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伊井春樹

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Academic year: 2021

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国文学研究資料館紀要第五号︵一九七九年三月︶

山岸文庫本

要旨山岸徳平博士蔵の﹁物語古写本﹂︵黒川本︶と題する中世擬古物語を翻刻するとともに︑初めに年立・系図を

付した︒今のところ他に類本を見ないため︑仮に内容から﹁栗栖野︵くるすの︶物語﹂と称することにした︒ 栗栖野物語︵仮称︶l解説と翻刻I

伊井春樹

− 1 9 9 −

(2)

印︑本文第一丁の右一

れる︒また巻末には︑ 本書はタテ二○・一︑ョ.一三・九センチ︑本文料紙は楮紙︑一面一四行書き︑墨付四三丁︑袋綴の一冊本︒表紙は白地に薄藍による唐草摺模様︑左肩に﹁物語古写本全﹂と打付書︑遊紙の下方と巻末に﹁筒井蔵書﹂の円形朱印︑本文第一丁の右下には﹁黒川真頼蔵書﹂﹁黒川真道蔵書﹂の方形朱印が見られる︒書写年代は江戸中期かと思わ

黒川本筒井文庫蔵本也︑昨春借覧後︑俗事多端無返却之期︑偶然聞筒井氏蔵書処分︑乃船橋坊筒井氏黒川本悉

︵ママ︶皆譲渡テ実践女践之件談合了︑氏為所贈本書於余之書架云々︑六月廿日記

との︑山岸徳平博士筆による入手にいたる識語が付される︒船橋市の筒井政憲氏旧蔵︵筒井文庫︶黒川文庫は︑昭和

二十五年に実践女子大学が一括購入したが︑その折本書は山岸文庫に襲蔵されることになったらしい︒右はその間の

事情を記しているようで︑また﹁六月廿日記﹂とするのは︑同じ昭和二十五年のことであろう︒

この物語の成立については︑まだ確たることは言えないが︑内容的には南北朝期あたりであろうか︒恋愛物と合戦

讃との組み合せによる擬古物語で︑従来知られていなかった作品である︒詳細についてはいずれ明らかにしたく思っ

ているので︑ここでは本文の紹介をするとともに︑それを知るよすがとして年立と系図を示すにとどめておく︒

︵付記︶本書の調査にあたっては︑山岸徳平博士からの御厚情を賜るとともに︑翻刻についても積極的におすすめ下

さり︑心から深謝する次第である︒なお書名については︑お願いしていたものの︑お手紙などでも自由にとのお

話しであった︒それで﹁山岸本物語﹂とか︑冒頭をとっての﹁さるほどに物語﹂とか考えはしたが︑姫君の生れ

育ち︑回想もされる﹁栗栖野﹂をさしむき用いることにした︒

− 2 0 0 −

(3)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

│ ' ' J

17

さだふさ年齢 ︹年立︺

19 14

20 18

○さだあきら︵さだふさ長男︶誕生︒ ○さだふさ︑栗栖野姫と契る︒

○さだふさは︑将軍よしもりの隠謀により︑無実の罪ながら出羽国へ配流︒栗

栖野姫︑須磨に捨てられる︒老尼に助けられ︑一の谷に住むようになり︑や

がて五月五日に若君︵よしふさ︑さだふさ二男︶を出産する︒ ○大姫君︵さだふさ長女︶誕生︒

丁数一

− 2 0 1 −

(4)

Hf

○権中納言さだふさ︑出羽国に籠城して七年目となる︒都では︑筑紫の将軍よ

しもりが横暴をきわめるふるまい︒

○さだふさに赦免の倫旨︒さらに︑よしもり追討の宣旨が下される︒

○さだふさ︑東海道の御家人十万余騎を率いて上京︒

○さだふさ勢︑近江国瀬田の橋まで進撃︒よしもり勢は西洞院を城郭とし︑上

皇・主上を移し︑守備を固める︒

○さだふさ︑西洞院を攻撃して合戦となる︒院・天皇を救出︑よしもりと左大

臣さだみち︵さだふさの兄︶は︑一旦都を退く︒

○大宮面で合戦が再開される︒

○よしもり・左大臣勢は伏見に籠もる︒さだふさは攻撃し︑二人を生け捕りに

するとともに伏見殿に火をつける︒そのほか︑葉室大納言は生け捕り︑千葉

中納言︑吉田三位は討ち死にする︒

○さだふさはよしもりの首を刎ね︑左大臣を預ることにする︒ 九オニ○オ

四 四

オ オ

四ウ四ウ

− 2 0 2 −

(5)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

同二十二日

同二十三日

同二十四日

八月七日同中旬

同十六日 六月頃 ○嵯峨に隠棲していた今出川殿下は帰京し︑さだふさと父子の対面をする︒○主上は二条内裏へ︑上皇は院の御所へ還御︒○除目が行なわれ︑今出川相国は殿下に還任︑さだふさは権大納言となる︒○太宰府勢の攻めのぼろうとする動きを察知し︑権大納言さだふさは︑岩瀬・

北条・秩父の兵十万余騎を遣わす︒

○さだふさは︑高倉殿を修復して移り住む︒

○太宰府の合戦で︑反乱軍の右大臣もりつな将軍は自害︒一族の筑前中将もり

さね︑源侍従よしっなは遁走︒岩瀬まさっなに勧賞として筑前国を与え︑九

州を平定させる︒

○左大臣さだみちは大原で出家︒

○さだふさは栗栖姫の行方を探し求め︑六十六ケ国に六十六人の使者を立てる︒

○院の女五宮︑さだふさに降嫁︒

○一の谷の尼君没す︒亡骸を葬る︒

○一の国の国司万里小路中納言は姫君︵五月五日生まれの七歳︶の業病を直すた

め︑雑仕に同年同月日生まれの童児の生肝を取って来るように命じる︒食料

を求めに一の谷から里に出ようとして道に迷った若君︵よしふさ︶をみつけ︑

生年月日が同じであることを知り︑命を奪おうとするが︑その美しさに感じ

て侍たちは許す︒ 一三オ一三ウ一四オ一四ウ一五ウ

言 一 息 オ ウ

三 二 一 一

ウ オ オ ウ

− 2 0 3 −

(6)

十一月

○栗栖姫は若君の帰りの遅いのを案じて︑庵から探しに出かける︒若君は帰庵

して母と行き違いとなる︒

○近衛左大将は立願によって住吉へ社参し︑下向の折難波・一の谷を見物する︒

そこで木の根もとに倒れ伏していた姫君を発見し︑里の宿で看病する︒

○同じ宿に四十余歳の大輔の乳母と︑二十六︑七の女房中将が泊っていた︒二

人は︑姫君が須磨に捨てられて以来七年もの間︑その行方を探し求めていた︒

このようにして︑姫君は近衛左大将の妹であることが分かり︑二人の女房と

ともに上京し︑父の近衛大臣とも対面する︒

○近衛殿と今出川殿とは︑摂政の争いによって仲が不和︒院の五宮とのことも

あって︑大納言さだふさには栗栖野姫発見のことを知らせない︒

○大納言は︑宮中から退出する途中近衛殿の前を通りすがりに︑聞き覚えのあ

る琴の音を耳にし︑かいまみをして︑それが栗栖野姫であることを知る︒

○大納言は大輔乳母の手引きにより姫君のもとへ忍び入るが︑隣家の火事騒ぎ

で︑思いを遂げることができない︒父大殿は大納言の文を見つけ︑乳母に手

引きを禁ずる︒

○院の第五皇子桂宮は︑春宮になれないのを恨み︑九州の勢力と通じて謀反を

企てる︒

○九州の反乱軍が上京するとの噂が流れる︒出羽の太郎・次郎を大将として︑

二六オ

ニニ

二九オ 二八オ 一七ウ一九オ 八オ

− 2 0 4 −

(7)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

25

十一月二十七日

十二月初め

三月上旬

四月十日余 二月十三日 六万余騎を遣わすが︑九州勢の強大さに一旦中国まで退き︑京都に援軍を求める︒

○さだふさは︑東国勢七万五千騎を連れて︑自ら西海へ赴く︒

○桂宮は謀反の発覚する前に紀の国へ下ることにし︑栗栖姫君を奪い取って近

江路をさして逃げる︒大納言はすぐさま引き返し︑打出の浜で追いついて戦

い︑姫君を奪い返す︒桂宮は坂本へ逃げ入る︒

○さだふさ将軍は︑姫君を都へ送り届け︑そのまま津の国の難波の浦から︑七

百八十余艘の兵船で筑前の国へ赴く︒

○将軍は太宰府へおし寄せ︑反旗を翻したたけかつ︵岩瀬まさっなの弟︶勢を攻

撃する︒たけかつは︑肥後・周防・伊予国河野氏のもとへ逃げるが︑追撃し

て滅ぼす︒

○将軍さだふさの凱旋︒帝の御感によって右大将に任じられる︒

○桂宮は延暦寺で出家していたが︑ほどなく還俗し︑北国勢にさだふさ追討の

令旨を発する︒これも一院・女院の計画とのことで︑天皇との間も仲はよく

ない︒

○たかすけ・たかなりが︑西海道を完全に平定して上洛する︒

○堀川中納言の仲介によって︑今出川殿と近衛殿は仲なおりをする︒近衛大殿

は︑花宴を催して︑右大将さだふさを自邸に招く︒栗栖野姫君との仲が許さ

一 見 −

オ ウ

三 三

三 三 オ オ

二九オ

ニ九ウ

− 2 0 5 −

(8)

26

同二十一日 八月十五日 六月頃

三月中旬 れる︒

○右大将は︑一院の女五宮のもとへも︑人の批難のないよう変らずに通う︒し三六オ

かし︑女五宮の乳母などは︑さだふさを悪しざまに言う︒

○右大将は近衛の姫君︵栗栖野姫︶を高倉殿へ迎え入れようとするが︑八月に三六ウ

○姫君は悩みがちとなる︒一院の姫は︑しばしば近衛の姫君のもとへ赴いて苛三六ウ| 出産の予定とて︑しばらくは近衛殿に通うことにする︒

む夢を見る︒

○姫君の病状はさらに悪くなる︒十五日の暁方から出産の気配だが︑一向に生一二六ゥまれない︒女五宮のもののけによる︒

○姫君は絶え入ってしまう︒帝から勅使によって薬が下され︑それによって息三三七オ

を吹き返す︒やがて男児を出産する︒

一三八オ○若君五十日の祝いの準備︒

三八ウ○近衛姫君を︑右大将は高倉殿へ引き取ることになる︒

○中納言︵近衛大臣の甥︶は︑姫君を見られなくなることを悲しみ︑忍び入って三九才

歌を詠みかける︒

○桂宮の謀反によって︑北国は騒動する︒右大将の嫡子四位侍従さだあきら四○オ|

︵十二歳︶は元服し︑大将軍となって北国へ討伐に赴く︒

○桂宮は︑密かに仁和寺で出家する︒一四○ウ

− 2 0 6 −

(9)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

2 7

29 28

※物語は︑さだふさの十八歳から二十九歳までの間である︒それ以前については︑回想記事からの推定による︒

1111

四月八日八月下旬 ○院は︑桂宮の謀反などのこともあって︑桂院で出家︒女五宮も︑出家して同

じ院に隠棲する︒

○右大将は毎月昆沙門天へ参籠していたが︑この月も鞍馬寺に赴く︒そこで別

当から︑一の谷で見いだして養育している九歳の稚児が︑右大将の子供の頃

によく似ていることを聞かされる︒母の姫君と一の谷ではぐれてしまった若

君であることを知り︑引き取って都へ帰る︒

○近衛姫君に姫君誕生︒

○さだふさは左大臣に昇進する︒

○長子さだあきらは関東の将軍︑次男よしふさは西国の将軍として太宰府へ下

る︒ ○鞍馬の若君は十一歳で元服し︑五位蔵人よしふさとなる︒○大姫君は十三歳で春宮へ入内し︑女御となる︒ 四○ウ四一オ四二ウ四二ウ 四二オ四二ウ四ニウ

− 2 0 7 −

(10)

︹系図︺

| | 上 = 女 ズ 皇 院 ブ

1

、ご̲L

| | 乏 女 桂 ズ 五 宮

宮第

大棚卜吟ⅡⅢ卜陥個卜側肺卜|川塞嘩︾幸一濫域雫許銅幸峠養子︑高倉殿・東の将軍・権中納言・大納言.右大将︶政所

l右大臣もりっな

○納言

l近衛大臣

−1栗栖野姫君一一口 ×さだふさ ×l北方

−1

○l対の姫君

一一さだふさ l少将 三位中将 l中納言 l近衛左大将もるつぐ

四位侍従さだあきら

1大姫君

五位蔵人よしふさ

l若君︵近衛殿︶

l姫君

− 2 帖 一

(11)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

一の皇子︵春宮・帝︶帝1−1弟宮︵帝︶

︹凡例︺一︑翻刻にあたっては本文にできるだけしたがったが︑次の諸点に一部手を加えた︒

1漢字は原則としてすべて通行体に改めた︒

2読みやすさの便をはかるため︑私に改行したり︑会話文・心内語には括孤を付した︒

3句読点・濁点についても︑同じく私に付した︒

一︑虫損の箇所は空白とし︑その傍に推定できる語句については私案を示した︒

一︑意味不通と思われる語句とか明らかに誤写と思われる部分には︑傍に︵ママ︶と付した︒

一︑本書には歌が八首引かれるが︑それには一連の番号を付した︒なお︑そのうち一は︑﹁ふるごと﹂と記すよう

に拾遺集︵巻十四︑八七○︶の右近の歌である︒ ||姫君︵さだふさ二女︶ 大姫君︵さだふさ長女︶

一一

−209−

(12)

さるほどに︑すまの浦にすてられ給ひし姫君は︑あらきはまくにたをれふし︑なきしほたれておはしけるが︑﹁か

くて人にみつけられなぱ︑又うきめにあふ事もや﹂とおきあがり給ひ︑﹁なさけなかりし人のあたりをはなれいでた

るこそうれしけれ︒今はうみにしづみ︑こひしき人とおなし道にゆかばや﹂とおぽしめし︑なくノ︑たちてみぎわの

かたへあゆみ給ふ所に︑いづくともなくうつくしきどうじ一人きたりて︑姫ぎみに申やう︑

﹁あらきなみまにかくれんより︑いかにも命をまたふして︑つまの行ゑをきふ給へ︒いまだ此よにある人なれば︑

か坐りける所に︑七十にあまり八じゆんにちかきにこう︑かうぞめの衣におなし色のけさかけて︑はとのつえにす

がり︑すいしやうのじゆずつまぐり︑山中より出てはまにくだりけるが︑姫ぎみをみつけいとふしぎにおもひ︑御そ といふかとおもへぱ︑あともなくかきけすやうにうせにけり︒

姫君ふしぎにて︑﹁これは仏神のをしへなるべし︒さらば︑身なぐる事をぱと宜まるぺし︒さありとても︑此はま

にありはつべき事ならず︒道あるかたへゆかばや﹂とおぽしめし︑はかまのそばをたかくとり︑あゆみ給ふぞいたわ

しき︒いつならはしの事なれば︑御あし︵一オ︶よりもあゆるちに︑はまのまさごもくれなゐのちしほにこそはなり

にけれ︒一ちやうともあゆみ給わず︑こ上にたをれ︑かしこにやすらひ︑なき給ふより外の事ぞなき︒こと上いかは

す物とては︑すさきにさわぐなみのおと︑おきっしほ風ふきしほり︑おもひをすまのうら千鳥︑ともまどはせるこゑ

ならでは︑あわれをとふぺき物もなく︑よのほの人︑とあくるまでおなし所にたどりつ上︑たもとをぬらし給ひけ

る︒ ついにはあわせ給ふくし﹂

−210−

(13)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

と申ければ︑姫ぎみとふにつらさのまさる身は︑いかヌはこたへ候べき︒

﹁もしなさけある人ならば︑みやこの人のかよはぬ所にかくしおきて給われ﹂

と︵一ウ︶︑なみだとともに仰けり︒らうにもさるものLはてなれば︑﹁何さまたヌ人にてはあらじ︑みめかたちたぐ

いなくかヌやくやうにみへ給へぱ︑くげ︑大じんのみむすめ︑ま鼻は鼻こなどににくまれすてられやし給ひけん︒さ

なくはりうぐう︑じやうどよりあまが心を引みんため︑りう女のあがり給ふか﹂と︑とかくけしきをうかヌヘども︑

すさまじげなる事はなく︑たヌしほノ︑となきふし︑打むつけたるかほつきは︑たとへん物ぞなかりけり︒にこうお

もふやう︑﹁たとへいかなるへんげの物にてもおわせよ︒か比るうつくしき人を︑いかでかみすて申べき﹂とおも ばちかくたちより︑つく人︑とまぽりて申やう︑

﹁御身はいかなる人にてましノ︑候ぞ︒此へんにては︑いまだかやうなる人をみ申たる事なく候︒行ゑを御かたり

﹁みぐるしくは候へども︑わらはがいほりへいらせたまは買御とも申さん﹂

と申ける︒ひめぎみきこしめし︑

﹁それは何よりもうれしう候ぺし﹂

とおほせければ︑らうによろこび︑わがすみかへ御ともしてぞかへりける︒にこうなさけありて︑な鼻めならずいた

わりはぐ坐みまいらせけり︒こ坐にてわかぎみむまれ給ひけるを︑らうにかい人︑しくそだてたてまつる︒

此姫ぎみと申は︑こんゑお︵ニオ︶ほきおと良の御むすめ︑あめが下にあふぐもしるきみかさ山︑こだかくか上る

ふぢなみの︑色もにほひもなっかしく︑たぐひなきよそおひ︑又人なくおわすれば︑女御きさきにもそなはり給ふぺ

1−−

− 2 1 1 −

(14)

けれども︑かげのこぐさのたれぞとて︑ちふおとヌにもしられずしてさだふさ卿にまみへつ上︑心ざしあさからずれ

んりのちぎりをなし給ひ︑ぎよくろう金でんにしきのちやうのうちにおきふしあいしられ︑いつきかしづかれ給ひし

人の︑いつのまにかはかはりはて︑此よのうちともおもわれぬ︑人せきたへたる山中に︑しばおりふけるあんじつ︑

竹のはしらのふし所︑あさましげなるしばの戸に︑あけくれながめゐ給へる︑心のうちぞいたわしき︒

とし月のすぎ行まふにみやこのかたもおぼつかなく︑恋しき人のおもかげ御身にそふる心ちして︑ひとりなげき︑

ひとりかこち︑つきせぬ御なみだにくれなゐふかき御かほのにほひもうつるひ︑みどりのまゆもみだれつ上︑物おも

わしき御有さまいとヌみるかいありてうつくしうおはしければ︑あま君あわれにかなしくてとかくなぐさめまいらせ

けり︒たまノ︑︵ニゥ︶こととふものとては︑こずへをつたふましらのこゑ︑ふもとにつまこふしかのれ︑たへ人︑

おつる山水︑ほどなき軒をもる月かげ︑みれのあらしのおとならではあわれをかくる物なく︑いとさびしげなる所な

り︒ざうりぞくりがいにしへ︑わうしやうぐんのこ国のたびも御身の上にしられつふ︑御そでのかはくひまもなし︒

あさ夕のいとなみをもはこびてまいらする人なければ︑あまぎみぞさとへいで上︑とかくこしらへてはぐLみ申け

東のしやうぐんは︑でわのくに坐とし月をおくり給ふまLにふる郷のみこいしく︑大との︑まん所の恋なげかせ給

ふをきこしめすにつけても︑うってやのぼらましとおぽしめしたつ事おほけれど︑りんし︑ゐんぜんをもかうぷらず

しては︑てんのおそれもいかヌとつ上しみてすぐされけるゑんりよのほどこそしんぺうなれ︒つねにゆかしうおもひ

いで給ふ人ノ︑おほき中にも︑北のかたのおもかげはよと上も御身にたちそひ︑ひとりねのよなノ︑御心をいたまし

めずといふ事なし︒のどかなる春の︵三オ︶日ももうノ︑とながめくらし︑つれ入︑とながき秋のよはつまこふしか

にねをあらそひ︑きうか三ぷくの夏の日もたへがたく︑げんとうそせつの冬の夜はかさねふすまにあらしをいとひ︑

− 2 1 2 −

(15)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

人しれぬ御なみだにそでをしぼり給ひける︒ろうじやうしたまひてもはや七とせにぞなりにける︒みやこにはつくし

のしやうぐんのおごりいよノ︑ちやうじ︑君をもきみとしたまわず︑我ま上にふるまい給ふ事あげてかぞへがたし︒院

のひめ宮をもないがしろにもてなし︑ゆふ女をあまたならべおき︑よるともいわずひるともなくあそびをのみこのま

れければ︑君も臣もやうノ︑うとみ給ひけり︒されどくわんばく殿はもとよりしたしき御事にて︑今もかはらぬ御中

なり︒か坐るにつけてもみかどは︑東のしやうぐんのゆふしかりしふるまひをおぽしめしいだされぬ折なく︑こいし

のぱせ給ふをみたてまつり︑むかしよりさだふさ卿にこ坐ろよかりし大臣︑くぎやうおなし心にいひあわせ︑ごん中

などんにとがなきよしを折ノ︑そうもん申されけり︒もとよりしゆじやうは御にくみふか生らざり︵三ゥ︶し人の事

なれば︑やがてきこしめしあきらめ︑御しやめんのりんしをあそばし︑みなもとのよしもりてうてきたるあいだいそ

ぎたいぢすべきよし︑ひそかにさだふさしやうぐんのもとへ仰下されたりければ︑ごん中などん大きによろこび︑御

しやめんの御りんしをいた叉き︑ちよくでうのおもむきかしこまりうけたまわりたるよし申されけり︒しやうぐん︑

﹁さらばうってのぼるべし︒さりながらわれのぼるとしりたりせぱ︑ぎやうかうをも︑ごかうをもさいごくのかた

へなし申くし︒さあらぱいぐさむつかしからん︒いかにもひろうなせそ﹂

とて︑ひそかにせいをもよほされけり︒

東かいだうの御けにんっがう十まんよきを︑五手にわけて五どに上らくす︒まづしやうぐんはくつきやうのつわ物

をえらび︑わづか五千よきにて一ぱんにのぽらせ給ふ︒︲しのびての事なれば︑五千よきがむらノ︑になりてかいだう

を上らくす︒二ばんにいわせのみんぶ︑二万よきにてうってのぼる︒三ばんにほうじやう三万よき︑四ばんにち上ぷ

こ万五千よき︑五ばんにうきしまひやうへ二万よきでぞのぼりける︒しやうぐんは卯月はじめにでわのくにをたちた

︵四オ︶まふ︒みやこにはこれをばゆめにもしりたまわで︑花のん︑月のくわいなど上て︑ゆふけうにほこりておは

− 2 1 3 −

(16)

します︒左大臣殿やふしみどの坐心のほどこそあさましけれ︒ご・ん中などん殿は︑おなしき十九日あふみのくにのせ

たのはしにぞつかれける︒此よしみやこへきこへければ︑らく中のさわぐ事な上めならず︒上くわうはおどるかせ給

へども︑しゆじやうはさはがせ給わず︒さふやよしもり卿は︑かねてよりおもひまふけ給わい事にもあらねど︑さな

がらけふあすとはおもはざりつるに︑﹁こわいかにせん﹂とさわぎ給ふ事かぎりなし︒さてあるべき事ならねば︑よ

しもり中などんの︑此比つくられけるにしのとうゐんのやかたをじゃうぐわくにこしらへ︑ぎやうかうをもごかうを

もなしたてまつり︑五きないのつわ物︑ざいきやうのぷしどもをめしあつめけるに一まんよき有けるを︑とうゐんど

のにこもらせしゆごさせ給ひける︒

廿日のうのこぐにさだふさ卿うった生んとしたまひけるが︑よしもりぎやうかうをもごかうをも我しゆく所へなし

申されたりとき上給ひ︑しばらくひかへてあんじられけるが︑しやうぐんのたまふやう︵四ゥ︶︑

﹁いかにくつきやうのじやうぐわくなりとも︑こもられたる大しやうたち心にくLもあらず︒その上せいもぶぜい

なりときけば︑おしよせてこん日のうちにせめおとさん事いとやすけれど︑君をなやましたてまつらんがなんぎな

れば︑はかりごとをもっててきをぞひきいだし︑みかたのぐんぜいを入かへぱ︑さだめてよしもりふしみをさして

おつくし︒さあらん時におっかけてうたん︒てうてきといひ︑おやのかたき一かたならぬてきなれば︑よしもりを

ぱ人でにはかくまじ︒さだふさがてどりにせん﹂

さて五千よきを三手にわけ︑二千よきにてあふてへごん中などん殿むかわせ給ふ︒千五百よきをぱでわの太郎引ぐ

し︑からめてへむかふ︒残千五百よきはうしろづめにひかへたり︒あふてからめて三千五百よき︑みのこく斗ににし

のとうゐん殿へおしよせ︑時をどっと上にけり︒じやうの内にもせいを二手にわけ︑おふての大やうぐんには︑左大 とぞのたまひける︒

− 2 1 4 −

(17)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

臣くわんばく藤はらのさだみち二郎六千きにてにしのもんをかため給ふ︒からめての大しやうぐんは︑みなもとのよ

しもりよきつわもの︵五オ︶四千よきにてひがしのもんをかためられけるが︑いづれも時のこゑをあわせけり︒たが

いにしばらくやいくさして時うつりければ︑うちもの堅さやはづし︑おふつおわれつた些かいける︒かねてたくみし

事なれば︑からめてのよせてせめあぐんだるていにもてなし︑かはらをさして引しりぞく︒てきがづにのりて︑﹁いづ

くまでものがすまじ︒かへせ︑もどせ﹂とておっかけたり︒そのひまにおふてのせいもにぐるよしにもてなし︑やが

てひがしのもんより打入︑うしろやにいかけける︒のこしおかれしごづめのせいもかも川をはせわたし︑ごん中など

んどの坐おはしますひがしのもんへくは坐り︑さん人︑にせめたふかふ︒さふ此よしを御らんじ︑﹁すはこそさだふ

さにたぱかられたるか︒さらばきみをとりたてまつり︑ふしみへこもらん﹂とおぽせけれども︑大庭にてきみちノ︑

てさらに入たてまいらせねば︑力およばずもんより外へ出給ひぬ︒よしもりもてきをおひちらしてはせかへられける

が︑にしのとうゐんへはてき入かはり︑でんかもおひいだされ給ひぬとき坐給ひ︑﹁あなあさまし︒たぱかり事とし

らずして︵五ゥ︶︑やすノ︑とぞ引いだされける口おしさよ﹂とはがみをしたまへど︑かいぞなき︒﹁さらば︑いかに

もしてきみをとりかへし申さん﹂とて︑よしもりきやう大手のもんへおしよせ︑もみにもふでせめられける︒源中な

ごんはぶぜい︑みかたは小ぜい︑いわせ︑ほうじやうなどはいまだまいらず︑ぐんひやうらた上かいつかれてみへけ

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ざましに︑さだふさかけて見せん﹂とて︑すふみ出たまふ︒

その日のしやうぞくには︑あかぢのにしきのひたたれに︑もえぎにほひの御きせなる︒くわがた打たるかぶとのを

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かしらだかにとって付︑むらしげとうのゆみのとりうちの所にぴしやもん天わうとしゆにてかきしるし︑まん中にき

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(18)

﹁た宜今このぢんへよせられたる大しやうを︑みなもとのよしもり卿とみたるはいつわりにて候か︒こう申はもと

ふさしんわうのやうし︑さきのごん中などんさだふさ︑せんねんおもひもよらずむじつのつみにしづみ候へども︑

君きみにてましますゆへとがなき事をしるしめし︑御しやめんをなされ︑ぎへいをあぐべきせんじかうぶるによっ

て︑ぎやくしんの人ノ︑をたばかりしりぞけて候︒とがもなき何がしにあたをなし給ふのみならず︑もとふさしん

わうをやみノ︑とほろぼし給ひしうらみをもけんざんにて申さん﹂

とよぱわりかけられたり︒よしもりもこまかけいだし︑

﹁君のせんじをかうぶり︑ぎへいをあげたりとのたまふこそこ上ろへがたけれ︒てうてきの身として︑一天の君を

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もしばらくあいしらいて後︑れいのこだちをするりとぬきとんでか坐り給へぱ︑よしもりかなはじとやおもわれけ

ん︑かいふってにげられ︵六ゥ︶けるを︑半丁斗おわれけれども︑大ぜいがたちへだ坐りはるかにのび給ひければ︑

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みのやうにおそる坐によって︑引まじき所をも引﹂とおぽへたり︒

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(19)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

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と申あいける︒

﹁たれかある︑御ひろう候へ﹂

とよばはりける︒しやうぐんきこしめし︑

﹁さだふさいづるにおよばず︒あなにくや︑きやつをてづかみにせよ﹂

と有ければ︑おのノ︑たち︑なぎなたひつさげもんぐわいへ︵セオ︶おどりいで︑こ上をせんど上たふかいけり︒で

わの二郎くにかげとむんずとくみ︑いけどりにしてぞさんじける︒さふのはかり事には︑くつきやうのゆみの上ずを

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れけれ共︑中などん殿は出給わず︒そのときおとヌ︑

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﹁さだ道がいでねばこそ︑

つぼをみすへていおとせ﹂

− 2 1 7 −

(20)

と︑やがてす上み出られけり︒そのあいちかくこまかけよせ︑

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きらかにましますにより︑御しやめんをかうぷりぎへいをあげて候︒いらざるぎやく︵セウ︶しんにどういあらん

より︑すみやかにきみのみかたへまいらせ給へ﹂

とのたまへぱ︑さふきこしめしもあへず︑

﹁おことむほんをおこし︑君をとりこめたてまつり︑あにふむかつてゆみ引ひが事をのみせんよりも︑いそぎぎや

うかうにぐぶしてこなたへくは上れ﹂

とぞのたまひける︒さだふさき上給ひ︑

﹁君をとりこめたてまつるは︑せんじをかうぶりての事也︒あに上むかってゆみ引事︑まことにぎやくのいたりに

て候︒たヌし君にたいしてた上かい給ふおそれはいかに﹂

と申たまへぱ︑さだ道此ことばにつめられとかうのへんじもなく︑た夏﹁いとれや︑いとれ﹂とげちしたまいけるあ ﹁此ての大しやうは︑んざんをし給わぬぞ﹂とたからかに仰ける︒市

﹁さらばまかり出ん﹄ とてぞいでられける︒

一ぢんにこまかけいだし︑

中などん殿きこしめし︑ とうのさだふさときふたり︒さだみちがよせたる事をしり給わい事あらじ︒など出あいてけ

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(21)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

ひだ︑中などん殿をめにかけわれも/︑といたてまつるほどに︑やのくる事あめのあしのごとし︒されどもしやうぐ

んことLもしたまわず︑あがるやをぱうつぶいてはづし︑さがるやをぱのびあがりてちがい︑あるひはきっておとさ

れけり︒少々あたるもあれどよるひよければうらか上ず︑御てもおひたまわず︒よせてたぜいなりければ入かへもみ

かへた上かふほどに︑きど口までつめよせたり︒しやうぐん御らんじ︑﹁いやノ\もんの内へいれたて鼻はあしかり

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﹁つヌけ︑のこりの物はけん物せよ﹂

とて︑ゆみとやをばからりとすて︑御はかせひんぬいて大臣殿にかけむかい︑

﹁とてもかんだうゑたる身なればしんぎのれいをもやぶり︑じきにしやうぶをつかまつらん﹂

とちかづきより給へば︑でんかあるくうもなしとおぽしめし︑へんたうまでもなくたづなかいくつてにげ給ふ︒さだ

ふさ卿︑﹁こわいかに︑おそれをなしいでざりつるを︒わざとめしいだしたる物かな﹂とすげなうみへさせ給ひ候

﹁いづくまでも御ともつかまつり候らわん﹂

とて︑むちをあわせておひ給ふ︒でわきやうだい六人︑ぜんごさうにうつほどに︑た夏なるかみのごとくなり︒お上

いどのはかへりみもせずにげ給へぱ︑かはらおもてまでおつちらしてしやうぐんはかへられけり︒その日もすでにく

れければ︑たがいにぢんを引れたり︒

しゆじゃう︑ごん中などんを大ゆかへめされ︑﹁此とし月さんしんのむじつにより︑たこく︑へんどにさすらへさ

せうきめをみせし事︑た貸まるがひが事なり︒今までのりをまげ︑わうだうをみだすげきしんをすみやかにた︵八ウ︶

いぢあるべき﹂のむね仰下されければ︑さだふさかしこまってうけたまはり︑﹁むじつのつみにしづむためしむかし ぞ︒

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(22)

よりなき事にしもさぶらはねば︑きみに御うらみふくみ候事なにしに候べき︒ちよくめいをかうぶりてうてきほろぽ

さん事︑あんのうちにて候﹂よしそうもん申されけり︒院よりも︑﹁とし月のうらみをわすれ︑てうかの御てきほろ

ぽさるべき﹂よしゐんぜんなりければ︑ごん中などん︑

とぞ申されける︒さだふさのたまふやう︑

﹁もしこんや︑よしもりょうちにやよせんずらん︒てきは大ぜい︑みかたはぶぜいなるぞようじんせよ﹂

と有ければ︑つわ物どもかぶともぬがず︑やなぐいもおろさであかしけり︒

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ん殿をしゆごさせ︑御身はあらてのこまんよきにて大みやおもてへはせむかはる︒でんかはきのふ御おとうと中など

ん殿にいたくおわれさせ給ひ︑めんぽくなふやおぽし︵九オ︶けん︑けふのいぐさには出給わず︑ふしみ殿に引こも

りておはしける︒その外くぎやうにも︑ふしみにこもり給へる人ノ︑少々あるよしきこへけり︒

さるほどに大みやにはたつのこくよりいぐさはじまり︑しのぎをけづりつばをわり︑両ぢんの物どもこ坐をさいご

とた上かいける︒東のしやうぐん一ぢんにこまをすへいぐさのげちしてゐ給ふさま︑こと人にまぎるべくもなくゆ坐

しげにみへ給ふを︑よしもりのらうたうきくちさへもんのぜう︑

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せば︑なかざし一すじたてまつらん﹂

とて︑よつぴきひやうどはなつ︒やり︑しやうぐんのめされたる御むまのふとはらにまふ□らかせめてたちければ︑ ﹁かしこまり入候﹂

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(23)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

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とおほせければ︑でわの六郎はせむかい︑きくちとくんでどうとおっ︒たかしげぶさうの大力なれば︑さへもんのぜ

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とておっかけ給ふ︒た目七人におったてられ︑よしもりの大ぜいのこまのあしをとヌめかねふしみまでぞおちたりけ

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(24)

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じ ぅ に せ し 、 給 行 ひ か け た り し

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(25)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

﹁あないみじ︒此よにはありがたきぶしやうかな﹂

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さきのでんかはみやこのさはぎによりさがのあたりにしのびおはしつるが︑ごん中などん上らくましノ︑てうてき

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へかへらせ給ひけり︒その日しやうぐん今出川殿へまいり給ふに︑大しやうこくあまりの御うれしさに︑中もんのら

うまで出させ︵ニゥ︶給ひぬ︒中などん殿おりもの坐下がされに︑とくさ色のかりぎぬ︑大もんのさしぬき︑たて

ゑぽし引たて上あゆみ入給ふ︒もてなし︑たいはいむかしよりはいたくおとなびいとヌみるかいあるを︑大との御ら

んじ︑﹁命あれば﹂と斗おほせありて︑御そでをおしあてけろは御ことわりにあわれなり︒ちごをかしづくごとく

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のたまはず︑御よろこびのなみだせきかね給ふ︒わかぎみ︑姫君いづれとなくうつくしうおひたち︑しやうぐんのゆ

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(26)

大かたなびきたてまつりぬ︒

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くあらんとぎせられけれども︑中ごくよりひがしはみなそむき申によりそれもかなはずやすらひ給ふうちに︑ごん大

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よきあいそへ︑もりつなこうのうってにさしつかはさる︒いそぎていとをうつたち︑ちくぜんのくにへはつかうす︒

みやこのうちはおだやかにしづまりければ︑君もしんも御よろこびかぎりなく︑しづ山がつにいたるまでごん大なご

ん殿をおがみけるはことはりなり︒此七︑八ヶ年はげきしんのおごりさかんにして︑みやこの上下もいたみしが︑今

はいつしか引かへたみのかまどもにぎはひ︑花やかなる御代とぞなりにける︒しやうぐんはむかしのたかくらに御し

よをつくらせ︵一二ゥ︶︑みな月のころうつり給ひぬ︒だざいふのかつせんも︑みかたにりあるによってもりつなこう

打まけ︑ついにじがいし給ひぬ︒しぞくちくぜんの中将もりさね︑げん侍従よしっな︑これ二人は行かたしらずおち

︵ママ︶られけり︒つくしのうちにてにたつかたきあらざれぱ︑もりつなの御くびもたせ︑三人ながら上らくす︒さだふさ大

きによろこび給ひ︑こんどのけじやうとしてまさつなにはちくぜんのくにを給わり︑九こぐのおさゑにとてすなはち

だざいふへくだりけり︒ちふぶ︑ほうじやうにもくにをたまわり︑おのノ︑ぼんごくへかへりぬ︒でわのぜんじが子 かしげなるが︑は上ぎみによくに給へるを御らんずるより︑あわれになつかしくおぽしいづること宜もあれば︑打なみだぐみ給ひけるを︑しやうこくもまん所もさぞとおぽしめしやりて︑御そでをぬらされけり︒

廿三日にしゆじやうは二でうだいりへくわんかうなる︒上くわうももとの御所へくわんぎよりい︑廿四日だいりに

ぢもくおこなわれて︑今で川︵一二オ︶殿又でんかにかへりなり給ひ︑さだふさ卿はごん大なごんににんぜられけり︒

此のちはしやうぐんのいきおひむかしよりはいやまさり︑東かいだうは申におよばず︑東せんだう︑ほくろくだうも

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(27)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

ごん大なごん殿は北のかたの︵一三オ︶御事をあけくれ恋なげき︑行ゑなしとき上つれば︑﹁ふちせに身をやなげ

つらん︒もしうきよにあるならば心ぐるしくみおきにしおさなき物もあるべきが︑いづくのさといかなる所にていか

さまにものをおもふらん︒ひとりねのよなノ\はむねをこがすあかつきおほく︑さだふさをこいしくおもひ出なん﹂

など︑さま人︑におぽしつ宣くるほとに︑ねざめごとの御枕の下はあまもつりするばかりにて︑かんのぶていのいに

しへも浦山しくぞおぽされける︒はんごんかうをもたざればけぶりにたぐふかげもみず︑ゑきろのす宜のなければふ

りてなぐさむ事もなし︒よるもとけてまどろまねば︑ゆめにだにみぬうらめしさよと人しれずなげき給ひつ鼻︑つれ

はながめがちにのみおわしけるを︑ちゞおと貫きこしめし六十六ケこくへ六十六人のししやをたて︑北のかたの御行

ゑをたづねさせ給へどさらに行かたましまさず︒でんかもまん所もほいなき事におぽしめしなげくに︑しやうぐんは

こんどおほくのかつせんにす耳ろに命のおしかりしも︑此人に今一たびあいみんとおもひ︵一三ゥ︶しゆへぞかし︒

ありしをついのわかれにて︑さて世にありはてんとはおもわれたまわず︑よと上も此事をのみかなしみ給ひけり︒上

くわうはもとより女五の宮の御ことをほのめかしそめさせ給ひつる事なれば︑今はのがれがたうひたすらに御けしき

給わりければ︑しゐてもいなぴ給わずでんか御うけを申させ給ひぬ︒大なごん殿はかくときこしめすより︑﹁あなあ ども七人にもめんノ︑にけじやうをたまわり︑その上こぜんじがけうやうれん比にとぷらはせ給ひけるを︑たんごのめのとちよにありがたくおもひ︑みたてまつるぶし共かんぜぬはなかりけり︒

いよノ︑世の中おさまりければ︑みかど御かんな生めならず︒大との申させ給ひけるは︑

﹁左大臣大あくのてうてきなるあいだ︑るざいにしよせらるくし﹂

とそうもん有けれど︑しやうぐん申なだめておはらのへんにおきたてまつり給ひしが︑つゐに御しゆつけしたまいけ

−225−

(28)

さまし︒ゆめまぽろしのよの中におもわぬ人にちぎりをこめ︑こいしき人をしのばんよりとにもいかにもならばや﹂

とまでおもひ給へど︑ものふふの大将たる身が︑女ゆへに命をうしないたるなんど堅さたせられんも口おしかりなん

とおぽしめしなをし︑つれなうもてなしてすぐし給ひぬ︒

女五の宮の御ことは八月七日とさだめられ︑世の中ひヌきていそがれける︒しゆじやうはさだふさのうけひかぬと

きこしめし︑宮の御ためいとおしくおぽしめされけれど︑一ゐんのかくいそがせ給ひければと笈めまいらせらる上に

もおよばず︑かたはらいたき事におぽされける︒すでにそのよになりぬれば︑大なごん殿なげくノ︑まいり給︵一四

オ︶へり︒まちつけ給へる宮の御かたのぎしき有さま︑花やかにめでたき事いゑぱさらなり︒姫君の御かたちぞよそ

にておもひやりしよりはものノ︑しぐれびすぎ給ひ︑きらノ︑しくうつくしうおわする事はなぺてならねど︑くるす

の生花の夕ばへにはにもにずこよなうおとり給へり︒これにつけてもさる山ふところにおひいでし人の︑露斗もみお

とりたる所なく︑はかなきあそびわざまでもめづらしくおかしきさまにしいで︑たぐいなかりし人のおもかげいと貨

こいしくおもひいでられ︑とけてもまどろまれ給われぱよふかくかへり給ひけり︒此のちは一ゐんのむこの君とてい

と笈ひかりそひてもてなされ給ひけれど︑大なごん殿はた堂むかしの人のみ御心にかふり人しれず物をおもひ︑宮の

御かたへもしげうもまいりたまわず︑ともすればたかくら殿にこもりゐて︑ひとりながめふし給ひぬ︒

さても一のたにのひめ君は︑しやうぐんのよに出給ふをもしりたまはず月Rをおくり給ふほどに︑わかぎみ七歳と

いふ八月中比に︑にこうむなしくなり︵一四ゥ︶ければ︑姫君なげき給ひ︑むなしきかしらをひざにのせ︑﹁日比は

にこうのなさけにてこそとし月をおくりしに︑今よりのちはたれをたよりにて露の命もながらへん︒おちこちのたづ

きもしらぬ山中に︑おさなき物をすておき給ふかなしさよ﹂とて︑もだへ給ふぞことわりなる︒わかぎみはにこうの

てをとらへ︑

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(29)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

らうにのありしほどは︑よひノ\ごとのぬかのこゑかねのねをもき坐給ひしが︑それも今はおとたへてくる生よご

︵虫損︶とにおとづる□はやかんのもの坐こゑ斗︑物すさまじくぞきこへける︒四五日すぎけれどくごをまいらするものも

なければ︑わかぎみあまりにたへかねかてをもとめんためさとへいでたまひしが︑おさなき人のかなしさはしらぬ道

にふみまよひ︑かなたこなたとありき給ふ︒

その比一のくにのこくしをぱまでのこうじの中などん殿と申けるが︑一人のひめぎみをもたれけり︒御とし七歳五

月五日のたんじやうなるが︑ごうびやうをうけばんじかぎりにおはしける︒ち上は上なげきかなしみ︑くすりいのり 給ふ︒ ﹁いかにあまぜ︑は坐君や身づからをふりすてていづくへとておわするぞ︒かさねては行給ふとも︑此たぴはかへり給へ︒のふ︑あまぜや/︑﹂

とてあしずりをしてさけび給へども︑さりてかへらぬこうせんのたびのかなしさは︑御いらへ申事もなくかわり行事

のみありければ︑ひめぎみ︑わかぎみにくどき給ふやう︑

﹁今はいかほどなげくとも︑にこうはかへり給わじ︒何ともしてしがいをかくさばやと思ふが︑いか頁せん﹂

と仰ける︒わかぎみきこしめし︑こざかしげにのたまふやう︑

﹁そのことは御心やすくおぽしめせ︒つねにかたらひてあそび候し上︑さるにいひあわせて︑よきにはからいさぶ

とのたまひけるぞいとおしき︒その日のひるつかたさとの物一人きたりて︑なさけをかけてとぶらいければ︵一五

ォ︶︑せめての事にかれをたのみ︑にこうのしがいをやうノ︑かくし給ひぬ︒ひめぎみはむしよにむかい︑なみだを

ながしつふきやうよみねんぶつしてとぶらひ給へぱ︑わかぎみたに上くだり水をむすぴてたむけ︑花をおりてさ上げ らはん﹂

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(30)

をつくし給へど何のしるしもなかりける所に︑あるはかせの申やう︑

﹁いかなるもの坐子なりとも︑此ひめぎみと同年のおなし月日にむまれたるなんしのいきぎもを︑とりてくすりに

︵一五ゥ︶もち給は夏へいゆうあらん﹂

と申ければ︑ちふはふこれにちからつき︑さぶらい二三人にざうしきをあいそへ︑

﹁いかなるもの上子なりとも︑たばかりていきぎもをとりてこよ﹂

とていだされけり︒こく中をたづぬれどぬすみとるべき子もなければ︑むなしくかへらんとする所に︑此わかぎみを

﹁さてたんじやうの月日をぱしりたまへるか﹂

﹁いさとよ︑まるはよくもしらず︒たんごととかやにむまれつると︑は坐ぎみののたまいつる﹂

とありのまふにのたまひけり︒かの物ども大きによろこび︑

﹁いづくへおはしまし侯ぞ︒御とも申さん﹂

とて︑やがてかたむまにのせ申す︒わかぎみ御らんじ︑

﹁これはいづちへぐしてゆくぞ︒は鼻のまします所へか﹂

とおほせけるこそいたわしけれ︒せきじつにしに入ければとある山中へわけ入︑しきがわをしきておろし申せば︑わ ﹁少人はいくつになり給ふ﹂

ととい申︒わか君何心もなく︑

﹁七歳になる﹂

と仰ける︒ みつけ︑

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(31)

栗栖野物語(翻刻)(伊井)

とおほせける︒じや︑

申ければ︑わかぎみ︑

﹁我︑命をとらる

八月十六日の月さしいで坐︑くまなくいわんかたなうあわれにすみのぼるそらをつく人︑とまぽりて︑今をさいご

とおぽしめすわかぎみの心のうち︑おもひやるこそいたわしけれ︒たヌおぽしめす事とては︑は上ぎみの御ことな

り︒よなノ︑いだかれ給ひしあま君のふところのうちも今さらなつかしぐ︑は上うへのうつくしかりし御おもかげは

身にひしとたちそふ心ちして︑こいしさのせんかたなくしのびのなみだのながれいづるを︑人によわげをみせじと

や︑御そでしておしぬぐいさらぬていに︵一六ゥ︶もてなし︑

﹁とてもたすけざる上は︑とくノ︑きもをとれ﹂

とて︑おしはだぬがせ給ひ︑にしにむかいちいさううつくしきてをあわせ︑めをふさぎてまち給ふ︒さらでだによに かぎみかしこくみとり給ひ謡

だる上ぞ︒唾

とおほせける︒ ﹁我︑命をとらるふ事は露ちりほどもおしからず︒はゞうへのたづねなげきたまわん事をおもひやるこそかなしけれ︒まろむなしくなりなぱ︑たれかはなぐさめまいらせん︒物おそるしきたにのいほりにも我をともにてこそおはせしに︑あすよりのちはたれをわがともよび給ふくきぞ︒これをおもひつヌくるにすヌろに命のおしけれども︑なんぢらがたすくまじければ一すじにおもひきるべし︒かた時もかくてあれば︑は上うへのこいしさに中ノ︑心のみだる上ぞ︒いけてものをおもわせんより︑とうノ︑うしなへ﹂ るべけれ﹂ ﹁まるをばうしなわんとするけしきなり︒なにのつみにかくははからふぞ︒しさいをかたれ︒さてこそいかにもな

じやけんのもの公ふとはいへども︑御いたわしくやおもひ︵一六オ︶けん︑ことのしさいをくわしく

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参照

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