フランツ・キースリングについて一一﹃人文コミュニケーション学科論集﹄十一号︑一一-四二頁 オーストリアの詩人フランツ・キースリング︵一九一八
―
七九︶の名は︑現在では知る人も少ないだろう︒第二次世界大戦後︑一躍脚光を浴びたものの︑その後まもなく︑ほぼ完全に忘れさられた︒その絶賛と忘却の落差の度合いは︑ほとんど類例をみないとまでいわれている ︵ないようだ ︵ は別として︑近年のものでキースリングを採りあげている事例は少 ︒文学事典のたぐいを見まわしても︑かなり古いもの 1︶
かどうか︑そのあたりはもちろん︑なんとも心もとないが ︵ みようと思う︒忘却の淵から多少なりとも引き上げることができる ︒以下︑この場を借りて彼の作品をいくつか紹介して 2︶
︒ 3︶
*
フランツ・キースリングは一九一八年一月十日︑ツナイムに生まれた︒ウィーンから北北西へ直線距離にして七五キロ︒﹁ツナイム﹂︵
Znaim
︶はドイツ語読みで︑現在はチェコ領ズノイモ︵Znojmo
︶︒南モラヴィア州の南端︑オーストリアとの国境に近い町である︒父フランツ・フェルディナント・キースリング︵一八九二―
一九三〇︶は鉄道員︒車掌として勤務していた︒母レオポルディーネ︵一 八九四―
一九六六︶の実家グートヴィリンガー家は︑ツナイムでは名家として知られていたという︒キースリングは第一子︑長男で︑父の名をもらい︑フランツ・ヨーハン・オットーと名づけられた︒一九二三年には妹フリーデリケ・ヴェロニカがウィーンで生まれている︒鉄道員という職業柄︑父親は転勤が多く︑そのため幼いキースリングは︑ツナイムとウィーンのあいだを行ったり来たりしたという︒ただし︑その正確な時期は伝えられていない︒第一次世界大戦前︑ツナイムでは住民の大多数︑八割以上をドイツ人が占めていたが︑大戦後一九二一年の統計によると︑町の総人口二万一千余りのうち︑ドイツ人の占める割合は三八パーセントにまで落ち込んでいる ︵だ︒そして︑その後ふたたびウィーンに戻り︑第二〇区ブリギッテ れ︑同地の小学校に通うことになる︒父親が配置換えになったの したキースリングは︑第二学年のとき︑またツナイムに引きもどさ けれども︑ウィーン第二区レオポルトシュタットの小学校に入学 いったん去り︑かつての帝都に移り住んだ︒ 遅くとも一九二三年までには︑チェコ人の町となったツナイムを ︒時代のこうした大きな流れのなかで︑一家は戦後まもなく︑ 4︶
フランツ ・ キ�スリングについて
小 泉 淳 二
© 2011 茨城大学人文学部(人文学部紀要)
小泉 淳二一二 ナウの小学校に転入する︒一九二八年にツナイムで撮影された学童たちの集合写真に︑幼いキースリングの顔が見えるので︑一家が最終的にウィーンに腰を落ちつけたのは︑同年以降のことであったろうと考えられる︒幼少期のこのような引っ越しと転校は︑キースリングの心に暗い影を投げかけたにちがいない︒ふるさとの喪失︑友だちとの別れ︒これだけでも十分に大きな心の痛手だが︑キースリングの場合は︑いったん失われた生まれ故郷を︑もう一度あてがわれ︑さらにそのあとまた奪い取られている︒のちに詩人になるような︑病気がちで感受性の強い子どもにとって︑これはむごい仕打ちではなかろうか︒そして父親の早世もまた︑大きな打撃であったにちがいない︒死因については伝えられていないが︑一九三〇年の夏︑父フランツ・フェルディナントが亡くなったとき︑少年は十二歳だった︒稼ぎ手を失った一家の生活は苦しいものとなり︑やがてキースリング自身も結核をわずらう︒ただし︑そのおかげで彼は兵役を免除され︑戦場へは送りこまれずにすんだ︒ブリギッテナウの本課程学校︑実科ギムナジウムに学んだのち︑キースリングは十八歳で財務官吏となる ︵
昼のあいだは役所で働き︑夜は詩作にいそしむ︒こうした日々を い健康状態がそれを許さなかっただろう︒ かった︒もし仮にあったとしても︑家庭の経済事情と︑おぼつかな だったころから詩を書いていたが︑筆一本で身を立てるつもりはな ︒すでに実科学校の生徒 5︶ みよう︒ ロッパ出版社から刊行される︒まずは︑そのなかから一篇を引いて
“ ” Das ungefragte Herz
れない心﹄︵一九四八︶が︑ウィーンのヨー ト・シュティフター賞を受賞︒五年後には︑処女詩集﹃見向きもさ 年︑二十二歳のときであったという︒一九四三年にはアーダルベル すごすキースリングが︑詩人として注目されはじめたのは一九四〇木
大地はぼくをしっかりとらえて放さないにもかかわらず情熱がぼくを駆りたてるかろやかな旅なんかぼくの足は知らないわかっているのはただひとつ︑伸びなくちゃ︑ということだけ春はふんわりした緑の服を着せかけてくれ秋の風がそれを脱がせてくれる季節の衣装︑ぼくはそれを季節にゆだねる
―
つかめるものなら︑つかんでごらん!大声で騒いでも︑ちっぽけな場合が少なくないだから︑ぼくは黙ってうんと大きくなるなんといっても落ちつきが肝心つまりそれは︑いつでも用意万端ということ
フランツ・キースリングについて一三 ぼくを切り倒す木こりなんか自分の運命など考えようともしないけどいつかはぼくの木のなかに納まってしまうでもぼくは︑ぼくはまた木になるのさ!
DER B A UM
Die Erde hält mich streng in Haft,
und dennoch treibt mich Leidenschaft.
Nicht leichten W andel k ennt mein Fuß:
ich weiß nur , daß ich w achsen muß.
Das Frühjahr schenkt mir grünen Flaus,
der Herbstwind zieht mich wieder aus.
Das Kleid der Zeit, ich lasse es
der Zeit. ― W er kann, der f asse es!
W as laut ist, zeigt sich oft so klein:
ich will im Schweigen größer sein.
Ich preise die Gelassenheit,
das heißt zuletzt: ich bin bereit.
Der Knecht, der mich zu Boden streckt,
wird einst in meinem Holz v ersteckt. Er w agt sein Los zu denk en kaum.
Ich aber werde wieder Baum!
︵Lob einer Stunde. S. 131
︶ 拙い日本語訳はともかくとして︑原詩を参照すれば︑厳格な形式が固く順守されていることは一目瞭然だろう︒八行二連︒全行八音 おん綴 てつ︒弱音綴ではじまるヤンブス︵イアンボス︑弱強格︶で︑弱
―
強︑弱―
強と続く各行の末尾はいずれも強音綴︑いわゆる男性的行末となっていて力強い︒ぐんぐん伸びていく樹木の旺盛な生長力が︑読者に体感としてはっきり伝わってくる︒脚韻は連続する二行をそろえる並列韻︵aa bb , c cd d
︶で︑その整合性︑つまり文芸用語でいう﹁純粋さ﹂は完璧といっていいだろう︒実際キースリングの作品で評価されたのは︑まず第一にこうした形式上の完璧さであったという︒そして読者の心の奥底にまで到達する︑素朴な一語一語の抒情性もまた︑当初はおおいに絶賛された︒処女詩集からもう一篇引くことにしよう︒最後のバラ
霧につつまれ︑ひんやりした庭園たそがれが早く訪れるころ
小泉 淳二一四
すべてが厳粛に色あせていくなかで最後のバラが花を咲かせた
とても︑もつまい︑おまえは思うもうアスターの花の季節なのだ時期遅れもはなはだしいそう︑まもなく運に見放され色あせた︑まだ香ばしい葉もやがて散らしてしまうにちがいない
この花のいのちをつなぎとめる手だてなど朽ちていくこの庭園にあるだろうか⁝⁝そう思ったとたん︑胸を突かれて立ちつくすおまえもまた︑時期遅れなのではないかこの世という広い庭園のなかで
夏はたくさんのバラを贈ってくれたおまえの目は狂っていて節穴だった見込みのない最後の一輪によってようやくそれらがどんなに美しかったか︑おまえにもよくわかる
DIE LETZTE R OSE
Im Garten, in der Nebelnässe,
w o sich die Dämmerung v erfrüht,
da ist in feierlicher Blässe
die letzte Rose aufgeblüht.
Du weißt: sie kann sich nicht erhalten.
W enn sich die Astern schon entf alten,
ist die V erspätung viel zu groß.
Und bald, weil selber losgelassen vom Schicksal, läßt auch sie die blassen
duftenden Blätter wieder los.
W as kann ihr noch zum Leben frommen
in diesem Garten, der v erfällt? ...
Und plötzlich stehst du selbst beklommen,
als w ärst auch du zu spät gek ommen,
im großen Garten dieser W elt.
Der Sommer schenkte viele Rosen,
dein Schauen w ar v erwirrt und blind.
Erst v on der letzten, hof fnungslosen,
フランツ・キースリングについて一五
be greifst du g anz, wie schön sie sind.
︵Lob einer Stunde. S. 101
︶各行八ないし九音綴からなり︑第一連︑第四連に見られるように︑九
―
八︑九―
八という並びが基調になっている︒六行からなる第二連では︑九―
九―
八︑九―
九―
八︒第三連は一行足りず五行しかないが︑九―
八ないし九―
九―
八のリズムは堅持されている︒脚韻は奇数行と偶数行の末尾がそろう︑いわゆる交差韻︵abab,
cdcd
︶を形成し︑第二連ではそれがaabccb
つまり付加尾韻︵シュヴァイフライム︶に変奏される︒そして︑行足らずの第三連は︑若干の乱れが認められはするものの︑後述するように︑それにはそれなりの必然性があるのだろう︑abaab
といった具合に最終第四連の交差韻に無理なくつながるよう︑そつなくまとめられている︒キースリングが形式を非常に重んじる厳格な詩人であることは︑右の二篇からだけでも︑ある程度理解してもらえるのではないだろうか︒彼の処女詩集はゲーテをはじめ︑レーナウ︑メーリケといった十九世紀の巨匠たち︑あるいはカロッサ︑ヴァインヘーバーらの衣鉢を継ぐものとして称えられた︒さらに二篇︑﹃見向きもされない心﹄から抜き出してみよう︒一見したところ単純な︑しかしそれだけに重い一語一語を積み重ねていく彼の抒情詩は︑その形式美と精神性が高く評価され︑いわばドイツ詩の王道を歩む詩人の作品であると称賛されたのである︒ 雨のなかのことば雨がしとしと降るたびにぬれたマロニエの木がかすかな音をたてぼくはまた︑子どものときとおなじようにふしぎな気もちで耳をかたむける
雨がしとしと降るたびに沈んでしまった遠い日々が夢にあらわれはてしない嘆きの涙が風に吹かれて窓を打つ
雨がしとしと降るたびにぼくは心の底からつくづく思うぼくらは異邦人で孤独なのだそして人生も雨とおなじように刻一刻したたるように流れるのだ
W OR TE IM REGEN
W enn der Re gen rinnt,
feucht die Kastanien rauschen,
小泉 淳二一六
weiß ich wieder , wie als Kind,
seltsam zu lauschen.
W enn der Re gen rinnt,
träum ich die v ersunk ene Tage,
T ränen unendlicher Klage
pochen ans Fenster im W ind.
W enn der Re gen rinnt,
weiß ich aus innerstem Grunde,
daß wir fremd und einsam sind
und das Leben wie der Re gen rinnt,
Stunde um Stunde.
︵Lob einer Stunde. S. 102
︶もしかしたら
もしかしたら︑ぼくの悩みはすべてこの世でいかなる重さももたずいっときの悪い夢にひとしいのかも
もしかしたら︑やつれはてたこのぼくは とっくに神の目にとまっていてすでに選ばれた者であるのかも
もしかしたら︑とうの昔にこのぼくは裁きの庭に引きだされ容赦なき没落を言いわたされているのかも
もしかしたら︑今ぼくの顔に影を投げかけているのは雲なのかそしてその雲がつくりだす雨がぼくの詩ということなのか
BESINNUNG A UF D AS UNGEWISSE
V ielleicht hat all mein K ummer
auf Erden k ein Ge wicht,
gleich einem bösen Schlummer .
V ielleicht bin ich Zerquälter
schon längst in Gottes Sicht
und bin sein Auserw ählter .
フランツ・キースリングについて一七
V ielleicht bin ich schon lange verf allen dem Gericht,
gnadlosem Unter gange.
V ielleicht ist, w as da schattet
auf meinem Ingesicht
die W olk e, die erstattet
den Re gen: mein Gedicht.
︵Lob einer Stunde. S. 55 f.
︶ しかし没後三〇年をすぎた今︑キースリングの初期作品を読み返すと︑逆にその没時代性が気にかかりはしないだろうか︒第二次世界大戦の惨状も︑ホロコーストの犠牲も︑少なくとも右にあげた四つの詩篇からは一切感じとることができないだろう︒もちろん︑戦後オーストリア詩壇の若きヒーローとしてもてはやされた彼の作品には︑敗戦直後の疲弊した国民に寄り添い︑慰めと励ましを与える詩篇も少なくない ︵たく見つからないといっていいだろう︒端的にいってしまえば︑た である︒また︑現代詩のさまざまな実験の痕跡にいたっては︑まっ したはずの深い傷跡が︑どうしたわけかあまり目に立ってこないの うとでもいったらよかろうか︑二十世紀前半の破壊と殺戮がもたら と真摯な願いの芳香が︑宗教とは無縁の読み手の目を眩ませてしま ︒だが︑詩行から立ちのぼってくる敬虔な祈り 6︶
das Kleid der
んでごらん!﹂︵﹁木﹂︶という二行は︑﹁季節の衣装﹂︵―
装︑ぼくはそれを季節にゆだねる/つかめるものなら︑つか ていたにちがいない︒たとえば最初に掲げた詩にみえる﹁季節の衣 そのあたりのことは︑だれよりもキースリング自身がよく承知し みたくなるのである︒ だただ古めかしいの一語につきる︑そんな思いもときには口にしてZeit
︶を﹁時代の意匠﹂と読み替えることができるし︑そうであれば︑自分は現代の趣向とは無縁なのだ︑そんなものは他人にまかせておけばいいのだ︑という告白ないし宣言と読むことができるだろう︒二番めに掲げた詩のなかには﹁おまえもまた︑時期遅れなのではないか/この世という広い庭園のなかで﹂︵﹁最後のバラ﹂︶という箇所がある︒この二行を含む第三連は︑先に触れたように厳格な形式から若干とはいえ逸脱しているだけに︑よけい読者の注意を引くだろう︒彼が遅れて来た詩人であり︑同時代とは無縁の︑もはや時代錯誤としかいいようのない存在なのだということが︑あえて盛り込まれた破調によってかなり明確に強調されているのである︒その先に続く﹁夏はたくさんのバラを贈ってくれた﹂︵同︶という一行は︑ゲーテをはじめとする近現代の大詩人たちの名作を指しているのであり︑キースリング自身はあくまでも﹁見込みのない最後の一輪﹂︵同︶にすぎない︒世間の賞賛とこうした自己認識の落差は︑﹁やつれはてたこのぼくは/とっくに神の目にとまっていて/すでに選ばれた者であるの小泉 淳二一八
かも﹂︵﹁もしかしたら﹂︶という秘かなうぬぼれと︑﹁とうの昔にこのぼくは/裁きの庭に引きだされ/容赦なき没落を言いわたされているのかも﹂︵同︶という自己卑下のなかに見てとることができるだろう︒﹁ぼくらは異邦人で孤独なのだ﹂︵﹁雨のなかのことば﹂︶という一行を︑人間一般の根源的状況を表わしたものと受けとめることもできようが︑詩人みずからは︑やがて文壇から忘れさられていく自分の運命を︑ある程度予感していたかのようにも思われる︒
* *
作者自身の内心の不安や孤独とは裏腹に︑処女詩集の刊行後︑キースリングはオーストリア政府から文学賞を授与され︵一九五〇年︶︑ウィーン市からも表彰を受けた︵一九五四年︶︒そして一九五二年にはゲルトルーデ︵旧姓クラル︶と結婚︒次々と子宝に恵まれ︑四男二女の父となる︒勤務先も人事異動で財務省から文部省へ移り︵一九五一年︶︑やがてカトリック系週刊雑誌︽真率な声︾
“ Of fenes W ort ”
の責任編集者︑オーストリア放送局文芸補佐︑さらにはオーストリア・ペンクラブ役員を兼務するようになる︒順風満帆といったらよかろうか︒処女詩集から七年後︑第二詩集﹃きみたちはどう生きるか﹄“ Seht, wie ihr lebt ”
︵一九五五年︶がウィーンのクルト・デッシュ社から刊行されている︒そのなかから数篇を取りあげてみたい︒ ひとかけらのパンひとかけらのパンぼくの詩はそうありたいごちそうなんかであるものか
ひとかけらのパンほんとうにおなかがすいている人ならだれもがほしがるもの
ひとかけらのパンみんなのおなかをいっぱいにするでも不正に甘んじさせはしないもの
ひとかけらのパンだれもがいつもパンのことばかり考えないですむような
EIN STÜCK BR O T
Ein Stück Brot
will mein Gedicht sein,
フランツ・キースリングについて一九
keine festliche Mahlzeit. Ein Stück Brot, danach jeder v erlangt,
der wirklich Hunger hat.
Ein Stück Brot,
das einen satt macht,
doch nicht zufrieden mit dem Unrecht.
Ein Stück Brot,
das einem v erhilft,
nicht nur an das Brot zu denk en.
︵Lob einer Stunde. S. 55
︶この一篇には︑詩人としての自己に課せられた使命が高らかに宣言されているといっていいだろう︒一見したところ︑素朴で謙虚な言葉が並んでいるだけのように見えるが︑自分は世の人びとにパンを︑つまり心の糧をおくりとどけるのだ︑という強い決意がこめられている︒そのいっぽうで︑たとえばホフマンスタールが直面したような言語表現にたいする懐疑︑あるいはその限界を打破しようとする意 欲︑そういったものは︑やはり読みとることができないだろう︒自分は一介の純朴な抒情詩人にすぎない︑だれにでもわかる言葉を用いて世間と向き合うのが自分に課せられた使命なのだ︑人跡未踏の無人の荒野を突き進む現代詩のパイオニアではないのだ︑そんな作者の思いが伝わってくる︒けれどもこれは︑裏を返して意地悪くいえば︑一種の開き直り︑もしくは時代からの逃避ではなかったろうか︒第二詩集からもう一篇抜き出してみよう︒右の﹁ひとかけらのパン﹂と同様︑自分がどんな詩人であるか︑キースリングは読者に向かって説明している︒
人相書き
ぼくは詩を書く書くときは苦労する善意ある人ならだれもがぼくの詩をわかってくれるように書きたいから
賛同してもらえればうれしいし拒絶も甘んじてうけいれようでも無関心︑これにだけは
小泉 淳二二〇
ぼくだって無関心ではいられない
大切なのは︑一行一行が正直であることそれがいろんな矛盾を説明してくれるだろうだってぼくはいつも同じではないいつも同じで不変だなんてぼくにはとても耐えられない
芸術には︑とかく時間がかかるものぼくには︑そんなにたくさんはないあせる心がぼくの手に書かせる︑それは辛抱づよく読んでほしいという︑読者へのぼくの願い
そして許してほしいと思うのはぼくが来たるべき雷雨について語ることぼくには妻も子もあり︑生きていたいという願いがあるはずれてばかりの預言者でもかまわない
ぼくは木を︑草を︑愛している︑そしてあまたの涙をかわかしすべての人のために輝く太陽を
STECKBRIEF
Ich schreibe V erse,
und ich geb mir Mühe,
sie so zu schreiben,
daß sie jedermann v ersteht,
der guten W illens ist.
Zustimmung tut mir w ohl.
Ablehnung kann ich ertragen.
Aber Gleichgültigk eit
ist mir nicht gleichgültig.
Mir lie gt in jeder Zeile an W ahrhaftigk eit.
Ich hof fe, das erklärt die W idersprüche.
Denn immer bin ich nicht der Gleiche.
W enn ich es bliebe,
müßte ich v erzweifeln.
Die K unst braucht Zeit;
mir ist nicht viel ge geben.
Die Ungeduld diktiert mir in die Hand,
w as ich euch bitte, mit Geduld zu lesen.
フランツ・キースリングについて二一
Ich hof fe, daß ihr mir v erzeiht,
wenn ich v on k ommenden Ge wittern spreche.
Ich habe Frau und Kind und möchte leben
und w äre gern Prophet, der unrecht hat.
Ich liebe Bäume, Gras und eine Sonne,
die T ränen trocknet
und für alle scheint.
︵Lob einer Stunde. S. 54
︶とつとつと語りかけるこのような率直な詩行は︑たしかに読む者の胸の奥底まで響き︑深い共感を呼び覚ます効果があるだろう︒﹁善意﹂︑﹁正直﹂といった語は︑読者の閉ざされた心のとびらを開く鍵であったにちがいない︒読者はキースリングの作品を﹁芸術﹂として受けとり︑心の糧を提供する作者自身は︑古代の詩人たちがそうであったように﹁預言者﹂になぞらえられる︒たとえ﹁はずれてばかりの﹂頼りにならない予言者であるにしても︑﹁善意﹂ある読者と﹁正直﹂な作者のあいだには信頼が︑連帯感が生じるだろう︒すでに述べたように︑これらの詩篇が収められている第二詩集﹃きみたちはどう生きるか﹄は一九五五年に刊行されている︒ツェランの﹁死のフーガ﹂︵一九四八年︶やアドルノの﹁文化批判と社会﹂︵一九五一年︶はもう世に出ている時期である︒キースリング がツェランの詩やアドルノの著作を読んでいたかどうかについては︑なにも伝えられていないが︑仮にアドルノが書いたように﹁アウシュヴィッツのあとに詩を書くことが野蛮である﹂ならば︑二十世紀前半になにごとも起こらなかったかのような顔をして︑古風な抒情詩を書きつづけるキースリングの姿勢は問われざるをえない︒チョウよ︑花よ︑コオロギよ︑読者は善人︑ぼくは正直︑などといった調子で︑のんきに抒情詩をもてあそんでいる場合ではないのである︒そのあたりのことを意識してか︑どうか︒もうひとつ第二詩集から引いてみる︒
あきらめ
かんたんな詩がぼくにはむずかしい
コオロギたちはみな草の歌をうたっている
でもぼくにはわからない草ってなんだろう
小泉 淳二二二
チョウたちのあとをぼくはもう追いかけることはできない
まぶたが重くなってきてぼくは目をとじる︵重苦しい詩がぼくの心にうかんでくる︶
ERGEB UNG
Die leichten Lieder fallen mir schwer .
Zehntausend Grillen
singen das Gras.
Ich weiß nicht,
w as das Gras ist.
Den Schmetterlingen
kann ich nicht mehr folgen. Die schweren Lider fallen mir zu.
︵Lob einer Stunde. S. 64
︶﹁かんたんな詩が/ぼくにはむずかしい﹂という冒頭の二行は︑たんに詩作一般の困難さを述べているだけのようにも読める︒また︑一歩踏みこんで︑キースリングのように︑だれにでもわかる平易な言葉を用い︑なおかつその一語一語に相当な重さをもたせようとするのであれば︑それはそれなりの大変な苦労があるのだろう︑と受けとめることもできる︒しかしそれとはまた別に︑第二次大戦後ドイツ語圏の現代詩人たちがおかれている状況のなかで︑自分の古風なスタイルを守ることの野蛮さ︑といっては言いすぎかもしれないが︑ともあれ︑彼固有のある種特別な困難さを訴えていると解釈することができるかもしれない︒右に掲げた日本語訳の末尾に︑カッコ書きで二行あえて加えてみたのは︑原詩の最後から二行めに見える
die schweren Lider
︵重たい両のまぶた︶が︑﹁重苦しい詩﹂︵die schweren Lieder
︶と同音であることによる︒なくもがなの余計なカッコ書きでしかないが︑この部分はリルケの詩﹁バラよ︑おお純粋な矛盾⁝⁝﹂の末尾二行において︑﹁﹇⁝﹈かくも多くの/まぶたの下で﹂︵[...] unter so viel /
Lidern
︶が︑﹁﹇⁝﹈かくも多くの/詩のあいだで﹂︵[...] unter so viel
/ Liedern
︶と読み替え可能であるのと同様に︑二重の意味を含んでフランツ・キースリングについて二三 いる︒リルケ最晩年の作であるこの詩篇は︑詩人の墓碑銘となっていて︑広く世に知られていた︒キースリングがリルケを念頭においていたことは︑まずまちがいないといっていい︒おそらくこういうことなのではなかろうか︒キースリングにとって同時代と無関係な抒情詩を書くことは非常に困難であって︑書きあぐんでいるうちに︑まぶたがふさがってしまう︑結局書けずに眠りにおちてしまうのだが︑リルケのひそみにならって忍び込ませたもうひとつの意味合いを勘案すれば︑それでもやはり﹁詩が/ぼくの心にうかんで﹂きてしまう︒いわばキースリングは天性の抒情詩人なのであり︑同時代の激震も彼の純朴な詩心を抑えつけることはできなかったのだろう︒もちろん彼の心に浮かんでくる詩は﹁重苦しい﹂︒それは彼がひそかに抱いている良心の呵責や︑なんらかの後ろめたさに起因するものだと考えることができるのである︒しかしながら︑もうひとこと付け加えておかなければ片手落ちになってしまうだろう︒拙訳では﹁重苦しい﹂としてみたが︑読みようによっては︑形容詞
schwer
を﹁重要な﹂と受けとめることができるのである︒だとすれば︑それこそまさに西 せい施 しの顰 ひそみに倣 ならうがごとく︑キースリングはリルケにすがりつくことによって自己を正当化し︑みずからの作品を﹁重要な詩﹂なのだ︑と誇示していることにもなりかねない︒こうした底意地の悪い言いがかりをたんなる曲解として退けることができないのは︑すでに指摘したとおり︑たとえ留保つきではあるにせよ︑キースリング自身がみずからを﹁選ばれた者﹂︵﹁もしかしたら﹂︶として﹁預言者﹂︵﹁人相書き﹂︶になぞら えているからである︒このような自負と呵責とのあいだの激しい揺れ︑つまり素朴詩人としての誇りと︑同時代との懸隔から生じる後ろめたさのあいだを振り子のように行ったり来たりしているところが︑案外キースリングの作品の特徴であり︑魅力なのかもしれない︒第二詩集﹃きみたちはどう生きるか﹄から︑もう二篇引いておこう︒その上で︑その後のキースリングについて触れることにしたい︒宵闇迫るころ
この世の事物に影が落ちてくるたびに他人の意図にしたがって一日の仕事をやりおえるたびにぼんやりとした疲れのなかでぼくは思うぼくが人生のなかで学んだことはぼくを人生から遠ざけてしまったまだ影が永遠の影が落ちてこないのにぼくの顔はこの世のなかでかき消えていく
小泉 淳二二四
IM ABENDNEIGEN
W enn auf die Dinge der W elt
Schatten fällt,
wenn ich das Tagwerk getan
nach fremdem Plan,
fühl ich in dunklem Ermatten:
W as ich im Leben gelernt,
hat mich v om Leben entfernt,
eh noch der Schatten,
der e wige, fällt,
löschend mein Antlitz im Antlitz der W elt.
︵Lob einer Stunde. S. 104
︶きみが行ってしまうと⁝⁝
きみが行ってしまうとこの世の幸福が少なくなるわけではないしぼくの苦悩も物の数ではないがきみが行ってしまうと⁝⁝
きみが行ってしまうと 花がしおれたりするわけではないしでも︑花なんか見ている場合だろうかきみが行ってしまうと⁝⁝
きみが行ってしまうとぼくの夢のなかで︑きみはまだ笑うだろうでも︑二度と目覚めたりなんかするものかきみが行ってしまうと⁝⁝
きみが行ってしまうと石は別の石と並んだまま動かないだろうでも︑ぼくの家はぼくを追い出すだろうきみが行ってしまうと⁝⁝
きみが行ってしまうとぼくの心もきみとおなじ足どりで行ってしまうねえ︑このうえなにか神にお願いなんかできるだろうかきみが行ってしまうと⁝⁝
WENN DU GEHST ...
W enn du gehst,
フランツ・キースリングについて二五
wird das Glück der W elt nicht kleiner ,
und mein K ummer zählt wie k einer ,
wenn du gehst ...
W enn du gehst,
wird den Blumen nichts geschehen.
Doch wie kann ich Blumen sehen,
wenn du gehst? ...
W enn du gehst,
wirst du mir im T raum noch lachen.
Doch ich dürfte nicht erw achen,
wenn du gehst ...
W enn du gehst,
wird ein Stein am andern bleiben.
Doch mein Haus wird mich v ertreiben,
wenn du gehst ...
W enn du gehst,
geht mein Herz mit deinen Schritten.
Sag, w as kann ich Gott noch bitten,
wenn du gehst? ...
︵Lob einer Stunde. S. 86
︶* * *
第二詩集﹃きみたちはどう生きるか﹄を上梓したあと︑キースリングはほぼ完全に沈黙する︒処女詩集﹃見向きもされない心﹄の刊行以来︑第二詩集出版まで七年を要していることからも察せられるように︑もともと寡作な詩人ではあったが︑生前刊行された作品集は結局この二冊きりになってしまった︒もっぱら抒情詩しか書き残さなかった彼の全作品数は︑第二詩集刊行後︑ときおり新聞︑雑誌に掲載された詩篇や遺稿を合わせても︑総計で一五〇に満たないという︒世間では﹁グルッペ四十七年﹂︑﹁ヴィーナー・グルッペ﹂などの作家︑詩人たちが脚光を浴び︑戦後の新しい文学運動がますます盛んになっていったが︑そのいっぽうでキースリングの﹁顔はこの世のなかでかき消えていく﹂︵﹁宵闇迫るころ﹂︶︒﹃きみたちはどう生きるか﹄から引いた右の最後の二編のうち︑﹁宵闇迫るころ﹂は︑官庁での一日の勤めを終えたあとの疲労︑虚脱感︑さらには︑そうした労働がもたらす疎外感をつづったものと見なすべき一篇かもしれないが︑﹁ぼくが人生のなかで学んだことは/ぼくを人生から遠ざけてしまった﹂という二行にあえて注目してみると︑彼が﹁人生のなかで学んだこと﹂とは︑古式ゆかしい厳格な抒情詩であり︑それが彼を文壇から︑そしてまた世間から︑つまり﹁人生から遠ざけてしまった﹂のだと嘆いているようにも思わ
小泉 淳二二六 れる︒もう一篇﹁きみが行ってしまうと⁝⁝﹂も︑見かけは非常に美しい恋愛詩で︑脚韻は一行めと四行めが︑その間にはさまれている二行め︑三行めをやさしく抱きかかえるように包みこむ︑いわゆる包摂韻︵
abba
︶を形成している︒しかしながら︑﹁花なんか見ている場合だろうか﹂という一行には︑﹁チョウたちのあとを/ぼくはもう追いかけることはできない﹂︵﹁あきらめ﹂︶と嘆いていた箇所と同様︑二十世紀現代史や現代社会の諸問題と直接向き合おうとしない︑詩人としてのみずからの姿勢への問いかけや疑念がうっすらと透けて見えるような気もしないではない︒ちなみに︑この一篇のなかの﹁石は別の石と並んだまま動かないだろう﹂という一行は︑神殿の崩壊を予言したイエスの言葉を踏まえている︒﹁ひとつの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはないだろう﹂︵マタイ︑二四・二︶︒キースリングのこの詩の場合︑石はみな︑そのまま動かずに元の場所にとどまっている︒けれども家のほうが﹁ぼくを追い出すだろう﹂という︒これはこれで︑少々大げさな言いかたをあえてすれば︑イエスの予言に並べて添えられた︑詩人の﹁預言﹂ということにもなるだろう︒﹁ぼくの家﹂は︑神の家︑すなわちエルサレムの神殿に対応する︒つまり︑神殿に住まう神が詩人を追い出すのであって︑キースリングは﹁きみが行ってしまうと﹂自分が神に見捨てられ︑永遠に救われなくなることを示唆しているようだ︒そうなってしまえば︑もちろん﹁このうえなにか神にお願いなんかできる﹂はずもない︒ もともと信仰心が篤かった彼は︑︽国民小新聞︾“ Das kleine
V olksblatt ”
︑作家連盟︽ヴィンフリート︾“ W infried ”
など︑カトリック系の新聞雑誌︑団体とのつながりが深かった︒彼の作品の読者もまた︑カトリック系の保守層が中心だったのではないかと思われる︒そして︑文壇の表舞台から降りてしまった詩人のもとになおも残り︑その孤独な晩年を支えたのも︑おそらくはこうした敬虔な愛読者たちであり︑そのような状況のなかでキースリングの作品も︑いよいよ信仰の色あいを濃くしていったのではないかと考えられる︒一九七五年八月︑雑誌︽ポーディウム︾“ Podium ”
第一七号 ︵載された一篇を見てみよう︒ に掲 7︶
天国のパン
天国のパンをあなたはわたしたちに与えてくれましたありとあらゆるおいしさを内に含むパンをでも︑わたしたちは大地によって生きようと思っています
だからわたしたちは祈ります︑雨が降りますようにとそして畑から石を拾いパンとワインができるように手伝います
フランツ・キースリングについて二七 主よ︑わたしたちはしばしばパンのみによって生きていますワインはわたしたちのなかに狼の心を呼びさましますですから︑わたしたちに畑の石を残しておいてください
あざみの花が咲くように︑慈悲深く仕組んでください
BR O T V OM HIMMEL
Brot v om Himmel hast Du uns ge geben,
das alle Süßigk eit in sich enthält.
Doch wir möchten v on der Erde leben
und wir beten, daß ein Re gen fällt.
Aus dem Ack er klauben wir die Steine,
helfen Brot und W ein ans Licht der W elt.
Herr , wir leben oft v om Brot alleine
und der W ein stärkt unser W olfsgemüt.
Drum erhalte uns die Ack ersteine,
füge gnädig, daß die Distel blüht.
︵Lob einer Stunde. S. 99
︶ 詩形はダンテの﹃神曲﹄と同じく︑テルツィーネ︵テルツァ・リーマ︑三韻句法︶が用いられている ︵詩は平凡きわまる退屈な代物でしかないこともたしかだろう︒人は しかしながら︑聖書とは無縁の読者の目から見れば︑右のような だろう︒ まずはそういったものが強く読者の胸に迫ってくる作品というべき る︒神に寄せる︑優美な詩形を身にまとった清らかで敬虔な願い︑ とアザミを生えいでさせる﹂︵創世記︑三・一八︶を指し示してい アダムに向かっていう言葉︑﹁そして畑はおまえにたいしてイバラ きになっていて︑締めくくりの最終行に見える﹁あざみ﹂は︑神が してわかるとおり︑旧約聖書の冒頭に語られている楽園追放が下敷 やって九音綴の詩行を織りまぜているのかもしれない︒内容は一見 は︑完全数一〇を意識しつつ︑自分ないし人間の不完全さをも思い 数字はしばしば完全数と見なされる︒ひょっとするとキースリング 各連が三行であるのは三位一体を表わすともいわれ︑一〇という る︒
xyx-yzy-z
て⁝といった具合に最終行はただの一行で締めくくられ のごとく延々とつづいていく︒詩全体の長さに制限はない︒そし めにはさまれた二行めの脚韻が︑次の連の一行めに引き継がれ︑鎖aba-bcb-cdc-ded
三行ずつの脚韻が︑⁝というふうに︑一行めと三行 る︒最終連が一行だけとなっているのは︑この形式の特徴で︑各連― ― ― ― ― ―
〇一〇一〇︑九一〇九︑一〇九一〇︑九となってい 基本だが︑キースリングのこの詩では︑音綴の数が第一連から︑一 ︒全行十一音綴にそろえるのが 8︶小泉 淳二二八 パンのみにて生くるにあらず︑という有名な言葉なら万人が知っているが︑それがいったいどうしたのだ︑といったような戸惑いを感じてしまうのではなかろうか︒おそらくキースリングは︑﹁人はパンのみにて生きるのではなく︑神の口から出るすべての言葉によって生きるのだ﹂︵申命記八・三︑マタイ四・四︶というモーセやイエスの言葉を踏まえたうえで︑神の言葉を詩人の言葉になぞらえ︑人生の苦悩から生み出されるみずからの詩篇をアザミの花にたとえているのだろう︑と推測することはできても︑キリスト教の教義に疎い筆者のような読者にとって︑このようなキースリングの作品はあまり親しみやすいものではない︒生前刊行された二冊の詩集に収められなかった作品群︑そのすべてが晩年の作とはかぎらないが︑それらの魅力は︑篤い信仰心が前面に押し出されているものに存するのではなく︑孤独や不安︑絶望︑そして迫りくる死への想いなどが際立っているような︑だれもが近づくことのできる詩篇のほうにこそあるのではなかろうか︒もちろん︑一見そういった外観を呈している作品の詩行や行間に︑聖書にたいする深い造詣があれば見落とすはずのない引用や参照が隠されているとしても⁝⁝︒実際︑キースリングの後半生は︑不安や絶望に満ちたものであった︒離婚︒子どもたちはみな︑医師でもあった妻ゲルトルーデにつき従い︑彼のもとを去っていった︒離婚の成立がいつのことであったのか︑ことの詳細は明らかでないが︑キースリングにはありきたり の市民生活が耐えられないものであったらしい︒肺病︒ひとりきりになった孤独な彼を病魔が襲う︒十代のころにわずらった肺結核が再発したのは一九六〇年︑秋のはじめであるという︒またしても取り付いてきたこの病は︑いうなればキースリングの第二の伴侶となる︒そして交通事故︒同年十月二十二日︒キースリングはウィーン市内で乗用車にはねられた︒歩行者︑運転手︑どちらに落ち度があったのか伝えられてはいないが︑キースリングは重傷を負い︑長い入院生活を強いられた︒とくに重かったのは頭蓋底骨折と右ひざの挫傷で︑後遺症には終生苦しんだという︒もはや勤め人として働くことができなくなった四十一歳の詩人は︑職を辞し︑残された人生をささやかな年金のみを頼りにして生きていく︒遺稿からの一篇︒パンと太陽
この世の子らはぼくにパンを売りその代わりに太陽を買う
この世の子らはアフリカみたいに真っ黒に焼けて
フランツ・キースリングについて二九 氷河から帰ってくる
ぼくは︑ぼくのパンのために太陽を売った
ぼくは︑ぼくのベッドのために太陽を売った
ぼくは︑ぼくの墓のために太陽を売った
BR O T UND SONNE
Die Kinder der W elt verkaufen mir Brot
und kaufen sich Sonne.
Die Kinder der W elt kommen afrikabraun von den Gletschern zurück.
Ich hab für mein Brot die Sonne v erkauft.
Ich hab für mein Bett
die Sonne v erkauft.
Ich hab für mein Grab
die Sonne v erkauft.
︵Lob einer Stunde. S. 100
︶叩きつけるような激しさである︒とくに後半の三連は︑単純きわまるむき出しの語が︑まるで石つぶてのように読者に向かって投げつけられている︒﹁太陽を売った﹂というのは︑詩を書いて心の糧を読者におくりとどけた︑ということなのだろうか︒それとも人生の光︑暖かさ︑つまり世間並みの幸福を犠牲にしてしまったことを指しているのだろうか︒健やかに生きていくための﹁パン﹂が︑病人の横たわる﹁ベッド﹂に置き換えられ︑最終連では死者が眠る﹁墓﹂と化す︒自分の人生に悔いが残るのか︑残らないのか︒ともあれ人びとが享受する世のなかの太陽の光と︑詩人が朽ちていく墓のなかの闇のコントラストが︑これ以上望めないほど際立っている一篇であることはたしかだろう︒
同じく遺稿から二篇︒
小泉 淳二三〇
人によっては寒いので
人によっては寒いのでこの世の冬のまっただなか自分のベッドを燃やしちまうそしてその後の一生涯灰のベッドですごすのだそれでも決して悔いはないそして楽しく思い出す暖かかった数時間しあわせだったひとときをこの世の冬のまっただなか
SO MANCHER, DEM KAL T IST
So mancher , dem kalt ist
im W inter der W elt, verbrennt sein Bett
und hat dann sein Lebtag
ein Bett aus Asche.
Doch bereut er es nie
und erinnert sich gern an ein paar Stunden w ohliger W ärme
im W inter der W elt.
︵Lob einer Stunde. S. 143
︶夜が過ぎた
夜が過ぎた寝台は眠りではなかった
指折り数える刻一刻毎夜毎夜がそうだった
多くの苦痛とともにぼくは太陽を産んだ
疲れ果て︑満足して両目が閉じる
フランツ・キースリングについて三一
V ORBEI DIE N A CHT
V orbei die Nacht.
Mein Bett w ar nicht mein Schlaf.
Gezählte Stunden:
Jede eine Nacht.
Mit Schmerzen hab ich
die Sonne geboren.
Erschöpft und glücklich
schließen sich die Augen.
︵Lob einer Stunde. S. 106
︶疲れ果てはしたものの︑晩年のキースリングは自分の人生を悔いていないように見える︒﹁太陽﹂︵﹁パンと太陽﹂︶は︑彼が産んだ作品を指していたようだ︒しかし︑それでも孤独と絶望︑そして死への想いが彼の心をしっかりつかんで放さない︒同じく遺稿から二篇︒ ひとりきり
日曜日ぼくはひとりだったワインがあったけれどぼくはひとりだったパンがあったけれどでも︑だれも来ないのどがかわいていたが飲みたくはなかった腹をすかしていたが食べたくはなかったぼくはひとりだった八月の熱い日曜日でも︑ぼくは寒い
ALLEIN
Sonntag w ar es,
und ich w ar allein
und hatte W ein zuhause.
Ich w ar allein
小泉 淳二三二
und hatte Brot zuhause,
doch niemand kam.
Ich hatte Durst
und w ollte nicht trink en.
Ich hatte Hunger
und w ollte nicht essen.
Ich w ar allein
an einem heißen Sonntag im August,
doch mir w ar kalt.
︵Lob einer Stunde. S. 120
︶鳴れ︑いとしい弔いの鐘よ
鳴れ︑いとしい弔いの鐘よ鳴れ︑鳴れ︑ぼくのよろこびよぼくはまだ息をしているおまえが鳴るのがまだ聞ける涙を浮かべて陽を仰げる
毎日多くの木が切られてるぼくの棺のはもう倒れたかそれとも星の好意のせいで まだまだ葉っぱを茂らせてるか
だれかが祈ってくれているのか問うてもおろかに響くだけぼくの傷口に手をあててみればきみらもぼくのことがわかる
鳴れ︑いとしい弔いの鐘よ鳴れ︑死刑を告げる鐘よぼくの見向きもされない心よ
LÄ UTE, LIEBES T O TENGLOCKE
Läute, liebes Totenglock e,
läute, läute meine Freude,
meine Freude, daß ich atme,
daß ich dich noch läuten höre,
tränenblind die Sonne schau.
Täglich stürzen viele Bäume.
Ist mein Sar gbaum schon gefällt?
Oder trägt er noch die Krone
フランツ・キースリングについて三三
unter w ohlgesinnten Sternen?
W er hat mich gesund gebetet?
Närrisch klingen meine Fragen.
Le gt die Hand in meine W unde
und ihr werdet mich v erstehn.
Läute, liebe Totenglock e,
läute Armesünder glock e,
du mein ungefragtes Herz.
︵Lob einer Stunde. S. 160
︶純朴で格調高い抒情詩人でありながら︑現代詩人としてはまったくの時代遅れ︑この落差がキースリングの特徴ないし魅力なら︑死への想念は︑彼の全作品に終始一貫して流れつづける通奏低音だといえるだろう︒彼の﹁見向きもされない心﹂は︑﹁弔いの鐘﹂︑﹁死刑を告げる鐘﹂であり︑その心の﹁傷口﹂からあふれ出て︑鳴りひびく抒情の音色はすべて︑処女詩集﹃見向きもされない心﹄以来︑ずっと死の影を帯びている︒次の一篇は第二詩集から拾ってみた︒今日一日を大切に生きなさい︑というありきたりの訓示のようにも受けとれるが︑目前に迫っている死が詩人の目にはっきり見えているのだろう︑読む者に強烈 な印象を与える一篇ではないだろうか︒
明日︑きみには今日がこない
いつもと変わらない一日それしかきみにはわからない手紙を一通書かなくちゃと思いつつ︑明日に延ばすでも︑明日︑きみには今日がこない
いつもと同じ道をきみは歩くなにひとつ︑いつもと変わらない道筋にある建築中の建物もうん︑明日には完成だな︑ときみは思うでも︑明日︑きみには今日がこない
今日はきみの最後の日いつもとはちがう特別な日でも︑きみの足元で崩れ落ちる小橋は明日にはまた元どおり水面もまた︑鏡のようになめらかになる
小泉 淳二三四
明日も︑いつもと変わらない一日がやってくるでも︑きみにはこない
MORGEN K OMMT KEIN TA G FÜR DICH
Ein Tag wie alle Tage,
du nimmst ihn nicht weiter genau.
Du hast einen Brief zu schreiben
und schiebst es auf mor gen hinaus.
Aber mor gen k ommt k ein Tag für dich.
Du schlägst den ge w ohnten W eg ein,
es hat sich nichts weiter v erändert.
Das Haus, an dem dort gebaut wird,
du denkst, es wird mor gen fertig.
Aber mor gen k ommt k ein Tag für dich.
Heute ist dein Jüngster Tag.
Heute ist k ein Tag wie alle Tage.
Doch der Ste g, der unter dir zerbricht,
wird schon mor gen wieder aufgerichtet,
und das W asser glättet sich v on selbst. Mor gen k ommt ein Tag wie alle Tage.
Aber nicht für dich.
︵Lob einer Stunde. S. 103
︶さらに処女詩集にさかのぼって︑そこから二篇拾ってみる︒
一日のおわりに
ぼくのゆく道がぼやけてくるたそがれる緑の枝のむこうではもう霧の女が糸をつむいでいる
まもなく夜がふけてくるそうなれば︑ぼくは日中の苦悩をもはや抱えこんでいる必要はない
ああ︑夜よ︑おまえは棺だぼくのしおれた日々の!
フランツ・キースリングについて三五
AM ENDE EINES TA GES
Mein W eg wird ungenau.
In dämmer grünen Zweigen
spinnt schon die Nebelfrau.
Bald wird die Nacht sich neigen,
daß ich des Tages Jammer
nicht länger in mir trage.
O Nacht, du Totenkammer
meiner v erwelkten Tage!
︵Lob einer Stunde. S. 103
︶街頭で死んだ娘に
顔を見たときにはわからなかったまさか︑それがきみの最期の表情だなんて気を失って眠っているのだとばかり思っていたほほえんでいるかのようで︑とてもきれいにみえたから
ランタンの光が強引に夜を引き裂き︑闇にやさしく 包まれていたきみのからだの恐ろしい傷を明るみに出したときようやくぼくは︑ことの次第を知った
鉄の車輪によって切り裂かれたきみの腰の大きな傷︑これほどまでに痛ましくきみはみずからの魂を天によみがえらせたのか
いつかはだれもがみな︑そう︑なんらかのかたちでこうなるでも︑きみの救われ︑満足しきった顔 かんばせは鉄の車輪の恐ろしさをほとんど消し去ってしまうその轟音はもう︑ぼくの耳に届いている⁝⁝
A UF EIN MÄDCHEN,
D AS DEN T OD
A UF DER STRASSE F AND
Als ich dein Antlitz sah, w ar k eine K unde,
daß mich da ansah dein letztes Gesicht,
und ich v ermeinte, du schliefest in Ohnmacht. Fast w ar ʼ s ein Lächeln, w as dich v erschönte.
Erst als Laternenschein fre velnd die Nacht zerriß,
小泉 淳二三六
die deines Leibes schreckliche W unde
gnädig v erbar g, wußte ich alles.
T ödlich geöf fnet v on eisernen Rädern
klaf fte dein Schoß. So schmerzhaft hast du
deine Seele dem Himmel wieder geboren.
Einmal und ir gendwie trif ft es ja jeden.
Doch dein erlöstes, befriedetes Antlitz
nimmt viel v on dem Schreck en der eisernen Räder ,
die ich schon höre...
︵Lob einer Stunde. S. 153
︶﹁一日のおわりに﹂では︑昼間の官庁勤めと︑夜の詩作が対比され︑昼間の苦悩が夜という名の﹁棺﹂のなかに放り込まれる︒そのあとでぐっすり眠るのだ︑と受けとめることもできるだろう︒しかし︑たとえばカフカがそうであったように︑キースリングも夜を徹して詩作に没頭していたのではなかろうか︒﹁霧の女が糸をつむいでいる﹂のだから︑彼も詩行をつむぎだしたことだろう︒女は霧の国に住んでいる︒ニーベルンゲンの英雄たちがひとり残らず死に絶えたのは︑もともと彼らがニーベル︵
Nibel
︶︑つまり霧︵Nebel
︶の国の住人たることを運命づけられていたからだが︑女のつむぎだ す霧に︑やがてキースリングも包みこまれ︑彼岸への想いをめぐらせたにちがいない︒﹁街頭で死んだ娘に﹂については︑くだくだしい説明など不要だろう︒キースリングは死亡事故の現場に居合わせた︒﹁鉄の車輪﹂は︑ウィーン市内の路面電車を指しているにちがいない︒のちに詩人自身が交通事故に遭うことを思い合わせると︑最後の一行はひときわ暗示的である︒* *
人間としてのキースリングは︑作品からもある程度想像がつくように︑内気で飾らず︑万事控えめであったと伝えられている︒人びとが集まって話をする場合でも︑じっと黙ったまま︑みんなの話に耳をかたむけていたという︒自分の考えを述べる段になると︑せかせかした調子になることもあったが︑その場の話の流れから外れることなく︑いつもきちんと的を射たことを口にした︒そのいっぽう︑非常に涙もろい側面もあって︑ごく親しい友人たちの前で︑彼はよく泣いたという︒作家や文芸愛好家たちが集まる小さな会や朗読会には︑晩年になってからもしばしば招かれたが︑そうしたときにひとつ即興の詩を︑と乞われると︑彼の口からもれでる言葉は︑もはやその場の座興などではなく︑厳格な形式にのっとった一篇の作品そのものになっていたという︒そして彼が口をつぐんだとたん︑だれひとり書
フランツ・キースリングについて三七 きとめえなかった詩は宙に消え︑詩人本人も記憶に残らず忘れてしまっているのだった︒だが︑最晩年のキースリングは︑こうしたごく内輪の親しい仲間や友人たちとも疎遠になり︑文字どおり﹁ひとりきり﹂に近かったようである︒彼と同郷の作家イルゼ・ティールシュの回想 ︵
床に臥せっていた︒これが一月十六日のこと︒ただし︑その場で を突きとめたとき︑詩人は知り合いの名もない音楽家の住まいで病 が︑やはり返事が返ってこない︒八方手を尽くしてようやく居場所 驚いたティールシュは︑早速キースリングに手紙を書き送った 人に連絡してほしい︒ た︒再版のときにはぜひ掲載したいから︑その旨ぜひあなたから詩 連絡がつかないというので︑はなはだ遺憾ながら収録を見合わせ オーストリア・ペンクラブにも問い合わせたが︑そちらのほうでも つもりで︑作者に掲載許可を得ようとしたが︑回答がなかった︒ く︒内容は以下のようなものだった︒キースリングの作品を載せる 翌年一月二日︑アンソロジーの編者から彼女に宛てた手紙が届 送った︒ 篇も収録されていない︒憤慨した彼女は出版社に抗議の手紙を書き の作品を収めたアンソロジー︒けれども︑キースリングの作品が一 けられた︒中世から現代にいたるオーストリアの代表的な詩人たちふたたび遺稿から︒ 一九七八年十月十一日︑ティールシュのもとへ一冊の新刊書が届れた︒ の産物だったようだ︒曜日︒遺骸はウィーン中央墓地︵第三〇B区︑第十三列︶に埋葬さ と︑キースリングの病状が逼迫していることがわかったのは︑偶然た︒一九七九年二月二十日︒享年六十一歳︒告別式は三月二日︑金 によるし最新の医療技術と手厚い看護の甲斐もなく︑詩人の命は燃え尽き 9︶ ウィーンの北西一二キロに位置するドナウ河沿いの町である︒しか キースリングはただちにコルノイブルクの病院に運び込まれた︒ ば︑これは一月十九日のことであったかもしれないという︒ キースリングを診察した医師︑つまり彼女の父親のメモによるなら
ぼくの墓に
石がぼくの上にのせられるだろうぼくが死ねば石がぼくのために泣くだろう雨が降れば
風がやってきてくれるぼくの土色の墓へぼくの緑色の墓へぼくの白い墓へだからきみたちはもうなにもしなくていい
小泉 淳二三八
神よ︑おねがいです!ぼくを起こさないでください!
AN MEINEM GRAB
Steine werden mich be werfen,
wenn ich tot bin.
Steine werden mich be weinen,
wenn es re gnet.
Der W ind besucht
mein braunes Grab,
mein grünes Grab,
mein weißes Grab .
Ihr seid aller Mühe enthoben.
Gott, sei barmherzig!
W eck mich nicht auf!
︵Lob einer Stunde. S. 163
︶墓石には﹁フランツ・キースリング 抒情詩人 一九一八
―
一九 七九﹂とだけ刻まれている︒詩人の妹フリーデリケが夫との共同名義で出した死亡広告には︑次に掲げる詩篇が添えられていた︒一九七五年八月︑︽ポーディウム︾に発表された一篇である︒死のとびら
死のとびらには表札がない取っ手もない︑呼び鈴もない
死のとびらには枠がない壁とまったく見分けがつかない
いくら探しても見つからないでも︑だれかがちょっと寄りかかるといきなりパッと開く
DIE TÜR DES T ODES
Die T ür des Todes hat k ein T ürschild,
hat k eine Klink e und hat k eine Glock e.
フランツ・キースリングについて三九
Die T ür des Todes hat k einen Rahmen
und ist mit der Mauer v ollk ommen gleich.
Du suchst diese T ür und kannst sie nicht finden.
Doch mancher lehnt sich leicht an die W and,
und sie springt auf.
︵Lob einer Stunde. S. 152
︶*
キースリングの詩をいくつか読んでみて驚くのは︑その語彙の少なさである︒パン︑ワイン︑石︒雨︑風︑雲︒太陽︑月︑星︒そして︑木⁝⁝︒語彙に乏しいというのではない︒彼が用いる語は︑太古の時代からこの世に存在してきたものばかりなのだ︒たとえば聖書に記載されていないもので︑彼の抒情詩に採用されているものなど︑ほとんど見つからないのではなかろうか︒そんな思いがわいてくる︒もちろんこれは︑彼の信仰の深さに由来することなのだろうが︑一切の抽象を排し︑具体に徹する︑その徹底ぶりには舌を巻かざるをえないのである︒なかでも彼がいちばん好んで人に語ったのは︑樹木についてだったという︒信仰篤く︑ひたすら神を敬い︑畏れつづけた彼にしてみ れば︑樹木も神の被造物にすぎなかったかもしれないが︑彼の樹木にたいする深い愛着の根底には︑キリスト教以前の太古から綿々とつづく樹木信仰のようなものが隠されているかもしれない︒少なくとも︑神の前に立ち︑最後の審判を受けることが常住坐臥︑つねに意識されているキースリングの詩のなかにあって︑伸びやかに枝を広げ︑倒れても倒れても︑また生い育ってくる樹木というものは︑たとえそれが彼にとって神と同列ではなかったにしても︑それでもやはり死とは対極をなす生の象徴だったのではなかろうか︒そして樹木にかぎらず︑雨や太陽など︑自然の事物に託してつづられる彼の作品には︑宗派や信仰の有無にかかわらず︑万人をひきつける力が秘められているような気がする︒仮に︑ある時代を代表する詩人や芸術家が︑その時代の限界をも引き受けざるをえないことがあるのだとすれば︑キースリングの場合は︑そもそも最初から徹底的に古いので︑その分いつの時代にももうこれ以上古びることはない︑そういう開き直った見かたも︑今後時がたつにつれて︑いつか可能になってくるかもしれない︒古さを指して反動的だと糾弾するか︑普遍的だと賞賛するか︑彼の作品にたいするそれぞれの時代の評価は︑結局のところフランツ・キースリングという名の一本の樹木に着せかけられる﹁季節の衣装﹂︵﹁木﹂︶なのだろう︒
没後七年たってから出版されたキースリングの選詩集﹃時 じ禱 とう﹄
“ Lob einer Stunde ”
︵一九八六年︶から表題作を紹介して︑稿をとじ小泉 淳二四〇 ることにしたい︒処女詩集に収められていた一篇である︒頭上に広がる夜空と︑水に浮かぶ小舟︒鏡のような水面は夜空を映し︑そこにもうひとつの夜空が立ち現われる︒上下ふたつの天空にはさまれて︑詩人は水面に映るもうひとりの自分を見ている︒湖面に映るもうひとつの月は︑水の底からこちらのほうへ浮かび上がろうとしているかのようだ︒詩人は手を水のなかに差し入れ︑水のなかにいるもうひとりの自分と手をつなぐ︒その瞬間︑詩人は願い︑祈る︒﹁時禱﹂︑つまり一定の刻限ごとに神にささげられる祈 き禱 とう
である︒詩人の乗っている小舟が三日月にたとえられ︑詩人も舟とともに頭上の天空へ引き上げられることを祈願する︒まずは敬虔な祈りの詩だが︑この詩の魅力はその壮大な空間設定にあるだろう︒詩人と小舟を貫いて天から地の底まで達する垂直方向の縦軸が形づくられている︒同時にこれもまた︑詩人と小舟を中心にして水平方向に伸びる横軸が形成されている︒水は川か湖か︑あえて限定されてはいない︒川であれば左右に此岸と彼岸があるだろう︒湖であるなら︑水平方向に伸びる横軸は全方位へ向かい︑天の半球と湖の水底が形作る半球が合わさって一個の巨大な球体が生じるはずだ︒詩人はその中心にいる︒球体は完全︑つまり森羅万象のすべてであり︑敬虔な祈りの詩でありながら︑同時に宇宙全体をも現出させる︒さて︑これをたとえばリルケの亜流と見なすかどうかは︑やはり時代の評価にゆだねるべきだろう︒リルケの﹁秋﹂︵﹃形象詩集﹄︶においては︑地上の万物が地球もろとも下方へ落下し︑それを両手 でやさしく受けとめるものが称えられていた︒それとは対照的に︑キースリングのこの詩篇においては︑すべてが上へ向かって上昇する︒水の底から手を伸ばすもうひとりのキースリングが︑小舟にのるキースリングの手によって引き上げられ︑その刹那︑祈りのなかで︑詩人自身のからだもまた︑小舟もろとも頭上の天空へ向かって一直線に引き上げられんとする︒まるで︑忘却の淵から引き上げられるかのように⁝⁝︒
時禱
ふたつの空がぼくの目の前に広がっているひとつは上に︑きらきら輝きながら膨らんでもうひとつは下に︑ぼくの小舟のまわりで銀の光をまたたかせながら水音をたてている
ぼくの小舟は似ていないだろうか︑ほっそり天空に向かって身をたわませていく三日月にだって水のおもてには天空の似姿がやどりそこには第二の月があり︑まるで下からそっとこちらへ身を寄せてきたかのようだから
そして︑ぼくには自分自身がはっきり見える