アルベルト・ヘンゼル : 政治国家的に拘束され,体 系化された租税法の研究者
著者 キルヒホフ パウル, 三木 義一
雑誌名 靜岡大学法経研究
巻 33
号 1
ページ 109‑123
発行年 1984‑08‑06
出版者 静岡大学法経学会
URL http://doi.org/10.14945/00008645
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︒ ヘン ルゼ は租 税債 務関 係説 の提 唱者 とし てよ く知 れら てい る が︑ 彼の 理論 活動 全を 般に わた てっ 解説 した も のは 西ド イツ にお い ても 従来 かな たっ よう に思 れわ る︒ その 意味 で︑ やや 板平 では ある が︑ ヘン ゼ ルの 税租 理法 論を 回顧 たし 本文 を紹 す介 のる も 定一 の意 味が ろあ う︒ おな 行︑ 政法 学と の
︲ 関係 にお ける ヘン ルゼ 税法 学 の積 極的 義意 に ルア ベ ルト ヘ・ ンゼ ル
︵パ ルウ
・キ ルヒ ホフ
・
︵訳︶
ア ル ベ ル ト
・ ヘ ン ゼ ル ー ー 法 治 国 家 的 拘に 束 さ れ
︑ 体 系 化 さ れ た 租 税 法 研の 究 者
︱
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つい て は私 りな の観 点 か ら検 討 を 加 え た こ と が あ る 参︒ 照
︑ 三木
﹁ヘ ンゼ ノ レ税 法 学 構の 造
︱︱ 伝 統 的行 政 法学 批 判 の た め の 一素 材 と し
︱て
︱
﹂民 商 法 雑 誌 七 二巻 四︱ 六号
︒ 租″
税法 法は 治
︐国 的家 に拘 束 され 侵た 害 法で あ
″る
︱︱ この テト ゼは 一九 八三 年
〇一 月 一八 に日
〇五 回忌 をむ えか るア ベル ルト
・ヘ ンゼ ルに と てっ 認識 と いう より も むし ろ要 請 であ たつ
︒ ヘン ルゼ は 憲法 の視 か野 ら租 税法 に 法″ 治国 家的 侵害
″法 と い う 構造 を付 与 し そ︑ れを 体系 的 に整 理し
︑ それ を機 能上 家国 の財 政調 の達 と法 説 三木 義 一︶ 一〇 九
﹁法 研経 究﹂ 第 二三 巻 一号
︵一 九八 年四 八月
︶ 明 てし いる 彼︒ の 租″ 税法 の法 学的 体系
″化 は租 税制 度を 国家 体制 の本 質的 要な 素と 理解 し︑ それ 故租 税法 を体 系的 に形 成 され た憲 法 の基 準 か ら説 明し そ︑ のこ とに よ てっ 租税 法内 部 の体 系の 特殊 性 か ら租 税法 を解 放し 他︑ の個 別 法秩 序 と租 税 と法 を関 連 づけ いて る︒ ヘン ゼ ルは 応能 課税 の原 則 3︵∪
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︶ を フイ ーマ ル憲 法 一三 四条 から 演繹 し︑ 租税 基本 関係 を行 政法 粋の 内 での 法律 上の 債務 係関 と説 明 す る︒ 体 系
︲ 的で 全︑ 法秩 序と 矛 盾な く結 合す る組 税法 を求 める 努力 の申 に当 時本 誌
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← の共 同編 集 者 であ たっ ヘン ゼ ルは 今日 にお いて も中 心的 であ る関 心事 見を い出 し てい る︒ 課税 権力 の法 治国 家 的
・体 系的 規制
︵I︶ 財︑ 政調 整
︶︵Ⅲ
︑ 芸術 に対 す る税 法
︵Ⅳ︶ に力 点を お いた 彼 の研 究 は︑ 今日 にお いて も学 問 立︑ 法者 そし て財 政 裁判 権 を動 揺し つづ けて いる 諸問 題 を論 じ てい るの であ る︒ I︑
彼の 生涯 と学 問経 歴 アル ベル ト
・ヘ ンゼ ルは 一八 九 五年 二月 九日 数学 者ク ルト
・ヘ ン ゼ ル 電︵︻
一目 o● 8じ とそ の妻 グ ルト ール ト o︵O ヽ一ご しQ 旧︑ 姓 ハ ー ンの 息子 とし てベ ルリ でン 生ま れた 彼︒ の曽 祖父 ウ ルィ ヘル ム o ヘン ゼ ル
︵ョ 一F2 日 Φ国 がo じ はフ ーリ ド リ ヒッ
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′ レィ ノ レヘ ム四 世 宮の 中画 家 であ り︑ 曽祖 母フ ニァ ー メ・ ンデ
′ レス ーゾ ン
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・メ ンデ ル スゾ ー ン︵ 98 o早 o一鮎 移oF じ の孫 娘 であ り 作︑ 曲 家フ リェ クッ ス メ・ ンデ ルス ーゾ ン
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︶ の 女 兄 弟 13 3一 R︶ であ たっ
︒ ヘン ゼ ルは マー ルブ ルグ での 学校 時代 を終 える と 一九 一三 年の 夏 学期 から フラ イブ ルグ で歴 史と 哲学 の勉 強を 始 めて いる
︒ 一年 志願 兵時 代は メ ッッ
︵ o一じ とフ ルェ ド ンュ
︵くR 口Q じ で兵 役 に つい た最 初 の月 に負 傷 てし るい 彼︒ は バイ エル 第ン 十野 戦砲 兵違 隊 らか エル ラ ング ン H︻︵国
︐ 日 o3 に 戻 り
︑ そ こ で滞 在 期 間 中 研 究 続を け る こ と が で き た︒ 彼 は 新 た に哲 学 専 攻 で入 学 手 続 をし
︑ おじ に あ た るパ ウル
・ヘ ンゼ ル
︵﹃
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①口 3 oじ 教授 哲の 学ゼ ミに 長年 に たわ てっ 通 てっ いる
︒ 一九 一七 年に は︑ 耐穆場 で︑ 電話 待避 壕 で︑ 野戦 病院 で︑ 駐 とん 地 の休 憩時
﹂に 書 かれ た論 文 をま めと た︑ ベ ート ー ベ ンに つい ての ヘ ン ゼ ル の著 書が
﹁音 楽
=哲 学的 叙 述 の 試 み﹂ 貧く R置 o●
2● R 日易 も岸 三ざ づ8雷
︐ 8 o● ミ∪ o中oけF 静L
︶と し て出 版さ れて いる 後︒ にボ ンで エリ ー
・ノ イ G︻ギ oじZ の弟 子 に なる ピ ア スニ トと し ての ヘン ゼ ルに と てっ 音︑ 楽 とは
﹁あ ら ゆる 英 知と 哲学 より も高 次 の啓 示﹂ なの であ る︒ 九一 一四 年 の夏 学期 よに う やく ヘン ゼ ルは エル ラン グ ンの 法学 専 攻 の学 生と して 登録 され てい る︒ 専攻 を変 更し た動 機 を後 に彼 は つ ぎの よう 書に いて いる
︒
﹁生 涯の 仕事 とし て純 粋に 理論 的 o思 弁的 な仕 事を 選ぼ うと いう 私 の本 来の 計画 を断 念 させ たの は何 より も戦 争と いう 事件 であ たっ 法︒ 学 を選 んだ のは 実︑ 的際 職業 の方 が私 の
職 責を より 良く 果 たし うる と信 じた らか あで たっ そ︒ れに も かか わ らず 法律 学 の中 にお いて も私 は哲 学
︲的な 諸問 題に 魅了 され て いた
︒ 私 法が 学 の実 際的 な側 面に 取り く んだ のは かな り後 にな てっ から で あ たっ
﹂︒ ヘン ゼ ルは
︑ 九一 八一 年 ベル リン はで じ めて 財政 的学 問題 に出 会 てっ いる 帝︒ 銀国 行 理事 会 が情 報局 で戦 時 公債 のた めに 協力 す るよ 要う 請し た ので るあ 情︒ 報局 で彼 自は 己の 研究 上 の義 務と とも に宣 伝活 動も 引き 受 てけ るい
︒ 一九 一九 年 五月 彼 はベ ルリ ン上 級地 方裁 判所 で司 試法 験 に優 秀 な成 績 で合 格し てい る︒ 九一 二〇 年 には ハイ ンリ ヒッ
・ト ーリ ペル
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●①oC の審 査し た学 位論 文
﹁連 邦国 家に おけ る国 家高 権と 財政 高権 で﹂ 法学 博 士︵∪
or o﹃ 甘﹃お
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●3 の学 位 を受 けて いる こ︒ の点 に つい て彼 は経 歴書 の申 で つぎ のよ うに 書い てい る︒
﹁主要 研 究領 域 とし て公 法を 選 んだ の は︑ トリ ーペ ル教 に授 よ てっ この 分野 に特 に強 い刺 激を 受 けた らか でも あり 帝︑ 銀国 行 での 仕事 によ てっ 財政 法上 の問 題 に長 い間 心関 が向 いて いた ため もで あ る0 私は うこ し 進た 路 を維 持し たい との 願 い のも にと 私 の学 位論 文 のテ ー マと して 国家 法 の 一領 域︑ 政財 法的 観 点に おけ る イラ とヒ 州 の関 係を 選ん だの であ たっ
﹂︒ 判事 補試 験に 合格 した 後 で 一九 二十 年 から 二 一年 の冬 にか けて ヘ ンゼ ルは ボ ン大 学助 手 とし のて 仕事 に つく 備準 をす るた めに マー ル ブ ルク の税 務署 で働 いて いる
︒ エリ クッ カo ウフ マン 教授
﹃い︵口 oF パ 饉ヽ日 いじ がボ ン大 学法 学部 手助 とし てく る こと そ︑ し て特 に 税 法 の教 育活 動 にお いて 補助 す るよ う勧 めて く れた
︒ ヘン ゼ ルが こ
ア ル ベ ル ト
・ヘ ン ゼ ル
︵パ ウ ル
・キ ル ヒ ホ フ o
︵訳
︶ 三 木 義
︶一
職の に つい た はの 九一 二 年一 四 月 あで る︒ 学 問 に 没 頭し よ う と い う 自 己 の決 心 を ヘン ゼ ルは つぎ のよ う に 説明 し て い る
﹁︒ 私 の先 生 方
︑ 特 に ト リ ー ペ ル︑ カ フウ マン
︑ プ
ォ ルフ
︵
﹃い甘 瓢 o蹴︻
︶ 教 授 に 法律 勉の 強 をは じ め た頃 に は考 え も し な か たっ 学 問 道の に進 よむ う 長 い間 励 ま し て い た だ い た︒ 私 の学 生 時 代 の
︲四年 間 が戦 争 に よら て 空 費 され 試︑ 験 準 備 も や や性 急 行に な たっ た め
︑ 大学 教 員資 格 を 得 ると いう 目標 が達 成 され ると し ても
︑ ずま 第 一に 理論 的 研 究 を深 め な け れ ば な らな い と信 じ いて た﹂
︒ 一九 二 二年 ヘン ゼ ルは ボ ンで の 教 授 資格 論 文
﹁連 邦 国 家 にお ける 財 政 調 整 及 び そ の 国 法的 意 義
﹂
︵り中い
●N ψc ぃ0中O F Pいいロ ロロ のの魚o
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︶ にお てい 自己 の学 位論 文 のテ ー マを 再 びと りあ げ︑ 国 の法 体系 の 一部 とし ての 公法 上 の団 体間 の財 政運 営上 の法 律
︲関係 にと りく ん でい る︒ ヘン ゼ ルが 形成 した
﹁財 政調 整﹂ 貪︵
︐ド●F 易
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﹁収 入高 権﹂ ヽ一日︵日 場ぎ ぎ じ
︑
﹁⁝ 客 体 高 権﹂
︵Og oド静 oす o︶中゛
はそ の間 に法 律用 語 確の た固 る構 成要 と素 な っ てい る︒ ヽ 九一 二三 年︑ 二八 歳 で ヘン ゼ ルは ボ ン大 学助 教授 にな てっ るい
︒ 一年 後 に彼 の主 署 であ る
﹃租税 法﹄ が出 版さ れて いる こ︒ の本 は後 イに メリ ア語 日と な課 ぽ肝 訳 され
︑ 一九 三二 年に は第 版二 出た 版 さ れ てい る︒ 九一 二六 年に はミ ンュ スタ ーの 公法 学会 でビ ーュ ラ ー
︵0け一
︐ 日喘 自口 oEじ とと も に
﹁公法 の概 念形 成 への 税法 の影 響﹂ いと う テー マに つい て報 告し てい る︒ 九一 二九 年に ヘン ゼ ルは ーケ ニッ スヒ ベ ノ ンク
︵属O 場t Rげ じ の