戦前石川県における地主と地主名簿
著者 橋本 哲哉
雑誌名 金沢大学経済学部論集 = Economic Review of Kanazawa University
巻 1
ページ 97‑125
発行年 1980‑01‑01
URL http://hdl.handle.net/2297/18583
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戦前石川県における
地主と地主名簿
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橋本哲哉
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はじめに
戦前における石川県の地主制に関する本格的な分析をわれわれはまだ手に することができない。これにはいくつかの理由が考えられる。石川県には地 主らしい地主,とりわけ大地主がいなかった,研究意欲をそそられるような 寄生地主制度やその矛盾(例えば激烈な小作争議の発生)がみられなかった,
等々・たしかに石川県の名士として地主が登場する機会もす〈ない。たとえ ば「北陸人物誌」(明治・大正・昭和前期編,「北国新聞」昭和39~41年に 連載)の各編をみても地主の項目はなく,土地改良事業との関連で二三の 地主の名前を見うける程度である。『石川県史』の農業の節(第4編第4章,
昭和6年刊)にも地主制に関する目立った記述はない。また同r現代篇』(昭 和37年刊)の農業の章(第3編,第1章)は農家経営の動向に分析の中心を 置き研地主制そのものの分析は意図していないように思われる。石川県の地 主制研究は全国的水準からみても下位に属するといえるだろう。
一方,地主制研究全体の進展のなかで,地主制の地域的研究が深化しつつ あるが,そうした過程で石川県の地主制の客観的な位置づけが,主題から言 っていわば当然ではあるけれどもきわめておおざっぱな形でなされている。
その-,二の例を次に紹介しておこう。
寄生地主制の確立期とその特徴をどのように見るかという点について,安 良城盛昭と中村政則との間に前者は明治20年代説,後者は明治30年代説とも いうべき論拠でもって論争がおこなわれている。そのなかで安良城は明治30
(1897)年における日本地主制の地帯構造を分析し,「大局的にみて,地価 1万円以上大地主の密度と比重において対極的な二極,すなわち,地価1万 円以上大地主の密度・比重がともに高い東北日本型,および,これの対極と してL地価1万円以上大地主の密度・比重がともに低い西南日本型のニグル ープの府県の存在が明瞭に看取される」(1)としている。そして「新潟・秋田.
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熊本・青森・山形を典型とする東4上日本型と滋賀・奈良・高知・山口・福井・群馬・
長野を典型とする西南日本型」(2)と具体的に府県名を列挙している。さらに明治 20年代の分析をとおして「西南日本型の諸県においても,福井・石川にみられ るごとく,地価1万円以上大地主の密度・比重をかなり高めながらも,なお かつ西南日本型の枠内」(3)にあるとの論及をする部分もある。また明治19(1886)
年の時点において,石川は京都・福井・滋賀の各県とともに「大地主の密度・比 重が全国平棡均を常に下まわり,中」地主の密度・比重が常に全国平均を上廻わる 府県」(4)である,とも安良城は指摘している。そして明治42(1909)年より大 正13(1924)年にかけて弘石川県を含むところの「中小地主の比重が高くi 総じて,地主的土地所有規模の小さい西南日本型の諸県において,地主の象 徴ともいうべき50町歩以上大地主の密度・比重」が「低下している点に,こ の間の小作争議の昂揚が西南日本型地主制に及ぼした影響を看取しうる」(5)
と論じている。
中村政則は地主制展開の地域類型的特徴を整理し肌近畿型(耕地利用率と 水田反収が高く,かつ農業経営は八反以下の零細経営の比重が高い,50町歩 以上大地主の数が相対的lこすくない)・東北型(耕地利用率・水稲反収が低 く,家父長的な比較的大規模経営<三町前後>の農業経営が多く,また50町 歩以上大地主の数が多い)・養蚕型(両型の中間)の三つのタイプを析出し ている。そして明治19~30年にかけて「石川・福井の北陸三県および茨城,
栃木・群馬d埼玉の<養蚕型>の諸県」は,「産業革命期に依然として大寄 生地主による土地集中が進行している」(6)との主張をおこなっている。
ところでこの両者の研究は全国的なデータを処理するなかで石川県にも論 及したという程度のもので,そのデータに対する厳密な史料の点検がある意 味で弱くならざるをえない,という実情を有している。そうした限界の上に 立ってみても,安良城の論調にもうかがえるが,中村はそれよりいくらか明 瞭に石川県の地主制の`性格を東北型と西南(近畿)型の中間的なものとして 位置づけようとしているのではなかろうか。それ以上は後述することにする が,ひとつの問題として,石川県の地主名簿の確認さえ充分におこなわれて いないという状況を指摘しておく必要がある。
そこで本稿は石川県の地主制の研究のための準備過程として,現在までに 入手することのできた地主名簿を整理し飯地主の全県的な存在状況を確認す る作業をしてみたい。その上で若干ではあるが,石川県の特徴についても言 _及する。しかし本稿のタイトルを「地主制の研究」とせずに「地主と地主名 簿」としたように,いささか資料が中心となるが〆研究水準も考慮のうえ,
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庁旦
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お許しいただきたい。
、戦前石川県の農業事情
地主名簿の検討に入るまえに,次にいくつかの戦前期農業に関する統計を 提示して,その基礎的データをまず確認しておこう。
第一表は石川県全県の田・畑の地価総額および総地価を年次順に整理した
ものである。
第1表田・畑および総地価
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田 面積`ID 地価(網)
畑
面積、, 地価(初) 総地価 円 明治15(1882)年
16 17
明治18(1885)年
19 20 21 22
明治23(1890)年
24 25 26 27
明治28(1895)年
29 30 31 32
明治33(1900)年
34 35
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田 面積IIJ) 地価(;HJリ
畑
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明治36(1900)年
37
明治38(1905)年
39 40 42
明治43(1910〉年
44 45
大正2(1913)年
3
4(1915)年 大正5
6 7 8
大正9(1920)年
10 11 12 13
大正14(1925)年
15
昭和2(1927)年
3 4.
昭和5(1930)年
6 7 8 9
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注)出典は各年次「石川県統計書」に拠っている。以下とくにことおらない限り各府県 統叶番は,「明摘・大正P昭和府県統計轡災成」(雄松堂マイクロフイルム版)のも のを使用した。
なお,明拾41年は地価の調査がおこなわれておらず,また昭和16.17年の統計番を まだ箪者は発見していないので空欄のままとした。
また総地価のうち明始22年までは統計がないので,便宜上田・畑の合計総額であら わした。
水田面菰は明治29(1896)年を底として,ほぼ5万~5万5千町歩以内を 上下している。それに対して水田地価は地価修正などによって明治32(1899)
年,昭和7(1932)年,昭和13(1938)年に大きく変動し,全体としては減 額傾向にある(7)。畑地は明治19(1886)年から翌年にかけて面積が大巾に増 加しており,数値としては同19年以前は吟味を必要とする。それ以降は2万 5千~3万町歩前後となっているが,地価は明治20(1887)年を最高にして減 額している。畑地価は各年とも総地価の10%にみたない。総地価は大地主の 比重q密度を考える際の基礎資料となる。
注)出典は第1表と同じ。なお,明治20年以前は統計はない。また大正3年以降は調査 がおこなわれた年次のものだけを記載した。
田 面積01, 地価(fP)
畑
而朴i0町) 地価(H】リ 総地価(P])
昭和10(1935)年
11 12 13 14
昭和15(1940)年
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第2表自・小作地面績と小作地率
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自作地 田(1m 畑
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小作地
If1m,|繕 1MM銭 計iH,|鱗
合計 田
(則 畑
(印 計
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34 35 36 37 明治38(1905)年
39 40 41 42 明治43(1910)年
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