森林の土砂災害防止機能の維持により発生する受益者の分析
~保安林制度を対象として~
政策研究大学院大学 まちづくりプログラム MJU12603 長 毅
1.はじめに
森林は,生物多様性保全や地球環境保全,災害 防止など多面的な機能を持つとされている.
森林の持つ機能を適切に発揮するためには,過 度な伐採などを防ぎ,森林として保たれることが 必要である.森林法に基づく保安林制度は,森林の 所有者に伐採の制限や,植栽の義務を課し,森林 の機能を維持しようとするものである.保安林制度 は,森林の所有者の所有権に制限を与えるものな ので,正当な補償を行う必要がある.また,土砂災 害防止の目的で指定される保安林などは,受益者 がある程度特定されると考えられる.森林法にも補 償金の一部または全部を受益者に負担を求めるこ とができるという条文があるが,受益者の特定が 困難であるという理由から,受益者負担が行われ た事例はなく,政府や地方政府が補償を行ってい る.受益者負担の原則に基づくと,現状の保安林制 度の運用は社会的な効率を損ねていると考えるこ とができる.
社会資本投資や環境変化の影響は100%地価に 反映されるという資本化仮説 に基づくと,保安林 の効果も地価に反映されると考えられる.地価を 分析することにより,保安林の指定による受益者 についても明らかにすることができると考えられ る.
本稿では,土砂災害防止のための保安林に注目 し,土砂災害の危険性が高い地区で保安林の指定 が行われた際の地価への影響を分析し,保安林の 指定による受益の範囲を明らかにしようとしてい る.
本研究では,保安林の土砂災害防止効果による 地価への影響がどの程度の距離に及ぶかを見るた め,保安林と地価ポイントとの距離を考慮して研 究を行った.また,指定前と指定後の地価データを 用い,保安林の指定による効果に限定して研究を 行った.
2.保安林制度の概要と土砂災害防止効果 2.1 保安林制度
保安林制度は,森林法(昭和26年法律第249号)
により規定されており,水源の涵養,災害防止な どの公共目的を達成するため,特にこれらの機能 を発揮する必要がある森林を,保安林として指定 し,立木の伐採,土地の形質変更行為等の規制に より,その森林の適切な保全と森林施業を確保す る制度である.
2.1.1 保安林制度の歴史
日本では,古くから森林の伐採規制があり,明 治には保安林制度に類似したものができている.
戦後の昭和 26年には,現行の森林法が制定され,
それまでの保安林制度を踏襲しつつ,保安林の指 定目的などが追加された.昭和37年の改正により,
植栽の義務などが追加され現在に至っている.
2.1.2 保安林制度の概要
・保安林の指定
農林水産大臣又は都道府県知事は,公共の目的を 達成するために必要があるときは,森林を保安林 として指定することができる.保安林は目的により 17 種類ある.日本の森林面積は国土面積の約 66%
だが,平成22年度で指定されている保安林は森林
面積の約47%で,国土面積の約30%に達する.
1~3号の保安林が,全体の保安林の90%以上を占 めており,国土保全上重要な森林となっている.
2.1.3 保安林における制限
保安林に指定された森林の所有者には伐採の制 限などの行為の制限が課せられる.
また,都道府県知事は,許可を受けないで立木 の伐採や土地の形質変更等を行っている者に対し,
中止命令,造林命令,復旧命令を実施できる.
2.1.4 民有保安林にかかる助成措置等
保安林に指定された森林の所有者が国や自治体 でない場合に様々な助成が行われる.
(1)損失補償
保安林の指定により,森林所有者の所有権に制 限が行われるので,補償が行われる.(森林法第35 条)
指定施業要件における伐採の方法が禁伐(伐採 禁止)又は択伐(伐採に適した立木のみ伐採する)
とされている保安林を対象に,立木評価額の5%に 相当する額が補償金として支払われる.
そのほかにも,固定資産税の免除など優遇があ る.
2.1.5 受益者の負担
損失補償にかかる金額について,その保安林の 指定によって受益を受ける者に負担させることが できる.(森林法第36条)
ただ,現在まで受益者の負担が行われた事例はな い.
2.2 保安林の土砂災害防止効果 2.2.1 土砂災害
土砂災害は毎年1000件程度発生しており,自然 災害による死者・行方不明者の半数近くが土砂災 害によるものである .土砂災害は,急傾斜地の崩 壊・土石流・地すべりの三種類に区別できる.
これらの土砂災害に関して,土砂災害から国民 の生命を守るため,土砂災害のおそれのある区域 について危険を周知することなどが目的となって
いる土砂災害防止法において,土砂災害警戒区域 というものが定められている.また,土砂災害の可 能性がある地域として,都道府県が独自に設定し ているものが,土砂災害危険箇所である.両者の違 いは,警戒区域が土砂流出等の物理的な現象が起 こる可能性が高い場所を示し,危険箇所はそのよ うな地域で,人家などがあり被害が起きるおそれ がある場所を示していると考えることができる.
2.2.2 保安林と土砂災害防止
・森林の土砂災害防止機能
森林の土砂災害防止機能について,日本学術会 議は「地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林 の多面的な機能の評価について」(2001)の中で,
森林の土砂災害防止は表層崩壊について効果があ るとしている.
一般的に深層崩壊に伴って発生するのが地すべ りであり ,表層崩壊に効果があるとされる森林の 効果は,地すべりには及ばないと考えることがで きる.
保安林は,上記のような森林の機能を維持する ために指定されるもので,土砂災害防止を目的と した2・3号保安林の指定の際の留意点については,
林野庁から以下のような通知が出されている.
この中に記述のある崩壊土砂流出危険地区や山 腹崩壊危険地区は,林野庁の主導により調査が行 われている山地災害危険地区の種類である.崩壊 土砂流出危険地区,山腹崩壊危険地区はそれぞれ,
土石流,急斜面の崩壊に対応している.この危険 地区は,前述の土砂災害危険箇所と同じような検 討が行われ,さらに森林の状況を加味して決定さ れる.山地災害危険地区の種類として,地すべり危 険地区もあるが,2・3号の保安林の指定の際には 考慮されていない.
以上のことから,2・3号の保安林については,
土砂災害の中でも土石流や急斜面の崩壊に対して 効果を発揮し,これらの危険性が高い地域で,森
林整備の必要がある森林地域について指定される ものと考えることができる.
3. 理論分析
森林による土砂災害防止は,例えば個人が行っ たとしても,効果を及ぼす範囲に受益をもたらす ため,フリーライドが生じる.そのため,過少供給 に陥る可能性がある.森林による土砂災害防止効果 は地方公共財として考えることができ,政府の介 入が妥当だと考えられる.
ただ,現状では適正な水準で供給されていない 可能性がある.保安林の指定が行われると,森林 の所有者に対して伐採の制限がかかるなど,所有 権に制限が行われるので,憲法に基づき補償が行 われる.森林の所有者に補償金や税制優遇などの 措置が行われるが,この費用については受益者が 負担しているわけではなく,受益の及ばない範囲 の住民からも徴収されている税金で賄われている.
森林法にも受益者負担の記述があるが,受益者の 特定が困難という理由から受益者負担が行われた 事例はない.受益者負担が実現すれば,その負担を 受けても,その土地に対する価値が他の土地に転 出することよりも高い者はとどまり,低いものは 転出する.また,負担を求められるなら保安林指 定の解除を求める者などが表れると考えられる.
このような市場原理に基づき受益者負担を実施 すれば,適正な保安林の供給量になり,補償費用 などが削減され,効率が改善すると考えられる.
受益者負担を求めるためには,受益者を明らか にすることが必要である.「社会資本投資や環境変 化の影響は地価に反映される」という資本化仮説 に基づけば,保安林による土砂災害防止効果によ る受益者の分析も,地価を分析することにより可 能になると考えることができる.また,保安林から の距離を考慮して地価を分析すれば,保安林によ る災害防止効果が及ぼす受益の範囲が明らかにな ると考えられる.
4. 実証分析
理論分析に基づき,保安林の指定による土砂災 害 防 止 効 果 が 市 場 価 値 と し て 地 価 へ の 影 響 を Difference-in-difference(DID)分析する.
4.1 分析方法
国土交通省が公開している,全国の 18年度と 23 年度の保安林(1~3号のみ)の情報を含む森林地 域の地図情報 を比較し,5年間で新たに指定され たと考えられる保安林を抽出した.地図情報は,全 国のデータが公開されているが,保安林データが 18 年度と23年度で更新されている地域を分析対 象とした.この地図情報は,1/25000 の精度のデー タであり,基図に 1㎜の誤差が生じるとデータ上 25mの誤差が生じるという粗いデータではあるが,
全国的に保安林の位置情報を把握するために使用 した.対象になった都道府県は19県となった.
新たに指定されたと考えられる保安林と,地価 ポイントとの距離を測定し,50m 以内,100m 以
内,200m以内にある地価ポイントにダミーをつけ
た.距離は,地価ポイントから保安林までの最短の 水平距離をとっている.また,使用した保安林の地 図情報では,保安林の種類を区別することができ ないため,土砂災害危険箇所の地図情報を重ね,
その中にある地価ポイントを抽出し,新たに指定 された2・3号保安林からの距離と考えることにし た.この土砂災害危険箇所については,3 種類の土 砂災害危険箇所をまとめて使用している.
4.3 推定結果
基本統計量を表3,推計結果を表4に示す.
4.4 結果を踏まえた考察
分析結果から以下のことが示された.
・新たに指定された保安林から50m未満にある地
価ポイントは,指定前と指定後で有意に上昇して いる.
・新たに指定された保安林から50m以上離れてい る場合は,有意な結果が得られなかった.
第 2章で述べたように,土砂災害が起こるおそ れのある区域を示す土砂災害警戒区域は,急傾斜 地の崩壊の警戒区域の場合,急傾斜地の上端から
10m以内,下端から20m以内となっている.土石流
の場合は,扇頂部から勾配 2度となっている.土 石流は,崩壊箇所から川にそってふもとまで流れ るものなので,崩壊の危険性が高い箇所からの水 平距離については地理条件によって大きく差がで ると考えられる.
分析では,新たに指定された保安林として,2・
3号の保安林を区別できなかったため,両方の影響 を含んでいると考えられるが,保安林から50m以 内では受益者が発生していると考えられる.
第5章 まとめと今後の課題
森林の多面的機能を維持する保安林制度の中で,
土砂災害防止を目的とする保安林について,どの 程度の範囲で受益者が発生しているかを分析した.
その結果,保安林から50m以内で土砂災害の危険 性が高い場所について受益者が発生していること が示された.
ただ,本稿では,詳細ではない保安林の地図情 報を使用したことや,保安林の種類を区別できな かったこと,3種類の土砂災害の危険箇所について すべて同じものとして分析していることなどが問 題点としてあげられる.
また,本稿では一律に保安林からの水平距離で効 果を分析したが,保安林と保全対象の標高差や,
保全対象の規模や範囲などを考慮して分析を行え ばさらに明確な結果が得られると考えられる.
このような詳細な分析を行えば,受益者負担を求 める際の基準として考えることができるのではな いだろうか.
変数 単位 平均 標準誤差 最少 最大
ln都道府県
調査地価 (円/㎡) 10.81888 1.121099 7.326 15.306 年度ダミー
(平成24年度 を1とする)
①
ダミー 0.5 0.5 0 1
新たに指定さ れた保安林 から50m未 満ダミー ②
ダミー 0.0012062 0.0347105 0 1
①×②の交
差項 ダミー 0.0088656 0.0937417 0 1
新たに指定さ れた保安林 から50m以 上100m未満 ダミー③
ダミー 0.0029552 0.0542829 0 1
①×③の交
差項 ダミー 0.0008443 0.0290461 0 1
新たに指定さ れた保安林 から100m以 上200m未満 ダミー ④
ダミー 0.0026536 0.0514466 0 1
①×④の交
差項 ダミー 0.0021712 0.0465465 0 1
地積 ㎡ 1156.038 7921.015 42 417511
水道ダミー ダミー 0.9506061 0.2166955 0 1
ガスダミー ダミー 0.4103492 0.4919119 0 1
下水ダミー ダミー 0.7231771 0.4474417 0 1
最寄駅から
の距離 ㎞ 3.303424 5.41346 0 68
県庁所在地 主要駅から の距離
㎞ 43.05038 30.24433 0.146334 159.2096
建蔽率 % 51.47699 25.40947 0 80
容積率 % 172.6223 122.1634 0 1000
都道府県ダ
ミー ダミー
用途地域ダミー ダミー
表3 基本統計量
省略
標準誤差
Ⅹ1 年度ダミー(平成24年
度を1とする) *** 0.0094
Ⅹ2 新たに指定された保安
林から50m未満ダミー 0.4272
Ⅹ3 Ⅹ1×Ⅹ2の交差項 * 0.4681
Ⅹ4 新たに指定された保安 林から50m以上100m未満ダ ミー
0.2468
Ⅹ5 Ⅹ1×Ⅹ4の交差項 0.2949
Ⅹ6 新たに指定された保安 林から100m以上200m未満 ダミー
0.1679
Ⅹ7 Ⅹ1×Ⅹ6の交差項 0.1956
地積 * 0
水道ダミー *** 0.0245
ガスダミー *** 0.0128
下水ダミー *** 0.0128
県庁所在地主要駅からの距
離 *** 0.0002
最寄駅からの距離 *** 0.001
建蔽率 *** 0.0004
容積率 *** 0.0001
都道府県ダミー 用途地域ダミー
定数項 12.2246 0.031716
修正済R2値 F値 サンプル数
***
0.7103 0 16580 0.1387 -0.0061 -0.0218 -0.00357 0.002234 省略
0.2034 -0.152 -0.1206 0 -1.0839 0.4959 表4 推計結果
係数 -0.0711 -0.6317 0.7883 -0.1996