10月16日 「『環境と人間のふれあい館』館長塚田さんのお話」 10月23日 「阿賀に生きる」 10月30日 「新潟水俣病語り部たちの語りを聞く」 11月27日 「福島原発事故避難者と水俣病被害者との共通点」
新潟県立環境と人間のふれあい館
(新潟水俣病資料館)
館長 塚田 眞弘さんのお話
設置場所:自然を学習する 場所として整備 「水の公園福島潟」 新潟水俣病と水環境をテーマにした施設 新潟水俣病の経験と教訓を後世に伝える 公害の根絶と環境保全の重要性の認識してもらう 名称『環境と人間のふれあい館』 …環境と人間の関わりを考える 中で、環境保全の大切さを 理解してもらいたい。
環境と人間のふれあい館建設の歩み
1967年 第一次訴訟
1982年 第二次訴訟
1995年 昭和電工と解決協定 「地域の再生・振興のために昭和電工が 新潟県に2億5000万円寄付」建設着工までの紆余曲折
建設位置 阿賀野川周辺を予定 「資料館を建設すると、風評被害を受ける可能性がある」 資料館設置に難色 被害状況を伝えるべき ↕ 「そっとしておいて欲しい」 建設地 福島潟「水の公園福島潟」の敷地内に決定施設名称
意見①「新潟水俣病資料館」
意見②「水俣病」を施設名称に加えない
正式名称 「環境と人間のふれあい館」に決定
まとめ
~新潟水俣病資料館~ http://www.fureaikan.net/
「阿賀に生きる」
阿賀に生きる製作委員会、1992年
佐藤 真
監督作品映画の舞台
新潟県を流れる阿賀野川流域
・流域面積7078㎢(第8位)・年間総流量126億㎥(第3位) ・流路延長210㎞(第10位)
美しい流域の風景
鹿瀬ダム
⇒ダムの電力で昭和電工は アセトアルデヒドを造り その排水で水俣病が発生 ⇒魚道は作られたが 魚にとって暮らし にくい環境に制作の始まり
7人のスタッフ 監督 佐藤真 撮影 小林茂 録音・ナレーション 鈴木彰二 助監督 熊倉克久 録音助手 石田芳英 スティール 村井勇 撮影助手 山崎修 仕掛け人 籏野秀人 撮影:村井勇登場人物
長谷川さん夫婦
→歴史ある山間の田んぼを守り続ける遠藤さん
→川舟を作ってきた船大工 阿賀野川流域の自然と共生して生きてきた人々 撮影:村井勇 出典:「阿賀に生きる」より加藤さん
餅屋の加藤さん、餅つき職人江花さん
昭和電工の元職員 ・80歳を超えても なお何臼も餅を つける体力 →流域との共生で 培ってきたものか ・電工社員の中でただ一人、昭和電工の起こしたことに訴 えを申し立てる 出典:「阿賀に生きる」より 撮影:籏野秀人人々と阿賀野川の共生
描かれているもの
・川魚を煮炊きする囲炉裏を囲む
・二百隻もの舟を作り上げる遠藤さん
阿賀野川と共にたくましく生きる人々の暮らしと
川と人との結びつきが描かれている
人々の日常、その中の新潟水俣病
・水俣病の症状⇒感覚鈍麻、 指の曲がりなど ・裁判の様子 感覚鈍麻がきっかけで負ったやけど 裁判所へ向かう患者たち 出典:「阿賀に生きる」より⇒自然と共生して生きる人々の生活を映し、 そしてその人たちがたまたま水俣病だった
撮影:村井勇
映画製作関係者
旗野秀人さん、大熊孝教授
による解説
山川草木悉皆成仏
し つ う山川草木悉有仏性
自然のあらゆるものは命の連鎖の中で土と水と空気 に還る平等な存在である。 しかし、人間だけが「私」と「欲」を持ち後ろめたい存在 である。 せめて死後自然に還り成仏したい。 近代思想、科学技術によって人々はこのことを忘 れているのではないだろうか。もやい直しは可能なのか?
伝統的な自然と人との関係性で構築される日常的社会生活
自然から遊離し個として立たねばならないグローバルな資本主義 社会
〈考えたこと①〉 ・加齢や病気で日常の一部だった阿賀野川と一度は離れてし まった遠藤さん。
舟造りをもう一度行うことを通して川に近づけたように
思えた。
・かつての昭和電工を語る場面
…
「文化のにおいだ」
過去、現在においても昭和電工の存在の大きさを感じ
させる場面だった。
〈考えたこと②〉
・映画に登場する人々は一見普通で体に何も問題がない
ように見える。
例えば餅をつく姿は高齢で、しかも水俣病だとは思えない!だから水俣病は見えにくい病気だと分かった。
・阿賀野川周辺の自然と共生してきた人々が、たまたま患者に なった。→豊かさや利益ばかりを追求した弊害が、自然と共生し
てきた阿賀の人々に向かってしまった。
このことに大きな問題がある。新潟水俣病語り部たちの語りを聞く
新潟大学 人文学部 3年 五十嵐のぞみ 新潟大学 法学部 3年 木村成吾
報告の構成
1. 語り部の方々について 2. 曽我さんのお話 ―有機水銀の流出の際の法的規準 ―現代の諸問題と水俣病 3. 小町さんのお話 ―小町さんの生活と阿賀野川 ―通達~新潟水俣病発覚 4. 新潟水俣病の特徴―語り部の語りから 5. 総括語り部の方々について
①:曽我さん • 阿賀野川に関わる元水道局職員 • 曽我氏本人も新潟水俣病の当事者 →当事者、水道局員視点からの考察、勧告 ②:小町さん • 新潟水俣病の当事者 • 顔と名前を出さずに、原告側として活動 →自らの家族と認定審査、症状などのお話①-1.
有機水銀流出の際の法的基準
現在は「総量規制」だが当時は「濃度規制」 ‣ 薄めればいくらでも川に汚染物質を流出可能 「チッソ、昭和電工は濃度を薄めれば、いくら環境汚染物質を流してもい い」と考えていたのでは? ※汚染物質は薄めても量自体は変わらない ※流出した汚染物質はやがて人体に蓄積する• マイクロプラスチック問題 • 福島原子力発電所事故の放射能問題 • 農薬の散布
①-2. 現代の諸問題と水俣病
新潟水俣病との共通点:毒物が体に濃縮・蓄積 ◎新潟水俣病の教訓を現代の問題に活かす②-1. 阿賀野川と生活(幼少期)
1. 阿賀野川流域で遊ぶ ‣ 天気のいいとき、川にできる中洲で遊ぶ ‣ 釣りやキャッチボール 2. 阿賀野川の魚を食べる ‣ 兄が捕まえてきた魚を家族で食べる (刺身、みそ汁、塩(味噌)漬けにして保存食に) 生活に阿賀野川が深く結びついていた②
-2.
町からの通達~小町さんの新潟水俣病発覚 1965年 町から阿賀野川の魚の捕食を禁じる通達 (お母さんのみが把握) 1973年 小町さんのお母さんが新潟水俣病に認定される (小町さん母→娘に認定審査のことを隠す) 小町さんに新潟水俣病の症状が確認される →このときに初めて母の病について知る 2005年 子どもの将来への懸念から家族にも 水俣病を隠した③
水俣病は「見えない」病気―
2人の語りから 1. 肉体的な痛みが外から「見えない」 ‣ 症状例:しびれ、こむらがえり、骨粗鬆症、感覚麻痺 etc… ‣ 症状は患者によって大きく異なる ‣ 患者自身が症状を認知しづらい 2.精神的な痛みが外から「見えない」 ‣ 「ニセ患者」と呼ばれ、差別される ‣ 患者の生活への不便が見えない④
総括
◎新潟水俣病患者の肉体的、精神的な苦しみは 隠されているだけで 完全に消え去ったわけではない ◎新潟水俣病を記憶に残す+現代の諸問題を 考える上で新潟水俣病を教訓として生かす 必要性、重要性福島第一原発事故の避難者と
水俣病被害者の共通点
新潟大学 御幡知佐
渡邊健太