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高等学校教育を義務制に −「教育を受ける権利」

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

高等学校教育を義務制に −「教育を受ける権利」

(憲法第26条)の理念をとおして−

著者 上田 伝明

雑誌名 教育実践研究指導センター研究紀要

巻 4

ページ 45‑56

発行年 1995‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10105/4398

(2)

‑ 「教育を受ける権利」 (憲法第26条)の理念をとおして‑

上田伝明 (奈良教育大学)

本稿の要旨

わが国の義務教育は、教育基本法第4条に「国民は、その保護する子女に、 9年の普通教育を 受けさせる義務を負う」とされ、小学校および中学校までの9年間とされている。 他方、国の 最高法である日本国憲法では、その第26条に、 「すべての国民は、法律の定めるところにより、そ の能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とされ、義務教育の年数を提案していな

い。

日本国憲法にいう「教育を受ける権利」の意味は、 「すべての国民が、人間として、あるいは国 家および世界の担い手として、成長していく上で必要・適切な教育を受けることを国に要求する 権利」であり、それは、今日、わが国では高等学校までの教育を意味するものといえるのである。

本稿は、その論考への‑試論である。

キーワード

教育を受ける権利、義務教育 1 はじめに

今日、わが国の教育の世界では、いわゆる「いじめ」をはじめとして、 「『障害』児の進路保障」、

「高校中退」、 「不登校」、 「教育困難校」、 「新構想高校」、および「新しい学力観」等の困難な、そ して緊急な対策を要する問題が山積している。

このような状況の中で、私は、わが国の高等学校教育を義務教育としていくことが、現在、こ のような諸問題に対応する上において、一番に必要なことではないのかと考えるに至ったのであ る。

本稿は、そのためのささやかな‑試論である。そして、これから、これの憲法論、教育論、お よび学校制度論等の面からのいっそうの具体的な検討が求められる。

2 教育の基本的視点

教育基本法は「教育は、人格の完成をめざし」 (第1条)、 「教育の目的は、あらゆる機会に、あ らゆる場所において実現されなければならない」 (第2条)として、 「すべて国民は、ひとしく、

その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」 (第3条)と教育の基本的視点 を明快に述べている(教育基本法に関しては後述)。

教育は、人格の完成をめざし、あらゆる機会において、ひとしくあたえられるべきものである

ことを如実に示すものが、いわゆる「ブラウン対トビカ教育委員会事件合衆国最高裁判決」

(3)

上rH 」明

(Brown v. Board of Education of Topeka, 347 U.S. 483, 1954)であろうo本判決は黒人の解 放および教育の平等をめぐる問題において輝かしい金字塔を確立したものと考えられている。

第2次世界大戦、および朝鮮戦争において、アメリカ黒人は戦場における平等と同じく、アメ リカ社会での生活における平等を強く要求していった。かかる解放運動の中で本判決が生まれた のである。

上告人リンダ・ブラウンは、カンザス州トビカに住む黒人小学生であって、人口1万5千人以 上の都市に、黒人と白人のための分離した学校施設を設立することを認めているが、要求はして いないカンザス州法の施行を禁止することを求めて本訴訟を連邦地区裁判所に提起した。当局に よると、トビカ教育委員会は分離された小学校を設立することを選定した。 3人の裁判官からな る同裁判所は、公教育における隔離(segregation)は、黒人児童に有害な効果をもたらすとした が、しかし、黒人と白人の学校は、建物、運送、履修科目、および教師の教育上の資格の面で、

実質的に平等であるという理由で救済を拒否した。かくて、本件は、直接上告(direct appeal) により、連邦最高裁判所へ係属することとなったのである。

かくて連邦最高裁は、 1954年5月17日、 「この問題に接近するに際し、われわれは連邦憲法(第 14)修正箇条が採決された1868年に、あるいは『プレッシー対ファーガスン事件連邦最高裁判決』

(Plessy v. Ferguson, 163 U.S. 537, 1896) (本判決において、いわゆる「『分離はしても平等』

( "separate but equal" )の法理」が宣言された‑上田)が書かれた1896年にさえ、時計の針 を戻すことができない」と述べる。そして「たとえ物理的な設備や他の有形な(tangible)諸要 素が平等であるにしても、もっぱら人種の基礎に基づく、公立学校における児童の隔離は、少数 グループ(the minority group)の児童から、平等な教育上の機会を剥奪するものであるか。わ れわれは、それは剥奪するものと信ずる」とし、 「それらの児童を、もっぱら、かれらの人種を理 由に、同じ年齢と資格の他の児童から分離することは、おそらくは決して取り消すことのできな い方法で、かれらの心情と精神(hearts and minds)に影響を与えるであろうところの、共同社 会におけるかれらの地位についての、一つの劣等感(a feeling of inferiority)を生ぜしめるの

である」と断じたのである。

そして、 「われわれは、公教育の分野においては、 『分離はしても平等』の法理は、何らの占め るべき位置をもっものではないと結論する。分離された教育上の設備は、本来的に不平等なので ある」と述べ、かかる隔離は、合衆国憲法第14修正によって保障された法律の平等な保護を剥奪 するものであると判示したのである。1)

このような、黒人および白人の児童を隔離すること自体が差別であり、許されないとする論理 は、当然のことであり高く評価されなければならない(事実、これからアメリカ合衆国において は、黒人解放の動きが、交通機関、食堂をはじめ一気に推進されることとなった。)

わが国における、いわゆる「習熟度別学級」や「能力別学級」の試みも、教育上の「メリット」

とされるもの以上に、失うことの多い「デメリット」に満ちたものと考えられ、許されないと考 える。先にみた米最高裁のいう「劣等感」についての配慮に欠けるものとしか考えられないので ある。

° ° ° ° ° °

教育の世界において、子どもたちを、合理的な理由もなく、 「分けること」、そのことが差別

そのものであることを理解しなくてはならないのではないか。 「分けてはならない」 ‑教育にお

いては、基本的視点は、ここから出発しなければならないのである。

(4)

3 教育研究活動の中から

教育における真の平等という教育的視点の下に、これまで、私は微力ながらも教育研究活動を 進めてきた。

1978年(昭53)より今Hまでの17年間、静岡県教職員組合立教育研究所および同組合教育研究 静岡県集会の共同研究者として、主として、 「高校入試制度」をめぐる諸問題の研究に携わってき た。とりわけ現場の中学校の教師の方々との交流は、研究室における研究に文字通り地と肉を加 える実に有益なものとなった。

同教育研究所の高校入試制度研究委員会の活動の成果として、 『総合選抜制度の実現をめざして』

(1981年)、 『新しい高校をめざして‑総合選抜制の実現を‑』 (1982年)、 『静岡県の高校入試 の明日を考える‑中学生・保護者・高校生の意識調査‑』 (1990年)、 『静岡県の高校入試の明 日を考える』 (1991年)、および『静岡県の高校入試制度の課題と問題点一一中途退学者に聞く一 一』 (1993年)等がある。また、父母、県民向け啓蒙誌として、 『子どもに明るい未来を‑‑静岡 県の高校入試制度改革案‑』 (1984年)、 『同改訂版』 (1985年)、および、 『同贈訂版』 (1988年)

が刊行されている。

以上の研究および刊行の諸活動は、日本国憲法の規定する『教育を受ける権利』 (第26条)をす べての子どもに保障するという視点に立ち、いわゆる中等教育(前期の中学校教育と後期の高等 学校教育)を望ましいものに実現していくためにはどのようにすべきかという観点に立って行わ れてきたのである。それは、長期的には高校の義務教育制度を視野に入れながら、さしあたって 今できること、中期的展望に立ってやらなければならないことを考え検討し、訴えてきた。いわ ゆる「高校3原則」 (小学区制、男女共学制、総合制)の理念をふまえ、とりわけ「総合選抜制」、

学区の縮小、男女共学、職業高校、および中途退学の問題等を検討してきたのであるが、その中 でも、とにかく、 「高校間格差」の是正を今Hの第一義的目標として取組んできたのである。

1991、 1992、および1993年各1月の3回、 E]本教職員組合教育研究全国集会(千葉、秋田、神 戸)に同じく共同研究者として私は参加することとなった。その「評価・選抜制度と進路保障」

を検討する第20分科会では、北海道から沖縄まで、全国の都道府県の教師による真筆な教育への 取組みの報告がなされた(本分科会は、いずれの年も、全体会と、 「評価」と「選抜制度と進路保 障」との2つの小分科会とから成っていた。小分科会では、私は「選抜制度と進路保障」分科会 に所属した。)

本分科会で検討された内容2)を詳論する余裕はないが、 1993年の第42集会でのそれを、検討事 項のみ列挙してみると、 「新しい学力観」、 「『障害』児の進路保障」、 「不登校問題」、 「業者テスト」、

「推薦制度」、 「単位制高校」、 「教育困難校」、 「総合選抜制度」、 「近代的で合理的な入試制度」、 「学 力向上推進事業」、 「地元の子を地元へ」、 「地元集中受験運動」、 「定通制教育」、 「新構想高校」、

「専修学校」、 「(差別等をなくすための) 『言わない・書かない』の取り組み」、 「小学区制復活への 運動」、 「職場体験学習」、 「学級づくり」、 「高校中退」、 「高校3原則」、 「いま何ができるか」、およ び「6年制公立中等学校」等があげられる。これらは、今日の教育界における重要な問題を網羅

していると言っても過言ではあるまい。

ところで、同じく本分科会の共同争研究者として参加された小川利夫氏と共に、 「このレポート

に学ぶ」の一編として、 『近代的で合理的な入試制度に』3)(和歌山・中)をあげたのであるが、そ

れは別冊資料『和歌山県における高校入試制度及び入試業務改善のための提言』と併せて、 「入試

(5)

上田 伝明

を公正で合理的なものとするために」および「中学校の入試業務の過剰を解消するために」、 「入

° ° ° ° ° °

試制度の改革」という根本的な問題はあえてわきに置き、 「現行制度下において部分的改善、不合 理是正に限定」した、すぐに実行できるとするものを報告する貴重な報告であった。ちなみに、

同報告の中の「推薦制の矛盾とその改善」の項目を見てみると、 「(1)推薦基準を明確に」、 「(2) 合否判定基準・方法を明確に」、 「(3)内申点を完全相対評価に」、 「(4)内申点は3年生の成績 に限定を」、および「(5)推薦制実施範囲を最小限に」となっている。

このような、すぐに実行できると考えられるもの、あるいは少し時間をかけながら改善される べきと考えられるものを、よりよいものに実現していくことは大切である。しかし、それらも、

基本理念をふまえて取り組んでいかなければ単なる技術論に陥ることにもなる。つまり、 「根本的 な問題」こそ、同時に検討されなければならないことなのである。

私は、教育研究全国集会に参加した者として、かかる根本的な問題を検討すべき責務があると も考えるようになった。そして、このたび、奈良教育大学に着任したこの機会に、わが国の高校 教育の義務制度化を改めて提唱したいと考えたのである。

4 「教育を受ける権利」 (憲法第26条)の意疎 日本国憲法第26条は次のように規定されている。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利 を有する。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務 を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

本条は次のことを定めている。 ①すべての国民は「教育を受ける権利」を有すること、 ②かか る権利保障は国会で制定される「法律」によってなされなければならず(法律主義)、また、 ③そ れは、 「機会均等」に行われなければならないこと、 ④親たる国民は、その子どもに「普通教育」

を受けさせる義務を負うこと、および、 ⑤義務教育は「無償」で行われなければならないこと。

「教育を受ける権利」とは、 「いわゆる国家教育権に対する概念として(の)国民の教育の自由」

(東地判・昭45・7・17、いわゆる「家永教科書訴訟(第2次)」、杉本判決)を前提として、すべ ての国民が、人間として、あるいは国家および世界の担い手として、成長していく上で必要・適 切な教育を受けることを国に要求する権利であるということができる。したがって、たとえば、

心身に「障害」がある人々を初め、すべての社会的弱者といえる人々が、生存の喜び、労働の喜 びを十分に持ち抱くことができるような内容の教育を受ける権利が当然に含まれなければならな い筈である。4)それは、今日、わが国の高度に文明化した段階においては、高等学校までの教育が 当然に必要とされるのではあるまいか。

「普通教育」とは、 「すべての国民にとって必要とされる一般的・基礎的教育を意味する」5)の

であり、 「一般に専門教育、職業教育に対応する概念」であり、 「共通教育と祢してもよい」ので

あり、 「人たるものすべてに共通に必要な教育であり、人たるものだれもが一様に享受しうるはず

の教育」6)なのである。それは、今日、高等学校において専門教育と共に展開されなければならな

いとされている「高等普通教育」 (学校教育法第41条)を当然に含むものではないだろうか。

(6)

義務教育が「無償」で行われなければならないというのは、文字通り、義務教育に要する経費 のすべて、つまり授業料はもとより、教科書代、教材費、学用品費、諸納入金等を含むものと理 解すべきである。教育基本法にいう「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育につ いては、授業料は、これを徴収しない」 (第4条2項)との規定を限定的に解釈して、無償の範囲 を授業料に限るとすべきではない。それは、憲法にいう、すべての国民の「教育を受ける権利」

を、公教育でもって保障しようとする理念にも惇るのと考えられるからである。7)それは、 「必ず しも授業料不徴収のみをもって、義務教育の無償制が実現されていると解することはできない。

むしろ本条第2項は義務教育の無償制にとって必要最小限の要件を示したものと理解さるべきで あろう」8)ということになる。

高校教育を義務教育とすれば、当然にそれの無償制が実現されなければならないのである。い みじくも、世界で158番目に批准し1994年5月22日に発効した「子どもの権利に関する条約」

(Convention on the Rights of the Child)は、その第28条「教育への権利」第1項(b)にお いて次のように規定されているのである。

° ° ° ° ° ° ° ° ° °

一般教育および職業教育を含む種々の形態の中等教育の発展を奨励し、すべての子どもが利用

・ ・      ・ ・ ・ ・       ・ 蝣 蝣 蝣 ・ ・ ・

可能であり、かつアクセスできるようにし、ならびに、無償教育の導入および必要な場合には 財政的援助の提供などの適当な措置をとること。 (傍点、上田)

高校教育を義務制にすることは、まさに、日本国憲法および子どもの権利に関する条約の理念 を実現することといえるのである。

5 高校入書式制度

教育基本法と同時に公布され、憲法(とくに第26条)および教育基本法の精神にもとづき、そ の民主主義教育の原則を学校教育の制度と内容において具体化したものといわれる9)学校教育法 は、第41条において、次のように高等学校の目的を規定している。

高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専 門教育を施すことを目的とする。

これは、高等学校は、中学校における中等普通教育(同第35条)の基礎の上に、高等普通教育 と専門教育の両者を施すことを目的とするというものである。しかし、現実には、普通高校にお いては、とりわけ、いわゆる受験校といわれるものの中では、高等普通教育のみが偏重して行わ れ、職業高校においては高等普通教育が軽視され、専門教育は技能教育と化してしまっているも のもあるのではあるまいか。高等普通教育と専門教育の統一的な実践が望まれるのである。

他方、高等学校は、 「中学校の基礎の上に立って、制度上大学へつながる学校である(第56条) ことは否定できないが、なによりも高等普通教育と専門的な知識や技術を習得させる専門教育の 完成を目ざす学校であって、中等教育の完了期を担当する国民教育機関であるという基本的性格

」10)をもっものであるということが理解されなくてはならない。つまり、高等学校は、高等普通

教育と専門教育を学び、社会に出て、一人の人間として自分の力で生きてゆくことができる‑I

(7)

上田 伝明

そういう子どもを教育する機関であるということになる。そうであれば、このような視点からも、

高等学校は、当然に、義務教育とすべきものと考えられるのである。

ところで、わが国では、現在、中学校から高等学校へ進学するのには、選抜試験に基づいて入 学を許可されなければならないことになっている。しかし、終戦直後においては、入学試験は、

志原者が「入学定員を超過」した場合にのみ行われるとされていたのである。 1947年(昭22)、学 校教育法施行規則(文部省令)第59条は次のように規定されていた。

(彰高等学校の入学は、校長が、これを許可する。

②入学志願者数が、入学定員を超過した場合には、入学試験(翌年、 「入学者の選抜」となる) を行うことができる。

ところが、つぎに、 1956年(昭31)、 「選抜のための学力検査」が明記される改正がおこなわれ る。つまり、先の第59条に、次の3項が追加されたのである。

③前項の選抜を行うにあたっては、第54条の3の規定により送付された調査書その他必要な書 類及び選抜のための学力検査の成績を資料としなければならない。

④学力検査は、公立の高等学校にあっては、当該高等学校を設置する都道府県又は市町村の教 育委員会が、これを行う。

⑤都道府県及び市町村の教育委員会は、相互に協力して、同一の時期及び問題により、学力検 査を行うように努めなければならない。

そして1963年、この第59条の改正が再び行われる。第4、第5項は第4項のわずかな修正の下 に、それぞれ第3、第4項と練り上げられ、それまでの第1項から第3項を、とりわけ第2項に 重大な変更を行い、 2項に圧縮する。つまり、 「選抜試験を必ず実施する」としたものであり、同 時に主張された「適格者主義」に呼応するものといえる11)その第1、第2項は次の通りである。

①高等学校の入学は、第54条の3の規定により送付された調査書その他必要な書類、選抜のた めの学力検査の成績等を資料として行う入学者の選抜に基づいて、校長が、これを許可する。

②学力検査は、特別の事情のあるときは、これを行わないことができる。

ちなみに、 1963年(昭38)の『文部省第91年報』では、 「つまり高等学校の目的に照らして、

心身に異常があり修学に堪えないと認められる者、その他高等学校の教育課程を履修できる見込 みのない者を判定して不適格とし、適格者に入学を許可する趣旨を明らかにしたものである」12)と されているのであり、文部省は、先にみた「適格者主義」の考え方を明確に打出しているのであ る。

そして、 1984年(昭59)には、 1963年に繰り上げられて第4項とされていた、いわゆる学力検 査の「同一時期・問題での一斉実施」の規定が削除され、以後、 「選抜方法多様化」への道が開か れていくこととなったのである。

このような現在の入試制度は、これまでに存在した高校間の格差をいっそう助長し、現在、様々

な問題を生じている状況をさらに悪化せしめるものといって差支えあるまい。高校間の格差をな

(8)

くしていくためにも、高校入試の廃絶につながる高等学校の義務教育化が必要とされるのである。

6 アメリカ合衆国における義務教育制度

「すべての若者に中等教育を」という言葉は、アメリカ合衆国でよく使われる言葉である。ア ルビン・ C ・ユーリッチは、 「高校(high school)はわれわれの公教育システムのかなめ(pivot) である.ある若者にとっては、それは大学に行くために必要な学問的背景(the academic back‑

ground)を提供するに違いない。他の者にとっては、職業界(the job market)において成功す るために必要な健全な職業訓練(the sound vocational training)を用意するに違いない。すべ ての若者にとって、それは成人期のための訓練場(the training ground for adult food)なので あり、高校の成功もしくは失敗は、社会の運命の中に自らを投影するであろう」135 (傍点、上田) と述べている。高校こそ、社会の発展のための公教育システムの中のかなめというのである。

ところで、かかるアメリカ合衆国においては、いわゆる義務教育についてはどのようになって いるであろうかo 『州法の全国調査』 (1993年)の資料14)を基本にして作成したものは次のとおり である。

資料:アメリカ合衆国の義務教育

州 名 義 務 教 育 年 齢 そ の 他 義 務 教 育 年 限

‑ア ラ バ マ 7 ‑ 16 9 [

ア ラ ス カ 7 ‑ 16 9

F ア リ ゾ ナ

6 ‑ 16 1 0

ア ー カ ン ソ I 5 一 17 1 2

カ リ フ ォ ル ニ ア 6 ‑ 18 他 の 特 別 継 続 教 育 ク ラ ス に 出 席 す る 場 合

を 除 く 12

コ ロ ラ ド 7 ‑ 16 9

コ ネ テ ィ カ ッ ト 7 ‑ 16 9

デ ラ ウ エ ア 5 ‑ 16 ll

コ ロ ン ビ ア 特 別 地 区 5 ‑ 18 13

フ ロ リ ダ 6 ‑ 16 10

ジ ョ ー ジ ア 7 ー 16 9

ハ ワ イ ii ‑ 18 12

ア イ ダ ホ 7 】 16 9

1 イ リ ノ イ 7 ‑ 16 9

イ ン デ ィ ア ナ 7 ー 16 退 出 面 接 要 件 に 合 え ば 0 他 は 18 。 9

ア イ オ ワ 6 ‑ 16 10

(9)

I.LIJ Lj̲こ明

州 名 義 務 教 育 年 齢 そ の 他 義 務 教 育 年 限

カ ン ザ ス 7 ‑ 1 6 9

ケ ン タ ッ キ ー 6 ‑ 1 6 1 0

ル イ ジ ア ナ 7 ‑ 1 7 川

・< 蝣 i 7 ‑ 1 7 1 0

メ リ ー ラ ン ド 5 ‑ 1 6 l l

マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 6 ‑ 1 6 1 0

ミ シ ガ ン 6 ‑ 1 6 1 0

ミ ネ ソ タ 7 ‑ 1 6 9

ミ シ シ ッ ピ 6 ‑ 1 7 9

ミ ズ ー リ 7 ‑ 1 6 9

モ ン タ ナ 7 ‑ 1 6 第 8 学 年 終 了 後 は 退 出 可 9

ネ ブ ラ ス カ 7 ‑ 1 6 9

ネ バ デ 7 ‑ 1 7 1 0

ニ ユ I バ ン プ シ ャ I 6 ‑ 1 6 1 0

ニ ュ ー ジ ャ ー ジ I 6 ‑ 1 6 1 0

ニ ュ ー メ キ シ コ 6 ‑ 1 8 1 2

ニ ユ I ヨ I ク 6 ‑ 1 6 1 0

ノ ー ス カ ロ ラ イ ナ 7 ‑ 1 6 9

ノ ー ス ダ コ タ 7 ‑ 1 6 9

オ ハ イ オ 6 ‑ 1 8 1 2

オ ク ラ ホ マ 5 ‑ 1 8 耳 の 不 自 由 な 子 は 7 ー 2 1 1 3

オ レ ゴ ン 7 ー 1 8 n

ペ ン シ ル ノヾ ニ ヤ ‑ 1 7 9

ロ ー ド ア イ ラ ン ド 6 ‑ 1 6 1 0

サ ウ ス カ ロ ラ イ ナ 5 ー 1 7 1 2

サ ウ ス ダ コ タ 6 ‑ 1 6 1 0

テ ネ シ ー 7 ‑ 1 7 1 0

テ キ サ ス 6 ‑ 1 7 l l

(10)

州 名 義 務 教 育 年 齢 そ の 他 義 務 教 育 年 限

ユ タ 6 ‑ 1 7 l l

ノヾ ー モ ン 卜 7 ‑ 1 6 9

蝣< ‑ 蝣;" ニ T , 5 ‑ 1 8 1 3

ワ シ ン ト ン ‑ 1 8 1 0

ウ ェ ス トバ ー ジ ニ ア 6 ‑ 1 6 1 0

ウ ィ ス コ ン シ ン 6 ‑ 1 8 1 2

ワ イ オ ミ ン グ 7 ‑ 1 6 も し く は 第 8 学 年 終 了 ま で 9

出所: R. A. Leiter, ed., National Survey of State Laws (1993), PP.138‑151を基本にして作成。

この資料から、次の4点を指摘しておきたい。第1点は、アメリカ合衆国においては、高校に おける義務教育(compulsory education)が、 16歳(日本の高校1年生)までが31州、 17歳(日 本の高校2年生)までが10州、 18歳(日本の高校3年生)までが10州となっていることである。

(この場合、ワシントンDCも1州としてカウントする)。わが国の中学校までの15歳までを義務 教育とする制度と比較すれば、いかに高校教育を重視しているのかが伺えるのである。

第2点は義務教育年限である。日本と同じ9年間というのが19州、 10年というのが17州、 11年 が5州、 12年が7州、そして13年が3州もある。つまり10年以上が32州の多くを数えるのである。

これは、わが国も真筆に考えなくてはならないのではあるまいか。

第3点は、アメリカ合衆国においては、高校が義務教育である以上、いわゆる「入学試験」が、

原則的には存在しないということである。わが国における、 「15の春を泣かすな」という言葉で象 徴される弊害を生ぜしめる1番の要因である、いわゆる「学校間格差」を生ぜしめる余地はない のである。わが国で論じらる高校教育をめぐる様々な問題も、このような入学試験の廃止で、そ の殆どが解決されることとなるのではあるまいか。

第4点は、アメリカ合衆国の高校教育の内容である。ジェイムズ・B・コナントは、 「総合高等 学校(the comprehensive high school)は、およそ50年も前のアメリカの発明品(an American invention)である。地域社会のすべての若者は、公立の高校によって、平等に十分に奉仕される ことになっていた。その目的のために、高校は幅広い多様な選択コース(a wide variety of elec‑

tive courses)を提供したのであった」15)と述べる。そして、この総合高等学校の定義を、簡潔に、

「総合高校は、特別にアメリカ的な現象である(a peculiarly American phenomenon)。それは、

一つの行政の下に、そして一つの屋根(あるいは一連の屋根)の下に(under one administra‑

tion and under one roof or series of roofs)、一つの町、もしくはその近辺の殆どすべての高 等学校年齢の子ども(almost all the high school age children of one town or neighborhood) に中等教育(secondary education)を提供するので総合(comprehernsive)と呼ばれるのであ る」16)と述べている。

かかる総合高校のカリキュラムについては、たとえば、 『アメリカの教育』では、 「総合高校は、

断然、アメリカの中等教育の最も普通のモデル(the most common model of American secon‑

dary education)である。それは、平行して行われるカリキュラム‑大学予備(college prepa

(11)

上田 伝明

ratory)、一般(general)、職業(vocational)、および商業(commercial)一‑をとおして、事 実上、中等教育年齢のすべての若者の要求に応じるべく努力するものなのである。そのカリキュ

ラムのすべては、一般教育(general education)において、いくっかの共通のコースを含んでい るのである」17)と述べている。

私は1983年、アメリカ合衆国において数校の高等学校を訪ねたが、その中の一つ、アリゾナ州 テンピー(アリゾナ州立大学がある)の「マルコス・デ・ニーザ高校」 (Marcos de Niza High School)について簡単に記しておきたい(1983年10月6日訪問)校長のビル・フイツツジェラル

ド博士(Dr. Bill Fitzgerald)によれば、テンピーには4つの公立高校があり(私立高校はない とのこと)、第9学年から第12学年までの生徒を受け入れる、いわゆる8‑4制の4年間を担当す るものであること、完全な小学区制であり、男女共学、入学試験なしということであった。同高 校は、総合高校として、 「遅進児」 (slow students)コース、 「大学」 (academic)コース、 「職業」

(vacational)コース、および「商業」 (business)コースに分けられており、 「英語」、 「理科」、

「数学」においてのみ能力別(basic, average, high)に分けられていること、そして、これらの コースおよび能力別学級における移動は、カウンセラー等との相談をとおして、比較的容易に行 われるものであることなどを話されたのである。わが国の高校教育についても参考にすべき点が 多々あり、これについては、又、別の機会に考察していきたいと思っている。

なお、最近、ジョージア州において、義務教育期間を延長するという試みがあった.それは、

同州のミラー知事が、教育改革の一括提案の一部分として、同州の義務教育学校出席年齢 (compulsory‑schooLattendance age)を、 16歳から18歳へ引き上げることを提案したことである。

つまり、 「他の6つの南部の州」は、すでに、それらの義務年齢を17歳もしくは18歳に引き上げて いるのであり、われわれはジョージア州をテール・エンドに引きずらせるのを許すわけにはいか ない」18)からというのであった。しかし.、 1994年12月30日付のジョージア州教育局のスキップ・

ヨウ(Skip Yow)氏から私‑の手紙によれば、その試みは失敗し、依然としてその年齢は16歳 であること、そして、この1995年のジョージア州議会の会期において、再び提案されるという試 みは聞いていないということである。

いずれにせよ、アメリカ合衆国において、これから、義務教育の年限は、長くなりこそすれ、

短くなることはないように思われるo そして、アメリカ合衆国の義務教育年齢の現状は、わが国 の中学校、および高等学校のそれぞれが抱えている今日の問題に対し、十分に示唆を与えるもの と考えられるのである。

7 むすぴに代えて

1994年(平6) 3月のわが国の中学校卒業者の高校通信制過程を除いた高校進学率は95. 7%m (ちなみに1993年3月は95.3%、 1980年は94.2%)という非常に高いものであった。高校教育への 国民の要求はそれだけ強いものということができる。残り数パーセントの子どもを振り落とすた めだけに、入学試験を実施して、財政的にも労力的にも大きな犠牲をなぜ払わなければならない のであろうか。そこで、私は、先に見た日本国憲法で規定された「教育を受ける権利」 (第26条)、

および「子どもの権利に関する条約」で規定された「教育への権利」 (第28条)の理念に基づき、

わが国の高校教育について、次の3点を提唱したいのである。

第1は、高校教育の義務教育化である。具体的には、教育基本法第4条第1項にいう「9年の

(12)

普通教育を受けさせる義務」に変更を加えることから始まる。この場合、高校3年までを義務教 育とすることが望ましいが、合意を得ることが困難であれば、さしあたって16歳(第1学年)、あ るいは17歳(第2学年)までを義務教育とすることでもよい。ともかく、高校入試をなくし、す べての子どもが、地域の唯一の高校へ通学するのである。そこでは高校間格差の問題は一切起こ

・蝣>'iい。

第2は、高校教育の内容についてである。これも、すでに述べたように、すべての人々が、生 存・労働の喜びを持ちうる内容の教育を受ける権利に応えるものでなければならない。学校教育 法第41条にいう「高等普通教育と専門教育」をバランスよく提供するものでなくてはならない。

かかる視点の下に、固定されたものではない種々のコースを用意することが必要であろう。

第3は、このような高校義務教育の確立までの対策についてである。以上の2点を目標としな がら、教育基本法第1条にいう「人格の完成」に妨げとなるものをできるだけ早い機会につぎっ ぎと馬区逐していくことである。さしあたって、高校問格差をなくしていくためにあらゆる努力を する、教育のすべての面において、公平・公正の原則を確立していく、まずこのような努力から 進められるべきであろう。

ちなみに、 「21世紀をめざした教職員組合運動のあり方を検討する」ために、日本教職員組合に 設置された「21世紀ビジョン委員会」 (座長・大内秀明東北大学名誉教授)は、高校教育について、

「まず、選抜制度を廃止し選択を重視する希望者全員入学の制度に改め、いったん中途退学しても どこでもいっでも学べることを保障するために、継続教育・リカレントシステムを大幅に取り入 れることが必要です。また、多様な選択を保障し、技術・技能教育との連携や単位の互換性をは かることが求められる」20)との貴重な提言を行っている。

しかし、この場合、一番の問題は、 「希望者全員入学」という点についてである。第1は、この 場合、希望しない子どもにこそ、 「教育を受ける権利」としての高校教育を保障する必要があるの ではないかということであり、第2は、希望する子どもを受け入れる高校の問題である。高校選 択の自由がある限り高校問格差が生ずることを免れることはできないO地域の唯一の高校へ進学

° ° ° ° ° ° ° ° °

すること、つまり高校選択を許さないということが一番に大切なことではないかと考えるのであ る。以上の2点を、僧越ではあるがこの機会に指摘させていただきたいと思う。

1 )上田伝明『新訂E]本国憲法講義』 (1992年、法律文化社)、 41‑43貢。

2)日本教職員組合編『日本の教育 第42集』 (1993年、一つ橋書房)、 375‑400頁、参照0 3) 『日本の教育 第42集』、前掲書、 394貢以降。

4)上田伝明、前掲書、 96貢。

5)上田伝明、前掲書、 97貢。

6)有倉達吉編『基本法コンメンタール・新版教育法』 (1977年、日本評論社)、 57貢。

7)上田伝明、前掲書、 97貢。

8) 『新版教育法』、前掲書、 54貢。

9) 『新版教育法』、前掲書、 108貢。

10) 『新版教育法』、前掲書、 143頁。

ll)国民教育研究所・木下春雄編『高校入試制度の改革』 (1988年、労働旬報社)、 171、 172貢。

12)文部省『昭和38年度・文部省第91年報‑1963年‑』、 (1965)、 10頁。

13) Alvin C. Eurich, ed., High School 1980 / The Shape of the Future in American

(13)

「蝣.ill uこMl

Secondary Education. Introduction.

14) Richard A. Leiter, ed., National Survey of State Laws, PP.138‑151.なお、マサチュー セッツおよびニューメキシコの分はNational Center for Education Statistics, Digest of Education Statistics 1993. Table 150による。

15) James B. Conant, ̀̀The Comprehensive High School," Eurich, ibid., P.67.

16) James B. Conant, The Comprehensive High School, 1967, P.3.

17) Chris A. DeYoung & Richard Wynn, ed., American Education, 1972, P.190.

18) Peter Schmidt, "Ga.'s Miller Proposes Raising Compulsory Age t0 18," Education Week, January 20, 1993, P.16.

19) 『内外教育』、 1994年8月16日号、 ‑11貢。

20)日教組21世紀ビジョン委員会『E]教組21世紀ビジョン委員会中間報告』 (1994年)、 9貢。

参照

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