メキシコ・マキラドーラの 50 年
―成長の軌跡と同国開発戦略への含意―(上)
芹田 浩司
【要旨】
メキシコのマキラドーラは元々,米墨間の国境沿い地域(メキシコの北部国境 地帯)における工業化及び開発戦略として1966年からスタートした制度である.
アジア地域等でみられるFTZ(自由貿易地域:Free Trade Zone)等と同様,輸 出振興のための保税加工の特徴を有するマキラドーラは,同国の国全体としての 開発戦略が1980年代以降,それまでの輸入代替から輸出志向へと大きく転換し ていく中で,次第にその重要性を増し,同国の開発戦略上,極めて重要な地位を 占めるに至った.またマキラドーラは,NAFTA(北米自由貿易協定:North American Free Trade Agreement)体制に先駆けて,米墨間の経済統合を推し進 めてきた中心的存在でもあった.このようなマキラドーラも,制度開始より既に 50年以上の月日が経過した.NAFTA体制の成立とともに,マキラドーラは,そ の名称や制度内容の変更を余儀なくされるが,同制度の本質的部分は大きく変わ らず,また同制度ないし同制度の含意する開発モデルは,今日のメキシコ経済の 中でもその重要性を失ってはいない.本稿は,こうした50年以上にわたるマキ ラドーラの発展プロセスを通史的に振り返るとともに,そうした作業を通じ,同 国の開発(工業化)戦略について一定の考察を加えることを主な目的とする.尚,
本稿は上編と下編とに分かれ,今回の上編では,マキラドーラが急速に成長し,
世界的に有名となった1990年代頃までの時期(高度成長期まで)を扱う.
【キーワード】 マキラドーラ,多国籍企業,NAFTA,テレビ産業,自動車産業
はじめに
本稿は,1960年代より50年以上にもわたりメキシコの輸出を支え続けてきた マキラドーラ1成長の軌跡を辿り,マキラドーラ生産における成長パターンや特質 を明らかにするとともに,それらを踏まえ,メキシコにおける開発戦略上の意義 や限界等について考察することを主な課題とする.
アメリカにおけるトランプ政権誕生以降,北米圏(アメリカ・カナダ・メキシ コ)の経済統合スキームであるNAFTAの再交渉がこれら3ヵ国間で行われるよ うになったことはマスコミでも取り上げられ話題となった.このNAFTAは1994 年1月の発効以降,20年以上にわたりアメリカ−メキシコ間(米墨間)の経済統 合を支えてきた制度的枠組みであるが,両国間の経済統合のプロセスは実際には
NAFTA誕生以前より進行していた.その両国経済の統合化において要の存在と
なってきたのがメキシコのマキラドーラである.他方,メキシコ国内的にもマキ ラドーラは,1980年代末頃から顕著となる輸出志向に基づく同国の経済成長過程 において主導的な役割を果たしてきた.実際,後述するように,マキラドーラ企 業による輸出は2000年代初頭頃には,同国の総輸出の約半分にまで達するほど 同国の輸出成長を牽引し,そこでは言わば“マキラ型成長モデル”と形容しうる経 済成長・開発モデルが同国の開発戦略の主流をなしてきたといえる.このように,
メキシコのマキラドーラはとりわけ1980年代以降,同国内経済において,また アメリカとの経済関係において極めて重要な地位を占めてきた.
“マキラドーラ”の存在が一躍世界的に有名となったのが80年代後半からの家 電産業,とりわけカラーテレビ(CTV)生産の分野においてであろう.1990年 代,後に中国が台頭してくるまで,メキシコのマキラは,世界最大のCTVの輸
1 マキラドーラは,後述するように本来,輸出振興のための制度(保税加工制度)を指す 言葉であるが,本稿では,マキラドーラ制度の適用を受けて操業している企業やその集 合体である産業(部門)に対しても,マキラドーラという表現を用い,前後の文脈によっ て,マキラドーラ企業やマキラドーラ産業,マキラドーラ部門といった表現を用いる.
同時に,短縮してマキラという表現も併用する.
出拠点としての地位を誇っていた.そしてそこで中心的役割を果たしてきたのが 日系企業であった.ソニーや松下電器産業(現パナソニック,以下,松下電器産 業は松下と表記),シャープ等の日系テレビメーカーや関連する日系部品メーカー は相次いでティファナ市を中心とする太平洋側の米墨国境沿いの地域に工場を設 立し,同地域一帯にCTV産業の集積を形成してきた.この80年代後半頃から 2000年代初頭頃までの時期がマキラドーラの所謂「黄金時代」であったといえよ うが,国内外におけるマキラドーラ研究もこの時期に盛んに行われることとなる.
NAFTA発効後,マキラドーラはNAFTA303条,すなわち,「輸出を条件と した関税の減免やドローバックの禁止」を規定したルールに従い,2001年1月以
降,NAFTA圏内へ輸出する場合にはそれまでと同じスキームは適用されなく
なった.また2006年11月以降,マキラドーラは,他の輸出振興プログラム2と 統合される形でIMMEX(Industria Manufacturera, Maquiladora y de Servi- cios de Exportación:輸出向け製造・マキラドーラ・サービス産業)という制度 に再編され,現在に至っている.このようにマキラは,50年以上にもわたるその 歩みの中において,その制度内容の面で大きな変更を伴ってきたが,輸出振興と いう制度の基本的目的・趣旨自体は,マキラ・プログラム開始(1966年)以降,
今日に至るまで引き継がれている.
上記のように,マキラはメキシコ経済の中で重要な役割を果たしてきたが,そ の制度発足より今日に至るまで,マキラの発展プロセスおよびそれを巡る諸問題 に関し通史的に扱った研究は少ない.本稿の意義は,こうしたマキラの発展史を 通史的に扱い,それを通じ,同国の開発戦略について検討を加える点にあると考 えられる.
2 具体的には,1990年から開始されたPITEX(輸出製品を製造するための一時輸入プロ グラム)という制度を指す.これは,製品輸出を目的として設立されるマキラドーラに 対して,国内販売を主目的に操業する企業の輸出を促進するため,輸出に向ける分につ いてだけマキラと同様の無関税輸入の恩典を与えるという制度であったが,後述するよ うに,マキラドーラの国内販売規制が緩和されるなどして,両者の制度には大きな差異 がなくなったため,2006年11月に両制度はIMMEXという新制度に統合された.中 畑(2010)185頁参照.
本稿の構成は以下の通りである.まず第1章では,マキラドーラ制度そのもの について,その歴史的起源や同制度に基づく製品生産の特質等に着目して述べる.
第2章では,主に1980年代後半頃から顕著となるマキラドーラ成長の要因につ いて,国内的要因と対外的要因とに分けて検討を加える.続く第3章では,50年 以上にもわたるマキラドーラ成長の軌跡を扱う.マキラドーラの発展史を大きく 区分すれば,(1)制度誕生から1982年の累積債務危機までの低成長期(停滞期),
(2)特にカラーテレビ生産を主軸に飛躍的な成長を遂げた「高度成長期」(80年 代後半〜2000年度初頭),(3)自動車産業が牽引する形で安定的な成長を遂げて きた「安定(成長)期」(2000年代半ば頃〜現在)―に分けることができるが,上 編にあたる本稿では,(2)の高度成長期までを扱う.(3)の安定(成長)期以降の 動向や,1980年代後半以降,主流となるマキラドーラ制度活用に基づく輸出志向 工業化戦略の評価をめぐる問題等については,次号以降の下編にて論じる予定で ある.
1. マキラドーラとは?
1‒1 マキラドーラの歴史的起源
アメリカ・トランプ大統領の掲げるアメリカ―メキシコ国境沿いの「壁」建設 計画は,日本でもマスコミを通じて広く報道され話題となったが,こうした動き の根底には,アメリカへのメキシコ人の移民問題が存在する.本章の対象とする 1960年代からスタートするメキシコ・マキラドーラも,その制度誕生は,両国間 の移民問題と密接に関わっており,その意味で,過去から現在にまで至る「超大 国」と「発展途上国」との間の複雑で難しい隣人関係を象徴しているものの一つ として捉えることができる.
マキラドーラは元々,メキシコ北部国境地帯における工業化および雇用拡大を 促進させることを目的に導入された制度であり,その原型は1966年に発表され た「北部国境地区工業化計画」にまで遡る.そしてこの計画の誕生は,第2次大 戦以前よりアメリカ国内で農業や鉄道業の人手不足を補うため働いていたメキシ コ人季節労働者(ブラセロ)に対するアメリカ政府による法的庇護が廃止されたこ
とに由来する3.このアメリカ政府による措置は所謂,「ブラセロ計画」(Bracero Program)と呼ばれる.1960年代初め頃から,アメリカへのメキシコ人移民の数 は急増し,1964年当時ではメキシコ人季節労働者の数は64万人に達していた4 が,こうしたメキシコ人労働者の増加により国内(アメリカ人)の雇用を失うこと に対する懸念が生じたことを受け,アメリカ政府はこのプログラムを廃止したの である.まさに近年のトランプ氏登場後の「壁」問題と同じ構図がここにもみて 取れよう.そして同プログラムの終焉により,両国国境沿い(メキシコ側)に大量 の失業者が発生したため,この失業者対策としてメキシコ政府は上記の「北部国 境地区工業化計画」を策定するに至ったのであり,これがマキラドーラ制度の始 まりといわれている.
マキラドーラはスペイン語で“Maquiladora”と書くが,Maquilaには「粉ひ き」といった意味がある(接尾語のdoraは,〜する人といった意).これに由来 して,マキラドーラという制度(概念)は製品の「加工」にその本質があると考え られようが,その基本的性格は一般に,アジア地域をはじめ,広く発展途上地域 が外資誘致や自国の産業育成,輸出拡大等のために採用してきた「輸出加工区」
や「自由貿易地域(FTZ)」等と同様,製品の輸出を条件に,その製品生産に必要 な原材料や部品(中間財),機械設備類(資本財)を無関税で輸入できるという保 税加工制度にある.実際,マキラドーラは,60年代半ば当時には既に発展をみせ ていたアジアの保税加工制度を模して制度化されたといわれている5.「輸出加工 区」や「自由貿易地域」と「マキラドーラ」の違いは,前者が税の恩典を享受で きるエリアを指し,その意味で地理的・空間的概念であるのに対して,後者は,
こうした地理的・空間的意味合いを持たず6,(マキラドーラとして認定された)
3 中本(2006)3頁等を参照.
4 谷浦(2000)259頁.
5 谷浦(2000)257頁.
6 ただマキラドーラ制度の発足当初においては,北部国境地域における雇用政策という性 格を反映し,国境から20km以内に外資100%のマキラドーラ工場の設立を認めると いうものであったが,1972年以降,同国における慢性的な経常収支赤字等を背景に,
輸出振興の必要性がより増大したこと等に伴い,マキラはメキシコ全土に設立可能と なった.中本(2006)3頁等を参照.
個々の企業に対して,税の恩典を与えるというところにある.そのためマキラドー ラ企業の設立は,同国の北部国境地帯のみならず,メキシコの他の地域(内陸部)
でも可能ということになる.またこの当時,同国では自国資本を優先した産業保 護政策が採られていたが,マキラドーラについては制度発足当初より,外資100% 出資による設立が認められた.
1‒2 マキラドーラ生産における特質
それでは,アジア地域等でみられる輸出加工区やFTZと共通の性格を有する マキラドーラは,どのような産業で設立され,またその生産面での特質はどのよ うな点にあるのだろうか.
一般に,製品が誕生し,消費者へ渡った後までのプロセスについては,「研究・
開発(R&D)」,「設計(製品試作)」,「部品製造(調達)」,部品の「組み立て(最終 生産)」,「販売」,「アフターサービス」という各工程に分けることができる.これ らは,それぞれの段階で付加価値が産み出されるという点において,バリュー・
チェーン(Value Chain)と呼ばれるが,マキラドーラが担当するのは,これら一 連のバリュー・チェーンの中で製品の「組み立て」工程である.マキラにおける 税制上のメリットが,(最終)製品を構成する部品(中間財)等の無税輸入にある ことがその主な要因である.そして,この中間財や資本財(機械設備類)における 無税輸入の恩典が存在することは,同国の産業構造ないし産業発展段階の問題と 関わっていると言えよう.すなわち,自国に中間財産業等のサポーティング・イ ンダストリー(Supporting Industry:以下,SIと表記)が存在しないか,脆弱 であるということを背景に,同国は,マキラドーラ企業(その大半は外国企業)を 新たに誘致するためには,これら中間財や資本財の輸入関税をゼロとせざるを得 ないのであり,その意味で,こうしたマキラドーラ等の保税加工制度は一般に,
産業構造の脆弱である段階で採用されやすい性格を有すると言えよう.
こうした生産面の特性を反映し,マキラとして設立される企業の業種(産業)に ついては,これら中間財を調達して加工・組立し,最終製品に仕上げる,いわば
「加工・組立」型の産業7が主流となることが想定されよう.具体的には,電子産
7 より正確にいえば,「加工・組立」型の産業とは,「加工・組立」の生産工程を有する産
業や自動車部品産業,アパレル産業等がその代表と考えられ,実際,後述するよ うに,メキシコ・マキラドーラ部門の中心はこれらの産業によって構成された.
また,こうした保税加工制度が発展途上地域において広くみられるのは,そこ で行われる生産工程の性格にある.すなわち一般に,家電製品や自動車部品の組 み立てやアパレル製品の縫製工程は労働集約的な性格に特徴付けられ,その工程 におけるコスト競争力は賃金水準に大きく左右される.したがって,先進諸国に 比して,相対的に賃金水準の低い発展途上諸国は,自らの低賃金という「武器」
を頼りに世界から外国企業を誘致し,雇用や輸出拡大等を目的とした開発戦略を 進めようとする一方,外国企業にとっても,製品の生産コストを削減し,コスト 競争力を高めるために,保税加工制度を活用することが合理的な選択となるので ある.実際,1960年代後半の時点において同様の作業をする労働者の賃金比較で は,メキシコはアメリカの6分の1の水準であり,マキラドーラにおいても主に 隣国のアメリカから企業を誘致することを通じ,雇用拡大および工業化を実現す ることが図られたのであった.
他方,上記の一連のバリュー・チェーンの中で,一般に産み出される付加価値 が最も低いとされる工程が,「組み立て」工程である.これは所謂,「スマイル・
カーブ」の議論として広く知られているところであるが,経済発展戦略としてマ キラドーラへの依存を深めることは,より高付加価値の部品製造やR&Dの工程 へのアップグレーディング(高度化)を妨げ,低付加価値路線が恒常化してしま う,という問題を引き起こすことにもなる.既述のように,1990年代以降,メキ シコでは電子製品や自動車・同部品をはじめとする工業製品の輸出が急拡大し,
それが同国の経済成長を牽引してきた側面が大きい.これを「マキラ型成長モデ ル」と呼ぶならば,こうした成長モデルは同国の開発戦略上,どのような意味を 持つのであろうか.この「マキラ型成長モデル」をどう評価するのかについては,
第4章(下編)以降で論じることにする.
業ということであり,後述するように,電機・電子や自動車部品等の産業の中で,マキ ラドーラ企業は専ら,労働集約的な性格を有するこれら「加工・組立」の生産工程に従 事するパターンとなっている.
2. マキラドーラ成長の要因
2‒1 国内的要因:債務危機後の経済体制の転換
このように60年代後半からスタートしたマキラドーラであるが,80年代初頭 までの同国の輸入代替期においては,その発展は限定的であった.自国通貨ペソ が輸入代替工業化に有利に作用するよう過大評価されていたこと等により,賃金 水準がアジア地域よりも相対的に高く,保税加工のための立地としては国際的な 優位性を欠いていたからである.しかし,80年代に入り,マキラは大きな転機を 迎えることとなる.すなわち,82年の債務危機を契機としてマキラは,それまで の米墨国境地域における雇用対策(アメリカ側からみれば不法移民対策)的な位置 付けを超えて,メキシコ(全体)の工業化および経済成長の実現にとってきわめて 重要な意味合いを持つ戦略産業として大きく変貌を遂げていくのである.こうし たマキラ急成長の背景には主に,前章でも触れたように,債務危機問題を受けて 進められた国内経済体制の転換(国内的要因)と,メキシコをオフショア生産ない しグローバルソーシングの拠点として位置付けようとしてきた企業,より具体的 にいえば,マキラドーラを主に構成するアメリカや日本等の多国籍企業の戦略(対 外的要因)という要素があったと考えられるが,まずは前者の国内的要因から詳 しくみていこう.
メキシコは1950年代頃から本格化した政府による産業保護に基づく「内向き」
の輸入代替工業化路線から,先進国(特にアメリカ)市場への輸出拡大を目指した
「外向き」の輸出指向工業化路線へと,自国の経済開発体制を大きく転換するに 至った.この転換の契機となったのが,1982年に勃発した債務危機を受け,IMF によるコンディショナリティ(緊急融資を受けるための諸条件)を契機として進め られることとなった経済安定化および構造調整政策(経済自由化策)であった.
このような一連の経済改革の狙いは,短期的には累積債務の支払いを再開させ るためであったが,中長期的には,この80年代初頭の債務危機の背景をなした と考えられる,対外借款をはじめとする外国資本に依存した経済構造からの脱却 を図るために,輸出拡大を通じ自前で十分な外貨を稼ぎ出せる経済体制を創出す
ることにあったと言えよう.つまり,この新たな輸出経済体制を創出し,軌道に 乗せるためには,貿易や投資の自由化や国営企業の民営化,規制緩和が必要不可 欠であり,それによりメキシコに比較優位のある産業の国際競争力が強化され,
持続的な輸出拡大への道が開かれるとされたのである.
こうした文脈の中に,メキシコが比較優位を持つと考えられる労働集約的産業 ないし労働集約的な生産工程に特徴付けられるマキラドーラが一躍脚光を浴びる 土壌が存在した.経済安定化策の中で実施された為替レートの大幅な切り下げや,
80年代後半より本格化した貿易自由化等により,メキシコに競争優位のあるアパ レル製品やテレビ,自動車部品・コンポーネント(ワイヤハーネス等,労働集約 的な部品加工・組立)に代表されるマキラドーラ主要部門の輸出競争力が向上し,
外資企業にとって生産コスト削減のためのコストセンターとしての魅力を高める ことになるのである.マキラの賃金水準は,台湾や韓国などアジアNIES(Newly Industrializing Economies:新興工業経済地域)と比べ,1970年代半ば頃では3 倍から4倍高い水準であったが,上記のペソ切り下げにより,両者の賃金水準は 逆転,具体的にみれば1986年には同地域の2分の1強,1988年には同3分の1 程度の水準となった8.
さらに,制度面においてもマキラ成長を促す政策が実施された.債務危機直後 の1983年,当時のデ・ラ・マドリ政権は,マキラを工業化と輸出拡大(外貨獲 得)のための戦略的産業として位置付けるべく,「マキラドーラ産業の振興と運営 に関する政令」を公布し,そのなかでは,許可を得た上で,前年輸出実績の20% まで国内市場へ販売することが認められた(制度発足当初は全量輸出が義務付け られていた).また89年のサリナス政権時には「新マキラドーラ令」が制定され たが,その前文の中で,「『国家開発計画1989–1994年』の『国家および地方政策 の指針』の一環としてマキラドーラの促進と支援には優先的な地位が与えられて いる」と記されたことに伺えるように,マキラドーラは同国の開発戦略のなかで 中心的な地位を占めるようになった9.具体的な振興策としては,89年の外資法 実施細則の改定を通じて,進出時にマキラドーラ企業として登録されていない企
8 中本他(2001)119頁–140頁.
9 田島(2006)33頁,中本(2006)4頁等を参照.
業でもマキラドーラに切り替え可能となったほか,マキラドーラの下請け企業に 対しても免税措置が適用されるようになった.これにより,アメリカ市場へ製品 を輸出する完成車メーカーだけでなく,これら企業に部品を納入する企業にとっ てもマキラ進出の魅力が高まり,部品メーカーのマキラ進出を促すこととなった10. さらにこの外資法実施細則の改訂に伴い,上記の83年のマキラ政令も改定され,
国内市場への販売枠が前年輸出実績の50%にまで拡大された11.
こうした積極的なマキラ育成策は,それまで(単独業種では)最大の外貨獲得源 であった石油(原油)に対する依存を軽減させ,輸出の多様化を図る意味合いも あったが,兎にも角にも輸出拡大(外貨獲得)が急務となった債務危機以降,その 有力な手段として,同国に競争優位のある労働集約的な生産工程に特徴付けられ るマキラドーラが大きくクローズアップされ,その成長を主に外資導入(外資依 存)によって実現させていこうとしたところに,債務危機後の開発戦略(工業化戦 略)の特色がある.
2‒2 対外的要因:外資企業(多国籍企業)のオフショア生産戦略
上述の国内経済体制の転換に加えて,マキラドーラ急成長を説明する要因とし て見逃せないのが,このマキラドーラを主に構成する外資(多国籍企業)の動向・
戦略である.メキシコ政府が外資誘致を通じたマキラ育成策をいくら積極的に推 し進めたとしても,そもそも外資企業側にメキシコへ進出する利害がなければ80 年代後半からのマキラ成長は当然ながら実現されなかった.それでは,この外資 企業(以下,多国籍企業という表記と併用して用いる)が主体的にメキシコへ進出 する動機・利害や,それが形成される環境(歴史的背景)はいかなるものであった だろうか?
個々の多国籍企業の具体的な戦略や行動については次節に譲るとして,ここで は,戦後以降の世界経済の大きな流れを振り返りつつ,大局的見地からマキラ急 成長の構図を押さえることとしたい.これを読み解く上で重要になると考えられ
10 中本(2006)121頁.
11 谷浦(2000)264頁–265頁,中本(2006)4頁等を参照.
るのが,1960年代後半頃から徐々に顕在化してくる世界経済における供給面と需 要面での構造変化についてである.
まず供給面からみると,第二次大戦後からしばらくの間はアメリカの「黄金時 代」(あるいは「パクス・アメリカーナ」の時代)と呼ばれたように,アメリカ企 業が世界経済の中で圧倒的な勢力を有していたが,このような言わば1強の時代 は,欧州や日本が戦後の経済復興を進めていくなかで,徐々に揺らいでいく.こ のような世界経済における供給面,言い換えれば世界市場へ供給可能なプレーヤー は,アメリカ(企業)1強の時代から,日本や欧州企業が加わり3強(3極化)の 時代へ,また1980年代に入ると,韓国や台湾などアジアNIES企業,さらに1990 年代以降は中国企業やインド企業等が台頭してきたことからわかるように,時代 とともに増大(多様化)してきたといえる.
その一方,需要面に目を向けてみると,1970年代半ば以降,世界GDPの大部 分を占める先進工業諸国では低経済成長時代が到来,一般に世界市場(需要)は飽 和気味に推移してきたと言える.このような世界経済における需要・供給面での 構造変化(需給ギャップ)を受け,企業(多国籍企業)間の競争圧力は時代ととも に高まってきたと考えられる.さらに付言すれば,1980年代以降の各国経済の自 由化・グローバル化の動きが,こうした企業間の競争関係をさらに熾烈なものに してきたと言えよう.
こうした多国籍企業間の競争激化は,個々の企業にとって生産コスト低減圧力 の高まりとなってあらわれ,こうした背景の下で各企業は生産コスト削減のため 種々の合理化戦略の遂行を余儀なくされたが,その最も代表的な戦略が,アジア などの発展途上国の低賃金労働力を使ったオフショア生産戦略12(国際的下請生 産),いい換えれば,グローバル・ソーシング戦略であり,マキラドーラもこうし た戦略の一環として考えられる.
12 オフショア生産戦略とは,(多国籍)企業が生産コストを低減させることを目的に,労 賃の安い途上国の組立工場へ,本国から半製品を送り,その工場で組み立てた完成品の 過半を本国市場や第三国へ(再)輸出することを指し,アジア地域等でみられる「フリー ゾーン」(free trade zone)や,本稿の分析対象であるメキシコのマキラドーラが多国 籍企業にとってのオフショア生産拠点として有名である.
ここで簡単に多国籍企業の利害・目的やそこから生まれる海外戦略の諸パター ンについて整理しておこう.一般に,多国籍企業の海外戦略は,その目的別に,
(1)資源開発・輸入等を目的とする「資源確保」型,(2)(進出先の)現地市場へ の販売を目的とする「現地市場確保」型,(3)(市場競争の激しい)第3国市場へ 販売するために必要となる生産コスト削減を達成するため,低賃金労働力を求め て現地(主に発展途上国)へ進出する「生産合理化」型の3つのパターンがある と考えられる13.上記のオフショア生産戦略はまさに(3)の海外進出パターンに 該当するが,1990年代以降における輸出向け生産工場設立のための多国籍企業に よる中国への進出ラッシュに象徴されるように,こうしたオフショア生産戦略が 現代の多国籍企業戦略の中で一般的な戦略となっている歴史的背景として,上記 のような世界経済における構造変化というファクターがあったことを押さえてお くことが重要であろう.
メキシコにおける多国籍企業のオフショア生産基地という性格を持つマキラドー ラとその成長過程も,まさに上記のような歴史的文脈の中で捉えておく必要があ る.すなわち,世界最大のマーケットであるアメリカ市場に近接し,安い労働力 を大量に抱えたメキシコは,1960年代半ば頃以降の競争圧力の高まりを受け,生 産コスト低減を余儀なくされた多国籍企業によって,魅力ある生産・輸出基地と して注目されるようになり,それが実際に,外資のマキラドーラ設立(の加速化)
という形で具現化された訳である.歴史的流れを踏まえてより具体的にいえば,
このようなオフショア生産戦略は,以下詳述するように,主にテレビに代表され る電機・電子や自動車産業等においてまずアメリカ企業によって開始された.こ れは,戦後復興を経て再び成長軌道に乗った日本企業や欧州企業の対米輸出拡大 を背景に,コスト(製品価格)的に劣勢に立たされたアメリカ企業が採った対抗措 置であった.そして,このアメリカ企業のコスト低減策への対抗上,今度は日本 や欧州企業によっても同種の戦略が展開されるようになった.1980年代以降にな ると,これら米・欧・日の企業に加えて,新たなプレーヤーとして韓国企業や中 国企業をはじめとする他のアジア企業等も加わってくる.このように,主にアメ
13 アンドレーフ(1990)27–28頁.
リカ市場での企業間の競争激化を背景に,これら外資によるマキラドーラ投資が 広く普及していった.こうしてメキシコは,生産コスト低減のための言わば“コ スト・センター”として,多国籍企業によって位置付けられるようになったので ある.
以上述べてきたように,とりわけ1980年代以降,米・日をはじめとする多国 籍企業の北米オペレーションの中で,重要な役割を担ってきたメキシコのマキラ ドーラ成長の背景には,債務危機を受け,輸出の拡大が急務となっていたメキシ コ(国家)側の利害・政策と,コスト低減圧力を背景にグローバル・ソーシングを 進めようとする多国籍企業(外資)側の利害・戦略があった.こうした国家と企業 の思惑の一致が,マキラドーラ急成長をもたらしたのである.
3 マキラドーラ成長の軌跡
3‒1 マキラドーラの半世紀:3 つの発展区分
マキラドーラはその制度誕生(1966年)以降,メキシコの開発(工業化)戦略に おける重要な制度として既に半世紀以上にもわたって存続してきたが,その50年 以上にわたる発展史を大きく分けると,以下の3つの時期に整理されよう.すな わち,(1)制度誕生から82年の債務危機までの低成長期(停滞期),(2)主に電 機・電子産業(特にCTVおよびその関連部品の生産)が主導する形で飛躍的な成 長を遂げた80年代後半から2000年代初頭までの「高度成長期」,(3)主に自動 車産業が牽引する形で安定的な成長を遂げてきた2000年代半ば頃から現在に至 るまでの「安定(成長)期」―である.
図1と図2はそれぞれ,マキラ制度がスタートした1966年から2006年まで と,新生マキラ制度(IMMEX)が始まった後の2008年から2017年までのマキ ラドーラの事業者数(企業数)および従業員数を示している.それによると,まず 特筆すべき点として,1980年代後半から2000年代初頭まで事業者数および従業 員数が急ピッチで増大したことが挙げられよう[(2)の高度成長期].それに対し て1966年から80年代前半頃までにおいては成長過程はみられるものの,その ペースは緩慢である[(1)の低成長期].より詳しくみれば,マキラ制度が始まっ
図 1 マキラドーラにおける企業数と従業員数推移(1966‒2006)
(出所)1966年〜1980年のデータは谷浦(2000)264頁,1981年〜2000年はINEGI, Industria Maqui- ladora de Exportación(mayo 2001),2001年〜2006年はINEGI Industria Maquiladora de Exportación(Febrero 2007)より引用.
0 200 400 600 800 1,000 1,200 1,400
0 500 1000 1500 2000 2500 3000 3500 4000
ᴏ⩽ᩐ ᚉᴏဤᩐ
ᴏ⩽ᩐ
ᚉᴏဤᩐ (༟న㸯༐ெ)
(出 所)INEGI Database [Webpage: BIE, Manufacturas > Industria manufacturera, maqui- ladora y de servicios de exportación (IMMEX)]より計算.
図 2 マキラドーラ(IMMEX)における企業数と従業員数推移(2008‒2017)
0 500 1,000 1,500 2,000 2,500 3,000
4900 4950 5000 5050 5100 5150 5200 5250
2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017
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た1966年には12のマキラ企業が設立され,3087人の労働者が雇用された後,5 年後の1971年にはマキラ企業数は293,従業員数約3万1千人と,制度開始の 初期においては大きな増加を達成したが,その後,70年代半ばから債務危機の起 こる82年まで何れも小幅な成長に留まった(図1参照).労働者数は1975年の 約6万7千人から82年には約12万7千人と1.9倍近く増加したが,企業数は同 じく454社から585社と,7年間で130社程度しか増えなかった14.
この(1)の低成長期の時期については上述したように,同国の輸入代替期にお ける為替の過大評価を背景に,保税加工拠点としての国際競争力が不足していた ことが大きな成長を妨げていたと考えられる.表1は,1975年から1988年まで のアメリカ,日本,メキシコ,台湾,韓国の時間賃金の国際比較を示している.
同表によると,メキシコにおける労働者の時間賃金は,債務危機の起こる前の 1981年まで,同じような保税加工制度を有する台湾や韓国に比べ高かった(台湾 の約2.8倍,韓国の約4.6倍)ことがわかる.外資企業によるマキラ設立の動き は主にアメリカの家電,とりわけ白黒テレビメーカーによって開始されたが,1960 年代から70年代においてこれらアメリカ企業の保税加工制度を利用した白黒テ レビの組立拠点は主にアジア,なかでも台湾であった15.台湾が選択された理由
14 谷浦[(2000): p. 264].
15 明石(2006)13頁.以下のアメリカ・白黒テレビメーカーに関する記述は主に同文献 を参考にしている.
表 1 時間賃金の各国比較(1975 年〜1988 年)
(単位:ドル)
アメリカ 日本 メキシコ 台湾 韓国
1975 5.69 2.60 1.33 0.47 0.29
1978 7.50 4.79 1.40 0.64 0.57
1981 10.84 6.18 1.59 1.18 1.08
1983 12.10 6.13 0.80 1.27 1.23
1986 13.21 9.47 0.88 1.67 1.46
1988 13.90 13.14 0.71 2.71 2.46
(出所)明石(2006)14頁.
としては,高雄に輸出加工区(保税加工制度)が設けられたのに加え,投下資本の 保証,部品供給拠点の日本への近接性,質は高いが,低賃金の女性労働の存在等 が挙げられる.また,これらアメリカ企業の海外生産シフトの背景には,日本企 業が1963年頃よりアメリカ市場向けに白黒テレビの輸出を増大させたこと,す なわち,前節で確認した多国籍企業間(日米企業間)の競争激化があった(前節参 照).
他方,図2より,2008年以降の動向を確認しておこう.マキラ企業数および労 働者数のいずれもリーマンショック翌年の2009年に減少した後,後者は161万 8千人(2009年)から256万5千人(2017年)へと増大した(年平均で約15%の 成長)一方で,前者は5000社〜5200社近辺において揉み合いの状態で推移して いることがわかる.(2)の高度成長期に比べると,明らかに成長の勢いは落ちて きているため,この時期を「安定(成長)期」と呼んでおくことにする.
続いて,図3は,1981年,2000年,2017年の3時点におけるマキラドーラの 事業者数,従業員数,付加価値額の業種別の割合を示している.同図からは時代 の経過とともに,マキラドーラにおける主要産業が移り変わってきたことがわか る.大きな流れでいえば,マキラ制度が始まってから2000年頃までは,電機・
電子がメインで繊維・アパレルがそれに続く格好となっていたが,それ以降は,
自動車関連が大きく台頭,2017年の時点では,同部門がマキラ全体(製造業)の 付加価値額の約半分を占めたことに特筆されるように,マキラの成長を牽引する 主導部門となっている.それでは次節で,半世紀以上にもわたるマキラ成長の軌 跡についてより詳しくみていきたい.
3‒2 「低成長期」:アメリカ企業によるオフショア生産の開始
1966年から2000年代初頭までの時期[(1)の低成長期〜(2)の高度成長期]に おいてマキラドーラの成長を主に牽引したのは電機・電子産業,なかでも白黒お よびCTVとその関連部品の生産部門であった.そして特に,(2)の高度成長期 においては日系企業が中心的な役割を果たした.ここでは同産業の事例を中心に 成長の軌跡を振り返ってみよう.
1966年のマキラ制度スタート後,同分野において最初にマキラ投資を行ったの
図 3 マキラドーラにおける主要産業の事業者数・従業員数・付加価値額割合
(1981・2000・2017)
(出所)注:2017年のデータは同年3月時点のものである.また同年の付加価値額の部分は,下記出典 においてはIngresos(収入)と表記されている.
1981年,2000年はINEGI(2001),Industria Maquiladora de Exportación(Mayo),2017 年はINEGI(2017),Indicadores De Establecimientos con Programa Immexより計算.
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はアメリカのテレビメーカーであった.日本企業による対米輸出攻勢を背景に,
アメリカ企業が1960年代より白黒テレビの生産拠点を主に台湾へ移転させたこ とは上述したが,メキシコへは主にシャーシをはじめとするテレビの構成部品の 生産が移転された.その当時のアメリカのテレビメーカー各社におけるアジアへ の進出年およびメキシコへの進出年・都市,そこでの主な生産品目等については 表2で示されている.
これらアメリカ企業の北米圏(米墨)でのテレビ事業の特色は所謂,「ツイン・
プラント」(双子工場)方式という点にあった.すなわちそれは,アメリカ本国内 に有するテレビの組立工場とメキシコ・マキラドーラ工場がまさに双子のような 関係となり,マキラドーラで加工・組立されたシャーシを中心とする部品がアメ リカ本国内の工場へ送られ,最終製品に仕上げられる,という双方間の分業体制 を指していた.このようなオペレーションが普及した要因に関しては,保税加工
表 2 アメリカ・テレビメーカーの海外生産移転およびテレビ事業撤退状況
企業名
アジアへの進出年 メキシコへの
マキラドーラ投資 テレビ事業の撤退・売却 台湾 他のアジア 進出年・進出地域
(都市)・主な生産品目 撤退年 売却年(売却先)
Philco Ford 1966 1974(Sylvania)
Admiral 1967 1975 ・Nogares 1979 1981(Philips) GTE Sylvania 1968(香港) 1974・Ciudad
Juarez・シャーシ
1985(GE)
RCA 1970 1969・Ciudad Juarez・
偏向ヨーク,シャーシ
1985(GE)
Motorola 1971 1974(松下電器)
Zenith 1971 1971・Matamolos 1999(LG)
GE 1971
(シンガポール)
1987(Thomson)
Warwick 1966・Tijuana・シャー
シ,白黒テレビ組立
1977(三 洋 電 機, Zenith)
Magnavox 1971・Nogales 1974(Philips)
Packard Bell 1972・Nogales 1974
(出所)明石(2006)18頁参照.
制度がメキシコに創設されたことだけでなく,(在外)付加価値関税制度というア メリカ国内の制度も大きく関係していた.同制度は,アメリカ産の部品を輸出し,
それらを外国で組み立てて逆輸入した場合には,その外国で生み出された付加価 値部分にだけ輸入関税が課される,という内容であるが,マキラドーラ投資を行 うアメリカ企業は,まずメキシコ側において,組立生産に必要な原材料や生産設 備の輸入関税が免除され,アメリカ本国側においても,その組立製品の逆輸入に おいて関税が減免されるという二重の税制上の恩典を享受できたのである16.ア メリカの統計データ等を使ってこの制度の詳細な研究を行った中本(1999)によ ると,1994年のデータであるが,メキシコからの製品輸入における同制度を活用 した免税率(免税額/輸入総額)は約半分の50.2%,業種別にみると,テレビを 含む電子製品で44%,輸送機器(自動車・同部品)で45.3%,繊維製品や履物で 69%に上った17.このように,アメリカ本国側の(在外)付加価値関税制度と,進 出先の発展途上地域における保税加工制度という国内外双方の制度の存在が,ア メリカ企業のオフショア生産戦略,いいかえれば,グローバル・ソーシング戦略 を支え,促進させてきたことをここでは押さえておきたい.そしてその根底には,
1960年代半ば頃から次第に高まる多国籍企業間の競争圧力とそれに基づく生産コ スト低減の必要性があったことは上述の通りである.
他方,表2より,これらアメリカ企業のメキシコ進出先に着目してみると,次 に述べる日系企業がティファナやメヒカリなど,太平洋岸沿いの国境都市にマキ ラ投資を集中的に行ったのに対し,アメリカ企業の場合,ウォーイック(Warwick) 社を除き,ノガーレス(Nogares)や,シウダ・フアレス(Ciudad Juarez,以下 CJ),マタモロス(Matamolos)のように,より東部(中央部からメキシコ湾岸)
の国境沿い都市にマキラ工場を設立したところに立地上の特色がある.これは,
アメリカ本国のテレビ組立工場の立地や,東部の諸都市をはじめ,アメリカの各 都市への交通アクセスがよく,原材料・部品や完成品の輸送費が低く抑えられた こと等が関係していると考えられる.
16 中本(2006)121頁等を参照.
17 中本(1999)5頁–6頁.