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学術の在り方常置委員会報告

日本学術の質的向上への提言

平成14年 月 日

日本学術会議

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この報告書は、第18期日本学術会議学術の在り方常置委員会の審議結果をとりまと めて発表するものである。 学術の在り方常置委員会 委員長 北野 弘久(第2部会員、日本大学名誉教授) 幹 事 上野 民夫(第6部会員、京都大学名誉教授) 幹 事 黒川 髙秀(第7部会員、昭和大学医学部教授、昭和大学横浜市北部病院長) 委 員 佐伯 胖(第1部会員、青山学院大学文学部教授) 委 員 中西 進(第1部会員、帝塚山学院長) 委 員 嶋津 格(第2部会員、千葉大学法経学部教授) 委 員 亀井 昭宏(第3部会員、早稲田大学商学部教授) 委 員 花輪 俊哉(第3部会員、一橋大学名誉教授) 委 員 江澤 洋(第4部会員、学習院大学理学部教授) 委 員 岩松 暉(第4部会員、鹿児島大学理学部教授) 委 員 木村 逸郎(第5部会員、㈱原子力安全システム研究所・技術システム研究所長、 京都大学名誉教授) 委 員 中村 恒義(第5部会員、京都大学名誉教授) 委 員 冨田 正彦(第6部会員、宇都宮大学農学部教授) 委 員 渡辺 洋宇(第7部会員、富山労災病院長、金沢大学名誉教授) 委 員 中山 茂(神奈川大学名誉教授)

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目 次

1 本報告書の目的 2 世界における日本学術の位置 3 日本の学術が評価されない事情 4 その改善策 5 各分野の問題点の展開(各論) 〔1〕 心 理 学 〔2〕 実定法学 〔3〕 経 済 学 〔4〕 経 営 学 〔5〕 化 学 〔6〕 地質科学 〔7〕 原子力工学 〔8〕 電子・通信工学 〔9〕 水田農学 〔10〕 農産物利用学 〔11〕 医 学 〔12〕 基礎医学 別表 第18期本委員会でのヒヤリング一覧

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日本学術の質的向上への提言 1 本報告書の目的 第18 期学術の在り方常置委員会は、第 17 期までは第3常置委員会と呼ばれていた。第 3常置委員会の役割は、「学術の動向の現状分析及び学術の発展の長期的動向に関するこ と」であった。この委員会は、第 17 期で『新たなる研究理念を求めて』(1999 年4月)、『新 たなる研究体制の確立に向けて』(2000 年6月)、の2つの対外報告書をとりまとめた。同 委員会の課題と深く関係する第17期科学技術の発展と新たな平和問題特別委員会は、対 外 報 告 書 『 科 学 技 術 の 発 展 と 新 た な 平 和 問 題 』( 英 文 報 告 書 :Developments in Science-Technology and New Threats to Peace)(1999 年9月)をとりまとめている。こ の英文報告書に対しては海外からも多くの反響が寄せられた。 以上の諸報告書において共通して強調されたことがらは、俯瞰的視点から、実社会との 融合を目ざす「統合科学」(注)の必要性を指摘した点にあるといってよいであろう。 第 18 期日本学術会議活動計画は、①人類的課題解決のための日本の計画(Japan Perspective)、②学術の状況並びに学術と社会との関係に依拠する新しい学術体系、の2つ を設定した。これらを受けて、第 18 期学術の在り方常置委員会は、「日本学術の質的向上 への提言」をテーマとすることとした。その趣旨は、つぎのごとくである。 日本の学術が、日本の今日の人口・産業経済の規模、生活水準、教育水準などからいっ て、先進諸国に比して十分な貢献をしていないのではなかろうか。日本が発展途上国であっ た明治以来、日本の学術はどちらかといえば、輸入学的傾向にあったが、先進国の仲間入 りした今日なお全体として自前の学術の創造性に乏しいのではなかろうか。学術の欠乏を 輸入で補う体質が強いのではなかろうか。日本の多くの研究者の目がいぜんとして国際社 会ではなくて、日本国内の「仲間」だけに向けられているのではなかろうか。日本社会の 生の諸問題を素材にして真に独創的研究を行う姿勢が希薄なのではなかろうか。こうした 反省に立って、日本学術の質的向上を行い、日本を世界における学術の拠点とするにはど うあるべきかを検討することとした。なお、この課題の追究にあたって、私たちは学術自 体が社会の人々の福祉に貢献するものでなければならないことを真摯に考える必要がある。 国内社会にはこの学術の健全性を獲得・維持していくメカニズムが必ずしも十分に存在し ない。そのためにも国際的評価を受けることが大切であることを銘記したい。 この課題の追究は、究極的に学術の在り方として第17 期の上記諸報告書の指摘した俯瞰 的視点の具体化の問題にもつながる。 私たちは、この課題について検討をすすめるうえにおいて、いままで別表のような各分 野の専門家からヒヤリングを受けて慎重な審議を行った。 本報告書は、これらの審議の結果をとりまとめたものである。 (注)「統合科学への発展 モデル転換論に基づく研究の分類には、学術研究と、実社会

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との融合を目ざす統合モデルが必然的に含まれる。それは研究対象を諸科学の統合的な 視点から把える研究方法であり、統合科学という新たな分野を生み出すことになる。」 (第17 期日本学術会議第3常置委員会報告『新たなる研究理念を求めて』1999 年4月) 2 世界における日本学術の位置 日本の人口は、1.3 億人、その GDP(国内総生産)は 514 兆円である。この点、アメリ カは、2.8 億人、1,074 兆円、EU は 3.8 億人、1,113 兆円となっている。1人当たりの GDP は、日本は394 万円、アメリカは 384 万円、EU は 293 万円。これらは、日本の経済力が 単一国家としてはアメリカ並みのものとなっていることを示唆している(2001 年版科学技 術白書)。一方、日本の高等教育への進学率は49.3%、通信制・放送大学の正規課程・専修 学校(専門課程)への進学者を含めると、71.8%になる(2001 年)。この点、アメリカは 45.9%(1998 年)、イギリス 58.4%(1999 年)、フランス 43%(1997 年)、ドイツ 30.3% (1998 年)となっている(2002 年文部科学省『教育指標の国際比較』)。 以上、日本の人口、経済力、教育水準などを先進諸国と比較して、日本がそれ相応の学 術の成果をあげているであろうか。この問題については、諸種の要因が考慮されねばなら ないが、ここでは自然科学を例にして若干の指標を紹介するにとどめる。その国の学術の 成果をこれらの指標だけによって測定することは厳密には問題がある。たとえば、日本で は学術の成果が英語で書かれるとは限らないという事情があった。また、論文の被引用度 も世界の専門家によってもっとも読まれている著名英文専門誌に掲載された論文が引用さ れやすいという事情がある。これらの諸事情を留保するとしても、以下の指標によって日 本の学術のおおよその位置を知ることができよう。

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〔ノーベル賞〕 (自然科学) 1901∼2001 年 米国 204 英国 71 ドイツ 64 フランス 25 スウェーデン 16 スイス 15 オランダ 13 ロシア(旧ソ連) 11 デンマーク 9 オーストリア 8 カナダ 8 イタリア 7 日本 7 ベルギー 5 〔出所〕文部科学省『文部科学統計要覧』2002 年版 〔フィールズ賞〕 1936∼1998 年 米国 11 フランス 7 イギリス 6 ロシア(旧ソ連) 4 ドイツ 3 日本 3 ベルギー 2 スウェーデン 1 イタリア 1 〔出所〕文部科学省『文部科学統計要覧』2002 年版

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主要国・地域の論文発表数の変化 0 200 400 600 800 1,000 1,200 ラテンアメリカ諸国 アジア・オセアニア諸国 EU諸国 フランス ドイツ イギリス 日本 米国 1984-88年 1994-98年 論文件数(千件) 注: 1) 人文社会分野の論文は除いた。    2) EU諸国は現在の加盟国15か国の合計。アジア・オセ     アニア諸国には日本を含む。

資料:Institute for Scientific Information, "National Science    Indicators on Diskette, 1981-1998(Deluxe version)"    に基づき科学技術政策研究所が集計。 〔京都賞〕 対象領域:先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門(人文科学部門)。 1985∼2001 年 米国 24 イギリス 9 フランス 6 日本 6 ロシア(旧ソ連) 2 ポーランド 2 イタリア 2 スイス 2 ドイツ 1 オーストリア 1 オランダ 1 〔出所〕2002 年3月の文部科学省資料 〔論文数〕 〔出所〕科学技術庁科学技術政策研究所『科学技術指標』2000 年版

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0% 5% 10% 15% 20% 25% 30% 35% 40% 1981 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 1998 米国 日本 イギリス ドイツ カナダ イタリア フランス 論 文 発 表 件 数 シ ア 年 注: 人文社会分野の論文は含まない。

データ:Institute for Scientific Information, "National Science Indicators on Diskette, 1981-1998(Deluxe version)"    に基づき科学技術政策研究所が集計。 〔論文発表数シェア〕 〔出所〕科学技術庁科学技術政策研究所『科学技術指標』2000 年版 〔論文被引用度〕 〔出所〕科学技術庁科学技術政策研究所『科学技術指標』2000 年版 3 日本の学術が評価されない事情 主要国の論文被引用度の推移(1981 ―1998 注: 1) 自然科学及び工学のみの値である。 2)「年」として5年重複(5 overlapping-year)を用いた。

デ ー タ :Institute for Scientific Information, "National Science Indicators on Diskette, 1981-1998(Deluxe version)"

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日本の学術は、一部の分野において世界的レベルの学術も存在するが、人文・社会科学 を含めて、全体としては日本の学術は先進諸国に比較して十分な評価を受けるものにはな っていない。その原因については種々のことがらが指摘されねばならないが、本委員会で の審議において指摘されたものに、以下のものがある。 (1) 全体として明治以来の輸入学的体質、創造性に欠ける傾向がある。日本の風土、文化、 社会などをふまえて独創的研究を主体的に行うという姿勢が希薄であった分野が多 かった。 (2) たとえば、水田農学は、イネを中心とするアジア、日本などの地域に適合した、その 意味ではローカルな学問である。それをイネとあまり関係のない欧米の目線で、国内外 で評価しがちであった。 (3) 日本で発達した、たとえば農学についていえば、それ自体人文・社会科学を含む俯瞰 的性格をもつ。それを国内外で従来、個別のデシプリンのみから評価し、俯瞰的視点か らトータルに評価しないきらいがあった。 (4) 日本でも独創的・先駆的研究が少なくはない。日本人のそのような研究を日本社会自 身が自信をもって正当に積極的に評価しないきらいがあった。どちらかといえば外国か らの評価を重視する。また、日本では目先の短期的研究が評価され、長期的研究が評価 されないきらいがあった。日本社会自身のこのような姿勢が国際的評価にも影響を与え る。 (5) 多くの研究成果が、日本の閉鎖的社会だけで発表されるきらいがあった。また、国際 的評価の高い専門誌での掲載・発表が困難という事情もあった。 4 その改善策 日本の学術において全体として存在する輸入学的体質などを克服して、日本を「世界の なかで学術の拠点」にするためには、私たち研究者自身が自省を込めて多くの改善をしな ければならない。本委員会での審議において指摘されたものに、以下のものがある。 提言1 「分野によっては個別のデシプリンに埋没し、どちらかといえば事後的姿勢の研 究が支配的であったが、日本社会の生の諸問題を素材にして、俯瞰的、予防学的視角の研 究を推進すべきである。」 理由と背景 もとより個別のデシプリンに埋没し深く研究することも大切であるが、それ に加えて、これからはさまざまな社会の諸問題を進取・先駆的に解決する理論を積極的に 提示すべきである。たとえば、かつての公害問題、地価高騰問題などに対して、事前に俯 瞰的、予防学的視角の方策を日本の学術は提示すべきであった。後者についていえば、土

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地税制を中心とする日本の土地政策が土地の商品化、土地ころがしなどを結果的に煽り、 かえって地価高騰をもたらしたということがあった。この事例によっても知られるように、 日本社会の生の諸問題を素材にして俯瞰的、予防学的視角の研究を推進することがきわめ て大切である。そのためには隣接分野の研究者との共同研究が不可欠である。また、個々 の研究者も自己の専攻するデシプリンを超えて、隣接分野への理解を深めると同時に、研 究に必要な諸技術をも身につけるようにすべきである。 以上の日本社会に根ざした俯瞰的、予防学的視角の研究の成果は、多くの場合、独創性 をもったものになろう。この点はつとに農学の分野について指摘されていた。それらにつ いては、日本のみならず、世界的にも普遍性をもったものとして評価されるものが多いと みられる。学界をあげて、このような研究を推進する体制を確立すべきである。 提言2 「特に人文・社会科学の研究において不可欠であるが、日本社会の実態について、 フィールド・ワークを行う。そのフィールド・ワークにもとづいて、妥当な理論を独創的 に構築・提示する。そのような研究を高く評価し促進するような学術体制を確立すべきで ある。」 理由と背景 たとえば、日本の法律学についていえば、明治以来、主要実定法典の西洋法 の継受という経緯があるとはいえ、今日なお、先進各国の立法と法理論の紹介それ自体を 「論文」として評価するきらいがある。ごく最近まで、先進各国の立法と法理論の紹介を 含まないものは、「学位論文」にならないとする空気すらもないではなかった。研究者養成 を行う大学院博士後期課程の入学試験において当該学生の専門分野への資質、独創性など よりも、2か国語の外国語試験(外国文献の日本語への読解力のみのもの)が重視される ということもあった。多くの研究者の「研究」は、日本社会の実態、日本社会の諸問題を 解決するという姿勢ではなく、むしろ日本社会とは無関係なもの、ときに「学説」公害と いわねばならないようなものもないではなかった。このような姿勢は、単に法律学だけで はなく、経済学、経営学、会計学、心理学などの分野からも指摘された。 先進各国の成果を参考にすることは大切であるが、日本の学術である以上は、まず日本 の風土、文化、社会などに根ざした研究を主体的に特化的に展開するようにすべきであろ う。この姿勢は、自然科学の分野においても必要となる場合がある。その分野がローカル 性をもつものであっても、このような姿勢の研究成果が同時に、世界的にも学術として普 遍性をもつことを銘記すべきである。このように、日本社会のフィールド・ワークにもと づいて構築された独創的な研究成果を外国へ輸出するようにする。 提言3 「分野によっては独創的研究を行ううえにおいても、専攻しようとする分野の実 務経験をもつことが大切である。そのような分野においては数年間、実務経験を積んだう えで、研究生活に入るような体制を確立すべきである。」

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理由と背景 たとえば、実定法学は臨床医学と酷似している面をもつ。臨床医学研究者と 同じように、実定法学研究においてもいわば臨床経験が大切である。日本では大学へ学生 として入学し、その者がそのまま大学の研究者として生涯を終える例が多い。日本の法律 学を学術として研究する以上は、自己の専攻しようとする分野についてまったく実務経験 がなければ、生産的、積極的、独創的研究を十分に果たし得ない。法廷対策の全く経験の ない者が訴訟法を観念的に、抽象的に研究するだけでよいであろうか。簿記、財務諸表な どを十分に理解し得ない者がどうして企業法、経済法、税法、経済刑法などの分野につい て有意味な研究ができるであろうか。従来のこれらの分野について多くの日本人研究者の 実態は、「学術研究」以前の状態にあったといわねばならない。 分野によっては、数年間、実務経験を積んだうえで、研究生活に入るような体制を確立 すべきであろう。また学界と実務界との共同研究や人事交流も組織的に活発に行うように すべきである。 なお、たとえば、医学の分野では臨床技術などを正当に評価しないきらいがあった。臨 床技術などを学術的に正当に評価する体制を確立することが独創的な臨床医学などの展開 につながるといえよう。 提言4 「通説を批判する独創的研究、新しい分野の研究などを積極的に評価する研究環 境の確立、閉鎖的な研究体制の改善、研究補助者などの充実、研究施設などの整備・充実 などを行うべきである。」 理由と背景 日本では従来、日本人自身、特に若手研究者の独創的研究や、新しい分野の 研究を評価しないきらいがあった。そうした研究を行った者が、特に日本独得のムラ社会 から排除されることもないではなかった。外国から評価されてはじめて、当該研究を日本 で評価するということも少なくはなかった。日本の学界自体がこの点を反省し、これらの 研究を偏見なしで公正に客観的に評価する研究環境を確立すべきであろう。そのためには、 閉鎖的な研究体制(ボス支配、自校出身・国立大学出身優遇など。また、たとえば基礎医 学の分野における医学部出身優遇など)を改善すべきである。また、教授、助教授の定員 が増えても、実際の研究・教育活動の展開に不可欠な研究補助者などがきわめて不十分で ある。助手層、テクニカルアシスタント、ティーチングアシスタントなどの組織的充実を 行うべきである。特にテクニカルアシスタントなどについては、教授職に準ずる地位を保 障し独立した研究職として整備・充実をはかることが急がれねばならない。大学院生数が 増加したにも拘らず、1人当りの研究室・研究施設などのスペース、1人当りの研究費な どがかえって減っている。研究室・研究施設・医学工場などの整備・充実、特に若手研究 者の貧しい生活環境・研究者1人当りの研究費などの改善、研究施設の整備・充実を行う べきである。研究費の配分にあたっては、基礎研究にも、また、人文・社会科学の面にも

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十分に配慮すべきである。 提言5 「日本の学術的業績の世界的水準に関する評価システムを普及させるべきであ る。科学研究費補助金の成果を評価するシステムを整備・普及させ、併せて成果の国際 専門誌掲載を奨励するシステムを確立すべきである。」 理由と背景 日本には「優れた研究を的確に評価するシステムも習慣も定着していない」 ことがたびたび指摘されてきた(たとえば日本経済新聞 2000.10.16 社説)。 学術的業績については、論文だけではなく、フィールド・ワーク、医学における臨床技 術、疾病の予防活動、学術の社会への還元などについても評価されねばならない。 独立行政法人化の動きとともに各大学等で独自の学術評価制度が真摯に検討されつつあ る。ここでは論文について本委員会委員から示された1つの問題提起を紹介することとし たい。自然科学の大多数の学界や経済学の分野の論文については、第一段の評価は、「高い 国際的評価の確立している国際専門誌(日本での刊行のものを含む)に掲載されること」 によって確立される。そして第二段として、「世界の専門家にどれほど注目されたか」が「国 際専門誌における被引用レベル」で評価される。第三に傑出した成果に対しては、「国際的 に評価の高い賞を受賞すること」で中長期的評価がなされる。 このような事情から、世界的水準に照らして評価されうる研究者とは、第一に「分野毎 の論文の性格によって合意される相当数の国際専門誌掲載論文のリストを提出できる研究 者」であり、それに上記の第二、第三の根拠資料が添付されることになる。 日本にはこのような世界的水準に照らしての評価を拒否したり、それから逃避している とも見なさざるを得ない閉鎖的学界が少なくはなかった。「日本独自の文化を扱う分野であ り、日本語で論文を書くのが当然である」という主張がなされる分野も少なくない。人文・ 社会科学系の小規模学会のうち、地域言語・地域文化固有の分野でもないのに、日本語論 文しか書かない習慣が浸透しているムラ社会的学界では、特に閉鎖社会の色合いが濃厚で はないか。そのような狭いムラ社会の中での評価は閉鎖社会特性を色濃く反映した論理に 基づいて行われることが少なくない。そうすると、その分野内でのその狭領域的評価を不 満とし、新しい分野を切り開いたと主張する新進気鋭の学者は同志と共に別の小学会をつ くることになる。ところがそのようにつくった新学会の小規模ムラ社会も日本語圏にとど まる限り、結局は別のムラ社会をつくっただけに終わることも少なくないと見られる。こ のような状況に対して、日本学術会議こそ、日本語論文誌刊行学会群に対して、「外部でも 理解される評価システムを確立し、それに関して業績評価するよう」勧告すべきであると 考えられる。地域言語・地域文化固有の分野群においても、外部から理解される業績評価 の枠組みと評価尺度の共有化を目指すことは可能であると考えられる。 たとえば、科学研究費補助金については、申請課題の選考システムは整備されているが、 達成された成果の評価システムを確立し、普及させるべきである。現在の成果報告書は研

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究期間終了時に提出させられるため、研究期間最終年に達成された成果が評価の高い国際 専門誌に掲載されたかどうか不問のままに放置されている。十分に推敲した論文原稿が評 価の高い国際専門誌で受理されるまでには一年または数年が必要となる。若い時期に留学 経験を持たなかった日本人研究者にとっては、英文洗練補助費用も必要となる。国際専門 誌掲載補助制度の確立、国際専門誌に掲載したことをその後の補助金申請書に記載させる ことなどの方策を講じる必要がある。 提言6 「日本人の大学卒業者及び大学院修士課程修了者などの若手研究者については もとより、中堅クラスの研究者などについても、たとえばその海外派遣期間を3年ぐらい に延長するなど海外派遣制度のいっそうの充実を行うべきである。優秀な研究修業後の帰 国者に高水準の待遇を用意するなどの方策を導入すべきである。」 理由と背景 学術の国際化の流れに鑑み、日本人の大学卒業者及び大学院修士課程修了者 などの若手研究者の海外派遣制度のいっそうの充実を行うべきである。青雲の志を持てる 時期に英語などの外国語や異文化と最先端学術の現場を体験することは、きわめて大切で ある。さらに中堅クラスの研究者などの海外派遣制度についても、たとえば現在は長期で 10 か月程度のものが多いが、これを3年間ぐらいに延長するなどいっそうの充実を行うべ きである。 そして海外での優秀な研究修業後の帰国希望者に高水準の待遇を用意するなどの方策を 導入すべきである。この点、たとえば最近の「トップ 30 校」の動きが日本での研究者ポス ト縮減などにつながるおそれのある場合には、問題であろう。 提言7 「俯瞰的、独創的研究を醸成するようにするために、初等・中等教育を含めて、 学校教育などのあり方を抜本的に改善すべきである。」 理由と背景 いま、日本の初等教育の「ゆとり教育」が問題になっている。また、第二次 世界大戦後に導入された日本の六・三・三・四の画一的教育体制が問題だという指摘もあっ た。初等・中等教育の段階から基礎的科目、たとえば数学、理科、国語、英語、社会など について十分な訓練を行うべきである。国語については日本語で論理的な文章が書けるよ うにすることが大切である。英語については、将来、英語で論文の作成、討論などができ る素地をつくるようにするためにカリキュラム等を改善すべきであろう。 英語教育については、大学等の高等教育課程においても不断の継続的配慮を行うべきで あろう。かつて、先駆的、独創的な研究が日本語論文で発表されていたために世界的に正 当に評価されなかったという事例が存在した。日本学術が世界的に正当に評価されるよう にするためにも、英語教育(英語での討論、英語での論文作成などの能力の育成)の重要 性が認識されるべきである。また、各大学等に英語論文の作成、国際交流などに備えて英

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語のネイティブまたはそれに代る措置を整備するのが望ましい。 さらに、俯瞰的、独創的な研究を可能にするためには、たとえば、大学を含む学校教育 などのあり方についてつぎのような配慮が行われるのが望ましい。すなわち、研究者 1 人 ひとりが、自然科学と人文・社会科学の双方への理解をもつようにする。具体的に言えば、 自然科学の専攻者自身が、同時に人間や社会についてあたたかい理解と配慮をもつことが 大切である。一方、人文・社会科学の専攻者が、幅広く自然界、自然科学についての教養 を身につけることが大切である。正しい意味でのリベラル・アーツに配慮した大学等にお ける教育のあり方が構築されるべきであろう。 提言8 「日本で、従前のものに加えて、各分野の学術資料の収集・蓄積・公開、データ・ ベース化を組織的に行い、世界的にも注目され信頼される学術センターのいっそうの設 置・整備、また、日本人のすぐれた学術の伝統と歴史を伝えるさまざまな学術博物館など の設置や国際共同研究体制などの整備・充実を行うべきである。特にアジア、日本の風土、 文化、社会などに根ざした独自の研究を積極的に行うようにすべきである。」 理由と背景 日本学術の質的向上を行い、日本を世界における学術の拠点にするためには、 以上の諸提言のほかに、従前のものに加えて、さらにつぎのようなことについていっそう の配慮を行うべきである。 ①日本で各分野の学術資料の収集・蓄積・公開、データ・ベース化、有形・無形の諸技 術の集積・維持などを組織的に行い、世界的にも注目され信頼される学術センターのい っそうの設置・整備を行うべきである。また、日本人のすぐれた学術の伝統と歴史を伝 えるさまざまな学術博物館などの設置・整備などを行うべきである。 ②世界の各国、特にアジア諸国の若手研究者の受け入れ体制の整備・充実を行うべきで ある。また、先進諸国の権威ある研究者も日本で共同研究のできる体制の整備・充実を 行うべきである。日本が効率よい快適な研究環境を確立して、研究の機会をひろく世界 に対して開くことが大切である。また、国際的に評価の高い専門誌(英文)の刊行も行 うべきである。 ③特にアジア、日本の風土、文化、社会などに根ざした研究テーマ、研究プロジェクト などの開発を積極的に行う。各研究者は欧米の「ものまね」的研究ではなく、世界のア メリカ的流れに対して、「アジア・日本発」の独自の研究を行うようにする。そして、日 本がさしあたりアジア学術圏の中心になるように努力すべきであろう。

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5 各分野の問題点の展開(各論) 〔1〕心理学 1 対象となる学問領域 心理学は、動物一般(動物心理学)から乳幼児・児童(発達心理学)、青年(青年心理学)、 老人(老人心理学)をその対象に含め、それらの個体のみならず集団・組織(集団心理学、 産業心理学)での心的特性、行動特性を、主に、認知、発達、臨床、文化・社会に焦点を 当てて解明することを目的としている。また、心理学は神経科学、生理学、工学、などと も深い関連のあるさまざまな応用範囲をもつ(応用心理学)と同時に、その理論的基礎を 問う学問(基礎心理学)である。研究の方法としては、実験的方法(実験心理学)、数学的 方法(数理心理学、計量心理学)、臨床的方法(臨床心理学)、現場のフィールドワーク(現 場心理学)などがある。 2 日本における当該学問の状況 (1) 輸入学としての心理学

日本の心理学は、西周が Joseph Haven の Mental Philosophy Including Intellect, Sensibilities, and Will の翻訳を 1875−1876 年に『心理学』という表題で刊行したのが 始まりであるとされている。しかし、西はpsychology の訳語として「心理学」という言 葉を当てたわけではない。原題について「智情意三部ヲ包括セル心理哲学ト云フ義ナリ。 今約シテ心理学ト名ク」 と解説している。当時は欧米でも、「心理学」という言葉が定着 していた訳ではなく、哲学のなかの一領域とされていた。Haven は本書で従来「智」に のみ偏っていた Mental Philosophy を補うべきものとして「psychology」なる領域を提 唱していたので、内容はいわゆる「心理学」の解説が中心となっていた。西は「psychology」 を「性理学」と訳していた。「心理学」が psychology の訳語として用いられたのは、1881 年の井上哲治郎編『哲学字彙』が最初であると言われている。いずれにせよ、日本の心理 学は明治初期に「翻訳」によって導入されたことは間違いない。 1887 年に東京開成学校と東京医学校を合併してつくられたわが国最初の「大学」であ る東京大学において、開設当時の心理学担当は文学部教授の外山正一(文学部唯一の日本 人教授)であるが、外山は若くして米国に留学し、ミシガン州の高校を卒業してミシガン 大学で学んでいる。また外山の後継者である元良勇次郎や松本亦太郎も留学経験者である。 彼らは競って欧米の心理学書の翻訳を手がけた。このように、日本の心理学は欧米の心理 学の輸入に徹することで始まったと言えよう。当時、帝国大学(東京大学が1886 年の帝 国大学令によって改称)の評議会による「博士号」授与の条件として、欧米の大学で正規

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学生として研修を受けた経験があることが挙げられており、西周すら「不可」とされてい た。 (2) 実証科学としての心理学 日本の心理学は、当初から、「科学主義」、とくに、物理学にならって、実験と観察をそ の研究方法とする実証科学として始められた。帝国大学で、外山の後継者として心理学を 担当した元良勇次郎は、米国のジョンズ・ホプキンズ大学(米国で最初に心理学実験室を もった大学)で研修を受けており、帝国大学に心理学実験室を設立して「精神物理学」の 講義をした。その後、わが国の心理学は、戦前、戦中を通してドイツのゲシュタルト心理 学が中心的になり、感覚・知覚についての実験的研究がその研究の中心であった。 戦時中は植民地、占領地の住民への集団式知能検査が実施された。また兵士の適性を調 べる適性検査も盛んに行われた。 戦時中の心理学で特筆すべきものとしては、血液型気質相関説がある。それは1927 年 に古川竹二によって提唱されたものだが、血液型が人間の気質を決定づけているとするも のである。この説は、陸海空軍の兵士を対象にした大量のデータ(軍では、輸血に備えて、 血液型の検査は必ず行われていたので、データがとりやすか っ た)をもとにして唱えられ、 爆発的に「一般化」した。職業選択から結婚相手との相性までが血液型をもとに選択すべ きとの説が唱えられた。しかし、1931 年頃から批判が出始め、1933 年の日本法医学会総 会で、公的に論争が行われ、その後も、厳密に統制された調査(条件を統制した調査デー タの厳密な統計的検定による調査)が行われて、反証されていった。1937 年には、血液 型研究の第一人者である古畑種基によって、「血液型と気質の関係は科学的には何等の根 拠も見出し得ない謬説であって、かゝる謬説を社会に応用せんとすることは許すべからざ る過ちであると云わなくてはならない」と断定された(古畑種基「人の気質は血液型と関 係があるか(四・完)」『実験治療』184 号、1937 年、5-8 頁)。 戦時中はまた、機械の操作性や作業能率の向上のための知覚や運動に関する心理学(い わゆる「応用心理学」)も発展した。 (3) 行動主義心理学の広がり 1940 年代から 50 年代にかけて、米国の心理学が行動主義の最盛期となっていたとき に、わが国が終戦を迎え、大学院生など若手研究者は動物の学習実験をもとにした行動主 義心理学に傾倒した。米国では1967 年に Urlic Neisser のCognitive Psychology の出版 を契機にして急速に行動主義は衰退し、認知心理学・認知科学の時代に突入したが、わが 国では70 年代まで行動主義心理学の伝統がつづいた。この伝統は、90 年代になっても、 教育学部で人間の学習について講義をしている教育心理学系の教授の中には、動物実験を していた学生時代にたたきこまれた行動主義心理学から脱皮できないままであるという ことも聞かれる。

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(4) 認知心理学の興隆

行動主義批判としてはじまる認知心理学は、わが国では心理学者よりもさきに計算機科 学者たちに注目された。1974 年に、日本電子技術総合研究所ではMIT(マサチューセ ッツ工科大学)の若き認知科学者Terry Winograd を招待し、一連のレクチャーが開かれ た。彼は自然言語を理解するコンピュータシステムの開発者であり、学位論文をもとにし て書かれた論文はIJCAI(人工知能連合国際会議)で Computer & Thought 賞(若い研究 者に贈られるもの)を受賞したことでも知られている。このレクチャーは“Five Lectures on Artificial Intelligence”としてレポートにまとめられ、わが国の研究者に大きな影響 を与えた。レクチャーでは、人間とコンピュータシステムが持つべき知識の枠組みは、認 知と理解に深く関わりあい、もはや、コンピュータ科学だけで、人工知能が実現できるも のでなく、言語学、心理学、哲学などの学際的な学問領域から解決すべきだということが、 わが国の計算機科学者たちに理解されはじめた。Winograd のレクチャーの翌年に発刊さ れたDaniel Bobrow and Allan Collinsの”Representation and Understanding: Studies in Cognitive Science” が刊行されると、電子技術総合研究所の淵一博を中心にして、大 学と電子技術総合研究所内部の計算機科学者たちが、勉強を兼ねながら、翻訳した。翻訳 が出版されたのは1978 年である。

1980 年の9月 10∼15 日に、東京の国際文化会館で、「認知科学に関する日米シンポジ ウム」が開催された。米国からの参加者は、Donald Norman(カリフォルニア大学サンディ エゴ校)、Daniel Bobrow (ゼロックス・パロアルト研究所)、William Woods (ボルト・ ベラネック&ニューマン研究所)、Gordon Bower(スタンフォード大学)、Earl Hunt(ワ シントン大学)、Cris Riesbeck(エール大学)であった。日本側の参加者は、戸田正直(北 海道大学)、東洋(東京大学)、長尾真(京都大学)、淵一博(電子技術総合研究所)など 心理学者、言語学者、計算機科学者たちであった。この頃から、日本の心理学にも認知心 理学・認知科学が急速に発展し始め、1983 年に「日本認知科学会」が発足した。 (5) 臨床心理学ブームのおこり 日本の心理学は伝統的に実験心理学が中心であった。日本心理学会では会員を第1部門 (知覚、生理、思考、学習)、第2部門(発達、教育)、第3部門(臨床、人格、犯罪、矯 正)、第4部門(社会、産業、文化)および第5部門(方法、原理、歴史、一般)の5部 門にわけているが、最大の会員数をもつのは「知覚・生理・思考・学習」(第1部門)と いう実験系である。第二位は「臨床・人格・犯罪・矯正」であり、第三位が「発達・教育」、 つづいて「社会・産業・文化」、「方法・原理・歴史・一般」となる。日本心理学会誌であ る『心理学研究』、その欧文誌『Japanese Psychological Research』の戦後から掲載され た原著論文の約6割が第1部門の論文である。

ところが、最近になって、いじめ、不登校、少年の凶悪事件が社会的に問題になり、「心 の問題」が社会的に注目されてから、臨床心理学への社会的注目度が急速に高まってきた。 それに加えて、「臨床心理士」という資格制度が導入されて、全国の大学に「臨床心理学」

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関係の講座が一斉かつ大量に開設され、多くの学生を引き入れている。このような事態に 至った経緯は、以下の通りである。 わが国で「カウンセラー」(心理相談員)に資格を与えようという動きは、1950年 代からあり、日本応用心理学会が中心となって、「指導教諭(カウンセラー)設置に関す る建議案」を衆参両院に提出して採択をみており、同学会は文部大臣に「指導教諭設置に 関する意見書」を提出している。1961 年に日本臨床心理学会が発足し、当初から資格問 題が重要な論点とされていた。1963 年には、日本心理学会、日本教育心理学会、日本応 用心理学会、日本臨床心理学会など17 の関係学会で「心理技術者認定機関設立準備協議 会」が発足した(のちに、「協議」ははずされ、「準備会」とされた)。その際、精神医学 を中心とする関連学会との折衝も行われた。 設立準備会は、1966 年に最終報告を提出し、資格名を「臨床心理士」として独自の認 定機関を設立することが提案された。そこではほとんど反対意見がなく、臨床心理士の認 定が行われる予定であった。ところが、1969 年の日本臨床心理学会の第5回大会で、公 開理事会が開催され、徹底的な批判と反対の声があがった。それは研修制度、教育制度が 確立していないのに資格を出すことの問題、審査基準の不明確さなどであった。1969 年 は大学紛争の最盛期であり、日本精神神経学会、日本精神分析学会など、軒並みに、会員 による問題提起、学会改革が叫ばれて紛糾していた。それは精神医療や心理検査による人 間差別と業績主義への糾弾であった。これによって、「臨床心理士」の資格認定の動きは 事実上消滅した。 ところが1982 年に、日本心理臨床学会が創設され、あらたに資格問題が浮かび上がっ た。1986 年に「日本臨床心理士資格認定協会設立準備委員会」が設立され、1988 年には 日本心理臨床学会、日本行動療法学会、日本家族心理学会など12 の学会が加盟団体とな って、「日本臨床心理士資格認定協会」が設立された(加盟団体制は翌年廃止された)。協 会は1990 年には文部省から公益法人として認可されて財団法人となり、資格制度を確立 している。1998 年3月で 5,881 名の有資格者を認定している。さらに、1996 年に、「臨 床心理士資格認定のための大学院指定制」を定めた。これは、臨床心理士資格認定審査の 受験資格に関する修了書を発行できる大学院を、申請に基づく指定制とし、その条件とし て、第一種(修了後ただちに受験資格)では5名以上、第二種(修了後1年以上の実務経 験を要する)は4名以上の臨床心理士資格取得者の専任教員(教授、助教授、専任講師) を有することとされた。これに応えて、全 国の大学で、臨床心理士の受験資格の指定校と なるために、臨床心理学関連のコースが設置されるようになり、まさに、臨床心理学ブー ムを生んでいる。平成13 年度末で、第一種の指定を受けた大学院は55校、第二種の指 定を受けた大学院は31 校ある。 しかし、心理学関連の学科は多くの大学では文学部ないしは教育学部の一部であり、そ の学科で4名ないし5名のスタッフを臨床心理分野で埋めるということは、心理学の研究 全体を圧迫するものである。さらに、臨床心理学関連の学会は日本臨床心理学会、日本カ

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ウンセリング学会など、数多く存在するにもかかわらず、日本心理臨床学会が中心となっ て構成された認定協会での認定が「公的な資格」を与えていることへの不満もある。 さらに、1995 年からスタートした文部省スクールカウンセラー事業(正式にはスクー ルカウンセラー活用調査研究委託事業)では、学校現場に教育改革の一環として非常勤(週 2 日勤務)で臨床心理の専門家を配置することとなったが、その資格条件として「臨床心 理士」であることとした(後に、それに準じる者も加えたが、給与面で大幅な格差がつけ られている)。 3 日本の当該学問の世界における位置、その評価されない諸事情 学術用語で人名を冠につけているものは冠名語句といわれている。冠名語句事典として 有名な Eponimies Dictionary Index によると日本人の心理学者による冠名語句はゼロで あった。平凡社世界大百科事典でも、「内田〔勇三郎〕クレペリン検査」、「森田〔正場〕療 法」、「矢田部〔達郎〕=ギルフォード〔Guilford,J.P. 〕性格検査」がある程度である。この うち、「内田クレペリン検査」、「矢田部=ギルフォード性格検査」とも、欧米の検査を日本 に適用したものであり、独創的研究の成果とは言えない。「森田療法」は森田正馬によって 考案された神経質治療法であり、精神医療の一つである。海外の心理学関連の賞を受賞し たのは、戦前では速水滉が 1941 年にドイツ学士院賞、1989 年に印東太郎が色彩研究でジ ャッド賞、伊谷純一郎がハックスレー賞、三隅二不二が1993 年にクルト・レヴィン賞およ び1994 年に第一回国際応用心理学会賞を受賞している程度であり、きわめて少ない。 以上のことからも、日本の心理学は当初から現在に至るまで、欧米追従型であるといえ よう。学会の会員数は米国についで世界第2位であるが、輸出できるような研究業績はほ とんど出ていない。 何故にわが国の心理学が世界的な評価を受ける研究を生み出していないかについては以 下のような理由が考えられる。 (1) 手続き(方法)重視の心理学教育 心理学はほとんどの大学で文学部ないしは教育学部の中の1学科ないしは1講座にお いて教育されている。その学生はもともと文科系として入学してきた学生がほとんどであ る。しかし、これまで見てきたように、わが国の心理学は「実験心理学」が主流であり、 実験装置を使っての厳密な実験と観察を重視し、その技術の習得にかなりの時間とエネル ギーをとられる。また、そのデータ解析には統計的手法が使われるため、統計学の教育も 必須とされる。このような事情から、心理学研究に携わる学生は、「心理学研究」の方法 論と技術の習得に追われて、心理的に興味のある問題を独自の考えで探求するという余裕 がなく、またそのような訓練をほとんど受けないまま大学院生、さらには研究者になる。 したがって、そのような研究者の「論文」も、「方法がしっかりしている」、「正しい手続 きで実験され、正しい統計的手法でデータ処理がなされている」という点でのみ評価され、 学会論文も、そのような「手続き的に文句がつけられない論文」だけが採用されることに

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なる。結果的に、欧米研究の「追試」が主流となる。 また、統計的手法を濫用するならば、とりあえずデータをあれこれと取ってから、統計 解析の結果「有意な差」が出たデータだけを採用して、あたかもそれがはじめに予想され たかのような論文構成にしてしまうという、本来の科学的探求の論理を無視した「一見科 学的な」推論がまかり通ってしまいかねない。そのため、理論的な問題から仮説を構成し て、問いを深めるという研究をしないでも、「業績」だけはあげられることになる。実際、 わが国の心理学研究は、当初から結果が予想されるような「仮説」を、「厳密な手続きで 検証」しただけのものがきわめて多い。学術的にはほとんど意味がない。 (2) 研究の細分化とセクショナリズム 日本学術会議の第1部に心理学に関しては心理学研究連絡委員会と行動科学研究連絡 委員会とがあるが、心理学研究連絡委員会を構成している関連学会が26 学会、行動科学 研究連絡委員会を構成している関連学会は22学会がある。このように多くの学会がある のは、特定の研究者グループ(多くの場合、特定の教授とその教え子や関係者)が中心と なって「流派」を作り、一種の「派閥」として、後継者人事などに関与しているという、 わが国独特の閉鎖的「学閥」状況が背景にある。このような研究のセクショナリズムが、 独創的研究をはばんでいる。 (3) 問題発掘型の教育の欠如 わが国の心理学研究は、人間の心理や行動に関して新しい心理学的問題を提起するもの がほとんどない。それは先に述べた「手続き主義」的な研究風土も原因だが、大学での心 理学教育の中で、学生独自の「問題発見」や「仮説づくり」の訓練の場がほとんどない。 たとえば、「数理心理学」では、さまざまな心理現象を「数学的モデル」を構成して解析 するものだが、この領域の研究者は1970 年(佐伯胖が米国の大学院で「数理心理学」の 博士号取得)当時わが国では皆無に等しかった(現在も事情はあまり変わっていない)。 それに対し、わが国では、「計量心理学」が盛んであり、それは心理データの統計解析を 中心とするものである。当時の米国の大学での「数理心理学」のトレーニングでは、日常 的な現象や、これまで既知とされている心理実験の結果を、何か新しい観点から解釈しな おし、それを「数学的モデル」で提起するというレポートを毎週のように提出するという ものがあったが、これでは、否応なく、「他人が考えつかない理論」を自分で考えざるを 得ないこととなろう。 4 改善策 (1) 日本ならではの研究 経営学の世界では、「日本的経営」というものが世界的に注目を浴びている(トヨ タの「カンバン方式」などが有名)。一方、日本の教師の授業技術も、そのレベルの 高さは国際的に定評がある。しかし、日本の授業研究をていねいに「心理学的に」分 析して、その優秀さを海外に紹介するような研究は、残念ながらほとんどない。ただ、

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幼稚園教育の中で、「数の概念」の指導が、わが国の場合、さまざまな遊び指導活動 に埋め込まれており、明示的に「数を教える」ことがほとんどないにも拘わらず、い たるところで巧妙に「数の指導」が織り込まれていることを検証している研究はある。 あるいは、最近は、欧米の心理学者たちも「個人主義一辺倒」から脱して、集団の中で、 共同的に学習が進められることに注目しているが、共同的な学習や共同的な作業について は、わが国は、実践としては、欧米よりは古くから、また広範囲で実施されてきている。 このように、日本には、国際的に関心を持たれるかもしれない研究課題がたくさんある。 そのような「日本ならでは」の研究課題を発掘し、研究成果を海外に向けて発表すること で、学術の拠点となることは、可能である。 (2) 心理学教育の改善 心理学を文学部や教育学部の所属とするのでなく、まさに文理融合領域として、理系か らの学生も受け入れるべきであろう。ちなみに、ある日本人研究者は、日本の大学では工 学部出身で、米国の大学院ではじめて心理学専攻となった。米国の大学にはそのようなバ ックグラウンドの大学院生は少なくない。米国ではそのための大学院1年生の教育訓練は、 まさに、「訓練」(デシプリン)そのものであり、文字通り、「鍛えられる」ことになる。 また、領域のセクショナリズムをなくし、他領域間の交流を盛んにし、異分野の人々を 交えた共同研究をもっと推進すべきであろう。 学会の論文に、長大な大作も掲載可能にすべきである。一定の長さの短論文だけしか掲 載されないとなると、大きなテーマの研究をはじめからあきらめて、少ないページ数でこ ぎれいにまとまる研究だけに限られてしまう。欧米では、一巻全部が一人の人の論文で構 成されるということも、ないではない。 また、日本人研究者は、他の日本人研究者を賞賛したり、引用したりということをあま りしない。欧米の文献にばかり目が行き、日本で「よい研究」をしている者をみんなでも り立てるということが少ない。欧米では、ちょっとしたアイデアの研究でも、評価しあっ て、相互に「育て合う」こと、「援助」しあうこと、「共同研究」をすることなどが、頻繁 に行われる。まさに、そこには「学び合い、育て合う共同体」がある。 以上のようにすると、わが国の心理学がいつかは「世界のなかでの学術の拠点になる」 というのも夢ではなさそうに思えてくる。 〔注〕本文執筆にあたっては、主に、以下の著書を参考にした。 佐藤達哉・溝口元編著『通史 日本の心理学』北大路書房 1997 年 梅本堯夫・大山正編著『心理学史への招待』サイエンス社 1994 年

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〔2〕実定法学 1 対象となる学問領域 法律学といっても、大きく基礎法学と実定法学とに分かれる。基礎法学とは、法哲学、 法史学、法社会学、比較法学の諸分野を指す。実定法学とは現に日本で行われている各実 定法の分野を具体的に研究するものであって、解釈法学(立法論を含む)または実用法学 とも呼ばれる。ときに「法律学」と呼ぶときはこの実定法学を指すこともある。 2 日本における当該学問の状況 日本の実定法学については、ごく一部を除き全体として輸入学的体質、日本社会の諸問 題の解決にあまり配慮しない特質、ときに「学説」公害とも呼ばなければならない側面を もつ虚構性・非現実性・非科学性、科学がもつべき「創造性」以前の諸事情などの存在を 指摘することができる。 この特質の一端を、明治以来主要実定法の西洋法の継受という事情があることおよび日 本商法学におけるの2つの虚構性の事例を例証的に紹介することによって、明らかにした い。 (1) 西洋法の継受と日本の実定法学 日本は、その近代国家の形式をととのえるために、明治期、日本の実定法の整備にあ たって、大幅に西洋法を継受した。 大日本帝国憲法は、ドイツ人ヘルマン・ロエスレルの示唆を基調として明治 22 年 (1889)に発布、同 23 年(1890)に施行された。同憲法運用の法理論としては、ドイ ツ法学が支配的であった。第 2 次世界大戦後、1946 年に公布、47 年に施行された日本 国憲法は、周知のようにアメリカの示唆による。そこでの日本憲法学の展開にあたって、 ドイツ法学に加えて米英法学、フランス法学などが参考にされた。 民法典(旧民法)は、フランス人グスタフ・ボアソナードの起草したものが明治 23 年(1890)に公布されて、同 26 年(1893)に施行される予定であったが、この旧民法 施行に対して反対運動が起こり、ついに施行が延期された。結局、穂積陳重、富井政章、 梅謙次郎による修正案が明治 29 年(1896)および 31 年(1898)に公布、31 年(1898) に施行された。旧民法のフランス法を継受しながらも全体としてドイツ法などの影響を 受けるものとなった。日本民法学の展開に大きな影響を与えた理論は、全体としてはド イツ法学であったといってよい。なお、第 2 次世界大戦後、日本国憲法のもとで、民法 の家族法の部分が 1947 年に改正され 48 年に施行されている。 商法典(旧商法)は、ヘルマン・ロエスレルの起草によるものが明治 23 年(1890)

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に公布された。その一部(「会社」など)が明治26年(1893)に施行された。その後、 ドイツ法を母法として梅謙次郎、岡野敬次郎、田部芳の起草によるものが明治 32 年 (1899)に公布・施行された。日本商法学の展開に影響を与えた理論は全体としてドイ ツ法学であった。第 2 次世界大戦後、アメリカ法を日本の株式会社法に導入することと なり、1950 年にその改正法が公布され、1951 年に施行された。ドイツ法学に加えて米 英法学などが日本商法学の展開に影響を与えることとなった。 刑法典もグスタフ・ボアソナードの起草によるものが、明治 13 年(1880)に公布、 同 15 年(1882)に施行。その後、改正法が明治 40 年(1907)に公布、同 41 年(1908) に施行された。これが現行刑法である。日本刑法学の展開も全体としてドイツ法学を基 調とするものであった。第2次世界大戦後は、これに米英法学などが加わる。 刑事訴訟法については、グスタフ・ボアソナードの起草による治罪法が最初で、明治 13 年(1880)に公布、同 15 年(1882)に施行された。同 23 年(1890)大日本帝国憲 法の施行に伴い改正されて刑事訴訟法となった。その後、ドイツ法学の影響を受けて大 正 11 年(1922)に刑事訴訟法の改正が行われ、同 13 年(1924)に施行された。日本刑 事訴訟法学の展開も全体としてドイツ法学を基調とするものであったといってよい。第 2次世界大戦後は、米英法の影響のもとに現行刑事訴訟法が 1948 年に公布、1949 年に 施行された。ドイツ法学に加えて米英法学などが日本刑事訴訟法学の展開に影響を与え ることとなった。 民事訴訟法は、ドイツ人ヘルマン・テッヒョーの起草によるものが明治 23 年(1890) に公布、同 24 年(1891)に施行された。その後、オーストリア法を参考にした改正法 が大正 15 年(1926)に公布され昭和4年(1929)に施行された。日本民事訴訟法学も ドイツ法学を基調とするものであった。第 2 次世界大戦後、米英法的見地からの改正が 行われた。ドイツ法学に加えて米英法学などが影響を与えることとなる。 日本行政法・行政法学は、大日本帝国憲法のもとでは、ドイツ官僚行政法・行政法学 からの輸入・展開という特質をもっていた。ドイツ以上に官僚法学の側面の強いもので あった。第 2 次世界大戦後、日本国憲法のもとで、ドイツ法学に加えて米英法学、フラ ンス法学などが影響をもつようになる。 以上、日本の実定法学の特質を考えるうえにおいて、主要実定法の西洋法の継受とい う事情が指摘されねばならない。 (2) 日本商法典・商法学の虚構性 以上の輸入法学的研究が日本社会にいかに不合理な「負」の結果をもたらしているか について、商法学の事例を例証的に2つだけ挙げておきたい。 商法典の株式会社法は、典型的な物的企業としてかつ個人株主を中心とする社団とし ての大企業を前提としている。株主総会、取締役、監査役、企業会計などの規定は、そ のようないわば巨大株式会社においてのみ妥当するものとなっている。日本所得税制が 個人企業と法人企業とにそれぞれ異なった仕組みを導入してきたために、第 2 次世界大

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戦後、もっぱら租税回避の手段として個人企業から法人企業へ転化するという法人成り 現象がみられた。この結果、会社に限っても法人数は 306 万社(うち株式会社数 121.5 万社)に及んでいる。うち、資本金 10 億円以上の株式会社数は、7,600 社にすぎない。 商法典の株式会社法は、実質的に株式会社数の1%にも満たない大企業を対象とするも のである。つまり、日本の会社の大部分(中小企業)が、そもそも商法典の規制に適合 しないものとなっている。 加えて、その商法典の前提とする大企業の多くは、個人株主の占める比率はきわめて 低く(政府税制調査会資料によれば、全上場企業の個人株主の占める比率は 1994 年度 で 23.5%にすぎない)、個人株主を中心とする社団というよりも、「資本」に法人格を 付与した財団的実態をもっている。会社数からいえば、ほんの一握りにすぎない大企業 の多くの実態も、このように商法典の前提とは大きく乖離している。この事実は重大で ある。 一方、商法典が適用されるはずの中小法人の多くは、所有と経営とが一致し、しかも そのオーナーの生存権の延長線上に憲法理論上位置づけられ得る実態をもつ。つまりパ ーソナルな実態である。中小法人は法人格をもつとはいえ、その多くは憲法理論上生存 権ないしは生業権の対象になる存在である。法律上は、そのオーナー株主も有限責任社 員であるが、企業維持のためにオーナーおよびその家族の個人資産までもが現実には担 保に供されているのが通例である。これでは、法人倒産とともに「一家心中」の状態に 追い込まれるおそれがある。オーナー株主などは現実には無限責任社員的地位にある。 ある法律学研究者は、かつて裁判所でつぎのように証言した(たとえば中小企業に対す る法人税課税処分取消訴訟における北野弘久教授の証言。1991 年7月、92 年8月、秋 田地方裁判所)。「およそ日本社会に合わない商法典を日本中小法人が無視すれば無視す るほど日本資本主義・日本経済が発展するであろう」。 以上、日本商法典は日本社会にとって「虚構」の存在といってよい。この誤った商法 典を前提にして税法上の規制などが加えられている。たとえば、法人税法は役員賞与を 損金に算入しないと規定している。この損金不算入原則の緩和措置として「使用人兼務 役員賞与」のうち使用人分は損金に算入することとしている。しかし、現実に常時、使 用人としての仕事をしていても、社長、副社長、代表取締役、専務取締役、常務取締役、 清算人、合名会社・合資会社の業務執行社員、監査役、同族会社の判定基礎株主に該当 する者等の使用人賞与分は税法規定上は損金に算入されない。 思うに、取締役等の経営者は株主総会からの委任を受けて、経営業務を行う。役員賞 与は、その経営業務の成果に対する当該役員への配分であって、それゆえ利益処分の性 質をもつ。そのような建前から、法人税法は、役員賞与を損金に算入しないと規定して いるわけである。この建前の妥当する企業は、ほんの一握りの大企業にすぎない。中小 法人の大部分にはこの建前がおよそ妥当しない。中小法人の大部分の役員が現実に常時、 使用人の仕事をしていても、彼らには前出使用人兼務役員の使用人分賞与の損金算入規

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定をほとんど適用し得ないこととなる。 さらに、これは商法学プロパーというよりも税法学の問題であるが、ただ日本商法典 が前出の生存権・生業権の対象になる中小法人を区別しないで株式会社に対して画一的 規制を行っていることと無関係ではないので、ここで指摘しておきたい。日本法人税法 は、中小法人を含むすべての法人に対して基本的に同一の比例法人税率を適用すること としている。加えて大部分の中小法人には同族会社の特別課税〔追加課税〕が適用され る。一方、租税特別措置(租税優遇措置)はもっぱら大法人に適用される。以上のこと は、憲法の応能負担原則(憲法 13、14、25、29 条等)に背反するとともに、日本資本 主義を支えてきた中小法人の生存権をむしろおびやかすおそれがある。 いま一つの事例を挙げよう。日本商法学は、かつて「企業政治献金は定款目的内の行 為であり、会社も自然人たる国民と同様に政治的行為をなす自由を有する。政治献金も、 その自由の一環であり適法である」という、最高裁判例(昭和 45・6・24 大法廷判決・ 民集 24 巻6号 625 頁)を生み出し、支持してきた。この考え方は、学問的に誤りである。 その誤りの一端を指摘しておきたい。(1)主権者固有の権利である投票権・参政権は 自然人である国民のみにある。現代社会において実質的に最も重要な投票権・参政権の 具体化の1つが政治献金である。政治献金は、投票権・参政権という主権的権利の行使 として憲法上は基礎づけられる。(2)以上により、現行法のもとでも企業政治献金自体 が民法43条違反(法人の目的外の行為)であり民法 90 条違反(憲法原理に抵触する公 序良俗違反)であって、無効である。会社も産業界に関係のある諸制度などの改善につ いて政治的に政党・政治家を含む関係機関に働きかけるという政治活動をすることは、 許容される。これは、「表現の自由」(憲法21条)の問題である。このことと政治献金 という「現ナマ」をぶつける行為とは、厳に区別されるべきである。 (3)企業政治献金を容認すると、つぎのような重大な憲法問題が生ずる。これは、民 主主義の根幹に関する。イ.主権的権利である国民の投票権・参政権への実質的侵害。 ロ.主権者の代表機関である国会・地方議会の空洞化。議会制民主主義の本質論的危機。 ハ.企業の構成メンバー(自然人である国民)の保有するはずの様々な市民的自由への 侵害。ニ.企業の構成メンバーに外国人、法人などが存在する場合には彼らに参政権・ 投票権を付与したと同じ機能を果たす。ホ.日本国憲法で規定する平和・福祉などを確 保するための「憲法保障」への危機など。

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〔出所〕2001 年 4 月現在の法務省資料 3 日本の当該学問の世界における位置、その評価されない諸事情 日本法および日本法律学は、現在では韓国、中国などのアジアの諸国の一部に影響を与 えている。しかし、さきに指摘した輸入学的体質などによって、一部の分野(公害法など) を除き世界を指導するものとはなっていない。 ただ、そのきわだった輸入学的体質によって、たとえば中国の研究者が日本語を学習し、 日本で刊行された日本語文献を読むことにより、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、 イタリーなどの先進諸国の法律と法律理論を容易に知ることができるという事情がある。 4 改善策 日本法律学の問題性を示唆するエピソードを紹介しておきたい。第 2 次世界大戦後の日 本経済を支えてきた日本中小企業法を研究するために来日したドイツ人研究者が日本人研 究者による会社法研究会に参加し、参加後、つぎのような感想を洩らした。「多くの日本人 研究者は自分以上にドイツの法令、判例、学説の動向に精通していた。しかし、彼らは日 本の会社法の実態については全く答えられなかった」。 つぎのような改善を行うべきである。 (1)日本の社会科学の研究を行う以上、日本社会の実態についてフィールド・ワークを 行う。そのフィールド・ワークにもとづいて、妥当な法理論(法解釈論・立法論)を独創 的に構築・提示する。このようにして、輸入法学ではなく独創的な日本法律学をむしろ輸 出するようにする。 (2)実定法学は臨床医学と酷似している面をもっている。臨床医学研究者と同じよう に、実 定法学研究においてもいわば臨床経験が大切である。数年間、自己が専攻しようと する実定法について実務経験を積んだうえで、研究生活に入るようにする。 ■ 日 本 の 会 社 数 資 本 金 額 株 式 会 社 有 限 会 社 合 名 会 社 合 資 会 社 5,000万円未満 1,121,300 5,000万円∼1億円未満 53,600 1億円∼3億円未満 21,800 3億円∼5億円未満 8,100 5億円∼10億円未満 3,000 10億円∼50億円未満 5,100 50億円以上 2,500 計 1,215,400 1,741,300 19,200 82,500 3,058,400

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(3)日本の大学における実定法学研究者の少なからぬ者が法律相談等に応ずることができ ない。彼らは法的リスクを未然に防止しようという予防法学的スタンスの研究を行ってい ないからである。事件が起きてからどうするかという、事後法学ないしは裁判法学的スタ ンスの研究になりがちである。これでは、現代社会の要望に応ずる法律学とはならない。 予防法学的スタンスに立って、進取・先駆的に問題解決になる理論を提示する。 (4)従来は法解釈論に傾斜しがちであったが、妥当な法理論にもとづく立法論的提言の研 究にも力を入れる。 (5)日本の実定法学研究者の養成において従来、もっぱら外国語の訓練が重視されてきた。 分野によっては他の隣接科学への知見が不可欠である。たとえば、税法、商法、経済法、 経済刑法などの分野では、簿記・会計学、経営学、経済学などへの理解が不可欠である。 従来、簿記会計の技術そのものを十分に身につけていないために、自己の専攻する法分野 について立ち入った研究を展開し得ない者も少なくはなかった。臨床医学と同様に、実定 法学の研究者には隣接科学への研究を深めるとともに、たとえば簿記会計のような、自己 の専攻分野の研究に必要な技術をも修得させることが大切である。

参照

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