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形象思惟論札記(二)

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形象思惟論札記(二)

著者 齋藤 敏康

雑誌名 静岡大学教養部研究報告. 人文・社会科学篇

巻 21

号 2

ページ 332‑307

発行年 1986‑03‑15

出版者 静岡大学教養部

URL http://doi.org/10.14945/00008507

(2)

形象思惟論札記(二)

齋藤 敏 康

三 50年代形象思惟論の基本認識と鄭季翻論文

形象思惟をめぐる文学状況の特徴

 前述したように,典型化論ないし形象思惟論が盛んに論じられるように なるのは,「文芸報」に転載された「コムニストj誌論文『文掌芸術中の 典型問題について」をきっかけにしている。そして,その際先ず学術的 な批評の対象になったのは,巴人「文学論稿jであるという経過も,楊嘉 仁などの指摘で裏づけられるのだがIDそれとは別に,や、抽象的に言えば,

当時文芸界に,文学論をめぐって,特に典型化など創作方法や芸術認識論 に関して,その特性への理解を深め,共通の解釈と認識を拡げなければな

らない現実的な要請があった。

 先ず,54年の胡風事件である。解放直後の体制変革に伴なう政治的立場 の転換を課題とした思想改造運動とことなり,54年秋に始まる「紅楼夢」

研究批判から,胡風思想批判へとつながる運動は,マルクス主義か否かと

いう知識人の思想が直裁に間われ,「その学問の方法と思想方法そのもの

      ② を問題とされる」ことになったのである。それは,後に王惟i中が「きわめ

て多くの学術思想上の問題が,何れも反動思想というレッテルを押しつけ

られているが故に,その道理を説くこともできない実情にある。だが思想

というものは,圧服することのできないものであり,面とむかっては そ

の通り、と承服しても,一歩門を出れば そんなことがあるものか、と赤

い舌を出すこともできるの遡と述べるように,知識人の強い抵抗にであ

うことになった。そのような中で,胡風が54年6月に申国共産党中央へ意

見書を提出し,党の文芸政策を批判したことは,やはり衝撃的な意味をもっ

ていたと言えよう。形象思惟論に関する議論は,この,胡風に対する批判

を通じて問題として意識されはじめた芸術認識論の検討という課題にもと

ついて起きてきている♂その意図は,たとえば周揚の次のような言及に見

てとれよう。

(3)

  胡風は芸術認識のKX特殊性、を誇張し,創作の過程をたっぷりと神秘  化して描き出した。かれがそうしたのは,作家が芸術的に現実を反映す  るのは科学的に現実を反映するのと異った特徴があるということの理解  をたすけ,芸術創作の法則を掌握することをたすけるためでは,勿論,

 なくて,芸術認識と科学認識,形象思惟と論理思惟をまったく引き裂い  て,作家の創作は,その世界観とはなんら関係がなく,創作は,ただイ  ンスピレーションと,主観的嘆誠、という特殊な 法則,、に従うだけ  であることを証明したかったからである。このように,かれは一方では,

 芸術認識のxx神秘化.という外衣の下で放騨に唯心主義的思想の毒素を  播き散し,他方では,先進的な世界観と,時代のあらゆる進歩思想の創        ④

 作過程における作用を排斥したのである6

 作家が自律的な思惟を掲げて党の路線に同調しないこと,創作にあたっ て,マルクス主義的な世界観を反映させようとしないことへの危惧が,こ こにある。こうした発書の前提には,さらに,文学が社会主義的な新しい 生活現象から取り残されがちだという自己認識もある。それゆえに,周揚

も胡風とは異った把握にたって,作家が,公式主義的な傾向を克服して,

正確に芸術的な現実反映ができるようになるべく,形象的思惟の特徴をしっ かり会得することを求めたのである。

 次に,50年代前半の学術界における,「実践論」「矛盾論」などをはじ めとする所謂毛沢東患想の宣揚運動と,それの文芸界における公式的受容 に反対する動き,即ち公式化,概念化批判がある。50年代前半の雑誌は,

今日,多くを渉猟しがたいが,例えばこの時期の「文芸報」からこの傾向 を看取することは難しくないし,手許にあるF新建設」についてみても,

       ⑤

マルクス主義・毛沢東思想への系統的な論及は顕著である。つまりこの運 動は従来に変って,哲学,社会科学の基礎に毛沢東思想を置くことによっ て,解放後の思想,学問の枠組を根底的に組み替えることをめざしたもの であった。これにともなって,文芸論の分野でも,程千帆にみられるよう な機械的文学観が横行するし,巴人の「文学論稿」も批判者の眼からは,

そうした流れに属するものと映ることになる。それに対して,ニコラエヴァ 論文やコムニスト論文,さらに50年代前半のソビエト心理学や言語哲学の 紹介は,こうした潮流をF公式化・概念化」あるいはr煩環哲学,庸俗社 会学」と批判するための視座を与えたといえる。

 こうして,次のような批判が一一斉に起った。 t

  若い学生は,文学芸術の独得な作用を理解せずに,社会現象を考察し,

(4)

 現象の本質を分析する理論を文学芸術と一緒にして論じている噌

  かって何人かの同志が文学芸術における形象思惟の特徴を離れ,一面  的に社会的な力の本質を反映することを強調して,理論上は庸俗社会学  の誤りを犯し,文学創作の発展を阻害したことは,われわれが永遠に戒       ⑦

 めとしなければならないところである。

 ドブロリウボフなどを引用しながらロシア民主々義文学派の形象思惟論 を敷術する唐強も「政治概念に依拠して,些か家門を飾りつけておいて,

文学.作品と称するものは,その実,非文学であり,たいした政治的意        ⑧

味ももたない,生命のないものである」と述べている。唐張のように3◎年 代の文学運動を体験している者の立場からは,単純な政治概念の絵解きが,

いかに文学的想像力を枯渇させるかということを,既に幾度となく,痛切 に経験してきていたはずであり,それだけに,その危惧は一魍実感的であっ ただろう。

 さらに,文学教育ないし作家の養成という観点からも,形象的思惟を発        ⑨

揮し,r真実の生活形象によって,人々に生活そのものを認識させるJ文 学が求められていたという事情がある。

  文芸を学べば,同時に政治も学ぶことができ,政治的覚醒を高めるこ  とができる。しかし政治を学ぶことは,文学を学ぶことと決して同じで

はな魂

  学校で文学を学び文学について興味をもつことは,文学教育にとって  極めて初歩的な条件の準備であるが,将来(それも遠くない将来)この  基礎の上に修養を積み,蓄積のある文学家が輩出すること,これは,そ  うあらねばならないし,またその必要もあることだ曾

 このよう}( ,文学教育の模索,改編とも関わって,そうした施策の必要 性を強調する論拠として,文学的認識の意義と特殊性が説かれる面がある。

それはおそらくr実践論」に基いた創作方法を強調する立場からも共有し えた新中国の若々しい課題意識であったであろう。日々その相貌をあらた める解放後の社会的現実に対して,変化に立ち遅れることなく,文学がい かに現実を認識し描写するか,またぐの営みを通じて,みずからどう意識 変革を遂げるかということは,この時期の文学者を捉えた根底的な関心で あった。そのようなことを前提とした上で,さらに,「実践論」を選ぶこ とと,ロシア民主々義文学派の遣産から,マルクス主義論理学,ソビエト 心理学などに到る諸学の成果に立脚点を求めようとする志向の分岐点が,

謂わば立場の違いとして存在したのだと言える。

(5)

 以上のような背景となる状況に加えて,57年頃からは反「右派」闘争が すxめられる。形象思惟に関する討論は,これら外延的な諸状況との関係 で徴妙にその方位を変えながら展開していくことになる。

巴人の典型論・形象思惟論とその批判

 解放後,最初に文学芸術論を包括的に論じて注目されたのは,巴人の       「文学論稿〕であった。このことは,それを批判した張文勲が,巴人の著 書は,指導的意味をもった包括的な文芸理論書であり,唯心主義を批判す       ⑫ るなど,一面では多くの,優れた特徴をもつと評価することからも伺える。

しかし,56年改訂版以後の「文学論稿」,とりわけその典型化論は,文学 の公式化,概念化に拍車をかけるものであるとして一斉に批判され,この 巴人批判を契機にして,本格的な形象思惟論争が始まっていく。そこで先 ず巴人の論である。数十万華字に及ぶこの論著を的確に概括することは難 しいが,論争の対象となった個所を中心に摘記して,その典型論,形象思 惟論の輪郭を明らかにしておきたい。

  芸術文学は,事実に依拠するけれども,しかし,事実を透過して本質  を把握し,その最高の真実性に,さらに形象化という表現を加えた形象  である。あるいは,それぞれの事実を総合し,それらの共通性(あるい  は共通の特徴)の上に構成した形象である。

  阿Qの形象は,決して現実の歴史的人物に借りたのではなくて,旧中  国の非圧迫,非搾取人民の中に普遍的た存在した所謂N・国民的愚劣根

性、を,ひとりの農村の浮浪者の上に形象化したものである。

  形象性は,畢寛,文学芸術が文学芸術でありうるための重要な要素で  ある。形象は作家の,現実世界での体験や,体験された内在世界を顕現  させたもであり,本質を対象化したものである。

  形象は現実の真理,本質の具体的顕現である。文学芸術は思想科学と  表現方法を異にするけれども,その内容は同じであり,同じ様に,真理  を発見するものであるとすれば,われわれは,いかに真理,あるいは本  質を発見し,どのようにそれを作品に形象化すべきなのだろうか?

  現実の本質,現実の真理の発見には,抽象あるいは概括の過程が必要

 である。哲学,科学も然り,文学もまた然りである。現実のあらゆる材

 料に 粗を捨てて精をとり,偽をすてて真を残し,これからあれへ,表

 面から内部へ、と,改造を加える過程,この過程こそは,抽象化あるい

(6)

 は概括の過程でありsまた思惟する過程でもある。哲学家と科学者には  必らずこの思惟過程があるし,文学者にもまた必らずこの種の思惟過程  が存在するのである。

  現実から出発して,現実の本質及び真理を発見するという点では,科  学者,哲学者と文学者はすべて一様である。……後者(文学者一一齋藤  注)は,形象思惟によって現実の特徴的な相貌を概括してtその本質的   寒概念,、(主題思想)あるいは 法則、(事件あるいは人物の傾向性)

 を顕示する(述べるのではなく)のである。

  (個別的な生活現象に思考を加え,共通性を発見することによっで一一  齋藤注)主題患想が生まれる。それで概念をつくり,然る後に,この主  題思想を中心にして,各々の生活現象の中で,主題思想の表現に最も適  合する特徴的なものを概括して,ひとつの芸術形象とする。

 「文学論稿」は,後の以群「文学的基本原理」(1963年刊)などを除け ば,50年代の各種の文学概論書と比べて,はるかに大きな影響力をもった 文学論といえる。=コラエヴァ論文についても原文に当って詳細に分析し ているし,その他のロシア語文献や中国古典からの典拠の例示も広範かつ 多彩である。しかし,それにしても,その認識論の根底に毛沢東の認識論,

とくに「特殊から一・一 ・・般へ,そしてさらに一般から特殊へjというテーゼが 据えられていることは明白である。そしてこの観点から,作家の現実認識 段階と表現段階を切り離して,実質的には,形象思惟論に,現実の芸術的

「表現」のための意義しか認めまいとする傾向がある。少なくとも,容易 にそのように理解されかねない叙述は随所にみられる。そして,批判者の 議論もその点に集中していくのである。そうした批判の論をいくつか見て いきたい。

 張文勲は,巴人が芸術において現実を認識,反映する過程での形象思惟 の特徴を抹殺して,芸術的認識過程を載然とこ二段階に分け,先に論理思惟,

続いて形象思惟という段階論にしてしまった,とすざ逡

 「芸術認識の特殊性を認識の一般法則に置きかえている」という批判はt 多くの巴人批判に共通の指摘である。この段階論が,典型形象の創造過程 に応用されると、まず「各階級の各々の構成員の性格」を「抽象・総合」

し(第一段階)次に,「一般から特殊へjの「個性化」の過程に移る(第

二段階)という「機械的段階論」になる。これでは「個性を典型化の付加

物」にすることにしかならない,と張文勲は述べる。さらにかれは,主題

思想の形成にあたっても,概念を肉付けして芸術形象とするという段階論

(7)

が貫れると指摘して巴人説を批判したあとで,それに対して,典型化は,

個性化を必須の要件として含むけれども,それは現実を一般的な概念に分 解,還元する方法では捉えられない,と反論する。また主題思想の形成に ついても,次のように述べる6

  作家はまだ筆を執る前に,はなはだしい場合には,意識的にある作品  を構想する以前から,すでに沢山の人物を知悉していて,頭の中には,

 初歩的に,多くの形象が形成されている。これらの形象が脳髄に形成さ  れるのは,まさに作家が,既に生活について一定の認識をもったことに  よるのであり,既に現象から本質へと深くすすみいったことによる。

  思想主題の形成は,決して人物形象の形成とは分裂しないのであり,

 思想的主題と人物形象の形成とは,作家の論理思惟と形象思惟の弁証法       ⑭

 的作用の結果なのである。

 つまり,形象を自覚的に捉えること自体が既に本質の認識主題の形成 を含むということである。形象の脳髄への蓄積と再生が,生活についての

一一

閧フ認識を伴っていることはその通りであろう。形象はおそらくどのよ うなものであれ,現実生活の一断面であろうから,それを生活の形象的,

表象的認識ということはできる。しかし,その形象的,表象的認識は,現 実形象の本質に対する認識にまですすんでいると理解しうるだろうか。現 象は確かに,なにほどかの本質を体現しているのであって,その意味では,

形象的,表象的認識が現象の表層に表れた本質を捉えている場合はある。

しかしそれは常に全面的に本質を表層に顕在させているわけではない。形 象的理解・認識は,本質把握の端初となりうる。しかしその把握をより深

く全面的なものにし,認識として定着させるためには,袖象化f概念化さ れてある既成の知識の体系によって,たえずフィードバックされる必要が あるように思われる。文学を通じて達成されんとする「社会的理想」や

「美学的,審美的理想」は,個々の思惟に対して,そのような関係に立つ。

したがって,尼蘇が次に述べるような巴人批判にも同様の指摘をなしうる ように思う。

  形象思惟の特徴は,終始,具体的な形象,典型(題材)を離れずに主  題について思考するところにある。明確な主題思想は,外から加えられ  るのではなく,形象,典型(題材)の中に,同時に出現し,同時に完成  されるのであって,あとさきはない。題材が完成された典型にむかう過       ⑮

程は,主題思想の明確化の過程と密接に結びついており不可分である。

 主題思想が形象にくっついているわけではないのだから,「同時に出現」

(8)

したと書っても,それは,主題思想を構想する思考が,ある適切な形象を 選びとったということであろう。また題材の典型化の過程は,既に概念化

されてある文学的審美観の体系,即ち,美の法則とも言うべきものに沿っ て形成されるものであり,現実を概括し,再創造しようとする,その限り では抽象的な思惟が,言語のもつ強烈なイメージ喚起力に支えられて,進 行した,とも理解できるのである。また,形象の概括について,巴人を批 判し,個性的な形象は「概括」されるのではなく,現実の個性の中から        ⑯

「選択」されると述べた王愚の論に対して,尼蘇は,r典型が独得な個性 をもたねばならないことを強調することは正しい。しかしそれゆえに,多 くの類型的事物を概括して,形象を塑像する方法を否定してはならない」

と述べる。文学形象の個性化の過程では,実際の人物の個性的特徴に内在 する意味に対して,「考察し,認識する」営みを伴なう,というのである。

このように文学的形象の構想過程について,巴人を批判する形象思惟論相 互聞にも認識の違いが存在していた。また,伊凡は「文学論稿」がもった 現実的意味を「煩瑚哲学の公式の相当に広範な流布」ととらえ,「ことば       ⑰ だけの髄型化.では,どのような芸術典型をも提出することはできない」

と決めつける。しかし,巴人の論が,現実に,文学を公式化に導く機能を 果たしていたことは,それとして事実だったとしても,それと,形象思惟 論として整合性をもっているか否かは,次元の異なる問題である。この点 で,形象思惟も一般的な思惟の認識過程を踏襲するとする巴人に対して,

巴人説を批判する側からは,形象思惟の特殊な認識過程を特徴づける明解 なパターンを提出できないでいる,というのが論争初期,56年頃の状況で

あった。

 それにしても,このように見てくると,あらためて巴人説をあぐる形象 思惟論論争が,典型化論と関連しながら展開されていることが知られる。

巴人の論は,確かに実践論に基づいてはいるが,同時に,それは,それま で中国で〜般に流布していた典型論と比べて,特に斬新であったわけでは ない。しかし,これに,50年代前半の毛沢東哲学の宣揚が結びついて,巴 人の論もそのような潮流に沿うものと位置づけられるようになると,それ

にともなって,文学芸術場裡の「煩裟啓学」「庸俗社会学」という評語も,

特に「実践論」批判を暗に含むタームに変っていつたといえるのではない だろうか。

 ともあれ,巴人説とそれへの批判に始まる論争は,より具体的なテーマ

で,いくつかの異説を生みながら進行していくが,次にそれらの特徴につ

(9)

いて言及したい。

典型形象の概括過程と個牲化

 巴人的な段階論を否定した形象思惟論のほぼ一般的な見解を要約すれば,

次のようになろう。

 形象思惟の特質は,感覚的な素材に依拠しながら,同時にそれが事物と 現象の本質的,必然的な連関を概括し,反映する。芸術は常に具体的全体 を把握するが,具体的全体とは要するに個別と一般,現象と本質の統一体          ⑱ として存在している。

 それならば,形象思惟による典型形象の造形は,個別的な要素,即ち個 性を留保しながら,いかにして一般性を体現するのかという問題がでてくる。

 形象におけるr個別と本質の有機的統一」を早い段階で主張したのは,

      ⑲

「文芸報」に翻訳されたタマルチェンコr個性と典型」であるが,この論 文も,典型化をめぐる議論の中で小さくない影響をもった。タマルチェン コの説を要約する。

 文学者は従来,「いかなる個別もすべて究極的には一般である」という ことから,芸術形象は,一般的普遍的な現実を描くものである,なぜなら,

特殊な現象では典型性は失われるから,と考えてきた。しかし,「一般的」

とは,日常的,普遍的なものを指すだけではなく,現象の本質のことでも ある。本質は,あらゆる同質の現象の一一・meである。従って,芸術形象が普 遍的なものを体現するか,それとも特殊なものを反映するかということは,

創作過程や形象の特徴に関わることではなくて,「芸術形象の中で反映さ れる現象の特徴を決定」することなのである。

 そして,タマルチェンコはまた次のように続ける。

  エウゲエー・オネーギンにおいて,オネーギンは勿論脇役のあらゆ  る形象は,疑いもなく典型的である。かれらの典型性は,かれらのひと  つひとつの形象が,自分なりの方法で,一定の時代の,具体的な歴史的  矛盾を反映している。

  革命的民主々義の批評は,従来,ひとりひとりの文学における人物の  典型性を,ある階級,ある社会集団の特性に帰着させるようなことはし てこなかった。革命的民主々義者は,文学作品のあれこれの人物の性格  の中に,社会生活や制度全体が生みだすさまざまな現象をみてきた。

 タマルチェンコは,複数の人物によって,全体として,社会的現実と階

(10)

級的本質は表現されるのであって,ひとりの人物形象が集中的にそれらを 体現するのではないことを明確に指摘している。そこでは,一定の生活現 象の本質を表現した典型形象は「選択」されるのであって,「概括」され るのではない,ということである。「芸術形象の中では,現象の具体感性 的形式は,その本質と不可分であり,個別の特徴は捨てられずに保留され て」いなければならないのである。

 この論に従えば,確かに,個性をなみする形象的概括は避けうるけれど も,逆に,作品を彩る個々の人物形象は,必らず,作家が典型的と考える 現実のモデルに基づいていなければならないという,一一ncのモデル小説論

になる。そして,この論の影響が,王愚,李幼蘇らの形象思惟論に及んで いった。李幼蘇は,タマルチェンコのオネーギン論をそっくり転写してい る幽王愚もまた阿Q像の成因について次のように述べる。

  所謂 併湊、 湊合、とは,生活の本質を体現しうる個性の創造を指  すのでなければならない。従って魯迅は決して,異った人間が共通して  もつ,抽象的な特徴に着目したのではなくて,共通の,具体的な特徴を  体現しうる個性に着目したのである。試みに阿Qをみれば,これは,魯  迅が抽象的に精神勝利法に着目してから,創造した人物ではなく,阿Q  自身の独得な個性が,一般的な意味をもったものを体現したのである讐  しかし,こう論ずる一方で,王愚は,作家がある個性の「分析過程で,

かれらの生活の本質的発展過程との関係を洞察し」,「然る後に,芸術的想 像によって」それを「完成した形象に構成」する,とも述べている。現実 の個性を先ず「分析」し,それから「構成」するのであれば,それはやは り,個性を,それを構成する佃々の要素に分解し,再び概活することにな り,上記の引用部分と矛盾する。また阿Qは,魯迅が,抽象的に精神勝利 法に着目する思考過程を経ずに創りあげた形象であるという指摘も,魯迅

「阿Q正伝の成因」の文章に即して首肯しがたい。つまり典型化論として みても,現実の個別的,個性的人物が,なんら分析,概括等の一般思惟の 過程を経ずに,そのまま,作品上に興型として表われうるという考え方は,

成立しがたかったといえる。

 こうした論理的欠陥に気づいて,形象思惟も,ある意味で特殊から一一ma,

具体から抽象への過程であることを,積極的に認めようとする見解が示さ

れ始める。比較を容易にするために,その際批判の対象となる震松林説

を,従来の一般論的立場を示すものとして,引用しておく。

(11)

  芸術においては,思想は抽象的存在ではなく,むしろ形象として,あ  らゆる形象の論理的発展,及び相互関係が織りなす生活の画面として,

 存在している。要するに形象思惟は形象をつかって思惟するのである。

 (申略)具体的な印象を蓄積し,それらの印象に基づいて思惟をすすめ  るのである讐

 雛松林はそれを,心理学における所謂「創造性の想像」と岡じものであ るとしていた。

 その覆説を批判する形で,温徳富は,形象思惟もまた「 具体から抽 象.への過程を離れることはできない」として,次のように述べる。

  芸術は豊竃な 感性材料、から,いくらかの個人の形象を,個別の特  徴と属性に分解する。そして、これらの形象の個別の特徴と属性の中か  ら,芸術家が必要とするある特徴を取り出し,概括して,社会的な力の  本質と法則を顕示しうる,ひとつのあるいは複数の,個性的で 生き生  きとした全体的な人物、にしていく。最後に到達するのは,ひとつの新  しい芸術典型形象である響

 一般に心理学では,先行する経験のまとまりを解体,分離する過程と,

それを新しいものに再構成する過程と,このふたつの過程からなる精神過 程を想像と定義しているがその単位は普愚知覚であるとされる曹温徳 富説のf個別の特徴と属性」を,この知覚のレベルまで分解されたものと 考えると,この説は想像のプロセスについて一定の説得力をもつように思

われる。

 温徳富はさらに,文学形象の「個性と共通性」について,

  共通性は,まさにその異った個性を通じて顕現してくるものである。

 すでに現実がそのようであるとすれば,芸術家が,現実の 感知材料、

 を個別的な特徴と属性にまで分解する時にも,個性と共通性は,自然に,

 有機的統一体として,これらの個別的な特徴と属性のうちに存在する。

と述べる。現実の個性的人物は,その個性を成りたたせている個々の特

微や属性に分解してもその個性を失なうことはないと言うわけである。し

かし,そのように言いきれるだろうか。人間の個性とよばれるものは,さ

まざまな個別の性格的特徴の独得な組み合せによって形作られるものであ

ろう。その,性格的特徴の多様で独自な織り成しが,個性と称されるもの

の核心ではないだろうか。ところが,その織り成しそのものが解体される

のだから,現実の個性もひとまず,その段階では実体を失って,崩壊する

と考えるべきではないかと思う。知覚ないし表象的レベルに分解された形

(12)

象に個性を認めることはできないだろう。ただ,それを再び構成して,新 しい個性を想像することはできよう。

 温徳富はさらに,「形象思惟は,翼体から抽象への過程で主題思想を生 むだけではなく,主題患想を表現しうる芸術形象も生みだすことができる」

と述べる。そしてこの過程は,事物の本質と法則に対する認識と反映,す なわち「思惟」を意味するのだから,雀松林の言うように,単純な「創造 性の想像」ではない,とする。

 確かに,現実の個性を個別の特徴,属性に分解し、それを再構成する過 程は,形象的な素材(知覚表象印象など)を使って推められるのだか

ら,一連の過程には常に具体的なイメージがつきまとっている。そして,

その過程は,おそらく主題思想の深求,あるいは主題思想を体現した個性 の仮構をめざしたものである。しかし,この形象的素材の,さまざまな衝 き合せの中から,いかにしてr思想」がうまれうるのか,この点に関して 温説は,きわめて曖昧である。かれは,「患惟過程とは,思惟の全過程を 指すのであって,創造的な想像は,ただ思惟過程の一部にすぎない」と述 べるが,温説の所謂「具体→抽象」論は,実は「創造的な想像」の過程を 説明しただけであって,それを思惟過程全般に置き換えることはできない と思われる。このことは「思惟」の定義とも関わる。思惟とは,概念によ る対象世界の系統だった認識であり,それは,形象的素材の分解や再構成 と質的に異なる営みであると言わねばならない。例えば個別的形象をリア リティあるものにするためにも,現実の社会的諸関係を正確に反映した

「環境」を構想しなければならないが,この構想はすぐれて概念性,抽象 性に富んだ思考のはずである。そして勿論,文学的な思惟とは,そこまで 含んだ思惟を指す。従って,温徳富は,雀松林を「想像と思惟とを混同し       愚 ている」と評するが,それは実は,温徳富自身にも当てはまると思われる。

そして,後にこの点の問題性を衝いたのが鄭季麺論文であった。

ゴーリキーの典型化論をめぐって

 温徳富は,その「具体吟抽象」論を傍証するために,ゴーリキーの創作 体験を援用しているが,この典型化論が実は,解釈によっては,形象思惟 の特性を否定し,概念化を肯定しかねない要素をはらんでいるとして,多

くの論者によって取りあげられたものであった。

 ゴーリキーは,次のように述べている。

(13)

  もし作家が,20人から50人,また百人の小商人,役人,労働者のひと  りひとりから,簸も特徴的な階級的特質,習慣,嗜好,身ぶり,信仰と  書葉つかい等々を抽き出すこと,抽き出してそれらをひとりの小商人,

 役人,労働者のうちに統一一することができるならば,この方法に依って       ⑳

 作家は「典型」を創造するのであり,これが芸術なのである。

 温徳富は,ゴー・リキーの言う典型化こそは,具体から抽象への過程であ り,客体に共通する属性の一連の抽象化過程である,と述べる。前掲王愚 論文における蟻湊合、  併湊、の解釈も実は伺じ問題をめぐってのもので

   の あった。しかし,ニコラエヴァやタマルチェンコを受容した中国の形象思 惟論者たちにとって,ゴーリキー説の気掛りは,温説を裏づけるように,

個性は個別の属性に分解できることを述べている点と,多数の人々の階級 的特徴が「ひとり」の人物に「統一一」できると述べている点であった。か れらからすれば,これは,典型化ではなく類型化であり,ひいては概念化 に陥いることになる創作方法ではないかと言うことになる。そこでこの典 型化論については,「おおっぴらに擁護するものと,黙って疑っているも

   のと」の,ふたっの態度が存在したという。

 尼蘇は,温徳富のゴーリキー理解を批判して次のように述べる。

  ゴーリキーの所謂讐由出、は芽由象,、ではない。サ由出、するものは,

 まさしく具体的なディテール,即ち 階級の特徴的な習慣,嗜好,身ぶ  り,信仰と雷葉つかい等々、であって,何か抽象的な原則ではない。ゴー  リキーはあきらかに,創作過程はいかなる段階においても,具体的なディ  テールや形象を放棄しないと言っている。私は,典型化の過程は個別か  ら一般,そしてまた一般から個別であるという論点には同意できない。

 形象思惟は終始,抽象過程を経ないと考える/3

 しかし, 階級的習慣N、を「抽出」すること自体が一そこに具体的イ メージを伴っていたとしても一一すでに一一一ptの抽象化にほかならないと言

える。

 それに対して張若名は,ゴーリキーの典型化論は,抽象から異体への二 段階論であることを認める。しかし,芸術における「抽象化」は,現実の 人物の諸特徴を抽出,概括,集申して「虚構の形象」をつくることなのだ

とし,「ゴーリキーは,再三,典型化は必然的に假説と虚構を経なければ ならず,虚構がなければ芸術はなく,創作はなく,典型もまた,ないこと

を翻し幽と鰍するe

 しかし,そのように論理の形式的矛盾を糊塗しようとして,弥縫を繰り

(14)

返すうちに,本来,論理的な認識の法則と異なる特徴に貫れた認識方法と してうちだされた形象思惟の特徴が,除々にその鮮明な印象を後退させて いくように見えるのは否めない。形象思惟に「抽象化」過程を認めr抽出,

概括,集中」機能を認めるならば,それは既に「形象」による「思惟ヨが 成り立たないことの自己告白であるとする形象思惟否定論は,後述するよ

うに,毛星のほかにもすでに存在していたのである。

形象思惟と世界観及び論理思惟との関係

 形象思惟が個有の法則に貫れた思惟過程であることを証明するためには,

それと世界観ないし論理的,概念的思惟がいかなる関係に立つのかを明ら かにする必要がある。それは,理論的にもまた実践的にもきわめて重要な 問題であることは言うまでもない。50年代の形象思惟論も例外なくこの点 に論及しているが,その論理には,鮮やかな程の一致した傾向を認めるこ とができる。それは,形象思惟の方法が,作家の世界観の限界を越えて,

作家が主観的に意図した以上の成果を作晶に実現しうるというものである。

これについては,ほとんど例外なくバルザックの文学とその王統派的思想 との関係が持ち出される。また論理思惟との関係で言えば,論者によって 多少表現は異なるが,要するに形象思惟は論理思惟のたすけを借りる,あ るいは論理思惟を基礎として成立するというものである。しかし,鄭季麹 の否定論も,その中心はいつにかかってこの点にあったのだが,50年代に 共通するこうした解釈と説明こそが,実はとりもなおさず,形象思惟の現 実性を非常に危いものにしていると思われる。以下,この問題について,

検討してみたい。

 世界観との関係について,驚かされることは,周揚までがr現象は一般 にどうしても法則よりは豊富である。文学芸術は,科学が抽象化過程で棄 てざるを得ないものを棄てないだけではなく」形象を通じて「人間の世界 を認識することをたすけ」「生活の中の美しいもの,醜いものに対する喜        ⑳

こびや厭悪の感情を喚起する」と述べて,文芸批評と,文化政策の権威と

して,(あるいは,にもかかわらず,と雷うべきか)形象の優位性を認め

ていることである。基本的には党の文芸路線を体現しながら,しかし相対

立する個々の問題では,相互の調和点をつかむに巧みな周揚らしい柔軟さ

が表れていると書えるが,ともかく,こうした見方がほとんど疑われてい

なかったことを示すひとつの例として留意しておいてよい。

(15)

 学術論文からこの考え方を拾いあげても枚挙にいとまがない程である。

例えば,周勃は,論理思惟は現実を抽象化するが,形象思惟は,「いか なる場合も感性的な生活材料を離れることはない」ので,特に,「世界観       

の隈界を突破して,真実に生活を反映することが可能になる」とする。ま た李澤厚も次のように述べる。

  論理思惟はどうしても断片的である。しかし,形象は生活そのものの  ように全体的である。このように形象は必然的に思想にまさるのであっ  て,理論的分析だけが完壁で,包括してあますところないというわけで  はない。中国の芸術で,常に言われる肥とば尽きて意尽きず。、形の  外に在る旨、・弦外の音.などもすべてこの道理を内に含んでい説  思惟方法の違いから世界観が突き破られていくことを説明する前提とし

て,論理的抽象化は,個々の現象を捨象するために断片的になるが,形象 思惟はそれを捨象しないがゆえに全面的である,つまり形象は論理よりも 全面的に現実を抱摂し反映する,という考え方がある。しかし「全面的」

なものが本質的であるとは必ずしも限らないし,逆にr断片醐なものが 本質的でないとも言えない。とくに論理が「断片的」であるのは,非本質 的な爽雑物を捨象して本質を窄とうとするからであろう。論理的抽象化は,

最も一般的な形で現実を概括する方法であり,そこには広範な現実が包摂 されていると考えるべきである。逆に形象は現実の全面的な再現であると は言っても,それは常に本質的なものの顕現を伴っているとは限らない。

従っておそらく,思惟方法の違いが世界観的限界の突破を保障するのでは ない。たとえば,社会科学においても,細密な調査や研究を深め,あるい は厳格に方法的手続きを遵守した論理構築の結果が,それを行なう人の仮 説や予断をはるかに越え,精彩ある現実の相貌を浮き彫りにして,その世 界観の変更を逼ることもありうることは言をまたない。

 また李澤厚は,芸術家と異なり,批評家は論理思惟を駆使するのであっ て,「理論認識の威力によって,かれは,作家よりも更に鋭く,更に透徹

して,形象全体が客観的に含んでいる豊かな意味を見抜くことができる」

ぴいては,鑑賞者や芸術家自身により深い理解と感受をもたらす,と述べ

説ここでも,李醐は,創作と批評という灘の相違を灘的に,形

象と論理という思考,想像の方法の違いに還元している。作家が論理的な

思惟にも依りがら,自己の創造するイメージを普遍的,典型的なものにし

ようとし,ま逆に形象を論理的思考のベースに還すことによって,抽象的

思惟に,より豊かなリアリティを与えていく,そのような循環過程は,そ

(16)

れを受容する読者,批評家にも同じ様に存在するであろう。批評の創造性 は,作家と批評家の形象と論理の思惟形式に還元される差異からうまれる のではなく,より個別的な差異一一相互のパー…一ソナリティに関わって生ず るものである。

 震松林は,人間を対象とする諸学のうち,自然,社会科学は,主として ある角度,ある一面から人間を研究するが,文学,芸術の基本対象は「XN社 会関係の総和,Nとしての生きた,全体的な人間」であり,その「外在的,

       魎 内在的」形象であると,これも形象患惟の優位性を説く。

 しかし,自然,社会科学において「社会的関係」から切り離たれた個体 としての人(ヒト)が対象になる場合でも,他方では断えず「社会的総和」

は意識されているだろうし,文学,芸術と同様に,「社会的総和」そのも のが人間に即して対象になる場合もあろう。これに対して,文学において も,例えば,具体的なイメージを結ぶことのない,感性の間断ない浮遊に よって,個の意識の深奥を脈略なくなそりあげるような作晶は,謂わば,

人間の社会的総和性を,精神的営みのある一点に凝集する方法であって,

そこではf社会的総和」は言外に前提されてはいても,決して「全体的」

な虚構世界として再現されるのではない。この差異も思惟方法に帰着させ うるものでは,やはりなくて,肉体と精神の多面的に錯綜した存在である 人間の何を解明し表現するのかという,謂わば,目的や課題の相違に求め       ⑳

られるのではないだろうか。

 このように見てくると,一体に,形象が論理にまさるというテーゼが,形 象思惟を理論化する際の根幹に据えられていることがわかる。けれども50年 代の論を見る隈り,それは明確な論処に乏しく,粗略な論証に終始してい るという印象は否めない。形象から論理論理から形象への相互還流を認 めた上で,要はその相互還流の構造と過程を明らかにすることが必要なの だが,問題意識としては,少なからぬ論にそれがありながら,形象の優位 性を意識するあまり、逆に,形象思惟を論理的なものと対立させて,議論 の過程を二律背反に導いているというのが,この聞の議論の特徴である。

 また,論理思惟との関係についてみると、形象思惟は,形象と直覚性に

繋ぎとめられて,具体的で溌刺としているゆえに,直接人々の美感と感情

を喚起する「感化力」と認識力に富むが,他方,その思惟過程は必ず論理

思惟に支えられている,というのが50年に一般的な論理思惟主導説であっ

た。いくつか例示する。

(17)

  一一般的に言えば,作家の先進的世界観が導く論理思惟は,もとより    事物の本質.を説きあかすものであって,そのたすけを借りて形象思  惟をすすめることは,芸術作晶をして,より現実を反映したものにする      

 だろう。

  事実上,人間の認識過程では,相互に錯綜しながらふたつの方式が運  用される。芸術の創作活動で論理思惟は,形象思惟に対して非常に大き  な意義をもっている。芸術創造活動は,往々にして極めて複雑な活動で  ある。また創作の各段階ですべて,論理思惟のたすけを必要とする。論        纏

 理思惟は,形象思惟に対して指導的意味をもっている。

 これらの論が出されてからio年後,文革期の激しい論難など,当時とし ては思いも及ばぬことであったであろうが,今日からみると,これらの論 は,一方で形象思惟の特殊性,自律性を強調しておきながら,他方では,

あまりにあっさりと,論理愚惟の指導性を承認してしまっているように思 われる。勿論それによって,形象的思惟が,形象から形象への移行や視覚 的表象の飛翔に終始して,論理思惟とはまったく関係をもたないといった 論理的単純さからは免がれ,認識論として論ずる余地もでてくるのではあ る。しかしやはり,「錯綜している」「指導的意味をもつ」「たすけを必 要とする」という指摘だけでは,なんら芸術の創作・認識過程の特殊性を 明らかにしたことにはならない。せいぜい一般的な思惟過程において,形 象的側面と論理的側面が存在することの指摘にとどまっていると言えるだ けである。結局,形象思惟の過程で論理思惟がどういう役割を果たすのか,

そのメカニズムが整合的に解明されないままに,鄭季翻も指摘するように,

創作過程の特殊性だけが強調されるところに,形象思惟論の論理的脆弱さ の因が潜んでいたと言うべきであろう。

 また,論理思惟の「指導性」は,一一ma的なメカニズムの問題として論じ られるのではなくて,既にnr指導」する思想についての価値判断が介入 している。即ち,「マルクス主義は最も正確な論理思惟であり」それは,

作家に社会的事象や人間のあいだの矛盾を示して,「形象に典型的意義を   ⑳ 与える」,「リアリズムにたっ芸術家が,科学的,抽象的思惟と一定の世界観

を離れて,偉大な芸術作品を創作しうるとは考えられな紹といった異合 である。そして,さらに,反「右派」闘争開始後の論文である老凡論子に あっては,学術的批判の節度を超えて,論理思惟の「指導性」に対する無 理解は,「党の方針を抑制し,社会主義リアリズムを取りさげる」「下心」

や「陰謀」に導くもの,と断罪される。老凡の論は,全体としては,比較的客

(18)

観的で,説得力をもつが,そのような論文でもなお,論理思惟指導説を踏え て実際の文学状況を論じる時には,陳腐な一方的弾劾に向っていくのである。

 論理思惟の指導性の強調からt文芸への,党の指導的役割を,現実には 承認するという,その結論が全面的に不当であると言うのではない。問題 は,その結論を導くに到った論理的プロセスや,結論のまえに前提されて いた仮定や留保といったものが閑却されて,結論だけが独り歩きすること である。それは,当時の所謂「ブルジョア認識論」が文芸における思想の 存在や党の指導を否定していった行程の,頂度逆をたどって,文学,芸術 へのマルクス主義の押しつけが,政治的強制を伴って行なわれることを,

少なくとも理屈の上では容認するという,形象思惟論者にとってもおそら く意外な自家撞着を内包する。鄭季麺論文の着眼のひとつもそこにあった。

また創作の実際に在って自由な創作を願う,文芸家の不安や惧れもこの点 に結び合っていたのである。

思惟過程の理論的緻密化への試み

 老凡論文の冒頭は,激しい政治的弾効の言葉で始まる。

  最近,何名かの右派たちは,下心をもって,形象思惟の特徴に関する  謬論の発表に血眼になっている。かれらは,それによって党の文芸方針  を取り消し,文芸の政治への服務,社会主義への服務を取り消すという  陰険な[i]的を達しようとしてい調

 陳涌の論が発表されたのは56年4月であるが,翌57年になると,右派批 判の一環として,陳涌批判が始まる。従って,老凡のここでの右派とは,

主として陳涌を念頭に置いたものである。既にそれまでの論争を通じて,

形象思惟論の内部にもさまざまな相違があることが明らかになっていた が,反「右派」闘争は,,この相違を学問的なレベルに停めるのではなく,

政治的分裂に転化させてしまった。これは,学術的論争にとってきわめて 不幸なことであっただけでなく,展開される議論にも,一定の傾向があら われるようになる。例えば,老凡論文からはr煩磧哲学」「庸俗社会学」

といった用語は,みられなくなる。また「公式化,概念化」と並べられて

いた常套句も注意深く避けられている。右派批判が開始されて以降の議論

には「実践論」に背馳しないという枠が,実質的にはめられたばかりでな

く,陳涌らの形象思惟論は批判しながらも,しかも形象思惟論そのものは

擁護しなければならないという現実的要請にたたされた。そこから,陳涌

(19)

らヂ右測に対しては,強引に「ブルジョア認識論」などという歪曲した評価 がなされる一方で,擁護すべき形象思惟の思惟過程について,「右派」との 区別を明確にするための定義の緻密化,論理化がすXんだ。また,・「実践 論」の説く一般的認識過程に合わせて,形象思惟の思惟過程を段階づける 方法が繁用されるようになり,マルクス主義や,世界観の制約を受けると 欝った見方が,より強調されるようになった。しかし,既に述べたように,

形象思惟の過程を一般認識論のベースの上でなぞることは,認識論として の特徴をますます曖昧にすることになったと言える。以下,こうした流れ を特徴づけるいくつかの論をみていきたい。

 先ず,任藁義は,思惟過程を比較的整i理して論じている。

  芸術家は,感覚,知覚の段階から創造性の想像にはいる。これは認識  深化の過程であり,認識の上昇運動であるが,創造性の想像の段階では,

 また複雑に錯綜した過程がある。芸術形象は,過去の感覚,知覚と表象  段階で蓄積した経験を,また普段から捜集していたスケッチや素描など  の材料を改造した結果である。この改造には,分析,総合,集中の過程  がある。即ち,具体的な対象の,完成した形象の中から,個別的な特徴  と属性を分け出し,その次にいくらかの事物の個別的特徴及び属性を総  合して,新しい,完成した形象にする。所謂芸術思惟は,知覚によって  与えられた具体的な形象の特徴を分け出して,これらの特徴に依って,

 新しく統一一一し,完成した斬新な形象を創造することである。この創造の  過程が即ち概括である。感覚段階を経,反復を繰り返し,形象的感覚材  料を得,認識運動の深化による成果を加え,創造性の想像を経て,芸術  形象を概括する。これは,論理思惟における上昇の結果と同じであり,

 また認識過程における飛躍でもある。この時,芸術形象はすでに箏物の  現象ではなく,断片でも,外部的な関係でもなく,事物の本質,全体を  反映しうるものである。従って,芸術形象を最初に感覚された形象と  の関係で雷うと,「量的な差異だけでなく,質的な差異ももっている」

       ⑫  (「実践論」)のである。

 このような見解に基いて,任乗義は,憩惟過程における抽象化段階の存 在を主張した温徳富を批判するのだが,要は,任説における創造性の想像 中の,分解・総合を「抽象化Jと見るか否かという違いだけで,思惟過程 自体の認識に原則的な違いはない。従って,温説について指摘した問題点 は,任説においても基本的に当てはまると言える。

 次に老凡の論をみる。

(20)

 形象思惟も(抽象思惟と)同様に,まず感覚印象の形式で,何回も反 復往還を繰り返したのち,質的に変化する。しかしこの質的変化は,概 念を形成するのではなくて,選択,組織,連想,創造等の手段をたすけ として,典型形象を形成するのである。そして,芸術家は,ある系統的 な典型形象をつかって,完成した,芸術化された社会生活の風景をつく

りあげ,それによって現実の生活と社会真理を反映する目的を達するの である。明らかなように,抽象思惟の中では,直覚性は除去されるが,

形象思惟の過程では,一貫して事物の直覚性と濃厚な感情的色彩が留保      ⑬

されている。

       抽象思惟(認識の高級段階)

        (抽象,概括…直覚性の放棄)概念…定理,原則

      〉現実反映 感覚→知覚→表象《

        (連想,創造…直覚性の留保)典型…主題,思想        形象思惟(認識の高級段階)

 老凡説は,典型の形成までは任説とほぼ同様であるが,その思惟過程は さらに主題・思想の形成にまで延長される。そして,思惟の「最高形式は,

一連の典型形象によって構成される,芸術化された社会生活であり,また 芸術作品の主題と思想である」,「思想は,主題即ち芸術化された社会生活 に対する認識と評価である。それは抽象思惟における結論と,性質上,完 全に同じである。」と述べて,思惟過程を,首EEI−一一貫した体系とするため の配慮がはらわれている。こうした任業義,老凡らの説に共通する特徴と

して,同時代の心理学研究への依存を指摘することもできる。

 狭其騨の場合は,任説,老凡説にくわえて,更に形象化と思惟化の過程 の緊密性を今ひとつの論点として強調している。

  形象思惟の思惟化の過程は,概括された対象の具体的感性的要素を離  れることはできない。形象思惟過程における思惟化の過程は,形象思惟  のもうひとつの内容一形象化の過程と緊密に結び合って同時におこる      ⑭

 のである。

 この考え方自体は,新しくはないが,これを,言語の形象喚起能力,即 ち藥儀の所謂形象的言語の概念に結びつけていけば,論理思惟指導説を乗 り越えていく可能性はあったのではないかと思う。

 しかし,独説は,形象思惟の合法則性を強調するくだりでは,任説,老

凡説を,更に極端に押しすXめ,ほとんど,思惟の一般法則を,形象思惟

という呼称に置き換えただけのものにしてしまった。また,芸術に影響を

与えるべき世界観を「プmレタリア的世界観」に限定してしまうといった

(21)

理論的狭蚤さも示している。

  芸術の思想性(中略)は,ただ労働者階級の社会主義リアリズム芸術  でのみ,ただ芸術家がプロレタリアートの立場と世界観を具有している       鱒

 という前提の下でのみ,はじめて真に出現しうる。

 芸術認識論一般として論じられてきたものを,「プロレタリアート」の それと置き換ることによって,理論的狭隣化がおこり,論争自体が,一般 的,普遍的意味を失っていく。

 このように,反「右派」闘争下の政治的要請との調和を意識して,結論 に枠をかけていったことが,心理学などの境界領域にもより深く踏みいっ て文学,芸術の認識のありようを多彩に構想する道をとざし,形象思惟論 そのものを硬直化させる結果になったことは否めない。熱心な形象思惟論 者である李澤厚が63年に到って「 形象思惟.は厳格な科学的術語として は十分に適切ではないかも知れない。というのは,論理思惟と平行して存 在する,あるいは対立する形象思惟はないのであり,人類の思惟はすべて 論理思唯である翻と述べていることは,即,形象思惟論の自己破産では ないにしても,論理的展開が行きづまっていたことのひとつの反映であっ たと言えよう。

形象思惟に対する異説と鄭季翅論文

 これまで見てきた形象思惟論のほかに,5e年代には,形象思惟論を否定 する論の系譜も存在したことを指摘しなければならない。形象思惟の認識 能力を否定し,文学的技巧は「思惟」ではないとして,その存在そのもの を認めないものとしては毛星が代表的であるが,肯定論にたつものの,論 理的帰結として,認識作用を認めず,ただ表現技巧としてのみ形象思惟を 認める論は,巴人をはじめ少なくない。思惟の過程を論理認識のパターン に近づけようとする試みも,客観的には巴人理論と重なる面をもっていた。

というのは,それは結果的に,もう一一歩す )Lめればr形象思惟と抽象思惟 には本質的な区別はない」と書わざるをえないほど,その特殊性を稀薄に させることになっていたからである。要約のため,詳細な検討はできない       ⑱ けれども,そうした例として朱武蓉の論文のあることが確かめられる。

  思惟の過程もまた事物の認識の過程である。形象思惟は抽象思惟と同

 様、一般的認識過程の外に独立することはできず,この過程の法則に従

 わなければならない。つまり,それらの思惟過程における区別もまた

(22)

 極めて小さいのである。

 朱武蓉は,全面否定ではないまでも,形象思惟iの特殊性をほとんど問題 にしていない。如上の観点から,かれは,老凡の思惟過程論を批判する。

  蟻選択、には必らず基準,目的がある。 N組織、も一定の目的に従う  ものでなければならない。連想の作用は,ただ形象的塑像の基本型を確  立する時にのみ現れるものである。 創造、は,各種の実践活動の中で  新しいものを生みだす複雑な活動を指す。(中略)従って,芸術家と科  学家は,現実にっいて思考する時に,その思惟過程の中では同じように  分析,総合,抽象,概括をすXめ,同じように概念,判断,推理にたす  けられて,客観的事物の連関と法則を把握する。これは耀択,組織  連想,創造、の基礎である。

 朱武蓉はまた,形象は概念よりも充実しており,しばしば形象自身の もつ意味内容を越えるという見解についても,思考の単位は概念であり,

形象を単位とする思考を形象思惟の特徴とするのは誤りであると,原則論 的に切り返している。

 それにしても,多くの擁護論が展開されたあとで,このような一種教条的 ですらある原則的否定論が読む者に与える説得力を否定できない。その原因

としては,形象思惟論が,結局,論理思惟との対比という枠組の中でしか論じ られず,その対比を突き抜けたところでの,新たな認識論的位置づけを論 証しきれなかったという事情がひとつにはある。また,反「右派」闘争か ら「大躍進」へ到る政治状況がもたらした学術,文芸界の閉塞した空気と イデオロギー的硬直化は,討論での柔軟な思考を阻み,そのことが,形象 思惟論そのものの理論的な手詰りを広げることにもなった。こうして,文 革時の鄭季麹論文が,形象思惟擁護論にとって衝撃的意味をもったことは,

仮に政治的な経緯を顧慮の外に置いても,ある意味で当然であったと言え

る。

 66年5月に発表された鄭季麺「文芸の領域においてマルクス主義の認識       ⑲

論を堅持しなければならない一一形象思惟に対する批判」は解放後の形象 思惟論の展開において,ひとつの画期を形成している。即ち,長い間,文芸に 携る者の理論的依りどころであった形象思惟論を,「反マルクスレーニン,

反毛沢東思想の修正主義文芸論」であると,政治的,思想的に断罪したこ

と,鄭自身の意図とは別に,それが「三突出論」その他の文革期文学論の

理論的基礎になったこと,なによりも,周場をはじめ,文学者批判の「武

器」にされたことなどがその意味であるが,今それらについて,あらため

(23)

て詳論する必要はないだろうと思う。その内容についても,既に詳しい紹     ⑳

介がある。私としては,50年代の論と関わらせて,また文革後の形象思惟 論争も視野にいれながら,鄭論文について,いくつかの論点を確認してお

きたい。

 鄭論文が,先ず形象患惟批判の論拠とするのは,思惟の道具である言語 がすでに,それ自体,概念であるという点である。r言語は思想の直接の 現実である」「いかなる言葉もすでに概括である」という措辞にもとつい て,「概念を用いない思惟は存在しない」とする。50年代の形象思惟論は,

既に見たようにこの点に十分な解明を与えていない。そして,鄭は,概念 は「抽象を通じて形成される」「抽象がなければ根本的に思惟することは 不可能である」とする。これによって,抽象過程を経ないとする任乗義の ような論は否定される。朱武蓉と同様の,思惟における一般法則の強調で

ある。

 次にそのことと関連して,概念には,表象喚起能力があるとする点があ げられる。

  概念は事物の一部の属性と緊密に結びついており,それを必要な場合,

 感覚的形象に戻してくることができる。

 記憶は思惟の前提であるが,人々は記憶の中に蘇る表象の分解,総合を 通じて,それを概念に飛躍させる。更に概念による「創造的な想像」によっ て,新しい表象を生みだすことができる。ここに,鄭説の有名な公式「表 象一概念一一装象」が定められる。この特徴として,毛沢東的認識論が 踏えられていることのほかに,表象と概念は相互転化が可能だとする点,

概念から二番目の袈象への過程を「創造的想像」と呼ぶが,そのためには,

概念が不可欠であるとする点を指摘できる。一旦,概念あるいは想想とし て概括されたものが,再び形象化されると一その過程そのものを,形象 思惟肯定論は,否定しないのだが一なぜ,必らず概念化,公式化してし まうのか,50年代の論は総じて明解ではない。そのことを考慮すると,

鄭説のこれらの指摘は,いずれも思惟の実際に照らして,強い説得力をも ちうるように思う。

 また,反「右派」以降,特に顕著になる,形象の思想的意味を,論理思 惟ないし世界観に求める説を,「実践論」に反するこ二元論であるとともに,

形象思惟の「破産」を自ら宣言する「折申主義」だと批判する。確かに,

文芸創作を通じて得る認識一一これには,創作過程に即して,さまざまな

レベルがありうる一一が,その過程を支配する形象思惟によってもたらさ

(24)

れるのではないとすれば,その限りでは,認識論としての形象思惟は「破 産」すると患われる。この点も、雷わば,形象思惟弥縫論の落し穴を衝い たと雷えよう。

 さらに,形象による思惟の過程を経て,はじめて「主題思想」が鮮明に なるとか,甚しくは,作品の主題は,作晶が書かれた後で批評家が分析す べきものという議論を捉えて,「たとえ自然主義の作品においても,作者 が描く社会現象は,かれ自身の選択を経たものであって,いかなる選択も すべて,一定の思想の下に行なわれるのである」と論ずる。作品の主題の 在り処を認めないなどあまりにも安易な論と言わざるを得ないのであり,

この点も,思想と作品の一般に即して妥当な指摘である。

 「形象は思想より大きい」という説に対しては,「概念は,形象の 一 部分.である」のだろうかと反論し,それと,認識と創造の中での一般的 現象であるバルザックのような例を混同すべきではないとする。その他,

李澤厚の 美感の感情。説にも論駁が加えられている。

 総じて,鄭論文は,50年代の形象思惟論が共通して含んでいた理論的欠 陥を適確に衝いたものであって,強い説得力をもつというのが,私の評価 である。勿論,そうかと言ってこの論文が文革においてもった政治的意味 まで曖昧にしたり,肯定したりするというのでは決してない。また,鄭論 文そのものが,形象思惟論者を,「反マルクス主義」と決めつけて,積極 的に文革的論理に迎合した側面があったことも事実である。さらに文革後 に明らかにされた事情から村度すると,鄭季麹が,文革初期に,謂わば文 芸理論界の旗手たらんとするような興奮した紙気慨.をもっていたことも 伺がわれ調しかしそれらはすべて,66年当時の金般的状況の中に一度か えした上で批判されねばならないことで,ひとり鄭季麹だけの貴に帰され

るべきものではないと考える。鄭論文にまつわる政治的事情と,鄭説自体の 適否の評価も,無関係ではないにせよ,やはり少しく次元の異なる問題で

あろう。

 文革後の形象思惟論は,この鄭説に対する批判から始められる。そして,

部分的な批判を通じて,全体としては,なしくずし的に旧態に復しようと

する,文革後の論争にしばしば見られる通弊を乗りこえて,鄭論文に対す

る多面的かつ本格的な検討をなしうるか否かということが,形象患惟論を検

討,評価する際のポイントとして指摘できるのである。

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