• 検索結果がありません。

藤 原 氏と天 皇

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2024

シェア "藤 原 氏と天 皇"

Copied!
1
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ふ じ

わ ら

氏と天

て ん

の う

藤原氏と天皇のつながり

8世紀に、藤原(中なかとみの臣)鎌か また りの子である藤原不 は、自分の 娘むすめを天皇や皇こ うたい のきさきとしました。

その後、11世紀の藤原道長の時代には、資料アの 系図のように、藤原氏は天皇家とのつながりをさらに 強めていきました。

こうしたつながりによって、藤原氏は、朝ちょうていの中でさ らに有利な立場をきずき、大きな権力を手にしたので す。

大きな権力をふるった藤原道長

「この世をば わが世とぞ思う もち月の 欠けたることも なしと思えば」

(訳:この世は自分のものだ。満月のように何もかけているものがない。)

このうたは、三女(威 )が天皇家にとついだお祝いに、道長が自た くに客をまねいて食事会を行ったとき によまれたうたといわれています。道長のうたの相手をしていた藤原実さ ねすけはうたをきき、このうたはすばらし いので、その場にいる全員でよもうと提ていあんしました。そして、全

員でこのうたをくり返しよんだという話が伝わっています。

資料イは、朝廷に勤める身分の高い役人である公 ぎょう卿の中 で、藤原氏出身の人の数を示したものです。道長の時代に は、23 人のうち 17 人、道長の息子の頼よ りみちの時代には、24 人 のうち 20 人が藤原氏の出身です。こうして朝廷の重要な仕事 についた藤原氏は、外交や財政、地方の役人の任命など、国 の政治に関わりました。

藤原氏は貴

ぞ く

の中でも特に力をのばし、道

み ち

な が

の時代に最もさかえました。藤原 氏がどのようにして力をのばしたのか、また、どのようにして権

け んりょく

力 をふるったの か、藤原氏の系図や道長に関するエピソードなどから調べてみましょう。

↑ア 藤原氏と天皇のつながり

↑イ 身分の高い役人(公卿)のうち、

藤原氏の人数

参照

関連したドキュメント

点としつつ、中関白家はもちろん、いくらか距離の

宗教と天皇制の関係は切っても切れない関係だと

へて視養ふ﹂とあるのだから︑結婚に準じて考える寮は可能だ︒とすれば︑采女

○選二却崇神一

794年,桓武天皇が都を京都にかえた。 その後,源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの約400年間を, という。

たとえば、平安時代中期に将門・純友の乱平定の御礼として、天皇が賀茂神社に

10 2.制度改正による負担軽減案 ○ 1 摂政の設置 ○ 2 退位による新天皇の即位 a.全天皇を対象とする

政府による女性皇族が結婚した後も皇族にとどま る「女性宮家」の創設に向けた検討も始まった [3]