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性差別とライフスタイルの自由

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(1)

法経論集第75・76号 論  説

性差別とライフスタイルの自由

根 本 猛

1 はじめに ライフスタイルの自由か、差別老一被害者か

 「男性結婚難」の時代である。統計から明らかなように、特に30歳代の男 性の未婚率は飛躍的に上昇している。この理由としていろいろなことがいわ れる。曰く、医療の発達によって、出生時の男女比(女性1に対して男性1.05)

1970年 1975年 1980年 ヱ985鋸 1ggo年 0

30歳代前半の未婚率の推移

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30歳代後半の未婚率の推移

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1970年 1975年 1980卑 1985年 1990年

いずれも、「国勢調査」、「人口動態統計」より作成

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(2)

性蓬溺とライブスタイルの輿由

が適齢期にもほとんど変わらない。曰く、「三高」にみられる若い女性のわが ままである。しかし、私の見るところ最大の要因は、男性が相変わらずの結 婚観をもっているのに、女性が結婚に関して中立になったことである。良い 人がいれば結婚してもよいが、自分を安売りしてまで結婚する必要はないと いうことである。

 「結婚の経済学」ωによれば、結婚という非常に個人的で感性に支配される ように見える行動も、マクロとしては経済的な分析が可能だという。つまり、

人々が結婚に踏み切るのは、結婚によって得られる効用が独身でいることの 効用を上回るときである。この考え方は、1995年(平成7年〉版の国民生活

白書でも採用されているが、かつてのライフスタイル不自由時代には、20歳 代後半以上の女性が独身でいることの負担は大変なものだった。安売りして

象で結婚することはないと女性が考えるようになった背景には、女性が独身 でいることのデメリツトが格段に減少していることが挙げられる。この点で、

ライフスタイルが中途半端に自由な現代の迷える子羊は男性である。

 男性である私の僻みかもしれないが、現在の女性には、多様なライフスタ イルが用意されている。未婚のまま、一生を、仕事・社会活動・趣味などに 打ち込むという生き方や、結婚して專業主婦になることもできるし、また、

結婚後、以前と同様のライフスタイルを維持することも、容易ではないにせ よ可能性は十分ある。それぞれの生き方に対する評価は様々あり得よう。し かし、ここでの焦点はそういうライフスタイルへの善悪の価値判断ではない。

私がいいたいのは、伝統的なライフスタイルー男性なら一家の柱として働 く、女性なら専業主婦となりパートタイマーとして再就職するというところ か一を歩むことへの暗黙の圧力、逆にいえば、勝手気ままな生き方を選ぶ ことへの否定的な評価が、現在では女性に対するよりも男性の場合のほうが きついということである。

 性差別をなくそう、別な表現をすれば、男女平等を実現しようというとき の男性の立場はどのようなものだろう。ひとつの立場として、男性は、これ まで女性を差別することによって利益を受けてきたという前提から、性差別 の解消がこの既得権を侵害することを恐れ、男女は本来的に異なるなど様々 の理屈を挙げ、男女平等に反対する。もうひとつの立場は、途中までは前者 と同じだが、やはり、不公正は好ましくないと考え、自らの利益には反する けれども、男女の平等を支持する。

 しかし、これ濠で性差別によって男性が利益を受けてきたという前提は真

(223)

一一一

R2一

(3)

法経論集第75・76母 論  説

実だろうか。その利益とは、具体的にはなんだろう。男性は、女性に比べて、

賃金が高いという人がいるだろう。男性は、家事・育児をやらなくてよいと 考える人もいるかもしれない。同じ学力なら一一あるいは学力が劣っていて も、男の子に高い教育を受けさせようという親もまだいるだろう。だが、こ れらは、結局、男性は妻子を(そして、一世代前求でなら老親を〉扶養する 責任があるという社会通念の裏返しに過ぎないのではないか。

 他方、支払ってきた代償も大きい(2)。労働基準法の保護は、男性にはわずか しかない。男性は、長時間労働・過重労働が当然と思われているのである。

船舶や航空機が危険な状態に陥ったとき、救助が優先されるのは、女性や老 人・子どもである。わが国にはあてはまらないが、男性の犠牲の象徴は徴兵 だろう。日本を含む多くの国では、男性の平均寿命が女性より5歳以上短い が、ここに述べたことと関係ないのだろうか。

 アメリカ合衆国では、以前からこの問題は、「性差別」(sex discrimination)

と論じられてきた㈹。わが国では、一昔前までは「婦人差別」といわれ、現在 も「女性差別jと論じられることが多い。そこでは、差別者の男性一被害者 の女性という構図が前提となっている。もちろん、そうした単純な構図によ る分析で十分な場合も多いだろうし、これまでの性差別による男女の利害が イーブンであるとは私も主張するつもりはない。しかし、生まれで決まる性 易ijによってライフスタイルが決められるのが女性にとって愉快でないとすれ ば、それは男性にとっても同じことである。私は、本稿で、アメリカ合衆国 の性差別に関する判例の根底にある考え方を分析し、性差別をなくし男女平 等を実現することが、男性にとっても大切な利益につながることを明らかに

したいと思う(4)。

(1}たとえば、八代尚宏「結婚の経済学」(1993年)。

(2)L.KANowlTz, EQuAL RIGHTs:THE MALE STAKE 9−−42(1981).

(3)性差別の犠牲者としての男性という観点に、彼の地の研究者や裁判宮は   比較的早くから気づいていたように思われる。その例として、性差別研   究の第一人者であり1993年に最高裁判所入りしたギンズバーグの文献を   挙げておく。Ginsberg, Sex and Unequal Protection:Men and Women

  as Victims,11」. FAM. L.347(1971).

(4)アメリカ合衆国の性差別に関するコンパクトな邦語の文献として、高橋   一修「アメリカの男女差別判例の動向」ジュリスト第726号97頁(1980

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性差別とライフスタイルの肉由

年)、釜田泰介「性による区分と法の平等保護一一アメリカ最高裁判所 1971〜1980」同志社アメリカ研究第17号9頁(1981年)が有益である。

濠た、最近の重要な成果として、君塚正臣「性差別とアメリカ合衆国最 高裁判所一一一qu問審査基準の再検討一」阪大法学第41巻第1号271頁

(1991年)、君塚正臣「性差別の審査基準の根拠についで一一アメリカで の議論を中心に一一」阪大法学第42巻第1号126頁(1992年)。なお、拙 稿「合衆国における性差別をめぐる違憲審査基準の展開」一橋研究第6 巻第4号1頁(1982年)。

2 1960年代までの停滞

 ウーマン・リブの国、アメリカ合衆国だが、「1970年代に至る康で、法にお ける性別のラインを覆すために憲法に頼ることはドン・キホー一テ式の試み だった」(5)。ここでは、最高裁判所の2つの判決を取り上げて、この時期の法 律家の支配的な考え方をみることにする。1908年のミュラー判決と1961年の

ホイト判決である。

 ミュラー判決㈹は、女性のみの労働保護法の合憲性を支持した。その理由と して、最高裁判所は、身体の構造、それぞれが果たすべき役割、長時間働く 能力、子孫への影響、きちんと権利を主張するのに必要な自己への信頼、生 存競争の力において、男女は異なっているから、女性保護立法は、同様の立 法が男性には不必要であり支持できないときでも支持されると述べた。この 判決は、それだけ取り上げれば問題は多いが、男女共通の労働保護法(労働 蒔間を1日10時間、1週60時間に制限する〉を違憲と判断した3年前のロク ナー判決(7L一連邦政府には奴隷制を禁止する権限はないと判断し南北戦争 のきっかけとなった1857年のドレツドeスコット判決とならんで、2世紀余 の最高裁判所史上最悪の判決と評される一一と併せて読めば、やむを得ない 側面もあった。一切れのパンが得られないなら、パンは半切れでもあったほ

うが良い。より根本的な問題は、1930年代後半の「憲法の革命」でロクナー・

判決に始まる一連の財産権偏重の判例が改められたのに、なお、女性の特別 扱いは許容されるというミュラー判決は生き残ったことである。

 一方、:ホイト判決(8)では、女性は志願しないかぎり陪審員の義務を免除され る制度について、最高裁判所は「女性は、なお、家庭と家族生活の中心であ るとみなされている」と述べて、その合憲性を支持したe1961年といえば、

(221} 一34一

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法経論集第75・76号 論  説

平等主義をメインテーマに社会進歩に貰献したウォーレン・コートの絶頂期 である。その時期に、性別については、なお、こうしたステレオタイプによ る理由づけが通用していたとは一種の驚きである。

(5)Ginsberg, Sex Equality and the Constitution,52 TuL. L. REv。451

  (1978).

(6)Muller v. Oregon,208 U. S.412(1908).

(7)Lochner v. New York,198 U. S。45(1905).

(8)Hoyt v. Florida,368 U. S.57(1961).

3 1970年代の展開

 最高裁判所は、史上初めて性差別を違憲と判断した1971年のリード判決(9)

以来、1980年代初めまでの約10年間にこの問題に集中的に取り組むことにな る。しかし、1970年代なかばまでは、男性に対する性差別をあまり意識して いなかったようである。この時期には、男性が性差別を違憲だと攻撃したの に対して、女性差別の補償を理由に合憲判決を下したり、違憲判決の場合で も、問題の差別は実は女性を差別しているのだという分析をしている。前者 の具体例としては、過去または現在の性差別を補償するという理由で、女性 を一定程度優遇する措置の合憲性を支持した1974年のカーン判決(1°)、1975年 のバラード判決(ll)、1977年のウェブスター判決(12)がある。後者の例としては、

社会保障給付に関して、被保険者が死亡したとき、残された女性(妻)は自 動的にニードが認められて受給できるのに、男性(夫)が残されたときは、

受給資格がなかったり実際のニードめ証明が必要であるという性差別を違憲

とした1975年のウィゼンフェルド判決(13)、1977年のゴ・・…一ルドファーブ判決(14)

がある。2つの判決で、最高裁判所は、これらの差別を、男性差別ではなく、

むしろ死亡した女性被保険者に対する差別と考えたのである。

 ただ、この時期においても、違憲とされた性差別は、男性は外で働き、女 性は家庭を守る、家族の生活は男性の収入によって支えられている、女の子 は男の子ほど十分な教育を受けなくとも一人前になれる(15)といった性ステ レオタイプを前提にしており、違憲判決は、結果として、男性のライフスタ イルの自由にも貢献した。

 この時期の最高裁判所が男性差別に取り組んだ最も重要な判決は、1979年

(6)

性差別とライフスタイルの轡注i

のオア判決㈹である。この判決では、離婚に際して、夫のみにアリモ」:一一の 支払いを求めうると規定するアラバマ州法の合憲性が争われた。最高裁判所

は、6対3で違憲の判断を下した。

 法廷意見は、クレイグ判決(17)における中間審査基準を適用すべしといい、

立法目的(そのひとつは「過去の婚姻期間中における差別一それによって、

女性は、離婚後、世間で自活する準備ができないとされる一に対して、女 性に補償すること」〉は重要なものであるとして、中間審査基準の前半は満た

されると考える。しかし、立法目的と手段(性別に基づく分類)の実質的関 連性については、争点を整理しただけで、その存否に直接答えることなく、

以下のように述べて違憲の結論に至った。

  「しかし、本件においては、たとえ、性別が儒頼できる代替物であり、婚  姻制度が女性を差別したとしても、これらのファクターは、なお、アラバ  マ州法の構造『のきわだった特徴を適切に正当化しない』」

 法廷意見は、その理由として、州法では離婚する夫婦の財政状況について の個別的なヒアリングが行われるようになっていること、そのため、過宏の 性差別の補償に関して個別的な決定が可能であること、性別に基づく分類で

は、ニードある男性がアリモニーを受けられない一方で、性差別の被害を受 けなかった女性にいわれない利益を与えることを挙げている。さらに、性差 別についての基本的な態度を次のように示している。

  「性別に基づき利益と負担を配分する立法上の分類は、女性の『特有の場  所』と女性の特別の保護に対するニードについてのステレオタイプを強調  するという本来的な危険を伴う。かようにして、過去の差別を補償し、そ  の効果の緩和を意図する制定法であっても、注意深く起草されなければな  らない。本件のように、州の補償と緩和の目的が、性別を分類し、その結  果、性ステレオタイプのお荷物を伴うものと同等に、性別に申立な分類に  よっても達成される場合、州は、性別に基づき分類することを許されない」

 この判決の重要なポイントは、2つ挙げられよう。第1は、女性ではなく 男性を差別していることは、性差別を司法審査から保護しないとして、クレ イグ判決の中間審査基準を適用している点である。この考え方は、のちの判 決でも確認されている。

 もうひとつは、性別に基づいて利益と負担を配分することは、女性の「特 有の場所」と女性の特別の保護に対するニードについてのステレオタイプを 強調するという本来的な危険を伴うとして、性差別自体(男性に対するもの

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一36一

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法経論集第75・76号 論  説

であれ女性に対するものであれ)がもつ害悪を指摘している点である(18)。こ こで違憲とされた性差別に着闘すれば、州法はパンを稼ぐ:男性一家庭を守 る女性というライフスタイルを前提としていた。

 また、1979年には、非嫡出子の父母の間の差別(通常、父を差別)にかか わる2つの判決が下された。この2つの判決で、非嫡出子の父母は「同様の 状況にない」(not similarly situated)からクレイグ判決の中間審査基準の適 用は排除されるという見解が少数派にとどまった。

 キャバン判決(29)では、非嫡出子の養子縁組について、母親にのみ同意権を 与えることの合憲性が争われた。ただ、注意すべきは、養子縁組を拒否でき ないものの、父親もヒアリングに参加して養子縁組が非嫡出子の最善の利益 に反することを立証する機会が与えられていることである。こうしたことも あって、最高裁判所は、5対4に鋭く分裂したが、クレイグ判決の申問審査 基準を適用したうえで、違憲の結論に到達した。男女は平等が原則であって、

性差別を正当化する説得的な理由が本件にはないというわけである。

 もうひとつのパラム判決㈱では、非嫡出子が不法行為によって死亡した場 合、その損害賠償請求権を母親は継承できるが父親は継承できない州法の合 憲性が問題になった。最高裁判所は、再び意見が鋭く分かれ、今度は、合憲 の結論に達した(5対4)。一見、キャバン判決と矛盾するようだが、その理 由をみる必要がある。多数派の5人の裁判官のうち、非嫡出子の父母は「同 様の状況にない」として、クレイグ判決の中間審査基準の適用を排除するの は4裁判官であって、それに、中間審査基準を適用しながら狭い理宙一一父 性の証明にかかわる困難な問題を取り除くため、父親に簡便な手続に従うこ とを求めるのは中間審査基準を満たす一一から合憲の結論に同調するパウエ ル裁判官が加わって合憲判決になったのである。つまり、非嫡出子の父母は

「同様の状況にない」という見解は、依然として少数派であって、最高裁判 所は、原則として、非嫡出子の父母は同等の取り扱いを受けるべきであると 考えているということができる。

(9)Reed v. Reed,404 U. S.71(1971)。

α① Kahn v. Shevin,416 U。 S.351(1974).

⑪ Schlesinger v. Ballard,419 U. S.ユ90(1976).

働Califano v. Webstar,430 U.S.313(1977).

(13)Weinberger v. Wiesenfeld,410 U. S.636(1975)。

(8)

性差別とライフスタイルの膚由

(14) Ca丑ifano v. Goldfarb,430 U. S.199(1977).

㈲Stanton v. S tanton,421 U. S.7(1975).離婚後の子の養育費に関して   :男女で異なる成人年齢(男性21歳、女性18歳〉を設定することは違憲と   された。

㈱ Orr v. Orr,440 U. S,266(1979).

(17) Graig v. Boren,429 U. S.190(1976).

⑱ こうしたステレオタイプが許されない理由は、現実との乖離もさること   ながら、それが「『伝統的な』性別の役割からの離脱を妨げ、または経済   的に挫き、その結果、生物学[男性であるか女性であるか]を社会的運   命に氷結させる」からであろう。L. TRIBE, AMERIcAN CoNsTITuTloNAL

  LAW 1565(1988).

(19)Caban v. Mohammed,441 U. S.380(1979).

(20> Parham v. Hughes,441 U. S.347(1979).

4 1980年代初めの動揺

 ところが、最高裁判所が1981年に下した2つの判決は、前述の理解の仕方 に動揺を生じさせる内容をもっていた。

 濠ず、マイケル・M.判決⑳は、18歳未満の女性との性交について、同意の 如何を問わず、男性のみを処罰するカリフォルニア州法の合憲性にかかわる。

最高裁判所は、5対4で、合憲判断を示した。

 レーンクィスト相対多数意ca〈22)が認定した、この性差別の立法冒的は、10 歳代の青少年の妊娠の防止だった。しかし、この立法目的に対して、州法は いくつかの欠陥をもっていた。たとえば、妊娠する可能性のない思春期前の 少女を除外していない点、射精を犯罪の成立要件としていない点、避妊具の 使用による抗弁を認めていない点などにおいて過大包含であり、逆に、同意 がある場合についていえぱ、結果に共同して責任を負うべき行為について男 性のみを処罰している点において過小包含である。

 相対多i数意見は、基本的に、思春期の男女が妊娠に関して「同様の状況に ない」ことを強調しながら、中聞審査基準が要求する実質的関連性までは求 めない。そして、同意がある場合についても、なぜ男性のみの処罰が必要か については、だいたい2つの理由を挙げる。第1は、女性だけが妊娠すると いうことは、女性には性交に対する抑止力となるけれども、男性にはこの抑

(217)

一一一一

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法経論集第75・76鰯・

論  説

止力がないので、刑罰によって抑止するという点である。第2は、男女双方 を処罰した場合、女性が処罰を恐れて法違反を訴え出なくなるので、法の執 行に困難をきたすという点である。

 しかし、こうした論理には疑問が多い(23)。第1点については、妊娠という 問題に関して、それほど劇的に男女は異なっているかということである。子

どもを産むか中絶するかは基本的に女性の自由であり、それを夫や親の同意 にかかわらせるのは違憲だという一連の最高裁判所の判決が存在し、たとえ、

出産に反対しても、女性が子どもを産んだ場合には、その養育に父親も責任 を負わなければならないのに、男性は妊娠に無関心であるとはいえないだろ う。第2点については、いったい、法の究極の目的は処罰なのかということ である。抑止が目的ならば、その行為を共同して行う双方に禁止するのと、

その片方にだけ禁止するのとでは、抑止の効果はどちらが大きいだろうか。

この性差別の矛盾を、スティー一ブンズ裁判官の反対意見は、「理性的な両親が、

異なる性別の双子の行為にルールを作る場合、娘に特に有審な行為を行うこ とを、息子には禁止し娘には認めるだろうか」と指摘している。

 もうひとつのゴールドバーグ判決(24)は、男性のみの徴兵登録制の合憲性が 争われた。最高裁判所は、6対3で合憲性を支持した。

 法廷意見の論理は次のようなものである。法廷意見は、前提として、徴兵 登録と実際の徴兵を結びつけて考える。そして、将来予想される徴兵は、戦 闘部隊の補充を圏的としたものになるだろうから、現行法で女性の戦闘任務 参加が禁じられている以上、女性の徴兵登録をしないことは、この目的と密 接な関連性をもつという。しかし、軍事專門家は、制定法の制約があっても、

たとえば、65万人徴兵する場合、そのうち8万人は女性を徴兵して非戦闘任 務に充てることは可能であると証言していた。これに対して、法廷意見は、

実際に徴兵するのがわずかなので女性を徴兵登録に含めることから生ずる行 政側の負担に引き合わない、また、女性を非戦闘任務に充てる必要があると してもそれは志願兵によって満たされる、さらに、緊急時には、戦闘任務に も転用できる人員を非戦闘任務に充てておくほうが良いので、非戦闘任務に 女性を充てることは軍事上の柔軟性(military fiexibility)を害する、といっ た理由により、連邦議会がこの証言を受け入れなかったことは憲法上許容さ れると述べている。

法廷意見の論理には、次のような疑問がある。まず、根本的には、他の制 定法上の制約が、違憲な差別を合憲にするのかという点である。だが、仮に

(10)

i生差別とライフスタイルの露歯

この制約を受け入れるとしても、できるかぎり男女の平等をはかることが憲 法の要請ではなかろうか。軍事専門家の証言に対する法廷意見の反論のうち、

志願兵で十分という点は、徴兵制は志願兵の予期せざる不足に対応するため のものだから理由にならないはずである。違憲判決を下した連邦地裁は、徴 兵登録と実際の徴兵を一応切り離して、女性も登録するほうがソースも倍に

なるわけだから、かえって軍事上の柔軟性を増すとしている(25)。

 以上みてきたように、1981年の2判決は、1970年代の判例の展開にそぐわ ないものだったといえる。特に、2判決が過去の性差別の補償とは全く関係 のない文脈で性ステレオタイプを維持する効果をもつものだけに、その影響 はどこまで拡がるのか注目された(26)。ただ、ゴールドバーグ判決が軍事問題 という裁判所が介入しにくいとされている領域におけるものだったことに留 意すべきだし、2判決は性ステレオタイプの観点から問題が多すぎるとして

も、今世紀初めからなかばにかけての判決にみられた露骨な性ステレオタイ プの理由づけは含んでいないことは指摘されるべきである(2η。

 この点で、1982年のホーガン判決(28)は、前年の最高裁判所の撤退が全薗的 なものでなかったことを示したという意味をもつ㈹。事件は、ミシシッピ州 立女子大学が、男性の入学を性別を理由に拒絶したことにかかわる。最高裁 判所は、5対4で、この性差別を違憲と判断した。この事件では、男女別学

(separate but equa1)の合憲性が争われたわけではなく、もっぱら、不平等 取扱(unequal treatment)の合憲性が問題とされた一当該学部で男子に門 戸を開く州立大学はなかった一ので、違憲の結論は当然と思われるが、そ の理由づけにも、平等主義への強い摺向がみられる。

 「この州法が、女性ではなく男性を差別していることは、州法を司法審査  から免除したり、審査基準を格下げするものではない」

 「性別に基づく分類の合憲性を決定するテストは、簡明であるが、適用に  あたっては、男女の役罰及び能力についての固定観念から自由でなければ  ならない。立法目的それ自体が、古風でステレオタイプ的な観念の反映か

否かを探るために注意を払わなければならない」

 「州の目的が正当かつ実質的であれば、次に、目的と手段との間の必要な 直接的かつ実質的関連性が存在するか否かが決定される。こうした密接な 関連性を要求する目的は、分類の合憲性の決定が、男女の特有の役割に関 する伝統的でしばしば不正確な前提ではなく、論理的な分析を通じてなさ れることを確保することである」

(215)

一一一

S0一

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法経論集第75・76号 論  説

 この判決は、票決が5対4のわずか1票差で、この点に不安がないわけで はない。しかし、この点を除くと、法廷意見の論理には一貫性がみてとれ、

最高裁判所の性差別に対する立場は、基本的には一あるいは、不完全なが らも、反・性ステレオタイプであるといいうるだろう㈹。

⑳Michae1 M. v. Superi◎r Court of Sonoma County,450 U. S.464(1981).

鋤 ブラックマン裁判宮の結果的同意意見によって多数派が構成されたわけ   だが、ブラックマン裁判官は未成年者の人工妊娠中絶に制限的な同日の   別の判決に反対しているだけであって、この相対多数意見は、事実上最   高裁判所の見解とみてよい。

(23)) Loewy, Returned to the Pedasta1−The Supreme Court and Gen−

  der Classificati◎n Cases:1980 Term,60 N。 C. L. REv.87,1GO(1981);

  67CoRNELL L. REv.1109(1982).

(24)Rostker v. Goldberg,453 U. S.56(1981)。

(25> 509F. Supp.586(E. D. Pa.1980).

㈱ 2つの判決で、最高裁判所が合憲の結論を導き出す理論的根拠としたの   が、「同様の状況」の分析だった。しばしば最高裁判所の現在の性差別判   決の枠組みが十分でない理由としてこの「同様の状況」の分析が挙げら   れる(Gans, infra, at 1887−89)が、ホーガン判決以降は一度も顧みら   れていないことからみても、2つの事件で最高裁判所の保守派が捻り出   した麗理屈と考えてよいのではなかろうか。

㈱ おそらく、1960年代までの判決なら、男性のみの処罰が必要な理由とし   て、相対多数意見のような回りくどいことはいわずに、男性は性に関し   て攻撃的で女性は受動的であるといった性ステレオタイプの説明をした   だろう。

㈱)Mississippi University for Women v. Hogan,458 U. S.718(1982).

㈱ The Supreme Court,1981 Term,96 HARv. L. REv.62,115−16(1982).

  ホーガン判決におけるオコナー裁判宮の法廷意見は、性差別事件におけ   る最高裁判所の高次の審査基準を明かに再確認した、とされる。ダネル   スキー(早川武夫訳)「オコナー裁判官一最初の最高裁開廷期を終えて」

  法律時報第55巻第11号44頁(1983年)。

㈱ 私はそのラディカルな主張に全面的に賛同するものではないが、ステレ   オタイプ分析の有用性を説くものとして、Gans, Stereotyping a認Dif

(12)

性差別とライフスタイルの自由

ference :Planned Parenthood v. Casey and the Future of Sex Discrim.

ination Law,104 YA聡L.」.1875(1995).また、中間審査基準を中核と する最高裁判所の判例は不明確で一貫性がないと批判し、かわって、性 朋を疑わしい分類としたうえで、平等には2つの種類一算術的平等(同

じものに同じ扱いをする)と幾何的平等(異なるものに異なる扱いをす る)があり、その双方を組み合わせることによって真の平等が実現され ると主張するものとして、Cavanaugh, Towards a New Equal Protec・

tion:Two Kinds◎f Equality,ユ2 LAW&EQUALITY 381(1994).

5 それ以降の展開

 ホーガン判決を最後に、10年余り、最高裁判所の性差別に関する憲法判断 は途絶える。この時期には、性差別が公民権法第7編に違反するか否かの判 決がいくつかある。

 まず、1987年のカリフォルニア連邦預金貸付組合判決(31)は、使用者側が、

産休を他の疾病による休業より優遇しているカリフォルニア州法が、雇用上 の性差別などを禁止している公民権法第7編に違反するとして提訴したもの である。最高裁判所は、6対3の多数決で、合法の判断を示したが、その理 由として、産休の優遇は、今世紀初頭の女性保護立法と異なり、伝統的な固 定観念の反映ではなく、妊娠・出産に限定されたものであることを強調して

いる。

 また、同年のジョンソン判決(32)では、女性のためのアファーマテイブeア クションの合法性が争われた。最高裁判所は、6対3で、黒人や少数民族の ためのアファーマティブ・アクションの合法性を支持する先例を女性にもあ てはめ、合法判決を下した。過去の差別の解消を自的とする措置は、合憲性・

合法性が支持されやすいという従来の判例の流れに沿うものといえよう。

 本稿の問題関心から、これらの判決以上に重要なのは、1991年のジョンソ ン・コントロールズ判決と1994年のJ.E. B.判決である。

ジョンソン・コントロールズ判決

 公民権法が制定された1964年以来、最も重要な性差別事件と評されるジョ ンソン・コントロールズ判決㈹の争点は、「使用者は、生殖能力のある女性労 働者を、女性労働者が妊娠するかもしれない胎児の健康への懸念を理由に、

(213) 一42−一一

(13)

法経論集第75・76号 論  説

特定の職種から排除することができるか」ということであった。具体的には、

妊婦に有害とされる鉛を被曝する職種から女性を原則として排除することの 是否である。最高裁判所は、会社のこのポリシーに関して、全員一致で、違 法の判断を下した。

 公民権法第7編によれば、男女の異なる取扱が正当化されるのは、性別が  「真性職業資格」(bona fide occupational qualification)にあては象るとき

だけである。ブラックマン裁判官の法廷意見は、まず、「『真性職業資格』の 抗弁は狭い規定であり、当裁判所もこれも狭く解釈してきたjと基本的な態 度を示す。そして、主として、「真性職業資格」に対するいわゆる「安全性」

の例外を検討する。法廷意見によれば、これは、性別や妊娠が労働者の職務 遂行能力を現実に妨害する場合に限定され、使用者はこの点の関心を女性労 働者の活動のうちで特定の業務の「本質」にあたる部分に向けなければなら

ない。

 最高裁判所はドザード判決㈹において、男性の凶悪犯を収容する刑務所の 囚人と接触するエリアの看守を男性に限定することを許容したが、fそこで は、雇用のリスクを秤にかけそれを受け入れるという個々の女性の決定以上 のものが問題になっていたからである。我々は、女性看守を雇用した結果、

看守が女性であることによって暴動が発生すれば、他人の安全に対して現実 的なリスクが生ずる限りにおいて、性別を『真性職業資格』と認定したので ある。性差別が許容されたのは、性別が刑務所の治安維持という看守の職務 遂行能力に関連していたからである」

 また、妊娠したフライト・アテンダントのレイオフの合法性を支持した下 級審判決も、その理由は乗客の安全に必要澄ったからであり、胎児の安全性

は母親に委ねられているとしている。

 つまり、ある仕事が労働者に危険な可能性があっても、危険だからやめて おくか危険を省みず働くかは、使用者が口出しすべきではなく、労働者本人 が判断すべき問題である。換言すれば、使用者が介入できる一一「真性職業資 格」基準が満たされるのは、危険が労働者本人を超えて、刑務所の看守が所 内の秩序を維持できないとか航空会社が乗客を安全に運べないとか業務の本 質を阻害するところまで及んだときだけだということである。

 「真性職業資格」をこのように限定して解釈すると、結論は決まったも同 然である。生殖能力のある女性も電池製造という職務への参加という点では、

他の者に劣るところがなく、「将来の子の福祉に関する決定は、その両親を雇

(14)

性差別とライフスタイルの惣由

う使用者や裁判所ではなく、子の妊娠し出産し養育する両親に委ねられるべ きである」として、生殖能力を理由に会社が女性労働者を排除することを認

めなかった。

 そして、予想される批判への反論の意味合いもあるのだろう、判決を次の ように締めくくっている。

 「(公民権法)第7編が性別によって分類された胎児保護ポリシv・・・…を禁止し  ているという本日の我々の判決は、驚くべきものでも前例のないものでも  ない。かつて、女性の現在や将来の子孫に関する懸念は、女性の雇用の平  等な機会を否定する口実だった。連邦議会は、妊娠差別禁止法において、

 女性の妊娠する能力に基づく差別を禁止した。我々は、妊娠差別禁止法が  いわんとしている意味のことを判決のなかで示したにすぎない。

  女性の子孫を残す役割が彼女と家族にとって彼女の経済的役割よりも重  要かどうかを決定するのは、個々の使用者にとって適切でないのと同様、

 裁判所にとっても適切でない。連邦議会は、この選択を、彼女が決定すべ  きものとして女性に委ねたのである」

 ホワイト裁判窟の結果的同意意見(首席裁判宮、ケネデi一裁判官同調)

は、性別によって区分する胎児保護ポリシーがすべて違法であるという法廷 意見の結論は誤りで、胎児などの第三者への悪影響も考慮することができる

とする。しかし、本件については、女性労働者の鉛被曝による危険性が、職 場の他の危険や鉛被曝の男性への危険に比較して非常に大きいことを、会社 が立証していないという理由で違法の結論には賛成している。

 実は、この判決をどう評価すべきかを私はまだ少し迷っている㈹.ただ、

ひとっ間違いないのは、最高裁判所が反・性ステレオタイプをあらゆる価値 に優先させたといっても過醤ではないことである。

」.E.B.判決

 最高裁判所は、1994年のJ.E. B.判決㈹で、ホーガン判決以来12年ぶりに、

性差別に関する憲法判断を示したeこの事件は、陪審制度の理由不要の忌避

(peremptory challenge)にかかわるもので、具体的には、次のような事案 であった。上訴人J。E。 B.を被告とする父子関係の存否と子の養育費の如何 を争う訴訟において、陪審員を選定する手続きが行われた。裁判所が呼び出 した陪審員候補者は36名で、そのうち、男性が12名、女性が24名だった。裁 判所が理由つきの忌避で3名を除外し、残りは33名、うち男性は10名となっ

(211) 一44−一一

(15)

法経論集第75・76号 論  説

た。さらに、原告のアラバマ州が与えられている10名の理由不要の忌避で9 名の男性を除外しJ.E. B.が残りの1名の男性を忌避したので、最終的に選 定された12名の陪審員はすべて女性となった。これに対して、上訴人は、州 の理由不要の忌避に異議を申し立てたが、裁判所はこれを退け、本案につい ても上訴人敗訴の判決を下した。上訴を受けた州控訴裁判所も原判決を支持 し、州最高裁判所は裁量的上訴を却下したので、J. E. B.は、連邦最高裁判 所に裁量的上訴を申し立てた。

 最高裁判所は、6対3の多数決で原判決を破棄した。ブラックマン裁判官 が法廷意見を述べている。

 法廷意見は、まず、平等保護条項は陪審員の選任における性別に基づく差 別、すなわち、ある人がたまたま女性であるか男性であるかのみが理由で個 別の事件に偏見をもっているという前提で差劉することを禁止していると基 本的立場を明らかにしている。

 「我々は、審理が刑事であれ民事であれ、訴訟当事者と同様、陪審員候補 者は、歴史的偏見にルーツをもちそれを反映している州によって支持され  たステレオタイプから自由な陪審員選任手続を受ける平等保護上の権利を  もっていることを承認してきた」

1986年のバトソン判決く37)において、最高裁判所は、刑事裁判において、検 察官が理由不要の忌避を行う際に、第14修正の平等保護条項は適用があり、

検察官が行った人種に基づく理由不要の忌避は違憲であると判断した。「人種 と同様、性別は陪審員の能力と公平さの代替物としては違憲である」として、

この判断を性別にも適用したわけである。

 「リード判決以来、当裁判所は、一貫して、性別に基づく分類を高次の審 査に服するものとしてきた。合理的な検討に基づくと公言された州の政策 が、実は、性別についての『古風で過度に広汎な』一・me化の反映であった  り、『女性の役割は市場や思想の世界ではなく家庭にあるという時代遅れの 誤解』に基づいているかもしれないという、実際の危険性を認識していた  からである」

本件で、州が行った性別に基づく理由不要の忌避は、この審査基準に合格 しないと結論する。州は、本件でほとんどすべての男性を除外した理由不要 の忌避は、他の点では全く陪審員にふさわしい男性が父性確認の訴訟では男 性被告の主張に同調しがちであるという認識に基づく合理的なものだと主張 した。法廷意見は、これについて、根拠のないものだし、なにより法が拒絶

(16)

性差別とライフスタイルの自由

しているステレオタイプそのものに依拠しているとしている。

  「最近の判決で、我々は、個々の陪審員自身に非差別的な陪審員選任手続  を受ける権利があることを強調してきた。被上訴人の主張と反対に、この  権利は男性と女性の双方に及ぶ(男性差別であることを理由に審査を免除  したり審査基準を切り下げたりしないというホーガン判決を引用。また、

 男性は歴史的な差別の被害者ではないから性差別からの保護は必要ないと  いう州の主張を否定)。陪審員となる機会を与えられたとき、すべての人は、

 歴史的差別のパターンを反映し強調する差別的でステレオタイプな前提を  理由に差別されない権利をもっている」

 反対意見やオコナー裁判宮が懸念する、理由不要の忌避が制約されるとい う点については、「合理性」の審査基準に該当するグループに対するものはな お許容されるとしている。

 そして、次のような力強い説示で締めくくっている。

  「裁判の公正な運営に参加する平等な機会は我々の民主主義に基本的なも  のである。それは陪審劇度の目的を増進するだけではない。すべての市民  は、人種、民族、または性別にかかわりなく、我々の民主制に直接参加す  る機会をもつという法の下の平等の約束を再確認するものである。人種ま  たは性別のみを理由として民主制の過程への参加から排除される人がいる  なら、この平等の約束は色あせ、我々の裁判制度の完全さは危険にさらさ  れるだろう」

 オコナー裁判官は、本件については法廷意見に異議はないとしながら、「性 差別に対する本臼の重要な一・一一…撃は犠牲を伴わないものではない」ので「本日 の判示は、性別に基づく理由不要の忌避を政府が行使することに限定される べきである」という同意意見を述べている。その犠牲とは、英米法において 長い伝統をもち、公平な陪審の選定に貢献してきた理由不要の忌避の行使に 制約を加えることである。そして、「法廷内で起きたすべてのことが州の行為

(state action)であるわけではない」として、民事訴訟の当事者や刑事被告 入への拡張に反対している。人種に基づく理由不要の忌避は平等保護条項に 違反するというバトソン判決の判示は、その後の判決で、民事訴訟や刑事被 告人による場合にも拡張されていた。オコナー裁判宮はこれに警鐘を鳴らし

たものである(38>。

 ケネディー裁判官は、結果的同意意見を述べている。その要旨は、「性別を 理由に行使された理由不要の忌避によって陪審員となることを拒否された個

(209)

一一S6−一

(17)

法経論集第75・76号 論  説

人」がこうむる「損害は個人の尊厳と統治過程への参加という澗人の権利に 対するものである」という陪審員の市民としての権利を重視するものであ

る(39)◎

 レー・・一・・…ンクィスト首席裁判官は、スカリア裁判官の反対意見に賛成し、また、

独自の反対意見を述べている。その要旨は、人種と性別とでは、平等保護の レベルが異なるから、バトソン判決の法理は適用されず、本件では、理由不 要の忌避がもたらす利益を重視すべきだとしている。

 スカリア裁判官は、反対意見を述べている(首席裁判官、トーマス裁判宮 同調)。その要旨は次のとおりである。男性のみの陪審員候補者名簿と本件の 性別に基づく理由不要の忌避は異なるとして、本判決の影響を「いずれかの

グループに基づく理由不要の忌避をすべて危機にさらすことになる。なぜな ら、それらはいずれも『ステレオタイプ』と名づけられる可能性があるから」。

そして、自由な理由不要の忌避を認めることこそが公平な陪審審理を確保す ることにつながると主張している。

 この判決のポイントは2つあると思われる。

 第1は、前述のホイト判決を実質的に変更した1970年代の2つの判決(4°)

は、違憲判断の根拠を公平な陪審による審理を保障する第6修正に求めたが、

この判決の法廷意見は、むしろ、陪審員となることが市民としての不可欠の 要素であることを重視し、平等保護条項をその拠りどころにしていることが 注目される。

 また、憲法違反の主張をしている上訴人は性差別の被害者ではない男性で ありさらに上訴人自身も理由不要の忌避で残っていたただ1人の男性陪審員 候補者を除外したとスカリア裁判官の反対意見はかみついたが、法廷意見は、

裁判所を舞台に性差別が残ること自体の害悪を重視したといえる。男性に対 する性差別であっても軽視しないとするホーガン判決などの延長上に位置す

るものである。

小括

1990年代に入ってからのこの2つの判決の意味は大きい。最高裁判所が、

現在も強い反・性ステレオタイプの立場にあることを確認したといえる(41)。

ジsンソン・コントロールズ判決は微妙な事件だった。おそらく、わが国で 同様の事件が起こったならば、違法の議論が提起されること自体驚きだろう。

しかし、最高裁判所は、性ステレオタイプの打破を他の利益に優先させるこ

(18)

性差努llとライフスタイルの自由

とを明確にした。また、」.E. B.判決は、従来問題とされてきた陪審からの 女性の排除ではなく、男性が理由不要の忌避の結果もたらされた女性のみの 陪審の合憲性を争った事案にもかかわらず、最高裁判所は性別に基づく理由 不要の忌避を違憲と判断した。最高裁判所は、表面上の(あるいは直接的な)

不利益が誰に及ぶかではなく、性劉の分類を用いることに政府や裁判所がか かわることへの強い懸念を示したものということができよう。

(鋤 California Federal Savings&Loan Association v. Guerra,479 U. S、

  272(1987).この判決については、釜田泰介「『性による・優遇i扱い灘と   Civil Rights Act第七編」同志社アメリカ研究第24号57頁、また、[1988]

  アメリカ法361頁に奥山明良の解説がある。この州法への賛否は、フェミ   ニストたちの問にも大きな論争を巻き起こした。M. BECKER ET AL,

  FEMINIsT JuRlsPRuDENcE 64−65〈1994).

(32)Johnson v. Transportation Agency,480 U. S.616(1987).この判決につ

  いては、日本労働協会雑誌第340号60頁に私の、[1988]アメリカ法366頁   に松田保彦の解説がある。

(鋤U.A. W. v. Johnson Controls,499 U. S.187(1991).拙稿「アメリカ法

  にみる母性保護と男女平等」法経論集第67・68号191頁(1992年)。

㈲ Dothard v. Rawlinson,433 U. S.321(ユ977),

㈲ より安全に配慮しなお非差別的な立法・規則による対応を期待しっっ、

  法廷意見の考え方を支持するものとして、The Supreme Court,1990

  Term−一一Leading Cases,105 HARv. L. R Ev.177,379(1991). Gress.

  man, Striking down Fetal Protection Policies二A Feminist Victory ?,

  77VA. L. REv.1607(1991)も違法の結論は支持するが、最高裁判所の   判断の枠組では合法判決もありえたとして、問題の差別が女性の経済   的・社会的従属の継続に貢献するか否かを重視する inequality theory   を提唱する。また、負けるよりは勝って良かったとしながら、男女双方   に有害な職場が存在することは真の勝利とはいえないとするフェミニス

  トもいる。Rosen, What Feminist Victory in the Court ?, N. Y. Times.

  Apr.1,199ユ. at Al7.

㈲」.E. B. v. Alabama,114 S。Ct 1419(1994)。この判決については、[1995]

  アメリカ法139頁に紙谷雅子の解説がある。

(3の Batson v. Ken.tucky,476 U. S.79(1986)。

(207)

一一S8一

(19)

法経論集第75・7{礪} 論  説

㈱ 同様の立場をとるものとして、The Supreme Court,1993 Term−一一

  Leading Cases,108 HARv. L. REv.139,240 (1994>.

㈱ 女性の陪審義務に関して、市民として権利を重視するものとして、Gross・

  man, Women s Jury Services:Right of Citizenship or Privilege of

  Difference ?,46 STAN、 L. REv.1115(1994).

ω Taylor v. LoUisiana,419 U. S. 522(1975);Duren v. Missouri,439 U. S.

  357(1979).この時期の判例は、陪審員選任手続について、市民としての   資格ではなく陪審の公平性の問題として議論していたとされる。Gross・

  man, supra, at 1139.

ω 1992年のケイシー判決(Planned Parenthood v. Casey,112 S. Ct.2791)

  のなかで、「不当な負担」の基準の適屠にあたって、夫への事前通知要件   だけが違憲とされ、具体的検討も他の要件に比べて念入りで立ち入った   ものとなっているのも、男女平等への流れを無視できなかったからと思       φ

  われる。

6 まとめ一一数量的分析

最後に、これまでの性差別判決の量的検討を試みることにする。次表をご 覧いただきたい。

(20)

性差甥とライブスタイルの庭曲

最高裁判所の性差別判決一覧

判 決 名

判決年

原岱 結論 票数

最高戴判所の分析

Reed 197茎

女性 違憲

9−0

Sta鞭!ey

1972 男性 違憲

5−2 適正手続条項にも違反

Frontiero 1973 女性 違憲

8−1

LaF至eur(雛} 1974 女性 違憲

7−2 適正手続条項違反

K農hn 1974 男性 合憲

6−3

Geduldi墓伺

1974 女性 合憲

6−3 性差別の存在を否定

Bal1技rd 烹975

男性 合憲

5−4

Taylor(b}

1975 男性 違憲

8−1 第6修正違反

Wiesenfeld

1975 男性 違憲 8一⑪

女性に対する差別

Stanto葺

1975 女性 違憲

8−1

Tumer㈲

1975 女性

違憲 5−3 適正手続条項違反

Crai墓 1976 男性 違憲

7−2

Goldfarb

1977 男性 違憲

5−4 難または女獣対する差別*

Webstar

1977 男性 合憲

9−0

Vorchh£11ner 1977 男性

4−4

Fia110

1977 男性 合憲

6−3

Duren(b)

1979 男性

違憲 8−1 第6修正違反

Orr

1979 男性

違憲 6〜3

Parham

1979 男性 合憲

5−4 Caban ユ979

男性 違憲 5−−4

Fee嶽y(c) 1979 女性 ム鯉

菶ュ・ 7−2 性差別の存在を否定

Westcott

1979 女性

違憲 9−0

Wengler

1980 男性

違憲 8−1 男性及び亥牲に対する差別

Kirchberg 工981

女性 違憲

9−0

Michael M. 198ヱ

男性 合憲

5−4

Goldberg

1981 男性 合憲

6−3 Hogan

1982 男性 違憲

5−4

J.E. B.

1994 男性 違憲

6−3

(a)妊娠に関する特別な取扱にかかわる。

(b)陪審員になる義務が女性は容易に免除される制度の合憲性を男性被告人 が争ったものである。

(c)文面上性別に中立だが差別的効果をもつ制定法にかかわる。

*女性に対する差別とみる裁判官が4人、男性に対する差別とみる裁判官が 1人で、多数派内で意見が分かれた。

(205) 一SO一

(21)

法経論集第75・76号 論  説

 「原告」とは、厳密には、性差別の違憲性を主張した者である(刑事事件 では、被告人である)。「最高裁判所の分析」に言及のある項は、最高裁判所 が「原告」の主張とは異なるアプローチで事件を解決したことを示す。

 ここで「原告」の性別に着目すると、女性が「原告」の場合には、男女平 等の主張が勝ったのが8件、敗れたのが2件である(ただし、最高裁判所が 性差別の存在を認めた6件ではすべて勝っている)。他方、男性が「原告」の 場合には、男女平等の主張が勝ったのがU件、敗れたのが7件である。男性 による平等の主張に、最高裁判所が結論として同調した判決が11件の多きを 数え(最高裁判所自身が男性に対する差別を理由に違憲判決を下したものに 限定しても7件を数える)、勝率も6割を超えていることが分かる。

 以上の検討によって、最高裁判所が違憲判断を下す場合には、表面上の不 利益が男性に及んでいるか女性に及んでいるかをあまり重視せず、むしろ、

反・性ステレオタイプの立場から、性別に基づく役割分業を見直していると いうまとめ方ができると考えられる。

 このように、アメリカ合衆国の議論は、男性もまた、性差別の被害を受け てきたことを認識している。たしかに、1981年の2判決にみられるように、

強姦や徴兵といった論争的な領域にかかわると、やや及び腰になるという印 象は免れない。だが、アメリカ合衆国、なかでも最高裁判所の議論を読んで いて、彼らが優れていると思うのは、わが国なら、おそらく一笑に付される であろう、社会通念への異議申し立てに、真正面から対応していることであ る。性差別の多くの部分が古臭い社会通念の反映であったことを想起すると き、最高裁判所の性差別判決を見逃すことはできないと感じるのである。

振り返ってわが日本である。問題の指摘だけにとどめるが、わが国の法制 度に残る一見女性優遇とみられる様々の性差別は、性別に束縛されない男女 の自由な生き方=:ライフスタイルを妨げないものなのかきちんと議論する必 要があるだろう。さしあたり、公的年金制度のなかの遺族年金の受給資格に 関する性差別㈹、女性労働者のみに偏った労働基準法の労働保護、国公立の 女子大学をはじめとする女子のみの教育機関の存在、自動車損害賠償保険制 度における容貌の価値の男女差㈹などがその対象となろう。

他方、いくつかの分野では、不十分ながら、従来の性ステレオタイプから 離れライフスタイルの自由に配慮した制度改正も行われている。その例とし て、教員や看護婦を対象としていた従来の育児休業制度が女性のみのもので あったのに対して、現行の育児休業法は男女を問わず取得できることになっ

(22)

性差男 とライフスタイノレの自由

ていること、介護休業についても同様であること、従来、男性が18歳、女性 が16歳となっていた男女の婚姻年齢が18歳で統一されることになったこと、

女性の再婚禁止期聞が6ケ月から100日に短縮されることになったこと(100 日でも違憲の疑いは払拭できないが)などが挙げられる。わが国の法制度も 遅々とした歩みではあるが、良い方向に向かっているというやや希望的な観 測を結びとしたい。

働 たとえば、遺族基礎年金は、被保険者死亡の場合に妻または子に支給す   る(妻に対する遺族基礎年金の支給は18歳未満の子がある場合に限られ   る)として夫を受給権者から除外している(国民年金法第37条)。子に対   する遺族基礎年金も、生計を同じくする父濠たは母があるときは支給停   止とされている(第41条第2項)ので、実際上、遺族基礎年金の支給は、

  母子が残された場合(妻に支給)と子だけが残された場合(子に支給)

  に限られることになる。なお、拙稿「女性と年金一アメリカ合衆国の   判例を素材にして一」法経論集第64号69頁(1990年)。

㈲ 「女子の外貌に著しい醜状を残す」後遺障害は1,051万円の保険金額なの   に対して、「男子の外貌に著しい醜状を残す」後遺障害は224万円の保険   金額となっている。同様に「外貌に醜状を残す」後遺障害についても女   性224万円、男性75万円という格差がつけられている。いずれも、自動車   損害賠償保障法施行令別表による。

(203)

一一T2−一

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