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Ⅱ 一大学教員-のアンケー ト結果の分析 と考察-

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埼玉大学紀要 教育学部,57(2):1‑15(2008)

教員養成大学 ・学部における

絵画教育内容の構造化 についての研究

一大学教員‑のアンケー ト結果の分析 と考察‑

小津 基弘 *

キ ー ワー ド :絵 画 、教 育 、構 造 、理論 、感性 、個性 、分析

は じめ に

前塙 「教員養成系大学 ・学部 における絵画教 育内容の構造化 についての研究」 において、

筆者 は教員養成大学 ・学部 (以下教育学部 と略 す) における絵画教育内容 をウェブ上のシラバ スを通 じて概観 し、諸 々の問題 を浮上 させ るに 至 った。それ らの問題 をさらに考察す るために、

実際に大学で絵画指導 に当たる教員 に対 してア ンケー ト調査 を実施 し、絵画教育の実態 を調査 した。本稿 はその結果の報告 と分析 を目的 とし ている。ア ンケー トでは、上記事項の中か ら筆 者が まず最優先で把握する必要があると考 える 7つの観点について、全 国国立系 (国立大学法 人)教育学部の絵画教員66名 に対 し自由記述形 式で依頼 し、27名の回答 を得 た。回答率 は約41% であ り、それは絵画教育 に携 わる教員の問題意 識の高 さと関心の強 さを示 していると判断 され た。絵画教育内容及び 「感性」や 「個性」の調 査 に的 を絞 った7項 目の質問に対す る回答 を、

‑質問一項の形式で以下 において分析す ること によ り、現在 の国立系教育学部における絵画教 育内容の実態、その具体的問題点 と解決策、今 後の展望 を考 えてい く。(※以下文中の」内はア

'埼玉大学教育学部美術教育講座

ンケ‑ト回答の原文を基本としつつ明らかな誤字等を

修正 し部分 的 に要約 して表記 した。)

現 行 の シ ラバ ス に頻 繁 にみ られ る 「油 彩 画 」 に関 す る授業 につ い ての分 析

由彩画」は教育学部 における絵画教育内容 に おいて最 も頻繁 に指導 されていることは前稿 の 通 りである。油絵 の具が 日本の風土 に自然発生 した ものではないこと、明治以降の欧化主義の 一貫 として導入 されたこと等 々、油彩画制作 の 必然性 を考慮す る間 もな く現在 に至 り、依然 と して教育学部の絵画教育のなかで主たる位置 を 占めていることは周知である。 この件 について 以下の質問を行 った。

○現行の シラバスか ら、「油彩画」に関する授 業が極 めて多 くみ られますが、この件 につ いてどのようにお考 えですか ?

この質問に対 し27名の 自由記述での回答があっ た。それ らの回答内容 は大 きく次の ように分類 で きた。

肯定的 (16名)】(60%)(① 「油彩画」の 授業 を全面的に肯定す る(6名)。(参特権 化等 に問題 を感 じつつ も基本的には肯定 (10名))

● 【中立的 (6名)】 (22%)

(2)

否定的 (2名)】 (9%)

● 【その他の意見 (3名)】(11%) まず肯定的回答を要約 し箇条書 きにする。

O近現代 において 日本に定着 した美 を表現 する絵画技法 として有効であ り、試行錯 誤 しなが ら追究することがで き表現力の 幅 も広いので、絵画の基礎訓練 には適 し ている」。

O「自身が油彩専攻出身なので知識や考え方 を土台にで きる。近代か ら現代への美的 価値の変遷を知るための作例が豊富で学 生 にも身近」。

O扱いに難点はあるが、他の材料 に比べ乾 燥後の色味や体積、形状 にほとんど変化 がないという優れた長所がある。 とくに 身体的な手触 りが欠けてきている今 日の 社会的状況か ら考えると、 このような扱 いに くさや表現の直接性 は、以前 よりそ の必要度が増 しているようにす ら感 じら れる」。

以上 をまとめれば、油彩画の利点は表現力の 幅が広 く素材 自体が堅牢で触覚的 (手触 り)で あること、次に試行錯誤 しなが ら追求できるこ と、 さらに近現代の作例が多 く美的価値の変遷 が掴みやすいこと、の三点にまとめることがで きる。 とくに三番 目の意見に見 られる 「手触 り が欠けている今 日の社会的状況か ら考えると油 絵の扱いに くさや直接性 は以前 よりその必要度 が増 しているのでは」 とする考え方は、乾燥の 遅 さ等の油絵のネガティヴに受け取 られる性質 を逆手にとって、ヴァーチ ャル ・リアリティの 蔓延する現代社会の警鐘 として油絵 を位置づけ てお り、説得力のある全面肯定意見である。

加 えて、問題 を感 じつつ も肯定する教員は10 名であった。その殆 どが油彩画限定への批判で あ り、多用 な描画材 を扱 う必要性 を強調するも のであった。例 えば 「教員養成系大学なので学 校教育の現場 と直結する描画材 も扱 うべ き」 と する意見や 「中学 ・高校ではアクリルを使用す ることが多 く、実技 はそれを中心 としたもの と

なるのではないか」 とする意見である。 しか し、

この10名は批判的ではあ りつつ も、軸 としての 油彩画は肯定 とい う立場である。「油彩画 は近現 代絵画の歴史において最 も幅広い展開をとげた 技法であ り、また 日本近代 において も油彩画 を 通 じて、西洋 と日本 に向ける視線が深化 したと も考えられるのでこれを軸に絵画実技 を学習す ることは意味がある」わけであ り、「油彩画は絵 画的造形感覚 を養 うプロセスにもっとも適 した メディア」であって、「自らもそれを土台に学ん でいるか ら教 えやすい」。それはまた、「絵画性 やマテイエール感を体得 させそこか ら材料の本 質を見出す」ことが可能であ り、「着色能力や可 塑性 にも優 れていることか ら制作者の試行錯誤 にも力強 く応 えて くれ」、「教育的意味合いを重 ねることでその可能性 は引 き出される」 と概括 で きる。

次いで、肯定 も否定 もしない中立的な意見が 6名あった。全ての意見に共通するものは、学 生が 自分に合 った表現媒体 を選ぶべ きであると する考え方である。「多様 な表現素材 を知った上 で 自己の表現に最 も適 した ものを選んで作品制 作 を行って もらいたい」 とする意見や 「絵画表 現 においては自分に合った表現媒体 を選ぶこと が個性の発現 と深 く関わっているので、最初か ら最後 まで油彩画で通すのは無理があると思わ れる」 とする意見、 また 「広 く (絵画)である ことが重要である」 とする意見がそれである。

また、やは り教育現場 との絡みで 「水彩画」 を 軸 としたカリキュラム構成 をしている教員、油 彩 に限定 していない結果学生がアクリル画 を措 いているという現状 を語 る教貞、 また 「絵画の 問題を深 く考 えることが重要なので画材は何で もよい」 と断 じている教員等、油彩画を否定す るわけではないが、媒体の多様性 と学校教育で の関わ りか ら疑問符 を付けていることになる。

否定的な意見は2名か らみ られた。その内容 は、全てが表現の多様性 と自分に合 った表現媒 体の自主的選択の必要性 に帰するものであった。

しか し2名は、基本的には多様性の一つ として

(3)

の油彩画は肯定 しているニュアンスが回答中か ら感得 された。最後 に、その他 として貴重な意 見を付記 してお く。それは 「油彩偏重の歴史的 背景をもっと明 らかにすることが先決」である とする意見である。油彩画がなぜ風土的に不 自 然であるのに尊重 され用い られ続けて きている のか、その理由を歴史的社会的側面か ら理解 し ようとすることは不可欠である。そ うした理由 を了解 した上で、油彩画を教育学部における絵 画教育の軸 として扱 うことの是非をあ らためて 問うべ きであろう。

日本 の美術 (日本 画等 )につ いての授業 の必要性 につ いての分析

油彩画 と比べて、 日本画等の 日本の美術、 自 国の美術 に関する授業は教育学部絵画教育 シラ バス全般において極めて頻度が低いのが現状で ある。 この事情 について以下の質問をした。

○ 日本画等、自国の絵画についての授業の必 要性 についてどのようにお考 えですか ? この質問に対する回答は27名か らあ り、それぞ れの内容は大 きく次のように分類で きた。

必要 (18名)】 (67%)

((∋「自国の絵画」(日本画に限定せず)の 指導は基本的に必要(13名)。②場合 に応

じて必要 (5名))

● 【特段必要ない (4名)】(15%)

● 【その他の意見 (5名)】(19%)

そ もそ も "日本画"とは何なのか。 また "自 国の絵画"あるいは "日本的なるもの''とは何 なのかを突 き詰めれば、答えのないような無限 の問題に突 き当たる」という意見や、「場や環境、

素材や生活 に密着 した芸術 として"自国の絵画"

を改めて意識 し捉 えなおす ことは重要 なこと だ」という意見など、「自国の絵画」規定‑思考 を巡 らせ る必要性 を強調する意見が複数み られ た。 日本画に関 して言えば、 自国の絵画 ‑日本 画 という前提 に立脚する意見 と同時に、「水墨画 または墨彩画を取 り入れ、ガッシュを併用する

など、学校現場に即 した画材 と技法指導を改善 中である」 とい う意見にみ られるように、水性 措画材 を自国の絵画の一手段 として積極的に取 り入れている授業実例があることもうかがわれ た。中国 ・韓国の美術教育が水墨画 を基礎 とし ていることを指摘 し、 日本では主に書道教育の なかで担われている墨や筆の文化継承 を美術教 育の分野で も行 うことの是非を研究 している教 員 もみ られた。

教師教育 を 目的 としているのでで きれば手 法 も含めて幅広 く紹介すべ きだが、 日本画の専 門スタッフがいないので実施 していない」 とい う意見のように、専任教員が不在でそれを非常 勤で対応 しているケース、 またその手当てす ら もないケース等々、制度的現実の中で苦渋 して いる現状が、現在の教育学部の実情であること もわかった。 また学校教育の現場での図工 ・美 術教科の授業時間数を考えた場合、「まともな日 本画は、小 ・中 ・高での授業では指導で きない

のであ り、「制作時間が2時間か ら1時間へ とシ フ トする中で毛筆画の需要が多 くなっている

とい う現場での実情 を鑑みた上で、大学教育の 中での水墨画や書法の指導の必要性 を語る教員 もいた。 また実技 にこだわることな く鑑賞 とし て考えるべ きだ とする意見、「日本美術史などを 通 して 日本人の持 っている美的感性 に気づかせ、

異文化理解の講義のなかで自国の文化 を理解 さ せる」必要に応 じることが、現実の教育学部の 様々な状況の中で自国の美術 を伝 えてい く方策 としては最 も現実的だ とする意見 もあった。い ずれにして も、 自国の美術 を授業で教授する必 要性 については回答者の50%近 くがその必要性 を述べていることだけは常 に念頭 に入れておか ねばならない。

次に 【必要】の うち② 「場合 に応 じて必要」

に分類 された回答意見 をみてい く。 5名か らの 回答を得たが、その多 くが 「日本画を自国の絵 画だ と考えていない」 とするものであった。例 えば 「日本画の何 をもって 日本画 というかにつ いて もその境界のなさを感 じざるを得 ない」 と

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する意見、「自国の絵画 を学ぶことは重要 と考え るが、それを日本画の実技の学習に直結 させる ことは短絡的であるし、現在の 日本画 とは技法 をさす用語 に陥っているのが実態で、それを学 ぶ ことによって 自国の絵画への理解が深 まるか 疑問」とする意見である。また「日本画の技法、 料に関することであれば不要」 とする否定論 も み られた。同時に、 自国の絵画をどう規定する か とい う根源的問題に抵触する意見がみ られた。

そのなかで も 「自国の絵画をイデオロギーやナ ショナ リズムか ら切 り離 し、中国か らの影響や 西洋絵画 との出会いと相勉 まで含めた射程で と らえなければならない」 とする意見は、具体的 な規定策へのアプローチを示唆するものとして 貴重な意見である。 こうした様 々な前提 に立ち つつ も、全てに共通する語調は 「多様 な表現の 一貫 としての自国の美術の教授は必要である」

というスタンスである。それを 「日本的なもの の見方」とし、「西洋的なものの見方」との相対 化のなかで把握 させてい く必要性 を指摘する教 員、それ ら全てを 「広 く絵画 としての括 り」 に 含 ませた指導 を考える教員等、 日本画、 自国の 絵画 という括 りには積極的ではないにして も、

西洋 との関係のなかで自国の美 を認識で きる眼 を学生が養 うべ きだとする考え方は共通 してい ることがわかる。

次いで 【特段必要はない】 とする意見につい て考察する。 これ らは自国の絵画を 「日本画

に限定 した上での反論 となってお り、 日本画の ための授業の必要はないとするものである。要 約すれば、 日本画は岩絵具をは じめ、材料、用 具に経済的負担が大 きいため、授業での制作 に はかな り無理があるし、「美的価値の変遷」とい う視点で 日本画等 を見ると、特 に戦後の ものに は見るべ きものがな く、現代の 日本画はその形 式に埋没 しているように思 うとする見解である。

また自国、他国という視点は意味がないという 指摘、さらには西洋画の方が 日本画 より重要だ

と断ずる意見 もみ られた。

以上のように、 日本画をは じめとする自国の

絵画についての教育は、基本的には必要 とする 半数の意見 を主軸 としなが らも、 日本画批判、

自国の絵画の裁定の問題、専任教貞不在の現状、

学校現場の授業時間数を射程 に入れた上での簡 便 な墓や水性絵の具の使用や、実技 にこだわ ら ず鑑賞や講義における実践等、様々な現状報告 や意見がみ られた。最後に、上記分類の枠 には 収 まらないが勘案せねばならない意見 として、

「自分は自国の絵画に関 しては知識 も興味 もな いが、国粋主義的な方向へは行 きた くない」 と する意見、また「今 日のグローバ リズムとナショ ナ リズムの錯綜する複雑な国際情勢の中で、芸 術 ・美術の果たす役割 を含めこれ らの諸問題 を 提起 しなが ら学生 に考えさせるよう指導 してい る」 とする意見のように、 自国の美術の教育 と 国粋主義、ナショナリズムとの微妙な関係につ いての危快 を表明 している見解 については、本 稿で取 り上げるには奥深 く、ここでは言及 し得

ないが、留意 してお くべ きである。

映像 メデ ィア」 に関 わ る授業 につい て の分析

現行の新学習指導要領において 「映像メデイ, ア表現」 を特 に中学校美術のなかで積極的に教 育 してい く必要性が明示 されるに伴い、大学教 育において も主に絵画、デザイン領域 を中心 と してそれに関わる何か しらの教育が必須 となっ ている現況がある。こうした状況に対 して各絵 画担当教員はどのようなスタンスで臨んでいる のか知るために、以下の質問を行 った。

O映像 メデ ィア」に関わる授業 を行 ってい らっ しゃい ますか ? また今後 「映像 メ ディア」の授業 を積極的に展開 してい く必 要性 をどのようにお考 えですか?

この質問に対 して27名か らの回答があ り、それ らの内容か ら以下の項 目に分類することが出来 た。

● 【積極的に取 り組んでいる(5名)】(19%)

● 【十分取 り組めていないが重要だ と考える

(5)

(13名)】(48%)

消極的取 り組み (4名)】(15%)

● 【必要ない (3名)】(11%)

その他 (2名)】 (7%)

積極論については全体の19%であ り、それ ら は 「時代の進歩 とともに取 り入れてい く必要が あ り、 また小 ・中学校の図工 ・美術教育にも必 要 となって くると思われるので教育学部におい て も積極的に展開する意義がある」 とする意見 に代表 される。また今 日の学生は「絵画のイメー ジを自分の映像メディアのア‑カイヴ (自分の 記憶の中の)か ら引 き出 しいるので、そのこと を自覚するための授業は是非必要だと思 う」 と する意見 もあった。 これ らの意見は、現実世界

との接触 よりもむ しろヴァーチ ャルな世界に耽 溺 しがちな若い世代の学生たちの記憶 イメージ は、映像メディアに基盤 を置いた ものにな りが ちであることを認識 した上で、それをポジテイ ヴに教育に反映 させてい くことの必要性 を主張 するものである。 また具体的な授業例 として映 像 メディアのコラージュ性や編集機能を活用 し、

たとえば 「キュビスム的な絵画への導入」 とし て用いた り、「古典技法のグリザイユにおいてモ ティーフをデジカメで撮影 しそれをモノクロー ムでコピーをしそのコピーを構図等で活用」 し た りというように、既存の絵画教育内容の枠組 みの中で、映像 メディアを理解促進のための有 効な道具 として活用するというケースがみ られ た。 またそれに留 まらず、絵画枠か ら展開 して

デジタルカメラやビデオを活用 して地域活性 化や国際交流 を促進 させるためのパ ンフレット 作 りや記録」 をするという授業展開もみ られた。

いずれの見解か らも、映像 メディアを時代の必 然 として捉 え、それを疑わず前向 きに絵画の授 業や展開の中に取 り入れようとすろ姿勢が感得

される。

次いで 【十分取 り組めていないが重要だと考 える】 とする13名の意見 を分析する。 この意見 は全体の48%を占めている。その全体的な傾向 を要約す ると、「時代や学生のニーズか らみると

基本的には重要であると考え、 また実際に行っ て もいるが、 自分 自身に専門性がないために積 極的になれない」とい う論調が主である。「映像 メディアにも触れる教職対応の "絵画"を担当 したことがあるが付け焼刃 な授業 レベルで大学 の授業 と言えるのか疑問だった」 というある教 員か らの意見が、 この種の見解の実直な例であ ろう。 こうした場合 にはやは り専任や非常勤の 必要性 を主張す る意見が付 け加 え られてい る ケースが殆 どであった。 自費でこの分野の講師 をゲス トで招いて対応 している教員 もいた。つ ま り、「映像メディア」の教授 は確かに必要 と感 じるが、 自分 自身ではどうしても付け焼刃的な 授業 になるので専任や非常勤の充当を求めたい が、今 日の教育学部の財政的現状か らそれは難 しいこと、それで もそれを何 らかの形で教授 し ていかねばならない とすれば、基礎的な内容に 限定 した り、あ くまで道具 として捉 えた りとい うように、肯定 しつつ も後ろ向 きの考え方に至 らざるを得ないのが現実のようである。

他方で、「映像 メディアはアナログ的な絵画表 現やデザイン表現の実践や思考法があった上で 二次的に成立 しうる分野だと思 うので、それの みを大 きく幅を広げればよいというもので もな い」 とする意見、あるいは 「映像 メディアを単 に絵画や彫刻 と切 り離 したもの として捉 えるの ではな く、美術の様々な領域 との複合的なもの として とらえ、 また現代美術へ と理解 を繋げて 行 くことも教育的には必要か と思 う」 とする意 見 もみ られた。映像メディアを従来のそ して現 在の美術表現 (インスタレーシ ョン、アースワー ク、立体オブジェ等) との関係の中で捉 え、そ の意味を位置づけて行 くことは可能であるし、

またそ うあるべ きだとする見解である。そうで あれば、 自分 自身の専 門性 の射程か ら映像 メ ディアをそれぞれの教員のスタンスで教育する ことは可能であろう。 また専門的な分野ではな いので限界はあるとしつつ も、「どの領域 におい ても言えることは、 自己表現 としてまず 自分 と 向 き合 う訓練か ら始 ま り、その考えを表出させ

(6)

たものが作品であるのだか ら、そこを明確 にす ることで教育領域 における映像メディアの価値 はあるもの と考えている」 とする意見 もあった。

表現の根幹 を 「自分を見つめ向 き合 う訓練」 と し、そ こを明確 にしていれば映像メディア教育 の意義はあるとするこの考え方は、映像メディ ア道具論 とは対極の考え方であ り、傾聴に値す る見解である。

最後に、【消極的取 り組み】についてである。

「申し訳程度に行 っているが、そ もそ も絵画の 枠組みで取 り扱 うべ きもの とは思えない」や「 部科学省か らの指導要領に ̀̀映像メディア"を 導入せ よという一文が入っているか ら行ってい るが教材その もの として特に取 り上げることは ない」とする意見がみ られた。【必要ない】とい う見解 は3名 あ り、消極 論 ・不要論、そ して

その他】の意見 (2名) を合わせ ると9名、

全体の33%を占める。「映像メディア表現の扱い は消極的に行っている。その理由は絵画表現に おいてはそれが絶対的に必要なものとは思われ ないか らである」とする意見、「今後 こうした授 業 を学部において積極的に展開 してい く予定は ない」 という排斥への強い決意をも感 じられる 意見、現代的な世界観の把握が 「ヴァーチ ャル リアリティの世界か らリアリズム表現に移行 し つつ ある ように思 う」 とし、故 にシラバ スに

「メディア」 と記する気 などないとする意見等 がみ られた。

積極論、消極的ではあるが肯定論を合わせ る 18 (67%)であ り、新学習指導要領規定遵 守 をモティベーションにしつつ も、やは り表現 の現代性 を鑑みた場合、映像メディア表現は避 け られないことを教育学部絵画教員のかな りの 数が 自覚 している現実が改めて浮上 した。専 門 性、時間数、設備等に現実の教育環境 とのギャッ

プを了解 しつつ も、美術表現の関係性 と根源性、

つ まり過去か ら現在の美術 とのつなが りのなか で映像メディアを位置付 けること、そ して自分 を見つめ向 き合 う訓練 として映像メディアも他 の表現 も同様であることの自覚を持つことが、

厳 しい状況の中で映像メディア表現 を前向 きに 捉 えるための手立てなのではないか と判断され た。

現代美術 」 に対 す る把握 および教育 に ついての分析

続いて、 シラバス記載に多 く見 られた 「現代 美術」の教授 について取 り上げる。その動向を 教育のなかにどう反映 しているか、 またそれを 各教員が どのように把握 しているかについて以 下の質問をし、27名の回答を得た。それ らを大 きく以下の5つの項 目に分類 しそれぞれ分析 し てい く。

○現在展開 されている 「現代美術」の動向 を 教育のなかに反映 されていますか ? また、

先生にとっての 「現代美術」に対する把握 についてお考 えをお聞かせ ください。

● 【積極的に反映あるいは必要だと考えてい (12名)】(44%)

● 【必要に応 じて行っている(4名)】(15%)

● 【あまり必要性 を感 じていない (3名)】

(11%)

● 【不必要 (2名)】(7%)

● 【その他 (6名)】 (22%)

現代美術」を授業の中で積極的に展開 してい るとする意見、あるいは何 らかのかたちで教 え る必要性 を強調 している意見、そ して条件付積 極論 といえる意見 を全て合わせると総数で16

(60%)の教員が現代美術 を実践 した り必要性 を基本的に認識 していることがわかる。積極論 の主たる論調は、「学生にとって現代の社会 を知 り、作品や考え方に反映 してい くことは必須」

とするもの、「現代美術 に見 られる新 しい表現ス タイルが現在の 日常生活や感覚に密着 している わで当然知っていなければならない」 とする意 見である。 また学生がやがて教師となるという ことを見据えて、「美術教師として美術の全体像 や価値観 をつかむべ きなので "現代美術"につ いて もその意義 を正確 に伝 える責任がある」 と

(7)

する見解、 また学校教育の具体的現場 を想起 し て 「子 どもが今感 じているもの、求めているも のを形にしてい く教育が小 ・中学校の現場 にも 必要」であ り、そのために大学での現代美術の 指導は有意義 とする意見、「現在のようなデータ ベース社会にあって学校の役割は子 どもたちの 身体性 とその相互性 をどのように保障するか と いう極めて重要な課題を担 う場 になっている」

と捉 え、それ故に 「現代美術 はそのような身体 性 と他者 との相互性 を不断に掘 り起 こす行為で あるとするなら、教育の根底 に位置づけ られな ければならない」 という学校教育的視点か らの 核心的見解 もみ られた。学校現場でやがて教員 となる学生の指導 を担 う教育学部にあっては、

現代美術 は社会的諸側面が収赦 した表現の場な のであ り、そこをしっか り押 さえることが直接 的に教師教育の実質につながるとする見解が複 数み られたことになる。

全 ての学生 に共通す るのは彼 らの美的価値 が19世紀か20世紀初頭で止 まっていることであ り、その結果ほとんどの学生は "現代美術 ‑意 味不明なもの" と思い込んでいる」 という意見 のように、現代美術 に対する学生の実際の認識 が入学当初 は極めて低いことは、一般的現実で ある。 この件 に対 して、「美術史を時間軸に従っ て教 えてい くとダダイズムあた りまでで終わっ て しまい現代 にまで行 き着かないことが多々あ るので、現代か ら教 える美術史があって もいい と思 う」 とする発想転換的な見解 もみ られた。

つ まり 「現代美術の考え方や歴史的必然性」や

現代美術作家の考えや作品の紹介」、「現代美 術の理念やス タイルを基 にした授業」 というよ うに、何 よりもまず現代美術 とはいかなるもの か、現代の作家作品に見 られる特質や傾向とそ の理念、それが生 じてきた歴史的経緯 を紹介 し 講ずることが極めて重要であるとする共通の見 解がみ られたことになる。 また、大学教員 自身 が世代的に現代美術 に対 して十分な理解 を得て いない場合、学生同様に現代美術 を 「勉強すべ

き」だとする自戒的な意見 もみ られた。

現代美術その ものの定義に関 しては、「同時代 の美術」 という語に代表 されるように、現在進 行形の美術表現 を広 く指す と捉 えられる。 また 作家作品だけではな く 「学生ひとりひとりの中 に生 まれる美術、学校の場 に立ち上がる美術 は、

どのようなものであれ現代の美術であ り、おそ らくそれ以外 に美術 はない」 という極めて広域 的定義 もみ られた。「現代 を生 きる人間としての 個性が表現 されていれば、古典的な技法や表現 内容であっても現代の美術である」 とする別の 教員の見解 も同様の主旨である。 また 「リアリ ズムの眼が根底 にあ り、その上で今 日における 表現 とは何か という姿勢で学生に取 り組 ませて いるので現代美術の観点 も当然考慮 している」

という回答 にみ られるように、 リアリズムとい う観点か ら現代の表現 を相対化する把握法 をと る教員、「時代の価値観 を反映 し明確 なコンセプ トを有 し、 自分 と向 き合 う作家の作品」 をその 定義 としている教員等、それぞれの教員が把握 の観点をどこに置 くかによって現代美術の示す 射程が異なって くることが複数の回答例か ら理 解 された。 こうした定義を前提 とした上で、現 代美術 に関する具体的な授業内容 もまた複数の 回答で述べ られていたが、その幾つかを例示 し てみる。「コラージュ、マテイエール、アースワー ク等の美術手法」、「インス タレーション」、「ワー クショップ」、「現代美術系のギャラリーを中心 としたギャラリーめ ぐり」、「環境やジェンダー な ど今 日の社会的問題 をテーマ とした美術」、

年に一度現代美術のアーティス トを授業にゲ ス トとして迎える」、「コンセプチュアルアー ト」、

現代美術入門」、「ドローイング研究」等。 こ うした表現手法は実に多様であ り、それぞれの 教員が内容 を理解 しまた自身 も類似的な制作 に 携わっている表現領域のなかか ら、選択的に授 業内容 として工夫 しなが ら組み入れていること がわかる。

必要に応 じて行 っている】の分類では4つの 該当する回答があった。その全ては現代美術 を 必要 としつつ も但 し書 きを記 しているものであ

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る。その中で、「文化戦略的に操作 されている面 もあるので注意が必要」であるとする意見が 日 を引いた。現代美術 を文化的戦略 として操作 さ れた産物 とする見解 は、資本経済下での美術の 市場原理の問題 と関わ り無視で きない意見であ る。美術 の重要な側面 としての経済原理は否め ないが、教育学部の絵画教育のなかにその原理 を導入することには問題があろ う。あ くまでそ の表現が教育的にどのような価値や意味を伴 う かが最 も重要な尺度だか らである。

あま り必要性 を感 じていない】、【不必要】と する意見は合わせて5名か らあった。そのなか で、「同世代的な新 しい表現は学生 自らが 自らの リアリティの もとに勝 ち取 る必然があ りそれは 教育 とい う側面ではない」 とする見解 に注 目し た。確かに現代美術 は現在進行形の表現である か ら、同時代性のリアリティが不可欠であるが、

それを大学教員がはた して教えられるのか とい う疑問がある。「もし大学教員にそれが足 りなけ れば自ら学ぶべ き」 とする見解 を先に紹介 した が、 どこまで正確 にそれを把握で きるか、教貞 の世代等 もあ り難 しい部分 も否めない。 また同 様の構 図は、やがて学校現場の教師になる学生 と子供たちとの間にも必然的に生ずるだろう。

その意味での現代美術の指導は困難 を極めると 言わざるを得ない。

現代美術 を特権的に扱 わず歴史的視点の重 要性つ まり古典 との対比、他の文化 コー ドとの 対比 をこころがけるべ きであ り、それによって 結果的に表現の現代性が相対化 され得 る」 とす る別の意見があったが、それ も一考に億する。

同様に「伝統的美術 (保守)に対する前衛美術 ( 新) という捉 え方をしてお り、後者が前者を刺 激 し、前者は後者 を時とともに取 り込んでい く

という風 にみているので、"現代"という枠組み は性格的にも時間的にも暖味に思われる」 とい う見解 もみ られた。「現代美術 を特別扱いせず、

デュシャン前 とデュシャン後に分けないでルネ サ ンス絵画 と同 じ美術史の線上にあるもの とし て指導 している」 とする意見がみ られたが、 与\

の意見 もまた現代美術の枠組みの暖昧 さを指摘 するものである。そ して、 これ ら三者の意見 に 共通するものは、「現代」を特別扱いせず、古典 と現在、保守 と革新 というように常 に相対する 二つの要素の括抗のなかか ら現代性 を結果的に 浮上 させるべ きだ という主張 と言える。

現代美術の教育に対する完全否定論 としては、

先 に筆者が取 り上げた意見 と同様、現代美術の 中心原理が経済にあるがゆえに教育にそれを持ん ち込むことははなはだ疑問 とする強い語調の も のであった。それは以下の見解である、「現代美 術 は欧米の画商たちがプロデュースするブーム でつ くられるもの、 とりわけユ ダヤ系の美術商 がつ くっているのではないか とさえ思 うことが ある。 ビジネス ・投資 と無関係のポジションで 教育は語 られるべ きと考えているので、10年先 のムーブメン トとか今の流行 と教育内容は結び つけない努力 をしている」。この意見は先の意見 よりも極端 に響 くが、確かにそうした一面を現 代美術は持 っていることは明記 されるべ きであ

る。

以上、現代美術の教育については、その定義 や表現の捉 え方に違いはあれ、全体の60%以上 の教員が積極的に取 り入れる必要性 を述べてい るわけだが、最後に一人の教員の次の指摘 を付 け加 えてお きたい。「芸術が基礎か ら展開する可 能性 は許容 しなければいけないが、流行的に目 新 しい ものを指導することで学生の 日が基礎 に 向かないデメリッ トも感 じる」 という意見であ る。ここでいう「基礎」とはおそ らく先述 した「 彩画」や 「自国の絵画」等に代表 される絵画の 基盤 となる表現 をさす もの と思われる。それを 忘れて現代 にばか り走ることはいかがなものか という批判意見である。要は指導のバ ランス と いうことであ り、現代美術 を微視的に思考する 必要性 を了解 しつつ も、教育の全体 を見据えた 上でそれを位置づける必要があるということだ。

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絵画教育 にお ける 「理論」 や 「考 え方

の指導 の必 要性 についての分 析

現在の教育学部における絵画指導は、実習実 技が主軸 となっているとはいえ、表現の背後に ある歴史的背景、表現の内容理解、そ して現代 美術 においては現代社会や若者の考え方の理解 等、「考え方」や 「理論」の指導にも実技同様 に 力点をお く必要性が現れてきていることが、前 稿のシラバス分析 を通 して明 らかになった。 こ の点をさらに具体的に把捉するために以下の質 問を行った。

○絵画指導の際に 「理論」あるいは寄 って立 つ 「考 え方」 は必要だとお考 えですか?

もし必要 とお考 えの場合、具体的にそれは どのようなものかお教 えください (具体的 理論や理論家、あるいは著作等についてで

もかまいません)0

前項同様27名の回答があ り、それ らは以下に分 類することがで きた。

必要 (23名)】 (85%)

(①必要(19名)。②条件付必要(4名))

● 【あまり必要だとは思わない (1名)】

(4%)

● 【不必要 (3名)】 (11%)

まず 【必要】 とする積極論についてみてい く。

理論や考え方は 「教員の資質や経験 によって大 きく異なるであろう」が 「理論な くして芸術作 品は成立 しない」ので必要であるとする意見、

それぞれの実習は、例 えばリアリズム、造形 性、社会性等表現のための理念 をもってお り、

その どこによって指導するのかは指導者が明確 に持っているべ きだ と思 う」 とする見解、「" 葉にで きないか ら絵 にするのだ 'とい う美句の 連発は避けるべ きである。造形要素が複雑 に関 連 し合った状況を言葉にで きないことは承知だ が、制作 に伴 うべ き方向性や段階的な思考の必 要性 に否定的な意見に対 しては反対の立場であ る」とする意見、「理論の学習でな くとも多 くの 経験か らそれに近い内容 を習得することは可能

であるが、それ も一つの理論 として成立 してい るものであるか ら理論は必要である」 とする意 見等が、積極論の論調である。回答者の具体的

な理論や考え方 をさらに列記 して紹介する。

O「自然主義的絵画観や、絵画における多視 点の問題、表現主義的絵画観、抽象絵画、

心象表現など制作の契機 となる考え方」。

O絵画は人間の生や性 に根本的に関わるも の と捉 えた上での構想表現が、 自己の対 象化や社会の認識に深 く関わるもの と考

えている」。

O基礎的技法論、現代絵画に見 られるコン セプ ト等、過去の絵画の流れ、オリジナ リティーの追求」。

Oいつの時代の作品もそれ らが生 まれた時 は現代美術であ り描 き手の生 きている社 会の反映であるというのが基本的な考え 方」。

O 「20世紀か ら現代 に至 る絵画の流れについ て」。

O古典、伝統など先人か らの影響」。

O画面平面に絵画独 自の空間を生み出す と いう考え方」。

O形の捉 え方や立体表現の方法。

O美術 は通俗的なあるいは常識的な既成の コー ドを疑い、解体 しなが ら新たに意味 をず らした り裁ち直 した りする行為であ ると考えるので、ソシュールの記号論や メルロ‑ボ ンティの現象学的な身体論な どは必須の理論的根拠」。

O指導者の美学的価値観。

O絵画の構図 ・構成 ・コンポジションであ り、絵画に隠された構造」。

Oバ ウル ・クレーの理論」

O参考資料 として岡本太郎の文章や、中野 弘彦氏の文章等 を取 り上げて考えさせ る

ことも時に行っている」。

拠 って立つ理論や考え方は教員それぞれ異な るものであることが、 これ らの回答例か ら理解 される。その多 くは過去の歴史、造形要素の理

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論的理解、先人の考 え方等 を指針 としなが ら、

自分 自身の理論 を構築 しようとするものであっ た。哲学者のメルロ‑ボ ンティや言語学者のソ シュール、画家バ ウル ・クレーや岡本太郎、中 野弘彦等、具体的な理論家や作家の考え方 を引 用 している教員 もみ られた。ただ、絵画の現代 性 という視点 を大 きくそこに介在 させた場合、

例えば「確実を"絵画の理論"が動揺 している、な い し失われている状況が近代であ り現代である と思 う」 という見解、あるいは 「現代の様々な 表現手段 の中で、絵画の定義や位置、必要性 を 考 える ことは、非常 な困難 を ともな うし表現 ジャンルの壁その もの も大 きく揺 らいでいる」

とする意見のように、現在性のなかの不確実性 について語 る教貞 もみ られた。 しか し、「絵画の 立脚点などないという立場 も一つの ̀̀論" とい うことか」 と、絵画理論の動揺 を受け入れた上 で新たな理論展開を目指そ うとする意見 もあっ た。

次に、【必要】に分類 した 「②条件付必要」の 回答についてであるが、これを代表するもの と して、「理論や考え方は必要だが、必ず しもある 一定の哲学や美術 ・美学理論、学者評論家の主 張などによって立つ必要はない」 とする意見や、

理論は必要ではあるがそれを単に押 しつける のではな く、学生一人一人の理論形成 を促せ る ような絵画の考え方 を指導すべ き」 とする意見、

基本的に個 々人の絵画に対する理論 もあると 思 うので強制的 ・画一的にならないように配慮

している」とする意見、「今 までの既成概念 を捨 て去 り、学生の言い分に耳を傾けなが ら話 し合 い、共に考えてい く姿勢が必要」 とする見解等 があった。 これ らは、教員の側か らの一つの固 まった理論や考 え方の強制や押 し付けを自戒 し、

学生 とともに考え、個々の理論形成 を助成する という前提 に立った上での理論や考え方の必要 性 を主張するものである。 また美術教師 となる 学生にとって理論は必ず必要であるとしつつ、

理論はあ くまで道標 に過 ぎず、基本は 「手を動 か して考える」 ことであるとする考え方 もみ ら

れた。 これは、全 ての肯定論の教員に通ずる考 え方であろう。理論は確かに必要であるが、そ れはあ くまで制作 を前提 にしての ものであると する認識である。

あまり必要だ とは思わない】は1名で、「ま ず制作することが優先 されるべ き」であるとし ている。 この回答者は 「作品の鑑賞会は必要で あ り、その中で言語で 自作 を語 った りすること は 自作 の論理化 につ なが り大切 な ことだ と思 う」 としてお り、前提 とする理論 というよりは、

まず制作があ り、そ して自作 を語ることによっ て自ず と理論化が生ずるとする見解であるので、

理論 を完全 に否定 している見解ではない。【不必 要】 とする回答は3名であるが、「特 に "理論"

が必要だとは思わない。む しろ有害な面の方が 強い」 とする強硬 な否定論 もみ られた。 この回 答者は教員側か らの自分の趣向や理論の押 し付 けを「学生 を所有する‑自分の意のままにする

と捉 え、それを厳 しく戒めているのである。 し か し、その裏面には、「幅広い観点か ら様々な価 値観を理解 した上で一人ひとりの学生 を尊重す る」 という考えが存 してお り、広 く捉 えればそ れ もまた絵画教育 における 「考え方」であろう。

全体 を総 じてみれば、絵画指導の際に拠 って立 一 つ 「理論」や 「考え方」の必要性が勝 ってはい るが、それが教員側の一方的 ・強制的な押 し付 けにならないこと、制作 を常 に射程 に入れた上 での指導であること、学生個 々の理論や考え方 を導 き出す ような方策が必要 とされることが、

あ くまで留意 されねばならないだろう。

感性」 とい う語 についての考 え方 の分

これまで、現行の絵画教育内容の主たる傾向 に対する大学教員か らのアンケー ト回答 を5 の観点か ら分析 してきた。本稿後半では、絵画 教育内容を直接提起するわけではないが、シラ バス全体 にち りばめ られていた 「感性」 という 語、そ して 「個性」 という語について、それ ら

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が一体何 を意味するか とい う教員の認識 と把捉 もまた重要 と考え、それについてアンケー トを し、その結果 を分析 した。 ここではまず、「 性」の定義や捉 え方に対する教員の回答 を分析 する。質問内容は以下の通 りである。

O「感性」とい う語について、その定義や捉 え 方についてどのようにお考 えですか ? 26名か らの回答 を得たが、それ らは以下に大 き

く分類で きた。

● 【明確 な理解 と定義がある(13名)】(48%)

● 【暖昧であるが捉 え ようとしてい る (8 名)】(30%)

● 【使用に疑問を感 じている(3)】(11%)

● 【わか らない (1名)】 (4%)

● 【その他 (1名)】(4%)

まずは感性の概念に対する各教員の見解 につ いて以下回答例 を示す (太字は筆者 による)。

O美術教育が立脚する人間的価値の一つ と 押 さえ、美的感性 として狭 く捉 えるので はな く、物事に対する関心の寄せかたま で含めたもの として考えている」。

O「中村雄二郎の云 うコモ ンセ ンス としてと らえている」。

O感覚、感情、欲望、衝動」

O 「コンセプ トを提示するにあたっての各個 人の思考 こそ感性の本質」。

O「目と手 と関連する脳機能のことである。

[丞覚器の性質、性能]という認識 (下線は 回答者 自身による)」。

O 感性 は暖味な感情の波ではな く、む しろ 明確 な命題 に対する思考の方向性 を指す 言葉」。

O 個人の中にある固有の感覚、感受性」。

O感性 とはむしろ く情報の拡大)を意味す る言葉 として解釈 している」

O 物事に感 じる能力」

上記の太字にした部分がそれぞれの感性概念 を端的に示 している。各人固有の 「感覚 ・感受 性」、「性質 ・性 能」、それは 「物事 に感 じる能 力」 とも言え、 また 「感情、欲望、衝動」 とも

結びつ く人の感覚的 ・感情的側面 とも言える。

また、それは 「命題やコンセプ トに対する思考 性」あるいは 「物事 に対する関心の寄せ方」で もあ り、「情報の拡大」や 「コモ ンセ ンス」とも 重なる知的側面 ということにもなる。そ して、

これ ら両側面はそのまま 「人間的価値」 に結び つ く力であると捉 えられる。 このように、感性 とは各人が もつ人間的価値 に結びつ く全ての要 素 を指す実に広漠 とした概念であることが回答 例か ら理解 された。その全貌 を語 ることは不可 能であるが、上記の回答例か らだけで も教育学 部の絵画教員が どのように感性 を捉 え学生を教 育 しているかその一端が知れよう。

次いで、その感性 は美術教育 ・絵画教育 とい かに関わっているか、それをどう教育 してい く かについてのそれぞれの見解 を以下で見てい く

(太字は筆者 による)。

O造形についてまわる形態感覚や色彩感覚 の大胆 さや鏡敏 さといったものに配慮」。

O体験を通 して自然 とのふれあいの重要性 を感 じその働 きかけをする必要」。

O技術 ・知識 ・感性を1セッ トとして考 え、

技術 ・知識がない と感覚だけを頼 りにし た制作 になるのではないか と危慎。技術 や知識が増えれば、見方・感 じ方 (感性) にも変化が生 じて くると思われる。感性 とは決 してフィーリング、雰囲気などと いうものではない」。

O制作、作品、鑑賞を通 してモノや人 とコ ミュニケーションをはか り、それを共に 理解することで、 自己を見つめ直 してい

く事」。

フィー リングではな く見方や感 じ方 (知識や 技術) との関係で感性 を捉 え、その相関のなか か ら伸長 してい くとす る見解、作品制作 を通 し て自己を見つめなおす こと自体が感性の陶冶で あるとする見解、感覚表現の大胆 さあるいは自 然体験か らの陶冶等を個々の感性の反映 とす る 見解がみ られた。感性の教育 を肯定 しつつ も、

それが 「遊びのような作業で無責任 に楽 しむだ

参照

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