公開コピー誌
偏差値
30
からのアメリカ独り
旅
暗黒通信団
注:これは9.11以前の旅行記です前書き
「アメリカ」という文字列を見て「あぁ、ありきたりでつまらん」と 思った人がいたかも知れない。「アメリカなんて既に大量の日本人が 行っていて、もう語り尽くされていて、今更お前に何がいえるという のだ」と思った貴方、あなたの発想は根本的に違う。なぜなら、本書 はそもそも旅行解説書ではないのだ。観光の見所や裏技を知りたい のであれば市販の実用系観光ガイドを買って読むべし。 本書は冒険記である。アメリカという世界を知っていれば知って いるほど楽しめるファンタジーのお話だと思えばいい。通常のお話 と違うのは、元ネタが現実に存在するという一点である。残念なこと に、本書にはドラゴンもホビットも出てこないが、そうかといってこ こに書かれた冒険はそうそう誰でも体験できるものでもない。 あなたは英語という科目が得意であろうか? 得意ならば何も問題 はない。だが、もし何かの理由で英語が苦手で、しかも外的圧力で英 語圏に行かざる得なくなったら、どうするであろうか。にわか仕込み の英会話学校に通い、使い方の分からない電子辞書を買いこみ、偉大 なる未知の世界に怯えながら飛行機に乗り込むのだ。難題は我が身 に降り懸かれば大変だが、他の人の苦労話を眺めるのは笑える話だ。 その程度にお気楽に読んでもらえれば作者として本望である。 前置きはこのくらいにしよう。本書の大部分は旅行先の空き時間 で書いたものをベースにしている。帰国後に得た知見、感想等は原則 として脚注としてある。それでは、グッドラック!●
1
このタビのいきさつ
◆
1 英語 本書の原題は「20台からのアメリカ独り旅」である。20代ではない。 偏差値20台である。それではあんまりだという多少の見栄もあって 四捨五入し、無理矢理30にしたが、本当のところ、私の英語力は全 力でセンター試験を受けても偏差値20台である。これは「英語が苦 手」というレベルを超えている。4択式試験の本番で200点満点中 50点を下回る。御期待通りに、期待値以下である。何も考えずに適 当にマークシートを塗りつぶしている人よりもできないのだ。英語 力はマイナスといっても過言ではあるまい。ここまで来ると肝も据 わったもので、大学受験の時には英語は最初から最後まで何も勉強せ ず、最初から最後まで成績は最悪だった。 だが、大学を通過して大学院になるとそうも言っていられなくな る。学会だの論文だのに接するうちに、頭では英語が必要だというこ とが十分に分かってくる。そもそもこの国際社会にあっては、結局人 生のどこかではガイジンのお相手をしないといけないだろう。長い 渡世の間ずっと日本の殻に閉じこもっているわけにもいくまい。そ して世界の共通語は英語であって日本語ではない。英語が出来ない と、どこかで大変な目に遭うのは自明の理といえる。いっそ世界戦争 でも起きてアメリカあたりが滅びれば、日本語が世界共通語になるか も知れないが、そういう非現実的な妄想は悲しくなるばかりだ。とも かくも、こういうフラストレーションを抱えがながら26文字の毛唐 の暗号を見ていると、頭が痛くなってくる。おそらく英語が出来ない 大部分の人がそういう悩みを持つのだろう。 何とかしなくてはいけないと思うが、見るからに続きそうにない英 会話学校にお金を払う気はしないし、英語パブやら教会セミナーに通 うには基礎力がなさ過ぎる。結局、学校の語学センターで友達に見つ からないようにテープを聴いたり、電車の中で英語会話のラジオを聴 くことになる。実際に続ければまだいい方だ。私の場合には終始や る気さえ起きなかった。必修英語の単位さえ出ればいいやといって テスト前の一夜漬けとお情けレポートで切り抜ける。この英語力で 切り抜けられる大学教育も凄いと思うが、仏の教官に当たった我が身 の強運にも感謝する次第である。 まったく惨めである。何かの弾みに英語の勉強をはじめても、ネガ ティブな思考で取り組んでいる限りろくな成果は出ないもので、挫折 経験がますます語学から逃避する原因になる。どんな場合でもそう だが、この種の悪循環を断つには、原因を考える他はない。自分の場 合、なぜ英語が出来ないのかと言えば、英語の勉強を怠けたからだ。 あたりまえだ。そこまではいい。だが、なぜ怠けたかというと、これ がちょっと一癖ある。一言でいえば、英語とその背景にあるイメージ が悪すぎたのだ。 いつの時代にも学校には不良生徒がいるものだが、自分が小学校の 頃には、不良生徒はやたらに英語を使うことを好んだのである。当時 は、今でこそ死語(いや、化石語だ)となっている「ナウい」とか「ヤ ング」などといった不気味な和製英語が徘徊していた時代である。善 良な一般生徒*1であった自分は、肌に合わないカッコ付けの不良生徒 を毛嫌いしていた感がある。当然、英語自体にもこれ以上ないという ほど否定的なイメージを持っており、英語を使うアメリカやイギリス は地上最悪の不良帝国とさえ思っていた。 こんな状態で英語を学びはじめても身にはいるわけがなく、却って 授業が自分を不良に導こうとしている、というような惨めな被害妄想 に陥っていく。知識として英語が必要だということを知っていても、 イメージが悪いと全く身に入らず、語学というものはそもそも努力科 目であるがゆえに、成績はどんどん落ちこぼれてゆく。それは先生が 悪かったわけではない。英語の先生は皆、とても分かりやすく人間的 にも尊敬できる先生だったのだが、なんせ科目自体のネガティブなイ メージはそれを遥かに超えていた。アメリカが嫌いだから英語が嫌 い。英語が苦手だからアメリカが嫌い。…笑い話のような悪循環だ。 結局のところ、中学の最初で失速してから大学を脱出するまで、英 語で満足のいく成績を取ったことはただの一度もない。全ては及第 ギリギリのお情け進級で、大学入試センター試験では自己採点で偏差 *1って何? *2これは誇張でも何でもない。実際には 30 未満だ。値30*2をマークし、本番の入試ではほとんど白紙提出だった。 こんな自分に英語への目が開いたのは、あるパソコン通信の集団で その話が出たときのことである。私がいつものように「アメリカなん て大嫌いだ。ジャンクフードといい、傲慢な外交といい、貧富の差と いい、国土と軍隊と態度が大きい以外に、どこもいいところのないサ イテーの国家だ」と言い放っていたところに、外語大を出て翻訳家を している人が猛反発してきた。「行ったこともないくせに偉そうなこ とを言うな」というわけである。「本で知った聞きかじりの知識で、 好き勝手を言いやがって。そもそも、あんたの思考は極めてアメリカ 的だ」とまで言われたら立つ瀬もない。「それじゃぁ、そのうちアメ リカにいった後で徹底的にこけおろしてやるからそれまで首洗って 待ってろ」と言い放って、議論(喧嘩)は終わった。そしてそれ以来、 地上最悪の不良帝国をこの目で見るこということに、少しは興味を 持っていたのである。それ以前は、「海外旅行などというものは金持 ちの道楽で、あるいは異性の前でいいカッコしたい阿呆の道楽で、所 詮英語もできない学生のやることじゃない」と思っていたのが、「英 語が出来ないからこそ行く価値があるのではないか」という思考に 180度転回をしたのは我ながら驚異的である。
◆
2 抽選会 皮肉なことにチャンスはすぐに来た。 就職活動用にと届いたリクルート社の巨大なカタログの中に、STA トラベル社が学生向けに春休みの旅行の説明会/タダ券の抽選会を やるから来いという案内が入っていた。ご丁寧にも、入手した無料冊 子にはすべて目を通すという、生来の貧乏根性が幸いしたといえる。 もっとも、当時自分にはバングラディシュに行く計画があり*3、イン ドあたりの安い航空券でも当たらないものかと思って資料集めに出か けていくことにした。といっても、13時頃から3時間も説明があっ たのに、何となくダラダラしていて、説明会会場に着いたのは終了30 分前、抽選会開始の3分前である。まったく、とことんなめくさって いる。 どうせ当たらない抽選会だと思っていたので参加する権利などと うに放棄しており、とりあえずパンフレットだけ貰おうと思って椅子 の最後列に腰掛けて半分居眠りしていたら、ひとりの社員嬢が「せっ かくいらしたんですし、まだ間に合いますから抽選会に参加してみま せんか」といって投票用紙を渡してくれた。これに住所氏名学校名を 書いて箱に入れ、司会者が前で箱から適当に取り出すのである。実に 公平なシステムだ。 景品は何種類もあったが、抽選の度に当たった当たらないで一喜一 憂する学生集団を見て「つまらんことで騒ぎおって。これだから日本 が不況になるんだ。それとも全員サクラなのか?」などと思っていた のは口が裂けてもいえない。 そんな状態だったから、自分の名前が呼ばれたときにはまさに寝耳 に水だった。「え、俺すか? 冗談でしょ」という感じで、1秒ほども 呆然としてしまった。当たった人間は壇上に召されて、ありがたくチ ケットを受け取る。「おめでとうございます」とマイクを突きつけら れて、とっさに良いジョークが思い浮かばなかったので、月並みに 「ありがとうございます」と言ったことだけは覚えている。当たった チケットは「アメリカ西海岸まで往復2万円」だった。相場*4の分 からない人間にも激安と分かる値段だ。しかも滞在期間の指定がな かったので、かなり自由にプランが組める。チケットの質はよい方で ある。◆
3 ニューヨーク しかしだ。 西海岸というのは問題だ。ロスかサンフランシスコである。イン ターネットで惰性的な検索を行いながら、真っ先に思いついたプラ ンは中南米への旅行だった。インカ帝国の秘宝を見に行くのである。 しかし、これには2つの問題があった。一つは言わずと知れた費用で ある。はっきり言って「高い」。いくらなんでも現地の移動費用が太 平洋を飛び越える2万円を上回るのは余り気分のいいものではない。 しかしそれにも増して、中南米が世界最強の治安と衛生を誇る地域 であるということが重要だった。いくら無謀な人間だといっても、さ すがに英語の出来ない海外初めてのガキがひとりで行けるところで はない。川下りをしていて殺された早稲田の学生だって2人で行っ ていたではないか。 するとどうするか。大人しくディズニーランドにでも行って適当 に遊んでくるか。せいぜいカリフォルニア大学にでも行って、バー クレーUNIXの開発者に会って話を聞いてみる程度しか思いつかな い*5。しかしそれは余りにもったいない。ハワイではないのだ。アメ リカ本土だ。学業を本分とする学生であるならば何らかの「勉強」を してくるべきだ。…俺って昔はまじめだったんだ。(羨望) そこで重い腰を上げ、池袋のSTAトラベル本社に出向いた。多少 のお金は出すから東海岸までのチケットに変えてくれないかと頼む。 我ながらなかなかの無茶だ。アメリカの中心はやはり東海岸だ。それ に東海岸には高校時代に同じサークルだったM氏が留学していて、 宿代が浮きそうなのであった。担当氏はユナイテッド航空*6に電話を かけ、何かしらの謎の交渉がなされた。そして、結果的には1万円 上乗せでニューヨーク行きがOKされた。結局その日は、営業時間 を遥かに超過して担当氏を6時間以上も拘束し、海外旅行の超基本 から、「どこをどう観光するか」とか「安全はどうなのか」とかを思 いつく限りの質問を浴びせた。そりゃあそうでしょう。不安なのだ。 心の準備もできないうちに唐突にチケットだけが出現したのだから。◆
4 準備 古いリクルートの冊子を出してくる。このあたりに、海外旅行基礎 知識の特集があったはずだ。私の部屋は超整理法*7なので検索は容易 である。あったあった⃝c麻原。必要な品は、パスポート、航空券、ク レジットカード、ビザ、現金…。なるほど。 *3JICA の知人が盛んに誘っていたのだ。実際にバングラディシュ旅行は実現した。そのうち旅行記を書きたいですねぇ。 *4テロ以降の相場だとどうってことないが、当時のチケット相場からすると、どう頑張っても普通なら 6 万弱といったところか。 *5今思えば、英語力ゼロでどうして話を聞けると思ったのかは甚だ謎だ。 *6倒産したんだっけ?あれ? *7要するに古い順にただ積み重ねているだけ。 *8当たり前といって笑わないように。初心者はそういうことも知らない。 *9これはその時代の話である。アメリカは査証協定なる概念があって、ビザは要らないらしい*8。 カードはパソコン通信*9の支払い用のカードがある。航空券は旅行会 社の担当氏が手配してくれるだろう。すると必要なのはパスポート だ。三箇所に電話をかけて取得方法を搾り出し、近くの旅券所まで出 かけ、時間ぎりぎりに申請してきた。うまく行けば間に合うし、間に 合わなければ旅行は中止だ。もう投げやり。 旅の準備はまず、情報集めだ。情報集めはインターネットである。 goo*10でニューヨークやらボストンやらの検索をかけ、日本人の書い た旅行記を見る。先人の知恵は大いに使うべきだ。それからおもむ ろに、M氏に「泊まらせてくれ∼」というメールを送った。期日指定 付きの返事はすぐに来た。曰く、現在はM氏の友人が泊まっている ので、彼が去ってからだという。はっきりって、初体験にしてはあり 得ないほど、準備をしていなかった*11。
●
2
出発
◆
1 空港まで 大体、春というのは忙しい。前日は大学のコンピューターサークル の打ち上げ会があって午前様の帰宅である。当然、旅行の準備なんて していない。というより、気乗りしないために準備をする気が起きな い。「どうせ相手は先進国だし、足りなければ現地で買えばいいっす よ」などという、馬鹿か大人物かわからないような構え方で、パソコ ンゲームに興じる。過去に何度もそうだったように、出発当日ぎりぎ りになってから準備に慌て始めるのは、何だか試験勉強のようだ。 実は、国内旅行には少し自信がある。過去に何度かヒッチハイク 的なものをこなしていて*12、旅行用の持ち物マニュアルを作ってあ る*13。で、海外だろうが国内だろうが、旅行など似たようなものだ ろうという、言葉の上では真実と思える文言に則り、国内用の準備を そのまま利用することにした。ただ、ニューヨークやボストンは東京 よりも少しばかり高緯度になるので、防寒具が必要かもしれないとい う点に気づいたのは、後で思えば唯一の救いだった。NHKの「世界 の天気」*14を斜めに見つつ、適当にアメリカっぽい派手なジャンパー を放り込む。 結局パスポートはぎりぎりで取得できた。これは運命のGOサイ ンだなどと勝手に解釈し、カメラのフィルムを10本も抱えて、海外 旅行用の、あのいかにもと言った感じのローラーケースに詰め込ん だ*15◆
2 成田 住処は千葉県北西部だ。そこから成田に行くにはいくつかのルー トがある。リムジンバスもあるし、車でもいい。が、最初の海外旅行 では電車を使った。我孫子駅から成田線という鉄道があって、一発で いけるからだ。まぁそんなローカルな話を書いても仕方ないか。 飛行機の出発は18:40となっている。腰が痛くなるほど接続の悪 いJR成田線を乗りつぶし、成田空港第二ターミナルに着いたのは午 後4時前だった。だいたいターミナルといえば「バス停の塊」しか想 像できない民間人が、成田空港にはターミナルが2つあるとか、飛行 機会社が云々といったことを詰め込まれても理解できるはずがない。 もっともこの時期は更に事情が複雑だった。当時成田空港は改修工 事のため、一つのターミナルですべての発着をまかなっていたのであ る。そんなことはインターネットの旅行記には書かれていなかった し、この時点で不安の積乱雲がもくもくと立ちこめた。 さらに困惑したのは、飛行機会社の問題だった。自分が乗るのが ユナイテッド航空(UA)だというのは分かっている。だからその会 社のカウンターにいけばいいというのも分かる。だが、実のところ、 カウンターの半分以上には「日本航空」と書かれているのだ。当時、 UAのカウンターは眼前に存在しなかった。広大な出発ロビーの大地 を隅から隅まで駆けめぐり、UAカウンタが存在しないことを実証し てから、途方に暮れる。不安げに、そこいらを行き来する警備員に尋 ね尋ねて、日航のカウンタでチケット発行を代行していることを知る には、その後10分もの時間が必要だった。余談になるが、ここでは 国際空港自体が初めての人向けに、少し成田空港のシステムについて も書いておこう。 1. まずは電車を降りてホームのエスカレーターを上がると、い きなり銀色のポールの列がたっている(改札ではない!)。後 で知ったが、これは空港内で無料利用可能なカートを列車に 持ち込ませないための柵である。柵をすり抜けて改札を出る と、いきなりものものしいゲートがある。いかにも国際玄関 「成田」という感じだ。両側に係員が立ち、パスポートの提示 を求められる。指名手配の人間などが海外に逃げ出さないた めの防衛線であるように思えるが、結構チェックは甘いので、 単なる時間稼ぎにしか機能してないかも知れない。 2. それを越えると、エスカレーターである。4Fまで延々と重い 荷物を持ってエスカレーターに乗るのだ。この時点で「荷物 は軽い方がいいな」と思った。いくら海外旅行で不安だから といって、ごちゃごちゃ詰め込むのは得策ではない。プロの トラベラーは荷物が少ない、とは誰の名言だったか*16。 3. エスカレーターを登り切ると、巨大な空間に出る。世に「チ ェックインカウンター」と呼ばれるものだ。チェックインと いうと何だかホテルのようだが、日本語では分かりやすく訳 すなら「搭乗手続き」である。要するに利用航空会社のカウ ンターで、予約券を実際の搭乗券に替えてもらうのだ。座席 番号などはこの時点で確定する。「国際線2時間前」というの は、このカウンターに来るまでの時間であり、「搭乗手続き」 *10http://www.goo.ne.jp 当時 goole はまだない。 *11「地球の歩き方」の存在すら知らないド素人である。よくぞ単身乗り込んだわな。若いっていいですね!(羨望) *12知る人ぞ知る東海道や常磐道の自転車走破とかですね。 *13付録に付けておきました。 *14自分もついにこれを必要とする時が来たのかと思うと、妙に感慨深いのである。だいたい旅というのは、準備をしているうちはそれなりに楽しく、準備が 終わった頃に不安になってきて、出発直前が一番不安で、出発してしまうと怒涛の体験に圧倒されて我を忘れるものである。 *15余談だが、この準備の時点で「言語が通じない」ということを甘く見すぎていた。あとで現地で準備不足に泣くことになるが、それはまたその時のお楽し み。まぁいいんですよ、結局こうした旅行記が書けてる以上、生きて帰ってこれたんだから。 *16メーテル。は通常、離陸の2時間前に開始して離陸1時間前で打ち切ら れる。つまり離陸1時間前を切ったあたりで予約券をもって ノコノコ現れても手遅れということだ。 ただ、現実的には2時間前に行っても1時間ほども待たされ るので、賢い人間はわざと1時間前ギリギリに行って、「すい ません、急ぎます∼」と叫んで、並んでいる人民をすっ飛ば した方がいいかもしれない。次回からはそうしよう。 4. 無事に搭乗券をゲットして大型荷物を預けたら、エスカレー ターで下におりる。そこでは空港使用税(2040円)という ものを徴収される。海外旅行というものは、何かと細かいコ ストがかかるものなのだ。紙に必要事項を書いて5分ほど並 ぶ*17と、政府の役人がパスポートを睨みながら5秒ほどでバ ンバンと判子を押してくれる。これで出国手続き完了。審査 官の後ろ側に抜けると、そこはもう免税領域。なお、空港のX 線チェックは、荷物をあづける時と、最後の搭乗のときのみ だ。これで武器や麻薬の流通を阻止できるのか、実に不安だ。 こういう感じだ。免税領域というのは、もう法的に「国外」の扱いな ので、誰かに撃たれると処理が面倒だ*18。「ここはもう外国なのだ」 と肝に銘じ、細部に神経を配らないといけない。緊張と不安と少しの 後悔が否応なく高まる。といっても、周囲からみれば単に気合いの 入った不審者にしか見えない。 「免税店」というのは魅力的な単語だ。少なくとも当時は市中に溢 れている単語ではなかった*19。で、予定12時間という長大な飛行の あいだにお腹が減って眠れなくなるに違いないと考え、空港の安い免 税店で何か弁当のようなものを調達しようと考える。だが、それは大 いなる誤りなのだ。だいたい免税店にあるものは、お酒と化粧品ばか りだ*20。一応ドリンクサービスも存在するが、通常の飲食物なら巷 のコンビニの方が遥かに安い。食料はあらかじめ家からもっていく か、買い込むなら出国前に買うべきである。しかも一度免税領域に突 入ってしまうと、もう戻れない。結局、「コアラのマーチ」とアイス ティー*21、アーモンド一袋を免税領域で買いこんだ*22。 時間に余裕があるので家に電話をいれる。「これから出発だからぁ ∼。あ∼、うんうん、全然問題なし」。実は、心を覆う不安の雲は、も う土砂降り寸前で、できることならこのままダッシュで家まで逃げ帰 りたいのだが、そこはそれ、明るく振る舞っておかないと、本当に理 性の一線が切れてしまいそうだ。 どこに行くにもやってくる、この漠然とした不安は「デパーチャー アンニュイ」とよんでいる。しかし実は、そんな不安など、その後 にやってくる現実に比べたら、取るに足らないほどの序の口だった のだ。
◆
3 ロビー 搭乗口の前だ。なんと言うことか。いきなり出発が遅れているの である。18:40分発が19:20発らしい。普通、JRの感覚だと交通機 関は時間に正確なのだ。交通機関の帝王たる航空機が時間にルーズな はずがない*23。これはきっと、墜落の予兆か、それともハイジャッ クの予兆か。 「どうして遅れてるんですか?」「機内の清掃が遅れております。終 わり次第(以下略)」 気を取り直してモバイルギアを起動し、旅行記を打ち込み始める。 が、すぐさま不安にかられて電源を切った。なぜか。そう、時折流れ る英語のアナウンスが全くと言っていいほど理解できないのだ。単 語の断片すら分からない。カセットテープを三倍速で逆回しにした ほうがまだ聞き取れるだろうというほどに、不規則に挿入される巻き 舌は、まさにバイナリ通信そのものである。加えて、謎のアジア人が やたらに多い。日本発でニューヨーク行きの飛行機なのに、待合いロ ビーで聞こえてくるのは、韓国語やら中国語ばかりである。時折聞こ えるのは英語であって、実に日本語は全く聞こえない*24。 英語劣等生のコンプレックスは100トンプレス装置のように襲っ てきた。どうか話しかけられませんようにと、まるで深海の底の亀の ように縮こまり、目立たぬようにコチコチに固まってじっとする。コ ミュニケーションどころの話ではない。誰とも目を合わせないよう に時計ばかりを見る。それは、不安げにジェットコースターを待つ小 学生のようだ。 搭乗口は断頭台のようだった。誰がわざわざお金を払ってこんな 受難に身を置くのか。日本語と英語で搭乗開始が宣言され、一段がぞ ろぞろと立ち上がると、自分も目立たぬように立ち上がり、この上な く、さもベテランのトラベラーの振りをして、チケットを差し出し た。張りつめた神経は一瞬を見逃さなかった。彼らアジア人団は日 本語の案内ではなく、英語の案内に反応して立ち上がったのだ。もう 日本語の命綱はちぎれる寸前なのだ。スチュワーデスのお姉さまの 笑顔は、すべてを見透かされているようで気持ち悪かった。離陸の時 の感想も、きっとアメリカで撃ち殺されて二度と戻ってこれないので はないかといった感じだった。旅行というよりは亡命の方がしっく りくる。◆
4 そして機内へ 日本発の飛行機だから、機内の案内くらいは日本語でやってくれるだ ろうと考えていたのが、そもそも甘いのだ。国際線というのは乗った 瞬間に公用語が英語になる。英語以外は全く通じない。ましてやア メリカの航空会社だ。日本語などという東洋のローカル言語など、傲 然として聞く耳持たない。あらゆるアナウンスは英語のみで、しかも 面倒そうに一回しか話すのみだ。ご丁寧に二回も喋ってくれる英語検 定やらセンター試験が、いかに恵まれた環境かを思い知った。考えて みればそれはそうだ。日本の機内アナウンスだって、同じことを同じ *17あたかも免許センターの更新手続きのようだ。 *18どうしてこういう発想をするかなぁ。空港というと、ハイジャックと過激派しか思い浮かばないのは、変な外国映画の見過ぎだ。 *19今ではあちこちにあるが。 *20これは世界のどこに行っても共通する傾向だ。シンガポールとか特殊なハブ空港以外は、免税店に期待するものなど何もない。成田などまだ雰囲気が明る い方で、ロシアのシェレメチェヴォ空港なんて独特の陰鬱な雰囲気の中、くそまずいレストランとレートが狂ったコンビニしかない。ま、それは別の話。 *21飛行機内にコップがないことを予想して、カップを持ち込むために買ったが、それは杞憂だったようだ。 *22しかし、後で述べるように飛行機ではこれでもかというほどに飲食物が配られるので、これらは無駄な買い物となってしまった。まったく、全てが初体験 である。 *23笑わないように。 *24後から知ったが、日本人の初心者は素直に日本航空に乗るのだ。言語で繰り返したら、怪しいだけだ。そう思うとますます悲壮になっ てくる。要するに、ありとあらゆるメッセージが絶望的に理解できな いのだ。しかも今まで移動手段が青春18切符ばかりだったから、国 内線もろくに乗ってないわけで、飛行機の常識も分からない。だいた いトイレがどこにあるのかも知らないのだ。自分はこの先一週間も、 耳栓状態で未知の大陸を生き抜かねばならない。何だかとんでもな いことに手を出してしまったのではないかと、後悔の念がこんこんと 沸き上がる。脳はとりとめないネガティブ思考の連鎖で、既にデッド ロック状態。だいたい普通、若者の海外旅行などというものは、誰か 友達だか恋人だかと行くもので、他愛のない会話でもしながら、優雅 に空の旅を楽しむのだ。それがどう転んで、ロケットに乗せられたラ イカ犬みたいに、右も左も分からない悲壮な打ち上げを迎えるのか。 席に座って唯一救いに思えたのは、両隣がどう見ても日本人のビジ ネスマンだったことだ。あの韓国旅団だったらどうしようと心底心 配していた。きっと、あの快活なノリで話しかけられて、英語を全く 理解できないことを暴露され、密かな笑い者になるのだ。そして日本 の若者は英語もできないのだと、本国に帰って噂の種にされるのだ。 なんと悲惨な話だろう。それに比べれば、日本人(らしき人)が隣と いうのは実に救われていた。 だがそれは程なく裏切られる。出発してしばらくするとジュース が配られるのだ。このイベント自体は知っていた。だがそこに、英会 話*25が襲来することを失念していたのだ。おそらくあとで冷静に考 えれば「お飲物は何にしますか?」とかいった普通の質問だったろ う。だが、心拍数100以上の状態で、まともな思考ができるはずはな い。(来るな、来なくていい!)という必死の願いも空しく、ワゴン はやってきて、欧米人特有の、あの、こちらの目をストレートに見な がら、何事かの英語を話しかけられるのだ。それはまるで魔王か裁判 官に睨まれるようだった。 隣のサラリーマンは、さも当然という風に「コーヒー」と答えた。 発音としては「カフィ」に近かったか。その発音は、かつて間違って テレビをバイリンガル放送にしてしまった時のアメリカ大統領の発 音くらい、ネイティブっぽかった。裏切り者!と思った。日本人のく せに、こんなにうまく発音して! 隣に座っている自分は、もう真似するしかなかった。何事かを問 いかけられたら、中身に関係なく、プログラムされた人工無能のよ うに、「カフィ」とだけ答えるのだ。もう人権は捨てた。自動応答ロ ボットに堕ちて呪文を詠唱すればいい。きっと、実にそっくりな発音 だったろう。だがここで白状しておく。私はコーヒーアレルギーで、 カフェオレ1杯でも丸一日眠れなくなる体質なのである。ちなみに 緑茶なら何リットル飲んでも平気だ。この選択のせいで、後に眠れな くなり、悶々とした夜を明かすのだ。 心底後悔した。オレンジジュースといえばよかったではないか。で も、「オレンジジュース」のネイティブな発音*26など出来るはずがな い。だから自分の選択は間違いではなかった。いや、こうして現に眠 れなくなってるではないか、だいたいどうして中学一年の単語がちゃ んと自信を持って発音できないんだ。俺、大学生だろ? なに間抜け なこと言ってるんだよ… 人間同士の距離が近いということが、これほどのストレスになると は思わなかった。英語が話せる人間だと分かった瞬間、彼らは敵だっ た。そんな人間が両隣に座っているということ自体、凄まじいストレ スだった。何も話さない。会話は全くない。両隣は優雅に英字新聞 などを読み、あまつさえ繰り返しやってくるスチュワーデスの空爆を 巧みに利用して、ワインのお代わりまでしている。何か対抗しないと 圧殺されてしまう。コチコチの体を徐々にとかし、永劫とも思える時 間を待ち、右隣のサラリーマンがトイレに行く機会を待った。そして やっとの事で日本語の文庫本を取り出すことに成功したのだ。さり げなく自分が日本人で、日本語使いなのだということを誇示し、次な るステップへの免罪符としようという野望である。もちろん小説の 中身なんて上の空だ。上下逆に開いていたかもしれない。 だが、その遠大な計画も小一時間であっさり轟沈する。ジュースの 次にきたワゴンは、真に恐怖すべきものだった。そう、機内食であ る。だいたい国内線では機内食というのは存在しないのだ。例え沖 縄行きの便ですら出ないのだ。全く未体験の領域なのである。多少 経験のある人なら、多くの優良な航空会社では事前にメニューが配ら れ、来るべき英会話の大決戦に備えて、心の準備ができることを知っ ているだろう。しかし当時のUAにはそんなシステムはなかった。 ぶっつけ本番なのだ。そして、もう少し経験のある人なら、どうせ機 内食の選択肢なんて、ビーフかチキンかポークしかないことも知って いるだろう。しかし初体験の初心者がそんな常識を知るはずもない。 機内食は飲み物の他に、メインディッシュを何にするかも選択しない といけないのだ。そのためには選択肢を聞き取らねばならないのだ。 こんな恐ろしいことがあるか? またも、猿真似計画発動である。主体性は最初から放棄する。どう せ何を選んでも死ぬわけではないでしょ。そこで、この上ない集中力 を傾け、隣の返答に耳をそばだてる。質問の長文は確実に聞き取れな いから、返答の一点に賭ける。だがなんと言うことだ! 隣の人の反 応は冷酷なまでに長かったのだ。あとで出現したものを見れば、おそ らく「メインはビーフ、飲み物は紅茶で」とかそんな感じだったろう。 しかしそんな長い語句が食器の音でうるさい機内で聞き取れるわけ がないではないか。自分の番がきた!どうする!? この時、私の脳に去来した必殺技は、まさに神の一手だった。右を 示して「The same」である。この用語の大事な点は巻き舌のRが 入っていない点だ。だから発音が少々下手でも、何とか通じる。オレ ンジジュースよりは楽なのだ*27。スチュワーデスはろくに会話もな しに機内食を並べ、次に通り過ぎていった。 小さな頃、初めて一人で電車に乗ったときのことを思い出す。人々 の視線が気になって、あいた席に座ることすらできなかった。今回も 同じだ。週刊マンガ並みの大逆転で切り抜けたものの、隣との関係は 以前より厳しくなった。とにかく出されたものは食べるしかないか ら、できる限りお隣様に接触しないようにそそくさと食べ、文庫本に 戻る。気流スポットのせいで船舶並みに揺れる飛行機。その中を必 死にトイレを耐える。なぜか。トイレの場所は分かったが、その表示 が分からないのだ。時折点灯する「Occupied」って何だ? またもデッドロックに陥った。恥ずかしくて辞書を取り出せない *25これも、ここから先も、まともに英会話といえるほど大層なものは何一つ出現しない。 *26中学一年で習う範囲。 *27じゃあアップルジュースはどうなんだ、とか言わないように。「アップル」も中一単語の割に発音が難しいものの一つである。一般的には機内のジュース で一番発音が楽なのは「トマト」である。 *28そして実際その通りだ。「使用中」っていう意味ですね。
のだ。そう、きっと飛行機に乗り慣れてる人には常識に近い用語で、 そんなのをいちいち辞書で調べてたらただの間抜けなのだ*28。しか し常識的に考えて、食事付きの10時間近い飛行をトイレなしで済ま せられるはずがない。どこかでこの単語を理解し、突破しないといけ ないのだ。起死回生を賭けて、手提げを取り出し、それごと持ってト イレに向かう。そしてトイレの前でこっそりと辞書を取り出すのだ。 こんな話を延々に書き連ねても無駄だろう。あらゆる場面におい て変な意地と暗号読解に神経をすり減らし、ついに一睡もすることな く、短い夜の領域をくぐり抜けた。アラスカの密林を下に見ながら、 これまた短い昼間の領域を飛び、現地時間の17:10。飛行機はいつの 間にか遅れを取り戻し、予定通りにニューヨークに着いたのだった。 タイヤが滑走路に着いたとき、地球の反対側まで単身乗り込んでし まった不安が胸一杯に広がった。何かあっても、もう簡単には帰れな い距離だ。コミュニケーション不良に起因する何かの冤罪で捕まっ ても、釈明すらできないのだ。こんな状態で、無事に生きてこの国か ら帰ることができるのだろうか?
●
3
ボストンへ
◆
1 入国 ニューヨークの国際空港はケネディ空港という。JFKと略される らしい。現地に着いてから知った。というより、そうなのだろうと推 測した。当初の楽観的な予定では、少しはニューヨークを観光してか らM氏の待つボストンに向かうことを考えていた。それも、列車で も使ってのんびり行こうと思っていたのだ。だが、初めての飛行機は あまりに疲弊した。とてもそんな余裕はない。楽観主義は打ち倒さ れ、裏付けのない自信は完全に消滅した。何が何でもまずはM氏の 元に転がり込んで、この国で生きていくための基礎を学ばねばなら ない。 タラップを降りて、いかにもアメリカらしいきびきびした指示のも とに、全員が入国ゲートに向かう。もう何も考える気力もなく、アヒ ルの群のように惰性でついて行く。いや、アヒルほど生気がないの で、見えない縄でつながれた戦争捕虜のようだろう。最初は「 Tran-sit」と書かれた通路に迷い込んで大混乱した。入国したい場合、正 しくは「Immigration」に向かわないといけない。日本では入国管理 局、アメリカ流に言えば「移民帰化局」である*29が、そんなこと知る はずもない。 初めての海外だ。入国の仕組みなど分からなくて当然だ。不勉強 で前知識もない。とりあえず並べばいいのだろうと半分投げやりに 並んだところが、ガードマンと思われる人がつかつかと近づいてき て、「パスポートプリーズ」という。「俺様は麻薬も拳銃も持ってない ぞ」と心の中で呟きつつ、荷物を盗まれないように注意しながらパス ポートを差し出すと、ガードマン氏はギロリと睨み、「ジャバニーズ ゼアー」と言って別の窓口を指した。赤銅色の腕は筋肉隆々。逆らっ たら片手でつまみ上げられそうだ。この迫力こそが犯罪抑止力。力こ そパワーのアメリカならではだ。しかし、「US Passport」ってそう いう意味だったんですね。アメリカに行くパスポート*30じゃなくて、 アメリカ人のパスポートなんですね。振り出しに戻って並び直し。 入国自体も一筋縄ではいかなかった。自分の番になって窓口にパ スポートを差し出すと、入国審査官のオバサン氏は上目遣いで私の 顔を睨み上げ、高速言語で何事かを発信した。理解不能。約二秒間の 返答猶予期間を無駄に流すと、審査官氏は単語が聞き取れないのだ と判断し、露骨に不機嫌になった。そして手元からバッと紙を破り、 そこに「Occupation」と殴り書きして、機内で書かされた謎のカー ドとともに突き返した。書類不備だろうか。occupyというのはトイ レに人が入ってるかどうかということだろう?*31 それがどうしたと いうのだ。…いや、そうではなかったのだ。彼女は幼稚園児でも分か るくらいのロースピードで、こう言った。「ウヮッツ、ユア、オキュ ペーション!…ユアジョブ!」おぉ、なるほど。ジョブなら分かる ぞ。ファイナルファンタジーに出てきた。 それからは筆談の連続だった。「どこへ泊まるのか」「まだ決めてま せん」「それじゃ入国できない、帰れ」「無理っす」「じゃあ今すぐ決 めろ」そんな高級な英会話を空気振動だけで処理できるものか。結局 それまで一人平均10秒で終わらせていた入国審査に、私だけは5分 以上を費やした。全身汗だくである。ここまできて日本に強制送還 されるわけにはいかないからと、M氏の住処を指さし、あらん限り の単語をぶちまけた*32。◆
2 電話機 やっとのことで入管を抜けた頃には、まるで地雷原を強行突破して きた戦車のように、精神のあちこちが穴だらけで、やる気燃料を垂れ 流しながらよろめいていた。これでは先が思いやられる。幼稚園児 が一人で海外旅行しているみたいだ。いや、ETですら英語を理解出 来るのだ。これでは宇宙人に負けてる。 だがともかく入管は抜けたのだ。アメリカの大地だ。心の目には何 だか雲の切れ目から神の光が差し込んでいるような、ロココ絵画のよ うなものが映っていた。とりあえず、M氏に電話しよう。何でもい いから日本語が聞きたい。そう思って気を取り直し、電話機を探し始 める。空港なんだから電話機くらいあるでしょう?…確かにあった、 異なる3タイプの電話機が。「どれを使えと?」いやきっとこれはど れも機能的には同じなのだ。NTTの公衆電話だってグレーと緑があ るじゃないか。探すべきは、コインでかけられるやつだ。1ドル札を コインに換えて適当に突っ込めばいいんだろう? 一分も経たないうちに私は再び絶望の崖から転落した。どの電話機 にもコイン投入口らしきものはない。「Insert」と書かれた横向きの *29およそ全世界の空港で、入管は Immigration と書かれるのだが、この単語って教育課程ではほとんど見たことがない。あ、それって真面目に勉強してな かったからですか。失礼しますた。 *30謎の概念。 *31違う違う。原義は「占有する」といった意味である。 *32といっても、friend とか Japanese とか、中学単語ばかり…。 *33ここでテレホンカードの機械を選択したのは奇跡的な幸運だった。実はクレジットカードで掛ける電話というものがあり、3 台のうちの 1 つはそれだった のだ。クレジットカード電話は空港にはよくあるものだが、知らないとそんなものの存在自体が想像もつかない。普通日本で「カード式公衆電話」といっ てクレジットカードを思い浮かべる人がいるものか。カード挿入口があるだけである。「テレホンカードすか…」*33陰惨な 気持ちでそう呟いた。仕方ない。テレホンカードを買わねばなるま い。初めてのお買い物だ。勇気を持って、通路を行く人に「Excuse me」と呼びかける。本当に助けてといった感じだ。 何人かの話を総合すると、どうもテレカは空港内のショップで売っ ているらしい。「ショップ」だけじゃわからん、と思ったが、それら しきものは直ぐに見つかった。要するにコンビニだ。レジのおじさ んはスーパーマリオのような恰幅の御仁で、私を見て何事かを呟い ただけだった。当然聞き取れない。きっと「いらっしゃいませ」の現 地語版だと勝手に思いこんで無視する。テレカが棚においてあるわ けはないが、一応は店内を一通り見て回ることにした。コカコーラ社 の各種ジュース、プリングルスのポテトチップス。キットカットの チョコ。…ほとんどの物が分かる。嗚呼、日本はかなりアメリカ資本 に侵略されているのだ。日本製品といえば、富士のカメラフイルム くらいだ*34。カウンタに戻り、「テレホンカード、プリーズ」とだけ 言う。文法なんて無視だ。スーパーマリオは何事かを呟いた。「テン ダラフティーサティ!」とても英語には聞こえない。ハ? 何すかそ れ、聞き取れるように言ってくださいよと無言で首を傾げる。「テン ダラー、フィフティン、サーティ!」直感が働いた。これはきっとテ レホンカードに3種類があって、どれを買うかを選択せよと言ってる のだ。「テンダラー」とオウム返しする。略しすぎだよ君たち、と思 うが、そういう文化なのかもしれない。 もちろん、テレホンカードが買えたからといって話がスムーズに進 むわけではない。買い物よりももっと酷いのは、その使い方が分から ない点だった。日本の常識では受話器をあげてカードをつっこみ、番 号を押す。カードは機械に吸われていき、受話器を戻せば戻ってく る。そうですね? …が、ニューヨークの電話機は、何をやってもカー ドを吸ってくれないのだ。大体、カードの挿入方向が分からない。こ れはきっと電話機が壊れてるのだと判断する私は常識人。きっとこ こは地上最悪の不良帝国なので、すべての電話機が壊されているに違 いない。 で、手近の清掃員婦人を捕まえ、テレホンカードをちらつかせ、「テ レフォン、ブロークン!」と叫ぶ。清掃員婦人は何事かという面もち で電話機を触り出したが、まもなくこちらを向いて「イッツズンブ ロークン!*35」と言い、自分のウェストほどもある業務用掃除機を 引きずっていった。これはきっと深刻な問題で、機械工学の権威を呼 びに行ったのだろうと解釈する。が、いくら待てども上位サーバは現 れない。ついに業を煮やして飛行機会社のカウンタまで足を運んだ ところが、連れてきた係員氏は8秒もたたないうちに、「ナンバァ?」 と聞いてきた。「は?」「コールナンバァ!」おぉ、壊れているので はなかったのか。機転を利かせてM氏の電話番号を書いた紙を見せ る。…電話はつながった!*36 「Hello」 「あ、M氏?Sです」 「あぁあぁ、待っていたよ。今どこ?」 「ニューヨークの空港。これからボストンに向かおうと思うんだけ ど、具体的にはどう行ったらいいか分かんなくて」 「今の時間だと電車は無理だね。飛行機のチケット買って来てよ」 「どうやって買ったらいいか分かんなくて」 「うーん、カウンタに行って聞いてみればいいと思うけど。ボストン に着いたらノースステーションからコミューターレールに乗って…」 実に簡単に言ってくれるものだ*37。それでもインフラを確保でき た喜びは至上のものだった。「何か困れば電話して聞けばいい」この 安心感が欲しかったのだ。実際に電話するしないは別にしても、背後 の支えがあるかどうかは極めて大事なのだ。
◆
3 チケット 問題なのは、もう夜7時だということだった。JFK空港も夜になれ ば人の行き来が少なくなり、「Excuse me」の呪文で善良な市民を捕 獲できる確率が小さくなってくる。なのに、今晩泊まる場所さえ決 まっていない。飛行機のチケットもない。飛行機の発着時刻さえも分 からない。無事にボストンに着けるかどうか自体が、かなり怪しいの だ。そう思うと涙がこみ上げてきた。遅くなれば遅くなるほど危険 になっていくという焦燥感が無意味に思考を空転させる。さながら、 ぬかるみでエンジンを吹かしているようで、すべてが遅々として進ま ない。いや別に宿が決まってなくてもフライトスケジュールが不明 でも、言葉の壁さえなければ、問題ないのだ。今より10倍は速く行 動できる自信はあるし、何が起こっても生来の図々しさで切り抜ける だろう。しかしまさか電話一つかけるのに20分を削られるとは思わ なかった。何をするにも、ありとあらゆるところにトラップが待って いて、そのたびに語学力が足かせになる。歯がゆいことこの上ない。 日本から何枚かの100ドル札を持ってきたのが唯一の救いだ。 UAのカウンタはエスカレータを降りてすぐだった。カウンタに詰 め寄るなり日本人発音で「ボストン、プリーズ!」とだけ言う。頼 む、分かってくれよ。…が、やっぱり甘かった。会話なしに契約は成 立しないのだ。カウンタ嬢の発するプロトコル不明の信号は、脊髄で 棄却した。黙って筆談モード突入。「俺は日本人だ、英語が出来なく て何が悪い。筆談だ筆談、もう構うものか。会話なんて全部くそくら えだ」 この時書いた文字列は、あまりに激しかったので持って帰るこ とになった*38。「I want to go and come to from Boston! How much?」…すげぇ。「go and come」にアンダーラインを引いて受付 嬢に突き出す。前置詞が二連続で並んでいることは気にもとめない。 「Round trip?」受付嬢は聞き返した。らうんどとりっぷ?なんだそ*34富士フイルムはアメリカに限らず、世界中で圧倒的なシェアを誇っている。 *35とてもそうは聞こえないが、あとの結果を考えれば「It’s isn’t broken」らしい。
*36テレホンカードの使い方は日本と全く違う。電話番号の前にカードに書かれている ID 番号をプッシュするのだ。つまり、カード自体には度数は記録され ていなくて、度数は交換局が管理している。今流にいえば IC カード電話のような仕組みである。この当時、IC カード電話は日本には存在してなかった ため、使い方なぞ想像もつかない。確かに電話機本体には使い方が書いてあったのだが、Push ID number といえば、普通は電話番号を押すんだと思う でしょう? *37現地に暮らしていれば当然かもしれない。なお、あとで聞くところによると、M 氏は S がペラペラに英語ができるスーパーマンだと思っていたらしい。 「そうでもなきゃ、海外初めてで一人で来ようって思わないでしょ」…確かに。ずっと後になって M 氏はこうも言った。「僕がいなかったらどうするつも りだったんだ」。そんなことは今でも考えたくもない。 *38後年、酒の席でこの話を出すたびに大受けした。でも当時は涙が出るほど必死だったのだ。 *39馬鹿か? 正解は「往復」。「round trip ticket」で「往復券」という意味だ。
れは。「Round」と言えば「Round one, fight!」のあれしか思いつ かない。きっと、スポーツ観戦か何かの旅行なのかと聞かれているの だ*39。そうじゃないぞ。そこで毅然と「No!」。重ねて「I want go and come」。受付嬢はこの矛盾した返答を受け取って大混乱に陥っ た。致命的なエラーでハングアップし、端末を放置して上司を呼びに 行った。程なく若白髪の社員が出現して、懇切丁寧な長文を書き始め る。彼は日本人をよく分かっているらしかった。日本人は会話がだめ でも筆談ならかなり行けるのだ*40。程なく私はニューヨークからボ ストンが222ドルだということを理解した。ゼロ2つ付ければ2万 2千円。実際には2万5千円くらいか。「高い!」あとで考えれば航 空運賃として妥当な金額だったのだが、やけになった人間が何をする か見てろ(⃝cナディア)と言わんばかりに、私は提示された222ドル に対して値引き交渉をふっかけた。「Too high, I want cheap!」な どという、露骨に破綻した妄言*41を撒き散らし、若白髪氏をも大混 乱に陥れた。 結局、222ドルで妥協し、クレジットカードで支払いをした。ちな みにパソコン通信の自動引き落とし以外では、これが生まれて初めて のカードショッピングである。この空港話にはオチがある。何とカ ウンタで悪戦苦闘しているうちに、ボストン行きの便が一つ行ってし まったのだ。後悔の念を抱きかかえて、次の便まで1時間以上を断腸 の思いで待つことになる。
◆
4 飛行機 ボストンはニューヨークから北にほんの少し行ったところにある 地方都市である。ここでボストンからM氏の家までの経路を説明し よう。ボストンの飛行場に着いたら地下鉄で「北駅」という駅に行 き、そこから近郊列車に乗る。注意点は近郊列車の終電に間に合う かどうかだ。計算上はかなり微妙である。かなりというのは、5分く らいしか余裕がない位である。一ステップでも間違えたら路頭に迷 うわけだ。それでもニューヨークの市街に出ていく勇気はなかった。 もう何でもいいからさっさとボストンに行きたいという感じである。 金属なら何でもひっかかるゲートチェックのせいで、全身検査をされ たあげく、搭乗開始が宣言されるまで薄暗いロビーで独り待つことに なった。ひどく不安だ。明治にアメリカを視察した先人たちも、こん な気持ちで夜を迎えたのだろうか。 ボーイングのジャンボと違い、ローカル線の機体は20人乗りのプ ロペラだった。落ちるんじゃないのか、という不安に駆られつつも、 とりあえずはこれに乗るしかない。我に後退なし。前進あるのみ! ニューヨークの夜景はきれいだった。とはいえ、写真をとるなんて 思い付くような精神的余裕はない。日本の夜景が白い光で満たされ ているのと違い、ニューヨークの夜はオレンジの光で満たされてい た*42。出発時には機長のアナウンスが入る。もちろん英語なのでよ く分からない。ただ、こういった種類の情報源は貴重だから必死に聞 き取ろうと無意味な努力をする。「Japanese manは荷物を忘れない よう気を付けろ」と言われたようだった。なるほど、この面子からし て荷物を預けているのは自分だけだろう。だが離陸して数分もしな いうちに急激に睡魔が襲ってきて、それ以降は覚えていない。 着陸のショックで目覚めた。全身汗だくになるほど深く寝ていたら しい。前の人に続き、タラップを降りる。そういえば荷物はどうなっ たのだろう。機体の腹に詰め込まれているはずなのだが。 少しばかり英語を発話する勇気を得たため、試しにチャレンジす る。「Where…my baggage?」うん、上出来だ。be動詞が抜けてる が、もう文法は捨てた。機長らしき人物は「gate 7」と即答した。 「state 7?」「No, gate 7, inside!」そう言って飛行場の建物を指さされた。「inside!」がやたらにきつかったので、追われるように中 に入る。何だか分からないが、中にあるのだろう。中に入ってから、 「baggage」の単語を探し求めてウロウロする。おぉ、何かあるぞ。 「Baggage claim」と矢印が書いてある。クレームとくれば、不良製 品に対して文句を言う、あれだ。きっと荷物に関する文句を言う場所 だと解釈して*43突撃。見ると荷物がローラーの上をくるくる回って いる。「おぉ、これか」きっとさっきの7番というのはステートでは なく、ゲートのことなのだろう。血眼になって視野から「united」の 文字列を探す。急げ。時間はない。程なく7番荷物台を発見。なる ほど、Fromの欄にJFKと書いてある。これだ。 さて、ここから地下鉄経由でコミューターレール*44にのらなくて はいけない。何だかノリは中学生の「アメリカ一人旅」である。しか も時間期限が付いていて、一度のミスも許されない。もし一度でもミ スを起こせば早春の公園で朝を待つ羽目になるのだ。初日からよくぞ こんな気違い的な暴挙をやるものだと呆れるが、時間もないし、こっ ちも命懸けだから手当たり次第に「地下鉄駅」の場所を尋ねる。だが 聞く人聞く人誰もが、バスに乗るのだという。「バスじゃなくて地下 鉄なんだ」といっても、バスだとしか言われない。そんな話は聞いて ないぞ。どうしよう。埒があかないので、「Information」と書かれ たカウンタに駆け込み、簡単な地図を書いてもらって、ようやく理解 した。つまり地下鉄駅まではバスで行くしかないというのだ。それ でも不安なので、交通整理のお巡りさんや道行くレディにも聞いた。 レディは「It’s very easy!」と言って笑ってくれたが、不安なものは 不安だ。33番バスは程なく来た。ベンチのような堅いイスのバスで ある。 バスは地下鉄駅の目の前に着いた。降りた瞬間に地下鉄に向かって ダッシュ。ミスは許されない。見知らぬ町の、乗ったこともない地下 鉄で、しかも意味不明の言語でかかれた看板だけを頼りにのるのだ。 こんな不安なことはない。大体、時刻表が見当たらない。下手したら もうチェックメイトかもしれないのだ。唯一の救いは先ほど書いて もらった地図である。しかし不安はつのる。大体、「inbound」って 何だ? 何が何だか分からない。しかももどかしいのは、それをちゃ んとした英語の文章にして聞けないという点だ。いや、頑張れば強引 に聞くことは出来るが、おそらくその返事は自分の理解を超えた文章 とスピードでなされるので、まったく無意味なのだ。しかも、それが 自分自身で十分過ぎるほどに分かっているのが悲しい。あまりに悲 *40普通の後進国と逆。普通は喋れるけど書けないものだ。 *41expensive と high の違いは中学英語の範疇である。 *42実はニューヨークだけではなく、多くの欧米諸国がオレンジの街灯を使っている。日本の方が珍しいのだ。それでも綺麗さからすれば日本の白い光の方が 好きだ。どうして彼らがオレンジの街灯を好むのかについては、興味ある説がある。白人は肌の色が白いから、白熱灯でないと幽霊のように見えるからな んだとか。真偽のほどは不明である。 *43念のため書くが、これは激しい誤訳である。意味は単なる「手荷物受取所」。 *44当時はもちろん意味不明であったが、訳せは単に「通勤電車」。
惨だ。精神疲労に加えて時差疲労もあり、崩壊寸前で、突然泣き出し かねないような精神状態であった。 だが、近鉄車両のような地下鉄は何とかクリアした。地下鉄に乗っ た瞬間に路線図を探し、目的駅までの駅数をカウントする。車内アナ ウンスなど聞き取れるはずもないからだ。このあたりの感覚が分か るのは先進国に生まれた幸運だろう。「North Station」という、そ のものズバリの駅で降り、地上に駆け上がる。そこは近郊列車の始発 駅だった。車両の幅が新幹線くらいもある、いかにもヨーロッパの鉄 道といった感じのごつい列車が次々に発車していく。もう英語の案 内板を読んで理解している暇はなかった。M氏の住所を書いた紙を、 いきなり駅員に見せて「Where?」とだけ叫ぶ。一瞬の恐怖。だがギ リギリの幸運だけが残っていた。「There!」駅員はそう叫び、私の 腕をつかんで走り出した。ベルが鳴っていた。「Final」とか、そんな 単語が聞き取れた。連れて行かれたホームでは、まさにドアが閉まろ うとしていた。駆け込み乗車だ。間に合った…! 30分ほど乗って「Brandeis/Roberts」という名の駅に着いたとき、 足下は凍り付いていた。こんなところで野宿なんてできるはずがな い。凍え死ぬところだった。電話を掛けようと電話機を探している ところに、懐かしい顔があった。M氏が心配して終電を迎えに来て くれたのであった。現地時間3月15日午後11時。やっと長い長い 一日が終わった。私の脳内にはスタッフロールが表示され、感動的な エンディングのテーマ曲が流れていた。…旅は始まったばかりだっ たが。