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雑誌名 静岡大学生涯学習教育研究

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協同学習・協同問題解決のためのコンピュータ支援 環境 (学習ネットワークと生涯学習2 : 公開シンポ ジウム)

著者 村山 功

雑誌名 静岡大学生涯学習教育研究

巻 3

ページ 151‑156

発行年 2000‑03‑31

出版者 静岡大学生涯学習教育研究センター

URL http://doi.org/10.14945/00006808

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2。 協同学習・ 協同問題解決のためのコンピュータ支援環境

静 岡大学教育学部 附属教育 実践総合 セ ンター助教授   村 山   功 ただいま紹介いただきました村山です。 よろしくお願 いします。

まず最初 に今回生涯学習 というのが もともとのテーマで して、その中でインターフェイスをという ことですので、先 ほど紹介いただきましたテーマで考えてきました。けれ ども、最初 に生涯学習 とい うもの自体 について私が どう思っているか とい うことをお話 ししたい と思います。 とい うのは、そう い う枠組みか ら言 うと、今 日する話 は本当にちっちゃな話なんだ ということをご理解いただきたいか

らです。

学生の皆 さんはあんまりそういう感覚 もないで しょうけれ ども、私 はずっ と独身でいましたが、結 婚すれば当然、一人暮 らしの人間か ら夫 とい う立場 になるわ けです よね。そうす ると初 めてなった夫 とい うもののな り方は分かんないわけですか ら、一緒 に暮 らしてい く中でその夫であるというのはど うい うことか、 自分で作 り上 げて行 くわけです。そして子 どもが産 まれ ます と、今度 は父親 とい う存 在 になって しまうわけです。そうす ると家庭 の中で父親 として生 きるとい うのは一体 どういうことだ とい うことも、まただんだん身 につけていかなければいけないわけですね。例 えば、その子 どもが今、

幼稚園に行 き始 めているんですけれ ど、子 どもにお友達が出来 ると私 は「 ゆみちゃんのお父 さん」 に なるわ けです。 そうするとゆみちゃんのお父 さん として子 どものお友達 とどう接するか ということが ひ とつの問題 としてまた出て くるわけです。 というふ うに生 きてい くって ことは、 どん どん どんどん 自分のアイデンティティが変わってい く、増 えてい く。変わってい くその中で どう振 る舞 ってい くか、

自分で作 り上 げてい くとい うのが絶対要求 されるわ けです よね。若い人 はまだピンとこない と思いま すけれ ども、私 は今度 40に なるんですね。40男 になると例 えば身体 にガタが来 るとか、そうい う問題 いろいろあるわ けです。大学の時の友だち と会 って も、最近胃の調子が・¨って話か ら始 まった りして、

何だ こいつは…って感 じになるわけですが (笑 )。 そういうの も違和感がな くなってきつつあるわけで す。 そうやって人間生 きてい く限 りは変わってい くわけで、その変わってい くものに対 して、 自分 っ てい うのをもう一度作 り直 していかな くてはいけないわけです。だか らそうい うことも含めて生涯学 習だ、人間生 きている限 りは学習 しているんだ とい うふ うに思いますんで、いわゆるお勉強的な部分 だけを取 りあげて生涯学習だっていうのはまずいなあって思 っているんですけれ ども。た またま話が インターフェイスって ことですか ら、ち ょっ と狭い範囲で、 どっちか とい うとお勉強 しましょうね、

い くつになって もお勉強 しましょうねって範囲での ものを考 えてい こうというふ うに思っています。

そういう意味で何か学ぶっていうときには、当然、学びたい知識 とか情報 というものヘアクセスし なきゃな らないわけですね。そこん とこにインターフェイスの問題が出て くるわけです。何か自分の 知 りたい こととか情報 ってい うのは、 もともとは誰かが生み出 した りして、持 っているわけです。で すか ら人か ら人へ というのが一番原始的な、原初的なインターフェイスだ と思 うわけですけれ ども、

実際 にはそうい うふ うになっていな くて、私たちが手 にする情報 というのはいろいろなメディアを通

して手 にす るわ けです。昔 はほ とん どが印刷物 とい う形で情報 とい うものを手 に入れたわ けです。そ

れが例 えばラジオのような ものになった り、テレビのような ものになった り、音楽 も実際に演奏 され

ている場 に行かない と聴 けなかったわ けですけれ ども、レコー ドか ら CD、 MDと いろんな形 にメディ

アが変わって きて、身近 に接することが出来 るようになって きているわけです。私たちが知識や情報

を獲得する とい うことを考 えるときには、インターフェイス としてメディア とい うものの存在 は考 え

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なければいけないわけです。 物理的な媒体 なしには知識や情報 とい うのは残 っていないわけですよね。

そういうふ うに考 えるとメディア とい うのが、 我々 にとって とて も大事だ とい うのがわかるわけです。

けれ ども、メディア とい うのはそ こにあるだけだ と、私たちにとって知識や情報 にな らないんです。

とい うのは、例 えば本があつて も、それがロシア語で書いてあれば、ロシア語が読 めない私 はわか ら ないわけです。そうい う意味で自分が読 めない字で書いてあれば、当然 その本 は読 めないわけですか ら、そこに書いてある情報 は私 に とってアクセスで きない ものになって しまうわけです。メディア と い うものが出て くれば、それ とペアになって リテラシー、読 み書 き能力の問題がついて くるわけです。

ですか ら、私たちのまわ りには情報があふれているわけですけれ ど、あふれているものの中には自分 がそ もそ もそれを読み書 きする能力がないが故 に、実際的にはないの と一緒 とい う、そうい う情報 も あるわけです よね。今問題 なのは、私たちの社会が持 っているいろいろな知識 というのがあるわけで すけれ ど、私がそれを利用で きるかって考 えた ときには、それが一体 どんなメディアにのっていて、

私 はそれを読 み書 きする能力があるんだろうか ということがす ごく大事 な問題 になるわけです。読み 書 きす る台旨 力 をリテラシー と言い、逆 にそうい う台旨 力がない場合 にはイ リテレイ トとかイ リテラシー とか言 うんですが、つまりそういう人 にとってはそれはないの と一緒なわ けですね。読 み書 きが出来 るとい うことは、読み書 きができることが大事だ というよりは、読み書 きを通 して、私たちの社会が 持 っているいろいろな情報 を自分の ものにす ることがで きることが大事 なわけです。言ってしまえば、

読 み書 きできることとい うのは、知 る権利 とペアなわけです。私たちの社会 は私たちの知 る権利 とい うのを二つの方法で守 って くれているわけです。ひ とつは公共図書館 とい うものがあるんですが、み なさんあんまり気 にした ことがないか もしれ ませんけれ ども、公共図書館 というものがなければ、本 とい うものは特定の個人が持 っていた り、限 られた集団が共有 していた りするとい う形で普通の人 は 見 られないわ けです よね。あるいはお金がなければ買 えないわけです よ。それに対 して、公共図書館

とい うものがあることによって私たちは誰で も本 を手 に取 ることがで きるわけです。 ところが本 を手 に取れるだけじゃやは リダメなんです よね、読 めなきゃいけないんです。そのために私たちの社会 に は公教育 とい うものがあるわけです。私たちはそこで読 み書 きとい うものを教わることによって公共 図書館 に行 った ときにそこにある本 を読む ことがで きるとい う、組 み合わせになっているわけです。

その公共図書館 と公教育 とい うものがペアになって、私たちの知 る権利 とい うのが守 られているとい うふ うに考 えます。

それを前提 にします と、メディアが変わってい くというのは、それに対応 して リテラシーの内容 も 変わってい くということなんです。例 えばビデオ というものがあ りますけれ ども、 ビデオって ものが 出て きた ときにはビデオ リテラシー という言葉が出てきました。つ まリビデオ とい うものを見て内容 を理解する能力 とい うものが必要だ ということですも あるいはマ ンガ というのはみなさん普通 に読 め ると思 うんですけれ ど、私 も普通 に読 めますが、年輩 の方の中には、ああい うのは読 めん という方 も いるわけです。つまり、「 このコマはどういう順番で読んでい くの ?」 とか、「みんなセ リフは声 に出 して読むの ?Jと か、「擬態語 をみんないちいち見てい くの ?」 とか、いちいち聞 く人 はそもそ もちゃ ん とマンガが読 めないわけです。や は り読むノウハ ウというか、 リテラシーがあって、それがで きな い人 はマンガが読 めない というふ うな状況 になっているわけです。 そうい う意味でメディアが変わっ ていけば、必要な リテラシー も変わってい くとい うのが私たちが今、負っている状況 なわけですね。

そうい うふ うなことを考 えた ときに、 これか ら私たちが持 っているいろいろな情報、大切な情報や知 識 とい うのが、一体 どうい うメディアに載 ってい くか とい うことが、私たちに とって とて も大事 な こ

とになって くるわけです。今 まで通 り必要な ものが全部本 になっているとい うんで した ら、本 を読むっ

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てい うことが私たちにとって重要な ことになるんです けれ ども、 もしこれか ら必要な情報がみんな例 えばインターネ ッ ト上 におかれ るということになれば、みんなコンピューターが使 えない とそういう 情報 にアクセスするできない とい うことになるわけです。つ まりそうい う形でコンピューターの操作

を覚 えない と知 る権利が守 られない とい うことになってい くわけです。そうい う意味で私 は情報教育 もやっていますので、学校でなんでコンピューターを教 えるか ということを考 えるときに、専門学校 で教 えればいい じゃないか とい う話 もあるわ けです けれ ども、私 はコンピューターは絶対学校で教 え なければいけない と思っています。その理由は先 ほど言 った とお りで、公共図書館 という形で誰 にも アクセスで きる情報があつて も、それを読み書 きす る能力が与 えられていなければそれはないの と一 緒ですか ら、イ ンターネ ッ ト上 にいろいろな情報が公開されているっていって も読み書 きするリテラ シーがなければそれはないの と一緒なわけです。私たちが もしそういった情報 にアクセスするとすれ ば、コンピューター とい うものの操作 を覚 えるしかないわ けです。そうい う意味で、学校でコンピュー ターを教 えるというのは、これか らコンピューター も大事だ よね とい うふ うな軽いノ リじゃな くって、

私たちが この先生 きてい く上で私たちに必要な知識や情報 とい うものが、私たちの手 に届 くところに あるようにす るためには、 これか らの子 どもたち とい うのはコンピュニターを学習 しなければいけな い。それが公共図書館 と公教育 というものの現代的な形であるというふ うに思っているわけです。 と い うわ けで、知識 と情報 に関するインターフェイス とい うふ うに考 えた ときに、メディア リテラシー の問題 は切 って も切 り離せない問題だ とい うふ うに私 は思ってい ます。

もうひ とつのインターフェイスの話 は、探索っていう問題です。つ まり私の知 りたい ことはどこか にある。どこかにあるけれ どどこにあるかわかんない、という状態があるわけです。その状態 は結局、

今の ところ、その情報が使 えない という状態ですか らないの と一緒なわ けです。そうい う意味で どっ かにあるとい うのではな くて、私がそれにアクセスで きるとい うことが大事 なわけです。そこにもま た私 と情報世界 との間 にイ ンターフェイスが あるわ けですね。私 の必要 な ものが私 に得 られ るイ ン ターフェイス というものが 自分の前 に欲 しいわけです。そうい うふ うに考 えた ときに、みなさんワー ル ド・ ワイ ド0ウ ェブ (岬 )で いろんな情報 を検索 した りすることがあると思いますけれ ども、

だいたい検索サイ トを使 つていると思います。検索サイ トを使 って、いろいろと情報 を探 し回るわ け ですね。 ところがそういう検索サイ トが、最近 はどん どん どん どんいわゆるポータルサイ トと呼 ばれ ているサイ トに変わ りつつあ ります。それはどうい うのかって言います と、 とにか くインターネ ッ ト 接続す るときには、まず私の所へ来て下 さい と。そうす ると私の所でいろいろな形でメニューがそろっ ているか ら、そこか らあなたの好 きな ものが探せ ますよという形 に今変わってきています。そうい う 意味で昔の検索サイ トを使 つて検索 しているときには、 自分が探 したい ものを自分で探す とい う非常 に能動的な形で情報の世界 と関わってい くとい うことがあったんですけれ ど、今や逆 に提供する側が 分類 して待 っていて くれているわけです。あなたが知 りたい ものはこつちにあ ります よ、 こっち来て 下 さいって誘導 してい くような形 になっています。そういう意味で自分がアクセスしたい ものか らア クセスさせたい ものへ とい う情報のインターフェイスが変わってきているので、 このままい くとどん どん どん どん人 に引 きず られ る形 になってい くと。 ここで大事 な ことは、編集ってい う概念だ と思 う んです。いろんなものがあるわけで、その中か ら自分 にとって大事 な もの とそうでない ものをより分 けて、 自分 に とって大事 な ものが一番簡単 に手 に入 るように、 自分 に とってち ょっ と大事 な ものは ち ょっ とめん どくさいけれ どわ りあい簡単 に手 に入 るようにとい うような形で、 自分 の情報空間のイ ンターフェイスを作 り上 げてい くことによって自分の情報環境 を作 るとい うことがで きるわけです。

だか らリンク集 とか、みなさん作 っている方 もい らっしゃると思いますけれ ども、 リンク集 を作 るっ

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てい うのは、そうやって自分の情報空間 とのインターフェイスを自分で作 って、 自分 にとって大切 な ものほどアクセス しやすいように、 自分のインターフェイスを作 ってい くって ことですよね。そうい う編集 という作業がインターフェイス とい うことの観点でいけば大事 になってい くというふ うに思い ます。 こうい うふ うな形で必要な知識や情報 を得 るって ことを考 えてい くといろいろなことが思いつ くわけです けれ ども、そうい うときに検索サイ トでいろいろな必要な情報 を探 し回つて もなかなか思 うような情報 に巡 り会わない ときがあ ります。断片的な知識だけをいっぱい抱 えて、全体像 はよ くわ か らない とい うこともよくあ ります。そうい うふ うな形での機械的な探索、 こうい うことについて書 いてあるページを探 してねって機械的に探索するの と違って、 もっと知的な環境 というのもあるわけ です。それはどういう環境か とい うと、例 えば教師 とかナビゲーター、 あるいは案内役 とい う人たち がいる環境です。そこでは自分が知 りたい ことってい うことを知 るために、断片的なキーワー ドだけ を手掛か りして直接 それが書いて あるところへ飛び込むんではな くて、そこの世界 はこうなっている んです よって案内 して もらった上でそこに行 くということができる。結局、情報がただ手 に入 って も 使 えなければ意味がないわけですか ら、使 える形で情報 を得 るためには、そうい う形での案内役 とい うの も必要 になるとい うことがひ とつあ ります。それか らもうひ とつはインターネ ッ トというと、ワー ル ド・ フイ ド・ ウェブばか り使 っていてネ ッ トニュースっていう方 を使 っていない人 も多い と思いま す けれ ども、ネッ トニュースの世界 はとって も面 白 くて、例 えば、 「 こうこうこうい うマンガがあった と思 うんですけれ どタイ トルわか りますか」ってポー ンと投 げると思い出せた人が、「それは何 とかっ て人 の何 とかってい うマンガです よ」とダダダダダッて返事が来 る。「 こうい うふ うなプログラムをイ ンス トール してみたんですが動 きません。 ここの設定 どうや るんですか」、「ああ、それはこうやって 下 さい」って知 っている人が返事 を書いて くれる。下手す ると、 「 それが動かないのは、あなたのそこ の設定のせいではな くて、こっちで これを入れていないか らです」ってい うふ うにして、思って もみな かった ことを教 えて くれた りす る。あるいは「あなたがその ことを知 りたかった ら、その前 にこの本 を

i読

んで下 さい」 といって定番 の教科書 を教 えて くれ る。 というふ うな形で、ネ ッ トニュースの世界 とい うのは、裏側 に知的な人たちがいっぱいいるわけですか ら、 こち らが とりあえず知 りたい ことを 投 げるだけでそれに対する答 えはおろか、 自分が予測 もしなかった ことに対する指示だ とか、あるい はいろんなそういうことを理解するためにはこうい うことを勉強 した ら良いんだよという指示 とか、

いろいろな ことを教 えて くれるわけです。そうい う意味で、後 ろに人がいる環境 っていうのは、 自分 が一生懸命情報 を探 し回るの とはまた違 った利点があるんですね。インターフェイスって先 ほど最初、

知識や情報 を得 るためにって ことで知識 と情報のインターフェイスを考 えてましたけれ ども、実際に は私たちが何かを学ぶって ことを考 えると、裏側 にいる人間がす ごく大事 になることがわか ります。

私たちが生涯学習な ら生涯学習、そのための知識や情報 を得 るって ことを考 えた ときもや はり知識や 情報 に対す るインターフェイスだけじゃな くて、向 こう側 にいる人間に対す るインターフェイス も考

えていかな くてはいけないんじゃないか とい うふ うに思 うわけです。

今 回タイ トルに、協同学習 とか協同問題解決 とい う言葉 を使わせて もらいましたけれ ども、 これは そういった ことを含んでいる概念です。つ まり私たちは、知識や情報 を獲得 してお勉強 していろんな ことが出来 るようになってい くというような ものが学習だ とついつい思 っちゃうわけですけれ ども、

必ず しもそうじゃないわけです よね。私たちは例 えば学習の ことを「 自分探 し」とか「 自分作 り」って い う言い方 をす るときがあ りましたけれ ども、 どんな自分 を探 したいのか、 どんな自分 を作 りたいの か とい うためには、 自分 はどうい う場所 にいて、 どうい うふ うにな りたいのか とい う、そのモデルが やっば り要 るわけです よね。 自分がいたい場所、そこで こういう人 にな りたい と思 うか らこそ、そこ

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で頑張 つて、そうい う人間になるように努力するとい うことが起 こるわけです。そういう意味で、私 たち生涯学習 をしてい く上で こうい うふ うにな りたい、 こうい う場所 にいて、 こういう人間にな りた い とい うのは、ひ とつ とて も大事 な ことだ と思 うわ けです。そういうふ うに考 えると、教科書みたい な ものを読 んで勉強するとい うのは、あれはあ くまで も結果が書いてあるだけに等 しいので、 これを 作 っている人たちは一体何 を信 じて頑張つているんだろう ?、 一体 どういうルールの もとで これ を生 み出 しているんだろう?と いうことが教科書読んでいるだけではわか らないんですね。 こういった こ

とを知 って、そういう人たちの仲間になってい くとい うことを学習だ とい うふ うに考 えるんだった ら、

や は り知識や情報だけでな くて、そうい う人たちの仲間 になってい くためのインターフェイス という ものが必要だ というふ うに考 えるわけです。そのためにコンピューターを使 いましょうとい うのが最 近 の学習の分野 における流れになっています。 これはもともとは仕事の方のコンピューター利用の話 か ら来ているんですけれ ども、 コンピューターを職場で 1人 1台 渡 して、 ワァプロや表計算使 えば、

会社 の生産性 はす ごく上が るだろうと期待 されて大 きな会社か らどん どん社員 に配 っていつたんです よね。 ところが、実際にそうやつてワープロや表計算 を使 えるようにして も思 ったほど生産性 は上が らなかったわけです。 これ は何でかつてい うと、結局会社の仕事 っていうのは 1人 が何か頑張って済 むっていう仕事ではな くて、その部署 な り課 な りで仕事 を共有 して回してい くことによって仕事が動 くとい うものです よね。その稟議書が まわった りとか、決裁や伝票が まわった りという形で。会社の 仕事 ってい うのは 1人 の作業ではな くて協同作業だつたわけです。 ということは一人一人 に道具 を与 えて、 ワープロや表計算で武装 して もらって もそれだけでは全体 の仕事 はうま く流れなかったわけで す。それ よりも、 うちの職場では、仕事 はこうい うふ うに流れてい くんだか ら、それが うま く流れる ような仕組みをコンピューターで作 らなければいけない、 というふ うな形 に変わってきたわけです。

その手 の研究が、協同作業のコンピュータ支援 と呼ばれている分野なわけです。それが学習の分野 に も波及 してきて、協同学習 におけるコンピュータ支援 とい うのがひ とつ研究の新 しい流れ として出て きました。つまり、 コンピュータを一人一人が持 って学習 しやす くしようねって話ではな くなってき て、 コンピュータが教室の中な ら教室の中にあって、その中でみんなで どうい うコミュニケーション をやった ら、みんなで学習することがで きるのか とい う形 に変わって きているわけです。そう意味で

CSCLと 呼ばれているコンピュータによる協同学習の支援 とい うものが、最近 の教育工学的な研究の ひ とつの トレン ドになっています。それはつまり学習 とい うのが一人一人がただ必死 に机 に向かって 頑張ればいい ものではな くて、実 はいろんな人がいろんな発想 をした りしなが ら進 めてい くものであ る。 それでいろんなことをどん どん言ってみるやつ もいれば、人が言った ことをとりあえず じぃ―っ と考 えているやつ もいる。あるいは、その言った ことに対 して とりあえず反論 してみるやつ とかいろ んな人がいるわけです よね。そういった形で参加す ることによって、 1人 の人間で考 えているだけで は全然形 にな らない ものを、みんなで よってたかって、いろんな形でサポー トし合 うことによって、

皆で共有で きる知識 を作 り上 げてい く。そうい うふ うな形で学習 をしてい こうね とい うのが、最近の 教育工学 におけるひ とつの トレン ドなわけです。 こうい うふ うな ことを考 えると、学校 とい う場所だ けでそ ういつた ものを独 占す るのはおか しなわけで、 コンピュータのネ ッ トワークであれば、当然、

側 にいない人で もそ ういった形で コ ミュニケーションで きるわ けですか ら、そ ういった システムを

もっ と広げて生涯学習に使 ってい くことが出来 るとい うふ うに思 うわけです。つ まりそこにある必要

なコンピュータのシステム とい うのは、何か私の得た知識 をとっておいた り、整理 した りす るための

道具で はな くて、他 の人 とそこで交流 して考 え合 うことによって新 しい ものを作 ってい くためのコン

ピュータシステムをそこに作 る。それを通 して、共同体 の中に参加 してい くことによって、その中で

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生 きる人間 として「私」 とい うものを作 ってい くということが生涯学習のひ とつの目的 じゃないかな と思 うわ けです。そうい う意味で、 うまい情報提供 の仕方 を考 えるとい うことは決 して生涯学習 を進 めてい くためのいい手ではな くて、それは孤独 な学習者 を増や してい くだけにすぎないんです よね。

そうじゃな くて、私 は私の仲間がいて私 より先 に進んで どん どんいろいろな ものを生み出 している人 もいる。私 よりち ょっ と早 く始 めてち ょっ と先 に進んでいる人 もいる。その うちにあ とか ら入 ってき て右 も左 も分かんない、そういえば昔 は自分 もそうだったなぁという人が入 ってきて、そういう人 に ち ょっ と親切 にしてみた りする。 というような ことを繰 り返 しなが ら、その世界の中で、その社会の 中で生 きてい く「私」 とい うものを作 り、その中でいろいろな知識 を身 につけてい く。 その ことを通 して自己実現 ということとくっついた生涯学習 をしていけるというふ うに思 うわけです。そのために は、知識や情報だけのインターフェイスを考 えていちゃダメで、人 と人 とをどうやって結びつけるかっ てそ うい うためのインターフェイスをこれか らデザインしていかな くてはな らない と思っています。

以上です。

コーデ ィネーター

:

「 どうもあ りが とうございました。大変情報教育の意味 を分か りやす くお話頂 けたか と思います。

今、村山先生がお話 になった ように、 こういったメディア とい うものは、孤独 な学習者 を増やす もの ではな くて、学習 に深 まりをもた らす ものであ り、協同作業 をより深めてい くものであ ります。協同 作業 をより深 めてい くとい う意味か ら考 えてみます と、 先 ほど石川先生か らもお話 あ りましたように、

新 しいメディアができることは学習の場 とか学習 に参加す る人 を増や し、拡大 してい くということで あ り、そ うい うもの として機能 させてい くことこそが重要であると非常 に強 く感 じました。

それでは 3番 目に平田先生か ら『福祉文化の創造 と生活者の学び合い』 とい うことでお話 をいただ きたい と思い ます。平田先生 は、静岡県の社会福祉人材セ ンターの部長 をお務 めでい らっしゃいます。

昭和59年 か ら静岡県の社会福祉協議会 にお勤 めにな り、平成 7年 か ら現在の職 についてい らっしゃい

ます。先生 どうぞよろしくお願いいた します。」

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