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類義表現の意味論的分析

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長 崎 大 学 留 学 生 セ ン ター紀 要 9 2001

類義表現の意味論的分析

‑ Jそ ばと l近 く」一

前田 昭彦

キー ワー ド :類義語、文体的差異、統語的差異、意味論的差異、基準

63

1. は じめ に

日本語 を教 えている と類義表現 について質問 を受 ける こ とが多い。母語話者 に とってその用法 はほ とん ど問題 にな らないが 、差異 を外 国人学習者 に尋 ね ら れる と説明 に窮す る場 合が少 な くない。.類義表現 は辞書 に当 って も日本語学習 者 を納得 させ られる ような意味的差 異が掴み に くく、 また学習者 の使 用 に益 す

る ような説明が得 られない ものが多 い.

今 回 は これ までの 日本 語教 育 の経 験 の 中で問題 に な った ものの うちか ら、

空 間 に関す る 「そば」 と 「近 くを と りあげ、 その周辺 にあ る 「あた り「わ 「かたわ ら付近「とな りな どに も言 及す る それ に先 立 って類義語 分析 の必 要性 、類義語分析 と日本語教育の関わ りを助詞ハ とガ、 カラとノデを 例 と して述べ る こととす る なお、で きれば この種 の分析 を今後 も続 けたい と 考 えてお り、その中には語 に限 らず句 ない し辞 も入 る可能性 が あるので、表題

は 「類義語に代 えて 「類義表現とした。

本稿 の文例 の文頭 に付 した記号 で、*は不 自然 で非文 と言 うべ きものの意味 で使用す る

2.類義表 現研究の意 義 2‑1 日本語教育 と類義表現

ここ数年の 日本語、 日本語教育関係 の紀 要等 を見 る と、類義 語、類義表現 の 分析 に関す る研 究がか な り目に付 くようであ る 類義語 、類義表現 の分析 に関 しては国語辞典 、類義語辞典 の記述 をは じめ、少 なか らず先行研究が あ る 常 の辞典類以外 で類義性 の分析 にお いて著 名 な もの と して、例 えば、F言葉 の 意味Ⅰ、 Ⅲ、 Ⅲ (柴 田 武 ・国広菅弥他 、平凡社、1972、1979、1982)、F意暁

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論 の方法』 (国広哲弥、大修館書店、1982)、『基礎 日本語辞典』 (森 田良行、角 川書 店、1989)F日本語類義語表現 の文法』 上、下 (宮 島達夫 ・仁 田義雄編、

くろ しお出版、1995)などがす ぐにあげ られ よう この ように多 くの先行研究 があるにもかかわ らず、 日本語学関係者、特 に 日本語教 育関係者が類義表現 に 関心 を持つのはなぜであろ うか。

日本語教育 に携 わった者であれば、ほ とん ど誰 しも類義語の差異 に関す る質 問 をうけ、頭 を悩 ま した経験 をもつであろ う 助詞 「はと 「の違いに関 す る質問 を噂矢 として、教室では様 々な類義語 の異同を問 う質問の矢が飛 んで くるのである「とて も「たいへ んずいぶ んの違いは、 「い きな り

突然

不意 には l'、「いちお う」 と 「と りあえず」 は、「せ っか く」 と

「わ ざわ ざ」 は、「自然と 「天然」 は、「議論と 「論議」の違 いは2,、「つい

結局や っと「ようや く「とうとう」 は、「たいてい」 と 「たいがい」

の違 いは といった具合 にこの種 の質問はいつ、 どこか ら飛 んで くるか分か らな

い。

類義語 と言 って も、例 えば、「しか し」 と 「けれ ども」 の ように文体的 な差 異で説明で きる もの、あるいは丁寧 であるかぞん ざいであるか、男言葉か女言 葉 か とい う位相 に類す る差異 は簡単 で問題 にな らない。 また、「ずいぶ ん 動詞 を修飾で きるが 「たいへ ん

「とて も」 はで きない とい う統語的差異 もさ ほ どの困難 はない。厄介なのは、「ず いぶんおい しい

「とて もおい しい」 にお ける 「ずいぶん」 と 「とて もの ように統語上 の差 は無 いが、微妙 な意味の差 があ る場合、す なわち意味論的差異があ り、それ を学習者 の納得 のい くように 説明 しなければならない場合である

母語話者 としては問題無 く使用で き、学習者 の用法 の誤 りは指摘 で きて も、

これ らの ことばの意味の違 いを分析 的 に説明す る となる とことはそ う簡単 では ない。そ こで国語辞典 に当 り、類義語辞典 を調べ ることになるのだが、外 国人 学習者 を納得 させ るに足 る明断 な説明が見出せ ない ことが少 なか らずある らに、辞書や文法解説書の解説が教 師 自身の語感 と異 なる場合 もある 日本語 教 育関係者が類義表現の研 究 に携 わる大 きな要因はそ こにある とい って よい。

2‑2助詞 八 とガの類 義性の研究成果

助 詞ハ とガに関 しては膨大 な先行研究がある 他 の助詞 に比べ て圧倒的 に先 行研 究が多いのは、両者の類義性 に一因がある と考 え られる この ように多 く

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の先学 の論議 の まととなった助詞ハ とガの問題 は、野 田尚史 (1996)F「は」 と

が」』 (くろ しお出版 ) において一応 の集大成が な された とい って よい。最近 の 日本語教育 における助詞ハ とガの扱 いはほ とん ど野 田 (上掲書)の中で纏め

られた捉 え方 に沿 っている

しか し、同書が万能 とい うわけで はない 。 例 えば、前 田 (2000a)で と りあ げ たが、「これは本 でハ ないになぜ 助詞ハが あるのか。「3万 円ハす る」「10 分ハ かか らない」 とい った構文 で助 詞ハが なぜ 下限や上限の設定 に関与す るの か。 「彼 は酒 を飲 んでハ妻 に暴力 をふ るった」 の ような文 で、助詞ハ一字 の存 在 が なぜ行為 の反復 を表 わ しえるのか。 「全部ハ食べ ない」 でハ は なぜ 部分否 定 の構成 に関与す るのか。助詞ハの本質か らこの ようなメカニズム を説明す る

とい った こ とは同書 にはない:3'

大野 (1999)は出版 され るや一躍ベ ス トセ ラー となった書である。 この 本 の 中で も、 「思 うと 「考 える」、「うれ しいと 「よろ こぼ しい」 な ど類義 表現 の分析が行 なわれてい る 大野氏 とい えば、ハ とガを情報論 の立場 か ら捉 え、ハ ‑既 知、 ガ‑未知 とい ういわば 「既 知 ・未知説」 の提 唱者 であ るl'。そ の後 、氏 の両助 詞の捉 え方 には長い間修正 はな されなか ったか に思 われ る か し、大野 (上掲書) においては、 「既 知 ・未 知説」 に大 い なる未練 を残 しな が らも、近年の研究 を大幅 に取 り入れ、か な りの修正が行 なわれてい る その 修正 は総 て野 田 (上掲書) に纏 め られた先学 の研 究成果 を採 り入れて行 われた ものである。必ず しも氏が野 田 (上掲書)を参考 にされた とい う意味 で はない。

その修正部 分 は総 て先学 の研 究 と して同書 に纏 め られてい る とい う意味 であ る。 いずれ にせ よ、学術的 な本がベ ス トセ ラー となる上で、先学の研 究成果 を 生 か した類義性 の分析が一役買 っていて興味深 い。

2‑3接続 助詞 「か ら」 と 「のでの差異

類義性 の分析がいか に重要であるか を別の面 か ら見てみ よう。前 田 (2000b)

で、理 由を表 わす接続助詞 「か ら」 と 「ので」 の説明 につ いて辞書お よび文法 解説書等 を調べ てみた。す る と驚 くべ きこ とに調査対象 と した大型 、中型国語 辞典8冊総 てが 「か らと 「のでの差異 を主観的 な理 由 ・原 因の表 出 と客観 的 なそれ との違 い と説明 しているか ら」 は理 由 を主観 的 に述べ 、「ので」 は 客観的 に述べ る とい うのである。

小 型辞典11冊 を調査 す る と、6冊 に同様 の説明が あ った。 さらに、 F類語例

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解辞典』 (小学館、1994)、F日本語文型辞典』 (くろ しお出版、1998)において も類似の解説がなされている 長崎大学留学生セ ンターで使用 している日本語 教科書 F新 日本語の基礎 (ス リーエーネッ トワーク,1993)の英文の文法 解説書にも、「か ら」 は理 由 ・原因 を主観的に強調 し、「ので」 は因果関係 を自 然の成行 きとして客観的に表わす旨の解説があ り、教師用指導書 に も同様 の記 述がある

筆者は 「か ら」 と 「ので」 を教 える とき、その ような説明 を使 ったことはな い。 もしこの種 の解説が正 しければ、「ビール好 きだか ら彼 は毎 日飲 んでいる か もしれない。」 は主観的だか ら正 しく、「ビール好 きなので彼は毎 日飲んでい るか もしれない。」 は主観的な事象 に客観的な 「ので」 を使用 しているので不 自然である と言わなければならな くなる おか しな理屈である どうしてこの ような不思議 な学説が定着 したのであろうか。

か ら」主観、「ので」客観説が定説化 したのは永野 賢氏が1952年 に発表 した論文 による と言われている5)。その後、趨順文 (1988)か ら」 と 「ので」

一永野説 を改釈する‑」(F日本語学』7月号、明治書院)、国広菅弥 (1992) どの反論が出ているが6)、いったん定説化 した学説は一向に変わる様子 はない。

逆 に定説はます ます定説の度合い を強めているとさえ言 える

F広辞苑』 など

は第4版 までの主観 ・客観 を無視 した態度 を一変 し、第 5 (1998)になって わ ざわざこの 「主観 ・客観説」 を採用 しているほ どである

国広 (上掲)では 「か らと 「のでの主観 ・客観 を強いて問題 にすれば、

む しろ 「か らが客観、「ので」が主観 と言 えるとされている コペルニ クス 的転換である。 しか し、留意すべ きは、強いて主観 ・客観 を問題 にすれば と言 う点である 山下好孝 (1999)では この点 に触 れ られていない。国広 (上掲) では 「か ら」 は直接 的 に理由 ・原因 を述べ てぶ っきらぼ うな感 じを与 え、「 で」 は間接 的で柔 らか く、丁寧 な表現 となる と言 う立場 に立 って、「ので」の

と 「のだ」の 「の」が同根である とい う自説が展開 され、 また、永野説 に対する批判がなされていると読 むべ きであろ う7)0

前 田 (2000b)において1500ほどの 「か らので」 の文例 にあたってみた。

す る と、「‑ か らといって

‑ か らこそ」 などの 「か ら」が 「ので」 に置換で きない といった統語 レベルの問題、丁寧 さの度合いが変わる とい う文体 レベル の問題 を除 くと、多少のニュアンスを無視すれば、ほ とん どの 「か ら」 と 「 で」 は置換可能である とい う印象 をもった。統語上の問題がない もので、置換

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す ると不 自然 になるのは、調査対象のほぼ総てが以下の文例の ような 「とい う ので」 に関する ものであった。

① 「ところが、着 てる服が服 だ とい うのB 、 だれ も、その天文学 者のい う こ とをほん とうに しませ んで した」(F星 の王子様』サ ン‑テ グジュペ リ、内藤濯訳。下線 は筆者。)

上の 「ので」 を 「か ら」 に換 える と文意が損 なわれて不 自然である 意味論 の上か ら両者の置換が許 されないのは、 この ように極めて僅 かな例 だけであっ た。内田万里子 (1998)で 「極端 に言 えば、「ので」 はほほすべ て 「か ら」 に 言い換 え可能である、つ ま り、ニュア ンスの違いは多少あるに して も、「ので」

は可能であ るが、「か らは不可能であ る とい う文 はない と思 うと主張す る人 もいると述べ られているが、筆者 もその一人であるト

「カラー 主観、 ノデー客観説」が完全 に破綻 をきたすのは数学関係 の文 にお ける両助詞の用法である 前 田 (2000‑b)にお いて調べ た中学、高校 の7冊の 教科書、参考書では、定理 、公理の説明 に も、証 明 にも総 て 「か ら」 一色 とい えるほ ど圧倒 的 に 「か らが多用 され、 「のでは皆無 に近 い状況 であ った

今、あ らためて手元 にある最新 の教科書 を見て も事情 は同 じである

②半円の弧 に対す る中心角は1800である旦込 、円周角 は900である 円の弧 に対す る弦 は直径であ るか ら、次 の定理が得 られる」(F新 しい 数学3』東京書籍、2001。下線 は筆者。)

上の ような使用例 は枚挙 にい とまが ない。 もし 「か ら」 が主観的 に原因 ・理 由 を述べ る助詞である とすれば、最 も客観性が要求 される場 で主観的 な 「か ら」

が多用 される とは不思議 な現象 と言わ ざるを得 な

山下 (上掲) には 「日本語教育 においては客観的か主観的か とい う説明を加 えず、 「か ら」 は直接 的 に理 由 を表す ので、丁寧 さを出 したい場合 は 「ので を使 え とい う指導で十分で はないだろ うかとある 同感 である 筆者 は さ らに、辞書の説明か らも主観 ・客観の記述 ははずすべ きだ と考 える た とえ多 くの辞書が採用 した説であ って も、類義語の差異が教師の語感 と異 なる場合は 日本語教 師 自身、類義性の分析 に参加すべ きであろ う 研究成果の積み重ねが 国語辞典、類義語辞典、 日本語文法書等の改善 に結 びつ くはずである

既存 の国語辞典 の不備 は国広 (1997)で詳 し く指摘 されている。 そ こでは

「あ らゆる」 と 「すべ ての」、「経験と 「体験」、「風景」 と 「光景」 といった 類義語の分析 に大 きくペー ジが割かれている 類義語の差異 を辞書で知ろうと

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すると、辞書の不十分 さが見 えて くるのである 同書の 「最近のように、外国 人の 日本語学習者が増 えて きて、その人たちのために十分な意味の説明をしよ うとす る と、途端 に不十分な ところが 目に付 くようになる」 (p.2)という指 摘 は 日本語教師のほ とん どが抱いている思いではないだろうか。大野 (上掲書)

にも 「意味」 と 「意義を分析 した箇所で、「ほん とうは、辞書にはそ うい う ことが書いてあるべ きなのです。書いてないのは、 日本の辞書制作がそこまで 進んでいない ということです」 (p.27)とある

日本語教師の抱 える語嚢、表現に関する問題 は国語辞典、類義語辞典を読ん で も難問氷解 といかない場合が少なか らず存在する。類義語の意味論的差異の 説明はその代表的な例である 類義語の意味分析が必要な所以である

3.そば ・近く

3‑1 「そ近 くの類義性

そば」 と 「近 く」の両語はさほ ど類義性が強い とは感 じられないか もしれ ない。筆者 もそ う考えていた。 ところが、数年前、筆者が招かれて行 ったある ボランテ ィア 日本語教師のグループで、空間に関 して使用 される 「そば」 と

近 く」の違いをいかに捉 え、 どう教 えればいいか という問題提起があった。

それまで、筆者は 「そば」は 「ある基準 になるもののかな りの幅 をもつ左右 にあって、両者の間に異物がな く、両者の距離が接近 している状態」 と捉 えて いた。10数年前、留学生のクラスで 「そば「とな り横」の違いについて質 問があった ときもそのような説明の仕方 をした ある基準 になるものの左右の 直線上にある場合はその ものの 「横」、横 にあって、基準 の もの との間に同類 の ものがない場合が 「とな り」、斜め横 などを含むかな りの幅の広が りをもつ 横 にあって、指示 されるもの と基準 になるもの との距離がほ とんど無い、ある いは非常 に近い と感 じられる状態が 「そば」 とい う意味で説明 した 振 り返 っ てみると、「そば」 に関 してこの ような語感 をもつに至 ったのはおそ らくこの 語にあて られる 「側」ない し 「傍」という漢字のせいではないか とも思われる なお、「とな り」 について もその後捉 え方が多少変わったので後に簡単 に触れ てお きたい。

そのボランテ ィア日本語教師の集 まりに筆者はア ドバ イザー的な立場で招か れていたので、「そば」 に関する持論 を説明 した ところ、一人の教 師か ら、す ぐ前、す ぐ後で も 「そば」を使用するという意見が出た。また、他の一人か ら、

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間に他 の同類の物があって も、例 えば郵便局 と駅の間にい くつかの建物があっ て も、「郵便局 は駅 のそばですと言 えるとい う意見 も出た。そ こで、「長崎 中央郵便局 は長崎駅 のそばだと言 えるか どうか出席者 に聞いてみた。両者 は直線で250メー トルほ どの距離があ り、間に一区画の建物群があ る。10名ほ どの出席者のなかで、それが言 える とい う人は3名で、他 はそ う言 わない と答 えた。す ぐ前、す ぐ後 に関 しては、「そば」 を使 う、使 わないが ほぼ半数ずつ に分かれた

3‑2辞書 類の記述

辞書 にあたってみ る と、辞書の記述 に もゆれがある 空間に関す る 「そば」

の説明で、「近 く」 だけをあげ、「横」 ない し 「わ き傍 ら」 の記述が無 い も のは調査 した14冊 中、『大 日本 国語辞典』 (冨 山房)、『国語辞典』 (集英社) な 6冊 と少 なかった類語例解辞典』 (小学館、1994)、森田 (1989)基礎 日 本語辞典』 もこの グループに入っている

そば」 に 「わ きや 「の意味 を記述 しない立場 を取 るものの中で F 辞泉』 (小学館、1995)は、「空間の隔た りがあ ま りない所 、近 く」 と語義 を説 明 し、用法欄 に 「そば」が 「わ き」に限 らない こと、お よび 「そば」 と 「近 く

との差異 をほぼ以下の ように説明 している

「そばはその物か ら全方向の距離 を示すが、「わ き」 はその物か ら左 右 の距離 を示す。 「そば」 はその物 か らやや離 れた周辺 まで を意味す る「わ き」 はす ぐ横 を意味す る近 くの方が 「そばよ りやや範囲が広い とい えよう

一方、『日本語大辞典』 (講談社、1995)では 「①近 く② す ぐ横 、わ きと記 述 は簡単 であるが、「そばが近 くだけでな く、す ぐ横 、 わ きと同意で使用 さ れることも明記 されているF広辞苑』 (岩波書店)F大辞林』 (三省堂)なども

この立場 である

F新明解国語辞典』 (三省堂、1997)には次 の ように記 されている 空間の隔た りが無 い こと ある物の、す ぐ ・横 (近 く)。かたわ ら

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この説明 は 「す ぐ近 く」 と同意 なのか、「す ぐ横」 だけ と同意 なのか分か り に くい。 「かたわ らが独立 して記述 してあ る ところ を見 る と、 「す ぐ横」 と

そば」が同意 とい う捉 え方 に傾 いているのではないか とも考え られる

F現代 国語辞典』 (三省 堂、1996)では、「ある もの ・ある人のす ぐ近 く。 と説明 し、「す ぐ近 く」 だけか と思 うと、直後 に類義語 と して 「かたわ ら あげてある この ようにか な り多 くの辞書の説明が 「そばと 「す ぐ横」 ない し、「かたわ ら「わ き」が同意であ ることを示唆 したが っている ようであ る これは筆者が参加 した 日本語教師の集 ま りにおいて、「そ ば」 は直前 直後 の も の については使 わ ない とい う人が筆者 も含め て半数 いた こ とで も分か る よう に、辞書執筆者 に も同様の意識 を持 つ人が少 なか らずい ることを示す もの と考 え られる

3‑3 「そば」と 「近 く」の差異

「そば」 と 「近 くの類義性 を考察するとき、問題 は3点ある 1つは 「 近 く」 を使 って指示 される もの と基準 との間に主 と従の関係 があ るか、

言い換 える と、隔た りを測 る基準 にいかなる もの をとるか、す なわち基準 の種 類である 他の1つは、基準 との前後、左右、上下の位置関係 に制限があるか とい う問題 であ る 最後 の1つ は、基準 との隔 た りの範 囲が どれほ どまで を

そば近 く」 と言 うか とい う問題 である

これか ら文例 をあげなが らその3点 について考察 してい くが、文例で (森 田) は森 田 (1989)よ り、 (類解 ) は F類語例解辞 典』 (上掲 ) よ り、 (温泉 ) は F九州温泉大図鑑 [横綱版 ]』 (長崎 デー タベース、1995)、 (ドン) は Fドン ・ キホーテ』 (セルバ ンテス、牛 島信 明編訳、岩波書店、1987)よ り引用 した も ので、他 はその都度出典 を記 し、出典の無い ものは自作 である

3‑311基準 の種類

すで に一部使用 したが、「ABのそば/近 く」 と言 う ときのAにあたる物 を指示物、Bに くる もの を基準 とい う用語で表す ことに して論 を進めることに す る まず、両者の間で主 と従の関係が不可欠の要素であるかについて検討 し てみ よう

① フォボス とダイモスの二つの衛星が火星のそばを回ってい る。 (森 田)

②*フォボス とダイモ スの二つの衛星のそばに火星が ある。 (森 田)

(9)

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(参耳のそばに小 さなほ くろがある。 (森 田)

④ *小 さなほ くろのそばに耳があ る。 (森 田)

森田 (上掲)で は① か ら(丑、③ か ら④へ といった変換が不 自然 になることか ら基準 と指示物 との間に主 と従の関係 がある として、「「そば」 は本来、主 とな る特定 の ものの近 くの位置であって、ただ距離の近 さだけ をい うので はない。

と説 く。ここで使 われている 「主」の意味がやや判然 としない ところ もあるが、

おそ ら く、「わ きや 「かたわ らを使用す る場 合の主 と従 の関係 を さす もの と思われる 森田 (上掲)では 「わ きかたわ ら」 に次 の ような説明がある

「かたわ ら」 については、「母のかたわ らで無心 に遊ぶ子本堂のかたわ らに 小 さな地蔵堂が建 っている」 とい う例文 を示 した上で、「主 となる ものAのす ぐ横 (左 右) にBが位置す る場合であ る。」 とし、 さらに詳 しく解説が な され ている「わ きの説明 において も、 「主 となる もの (立体 的 な もの)の両横

(左右)の側 をさす。」 と解説 されてい る

おそ ら く、「そばにおける主 と従 の関係 もこの ような意味で使 われている のであろ う だが、はた して 「そば」 を使用す る とき、その ような主従関係が 必須の要件 となるであろうか。確かに上の(∋や(動を見る限 りその ようなことが 言 えそ うであるが、 これは基準の種類 に内在す る問題であ って、必ず しも表面 的な主従 の関係 とは言 えないのではあ るまいか。① における 「火星は周知 と 考 えられる ものであ り、(釘における 「はその位置が普遍性 を持 つ ものであ

るか ら基準 として使用 される と言 うべ きではないだろうか。「フォボス「ダ イ モスは周知ではな く、「耳」 に対 して 「ほ くろの位置 は普遍性 が ないので 基準 として使 えない。 したが って(手か ら(参、(彰か ら④ の変換がで きな くなる と 考 えるほ うが妥当ではないだろうか。

⑤ 夫 は休みの 日となる と終 日テ レビのそばで ごろ ごろ してい る 今 もつ けっぱな しのテ レビのそばで大軒 を掻 いてい ぎたな く昼寝 している (む歴 史 を感 じさせ る洋館 のそば に巨大 なマ ンシ ョンが で きて、 この辺 り

の景観は台 な しだ。

⑤ は 「夫」 につ いての文 であ り、「テ レビ」 は重要ではあるが、テ レビが主 で夫が従 とは言いがたい。(釘は大 きさだけを問題 にする と 「洋館」が主で 「マ

ンション」が従 とは言えな

⑦ 新 しい映画館 は駅舎のそばにで きた大 きな ビルの6階にある (参駅舎のそばに大 きな ビルがで きた。その6階 に映画館がある

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(う で も(釘で も、駅舎が主で大 きなビルが従 とはいえない。駅は周知 と考 え られるか ら基準 として使 われただけ と言 える

この ように基準 として使用 される ものは、(丑、⑦ 、⑧ に見 るように、聞 き手 (情報 の受 け手)にとって既知 と思 われる もの、有名な もの、あるいはその場 に一つ しかない もの、③ のように普遍性 を持つ もの、あるいは聞 き手 にそれ と す ぐ分かる もの、⑤ や(むの ようにそれに聞 き手 の意識 を向けたい ものである 一見、基準 は主 となる もの とい う印象 を与 えるが、必ず しも主 ・従 という意識 の下で使用 されるわけではない と言 える

動 くものが指示物 と基準 にな り得 るであろうか。

⑨ この二匹の犬は仲が良 く、 どこに行 くにも互いにそばを離れない。

⑲親犬のそばで じゃれる小犬。 (類解)

⑪ (てる女 は‑筆者)春琴の死後 は佐助 に仕 えて彼が倹校の位 を得 た明 治二十三年迄側 に置いて貰った と云ふ。(春琴抄谷崎潤一郎)

⑫ ジ ョギ ングしている彼女 のそばを夫が自転車で走 っている

⑲ は親犬が寝 そべ っていて も動いていて も可能である ⑪ は佐助が静止 して いることを意味 しない。む しろ生活 している佐助 を連想す るのが普通であろう この ように指示物、基準 とも動 きをもつ場合、あるいは基準が静止 し、指示物 が動 く場合 は 「そばの使用は可能である。ただ し、森 田 (上掲書) にあるよ

うに、基準が動 き、指示物 だけが静止 とい う関係は成立 しない と考 えられる

⑬工場 の敷地の塀 のそばを太郎がバ イクで周回 してい る

⑭ *バ イクで周回 している太郎のそばに工場の敷地の塀がある

⑬ は可能で も⑭ は不 自然である

では、「近 くにおける基準 と指示物 の関係 は どうであろうか。上の文例( か ら⑭ までで、「そば」において自然 な文では、距離感が多少変わるが、「そば

を 「近 くに置 き換 えて も総 て自然 な文 となる「そば」 において不 自然 な文 は 「近 く」 に置 き換 えて も不 自然である ただ し、以上の文では基準 になる も のが総て輪郭 を明瞭 に特定で きるものであるとい う点に注意 しなければならな い。はっきりと特定で きに くい ものの場合はどうだろうか。

⑮ *国境 のそばでの衝突。 (類解)

⑯*沖のそばに点 々 と群がる漁火。 (森 田)

*川の真 ん中のそばで魚が跳ねている

⑮ か ら⑰ は総て 「そばでは不 自然であるが、「近 くに置 き換 えると自然

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になる もっ とも助詞 「のをはず した 「国境近 く沖近 く真 ん中近 く」

の ほ うが よ り自然 で は あ るが 、 その ままで も悪 くは ない 以上 の こ とか ら、

「そば」 の場合 の基準 になる もの と しては明瞭 に特定 で きる もので なければな らないが、「近 く」 の基準 は境 界がやや ぼけた特定 しに くい ものであ って も構 わない ことが分かる

ちなみ に、⑮ は 「国境付近での衝突」 の ように 「付近も適切 である ⑰ は

川の真 ん中あた りで」が より適切 であろ う。「近 く」が基準 を含 まず、基準 か ら隔 た りの少 ない点 または面 を表すの に対 し、「付近は点 よ りも面 を表す場 合 に多用 され、紛争の ように広が りを持つ ものでは適切 になる。

⑱ 東京付近の水族館 。 (類解)

⑱ で は水族館 は特定 の 1つで は な く、複 数の ものが考 え られ る。 「近 く」 に 置 き換 える と、 1つで も複数で も可能であ る。⑱ を 「東京あた りの水族館」 に 換 える と、「近 く付近と異 な り、東京 の中の水族館 を含 む場合が考 え られ この ように、「近 く付近」 が基準 を含 まないの に対 し、 「あた り」 は基 準 を含 む面の広 が りと して も使 用 され る点 で異 なってい る もっ とも、「あた

り」 には次 の ような用法 もある

⑲ ち ょうど、あた りの木 々の こず えで は、色 と りど りの多 くの小 鳥 た ち が早 くもさえず りは じめてお り、 (ドン)

この場合、基準 は含 まれていない と考 えるべ きであ る。この ように 「あた り は基準 を含む場合 もあ り、含 まない場 合 もある と言 える

論 を戻す と、「そば」が輪郭の不鮮明な もの を基準 としに くいのに対 し、「 」 は基準 の輪郭 に制 限 を持 た ない とい うことになる ただ し、「そば」 の基 準 となる ものの輪郭 は、指示物が近接 す る片側 だけが特定で きれば よい。

⑳ 海のそばの家 は潮風 に含 まれる塩 分のため に傷 みやすい。

一方 の輪郭が水平線 のか なたに漠 として分か らない大洋であって も、家が近 接 す る側 の輪郭が分かれば 「そば」 は使用で きるわけである

3‑3‑2基準 と指示物の 位置関係

今 回、本稿 を書 くにあた り、あ らためて19名の人 に 「そば」 と指示物 の位置 関係 を尋 ねてみた。す る と、ボ ラ ンテ ィア 日本語教 師の集 ま りの時 とやや異 な 、19名中6名が、前後で はな く、左右 の位 置 に限定 して使 用す る と答 えた。

左右 の位置 に限定す る と答 えた6名は全員40歳代以上 で、一方 、中学 ・高校生

(12)

5名は総て左右に限定 しない と答 えた。 また、後 ろを除 く周辺 とい う意見が 2名あった。調査対象が少 ないので何 とも言えないが、世代 間の意識の違いが 多少感 じられて興味深い。

では、位置関係の実際はどうであろうか。例文 を見 なが ら検討 して見 よう

①金鱗湖のす ぐそばに70数年前 、個人の別荘 として建て られた この宿 は、

老舗 中の老舗。 (温泉)

②子供のそばに近寄 る。 (類解)

③ 山田は講義の ときはいつ も教卓のそばに席 を取 る

(∋ では湖 に前後 は考 え られないので水平面 における前後左右 とい う方向は 問題 にならない。② では子供 にどの方位か ら近づいて もよさそうである ③ で は教卓の正面の席 しか考 えられない。 どうや ら左右 だけ とい う限定 はない とい うべ きである 教師 を遠巻 きに している生徒たちに向か って教師が次 の ように 言 った としよう

④ もっとそばに来なさい。

この とき生徒 たちは周囲か ら教師の前後左右の どこに対 して も距離 を詰める であろう

以上で分かるように、基準 と 「そば」の関係 には、左右方向のみで前後は排 除 される とい った制限はない といえる。 この点 で 「そば」 は前後 を含 まない

かたわ らわ き」 と異 なっている また、左右方向への並 びに限定 して使用 される 「とな り」 とも異 なるそばには並 び とい う意識 は必要 ないわけで ある。その点において 「とな り」 は 「そば」 と類義性 を持 たないといえよう

ちなみに、「とな り」 については中道知子 (1999)で 「横」、「との関連 で分析がなされ、「トナ リは同種の ものの並 びについて使 う語である 横 には そ ういう制限はない。」 と述べ られている同種」 をどこまで とす るのか、す なわち、 どこまでの上位語で括 って 「同種とす るのか分か らないが、理髪店 の入口に 「駐車場は とな りです」 と書かれているの を見かけたことがある た、「この温泉 は隣に供 え られた薬 師如来像 と共 に町内の シンボル となってお 」 (温泉) という文 もある さらに、 日本語 を教 えていて、卵、みかん、ラ ジオ、帽子、箱 などを横一列 に並べ、「みかんの トナ リは何ですか。」 といった 練習 も可能である トナ リは、同類、同種 に限定 されることな く、並 びとい う 意識があれば使用で きる語である 離れていて も 「トナ リの家」 と言 えるのは 何 らかの並 びの意識があるか らと考 えられる

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長崎大学留学生 セ ンター紀 要 9 2001 75

そば」 は左右方向のみ に限定 され ない点で も、 また、既 に指摘 した ように 基準 との間に主 ・従の関係 が ない点で も、「かたわ ら「わ きとは異 なってい

る̀。では、基準 と垂直方向 に対 して 「そばは可能であろうか。

⑤ 底 の近 くに身を寄せ ている鯉。 (森 田)

⑥ 成層圏の近 くまで昇 った。 (森 田)

森 田 (上掲書)では 「漠然 たる範囲 を基準 とす る場 合「そば」が使 えない 例 として上の① ⑥ な どがあげてある 筆者 は 「そば」 は垂直方向の位置関係 に は使 えないのではないか と考 えていた。 ところが次の ような文が成立すること か ら、森 田説が妥 当である考 えるに至 った。

⑦ 底 の岩のそばに身を寄せている鯉。

(釘魚が海底 にある岩 のそばか ら水 面 の ブ イのそば までい っ きに浮 き上が るのが見 える

この ように 「そば」 は基準 との方向 において水平 に も垂直 にも制限はない と いえる。

3‑3‑3基準 との隔た り

そばは基準 との隔た りが少ない ことを意味す る これ までに 「そば」 と

近 く」 の置 き換 えを行 なった とき、「そば」 を 「近 く」 に換 える と基準 との距 離がやや伸 びる ことが感 じられた。 「そば」 はおおかたの辞書、類義語辞典が 示す とお り 「近 く」 より基準 との距離が短いわけである しか し、次 の ような 表現 を目にする とき、その距離 とはいかほ どなのか疑問 を砲か ざるを得 ない。

(∋彼 はす ぐそばに主人が横 になっているの を認め る と、蚊の鳴 くような、

情 けない声で呼びかけた‑ (ドン)

② 雲仙温泉街の入 り口の 「白雲の池」そばに平成5年 にオープン0 (温泉)

そば」 は基準 か らの隔 た りが非常 に少ない場合 に使用 されるはず なのに① にある ように 「す ぐそば」がかな りの頻度で使用 される。裏返せば 「す ぐそば ではない 「そば」があるこ とを意味す る (参は雲仙のある高級 「旅亭」 の場所

を紹介 した ものである池」か らそ こまでは400 メー トル、あるいはそれ以上 あ り、筆者の語感 としては 「そばは使 いに くい。 しか し、前 に紹介 した よう 250メー トルほ どの距離があって も、「長崎中央郵便局 は長崎駅のそばだ

言える と言 う人 もいる まさに 「す ぐそば」ではない 「そば」が存在するわけ である では、基準 との隔 た りをどの ように捉 えるべ きであろ うか。

(14)

教室で次の ような発言がなされた としよう

③講師のそばの席 に座 ろう

④講師の近 くの席に座 ろう

③ では通常、一列 目の講師の正面 の席が考 えられる ④ では1目だけでな く、2列 目、3列 目あた りの席 まで考 えられ、必ず しも講師の正面 だけ とは限 らない。確かに 「そば」は基準 との距離が 「近 く」 よ りも短いのである また、

上の例か らも 「近 く」のほうが 「そば」 より示す範囲が広い とも言える

⑤遠い親類 より近 くの他人。

⑤ は森 田 (上掲書)で 「近 く」 を 「そばに置 き換 えることので きない例の 一つ と して取 り上 げ られている この文 で 「近 く」 を 「そば」 に置 き換 え、

「そばの他人」 にする と、隣近所 に住 んでいる人の意味 ではな く、困ったこと が生 じた とき自分の周 りにたまたまいる人の意味 にな り、諺の意味が変わるこ とになる この ことか らも身の回 りを表 している 「そば」のほうが隣近所 を表 す 「近 く」 より基準 との距離が短い ことが分かる

では、② の ように400メー トル以上離れた所 にもなぜ 「そば」が使われるの だろうか。それには 「そば」使用 に際 しての2つの要素が関与 している と考 え られる 1つは現場での使用であるか、テキス トの中での使用であるか とい う こと、他 の 1つは指示物 と基準が ともに含 まれる枠の大 きさである 実際 を知 っている人が雲仙 の中にいて、② を使用す ることはかな り難 しい と言 えよう

②が可能なのはテキス トの中だか らである この ときの 「テキス ト」 は必ず し も書かれた ものだけではな く、現場 を離れた発話 まで も含めた意味である ( で 「そばが使 われたのは、(参の筆者 に 「白雲の池」か らそこまでほ とんど距 離がない ことを伝 えたい という意識が働 いたか らであろ う さらにまた、池 も

旅亭」 も雲仙の 自然 とい う大 きい枠の中に存在するので、400メー トルやそ こ らの距離 は短 い と感 じられ、「そばを使用 した くなったのではあるまいか。

教室や講堂 とい う枠であれば5メー トルで も 「そば」 の使用は難 しくなる (む湯布院民芸村や金鱗湖 とい った湯布院の観光名所 のす ぐ近 くにあ りな

が ら、静 か な温泉情緒 に浸 れ る温泉宿 で、平成 76月にオー プ ン

(温泉)

上の⑥ の 「す ぐ近 くも⑤ における 「す ぐそば」 と同 じ意識の もとに使用 さ れていると考 え られる 地図で見 る限 り、この温泉宿 は 「民芸村」か らも 「湖」

か らも10メー トル内の距離 には無 さそ うである それで も 「す ぐ近 く」が可能

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なのは、距離が絶対的 な ものではな く、心理的 な ものであ り、枠 の大 きさに よ って も左右 される相対 的な もの だか らであ る

以上 の こ とか ら、「そ ば」 において も 「近 く」 にお いて も、基準 か らの隔 た りの大 きさは、規場 での発話であるかテキス トの中での使用であるか に よって 異 な り、 また、テキス ト内での使用で は指示物 と基準 とが含 まれる枠 の大 きさ

との相対的 な関係 に よって決定 され る とい える また、「近 く」 のほ うが 「そ ば」 よ りも基準か らの隔た りの範囲は広 く、「そば」 は 「近 く」 に含 まれるが、

単 に 「そば」、「近 く」 として使 用 され る ときは、「そば」 の ほ うが基準 か らの 隔 た りが よ り少 ない といえる

3‑3‑4まとめ

以上で検討 した こ とを纏 め る と次 の ようになる。

1)基準の 種類

「そ ば」 の基準 になる ものは周知 と思 われる もの、聞 き手 (情報 の受 け手) に とって既知 と思 われ る もの、その場 に一つ しか ない もの、聞 き手の意識 を向 けたい ものな ど特定 Lやす い ものであ る近 くにおいて も同様 であ る

近 く」 の基準 は静止 した もの、動 くもの どち らで もいいが、静止 した も の を指示 したい とき、動 くもの を基準 にす る こ とはで きない。 「そば」 の基準 は輪 郭が特定 で きる明瞭 な もので なければな らないが、「近 く」 では海面 、底 な ど輪郭が特定で きない もので も可能 であ る また、 どち らの場合 も 「わ き」

「かたわ ら」 に見 られる ような基準 との主従関係 は必 須要件 ではな 2)基準 との位置関係

「そ ば近 く」 ともに、基準 との方向 に制限 はな。水平 方向、垂直方向 の全方位 に関 して使用で きる

3)基準 との隔た り

そば」 のほ うが 「近 く」 よ り基準 との隔た りが小 さ く、示す範囲 も狭 い。

基準 か らの隔 た りは絶対的 な ものではな く、現場 にいるかいないか に よ り、 ま た、示 され る もの と基準が ともに含 まれる枠の大 きさとの関係 によって決定 さ れ る 隔た りは話者が現場 にい ない ときは大 き くな り、現場 にいる ときは小 さ くなる。 また、枠が大 きい ときは隔た りも大 き くなる。枠 の大 きさと隔 た りは あ る種 の比例関係 にあ る とも言 える。いず れの場 合 も 「近 く」のほ うが 「そば

よ りも基準 か らの隔 た りは大 きい。隔 た りの大 きさは 「そ ば近 く」 ともに

参照

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