K・カウツキーの財政思想(一)
その他のタイトル A Note on Kautzky's Thought of Public Finance (1)
著者 広田 司朗
雑誌名 關西大學商學論集
巻 2
号 3
ページ 221‑243
発行年 1957‑08‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/00021833
刊し
︑
(
‑
)
一九一七年秋にいたるまでこの雑誌の編輯に従事した︒
一七
﹁ベルンシュクインが﹃ゾツィアル・デモクラー
一八七五年オーストリア社会民主党に入党したカウッキーは︑
ルにおいて理論的︑実践的にきわめて重要な役割を果したこと︑同時にその長い生涯において社会主義連動の指導 者として幾つかの看過できない問題点を投げかけたことは︑すでに多くの人々によって指摘されている︒ここでこ の社会主義連動の指導者としてのカウッキーのあらゆる側面を問題とするものでないことは̲ーそうすることのも とより不可能に近いことがいうまでもないことであるにしても
1予め断っておかなければならない︒問題は︑本
論稿の題名の示すように︑
ト﹄を同時にマルクス主義のために役立たせたと同じように︑租は私の月刊紙を役立たせた︒この両雑誌が区別さ れる点は︑ベルンシュクインのものはずっと政治的であり︑社会主義鎮圧法の圏外にある機関紙としてまったく大 胆なものであったのにたいし︑私のほうはより慎重に振舞うことを余儀なくされ︑そしてより以上に理論的な性格
K•カウッキーの財政思想 カール・カウッキー
k
. ヽ
( J o h a n n K a r l Kau tz ky
) 1854│1938
カウッキーが財政問題についていかなる見解を示したかという点にある︒
は し
が
き
カウッキーの財政思想
一八八三年一月に雅誌﹃ノイェ・ツァイト﹄を創 がドイツ社会民主党および第ニインクーナショナ
(‑)
広
田司朗
と自伝に述ぺているように︑カウッキーは︑党の理論的支柱としてのマルクス主義の研
究︑普及およびその発展のために︑大きな役割を果した︒しかしながら︑
ドイツ社会民主党内には修正主義が拾頭し︑やがてペルンシュクイソによるセソセーショナルな修正主義の理論づ② けをみるに至った︒カウッキーとともに︑あるいはカウッキーより進んでマルクス主義者として啓蒙活動を行って
いたペルンシュクインのこの転向はカウッキーをいた<驚かせたが︑彼はただちに﹁ベルンシュクインと社会民主
党綱
領﹂
( B e r n s t e ui n nd da s S o z i a l d e m o k r a t i s c h e Pr
og ra mm ,
18 98 )
反駁
を加
え︑
マルクス主義を擁護した︒あるいはまた﹁農業問題﹂︵
Di e A g r a r f r a g e ,
1
89 9)
における農業理論の
ェンゲルスの死後︑ドイツ社会民主党およびそれを中心とする第ニインク
マルクス主義擁護者として華々しい活躍をなした︒しかしまた他面にお
﹁修正主義にたいする斗争は︑この時代にはまったくおさまっていた︒しかしこんどは︑私は︑反対陣営と③ の斗争にまきこまれたのであった﹂と彼自身がいうように︑ロシア革命を契機として拾頭した党内左派に対しても
反対し︑党内における狐立化の途を辿りはじめた︒これは特に︑
て︑ゼネストを主唱するローザ・ルクセンブルクのカウッキー批判と︑ゼネストの条件と限界を主張してそれに反
このような中央派的立場は第一次大戦によってきわめて明瞭な形をもってあらわれた︒周知のように︑第一次大
戦はドイツ社会民主党に決定的な動揺と分裂を惹き起した︒党内における上述の見解の相違は︑戦争の危機の切迫
するにしたがって︑次第に顕著かつ深刻化し︑右派︑中央派︑左派の意見の分裂および中央派の中立的態度は︑軍 対するカウッキーとの論争において︑明白である︒ い
て︑
ーナショナルにおいて指導的地位を占め︑ 確立にみられるように︑
カウ
ッキ
ーは
︑
K•カウッキーの財政思想
. .
ー
・~をうけいれた点である︒﹂
け
一九
一
0
年のゼネスト問題をめぐる論争におい
をもってベルンシュクインにはげしい 一八九五年・エソゲルスの歿する前後より
一八
H
て一層拍車をかけられたのである︒
りヽ
少数左派とも対立するという︑いわば二重の対立により︑
一九
は次第に低下し︑ t i
o n a r
e n )
との間の対立は次第にその深刻の度を増し︑一九一七年春には遂に後二者は社会民主党を脱党して独立 事予算に賛成の態度をとる右派の勝利を確定的なものとした︒やがて大戦に突入するや︑右派
11
社会愛国主義者
( S o z
i a l p
a t r i
o t e n
) ︑中央派
11
社会平和主義者
( S o z
i a l p
a z i f
i s t e
n ) ︑
社会民主党を創設するに到った︒このような党の状勢の変化の間にあって︑
一五年の第五回戦時予算案に対する反対投票の廉で党議員団より除名される等々︑自らを狐立化
していった︒大戦勃発までの四十年間党の大多数とともに行動してきたカウッキーは︑今やその大多数と対立する
のみ
なら
ず︑
一七
年一
0月には︑自らの手で創設したノイエ・ツァイト誌の編輯者の地位を多数派幹部の手によって追われ
る悲連をすら味わなければならなかった︒しかもこのような孤立化は︑そのボルツェヴィーキに対する論戦によっ
その後のカウッキーの活動について述べる必要はない︒いままで述べてきたところからでも︑彼が社会主義運動
に大きな足跡をのこしたこと︑同時にその理論と実践の両面にわたっで重要な問題点を投げかけたことが︑窺われ
よう︒事実︑彼の見解は︑ および左派
11社会革命主義者
( S o z
i a l r
e v o l
u ‑
カウッキーの党内における指導的地位
その孤立状態はますます深刻なものとな
マルクス主義理論の発展とその現実への適用という見地から︑あるいは修正主義的立揚
から︑幾多の点において問題とせられまた批判を加えられた︒殊に前者の立場において︑
K•カウッキーの財政思想 レーニンによって仮借の
ない批判を浴せかけられたことは有名である︒またカウッキー主義
11
正統派マルクス主義の理論と実践の矛盾︑その主体性の欠如|—宿命論を指摘する批判も存在する。その他帝国主義段階への経済理論の適用という方法論的視④ 角よりするカウッキー批判︑修正主義的立場よりする批判等々︑種々の立場からの批判が行われている︒これらの
(4) (3) (2)
カウッキーの生涯における転向期は一九一0年頃に求められ︑ K
・カ
ウッ
キー
の財
政思
想
批判の行われた事実は︑いうまでもなく︑
一般
に
カウッキーの社会主義運動の指導者としての意義を如実に示しているの
さてカウッキーが財政についてどのような見解を展開したかをここで検討する訳であるが︑その場合︑今あげた
ような諸批判の指摘している問題点が彼の財政思想に反映しているか否かをみることは当然必要であろう︒
zu
r M
ac
ht
, 1
90 9)
以後の彼の半生は︑
一九
0九年に彼の著した﹃権力への道﹄︵
De r
Weg
﹁まるであらずもがなの蛇足﹂であったとみなされている︒このような時
期区分が彼の財政思想に明確に表現されているか否かについての検討も必要であろうが︑いまこの点を一応度外視
して︑彼の財政に関する労作を通覧すると︑おおまかにいって︑時期的に三つに分けられる︒すなわち︑第一の時
期は一八九0年代から一九
00
年代の初頭にかけて発表されたもの︑第二には一九0八年から一0年にかけて主と⑥ して予算協賛問題を中心として発表された諸論文︑第三には一九一五︑六年頃此と発表された諸論文である︒いまこ
れらの諸労作を︑その発表された時期を考慮し︑同時に若干の項目に整理して考察することにする︒まず最初に︑
彼の初期の労作にみられる近代国家財政の批判的叙述から始めよう︒
山
Ka rl Ka ut zk y i n : Di e Vo lk sw ir ts ch af ts le br e d er G eg en wa rt n i S el b s td a r st e l lu n g en , he ra us g. v on r . D Fe li x M ei ne r, Lei pz ig
1
92 4.
・
玉野
井芳
郎訳
︑カ
ウッ
キー
自伝
︑世
界大
思想
全集
︵河
出書
房︶
第一
四巻
︑
1一
八五
頁︒
拙稿︑ベルソシュクインの財政思想H︑山口経済学雑誌第五巻第一︱︱二号
上掲
︑カ
ウッ
キー
自伝
︑二
九三
頁︑
レー
ニン
によ
るカ
ウッ
キー
批判
は︑
周知
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うに
︑主
とし
て﹃
帝国
主義
論﹄
﹃国
家と
革命
﹄﹃
プロ
レク
リア
革命
と背
教者
ヵ
ウッキー﹄等において展開されている︒カウッキーの﹃農業問題﹄﹃ベルソシュクインと社会民主党綱領﹄を高く評価し
たレーニンも︑その後のカウッキーの思想的転向︑あるいは社会主義運動における立湯の変化をみるに及んで︑そのマル
であ
る︒
H
︱1
0
H
クス主義の歪曲をはげしく論難するに到った︒
また︑カウッキー主義における理論と実践の矛盾︑その主体性の欠如については︑猪木正道教授が指摘しておられる︒猪 木教授によれば︑カウッキー主義は︑革命主義的理論と改良主義的実践の混在による矛盾を内包し︑理諭的に革命主義を 主張しながら︑実践的には︑改良主義に堕すところの陰性修正主義である︒これはベルソシュクイソ流の陽性修正主義と
異り︑理論と実践をつなぐ主体性の欠如を特徴としていると考えていられるようである︒︵猪木正道︑ドイツ共産党史︶ま
た︑カウッキーの手になるエルフルト綱領における理論と実践の矛盾を指摘する論者は多い︒
なおカウッキーの経済理論の欠陥として︑玉野井芳郎氏は︑帝国主義段階の現実認識の欠如と経済理論の適用方法の誤ま りを指摘していられるが︵玉野井芳郎︑カール︑カウッキー︑相原茂編︑経済学説全集
8巻︑マルクス経済学の発展︑所
収︶この問題は︑マルクス経済学による資本主義分析に関しての基本的問題である︒
都留大治郎︑カウッキー解説︑上掲世界大思想全集十四巻︑三七三頁︑
第一の時期における財政問題についての労作は︑カウッキーの主要著作である﹃ニルフルト綱領解説﹄
(D as Er fu rt er Pr og ra mm ,
18 92 )
﹃ベルソシュクインと社会民主党綱領﹄︑﹃農業問題﹄︑﹃社会革命論﹄
( Di e S oz i a le R ev o l ut i o n,
1虫 ︶
2)
等に含まれ︑マルクス主義的政治︑経済理論の一部として述ぺられている︒その次の第二の時期においては︑主と して南独諸邦の地方議会における党フラクションの予算協賛問題についての見解をノイエ・ツァイトに発表している︒第
1一一の時期には︑主として租税政策が︑それ以前に比べてかなり経済学的に述ぺられている︒これも大体ノイニ・ツァイト
に発表されている︒
二
︑ 近 代 国 家 財 政 の 批 判
近代国家とその経費
H
カウッキーは︑まず第一に︑国家を支配の道具として理解する︒したがって近代国家もまた︑あらゆる従来の国
家と同様に︑第一に支配の道具である︒この近代的国家権力の担い手は議会と君主であり︑この国家権力は︑労働
(6) (5)
K•カウッキーの財政思想
K•カウッキーの財政思想
者の抑圧によってプルジョアジーに奉仕する︒このようにカウッキーは︑近代国家を階級支配の手段として理解し
如︒このことは︑別の表現によれば︑国家活動の基本的な分野は階級支配の活動にあり︑かくして国家は﹁極めて② 限定されたる程度に於いてのみ︑文化の事務をとる機関である﹂ことを意味する︒したがって近代国家は︑中世の
主権的な公共体からその独立性と支配手段を奪い︑司法︑警察︑軍隊︑租税管理を集中化するが︑しかし他面にお
いて文化的な任務についてはこれを好んで集中化することなく︑自治体やあるいは私人の手に委ねる傾向をもって
いる︒すなわち︑学校制度︑福祉事業︑交通路の開発︑維持等の文化的任務に関する国家の活動は︑狭く限定され③ た枠内に押し込められる傾向をもっている︒また例えば︑プロイセソ国有鉄道のように︑交通路の開発も︑国家の
手においては軍事的目的の下に遂行される︒このようにカウッキーは︑国家の本質規定から︑その活動を︑支配制
度と文化の担い手という二つの面で対比し︑前者が︑すなわち支配制度としての本質にもとずく機能が優越するこ
とを指摘しているが︑かかる国家の本質から生ずる国家活動の偏向ほ︑当然国家活動の経済的基礎である国家支出
の性格を規定し︑経費の構成を制約する訳である︒
さてかかる近代国家は︑カウッキーによれば︑中批の多かれ少かれ主権的な公共休の融合から生ずるものであ
り︑公共体の独立性と支配手段を奪い︑それを集中化するが︑同時に経済的側面においても既存の経済組織を解体
するか乃至はその独立性を奪うのである︒このような近代国家成立の過程において︑中泄甜建時代の政治的経済的
機構の解体の反面︑近代国家は︑それらのもっていた機能の若干のものを継承しなければならない︒それらの機能④ とは﹁その管理が個別経営の力には余るものとか︑非常に重要で個人の勝手にはまかされないとかいう機能﹂であ
り︑これが資本主義的生産様式の発展につれて拡大してくると︑国家はそれを引受けなければならなくなってく
H
H
る︒例えば救貧制度︑学校︑森林保護︑河川統制︑道路建設等々はすべてこの例である︒それのみではなく︑中世
においては考えも及ばなかったような機能が資本主義的生産様式から生み出され︑国家の経済生活への浸透は強ま
ってゆく︒例えば︑銀行政策︑植民政策︑関税政策︑鉄道政策︑労働者保護︑労働者保険︑貧民救済等の社会政策⑤ がこのことを示している︒
もと
より
︑
いま述べたような機能の増大︑活動の拡大によって国家の本質的性格が変る訳ではない︒国際的な対
立︑国内における階級対立の激化に伴い︑支配と抑圧のための国家活動は著しく拡大されることはいうまでもない
ところである︒このように国家が支配機関として軍事国家的︑警察国家的機能を遂行する現実に対して︑カウッキ6 ーは︑その文化国家への転化をもって︑社会民主党の目標とする︒この観点から︑カウッキーは︑官僚主義やミリ
クリズムに対して人民の自治その他の要求を提起するとともに︑国家をば文化普及の手段となすこと︑すなわち︑
﹁個人や地方自治体に不可能であり︑その充足が全体の拒否すべからざる欲求であるような文化任務を受持つ一っ
の手段となすこと﹂を要求すな6殊に最後の点については︑カウッキーは︑教育費︑救貧事業費︑道路費等々の国
庫負担︑司法事務の無償取扱を要求する︒しかしこれらの要求が実施されるためには巨額の費用が必要である︒カ
ウッキーは︑その例として教育費の国庫負担の場合をあげて︑その費用の巨額であることを例証しているが︑
とも
かくもこれらの要求を充すための費用は︑官僚機構やミリクリズムの改革によって可能な節約を以てしては︑けっ
して十分にはみたされない︒したがってこの経費をいかにして調達するかが当然問題になってくる︒かくてブルジ
ョア的租税政策はここに一の問題に当面している訳であるが︑カウッキーは︑これに関して当該租税政策は失敗す
るにちがいないと結論づけている︒それではカウッキーは︑このブルジョア的租税政策をどのようにみているだら
K•カウッキーの財政思想
則についてその見解を展開する︒ K•カウッキーの財政思想
ブルジョア的租税政策
一般的な労働不足のために農民の就業は ﹁人民の単なる掠奪であることを欲しない一切の租税政策﹂の出発点は何であるかというこ
﹁社会的富の如何なる源泉から国家の租税は来り︑
また流出すべきである
とから︑問題を出発する︒すなわち︑8 かT︒これに対する解答は国家の租税はただ︱つの源泉から︑すなわち剰余生産物あるいは剰余価値から生ずべき
であるということ︑これである︒つまり剰余生産物あるいは剰余価値が唯一の税源でなければならない︒この点に
ついては更に稲を改めて考察する予定であるが︑カウッキーは︑この点を一応確認した上で︑過去の租税政策の原
この剰余生産物への賦課は︑封建時代には公然の事実であった︒その時代にほ︑国家の機能は︑領主︑教会︑地
主によって遂行されたが︑彼等は︑彼等の土地所有︑すなわち農民の労働から︑現物貢租および揺役の形で︑その
収入を引き出した︒その収入は農民の剰余生産物からの取得であり︑それは通常剰余生産物の額をこえない︒その
理由は︑自然経済には貨幣経済にみられる貪慾さがみられないこと︑低級な武器技術のために農民階級は封建領主
に対して無防備でなかったこと︑窮迫すれば農民は逃亡することが出来︑
︐
到るところで可能であったこと︑この三点にある︒しかしながら︑都市に商品生産︑貨幣経済が起り︑これとともに封建的貢租と稲役の代りに貨幣形態の租税があ
らわれた︒市民階級の勃興とともに出現した国家権力の下で徴収された国税は︑封建的貢租と径役の他に貨幣租税
を含み︑しかもその徴収額は巨額に増大した︒すなわち︑兵器技術の進歩︑職業的軍隊による新兵器の使用︑貨幣 まずカウッキーは︑ 口
︑ ︒
ぅ カ
H
ニ四
H 経済の際限ない貪慾をもった中央集権国家の出現によって︒かくて封建的な徐役と貢租が減少しないのみならず︑新しい貨幣需要は著しく増加し︑この租税額の増大のために生産が退歩する事態すら生じ︑剰余生産物は国家の要求をみたすには不十分となり︑労働力の再生産に必要な部分の益々多くが国家権力およびその租税請負人の貪慾の
O l
u 犠牲となった︒その結果として当然経営の衰退︑農民階級の飢餓がはじまった︒
このような租税の徴集の増大と農民階級の困窮化に対する反作用は︑プルジョアジーの理論家による合理的租税
政策の要求を出現せしめた︒このブルジョアジーの要求は︑重農主義の理論としてまずフラソスに現われた︒重農
主義の理論は︑単一地租の要求とレッセ・フェール︑
した要求は︑その後急進自由貿易論者によってうけつがれた︒しかし彼等が前者と異る点は︑剰余価値課税の要求
のないことであった︒その代りに︑彼等は間接税を否定し︑低額所得免税を伴う所得税の要求を掲げた︒しかしこ
のマンチェスクー学派の主張は︑現実には何処においても完全に貫徹されなかった︒すなわち︑フランス革命以後
の欧洲の荒廃︑あるいはルイ・ナボレオン︑ビスマルク等の手による戦争の強行︑そしてその後の武装せる平和の
時代は︑この自由主義者の要求を現実化しなかった許りでなく︑逆に租税負担と国家負債の不断の増加を招来し
た︒更にまた文化面における経費の増大も加わり︑
に対する国家の千渉の不断の増大が現われた︒
ギリ
ス︑
K・
カツ
ッキ
ーの
財政
思想
レッセ・アレの要求として理解される︒この重農主義の提起
レッセ・フェール︑
二五
レッセ・アレの理念の代りに社会経済組織
それでは︑この増大しつつある国家の欲求は現実に如何なる方法で充足されているか︒ここでカウッキーは︑イ
フランスその他の国家の租税制度を簡単に展望している︒それによれば︑前者は︑必要な生活手段に対す
る間接税はみられないが︑所得税︑相続税等は累進的でなく︑剰余価値はできるだけ保護される妥協的な制度をと
K•カウッキーの財政思想 っている︒後者は︑これに対して︑所得税をもたず︑逆に穀物関税や塩税︑砂糖税等々の間接税を中心にした租税
体系
であ
る︒
カウッキーは︑前者を自由主義的政策︑後者を保護関税主義的政策と区分しているようである︒その 他の国家はこの中間の政策をとっている︒しかも一般的傾向としてみれば︑剰余価値は国民の生活手段より負担が はるかに少く︑さらにまた間接税が絶対的にも相対的にも増加する傾向をもっている︒このような傾向はもとより
不合理なものである︒
さてブルジョア諸党の租税政策は︑
カウッキーによれば︑今述べた二つの租税政策をけっして超えることはでき ない︒さらにまた﹁資本主義的の党ではないが︑反資本家的党でもなく︑階級利害の融和の党﹂であるブルジョア 民主党もこの両者をこえることはできない︒というのは︑それは︑資本家の租税負担を全面的に主張することもで きず︑同時にまた労働者その他の負担の免除を要求しなければならない︒したがってその租税政策は︑可能な限り の租税負担の軽減という主張に終り︑近代国家の任務機能の拡大に応ずることはできない︒かくしてこれらの租税 政策によっては︑文化国家への転化は不可能であるといわなければならないのである︒
なお附言すれば︑ブルジョア国家も︑増大する財政需要を賄うためには剰余価値を高度に調達しなければならな
い︒そこでそれらの国家において採られる方式は︑
カウッキーによれば、時には生産的目的のために発行されるが、多くの場合には、不生産的目的のためにー—ー主と して軍事的目的のために発行される︒しかもこの公債の利子はすべて国民の負担であり︑
達している︒すなわち︑軍事費と国債利子支払の額は︑それを除去することによって︑国民の負担の軽減あるいは 大なる社会改良を遂行する費用の大部分を賄えるような金額に逹しているのである︒しかしそれは︑資本主義的に
( 一
)
租税によるものでなく︑公債による調達である︒この公債は︑
かつきわめて巨大な額に 二六
K•カウッキーの財政思想
(5) (4) (3) (2) (1)
H
二七
獲得された剰余価値を国家目的に使用する手段の一として︑それの廃止は殆ど不可能であると︑カウッキーは結論
l l
u
づけ
てい
る︒
以上のようにカウッキーは︑まず近代国家活動の性格︑それの拡大する歴史過程を総括し︑他方これに対する租
税政策の展開を対置し︑プルジョア的租税政策が文化国家への転化を可能にするものでないことを結論する︒それ
では彼の積柩的な主張はどのようなものであるか︒これに入る前にわれわれは︑現実の国家予算に対する立場決定
の問題︑換言すれば予算協賛問題についてのカウッキーの所説を考察しよう︒
Ka ut zk y, a D s E rf ur te r P ro gr am m.
1
89 2.
都留大治郎訳︑ニルフルト網領解説︑世界大思想全集︵河出書房︶第一四
巻︑八六頁︒
Ka ut zk y, i D e Ag ra rf ra ge ,
18 99 .
向坂逸郎訳︑農業問題︵岩波文庫版︶︵下︶1
一九
八頁
︒
なお︑カウッキーは︑近代国家という場合に︑いわゆる専制君主制と共和制の国家を含めていると思われる︒︵上掲︑エ
ルフルト網領解説︑一四一ーニ頁︶
上掲農業問題︵下︶1
一九
八頁
︒
同上︑二九九頁︒
エルフルト綱領解説︑八五頁︒
同時に︑カウッキーは︑国家機能拡大の一部面として︑企業の国家への集中をあげている︒すなわち︑経済発展につれて︑
国家は︑自己保存︑機能のご膚効率的な管理︑収入引上げのこの三つの目的のために︑その手に企業を集中してゆく︒も
ちろんかかる傾向は︑歴史的発展段階に制約されているのであって︑資本主義生産様式の初期から一九世紀の後半にいた
るまでは︑租税による財政収入の獲得が支配的であった︒しかし一九世紀末になって専売思想が復活した︒︱つには︑国
家の貨幣需要の増大と大衆の窮乏化に伴う租税収入の不足︑二つには︑資本主義そのものが資本家的機能を果しうる一群
の職員層を生み出したこと︑この二つの理由によって専売経営のための有利な条件が生じた︑といわれる︒︵エルフルト
綱領解説︑八七ー八頁︶
他な
らな
い︒
以上述ぺてきたカウッキーの近代国家財政の批判に応じて︑彼は︑その国家予算に対していかなる態度をとるべ
きであると主張したか︑これがここでの問題である︒これは︑端的にいえば︑予算協賛あるいは予算拒否の問題に
(1U (10) (9) (8) (7) (6) K•
カウッキーの財政思想
カウッキーは︑社会主義のための三つの条件として︑労働者の組識的な力と階級意識︑生産の物的基礎︑労働者階級の知
的道徳的成熟の一
1 1点をあげている︒この三点が社会主義のための条件をなしている︒
(D er We g z ur
M
ac
ht
,
1 9 0 9 .
奥
田八二訳︑権力への道︑世界大思想全集︵︵河出書房︶第十四巻︑一七九頁︶かくして労働者階級は︑この斗争の中で︑自
分自身と国家を一段高い段階に引き上げなければならないと同時に︑また支配階級となるのにふさわしい道徳的知的な成
熟を獲得すると考えられている︒︵農業問題︵下︶二九九ー︱︱
10 0頁 ︶
この要求が打ち出される湯合の条件として︑カウッキーは︑﹁ブロレクリアートが国家の指導に対して勢力を及ぼし得る
に至る﹂ことをあげている︒︵農業問題︵下︶二九九頁︒︶しかし︑このような表現が︑一体いかなる政治的な段階を具体的
に指しているのか明らかではなく︑きわめて漠然とした表現であるといわなければならない︒
なお︑ここで社会民主党の政策目標として述べられている事柄は︑都市と農村との対立を前提し︑両者の対比において︑
主として対農村政策という観点から述べられている︒しかしそうであるにしても︑その述ぺられている内容を検討すれ
ば︑単に農村対策にのみ限定されたものとは考えられない︒
上掲
農業
問題
︵下
︶︱
‑三
四頁
︒
同上三二五頁
この理由としては︑一︑合理的農業を不可能にするような封建的圧迫︑
の苛酷さがあげられている︒︵農業問題︵下︶︱︱︱二七頁︶
同上
︳︱
‑三
四頁
以下
三
︑ 予 算 協 賛 問 題
H
二︑急速に増大した貨幣経済の要求︑ ニ八
︱‑1︑租税搾取
H
しながら︑このようなことが可能なのは︑租税協賛権の確立している場合である︒
会を通じてのみできることである︒﹂
二九
さてそれではカウッキーは︑予算協賛権について如何なる見解をもっていたか︑この点から始めよう︒その見解
一般に社会的諸階級の政治活動は︑絶対主義的専制政治における一部特権階級を除いて︑すべて議会を
通じて行われる︒すなわち︑諸階級は︑それぞれ階級利害を︑議会を通じて国家行政に反映させようとする︒しか
つまり﹁議会に代表されている
諸階級が︑国家財政にたいして必要なだけの国民の分担金を喜んで協讃できるような条件が確立しているような議
かくて租税協賛権は︑議会主義の基本的条件にほかならない︒カウッキーは
﹁租税拒否の権利と可能性が︑法律をつくったり︑拒否したり︑内閣を倒したりする権利を発展させてきた根本﹂
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であると︑明確に述べているA
予算協賛権自体の意義については以上の通りであるが︑それでは現実問題としての予算協賛問題について︑カウ
ツキーはいかなる見解を示しているか︒この点に関する彼の見解は︑バーデン︑バイエルン等の南独地方議会にお② いて社会民主党議員が行った予算協贅の事実問題に関連して述べられている︒そこでまず第一に︑この問題に対す
る彼の積極的見解を︑つづいて予算協賛論者の論拠に対する批判について考察しよう︒
彼のこの問題における出発点は︑まず第一にこの問題に対する立場の決定が依拠すべき基本原理の確立にある︒
それでは︑その基本原理とはいったい何であるか︒﹁予算協賛問題においてわれわれの出発点たるべき基本原理ほ︑
国家についてのわれわれの見解である﹂といわれるように︑国家観がその基本原理となる︒ところでカウッキーに
よれば︑国家は︑上述したように︑支配の手段であり︑機関である︒しかも国家のこのような性格は非政治的活動
( e i n unpolitisches
Wi rk en )
によって止揚される可能性はほとんどなく︑したがって国家の抑圧機関から解放機
K
・カウッキーの財政思想
によ
れば
︑
この決議の提案者であるベーベルの提案説明に眼を向ける︒この説明によれば︑例外とみなさ K•カウッキーの財政思想
関への変革が課題となる︒これがカウッキーのあげる基本原理である︒予算協賛問題はここから出発しなければな
らない︒この基本原理から︑③ ならない﹂と結論する︒
カウ
ッキ
ーは
︑
﹁われわれは現存政府に対して︑例外なしに︑予算を拒否しなければ
このような予算拒否の積極的見解にもとづいて︑カウッキーは︑予算協賛の主張乃至はその弁護論に批判的検討
まず第一の論点は︑党決議の恣意的な解釈という点にある︒予算協賛論者がその見解を正当化しようとして引用
する論拠の一は︑組織上の規約
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ウッキーは指摘する︒ とリューベック決議の本文
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である︒特にリューベック決議について︑南独諸邦の党議員が誤まった解釈を行っていることを︑力
リューペック決議は︑原則的には予算は拒否せられるべきであり︑予算協賛はただ例外的に山のみ許されることができるにすぎないことを規定しているが︑協贅論者は︑南独諸邦の地方議会でなされた予算協
贅を︑この例外規定によって論拠づけるのである︒しかしカウッキrによれば︑その解釈ほ誤まりである︒彼は︑
(A
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れる場合は二つある︒その一は︑議会において社会民主党員が多数を占める場合であり︑第二の場合は︑労働者階固級にとって相対的に有利な予算を拒否することによって不利な予算が実際に執行される結果に陥る揚合である︒し
かし︑このペーベルのあげている例外は︑カウッキーによれば︑けっして例外ではありえない︒すなわち︑前者の
場合は実は社会民主党が達成すべき目標に他ならない︒また後者についていえば︑この場合は予算の協賛かあるい
は拒否かという問題ではなく︑二つの予算のうちいずれをとるかという選択が問題なのであって︑例外としてほ妥 を
加え
る︒
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︒
つまりこの場合には予算の拒否ということがすでに不可能であり︑したがって本来拒否権を前提とする
協賛の問題ではありえない︒それ故にこのいずれの場合も︑予算拒否の原則に対する例外とみなされるべきもので
はなく︑協賛論者の解釈は恣意的である︒このような恣意的な解釈による原則は︑党の大多数に対する意識的な叛⑥ 逆であり︑分裂主義的な行為にほかならないと︑カウッキーは非難する︒
第二の問題としては︑支配権力許諾の政策
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をあげることができる︒)
いえば︑予算の協賛は︑その予算を提出した政府の容認を意味することになるのである︒このような許諾の政策は
レクリアートに全然利益をもたらさないということはないし︑また時には多少の譲歩を試みることもある︒その場
合に︑このような譲歩が反対党によってなされ︑
たり︑あるいはそれに報いるに予算協賛を以てしなければならないほどに大きな成果として歓迎すべきではない︒
それは明らかに危険な贈物であり︑ブルジョア的経済の継続を助長することを可能にするような形態と事情の下で
のみ︑プルジョア諸党に承隠されるものであるからである︒したがって反対党に協力し︑予算協賛を行い︑多少の
自党に分裂的傾向を惹譲歩をかちとろうとするn き起す結果になる︒
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活動
﹂
これに関連してカウッキーは︑
に対して︑批判的見解をのべている︒カウッキーによれば︑
K•カウッキーの財政思想 とはナソセンスである︒
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議会内でのかかる積柩的活動を主張するマウレンプレヒャー 進歩を疵痺させる桂桔となるばかりでなく︑ しかしながら拒否しないからといって︑社会民主党は︑ 彼によれば︑明かに誤まりである︒ カウッキーによれば︑これの具体的表現が予算協算にほかならない︒すなわち逆に
一般的にいって︑国家は仮令その本質において支配制度であるにしても︑プロ
かつまた階級斗争を癖痺させるからといって︑それを拒否するこ
それを感謝の念をもって受取っ
マウレンプレヒャーの主張する
レヒ
ャー
はい
う︑
K•カウッキーの財政思想
マウ
マウレンプレヒャーは︑議 ﹁老練にして勝利にみちた戦術﹂の特徴は︑議会をもって政治権力獲得の唯一の途と考える点にある︒す
なわ
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マウ
レン
マウ
レソ
ブ
﹁われわれは︑議会内において実際的な仕事を行い︑社会的な諸努力のために貨幣を引き出すよ⑧ うに力め︑そして歩一歩階級国家の変革への途を歩もう﹂と︒これに対してカウッキーはつぎのように主張する︒
マウレンプレヒャーの非難を蒙る﹁抽象的なかつすべての現実を嫌忌する理論家﹂もこのような議会内
での実際的な仕事を否定するものではない︒しかし問題は︑それのみに終始するか否かという点にある︒
ブレヒャーとの相違点は︑単に議会内での活動のみにとどまらないということにある︒
会活動を以て政治活動の唯一の方法と限定するが︑
って決定されるものでない︒
p a r l a m e n t a r i e r )
しかしカウッキーによれば︑かかる限定は単に政治的欲求によ
逆に現実の経済発展によって階級対立は日に日に尖鋭化し︑議会万能主義者
( N u r
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の予測をくつがえすような軋礫がますます現われるのである︒
第三の問題としては︑上述の﹁老練にして勝利にみちた戦術﹂の具体的な表現としての予算協賛に関するマウレ
ンブレヒャーの見解があげられる︒これに関するカウッキーの批判は二つの点でなされている︒まず第一は︑予算
の個別的票決
( E i n z e l a b s t i m m u n g )
と総括的票決
(G es am ta bs ti mm un g)
との関係についての見解である︒
レンブレヒャーによれば︑予算はきわめて広汎な分野に亘るものであり︑個別審議で個々の項目が審議の上票決さ
れ︑その後に総括的票決がなされる︒この予算の総括的票決は個別的票決の総体に他ならない︒つまり凡ゆる党は
どの項目が採択され︑また否決されるかを個別的に決定し︑採択されるべき項目と否決されるべき項目を全体につ
いて区分し︑それにしたがって総括的票決を行う︒ところで基本的には陸海軍費および植民地費と間接税収入は否
定されるべきであり︑この見地からみた場合︑帝国予算は個別審議に際して否定されるべき項目が多い故に︑総括
(—)
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ついてカウッキーは︑次のように述べている︑﹁予算の個々の項目の審議と票決は︑まったくことなった諸関係の 的票決においてほ拒否されるべきである︒しかしバイニルソ等の領邦においては︑むしろ採択されるべき項目が多い故に︑総括的票決においても協賛されなければならない︒かかるマウレソプレヒャーの見解に対して︑カウッキーは︑これは政治家の見解ではなくて商売人の見解であるときめつけている︒つまりこの見解には︑根本的問題たる誰に対して予算を協賛するかという問題が無視されている︒予算を協賛するということは︑徴税権︑財政収入およびそれから支払われる労働者︑官吏に対する処理の権根が政府に与えられることである︒かくて予算の総括的票良心なき政府の手にかかれば︑国民のために使用されない許りでなく︑逆にその抑圧のために利用されうる︒端的にいって︑予算についての総括的票決は政府に対する信任投票にほかならないのである︒
このように総括的票決に際しては︑誰に対して予算を協贅するか︑予算に包括される巨大な権力手段を誰が手中
におさめるかが問題になるが︑
票決においては︑政府とその反対党との間の敵対性が問題なのではなく︑それに比べれば相対的に副次的な事柄が
問題となる︒予算の個々の項目の中には︑政府に対する顧慮よりも純粋に合目的的な根拠が決定的であり︑政府の
個々の要求を否決したりまた党の要求を貫徹するために他党とともに多数派を形成することさえ可能な一連の項目
が存在する︒あるいはまた︑敵対的な政府に対して︑反対党が新しい収入源を開拓することもありうる︒この点に
下で行われ︑総予算についての戦術とまったくちがった戦術を必要とする︒前者の場合には︑まず第一に予算はい
かなる形態をとるべきかが問題となるのであって︑その場合個々の項目においては︑少数派が巧みな行動によって
K•カウッキーの財政思想 決に際してほ︑政府の性質
( A r t
)
が問題なのであって︑予算のそれが問題なのではない︒いかによい予算でも︑
しかしその個別的票決に際しては何を協賛するかが問題になる︒すなわち︑個別的
る︒
かく
して
︑
カウ
ッキ
ーは
︑
ほかならない︒これに対してカウッキーは︑予算と法律の相違点を述べて反駁する︒
彼は
︑
両者の相違点につい K
・カウッキーの財政思想
多数
派を
︑
しばしば政府に対立してすら︑
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かちとるという可能性が存在する〗と。したがって、予算の総括的票決
と個別的票決とはまったくちがったものであり︑前者を後者の合計の結果として者えるマウレンブレヒャーは︑
ウッキーによれば︑間にあう計算家であっても︑政治家としては劣悪な政治家にすぎない︒
マウレソブレヒャー批判の第二点としては︑予算の総括的票決に関するその理解の仕方である︒それによると︑
予算は一の法律であり︑もし予算を拒否するとすれば︑凡ゆる法律を否認しなければならず︑
いて求めるべきものは何ものも存在しなくなる︒したがって予算の拒否は︑議会活動の否定であり︑反議会主義に
て︑その成立の方法︑それを否定した場合に生ずる結果︑その有効期間等についてきわめて簡単に比較した後に︑
次のように述べている︒すなわち︑予算は政府の処理に委ねられるべき収入および物的権力手段の総括であるが︑
法律は︑政府の権力を制限し国民大衆のための諸権利を確立することもできるし︑あるいはまた支配階級に反対し
て政府に権力を保証することもできる︒例えば︑労働者保護法︑普通・平等・秘密および直接の選挙権︑出版・結
社および集会の自由を確立する法律等々︒これらの施行は予算協贅と同じ作用をもつものでないことは明白であ
る︒それのみではない︒議会主義は政府に対する斗争において大きな意義をもち︑政府の権力制限の手段となった
が︑その場合予算担否が著しい役割を果したのであり︑議会の立法上の力はこの予算拒否の力から生ずるのであ
マウレソブレヒャーの予算票決に関する見解︑彼の自負する政治的物理学に反論し
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て︑予算拒否がむしろ逆に議会活動において大きな意義をもつものであることを︑明らかにしているのである
以上三つの予算協賛論に対するカウッキーの反論を考察してきた︒カウッキーは尚その他に若干の論拠について
( 一
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かくなれば議会にお ︳ 四