先回の“浄化のお遍路旅”は終わったのか?打って変わって、南国土佐の夏の日差し。少し曇ってもいいのに と思う罰当たりな私たちに、容赦なく海も山もキラキラと輝いていました。夏遍路がこわ~い!階段も…。 今回教えていただいた光明真言 「オンバサラ ボ キシャボク」「オンボッケン」『大日如来を勧請(かんじょう)する結界を作りました』と いう意味だそうで、山門を入る時に弾指(だんし)3 回と共に 3 回唱えることで身を守るそうです。 弾指:親指を外にこぶしを強く握り人差し指を一気に抜くと、親指が中指に当たって音を立てる。この音に は魔除けの効果があるそうです。許諾・警告・忌避や歓喜などの意を表す所作とあります。 虚空蔵菩薩の真言 「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか」覚えにく い真言を覚えようとすることが脳の活性化にいいそうです。早速同席の友人と…なんとか覚えられました? 早朝より渦潮に出迎えられ元気に四国を目指します。“かつおのぼり”?に出会った。真っ赤な夕陽に見送られ、 遍路だけではなく数々の出来事・人・美味しいものへの出会いに感謝しつつ強行軍にしては元気に帰ります。 第三回 13ケ寺 23 番 薬王寺 (やくおうじ) 24 番 最御崎寺 (ほつみさきじ) 25 番 津照寺 (しんしょうじ) 26 番 金剛頂寺 (こんごうちょうじ) 27 番 神峯寺 (こうのみねじ) 28 番 大日寺 (だいにちじ) 29 番 国分寺 (こくぶんじ) 31 番 竹林寺 (ちくりんじ) 32 番 禅師峰寺 (ぜんじぶじ) 33 番 雪蹊寺 (せっけいじ) 34 番 種間寺 (たねまじ) 35 番 清滝寺 (きよたきじ) 36 番 青龍寺 (しょうりゅうじ) (30 番 善楽寺は、 次回に行きます。) 30 番の“善楽寺”は次回に行きます。
【23 番 薬王寺 薬師如来】
「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場。厄除け寺院として 全国的に有名。「やくよけばし」を渡って本堂に向かう「女厄 坂」といわれる33 段、続く急勾配の石段「男厄坂」が 42 段 で、さらに本堂から「瑜祇塔」までは男女の「還暦厄坂」と呼 ばれる61 段からなっている。聖武天皇の勅願によって行基菩 薩が開創。弘法大師が42 歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願 して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄 除けの根本祈願寺とした。火災で諸堂を焼失したとき厄除け本 尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬 師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られ自ら厨子を閉じ たとされ「後向き薬師」と称される。元の本尊は以後秘仏となった。このため本尊が二体ある。 線香を年の数だけつくと厄が払われる臼。そんなにつく?7 回だけトントントン。大きな香炉を支えていたのは 誰?(中図)。右図は境内から見えた亀島。日和佐はウミガメの産卵地で有名、子供たちも世話をしている。【24 番 最御崎寺 虚空蔵菩薩】
「
修行の道場」とされる土佐最初の霊場。室戸岬の御厨人窟(下左図)の 樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む 19 歳の空海(下中図)。修行しているときに、 口に明星が飛び込んできたと記され、このとき空海は悟りを開いたといわれる。当時の御厨人窟は海岸線が今よ りも上にあり、洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗ったと伝わっている。 真言密教の道場とされ女人禁制の寺 で、女性の遍路 は 遙 か 室 戸 岬 の 先 端 か ら 拝 んでいたが、明 治 5 年に解禁 された。 多宝塔はピンクでした(左図)。 鐘石(上図):斑レイ岩の小石で大石を叩くと、金属音が響き、 その音は冥土のご先祖さんにまで届くと言われています。 一畑薬師(右上図):目のお薬師さん。出雲に総本山。 南国の日差しを楽しみながら歩きます(上中図)。【25 番 津照寺 楫取延命地蔵菩薩】
大同2 年(807 年)に空海がこの地を巡錫(じゅんしゃく)した際、 山の形が宝珠に似ておりこの地が霊地であると感得し、宝珠に合わせ、一刀三礼して延命地蔵菩薩を刻み堂宇を 建立し開創したという。慶長年間(1596 年 - 1615 年)に土佐藩主山内一豊が室戸沖で暴風雨に遭ったとき、ど こからともなく一人の僧が現れて船の楫をとり無事に室津の港に着けて立ち去った。衣から垂れた水跡を辿って いくと本寺の本堂の前で終わっていた。そこで本尊を拝観するとその姿が濡れており、本尊の地蔵菩薩が僧に姿 を変えて船を救ったことを悟った。このことから本尊を楫取地蔵と呼ぶようになったという。海の安全 大漁を 祈願して開基された寺は地元では津寺と呼ばれ、船人、漁師の信仰は厚い。※ 巡錫:錫杖(しゃくじょう)を持 って巡行する意味で、僧が各地をめぐり歩いて教えを広めること。【26 番 金剛頂寺 薬師如来】
嵯峨天皇の勅願により大同2 年(807 年)に空海(弘法大師)が薬師如来を刻んで創建したという。 階段にはお花の踏み石があり、一段ずつ踏みながら上がると厄除けをしてもらえる(下りはない)。“一粒満倍” の釜:弘法大師が3合3勺のお米を入れて炊いたところ、万倍にも増えたという伝説、今はそこが抜け、祈願す ると財布の底が抜けるらしい…。癌封じの椿の木:皆に触られ悪い気を吸い取ってくれたのか自らコブだらけに なってしまい、今は 2 代目の若い椿の成長中で触らないように。お大師さんのお姿付の磁石:“人生に迷わない ように”と。500 円で人生に迷わずに済んで、方向音痴にも良いとなれば買いだね。室戸岬がはっきりと見えた。【27 番 神峯寺 十一面観世音菩薩】
神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。行基菩薩が十一面観音の尊像 を自作され、聖武天皇の勅命により弘法大師が神仏合祀の上四国二十七番の札所と定められた。土佐の関所と言 われる霊山。「真っ縦」と呼ばれる急勾配の山道・階段で登る神峯山の山頂付近にあります。 124 段の急な“ありがた~い階段”(平川さ んのせりふをこのたびは何回聞いたことで しょう)を登ります。 室戸岬と太平洋が見えました。 降りるのも恐い。手すりがありがた~い。【28 番 大日寺 大日如来】
聖武天皇(724~749)の勅願を奉じて行基菩薩が大日如来を刻み開創しました。大日寺への参拝は間に合わない ので「明日にとします」との説明。でも神峯寺参拝に利用したタクシーの運転手さんのご好意で、大日寺近くに 住んでおられるお母様に先に判衣・納経帳を届けていただき5 時までにご朱印を済ませていただきました。お陰 で5時を過ぎていましたが、ろうそく線香を灯さないでのお参りをすることができました。感謝感謝です。 【お宿は“かとり”】
ピチピチのかつおはピ カピカで生臭さもなく 刺身でいただけた。生 ビール美味しかった~~。修学旅行のように7 人相部屋で寝るのも 最近では珍しい経験で楽しかったね。宿の朝採りキャベツ・玉ねぎ・ニンニクを買う。【29 番 国分寺 千手観音像】
天平11 年聖武天皇(在位 724~749)の勅願により諸国に国分寺が建立された折り、土佐の国分寺として行基菩 薩が開基されました。ひとこと地蔵:一つだけ願いを叶えてくれるというお地蔵さんです。 ある主婦が夫の禁酒を願かけしたところ叶えてくれたので最近では「酒断ち地蔵」と呼ばれています。 三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の母が息子の開運出世を祈って往復40km の道のりを21 日間日参した話は有名です(裸足でと書いてあるのもあり)。 “普賢象桜”が一輪残っていました。花は大輪、八重咲きで淡紅色。開花 期は4月下旬。室町時代からの古い品種で、葉化した雌しべが普賢菩薩の 乗る象の鼻に似ていることからこの名がつけられました。 神峯の水:霊験あらたかな名水。お参り後にいただく、おいし~い。 五色の紐は ご 本 尊 に 繋 がっている。 あら、 かわいい!【31 番 竹林寺 文殊菩薩】
約一千二百有余年の昔、聖武天皇の勅命により大唐(今の中国)の五台山を象徴して僧行基菩薩が草創された。 土佐藩主山内一豊公以来歴代藩主の尊祟篤く、山内家の祈願寺として荘厳を極め、伽藍は土佐屈指の名刹。高知 県の三大名園のひとつに数えられる素晴らしい庭園がある。お花が咲き若葉もきれいで京都の寺院みたいです。 2 日目は 6 時半に出発して竹林寺へ。古来、「日本三文殊随一」と称され広く篤い信仰をあつめている。50 年に 一度お会いできる「秘仏本尊大文殊菩薩 平成のご開帳」が行われていました。残念ながら9 時からの御開帳に は早すぎましたが、イケメン僧侶のご配慮で、私たちも獅子に乗られた文殊さまにお会いすることができました。 文殊菩薩の おしるし、『宝印加持』を頭につけていただき、 今回のみである≪文殊の利剣≫に触れることもで きたので しっかり握って功徳をいただいてきました。文殊の利剣はよこしまな考えを切って捨て、正しい知恵 を改めて授けてくださる文殊さまの功徳だそうです。無事におまいりもし、宝印加持のご祈祷もしていただき特 別なお守りもいただき、宝物館も見学させていただき、良かった良かったと言いながら五台山を後にしました。【33 番 雪蹊寺】
文殊さまの参詣前に内陣参拝待合所でお坊さまから文殊菩薩についての説明がありました。上の像は今回のご 開帳記念に作られたもので、文殊さまの従者の善財童子の像です。左上図は竹林寺のHP よりいただきました。 昨日のクシー運転手さんとい い、竹林寺のお坊さんといい “若き弘法大師”さんに出会え た気がしたものです。感謝。 文殊の利剣一言地蔵への願掛けのポイント
(
竹林寺のお坊さんから教えて頂きましたのをネットよりご紹介。) 1.願いごとは具体的に言う 2.欲のあるお願いはしない 3.願いごとが叶うように努力をする 4.願いが叶ったらお礼参りに来る 5.お礼参りをしたら、次のお願いができる【32 番 禅師峰寺 十一面観世音菩薩】
行基菩薩の開基です。大師御巡錫のおり、この土佐沖を航行する船舶の海上安全祈願のため、一刀三礼自作の十 一面観音菩薩を当寺の本尊として安置せられた。江戸時代の藩主山内一豊公が出帆の時は、本尊に航海安全の祈 願を欠かさず「船魂観音」と呼ばれ深く信仰されています。 海が隆起してできたゴツゴツ した地面は特徴的。干潮・満潮 でくぼみの水位が変わる岩が あった。 白衣を着たおりこうワンズは ポーズをとってステイできる。 天気の良い日は室戸岬、足摺 岬、桂浜等を展望することが 出来ます。この日は桂浜がきれいに見えました(右図)。【33 番 雪蹊寺 薬師如来】
弘法大師四国御巡錫のおり種崎に御留錫し、ここを開基せられたと伝えられている。 長宗我部信親(ちょうそかべのぶちか)公の墓がある。豊 後の国で薩摩の島津義久の大軍と対峙し奮戦したが22 歳の 若さで戦死しました。身長は「身の丈六尺一寸(約184cm)」、 容貌は「色白く柔和にして」と記され、長身の美形であっ たといわれる。幼少時より聡明で武勇に優れ、将来を嘱望 され、家臣の人望も厚かったといわれる。素敵な人だった。【34 番 種間寺 薬師如来】
人皇第三十代敏達天皇の六年(577)百済国の皇子が、仏工、寺匠を天皇に献上したが、其の後用明天皇の御代 に、大阪の四天王寺が落成したので、一同いとまを賜って、帰国の途中、暴風雨におそわれて、秋山の郷に寄港 した。そうして、海上の安全を祈って刻んだのが薬師如来で、本尾山の頂きに安置されました。其の後年を経て、 弘法大師がこの地へ巡錫され、薬師如来を本尊として寺を開創されました。その時、大師が中国から持ち帰られ た五穀の種をまかれた。種間寺の寺名は、それにちなんでつけられたといわれています 安産の薬師さんで赤ちゃんを抱いた子育観音がまつられている。 周りには底のぬけたひしゃく並んでいます(底 抜けひしゃく→水通りがいい→安産)。妊婦さんはお寺にひしゃくを持参、お寺で底をぬいて通りをよくしてく れ、3日間のご祈祷の後に妊婦さんはこれを持ち帰る。 無事出産を終えたらひしゃくを奉納する習わしがある。右図は高知名物アイスクリン アイスよりあっさり シャーベットよりモッチャリ