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複雑現象としての経済と経済学江頭進

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(1)

複雑系の展望‑複雑系若手の立場から

複雑現象 としての経済 と経済学

江頭 進

京都大学大学院経済学研究科第

8

研究室

PXKO72 6 3@m if t ys e r ve ・ o r JP

l

序.

経済は複雑系である」 と開いて、それを否定す る経済学者はいないだろう。 しか し、その複 雑性 に対応 した分析は何か と問われた とき、彼 らの多 くは答えに窮す るであろうO経済学の歴史 は複雑系 としての経済現象 にどのように対応す るか とい う問いへの解答の模索の過程であった と いってよい。 しか し、その実際は、複雑性の捨象 と単純化の歴史であった。幾人 もの経済学者が その危険性に気づ さなが らも、その流れはやむことは無かった。その様 な経済学の歴史を批判す ることはたやすい。 しか し、それが何故そ うなったかを再考す ると、問題 自体の複雑 さが浮 き彫 りになって くる。経済学は、経済学者の不注意ゆえに今の ようになったのではな く、その時点時 点での利用可能な最良の分析手段 を導入 し続けた結果 、今の状態にたどり着いたのである。I

経済現象に複雑性 を与 えている最大の原因は、言 うまで もな く経済が時間の経過の中で進化 し てい く 「有機体」だか らである1

.C. Da r w in

が r種の起源

j

を表す際に大 きな影響 を与えたの が、1

8

世紀の経済学者

T. Ma lt hus

であったことは、 しばしば科学史 の中で取 り上げ られている が、実際にはそれ以前の

1 7 ‑ 1 8

世紀のス ッコ トランドの哲学者たちのが既にその基礎概念 を捷供 していたことはあまり知 られていない。Ⅰ

Ⅰ .Spe nc e r

が r種の起源Jに感動 し、進化 を生物のみな らずあ らゆる事象 に貫徹す る 「第‑原理」 として以来、経済学は生物学における進化論の成果 を 積極的に取 り込 もうとして きた。それは経済学に大 きな成果をもたらす と同時に、逆 にその性格 がひず む原因ともなって しまった。

本稿では、まず複雑現象 としての経済に経済学が どのように対処 して来たかを概観する。結論 か ら言って しまえば、経済学は複雑系 を単純系 に還元 して しまう愚を犯 して しまっている。 しか し、先述 したように、必ず しも不注意からのみされたわけではない。続いて、経済学者が社会進 化 とい う問題 についてどのように考 えてきたかを考 える。現代の主流派経済学の基礎 は、後 に見 るように約

7 0

年ほど前の生物進化か らのアナロジーをそのまま用いたものである。 しか し、それ 以外 にも古 くか ら経済学者は進化の問題 を取 り扱 って きた。それらを紹介す ることによって、社 会進化 を論 じる場合には何が必要で、どの程度生物学など他分野の成果を利用で きるのか とい う 点を考察 したい。

2

従来の経済学の複雑性 に対す る接近方法

本節では、経済学が経済現象 を説明する際に用いて きた手法 を簡単 に鋭明する。 また、それを 見ることによって、経済学の問題 を難 しくしているい くつかの要素 を取 り上げてみたい。特 に経 済学は自然科学 と比べてはるかに政治性の・強い学問である。そのため,経済学者の思想信条が理 論体系 にも大 きな影響 を及ぼ している (お そ らく, 自然科学の分野で も程度の差はあれ見 られる

1有機体」 と言 う言葉は社会科学の中では全体主義的ニュアンスを持つことがある。特 に社会有機体説とい う場合 には、個人を出発点にして、その事福 を考えるのではな く、逆 に国家や共同体全体の発展を費優先す る思想である。 し か し、ここでは単 に個 々の主体が相互 に連関 して作 り上げ る一種のパターンのことを拷 して 「有機体」 と膏 う青葉 を 使 う。

‑3 9‑

(2)

のだが)。 しか し、これは経済学の現実適用性 という問題 と絡んでお り、単に経済学者が思想申立 的な態度 を とるように努めれば良い というものではないO主流派経済学は一貫 して思想中立性 を 追求 し一般性のある理論体系 を作 り上げ ようとして きたOだがその結果 として、それは仮定の現 実性 の多 くを失 うことになって しまったOこの両者の トレード ・オフがある限 り、経済学は内在 的な矛盾 を抱 え続けることになるであろう。

複雑系 と一口にいって もい くつかに分けるこ.とがで きるであろう。大 まかに言って次のように 分類で きるであろう。

(1)単純 なルールを持 った主体が多数固相互連関 し合った結果、全体 として単純 なパ ター ンが形 成 される場合。

( 2)

単純 なルールを持 った主体が多数師 日互連関 し合った結果、全体 として複雑 考パ ター.ンが形 成 される場合。

( 3)

複雑 なルルを持 った主体が多数回相互連関 し合った結果、全体 として単純なパ ターンが形 成 される場合。

( 4)複雑 なルールを持 った草体が多数固相互連関 し合った結果、全体 として複雑なパ ターンが形

成 される場合。

ここで言 う単純 なルールとはルールがたかだか数え上げ られるだけのヴァリエーションしか持 たないことを言い、逆に複雑なルール とはルール自体が可能性 としてはい くらで も増 え続けるこ とがで き、その意味で数え上げ ることがで きない ということを指すOルールが数え上げ られるこ とがで きるか どうか とい うことは、それに対す る近似 として演鐸モデルが構築可能か否か とい う 問題 につながっているO数学的モデルにしろシュ ミレ‑シヨンモデルに しろ、ゲームを行 うとき には主体 についての何 らかのルールを設定 しなければならないOた とえ環境 との相互作用 によっ て主体の行動ルールが変わって しまうような場合で も、ルールの数 を特定で きれば、それは単純 なル‑ル と言い うるであろう

o

Lか し、無数の行動主体が可能性 としてそれぞれ異なったル‑ル を持 っているとすれば,本質的にそのような現象のモデルは構築で きない。現在 までの経済学は この間竃 を無視 し、あたかも人々が、決め られたルールの中で 「合理的」に行動することを前操 としなが ら議論 を進めて きた。当然、そのような方法には数多 くの批判が浴びせ られた。人間の 行動原理は‑元的ではない しまた合理的で もない、 というのがその批判のほとんどであるが、こ こで私見 を述べれば、経済活動における人間の行動原理は主流派経済学が仮定するほど単純では ないに して も、それほど多様ではない と思われる

2。

逆 に、生成 されたパターンが複雑であるか否かはそのパ ターンに一定の規則性があるか どうか で測 られる。 しか し、経済にあってもっともやっかいなものがこの 「規則性」の問題である。経 済現象の中には、規則性が無いと思いなが ら観察す ると規則性は無いが、何 らかの規則性がある と思いなが ら観察すると規則性があるように見 える現象が少な くないOその‑つの例が、今世紀 の初頭、ロシアの経済学者 コンドラチェフによって発表 された約

50

年 を周期 とす,る長期波動曲線 である。景気変動の波 を表そ うとしたこの波動曲線 は、現在 に至るまで幾人 もの経済学者が説明 を試みて きた (主流 は技術革新鼠である)o Lか し、ジュダラー

( 8‑1 0

年) 、チキン‑クラム

2なぜなら,人間の適好は彼の生 まれ育った環境に大 きく親定 されるし、実際に行動するときには社会的なルールに 束縛 されるか らであるoP.Bol

l r di e

llらの社会学者の明らかにした ところによると、人々の選好や行動様式は、経済 活動、文化活動 に限 らず一定の階級 に分類で き、かなりの部分各階級独 自のスタイルやルールをもっている

( Bour di e u

1 974)

(3)

複雑系 の展望 一複雑系若手 の立場 か ら」

(約40ケ月)といった短周期の循環 とは異な り、 コンドラチ ェフの主張するこの50年周期 は経験 による確認のためのデータが極端に少 なく

3

、その存在 自体 を疑う声はコンドラチェフ説の登場当 時から多かった

4

。また、例 え50年周期があった としでも、そこまで長期的な視野で政策を立案 で きる政府が存在 しないこともあって、現在ではその存在 を否定す る立場が多数であ り、また否 定 しないまで もそれを取 り上げ ることは無意味 と考える経済学者がほとんどであろうOこの間童 は、潅済学独 自の問題ではな く、科学者が現象 を観察する際には多かれ少なかれ何 らかの法則性 があることを期待す るのが通常であ り、.経済には陥 りやすい民が多いことであろう

So

それは ともか く、これらのそれぞれに経済学の従来のアプ ローチ を、誤解 を恐れず に当てはめ ると

、( 1 )

に対 してほ主流漁経済学におけるミクロ経済学が

、( 3 )

にはマクロ経済学が対応 しよう としてきた と言えるだろう. ここで,そめそれぞれを簡単 に説明 してお きたい0

2. 1

ミク ロ経済学

主流派経済学 (新古典派経済学)におけるミクロ経済学では、まず市場における行動主体 を個 人 と企業に還元する (場合によっては,政府や非営利企業 も入る)。個人は自己の欲望 を最大満足 させるように行動 し (効用極大化原理)、企業は利潤 を補足 させるように行動す る (利潤極大化)、

と仮定す るOこのように各主体が極大化原理 に基づいて行動 し、互いの利害が調整 され、パ レー ト最適に到達 した結果、措かれる社会的な厚生関数 (単純 に言 うと社会が どの程度望 ましい状態 にあるかを表 した関数)を観察する。それが最大化 されていれば経済は効率的であると考え、逆 に最大化 されていなければ何 らかの点で円滑な経済活動を阻害 している要因があると考 え、場合 によってはそれを取 り除 く方法を模索す る

6。

2. 2

マ ク ロ経済学

これに対 してマクロ経済学的アプローチ は、

2

種類 に分け られ るO ‑つは

J. M,Ke yne s

よって考 え出された ものである。 これは,個 々の人々の活動ではな く、経済全体の集計畳 として の消費、投資、貯蓄などを考え、一国単位でのパフォーマ ンスを観察 しようとするものである7 つ まり、実際には観察が不可能に近い個人の多様な戦略や様 々な経済構造ではな く、観察が可能

GN P 8

や失業率 といった観察可能な集計量を用いて経済の状況 を表そうとした ものであるo L たがってここか ら導 き出される政策は、基本的には

GNP

の成長 と失業率の低下を目指 したもの になる

第二のマ クロ的アプローチは、ケインズ経済学 を枠組み としては引 き継 ぎなが ら (あるいはケ インズ経済学 を批判 しなが ら)、その基礎付けを先述 した ミクロ経済学によって行お うとす る近

3コンドラチェフ自身は、産業革命期の

1 780年頃か ら1920年代頃までのデータを捷示 したがそれで も 、 2

回半 分でしかなく、 しかも、1

780

年当時 と

19 20年代のデ ータが単純 に比較できるか否かは大いに疑問である (

cf.中村

1 97 8)

0

4ちなみに、コンドラチェフはこの理論が,「資本主轟国家の傾向的没落を否定 し、その復活を張った」 として旧ソ 連政府によって粛正 されているが、ここでの 「批判」 とはそのようなイデオロギー的なものを除いたものである0

5太陽黒点説 もその一つと音えるO景気変動論の中にはこの事の珍説が生まれやすい傾向があるのか も知れない。

8

社会厚生関数」については、実は経済学の中でもK.Ar

r ow

によって個人間効用の比較が不可能である場合 には 存在 しないことが証明されている。 しか し、にもかかわ らず ここで取 り上げたのは、い まなお主流派経済学 とその応 用においてこの概念が大 きな柱になっているためであるOこの概念に限 らず 、経済学においては、過去に否定 されたり 疑問視 された概念が何の新たな証明 も付与 されることなしに復活することが しば しば見受け られるO

7葵際には

Xeyn

es自身が考えていたのはもう少 し、ミクロ的な基礎付けを重視 したものであるが、彼の後継者たち はその 「細やかな」部分を排除 して しまった。皮肉なことにケインズ経済学の名前 はそのような単純化 によって広まっ たのである。

8国民総生産 :一国の国民が‑年間の間にどれだけの付加価値 を生み出 したか と言 うことを表す指標の‑つ0

‑41‑

(4)

年のマクロ経済学の主流であるO この中では、マクロ的現象は個 々の ミクロ的現象の総和 として 表 されると考えている。 したがって、療済成長や経済変動はすべて前に述べたような個 々の主体 の 「極大化」行動 にもとづいて描かれる。そ して、その多 くは

「人は与えられた情報の中で最 大限合理的に将来 についての期待 を形成す る」 とい う前接か ら議論 を組み立てセい く方法を用い るOこうす ることによって、個々の産業政策や貿易政策 と一国 としての経済のパフォーマンスの 影響関係 を考察す ることがで きるようになる。特 に、近年ではゲーム論 をミクロ的基礎付けに用 いた戦略的貿易管理論や戦略的産業政策論の研究が盛んであ り、実際の政策形成 にも強い影響力

を持 っている

9。

以上のように、(

1 ) 、( 3)

については経済学の中で伝統的に取 り扱われてきたと育 ってよい ( 間と言 う観点がかな りの程度抜け落ちていたことは認めざるを得 ないが)。それに対 し

、 ( 2)

とい う視点は近年になってようや く手 を着けられてきた部分 といってよいO株価のチ ャー ト図に見 ら れる瞭間的で小 さな上下動 と長期的な波の関係 を動学的に関係づけ ようとす る試みなどがそれに 当たるO‑部の経済学者は、カオス理論 を使 って景気の変動の艶明や、株価の先行 きの予測 を試 みているOその試みの多 くの ものがいまだ見 るべ き成果を上げていないのが現状であるが、問題 なのは表面的な成果ではな く、彼 らの態度にあ名といえるO彼 らがカオス等 を使って経済 を説明 しようとしているのほ、たとえばマ ンデルブローが小麦の株価の変動の中にカオテ ィツクな動 き を兄いだ した時の ように、経済学的必要性にその動機があるわけではないOむしろ、数学や物理 学の分野でにわかに盛んになって来た議論 を数学的興味か ら単純に経済学の中に導入 しようとし てい畠だけ とい う傾向が しば しば見 られるのである。 したがって、経済学的にみて明 らかに非現 実的な仮定 を平然 とモデルの中に組み込んでいる例 も多い。 しか し、この責任は、単にそのよう な試みをす る経済学者に帰せ られるべ きではない。 これは経済学の性格的困難に起因するもので あ り、その回避の過寛で生み出されたジレンマ とも言 えるであろう。 この間題は、議論 を次 に進 める前 に特 に取 り上げておかなければならない。

2. 3

経 済学説 と政 治 的要素

これは経済学 に限 らず、先の分類の

( 4)

に属す る様 な複雑系 を扱 う場合 には、対象に対す る学 問的切 り口が一つではないことが しば しばあるO例 えば、資本主義社会 を観察する場合、 ある観 察者が 「搾取一被搾取」 とい う視点で見 るとすれば、他の観察者は、 「需要‑供給」 とい う観点で 見 ることもあるだろう。それぞれの視点 自体 は、決 して誤っていないのだが、そこか ら導かれる 結論は全 く対顔的なもの となるだろう。

もともと経済学が法学の一分野であった政治学のそのまた一分野であったことを考えればわか るように、経済学 には当初か ら 「いかに政策 を正当化するか」 という使命が与えられてきたO こ れは必ず しも政治 によって経済学が左右 されて きた ということを意味す るわけではない。大豊の 失業者 を目の前 にした ときなど、経済学者の個人的な良心か ら発せ られることもある。そ して、

経済学がそのような政治的要素 を含んでお り、またその政治的要素が観察者甲主観 によって左右 されるものである限 り、ある社会現象に対する各経済学者の態度 によってことなった理論や思想 が生 まれて くることを避けることがで きない。たとえばケインズ経済学は大恐慌 を目の当た りに しなが らも伝統的な経済学に依拠 して拡大的財政政策をとろうとしないイギリス大蔵省 に好す る 理論的挑戦 としての性格 を持っていたo Lか し、同 じ大恐慌 に対 して

M.Fr i e d ma n

を始め とする

9クリントン政権の大耗領経済諮問委員会(CEA)の委員長であるL

Ta y s on

はこの戦略的貿易管理論の先鋒であ る。一連の 日栄貿易交渉で、ややナショナ リスティックな主張がアメリカ側から出されていたことは記憶に新 しいであ ろう。

(5)

複雑系の展望一複雑系若手の立場から」

シカゴ学派の研究家たちは恐慌が長引いたのは政府 に串る財政政策が原因である と考えた.彼 ら は自らの自由主義的信条に従って恐慌が市場の上での現象 ならば、そのうち適当な時期 にまた市 場のカで もって好況的局面 に復帰す るであろうと考 えたのである

10

。 このように同 じ現象で も観 察者の政治的信条の差によって正反対の結論がでることがあるOこれはあ らゆ'る経済学者が多か れ少なかれ、社会 を少 しで もより良い状態へ と導 きたい と考えている以上、避け られないことな のだ。

しか し、経済学が何 らかの客観性 を持つためには、個 々の経済学者の主観 に基づかない一定の 共通の基盤を持たなければならないoOtまりあらゆる研究者が同意で きるようなル‑ルを出発点 として、確保 しておかなければ各理論間の比較す らおぼつかな くなるのである。 ところが、その 出発点 を探すこと自体が多 くの困難 を伴 うものであった。常識的に考 えれば、第一原理は単純 な 具体的で現実的なものである方が好 ましい。現代の経済学の中心的な方法である 「方法論的個人 主義」を前提 とす るならば、第一原理は個人の行動原理でなければな らない。なぜ なら、すべて の経済現象 を各個人の行動の総和 として表す ことがで きるか らだ。 しか し、その行動原理 とは何 か という点で既 に議論が分かれて しまうO例 えば,人の噂好 は千差万別なのだか ら、それを一元 的に決定す ることはできない とする批判が挙がるか らであるo Lたが って、経済学 としては第‑

原理は徹底的に具体性を取 り除いた ものでなければならなかったのである。そ して、経済学は約

1 0 0

年程前 に 「極大化原理」 とい う方法にた どり着いた。先述 した ミクロ経済学の基礁 となって いる原理である (現代の主流のマクロ経済学 もミクロ的基礎付けをまず必要 としているというた

極大化原理」は全ての経済学の基本原理であると言える)。この議論は、各傭人がある程度 、 絶えず合理的に行動 していなければならない という点で、必ず しも現実的 とは言 えないのである が、微分法 を利用できるという数学的な利点によりほとんどの経済学者に受け入れられた。「科学 とは、人に新たな問題提起 を可能 にさせる一つのパラダイムである」 という

T. Et L hn

の科学の定 義に従 えば、「極大化原理」はまさに経済学に科学性 を与 えたのである。

しか し、残念なが らそれ と同時に経済学が失ったもの も大 きい。「極大化原理」に基づいた理論 が描 き出すのは一種の 「理想状態」であ り、決 して現実の描写ではなし.Oどれほどそれが数学的に 美 しい方程式で表 されたか らといって、現実 とは何のつなが りを持つ もので もないのであ・る。だ が、先述 したように、経済学は本質的に政治的な学問である。実際の政策に対 して何 らかのイン プ リケーションを出さなければならない。そこで、多 くの経済学者は、経済学が作 り上げ るモデ ルは 「規範」であ り、現実がそれから逸脱 している とす ると、それは現実の方に何 らかの好 まし

くない力が作用 しているか らである、 と考えた。そ して、その好 ましくないカ を除去 してやるこ とこそが、社会 を理想状態へ と導いてい く道であると確信 したのである。史上最大の実験であっ た社会主義国家の建設のみならず、 日本の独 占禁止法やアメリカの反 トラス ト法などは金 て この 文脈の上にある (多 くの実証的研究 と政策担当者の職人芸的調整に部分的には支 えられているに

しても)0

以上、経済学には、 複雑な問題 を複雑なままに取 り扱お うとする試みは一部 を除いて、未だに 見 られない。主流派経済学の手法は単純なモデルの蓄積 を大量 に行 うことで現実のあらゆる局面 に近似 させ ようとして きた とも言えるOつ まり、ある風景について採 った一枚の写真 は世界全体 の描写 としては何の意味 も持たないが、あらゆる時間 と場所で写真 を撮 って しまえば全体 として は全世界 を描写 していることと同 じことになる。一つひとつのモデルの有効性は ともか く、この 積み上げ式の方法は今 までは一定の成果を上げてきた と言ってよいであろうoこのや り方で全て

18彼 らが 自由主義的信条にこだわるのは、単純に青 うとナチス ・ドイツや社会主義国家の経験か ら解 るように、国家 の社会 に対す る干渉は次第に拡大す る倖向を持 ってお りそれは人間の生来の権利である生命や自由や財産を侵審す る とい う思想に立脚 している0

‑ 43‑

(6)

を描 き出せ るわけではないが、それで も表現できる分野が多かったか らである。 しか し、この方 法では動的なシステムをそのまま描 き出す ことはで きない。少 なくとも個 々の研究は静的なもの

として措かれざるを得なかったか らである.

特に 「社会進化」 とい う点は、たえず意識 されなが.らも近年 まで積極的には手を着け られない ままになっていた。む しろ、社会進化の問題は主流派経済学ではな く、亜流に属する人々によっ て行われて きたと言 ってよい。 しか し、経済学の複雑性はまさに時間の流れの中に生成する。そ こで、次節では、経済学の中で社会進化が どのように取 り扱われて きたかとい うことと、今後 ど の ように扱 うべ きか とい う問題 を論 じる。

3 社会進化 と経済学

経済学 における進化論は絶えず生物学の影響 を受けてきた。冒頭で も述べたように、そ もそ も は、ダーウィンに大 きな示唆 を与えたのがイギ リスの経済学者

、T.

ルサスであり、その先駆で あったスコットランド啓蒙思想家たちであったのであるから逆輸入 とも言えるのであるが

、1 9

紀か ら

2 0

世紀初頭の経済学者たちの多 くが、 ダーウィンとそれを‑敗北 した哲学者

Ⅱ.S pe ns e r

の信奉者 となった。そ して、今 も自然淘汰の例えは、市場の機能を表現するときにしば しば用い

られるOこの時以来、経済学は生物学での成果を何年かのラグをもって導入 して きた0 時に近代 経済学の基礎 を作 り上げた

、P.S a mue l s o n

、A. Lo t k a

の r数理生物学原理

J ( 1 9 2 4

年)を経済 学的に番 き直 し r経済分析の基礎

j ( 1 9 3 9

年)を著 したことは有名である

( c f . 荒川 1 9 9 6 )

。 サ ミュエルソンは、静学、動学 ともにロ トカが生物学で用いていた最適化 という概念を用いること によって、 現代 に至るまでの経済学での基礎手法 を作 り上げたのである (前節で述べた主流派経 済学は全てこの上 に乗っている)0

これによって作 り上げ られた経済学 と生物学の平行関係 をハーシュライファーの対応表を用い て示 してお こう

( Hi r s h l e i f e r1 9 7 7 )

0

ここで示 された対応表は基本的には現在の経済学にも当てはまると考えられる。先述 したよう に、最大化原理 による比較静学お よび動学的経済学は、ある面で大 きな成果 を挙げた。混沌 とし ていて、その進歩 を〜部の天才たちに委ねざるを得 なかった経済理静 を、世界中の誰で もそのパ ラダ イムに立てば理解可能なもの とした功練 は金てこのサ ミュエルソンの業績 と言って も良い。

その反面 、前節で見たような過度の単純化 を避けることがで きなかった し、多 くの経済学者がそ れが単純化であることす ら忘れていた。その結果、サ ミュエルソン以来約

6 0

年間の流れの中で、

われわれが住んでいるのは進化 している世界であるという認識は、経済学者の頭脳の内の多 くを 占めることは無かった。

しか し、経済学者の全てがこのパ ラダイムに乗 っていたわけではない。特 に初期の経済学者の 中には、社会進化論 を自らの理論体系の中に取 り込 もうとしていたo結果か ら言 うと、それ らの 試みが経済学に対 して大 きな役部 を果たす ことはなかったのだが、近年になって、経済学での複 雑系や進化 に対す る認識が変化 して きたことから、にわかに彼 らの議論が取 り上げ られることが 多 くなって きた

O

ここで取 り上げ る、

A.Ma r s h

al

、T.Ve b l e r L 、F.Ha y e k

の三人 もそうした経 済学者である

彼 らは常 に社会進化 を念頭 に置 き、 生物学での進化論 を横 目に見なが らも、経 済学独 自の進化理論 を作 り上げ ようとしていたのである。

(7)

複雑系 の展望 一複雑系若手 の立場 か ら」

経 済 システム 生物 システ ム

目的関数 主観 的専 攻

行動原理 最適化

機会 生 産

( 種 の)再生産 ・生存

" a s

if"

最適化 資源 の利用 市 場 を通 じた交換 相利 共生 犯 罪 ・戦争 、 略奪 ・戦い 家族形 成 ( 種 の)再生 産 競争 的選択 の原理 経 済効 率 性 よ り優 れた適合性 均 衡 の原理

a ) 短期 市場清算 ?

a ) 長期 ゼ ロ 利

再生 産比率ニ1

a ) 超長期 定 常状 態 飽和 環境

発展 ・進化 資本 蓄積 ・技術 革新 進化 : 突然変異 、再 結合

移住 : 行動調 整 に よる適合度 の向上 社会 的最適性 の概念 パ レー ト最適 無 し?

( 出典 : 荒 川 1 99 6)

3. 1

マーシャル

A.Smi t Ⅰ lが分業 についての最 初 の明確 な定義 を 1 7 7 6 年 に与 え、ス コ ッ トラ ンドの社 会哲 学者 た ち、特 にスペ ンサ ーは社会進化 とはその分業 の進展 に他 な らない と考 えたOそ して、前世紀 の後 半 、スペ ンサ ーの思想 の影響 を受 け た イギ リスの経済学者マー シャル ( 1 8 42 ‑ 1 9 2 4) は、 経 済 を複雑

な 「有機体 的」現象 と捉 え、 この説明 には生物 学的アプ ローチ が必 要であ る と主張 した ( Ma r s h a l l

1 89 0) 1

1

。す なわち、経済現象 は個 々の主体 の特性 のみ に注 目す るだけで な く、各主体 の相 関 とそ の結果描 き出 されるパ ター ンへの狭 い洞察が理解の鍵 となる と考 えたので ある。 しか し、マ ー シャ ルが実際 に作 り上げ た経 済学体系 は 、非常 に単純化 された原則 に基 づい て行 動す る個 人 を仮 定す る 「機械論 的アプ ローチ 」で あったOマ ー シャル 自身は、この 「 機械 論 的アプ ロ‑チ 」 を 「生物学 的アプ ローチ 」 に入 る まえの準備段 階 と して考 えてい たが 、皮 肉な こ とに彼 の後継者 た ちは前 者 にのみ関心 を示 し、後者 は よ くわか らない もの と して切 り捨 てて しまったO そ れ によって、マ ‑ シ ャル経 済 学 は近代潅済学 の一 つの源 流 とな り得 たのであ るが 、その代償 としてマ ー シャルが最 終 H標 に置 い ていた社会進化 を視野 に含 んだ 「生物学 的」経済学 は封 印 されて しまうこ とになるo

マ ー シャルの社 会進化論 は、実際 には 日の 目を見 なか ったため に今 一歩 明確 で はないが、基本 的 には以下 の ように説明 され る。マ ー シ ャルは、社 会進化 とは経 済成長 と資本蓄積 の過程 であ り、

その基本 とな る ものが企業 や労働 者 で あ る と考 えた。つ ま り、一 つの企業 の盛衰 の期 間が生物 に お け る個体 の寿命 に相 当 し、種 の進化 を経済 の発展 になぞ らえたのであ る 1 2 。そ して 、 生物界 に おけ る多様 化 と同様 に、経 済 内部 で も機 能 の分化 ( 分 業 )が進展す る。 それ と同時 に、分化 した 各機 能 は商慣 習 や交通 、通信 な どの発 達 に よって稔合 され るO環境 の変化 はその 中に生 活す る個

11先述 したこととは対立するが、 マーシャルは亜流の経済学者ではないo主流派の‑般均衡理論ではな く部分均衡 理論 を用いて議論 を展開 したという違いはあるが、基本的には近代経済学の基礎 を作 り上げた人物である。

12企業の盛寮を生物個体に対応 させることには、現代的に見ると異論があるかも知れないo Lか しマーシャルが生 き た時代 には、株式会社は全 くなかったか、あって も初歩的な段階であった。 したがって、企業は原則的に個人企業であ り、経営者の寿命が基本的に企業の寿命であった。

‑4 5‑

(8)

体に影響 を与える.経済発展の進展 は社会的生産力の増大を意味するoマーシャルは、経済発展 により労働者の生活が向上 し、それによって彼 らが剃郡的な人生観を放棄 して自らの活動 自体 に 意味 を兄いだせ るような生活習慣 を与えることがで きると期待 したのである

13

。 .

マーシャルの社会進化論はそれ自体 として特に提示 されなかったために多 くを語ることは難 し い。 しか し、当時の生物学のアナロジーをで きる限 り導入 しようと努めていたことは明 らかであ

140

また、機能分化の進展 とい う形で、行動ルールが変化す る主体 を導入 し、それによって全 体的な進化 を描 き出そうとしたことは先駆的 と言えるであろう

3. 2

ヴェブ レン

マーシャルと同時代のアメリカの経済学者 ヴェブ レン(

1 857 ‑ 1 92 9)

は、 またマーシャル と同 じ ように、経済学は社会進化論の盤上で取 り扱わなければならない と考えていた一人である

( Ve bl e n 1 9 00 )

。 しか し、 ヴェブ レンの描 き出 した世界 はマーシャ)i,のそれ とは大 きく異なっていたOヴェ ブ レンの見ていた社会は、開拓者時代の末期から大恐慌直前のアメリカである。そこでは巨大 な 独占資本が急成長 してい く一方で、農民や労働者の貧困が深刻化 していたoLかも、巨大化 した企 業は、今度は後続者が自らの競争相手 となるのを恐れ、カルテルや トラス トを形成 し自分の支配 する市場への参入 を阻止するという光景が多 く見 られたのである。このような矛盾に対 して、ヴェ ブ レンは 「有閑階級の理論」を定式化することによって、社会改良の必要性 を説いたのであるO

ヴェブ レンは社会進化の原動力 を 「貧困ゆえの利潤追求」に求める。人は貧困な生活か ら脱却 するために

潤 を追い求める。 しか し、与 えられた資源が有限であるため常に全ての人々が求め るものを手 に入れ られるとは限らない。そのため、人々の利潤追求行動は絶えることな く継続 し て行 くことになる。 これが社会進化の過程であるとヴェブ レンは考えたのである。 しか し、ヴェ ブ レンの議論はここで終わるわけではない。経済発展が進むにつれ、財の蓄積 を行い、 日々の糧 をそれほど深刻に追い求めな くて も良い ような集団が発生する。それをヴェブ レンは 「有閑階級

と呼んだ (これはケインズ的に言 えば、「金利生活者」である)

( Ve bl e n1 8 9 9)

o彼 らは利潤動機 か ら切 り雄 されているため、変化 を希求す る必要がな く、む しろ保守的になる。 さらに性向 とし て略奪的気質になるため、他の階級からの搾取 に輪 をかける傾向がある。この有閑階級 は、社会 進化 に歯止めをか す、逆に退行 させて しまう程の勢力である。つ まりヴェブ レンによると、資本 主義社会は社会進化 と同時に退行の原理 も内包 していることになる。彼の試論は、楽観的社会観

を持つ他の進化論者 と異な り、資本主義の持つ危 うさを指摘 したという点で特筆 に億す る。

ヴェブ レンの社会進化論の特徴 は、環境 とその中の個体の相互作用に着 目した点にある。個体 の利潤追求 とい う動機が環境である社会を発展 させるが、その環境の成長の結果 「有閑階級」が 発生 し、それが今度は社会の進化の阻害要因 となる。環境が個体の性格 を規定す るだけでな く、

個体が環境 を変化 させ るとす る複合的な進化観は、当時支配的であった環境が種の性格 を決める ことを述べ ただけのスペ ンサー的進化観 とは‑線 を画するものであったo

1

3

1 9

世紀の イギ リスにおける最大の問題の一つが、労働者の開溝であった

。Ⅹ.Ma , r x( 1 81 8 ‑ 8 3)

がイギリスに住 ん でいたのはこれよりはやや早いことになるが、問題の本質は変わっていなかった。そして、彼はそこで r資本簡Jを著 預と

Lf=0

14ただし、マーシャルの時代の生物学でも、遺伝子の存在がはっきりとは認識されておらず、その意味では非常に古 典的な生物進イ論を参考にしていたと言える。

(9)

複雑系 の展望 一複雑系若手 の立場 か ら」

3. 3

ハイエク

オース トリア出身の経済学者

F.

ハイエ ク

( 1 8 9 9 ‑ 1 9 9 2 )

は、 他の経済学者 とは異なり、社会科 学における進化論 に生物学での成果の導入に批判的であった。おそ らく、ハイ土 クほど生物進化 について熱心に研究 していた経済学者はいない と思われるのだが、彼の結論は、生物学か ら社会 科学へのアナロジーの単純な導入は しばしば社会科学の方向を誤 らせてきた とい うものであった

( Ha ye k 1 9 6 0 )

o

そのハ イエク自身は進化 を秩序の形成過程 として捉 えた。ある人が他の人 と何 らかの形で関わ るような行動 をす ると、それは個人の枠を越えた社会的関係 となる。特 に同 じ種類の行動が繰 り 返 される場合 、その相関の形は一定のパ ターンを持つことになるO例 えば、市場で砂糖 1kgと布

1m

の交換 を何度か行った人々は、次回もまた、砂糖

1

kgと布

1m

を交換で きると予測するだろ うoさらにこのパタ‑ンが維持 され続けると、今度は逆に、市場への参加者に柑 して砂糖 1kgは

1m

と交換す るように強いるようになる。 このような人々の行為の連続の結果生 じるパ ターン を自生的秩序

( S po nt a ne o usOr d

er)と呼んだoこのような自生的秩序の特徴は、その

J

L,

ル自体 を人々が設計 した ものではないという ことであるoそ もそ も、砂糖

1kg

と布

2m

とか砂糖

3kg

と布

1m

といった交換比率があって も良かったはず し、実際可能性 として存在 したであろう。 し か し、結果 として、砂糖

1

kgと布

1m

とい う交換比率が支配的になったのは、その比率 自体 に令 理的な根拠があった と言 うよりも、多 くの人々がその比率で交換 していたとい う事実が、砂糖 1

kg

対布

1m

とい う交換比率 に収赦 させた と考 えるべ きであるOハ イエクは、市場、貨幣、言語、

伝統 といった社会的関係はすべて自生的秩序である とした

15。

この ような秩序は社会の拡大 とともに、コ‑ド化 され一般化 されてい く (貨幣はその典型であ る)Oこの秩序は人々の行為の中から生 まれ出たため、人為的に設計 されたルールよりも遥かに一 般性 を持ち、広い範囲で受け入れ られる. また、人々の行為の中か ら生まれた とい うその経緯か ら、自生的秩序は人々の具体的な行為 との接点 を維持 してい/る。これにより、この秩序 に沿って 生 きる人は誰で も、社会の基礎構造 を支えているマニュアル化で きない ような知識 を汲み上げ る ことがで きる。例 えば、市場 を通 じて財を購入するものは、既存の生産者の事情やその財の原材 料 となった財のことなどを気 にすることな く、ただ単 に価格 をシグナルとして、自らの事情のみ に応 じて購入計画を立てればよい。つまり、もし仮 に貨幣が存在 しない物 々交換経済であれば手 に入れなければならなかった様な財 についての情報は、すべて価格 というコードの中に縮約 され ることになるのである。

この秩序の特徴は人々の行動 に際する不確実性 を減少 し安定的な社会を維持 していると同時に, 人々の自由を保障 し、それを原動力 として秩序 自体が進化 し続けているという点にある。つ まり、

安定 と進化 を両立 させているのである。例 えば言語は,個 々人の レベルで見れば安定的に他者に 意志を伝達 しているが,全体的には少 しずつ変化 している

16。

ハイエクの議論の興味深い点は、彼 自身が作 り上げた認識論 に基づいて、このような秩序の進 化が どのように進むかを示唆 している点である

( Ha y e k1 9 55)

.今述べたような秩序は全て人間の 外部 に存在する秩序であるが、人間の内部 にも同様 な秩序が存在す るとハイエ クは考える。彼 に

15余談であるが

、198 9

年以来の東欧革命の結果、.旧社会主義国家は、先を争.,て 「市場jシステムを 「導入」 した.

しか し、ハイエク的秩序論 に従えば、市場 とは価格 メカニズムも含めた自生的な rルー)I/の束」である。それは決 し て人為的に 「導入」で きるものではないし、成長す るのに時間がかかるものである。 しか し、旧東側の人々は、 自由 経済になればすぐに自分たちも西側の様 に豊かになれると信 じた (その幻想の半分は旧西側の宣伝 と新古典派経済 学によって吹 き込 まれた)a Lか し、彼 らが得たものはマフィアと以前 より長い行列であったOそ して、今ロシアや東

ヨ‑ロッパの国々では、社会主義時代を懐古す る風潮が生まれつつあり、現にポーランドでは共産党が復活 した。

16株価の異常な高騰 (いわゆるバブル)なども、自生的秩序であるがあまりに短期間でで きあがった秩序は、安定的 だとは言えない。

‑4 7‑

(10)

よると、人間に外部から入ってきた情報は一旦具体的で短期的な 「モデル」として保有される。そ のモデルはやがて、い くつかの単純な型に分類 されてより長期的な 「マップ」の上 に分類 される。

人間の意識 とはこの 「モデル」 と 「マップ」によって構成 され、認識の過程 とはマップの上への 分類整理である。厳密なハイエ′クの認識論を非常におおざっぱにまとめると以上の棟 になる。 す なわち、内部の秩序 とはこの 「マップ」のことである。人間の外部に存在する秩序 もまたある個 人に認識 されるときに、内部のマップの上に分類 されるO同じ社会秩序の上に生 きる人々が同じ 様 な意識 を持つのはこのためである。その意味で人間の意識は環境 に規定 される。 しか し、マ ッ ピングのされ方が常に各人共通であるわけではない。それはしば しば ミスを起 こす。このマッピ ングの ミスは、ある時には各個人の個性 となって現れる。 しかし、外部の秩序は各個人の行為に よって形成 されているのであるから、マッピング ・ミスは各個人の行為の変化 を通 じて外部秩序 の変化 を生み出す。つまり、人間の内部 と外部の二つの秩序の相互連関が社会進化 を生み出す原 因を内包 しているのである。

ハイエク的な自生的秩序論は、人々の判断の主観性 という一般化で き率い問題を組み込みなが ら、秩序 とい う客観的存在をうまく説明で きたという点で評価 されるべ きであろう。また、人々 の行動 を規定するような安定的な存在であ りなが ら、それでいて少 しずつ変化 してい く秩序の性 格 を描 き出せている。この議論 を用いてハイエクは、自由社会の立法や政治システムなどを論 じ

ていった。

以上、学説史的に社会進化 に対する代表的な議論を簡単に見たわけであるが、これから経済学 で進化の問題を取 り扱 う場合、まず意諭 しなければならか 、点がい くつか明 らかになる。

(1)何が進化するのか。

( 2)

進化す るもの と各個体の関係はどうなっているのか。

( 3)

「淘汰」は存在するのか。存在すればそれは何か。

(1)は社会進化 とは何かという問題 と同義であや、 結局一元的には決められないだろうOおそ らく大部分の経済学者は、マーシャルと同じく社会進化 とは経済成長であると考えているだろうo Lか し、実際に分析する場合、それはある産業の盛衰であることも

、GNP

の成長であることも、

ある国家の世界史の中での盛衰であることも、自給 自足経済から交換経済 といったレベルでの変 化であることもあるだろう。観察が人間個体 に接近すればするほど、対象は短期的で具体的な変 化 となる。近年盛んになってきた進化論的経済学 もしくは新制度派経済学 と呼ばれる人々は、産 業 を一つの種 と考え、各企業を様々な情報 を次世代 に伝達する遺伝子 と見なす。企業は当然 目的 的に行動す るし (利潤追求や自己保存)、突然変異 としての技術革新 も織 り込 まれるOそのような 企業の全体像 として‑つの産業の盛衰 を描 き出そうとするわけである.

( 3)

の問いは‑見奇妙に見えるかも知れないO 進化 を議論 しようとしているのに、 淘汰の存在 の是非を問 うているからだO 例 えば、経済学では市場への企業の参入一退出 という問題 を取 り扱 う。ある商品市場に利潤機会が存在すれば、新 しい企業がその中での競争に参入す る。競争の結 果、費用 を上回る利潤が挙げ られなければその企業は退出する。ここでは消費者の需要が淘汰の 師 とされている。すなわち、その企業が供給 した商品は競争力が無かったということになる。 し か し、現実の市場 には、競争力が強い商品や企業 と弱い商品や企業が共存 していることの方が常 態であると言える。 さらに何が淘汰の師 となるかは事前にはほとんど知ることがで きない。好例

(11)

複雑系の展望一複雑系若手の立場から」

として家庭用VTRの録再方式の競争 を取 り上げ よう

。1 97 6

年のほぼ同時期 に商品化 された β方 式 と

VHS

方式であるが、当初は画質の面ではβ方式の方が、録画時間では

VHS

方式が勝 って いたoそれぞれ、一長一短であったが、勝敗は周知のように当初か ら庄例的な もの となった

陣営は遅ればせなが らも

VHS

並の録画時間を持つ商品を投入 したが、情勢 を挽回で きなかった。

勝敗 を分けたのは

、VHS

陣営が参加企業 を多 く集められたことと、北米市場での競争 に勝利 し たことであると言われている。後 日談 としてはい くらで も原因は分析できるが、実際料

まVHS

方式に需要が集 まったのはほとんど偶然に過 ぎない。 したがって、経済学において実際の淘汰の 過程 について述べることは、事後的なっ じつ ま合わせ にならざるを得ず、経験的に法則性 を兄い だせるようなものではないことが多い。

( 2)

が経済学の進化論の構築 を困姓 にしている最大の原因である と患われる。例 として、先述 した進化論経済学での産業 と企業の関係 を取 り上げてみよう。完全 に各企業が独立 してお り、相 互の情報交換が遮断されていれば、産業は単 に関連企業の集合 として措かれるであろう。 しか し、

実際には産業内で情報交換 もするし、政府指導で規格の統一を行 った りもす る。 さらには一部の 企業が結託 して市場の独占を図ることもある し、一つの企業が複数の産業にまたがっている場合 もある。つ まり、種 としての産業 と個体 としての企業の間の線引 きが明確でないのである。 これ にさらに環境 としての商品需要が入 って くる (企業で雇われている労働者は、同時に商品の消費 者でもある) と個体 、種、環境が入 り交 じって しまうことになる。

4

制度進化の検討のための一つの試み

最後に、複雑系 を取 り扱 う学問 としての経済学 を考 える上での一つの方法 を考察 しておこうO ここではいかに社会進化論的要素を取 り入れなが ら、経済 と他の社会的要素 との結びつ きを記述 してい くか ということのみに関心を絞る。社会学者の

T.Pa r s o ns

は、人々の行動原理を基本的な

4

つの要素 (適応位相、目標充足位相、統合位相、潜在性位相)に還元 し、それ らの関係 として社 会的行為 システムを描 き出 したO しか し、ここでは単純化のために、問題 を経済活動 に絞 り、 し か も人間の経済活動 を波先する原理 を利潤 (効用)追求 と社会的束縛の

. 2

点のみ として考 えよう。

われわれが何か目的的行為 を行 う場合 には、その達成のために合理的選択 をす る。それは実際に は目的が達成 されなかった とか、後か ら見ればもっと効率的な方法があったといったことにかか わ りがない

0

日的達成のために選択 した方法はその場その場でもっとも合理的な方法なのであるo Lたがって、経済活動 とい う目的的行動に問題 を絞 って考 える場合 、利潤 (効用)追求 とい う行 為 を原理 としてお くことは誤 りではない。

しか し、われわれの行為はあらゆる選択肢が許 されているわけではない1億円を稼 ぐために 隣の家の独居老人を殺害するのが一番早道であるとして も、そういった選択肢 を選ぶ ことは社会 的に (少な くとも現代 日本では)許されていない。われわれは例え自分のために行動す るのだ と しでも、決 して 「

」か ら逸脱 した行動 をとることを許 されていないo Lか し、これを裁定す るのは外か ら与えられた法律などではな く、われわれが行為の中から作 り出 した自生的なルール なのであるO‑舷 に成文法 と呼ばれるものは、われわれが長い間に各人の行為の連関の中か ら生 み出 しで きた慣習的なルールに対 して、何 らかの方法で言葉を与えて きたものである

17

0 このよ うな社会的束縛は、短期的には選択肢の幅 を狭めるが長期的には人々の行動の可能性 を大 きくす るo「人を殺 してはいけない」というルールが 「人を殺す」という行動の選択肢 を除外するが、街

17例えばイギリスの慣習法がその典型である。イギリスでは患法が無く、裁判官が過去に下した判例が唯‑の判断基

準 となる。

‑4 9‑

(12)

を歩いていても他人に殺 されることはない と確信で きる場合、自由に出歩いていける蘭 観が拡大 するとい う簡単な例 を思い浮かべればこれは容易に理解できるであろう。ある人が行動計画 を立 てる際、彼 を取 り巻 く人々の行動 を予測 しなければならない○その時に他の人†が過去の慣例 と 大 きくはずれることなく行動 し続ける可能性が高い と思えるとすれば、予測 に粟する費用が大幅 に削減で き、自らの行動の結果が予測 しやす くなる。当然 このような予想には囚人のジレンマ的 危険性がある場合があるのだが、少な くとも自分が膳例 にしたがって行動す る限 りは、他人 も裏 切 らないであろうと考 えられる場合 には、‑定のルー)I,が守 られ続けるだろう。逆 に他人が慣例 を守 らないことが絶対 にわかっている場合 、法律や命令で強制 してみて も秩序は維持で きない。

われわれは自らが陰例を遵守することによって、他者 も慣例 を守ると予想で き、その結果 より大 きな利益 を手に入れることができるのである。

文章で書いて しまうと、これだけのことであるがこの論理 に一般性 を持たせ、説得力のある形 で他者に鋭明 し、議論の拡張の可能性 を示す ことは非常に艶 しい。これまでの議論 を整理 し、誰 にで も拡張で きるような土台を与 えるために、次のようなモデルを考 えてみようOただ し、あら か じめ断わっておかなければならないのは、このモデルはいまだに優位 な成果 を挙げていない し、

まだあげ られるほどのデザ インをなされていない。あ くまで、先に示 した人々の行動の基盤 とな る秩序形成の過程 とその上での経済活動 との関係 を見るための基本モデルとして考えて欲 しい。

4. 1

モデ ルの説明

1 0×1 0

の トーラス状のセルを考 え、 その各セルが一人のプ レイヤーであるとするO各プ レイ ヤーは隣接 しているプ レイヤーとのみ関係 を持つ。すなわち、‑人のプ レイヤーは

8

人のプ レイ ヤーとのみ関係 を持つのであるOあるプ レイヤーは順番に周 りの

8

人 と関係 を持 ってい くのであ るが、その とき、採 りうる戦略は 「略奪」か 「交換」のいずれかであるOプ レイヤーは相手の過 去の行為 を考慮 しなが ら、今回自分の採る戦略を決定す る.当然予想 されるように、このゲーム では時 を経 るにつれて特定の相手には一、特定の戦略 しか採 らな くなるので、極 まれに任意のプ レ イヤーの過去の記憶のい くつかをランダムに変更するようにしてお くo

このセル世界 には全部で

1 0

種類 の商品があ り、各人それぞれ一つずつ持 っている。 また、各

1 0

種類の商品のうち

1種類だけ自分の欲 しい商品があるとする。この商品をもって各プ レイ ヤーが相手のプ レイヤーと対時するoあらか じめ、相手の商品が手に入れば

+5

点、自分の商品を 失った場合 t=は

‑ 3

点、自分の欲 しい財が手に入った場合は

+1 0

点、何 も手 に入れられなかった場 合 には

1点 と決めてお く (この点数 自体 は後 に操作の対象 となる)0…方の戦略が 「略奪」で も うー方の戦略が 「交換」の場合 に、「交換」の戦略を探 った方は何 も手に入れ られない上に自らの 商品を失 うことにするO商品を何 も持たな くなったプ レイヤーはゲームからはずれることにす るO

また双方 「略奪」の場合 にも双方何 も手に入 らないが 自分の商品 も失わないO

このゲ ームでは、各相手プ レイヤーについての記憶の数や記憶の戦略に対す る反映のさせ方な どを変化 させ なが ら、ゲーム全体の得点、各プ レイヤーの得点、脱落者数などを観察するo また

「さくら」(周囲の影響に関わらず 「略奪」 し続けた り「交換」 し続けた りするプ レイヤーを窓意 的に混ぜてお く)を入れることによって政策的含意 を探る。

4. 2

結果

あ らか じめ言い訳 しておいたように、このモデルはまだ研究途中であ り、あまり見 るべ き成果 を挙げていない。特 に記憶の個数 を多 くして も、多少戟略の選び方が保守的になり、ランダムな 記憶の操作の影響 を受けに くくなるが、優位 な影響 を観察で きない。ただ し、記憶の数 を減 らL

(13)

複雑系の展望‑複雑系若手の立場か ら

でい くと、脱落者数は増加する。また 「さくら」を在る程度以上入れると、全体が 「交換

「略奪

の どちらか一方に傾いて しまうO

そこで、全体 としてある程度以上の変化が無 くなった場合に、無作為 にプ レイヤーを選んで、

「日和見」戦略を採 らせることにする.す なわち、自分の周囲のプ レイヤーの うち5人以上が 「交 換」を選択 している場合には高い確率で自分 も過去の経緯にかかわらず 「交換」 を選択するよう

にしてお く。また反対 に 「略奪」が 5人以上いると 「略奪」を選択す る。 このようにす'ると、「略 奪」地帯 と 「交換」地帯の明確な棲み分けが見 られるようになる。

このゲームが抱えている問題点 としては、例え何 らかの優位 な結果が得 られた として も、この ままでは社会的制度 と経済活動の観察の助けには成 らない ことである.社会的ルール,ほ、時間の 経過 とともに各個人間の関係から抜け出 し、抽象化 されることによってより大 きな範囲をカバー するルールになることが知 られているOす なわち、「AとBとの関係 においては互いに略奪す るこ とはない」から 「全体 として略奪するものはいない」 と言 うように具体性 を捨象 し、一般性 を凍 得する様 な過程がそのままでは現れないことである.全てのルールがこのような一般性 を獲得 し、

より広い範囲に通用するわけではないので、その過程 に何 らかの淘汰のシステムが必要である。

ルールや戦略その ものが進化するプ ロセスを取 り込 まなければ不十分であると考 えられる。 また

経済活動」 もこのモデルでは非常 にお粗末 なもの しか取 り込 まれていないので「交換」 という 戦略をさらに細分化する必要があるであろう。

われわれの住む社会が基本的にこのような人々の自発的行為か ら生 まれるルールがある程度の 安定性 とフレキシビリテ ィを両立 させているとして も、ひとたびそれが明文化 された 「法律」 と 化 して しまうと硬直的なものになって しまう

oM. We be r

は、相手の職業、身分、所得にかかわら ず平等 に同 じ対応 をするとい うことか ら官僚主義は民主主義社会の必要用件 と考 えたが、ひとた びそれが確立されて しまうと柔軟性 を喪失 し、環境の変化 に対応で きないことは周知の事実であ る。現実的に、暗黙的なルールだけではな く、明文化 された 「法律」がわれわれにとって必要な ものであることを認めるとす るならば、その明文化 された制度の中にいかに柔軟性 と安定性 を両 立 させ るかを考えなければならない。そのために各人の主観的行動 と進化す る社会システムの相 関の研究が必要なのである。

5 結 びに代 えて

経済学者が複雑系や社会進化の問題 を見落 としていたことは、認ゆざるを得ないであろう。 し か し、実際にそれを考えるとなると、先述 したような問題が山積 しているし、 それ らの研究はま だ始 まったばか りである。

N.Vr ie nd

は、分権化経済の自己組織市場 と言 うテーマで、 企業 による商品情報伝達が、どのよ うにして潜在的購買者に働 きかけ、市場を形成 してい くか と言う問題 を論 じている(

Vr i e nd1 99 4)

o 情報 と秩序の形成 という点ではハ イエク的な秩序論 のシュ ミレーション的記述 と言 って もよいで

あろうO 日本ではまだ盛んになっていないが、シュミレーションを使 って、市場でのパ ターン形 成 を論 じようとす る試みが少 しずつ現れて きているし、今後この手法は経済学の方法の‑つ とし て認知 されて行 くであろう。 しか し、その ときわれわれ経済学者は先人たちの犯 した誤 りを二の 舞 とな らないでい られるのか。生物学 と経済学が共有で きる部分があった として も、それは生物 学の進化がアナロジーとして経済学 に導入で きるというのではない。 もし共有可能な部分が兄い だせるとしたら、経済学や生物学のみならず進化す る存在全てに共通す る 「第‑原理」がある場 合 に限られるであろう。それ以外の部分では、すでに経済学 自身の自立的な進化理論 を作 り上げ

5 ユ

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