茨城大学教育学部教育研究所紀要第28号(1995)43 一 54
小学校及び養護学校の保護者の障害児・者理解に関する一考察
吉 岡 伸*。高 田 美佐子 * (1995年5月31日受理)
A Study on Attitudes of Parents of the Child With or Without
HaRdicaps Towards People With Handicaps
Shin YosHioKA and Misako TAKADA
(Received May 31, 1995)
1.目 的
1984年に始まった「国連・障害者の10年」も既に終わり,昨1994年からは新たに「アジア・太平 洋障害者の10年」が出発した。r国連・障害者の10年」の間に,障害者に対する社会の見方も随分と 改善され,昨今では,障害者問題は全ての人々に関わる問題として考えられるように変わってきた。
このことは,障害者と健常者が「共に生きていく」時代に向かって動いていることを示すものと考 えられる。
しかしながら,現時点においては大谷(1991)や荒川(1992)が指摘してるように,障害者に対する 蔑視や偏見,不平等というような差別状況が皆無になったとはいえない実状が見受けられる。その ような状況を生み出す障害者と健常者との間の人間関係の特徴は,「障害」の受け止め方によって影 響される。すなわち,二人の人間が,ともにある事柄について同様に感じたり,考えたり,判断し たりするとき,その二入の関係は親和的になり,そうでない場合には非親和的になるからである。し たがって,「障害」を,背負わない人と背負う人が同じように受け止めることができるならば,「共 に生きていく」ことは促進されることになると考えられる。
本研究では,小学校の保護者を健常者群として,そして養護学校の保護者(障害をもつわが子の代 弁者)を障害者群としてそれぞれ設定し,現時点における障害者と健常者それぞれの「障害」の捉え 方を探り,それらを比較検討することのよって,「共に生きていく」ことを促進するための方策につ いて考察することを目的とする。
2.方
去① 調査対象:茨城県内の小学校(2校:うち1校には情緒障害特殊学級設置)の普通学級在籍児童の保
* 茨城大学教育学部障害児教育講座(〒310水戸市文京2丁目1−1).
** ?城県立伊奈養護学校(〒300−23茨城県筑波郡伊奈町青古新田300).
護者375名(以下小学校群),及び精神薄弱養護学校(3校)の小・中学部在籍児童生徒の保護者262 名(以下養護学校群)。計637名。
② 調査方法:質問紙法によった。先行研究を参考に自作した質問紙は,選択回答方式の11項目(内 6項目は竹群に共通で,残りの5項目は異なる質問)と,自由記述方式の3項目(両群共通)から構 成された。質問紙の配布及び回収は,全て学校を通じて行った。
③ 調査期間:平成5年9月一11月。
3.結果と考察
質問紙の回収率は,小学校群87%(比率は小数第1位四捨五入。以下同。326部),養護学校群 73%(191部),全体では81%(517部)であった。なお,回答内容を点検の結果,有効回答は,小学校 群287部門77%),養護学校群187部(71%),全体で476部(75%)であった。
回答者の内訳については,小学校群287名では父親15%,母親84%,その他1%であり,養護学校 令187名では父親7%,母親86%,その他7%であった。従って,回答には母親の意見・態度がかなり 大きく影響していると見ることができる。なお,両群ともに,子供の祖父母又はその一方と同居し ている者が半数近くであった。
(1)地域社会と障害者の関係に対する意見
地域社会と障害者の関係に対する意見について知るために,質問事項として,項目1で「障害の程 度と生活場所」を提示した。ここでは,障害者にふさわしいと思われる生活の場を問い,どの程度 の障害をもつ者までが地域で受け入れられる傾向にあるかを知ることを試みた(回答選択肢:地域・入 所施設・どちらともいえない)。障害の程度を,介助の度合いにより3段階に分けた結果,両群共に 70%程度の者が障害の比較的軽い「日常生活の中で一部の介助が必要な人」については「地域」を 支持する一方で,「どちらともいえない」は20%台前半であった。しかし,障害が重くなるにつれ「地 域」が50%に減少しながらも,「どちらともいえない」との曖昧な見解を示す者が30%台前半へと増 え,最終的に障害の重いrB常生活の中で常に介助の必要な人」については「入所施設」を支持す る者が最も多くなっていた(小学校群66%,養護学校群55%)。ここで「どちらともいえない」は,小 学校群25%,養護学校群33%と差が生じた。
κ2検定の結果,全体的には小学校・養護学校群間において有意差はなかったが,残差分析の結果,
「常に介助の必要な人」の生活の場についての選択肢「入所施設」において,5%の危険率で有意差
が認められた(調整後の残差・・2.29,p<.05)。
このことより,近年障害者が地域で暮らしやすくなったといわれてはいるものの,それが実現可能 なのは障害の比較的軽度な者にすぎず,障害の重い者に関してはまだまだ地域での受け入れが難し い状況にあると考えられる。
次に,「障害者との関わり方」について,項目2で「自分の家の近くに障害をもった人が引っ越し て来たらjという場面設定のもと,身近なところに障害者がいたらどのように関わっていきたいか を調べた(回答選択肢は5)。
その結果,「必要があればそれなりに関わっていきたい」とする者が最も多く(養護学校群:46%,
小学校群:64%),以下「求められれば関わっていきたい」(養護学校群:33%,小学校群:25%),「自ら 進んで関わっていきたい」(養護学校群:20%,小学校群:7%)の順に少なくなり,残りが「できれば
吉岡・高田:小学校及び養護学校の保護者の障害児・者理解に関する一考察 45 関わりたくない(無答を含む)」(両誌面に4%未満)で最小であった。
X2検定の結果,両群口に有意差が認められた(X。2.25.90, df=4, p<.01)ので,さらに残差分析の 結果,「自ら進んで積極的に関わっていきたいjと「必要があればそれなりに関わっていきたい」の 2つの選択肢において,両乱酔に1%の危険率で有意差が認められた(順に,調整後の残差=4.30,
p<.Ol,調整後の残差=3.81, p<.01)。
ここから,障害者に関わりたくない者は両群共に僅少に留まるにすぎないが,一方で,関わるとし ている者の関わり方についてみると,養護学校群の方が小学校群に比べてより積極的な姿勢である ことが示されていると考えられる。ただし,ここには,両群共にF自ら進んで」という程積極的で はない姿勢の者が80%以上を占めていることから,「触れず一触れられず」いうような,現在の隣人 関係の一つの特徴(都会的隣人関係)が影響しているとも推察されるが,本調査結果からは明らかで
ない。
障害者と関わることを拒否しないが,障害者を地域に受け入れることについては,「障害者の障害 の程度一介護の必要状態」から相対的に軽度の方に傾斜するという結果は,障害者と健常者との関 係を見るとき,隣人関係の持ち方についての一般的傾向の影響も加味する必要性を示唆するのかも
しれない。今後の課題であろう。
(2)統合教育に対する意識
項目3は,障害児の教育の場としてどこを適切と考えるかであった。両群に共通して,障害児の教 育の場として適切だと思われる場所を「特殊教育諸学校」「小中学校の特殊学級」「小中学校の普通 学級」「どこがよいともいえない・わからない」の4選択肢の中から選択してもらった。
まず注目すべきなのは,養護学校群では55%という多数:が「特殊教育諸学校」を支持し,「小中学 校の特殊学級・普通学級」はともに7%と少なかったことである。それに対して小学校群は,「特殊教 育諸学校」を支持した者は26%にすぎず,「小中学校の普通学級」(18%)や「小中学校の特殊学級」
(13%)も比較的高い割合で支持している。これに対して,両群共に「どこがよいともいえない・わか らない」との見解を示す者が多かった(小学校群:43%,養護学校群:32%)ことも注目される。
κ2検定の結果,両説間に有意な差が認められた(X。2・・44.90,df絡, p<.01)。残差分析の結果,両 前間には「特殊教育諸学校」(調整後の残差x6.41, p<.Ol)と「普通学級」(調整後の残差=3.57, pぐ01)
では1%の危険率で,「特殊学級」(調整後の残差=2.17,p<.05)と「どちらともいえない」(調整後の 残差=2.51,p<.05)では5%の危険率で有意差が認められた。養護学校群が有意に多かったのは,「特 殊教育諸学校」の選択肢だけであった。
ここから,養護学校群は小学校群よりも「特殊教育諸学校」を相当に積極的に捉えているものと考 えられる。一方,小学校群の回答は「どちらともいえない」に半数近くが集中しており,残りは他 の3選択肢にやや拡散的である。このことから,本項目が日頃このような問題意識をもたない者にと
っては答えにくい質問であったとことが示唆される。同時にこの結果は,障害児の教育の場を一か 所に限定してしまうことの問題性を示唆するものとしても受け止めることができよう。
項目4では,障害児と健常児を共に学ばせること(統合教育,mainstreaming)の是非について福福 にその見解を尋ねた。回答には「たいへんよいと思う」「まあよいと思う」「あまりよくないと思う」
「かえってわるいと思う」「どちらともいえない・わからない」の5選択肢を用意した。その結果,ど ちらの群がらも,健常児にとって障害児が一緒に学ぶことを「まあよいと思う」(小学校群:43%,養 護学校群:26%),「たいへんよいと思う」(小学校群:24%,養護学校群:30%)とする肯定的な意見が多
く得られた。これに対し,養護学校群には,健常児にとって障害児が一緒に学ぶことを「あまりよ くないと思う」(養護学校群:9%,小学校群:5%),rかえってわるいと思う」(養護学校群:9%,小学 校群:0%)とする者もみられた。
κ2検定の結果,両撮記に有意差が認められた(X。2=35.40,df=4, p<.01)。残差分析の結果,「ま あよいと思う」と「かえってわるいと思う」の2選択肢において1%の危険率で有意差が認められた
(順に,調整後の残差=3.80,p<.01,調整後の残差m4.71, p<.01)。
このことは,障害児と関わることによって,健常児の側に肉体的負担,精神的負担あるいは学習面 での支障など,何らかのマイナス部分が生じる可能性に対する配慮を示唆するものとして注目され る。また,心隔共に「どちらともいえない・わからない」という者も多く(小学校群:29%,養護学校 群:27%),こ梱よ障害児と関わるのを「よいことだ」と思う反面,必ずしもそうばかりだとはいい きれない回答者の複雑な心境を表していると推測される。
項目5では,健常児と障害児が,同じ教室で一緒に遊んだり勉強したりすることに対する不安の有 無を,小学校群は健常児側,養護学校群は障害児側と,それぞれの立場から尋ねた。
まず小学校群は,自分の子どもを障害児と一緒にあそばせたり勉強させることに不安を「全く感じ ない(21%)」「多少感じる(60%)」「だいぶ感じる(2%)」と答えており,あまり不安を感じない方に大 きく傾斜している。これに対し養護学校群は,同様の質問に対し不安を「だいぶ感じる(62%)」「多 少感じる(30%)」「全く感じない(5%)」と答えており,不安を感じる方に大きく傾斜している。これ はある程度予想されていた反応でもあったため,引き続き上記の設問に「多少感じる」「だいぶ感じ る」と答えた養護学校群のみに,その不安の内容を問う質問をした(6選択肢で,2つまでの複数回答)。
対象となる回答者は174名(養護学校群の92%)おり,回答総数は320件であった。回答のうち最も 多かったものは「自分の子どもが先生やまわりの子どもたちに迷惑をかけているのではないか(98 件)⊥次いで「自分の子どもが,いじめられたりまわりの子どもたちのなかに溶け込めずにいるの ではないか(91件)」,そして第4位の「自分の子どもの存在が,先生やその他の父兄の方たちに迷惑 がられているのではないか(56件)」といった,子どもと他者とのf関わり」に対する不安が大きい ことがわかった。以上のグループには入らない第3位の回答は「自分の子どもは,能力を最大限に伸 ばす教育を受けているのだろうか(60件)」という不安で,ここにきてようやくわが子の教育に対す る不安があげられてくる。残りは「自分の子どもが事故にあったりケガをするのではないか(9件)」
と「その他(6件)」と僅少であった。
このような結果からみると,障害児を健常児の中に加える際には,教育的側面における配慮はもち ろん,それ以上に,うまくコミュニケーションがとれているか,仲間外れになっていないか等,子 ども同士の関わり方に関する諸要因に対する施策に留意する必要があるものと思われる。
項目6では,障害児の普通学級への受け入れに対する賛否を,具体的な障害児の5事例について両 群に各々の立場から回答してもらった。その結果,本項目で取り上げた障害児の事例についてはど の事例にあっても,全体的に普通学級へは受け入れられにくい傾向のあることが窺われた。
受け入れに対する賛成意見(小学校群は「受け入れてもよい」,養護学校群は「受け入れてほしい」
とする回答)が比較的多かったのは「努力はするがなかなか授業についていけない子ども(小学校群 62%,養護学校群47%,κ。2=10.39,dfm 1, p<.01)」であり,回答者の半数程度が賛成の意向を示し
たのは本事例のみであった。その他の子どもの受け入れに対する賛成意見は,「周りの人の手を借り なければならない子ども(小学校群55%,養護学校群27%,X。2=36.58, df=1, p<.01)」「みんなと一
吉岡・高田:小学校及び養護学校の保護者の障害児・者理解に関する一考察 47 緒に行動できない子ども(小学校群19%,養護学校群25%)」「静かに席についていられずしばしば授 業を中断させてしまう子ども(小学校群14%,養護学校群6%,X、2=7.67, df=1, p<.01)」の順に減 少した。そして賛成意見が最も少なかったのは「周囲の人を理由もなくひっかいたりたたいたりす
る子ども(小学校群9%,養護学校群3%,κ。2=6.52,df=1, p<.05)」であった。
ここで提示された障害児の具体的事例の受け入れについては,養護学校群は全体として慎重な傾向 にあるほか,「努力はするがついていけない子ども」以外の4事例については小学校群が有意差をも って受け入れに賛成してはいるものの,全体的には否定的な見解が多く認められ,なかでも,特に 他人を傷つけたりする子どもや,まわりの子どもたちの学習に支障を来す可能性のある子どもにつ いては,普通学級では受け入れられにくい状態にあることが示唆された。
(3)健常者と障害者との関わり
項目7では,障害者と健常者が日頃どのような関係にあるか,相互に相手をどのように受け止めて いるかなどをみるために両玄に別個に質問した。
まず小学校群の結果をみる(回答は4選択肢)。①障害をもった人に対し「必要以上に気を使った り,つい遠慮をしてしまうこと」があるかどうか尋ねたところ,「だいぶあると思う(28%)」「多少あ ると思う(66%)」「全くないと思う(3%)」「わからない(3%)」という回答分布になった。②次に,障 害者を「迷惑だと感じたり厄介だと思うこと」について,その有無を尋ねたところ,その結果は,「だ いぶあると思う(3%)」「多少あると思う(64%)」「全くないと思う(21%)」「わからない(12%)」という 回答分布になった。③さらに,障害者を「かわいそうだと同情したり,哀れみの目でみること」の 有無について尋ねたところ,回答は「全くないと思う(7%)」「多少あると思う(79%)」「だいぶあると 思う(11%)」「わからない(3%)」と分布した。3つの回答分布は,その全部において「多少あると思
う」が60・一709・であり,「遠慮してしまうこと」は「だいぶあると思う」方に,「厄介だと思うこと」
は「全くない」方にそれぞれ傾斜しており,「同情の目でみること」は「だいぶあると思う」「全く ないと思う」のいずれにも傾斜していない。
以上より,健常者としての小学校群は,障害者に対して,同情したり哀れんだり迷惑だと感じたり 厄介だと思うことはそれ程なく,それよりは相手に気を使ったり遠慮をしたりという態度をとりが ちであると考えられよう。換言すれば,健常者は,障害者に対して邪魔者生するというよりはむし ろ「関わりに対する不安や戸惑い」を感じており,それが態度として表現されているということに なろう。とはいえ,全体的にみると健常者の障害者に対する態度は好意的方向にに傾斜していると いえるのではあるまいか。
では,養護学校群ではどうであろうか(回答は4選択肢)。④回答者が普段「周囲の人の好奇の目 を感じること」があるかどうか尋ねたところ,「よくある(33%)」「時々ある(52%)」「ほとんどない
(12%)」「全くない(3%)」という回答分布になった。⑤次に,「周囲の人の思いやりの心や温かさを感 じること」について尋ねたところ,やはり「よくある(16%)」「時々ある(56%)」「ほとんどない(23%)」
「全くない(5%)」という,上述の④に類した分布となった。⑥次に「周囲の人に子どもが甘やかされ ているように感じること」があるかについて尋ねた。「よくある(11%)」「時々ある(37%)」「ほとんど ない(40%)」「全くない(12%)」という結果になった。⑦次に,周囲の人に対して「疎外感や溶け込み づらさを感じること」の有無について尋ねたが「よくある(23%)」「時々ある(48%)」「ほとんどない
(26%)」「全くない(3%)」という結果であった。⑧さらに,周囲に対し「つい遠慮をしてしまうこと」
の有無について尋ねると,「よくある(34%)」「時々ある(48%)j「ほとんどない(14%)」「全くない(4%)」
と分布した。
このことから,障害者としての養護学校群は,わが子が障害児であることによって,周囲の人のf思 いやりの心や温かさ」や「溶け込みづらさを感じさせない」などの好意的な態度を感じてはいるも のの,それ以上に非好意的な態度を感ずることが多いようであり,周囲の人の好奇の目を強く感じ,
周囲に対して遠慮をしてしまうなど,地域の人に対する関わり方が消極的になってしまう可能性が 示唆された。
両群の結果を総合すると,健常者と障害者との間には,相互に,気を使ったり遠慮をするなどの両 者の関係に距離を置かせるような問題点のあることが示唆されているといえよう。これらは,いわ ば両者の「関わり」における障害であり,互いに関わる機会が少ないために生ずるのではないかと 考えられるが,相互に一歩踏みだすことによって事態に変化が生じるかもしれない。ただし,健常 者は障害者を「同情や哀れみの目」で見ることも皆無ではないし,逆に障害者が健常者に対して「同 情や哀れみの目」を「好奇の目」として受け止めてしまうことなどから,両群とも「障害」そのも のを否定的に捉える傾向が窺われることには留意すべきであろう。
項目8では,障害をもった人と関わる場面を具体的に設定し,その状況に自分が置かれたときにど のように振る舞うかをみることによって,障害者に対する態度を捉えようと試みた。
まず,駅で障害をもった人が困っているのに気づいたときの行動については,「手を貸したいと思 う」「手を貸したいと思わない」「わからない」の3つの選択肢に対し,「手を貸したい」が両三とも 97%(「わからない」両三0%)であった。しかし,実際に手を貸すかどうか尋ねたところ「貸す」は 小学校群で59%,養護学校群では66%であった。それに対し,「わからない」が小学校群で37%,養 護学校群でも32%であった(回答の残りは「貸さない」)。その理由を,用意した10個の選択肢によ って回答してもらった結果(該当するもの全部回答で,小学校群118人からの238件,養護学校群64 人からの108件)の上位3つは,「どうやって声をかけたらよいのかわからないので(小学校群:64%,
養護学校群:37%)」「相手は助けが不要かもしれないので(小学校群:53%,養護学校群:56%)」「手を 貸すことが相手の自尊心を傷つけるかもしれないので(小学校群:46%,養護学校群:41%)」「手を貸 すことが相手のためによくないと思うので(小学校群:7%,養護学校群:16%)」であった。その他の 回答としては,障害者と関わることで「周囲から変な目で見られるかもしれないので(小学校群:16%,
養護学校群:8%)」「めんどうくさいので(両群とも1%台)jr自分とは関係のないことなので(両群と も1%台)」というように,消極的,あるいは無関心さを示す回答は僅少に留まった。
両群共に(保護者であるためであろうが)類似の傾向であるが,ここでも障害者と接するときに健 常者側に「戸惑い」や「控えめの対応」という傾向の働く可能性が,小学校群でより大きく示唆さ れたのに対し,養護学校群では,障害者に「手を貸す」という行為が本人にとって必ずしも常にプ ラスには結びつかないと考えていることが窺えた。
全体として,健常者は,障害者を邪魔者視することはないが,おそらくは相手を認知しきれないこ とから生ずるのであろうが,関係の持ち方が分からずに戸惑いを感じているのに対し,障害者はそ こに健常者の非好意的態度を感じ取り,周囲に遠慮しがちになるという傾向のあることが示唆され ているといえよう。
(4)その他の意識
項目9では,現在自分の住んでいる地域が障害者にとって住みやすいところであると思うかどうか について尋ねた(5選択肢)。両群の間には,X2検定により1%水準で有意差が認められた(X。2=40.84,
吉岡・高田:小学校及び養護学校の保護者の障害児。者理解に関する一考察 49
df=1, p<.Ol)。「大変住みやすい(養護学校群9%,小学校群1%,調整後の残差=4.54, p<.Ol)」「まあ 住みやすい(養護学校群37%,小学校群23%,調整後の残差・・3.23,p<.01)」は養護学校群で有意に 多く,「住みにくい(小学校群37.5%,養護学校群18.7%,調整後の残差=4.36,p<.01)」は小学校群 で有意に多かった。「やや住みにくい」は養護学校群14%,小学校群15%で,残りは「どちらともい えない」であった。養護学校群が小学校群よりも,現在の居住地域を障害者にとってより「住みや すい」場所と考えていることが示された。一方,養護学校群においても「住みにくいjrやや住みに くい」と考えている者が30%程度いることは,見過ごせない点であろう。それは,小学校群の住み にくいであろうという判断と併せて,障害者の地域での暮らしを今後より向上させる必要性を示唆 すると考えられるからである。
項目10では,近年重度障害をもつ障害者本人や家族,あるいはその関係者から「たとえ障害が重 くてもできるだけ地域の中で生活し(させ)たい」という考えが出されるようになった。そこで両群 に,この「障害の重い人も施設ではなく地域で生活を」という考えに対する賛否を求めた(5選択肢
)。その結果は,回答分布はほとんど類似しており,両二二に賛成する者が50%程度で多数であった。
しかしながら,この回答は,最初の項目で得られた「障害の重い人は地域の中で生活するよりも施 設で生活した方がよい」という結果とは矛盾することになるが,それは,ここでの回答は理念レベ ル(建前)から,項目1での回答は現実レベル(本音)からの,各回答と考えられであろう。反面,こ
こでも「どちらともいえない・わからない1が養護学校群で24%,小学校群で33%あった。これは,
回答者の複雑な心境を反映したものだといえるのではないであろうか。
項目11は,障害をもった人が地域で安定した暮らしをしていくために重要だと思われる内容を,8 選択肢の中から2つを限度に選択してもらった。回答についてκ2検定の結果は,1%の危険率で有 意差が認められた(X。2=46.38,df=7, p<.01)。まず,両群ともに多数から選択されたのが「障害者 に対する社会全体の相互援助,思いやりなどの意識の向上(小学校群第1位,47%,養護学校群第2 位,46%)」であったが,ここから健常者と障害者の区別なく,経済的な安定以上に精神的な部分で の安定が真に望まれている様子が窺われる。ただし,養護学校群の第1位は「障害者が利用したり生 活したりする社会福祉施設の整備・拡充jの51%で,小学校群より有意に多かった(小学校群では第 4位,33%,調整後の残差=3.44,p<.Ol)。障害者本人の社会へ出ていく機会の増加に伴って,また増 大させるためにも,障害者が利用したり生活したりする社会福祉施設の必要性が指摘されているも のと考えられる。一方,小学校群の第2位は「障害者のための乗り物や道路,建物などの施設改善」
の37%であったが,養護学校群の選択は第6位で11%であり,小学校群が有意に多かった(調整後の 残差=5.76,p<.01)。これは養護学校群が「障害者」という言葉に「精神遅滞」を当てはめたのに対
し,小学校群は「肢体不自由」や「盲」「聾」の障害を念頭にして質問に回答したためと考えられる。
つまり,イメージされた「障害者」の相異がもたらした結果であろう。魚群ともに第3位は「障害者 の雇用の促進や働く場所の確保(小学校群35%,養護学校群44%)」であり,「ホームヘルパーの派遣 など生活の援助」は共に第5位であったが,小学校群の23%に対し養護学校群は17%の,そして「年 金などの所得保障の充実」は小学校群では第6位の%に対し養護学校群では第4位の18%であった。
残りの「その他」と「特になし」は僅少であった(合計で小学校群4%,養護学校群3%)。
おそらくは,見知らぬ土地へ行っても安心して障害者が生活できる物心両面にわたる条件整備を進 めることによって,建前と本音の距離も縮小されよう。
(5)わが子について
以下の3項目は自由記述による回答項目である。紙数の都合上,回答内容について概述する。
項目12は,回答者が認知しているわが子の長所を答えてもらった。両群に共通して,わが子の長 所として多くの者が指摘したのが「明るいところ・明朗・元気がよい」であり,他のこれに並ぶ回答 としては,「素直・優しい・思いやりがある」などをあげることができる。いずれにしても,子どもの 性格に関することが中心であった。
ただし,「だれとでもすぐ仲良くなれる」ことをあげる者も複数いたが,具体的には,小学校群は
「自分から友達の中へ入っていける・みんなと分け隔てなくつきあうことができる」といった内容な のに対し,養護学校群は「人なつこい・人見知りしない」などの内容が目立ち,同じ「だれとでもす ぐ仲良くなれる」でも,その意味は両二間でいくらか異なるように感じられた。ここで,養護学校 群のみに比較的多くみられた回答をみると,「手伝いをよくしてくれるjr言うことをきいてくれる」
「すぐ何でもやってくれる」などであり,「素直さ」「純粋さ」という点を高く評価しているように思 われた。一方の小学校群のみに多くみられた回答は少なく,そのほとんどが養護学校群と共通する ものであった。ただし,僅少例だが,「家族に障害者がいるので,自然に障害者に対する優しさが備 わった」と,障害者と触れ合うことの意義についても触れた回答があった。
本項目においては,わが子のよいと思われる部分を尋ねたが,養護学校群と小学校群の回答の間に 明確な考えの違いは得られなかった。それどころか,子どものよい部分をしっかりと見つめている という点では,障害児の親も健常児の親も変わりはないということが示されたといえよう。
項目13では,回答者が認知しているわが子の問題点を答えてもらった。ここでは,多様な回答が 得られたが,両群に特有の回答がいくつかみられた。
まず,養護学校群の意見で目にとまったのは,子どもの「障害」,あるいはそれによってもたらさ れる問題行動等に触れている回答であった。それらを大まかに分類すると,「言葉の発達の遅れに関 する問題」f身辺処理の不十分さに関する問題」そして,種々の障害によって引き起こされる「こだ わり・パニック・多動などの問題行動に関する問題」の3つに分類することができよう。その他とし て,「性器いじり」「卒業後の対策」などもあった。一方,小学校群において注目すべきなのは,わ が子の問題点を「別にない・特にない・思い当たらない」と答えた者が非常に多かった(養護学校群 では僅少)ことであろう。それ以外で多かったのは「自主性,積極性に欠ける・消極的すぎる。内向 的である」など,性格的な弱さを指摘する意見が多かった。ところで,長所を問う前山において「他 入の気持ちを尊重できる」ことを長所としてあげている者の多かった反面,同様の内容を「欲がな い・前に出ようとする気持ちが足りない」といった言葉で,短所としてあげている者のいることが分 かった。なお,現代っ子独特の「ファミコンに夢中で戸外での遊び時間が少ない」「テレビを見る時 間が長い」「家の近くに遊び場所がない」などの意見は僅少であった。
晶群における子どもの問題点を比較したとき,そこに顕著な相異を見いだすことができる。それは 養護学校群において,わが子の障害が原因となって引き起こされる問題が多くあげられたことであ る。また,その多くが家族や周囲の者にさまざまな形で影響を及ぼしていると考えられ,どの家族 にとってもかなり深刻な問題となっていることが予想される。両三共にそれぞれ問題を感じてはい るものの,問題の深刻さにおいては養護学校群の方がはるかに高そうである。
項目14では,回答者が期待するわが子の将来像を答えてもらった。この項目にも,各群特有の回 答の傾向が窺われた。
吉岡・高田:小学校及び養護学校の保護者の障害児・者理解に関する一考察 51
養護学校群において最も多かったのは,わが子の「自立」を望む声であった。ここでの「自立」は,
大きく「身辺自立」と「社会的自立」の2種類に分類することができる。「身辺自立」に関しては,排 泄や食事が当然の項目となるが,そこには「両親がいなくなったとき,どこでだれに世話になるか わからない」という将来に対する不安を抱えている者が少なくないことが分かった。次の「社会的 自立」に関しては,「ひとりで生活できるようになってほしい」「健常者の中でも通用するようにな ってほしい」など,地域の中で生き,社会参加してほしいという願いが多くみられた。ここでは,「身 辺自立」を可能にする要因として「仕事」につく願いをあげている者の多かったことが注目される。
「仕事」についての内容は具体的でなく,大抵は「本人にあった仕事を見つけることができたらそれ でよい」「この子なりに社会人として仕事についてほしい」「生きていく張り合いになるものを見つ けることができたら」というものであった。仕事先としては「作業所」に代表される「通所施設」を 希望する者が最も多く,このことから,回答者が「仕事」に対して,単に収入だけではなく,そこ
に,むしろ生活の安定や充実を求めていることが顕著にみられる。その他,「他人に迷惑をかけない でいてほしい」「人に頼らずにやっていけるようになってほしい」「健常者のなかにどんどん入って いってほしい」「地域に溶け込んで一緒に何かできるようになってほしい」などの回答がみられ,子 どもの障害に応じて求めるものは異なるものの,そこからは「周囲との関係」を大切にしてほしい という気持ちが共通してよみ取れた。その一一方で,「周囲の人の理解をもっと向上させてほしい」「地 域の人に本人のことをもっとよく知ってもらい,溶け込んで生活することが理想」「障害を細かく分 類し,それぞれのケースにあった援助を」などの「社会一般」を対象とする回答がみられた。
ところが,これと対称的に,小学校群には取り立てて目につく回答も見当たらず,ほとんが「心身 ともに強くたくましく・明るく・元気に・協調性をもって・心を広く・のびのびと」などで,養護学校 群と共通の回答であった。そのような中での小学校群の申心的な意見は,「優しい人間になってほし い」「思いやりのある人間になってほしい」というもので,相手の立場に立ってものごとを考えたり,
人の痛みをわかることができる「優しさ」や「思いやり」を備えてほしいと願うのに平行して,「リー ダーシップをとれるようになってほしい」「まわりに流されずに自分の思ったことができるように」
など,「積極性」「自主性」を求めるものであった。
ここで注目したいのは,養護学校群より得られた回答は,小学校群においては既に達成されている ものである可能性が高いことである。すなわち,養護学校群は,わが子の将来に,障害をもたない 者ならごく普通にできるであろうことを望んでいるにすぎないのである。このことは,小学校群か らはいくらか抽象的な願望が寄せられたのに対し,養護学校群からは実生活に即した具体的,かつ 基本的な願望が寄せられたことからも推測できる。いずれにせよ,保護者それぞれが子どもの将来
に望むことは異なっていても,それが,今現実に目の前にいるわが子の,そのときの実態に即した 願いであることは間違いないであろう。
4.ま と め
本研究の結果より,健常者の障害者に対する態度については,仮にそれが意識のレベルに限定され るとしても,現時点でかなり好意的であることが窺われた。しかしながら,それと同時に,健常者 と障害者とが真の意味で「ともに生きていく」段階に至るには,まだ多くの課題が残されているこ とも指摘されるであろう。
周知のように,健常者が障害児・者を見るとき,そこには対象に対する偏見や差別感が作用するこ と,そしてそれ故に障害児・者への対応が冷たいとか,思いやりに乏しいとか,無視しているなどと 障害児・者から受け止められるような行動レベルの問題を生じさせるといわれてきており,併せてそ の原因については,特に健常者と障害者の接触の機会の乏しさが障害者に対する理解を阻害すると も指摘されて久しい。このような点について上述の結果は,確かに健常者が障害者に対して抱いて いる偏見や差別感は皆無とはいえないが,健常者の行動は,それよりはむしろ障害者との「関わり に対する不安や戸惑い」の結果として,障害者に対して消極的になっているのではないかというこ とである。たとえば,小学校群の障害者に対する態度は基本的には比較的好意的であるものの,養 護学校群の障害者に対する態度と比べると,なお消極的であることが示された。つまり,健常者の 障害者と関わる際の「不安や戸惑い」「躊躇」する傾向が,障害者に対する態度を消極的にしている のだとは考えられないだろうか。事実,小学校群の多くは,相手が障害者であるために「必要以上 に気を使ったり,つい遠慮をしてしまうこと」などがあるだろうと回答している。
しかし,実際に関わろうとするとき,相手に気を使うのは健常者側に限ったことではない。それは 障害者の側についても全く同様で,彼らは,周囲の人の「好奇の目」を感じたり,相手に対して「疎 外感や溶け込みづらさ」を覚え,「つい遠慮をしてしまう」と答えている。つまり,障害者と健常者 とがうまく関われないのは,健常者側と障害者側が相互にに「関わり」における「障害」を築いて しまっているということになろう。
この「関わりjにおける「障害」の一因として考えられるのが,日頃からの,両者の関わる機会の 乏しさであろう。本研究の結果を総合すると,健常者と障害者双方の関わる機会が少なく,互いに
「障害の存在」を意識しすぎてしまうことが,結果的に両者がうまく関われない状況を引き起こして いるのではないかと考えられる。加えて,「触れず一触れられず」というような昨今の都会的な隣人 関係のあり方が,それを補強するように機能しているのかもしれない。
従って,このような関係を改善していくためには,可能な限り具体的で行動的に,今後両者の関わ る機会をさらに増やし,健常者の「障割を「特別なもの」として捉える意識をなくしていくこと が重要だと思われる。と同時に,障害者に対しても,積極的に健常者に関わっていこうとする姿勢 と,そのための意識を啓発していくことが不可欠である。言い換えれば,お互いが消極的にならず に,積極的に努力し,相互に相手に向かって一歩踏みだすことではあるまいか。そして,それを進 めるための具体的で効率的な方法についての検討は,今後の課題の一つになるであろう。
ただし,本研究で「障害者」としたのは,障害を持つ子どもの保護者であって,障害者本人ではな い。従って,今回の結果が,障害者本人を調査対象としたときと同一であるかについては保証はな い。しかしながら,障害をもつ子どもを養育している親であるということは,すなわち子どもの代 弁者でもあることなので,結果は相当程度重なるであろうと推察した。その当否の確認も今後の課 題の一つである。
最後に,mainstreamingについての養護学校群,すなわち保護者の意識について触れておこう。わ が子に適した教育の場として養護学校群は過半数が特殊教育諸学校を選択していながら,健常児と 共に学ぶことについてはよいとする者が過半数に達している。これでは矛盾である。しかしながら,
健常児と共に学ばせるときの不安として,先生や周囲の友人に負担になるのではないか,いじめら れないかなどのわが子と他者との関わりに関するものが上位であったところかみると,そしてそれ らの下位にわが子が適切な教育が受けられるかという不安が位置するところがらすると,本音は
吉岡・高田:小学校及び養護学校の保護者の障害児・者理解に関する一考察 53
mainstreamingにあるが,現実的には養護学校を選択するしかないということのように考えれ,そう 考えると矛盾ではなくなるように思われる。教育の場の選択については揺れ動いている保護者の心
も,わが子の将来像についてはかなり具体的なイメージを持っていることが分かった。それは「自 立するわが子」と言えるであろう。それをよりょく実現するためには,保護者は教師と共にわが子 の教育に当たらねばならないであろう。保護者にしてみれば障害をもつ子どもの養育は大抵初体験 であろう。従って,悩んだり迷ったりすることも当然といえよう。しかし,子どもの成長は待った なしである。1日も早く,わが子のために最適な方向を見定めてほしいものである。
他方,小学校群はわが子が障害児と触れ合ったり,一緒に学んだりするのはよいことであると考え ており,そうすることに大して不安を感じていない。しかし,障害児の適切な教育の場については 意見が分かれ,どことも言えないでいる者も多くなる。これが障害児の具体例が提示されると,周 囲の手を借りるだけという程度の子は普通学級に受け入れるが,授業を中断させるとか,周囲に危 害を及ぼしかねない子となると受け入れるわけにはいかないと考えている。健常児も成長する存在 であることからすると当面は妥当な考え方といえようが,障害児にとってより適切で柔軟な考え方 に移行してもらうための具体的方策の検討も,今後の課題の一つであろう。
文 献
荒川哲郎.1992.「「障害」者差別をもたらす教育の「場」の分離」『三重大教育実践研究指導センター紀 要』12,11−18.
大谷尚子.1991.「障害者と健常者が「共に生きる」ことに関する研究」r茨城大学教育学部紀要』40,
51一 66.
付 記
小学校群を,(子どもの)祖父母,又はそのどちらか一方と同居している者と,別居している者とに 分け,それぞれを同居群と別居群とし,両群間の傾向について検討を試みた。その結果を,以下に 略述する。
(1>別居群が,同居群よりも有意に多かった事項
① 項目1において「日常生活のなかで,常に介助が必要な人」の生活の場所を「地域」と考えて いる者。
②項目3において,障害をもった子どもは「普通学級」で学ぶのがよいとする者。
③項目7において,障害者に対して「かわいそうだと同情したり,哀れみの目でみること」が「全 くない」者。
④項目9において,今自分が住んでいる地域を,障害者にとって「住みにくい」とする者。
⑤項目10において「障害の思い人も,施設でなく地域で生活を」との考えを「全くそう思う」と 考えている者。
② (1>と逆に,同居群が,別居群よりも有意に多かった事項。
⑥項目3において,障害をもった子どもは「特殊教育諸学校」で学ぶのがよいとする者。
⑦項目9において,今自分が住んでいる地域を,障害者にとって「まあ住みやすい」と考えてい
る者。
⑧ 項目10において「障害の思い人も,施設でなく地域で生活を」との考えを「あまりそう思わ ない」と考えている者。
全体的には,別居群の方が,同居群よりも障害者に対して好意的のようにみえるので,そうだとす ると,お年寄りや障害者と共に生活することが,必ずしも彼らに対する考え方や態度を好意的に変 えるとは言いがたいことになる。ただし,養護学校群との類似の傾向はあまりみられない。
しかしながら,好意的であるから相手をよく理解しているかというと必ずしもそうではない。同居 群の傾向は養護学校群に類似して,お年寄りや障害者と関わることの実態をよく反映しているよう である。つまり,障害児をもつ者と,お年寄りと同居している者との間には,[障害」の捉え方や障 害者に対する見解に,なんらかの共通性のある可能性が窺われるといえよう。もしそれが確かであ るならば,健常者が障害をもった人とどのように関わっていくのか,そのあり方を考えるうえで重 要な手がかりの一つとなるかもしれない。