• 検索結果がありません。

中国ホスピス-の伝統文化の導入について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中国ホスピス-の伝統文化の導入について"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

■弘前大学哲学会 (論文)

中国ホスピス‑の伝統文化の導入について

張 長 安

は じめに

ホス ピス(hospice)はラテ ン語のhospitiumとい う語源か ら出てお り、hospitality,hos pital,hotelな どと同 じ語源で歓待、宿所の意味である。終末期患者の ケアを専門 とす る小 施設をホス ピスと呼んだのは19世紀か らである。 中国語ではホス ピスを 「臨終関懐」(終末 期患者に関心 を寄せ る)、或いは 「安憩所」 (安 らか に休む場所) と表現 している。実 にホ ス ピスの本質は治癒できない患者の精神的ケアをす ることであ り、終末期患者の生存期間 の延長 を目的 とす るのではな く、患者の終末期の生命の質 を高めることを宗 旨とす るもの である。終末期患者に対す る生活の配慮、痛みの緩和治療、 苦痛 と死の恐怖の軽減 と終末 期患者の尊厳 と安逸等 に重点を置 き、 またその家族の心理、生理及びその他の ことに関心 を寄せる。

近代的なホス ピスは1967年に、イギ リスの ロン ドン郊外 に建て られたセ ン ト ・ク リス ト フア ・ホス ピスに始まる と言われ る。現在、 世界 中に70カ国の地域がホス ピス施設 を持 っ ている。ホス ピス と関わ る研究者や専門職が迅速 に増 え、社会全体の関心が高ま りつつ あ る。

中国で二千年余 り前 に建て られた 「庇護所」、その後の 「養病房」、 「安済房」、 「普善堂」、

救済院」な どはすべて善意か ら病人 ・高齢者に関心 を寄せ、思いや るとい う意味が含ま れている。 二十世紀80年代か ら現代的意味でのホス ピスが中国に取 り入れ られ、1988年か らホス ピス施設が建て られ始め、北京松堂ホス ピス院、天津医科大学ホス ピス研究セ ンター、

上海市定年職員看護病院、北京朝陽門病院第二病 区な どが相次 ぎ建て られ、また同 じ年、

北京、天津な どでホス ピス国際シンポジウムを開催 した ことによって、ホス ピスの研究者 ・ 専門職 も増 えてきた。

一方、ホス ピスが中国に入って10数年 しか経っていないので、ホス ピスは国民ない し一 部の医療関係者 において も詳 しく知 られていない概念であ り、多 くの人々はホ スピスの意 義 を正 しく理解 していない。その上、数千年来の伝統的な死生文化が国民の死生観 にも大 きな影響 を与えている。 また、ホス ピス施設や専門医療者が少ない こと、医療規範がほと ん どな く、臨床 に任意性が大きい こと、大きな病院で もほ とん どホスピス病棟 を設立 して いないこと、伝統文化の影響でホス ピスが家庭内に限 られていること、終末期患者の 自殺 や医療者の 「殺人」或は自殺‑の協 力のケースも少な くない ことな ど、多 くの問題が挙 げ られ るQ

開放 して20年間余 りも経 ったが、数千年の歴史や伝統文化をもつ 中国に とっては、欧米

(2)

流のホス ピスをすべて受 け入れ ることは容易ではない し、すべて受 け入れた として も、 ス ムーズ に発展で きる とはかざ らない。 ホス ピスケアには文化の要素が多 く含んでい るか ら こそ、 中国ホス ピスの発展 には、ギャ ップが大 き く感 じられ る外来文 化ではな く、 中国の 伝統文化をいか に活用す るかが、鍵 とな るだ ろ う。

2003年10月に天津で行われた 「中国医学倫理学会第12回全国大会」で、私は 「中国伝統 文化をホス ピス に活用すべ きである」 と提言 した。実は この話題は数年前か ら盛 り上がっ ていたが、 これ に関す る論著 は見 られなかった ところなので、専門家たちの賛 同を得、ア

ドバイスを頂いた。

中国の伝統文 化 とは、大きな概念であ り、教科書 に詳 しくは掲載 されてお らず、 古文の 文献が読み に くい こともあ り、ほ とん どの 中国人 ははっき りとは理解 していない。私 自身 も現代ホス ピス と関わ りのある伝統文 化を発掘す ることは容易ではなかった。数年 をか け、

歴史や古代思想、哲学、 古代医学な どの専門家 らの指導 を頂き、図書館、博物館での資料 収集 によって研究 をよ うや く進 めることができた。

中国の伝統思想は主 に儒家、道家、墨家、仏教思想であ り、現代 中国社会 の隅々まで影 響 を与えている。そのす ぼ らしい思想 を死 の認識 と死‑の準備教育で活用す るな ら、大 き なプラスにな るだろ うし、ホス ピス ケアで活用 した ら、医療側、患者 と家族側、 さらに社 会側 にも受 け入れやす く、倍 の成果が挙 げ られ るのでは、 と思 った。

漢方 につ いては、漢方薬や針灸の ことを知 っていて も、漢方思想 を知ってい る人は中国 人で も多 くないだろ うO漢方思想は苦の漢方 に関す る著作で多 く見 られ るよ うに、治療 の 方針であ り、 医療 関係者 の 自律準則であ り、医患関係の準則で もある。周知の とお り、漢 方 は効果 は遅いが、副作用が少 な く、全体のバ ランスを取 ることを大事 に しているので、

高齢者患者や終末期患者 にとって最 も適切では、 と思 う。

現代 中国のホス ピス発展 の障害の一つ は経済発展 によるモ ラルの崩壊である。例えば、

赤い包み」 (患者が便宜 を図って もら うため に医療関係者 に贈 るお金)、 「大処方」 (高価 で大量 の薬の処方)、病状 の告知な どの問題が挙 げ られ る。 これ らを是正す るため にも、漢 方思想 を活用す る ことは誠 に重要であ り、一 目も早 くホス ピスケアな どに取 り入れ る必要 がある と思 う。

家庭構造、社会 人間関係、国民 の精神を支 えるものはなん と言って も伝統文化である。

それ らは時代が変わ り、国民 の生活様式が変わ って も、変わ らないのではないだ ろ うか。

上記の着想 と経緯 の もとに、以下の構想で論文の作成 に励 んで きた。

第一章 中国現代ホス ピスの現状 1.中国現代ホス ピスの経緯

現代 中国でのホス ピス事情 について、近年のホス ピス に関す る著書、学会誌 と新 聞な ど (参考資料) による文献調査 を行 ったOその結果 を以下で概観 してみ よ う0

1987年 中国人李 偉はホス ピス院 を創立 しよ うとしたが、開業審査の とき、ホ スピス と い う中国語単語がなかったため、予定開業 日が延期 された。

2 ‑

(3)

1988年天津 医科大学が 中国初 のホス ピス研究セ ン ターを設立 して、1990年ホ ス ピス院が 開業 され、終 末期患者数人が利用 し始めた。

その後、上海市南匪護理院 (ホス ピス院)や北京市松堂病院 (ホス ピス院)の よ うなホ ス ビス院、ホス ピス病棟が安徽省、西安市、寧夏回民族 自治区、成都市、漸江省、広州市 な どにも相次 ぎ出現 した。

1988年の 中国初 のホス ピス研究セ ンターの設立か ら今 日まで、中国のホ スピスの発展 に は三つ の段階がある。即 ち、ホス ピス理論 の導 入 と研究段階、宣伝 と普及段階、専門家の 養成 と実践段階である。

19913月ホスピス研究セ ンターは 「全国ホスピス研究 と養成 クラス」 を設置 し、 イギ リスや ア メ リカな どを含む国内外 の専門家 を招いて、天津、北京、西安、武漢、唐山、青 島、煙台、産山な どで医療、看護、心理な どの従事 者 と関係者2000人余 りを対象 にホス ピ スの専門知識な どを教 えた。

1993年 5月、山東省煙台市で 「中国心理衛 生協会 ホ ス ピス専門委 員会」が設 立 され、1995 年 5月、桂林市で 「全国ホス ピス シンポ ジウム」が開催 され、19963月昆明で 「全国死 生教育 とホ ス ピスシンポ ジウム」が開催 された。 また、『ホス ピス誌』が発行 された。

臨床か ら言えば、チベ ッ トを除いて、全国すべての直轄市、省、 自治区がホス ピス施設 を 設 けた。 主に次の とお りである。

天津はホ スピス研究セ ンター付属ホス ピス病棟のほか、腫療病院、肺臓専門病院、民族 病院、靖江病院な どの付属ホス ピス院 と付属ホス ピスアパー トがあるa

北京のホス ピスは、最 も有名なのが朝陽門病院のホ ス ピス病棟 と松堂病院である。 朝陽門 病院のホス ピス病棟は国営で、40のベ ッ ドを持 ち、脳血管や癌な どの終末期患者が多い。

松堂病院は民営で、すべての病室 に一 人の介護師が患者 と同居 してい るのが特徴である。

また大学生ボ ランデ イアや宗教関係者のサー ビスもある。

上海のホス ピスは数 十 カ所 もあるが、その うち、南匪護理院が もっ とも有名で、80のベ ッ ドを持 ってい る大規模 なホ ス ピス院である。

南京鼓楼安憶病院は民営のホ ス ピス院である。終末期患者 に対す る心理 ケアを重視 し、

死者の葬儀な どにも協 力 してい る。

漸江省義烏市関懐護理病院 は民間人の出資でで きた施設である。 ホス ピスを主 として、

中期、末期がん患者が多いが、痴呆症高齢者、 自立で きない身体障害者 及び寝た き り患者 もいる。

播陽では中国医科大学付属 中心病院ホ スピス病棟が最 も有名である。設立最初の二年 間 だ けで、900人近 くの患者 を収容 した。

香港では、1982年香港天主教病院が初 めて末期癌患 者を対象 にホス ピスケアのサー ビス を開始 した。 1987年香港ホス ピス会が設立 され、その後、ホス ピス研究 と実践 が盛 んになっ て きた。 アジアで 見る と、香港のホ ス ピスの展開は 日本 に次いで早かった。1997年 の統計 による と、ホ ス ピスケアを受 けた終末期患者の九割が癌患者であ り、癌でな くなった病 人 の約半分がホス ピスケアのサー ビスを受 けた ことがある。ホス ピスに従事す る看護師 ・介

(4)

護師が 「握手看護師 ・介護師」や 「握手お嬢 さん」 と称 され、尊敬 されている。

台湾では、19903月台北馬借病院が台湾初のホス ピス病棟 を院内に設立 した。その後、

ホス ピスに関す る検討会やホスピス院の設立 も相次いであった。

現在、中国では、ホ スピス臨床実践サー ビスが全面的 に発展 しつつある。全国にはホス ピス施設 は100カ所を超 え、ホス ピスの従事者は数 千人 にも上 るQまた医療 ・看護及び衛 生健康系大学の臨床医学専攻、看護専攻、公共衛生専攻及び在職の医療関係者の継続教育 機関な どにホス ピス科 目を設置 している。また、 「中華医学護理学」、 「中国医学倫理学」、

ホス ピスケア」な どの学会誌 を通 じて専門家のみな らず社会全体がホ スピスケアに対す る関心 を高めつつある。

2.中国現代ホス ピスの問題点

最近の新聞各紙 の調査記事か らホス ピスに対す る中国一般世論の動向の一端 を探 ってみ たい。

① 『北京青年報』200291日記事 :北京腫療 (癌)病院 にある寧養院 (ホスピス) は香港の実業家の基金で建て られた もので、薬 を含むすべての治療が無料である。 しか し、

入院希望者はほ とん どいない。その病院の責任者の話 による と、一つは患者の医療‑の期 待が高す ぎ、 自分の病気は治 らない ことではない と思 うため、ホス ピス入院 に抵抗感があ る。 も う一つ は経済優先の影響で、無料で治療す ることは信 じない。 「ただで治療す るこ とは 自分 を実験台 とす るつ も りだろ う」 とい う人もあった。

② 『江南時報』20001218日記事 :南京市初めてのホス ピス院は入院患者が少 なす ぎ て、倒産寸前で、 も うひ とつの40のベ ッ ドを持つホス ピス院 も入居患者は半分 にも満たな い。江西省の高齢者病院ホス ピス病棟は経営赤字で倒産 した。最初は人気があって、予約 しない と入 られなかったが、最近は徐々に難航 し始めた。ホス ピス施設 にいて も最先端の 治療 を期待す る患者 と家族が多 く、病院 よ り先端機器が不備であることや介護費用な どの 経済負担 にこだわっているよ うである。 も うひ とつの原因 として、終末期患者の家族は心 理的 に終末期 に入った事実を受 け止めた くないことがあげられ る。

③武漢市第 三病院ホス ピス病棟 に入院 してい るある患者 は末期肺癌であるが、数 回 も こっそ り帰宅 し、家族 に家で死 を迎 えたい と言 った。 自宅で家族が見守る中で死 にたい と い う人は少な くない よ うである (楊子晩報』より)

2002年のアンケー ト調査 :「北京 にはホス ピス病院があることを知 っていますか」に対 して、北京の若者の65%は知 らない と答 え、「あなたはホス ピス院を どう思いますか」には、

死 に臨む人 と暮 らす ことは こわい、不治の病 になって も行かない、 普通の病院で死 を迎 えたい」等 とほ とん どがホス ピスに対 して消極的な回答であった (北京娯楽信報』2002

4月 3日の調査)。

社会経済が 日進月歩 に進む 中、生活様式が複雑高度化 してきた。 さらに少子高齢 化社会 の進展 を迎 え、多 くの人々にとって病人の世話 をす る時間や体力がない し、経済面にも大 きな負担 となる。病院のベ ッ ド数が不足 りしている状況 において、ホス ピスは新 しい選択

‑ 4 ‑

(5)

肢であ り、理想的な ところと言 って もいいだろ う。 しか し、松堂病院創立以来、全国には 数 百のホス ピス施設が建て られたが、上で見た よ うに、その多 くは入院者数が少なす ぎ、

経営赤字 に陥 り、難航 している。その主な原因 として次の三つが考 えられ る。

① 中国人の観念が古 くて固い。多 くの患者は 「終末期」 に抵抗感があ り、終末期は患者 や家族 に死 を思わせ、残酷でたま らない。

『北京娯楽信報』200243日の調査 によると、70%の老人がむ しろ自宅で死 を迎 えた い としている。親 をホス ピスに送 ることは 「親孝行 していない」 と親戚や 同僚、隣人に言 われ る。

②経費不足。多 くのホス ピスが創立時 に資金が少な く、設備 も充実 した ものが備 えられ ない。 しか も、収益 となる治療費用は普通の病院 より低 目になっている。(注1)

例えば、北京松堂病院は善意 と公益の意味 を持つ施設 であるにも関わ らず、 中国老年基金 会、 「中国老年報」社 と1992年か ら共同で行った 「夕陽工程」 (高齢者 を助 けるプロジェク

ト)は3年間で募金 した ところ、9726人民元 (14万円) しかなかった。

日本では、ほ とん どのホス ピスが国民健康保険の形式で経営 されてお り、特別ルーム料 金を加 え、普通の病院 と共 同で経営 され、寄付金 も多い。 しか し、中国のホス ピスの多 く は医療保険対象 に認定 されてお らず、寄付金 もほ とん どない。途上国の中国にとって、国 か らの財政支援はほ とん ど不可能である。

③迷信意識 の存在。『北京娯楽信報』200243日記事 による と、中国初のホス ピス病 院‑ 北京松堂病院は14年間に6回も引越 しを余儀な くされ、現在 も次の引越 しに迫 られ ている。なぜな ら、新 しい住所 を決め移 ると、きまって近 くの住民が反対す るか らである。住 民が反対す るのは、終末期の患者や死者 と隣接す ることを不吉 と思 う人が多いか らである。

さらに北京桧堂医院の玄関に示 した よ うに、英語で hospice」 (ホス ピス) を書いている が、 中国語文字の表現 は 「松堂医院」である。 「ホス ピス」の中国語訳 は 「臨終 関懐」で あるが、その文字、また近い意味の文字はまった く見 られなかった。一般病院のイ メージ しか表現 しない ことも 「終末期」 とい う言葉や死 を忌み嫌 うためだ と考え られ る。

3.関係する専門家の声

ホス ピス院は終末期患者 に対す る生活の配慮、痛みの緩和治療、心理的ケアを通 して、

終末期患者が尊厳的、安逸的 に生命 を終わ らせ る ところである。」 と北京朝陽門病院第二 病区ホス ピス院郭浩明院長が語 った。 しか し、現実 にはそ うではない。現在、養老院な ど の福祉施設や 国営の大型病院、小型診療所、 さらに個人経営の診療所 までホス ピスを行っ ている。 これ に対 して、郭浩明院長は 「これ らホス ピス院の現状は収容所ではないが、養 老院、福祉施設で もない。その多 くは経済利益のために運営 されている。決 して生命 の質 を重視す るホス ピスではない。」 と指摘 した。

天津医科大学ホス ピス研究セ ンター長の石宝欣研究員は次の見方を示 している。「中国の ホス ピス院は病院、看護院、養老院 と組 んでいるケースがほ とん どであるが、看護院や養 老院 にもホス ピスのサー ビス内容があるといって も、本質上 に区別があるので、現在、中

(6)

国大陸 には本 当の意味のホスピス院は‑箇所 もない。ホス ピス院は医療保険が効かないな どの医療体制が主な要因である。」

現存のホス ピス院は難航 している一方、新 しいホス ピス院が続 々 と誕生 しているのはな ぜなのか、 これ に対 して、北京松堂ホス ピス院李偉院長 は 「病院は経済優先で、儲か りそ うな ものは他人 に譲 りた くない。また、医療行政部門がホス ピス院を認定す る とき、施設、医 療水準、従業員の資格な どで明確な基準がないので、現在 中国のホス ピス院は よいのがあ れば、 よくないの もあることが事実である。 これは中国ホス ピスの発展 にとって大きな支 障 となっている。」 と語った。

国家衛生部門はホス ピス院の合法的存在 を認めた ものの、ホス ピス院 に明確な定義 と基 準を決めなかった。即ち、ホス ピス院は どんな ところであろ うか、 どの よ うな機構がホス ピス院であろ うか、な どの問題 を明確 にしなかったのである。上記の郭浩明院長は 「はっ き りしない ことが一番大 きな支障である。」 と述べている。

現在、中国において、ほ とん どのホス ピス院は独立法人 として運営す る施設ではな く、

ある組織や病院の付属施設、或いは下部組織 として運営 している。例 えば、北京朝陽門病 院第二病区ホス ピス院は北京朝陽門病院の下組織で、北京松堂ホス ピス院は中国老齢委員 会の下部組織である。両者は名義上のほかは、ほ とん ど関係ないにもかかわ らず、毎年、

下部組織はその上部組織 に管理費 として数十万か数百万人民元 を納付 しなけれ ばな らない。

なぜ、独立法人 としてのホス ピス院を設立 しないのだろ うか、ホス ピス院の責任者 らの話 による と、免許の手続 き、またその他の制限が多す ぎることが要因だ との ことである。

国家衛生部行政処張副処長は 「ホス ピス院の設立基準、優遇政策が決まらないかぎ り、

中国のホス ピス事業は依然 として厳 しい。」 と語った。

ホス ピス院は病院なのか、 とい う疑問は関係者 に残 されたままである。普通、病院は治 癒率や病床の使用率な どの指標で評価 され るが、現在病院 として管理 されているホス ピス 院は治癒率が 0であるため、病院であ りなが ら、治癒率を求めることができない狭間にお かれている。

これ に対 して、 中国ホス ピスの父 と言われ る撞以泰教授 は 「団地病院 (診療所)のサー ビス範 囲を拡大 して、ホス ピス院 をそち らに所属 させ るべ きである。」 と提案 したが、基 準認定、関係政策制定、発展保障な どの中国現状か ら見れば、まだまだ遠い よ うである (2)0

以上の よ うに、 中国でのホス ピス事情 にはまだまだ問題点が多い ことがわかる。 これ ら を克服 し、一層の発展 を促す ことが課題である。そのための方策の一つ として、中国ホス ピス‑の伝統文化の導入 について論 じておきたい。

第二章 中国古代の死生観 1.儒家の死生観

中国の伝統文化は儒教 を主体 としている。その影響 力は二千余年 にわたって、今 日に至っ て もなお人々に影響 を与 え続 けている。 とりわ け、その死 に関す る観点は現代 中国人の死 生観 にも大 きな影響 を与えている。

‑ 6‑

(7)

儒家は春秋時代の末期 に孔子が創立 した学派であ り、孟子、苛子がそれ を継承 し、発展 して、前漢時代の董仲野 (B.C176ごろ〜B.C104ごろ)が公 羊学 を修め、天人相関説 を唱え た。武帝 に仕 えて儒学による思想統一 を強調 し、儒学が国教化され るに至 った。六朝、陪 唐時代の仏教 ・道教の興隆を経て、未明時代の儒学体系化、思弁化を経て、中国伝統文化 の主流 とな り、思想界を圧倒す る力を誇 った。

西安碑林博物館の陳列室の玄関 には玄宗皇帝 自らが書いた 「石台孝経」 とい う最 も大 き な石碑がある。その内容は主 に 『孝経』 を解釈 した ものである。 中には 「身体発膚、受之 父母、不敢穀傷、孝之始也。」 (身体髪膚、之を父母 に受 く、敢 えて致傷せ ざるは、孝の始 めな り 『孝経 ・第 一) とい うよ うに、人の生命 は神聖な ものであって、 けっ して人為的 に壊 した り、傷づ けた りしてほな らないのである。儒家の死 に対す る態度 としては、以 下 の言説 に表 れてい る。例 えば、 「死生有命、富 貴在 天」 (死 生命 有 り、富 貴天 に在 り 『 語 ・顔淵』)、 「不知命、無以為君子」 (命 を知 らざれ ば、以 て君 子た る こ と無 きな り 『 語 ・尭Eu)、孟 子は 「莫非命也順受其正」 (命 に非 ざる莫 きな り、其の正 を順受すべ し

『孟子 ・尽心 上』)とあるO この よ うな 「天命論」は人の生死は外来のカ‑ 自然規律 に束 縛 され るので、生 きている限 りは死の ことを考 えない処世 しかできない。現代人の死 に対 する認識、特 に死 の本質に対す る見方 とは根本的な違いがある。 これは儒家死生観の第一 の特徴である。第二の特徴 としては死 を恐れず、専念で身を修めることを訓育す ることで ある。孔子は 「衆生必死、死必帰土」 (衆生必ず死す、死すれば必ず土 に帰 る 『礼記 ・』)

朝間道、夕死可莫」 (朝 に道 を聞かば、 夕べ に死す とも可な り 『論語 ・里仁』) と言 う。

人間が生きている うちに身を修め、人格 を磨 き、修養 を積み、仁愛 し、礼儀正 しく、孝行 をすれば、死 とその後の ことを考えな くて もいい、 と言 うQ第三の特徴 として儒家は、仁 義で献身す ることを主張す る。 「舎生取義」 (生 を捨てて義 を取 らん 『孟 子 ・告子上])が あ り、量仲野 は 「君 子生以辱、不如死以栄」 (君子 として生きて以て辱 しめ らるるは、死

して栄なるに如かず 『春秋繁露 ・竹林) とい う。

儒家は死の本体論か ら出発 して、死は必至だ とい う現実主義的態度 を取 っている。儒家 が表現 した死生観 によると、儒家は生命の全過程 の道徳的価値の実現 を最 も大事 にし、個 人が全体の徳 に近づ くことと、生命の有限を生命の無限に進めることとを通 して、生命が 死 を超越す る目的 に達す る可能性がある と見ている。社会実践 において、儒家は 自らが認 定 した道義 と道徳価値を 「生 と死」の上に置 き、 「生」は道義のための努 力であ り、 「死」

は道義のための献身であるとした。その意味で、儒家 に とって死 とは苦痛的な個体の壊滅 ではな く、む しろ道義 の最終的実現なのである。

それか ら、儒家の現実主義的死生観は 「楽知天命、故不憂」 (天 を楽 しみ命 を知 る、故 に憂 えず) として 『易経 ・系辞上』 に集 中的に表現 され る。 この よ うな死生観 によれば、

人間は生まれてか ら死ぬまでのプ ロセ スはひ とつの 自然の変化であ り、必然の道理であ り、

天地の発展変化や人間社会 に沿った法則である とされ る。宇宙の理論 と自然の変 化を知 り 抜 くことによって生 と死 を納得 し、貧困、富裕、長寿、夫折な どの変化 にも穏やかな態度 で直面 し、天命 に身を任せて憂慮 をな くす必要がある、 と唱えているa

(8)

この よ うな観念はある程度は宗教 に抵抗す る働きもある。宗教の誕生はまず死 の存在が あるか らであ り、死 の存在は宗教や さまざまな民間信仰や俗世迷信の誕生の与件である。

儒者の張載 (1020‑1077)はその明示か ら出立 し、その死生観か ら、死は人間の 自然 と必 然の帰着点である と指摘 した。彼が 『正蒙 ・乾称』で言 うよ うに、人間は 「存、吾順事 ; 没、吾寧也」 (生 きていれば 自然 に従い、死せれば安 らぐはずだ) とい う態度 を とってい る。 即ち生 きている とき我利 ま自然の道 に従い、死 に臨む とき我々は冷静 に受 け止める心 境 を持つべ きである とい う。 この よ うな死生観の メ リッ トとしては、人間が宗教や道徳を 通 して霊魂の不朽や 肉体が仙人になることを求める宗教の誤 りか ら避 けられ ることであ り、

ある程度 に人間の宗教意欲を抑制 したのである。

楽知天命、故不憂」の死生観の前提 としては人間がかな りの文化素養 と道徳水準 を待 つ ことである。即 ち真 に 「生」 と 「死」の共通性 を理解 し人間の生 と死は宇宙 によるもの だ と理解す るためには、高い文化的素養 と道徳水準がなければな らない。そ うして 「楽知 天命、故不憂」の死生観 を受 け止めるな ら、 どの よ うな生 と死 に対 して も、冷静な態度 を とり、我慢できるのである。

儒家は、個人の高徳は後 世に伝 えられ 高評 され、個人の功績が民衆の幸福 に繋が り、個 人の透徹 した言論が永久不変な価値がある、 と説教 した。いわば 「立徳、立功、立言」は いずれ も人間が個体 としての人間の短い生命の制限か らと解 き放 され、不朽が図 られ る。

それが正 に、孔子 の言 う 「君 子疾没世 両名不称薦」 (君 子は世 を没す るまで、名の称せ ら れ ざるを疾む 『論 語 ・衛霊公)。即 ち、 「君子」が亡 くなる とき偲ぶ 人 さえいなければ、

厄介な ことで、気 まずい。 「名称」 とは、死 を超 え、 「不朽」 に達す ることである。

明代学者の羅倫 (1431‑1478)は 「生 面必死、聖賢無異於衆人也。死而不 亡、与天地並 久、日月並明、其惟聖賢乎 !」(生 して必ず死す、聖賢民衆 に異なる無 きゃ。死 して滅びず、

天地 と並びて久 し、 日月 と並びて明 し、其れ惟聖人な らん) と唱道 している。聖人が 「 而不亡」 とい うのは、彼 らの生命のすべてが道徳をめ ぐって展開 し、その思想、人格、功 績が後世 に伝 えられては じめて 「死而不亡」 とい う境地 に到達できる。だか ら人間は生 き ている ときに功績 を積むか らこそ 「不朽」 に達 し、そ こか ら楽 しみ、慰め られ るわ けであ る。

上述の よ うに、儒家の死‑の超越 に対す る基本観念 をま とめてみたい。その第一は、生 命プロセス中の道徳的価値 を掘 り出 し、個体 としての人 と、全体 としての徳の合致 を求め、

有限か ら無限に進み、 さらに死 をも超越す ることである。 「殺身成仁」 (身を殺 して仁をな す 『論語 ・衛霊公) とい う言葉か らみ る と、儒家は道徳的価値の実現が、人間が死生 の 問題 を解決す る鍵だ としている。個人の肉体 と特有の精神意識 は最終的 に腐 って消 えてい くが、努 力によって徳を積み、手柄 を立て、著述 し、特 に死 に臨む ときも信仰 と道徳のた めに一身を犠牲 にし、その功績や名声が後 世に伝 え られ、 よい評判が永久に残 され ること は、生命の死 に対す る超越であるとす る。第二は、「天」 と 「天命」の存在を固 く信 じ、個 体 としての生命がそれ に融合す ることである。個人生命が道徳 に融合すれば、 自分の思想 言動が さらに神聖性 を持ち、尊い使命感 と何 ものをも恐れない精神が生まれ、死 に直面 し

8‑

(9)

た ときも穏やかな態度で死 に臨む ことができる。第三は、真理 と道徳 を 「生」 と 「死」の 上に置 き、生 きているとき、道義のために努力し、死ぬ ときも道義の実現のために堂々 と 死 に向か うことである。儒家は、生の価値は、真理 と道徳の価値 に比べれば惨い もので、

人間は夢や道義のために蹟糟な く献身す る必要があるとされ るQ

儒家の考 えでは、人間は他の生物 とは違 った特別な価値のある存在である。あるいは 価値を実現す るために生 きる存在である (3)」と金谷治が言 った よ うに、儒家の主題が現 実的な人間の生 き方の問題 に集 中す るのは、そのためであった。 しか し、道家の人々はそ うではなかった。彼 らは人間を生物一般、或いは 自然物 としての次元で考 えていた。孔子 では死 の問題 は直接取 りあげなかったが、それ と対照的 に、老荘道家の思想ではそれ をむ

しろ重要な問題 とされた0

2.道家の死生観

先秦時代の道家は老子 と荘子を代表 とす る思想の学派であるが、道教 は後漢 中後期 に創 立した 「宗教」であ り、老 子を教主 とした。

老子の代表作は 『道徳経』であ り、荘子は 『荘子』である。老 子は生まれ ることと死ぬ ことは 自然の変化 に過 ぎず、生死変化は人間だけでな く、万物 にも 「生 と死」の変化があ るので、 この 自然の変化 に従い受 け容れ る必要がある と考えたO『道徳経』による と、死 を拒んで もまった く意味がない し、一方的 に生を求めることも不可能である とされ る。

荘子』 において、人生が もっ とも困惑 しているのは 「悦生悪死」の心理であ り、それ に対 して、生 は人の悦び によるものではな く、人の嫌 いによるもので もない。 「生也、死 之徒、死也、生之始」 (生や死の徒、死や生の始 『知北遊』)、「生之来不能却、其去不能止」

(生の来 るや却 くること能はず、其の去 るや止むること能はず 『連生』) とされ る。

道」は老荘哲学の最高範晴であ り宗教的道教 とまった く同 じではない。道教は道家哲 学思想 を基礎 として神仙家 と仏教の影響 を加 えて形成 された宗教である。道家の 「生死斉

‑」の観念 は生 と死 を大 自然の変遷 のひ とつの形式であると見な してい る。 「生」は 自然 によるもので、 「死」 もまた 自然 によるものであるので、生 によって喜び死 によって悲 し む必要はない し、 「生」 に執着 した り 「死」 を一 目も早 く求める必要 もない。老子の 「 而不 亡」 (死 して亡び ざる 『道徳経第三十三) と荘子の 『遭遥遊も生死 を超 えた もので、

個人の精神世界の大 きな 自由を求め、「大道」 を悟 ることか ら両方 を忘れ、天地 と共存 し て不朽 に至る。

道家は死 と生は、表面上は異なるが、本質か ら言 えばいずれ も自然 (大道)変化の段階 である と見な しているQ死 と生はひ とつの永久不変な 目然現象であ り、人間は主観的、あ るいは客観的 に変化を与えることができない。そのため死の本質は人間の生理生命の喪失 であ り、個別の人間の生命 にとって大 きな変化であるが、 しか しそれ 自身は永久不変な現 象である。

荘子 は生命 を考 える とき、人が生命 を持つ前 に形体 はな く、人 にな るその 「気」 もな かったが、その後、無為 にする 「道」の働 きによって生命の源が現れ、人の形体 と生命が

(10)

出来上がった と察知 した。それはひ とつの双方共通性 のある 「生」か ら 「死」 まで、そ し て 「死」か ら 「生」 までのプロセスであ り、四季の変化の よ うな 自然的な ものである。そ のため、彼の妻が亡 くなった とき悲 しい気持ちがあったが、まもな く静か になったのは、

人は死 んだ ら天 と地の問 に安眠 した よ うな ことで、生者は悲 しくて泣 く必要はない と悟 っ たか らである。 「道」の観念か ら見れ ば、死 は確か に人生の束縛か らの解放であ り、ひ と つの還元であ り、無形か ら有形‑、また有形か ら無形‑の変化である。荘子の思想 による と、人間は生 を喜び とし、死 を悲 しみ とす る観念 を排除すべ きであるとい う。生きる者は 生を喜び とすれば、死者は死 を安 らぎとす る し、生を悦ぶ者は死 を嫌 う必要はな く、死 を 嫌 う者は生を悦ぶ必要はない。

道家が求める究極的 目標 とは人間の 「死而不 亡」の実現 とい うことであ る。 ここでの

不亡」は生理上の不死 を指すのではない。その意義か らみれば、人間が真に 「道」 に従 い生まれ る ときと死ぬ ときにあた り、精神は 「遣」 と一体になるため、永久不変な 「道」

を通 って不朽 に達す るのである。道家学者 による と、実物の世界や生理上の生 と死 はいず れ も極 ま りない変化の中の一時的な状態である。そのため、生命意義の解放は精神の世界 で行 うことしかで きない。そ こで世の人間は様 々な欲望の束縛か ら脱出 し、様々な得失の 精神の苦痛か ら解放 され、生命の絶対 自由な 「迫遥」とい う境界 に達 しよ うと努 力し、「 生斉‑」 とい う完全な 自然の快楽 を体験す る、 とい う。人間は人間の生 と死 を容認す るば か りでな く、 さらに人間 と物の生 と死 も容認す る必要がある。

道家死生観 の究極的 目標 としては変転 きわ ま りない 世界の外側 と上側 に、永久不変 な

道」があることを人間に体験 して もらいたい とい う期待がある。精神がそれ と一体 にな れば、生死 を超 えられ、 「死而不亡」 になるとい うのである。『老子』のなかで 「死 して も 亡びないものが寿 しだ」 と言われ るよ うに、 この固体の死はあって も、道 と共 にあるもの は亡びないのである。そ して、その境地 に達 した もの こそが本 当の寿者だ といえるだろ う。

それが道家的な死生観の極致であろ う。

中国の伝統的死生観は上記の儒家 と道家のほか、仏教、法家、墨家の死生観 も民衆 に影 響を与えていた。

3.他の死生観

仏教 は紀元前 6世紀〜 5世紀 ごろイン ドで創立 され、紀元 1世紀 ごろ (前漢末か後漢初 め) 中国に伝来 した。その後全国に次第 に広ま り現在 も民衆 に大きな影響 を与えている。

仏教 は、死 につ いて因果の報い と輪廻転生説 を唱えている。つ ま り、人間が生 きている とき、霊魂は この人の肉体 にあるが、死後は別人の肉体 に転生す る。魂の 「前世」の行為 は 「因」であ り、 「人世」でそれ に相応 しい 「果」が報われ る。同 じく 「現 世」の行為は 来世の因 となる。 「前世」で善行 を積めば財産 と地位の善 の報 いがあ り、死後は 「天国」

に行 ける。 「前世」で悪行 を積めば出身や身分が低い悪の報 いがあ り、死後 は 「地獄」 に 行 く。人生は苦 しみで、人 世は真の楽 しみがな く、来世 に天国に行き、輪廻転生す ること しか楽 しみ と幸せがない。 こ うして、人間は生死 問題か ら解脱 され ると説かれ る (4)

‑ 10‑

(11)

法家の死生観 は主 として韓非子の著作 に代表 されている。 人間は 自身の心のあ りよ うに よって、死 を恐れず にいることができる と判断す る。法家の死生観 によれば、人間が死 を 避け災いを除去す る様々な方策の探求 に重点を置 き、人間が必然性 を遵守す る上で、死 に 対す る認識を人間の正 しい行動の準則 に転化 して、 苦しく険 しい現実社会で一人前 にな り、

楽 しく生き、平静 に死 に向か うことによって、死の回避 と生の幸福の 目的 に達す る と期待 する。 この 目標 に達す るには、まず物事の規律を遵守 しなければな らない。ひ とつは人間 の 自身の生命力の保護 と蓄積 を意味 し、 も うひ とつ は人間の全ての行動が物事の発展変化 の規律 をきちん と守ることを指 している。それ によ り早死 も災禍 も免れ ることができる。

神不淫於外則身全」 (神外 に淫せず ば則ち身全か らむ 『韓非子 ・解老)。 名声や利益 を 求めるとして もルールに従 うべ きで、そ うしない と精神や命の障害を招 く。法家の死 に対 す る見方は 「性悪」の観点 に繋がっている。法家は 「賞刑明、則民尽死」(賞刑明かな らば、

則ち民死 を尽 さむ 『韓非子 ・飾邪) とい う原則を提唱 した。人々が死 を避 けたがってい るか らこそ、賞 と罰でそれ を規範化 し利用することができる。

下層民衆の思想 を現わ している墨家の死生観は、儒家の 「命定観」 に反対 し、苦労を厭 わず、他人のために身を捨て る 「摩頂放鍾利天下、為之」 (頂 を摩 して鐘 に放るも、天下 を利す るは、之を為す 『孟子 ・尽心 上』) とい う救世精神で、ひ とつ の実用的な経験主義 的方法 を取 り入れ るところが多い。死 の効率性 の考察 を行 うことを重 ん じ、 「死」 に対 し て純理性的な態度 を取 り、積極的 に有為の死生観 を崇拝する。 この死生観は、儒家の倫理 道徳 をコア とす る 「殺身成仁」 とは異な り、天下の生命 に実際利益のある 「義」を価値 と している。 「義」は 「身」 よ り高 く、義 のために物惜 しまず に死 に向かえる。 この よ うな 強い功利 主義的死生観は今 日まで下層の民衆 に大 きな影響 を与えている。

墨家の多 くは 「下層人」出身で、長い間下層民衆 と共 に暮 らし、普通の人間の生、老、

病、死、楽 しみ と悲 しみ、追求 と期待、苦痛 と幸福 な どに対 しては、他の学派 より切実な 理解 をもっているため、人間が死ぬ ときの悲 しさを十分理解 している。 しか し墨家たちは この段階で留ま らず、人間の功利 主義的立場 に立って 「生別見愛、死則見哀」 (生 ける と きは則 ち愛 を見、死せ る ときは則ち裏 を見る 『墨子 ・巻‑』) とい う死 に対す る感情的な 悲 しみ を理性的で冷静な判断 に昇華 した ことは墨家死生観のひ とつの特徴で もある。

前述の よ うに、 中国人が最 も望む もの、即ち楽 しい この世 にいつ まで も長 く生 きている ことができることを、さらに現実的 に主張 したのが道教であった。「彼 らは儒教の招魂再生、

仏教の輪廻転生 に対 して不老長生を唱えたのである」 と加地伸行の 『沈黙の宗教‑儒教』

で見 られ る。 この三者の死生観 を比べ ると、意図す るものが異なる。仏教は輪廻転生 とい う 「苦 しみの連続」か ら解脱 して、仏 となることを目的 とす る。道教は不老長生 とい う死 生観 自身が 目的 となってお り、それ を達成できた ものが、た とえば仙人である。 しか し儒 教 は、死生観 としては招魂再生であるが、それが 目的ではない。そ うい う考え方を基礎 と して、現実 に生 きてある うちに到達 しよ うとす る 目標 は聖人である。言い換 えれ ば、仏教 は生死 を越 えて仏 に成 ろ うとす る。道教 は生死を一体化 して、仙人 に成 ろ うとす る。儒教 は生きてある ときに聖人 に成 ろ うとし、死後は祖先祭把 によって生の世界 に回帰する (5)0

(12)

第三章 中国の伝統文化 とホス ピス

現代ホス ピスは中国にとって新 しい事業である。 しか し終末期患者のケアに配慮す る思 想 と実践活動 については、む しろ中国は悠久の歴史を持 っている と言 って もよいだろ う。

現代ホスピス観念 に内包 された 「生命の尊重」や QOL(qualityoflife)即ち終末期患者 の生命の質」の重視な どの社会倫理的価値及び 「死 を受 け入れ る」唯物主義 の死生観な ど は、 中国の長い文明の中にその源流 を見ることができる。借、道、仏の思想 と中国古代医 学はそれぞれ に終末期ケア的な特徴ある思想 を持 ってい る。

1.儒家の終末期ケア思想

孔 子、孟 子を代表 とす る儒家 とその流派は創立初めか ら人間の終末期 と関わ っていた。

古代社会初期では、富 と名誉に恵 まれた家の葬儀 を営む人を 「儒」 と称 し、近代社会で も 富豪名人が死去 した場 合、現地で有名な文人学者 を招 き死者の 「牌位」 に名前を書いて も らっていた。儒教の死生観か ら生 まれてきた祖先崇拝 に基づ く祖先祭把の風習が今 も中国 で普遍的であるC儒家は死生問題‑の思考 をその思想体系固有の主題 としていた。孔子は

仁」、 「礼」を よ く言い、 「死」 をあま り言わなかったが、 「未知生、鳶知死」 (いまだ生 を知 らず、いず くんぞ死 を知 らん 『論語 ・先進)、 「未能事人、悪能事 鬼」 (未だ人 に事ふ る能はず、悪んぞ能 く鬼に事へ ん 『論語 ・先進』) とい うよ うに、 「これは死 に対す る自覚 であるし、生に対する自覚で もある値 6)」と李沢厚が語 った。即ち生は意義 と価値があれ ば、固体の生命 を自然 に終わ らせ、恐怖や悲 しむ必要がない。儒家思想の核である仁、孝、

礼な どの観念 に間接的 に死 に対す る見方や終末期ケアの意識が含 まれている。儒家倫理観 の基本的な道徳範暗 に、仁、義、礼、信、恕、忠、孝な どが含 まれ、 「仁」が最 高の道徳 的基準 とされ る。孔 子日 く 「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁」 (志士仁 人は、生 を求めて、仁を害す ること無 く、身を殺 して、以て仁を成す こと有 り 『論語 ・衛霊公』) 即ち、仁人有志が死 に臨む とき、 もっ とも追求すべ きことは道義、信念、事業の成功であ る。孟子 日 く 「生、亦我所欲也。義、亦我所欲也。 二者不可得兼、舎生而取義也」 (生 も 亦我が欲す る所あ り、死生 も亦我が欲す る所あ り、二者兼ぬることを得可か らずんば、生 を捨てて義 を取 る者な り 『孟子 ・告子)。孔子 と孟子の観点によれば、死 は生命の価値を 作 り出せ る意義がある。孔子 日 く 「朝間道、夕死可臭」 (朝 に道を聞かば、 夕べ に死す と も可な り 『論語 ・里仁』)の意義 は生命の長 さよ り生命の価値の方が重要視 されているの である。儒者の立場 としては、第一の 目的は道義 を貫徹す ることであって、道義 の前では 生命 も軽いのである。

儒家の終末期ケア思想は 「孝悌」 に集 中して表現 されている。近世儒家思想の集大成者 である朱薫 (1130‑1200)の解釈 による と、 よく父母 に仕 える事は 「孝」であ り、 よく兄 弟に仕 える事は 「悌」である。儒家思想の 「孝悌」は幅広い意味を持つ。 父母、兄弟 に仕 える礼儀、扶養、終末期の気遣いを含み、葬儀期間の礼儀風習 も含 んでいる。病気や身体 障害 と特別な原因のほか、普通は他人の世話は要 らない。特 に配慮すべ き人は終末期者だ けなので ここで 「孝悌」はもっとも重要な意義 を持つ。孟子 日 く 「養生不足以 当大事、惟

‑ 12‑

(13)

送死可以 当大事」 (生 を養ふ は、以て大事 に当つ るに足 らず、惟死 を送 るは以て大事 に当 つ 可し 『離婁篇) 0 死 を送 る」 とは、つま り 「終末期 を送 る」なのである。 「終末期 を送 る」は終末期 に配慮す る ことを意味す る。 中国民間 には 「養子防老」 (子 を養いて老後 に 備える) とい う言葉があるが、 ここでの 「老」 には 「死」の意味 もあ り、実は終末期 に面 倒を見て くれ る人がいない ことを防 ぐとい うわ けである。また、 「多子多福」 (子供が多け れば福 も多い) とい う言葉があるが、要す るに、終末期 に多 くの子供が世話 をして くれ る ことを期待できるとい うことだ。その期待が実現できれば「福」であると考 えられている。中 国の歴史か ら見れば、 皇帝か ら庶民 まで どち らも終末期者へ の配慮 をもって、 「孝行」 と みな されていることがわかる。

儒家の終末期ケア思想は葬儀 にも特別な気遣いを払っている。死、その不安や恐怖 を和 らげる説明 として、儒教 は招魂再生を説いた。今 日流 に言 えば、慰霊である。孔子 による と、葬儀 は最 も重要な儀礼である。孔子日 く 「生事之以礼、死葬之以礼、祭之以礼」 ( けるには之に事ふ るに礼を以て し、死せ るには之を葬 るに礼 を以て し、之を祭 るに礼を以 てす 『論語 ・為政)礼者、謹於治生死者也。生、人之始也 ;死、人之終也 ;終始倶善、

人道軍兵。故君 子敬始 而慎終。終始如一。‑・故死之為道也、一 両不可得再復 也。」 (礼な る者は生死 を治むるに謹む者な り、生は人の始 にして、死 は人の終な りO終始倶 に善なれ ば、人道畢 る。故 に君 子は始 を敬みて柊 を慎み、終始‑の如 し。 ・‑‑故に死の道たるや一 にして再復す ることを得可か らざるな り 『萄子 ・礼論)。死は生命の 「不可得再復」であ るため、葬儀 を盛大 に行 う必要があると強調 していたが、そ もそ も、生者が死者 に対す る あるべき態度の表 しである。 しか し、孔子は葬儀を重視 していたが節度があった。弟子の 顔回が亡 くなった とき学友たちは盛大 に葬 ろ うとしたが孔子に阻止 された とい う。盛大な 葬儀を行 うと彼の家族 に大 きな経済的負担 になるし彼の名声 にもマイナスになると判断 し たわ けである。本質的な面か ら見れば これは儒家思想の、死者の名声や死者家族‑の気遣 いであろ う。

2.道家の終末期ケア思想

老子、荘子を代表 とす る道家は、人間の生 と死 は 自然規律だ と見る。生 と死は環状 に繋 が り繰 り返 して回 り、絶対的な本体意義 を持つ。老 子日 く 「出生人死」 (出でて生 き入 り て死す 『老子 ・第五十)。 また、 「生乃格役也、而死乃休息也」 (生は乃ち格役 にして、死 は乃ち休息なる 『准南子 ・精神訓』)。荘子日 く 「夫大塊載我以形、労我以生、快我以老、

息我以死」 (夫れ大塊 は我 を載す るに形 を以て し、我 を労す るに生 を以て し、我 を侠す る に老 を以て し、我 を息す るに死 を以てす 『大宗師 ・第六』)。 これ らは共 に 「生労死憩」 を 表現 している即ち、生 きている間は忙 しく働 き、死ぬ ときは徹底的 に休む。 この観点か ら荘子は 「悦生悪死」の伝統 を否定 し 「悪生悦死」 を主張 した。 一般的な死 を恐れ る感情 を克服す る必要がある。死後 の世 界は案外 に楽 しい ものか もしれない と考 えてみることで ある。 「死無君於上、無 臣於下、亦無四時之事。雄南面王楽、不能過也。」 (死すれ ば、 上 に君無 く、下に臣無 く、亦た四時の事無 し。南面の王の楽 しみ と、雄 も過 ぐる能わず 『

(14)

子 ・至楽篇。) とい う告 白もある。

死が避 けられない ものであるか らには、それを当然 に来 るべ きもの として虚心 に迎 える とい うのは、 も う一つの立場であろ う。 「生也、死之徒 ;死也、生之始」 (生 とは死の徒、

死 とは生の始め 『荘子 ・知北遊)、 「死生終始将為昼夜」 (死生終始、将 に昼夜 と為 らん と す 『荘子 ・田子方篇) を述べ、生死相続 の規律 を悟 っていた。人はその運 命の前ではた だそれ につれて随順 してい くよ りほかはない。来るものは拒 まず、去るものは追わず、淡 々

とした心境で人生を送 ることになる。

金谷治が指摘 した よ うに、 「この境涯 はもちろん、あき らめ とか敗北 とかい うこととは 無縁である (7)。む しろ、大きな平安 と喜びをひ らく積極的な意味があるのである0「 夫楽者、其生也天行、其死也物 化」 (天楽 を知る者は、其の生 くる天行 し、其の死す るや 物化す 『荘子 ・天道篇)。いわば、天の楽 しみを知 る者は、生きている ときは天行 (自然 のままのふ るまい)、死 ぬ ときは物化 (物 と共 に変化す る)。 さらに、『准南子 ・精神訓」] の 「夫悲楽者徳之邪也、而喜怒者道之過也、好憎者心之累也」 (夫れ、悲楽は徳の邪な り、

喜怒は道の過な り、好憎は心の累な り)い うことは、 この言葉の解釈であろ う。

道家の死生観は非常 に明解で達観 した ものである。 この死生観 は人々を、宇宙の観点か ら個人の生 と死 を見極 める方向に導いている。その旨としては、宇宙的尺度で見ると個人 の生命は惨いもので、長生 きか どうかは宇宙 にとってみればまった く影響がない。 この よ うな 自然死生観は人に生の安 らぎを持たせ、死 に従わせ ることによって、死 に臨む際の苦 痛 と悲 しみか ら解放 し、生存の難関を乗 り越 えることを可能 にす るOそのため長い封建社 会 において老荘道家の死生観は幅広 く死生教育の役割 を果た してきた。終末期患者の生 と 死の激 しい落差 による精神的苦痛 をある程度和 らげ、または取 り除 くO終末期患者本人或 いは家族が、 自分だけでな く、誰 もがいつか死 ぬ とい うことを認識すれば、終末期の心身 的苦痛が軽減 され る。 ここをもって終末期ケアの内包 と意義 は一目瞭然であろ う。

道家的養生は、道家的帝王が無為の治を成就す るための、いわば 「修身」 としての意味 を持つ ものである。いまこれを平易な教訓 として示せば、寡欲、心の安静、官能の抑制 と い うよ うな趣 旨に帰す るであろ う。 「老 子河上公注 による と、その養生説が 主 として養神 をい うものであることは否定 し難い よ うである (8)」 と楠山春樹が言 うよ うに、例 えば、

その六章 の注 に 「谷 とは養 な り、人、神 を養 えば則 ち死せず」 とあ り、五 十四章 の注 に

道 を修め、気 を愛 しみ神を養 えば、毒を益 し年を延ばす」 とあるよ うに、養神 と長生不 死 の関係 を説 くものであ り、九章の注 に 「曙欲は神を傷 け、財多ければ身を累わす」 とあ るのは噂欲が養神の妨 げとなることをい うのである。二十六章の注 に 「治身重か らざれば 則 ち神を失 う」、 「治身静 な らざれば則ち身危 し」 とあるのは、軽操が養神 に害あることを 説 くよ うである。『准南 子 ・精神訓』 には 「人大怒破陰、大書堕陽、大憂内崩、大怖生狂」

(人は大いに怒れば陰を破 り、大いに喜べば陽を堕 とし、大いに憂ふれば内に崩れ、大い に怖れれば狂 を生ず) とい う語 りがあ り、 さらに 「軽天下則神無累乗、細万物則心不惑央 斉死生則志不偏央」(天下 を軽 Lとすれば則ち神累ひ無 く、万物を細 とすれば則ち心惑はず 死生を斉 しとすれば則 ち志憧れず) とい う語 りもある。

‑ 14‑

参照

関連したドキュメント

これらの定義でも分かるように, Impairment に関しては解剖学的または生理学的な異常 としてほぼ続一されているが, disability と

(2)特定死因を除去した場合の平均余命の延び

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

ヨーロッパにおいても、似たような生者と死者との関係ぱみられる。中世農村社会における祭り

点から見たときに、 債務者に、 複数債権者の有する債権額を考慮することなく弁済することを可能にしているものとしては、

本プログラム受講生が新しい価値観を持つことができ、自身の今後進むべき道の一助になることを心から願って

「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない

人の生涯を助ける。だからすべてこれを「貨物」という。また貨幣というのは、三種類の銭があ