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『宗教研究』新第8巻第3号(*61号)

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(1)

――目次――

1,

口絵,チャールス・エリオット氏肖像と筆蹟

2,

サー・チャールス・エリオット Sir Charles Eliot,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.1-4.

3,

民間伝承の不合理的分子とその合理化,松村武雄,Takeo MATSUMURA,pp.1-22.

4,

倶舎論の心所説に関する研究,鈴木宗忠,Sōchū SUZUKI,pp.23-45.

5,

宗教経験の心理的過程,上野隆誠,Ryūzyō UENO,pp.46-55.

6,

悪神に関する古代観念,原田敏明,Toshiaki HARADA,pp.56-73.

7,

古典文学に現はれたる浄罪界,黒田正利,Masatoshi KURODA,pp.75-85.

8,

世親造三性論偈の梵蔵本及びその註釈的研究(承前),山口益,Susumu YAMAGUCHI,pp.86-107.

9,

西城出土梵本法華方便品の一断簡,本田義英,Yoshihide HONDA,pp.108-119.

10,

叢林の意義と組織と特質,福場保洲,Hoshū FUKUBA,pp.120-134.

11,

吉利支丹史中の人名二三,松崎実,Minoru MATSUZAKI,pp.135-144.

12,

常盤博士の近業『支那における仏教と儒教道教』を読みて,太田悌蔵,Teizō ŌTA,pp.145-150.

13,

山谷省吾著『新約聖書・新訳と解釈』第一巻を読む,薗川四郎,Shirō SOKOKAWA,pp.151-161.

14,

「死」から「不死」まで,K.Th.Preuss, Tod und Unsterblichkeit im Glauben

der Naturvölker, Tübingen, 1930,

村上俊雄,Toshio MURAKAMI,pp.162-168.

15,

新刊紹介,pp.169-182.

(2)

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(3)

生をては車大陸の到る底面血痕首印し、廣汎な菜縫音痴し.死しては印度什の海底収骨を納わた1−r界人。語は ウーウシ 殆ど東平寧一大陸の音譜に通じ.邸は馴致印度散の教椰歴史から海底に藷動する海牛に通じた単著。而して経歴 から見れば外交官であり.植民地由知事にもなり、叉大場の婦長を勤め、香港大串の創立経飯を仕潅げ、叉大使 としては.厭々の問忙大きな仕弥をした人。此がサー・チ、−ルスの人物で、而して一生を猫身で暮らし、大使退 任後の幾年は、その大著﹁俳教と註教﹂の節囲穂.即ち日本俳敦の稿を完うする偏に.大牢は円本.特に奈良 で研究生括と送り−その節稿が殆ど大成して川駁し得る様になつた陣.健樋を寄し、かたがた本圃忙締る航海中 一▼︳ 終k不励の客となつて.印轄什の小央で水葬の終と遽げた。氏にとつては死して土中に非られると海底に沈めら れると.何等の挿ぶ併はなかったであらうが.姐常の人的としては.何となく凄惨の恐が†る。似.その海が印 度津せあつた串は.又何となく氏の邸若死活の叔後に特別の意鶉ある様にも偲はれる. サー・チャールスが謳者としての業績は.輝に外交官牝活の中に始塵つた。射ち牛津大掌華麗後︵東洋語壌繕 サー・チャールス・エリオット 一

サー・チャールス・エリオブー﹁

S−r Char訂s E︼iO︻

正 治

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(4)

業︶∴一十四歳の昔年時代に外交甘として献在した始はPシヤであつて、そこでの組⋮隼研究は、早くも∴年後に ﹁フヰン語文兆﹂となつて現れ、それからトルコ︰フルガリヤ等に外交官として㍍る刷に結す須方あ言縞を督ひ、 印度併光も段々北方つ1あつた。それから大牢洋のサモア鳥を辟て一九アフリカ保護針山高隼安月としての治街 は、政治京として拙薪なものがあるが、その最後は充本家の靡追に勘抗して祉骨の霊讐青首、畔の攻府と合は ない宛忙官を棄てたので、それは氏の川十次の畔であつた。 その後一九C五咋以来シュソヵールド大挙組長の職にあつた七咋雨は、氏の埜者症清の昂進抑であぃ、印度から 円本にも来遊して、民俗宗教む研究し、掩いて一九一二年から六年附帯泄大挙組長の従順は、東方宗教研究の醇 熱勅であつた∪その問‖本にも西遊し、而してその人莱﹁印度教と沸教﹂は大催その榊に骨子む作り得たのであ る。︵その三斬の印刷刊行は、後に射邦班別小︶。 それから大戦朱勅のシペリヤでの活動を建て、大使として東武在任の六咋仙はサー・チャルスにとつて外交官と して最も得意の畔であつた︵その串項は劣祓する︶と共に、学者としても最も有璃わ畦代でぁつて、﹁沸教と印度 敬﹂の節用怨たる‖本沸教の研究は段々深みに進むでわた。その川、 とした如き、氏がどこまでも研究に進む人たること吏ホしてゐる。又その州にアジヤ斡伊の曾昆や、大挙の闘北‖ 復興韮閲委且となり、肇士院客且になつたなど、輩外の璃の講力もあるが∵てれ等は一々叙せす、大使退化後五咋 の大牢は‖本で荘らし.奈良を木場として‖本体敬の稿を練りつ1あつた。その抑究は耶に丼物の上の串でなく、 沸教の本山寺院を訪問して.親しく隼肘と問答し伴侶と交り、出物を見.寺院牛沼む硯察すろたど、一歩の謹む サー・チャールス・エリオリト 〟拍

(5)

作る満の川恵は賢に川到なるものがあつた。繁務は奈良や宮ノ下でば万民に托したが、その度毎に班々質問を〓さ

れて少々掲はつたこともある外、北︰信の往復も少︿とも月に∴二︰度はあつて、紐て‖木棚故に岨するホであつた。

海洋動物に執する研究は勿論.その他語学上の串は綽てヱを略して、﹁沸教圭印度敬L純刊二前について云はゞ、

あれだけ弘い見地に立っての彿教研究は、サー・チャールスの博鮮と払い跳わや緯騨で始めて化し得るもの、他

の企て及ばざるものがある。その見地を概抗して云はゞ、沸教な印超人の宗教としては一種の漁小物の楼である

がーそれにょつて余丁ジャは印度粘紳の感化を受けた。束カブジヤ︵水滴訪島む含めて︶の宗教は、印便数は勿 論.その他鰍て.彿教の影郡といふ串をぬきにしては理帥〓衆ない、− 馳<=にしてもk膳にしても。而して彿 l▲■■ヽ

教に封する印度人の反腰として加代の再︰ポ動から晒じて衆た印度数は最も肯しい耗物であり、反推しながら、沸教

との相互影響で‖粟たもの、∬つその悪化は印度文化の及ぷ排紙てに及むでわる。それ故l彿敬と印度教とは互 に聯給して考へなければ、その何れも深く知る串は川須ない。‖足れ﹁彿教と印度敬﹂の廿骨作あろ仰l′1で、只〓本 俳敦はーその感化の小でも特殊の化⋮ulむパめるから持別の親祭を施す必要がぁる。 此の如き見地から‖た研究であるから、回教の鶴岡右除けば.アジヤ細酔の︰パ教む枇察するこLLになる。一その 全酔を一Ⅱの胱史として聯輸して糾察する串は至椰であぇから、氏の研究正.桐々の川上地方についての叙説に なつてわる分もある︵南島.7リサム、カンポヂヤの如き︺が、=又聯桁のあ一り分︵中央アジヤ、支如の如き︶は、 その聯格をたどるに往志してある。而してそれでの櫛仰ルは描く幾分でもその布地カの言語を加耳.兢行刷察の結 果む取入れてあるのであえから、門に他人の企て及ばないものであモ ︵l叫蔵王除いてに、頼政と印度欲の川々 サー︰チャールス・エリオりト r6ク

(6)

は悉く独行し、印度は軟駈であつた︶。

故後の﹁日本沸教﹂の怒は、公刊の後・忙始めて全陀を見る外ないが、日本在留前蕗十年の聞の労作であつて、

その範岡は各宗に亘ってわるに遵ひない。その大陀は大使赤任中にも山東上ってゎたが、一つは、外交官として

在任する繊の思想信仰に封する批評的言論を悔むといふ滋味で、その公刊を獅放し、而してその後奈良で段々に

鍛ひ上げたものであるから、その結果は種肯して待たれる。然る忙その税が殆ど〓凍上って︵筆者の知る肝では 日報宗忙推する分で未完の介が少しあつた︶.それを印刷する偶に蹄凶の途に就き、故幽に達する牛途、印度洋に 骨を埋めるに至ったのは.哀悼の棲み、暗むぺき至りである。然し、その折稲比わ李の小にある筈であるから後

職者の乎で刊行せられやう。氏は既刊三研の利渾をも希望して居られたから、第川研も原本の〓版後に和詳して

川すのは.日本畢徒の兼務である。井特については高輪博士とも相談して何とかすべきだと考へてゐる。 兎に角.サー・チ†−ルス・エリオ,トが六十七牛の一生とぞの韮繊は.歴に比類少い弘さと漣化を布してわる。先 に#れた海牛の研究が世界全拉の海洋に克つてわると共に.言語の知識は.その戎譜中には少くとも七十の馳語

の文集と肝杏のあるのでも伺はれる。然し、その研究の主力は﹁俳敦と印度政﹂に注がれ、その最後の努力は‖

木♯数忙集中したのである。アジヤ謙鯛民特に‖水団民又畢界は、この準希上その業揖に対して深厚の感謝を来

すぺきであるけ

例月十山ハH.氏の月忌の日記す。 此梅の校正小.印度経で水非の記事が到着した.十六日夕刻海節で.彿非で水に遭ったといふ。 サー・チャールス・エリオット JJの

(7)

民間偉承の不合理的分子とその合理化

松 村 武

民問拝承の不合理約分子とその合邦化といふ駐日の下に.自分が考へて見たいと思ふことは、 M 習俗−信仰.触俵、説詐等の如き民閃修承に拝まる1不A‖理的分子−−さまざまのオ盾接着の楼悪と

意義。

拘 這般の矛盾嫌若は.どこから来たか.その蜃批齢囲は.那遭に存するか。 印 これと合理化することは.争他にいかなる限界に於て許容せらる1か。

等の訪問魁である。

それには先づ﹁不合理し及び﹁合理化Lといふ名節にょつて何が意味せられるかを朋際にして紅かねばならぬ。

、 少くとも自分がこれ等の名節をいかなる内包の下に位川するかを約束して置く必要がある。これ等は一棟Ⅲ者の

いかんに上つて、微妙な意味のけじめを持つ筈セあるからである。

民明伴承の不介椰的分子といふ場A=に於ける﹃不合理Lによつて、自分は.﹁或る民衆.成る融骨張間が和した. 若くは宥する習俗.信仰.魚価.訣諦等を構成してわる許要戎の含む軋念が、・他から見て−相克に両尭し得ない

民間樽痛の不令礫的分イモモゐ合確化

JJJ

(8)

やうに偲はれろ刷描に立ってわること.けを意味ごせる。榊畔に⋮人=理化しといふ名那にょつて、㍉何等かの原因の ために生じたオ析押苅を合む成るものに封し.その根因むつきとめることによつて/乍の甘∵りものを正しい姿に 遽元することhを怒収させる。 併要の二偶の名那にかうした意味を持たせるとして.北づ肌二に隼起する川根は、民問相承に於ける不<=糾分 子−さまざまのオ析は、いかなる様態に於七存れしてわるかといふこと及びそれ等が或る様態に於て存在すろ

ことの意義いかにとい∴ことであ・ろ。

民衆が有してわる民糊博承は、他から見て、屡々期首たオ情を.ホしてわろい若†の賢例を堺ぐろ年h、多くわ 〓黙民族は、﹁生きてわろ人世トを﹃死んだ人肌kとして/ての非式を珊ムー而して非る芥も非らる∼片もそれー〝山 二J 骨⋮然としてわる。エリブーストーン島の土人は、死小猫のわ先について、おのれ宮守が什む砧の小の洞描む頼価L′する ︵ノ と信じ、同畔にまた述く経れた他の島に赴くと信じて視る。同一の部落に崩する弟†のオーストラリア人は、一 人の欧洲の小爪教師が捉〓した﹁死稚に於ける人肌の相貌鴫の行カhの川に附し∴州凧魂が小人の姿宜してわるといふ

郵では一致してゐたが、その行方に冊しては、或るもの虻偏にゎくと答へ、或るものは近くの拡のうしろにわく

︵二.︶ と答へた。脇女は折鋸することが〓来ない。これは岡昭和まる情理雄的苑理であモトけゾーリアンド訪島の土民 も之を知ってぉろ。しかしこの事拭に補しての紳輔そのものには∵骨しいオ情が比‖され一㌔ニヨヅTL′■いふ一

土人が、マリノウスキ比に語ったところに維へば、

﹃庖女は推女ない。鹿女の備には子供の入り込むところがないからであろ。桧‖が旗く糊くに及んで、粘小職が

N刷悌承¢不合理肋骨丁ヾ=でめ令理化 Jノク

(9)

之を知って子供を典へる。﹄ といふのである。更にイべナといふ老人はこの糊揖に㈱して、掘り締めた串をマリノけスキ氏に示して、 ﹁この小に何が入ることが川来ますか。﹂ と尋ね、次に窄を開いて、 .﹁今度は勿論たやすく入ることが〓発受†ね。﹄ と云つて、さて. ﹃その独りに大きな子宮は容易に†俳む受け入れるが、小さな子宮︵塩女を意味す︶は、それが‖来ないのセナ。﹂ よ.教へてくれた。これ等二人の抑鮎鶴は同一である。枇等の考では、女人の抑娠は、描⋮駅が問いたナ肯から入る ことにょつて生起するとされる。併潤一耗の S号it iロ︼つre望ali︵ニ︼ である。しかし硝薬による懐抑は、必ずしも 子宮だけが問題になつてわるのではない。同島の成る土人は、皮桐−些通して腹中に入り込むと考へて㍍り、更に 他の土人は斬から入るとも信じてわる。そして捕巌が備中に入り込みさへすれば、鬼女でも身詭になるとなす。 またさうした手稀としての楠媒ハCbild虐irit︶そのもの1形備についても、搬念や解秤が郎る陥々で.或るものは 鼠のやうな形をしてわるとなし.成るものは始めから胎先の姿宜してわるとなし、更に或るものは、充分大きく ′M︶ なつた子供の様子むしてわるとなす。古代接及の木乃伊製沈氾に於て、死備に香料む詰めるカ法は、∴二まざまの卿 糾した手段から成り光ってわた。そして堵及に於ては、それ等の多くの手段が、撒く∵足した酢然たる意味と役 目とを持ってわたが.木乃伊の製法が.他の地域から地域へと伸播してわるうちに.さうした手段の本来のm途 民間酢豚り不合理的分子亡その令珊化 JJ.プ

(10)

四 展開■殊の不合理約分子ミそ¢合理化 テクニク が引き歪められたゎ、喪失せられたりして.いつしか人名的な手法に略してしまつた。それにも射らす若干の民 族は・自己にとつて意致のわからね、矛齢に充ちた手段を朔嬰してゐる。オーストラリ7の或る地方やトレス海 ︵五︶ 峡訪島などに於ける士族の木乃伊の製造の如きーこれである。 かうした串箕は.貰振放単に泡ない鞋存してぉる。キサブナン・クックは南洋新色の土民について、 ﹁これ等の民衆の宗教に押して、我々は、何等明晰にして按排一Ⅱした知誠を翻ることが〓来なかつた。我々 は他の■々の大腹の宗教と同じやうに、それが.耕秘に包まれ、明白なオ析のかすかすに混迷してぉるのを見 ︵六︶ 山した。J と嘆いてぁるポ、この嘆きは、決してひとり宗教についてだけではない。あらゆる部門の氏問件承を通じて奪せ らるぺ寧尊命モ持ってぁる。 しかし徒らに嘆かひの潤息とついてばかり居られぬところに、争従の苦傭と許衿とが存する。自分が矛盾と含 む多くの民間樽靂的貰例と畢示したのは、矛盾の攫應と意義とを出来るだけ明礁に杷癒したいからである。これ 等の義t散財して.先づ第一に気がつくととは. 民間樽鳶の不合理牲には、立札的なものと客観的なものとがある。 といふことである。或る民間樽承は.外から眺められるとき.若干の才肪を有してわると見えるが、一旦丑墟を かへて之と円から眺めると.矛肺が予盾セなくなる。餌ちかうした場合の不合印性の成就は、異に民剛体承を産 み‖したものと.他から之を勧察するものとの問の思考法の発共に依存する。﹁生けるものLを﹁死せるものLとし JJ・i

(11)

て非る民俗の如き、 が、文化民放のそれと莱しく剛迎してわろといふ串凹む前捏としての↓〃、即ち軋疲密の‡搬の上にのみ存北する。 ツしに反して、或る他の民削称承にあつては、それが含む不合理匠,客搬的粥増である。内から眺めても外から 眺めても椰にはすれてわる。エリデ.ストーン島民の死歳の住所に制する件承の如きこれである。死茹が成る島の 嗣甜を往断とするといふことと、他の撼く離れた烏を柚併とするといふことは、特殊の操作が無い限り︵そして エツヂ†ストーン粍民は、さうした特殊の條什を考へてわるとM心はれぬ︶桝かに矛情である。 而して這般の客樅的耶輿としての不介鞘に、二つの撲悪がある。 刃 民閃博承が.本質的に始めからオ析を内存させてわる場合。 ′一■tヽ 仰 木原的にではなく、後螢的に何等かの串情の下にオ盾が生じた易合。 が鋸もこれであろ。ト=・ブリアント島民が抑つ鹿女件と抑娠との踊係の勘念に於ける矛盾の如きはー前掛の班例 であり、オーストラリアの或る地力やトレス海峡講烏の土人が有†る木乃伊の製法に於けるオ桁の如きは後者に 崩する。 といふこ七でぁる。た上へば﹃隼けろもの﹂を﹁死せるものLとして非る民俗は∴小爪にそ中り身が矛析む縦裏 してわる。︵この場人=内か、l,L√■外からとの見カの川迎は別問題として︺ヱにkして死雛は渥へわくといふオースト 第二に気がつくことは、 民購仲承の不合理性には、そ車〓功に於て 民問輔姉りホ合理的分+⋮てい八‖理化 黙るものと、比較封刑の上に於て然るものとがある。 JJ占

(12)

民問博頼り欠品的分丁ごそい︵=理化 、 ラリアの成一㌶墨㌫二十人の“仰や、鬼女は酢鋸せ択といふ卜=ゾリ丁ンド島の或る土人の禦小の如きは、それ =身に於て︰㌧何†のオ情を内在させlしわない。しかしオー手ラリ7の同地カの他の土人は、死巌は近くの範 のっしろに行くーr■にじ、トり.ソリ∵ンド比の他の土人は、戊女も抑娠するとなしてわる。こか姑を拙滅べ一り皇已・

そこに始めて矛情が・里じて挙句ご﹂の二許のうち、柁苧・⋮止校勘照の上でのオ椚は、賢際に於てはオ盾ではな

くて、吊に“仰若くは搬念の拙速である。成る肴は人と信じ・他のものは1∼と硯するだけのことであると言ひ切

る人があり宕あらう。しかし聞出は、しかく仰⋮里ではない。たとひそれが比較の上でのオ析に過ぎないにせよ、

それが同一の酢曾根糊に於ける成鳥の榊に見川される望=に圧、∵腰オ屑として採り上げらるべきである。且つ また相互にオ肺する二つ若くは二つ以上の民冊伸承が、⋮一の恥骨集他に並存してゐ一?といふホ葦は・必ずしも

そのうちの一の民川棚承が、或る成員に、而して他の一つの民刷相承が、或る他の成員に信ぜられてわるといふ

ことを保謹しない。相互にオ情するそれ等の民問碑承が同一人の心に娘喰ってゐる壕A〓も決して少くない。マリ ノウスキ氏の如き㌔トけブリアンド島民のさまざまの民刷伸承に於ける多くのオ盾を指摘したあとで一同−一人 による﹃村井オ肺の民附伸承Lの抱持といふ水蜜に斑際に逢新して、 Tbe賢e尋旨肌・・⋮⋮喜蔓dl−巾を0ぞ10笥gr与i邑di苧2口篭︰ロOrC宣二買こっ垂竃dl︵︶ご︶Cを葺iL︼雪e︼メrCr 肌CE:し〓一一e㌻︵・0畠ぎ昌︹i広=誓e旨≡d㌻l訂ド声・昌之〇=訂空︼︼qユ云≡. へし︶ とこぼしてわるJ

、拾三に往志しなくてはたらぬことは

JJβ

(13)

辞の如きけ、里に偲椎の上で¶あり捏べ津こと㌧であり烏〃けでなく、構際に侶起する現象である。木乃伊の製法 の梯播の跡む辿るものは、製眈氾のこまごました多くの方法手段に於けるオ肺が、さまざまに流動して、矛暗が或 は大となり或は小となり、またその件質がいろいろに畳化し、むに喰ひ迎の桐研が或は多くなり或は小となつて ︵八︶ ゐるに気がつくであらう。 こ 自分は、前鞘に於て民問相承に於ける不合理的分子の存在の撲暦と.詣様悪の意義とを考へて見た。次に来る べき問題は、雷氾般の不合理的分子ーオ析用語は、どこから粟たか。それは内的な蔵物であるか、苦くは外的な 葦亜物であるかといふことでなくてはならぬ。 ︳▼■t といふことである。民胴体承に於ける不人〓即は決して固定的ではたい。それは動くものであ一っ。いかに動くかは− さまざまの條仲に依存†るが、兎に角それは流動し建化する凝然件を持ってわる。動くことの結膿も吋なり多様 であらう。少くとも. (D)(C)(B)(A) 民間博承に於ける不合理は.静的なものとは限らす、痛々動的なものである。 民問伴林の不介叩的分子ごそり合理化 動いたために不合即の性質に雄化を生する。 動いたために不合椰の温度に粟化を来す。 動いたために不倉掛の赦免に竹城を航する。 動いたために不合理が滑滅する。 JJ7

(14)

この一閃剋は、夙に考へらるべくして、しかも自分の知るところを出てすれげ、吋なり永く閑却せられてわた問 題である。十八粧紀の前隼に於て∴ノーセフ・フランソワ・ラフ‘トー︵J。眉b Fヨ。官E匡︶が、後隼に於てシ、ル ル●ドゥ・ブロリスハCb邑硯宮野つ鷲凸が、一は希他の抑詣の、仙は域及の宗教の不A=即的分子む自然艮放の丸損か ︵h︶ ら介即化すべきことを冥々のうちに認識したのが、殆んど北郁的でぁり、十九世紀に至って、何人もよく知って わる英拘のアンドリュー・ラングが、民刷相承︵被の場合にあつては、特に民問相承の一成壷としての説話︶が持 つ不合理的分子に往昔を向け﹂︸説話の鮮膵hは畔先すらに.説諭に合まるろ不合理的分子の合理化む意味するこ ハト︶ とを力説した。その他献洲大陸並びに英姐に於けろ多くの人新鮮新が、丁−ルヤ諸民族のHい風習.爪仰、祭儀 説溝専に多くの不介理的分子を見〓して、これを<=理化するに努めたことは、人のよく知るとこんである。 彼等の‡張するところは.これをその中技的に云へば、民糊仲承が合む不合理は、札カ、考カの付近の問出で ある。文化民族の思考、勅令等は自然民族のそれ等と興るLLころ多きが故に、抗い民糊付承の多くの分子が不合 ︳▼▼▲▼ 即に見えるに過ぎない。それは㌢iコの問題ではなくて 竺−仁㌻の川根である。もしい最般の民間仲承を推み‖した 人々の考方を正髄とすれば、不合群が不合理でなくなるぐそれは木鐸的な不A‖理セはないといふことに鋸する。 民閃侍承の不A‖即性に舶†る這般の人類隼派の見カに、殆んど封舶的な馳併を持った尖新な学説が、その後沸 湖西の軌骨拳波の閃に椚導されたことも、みな人の知るところである。即ちレゲィ・.フリ∴−ル氏は∵這般の不合 理が、要一告の間数でなくて誓コの問勘であり.自然民放の心意性の本質からの骨⋮然の苑葉であろとたした。 レ〃ノィ・ブリエール氏の附始的心意性に㈲する見解の中根は、 民問博水り不令即仙分イごその令理化 ノ’、 JJ.勺

(15)

川 原始的思考は、文化人の思考とl一つの件質に於て全く集ってゐる。一は耕極的な性質であり、他は滑糎 的な性質である。 何 軒始的思考はー﹁共享の法則h︵︼ニCi︵㌃p巨ic叫冨iOl︸︶の支配の下にある。これが齢極的性門である。同時 に析始的思考は、文化人の思考.論理を支配してわるところの﹁オ析津山︵︼ニuid=邑コー㌢lぎ︶に服従 してわない。これが滑梅的性質である。 ︵“∵︼ となすところに存する。 −た が 自分が.郡而の閃振としてわるところは∵民間棟承た現れたオ析の形柵が、民附相承を耗み目した民衆の‖小考 のオ肺を素川としてわるか黍かといふことである。かくてレゾノブりエール氏の原始的心意性に肺する見解の全 面に克つて、瞼討を試みる企㈲は、ここでは不必要である。ただ自分の考察問揖に Ti己た励係を持 つものとし て、氏のいはゆるl﹃オ爪印﹂の支配からの白山といふことだけは、什鮒にこれむ吟味するの昔潤む賞はされてぉ ると云はなくてはならぬ。 仇い文化椚備にある自然民放は、巣してレヴィ・ブリユール氏が力説するやうに.文化人にとつて明白なオ桁で あるところのものに思考他に拙越しー従って、文化人にとつては、‡に他の存宜を膏足するところのさまざまの ﹁腑証せぬ点控とば.全く中気に保持してゐるであらうか。切﹂・・︰すれば、尉始的心意性は、果して氏が王張する やうに.コ馴論理的h︵旬塾。g官巾︶であるだらうか。 もし比の王張するところが常ってわるとするなら∵民間件承に於け卑不合理碓の存在は人新準瀬が※張す・りと 相関怖碑の′石令理的分イごそり介珊化 ノし Jノウ

(16)

ころと異った意味に於て、その放い耐招に司って、成る抑搬に介邪が如くと云へるっそして自分たちは、習俗、 信仰、祭依、説蟹に於けるオ盾の聯隼囲が内的、心理的であるといふこと車邦ぶした︿てはたらなくなる。牙 捕む矛盾として感御する心的活動が、集蜘的にまだ蛮赦しないために∵オ桁が中気でのさばつてゎー心といふこと で.民㈹博承のネ合即位の説明がつくわけになる。 しかし自然民族の心意が、基してレゾィ・ブリユール氏の力説するやうに.前論即的であるかといふことは、大 きな疑−聞セある。一昭同氏の隼説の全構造の最も錫鮎とするところは↓訓諭隼論考帰にも∵∵いして置いたやうに、 自然民放の心意に於ける各艇時の考究から始めないで、いきなり垂心意に亘つて、あらゆる昭噂の一般的特質を 論決しょうと努めたことである。かくて氏の原始的心意性に閲する多くの断定は、可たり濃厚な形而上隼的臭味 を珊び、楽際の心理的都犀に協はぎるの憾みが少くない。従って氏の附始的心意牲の抑種の一小核をなしてゐる 前論矧の拳詭に㈱しても、氏が別してわる彿耐西融命隼雄そのものの神常に、既に反射の火の手が凍ってわる。 ルロワ氏︵01i訃r訂rO叫︶やアリエー氏︵㌢邑ヒーi且が、前論即訟の成就を捉つた如きこれである。 ルPワ氏は、わざわざ﹁前蕊釦性の拳説の駁論﹄︵E謬ニe−・賢︷Pti。nde︼:︼−賢iedupr筈甘2e︶といふ許魁を添 へたF原始的理性L︵訂Pぎn買已︷i且を著して、レゾィ・ブリュールが、その撃祝を根元するために引いた例泣 が、 Ⅲ 大部分は、高度に黎珪した自然民放から探られてわることっ︵ネグリートから二︰川、ヴュッダ放から一M、 アンダマン人から三回、ポロリ放から十回・I−これに封して北米印寝入から二日二十回︶ 民制勝林の不令埋的分丁ごその合珊化 Jβ〃

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閏 信頼し排く、且つ不婚切なものの多くを含んでわること。

M戊の揃断によつて、F畔としては鵠誠に﹄となり、還るもの転写べてしとなつてわる望=が多いこと。

む指摘し、進んで、

印 レサィ・ブリュール氏が挙がした幾多の部遭が、前論理件の埜説忙到底追出し斯いこと。

何問氏が撃ホしなかった幾多のホ班にして、その邸説の成北む端的に不吋純ならしめるものの存在するこ

と0 を鞋例忙ょつて紆示し,叔緑の断案として、レげィ・ブリュール氏の試論即Lは、一個のPpriOri∽tie2邑0阜i邑 邑e−莞以上の何物でもない。民俗拳的なもろもろの串門の親する限りに於ては、自然民放の前論理的心意性は. ︵∵J 常に一の郡楽でないばかりでなく、また一の理論ですらもないとしてわる。 英米に於ても、椒弧い反封苗が現れてゐる。・ハートレット氏︵F・C・冒11言の如き∴小−ル︰フディン氏ハーー・ P巨邑の如せ、はたサケ丁−ズ氏っT・巳∵︼㍗R訂︶の如きれである。バートレット氏は、その著芯即と頂姑 文化﹄︵茸e邑。gで5︵ニ︶rぎiliTe C巨。且に於て、 丁ン小t・ンス M レヅィ・プリュール氏がカ弧く認容しておる心意件の封謹、貴際は即始民放造化的敢骨集拘の普通成 仏との例のモれではなくてー原始民族︰ゲィ・ゾリュール氏の如き料堺的専=採との⋮のそれである。

これむ‖て全問としての自然人の心意性と、全備としての文化人の心意性上の規準的差別と見な†こと

‘・L到底不可能であろ。 日周伸水り.小令理的分†l﹁し・てい令叩化 JクJ

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よ附肝油の不令理的分丁寸言、わ︿‖理北 一﹂ 閏 全備LLての〓然民族の心持撞だけについて見ても、オ析律超越の有無は、牛沼のそれぞれの部門や椛 式に於て.大いに異ってゐ一〇。レ︰りィ・ゾリエール氏が、稚封的に井桁紳也竣の拙現すろ範憫となしてわ る死、疾病.琴絶兆等に竺﹂すら、欝陽には決して議封的﹂ではない。rい‖常的な症準−企物 の探求、居住の準備、操用技術の蓉運等の範閲に於ては∴氾般のオ盾枠組越はー殆んど之を見出すこと が日米ぬ。 ︵〓∴ノ として、氏の見解の客搬的婁奮性に乏しいことを雛じて居り∵フデーン艮は.ヲメリ千丁ン・アンスロポロジスト虹 誌に於て、レゾィ・ブリュール氏が脱胎心意性の持質を宜推するために搾引した多くの揮例が、 川 信漉し斯い文献に経ってねること。 拘一面的に堕して、自説々丑切る性質のものを閑却してわること。 回 読特質の存在む示すとも解せられ、また之を盃足してわるとも解せられるやうな.不定な内容を持つも のを引用してゐること。 ︵︰M︶ 等を指摘して、氏の挙証は、拾一に方法論的に大きな紋隋を含んでわるとなし、進んで、自然人と文化人し﹂に於 ける論鋸的な考方と前論理的な考カとの穏健の襟際を概察して、 Eleロtbeコ︼。許容Ph訂㌢邑aロ至−b巧Or〇ul・C。n−一己unitユsP二i日戊S阜甘二〇Pr㌢㌢P〓いl℃罵萎〓訂t=Ot巳二ncCn・

監3bl∼pOユ訂コOr〇urOOヨーヨunilリ・弓e t﹀r2︸Og⋮昏㌻g00d p邑○ごぎ∼・Ⅵ○司1b㌃1写りっPl碧iI句〇㌻コぎ牙i㌢巳10こ計k

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(19)

tbPニt㌃PpriOりi u己ik∼lヽt訂t pr㌻ETの⋮Pn旨〇一己ther各−・eb咋e臼pl芝l︶・de邑d〇ご︼1こOg︼邑F・已tさ一岩︼箋 幻 ′l

ind躍d 書誌旨一e;Pt Prel〇gic已 ヨeコt已itくreつreS星=〃つ︵土1ご︼ 買ぇP㌢れ二1C︰1︸う︹≡コ︵・eつ=C㌢L l享1字事三

︵︼五︶ iコ好昏Ce召ricビトキワ守u己e巳−p訂ti邑︼Trmpuさ一1e㌢ と云ってゐる。 レヴィ・プリ二.−ル氏は、自然民族の思考が、牙析緋の支配を払越してゐることを箪ホするため忙、彼等が持つ 多くの習俗信仰を撃糾してわる。氏の矛盾印超越説が成立すろと蕎とほ、該説た紬き‖すために接引せられたこ れ辞の習硲桁仰の耶襟性のいかんに依存することは云ふ・までもない。と﹂ろでこれ等の民俗に附する氏の凝絨は 遺憾ながら致命的な秋隅を有してゐる。民仙博承のオ析には、二つの場<=があり得る。 川 或る習俗−信仰、説誹等の内容が、‡親的にも客観的にも、互に相容れざる描苅的安索た合む場合。 囲 成る習俗、信仰、訟訴等が、客札的には和才析する要索を含むやうに⋮還れても.※甑的には何等の撞 着をも里してわない場人〓。 がこれである。そして拾±の功∧‖は、かうした民糊付承を牢鼠で保持してわる民放の心託仰が.前盃面的ゃあり. 矛盾紳む払越Lてわるといふ推断の材料には.到底たり得ない。たぜなら該民川相承の11零は、他人から見てオ 盾を含んでわるやうに偲はれるだけで、之を産み‖し之と保有する人々にとつて比、オ情でも捕着でもないから である。かくて習俗、爪仰、説諭等を門紀上して、〓然民族の心意件のオ析律旭越夏‡張しょうしJ†るものは、 それ等の即硲、信仰、批満呼に現れたオ析の仲田を什帥に輸糾して、∴つの場へ=のいづれに崩するかを見きはめ 民即伸殊の不食珊約分チビそり合理化

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● 一円 民間相承め不合理約分子ヾJその合理化 ることが、先決問監でなくてはならぬ。然るにレゾィ・ブリュール氏は、旭火這般の槍討を聞卸して、臼分の‖に オ爪を含むと映じたといふだけの理由で、多くの民刷り仲水車オ析払越説の箪ホ材料に引いてわる。氏の解説の致

、ィ

命的な秋附はl賓にここに存するっリグ丁−ズ氏が∵での論考﹃死に閥す一じ原始的概念しの小でレゾ・ブリュー ル氏の拳舵に於けるこの扶隋を鋭く突き込んだのは、尤千粧でたくてはならぬ。 例む黎ぐるならば、レゲィ・ブリュール氏は、自然民放に於ける前論理的心意件の門例として、叛きた入関を 一 プラクナス 理非する貨修を挙げてぉる。氏の考ふるところに従へば、かうした畏佗は、之むわふ民衆が∵或るものを川蝉に 小猫となし、また死者となすことむ示して居り、従って桝かにオ桁緋を払越してわることを措持すろといふので ある。しかし問揖は、決してさう簡箪明瞭ではない。自然民族が抱く﹁死kの軋念と、文化民族が右するそれと の削には一大きな開きが存してわる。例へば、メラネシ7人がよく口にするマテハ邑e︰−﹁死人旨武︶てふ誠⋮ 酢は、1蟹際に死んだ人﹄に埴和せられるばかりでなく、捕また、 日 大揖にかかつて、死ぬらしく思はれるもの。 拘 全く健康ではあるがひどく年老いてゐるため忙、土人の見地からすれば、息はついてゐても、死人であ るべきもの。 ︵J六︶ にも適mせられる。この言語邸的半襟は、メラネシ7人の﹃死1hの机急が、文化人のそれの包架する範用以上に 賦汎セあえこと牢ホしてわる。従って彼等の見方L立易とからすれば、小猫を理非すろことも.決してオ肪でな い場介が膵々有り得るGさうした凄合の姓希は、文化人から見れば蛮行であつても、彼等から見れば、立派な死 上目

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人であるからである。かくてレゾィ・ブリエール氏が、オ柄律超越の一節放として準ホした捏昔規非の庶修は、気 の符にもまるでその用をなさぬことになつてしまふのである。 この一郎例からでも容易に推知せられるやうに.〓然民族の川心考に於ける牙肌什は、化から見ての−−文化民 放から見てのオ盾性であつて、それ白身の牙爪性ではない堺㍍が多い。言韮を換へて云へげ、﹁成ることふに帆す ろ概念そのものが、自然民族と文化民族とに於て異ってゐるために.その﹃或ることLがオ析を合んでゐるやう に見えるだけであつて、一〓二﹂の靴念上の差異が認容せられるとしたたら、そこに存した衣面的なオ伯が消滅す るばかりでなく、﹁成ることkに槻する信仰や賀修に合意せられる誹々の過耕も亦全く論理的となつて来る。リヴ ■一■■ヽ 丁−ズ氏の言祝を借万て言へば、 −〓t司C為〇neereeO笠誓トt一已ニJ:已i責㌻1:露r〇ヨ︼C︰︰tつれerieり・−多i︹︼一3︵iきr⋮︰ぎ三l−。蒜〇rこ一:一i乙i邑、 ︵∵し︶

︼訂re訂ロOt O已↓ロO COH︼r.r巳icこCコ一Ftェ芹iニ︸r冥躍CEgレ訂ハ㌧⋮−仁Sご・i邑ニニ侶⋮cL・

である。 それならば、民冊伴承の不合理粧といふ関根の脱する限りに於ては、人類埜瀬の#張するところに従うて、そ れで能串終れりとすべきかといふに、断じて蕎である。なせなら民問伸水に於ける不<=理的分子は、吾人が先に 明かにした泊りに、耶なる Scl−㌢としてのそれ以外に∵明粧な客剋的串班としてのそれが多く軋‖されるから である。それなら這般の客観的串門−左しての不合理的分子は、何を陣胎として軍畑したものであらうか。 仁1分の見七ところでは、二閑人類型求も酢介隼派も︵※としてレゾィ・ノリ.1ル︶人件む依り忙窮州に解し過ぎ 民問伴林の不令埋的分イ⋮〝、り令理化 J2∂

(22)

民間椰姉の不合理的分子ミその介如化 一穴 てわるやうである。殊にレゾィ・ゾリュール比の如きは、昭に柑族のもろもろの心的過租が已歪訂︼苦くはn。n⊥。gを であることを※張するだけではない。捕またこの巳。聴iB︸訳くは⋮こC㌢已た心葺鮎が、文明人の論理的心意性 に先行して、一の朋舵な進化的附届を印しづけてわることを力説する。頗る墟切れがいい。しかしょく考へて見 ると、像りに物事を明酢にしようとして、却って串の苑相む逸してゐろ捕ひがある。 囲 自然民族は・何等かの理由のために、論理的な2nctを義へおのれ等の意志を働かせることから、ムれ 、 叫蜜に即してものを云ふならば、入関の心志俳は、ラングやレゾィ・ゾリュール氏の見たところトTリは、もつと 祝雅である。複雑といふ詞が骨⋮らぬなら、もつと小氾模としてわる。論理的に考へろことがある上北ハに∵前論理的 に考へることもあるのが、人問の通性である。自然民放は前論理的J〃ギカをなすものでぁり、文化艮族は論理的 な考方をなすものであるといふやうに、祉然たる蹄別をつけようとするのは、可なり無理なわカセある。 ヽヽ 川 矛析性に無頃着であるといふ心的態度は.〓然民放に於てより芳しい。 度々阻止せられる。 印 排群に論理的な思紫は、自然民族の問に於ては、比較的に稀少である。 といふこと以上に〓ると、三Ii据を離れる。同時に人数学派の若干の墾従が‡張†るやうに/‖然昆族のM小考がい かに不介理に見えても、もし彼等が持つ和合の前提を許容しさへすれば∴厄般の不<=理扶鯉じて人〓即的となると いふ考力も、もし之を鱗充し過ぎると、自然氏族の心意件の邪推にはすれる。正面から云へば、〓然民族の川小考 もわれ等の思考と同じやうにA‖理的であることもあれば、オ宿を内存させてぉることもゎん。郡乙平凡な見方で J2β

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あるが、それが事件であるから購方がないご ∬つまた人聞は.1殊に〓留民族は、おのれが抱懐してわるさまざま観念や見解やぃ仰に於て、明純な定型 を産み〓してわない場合が頗る多い。挙的研究に従串−するものでない以上、〓dの持つ肌合等を一々扱対して、 梢純な形相に於て之を把握するやうなことはなく、いつの鞘にか〓来った観念信仰等をその伯ぽんやりと胸に城 めてゐるのが、﹃人制約kである。だから他の骨が.それ等の純合ぃ仰等を凝州して什紺に考察したら、幾多のオ 爪が見‖されるであらうが、これ等の抱特許自由正、さうしたオ爪の打在に気がつかすに過してゐろ。これは決 して軍なる想像ではないい欧米の学務たちが、〓然民放の附に〓かけて.その民糊仲旅立鬼集するときに、経え 二八.− す逢着する断乎たる部費である。 かくてジーームズ・エー・フ丁ラー氏︵J⋮CS A・F弓reリ︶が.その碁﹃原始的風習lっハ買mi一⋮完ソぎ⋮⋮n︵l C已。n″眈︶ の申で、 ﹁もし宮代析大人が.彼等自身によつてではなくて、希搬入の腕客にょつて㍊越せられたとしたなら、それ守 一rモ′ラト, の桁大人たちは、﹁なるほど意識的には有紳論的であるが、しかし同時にその祭儀の大郡分に於て、悪姦崇拝 左 †ハ ︵一巧, と想像的な邪物の宥め和らげとに耽る民衆Lとして、絶代に糾介せられたであらう︵﹂ と云つた言葉は、民間伴承研究芥が探く考へさせられる成るものを含んでわモかうした心的糟度はレゾィ・ブリ ﹁ル氏が椚ふところの矛析印の超越に似て・しかも根本的に異つてわろ。矛析の在れに兢がついたならば之を正 す忙努めることが‖来るであらう心意が、オ胎の揮ポそのものを検討する気がたい期榊∵﹂れを鵜槻するだけの 鱒闘伴殊の木骨知的分子ごその<〓椰化 J月フ

(24)

ことである。無意識にオ靖の存在・伊一許容してゐろ﹁無闇心の照度にれくは¶偲椎の合冊慢hであろに過ぎたいので、 本質的にオ暗に気がつ津得ぬ小景咋ではない。他から見てり民川博水の不人=理は、かうした境地に於ても、太だ 多く見川される。 更忙また民間博承に於けろ不合理的分子の存在を此は諭すろといふことと、之を揆無するに努めることとは、自 ら別間揖であるといふ鮎に留意しなくてはならぬ。民冊は頒は ュ=宣言つ=1e・︼ なものであり、博統の力に弧い支 持を受けてゐるものである。それと川けに∵〓己・り一号に直接た川中〃をけつことの無い骨¶くは㍑い邪教に勤して は、耕掩的な働きかけをしないL﹂いふ山が、人仙の通性であろ〓巨﹁成ろ址曾頼冗囲の桐々の成ハが、或る種の民 川棚承に若干の不合理的分†な合わことを意識しても、放て進んで之・付合理化しよう一三し㍍いのは、決して怪し むに止らぬ。 昔上り然かなりき ゆくゆくも然るべし といふ心持が、民叩伴承の情命む持紙させる原動力である以上、その中に潜む不合理的分子も亦このカの庇護の 下にその存在を許容せられるこLJは勿論である。 それから塊囲意識と偶人意識との棚橋も考慮の申に入れなくて圧なら打っ整閻意識は、動力としては温いもの であるが、思惟に於ては疎漫であるのを満とする。だから偶人烹諭が、成ろ艮冊相承にオ情の存在みー溜めたとこ ろにあつても∵雄閻意識は之む漫然と看過しがちである。而して文化の和睦が低ければ低いほど、配付集閣の偶 民間伴凍り不合理的分子ヾしそり合理化 Jユ9

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偶の成且に射する集囲意識の支配力が粘いため、たとひ苫十の個々人が民冊棚承に於け︰・わ不合理を点描し、∬つ これと揆無しょうと布求してわるとしても、その貴際化は決して容易でけ∵パ∴・。 かくの如くして、吾人は、民㈹博承に於けろ不合理的分子が、民冊倖承む持つ者及び他から之む眺める脊の心 即の種々柑のために、始めからS㌢上して若くは叩へ宮iコとして畑れ∬つ存してわることを知る。しかし不A‖理 的分子は、さうしたところに凝牝閃を石するだけではなく、また後冤的なイ=−甘かの頂囚のためにも存在するやう になること、先に二言して置いた泊りである。それなら後婆的な捕囚とは何一でやりか。 先づ第一に、相異る部族や民族の接備による相異る文化形相の泥沼といふ用象が聞損になろ。異放接偶には、 さまざまの撲憩がある︶代地域の幾際的比隣に基く指摘もめれば、里冊を隔てての時々の交通による柁倒もある。 通椚によりて内的に結びつく招鰯もあれば.血捗関係立錐れた外的な描例もめる。しかしさうした様態のいかん に拘らす、異族の接燭は、文化史的には、相異や︰純の文化の混拾を根起させる。そして永い諏〃の冊には、異 る文化を探り入れた或る酢曾根囲ほ、〓dに特有た保存本能−構成本描−隼囲的差別仰向等の合成力若くは反揆 カのいかんによつて、霊︺己の文化形相と、これに異ろ文化形相との問に何等かの整序仲川を賛ますにはゎられな いものであるが、埋冒すれば、両者のオ肪む揆如して、あろ形の調和統一を肱川すことに努めるものではあるが. しかし這般の整序作用は、決して渥僅にして完全た苗沌燕ではない。従ってm異ろ文化の況沼によろ習俗信仰の 上のオ肪は、到底織る隈克く全祁的に消滅するものではない。紳介里溝のLしころどころに、吋なりいつまでも奇 異なすbr⋮dな形相として.不へ=即のホで箕に、挿前のままに柁存するものである。満腹の古代史を凝刷するもの 民間併称り不令埋約分†±その令如化 〃り

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∴○ 民間博承の不合理的分子よその介埋他 は.7ケー7族の邑旦Ereligi。コの種々相と、ベラスギ族のteコ旦r5.1re音。コの椀々抑とが、幾多の矛析した姿 のままで抱合してゐる事貰に気がつくであらう。ヘブライ人つ門俗信仰に肌を注ぐものは、その中にバビロン的 な要素が、水に浮ぶ抽のやうにぎこちなく撮り含つてわるのを見川す筈であろ。南洋諸島の土日の問に於ける民 俗上の矛盾が、環境的図案を持ってわることの多い串捉 − 良から畠への土族の移化が容易であるために.凍る 文化の接鱒混合の磯扱を頻繁忙したといふこと忙その原因を和してゐるのは、リヴ丁−ズ氏その他の率従の夙に 論許したところである。 第二に、習俗信仰に於ける矛盾や不合印は、かうした椛の㈲係−−・女川的捌係から起り得ろと同時に、また縦 の㈲係1−時間的朋係からも小れ得ることを忘れてはならぬ。畔問の夏化が.民放の文化の種々相や思想、敵念 導の髪化を意味する以上、民問仲承の小に抗い形相と新らしい形仰とが包合せられるに至ること、及びそれ等の 形相が或る勤までは矛盾無き要に触け合ふと共にー或る勤に於てはオ爪が粧すろといふこと仕、言ふを傑たない であらう。その他時間の楚化は、部族的.民族的苦くは家族的に民附伸水の相異を隼ぜしめろ。日本紀のコ北= 日﹄や﹃古語拾遺しに於ける諸説諏の如き、よく㌫鮫の消息を樽へてゐる。むに畔がたつといふことは、記憶迩 ひ.その他さまぎまの郭楠を通してー民冊伴承に補する多くの異説を産み‖さざるを得ない。而してさうした民 附膵承の多くの憂棟は、その一ついつの姿に於ては、何等のオ椚も含んでわない場へ〓が多いが、鰹柿の相互を比 較封照†ると.そこにさまざまのオ婿が見〓される。 最後に、無意識に作焉せられたる民糊付承他不A〓即がある。不A=即、牙析の捜許しないところに、仙から其辞 J∂0

(27)

を作り上げる現象で、これも或る意味に於て、怖かに民川棚承に於ける不A=理的分子の葦批閃であるじ耗みの飢

は、皮肉にも民問樽承の蒐集耕それ白身である。

自分は、彼等が民間條承を蒐賎し記鍬せんとする忠掛及び努力に於て・誠机であることを屁はない。しかしこ

の馬串は、鑑㈲や努力の誠豊さだけで立派に馬し逐げられる性質のものではない。稚い如軍純糾批敏な帖感・即

解カ.樅察力.周婦な注意力などが、必然に要求せられる馬串である。しかし民削伸承に舶する㍊鍬が、就くか ぅした賓箱を具備した人々によつて作られたことをl何人か保配し御上う。いな−据際の串腎宣しては・先に拙 稿﹃民俗記蝕の検討隻﹃宗教研究旨職せた論考P収めて捌著﹃民俗寧倫考Lの巾にあるC︶に於て指摘した独り、 断る軽率な民俗蒐現有が少なからす存してゐてー民閃伸承の研究新む恐るべき艮に阿れる底の牙析−不合理を、

それが班際に於ては存しないところに作り上げるものである。

かうした民聞伸承的不合理は、#批的革質としての存在ではない。蛋中相聞でぁる︺しかしそれが非賢在であ り、如意識的な読む有とする作廼であることに#人が気がつくのは・吾人の研究の結英である以上、その結 英が⋮るまでは.やはり依然たる一排の不A=即として、その存在を圭張してわることむ忘れて杜たらぬ。 肛 ︵一︶ ノ1・声R・Ri責J茸c邑○顎P已Flト邑Og叫ら声 ︵ニ︶ Ri責明︶○ワCざp.㌫n ︵三U R・琶邑○ニー訂○訂︼1i誉r首讐uJ=u旨︼i化−P.−芦 ︵門︶ ロリEi臼0尋升i㌔訂F註2ニnワi≡iliイeぞc邑OgYpp・㌫︼券

代間博頼り不令痩的分子ごそり合理化

■ 一 一 ■− ∫3J

(28)

︵こ JCurn・冒宣ン11111rつp∴nチノ1ウニノJコ︼pワー㌫⊥じSいp⋮・㌘リ・︰1J好古・〇=E㌻つ︰︵︸l声ちワS讐IS訟⋮ ン旨PJsつrA已莞○︼つglノ・P−乙レnl−弓﹃っ㌻gY三︼・HL pp S㍑−芦 ︵︰ハ︶ lhヨ汀預言ユニー∽ノ、︵宅gきT⊃﹁チエノ・ほ㌢ ︵七︶ ノー︰ユニ;ヨぎ〇l︶・︹ご・−p∴芦 ︵八︺ ︰の鮎に=閏Lてに、︵五︶ に弾け・㍗諸購読会昭。 ︵ル︶.﹂.可︼・ぎC〇⋮ニ∴ぎ︶ソ訂ハ・1ヨ訂s”1ヨ的︵め︵︼りほ心り書びC訂r訂︵山eプ︹S・領︸Ou2︷つ訂21ご”コ己−︵竹、。l︼つ弓 ︷訂∴三宅︶葦誹。 ︰−〓若︵訂︼ぎエつり︼話邑ig訂コ︷訂︼、H賢二弓筈︼︰︰′レ吾ぎ=E己√de室Jlユ 03 ン.Lり5㌘2き≡旨︵︸ソ︻リ・ェー︰ソデー一こぎ阜P乙︰力∵ニ11い言付′照し ︵二︶ r㌧てT7冒︼︼∴㌻sヲコユ㌻ニS⋮=lE済㌢房㌃ヂ1i貰∴試い∴=弓1葦旧⋮。 ︵三︰の︰ヾ■につ、モヽに、コ﹀〒㌻つ:・こ︼・H舛ごノ.・リニ・ユに於け一:しオ﹁−ル・ベ︰ハクーマン氏り評論か奇相わりた ・し。H氏・b亦前論理性の里㍑が、〓炸艮族に於け斗㌍繹の尺硲煎的き1i黒から見て成草し持兄∵ニ・を情†三人て わろq ︵ヨ︶ ﹃●︹哲ユ訂t︷、ヮリC訂l〇gり2邑ヲ首いt︰イeCultur♪p・=S㌣ ︵一川︺ ︸︶﹂£i︼l=コi告tlつつrヨ訂つ︼鼠2︰T訂〇n乳︸A莞∴︹・岩.・′三ざ且っg7.√T。︼・珂Mヨ︸HO﹂・Plノ・誓∴ド ハ完︶ 知日寧−︸○ワCチp・㌍・ ︵二ハ︶ 日記rⅥ−○ワCテp・告・ ハ一心︶ Riノ・EメOp●︹i︷■,pp●ぉこド ︵一O E.い.HP邑6d﹀2tuヒ望ユ㌘一⋮ら⋮C・S・野呂弓︶T訂︼h=−丁〇つ汀。rF﹁±ハ︼Ore雄勢蛸。 ︵一九︶ J■ゝ●H㌔ヒ扁r︸吋riヨi︷⋮12ソ㌻2−けrSPnd c亡StOIJJS,?当・ 民間用殖のホ令理的介†くそり合理化 J3β

(29)

−問題になる損命の通説七十五法諒と通説心肝古ハ位説

従来の沸教堪者の曹通に考へる併に依ると一世別の鵜令諭では二切法を分類して、五化七十先法となすので

ある。このことは俳教拳肴の常識とも云ふべきもので、今更らしく述べるの必安もない耕であるが、行論の晰序

として、油俗の薄物から一二の郡例を挙げると、凝然の八宗綱要には、

同此宗︵似合宗のこと︶幾種描話法乎。答七十五法描話法荘。

と云ひ、又七十五弦記には、

一切石部併克法。右七十五。略娼五佗。

とある。五伐とはー一に仏法、二に心は∵一・に心併有法、川に心不用腰行法、正に無職法で、也法隼十∵心法

に一・心肝有法に闇十山ハ、心不用腰打法に十川−無娼法に≡、仰せて七十五法となるのである。共してこの沌り であらうか。私も久しくこれむ信じて居たのであるが、先年兼この明の梵洩封照を基礎にして.柳か根令論の新

研究に従姉してからーこの通説に附して、潮く疑問た抱くやうになつた。この綾似合給養就門に研究して居る人

人にも尋ねて見たが、特にこのことには兢附かなかったとのことであるから、こ、にこの旋冊を堤〓して、斯道

肌合論の心併祝に開†ろ研究

倶合諭の心所説に閲する研究

鈴 木 宗 忠

ノ33

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挙者の批判を仰ぐ次抑であろ。 勿論一切法∬仰視は、小乗打鍵に於て、研始期ではないにしても、相盤古くから行はれたもので、仇合諭がこ れを継承したことには問題はないり小薬彿教に造詣の深かつた放水打率賢棚士の‡張せられたやうに、それはー1亡 友の‖仰新仏論に〓て㍍るのが、、Lの放も古いものであらう。爾来それは婆抄に採川せられ、法膵毘佼や、甜心諭 を鉦て、似合論へ来たものである。鵜合諭姉川春︵大証蹴、二九、一八ト︶に、 潤一切法。略有五〓帖。一色。二心。三心肝。川心不用腱行。丘無貧。 とある。邦五が無情法上︰ムはれるのに封して、前回肴は有鳩拭と云はれろ。故に∵切法は、この考へ方に依ると、 二稀に大別せられ、有璃決と無岱法となるわけである。有馬法は原語SP.2k苦から見ても.鎮め作られたもの1 志妹で、西洋打率の語で云へば、jl三しく現象界lこ懲り、無満法はこれに反するもので、大冊に於て、本鰹界に常 るとしてよからう。次に有馬法をl呵税忙分けるのは、如何いふ坪山に依るかと考へるに、それは蜜准瀞的な考へ 方に裁くもので、川大株即ち地水火風の川元来に依って造られるか否かを川螢凱にしたやうに思はれる。即ちこ れに依って眈氾られたものが色法であり、そうでないものが心法である。そしてこの心法には、それに嘱し、それ をして作mをなさしめる性質あh∵とし、これを心肝有法とした。これは珊はゞ一稀の心的確カとも云ふべきもの であらう。更に仏法にも、心法にも、それ等をして存在せしめる性質ありとし.これを心不用雁行法と名けた。 心肝有法も.心不納牒村法も、他︵心若くは他の︶件質である斬に於ては川一であるが、前都は心に佃膳し、後 一一一 軒は心に柑膳しない。心不相雁行︵ci字音rP苫賢妻首ぎ︶と云ふ名耶は、それが心に柏應しない行である肝から 鳥 ■■ 惧令論り心肝課lこ開†ろ研究

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出たもので.従って心併有法は、これに射して、心細應行︵citb・pさ苫打F由層試rP︶とも云はれるのである。 批鋭が似合論に於て、常時の小薬打鍵に伴へられた一切法五位沈む採用したことは、上記の引〓文に欲して明 かであるが、こ1に問題となるのは、この先位の小に盛られた法の軟であー㌔甥富すれば、一切法五位盃が問題 となろのではなくして.一切法七十五法説が問揖となるのである。尤もこの小でも、似合論が、也法に十一、心 法に一.心不柵膿打法に十川、無償法に三があるとしたことに就いては、我々は容易にこれを宜湿することが〓 来る。先づ折一の仏法に十一あるとしたことは、第一界晶、九頓に、 R甘P臣p61ceロ巨甘ny−笠n叫

辟 什 芹 卸 活

Pユh首唱邑替亡許ptire召3h 卸港沖呈婦鮒d伊か0 とあるので明である。こ1に記した媚の布状は、梵文に依ったもので、淡繹にはないっ雅文と云ふのは、捕友の 阿毘澤靡似合明鶉椰 ︹Y軋。mitrP−Spg華tb抑b己dh弓コ6打。りいP↓甘k首P︶ であるが、これには吼の川て架ないものもあ るので、ブーサン教授は、西戎繹に聖旧して、それから遽元したものも可なりあるハLGu訂deFノ、巳l紆冒u乳ロ︸P ゝbEdb誓日日k。㌢deノ1琶b呂dど︺。浬諸には、人の知る如く、仲通に似合論と云はれる玄喋の新繹阿昆運脚肌合論の 外に、苑柵の西澤阿毘達磨血行趣諭がある。無論南澤共忙、大備に於て、原文と一致するが、苑講評は暗躍であ り、玄壁繹は恋繹であると云ふことが〓来る。これを噴文に就いて見るも、前脊は、一項を必ず用句となすので あるが、後肴は畔としては、これ聖二旬に締めたり.又は六旬に伸ばしたりすることもある。こ1に引いた頃女 は、全く鞘胆なもので、両謂も殆ど川一であるが、試に和蝕すると、 仙術論り心排紙に閻†ろ研究 二五 JJ占

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の如きものである。次に第二の心紘に就いては、諭すやまでもないことでぁるから、これむ略し.郡山の心不和 庶行法に就いて述べると、それに十川拭あるとしたことは、第二枇〓伸∵二十五妬及び三十古ハ現に、 とあるので明である。尤もこ1に命の次に諦柑とあつてーそれが症作東誠の例杓であることは現れて居ないが、 00ひ 5pりPyu賢二仁の邑︸廿k首Pす Pr昔一望pr甘島誓b訂的Plい\ A邑山口j巴打巳つβヨ首Ptli Jiユ首l旨明冒ぎ句Pp二\ 裟=㌘賀巨富d薫乳Q邑

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偵曾論の心肝故に踊1、ろ研究 撃 衝 辞 市 議.印 茹0

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(33)

れはA=せて二十九法となる。故に一切拭が五位七十五法L,なる鳩めには、第︰二の心併有法に、川十六あればょい

わけである。八宗綱要転これに閲して、

三肴心肝有法。有両十六。分宿古ハ化。

と云つて居一〇。山ハ保と云ふのは.大地法−大替地法−大畑価地法.大不華地法.不定法のことで、それ′rl昭次 に十.十、六、二、十、八の請心肝が介まれるとするから.人=せて四十∴になるのである。けれども我々は、こ の節二転の心併有抜穴地川†ハ法に就いて.他の回付∴十九拭に於けろやうに.、これを直接根令給の上から丑紀 とあるので、これ文例である。

肴詐取旬身文身とあるので例である。最後に帯五の無岱法に三かあるとしたことは、第一界品五頓に、

ぬ。文名身等とあるも、Lこの等に文身旬身を含んで居ることは、第二桃‖岬州七堺にこれを繹し.その長行に、等 箱一界品四十五現に﹁抑とは有偶の批ハJ賢、■、仕︵S已一i︶、異︵J邑︶、城︵A一号Pt苫とあるから、疑ふことは山東 かやうに泄軌は色.心.不和鯨打.無偶の川位に、 鞄 駐 沖 Ill ゴi声旨p首鼠顎髭−首sk−・t2こ ゝ訂恥どi−dtlPnロr・〇dl︼已∵2 桝令論り心揮訣に附†ろ頼光 粒 詳 説 Il滑 落一説 0 0 寄

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それ′川\十一、一、十川、三の諸法があるとしたから、そ J∂7

(34)

伽曾論の心新枕に二間†ム研究. 二八 することが‖来るであらっか。私はこれを疑川とするのである。七十末法記は、既に述べたやうに、八宗綱要と 等しく.保倉の一切法七十九法説を全備の上からは信じながらも、その内容の一部分をなす心肝囲土ハ法説には 多少の疑問を投げかけて㍍る。即ちそれには、 0000 つ0つOe 箪二心併有法。来場五地。一大地法。二大善地法。三大机憫地法。関大不善地法。五小頼倦地法。更れ不定法。 給購匹l十六。 とある。心肝右杜が完全に四十∴ハ法となる禿めには、その瞳分である山ハ伎弟くは六地が、何れも封等の化遣を持 たねばならぬ。八景糾嬰の叙述がそれである。然るに七十先批点に依ると、似介の心肝は、﹁死ねて五仙とせられ る。﹂来ねて五地とせられる以上はーそれは本来五地であつたと云ふ意味に逓ひない。然し本来五他の心併では、 総じて囲十六法にはならぬ。そこで附属的に不定法を入れて囲十ふハとするのであるごLれか七十五法記の﹁犯宥 不定法.胎虚血十六﹂の恵昧であらうと思ふ。さうして見ると、この著者は、肌合の心肝石法は六相川王ハ法で あると云ふ油説に封しては、多少の疑l⋮りを抱いて居たと云はねばならぬ。そして根曾の心肝混に於て、祉聞とな るのは.こゝの文にも現はれて居るやうに、不定法である。私は七十五弦記の常滑がかやうな有給な雄川を抱い て居たことを多とすると北ハ忙、その冠誰者が、これに謝して、﹁然心肝紳来璃五地疫非旭。不如言氷塊六化之膵也﹂ と批評したのを追懐とするのである。更にこの際不思講に構えないのは.棋合論の新研究をせられた故木村用土 が、その心肝六位説む無振作的に認めたのみでなく、八心肝む内容とする不定法を以て→損令論の抑也とし、そ の﹁大なる手柄﹂となしたことである︵宗教研究、新蛮一、審理一秋六五頁︶。 J3β

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こ 収合の心肝訣の眞柑、疑問の不定法 収合論の心肝祝に脱する疑問を述べる翁めに、先づその心併説の苑相を正捷木文に就いて訓べて見る。さうす ると、第二枚品二十三垢の巾に、 句駄邑試軋、tP。、p訂b富巨甘dibb乱臣三\ −P司一∩再卸閣碧伊か一汁蕗胡0躯望∂寧日O とあることに鼠が附く。こ1に心肝に五梯があるとして挙げた大地辞と云ふのは∵別に述べたやうに、大地法、 普地政.不善地法−大析個柚法−小煩憫地癌のことである。これで見ると、鵜含論の心肝説は、通説のやうに、 六佗放ではなくして、五地紋であつたことは.旋ふの飴地はないと云って可なりであらう。然るにこの頃文の玄 共存を見ると、 心肝且右左。大地軍報。 とあるから、収合諭の眞意正−五地訟ではなかつたやうに思はれる。然しこれは玄嗅が自己の※張する敢我の上 から.意詳したものであつて−その原文には決して﹁∬らくLと云ふやうな語はなかつたのである。紋が如何し てかやうな繹をなすやうになつたかに就いては、何れ後に運べるが、原文にかやうな語のなかつたことは,眞諦 0 の繹を見ると、明瞭である。即ちそれには、 心法五。大地特別故。 とある。一睡鼻緒の押は、前にも述べたやうに.何れの幽む見ても、全く直繹で乃つて、それだけで扶意味の通 じないこともあるが、雅文をそのま1に寄して店る併に長併が存する。然るに玄喋の謂は何岬も意謂で.忠蛛は 惧含静の心俳枕に閲†る研究 J39

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三〇 快食論の心新枕l=肺†る研究 上く判るが、原文に思班であつたとは思はれぬ。故に今の問題とする心肝説忙服しても、それは現存の雅文及び 眞謝辞にある通りに、似合盆の最悪は、五地殻であつたに迎ひない。 そこでこの五他説の内容に就いて述べると、第一の大地法には十心肝がある︵第二現品二十川嫉︶。

心肝は、既に述べたやうに、心に従臓し、心として作用せしめる性質であるから、その木蘭を准掬する舞蓮は心

である。故に心は帥ちその他︵Bh引見である。そしてこの十心肝は、似合論の※張に依ると∴切の心、射ち善 海相 − くedpロ押 付 ▲PtPロi 00 m訂阜啓 一 ︹けPロdp ひ S官 の ソ︻邑i ↓ Sml己 ∞ 旨F町P り Adざi巳仁打ti ︼○ ∽Pm巳E 湘軍瑚 柚 諒 紳︵∝︶ 建 聾 竜 沖 印 諒︵匝︶ 可 捏 河浦瑚 柚 通︵∽︶ 碓︵柏︶ 轟︵ひ︶ 聾︵串︶ 持 寄 山師 弔 雫 〓徳彦 Jイ0

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煩悩地法には六心肝がある︵同前二十心ハ唄︶。 ビ0ざP 心にも、不善心にも、又無記心にも柑旛するとせられるから、大地法︵とFb蟹1ぎik堅弓−−卸︶と云はれるのである。 次に箪一の善地政にも十心肝がある︵同前二十五唄︶。 この十心肝は、凡ての背心に相應するとせられる併から、大華地法︵円u八PF2鉾訂bb旨芽柳︰lと云はれる。第三の大 句rPn︼巴中

側令論の心坪祝に脚†ろ研究 く叫1ヽP A↓i巨r Ad↓ぷp AICbbP A官rP−・笹 ︸lr叫 ∫首忠 吋r臥r監hi A勺⊇m監ド S︼已db㌢

前 別辞蹄 姉 芥 醇 議 浦 野 浦 蔀 半軌轟 蔀 尚 詩 詳 前 引矩静 借 料 苛 茸 諒 甜 抑 浦 承 引 端 野 JイJ

(38)

この六心肝は、凡ての放心に相座するとせられる併から、大琉倦地法 ︵ヨ卦ヨPb旨hぎikい︶ と云はれる。第川の 不背柚法には二心併がある︵同前︶。 爛地法には十心肝がある︵同前二十七唄︶。 ︼.円3d﹃ P ︷官已訂 ヽ P 夢tg百 中● Hぷ︸叫 P 買馴鯵 P ︼き鼓噌 この二心肝ば、凡ての不調心に細腰せられる併から、大不平地紘︵Aど㌻一Pヨ巴一賢一ぎik占と云はれる。最後に小煩 偶曾論の心肺祝に岡†ろ研究 円P∈昆︸p 臣リPddhづP St昔日 qddFpt” Abr芹ヨ A旨唱tロp馴 湖 譲 ㍊ 常 茶 房︵遠呵︶ 甜 覇 如 清 和 藩 糟 苗 演 義 藩 帥 滑 落 演 義 濱 拘 引 苅 ・覇 持 寄 傍 神 辺︵の︶ 議︵↓︶ 茶 壷 珊︵−○︶ J4β

参照

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