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現代と親鸞32号-中村_三校.indd

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序論   法 然 (一 一 三 三 〜 一 二 一 二) と は 何 か。 法 然 を 歴 史 上 で 考 えれば、浄土教の独立を宣言したことはエポックを画すも のであり、ここに法然の真髄を見てもよいであろう。では、 一宗として独立せんとする法然浄土教の中核をなす思想と は何か。これは多様な角度から考究し得る問題であるが、 田村芳 よし 朗 ろう 氏は、法然を評して「不二絶対の世界観をしりつ つ、しかも、而二相対におりたった」とする。田村氏はこ こに当時の時代思潮に対する法然の特徴を見ようとしてい る。そして、こうした法然浄土教を成すものは凡夫の自覚 だとする。   法 然 は、 伝 源 信 撰 の『真 如 観』 に つ い て、 「こ れ は 恵 心 の と 申 て 候 へ ど も、 わ ろ き 物 に て 候 也」 (『百 四 十 五 箇 條 問 答』 ) と し て 批 判 的 な 眼 差 し を 向 け て い る。 以 下 に 挙 げ る ように、この『真如観』は現実肯定の色彩が濃く、いわゆ る天台本覚思想の代表的な文献だと言われる。 ( )1 ( )2 ( )3

《研究論文》

法然とその直弟における

  

「是心是仏」をめぐる問題

親鸞仏教センター研究員 

 

  

  

  

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今我等法花経ノ教ニヨテ、我則真如ナリト知ヌレバ、 煩悩即菩提也、生死即涅槃ナレバ、煩悩ヲ断ジ、生死 ヲ離レムト思フ煩モナシ。弥陀・薬師等ノ諸仏、遥ニ 十方恒沙世界ヲ過テ尋ネザレドモ、我胸ノ間ニ、マシ マスト知ヌ。無数劫ノ修行ヲ運ザレドモ、大日・釈迦 等ノ妙覚究畢ノ如来、本ヨリ法然トシテ、具足シ玉ヘ リ。   こうした教えが頽 たい 落 らく なわが身を是認するような、田村氏 の 言 葉 を 借 り れ ば、 「現 実 に た い す る 悪 肯 定」 の 思 潮 を 生 み 出 し た と し て も 不 思 議 で は な い。 対 し て 法 然 は、 親 鸞 (一 一 七 三 〜 一 二 六 二) 筆『西 方 指 南 抄』 に 収 め ら れ る『法 然聖人御説法事』によれば、浄土三部経の教えは「娑婆の ほかに極楽あり、わが身のほかに阿弥陀仏まします」と説 くものだと明示している。自己と弥陀とは相対するもので あり、浄土を彼岸に見据える。法然は、この現実そのもの を真如として肯定する思想からは一線を画していると言え、 ここに「厭 おん 離 り 穢 え 土 ど 」の思想も成立するのである。なお、こ う し た 法 然 の 立 場 は、 善 導 (六 一 三 〜 六 八 一) の「指 方 立 相」論――浄土は具体的な相を取り、西方に指し示される とする思想――に立脚するものであることは間違いないで あろう。   た だ、 「煩 悩 即 菩 提」 と は 大 乗 仏 教 の 要 と な る 概 念 で あ り、天台本覚思想とは「あくまで大乗仏教の「教理」の展 開線上に結実した思想」とも指摘される。何よりも法然が 浄 土 三 部 経 の 一 つ に 数 え る『観 無 量 寿 経』 (以 下、 観 経 と 略 記) 自 身 が「こ の 心 仏 と 作 な る。 こ の 心 こ れ 仏 な り」 (是 心 作 仏。 是 心 是 仏) と 言 明 し て い る。 ま た、 こ う し た 経 説 に 導 かれながら、自己の心こそ浄土であり弥陀であるというい わゆる「唯心浄土」思想が中国浄土教の主流であった。   さ て、 「浄 土 宗」 開 宗 の 拠 り 所 は 善 導 に あ る と 言 っ て よ いが、法然は善導以外の浄土教を切り捨てて新たな思索に 臨んでいったのではない。先行する、あるいは同時代に流 布していた浄土教と対峙し、苦悩しながら、浄土教の独立 を切り開いていったのが法然である。この思索の営みを新 たな視点から明らかにするのが本論第一の目的である。   そ こ で ま ず、 「逆 修」 の 法 要 に お け る 法 然 の 説 法 を 筆 録 し た『逆 修 説 法』 (『法 然 聖 人 御 説 法 事』 の 異 本) に 注 目 す る。 ( )4 ( )5 ( )6 ( )7 ( )8

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法然と「唯心浄土」思想に関しては数々の研究がなされて き た が、 『逆 修 説 法』 に 見 え る 法 然 の 問 題 意 識 に つ い て は 十 分 な 検 討 が な さ れ て き た と は 言 い 難 い。 こ の『逆 修 説 法』 に 現 れ た 法 然 の 言 説 は 主 著『選 択 集』 に は 見 え な い 「唯心浄土」 、「是心是仏」への問題意識が伺え、さらにそ こ に は 源 信 (九 四 二 〜 一 〇 一 七) に 対 す る 思 慕 の あ る 一 方 で、 その教義を批判的に乗り越えようとする法然の信念とも称 すべきものが見られる。本論ではここに着目して、法然に おける弥陀と心の問題について明らかにする。   法然の示した浄土の思想が、果たして大乗仏教にかなう ものか、ということが切実な課題として浮かびあってくる のは直弟においてである。法然の浄土教理解への批判が巻 き起こる中、法然の教えが大乗の仏説にかなうものである ことを示すのに各直弟が苦心することになる。なお、法然 は『逆修説法』四七日の最後にこのような訓戒をしている。 浄土を宗とせん人も、一切経なお大切なるべきことな り。 [中 略] 然 れ ば、 浄 土 宗 の 中 に、 大 小 乗 諸 経、 皆 悉くあるべきなり。いかに況や、解説の師、最も諸宗 を兼学すべきなり。   法然にしても「浄土宗」が仏説であることを確信してい たのであり、その「浄土宗」が諸経典より明らかにされる ことを切に期待していたのであろう。これは法然の生涯で は追い切れなかった課題でもあり、その課題に直弟がまさ に対峙していたとも言える。本論では、法然に止まらず、 こうした歴史的な課題の移行を検討しながら、法然の登場 を承けて新たに読み解かれた大乗の仏説、そして「是心是 仏」の理解について明らかにしたい。これが本論第二の目 的である。   そこで本論では次に、法然の上足であり西山義の祖とな る 證 空 (一 一 七 七 〜 一 二 四 七) の 思 想 を 検 討 す る。 證 空 の 思 想 的 特 徴 と し て、 「生 仏 不 二」 ―― 衆 生 と 仏 と が 一 体 で あ るという不二を中心とした世界観が注目されてきた。確か に證空は自己の心にこそ弥陀を見るのであるが、それは罪 悪の自覚にこそ見いだされる、他力の信の上に成り立つも のだと考究している。有限・分別の世界にしか生きられな い凡夫にとって、如来との接点はどこにあり得るのかを究 ( )9 ( )10

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明したのが證空の思想的特徴と言うべきであり、それまで の不二思想と単純な同一視はできない。證空は、法然思想 に 立 っ た 上 で 大 乗 の 仏 説 を 読 み 解 き、 「是 心 是 仏」 に つ い て法然に比べて踏み込んだ解釈を試みている。この点につ いての解明を目指したい。   本論では以上の視座が中心であるが、親鸞における「是 心是仏」の問題も解明が待たれるものである。これについ ては最後に今後の展望を交えつつ考察を試みる。   法然における弥陀と心の問題     『逆修説法』に見える     びゃく ごう の功徳」について   法然における弥陀と心の問題を考究する上で注目したい の が、 『逆 修 説 法』 に お け る「白 毫」 の 説 法 で あ る。 ま ず、 こ の「白 毫」 で あ る が、 『逆 修 説 法』 四 七 日 に お い て、 阿 弥 陀 仏 が 諸 仏 と は 別 に 有 す る 功 徳 (別 徳) に つ い て「白 毫」という観点から以下のように説かれる。 ……然ればすなわちしばらく白毫一相の功徳を讃嘆し 奉るべし。恵心の御意に依りて白毫の功徳を讃じ奉り ては、それ五有り。謂く、白毫の業因、白毫の相貌、 白毫の作用、白毫の体性、白毫の利益なり。 このような白毫の五功徳が弥陀の別徳を語る中心となって いる。ここで法然が示す「恵心の御意」とは、主として源 信 撰『阿 弥 陀 仏 白 毫 観』 (以 下、 白 毫 観 と 略 記) だ と 考 え ら れる。源信『往生要集』には白毫を五つの観点から観察す る 方 法 を 説 き 示 す 箇 所 は な い が、 『白 毫 観』 の 冒 頭 に は 以 下のように白毫についての「五種観法」が説かれている。 もし阿弥陀仏を観念せんと欲せば、まずただまさに白 毫の一相を観ずべし。この中、私に五種の観法を用い ん。一には、業因を観ず。二には、相貌を観ず。三に は、作用を観ず。四には、体性を観ず。五には、利益 を 観 ず。 〈初 の 三 は 約 事 な り。 第 四 は 約 理 な り。 第 五 は二に通ず。以て次第と為す〉 ( )11 ( )12

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  この源信『白毫観』と法然『逆修説法』の白毫相に対す る違いについて、福原隆善氏の指摘が注目される。 ところでよく注意してみると、源信の場合は、観白毫 業因、観白毫相貌、観白毫作用、観白毫体性、観白毫 利 益 と す べ て「観」 の 字 が つ け ら れ て い る。 こ れ は 『白毫観』の原文においてもそうである。ところが法 然の『逆修説法』ではこの「観」の字が省略されてい る。法然は源信に依りながらも、自己の立場と源信の 立場とをよく峻別していることがわかる。法然は白毫 相の観法のために源信の『白毫観』を引いたのではな く、どこまでも白毫一相のもつ功徳性を強調するため であったことが知られるのである。 以上の指摘の通り、阿弥陀仏の別徳について必ずしも法然 が源信に全面的に依拠して論じているわけではない。これ は、各論についても同じであり、相当の異同が見られる。   法然は「白毫」に注目して弥陀を説くのであるが、この 中で凡聖のあらゆる存在と弥陀との関係も論じており、こ こに法然における弥陀と心の問題を解明する手がかりがあ ると考える。しかもこの「白毫」に関する思索は、源信を 含めた従前の浄土教を意識しながら、法然が独自に展開さ せ た も の だ と 言 え る。 そ こ で、 『逆 修 説 法』 と『白 毫 観』 等との異同について、その各論を検討しながら法然の浄土 思想について以下に考究を進めていく。   1   「白毫の作用」について   『逆 修 説 法』 四 七 日 に 白 毫 の 五 功 徳 が 説 か れ る が、 そ の 中で特に注目されるのが「白毫の作用」である。やや長い がこの「白毫の作用」の解釈の全文について、便宜的に段 落 分 け し て 示 す (【 】 が 法 然 独 自 の 注 釈 の 要 素 が 強 い と 考 え られる箇所) 。 次に白毫の作用とは、謂く白毫より放つ所の光明の中 に 衆 事 を 現 ず る な り。 恵 心 の 意 に、 「そ の 所 現 の 境 界、 十法界を出でず」と云へり。 ( )13

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A① )謂くまさに仏身を以て度することを得べき者 には、すなわち彼の白毫の光を現じて仏身と作る。そ の仏身について二有り。一には、始終応同の身なり。 二には、無 む 而 に 欻 くつ 有 う の身なり。始終応同とは、釈迦如来 の如く八相を現ずるなり。無 む 而 に 欻 くつ 有 う とは、託胎・出胎 の相を現ぜず、出家・成道の相をも現ぜず、ただ忽然 としてしかも現ずるの仏身なり。 ( B① )あるいはまた菩薩身を現ず。普賢・文殊・観 音・勢至・地蔵等の如きは、すなわち菩薩なり。然れ ば、彼等諸の大菩薩も弥陀白毫の所現にてもや 坐 おわす 覧 らん 。 ( A② )またあるいはまさに辟支仏身を以て済度すべ き者には、彼の白毫の光現じて辟支仏と作る。辟支仏 とは、前仏の法は滅し、後仏は未だ出でざるの中間に 出でて、仏の教えには非ず、ただ飛華落葉を見て独り 開悟するなり。故に独覚と云う。この独覚に二有り。 一には、麟喩独覚、二には、部行独覚なり。あるいは また声聞身を現ず。 ( B② )釈迦仏の御弟子舎利弗・目連・迦葉・阿難等 の如きは、すなわち声聞なり。知らず、弥陀如来の白 毫の光、釈迦の化儀を助けんがために彼の諸大声聞を 現じ給う覧。 ( A③ )あるいは梵王身を現じ、あるいは帝釈身を現 じ、あるいは国王大臣身を現じ、あるいは長者居士身 をも現ず。凡そ比丘比丘尼、優婆塞優婆夷、天龍夜叉、 乾 けん 闥 だつ 婆 ば 緊 きん 那 な 羅 ら 、乃至、地獄鬼畜生修羅、かくの如き等 の一切の身、宜しきに随いて現ぜざるはなし。 ( B③ )これに就いて意を得れば、総じて六道四生一 切の凡聖は、併 しか しながら弥陀如来の毫光の所現かと疑 わるるものなり。ただこの白毫の一相のみに非ず、総 じて八万四千の相、一々みなかくの如く一切の身を現 ずるなり。然れば法界の中にただ弥陀一仏の遍じ給へ るなり。   上 述 は い わ ゆ る 恵 空 本 (通 称、 古 本) か ら の 引 文 で あ る ( )14

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が、 義 山 (一 六 四 八 〜 一 七 一 七) の 編 集 に な る『漢 語 灯 録』 (通 称、 新 本) で は、 「白 毫 の 作 用」 が 諸 身 を 現 ず る こ と に つ い て、 「普 門 品 の 普 門 示 現 の 如 く な り」 と あ る。 こ れ は 義山が編集して加えたものであると思われ、 『法華経』 「観 世 音 菩 薩 普 門 品」 (以 下、 普 門 品) の 存 在 を 指 摘 し て い る。 後に確認するように確かにこれは重要な示唆ではあるのだ が、法然の教説を普門品との類似点のみで把握するのは果 たして正しいのであろうか。むしろ、普門品との相違点、 さらには『白毫観』からの展開にこそ法然の独自性がある と 考 え、 普 門 品、 『白 毫 観』 と の 連 関 に つ い て「白 毫 の 作 用」の詳細を検討する。      普門品との類似点   はじめに普門品との類似点を確認しておきたい。普門品 には、仏が無尽意菩薩に対して観世音菩薩が諸身を現ずる 在り様を以下のように説いている。 もし国土ありて衆生の、まさに仏身を以て度すること を得べき者には、観世音菩薩はすなわち仏身を現じて、 為に法を説くなり。まさに辟支仏身を以て度すること を得べき者には、すなわち辟支仏身を現じて、為に法 を説くなり。まさに声聞身を以て度することを得べき 者には、すなわち声聞身を現じて、為に法を説くなり。 まさに梵王身を以て度することを得べき者には、すな わち梵王身を現じて、為に法を説くなり。まさに帝釈 身を以て度することを得べき者には、すなわち帝釈身 を現じて、為に法を説くなり。 こ こ か ら、 「執 金 剛 神」 ま で 計 三 十 三 の 観 世 音 菩 薩 が 現 す 身が示される。古本『漢語灯録』で、始めに「謂応以仏身 得 度 者、 即 彼 白 毫 作 仏 身」 と あ っ た が、 こ れ は 普 門 品 の 「応以仏身得度者」を受けるものであると考えられる。   仏 身 だ け で あ れ ば、 『白 毫 観』 に も「若 有 応 以 仏 度 者、 此光即現仏身、説法」とあったが、これ以外の九界の身に つ い て 具 体 的 な 記 述 は な い。 『白 毫 観』 を 参 照 し つ つ、 梵 王身、帝釈身等、普門品に原典をたどって法然は解釈を施 していると言えよう。 ( )15 ( )16

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     普門品との相違点   上述の諸身が現ずることを「白毫の作用」に見るのは、 普 門 品 に 由 来 す る も の で は な く、 『白 毫 観』 独 自 の 観 点 で ある。法然が『白毫観』を受けて論じていることは間違い ないであろう。しかし、普門品とも『白毫観』とも違う法 然の問題意識が『逆修説法』には見える。以下、そのこと について確認していきたい。   法然独自の注釈が入っていると見られるのが、上述段落 分 け し た【 】 の 箇 所 で あ る。 ま ず、 【 】 で あ る が、 普門品では観世音菩薩が諸身を現ずるのであり、その中に あえて「菩薩身」は入っていない。対して、弥陀の別徳と して語られる「白毫の作用」には「菩薩身」を現す作用も あ り、 「普 賢・ 文 殊・ 観 音・ 勢 至・ 地 蔵 等」 と 菩 薩 を 列 挙 す る 中、 「観 音」 の 名 も あ る。 著 名 な 観 音 の 三 十 三 身 と い う衆生に応じた済度の仕方であるが、そうした身、済度の 在り方はむしろ弥陀において語るべきだ、という法然の考 えが伺えよう。   た だ、 「然 れ ば、 彼 ら 諸 の 大 菩 薩 も 弥 陀 白 毫 の 所 現 に て もや 坐 おわす 覧」として、 「覧」=「らむ」で結んでおり、おそ らくこれは推量であることを示すものだと考えられる。こ の「白毫の作用」についての説示は大胆な教説だとも言え、 法 然 は 慎 重 な 態 度 を 示 し て い る の で は な い だ ろ う か。 【 】の「覧」も同様だと考える。   次 に、 【 】 で あ る が、 弥 陀 の「白 毫 の 作 用」 は 声 聞 身 を 現 ず る の で あ る が、 声 聞 と 言 え ば 釈 迦 の 弟 子 で あ る 「舎利弗・目連・迦葉・阿難等」も声聞である。このこと について、法然は「釈迦の化儀を助けんがために彼の諸大 声聞を現じ給う覧」としているが、この前提として、なぜ 弥陀が釈迦の弟子として身を現じる必要があるのか、とい う問いがあったと見られる。しかし、そもそもこのような 問いが起きるのは、舎利弗等を含めた(全)声聞が弥陀の 顕現である、という前提が必要である。普門品の観世音菩 薩は、衆生に応じて身を現すことを説くのみであって、決 し て 仏 弟 子 の 本 地 を 明 か す よ う な 経 説 で は な い。 『白 毫 観』にしても、凡聖の存在の根源を究明しようとするもの で は な い (冥 に 顕 に 弥 陀 の 利 益 が あ る こ と を 究 明 す る こ と が 主

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眼 で あ る) 。 こ こ に 眼 前 の 存 在 を 弥 陀 の 用 はたら き と し て 見 て い こうとする法然独自の観点があり、次の結論【 B③ 】につ ながる。   最 後 に、 【 】 で あ る が、 こ れ は あ ら ゆ る 存 在、 つ ま り 六 道 に 迷 う 衆 生 か ら 聖 な る 存 在 (=「六 道 四 生 一 切 の 凡 聖」 ) も す べ て 弥 陀 の 白 毫 の 現 れ だ と 説 い て い る。 た だ こ れは安易に仏と衆生の同一たることを説くものではないこ とには注意が必要である。   本節①で確認したが、本来、菩薩の化導の在り方を教え た の が 普 門 品 の「普 門 示 現」 の 経 説 で あ っ た。 『白 毫 観』 はおそらくそうした「普門示現」を敷衍する形で、あらゆ る衆生に応じて摂取する弥陀のはたらきを十界の身を現ず る「白毫の作用」として捉えるものであろう。こうした説 を 念 頭 に 置 き な が ら、 眼 前 の 存 在 を 弥 陀 の 作 用 (本 願 の 用 き) だ と 見 て い く と こ ろ に 法 然 の 特 異 性 が あ る と 言 え、 こ こに普門品や『白毫観』からの思索の展開がある。   2   「白毫の体性」について   白毫の五功徳中の「白毫の体性」について法然は以下の ように結んでいる。 六趣・四生の上にも、一々みな三諦の妙理を備えざる はなし。おおよそこの三諦の理においては、凡聖互い に備え、迷悟倶に具せり。しかれば、阿鼻の依正は、 まったく極聖の自心に処し、毘盧の身土は、凡下の一 念を越えず。これ天台宗の意なり。 法 然 の「白 毫 の 体 性」 の 記 述 は、 『白 毫 観』 に お け る 三 諦 説を受けるものではあるが、その結論部分において看過で きない『白毫観』との違いがある。それが「天台宗の意」 とあえて但し書きする所以ともなるのだと考えられる。こ のことについて『現代と親鸞』三〇号所載の旧稿において 若干の私見を述べておいたが、新たに得られた知見もある ため更なる検証を加えたい。 ( )17 ( )18 ( )19

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  法然と『白毫観』における「白毫の体性」の差異を考え る 上 で 注 目 さ れ る の が、 『白 毫 観』 最 後 の 問 答 で あ る。 こ の問答を示せば、以下の通りである。 問ふ。何ぞ我心と彼の三千と一にして別ならざるを知 るや。答ふ。 『無量義 (ママ) 経』に云わく、 「心に仏を想う時、 この心即ちこれ三十二相・八十随好なり。この心仏と 作 る。 こ の 心 こ れ 仏 な り」 と。 〈云 云〉 明 ら か に 知 ん ぬ。我心すなわちこれ毫相なり。所具の三千、あに條 然としてすなわち別ならんや。 こ こ で『白 毫 観』 は、 『無 量 義 経』 と す る が、 こ の 経 文 は 『観 経』 第 八 像 想 観 の も の で あ る。 『無 量 義 経』 と あ る が、 お そ ら く『 (観) 無 量 寿 経』 の 写 誤 等 に 起 因 す る も の で あ り、 特 別 な 意 図 は な い と 思 わ れ る。 な お、 西 村 冏 げい 紹 しょう 氏 が 『阿弥陀仏白毫観』の再治本だと指摘する『白毫観法』に は、 「無 量 寿 経」 と あ る。 『白 毫 観』 が、 『観 経』 「是 心 是 仏」 の 経 説 を も っ て、 「我 心」 と 白 毫 相 と が 一 に し て 別 な らざることの論拠とすることが注視される。   さて、対する法然であるが、先に見たように「白毫の体 性」 に お け る 帰 結 に 出 さ れ る 証 文 は、 湛 然『金 剛 錍 べい 』 の 「毘盧身土不越凡下一念」であり、これを受けて総括し、 「天台宗の意」だと結ぶのである。法然は天台の教義から、 「六趣・四生の上にも、一々みな三諦の妙理を備えざるは なし」という理を導けたとしても、現実には有限・差別の 世界に生きる衆生にとって「我心即ちこれ毫相なり」とは とても言えない、そのような境界を観察することは浄土教 の意ではないと考えていたのではないだろうか。   こ れ に 関 し て、 『逆 修 説 法』 六 七 日 に は『観 経』 (往 生 浄 土の教) と他教の違いについて端的に示している。 今此経往生浄土教也。不明即身頓悟之旨、不説歴劫迂 廻之行、説娑婆之外有極楽、我身之外有阿弥陀、而明 可願厭此界生彼国得無生忍之旨也。 (今この経は、往生浄土の教也。即身頓悟のむねおもあかさ ず、 歴 りゃく 劫 こう 迂 う 廻 え の 行 お も と か ず、 娑 婆 の ほ か に 極 楽 あ り、 わ が身のほかに阿弥陀仏ましますと説て、この界をいとひて、 かのくにに生て、無生忍おもえむと、願ずべきむねを明也。 ( )20 ( )21 ( )22

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※『逆 修 説 法』 の 異 本、 『西 方 指 南 抄』 所 収『法 然 聖 人 御 説 法事』 ) 「わが身のほかに阿弥陀仏まします」というのが法然の明 確 な 往 生 浄 土 の 教 え に 対 す る 理 解 な の で あ る。 故 に、 『白 毫観』を下地に「白毫の体性」を三諦説から論ずるもので あっても、その帰結として浄土三部経の一つたる『観経』 を 出 す こ と は あ り 得 な い の で あ る。 こ こ に 関 し て 法 然 が 『白毫観』と証文を異にするのは当然だと言えよう。ただ、 法然には「白毫の作用」で論じたように弥陀の遍満を見よ うとする思想もあり、弥陀を単に彼岸の向こうに置こうと するものではないことが注意される。弥陀は彼岸の存在で はありつつも、その功徳は法界に遍満し――様々な形を通 して――現に私を摂取するものだという理解であろう。   以上のように弥陀と自心に対する法然の立場は明確なの ではあるが、次の問題は法然における『観経』の「是心作 仏是心是仏」に対する解釈である。法然はこの箇所を積極 的に解釈するところはなく、むしろ忌避しているとも言え る。おそらく法然としては無用な誤解を避けるために「是 心是仏」やそれに関する善導の釈文には言及しないという 明 確 な 姿 勢 を 貫 い た の で あ ろ う (た だ、 法 然 門 下 に お い て は こ の 姿 勢 で は い ら れ な く な る の で あ り、 こ れ に つ い て は 第 二 部 以 降で論じる) 。   3   「白毫の利益」について   前述の「白毫の体性」に関する法然と『白毫観』の違い は「是心是仏」と絡む問題でもあり特筆すべき箇所である。 この「白毫の体性」の次に説かれる「白毫の利益」にも、 源信に依りつつも「白毫観」の超克を主張しようとする法 然の思想が垣間見られる。 次に白毫の利益とは、 『観仏三昧経』に云はく、 「この 相を観ずれば、九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死 の罪を除却す」と。これすなわち彼の三諦の観を具せ ざるも、ただ白毫の相を観るばかりにて、かくの如き 多劫の罪を滅するなり。あるいは白糸を巻き並べて、 こ れ を 見 る に、 な お 業 罪 を 滅 す。 〈云 々〉 こ れ 恵 心 の ( )23

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御意なり。また経説なり。白毫の功徳、略を存するに かくの如し。   まずここで『観仏三昧経』とあるが、原文には、 意を注して白毫を念ずることを息めざれば、もしは相 好を見、もしは見ることを得ざるも、かくの如き等の 人、九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死の罪を除却 す。たといまた人有りて、ただ白毛を聞きて心驚疑せ ず、歓喜信受せば、この人また八十億劫の生死の罪を 除却す。 と あ る。 『白 毫 観』 に て も こ の『観 仏 三 昧 経』 が 引 用 (抄 出) されている。以下、 『白毫観』における引文である。 もし人、仏の白毫の相において、心驚疑せず、歓喜信 受せば、これによりて八十億劫の生死の罪を除却す。 いかに況や、乃至須臾の間、白毫相を念じて、心了了 にして謬乱の想をなからしめ、正住において意を注せ ば、もしは相好を見、もしは見ることを得ざるも、こ の人九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死の罪を除却 す。 〈『観仏三昧経』の意〉 このように『白毫観』において『観仏三昧経』に依って白 毫を観ずることの功徳を説いており、法然が「これ恵心の 御意なり。また経説なり」としたのは、この『白毫観』の 文を前提としたものだと考えられる。   さて、問題は法然が「これ恵心の御意なり。また経説な り」とわざわざ念押しのような確認を付け加える理由であ る。 こ れ を 考 え る 上 で、 こ の 言 葉 の 前 に、 「す な わ ち 彼 の 三諦の観を具せざるも、ただ白毫の相を観るばかりにて、 かくの如き多劫の罪を滅するなり」とあることが注視され よ う。 「白 毫 の 体 性」 で 言 及 さ れ た 三 諦 を 観 ず る 天 台 の 観 法を修せずとも、弥陀の白毫を観ずればよいのだ、という のが法然の主張するところである。法然としてはこれが勝 手な説ではなく、源信の説くところでもあり、経説でもあ る、と喚起を促したかったのだと考えられる。   法然の問題意識としては、三諦を観じ「即空即仮即中」 ( )24 ( )25 ( )26

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という哲理を究めることが浄土教の本旨ではない、と受け 止めていたのであろう。それを解き明かすために、源信の 所説に依って、三諦を観じなくとも、白毫を観ずれば功徳 があるのだと法然は説くのであるが、この文脈は明らかに 白毫を「観ずる」功徳を称賛している。先に福原氏は「法 然は白毫相の観法のために源信の『白毫観』を引いたので は な く、 ど こ ま で も 白 毫 一 相 の も つ 功 徳 性 を 強 調 す る た め」だとしていたが、これは厳密には注意を要する表現で あろう。確かに法然は観法を勧めんがために白毫の功徳に ついて説くものではないと言えるが、三諦を観ずることを 忌避するために結果として白毫を観ずることを称賛する文 脈も存在しているのである。   とは言え、白毫を観ずることは、強いて言えば定善(真 身観)の範疇であって、法然の策励するところではない。 法 然 は こ の『逆 修 説 法』 二 七 日 に お い て、 「い ま 教 主 釈 尊、 定散二善の諸行をすてて、念仏の一行を付属することも、 弥陀の本願の行なるがゆへなり」としている。このように 定散二善に対して明確な立場をあらかじめ示している。よ っ て、 「す な わ ち 彼 の 三 諦 の 観 を 具 せ ざ る も、 た だ 白 毫 の 相を観るばかりにて、かくの如き多劫の罪を滅するなり」 とする言葉を取って、浄土往生のために白毫を観ぜよと受 け取られることはないと考えていたのであろう。   以上を受けて結論すれば、法然が源信に導かれたことは 間 違 い な い で あ ろ う が、 弥 陀 と 自 心 (そ し て 観 察) の 問 題 を中心に、源信の浄土教に対して乗り越えるべき課題があ ると見ていたことは明らかである。また、序論で確認した ように、法然は『真如観』を批判の対象としており、伝源 信に対しても問題があると見ていたことは間違いない。源 信 の 影 響 が 色 濃 く 見 え る 初 期 の 法 然 の 著 述 か ら、 以 上 の 『逆修説法』への展開 (そして、 『選択集』への道) を見てい くことが、法然の浄土思想、ひいては日本浄土教の転換を 見ていく上で重要ではないかと考える。   4   法然のもう一つの課題     ――「逆修」と遵式         『往生浄土懺願儀』――   宋代浄土教においては「唯心浄土」の思想が累々言及さ ( )27 ( )28

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れ、究明すべき思想課題であった。日本にもこの宋代浄土 教の典籍が流入してくるのであるが、法然においてはその 影響が希薄であることが指摘されている。ただ、必ずしも 法然の身近において宋代浄土教の影響が希薄だったわけで は な い。 法 然 が ど こ ま で 宋 代 浄 土 教 を 咀 そ 嚼 しゃく し て い た か (し よ う と し て い た か) は 疑 問 で は あ る が、 少 な く と も 無 関 心ではいられない状況であったと推察される。   法然が「浄土宗」を樹立せんと思索や説法に悪戦苦闘す る中で、源信/伝源信の浄土教とともに宋代浄土教に想い をめぐらすこともあったのだと考えるが、法然が置かれて い た 状 況 を 知 る 上 で 注 視 さ れ る の が、 趙 ちょう 宋 そう 天 台 に お い て 浄 土 願 生 者 で あ っ た 遵 式 (九 六 四 〜 一 〇 三 二) の『往 生 浄 土 懴 さん 願 がん 儀 ぎ 』 (以 下、 懺 願 儀 と 略 記) で あ る。 「逆 修」 に お け る 法 然の説法の記録が『逆修説法』として伝わるのであるが、 その「逆修」の具体的な様相が知られるのが、白毫の功徳 が説かれたすぐ後にある「彼の遵式は、これ逆修の間日々 に行われ候の懺願儀の作者なり」 (古本『漢語灯録』 ) という 記述である。   現時点では法然が直接的に遵式を通して「唯心浄土」を 考えていたとまでは結論し難いが、これから法然浄土教に おける宋代浄土教の問題を論じる上での一つの参考とすべ く、 法 然 の「も う 一 つ の 課 題」 と し て「逆 修」 に お け る 『懺願儀』の存在について最後に補足しておきたい。      「逆修」と懺法について   まず前提として「逆修」と懺法について確認する。院政 期 の 願 文 を 確 認 す る と、 「逆 修」 の 法 要 に 際 し て 懺 法 が 行 わ れ て い た こ と が 分 か る。 例 え ば、 「前 上 野 守 藤 原 敦 基 朝 臣 逆 修 願 文」 (長 治 二 年〔一 一 〇 五〕 ) に よ れ ば、 「始 め 五 月 八日より今朝に至るまで、限るに四十九箇日を以てし、修 む る に 懺 悔 の 方 法 を 以 て す」 と し て、 「逆 修」 に「懺 悔 の 方 法」 が 行 わ れ て い た。 ま た、 「土 御 門 左 大 臣 室 家 尊 子 五 十 日 逆 修 願 文」 (康 平 四 年〔一 〇 六 一〕 ) で は、 「日 ご と に 法 華経一部を供養し、凌晨にはすなわち法華懺法を行い、薄 暮 に は ま た 弥 陀 念 仏 を 修 す」 と あ る。 「尼 法 念 逆 修 修 善 願 文」 (応 徳 三 年〔一 〇 八 六〕 ) に は、 「暁 に 懺 法 を 修 し、 夕 に 念 仏 を 唱 う」 と も あ り、 「逆 修」 に 際 し て 懺 法 と 念 仏 が 併 ( )29 ( )30 ( )31 ( )32 ( )33 ( )34

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修されていたのである。   おそらくこうした「逆修」の慣習を踏襲する形で、遵式 『懺願儀』を基とした懺法が行われたのであろう。      『懺願儀』との具体的な関係     『懺 願 儀』 が 具 体 的 に ど の よ う な 形 で「逆 修」 の 法 会 に 取り入れられていたのであろうか。このことについて『逆 修説法』に具体的な記述がなく、それを知ることは容易で はない。ただ、ある程度の推測は可能である。これに関し て、 大 谷 旭 きょく 雄 ゆう 氏 が 注 目 す る の が『懺 願 儀』 の 以 下 の 文 で ある。 問ふ。念仏三昧は久しく習いて方に成ず。十日・七日 修懺の者、いかんが卒に学せん。 答ふ。縁に生熟有り。習に久近有り。もし過去にかつ て習し、及び今生に預修せば、懺を行ずるに至る時、 薄修にしてすなわち得ん。 大 谷 氏 は こ の 記 述 か ら、 「こ こ に 今 生 に 預 修 (逆 修) し て 修懺すれば薄修にして念仏三昧を成就できるとしているか ら、 お そ ら く こ の『懺 願 儀』 の 第 八 懺 願 法 (五 悔) が 逆 修 の際に併修されたのではなかろうか」と推測している。付 言 す れ ば、 「逆 修」 が「預 修」 で あ る と い う 了 解 は、 珍 海 『菩 提 心 集』 巻 下 に「逆 修」 を 説 明 す る 中、 「逆 と は あ ら かじめといふ事ぞ。預めとは兼てといふ事なり」とあり、 ま た 顕 意 (一 二 三 八 〜 一 三 〇 四) 撰 と さ れ る『當 たい 麻 ま 曼 荼 羅 聞 書』巻一には「逆修」を解釈する二義目に、 「 逆 あらかじめ 修すと 訓ず。豫 よ 修十王経と云う名はこの意なり」などとある。遵 式がどこまで『随願往生経』等が説く「逆修」を念頭に置 い て い た か は 定 か で は な い が、 『懺 願 儀』 の「預 修」 が 「逆修」に結びつけられるのは自然の推移であったとは言 えよう。   た だ、 「第 八 懺 願 法 (五 悔) 」 の み が「逆 修」 の 際 に 行 じ ら れ た わ け で は な い と 考 え ら れ る。 『懺 願 儀』 は 懺 法 を 「十科」に整理して説くものであるが、その中の第十「坐 禅法」が注視される。さて、これについて検討する前に、 大谷氏の以下の指摘を挙げておきたい。 ( )35 ( )36 ( )37 ( )38

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こ こ[※『懺 願 儀』 第 十「坐 禅 法」 ] に 初 心 凡 夫 の 為 に二種の観法をあげ、一方に白毫観をなさしめている ことと、法然が逆修に『懺願儀』を併修していたと説 くところは弥陀の白毫の功徳を説くところであるから、 あるいは外記禅門に『懺願儀』にとく白毫観をなさし めようとする意図があったとも想像される。 (※註は筆 者による)   前章で論じたように、白毫を観ずることは強いて言えば 定 善 (真 身 観) の 範 疇 で あ る。 法 然 が 往 生 浄 土 の た め に 定 善を策励する立場にないことは明らかである。では、往生 浄土の行法とは峻別して「逆修」の法要に適切なものとし て白毫観を勧めた、と想定することは可能であろうか。こ の想定は難しいと考える。なぜなら、そもそも法然は白毫 観に言及しつつも、それは観法を勧めるのではなく、あく まで白毫の功徳を通して弥陀の功徳を明らかにせんとする も の で あ っ た。 大 谷 氏 は、 「逆 修 の 目 的・ 方 法・ 所 作 な ど についてはかなり法然の指示があったものとみなければな らない」と述べるが、法然に白毫の観察の仕方などを懇ろ に教えようとする言説など見られないのであり、あえて法 然に白毫観を勧める意図があったと見る必要はないであろ う。   しかし、ではなぜに白毫の功徳にあえて言及するのかは 問題として残る。筆者としては、法然が白毫の功徳に言及 しようと思い立った直接的な動機こそ、遵式『懺願儀』に よる懺法が行われていたことにあると考えたい。   遵式『懺願儀』第十「坐禅法」中に勧める観法が二つあ る。 一 つ が、 『観 経』 第 十 二 普 観 に 依 る も の で あ り、 も う 一つが「専らに眉間の白毫一相に繫 か けよ」と言われる白毫 観である。この二つの観察について、遵式は「ただし、浄 土 の 法 門 を 離 れ る こ と を 得 ざ れ ば、 み な ま さ に 修 習 す べ し」としている。法然を招聘した「逆修」の法会が浄土願 生者の集まりであることは想像に難くないのであり、遵式 のこのような修習の勧めによって「逆修」に際して白毫観 が 修 さ れ て い た の で は な い だ ろ う か。 『懺 願 儀』 に 基 づ い た法要であれば、白毫観が修せられるのは至極当然のこと だということになる。   では、法然が「逆修」の法要について『懺願儀』に依る ( )39 ( )40 ( )41 ( )42

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べきだと指示したのであろうか。これは否と言わざるを得 ないであろう。すでに指摘されるように、法然は阿弥陀仏 一 仏 を 讃 嘆 し、 浄 土 三 部 経 こ そ 所 依 の 経 典 だ と こ の「逆 修」の説法において強調している。これが、多様な本尊を かかげ、多種の経典を奉納してきた今までの「逆修」の法 会 と は 一 線 を 画 す る も の で あ っ た。 し か し、 『懺 願 儀』 は 礼すべきものとして弥陀以外の諸尊が数多挙げられている のであり、法然が理想と描く浄土教の姿と合致するとは言 えないであろう。   また、名号の功徳よりも観察の功徳に重きを置いている のは明らかであり、これも法然と立場を異にする。これは 看過できない点であり、この点について考察した後に法然 と白毫の功徳について結論を述べたい。      名号と観察との関係     はじめに遵式が白毫観の根拠とする文から確認したい。 遵式が白毫観による滅罪の根拠として挙げるのが『観仏三 昧経』の文であり、意を取って次のように引用している。 観 境 経 に 云 は く、 「も し は 成 じ、 成 ぜ ず と も、 み な 無 量生死の罪を滅して、諸仏の前に生ず」と。また云わ く、 「た だ 白 毫 の 名 字 を 聞 く の み に て 無 量 の 罪 を 滅 す。 いかに況や繫念をや」と。 ここで「観境経」とあるが、明らかに『観仏三昧経』のこ と で あ る (前 節 参 照) 。 問 題 と な る の は こ の 次 で あ り、 『懺 願儀』ではさらに、 『観経』はただ無量寿仏・二菩薩の名を聞くのみにて、 よく無量生死の罪を滅す。況や憶念する者をや。 としている。法然からすれば浄土三部経の一つである『観 経』を根拠として、遵式は「聞名」の功徳でさえ無量の罪 を滅するのであるから、なおさら「憶念」の功徳が勝れる と説く。文脈からしてこの「憶念」が観想念仏を指すこと は間違いない。   対して、浄土三部経を拠り所として名号の万徳を明らか に し た の が 法 然 な の で あ り、 『逆 修 説 法』 中 に は 以 下 の よ ( )43 ( )44 ( )45

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うに名号の殊勝なる功徳を示している。 かの仏の因果、総別の一切の万徳、みなことごとく名 号に顕わるるがゆへに、一たびも南無阿弥陀仏と唱え るに、大善根を得るなり。 ここで注目したいのが、弥陀の「別徳」をも収めるのが名 号 だ と い う 理 解 で あ る。 法 然 は、 「阿 弥 陀 如 来 の 別 徳 と は、 彼の仏に八万四千の相有り。その中に白毫の一相を以て最 勝と為す」として、白毫の功徳こそ弥陀の「別徳」として 最も勝れたものだとしている。こうした白毫の功徳をも収 めるのが万徳の名号なのである。あくまで白毫を観察する ことを勧めるのが遵式の立場であるが、法然としてはその ような観察をせずとも白毫の功徳は名号によって得られる のだと宣揚していると言えよう。ここに遵式と法然の明瞭 な浄土教理解の違いを見出すことができる。   本節②、③で検討したように、法然が『懺願儀』に依拠 し よ う と す る 理 由 が 見 出 せ な い 以 上、 「逆 修」 の 行 法 に つ い て『懺 願 儀』 を 採 用 し た の は 法 会 の 主 催 者 (外 記 禅 門) 側であり、これは法然の意図するところではないと見るの が妥当だと考える。   以上のような推測が許されれば、法然があえて白毫の功 徳に言及したのは、白毫観が修される「逆修」の法会に招 聘されたが、眼前の白毫観の理解に対して批判的なところ があり、白毫の功徳についての新たな見解を示すことが浄 土の教えを開顕するよい機縁だと考えたのだと推察される。 しかも、法然は白毫の功徳を明らかにするのに当たり、源 信『白毫観』を参照しているが、これは無論、源信に依拠 して正しい白毫の理解を示そうとしたには違いないが、源 信の説示にさえも乗り越えるべき課題があると見ていたの である。故に、源信に依るとしながらも白毫の功徳の内実 は法然独自の主張と言ってもよいものになっている。   どこまで法然が遵式を読み込んでいたかは定かではない が、 『懺 願 儀』 に よ る 行 法 が 勤 め ら れ る「逆 修」 の 法 会 に 招聘されている以上、無関心であったとは考え難い。法然 は、新しく入ってきた宋代浄土教や、日本に根づく源信/ 伝源信の浄土教に対して――弥陀の白毫、そして我々の心 という問題などを通して――是非入り混じる想いをめぐら ( )46 ( )47 ( )48

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せながら「浄土宗」の開顕に心血を注いでいたのである。   證空における「是心是仏」の解釈     證空と専修念仏宣布の課題   第一部で論じてきたように、法然は天台学を意識して法 を説いていた。半生を培った叡山の教学が法然の思想の土 壌としてあることは間違いなく、また法然の周縁には天台 に近しい者も多くいたのであろう。こうした叡山の宿命を 背負う中で「浄土宗」の開顕に苦心したのが法然という歴 史であろう。法然の上足である證空も多分に天台学を意識 する環境で法を説くものである。   西山上人として知られる證空であるが、この「西山」と は證空が住した西山善 よし 峯 みね 寺の北尾往生院に由来する。證空 が活動の拠点としたこの往生院は、四度も天台座主に就い た 叡 山 の 実 力 者 で あ る 慈 円 (一 一 五 五 〜 一 二 二 五) か ら 建 保 元 年 (一 二 一 三) に 譲 ら れ た も の で あ り、 天 台 の 修 学 が 息 づく地である。この慈円であるが、證空と叡山の関係を考 える上で鍵となる人物である。慈円と證空の出会いがいつ であったのかは確実なところが知られないが、慈円の晩年 においても二人の交流が続けられていたと見られ、證空は 慈円の臨終の導師を勤めている。こうした縁由から嘉 か 禄 ろく の 法難の際も流難を免れている。   證空が専修念仏への憎悪激しい洛中において、天台教団 に近づきながら生き残るための地盤を固めていったのは間 違いないであろう。このことに関して梶村昇氏は以下のよ うに指摘している。 証空は、よかれあしかれ、彼の俗譜の関係から、二度 も配流を免れた。私は、それには暗黙の条件があった。 それは、伝統仏教である天台教学と協調せよというこ とであったと思っている。彼はそれを承知し、それに よって、専修念仏の生命を点 とも し続けようと計ったので はないか。偽装であったといえば、そうかも知れない。 こうした想像は、穿ち過ぎた小説的発想かも知れない。 それに、こういえるほど確たる戦略的発想に基づいて 行動したのではなかったかも知れないが、結果的には、 ( )49 ( )50 ( )51

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おのずからそうなっていたのである。   證空の根底には「専修念仏の生命を点し続けよう」とす る信念があったことは確実であると考える。問題は他宗を 前にしてどのように専修念仏の思想を展開させようとした かである。吉田清氏は、證空における「源空の解決しえず に終った天台の教説と専修念仏の教説と新旧仏教の融合和 解 へ の 動 き」 の 具 体 的 方 途 に つ い て、 「天 台 的 本 覚 思 想 の 方法によって源空教説を理解」することだと指摘する。こ れは證空とは逆の方向であると考える。詳細は本論で論じ るが、むしろ證空は、他力の信に立った法然浄土教の立場 より天台学――だけではなく諸大乗経典をとらえ直し、凡 夫は浄土教に依らなければ諸大乗経典の理想も達し得ない 所以を明らかにしようとしている。それは専修念仏に無理 解な、凡夫の自覚なき者にその自覚を促す活動であったと も言えようか。   いずれにせよ、證空は単に専修念仏と大乗仏教が矛盾し ないことを論じようとするものではなく、大乗の根底を支 え る の は 専 修 念 仏 で あ る こ と を 解 明 す る こ と が、 「専 修 念 仏の生命を点し続け」ることになるという信念をもってい たと考えられる。また法然の善導理解が諸宗から批判され ていたのであり、善導に立って専修念仏と大乗仏教の問題 を明らかにしようとするのが證空の立脚するところであっ たと言えよう。   證空は仏説とは端的に言えば「唯心」の道理を明らかに するものだと見ており、その道理に目覚めるのは浄土教を 基 盤 と し な け れ ば な ら な い と す る (本 章 第 六 節 参 照) 。 こ の 「唯心」の道理を究明していく上で問題となるのが、まさ に「是心是仏」なのである。やや前置きが長くなったが、 證空における「是心是仏」の理解には、専修念仏が大乗仏 教の基盤たることを明らかにしようとする課題が担われて いることを念頭に置く必要があり、以下それに留意しなが ら検討を進めていきたい。 ( )52 ( )53 ( )54

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  1   「是心是仏」と「理」の問題     ――「法界身」と         「理性の衆生」をめぐって――   『観 経』 第 八 像 想 観 に お け る「是 心 作 仏 是 心 是 仏」 の 経 文は、 「法界身」の語とともに語られるものである。 諸仏如来はこれ法界身なり。一切衆生の心想の中に入 る。この故に汝等、心に仏を想う時、この心すなわち これ三十二相・八十随形好なり。この心仏と作る。こ の心これ仏なり。諸仏正遍知海は心想より生ず。 この「法界身」の解釈をめぐって種々の相違が生まれるの で あ る が、 善 導『観 経 疏』 定 善 義 に は、 「法 界」 を 定 義 し て「法界と言うは、これ所化の境なり。すなわち衆生界な り」としている。これに対して、證空『定自』巻二では以 下のように釈を施している。 言法界者、是所化之境、即衆生界也、トイハ、法界、 法性、等ハ理ノ名ナリ。今、所化之境、トイハ、衆生 即チ理ナリト定メテ、此ノ理性ノ衆生ヲ所化ノ境界ト スト云フ心ナルベシ。是則チ、序題ノ中ニ、真如之体 量、量性、不出蠢蠢之心、ト云フ心ナリ。皆成仏ノ義 ヲ兼ネタルベシ。 こ こ で 注 目 し た い の が、 「法 界」 を「法 性」 と 同 じ く 「理」――差別・相対を絶した存在を貫く普遍の真理―― の名だとした上で、善導が「法界」を「衆生界」に結びつ けることを承けて、衆生はすなわち「理」だと解釈するこ とである。   こ の 證 空 の 言 説 に 対 し て、 凃 と 玉 ぎょく 盞 せん 氏 は「諸 仏 と 衆 生 と は 理 (法 性) を 通 じ て 相 即 不 離 の 関 係 に あ る と い う の で あ る」と指摘しているが、衆生における「理」の捉え方は更 なる厳密な検討を要しよう。なぜなら、證空は単に「理」 として衆生と仏との一者なる関係を説くことに主眼がある とは言えず、むしろ「理」から「事」への展開を起点とし て衆生と仏との隔絶/不分の関係を明らかにしていると考 ( )55 ( )56 ( )57 ( )58

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えられるからである。これについては仏身論の観点から少 し く 言 及 し た が、 改 め て「是 心 是 仏」 、 そ し て こ れ と 実 は 不可分な問題である證空の名号観を基軸として論じたい。   2   「法界平等の理」と凡夫の分別心   證空における「事」と「理」についてすでに論じたとこ ろ も あ る が、 「是 心 是 仏」 を 検 討 す る 上 で 欠 か せ な い 問 題 であり、新たな視点も加えて再論する。   證 空 は『玄 自』 巻 二 に、 「理」 を 以 下 の よ う に 論 じ て、 凡夫と仏の違いを表す。 理ハ凡夫ノ心ニ備ハレル性ナリ。此ノ理顕ルレバ仏ニ 成ル。凡夫ハ理ヲ備ヘテ仏ニ度サル。理ノ不思議ナリ。 仏ハ理ヨリ事ニ顕レテ衆生ヲ度シ給フ。事ノ不思議ナ リ。 こ こ で「理」 を 凡 夫 の 心 に 備 わ る「性」 と し て、 こ の 「理」 が 顕 れ れ ば 仏 に 成 る と す る の で あ る か ら、 仏 性 を 「理」として捉えていることは確かであろう。そして、こ の「理」 、 つ ま り は 仏 性 が 顕 現 す る か 否 か に よ っ て 凡 夫 と 仏とが分かれるとする。これに類似した主張は法身を論じ る上にも見える。證空は法身・報身・化身の三身から仏身 を論じるが、 『玄自』巻三ではその中の法身について、 此ノ三身ノ中ニ、法身ハ平等ノ理ナレバ、能化、所化 ノ差別ナシ。只顕レタルト、顕レザルトノ不同ナレバ、 凡夫ハ未ダ顕サズシテ顕サント思フべシ。仏ハ既ニ顕 シテ度サント思シ召スバカリナリ。 とする。差別・相対を越えた「理」の境界から見れば、み な法身を本来的に具す存在であり、凡夫も仏もその存在は 平 等 で あ る、 と い う こ と で あ る。 こ こ を 指 し て「能 化」 (仏) と「所 化」 (凡 夫) の 存 在 に 差 別 が な い と 言 わ れ る の であるが、しかし、済度する側である「能化」と済度され る側である「所化」との差は厳然とあるということになる。 等しく本来的に法身を備える存在であったとしても、それ がこの現実世界に顕れているか否かに凡夫と仏との別を證 ( )59 ( )60 ( )61

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空は見ているのであり、つまりは現に法身・仏性が顕現し ていない迷いの存在の在ることが前提であろう。こうした 理解自体は大乗仏教の中において何も突飛なものではない。   では、凡夫はいかにしてその「理」を体現し、法身を顕 し 得 る か が 次 に 問 題 と な る。 そ こ で、 『玄 自』 巻 一 で は 「弥陀ノ願ニ乗ジテ終ニ法身ノ徳ヲ顕ス」とし、また『観 経疏大意』では「生死を離るる事は事 じ に依らずんば、何ぞ 然らんや。然るを事に顕はすとは、願に依りて衆生を摂取 するなり」ともしている。この二つはどちらも同じことを 言 い 表 し た も の で あ る。 大 悲 の 本 願 に 報 い た 弥 陀 (= 報 身) こ そ 隔 絶 し た 境 界 に あ る「理」 と 衆 生 と の 接 点 で あ り、 その報身とは「理」が差別・相対を顕したところの「事」 に他ならないのであり、この「事」によって凡夫は生死の 世 界 を 脱 す る ―― つ ま り は「理」 、 法 身 を 顕 す ―― と い う ことである。   なぜ差別・相対としての「事」をもって凡夫の出離の要 と す る の か で あ る が、 『往 自』 巻 四 の 以 下 に お け る 證 空 の 凡夫に対する認識が注視される。 生死凡夫ノ心ハ、一切ノ事是非分別ノ心ノミアリテ、 平等法界ノ理ニカナフ事ナシ。タトヒ仏ノ功徳ヲ讃ム レドモ、人情捨ツル事ナク、分別ノ心離レ難シ。 凡 夫 は 凡 夫 で あ る 限 り、 「是 非 分 別 の 心」 を 離 れ る こ と は 出来ず、差別・相対を離れた「平等法界の理」にかなうこ とはない、というのが證空の明確な理解である。こうした 分別の世界に立って凡夫を済度せんとするのが弥陀なので あり、分別から離れられない凡夫のために「事」へと展開 される仏身こそが報身だということになる。差別の世界に 准 じ た「事」 の 形 で 仏 身 (そ し て 仏 土) が 示 さ れ る こ と で、 はじめて凡夫にも願生浄土の心が呼び起こされると言えよ う。   ただ注意すべきは、先に見たように「仏ハ理ヨリ事ニ顕 レテ衆生ヲ度シ給フ」とすることである。あくまで弥陀が 顕す「事」であり、それはすなわち「理」を体得した覚者 の顕す「事」なのであり、単なる凡夫の心が描く分別の世 界の範疇ではない。分別された世界しか理解できない凡夫 のために有限・差別の世界における表現をとりながら仏身 ( )62 ( )63 ( )64 ( )65 ( )66

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仏土が顕されつつも、如来の表現としての事相はその境界 を超え出る平等なる真如に根拠づけられたものなのである。   以 上 は い ず れ も『自 筆 鈔』 に よ る も の で あ る が、 『自 筆 鈔』後の著述である『他筆鈔』においても「理」に対する 基本的な理解は変わらない。 『玄他』巻中には、 今此ノ三身ハ観仏能詮ノ位ト顕ハルル時、三身ノ功徳 併シナガラ酬因ノ報仏ニ入リテ念仏往生ヲ成ズル故ニ、 諸教ニ云フ所ノ一実真如ノ理ト云フモ、今ノ報仏ノ功 徳ヨリ顕ハルル時、衆生往生ノ体トナル。衆生ノ往生 トハ、即チ念仏ナリ。依リテ、念仏ヲモテ一実ノ本ト スルナリ。 と あ る。 「一 実 真 如 の 理」 も 報 身 の 功 徳 よ り 顕 れ る も の で あり、そこにこそ凡夫の出離があるとするのであるから、 先の『自筆鈔』と軌を一にするものだと言えよう。   3   「自心の仏」と「弘願の仏」   證空における「是心是仏」を検討する上で見過ごすこと のできない側面が「念」と「仏」との関係である。これは 證空の思想展開を考える上でも核心となる論点であり、こ れについて順に検討していく。   まず、前提として善導『観経疏』定善義における「是心 作仏是心是仏」についての解釈を確認しておくと、 「是心作仏」と言うは、自の信心に依りて、相を縁ず る は、 作 の 如 く な り。 「是 心 是 仏」 と 言 う は、 心 能 く 仏を想えば、想に依りて仏身現ず。すなわちこの心仏 なり。この心を離れて外にさらに異の仏なきなり。 とある。これに対する證空『定自』巻二の解釈が以下の通 りである。 依自信心縁相、如作也、トイハ、今ノ観門ノ本意ヲ釈 ( )67 ( )68

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シ顕スナリ。云ク、自心ノ仏ヲ観ジテ成ゼントニハア ラ ズ。 願 力 成 就 ノ 他 力 ヲ 信 ジ テ、 一 々 ノ 相 ヲ 縁 ジ、 各々ノ好ヲ思ヘバ、此ノ縁相ニ依リテ弘願ノ仏顕レ給 フナリ。自心ノ仏ヲ観ジ顕シタラント別ナシト云フナ リ。 仏 は ど こ に お わ し ま す の か と 言 え ば、 「自 心」 を 離 れ て 仏 はなく、自己の存在そのものに仏を見ていく、というのは い わ ば「理」 の 境 界 で あ る (證 空 に は「己 心 ノ 理 仏」 と い う 表 現 も あ る) 。 こ う し た「理」 の 境 界 が 諸 大 乗 経 典 に 照 ら し て決して否定し得ないものであることは證空も認めるとこ ろであろう。   し か し、 「理」 の 境 界 に 惑 う の が 凡 夫 で あ り、 こ の 凡 夫 の た め に 現 れ る の が 弥 陀 ―― す な わ ち「事」 、 報 身 と し て の弥陀――である。證空は、 『定自』巻二に、 「念ズル心ニ 依リテ顕レ給」うのが弥陀だとしており、他力を信じて弥 陀を念ずればそこに「弘願の仏」が顕れるとする。   なお付言すれば、仏を念ずる心にこそ仏が現に在るのだ、 と い う の が 證 空 の 明 瞭 な 理 解 で あ る が、 そ も そ も「法 界 身」 と は、 善 導 等 の 定 義 で 言 え ば「定 善」 (定 心 で 行 う 観 法) の 一 つ、 第 八 像 想 観 で 示 さ れ た も の で あ る。 こ の『観 経』第八像想観では衆生の「心想」に「法界身」が入ると 明 か す が、 こ れ は 観 察 に お い て 静 め ら れ た 心 (定 心) に 映 現する仏身を説くものだと言えよう。では、證空の言う仏 を 念 ず る 心 と は、 「観 想 念 仏 の 心」 な の か と 言 え ば そ れ は 違 う の で あ る。 『観 経』 に 説 か れ る「観」 と は、 観 察 の 実 践、すなわち自力修行を策励するものではなく、他力念仏 ――證空の用語で言う「弘願」――を明らかにするものだ と換骨奪胎して思索を深めていったところに證空の一大特 色 が あ る。 證 空 に お け る「念 仏」 と は、 「観 想 念 仏」 を 指 すものではないと押さえる必要がある。   さて、證空は自己の身に法身を顕すか否かが、迷いの凡 夫と覚者を分けるものだと見ていたが、他力浄土門の教え は、自心に覆蔵された法身と向き合いそれを自身の手で掘 削せよとは勧めないのである。凡夫は弥陀を憶念する他力 の信心にこそ、自己に「事」を通して法身の境界が開かれ ることを見るのであり、ここを指して「自心ノ仏ヲ観ジ顕 シタラント別ナシ」とも言われるのであろう。他力の信に ( )69 ( )70 ( )71 ( )72

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実現される「弘願の仏」に、真に自己なるものを発見する のである。   こうした證空『自筆鈔』の「念」と「仏」の理解は「是 心是仏」の新たな地平を切り開くものである。ここに證空 独自の思索が施されているとは言え、一貫した思想の上に 成り立つものであるということが分かろう。しかし、なぜ 「念」 に「仏」 が 顕 れ る の か、 と い う 点 に 関 し て い ま だ 『自筆鈔』では不明瞭なところがある。この課題の核心を 引き継いだ形で展開されたのが「往生正覚倶時」説である と考えられる。これは證空における衆生と仏の関係のみな らず、名号と仏の連関を考究するものであり、次にこれに ついて考察を進めたい。   4   「往生正覚倶時」説に見る       衆生と仏(の名号)   はじめに「往生正覚倶時」説の基本を確認すると、證空 『観経疏大意』第十問答には、 正覚を成ずる上には、念ずる衆生の生ぜずと云ふ事、 総じて以て之有るべからず。故に、弥陀は我等が念力 を以て成仏し、我等は弥陀の正覚を以て生死を出づべ しと云ふ事、不審無き者なり。 とある。衆生が往生せずば仏と成らずと誓った弥陀が弥陀 と成るのは、まさに我が往生の決定したところにしかない のである。弥陀の正覚成就により我らの往生が決定すると いう側面が論じられてきたが、むしろ注視すべきは、弥陀 が弥陀たり得るのは、衆生の往生が決定するか否かにある ということである。ただこれは、弥陀はすでに正覚を成就 しているのであるからもとより衆生は往生している、など と い う 主 張 で は な い。 そ れ は、 『散 他』 巻 上 に「我 身 ニ 出 離ノ縁アリト信ズレバ、往生不定ナリ。出離ノ縁ナシト信 ズレバ、往生決定シテ疑ナシ」として、信心の決定に往生 の有無を論じていることから明らかである。   さて、信心に往生の有無を見るのであるが、それは證空 にとって自力を離れた他力の称名に往生を見ることと同じ で あ る。 證 空『定 他』 巻 下 に は、 「名 (= 名 号) 体 (= 仏 ( )73 ( )74 ( )75 ( )76

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体) 不二」を論じながら以下のような往生論がある。 名体不二ノ仏ナル故ニ、称名即見仏ナリ。南無阿弥陀 仏ヲ離レテ別ニ阿弥陀仏是ニマシマスベカラズ。問ヒ テ云ク、名体不二ト云フ事、如何。答ヘテ云ク、称名 即往生ナリ、往生即仏体ナリト云フ事ナリ。 このような「称名即往生」の言明に證空の思想的特徴がい か ん な く 発 揮 さ れ て い る が、 忘 れ て は な ら な い の は、 「南 無阿弥陀仏ヲ離レテ別ニ阿弥陀仏是ニマシマスベカラズ」 と言われる所以である。   その所以を確認すると、まず前提として善導『観経疏』 玄義分に「仏説無量寿観経一巻」の経題を解釈する中に以 下のようにあることが注目される。 「無量寿」と言うは、すなはちこれこの地の漢音なり。 「南無阿弥陀仏」と言うは、またこれ西国の正音なり。 また「南」はこれ「帰」 、「無」はこれ「命」 、「阿」は こ れ「無」 、「弥」 は こ れ「量」 、「陀」 は こ れ「寿」 、 「仏」はこれ「覚」なり。故に「帰命無量寿覚」と言 う。 「無量寿」を釈しながら唐突に「南無阿弥陀仏」 (=「帰命 無 量 寿 覚」 ) に 解 釈 の 対 象 が 移 っ て い る。 こ れ に 注 目 す る の が證空であり、 『玄他』巻中にはこの善導の真意を、 問 ヒ テ 云 ク、 「無 量 寿」 ノ 三 字 ヲ 所 詮 ト ス レ バ、 必 ズ、 「帰命」 、「覚」ノ三字ヲ具足スル心、如何。 答ヘテ云ク、帰命トハ衆生ノ能帰ノ一心ナリ。是即チ、 本願ノ、至心信楽欲生我国ト云フ心ナリ。此ノ心発リ テ、乃至十念ハ必ズ生ズベキ謂極マリテ成ズル所ノ正 覚ノ仏体成ズルガ故ニ、念仏即往生、往生即仏体ナリ。 是ヲ念仏三昧ノ仏体ト云フナリ。無量寿ヲ所詮トスレ バ、 自 然 ニ、 「帰 命」 、「覚」 ノ 三 字 ヲ 具 足 ス ル ナ リ。 帰命ハ心ナリ。覚ハ仏体ナリ。帰命ノ心ヲ離レテハ仏 体成ゼザルナリ。仏体ヲ離レテ衆生能帰ノ心発ラザル ガ故ナリ。 ( )77 ( )78 ( )79

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と 論 じ て い る。 「帰 命 ノ 心 ヲ 離 レ テ ハ 仏 体 成 ゼ ザ ル ナ リ」 とあるように、衆生の往生が決定されることに阿弥陀仏が 「仏」と成るという事態があるわけであるが、先に見たよ うにこの往生を決定するものは他力の信に徹することであ っ た。 そ の 他 力 の 信 が こ こ で は「帰 命」 (=「南 無」 ) の 心 と 言 わ れ て い る。 つ ま り、 「南 無」 の な い「阿 弥 陀 仏」 な ど あ り 得 な い の で あ り、 「阿 弥 陀 仏」 は「南 無 阿 弥 陀 仏」 が成り立つことにおいてはじめて「阿弥陀仏」なのである。 故に、善導が「無量寿」を「南無阿弥陀仏」と言い換えた のは突飛なことではなく、 「自然」だということになる。   こうした證空の思索は善導に示唆されるところが大きか ったと考えられるが、阿弥陀仏の功徳の全体を名号に見る 法然の思想とも一脈通ずるものがあると言えるのではない だろうか。いずれにせよ、弥陀の全体を名号に見る、とい うのが法然、證空の通ずる思索であったことは間違いない。   5   本願の成就と罪悪の自覚   さて以上見てきたように、弥陀を念ずるところになぜ弥 陀 は 在 る の か、 と 問 わ れ れ ば、 「往 生 正 覚 倶 時」 で あ る か ら、と證空は答えるであろう。ただ、これは『自筆鈔』以 降の思索によって導き出されたのだということが注視され る。ここでなお注意を要する点があるとすれば、他力の信 心に弥陀が在る、ということは決して自己の罪悪をさし措 くものではないということである。むしろ自己の罪悪の自 覚が、弥陀との値遇により開かれるものだと證空は考えて いた。 『散自』巻一には、 具造十悪五逆、トライハ、生々世々ノ中ニ六道ニ輪廻 シテ、造ラザル罪ナシ。愚痴迷惑ノ故ニ、スベテ是ヲ 知ラズ。今仏願ノ不思議ナル事ヲ知ル時、無始已来ノ 諸悪悉ク是ヲ悟ル事ヲ釈シ顕スナリ。 として、仏願の信知においてこそ自己の罪悪の自覚もある としている。譬喩的に言えば、仏とは「無量光仏」とも言 われるように、自己の罪悪を照らす「光」だと言えよう。   ただ、罪悪について、 『往自』巻五には、 「罪ニ大、小ノ 不同アリト雖モ、皆悉ク妄心ヨリ起リテ実体ナシ」と知ら ( )80 ( )81 ( )82

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れるとすることが注意され、計量的に自己の罪悪の重さが 知られる、というわけではない。こうした「妄心」により 現出した実体なき世界が知られるのも、虚妄分別の離れ得 ぬ凡夫が虚妄分別の離れた真如の世界に照らされるからで あり、それは真如の具現者――「理」に相即した「事」と しての弥陀――との値遇により実現されるものだと言えよ う。   このように本願を通して自己の罪悪が知られるとも言え るが、その罪悪を場として正覚を成就するのが弥陀であり、 弥陀が弥陀たり得るのはまさに自己を離れて外にはない。 罪悪の身であり、仏の境界からは断絶した凡夫にしてしか もその罪悪こそが弥陀と不可分である、という信知に證空 の衆生と弥陀、心と仏との関係を見る基軸があると言える。 次に見るように證空は「唯心」を仏説として強調するもの であるが、その「唯心」とはこの罪悪の心 0 0 0 0 0 以外に真如もな い、という理解であることが上述から確かめられよう。   6   「唯心」と浄土教の存在   證 空 は 仏 法 に つ い て『序 自』 巻 二 に、 「仏 法 ハ 是 心 内 ノ 教ナリ。諸法多シト雖モ、悉ク唯心ノ境ナリ」と端的な押 さえをしている。證空が「唯心」ということに仏法の真理 を見ていたことは間違いないであろう。これまで、證空の 「自心の仏」に対する基本的な考えを論じてきたが、最後 に仏法が真理として説く「唯心」と浄土教との連関を明ら かにしたい。      證空の経典観   「唯 心」 の 問 題 を 検 討 す る 前 提 と し て 證 空 の 経 典 観 を 確 認する。證空は『玄自』巻一に以下のように論じている。 釈尊ノ開示悟入ノ本意、只穢土ヲ出デテ、浄土ニ生ズ ルニアリ。故ニ観念法門ニ云ク、釈迦出現、為度五濁 凡夫、即以慈悲開示 0 0 十悪之因、報果三塗之苦、又以平 ( )83

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