172b33a (11> 五種三昧 耶と菩提心の差別 (Ch虹 欠 )

30208b

/173a33b (II) 菩 提 心 を 得る悉 地 は 無 上である

31216a

180b37c

15

) 菩 提 心 ・法 ・学 処 ・業 果の和 合一相=戒 32217a /182a38b (16) 菩提 心に依 り声を知る者は一切 法に無 執 着と なり一切相を知る

33220b

/185b40a (18> 棄正法 ・捨 離 菩提 心 ・慳 吝 ・有 情 を害 する。 四種 根本 罪の一つ 34226a /191a42b (25) 菩 提 心 を生じて無相 菩提に衆 生 を導くこ とが 三 三 昧 耶であ る 35228b /193b44a (27> 菩 提 心 を もっ て内護 摩 をすべ きである 『大 日経広 釈 』 出典 表 劭 砿 (D/P) 文   脈   ・  意   味   内   容 酒井訳(血早,) 167a /79b 三句 (菩 提心 ・悲 ・方 便 )

7

1

276a

−b/

91a

菩 提心 は二種であ り菩 提を目的とする心と菩 提を自性とす る心である。菩 提を 目的とする心は、一般に は願と入の菩 提 心 と すべ き だ が、こ こで は 初 地の菩 提心 と さ れる。初地 の 菩提 心は現等 覚の 性と結 びつ く か らであ る。菩 提を 自 性と する心は、その初地の菩 提心 が一切 法 平 等 性 に入 し たとこ ろの 自性であ り、そ れ は現 等 覚と自性が 同一である か らで あ る。 その よ う な 菩 提 心 は一切 智 者の智の因の主 と 理 解 すべ きである 22(1) 376b /91a−b 悲の 門か ら誓願等の菩 提 心 を 生ずる。 その故に大悲 は菩 提 心の根と なるか ら、 因の ま た 因と見 るべ き で あ る 22(1) 476b /

91b

菩 提 心 は一切智 者の智の因である 22(

1

) 576b −77a/92a 他の経 論 中に 四智の ち 平等 性智を菩 提 心 として 説 く。 大 円鏡 智と妙 観 察 智と成 所 作 智は一切 智 者の智と し て説く と 知 るべ きであ る 23 (1)

64

(17)

日経』所 説の菩提心につ い て (山 本

678b

79a

94b

清 浄な菩 提 心とは、菩 薩の初 地に おい て 菩提 心に悟入する、 そ れ が所 取と能 取か ら離れてい るか ら清浄 なの である 26(1) 779a −b/95a 清 浄な菩 提 心= 「初 地の菩 提 心 ・現等 覚 ・一切智 」の 三種 の 因 27 (1)

88Qb

81a

97a

b

菩提自性初 地菩 提心≠ 願と 入の 菩 提 心 29

1

981a −b/97b 百六十心を越えて菩 提 心を生ずる 29(1) 1081b /97b−98a 菩提心 を 生ずる時につ い て 30 (1) 1181b /

98a

菩提 心 を生 ずる福 徳 と行につ い て

30

1

) 1281b /98a 心とは 主として菩 提 心の こと であ り、心の 差 異 が あるの は 利根 (大乗 )と鈍 根 (声 聞 )と を区 別した もの である 30(1) 1382a /98b 無上 菩 提 を 得るた めには 菩 提 心 か ら発 心 する 31 (1) 1482a /

99a

菩提 心の功 徳 は無量 ・無相なの で 虚 空 に等しい

31

1

1582a /99a 菩提 心は無 量の智から 生ずる

32

1

> 1682a −

b

99a

最初の菩 提 とは初地の菩提 心 で あ る

32

(1> 1785a /102b 百 六 十 心 を 越 えて菩提心 を 生ずる 37(1) 1894a −b/114b 歓 喜 (= 初 歓 喜 地 ) 菩提 心 を生ず次 第 を説 く

54

1

) 1995a /

115b

菩 提 心 は 智 慧 と方 便の捨 円 満によって摂取さ れる 55(1)

2095a

/115b 菩提心 は無色相でも その功 徳と神 変を示し諸 天が礼 拝 する 55(1)

2195b

/115b 菩 提 心 は 所 執 ・能 執 な く等 虚 空であるか ら 空の 自性である 55(1) 2295b /115b−116a 無相とは菩 提 心であり、青 ・黄 等のが ない こ と であ る 56(1) 2395b /116a 虚 空は無量 なの で菩 提心の功 徳も無量である 56(1) 2495b /116a 有 為 法 を 破せ ば空 性の 自性 とな り、菩提 心と一味 とな り、 一切 法住 処 な る 56(1> 2596a /116b 福 智の資 糧を集め る ことに よっ て、初地の功 徳を 円満し、 無上菩提のた めに発 心 する 56(1) 2699a /120b 諸真言の総 相は菩 提 心で ある 63(1) 2799b /120b−121a 菩 提 心句

63

1

) 2899b /121a 真 言の 自性は菩提心であ り、勝 義で は空である 64(1) 29100a /121b 真言の 自性は菩 提心であり空 性であ る が、修法 中 に 真 言の 悉地 を修して、果と して持 明 ・虚 空 遊歩 ・隠身 等の種々 を受 ける

64

1

30100b

122b

菩提心 を修して 心性 清 浄と なっ た者に真 言悉地 が 生ずる

65

(1) 31101a /123a 初 地の菩 提心が平 等性に入っ た後に讃 嘆を説 く 67(1)

(18)

智山学報 第六 十 32101a /123a−b 「大 乗句 」と は 菩 提 心 を如実に知るこ とであ り、大 乗 と は 果 を伴 う菩 薩 道である 67(1)

33101a

b

123b

「菩提 心句 」と は 世 間の八 心 か ら歓喜地の心に至 る まで の 諸 階 梯 を 知る こ とで ある

67

(1)

34101b

/123b 「正等 覚 句 」と は一切 法 平 等 性 に 入 る 初 地の菩 提 心は無 上 菩 提と異 な らない のである

67

1

35101b

/123b 「漸 次 大 乗生句」と は初地の菩 提心 を内に摂 する際、 初地 か ら普賢 地 まで の心 は 異 な ら ない 68(1)

36lOlb

/123b−124a 初 地の菩提 心は一切 智 者の智を 生ずる主である

68

(1) 37104b /127b 阿 閣 梨の資格の一つ と しての 菩提 心 79(2) 38104b /127b 菩 提 心を具え る=蘊 ・界 ・処等の 諸 法を空として破 す

79

(2)

39105b

/128b−129a 菩 提 心に住 する=空 性た る無分 別の 三昧に住する 81(2) 40107b /131a−b 甚 深 広大の 阿 闍梨冨 菩心 を修 し て内外 地を浄 化 有所 得の阿 闍 梨=菩 提心 を修 習せず外の地のみ を浄化 85(2) 41108b /132b 諸 真 言の 自性は勝義に お いて は菩 提心 で相を越 えてい る。 世 俗で はマ ンダ ラ と修 法と真 言 行の有 相の諸 支 分に よっ て 利益を行 う 87(2)

42109b

/134a 入マ ンダラ の場 面 で、行者はマ ン ダ ラの西 に横た わ り菩 提 心と悲を伴い を見る

88

2

) 43109b −110a/134a− b タン ト ラ等に巧み で菩 提心 を修習した者は阿闍 梨 ・成 就 者 と して灌 頂 する。タン トラ等に巧み で も菩 提心 を 修習して い ない者は菩 提 心 を学ばせ た後に灌頂 する。 タントラも菩 提 心 も修 習してい ないは菩 提の種 子と なるか らマ ンダラ に入れ る 89(2)

44110a

b

135a

菩提 心を生 じて、息 災 等の諸 事 業 をな し、最 後に成 仏せ し め る

90

(2)

45112a

137b

マ ンダラ に引 入 して菩 提 心 を 生 ず れ ば、菩 提の因 た る 種 子 と な り、無 量の 有情 を摂取する

93

2

46114a

140a

b

マ ンダラに 入 るとき、菩提へ と発 心 す れば大 乗に 生

97

2

47116a

143a

金剛 薩 捶 とは 誤 り な く完成さ れ た 相 た る 菩 提 道 場 心であっ て 、マ ンダラ に入る弟于は金剛 薩 堙と して 加 持され る

100

2

48131a

162a

加行 :マ ンダラ のた め に 罪障を 懺 悔 す ること 正行 :マ ン ダ ラの ときに菩提 心 を 発 し、仏 菩薩の 形 像 ・ 印 ・マ ン ダラ を見て浄 心を生起する 後 行 : マ ンダ ラ に入っ た後、 正 法と菩 提 心 を捨てない 等の 三昧耶 を 思い 出 すこと

132

2

66

(19)

『大日経』所 説の 菩提心につ い 山本) 49132b /164a 「住 心 品」の心の無 相 ・不可得につ い て の説 段=菩 提心 を 説 明した 箇 所 と する

138

2

) 50141b /175b 一切の真 言の 自性は菩提 心であ る

152

2

) 51144a −b/179a 入 ・住 ・起。 真言の自性は空 性の菩 提 心 を修習すること と 知 り(入 ・住)、真 言の 文 字 中で 本尊の色 身と瑜 伽し て 四支 念誦等の儀軌を知れば、悉地 を得る(起 )

158

(2) 52146b /182a 入マ ンダラの際、弟 子を覆 面 し香 華を与え、 菩 提心 を生 起 さ せ て、 法界印真 言に よっ て加 持 する 163(2) 53146b −147a/182a− b 入マ ン ダラ の際に持た せ る菩 提心 は、願の菩 提心 で あ る

163

2

) 54147a /182b 願 によっ て菩 提へ 発 心する こ と は、今か ら菩 提 道 場へ 至 る まで、蘊 ・界 ・処と所取 ・能 取 を捨て、 自心は本 不 生、 空 性の 自性として 、諸 仏菩 薩が菩 提へ 発心 し た よう、私 も菩提へ ます こ とである 163  55147a /182b 願によっ て菩 提心 を 生 じた者は、種 子を植え た 門 か ら勝者 の善 き族に生 まれ る であろう

164

2

56147a

/182b−183a 入の 菩 提 心 と住の菩 提 心を 生ずる こ と は、法 界を 空性の真 言と印で弟子 を空 性と して加 持 する こ とである 164(2) 57149a /185a 弟 子をマ ンダラ に入 れ る際、三宝 帰依 してマ ン ダ ラ に 入 り 菩 提へ 発 心 する。 入っ た後に真 言行の加 行と正行と後 行の 三つ を清め て罪か ら離れる の である

167

2

) 58154a /191b 四種 菩 提心の うち、願 と入の心 を 捨て ては な ら ない 。 そ れ は有 情利 益のた めに自 ら成 仏 し ますとい うこ と と、一切法 を空 性 として修習すること とである。 177(2) 59157a /196a 障 碍を滅 するため に、菩提心 を修 習 する際に道場の自性を 学び空性を学ぶ な ら ば、 障碍を不可得の 門か ら 滅 するで あ ろう 191(3) 60157a /196a 菩 提 心は妄 分 別を捨て滅 する自性である 191(3)

61157a

b

196b

行者は 菩 提心 を憶 念す る 際、 不動 尊の

halp

字によっ て、 一 切法の因と果 は 不 可得である と して菩提 心 を憶 念 する 191(3) 62159a −b/199b 阿 字 四転 198(6) 63159b −160a/199b 菩 提心の 自性は 虚 空の如く煩悩の障 碍 ・垢が な く、青 等の 自性 として捉 えられない 199(

6

64164b

206a

阿 字 四 転 208(6) 65165a /206b 成就の前に菩 提心 を発 すべ きで、林園、精舎な ど、心 に 適 う場所で修 法す る

209

6

) 66165a /

206b

菩提心 を修 習 すべ き方 法 と し て四 支 念 誦の 次 第 を あ げ る 209(

6

67

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