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天皇の代替わりを考える

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Academic year: 2021

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著者 徐 正敏, 篠崎 美生子, 高原 孝生, 鄭 栄桓, 野口 久美子, 嶽本 新奈

雑誌名 PRIME = プライム

巻 44

ページ 119‑134

発行年 2021‑03‑31

その他のタイトル On the Imperial Succession

URL http://hdl.handle.net/10723/00004157

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ページ 場所 誤 正

130 頁 右側 16 行目 家族的ななもの 家族的なもの

(3)

天皇の代替わりを考える

(徐 正敏/篠崎 美生子/高原 孝生/鄭 栄桓/野口 久美子/嶽本 新奈)

鄭栄桓:お時間を取っていただきまして、ありが とうございます。国際平和研究所で主任を務めて おります鄭栄桓です。本日は、昨年にありました

「天皇の代替わり」をめぐる問題について討議す るため、みなさまにお集まりいただきました。周 知のとおり、昨年には日本国憲法のもとで初めて 天皇の「生前退位」が行われました。政府は 5 月 1 日を「天皇の即位の日」と定めて「令和」へと 改元し、また10月22日を「即位礼正殿の儀の行わ れる日」と定め、両日を「国民の祝日」として退 位・即位関連の行事を行いました。

これにともない大々的な祝賀ムードが演出され ることになったのですが、私たち国際平和研究所 はキリスト教研究所とともに、この「天皇の代替 わり」をめぐる問題を検討すべく、昨年に学外・

学内の方々との討議の場を設けました。その行事 を振り返りつつ、そこで議論された論点や課題、

あと行事に参加された方々からの反響や、あるい は今後の私たちが考えていくべき問題ということ について意見交換をしながら、反省をするという 場にしたいと思っております。

まずはみなさんに簡単な自己紹介をお願いいた します。私は本学の教養教育センターに所属して 歴史学を担当しております。特に専門としている のは朝鮮近現代史・在日朝鮮人の歴史です。

高原孝生:高原孝生といいます。今、紹介のあっ た二つの研究所のうち国際平和研究所のほうの所 長をしています。鄭さんは平和研の主任をつとめ られており、去年の行事は、鄭さん、そしてキリ 研所長の徐正敏先生と相談しながら、おこないま した。ぼく自身の専攻は国際政治学です。なので、

天皇制については政治学、あるいは国際的な比較 の観点から、いろいろ発言ができるかなと思って いました。また、ご存じのように1988年に昭和天 皇が病に倒れて、このとき明治学院を巡って事件 といいますか、世間の話題になることが起きまし た。その当時、たまたま僕は明学に着任していま したので、その頃のお話もできるのかなと思って の参加でもあります。今日は、よろしくお願いし ます。

徐正敏:キリスト教研究所の所長を務めておりま す、徐正敏と申します。韓国出身で明治学院大学 では宗教史とキリスト教の科目を担当しておりま す。私の専門は、宗教学、特に宗教の歴史、日韓 の関係史などのテーマを勉強しております。去年、

これから説明があると思いますけれども、新天皇 のイベントプロセスについて明治学院では「キリ 研」と「平和研」が一緒に講演会をつくるという ことになりました。

私は日本での留学先は同志社大学だったんです

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けれども、私が同志社で宗教の関連を勉強すると き、私の先生である土肥昭夫は、この日本で宗教、

特にキリスト教を研究するためには天皇制をまず 勉強しなければならない、日本の近現代史のなか、

宗教と天皇制の関係は切っても切れない関係だと いうことから、私個人も天皇制にずっと関心を もって今まで勉強し続けてきました。特に私が韓 国の延世大学の教員から日本の明治学院に着任し てからは、天皇制と明学の関係もいろいろ歴史を 聞くようになりました。先ほど高原先生がおっ しゃったけれども、そういう知見から、これから も日本の代表的なキリスト教主義大学として明学 は、天皇制については何とか、研究と教育を続け なければならない、天皇制に関心を持つことが当 然ではないかと思っています。これからも「キリ 研」の一つの研究課題として天皇制研究を続ける ために、来年 4 月からはキリ研の中に「天皇制研 究プロジェクト」をスタートするように、すでに 決めました。

篠崎美生子:篠崎美生子と申します。キリスト教 研究所で主任を務めております。所属は教養教育 センターで日本の近現代小説が専門です。日本の 近現代小説の中にも天皇制を内面化する、という とちょっと難しいですけれども、天皇が大好きな 人、たくさん出てくるんですよね。あからさまで はないですけれども、まるで片思いするかのよう に天皇に肩入れをして、その代わりに自分の心身 をないがしろにしていくような人物というのは本 当にたくさんいるので、私も天皇制には個人的に 非常に関心を持っています。きょうは、どうぞよ ろしくお願いいたします。

野口久美子:国際学部の野口久美子と申します。

どうぞよろしくお願いいたします。本日は国際平 和研究所の雑誌『PRIME』の編集委員として同 席させていただくことになりました。専門はアメ

リカ史、特にアメリカ先住民の近現代史です。ア メリカにおける先住民の抵抗とエンパワーメント の歴史的背景や思想について考えています。私は キリスト教や天皇制についてとりたてて勉強した わけではないのですが、これまで、アメリカ先住 民の信仰と思想に大きな関心を持って研究してま いりました。そうした観点からも、今回、いろい ろと考えてみたいなと思っております。どうぞよ ろしくお願いいたします。

嶽本新奈:嶽本新奈といいます。国際平和研究所 で、今、助手をしているんですが、この『PRIME』

という紀要の雑誌を編集する仕事を担うために、

本日も参加させていただくことになりました。 4 月からの着任なので、去年行われたというイベン ト自体は存じ上げていないのですが、皆さんのお 話を伺えることをとても楽しみにしていました。

と言いますのも、昭和から平成へと天皇が替わっ た当時、私は小学生だったのですが、埼玉に住ん でいたのでそのときの物々しい雰囲気というもの を小学生ながらにどこか肌身で感じていたという 経験もありまして、これから、皆さんのいろいろ な思いを聞かせていただけたらなと思っていま す。よろしくお願いします。

鄭:なお、本日は昨年度、私たちと一緒にいろい ろな企画に携わってくれた学生たちにも参加して もらっています。

それでは本題に入りたいと思います。まず討議 に入る前に、昨年に国際平和研究所とキリスト教 研究所が行った企画について振り返っておきま しょう。まず 5 月 1 日にキリスト教研究所を中心 に、九条の会の事務局長で、現在は教養教育セン ターの客員教授でもある小森陽一さんを講師とし てお招きして「天皇の代替わり」を考える講演会 を企画しました。かなりの数の方がいらっしゃっ ていましたね。

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ただ、一方で 5 月 1 日と10月22日の両日とも、

私たちの大学は「国民の祝日」とされたことに従 い休日としました。学校や企業によっては登校 日・出社日としたところもありました。実際、明 治学院高校は休日にはしなかったわけです。講演 会の主催者もキリスト教研究所と共催の国際平和 研究所に加えて明治学院高校の有志の皆さんが加 わっています。ただ大学のほうは十分な議論もな いまま休日にしてしまった。だからこそ 5 月 1 日 に有志たちで議論する機会が設けられたと理解し ています。

また、秋学期は10月22日に向けて、私たちの足 場である大学の学生とともに考える時間を設ける ため、毎週のCafé du PRIMEで「天皇の代替わり」

を考えるティーチインを 5 回行いました。

9 月24日に、まず高原さんから「天皇の代替わ り」というお話、発題をしていただきまして、続 けて渡辺祐子さんに「靖国神社問題をキリスト教 の視点から考える」、第 3 回は私が「天皇制と植 民地支配」、第 4 回は全体で議論をするというこ とで「天皇制は日本にとって必要か、必要でない か」、こういうディスカッションの時間を設け、

そして10月22日、先ほど言ったように学校はお休 みなんですけれども、横浜キャンパスの 8 号館に 有志が集まって篠崎さんに「1989年 1 月の違和感」

というお話をしていただきました。

ひとまず学生や市民とともに考える機会として 平和研、キリスト教研究所が企画した会としては、

この二つだったわけですね。なので、この一連の 取り組みの中で私たちが考えたこと、気づいたこ とについて深めていく場になればなと考えており ます。

まずは、篠崎さんにキリスト教研究所として 5 月の講演会をどういった問題意識でつくっていか れたのか教えていただきたいと思います。

篠崎:講演会には、小森陽一さんとコメンテー

ターとして教養教育センターの吉岡拓さんにご担 当いただきました。この日の代替わりを考える講 演会の趣旨は、とにかく天皇制についての議論の 場をつくろうということにありました。

フライヤーにはこういうことを書いておりま す。「今回の天皇代替わりは天皇制そのものへの 議論がないまま進められようとしております。こ のような代替わりによって民主主義が揺るがされ ることはないでしょうか。先人が賢明に獲得して きた平和や信教の自由が脅かされることにはなら ないでしょうか」、こういうふうな呼び掛けをし ております。

先ほどもお話ありましたけども、2016年の 8 月 だったと思いますが、当時の天皇の明仁氏が突然 退位を臨みますという「お気持ち」を表明し、そ れを追認する形で日本政府は天皇の生前退位と代 替わりを決めて、市民からもさしたる反対もなく それが行われようとしていたのが、2019年の 5 月

1 日でした。

天皇制というのは、特に明治学院のようなキリ スト教主義の学校にとっては、大きな葛藤を生ん できたシステムでもあります。戦時中、どういう ふうな迫害があり、抵抗があり、妥協があったか ということは、皆さんもお聞き及びではないかと 思います。そういう学校でありながら天皇の代替 わり、あるいは天皇制の継続に対して黙っていて いいのか。せめて意識的でありたい。なすがまま に見送ってはならないんじゃないかという思い を、主催者側は共通して持っていたと思います。

まず当日の小森さん、客員教授の先生、憲法 9 条の先生だと思っている人もいますが、本当は私 と同じ日本文学の先生なんです。小森氏は、明仁 氏の皇太子時代から天皇在位中にわたるイベント を、特に日付に注目することで追いながら、この 時代にいかにして日米安保と不可分の大衆天皇制 が、日本市民の間に根付いていったかを説明して くれました。

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小森さんによれば、この営みの中で天皇の戦争 責任がないものとして記憶されてしまったばかり か、代替わりというかなり長い一連の行事――

言ってみればこれは今でも続いてるとも言えます が、即位の日に先立って、例えば、三種の神器を 受け渡す践祚の儀というのがあったんですけれど も、これはすごく宗教的な行事です。ところがこ ういう儀式が日本政府の関与の下で行われるとい う憲法違反が行われている。今は、こういう違反 行為によって天皇の国家権力が可視化されつつあ るんだよ、ということを説明してくれました。私 たち、自分たちが、今、どういうところに置かれ ているのか、何を見逃してはいけないのかという ことを教えられた講演だったと思います。

これを受けて今度は、日本史の先生なんですけ れども、吉岡さんが、じゃあ一体こういう事態を 許したのは何かということを、身近な問題に引き つけて説明してくれました。つまり、こういう事 態を許したものは、天皇制を議論することを難し くしてる風潮なんだと。「天皇」といったときに、

私たちは、システムじゃなくて、例えば、明仁さ んってどんな人とか、今の天皇の徳仁さんってど んな人、という個人の「人柄」について話題にす る。こういう日本社会の習慣にあるんじゃないか、

という話をしてくれました。

さっき天皇に戦争責任はないという、そういう 記憶が作られてしまったという話を小森さんがし てくれたと言いましたけれども、これはフィク ションですよね。こういうフィクションが成り 立っていったっていうのも、天皇の「人柄」に注 目する習慣が基になってるんじゃないか。あの人 いい人だから、いい人だから責任ない、みたいな 感じですよね。こういう説明をしてくれて、私は とても納得できました。

それから、また憲法の「象徴天皇制」というの がありますよね。この言葉についても、本当は、

これは天皇というものを無力化する、何もできな

いようにするための言葉だったのに、明仁さんは 象徴天皇制って何だろう、何したらいいんだろ うって積極的に考えちゃったんじゃないか。それ を自分なりに考えて実践しちゃったんじゃない か。被災地に行って膝をついて挨拶するとかいう ことなんですけれども。これが結果的に明仁氏の

「人柄」に対する、過剰な評価につながっていっ たんじゃないかというお話もあったと思います。

これにも私は、とても納得できました。

こうしたお二方のお話に対して、会場からもた くさんの方から手が上がりました。例えば、鄭さ んからも「内なる天皇制」についてのご指摘があ りました。これ、私も研究上、関心を持ってるこ となんですけれども、一人一人の心の中に埋め込 まれている天皇制というものが、今日ますます完 成に至ってるんじゃないかというご指摘もあっ て、本当に、そうだなというふうに思った次第で す。

とても盛況だったというお話がありまして、そ うです。当日の参加者は約90名でした。でも、公 開研究会にはならなかったんですよね、とても残 念ながら。とてもセンシティブな内容で警備の責 任が持てないから、内部の催しにするようにとい うふうに当時の学長からご指示がありまして、外 部への宣伝があまりできなかったんです。にもか かわらず、階段教室がほぼ埋まるほどのオーディ エンスが来てくださった。外部から来てくださっ たということ、本当に私は一人のスタッフとして 心強く思いました。私からは以上ですが、徐正敏 先生、いかがでしょうか。

徐:  5 月 1 日の講演会はかなり前から企画した ものです。特に私がびっくりしたのは明学高校の 先生からキリスト教研究所を中心に企画したほう がいいのではないかとオファーがあったことで す。それで大学の先生と高校の先生の間、それか ら法人の何人かも参加して、研究会・勉強会を

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ずっと続けてきました。これまではほかのテーマ での講演会を企画してオープンにやってきたの で、今回もそういうスタンスで普通のとおり準備 してホームページに公開しました。そしたら、大 学の執行部から問い合わせがありまして、大学の 安全のためにホームページの講演会の案内を非公 開にしてほしいというようなお願いがあった。そ んなこともありました。

それから、もう一つは、実は講演会だけではな く、その前のプログラムとして歴史的な明治学院 のチャペルで、この日に特別礼拝を準備して、こ の礼拝は法人と高校の先生たちが中心になって、

この礼拝を講演会の前にして法人の学院長が説教 をしながら、この日の意味がキリスト教の観点か らどういう意味があるか、考える集会もありまし た。

このため私は明学の事務サイドとも連絡をとっ て、何かあれば警備をお願いする準備もしました。

そのようにみえない部分での緊張感はありました が、私がうれしく思うのは、その日非公開講演会 にもかかわらずたくさんの人びとが関心をもって いらっしゃったことです。特に私は韓国の出身だ し、日本の社会の雰囲気を詳しくはあんまり知ら ないままで、責任者としてずっと緊張していまし た。だからこの講演会に100名ぐらいの人びとが 学外からも参加して、無事に終わってよかった。

やはり明治学院らしい、明治学院ですからこれが 可能だと、そういう話をたくさん聞いて、特に私 は何もしなかったのに、私に本当に最高だという ような反応でうれしかったです。ただその前後、

緊張感というか、センシティブな雰囲気やその気 持ちは今も忘れられない、そういうイベントでし た。ちょっと長くなりました。

鄭:今、「明治学院らしいという反応」があった と徐正敏さんからご紹介があったんですが、やは りそれは昭和天皇の死去の際の一連のさまざまな

明治学院の取り組みを記憶をしている方々がい らっしゃることと関わっていると思うんですね。

その点について実は私自身もそうですし、ここ に教員として参加している皆さんの中で昭和天皇 の死去のとき明治学院に勤務していた方というの は、もう高原さんだけになってしまっています。

高原さんは、大だいじょうさいと即位の礼に至る過程を 2 度 見届けられている。そういうお立場から、もちろ ん国際平和研究所の所長としてもそうなんですけ ども、ご発言をいただければと思います。よろし くお願いします。

高原:ありがとうございます。だらだらした老人 の昔話にならないように注意しながらお話ししま すね。学生の君たちが、まだ生まれていなかった 1988年の秋、昭和天皇が下血をして倒れ、しばら く病床に伏するということがあったんですね。亡 くなったのが翌1989年 1 月 7 日でしたが、この間 の世間の様子は、篠崎さんが10月22日にご自身の 当時の経験をベースにお話ししてくださったの で、そのときにいた学生は、ある程度、追体験を してくれたと思います。「自粛」というかなり異 常な雰囲気が社会に蔓延していたんですね。

明学は当時、どうして注目されちゃったかとい うと、やはり新聞記事だったと思います。たしか 10月下旬に『朝日新聞』の東京版が、明学が学内 でやっていることを報じてくれた。そのあたりか ら大学への攻撃が始まります。

今回、去年の 5 月 1 日にやったこと、あるいは 9 月から10月にかけてやったことに対して、明学 に脅迫が入るとか、そういうことはなかったん じゃないですか。

徐:なかったですね。でも『朝日新聞』で報道は されました。

高原:記事が出たにもかかわらず、特に攻撃が

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あったとは、ぼくは聞いていないんです。

徐:私も聞いてない。

高原:電話とかファックスとか、そういうものが 来ると総務課がまず受け取るんですけど、総務の ところで止めてくれたとしても、行事責任者に連 絡はあるはずで、それが今回はなかったとしたら、

前のときとの大きな違いですね。

明学側のポリシーは一貫しているんです。つま り天皇制についてであろうと、冷めた目で学問的 に、あるいは宗教的な立場から、論じるのはあく まで自由であるべきだということですね。大学な んだから、それで当たり前じゃないかという、そ ういう見解で当時もいたし、今回もいたはずだと 思います。

ちなみに、当時のことについては『ドキュメン ト明治学院大学』という岩波から出た本があって、

この88年から89年にかけてのときのいろいろな状 況を、手際よくまとめてくれています。そこにも 記されていますが、 9 月19日に天皇が倒れて、世 間の「自粛」ムードのもと、白金祭をどうする、

ということや、「エックスデー」と当時言ってた んですけど、いよいよ天皇が亡くなったら大学と してどういう対応をすべきか、大学は検討します。

結論は、特に何もしない、ということになった。

そのことを学部長会議で確認し、10月の評議会で も確認したところ、そういう方針を『白金通信』

に載せるべきであるということを発言した教員が いて、それに応じて学長は載せた。

公の態度表明に対して、世間から反応があり、

脅迫的なメッセージも届けられます。ですけれど も、それに動ぜず、方針どおり白金祭は決行され ます。白金祭のメインイベントは小泉今日子の公 演でした。小泉今日子さんって、最近、結構、前 に出ていて、批判的な側から、この人は共産党か ら選挙に出るんじゃないか等と言われまくったり

しているようですね。30年前にキョンキョンが自 然体で白金祭公演に来てくれたのは、さすがだと、

今にして思います。白金祭実施をめぐっては、い ろいろな部署でご苦労があったかと想像します が、当時、一介の教員だったぼくの耳には入って きていませんでした。

何が当時起きてたかというと、ここは想像して もらうしかないんだけれど、天皇が倒れて、世間 が異常な自粛ムードに陥っていたんですね。華や かなことをやってはいけない、という。秋だから 新宿御苑で菊花展があるわけですが、今年はそれ はやらないとか、やらないのはなぜかというと今 年は菊が不作だったからとウソを言ったりとか、

とっても変な雰囲気がありました。メディアが一 斉に自粛ムードをかもしだし、「お元気ですか?」

と画面から問いかけるCMまで自主規制される。

そしてほぼ毎日、新聞のトップは天皇の病状。こ うしたことに違和感、反発を覚えていた人も、多 くいたわけです。

天皇制に対する距離感は、教員たちもさまざま ですけれども、そのさまざまな意見、イデオロギー を持った先生たちが、明学としては何も特別なこ とはしないという方針を打ち出して、それが公に されたのを支持しよう、と、明学としては、そう いうムードになったと思います、当時。

さらに、戦後、空気のように存在してきた天皇 制を、この際、ちゃんと問題視すべきだと考える、

わりに元気な先生たちがいて、学部横断的に連絡 を取り合って、「天皇ウィーク」というのをやろ うということになりました。11月の末から12月の 初めにかけて、一週間でしたが、たしか70人くら いの先生たちが、それぞれ自分の授業の中で、何 らかのかたちで天皇ないし天皇制について触れる ことにしました。これは授業の中身によって全然、

取り上げる角度が違うわけですけども、非常に多 彩な、天皇について考える学びの場が、明治学院 に現出することになったんですね。それは、なか

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なか面白いことだったと思います。そのときの授 業内容の一部は、さっき紹介した本でも紹介され ています。

そうしたら、そういうことをやるものですから、

これがまた今回と違うと思うんですが、当時、学 生の一部が反応しました。つまり、右翼系の学生 団体に所属している者が明学の中にもいたよう で、例えばぼくに対しては特になかったのですが、

この学生(たち?)で教員に抗議する者がいたら しく、学長に対しても抗議があったようです。

「天皇ウィーク」をやったときは、まだ学内の ことだったような記憶ですが、それが終わってす ぐに、『朝日』が報じちゃったんですよね。報じ ちゃったというか、ほんらい当然なのですが、世 の中がすごく変な自粛ムードになってるときに、

明治学院大学は非常にノーマルで、天皇制をみん なで考えるということをやってるという報道を、

『朝日』の東京版が、してくれました。そしたら、

右翼団体が騒ぎ出した、という記憶です。

このときの学長への攻撃がひどくて、学長は世 田谷の桜上水にお住まいだったんですけれど、話 によると駅からご自宅まで電信柱にビラをダーッ と貼られて、「国賊学長、森井眞を許すな」とい うわけですよ。「君民一体の国体破壊に狂奔する」、

「狂ったように国体を破壊しようとしている」国 賊学長、森井眞を許すな、と。

それから、教員にも嫌がらせの電話がかかって くるということが起きました。特に 1 月 7 日に天 皇が亡くなった後が、ひどかったですね。私のと ころにさえ電話がありましたし、「天皇ウィーク」

に参加していない教員のところにも、学生を名乗 る電話があったようです。

鄭:今、88年から89年に至るプロセスをお話をし ていただきました。当時明学では「天皇問題を考 える 1 週間」という企画を行った。これに60人を 超える教員が参加して、講義とかゼミで天皇と日

本資本主義とか、憲法と天皇制とか、天皇と大統 領とか、こういったテーマが扱われた。

今回の座談会のテーマに即して伺いたいところ は、30年前は学長声明があり、70人近い人びとが 果敢に発言したということがあったんですけど も、そうやって比較した場合、去年の私たちは一 体どうだったんだろうか。ここが、やはり一番大 事なところなのかなと思うんです。そのあたりで、

この30年という時間を経て高原さんどういう評価 をされているのかを伺いたいんですけども。

高原:当時と非常に違うのは、何と言っても世間 の様子です。これもご記憶のある方が多いと思い ますが、例えば、長崎市長の本島等さんが「天皇 には戦争責任があると自分は思う」と、一言、長 崎市議会で話したら、それが大問題になってし まって、ものすごい脅迫を彼は受けるんですよね。

たしか 1 年間ぐらい警察が厳重に警備をした。そ の警備を解いた途端に、彼は拳銃で撃たれるんで すよ。瀕死の重傷を負うわけですよね。そういう 緊張感は当時と比べると大きく違います。

うちの学長も危なかったかもしれません。天皇 の亡くなった後、大嘗祭というのがあるわけです ね。新しい天皇が天皇になってから行うお祭りの 儀式で、それを今回もやりましたが、当時も翌年 にあるわけですよ。たしか大嘗祭自体は秋でした か、いずれにしても、そのときには学長は福田歓 一先生に交代しています。このとき、こうした神 道の行事に公金を支出するのはおかしい、特定の 宗教行事に国家のお金を使うのは憲法違反だとい うことで、キリスト教の 4 つの大学の学長が、共 同で声明を出します。

鄭:大嘗祭は1990年の11月ですね。

高原:声明は早かったんです。 3 月じゃなかった かな。声明を出したら、また脅迫が来て、それで

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警察が学長を守るということになりました。福田 学長の住んでいた東戸塚のマンションの部屋の前 に、ずっと刑事が張っている状態になります。に もかかわらずフェリスの学長のご自宅には拳銃が 撃ち込まれましたよね。1990年のことですけれど も。

鄭:弓削学長ですか、当時。

高原:ええ。弓削達先生ですね。立派なローマ史 の先生です。

鄭:のちに森井先生と対談した本も出されました

(『精神と自由―より人間らしく生きるために』

オーロラ自由アトリエ、1992年)。

高原:だから、非常にそういう緊張感があり、学 生にも累が及びはしないかと心配しました。学校 の弱みは、学生をかかえているところですね。学 校全体が緊張したという点が、今回とは、だいぶ 違います。

鄭:今回はどちらかというと「お祝い」が強調さ れました。天皇が退位をしたいという気持ちに忖そんたく

して、とにかくここまで頑張ったんだから、お 疲れさまとみんなでねぎらってあげて、新しい令 和の時代を祝おうよ、そうすれば景気もよくなる よ、という雰囲気。つくられた明るいムードとい うか、そういう躁そう的な雰囲気がありましたよね。

恐らく、高原さんがおっしゃられた89年から90 年にかけての非常にどんよりとした空気と、今回 の表面では対照的な妙な明るさというか、そうい うところがどちらかというとかつてのように天皇 制に対しての危険性を人びとに自覚させるという よりも、みんなが支持する親しみのもてる、そう いった制度になっていったんだ。危険じゃないん だという感覚を持たせるに至る、一つの要因に

なっているかもしれませんね。

高原:はい。そのあたりは、まだまだ議論と分析 が必要だと思います。一点を指摘しておけば、当 時のリーダーシップを取ってくださった方たちが 強く感じていたのは、戦争との結び付きでした。

福田先生も、森井先生も、そうです。つまり、か つて天皇制の下で日本人がおかしくなってしまっ て、あの実に非合理な戦争に突き進んでしまった。

その反省がきちんとされなくてはいけなくて、

さっき戦争責任という言葉が出ましたけれども、

戦争との結び付きで考えている人たちが、今より もずっと多かったということです。

それは、非常に当たっている、 本質を突いてい るところがあるわけです。つまり、天皇制の下で 大和民族が、それこそ中国の人や朝鮮の人や、他 のいろんな人たちよりも上に立っているという、

ひとりよがりの思い込み、独断と偏見が、 侵略と 戦争の背景にある。戦前の教育とメディアの統制、

そして、天皇は大元帥でしたからね。軍隊のトッ プです。その戦争につながった天皇制というもの を問題にしなくては駄目だ、という強い意識が、

当時、存命だった人たちの多くに抱かれていたと 思います。

それが、たまたま安倍政権だったからというこ ともありますが、今回は天皇のほうが、平和を守 る人、憲法を守る人、というイメージでしたよね。

実際にそういう面もあったと思いますが、そこを 前に出すような形で皇室サイドは動いたのではな いか。そうした側面について、いわゆる識者たち は、ちょっと声が小さすぎたんじゃないかと思う こと、しきりですね。今回、天皇制自体の問題を、

もう少し深く議論してもよかったんじゃないか。

まだ、これからでしょう。先の天皇皇后が亡くな るとき、ぼくたちはまた、そういう問題を前にす るだろうと思います。

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鄭:昨年の秋学期のティーチインは学生とともに 行いました。全 5 回のティーチインを進めながら 皆さんが感じたこと、他の学生や教員と議論して みたかったことがあれば発言していただけますか。

学生 A :ありがとうございます。私が議論した かったのは、やっぱり、周りの友達とか、高校の 同級生とかでも、すごい中継とかやるじゃないで すか、即位の礼とか。そういうのを見てインスタ とかにアップして、「天皇かわいい」みたいな感 じで上げてる子とかがいて、結構、信じられなく て。そういうのにびっくりして、やっぱり天皇個 人と天皇制っていうのがごっちゃになっちゃって る人が多いんじゃないかなって思って。特に、さっ き高原先生が言ってたように、自分たち自身も戦 争を経験したわけじゃないし、世代的に結構離れ ちゃって、天皇制の下に過去の戦争が行われてて、

それでどれだけの人が犠牲になってとかっていう 結び付きが全然できてないんじゃないかなって 思って、そこら辺を議論したかったなっていうの が私の感想です。

鄭:学生ともいろいろ対話をしましたね。年配の 人たちが天皇を支持しているという、自分たちは その実感があまりないという議論が割と多かった ですね。ただ、いまの若い人たちが60歳になった とき、同じように天皇に親近感を抱く可能性はあ るんじゃないか、という質問を投げかけたと思い ます。「天皇とともに暮らす私たち」を演出する メディア環境のなかにいるわけですから。

学生C:正直言うと、分からないなと思います。

報道とかニュースで天皇がどこそこを訪問しまし たみたいな話題がでますが、そういうのを見てる と、いい人だなみたいな感じに思うのかなとかも 考えます。ただ天皇個人の人柄とかが実際の問題 を覆い隠すようなことになるかなって。その質問

を聞いたときは、でもそんな自分が年取ったとき に天皇大好きってなってないでしょって思ったん ですけど、今、あれからたって考えてみると、なっ ててもおかしくないかもしれないという。特に、

こういう何も考えてないと言ったらあれですけ ど、特に何も疑問なく生活してる人たちとかは、

特にそういう傾向があるのかな。現段階では別に 何とも思ってなくても、ということは思います。

鄭:他の方はいかがでしょうか。

学生 B :すごい勉強になりました。ディスカッ ションもできて、普段あまり話さない先生方とも お話しできたというのは、すごい良かったんです けれども、学生で参加している人って偏ってしま うというか、こういう物事に、こういう天皇制に 関してもともと関心があったり。特に天皇制に対 して疑問を持たずに過ごしてきた人との対話とい うか、その人がどう思っているとかが、あまり議 論できてなくて、他の学生はどう考えてるんだろ うというのが、あまり見えなかったかなというの はありました。

学生 E :私はやっぱり、その後の白金祭の見方が すごく変わって、今年もコロナで中止になるかも しれないってなったときに、昭和天皇の自粛ムー ドのときでさえやった明学でコロナでやらないっ てどうなんだろうって考えたときに、明学が天皇 制について議論していたということが自分の中で すごい誇りになっていました。でもそうやって 思ってるのが自分だけだなっていうのは確かに感 じていて、それに関して他の人とこういうことが あって、こういう昭和天皇が亡くなるに当たって も明学がいろいろあってというのを、白金祭を きっかけにしゃべれたんじゃないかなっていうの が今の後悔です。だから、結局は議論は他の学生 とはできていないなというふうには感じています。

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鄭:やっぱり、先ほどお話もありましたけど、そ んなに頻繁にカジュアルに話せるテーマではない という感じがあるわけですか、やっぱり。皆さん、

うなずいてますけど。企画に関わってくださった 方も含めて、一通りお話をしていただいたんです けども、ここでよろしければ野口さんご発言お願 いできますか。

野口:ありがとうございます。コメントが二つあ ります。一つは、本企画に対する参加者の対話に ついてです。高原さんは、88年から89年にかけて は、学内で非常に活発な議論があって、右でも左 でも、学生が明確に立場を表明して対話ができた とおっしゃっていました。一方、 E さんは、現在 の学内では、話すことをタブーとする雰囲気があ るとおっしゃっているんですね。私は、話しちゃ 駄目というよりも、天皇制を考えている人と考え てない人、関心さえ持たずに話す言葉が見つから ない人の間で、それぞれの意見がかみ合わない状 態なのではないかと思うのです。そのうえで、教 員や関心のある学生が発信することで、どんな対 話を作り出すことが可能なのか。その可能性に チャレンジしていく必要もあるのかなと。一方的 な発信、疑問視、批判というよりも、この「対話」

が明治学院大学でどのように行われていけるか、

今後の展開を非常に楽しみにしています。

もう一つは、少し広い視点からのコメントに なってしまうんですが。さきほど鄭さんから「天 皇と共に暮らす私たち」というお話がありました が、この点についてアクターは天皇と私たちだけ ではない気もするんですよね。天皇と私たちを媒 介するもの、少なくとも歴史的に媒介してきたも の、「見えざる手」といえば少々格好良く言いす ぎですが、そういったものを議論に含めて考えて みる必要もあるのかなと思いました。

例えば、さきほど「天皇の内面化」という話も ありましたけれども、私はアメリカ研究者ですの

で、やはり天皇制と「アメリカの内面化」にも非 常に関心があります。戦後、日本におけるアメリ カの内面化は、基地とか、音楽とか、あるいは六 本木や渋谷のような地域などを通して、様々な角 度から行われてきました。スタート地点はまさに

「マッカーサーと天皇の会談」なわけですが、あ の時点から、天皇は「敗戦国のシンボル」ではな く、「アメリカの庇護下にある日本のシンボル」

となり、同時に、アメリカは天皇と対等な存在に まで引き上げられ、その後、天皇制があたかもア メリカなしで存在しているかのようなイメージも つくられて。そこではメディアも加担して、アメ リカの姿を隠しながら、ある種の非常に不安定な 天皇制が維持されてきたとも考えられるでしょ う。アジアに対する日本の加害性というのも、あ る意味、アメリカに守られる形で不可視化される という言論空間も作られてきたと思います。つま り、私たちと天皇という二者の議論にアメリカが いかに継続して絡んできているのか、あるいはそ こが断絶して今の議論があるのか、ということで す。もちろん私たちから天皇が「見えない」とい うのは、メディアが「見せない」という面もあり ますので、そこにメディアの役割も絡んでいて。

そのあたりもふまえ、複数のエージェントで天皇 制を語っていくことが重要じゃないかなと思いま した。

鄭:議論を広げていただいて感謝いたします。

学生 F :天皇制に対して全然考えてない人とか、

「天皇かわいい」とか言ってる若者とかがいるっ てことに関して、若者が天皇に対して多少なりと も関心を持っているということ自体が、ないより はいいことなのかなって思いました。昭和天皇に 関しては戦争責任があるかないかという話は絶対 に議論しなくちゃいけないことだとは思うんです けど、それって平成天皇とか、それ以降の天皇と

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分けて考えることってできないのかなって思って しまいました。被災地訪問とかは別に天皇の役職 として絶対にしなくちゃいけないことじゃなくて も、その天皇がやりたいからやってるっていう私 の認識なんですけども、そういうことに関して、

一般の人がこの人はいい人なんだなって思うこと は、本当に悪いことなのかなって少し疑問に思っ てしまいました。

鄭:とても率直なご意見だったと思います。今回 の討議では、第一に、昨年度の取り組みを振り返 ること、あわせて日本社会や東アジア、あるいは アメリカも含めた世界の状況をどう見ていくのか を議論したいと思います。野口さんは後者の論点 について話をしていただきましたので、続けてこ ちらの論点についてご発言をいただきたいと思い ます。

篠崎:私はアメリカのことはよく知らないんです けれども、かつて井口時男という批評家が、裕仁 の表象の変化を非常にどぎつい言葉で表現してい たのを、さっき野口さんのお話を伺いながら思い 出しました。つまり、敗戦までは裕仁は大元帥で 白馬に乗った非常にマッチョな表象で市民の前に 現れていたわけですけれども、これがマッカー サーがやってくる、おひなさんみたいな姿で登場 せざるを得ない。あれで言ってみれば、天皇の女 性ジェンダー化というものが起こると。井口時男 はそれを、アメリカという 「巨大なる男根」(『物 語論/破局論』論創社、1987)がやってきて、そ れによって天皇というのは一気に去勢されてしま うんだという、そういう比喩で語っていたのが私 には非常に印象的でした。

そこから、だんだん、アメリカの影というもの が表面上は見えなくなっていくというふうに野口 さんはおっしゃってて、全くそうだと思ったわけ ですけれども、実際にはマスコミが隠している影

で天皇という地位と、それから沖縄とが引き換え にされていったっていうこともあるわけですよ ね。これは、今、裕仁についてのみお話をしてお りますけれども、最晩年の裕仁というのは本当に いいおじいちゃんであるかのような像というもの を残していって、今度は明仁がさらにもっといい 人みたいな像を受け継いでいく。先ほどから、見 てるといい人なんじゃないかとか、いい人だと見 ることは悪くないんじゃないかっていうふうなご 意見が学生の皆さんから上がって、そりゃ皆さん からしたらそうだよねとも思うんですけれども、

ちょっと考えてみていただきたいのは、いい人の 像をメディアにつくられて見せられてるんじゃな いかということです。決して私たちは実物を見せ られてはいない。どんなことだって私たちは、実 物そのものっていうものを見ることは不可能だと もいえますけれども、特に天皇についてはフィク ションを見せられているんじゃないか。

じゃあフィクションだとしたら、このフィク ションは一体誰にとって都合のいい物語なのかと いうふうに疑っていくと、裏の裏が見えてくるか なと思います。そして、その裏の一つにアメリカ の力というのが、きっと非常に大きなものとして 存在するのじゃないかと、私は雑ぱくですけれど も、そう想像しております。

鄭:徐正敏さん、いかがでしょうか。

徐:私は宗教が専門ですから、その観点から天皇 について考えています。私は以前韓国でも天皇制 について教えて、今は明学でも必ず天皇のことに ついて教えるんですけれども、歴史的な天皇の存 在とか、そういうことを学生さんが韓国でも日本 でも知らないんです。

戦前の天皇の戦争責任問題についてとは別に、

戦後の天皇制はそういうことと関係がないという 意見がある。だけど、そんな簡単なものではない

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と思います。日本の歴史のなかで天皇制は、人間 の基本的な価値観や一番大事な良心へのプレッ シャーとして存在した。無意識的にですね。韓国 でも植民地時代には、クリスチャンは天皇が上か イエスが上かの判断を迫られる。これを命を懸け て答えなければならない。そういうことを続けた んですよ。でも今の天皇はいいじゃないか、天皇 が韓国訪問したら日韓関係がよくなるんじゃない かという声もかなりありますが、歴史的な文脈か ら見るとそんな簡単なものじゃない。大学として はどういうふうに天皇のことを研究して教える か。若い人びとと、どういうコミュニケーション ができるか。われわれの歴史的な経験を、どのぐ らい次の世代に伝えられるかが大事だと思います。

鄭:先ほどの学生から出た意見についてはもう少 し掘り下げる必要がありますね。昭和天皇の場合 は戦争責任問題が彼の人格と切り離されず存在し ている。彼が1945年をまたいで引き続き天皇で あったということは誰もが知っていることですか ら。しかし、人間としての昭和天皇が亡くなった あとに、戦後のいわゆる平成天皇については戦争 責任はないという意見が出てくる。祈りとか、慰 霊とかをすることで人びとを癒やすような存在と みなされていく。そういう受け止め方をする人び とを批判できるものなのか、こういう問題提起 だったと思います。

つまり、昭和天皇個人にとどまらない天皇制と いうシステムの戦争責任や植民地支配責任をいか に問えるのか。高原さんがおっしゃってくださっ たように、個人ではなくてシステムとしての天皇 制というものを考えなければいけない。

一方、明学では同時に信教の自由の問題を提起 してきた。特に即位の礼や大嘗祭については宗教 行事であるにもかかわらず公費が支出されている ことの問題です。特定の宗教的行事に国家予算が 投じられるということは憲法違反ではないか、し

かも社会的にそれを祝ったり、その日を祝日にし たりすること自体が特定の宗教の押しつけじゃな いかと。こういったところは明学としては繰り返 し言ってきた。つまり信教の自由と戦争責任、こ の二つの柱があったと思うんですよね。

しかし、学生との対話の中でこれが大学として 十分共有できてない面があることに気づきまし た。89年から90年にかけては、高原さん、どうだっ たのでしょうか、

高原:皇室、諸外国では王室になるわけですね、

その存在がそれぞれの国にとって、どれだけ必要 なのかという角度から論じることもできると思い ます。多くの国民が理想的だと憧れるような家族 イメージを、戦後の皇室は描いて見せてきたと 言っていいと思います。アメリカがこれからどう なっていくか分かりませんが、アメリカの人たち の中でも、そうした家族的ななものを大統領に求 めるむきがある。大統領夫人のことを重視したり、

今のトランプさんも非常に特徴的に、ファミリー をホワイトハウスに連れてきたりしている。そう した血縁共同体が支配者となることで、人心を引 きつけ、国を安定させ、統合していくという、そ ういう効果が働いていることは否定できない。

国王はもともと主権者でした。大日本帝国憲法 下の天皇も、そうです。国家が個人に対して、他 のあらゆる絆の上に国家があるのだと言い、それ への奉仕を求めるという国家主義。この国家主義 が人々を支配したのが戦前の日本でした。教育勅 語について言われているとおりで、みんな道徳を 守って仲良く生きなさい、ただし「一旦緩急アレ バ」国家に奉仕せよ、命も捧げよ、それが臣民の 道、日本人のあるべき姿だと、子どもたちは教育 されました。全ての上に国家があり、それは生殺 与奪の権を握った主権国家で、対外的には戦争を する。畏怖されるが、 民を守る慈父としての姿を 見せることもある。それを今後もシステムとして

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存続させるのかどうかということが問題です。

主権国家が林立する世界を続けていくのか、そ れともそうした国家のありよう自体を変えていく のかという、大きな世界史の岐路に、ぼくらは来 ている。今、パンデミックの下で、そのことがよ く見えるようになってきたと思います。戦争も、

主権も、過去のものにしていかないと、世界自体 が、 もう持たない。そこで王室は、気をつけない と、元の古い枠組みを維持するために機能させら れる装置となるおそれがある。

例えばタイは、今、すごく面白いんですね。神 聖視されていた王室を相対化することが、今、若 い世代の間で起きていて、それを平和的にできる かどうかの瀬戸際に来ている。そして日本では、

ますます格差が拡がり、被災地には光が当たらず、

沖縄には軍事基地が押しつけられている。そこで、

皇室は「国民統合の象徴」という役割を、これか らも果たしていけるのかどうか。

そういうことを考えなくてはいけない中で、多 分、絶対に譲っちゃいけないのは、大学が自由に 議論できる場でありつづけるということでしょ う。それを抑圧してきたのが戦前の天皇制でした。

戦後にも暴力で自由な議論を押さえ付けようとす る勢力が、今にいたるも存在します。そうしたも のと戦っていく必要があるだろうと強く思いま す。これまでの明学の経験から言っても。

鄭:やはり日本において市民的自由の核心に据え られるべきは「天皇制を批判する自由」であると 思うのです。例えば、日本軍慰安婦問題に対して 批判的に扱うと、これほどバッシングが強くなる のも、やはり天皇の軍隊が行った行為への批判で あるということと無関係ではない。そういう意味 では、やはり昭和天皇の戦争責任問題というのは 終わってないわけです。そういう意味で、システ ムとしての戦前期の天皇制が戦後にどういう形で 市民的自由を抑圧する機構としてつながっていっ

たのかということを掘り下げていく必要がある と、高原さんの議論を伺いながら思いました。

また、そもそも今回の退位へのプロセス自体が 憲法が予想していないものであったにもかかわら ず、天皇の意思表示をうけて政府や世論、国会が 動き法律ができた。これは、もう権威どころか権 力を行使している。つまり、信教の自由とか戦争 責任問題に加えて、立憲主義という観点から見て も、この間の出来事は結構大きい問題がある。し かし、安保法制で安倍政権が憲法 9 条に反する法 律を制定したことへの批判のなかで、天皇はむし ろ平和主義者なんだという形で擁護する人たちが 出てくることで、むしろ天皇が憲法からはみ出し ていってしまってる部分への視点が弱くなってい る。 5 月の講演会での𠮷岡拓さんのお話を伺いな がら私自身はこのように考えました。

それではそろそろ最後の話題に移っていきたい と思います。私たちの職場である大学という場で の取り組みについてです。高原さん、30年前と今 とで大学という場はどう変わっていったと考えま すか。

高原:一つは、学生も教員も、つまらなくなっ ちゃったと思うんですね。教員のほうから言うと、

言葉は悪いが小役人みたいなことを大事にする、

決まり事に従うのが職業倫理だ、みたいに思って いる人が増えてしまっている気がします。もっと 自由闊達でワイルドでもいいんじゃないでしょう か。大学の教員は、一人一人が自分の学問の戦場、

フィールドを持っているわけですから。

それから、 日本の学生はおとなしすぎます。己 れの利益に関わることさえ、主張しなくなってい る。これは、いろんな人が嘆じているとおりで、

諸外国の同世代に学ぶべきでしょう。学生のうち に、 自己主張の訓練をしておかなくては、悪い大 人たちに利用されるばかりです。逆に言えば、大 学の中が自由でないといけないということでもあ

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ります。だから、言論への脅迫には、敏感になっ て、立ち向かっていかなくてはいけません。平和 研究なのですから、この天皇制の問題は、賢く慎 重に、皇室の人たちのためにもよい方向で、議論 を進めていかなくてはいけないと思います。

徐:高原さんのお話に同感です。基本的に大先輩 たちがやった「天皇ウィーク」のような取り組み をわれわれ明学の教員たちも考えて、自分の専門 から、例えば、私ならキリスト教とか宗教のこと から、あるいは鄭さんだったら歴史から、在日か ら、朝鮮半島から、そういう観点で天皇制をどう いうふうに考えるべきか、それを学生さんに向け て発信する必要があると思います。もちろん、こ の教育の方法は学生さんの意見を聞きながらと いったダイアログのような形が大事です。もう一 つは、やはり平和研とキリ研が中心になって天皇 制について研究プロジェクトを立てる必要がある のではないか、そういうふうに考えております。

篠崎:確かに「天皇ウィーク」いいなって思った んですけど、シラバスが、がちがちで今うるさい ですよね。それを考えると、今は、本当に不自由 だなと思いましたが、でも、そういう制約を恐れ ずに学生の皆さんの理解を得る努力をして、何か そういうことが実現できたらいいなと思いました。

鄭:そうですね。大学では今回2019年に限定され た国民の祝日ですが、大学は休日にしたのですが、

学暦は前年度に示されていて、私たちも教授会で 議論をしたんですけども、どちらかというと、や はり非常に厳しい、15回の授業をどうやって、こ のカレンダーの中に入れていくのかという問題に みんな関心が集中して、こういったもう少し広い 視野で問題を捉える議論というのがなかなかでき なかった。私も休みにしないほうがいいんじゃな いかと発言はしたんですけども、そこで終わりに

なってしまった。続けていけなかった。

それは、やはり、今、おっしゃられたように管 理という点で、大学のシステム化の中にのみ込ま れていってしまって、そういった議論をする時間 がなくなっているという問題がある。ただ、高校 の先生方はできた面があったわけなので、そのあ たりについてティーチインでも職員さんが昔と職 場の雰囲気も違うということをおっしゃられてい ましたね。

やはり共同性というか、コミュニティーとして の大学という面を、特にこのコロナ禍でどうやっ て取り戻すのかというのは、非常に難しい問題で あるなと思います。その中でこういった社会的な 争点をちゃんと取り上げていくというところは、

私たちの研究所自体の非常に大きい責任であるか なと思います。

嶽本さんに発言していただく機会をつくれな かったのですが、いかがでしょうか。

嶽本:ありがとうございます。自己紹介のときに も言いましたが、私は小学生のときに昭和天皇が 亡くなるということを経験したのですが、その当 時、ちょうど文科省の指導要領が変わって、日の 丸・「君が代」の国旗掲揚・国歌斉唱への義務化 が厳しくなっていった時代なんですね。それまで は日の丸を掲揚することなんてないし、君が代を 音楽の授業で習ったこともなかったんですけれど も、それを卒業式・入学式で歌うべきだと。ある いは国旗は掲揚することが望ましいと。今は、も う義務化されていますけどその当時はまだ「望ま しい」のレベルで、それに対して埼玉では反対運 動が起こって、私の小学校でも卒業式のときに国 歌斉唱と号令がかかっても、音楽の先生はわざと 校歌を弾きだしたりとか、そうした形で反対の意 志を示す運動が卒業式の中でも行われていまし た。卒業する私たち 6 年生も起立をせずに椅子に 座ったままということをやっていたんですね。

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けれども、私は小学校卒業と同時に熊本に引っ 越したのですが、埼玉から熊本に引っ越したら中 学校の入学式で親も教員も生徒も全員が「国歌斉 唱」の号令で起立し、「君が代」を歌っていたん です。私は一度も習ったことがなかったので歌え なかったんですけど。こうした地方と都市部での 差というものは、もちろん地域的に保守的である とか要因はいくつかあると思いますが、やはり歴 史をどのように学んでいるかともつながってい て、教育の重要さを目の当たりにした経験があり ます。お話を聞いていきながら、そうした過去を 思い出していたんですけども、ただ、鄭先生がおっ しゃっていたように、昭和天皇のときには戦争責 任という明確な批判のポイントがあったものが、

今の天皇に対しては確かにメディアの影響もあっ て批判がしにくくなっていると思います。世間的 にも別に天皇制あってもいいんじゃないとか、ロ イヤルファミリーも必要でしょという、震災や、

戦争に対する反省を示しているのを見て、いいこ とやっているよね、という風に思われているのが 逆に不気味というか、気持ち悪さのようなものを 感じてしまいます。すみません。ちょっと長くな りました。

鄭:いえいえ、ありがとうございます。戦争責任 とか植民地の問題は、ぜひ広げて考えたかったの ですが、時間が限られていてできませんでした。

現在の天皇の外国との関係は責任を超越したとこ ろから慰めるというパターンなので、あそこに日 本の人びとが同一化してしまうと、加害責任の主 体というものが消えてしまいかねない。そこが怖 いなというふうに考えます。

最後に学生のみなさんはいかがでしょうか。

学生 B :そもそも明治学院大学に国際平和研究所 があるということ自体を知らない学生が結構多い というのが印象で、しかも国際学科の学生ですら

知らない人も結構います。私としては残念です。

もう少しほかの学生にも届くような仕組みといい ますか、あればいいのかなって個人的に思いまし た。

学生 E :ありがとうございます。さっき高原先生 が、学生がおとなしすぎるっていうふうにおっ しゃってたと思うんですけど、私はこういうこと に関わるだけでも、就活のときにどうしようって いう不安がすごくあります。営業のときに宗教と 政治と野球のことは話すなって言われるぐらいな んですが、そういうテーマについて自分も少し関 わってるなって思って。考えなきゃいけないって いうのは分かってるけど、これを考えることで自 分が不利になったらどうしようっていう不安が、

すごく付きまとっているなというのが一つありま す。

あと、さっき埼玉県っていう話、私もさいたま 市に住んでるんですけど、今年の 1 月、成人式で さいたまスーパーアリーナで成人の祝いのやつ やって、そのときにもちろん国歌斉唱ってあって、

何のためらいもなくみんなが立って歌っているの を聞いていて、やっぱり問題視していないとか、

批判するポイントがないっていうのを、学生、20 歳の人が何も考えてないんだなというのを、すご く感じる瞬間がそこにあったなって思います。あ りがとうございます。

学生 A :就活の件についてなんですけど、私は逆 に天皇制について、こういうことをやりましたっ ていうのを出していったんですよ、企業に向けて。

でも、なんか逆にそっちのほうが入った後に自分 が居心地のいい場所で働けると私は思って、逆に 拒絶されたらもうそんな会社はいいやって感じで 行ったので、そういうのもありだと思います。

あと天皇制については、議論してたときに誰か に言われたことで印象に残ってるのが、天皇制が

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あることによって私たちに何のメリットがあるん だろうねみたいな話に、確か10月のイベントのと きにグループでなって、そのときに確かにメリッ トって言われて何も答えられなくて、むしろ税金 とか取られて生活してるわけだし、どうなんだろ うっていうのがあったので、天皇制について考え るっていうよりも自分たちの生活とどういう関係 性があるのかとか、そういうことから考えていく ことによって、自分の身近な問題にもなるし、そ もそも関心がないから議論がかみ合わないってい うのも確かにあるなって思いました。だからこそ コロナの自粛ムードのこととつなげて89年にも自 粛ムードになったことがあったらしいよみたいな 感じで、話題を広げて実はそれが天皇制のいろい ろなことにつながってたみたいな話で持っていけ ば、関心ない人でもちょっとは関心持って一緒に 話そうって思ってくれたりするのかなって思いま した。

野口:いま学生さんが、「私がこれを発言したら どうなるんだろう」っておっしゃってたのが、す ごく印象的でした。その意見からも、天皇制シス テムを支持している人と支持していない人の対話 が難しくなっていることがあるのではないかと思 います。今、まさにアメリカの大統領選挙中で二 人の候補が争っていますが、あれは対話じゃない んですよね。対話とは、もっと多様な形で、非常 に複雑でセンシティブな感覚を伴って行われるも のだと思います。例えば、自分と意見の違う人た ちの背景や育った環境などもふまえ、どうしてそ ういう考えに至ったのだろうというところまで考 えようとするプロセスに、私はすごく可能性を感 じるのです。大学、特に明治学院大学というのは、

対話の在り方みたいなものに挑戦する場になって ほしいなって思いました。

篠崎:私も学生さんの就活のお話に、とても胸が

痛かったです。あんなことを若い人に心配させる のは大人の社会が悪いと思います。例の学術会議 の問題で、私、いろんな他学会の人たちと相談し て声明を作る作業をしているんですが、その中で、

こういう政治的なことはやりたくないっていうふ うに言う人がいて、ものすごく腹が立ったんです。

私たちがこうやって生きて言葉を発していること が、実はとても政治的なことなんだと私は思って います。

さっきおっしゃったけども、何にも思わないで 立って君が代を歌っちゃうっていうことも、とて も政治的な行為だと思います。そういう認識をみ んなで持って、今、野口さんがおっしゃったみた いに、柔らかい心で対話をしていけるような世の 中を明治学院からつくれていけたら、本当にいい と思っています。

鄭:みなさん、ありがとうございました。本学で は1995年に学院長の名前で「明治学院の戦争責 任・戦後責任の告白」を出しています。戦前の明 治学院が戦争に協力していったことへの反省、具 体的に誰がどういうふうに協力して学生を戦場に 送り込んでいったのかということを批判し、二度 とそうはしませんと誓っている。いわば社会に対 して約束をしています。本日も、こうした社会に 対する「約束」と照らし合わせて、ぜひ取り組ま ねばならない課題と考えて企画しました。私たち も平和研として引き続き取り組んでいきたいと考 えた次第です。今後ともよろしくお願いいたしま す。それでは、本日の座談会はここまでとさせて いただきます。

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