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近重史朗 年代,Sr 同位体比初生値によりこれらの地質体の帰属が明らかにされ ( 小野,1983; 柴田 高木,1989; 高木 藤森,1989; 高木他,1989; 端山他,1990; 竹内 牧本, 1991; 竹内 牧本,1995など), ナップの基底断層の断層岩の構造解析 ( ウォーリス他,1

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1 .はじめに 関東山地北縁~北東縁部の群馬県下仁田地域,埼玉県 金 カネザワ 沢地域,および埼玉県寄居-小川地域には,起源と年 代を異にするぺルム紀から古第三紀の異地性の地質体が 三波川帯御荷鉾緑色岩類の構造的上位に定置し,それら は「跡倉ナップ」と総称されている(第1図a)(牧本・ 竹内,1992;埼玉総会中・古生界シンポジウム世話人 会,1995).これらの異地性地質体の形成過程は,日本列 島中軸部の構造発達史を考える上で重要であり,多くの 研 究 が 行 わ れ て き た( 藤 本 他,1953;新井他,1963, 1966;小勝他,1970;内田,1978;小坂,1979;高木・藤 森,1989など).1990年前後から,岩相・化学組成,放射

近 重 史 朗

関東山地寄居ナップの白亜紀・古第三紀の構造発達

Cretaceous and Paleogene Structural Development of the Yorii nappe, Kanto Mountains

Institute of Natural Sciences, College of Humanities and Sciences, Nihon University. 3-25-40 Sakurajosui, Setagaya-ku, Tokyo 156-8550, Japan (Present address: Sanraizu Geo-Researcfh Office. 220-51 Kibe, Ogawamachi, Hiki, Saitama 355-0335, Japan)

日本大学文理学部自然科学研究所:

〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40(現在:サンライズ地質調査 事務所 〒355-0335 埼玉県比企郡小川町木部220-51)

The Yorii nappe in the northeastern Kanto Mountains is composed of a couple of subnappes; the Ryoke-Abukuma and Kinshozan-Tochiya-Kurosegawa subnappes. The former moved southwards and the latter northwards successively, and the both settled on the Sambagawa belt at around 50Ma.

The Ryoke nappe first formed on the Ryoke belt, while the Abukuma nappe formed at the front of theYorii formation during the emplacement of the Rhoke-Abukuma subnappe onto the Sambagawa belt.

The Kinshozan-Tochiya-Kurosegawa subnappe formed through the coupling of the Kinshozan Quartz-diorite and the Tochiya formation when the latter moved northwards on the Sambagawa belt. The green rock mélange formed along the left-lateral fault at the southern margin of the sedimentary basin of the Tochiya formation.

The Tochiya formation formed at a pull-apart basin which formed through the left-lateral faulting of the Median Tec-tonic Line during the Late Cretaceous.

The Sanchu group, deposited on a pull-apart basin of the Early Cretaceous, possibly originated from the Early Creta-ceous activity of the Kurosegawa fault system, thus two major wrench faults were active successively on the northern Kanto Mountains.

The Yorii nappe formed under the circumstance of the activities of the two major wrench faults, uplifting of the Sambagawa metamorphic rocks from the deeper metamorphic environment, and the uplift of the Rhoke granitic rocks.

Thus the Yorii nappe is one of the most prominent geologic body, which represents the Cretaceous and Paleogene structural development of the backbone area of the present Japan Arc.

Keywords: Kanto Mountains, Yorii nappe, Atokura nappe, MTL

Shirou CHIKASHIGE

(Received October 31, 2011)

第1 図 a 関東山地北部地質概略図 地質調査所1:200,000地質図幅「長野」(中野他,1998) および「宇都宮」(須藤他,1990)をもとに作成.

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年代,Sr同位体比初生値によりこれらの地質体の帰属が 明らかにされ(小野,1983;柴田・高木,1989;高木・ 藤森,1989;高木他,1989;端山他,1990;竹内・牧本, 1991; 竹内・牧本,1995など),ナップの基底断層の断 層岩の構造解析(ウォーリス他,1990;小林・高木, 1991;小林,1995;Kobayashi,1996;近重,2000bなど) や「跡倉ナップ」の主要な構成メンバーである上部白亜 系の褶曲構造解析(新井・高木,1998;近重,2000b)か らナップの移動方向などを検討した構造地質学的見地か らの研究がなされた. このような,ナップの構成地質体個々の帰属,地帯区 分,移動方向は議論されているものの,主要な構成体で ある上部白亜系とぺルム紀花崗岩類を除いて「跡倉ナッ プ」の内部構造,ナップ内部の各地質体の相互関係につ いては,これらすべての地質体を単一の異地性構造岩塊 と考える見解 (小野,2000) 以外報告されていない.さら に,ナップ全体の形成過程について構造発達のモデルを 構築する試みはなされていない. 本研究は,寄居町・小川町に分布する上部白亜系,古 第三系,古第三紀溶結凝灰岩類の調査に基づく新たな知 見とこれまでに多くの研究者によって得られた知見とを 総合して,寄居町・小川町に分布する白亜紀・古第三紀 のナップ群の構造発達史を明らかにすることを主な目的 とする.本研究の意義は,日本列島中軸部の複雑な構造 発達は岩相・起源・年代の異なる地質体が混在する寄居 -小川地域のナップの形成過程に端的に反映されている ことから,寄居-小川地域のナップの構造発達を明らか にすることによって日本列島中軸部の構造発達の解明に 大きく寄与することにある. なお,関東山地北縁に分布するナップ群については, 「跡倉ナップ」の名称が用いられているが,構成する地 質体の種類が多く地質年代が広範囲にわたることもあっ て,研究者によって「跡倉ナップ」の範囲が異なる.そ こで,本研究では,関東山地北縁の三波川帯の構造的上 位に定置する異地性の地質体を「 関東山地北縁ナップ」 と総称し,そのうち寄居町・小川町に分布するナップを 「寄居ナップ」と名付ける. 2 .寄居ナップの研究略史 寄居ナップに関する研究史を,構成地質体ごとに年代 順に略述する. 2.1 寄居溶結凝灰岩類 渡部他 (1950) は本岩体を浅所貫入岩とみなし寄居石 英斑岩と命名した.小勝他 (1970) は,石英斑岩のほか に溶結凝灰岩の疑いのある岩石も存在することを示し, その形成時期を白亜紀後期とした.また,本岩体を原地 性としている.小坂 (1978,1979) は,寄居石英斑岩に顕 微鏡スケールで破砕組織の発達と熱水変質の跡を認め, 地下のある程度の深さで破砕・変形と変質を受けた後に 本地域に移動しクリッペとして三波川変成岩類の上に 乗っているとし,白亜紀末期から古第三紀にかけてのあ る時期に,現在の三波川帯と領家帯の間にあった金勝山 石英閃緑岩,跡倉層とともに南方への押しかぶせ断層運 動によって西南日本内帯側から移動してきたとした. 山田他 (1982) は,本岩体は溶結凝灰岩と花崗斑岩から なり,寄居 “石英斑岩” と表記し, 北からのクリッペで あるとすれば,このような珪長質火山岩類を産出した珪 長質火山作用の場は領家帯であった可能性が大きいとし た.小坂 (1987) は,寄居 “石英斑岩” 分布域のほぼ全 域から採取した岩石薄片から,いずれも溶結凝灰岩であ ることを認め,寄居 “石英斑岩” のうち溶結凝灰岩と認 められるものを寄居溶結凝灰岩類と呼んだ. 本岩は, 砂岩,チャート,火山岩の岩片を含み,領家帯で噴出し た後に跡倉層(栃谷層)の移動期あるいはその前後に本 地域に移動したとしている.竹内・牧本 (1991) は,ジ ルコンのFT年代59.6±2.8Maから,酸性火成岩類が西 南日本内帯の白亜紀後期-古第三紀酸性火成活動の産物 であるという従来の見解を裏づけた.さらに,本岩は, 岩相・放射年代が一致することから西南日本内帯の白亜 紀後期-古第三紀酸性火成活動の一員として,濃飛流紋 岩類や奥日光流紋岩類に対比されるとした(山田他, 1982;牧本・竹内,1992).近重・小坂(2000) は,熱水 変質年代58.0±2.9Maを得ており,本岩体は少なくとも この年代までは領家帯に存在したことを裏付けた. 2.2 寄居層 藤本・渡部 (1947) は寄居層を命名し,渡部他 (1950) はこれを寄居礫岩層と呼んだ.三波川結晶片岩を不整合 に覆い,原地性としている.また,荒川両岸に中新統松 山層群小園層に覆われる不整合を記載している.福田・ 石和田 (1964) は,寄居礫岩層の一部を白亜系として木 持層と呼んだ.小勝他 (1970) も岩層・層相,擾乱が顕 著なことから寄居礫岩層の一部を木持層として扱い,原 地性の地層とした.小坂 (1979) は,寄居層中に発達す る低角断層群から上盤が西北西方向へ向う変位を認めた が,その露頭での変位量は10mを越えないことを述べ ている.牧本・竹内 (1992) は,木持層と寄居礫岩層を 一括して寄居層と再定義し,寄居溶結凝灰岩類と高角断 層で接する部分を鉢形礫岩部層とし,それ以外を寄居層

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木・藤森 (1989),小野 (1990) が小規模に分布する角閃 岩・片麻岩・トーナル岩を見出した.これらの変成年代 は角閃岩のK-Ar年代110±4Ma (端山他,1990),109± 7Ma (小野,1990) が報告され,柴田・高木 (1989) は下 仁田地域の白亜紀前期の放射年代を示す花崗岩類・変成 岩類のSrI値が0.7052であることから,本岩類を阿武隈 帯に対比した. 2.5 栃谷層 渡部他 (1950) は,先第三系として跡倉層が分布する ことを示した.藤本他 (1953) は,寄居地域に跡倉層と 類似の地層が分布し,下仁田・金山地域の跡倉層の推し (押し) 被せ構造が延長する可能性を指摘した.前田 (1954) は,寄居町栃谷地区の三波川帯と秩父帯の間に 分布する礫岩・砂岩・泥岩からなる地層を栃谷層と命名 し,礫岩の岩相が下仁田地域の跡倉層に類似することを 指摘し,古期岩層中に断層で挟み込まれているとした. 小勝他 (1970) は,前田 (1954) の示した栃谷層南縁の秩 父帯の一部を層相と擾乱の程度から栃谷層に含め分布範 囲を拡大し栃谷層を再定義した.また,下仁田地域の跡 倉層 (上部白亜系 (新井他,1963)) に対比し,本層を原 地性とした.本層の南限・北限は高角の断層で境され, 南限の断層に沿って蛇紋岩が貫入し,地層は走向N60° ~80°Wの急傾斜の向斜構造をなし,礫岩・砂岩・泥岩 およびそれらの互層からなり,礫岩は北縁に沿って発達 するとした.長沼・加藤 (1978) は,本層の砂岩泥岩互層 のソールマークからESE→WNWの軸流を示す古流向 を報告した.小坂 (1979) は,栃谷層の北側約1/3は礫 岩層と泥岩をはさむ砂岩層からなり南上位の級化層理を 示し,南側約2/3は砂岩泥岩互層からなり級化層理は 北上位を示すが,北側と南側の砂岩の岩質の相違から両 者が層準を異にする可能性を指摘し,本層の北側約1 /3 と南側約2/3とは地層の上下の向きが逆の 2 つのクリッ ペが西北西方向の高角断層を境として接している可能性 を指摘した.また,本層は弱変成を受けていること,さ らに連続的に分布する本層周辺の基盤岩(秩父帯,三波 川帯)の南北性と東西性の半波長5km程度のゆるい褶 曲波面が本層地下に存在するとし,本層をクリッペと推 定した.平島 (1984) は,本層の礫岩と砂岩にぶどう石- パンペリー石相の変成作用を認め,周囲の三波川変成岩 や秩父帯の岩石にはこれらが認められないことから,小 坂 (1979) のクリッペ説を支持した.門田・徳永 (1982) は,栃谷層の東半分は花粉分析によって中新統であると したが,渡辺他 (1990) は分布域西部の泥岩からアンモ ナイト,数種の二枚貝化石,放散虫化石を見出し上部白 主部とした.また,寄居層主部の下部に挟在する凝灰岩 のジルコンのFT年代は65.4 Maを示し,本層に寄居溶 結凝灰岩類の礫を含むという層序関係を考慮して,寄居 層の地質年代は白亜紀末-暁新世であろうとした.牧 本・竹内 (1992) は,寄居層が跡倉ナップの一員である ことをはじめて唱え,寄居溶結凝灰岩類の噴出に引き続 いて堆積したとしている.小林 (1995) は,寄居層の砂 岩が御荷鉾緑色岩類と接する低角断層に伴う断層ガウジ の小構造解析から下盤の御荷鉾緑色岩類に対して上盤の 寄居層は北~北北西への移動を示すとしている.近重 (2000a) は本岩体の堆積残留磁化を測定し,三波川帯御 荷鉾緑色岩類の上で堆積した地層ではないことを古地磁 気から検証し,包有する礫種から領家帯で形成されたと した. 2.3 金勝山石英閃緑岩 渡部他 (1950) は栃谷層周辺に分布する石英閃緑岩を 金勝 (照) 山石英閃緑岩と命名し,寄居層の礫岩層に初 期中新世末に貫入したとした.小勝他 (1970) は貫入時 期は栃谷層堆積以前・白亜紀後期とし現地性と考えた. 小坂 (1978,1979) は三波川変成岩類に熱変成が認めら れないこと,基盤の三波川変成岩類と破砕様式が異なる ことなどから本岩体を三波川帯の上にのる西南日本内帯 からのクリッペであるとした.平島 (1984) は,本岩体 がぶどう石-パンペリー石相の変成作用を受けているの に 対 し て 三 波 川 帯 は 受 け て い な い こ と か ら, 小 坂 (1978,1979) の提唱したクリッペ説を支持した. ナップの基底断層は発見されていないが,小坂 (1978) は寄居町車山付近の三波川変成岩類と金勝山石英閃緑岩 の分布境界が滑らかな曲線となり,さらに金勝山石英閃 緑岩の方が地形的に高いところにあることからほぼ水平 の断層を推定した.平島 (1984) も同様の見解を述べて いる. 小野 (1983) は普通角閃石K-Ar年代251±8Ma,端山 他 (1990) はぺグマタイトから白雲母K-Ar年代252± 8Maを得ている.また,柴田・高木 (1989) は本岩体の SrI値0.7041~0.7042を得て,年代・SrI値とも下仁田・ 金沢地域とほぼ同じ値(角閃石K-Ar年代250~277 Ma, SrI値0.7038~0.7042)を示し,南部北上帯の薄衣花崗 岩 礫( 年 代226~276 Ma(柴田,1973),SrI値0.7042~ 0.7047(Shibata,1974))の値と一致するとした(柴田・ 高木,1989;高木・藤森,1989). 2.4 白亜紀前期花崗岩類・変成岩類 当地域では,端山・比企団体研究グループ (1985),高

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と推定される (小坂,1979;平島,1984;牧本・竹内, 1992).栃谷層は,礫岩,砂岩および砂岩泥岩互層から なるタービダイトで (牧本・竹内,1992),泥岩から白亜 紀後期のアンモナイト化石,放散虫化石を産し(石井 他,1990;渡辺他,1990),堆積した地質年代は Turonian ~Campanian (およそ90~74Ma) と考えられている(埼 玉総会中 ・ 古生界シンポジウム世話人会,1995).栃谷 層はぶどう石-パンペリー石相の弱変成作用を受けてい る (小坂,1979;平島1984).寄居溶結凝灰岩類は,流紋 岩質溶結凝灰岩であり,ジルコンのFT年代は 59.6 Maを 示す (竹内・牧本,1991).寄居層は,基底部の鉢形礫岩 部層と主部 (礫岩・砂岩) からなる海成層で,堆積した 時代は白亜紀末-暁新世とされている(牧本・竹内, 1992).緑色岩メランジュが栃谷層の北側に分布し(牧 本・竹内,1992),南側の秩父帯と接する部分にも分布す る (平島,1984;牧本・竹内,1992). 緑色岩メランジュ の 角 閃 岩 か ら402MaのK-Ar年代が得られている (竹 内・牧本,1995). 関東山地北縁ナップの形成時期は,ナップを構成する 最も新しい地層が寄居層であり,また同ナップが中新統 松山層群により不整合に覆われることから,暁新世(約 60Ma) から中期中新世 (16Ma) の間である (牧本・竹 内,1992).また,同ナップを構成する岩石・地層のうち 寄居溶結凝灰岩類と寄居層は,岩相,放射年代から西南 亜系とした.石井他 (1990) は,分布域中部の砂岩泥岩 互層の泥岩から放散虫化石,有孔虫化石を見出し白亜紀 前期末・白亜紀後期としている.石井他 (1990) は,礫 岩は基底礫岩であり本層は秩父系・三波川系・金勝山石 英閃緑岩体の上に不整合で堆積した原地性の地層であ り,跡倉層・跡倉層相当層がWNW方向の狭長な堆積盆 に堆積したと考えた.牧本・竹内 (1992) は,本層の向 斜の南翼の一部に逆転層を記載した.近重 (2000b) は, 本層分布域西部において北フェルゲンツの低~中角の褶 曲軸面を持つ転倒褶曲,および上盤の栃谷層礫岩が下盤 の御荷鉾緑色岩に対して北へ向かう (top-to-the-north) 移動を示す基底断層を認定し,栃谷層は南から北へ移動 したとした. 2.6 緑色岩メランジュ 平島 (1984) は,当地域の栃谷層と秩父帯・三波川帯 の境界部に狭長に分布する著しく剪断されたアクチノ閃 石岩を基質とし変成岩,火成岩を構造岩塊として包有す る地質体を「緑色岩メランジュ」と命名し,本岩体およ び栃谷層,金勝山石英閃緑岩は黒瀬川帯の東方延長部に 当たる可能性を指摘した.竹内・牧本 (1995) は角閃岩 塊の普通角閃石K-Ar年代402±20Maを得て,角閃岩塊 は黒瀬川帯に属するとした.佐藤他 (2000) は,砂岩岩 塊および基質の蛇紋岩のクロムスピネルの化学組成が四 国黒瀬川帯の最上部ぺルム系砂岩に含まれる砕屑性クロ ムスピネル,ならびに蛇紋岩基質中のクロムスピネルの 化学組成に類似することを明らかにし,緑色岩メラン ジュは黒瀬川帯に帰属する可能性が大きいとし,黒瀬川 帯の東方延長部の一つであるとした. 3 .地質概要 寄居-小川地域の地質概略図を第1 図bに示す.北か ら三波川帯御荷鉾緑色岩類,寄居溶結凝灰岩類,寄居 層,御荷鉾緑色岩類と金勝山石英閃緑岩,栃谷層,秩父 帯の岩石・地層が分布している.これらの岩石・地層の うち寄居溶結凝灰岩類,寄居層,金勝山石英閃緑岩,栃 谷層は御荷鉾緑色岩類の上にナップとして移動してきた 異地性岩体 (寄居ナップ) であり,下仁田地域,金沢地 域とともに関東山地北縁ナップを構成している.寄居 ナップの各岩体はWNW方向とN-S方向の高角断層で ブロック化しているため岩石・地層相互の層序・構造関 係は明らかではない (牧本・竹内,1992). 金勝山石英閃緑岩の放射年代は,251Ma (小野,1983) あるいは252 Ma (端山他,1990) でぺルム紀を示し,岩 体の分布状態から御荷鉾緑色岩類の上に低角断層でのる 第1 図 b 寄居-小川地域地質概略図 地質調査所 1:50,000地質図幅「寄居」(牧本・竹内,1992) をもとに作成.

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片麻岩,黒雲母片麻岩),寄居溶結凝灰岩類,寄 居層 ― 西南日本内帯起源  ― 領家ナップ 2  金勝山石英閃緑岩 ― 南部北上帯に帰属  ― 金勝山ナップ 3  角閃岩類・トーナル岩類 ・片麻岩類 ― 阿武隈帯に帰属   ― 阿武隈ナップ 4  栃谷層  ― 秩父帯起源 ― 栃谷ナップ 5  緑色岩メランジュ ― 黒瀬川帯起源    ― 黒瀬川ナップ 5 .寄居ナップ各論 5.1 領家ナップ 5.1.1 各構成地質体の異地性の検証 (1)領家花崗岩類・変成岩類 埼玉県嵐ランザン山町越オッパタ畑南方から川島にかけて粕川沿いに長 さ4km,幅750mの狭長な範囲に花崗岩類が分布する. 周囲は花崗岩体の伸長方向に平行なNW方向の断層とこ れを高角に切るNE方向の断層により中新統(松山層群 小園層)と接する (高木・長濱,1987). 花崗岩類は大部分が片麻状トーナル岩から構成され, 鉱物組成および岩石組織の特徴,62~64MaのK-Ar年 代,87Sr/86Sr初生値0.7079といった年代・同位体化学の 観点から中部地方領家帯の非持型トーナル岩に対比さ れている (比企団体研究グループ,1982;柴田・高木, 1989;高木他,1989).そのほかに,片麻状花崗岩が点 在し岩石学的特徴から中部地方の天竜峡型花崗岩に対比 されている(端山・比企団体研究グループ,1984). 変成岩類は,鉱物組成から菫青石黒雲母片麻岩/紅柱 石-菫青石片麻岩(泥質片麻岩)(武井・小池,1977;高 木・長濱,1987),珪線石-菫青石片麻岩(泥質片麻岩) (高木・長濱,1987),ザクロ石-黒雲母片麻岩(砂質片 麻岩)(高木・長濱,1987)が点在する. 花崗岩類はその多くが破砕を被り分布域の南西縁部で 特に破砕が著しくカタクラサイト化しており,帯状に分 布する花崗岩体を直交する横断するルートにおける石英 の平均粒径,最大粒径の変化から,横断ルートの中央部 分に細粒化の進んだマイロナイト帯があることは明瞭で あり南西側の断層沿いは細粒化がそれほど顕著ではない ものの,少なくとも岩体の南西側により強い剪断帯が あった (高木・長濱,1987) とされている.しかし,片 麻状トーナル岩,マイロナイトおよび変成岩の面構造が NW走向で北東に30°~50°傾斜にそろう分布域において XZ薄片で観察されるマイロナイトの非対称微小構造か 日本内帯に属する地質体と判断されているが (牧本・竹 内,1992),金勝山石英閃緑岩,栃谷層は黒瀬川帯の一員 とする見解 (平島,1984),跡倉層の起源を黒瀬川帯に求 める見解 (ウォーリス他,1990;小林,1993),跡倉層は 秩父帯から移動したとする見解 (Kobayashi,1996),緑 色岩メランジュは黒瀬川帯に属するとする見解 (平島, 1984;竹内・牧本,1995),金勝山石英閃緑岩・異地性 花崗岩類は南部北上帯・阿武隈帯に属するという見解 (柴田・高木,1989)があって,その帰属についての意 見は地質体毎に異なる. 4 .関東山地北縁ナップの構成 従来の「跡倉ナップ」の範囲は,次のようにまとめる ことができる. (1)三波川帯御荷鉾緑色岩類の構造的上位にのる跡倉層 からなるものを跡倉ナップ,さらにその上にのる金 勝山石英閃緑岩(異地性の花崗岩類を含む)を金勝 山ナップとして別のナップとし,両者をまとめて 「跡倉ナップ」とする見解 (小林・高木,1991) (2)跡倉ナップを金勝山石英閃緑岩および角閃岩類・ トーナル岩類,栃谷層(跡倉層),緑色岩メラン ジュのグループと寄居溶結凝灰岩類,寄居層のグ ループとに分け,全体を「跡倉ナップ」とする見解 (牧本・竹内,1992;埼玉総会中・古生界シンポジ ウム世話人会,1995). (1) は三波川帯御荷鉾緑色岩類の構造的上位にのる異 地性岩体群の一部分に限定している.(2) は比企丘陵の 花崗岩類を異地性岩体とせず,「跡倉ナップ」に含めて いない.このように研究者によって「跡倉ナップ」の範 囲が異なることから,混乱を避けるため記述の都度,範 囲を明確にする必要があるという不便さがある.そこ で,三波川帯御荷鉾緑色岩類の構造的上位にのるすべて の異地性岩体を「関東山地北縁ナップ」と再定義する. この再定義に伴い,関東山地北縁ナップのうち,寄居- 小川地域に分布するナップを「寄居ナップ」と名付け る.金沢地域の異地性岩体はほかの地域に比べて種類が 少なく分布面積は1/5以下である.中央構造線から離 れた位置にあるという観点からは,寄居ナップに含める べきかも知れない. 寄居ナップの構成は,これまでの多くの研究者の成果 をもとに,岩相,地質年代,帰属,推定される起源など を勘案して次の五つのグループに分けられる. 寄居ナップの構成地質体 1   領家花崗岩類(越畑花崗岩)・変成岩類(菫青石

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中央部から北に急激に沈み込み荒川付近で3,000mに達 する深度まで明瞭に観察されていることから,少なくと も比企丘陵,吉見丘陵を含む荒川までは三波川帯であ る. さらに,萩原他 (1999) により山中地溝帯の東方延長 部の推定に際して作成された関東山地東部の短波長重力 異常図においても,中央構造線は比企丘陵,吉見丘陵よ り北側に位置し,比企丘陵の基盤は三波川帯である. 以上から,比企丘陵の花崗岩類・変成岩類は北方から 移動してきたナップであるとする見解 (小坂,1978, 1979) が妥当である. (2)寄居溶結凝灰岩類 本岩体は,幅1km弱,長さ約 6kmで先第三系の帯状 構造WNW方向に狭長な分布を成す (第1図b).北東側 は,御荷鉾緑色岩類とN70°W・66°S,西南側は寄居層 礫岩と高角断層で接する (牧本・竹内,1992).小勝他 (1970) によって北東側の荒川左岸に御荷鉾緑色岩類と の境界にN25°W・33°Wの低角断層が報告されている. 著しい破砕,および中性からアルカリ性の210~220℃ の熱水変質を受けて初生鉱物は石英および黒雲母のごく 一部以外は緑れん石,緑泥石,イライトにほぼ完全に置 換された流紋岩質の溶結凝灰岩である (近重・小坂, 2000). 本岩体の形成年代についてはジルコンのFT年代59.6 ±2.8Maが得られており (竹内・牧本,1991),岩相から 西南日本内帯の白亜紀後期・古第三紀の火成活動を起源 とする流紋岩質溶結凝灰岩類であるという従来の見解 (山田他,1982) を裏づけている. 寄居溶結凝灰岩類は,関東山地北縁ナップ構成岩体の なかで最も若い地質体の可能性があり,その地質年代は 跡倉衝上断層の活動時期の下限を制約する意義をもつと されている (竹内・牧本,1991). 従って,熱水変質の 年代が分かれば,三波川帯に移動した時期はそれ以降と 考えることによりナップ形成時期の下限をさらに下げる (若くする)ことができる.そこで,熱水変質の履歴を 明確にするために寄居溶結凝灰岩類の産状,熱水により 生成した変質鉱物の同定および熱水温度の推定を行い, さらに熱水変質年代を推定するため寄居溶結凝灰岩類の K-Ar年代を測定した (近重・小坂,2000).全岩のK-Ar 年代58.0±2.9 Maはほぼ変質年代を示すと考えられる. 岩体形成の最終段階で熱水変質を受け,それ以降は K-Ar年代が若返るほどの熱水作用は受けていないこと が明らかになった (近重・小坂,2000). 以上から,寄居溶結凝灰岩類は西南日本内帯の後期白 亜紀・古第三紀酸性火成活動により形成され,その直後 ら推定された剪断のセンスは左ずれであるが,線構造の 方位はまちまちである (高木・長濱,1987).剪断歪の著 しいマイロナイトの線構造は剪断方向と一致するので, このような線構造の剪断方向との不一致はマイロナイト 形成後に生じたと考えられる.そのような変動をもたら した構造運動は,北方からのナップ形成に伴うものであ る可能性がある. マイロナイト化およびカタクラサイト化の強い部分が 中部地方と同様に南側 (外帯側) に集中していることか ら,マイロナイト形成時から現在までにこの岩体に対し てより南西側では変形作用が著しく,その変形をもたら した剪断帯の中心 (中央構造線) の位置がこの岩体の南 西側にあったことは明らかであるが,マイロナイト形成 後,新第三系が堆積するまでの間に比企丘陵に分布する 花崗岩体が北方から移動してきた可能性は否定できない としている (高木・長濱,1987). このように,比企丘陵の花崗岩類は原地性か異地性か については明確にされていない.原地性とする見解は, 比企丘陵の南西側に想定されている奈良梨断層が中央構 造線に相当するとする見解から導かれている. 関東山地北東縁部における中央構造線の位置について は,武井他 (1976) は比企丘陵の花崗岩体と三波川帯の 間を走るNW方向の奈良梨断層が中央構造線に相当する と考え,小坂 (1978,1979) は比企丘陵の花崗岩体は北方 から移動してきたクリッペであり,中央構造線の位置は それより北方を通るとした.矢島 (1981) は,三波川帯 の北縁部を中央構造線とみなし,比企丘陵・吉見丘陵よ り北方に中央構造線を想定している. 比企丘陵東方約5kmにある吉見丘陵の北西端部では ほぼ水平な断層を介して三波川変成岩類の上に片麻岩が のり,三波川変成岩類のガウジを伴う幅約3mの破砕帯 が存在することから (小坂,1979),三波川帯は比企丘陵 よりさらに北東まで存在し比企丘陵の花崗岩体の基盤は 三波川帯に属する岩石である可能性がある. 比企丘陵の花崗岩体の基盤については,先第三系基盤 に達した深層ボーリングの位置の地質データを示した重 力基盤図に描かれた推定地質構造図 (長谷川,1988) に よると,三波川帯は岩槻,松伏,流山以南であり,中央 構造線の推定位置は高重力域(70ミリガルの等重力線 域)を示す吉見丘陵の北東約5km以上離れた位置を通 ることから,比企丘陵の地下基盤も三波川帯であること は確実である. 埼玉県嵐山町から比企丘陵を横断して北上し荒川を越 え熊谷市に至る区間で反射法地震探査による地下構造が 調べられ (井川他,1998),基盤 (三波川帯) は比企丘陵

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川帯上で堆積した明らかな証拠はない. 以上のことから,寄居層は西南日本内帯で堆積し異地 性岩体として三波川帯上に移動してきた可能性は大きい といえるが,領家帯から三波川帯上に礫および砕屑物が 供給されて堆積し,その後に三波川帯上で移動した痕跡 が上記の低角断層である可能性も否定できない.また, 上盤の寄居層の北~北北西への移動 (小林,1995) は,西 南日本内帯起源と一見矛盾する.従って,寄居層の場合 は,三波川帯上,あるいは帯状に分布する先第三系上で は堆積しなかったという,すなわち異地性岩体であるこ とを新たな視点で検証する必要がある. 従来,地塊の回転の検出に古地磁気方位はよく用いら れてきた(Otofuji and Matsuda, 1983;Hyodo and Niitsuma, 1986;Takahashi and Watanabe, 1993など).しかし,異 地性が想定される岩体に適用して古地磁気的見地から異 地性を検証した研究例はない.本研究では,寄居層が異 地性岩体であることを古地磁気から検証することを試み た (近重,2000a). a. 残留磁化の測定 寄居層は堆積時の水平面が地層 の層理面で認定が容易であるため,初生残留磁化の復元 に不可欠な傾動補正を正確に行なうことができる.試料 は6サイトの寄居層細粒砂岩から採取した (近重,2000a, 第4 図).採取した57試料について,任意に選んだ 2 サ イトについては1 個のコア試料から 2 個の試料を作成 し,寄居層の堆積後に付加した二次磁化を除去し初生磁 化を検出する消磁法を選択するため,それぞれ段階熱消 磁,交番磁場消磁を行なった.その結果,高レベルの消 磁磁化強度まで段階的に直線状に消磁できる熱消磁を用 いることにした (近重,2000a,第 5 図).次に,各サイト 2 個の試料について,段階熱消磁によって磁化ベクトル のX,Y,Z成分が原点に向かう直線上にベクトル端がの る最小の消磁温度を求め,それより1 段高温の温度を最 適消磁温度とした.最後に,6 サイト,12個の各最適消 磁温度の中で最も高い温度を全試料の消磁温度400℃と した (近重,2000a,第 1 表).全試料57個をこの温度で 消磁し,磁化方位を求めた.その結果,寄居層の平均磁 化方位として偏角20.8°,伏角-46.0° (α95=5.6°,κ= 143.4)が得られた.地層の堆積時の初生磁化を求める ため,地層の姿勢を堆積時の姿勢に戻す傾動補正により 6 サイトの平均磁化方位の集中度が顕著に向上し, McElhinny (1964) の褶曲テストも合格であることから, 寄居層は褶曲前の堆積時の残留磁化を保持していると判 定される. b. 測定結果および考察 関東山地の回転と寄居層の古地磁気: 関東山地北部で に熱水変質を受け,58.0±2.9 Maまでは形成地に存在し たと考えられる.本岩体は破砕と熱水変質を受けた後に 北方から三波川帯の上に移動してきたクリッペであると いう見解 (小坂,1979,1987) が支持される.次項で述べ るように,寄居溶結凝灰岩類を礫として取り込んでいる 寄居層の年代が寄居溶結凝灰岩類とほぼ同じ年代であ る.従って,両者はそれらの形成地から同一の時期に移 動し三波川帯に到達した可能性が考えられる.その時期 は58.0±2.9 Ma以降,かつ,寄居層が堆積・固化した以 降ということになる. 両者は現在三波川帯に隣接して 存在するに至るまでの間,同一の構造運動を受けてきた ものと推定される (近重・小坂,2000). (3)寄居層  寄居層の地質時代は白亜紀末-暁新世であることと (cf. § 3),寄居層に含まれる礫種(溶結凝灰岩,石英斑 岩,花崗斑岩,チャート,砂岩,花崗岩,アプライト; 渡部他,1950;小勝他,1970;牧本・竹内,1992) のほと んどは西南日本内帯の白亜紀・古第三紀火成活動の産物 であり,チャート,砂岩は領家帯変成岩の構成岩であっ て,いずれも三波川帯には含まれていない岩石であるこ とから,寄居層が西南日本内帯で堆積し,異地性岩体と して三波川帯上に移動してきた可能性が考えられる. 小林 (1995) は,寄居層の砂岩が御荷鉾緑色岩類と接 する低角断層 (小勝他,1970;小坂,1979;牧本・竹内, 1992) について,断層ガウジの小構造解析から剪断方向 を調べ,下盤に対して上盤の寄居層は北~北北西へ移動 したとしている.この方向は,西南日本内帯へ向かう方 向であり,上記の見解とは矛盾する.断層岩の構造解析 による移動方向の推定は,古い時代の断層運動の証拠は より新しい時代の断層運動によって消去されるため,断 層運動のステージが識別できる場合以外は最終段階の移 動方向と考えざるを得ない.従って,ナップの初生の移 動方向は断層岩の構造解析のほかに岩相,基盤に対する 地質年代,変成度,熱水変質の相違などを考慮して総合 的に推定する必要がある.上記の低角断層はナップ移動 時の基底断層ではないと判断される.従って,寄居層の 場合,初生の移動方向の問題以前にナップであったかど うか自体が明確ではないことになる. 当地域の三波川帯は御荷鉾緑色岩類を含めて低変成度 の緑泥石帯に属し (牧本・竹内,1992),関東山地北縁の 緑泥石帯の白雲母のK-Ar年代は84~72 Maであること から (平島他,1992),寄居層の堆積した65~60 Ma頃に は三波川帯は地表に露出していたとすれば,寄居層は三 波川帯上で堆積した可能性はあると言えるが,寄居層は 三波川帯の岩石を礫として含んでいない.寄居層が三波

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緯度で約7.5°,距離にして約850 km南方に位置していた ということである.笹嶋・島田 (1966) によると,西南 日本内帯における現在の基準点の緯度34.5°Nに対して, 古第三紀の古地理学的位置を30.0~30.4°N,白亜紀を 26.6~29.1°Nと見積もっている.また,白亜紀後期の和 泉層群について古地磁気伏角から計算される古緯度を 31 °±5°N (現在の緯度34°N) としていること (小玉, 1990) を考慮しても,矛盾した古緯度ではない. このことは,寄居層が堆積した65~60Ma頃には,領 家帯は現在より約850 km南方に位置していたことを意 味する.寄居層がナップを形成して中央構造線の海洋側 に移動した時期を後述するように50Ma前後以降とし, 高木・柴田 (2000) による100~30Maにおける800 kmを 超えないとする総変位量のうち53~30Maに約370 kmが 見積もられていることから,寄居層の50Ma前後以降の 変位量はおおよそ約370kmとすると,寄居層が堆積し た 領 家 帯 は 約65Maか ら50Ma前 後 に か け て 約480 km (=850km-370km) 北上したことになる.また,65Ma 以前の中央構造線の変位量を山北・大藤 (2000) による 白亜紀後期の90~65Maの変位量約500 kmと, 74~53Ma は秩父盆地の下部中新統の上部 (15~16Ma),主に小鹿 野町層群と秩父町層群について古地磁気磁化方位が測定 され,偏角93.7°,伏角52.7° (α95= 8.3°) が得られてお り,関東山地の中期中新世以降約94°時計回り回転運動 の根拠となっている (兵頭,1986;Hyodo and Niitsuma, 1986).寄居層を不整合に覆う松山層群の最下部小園層 を整合に覆う荒川層が秩父盆地の小鹿野町層群と秩父町 層群に対比されている (牧本・竹内,1992)ことから,関 東山地が約94°時計回り回転した際に秩父盆地の小鹿野 町層群・秩父町層群とともに松山層群の小園層・荒川 層,さらには先第三系の帯状構造をなす三波川帯も同じ ように回転し,寄居層も約94°時計回りに回転したと考 えられる. 従って,関東山地の回転以前に寄居層が先第三系の基 盤(三波川帯御荷鉾緑色岩類)上に堆積した現地性の岩 体であるとすれば約94°に近い時計回りの偏角を示すこ とになるが,実測された残留磁化の偏角20.8°とは約73° の差がある.この結果は寄居層が反時計回りに約73°回 転していたことを示しているが,15 Ma以前に先第三系 の基盤とともに寄居層が約73°反時計回りに回転する造 構運動は先第三系の帯状構造からみて考えられず,寄居 層が異地性の地質体として,回転したと考えざるを得な い(第2 図). 寄居層の残留磁化方位のテクトニックな意義:寄居層 のハイマートについては,先に述べた寄居層のFT年代 と堆積時代,寄居層に含まれる礫種から,西南日本内帯 で堆積し,異地性岩体として三波川帯上に移動してきた と考えられる. すなわち,寄居層は三波川帯の北限をなしている中央 構造線の北方で白亜紀後期-古第三紀暁新世に堆積した 以降,日本海の開裂・拡大(Otofuji and Matsuda, 1983 ; Niitsuma, 1988 ; Jolivet et al., 1994)する以前,中新統松 山層群小園層・荒川層 (牧本・竹内,1992),小鹿野町 層 群・ 秩 父 町 層 群 ( 兵 頭,1986 ; Hyodo and Niitsuma, 1986)が堆積する以前に三波川帯の上に移動して定置 し,移動の過程で約73°反時計回りに回転したと考えら れる. 寄居層の古緯度:寄居層の古地磁気は正磁極に換算す る と 偏 角20.8°,伏角46.0° I=46.0°,D=20.8°,α95= 5.6°に対応する古地磁気北極の位置は70.5°N,260.0°E, A95 (dm=5.5°,dp=3.6°) である.この平均伏角から計 算で得られる古緯度は28.5°±6.6°Nであり現在の寄居層 の位置する緯度36°05′ Nと有意な差がある.寄居層の堆 積した緯度は現在より南であったことになる. この解釈として,寄居層の堆積した領家帯は現在より 第2 図  古第三系・寄居層と秩父盆地・中新統の古地磁気

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西部の領家帯においてTagami et al. (1988) はジルコン と ア パ タ イ ト のFT年代と閉鎖温度から58~54 Maに 30℃/Maの急速な冷却速度を得ている(第 3 図).ま た,この古第三紀初期における領家帯の急速な冷却・上 昇は太平洋プレートがユーラシアプレートの東縁に位置 した西南日本に対して直交する方向の沈み込みによる圧 縮応力場の形成にあるとし,53 Maには太平洋プレート が北方に沈み込みの方向を変え領家帯の上昇は緩やかに なったとしている.さらに,柴田・高木 (1988) による と中部地方の領家帯において角閃石,黒雲母,カリ長石 のK-Ar年代と各鉱物のK-Ar系における閉鎖温度から花 崗岩類の平均冷却速度27~28℃/Maが得られており (第3 図),この冷却速度がそのまま削剥レベル (20℃) まで適用できるとすると,領家帯の花崗岩類が削剥レベ ルに達したのは55 Ma前後となるが,柴田他 (1988) で 議論されているようにカリ長石の閉鎖温度 (150℃) に達 した以降は冷却速度が緩やかになり地表に達したのはそ れより若い年代である可能性は残されている. 四国中部三波川帯の別子ユニット上に久万ユニットお よび別子ユニット由来の礫を含む久万層群が約45~50 における変位量を微量として (高木・柴田,2000),上記 の53~30Maの約370 kmを加えると約870 kmとなる.こ の値は,高木・柴田 (2000) による100~30 Maにおける 800 kmを超えないとする総変位量と大きく矛盾した値 ではない. 5.1.2 領家ナップの形成 領家帯で形成された岩体である領家花崗岩類・変成岩 類,寄居溶結凝灰岩類,寄居層が,ナップを形成して三 波川帯に衝上するに至る過程を考察する. (1) 領家帯南縁部における領家帯構成岩類の三波川帯 への衝上運動 中部地方の領家帯南縁部では非・弱変成堆積岩,白亜 紀火山岩,領家新期花崗岩からなるパイルナップが三波 川帯の上にのり (大友,1990),紀伊半島でも上部白亜系 和泉層群が三波川変成岩上にのり (吉川他,1987),四国 東部で和泉層群が三波川変成岩上にのり(伊藤他, 1993),四国西部で和泉層群が三波川変成岩に衝上し (竹下,1993),九州では上部白亜系大野川層群が三波川 帯にナップでのる (山北他,1995).関東山地北東縁部の 比企丘陵に領家花崗岩類が存在し,さらに中部地方領家 帯の左ずれの剪断帯の東方延長の存在が明らかになって いる (cf. 5.1.1 (1)).また,これらの領家帯構成岩類は北 方からのナップ (小坂,1978,1979;矢島,1981) である とする考えがある. このように関東山地から九州にかけて領家帯の花崗岩 類・変成岩類が三波川帯の構造的上位にナップとして存 在することから,日本海形成以前の白亜紀後期以降のあ る時期に西南日本内帯と外帯の間にナップを形成する造 構作用が働いたと考えられる. 中部地方の領家帯では,変成岩類・古期花崗岩類・新 期花崗岩類からのK-Ar年代およびRb-Sr鉱物年代(主 に黒雲母)が一様に60 Ma前後を示すことから,これら は冷却年代であり,領家南縁剪断帯の構造的上位に定置 した古期花崗岩が新期花崗岩の貫入後に大きく上昇し, より表層の非変成堆積岩や流紋岩質火砕岩など地下浅所 にあった岩石とともにパイルナップを形成して最後に三 波川帯に衝上した (Ohtomo,1993;大友,1996) とされ る. (2)領家帯・三波川帯の冷却・上昇史 領家帯のナップの三波川帯への衝上運動に関連する領 家帯・三波川帯の冷却史・上昇史について,Shinjoe and Tagami (1994) が四国中部三波川帯の構造的上部にある 別子ユニットは約80 Ma以降10℃/Maの冷却速度を信 頼できる値としているのに対して,中部地方,紀伊半島 第3 図 領家帯・三波川帯の冷却速度と海洋プレートの 沈み込みの方向        MTL:中央構造線.*1 Tagami et al. (1988) *2 柴田・高木(1988) *3 Takasu and Dallmeyer (1990).海洋プレートの沈み込みの方向 はMaruyama and Seno (1986)による.

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は完了していたとしている. 従って,74~53 Maに太平洋プレートが中央構造線に 対する79°左斜め方向の沈み込みによって形成された横 ずれ圧縮場における変形は,中央構造線にほぼ直交する 圧縮成分と中央構造線にほぼ平行な横ずれ成分とに分配 されていたと考えられる.また,この中央構造線にほぼ 直交する圧縮成分は上盤側の地殻の短縮をもたらし,領 家帯のパイルナップ (Ohtomo,1993;大友,1996) を三 波川帯に衝上させる駆動源であると考えられる.その衝 上の方向は中央構造線にほぼ直交ないしわずかに時計回 りに斜交する方向であったと考えられる. 領家南縁剪断帯の構造的上位に定置した古期花崗岩が 新期花崗岩の貫入後に大きく上昇し,より表層の非変成 堆積岩や流紋岩質火砕岩など地下浅所にあった岩石とと もにパイルナップを形成した時期として,領家帯が急速 に上昇しアパタイトの閉鎖温度に到達した58~54 Ma (Tagami et al., 1988) とすると,領家帯のパイルナップ が三波川帯に衝上した時期は,54 Ma以降である可能性 が考えられる. (5) 53 Ma 前後における太平洋プレートの沈み込み方 向の変化による横ずれ圧縮場への影響 太平洋プレートの沈み込み方向は53 Maを境に時計回 りに45°変化し中央構造線に対して34°左斜めに変わっ た.従って,左横ずれ圧縮場における変形に対する圧縮 成分と横ずれ成分の分配が変わり, 53 Ma以前に比べて 横ずれ成分の分配が大きくなったと考えられる.53 Ma 前後には領家帯は削剥レベルに達し,三波川帯も地表近 くまで上昇していたと考えられる (cf. 5.1.2 (2)) ことか ら,地表近くにおいて中角~低角度北傾斜の初生形態の 中央構造線 (島田他,1998) を介して上盤の領家帯と下 盤の三波川帯は相対的に左横ずれの運動が大きくなった と考えられる. 従って,領家帯のパイルナップが三波川帯に衝上した 時期が54 Ma以降であるとするならば,太平洋プレート の沈み込み方向が53 Maに変化し左横ずれ圧縮場におけ る横ずれ成分の分配が漸移的に大きくなったと考えられ るので,領家帯のパイルナップが上記の初生形態の中央 構造線を経て三波川帯に衝上する際に下盤の三波川帯の 横ずれ方向の移動に引きずられて反時計回りに回転する 地塊が発生した可能性が考えられる.しかしながら,地 塊の回転については,圧縮場での右 (左) 横ずれ断層運 動の場合に反時計 (時計) 回りの回転が生じるという見 解もある (Martel et al., 1988).90~20 Maの中部地方で は,中央構造線は構造線近傍の左横ずれ延性剪断帯の活 動から構造線のごく近傍および構造線自体に重なる脆性 Maに不整合に堆積した (Takasu and Dallmeyer,1992) こ

とから,約50 Maには削剥レベルにあったと考えられる. 西南日本の三波川・領家変成岩類の年代値がいずれも 東に向って若くなる傾向がある (木下・伊藤,1986) こ とを考慮しても,58~54 Maに中部地方の領家帯は三波 川帯に比べて急速に上昇し55 Ma前後以降に削剥レベル に達したのに対し,三波川帯は緩やかに上昇して削剥レ ベルに達したのは50 Ma以降であろうと推測される. (3) 白亜紀以降の海洋プレートの西南日本への沈み込 み方向の変遷

Maruyama and Seno (1986) によれば,中新世に日本 海が開くまでユーラシア大陸の東縁部に位置していた西 南日本では次のように沈み込み方向と速度の変遷を経て いる: イザナギプレート 100~85 Ma, N24°W, 23.5cm/y クラプレート  85~74 Ma, S88°W, 20.2 cm/y 太平洋プレート  74~53 Ma, N49°W, 10.4cm/y  53~48 Ma, N 4°W, 8.9cm/y  48~43 Ma, N24°W, 7.1cm/y  43~37 Ma, N60°W, 5.8cm/y  37~ 0 Ma, N77°W, 10.6cm/y 次に,白亜紀・古第三紀における中央構造線の走向 を,西南日本の時計方向の回転47°と現在の中央構造線 の 走 向 (平均N77°E) から復元したN30°E (木下・伊 藤,1986) として中央構造線に対する海洋プレートの沈 み込む角度を求めると: イザナギプレート 100~85 Ma 54°左斜め クラプレート  85~74 Ma 58°右斜め 太平洋プレート  74~53 Ma 79°左斜め  53~48 Ma 34°左斜め  48~43 Ma 54°左斜め  43~37 Ma 90°左斜め  37~ 0 Ma 73°右斜め となる. (4) 海洋プレートの沈み込みによる横ずれ圧縮場にお ける変形の分配 島田他 (1998) はプレートの斜め収束領域における横 ずれ圧縮変形 (Harland, 1971 ; Sanderson and Marchini, 1984) に注目し,紀伊半島東部,領家帯南縁部における 左横ずれ圧縮場による延性剪断帯と褶曲構造形成の関係 から地質構造発達を検討し,左横ずれ圧縮場での変形 が,横ずれ成分としての延性剪断帯の形成と中央構造線 と高角な方向の圧縮成分としての褶曲構造の形成とに分 配されたとしている.また,マイロナイト化と褶曲構造 形成の時期を約74~67 Maとし,約66 Maには褶曲形成

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ものと考えられる. 寄居層の古地磁気の観点から推定すると,寄居層が堆 積した時に獲得した双極子磁場による残留磁化の偏角は (正帯磁に変換してほぼ0°),三波川帯に衝上し定置し た時期に反時計回りに約73°回転し,それ以降西南日本 の約47°時計回り,関東山地のみの約47°時計回りの回 転を経て現在地での約21 (=-73+47+47)°の偏角を 示すことになる(第2 図). 本研究では,寄居層の岩相,堆積年代,さらに太平洋 プレートの沈み込み方向の変遷と中央構造線近傍の左横 ずれ圧縮場での変形の左横ずれ成分と圧縮成分の分配か ら推定される造構場における,寄居層を最上位にのせる ナップの挙動から,測定で得られた寄居層の古地磁気の 磁化方位の変動を解釈し,寄居層の形成から現在に至る 移動過程を推定した. 以上のように,比企丘陵の白亜紀後期・古第三紀花崗 岩類,寄居溶結凝灰岩類,寄居層は,領家帯に起源を持 ち,北方 (西方) から三波川帯へと移動し,現在は三波 川帯上に定置するパイルナップである,と考えられる. 5.2 金勝山ナップ 5.2.1 金勝山石英閃緑岩の異地性の検証 (1) 金勝山石英閃緑岩の分布と岩相 寄居町南方の車山(標高226.8m),山居地区の209m ピーク,車山南東方向約4kmの小川町金勝山(標高 263.9m),さらに南東約3.5 kmの小川町富士山(標高 183.2m)のように比較的標高の高い場所に分布する. 北東側は寄居層と高角断層で接し,南西側は緑色岩メラ ンジュあるいは栃谷層と高角断層で接するWNW方向に 約10 km,幅約 2kmの岩体である.小川町木呂子地区 では三波川帯御荷鉾緑色岩類が地窓状に露出し,車山お よび山居地区の石英閃緑岩は周囲が三波川帯御荷鉾緑色 岩類に取り囲まれる分布をしている. 石英閃緑岩に伴うホルンフェルスが小川町木部から勝 呂にかけて,石英閃緑岩および栃谷層と断層で接してわ ずかに分布する (牧本・竹内,1992). 本岩体は中粒・粗粒石英閃緑岩を主とし一部はトーナ ル岩で金勝山周辺では花崗岩質のぺグマナイトの岩脈に 貫かれ岩体全体が破砕されている.普通角閃石の配列に よる面構造が発達する.主に斜長石,普通角閃石,石 英,黒雲母,燐灰石,磁鉄鉱,緑泥石,緑れん石,白雲 母,ぶどう石,パンペリー石を含み,石英は多結晶化し ている (高木・藤森,1989;牧本・竹内,1992). (2)金勝山石英閃緑岩の基底断層 金勝山石英閃緑岩体が三波川帯の上にナップをなす証 剪断の活動まで続いた左横ずれ断層であり,ほぼ20 Ma には活動を終息したとされることから (柴田・高木, 1988),この地域で20 Maに右横ずれの活動を示す剪断 構造を検出したという報告 (田中・原,1990) があるも のの,一般的には中央構造線は20 Ma頃までは左横ずれ であつたと考えられる.また,Tagami et al. (1988) はア パタイトのFT年代から17 Maが中部地方西部の左横ず れ断層の最後の活動期であったとしていることを考慮す ると,中央構造線は寄居層が西南日本とともに47°時計 回りに回転する16~15 Maまでの間左横ずれの断層運動 をしたと考えられ,この間圧縮場にあったとすると時計 回りの地塊回転をすると考えられる.左横ずれ伸長場の 場合反時計回りの地塊回転はありうるが,海洋プレート が沈み込む前弧域にある中央構造線近傍が伸長場になる ことは考えにくい. しかし,海洋プレートが右斜めに沈み込む時期はクラ プレートの85~74 Ma,太平洋プレートの37~30 Maが あり,この時期に中央構造線が右横ずれ運動をした可能 性が考えられる.年代からみて,寄居層は,37~30 Ma に中央構造線を経て三波川帯に衝上し,その間に約73° 反時計回りに回転した可能性がある.しかし,いずれか を決めるのに有効な知見は得られていない. 寄居層の形成時期 (65~60Ma) から三波川帯に衝上す る時期にわたる間における西南日本の造構環境からみ て,寄居層はユーラシア大陸の東縁部の西南日本内帯に 堆積し,74~53 Maにおける太平洋プレートの中央構造 線に対する79°というほぼ直交する圧縮場の下で,58~ 54 Maの領家帯の急速な上昇 (cf. 5.1.2 (2)) に引き続い て,三波川帯に衝上したと考えられる.太平洋プレート は53 Maを境に横ずれ成分が大きくなる方向に沈み込み 方向が変化し,53 Ma前後に領家帯のパイルナップが中 央構造線を経て三波川帯に衝上した時期に,寄居層も反 時計回りに回転しながら三波川帯に衝上し定置したと考 えられる. 小林 (1995) は寄居層と御荷鉾緑色岩類とが接する低 角断層を関東山地北縁の下仁田地域から藤岡地域まで連 続 す る 牛 伏 山 断 層( 鏑 川 団 体 研 究 グ ル ー プ,1985, 1990) の東方延長とみなし,断層ガウジの小構造解析か ら上盤の寄居層は牛伏山断層の運動像と同様の北~北北 西への移動を示すとしている.さらに,牛伏山断層は低 角正断層であること (小林,1992) が示されており,活動 時期も中期中新世から後期中新世が考えられている (埼 玉総会中・古生界シンポジウム世話人会,1995)。これ らの現在識別される寄居層の低角断層は寄居層が三波川 帯に衝上し定置したときの衝上断層に沿って再活動した

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(2000) によれば,薄衣花崗岩礫のK-Ar年代 (角閃石, 262±9Ma,276±9Ma,242±9Ma;黒雲母,225±7Ma (柴田他, 1979)),および薄衣花崗岩礫の層準がCapita-nianに対比され最近の放射年代資料によればCapitanian の上限は264 Maと253 Maの間にあることから,金勝山 石英閃緑岩の年代値 (251~252Ma) は薄衣花崗岩礫の層 準 (Capitanian) より若い年代を示し,金勝山石英閃緑岩 は必ずしも薄衣花崗岩礫に対比されるわけではないとし ている. さらに,ぺルム系薄衣式花崗岩礫は九州から四国にか けての黒瀬川帯に存在し (吉倉,1982),黒瀬川帯の花崗 岩類から供給されたという見解もあるが (清水他,1998), これまでのところ250Ma頃のぺルム紀の花崗岩類は黒 瀬川帯には知られていない.薄衣式花崗岩礫は,南部北 上 帯 で はSrI:0.7042~0.7047, 角 閃 石K-Ar年 代242~ 276Ma, 黒 瀬 川 帯 で は 四 国 で ジ ル コ ン のU-Pb年 代 276,250 Ma ( 土 居 層 ) (Hada et al., 2000), 九 州 で は Rb-Sr同位体のアイソクロン年代253 Ma,SrI:0.7055 (清水他,1998) が得られており,両者は岩石化学的に酷 似する.このことから,薄衣式花崗岩礫の供給源は南部 北上帯,黒瀬川帯に共通したぺルム紀花崗岩類をもたら した火成活動による可能性が大きい. 現在,ぺルム紀花崗岩類が存在するのは関東山地金勝 山石英閃緑岩 (小野,1983;高木・藤森,1989),赤石山 地兵越花崗岩 (柴田他,1993;高木・柴田,1996),九州 東部臼杵川石英閃緑岩 (高木他,1997) であり,いずれも SrI:0.704前後,K-Ar年代250~270Maの年代を示し同 様の岩石化学的性質を示す.小林他 (2000) は,ぺルム 紀薄衣式花崗岩礫の供給源は未成熟な海洋性島弧もしく はそれを含む大陸縁辺部であった可能性が高いとしてい る.ぺルム紀花崗岩類についても大陸縁辺部における火 成活動にその起源を求めるのが妥当である. 田沢 (2000) によると,飛騨外縁帯,南部北上帯,黒 瀬川帯はオルドビス紀初期に大陸縁辺の沈み込み帯で誕 生し,石炭紀・ぺルム紀は浅海域の大陸棚で発達し,こ の3帯の層相と化石相の広域的な比較から砕屑岩を主体 とし火山岩類に富む中朝地塊で形成された地質体と推定 され,オルドビス~デボン系が形成された沈み込み帯も 中朝地塊縁辺に推定され,さらにぺルム紀紡錘虫・腕足 類フォーナの検討からぺルム紀には中朝地塊が北半球中 緯度地域にあったと推定されている.また,飛騨外縁 帯,南部北上帯,黒瀬川帯の3 帯はぺルム紀紡錘虫・腕 足類とジュラ紀後期~白亜紀前期植物の古生物学的検討 からぺルム紀~ジュラ紀には北から南へ飛騨外縁帯-南 部北上帯-黒瀬川帯の順序で1 列に配列していたと考え 拠となる低角断層の露頭は現時点では認められないが, なだらかな三波川帯の岩石の分布域の地形的に突出した 部分に分布し (車山,山居岩体)(小坂,1978;平島, 1984),石英閃緑岩体中の地形の低い部分に三波川帯の 岩石が地窓状に分布し(木呂子地区),その東側の沢底 に沿って石英閃緑岩のガウジ化した部分が存在する (高 木・藤森,1989) ことから,石英閃緑岩体は三波川帯の 上にナップをなすと考えられる (小坂,1978,1979;高 木・藤森,1989).さらに,石英閃緑岩には下盤の三波 川帯の岩石に認められる地表付近での断層角礫・断層ガ ウジの破砕以外にカクレーサイトや地下のある程度の深 所での変形で生じたマイロナイトの存在といった破砕様 式の相違 (小坂,1978,1979),石英閃緑岩はぶどう石- パンペリー石相の変成作用を受けているのに対して下盤 の三波川帯の岩石は受けていないといった変成相の相違 (平島,1984)からも,石英閃緑岩体は三波川帯の上に ナップをなすと考えられる (小坂,1978,1979;平島, 1984). 石英閃緑岩体のナップ形成時の移動方向は,寄居-小 川地域では基底断層の露頭がないため求められていない が,金沢地域の石英閃緑岩分布域において跡倉層との境 界断層が記載されている.上盤側の石英閃緑岩がホルン フェルスを挟んで下盤側の跡倉層と低角断層(N56°E~ N74°E,18°~30°S) で接し断層面の条線の方向はSW~ W,沈下角10 °以下,断層破砕帯に認められるP面,R1 面から上盤がSW方向へ移動した運動のセンスが想定さ れている (高木・藤森,1989).新井他 (2000) は,下仁 田地域の石英閃緑岩に貫かれるホルンフェルスが跡倉層 砂岩上をほぼ水平な断層を挟んで南南西~南西の剪断セ ンスを示し,金沢地域とほとんど一致する移動方向を報 告している.下仁田地域,金沢地域,寄居-小川地域の 石英閃緑岩は鉱物組成や全岩および角閃石の化学組成が 一致することから,3 地域の岩体は元来は1つの大きな 岩体であったと考えられている (高木・藤森,1989). 従って,石英閃緑岩体が栃谷層上をSW方向へ移動した ことは確かである. 5.2.2 金勝山ナップの起源 石英閃緑岩の起源については,南部北上帯の薄衣礫岩 中の花崗岩礫に対比されている (cf. 2.3).しかし,薄衣 礫岩中の花崗岩礫の供給源については,南部北上帯中に ぺルム紀の花崗岩体は知られていない.薄衣花崗岩礫が 堆積学的見地から,南部北上帯の西~南方に位置する南 部北上帯とは異なった地帯の火成弧から供給されたとい う見解がある (吉田他,1994;吉田,2000).また,永広

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した(以下,寄居変成岩と呼ぶ).なお,寄居層に近接 する三波川変成岩類内部に角閃岩,寄居層と三波川変成 岩類に挟まれて角閃岩・片麻岩が狭長に分布するので (小野,1990),ここではそれらを折原岩体と名づける. 寄 居 変 成 岩 の 花 崗 岩 類 の 角 閃 石K-Ar年 代 は92~ 113Maの値が得られている(高木他,1989;小野,1990). また,SrI値として0.7052が得られている (柴田・高木, 1989).折原岩体の角閃石K-Ar年代は109Maが得られ ている (小野,1990).寄居変成岩の花崗岩類は変成岩に 密接に伴われるので,寄居変成岩の角閃石K-Ar年代範 囲は92~112Maとなり,関東山地北縁部の領家花崗岩 類(平滑花崗岩,非持型花崗岩)で求められた黒雲母 K-Ar年代62~64Ma(高木他,1989), SrI値0.7079~0.7097 (柴田・高木,1989) とは明瞭に異なり,領家帯に帰属を 求めることは無理である.一方,寄居変成岩・折原岩体 は阿武隈帯の竹貫変成岩に対比されている (柴田・高 木,1989;小野,1990).阿武隈帯の変成岩に伴われる花 崗岩類も角閃石K-Ar年代は96~119Ma(柴田・内海, 1983)とSrI値0.7047~0.7058 (Shibata and Ishihara, 1979) に一致することから,寄居変成岩は阿武隈帯と共通の起 源を持つ可能性が大きい. 寄居変成岩・折原岩体に属する小岩体は,周囲の地質 体とは高角の断層で境され構造岩塊(テクトニック・ブ ロック)と考えられている (小野,2000).寄居変成岩の 放射年代92~113Maからみて,異地性の岩体であること は明らかである. られている(第4 図). このようなぺルム紀~ジュラ紀において北から南へ飛 騨外縁帯-南部北上帯-黒瀬川帯の順序で1 列に並ぶ配 列が,現在みられるような内帯に飛騨外縁帯,外帯の北 側に南部北上帯,その南側に黒瀬川帯が並ぶ配置に改変 される過程として白亜紀以降の左横ずれ運動が想定され ている (田沢,2000). 以上から,南部北上帯薄衣礫岩花崗岩礫に対比されて いる金勝山ナップの石英閃緑岩は,ぺルム紀の大陸縁辺 部における火成活動に伴って付加体コンプレックスに貫 入した火成岩であった可能性が高い. 5.3 阿武隈ナップ 寄居-小川地域には,阿武隈帯に帰属するとされる白 亜紀前期の花崗岩類・変成岩類の小岩体が点在する(cf. 2.4) (第5 図):① ② ざくろ石角閃岩 (折原岩体 (小野, 1990),④ 寄居層と金勝山石英閃緑岩の高角境界断層の 金勝山石英閃緑岩側に砂質片麻岩・ざくろ石片麻岩 (金 勝山岩体;高木・藤森,1989),⑥ 寄居溶結凝灰岩類の 北側三波川変成岩類内部にざくろ石片麻岩・角閃岩・片 麻状石英閃緑岩・石灰岩の複合岩体(牟礼岩体;端山・ 比企団体研究グループ,1985),③ 金勝山石英閃緑岩分 布域の東方三波川変成岩類内部に片麻状石英閃緑岩・泥 質片麻状岩・角閃岩・石灰岩の複合岩体(中高谷岩体; 小野,1990) の小分布が点在する.高木 (1991) は,三波 川変成岩類の上位に点在するこれらの変成岩類と下仁田 地域・金沢地域の変成岩類を一括して寄居変成岩と命名 第4 図  日本列島前期白亜紀における飛騨外縁帯 (HG),南部北上帯 (SK),黒瀬川帯 (KU) 矢印は左横ずれ運動の方向を示す(田沢 (2000) から引用.ⓒ日本地質学会).

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対して上盤の栃谷層礫岩が北への剪断センスを示す基底 断層が存在する.この衝上断層は脆性領域の変形特性を 示す. (4)従来から跡倉相当層とされナップである栃谷層 が,岩相,後背地の地質,押し被せ褶曲のフェルゲンツ のいずれにおいても模式地の跡倉層と異なることが明ら かになった.上部白亜系から成るナップについては,従 来から考えられてきた跡倉層からなるナップとは別の性 格を有する栃谷層からなるナップ(「栃谷ナップ」)の 存在を考える必要がある. 以上の結果に基づいて,栃谷層の構造発達の一つのモ デルを第6 図に示す. 5.4.2 栃谷ナップの起源 前述の結果から,栃谷層は北方からのタービダイトを 主とする砕屑岩により堆積層を形成した後に北方への押 し被せ褶曲によりナップを形成し,さらに基底断層によ り北に移動した異地性岩体であることが明らかになっ 5.4 栃谷ナップ 5.4.1 栃谷層における異地性の検証 寄居町山居地区採石場,寄居町五ノ坪地区の五の坪川 において栃谷層を調査し,層序・岩相および地質構造 (褶曲・断層)を記載し,栃谷層の堆積環境,押し被せ 褶曲,衝上断層に関する考察に基づいて,次の結論を得 た(詳しくは,近重 (2000b) 参照). (1)栃谷層は,下位から礫岩層,砂岩層,砂岩泥岩互 層へと漸移する.礫岩層はプロトマイロナイト化した花 崗岩の礫を含む.延性剪断帯を含む後背地から供給され た砕屑物がNE→SW方向の古流向により運搬され,大 陸斜面から深海底面にかけてタービダイトとして堆積し た. (2)栃谷層は,軸面が低~中角度の南傾斜の北フェル ゲンツを示す転倒褶曲と正立褶曲(正立背斜・正立向 斜)が共存する構造をなし,転倒褶曲,正立褶曲の軸は ほぼE-W方向を示す. (3)栃谷層分布域の北限に,下盤の御荷鉾緑色岩類に 第5 図  関東山地寄居-小川地域異地性小岩体の位置 (小野 (2000) により記載されたテクトニック・ブロック. 1 と 2 は変成岩体,3 はペルム紀変成岩体,4 は砂質片麻岩体,5 はチャート岩 体,6 は片麻岩体である.谷津から金勝山にかけての地質断面を最下部に示す.高度は任意スケールである)(小野 (2000) から試料採取地 点 (×印) を消して引用.ⓒ日本地質学会)

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の玄武岩・蛇紋岩の噴出・貫入は堆積盆南縁で左横ずれ 断層の活動により生じ,左横ずれ断層の活動に伴うプル アパート堆積盆 と考えられている (久田,1994) ことか ら,関東山地に白亜期前期に左横ずれ断層が活動したこ とは明らかである. この断層は,山北・大藤 (2000) の提起した白亜期前 期および白亜期後期のアジア大陸東縁にそれぞれ数百 km以上の変位量をもつ左横すべり断層系-黒瀬川断層 系と中央構造線断層系-のうち黒瀬川断層系に相当する と考えられる.なお,黒瀬川断層系と中央構造線断層系 は一部では重複しており,二つの時期に分かれて活動し た一連の断層系ととらえ中央構造線-黒瀬川断層系と呼 ばれている (山北・大藤,2000). また,関東山地北縁の跡倉層および栃谷層は三波川帯 た.栃谷層は現在では三波川帯の上に定置しているが, 栃谷層が形成された白亜紀後期のTuronian~Campanian (およそ90~74Ma) には三波川変成岩類は地表に露出し ておらず (cf. 5.1.2 (2)),ジュラ紀・白亜紀前期の付加 体(秩父帯)が露出していた(秩父帯北帯は緑泥石帯の 三波川変成作用を受けK-Ar年代117 Ma;平島他,1992) ことから秩父帯で堆積した可能性が高い. 関東山地北部には,下部白亜系山中層群と上部白亜系 跡倉層・栃谷層が先第三系の帯状配列にほぼ平行に分布 している(第1 図).秩父帯北帯と南帯の間に山中層群 が堆積し,蛇紋岩の分布状態から南縁境界に左横ずれ断 層が認定されており (久田他,1987),さらに南縁の蛇紋 岩の貫入,緑色岩 (玄武岩) の噴出の時期として全岩の K-Ar年代約120 Maが知られている (石田他,1992).こ 第6 図  栃谷層の構造発達模式図 (a)~(e)は栃谷層の構造発達の順序を示すモデルの一例.

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