形象思惟論札記(二)
著者 齋藤 敏康
雑誌名 静岡大学教養部研究報告. 人文・社会科学篇
巻 21
号 2
ページ 332‑307
発行年 1986‑03‑15
出版者 静岡大学教養部
URL http://doi.org/10.14945/00008507
形象思惟論札記(二)
齋藤 敏 康
三 50年代形象思惟論の基本認識と鄭季翻論文
形象思惟をめぐる文学状況の特徴
前述したように,典型化論ないし形象思惟論が盛んに論じられるように なるのは,「文芸報」に転載された「コムニストj誌論文『文掌芸術中の 典型問題について」をきっかけにしている。そして,その際先ず学術的 な批評の対象になったのは,巴人「文学論稿jであるという経過も,楊嘉 仁などの指摘で裏づけられるのだがIDそれとは別に,や、抽象的に言えば,
当時文芸界に,文学論をめぐって,特に典型化など創作方法や芸術認識論 に関して,その特性への理解を深め,共通の解釈と認識を拡げなければな
らない現実的な要請があった。
先ず,54年の胡風事件である。解放直後の体制変革に伴なう政治的立場 の転換を課題とした思想改造運動とことなり,54年秋に始まる「紅楼夢」
研究批判から,胡風思想批判へとつながる運動は,マルクス主義か否かと
いう知識人の思想が直裁に間われ,「その学問の方法と思想方法そのもの
② を問題とされる」ことになったのである。それは,後に王惟i中が「きわめ
て多くの学術思想上の問題が,何れも反動思想というレッテルを押しつけ
られているが故に,その道理を説くこともできない実情にある。だが思想
というものは,圧服することのできないものであり,面とむかっては そ
の通り、と承服しても,一歩門を出れば そんなことがあるものか、と赤
い舌を出すこともできるの遡と述べるように,知識人の強い抵抗にであ
うことになった。そのような中で,胡風が54年6月に申国共産党中央へ意
見書を提出し,党の文芸政策を批判したことは,やはり衝撃的な意味をもっ
ていたと言えよう。形象思惟論に関する議論は,この,胡風に対する批判
を通じて問題として意識されはじめた芸術認識論の検討という課題にもと
ついて起きてきている♂その意図は,たとえば周揚の次のような言及に見
てとれよう。
胡風は芸術認識のKX特殊性、を誇張し,創作の過程をたっぷりと神秘 化して描き出した。かれがそうしたのは,作家が芸術的に現実を反映す るのは科学的に現実を反映するのと異った特徴があるということの理解 をたすけ,芸術創作の法則を掌握することをたすけるためでは,勿論,
なくて,芸術認識と科学認識,形象思惟と論理思惟をまったく引き裂い て,作家の創作は,その世界観とはなんら関係がなく,創作は,ただイ ンスピレーションと,主観的嘆誠、という特殊な 法則,、に従うだけ であることを証明したかったからである。このように,かれは一方では,
芸術認識のxx神秘化.という外衣の下で放騨に唯心主義的思想の毒素を 播き散し,他方では,先進的な世界観と,時代のあらゆる進歩思想の創 ④
作過程における作用を排斥したのである6
作家が自律的な思惟を掲げて党の路線に同調しないこと,創作にあたっ て,マルクス主義的な世界観を反映させようとしないことへの危惧が,こ こにある。こうした発書の前提には,さらに,文学が社会主義的な新しい 生活現象から取り残されがちだという自己認識もある。それゆえに,周揚
も胡風とは異った把握にたって,作家が,公式主義的な傾向を克服して,
正確に芸術的な現実反映ができるようになるべく,形象的思惟の特徴をしっ かり会得することを求めたのである。
次に,50年代前半の学術界における,「実践論」「矛盾論」などをはじ めとする所謂毛沢東患想の宣揚運動と,それの文芸界における公式的受容 に反対する動き,即ち公式化,概念化批判がある。50年代前半の雑誌は,
今日,多くを渉猟しがたいが,例えばこの時期の「文芸報」からこの傾向 を看取することは難しくないし,手許にあるF新建設」についてみても,
⑤
マルクス主義・毛沢東思想への系統的な論及は顕著である。つまりこの運 動は従来に変って,哲学,社会科学の基礎に毛沢東思想を置くことによっ て,解放後の思想,学問の枠組を根底的に組み替えることをめざしたもの であった。これにともなって,文芸論の分野でも,程千帆にみられるよう な機械的文学観が横行するし,巴人の「文学論稿」も批判者の眼からは,
そうした流れに属するものと映ることになる。それに対して,ニコラエヴァ 論文やコムニスト論文,さらに50年代前半のソビエト心理学や言語哲学の 紹介は,こうした潮流をF公式化・概念化」あるいはr煩環哲学,庸俗社 会学」と批判するための視座を与えたといえる。
こうして,次のような批判が一一斉に起った。 t
若い学生は,文学芸術の独得な作用を理解せずに,社会現象を考察し,
現象の本質を分析する理論を文学芸術と一緒にして論じている噌
かって何人かの同志が文学芸術における形象思惟の特徴を離れ,一面 的に社会的な力の本質を反映することを強調して,理論上は庸俗社会学 の誤りを犯し,文学創作の発展を阻害したことは,われわれが永遠に戒 ⑦
めとしなければならないところである。
ドブロリウボフなどを引用しながらロシア民主々義文学派の形象思惟論 を敷術する唐強も「政治概念に依拠して,些か家門を飾りつけておいて,
文学.作品と称するものは,その実,非文学であり,たいした政治的意 ⑧
味ももたない,生命のないものである」と述べている。唐張のように3◎年 代の文学運動を体験している者の立場からは,単純な政治概念の絵解きが,
いかに文学的想像力を枯渇させるかということを,既に幾度となく,痛切 に経験してきていたはずであり,それだけに,その危惧は一魍実感的であっ ただろう。
さらに,文学教育ないし作家の養成という観点からも,形象的思惟を発 ⑨
揮し,r真実の生活形象によって,人々に生活そのものを認識させるJ文 学が求められていたという事情がある。
文芸を学べば,同時に政治も学ぶことができ,政治的覚醒を高めるこ とができる。しかし政治を学ぶことは,文学を学ぶことと決して同じで
はな魂
学校で文学を学び文学について興味をもつことは,文学教育にとって 極めて初歩的な条件の準備であるが,将来(それも遠くない将来)この 基礎の上に修養を積み,蓄積のある文学家が輩出すること,これは,そ うあらねばならないし,またその必要もあることだ曾
このよう}( ,文学教育の模索,改編とも関わって,そうした施策の必要 性を強調する論拠として,文学的認識の意義と特殊性が説かれる面がある。
それはおそらくr実践論」に基いた創作方法を強調する立場からも共有し えた新中国の若々しい課題意識であったであろう。日々その相貌をあらた める解放後の社会的現実に対して,変化に立ち遅れることなく,文学がい かに現実を認識し描写するか,またぐの営みを通じて,みずからどう意識 変革を遂げるかということは,この時期の文学者を捉えた根底的な関心で あった。そのようなことを前提とした上で,さらに,「実践論」を選ぶこ とと,ロシア民主々義文学派の遣産から,マルクス主義論理学,ソビエト 心理学などに到る諸学の成果に立脚点を求めようとする志向の分岐点が,
謂わば立場の違いとして存在したのだと言える。
以上のような背景となる状況に加えて,57年頃からは反「右派」闘争が すxめられる。形象思惟に関する討論は,これら外延的な諸状況との関係 で徴妙にその方位を変えながら展開していくことになる。
巴人の典型論・形象思惟論とその批判
解放後,最初に文学芸術論を包括的に論じて注目されたのは,巴人の 「文学論稿〕であった。このことは,それを批判した張文勲が,巴人の著 書は,指導的意味をもった包括的な文芸理論書であり,唯心主義を批判す ⑫ るなど,一面では多くの,優れた特徴をもつと評価することからも伺える。
しかし,56年改訂版以後の「文学論稿」,とりわけその典型化論は,文学 の公式化,概念化に拍車をかけるものであるとして一斉に批判され,この 巴人批判を契機にして,本格的な形象思惟論争が始まっていく。そこで先 ず巴人の論である。数十万華字に及ぶこの論著を的確に概括することは難 しいが,論争の対象となった個所を中心に摘記して,その典型論,形象思 惟論の輪郭を明らかにしておきたい。
芸術文学は,事実に依拠するけれども,しかし,事実を透過して本質 を把握し,その最高の真実性に,さらに形象化という表現を加えた形象 である。あるいは,それぞれの事実を総合し,それらの共通性(あるい は共通の特徴)の上に構成した形象である。
阿Qの形象は,決して現実の歴史的人物に借りたのではなくて,旧中 国の非圧迫,非搾取人民の中に普遍的た存在した所謂N・国民的愚劣根
性、を,ひとりの農村の浮浪者の上に形象化したものである。
形象性は,畢寛,文学芸術が文学芸術でありうるための重要な要素で ある。形象は作家の,現実世界での体験や,体験された内在世界を顕現 させたもであり,本質を対象化したものである。
形象は現実の真理,本質の具体的顕現である。文学芸術は思想科学と 表現方法を異にするけれども,その内容は同じであり,同じ様に,真理 を発見するものであるとすれば,われわれは,いかに真理,あるいは本 質を発見し,どのようにそれを作品に形象化すべきなのだろうか?
現実の本質,現実の真理の発見には,抽象あるいは概括の過程が必要
である。哲学,科学も然り,文学もまた然りである。現実のあらゆる材
料に 粗を捨てて精をとり,偽をすてて真を残し,これからあれへ,表
面から内部へ、と,改造を加える過程,この過程こそは,抽象化あるい
は概括の過程でありsまた思惟する過程でもある。哲学家と科学者には 必らずこの思惟過程があるし,文学者にもまた必らずこの種の思惟過程 が存在するのである。
現実から出発して,現実の本質及び真理を発見するという点では,科 学者,哲学者と文学者はすべて一様である。……後者(文学者一一齋藤 注)は,形象思惟によって現実の特徴的な相貌を概括してtその本質的 寒概念,、(主題思想)あるいは 法則、(事件あるいは人物の傾向性)
を顕示する(述べるのではなく)のである。
(個別的な生活現象に思考を加え,共通性を発見することによっで一一 齋藤注)主題患想が生まれる。それで概念をつくり,然る後に,この主 題思想を中心にして,各々の生活現象の中で,主題思想の表現に最も適 合する特徴的なものを概括して,ひとつの芸術形象とする。
「文学論稿」は,後の以群「文学的基本原理」(1963年刊)などを除け ば,50年代の各種の文学概論書と比べて,はるかに大きな影響力をもった 文学論といえる。=コラエヴァ論文についても原文に当って詳細に分析し ているし,その他のロシア語文献や中国古典からの典拠の例示も広範かつ 多彩である。しかし,それにしても,その認識論の根底に毛沢東の認識論,
とくに「特殊から一・一 ・・般へ,そしてさらに一般から特殊へjというテーゼが 据えられていることは明白である。そしてこの観点から,作家の現実認識 段階と表現段階を切り離して,実質的には,形象思惟論に,現実の芸術的
「表現」のための意義しか認めまいとする傾向がある。少なくとも,容易 にそのように理解されかねない叙述は随所にみられる。そして,批判者の 議論もその点に集中していくのである。そうした批判の論をいくつか見て いきたい。
張文勲は,巴人が芸術において現実を認識,反映する過程での形象思惟 の特徴を抹殺して,芸術的認識過程を載然とこ二段階に分け,先に論理思惟,
続いて形象思惟という段階論にしてしまった,とすざ逡
「芸術認識の特殊性を認識の一般法則に置きかえている」という批判はt 多くの巴人批判に共通の指摘である。この段階論が,典型形象の創造過程 に応用されると、まず「各階級の各々の構成員の性格」を「抽象・総合」
し(第一段階)次に,「一般から特殊へjの「個性化」の過程に移る(第
二段階)という「機械的段階論」になる。これでは「個性を典型化の付加
物」にすることにしかならない,と張文勲は述べる。さらにかれは,主題
思想の形成にあたっても,概念を肉付けして芸術形象とするという段階論
が貫れると指摘して巴人説を批判したあとで,それに対して,典型化は,
個性化を必須の要件として含むけれども,それは現実を一般的な概念に分 解,還元する方法では捉えられない,と反論する。また主題思想の形成に ついても,次のように述べる6
作家はまだ筆を執る前に,はなはだしい場合には,意識的にある作品 を構想する以前から,すでに沢山の人物を知悉していて,頭の中には,
初歩的に,多くの形象が形成されている。これらの形象が脳髄に形成さ れるのは,まさに作家が,既に生活について一定の認識をもったことに よるのであり,既に現象から本質へと深くすすみいったことによる。
思想主題の形成は,決して人物形象の形成とは分裂しないのであり,
思想的主題と人物形象の形成とは,作家の論理思惟と形象思惟の弁証法 ⑭
的作用の結果なのである。
つまり,形象を自覚的に捉えること自体が既に本質の認識主題の形成 を含むということである。形象の脳髄への蓄積と再生が,生活についての
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