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『論語集注』(朱熹撰)の日本語訳(里仁第四 後半)ー『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈ー

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『論語集注』 (朱熹撰)の日本語訳(里仁第四   後半)―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―    孫   路易 第十二章 子曰、放於利而行、多怨。 (「 義 」 に 適 っ て の 行 為 は た だ 道 理( つ ま り 事 物 の 属 性 ) に 基 づ い て 事を行うことであり、それでもどうしても人に怨まれることが全くな いことはない。もし「利」によって(つまり自分にとって利益がある ことを計って)行動するなら ば 、それは事に当たっては道理に背いて 自分にとって利益がある事をしかしないことであって、他人を思いや る 気 持 ち が 全 く な い の だ か ら、 怨 ま れ る こ と が 多 い の は 当 然 で あ る。 だから、 )孔子は言われた。 「私利によって行動する人は、怨まれるこ とが多いのだ。 」 集注:   「放」は、上声(第三声、ここでは、つまり「依る」の意)である。 孔 氏( 孔 安 国、 字 は 子 国、 前 漢 の 学 者 ) が 言 っ た。 「 放 は、 依 る こ と である。 」「怨多し」 (怨みが多い) とは、 「多く怨みを取るを謂ふ」 (「放 於義而行、只據道理做去、亦安能尽無怨於人。但識道理者須道是、雖 有怨者、 如何恤得他。若放於利、 則悖理徇私、 其取怨之多、 必矣。 」「凡 事只認自家有便宜處做、 便不恤他人、 所以多怨」 、 つまり、 「義」に適っ ての行為はただ道理(つまり事物の属性)に基づいて事を行うことで あ り、 そ れ で も ど う し て も 人 に 怨 ま れ る こ と が 全 く な い こ と は な い。 も し「 利 」 に よ っ て( つ ま り 自 分 に と っ て 利 益 が あ る こ と を 計 っ て ) 行動するなら ば 、それは事に当たっては道理に背いて自分にとって利 益がある事をしかしないことであって、他人を思いやる気持ちが全く ないのだから、怨まれることが多いのは当然である、ということ)で あ る。 程 子( 前 出 ) が 言 っ た。 「 私 利 を 得 よ う と す れ ば 、 必 ず 人 に 損 害を与える。だから、怨まれることが多いのだ。 」   放、上聲。○孔氏曰、放、依也。多怨、謂多取怨。○程子曰、欲利 於己、必害於人、故多怨。 第十三章 子曰、能以禮讓為國乎。何有。不能以禮讓為國、如禮何。

『論語集注』

(朱熹撰)の日本語訳(里仁第四

  後半)

  ―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―

 孫     路   易

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第五十一号(二〇二一・三)   ( 玉 帛 交 錯 」( つ ま り、 祭 祀 な ど の 時 に、 圭 と 璋( つ ま り 二 種 の 貴 重な玉制の礼器)を飾ったり束帛(つまり一束絹十端の束ねた絹)を 贈 っ た り す る 儀 式 を 行 う こ と ) や「 擎 跽 曲 拳、 升 降 俛 仰 」( つ ま り、 跪いて拝むような人臣の礼儀作法、階段を上がったり降りたりするま たは頭を俯いたり仰向いたりする礼儀作法)は、 「礼」の「節文」 (「且 不柰礼之節文何、 何以為国」 「礼者、 天理之節文。節謂等差、 文謂文釆。 等 差 不 同、 必 有 文 以 行 之 」「 問、 節 文 之 文。 曰、 文 是 装 裹 得 好、 如 升 降 揖 遜 」、 つ ま り、 あ る 一 定 の 基 準 に よ る 等 級 の 違 い を 表 す お じ き な どの様々な外面の礼儀作法のこと)であり、皆偽って行うこと(つま り形だけの、見せかけの作法を行うこと)ができるものであるが、し かしただ「礼讓」 (「不以礼讓、是以礼之実対礼之文言。能以遜讓為先、 則 人 心 感 服、 自 無 乖 争 陵 犯 之 風 」、 こ こ で は、 つ ま り、 礼 の 実 質 と す る「辞讓」 「遜讓」のことで、 即ち譲り合う心)だけが「本心」 (「仁者、 人 之 本 心 也 」、 つ ま り、 仁 の 徳 ) の 現 れ で あ っ て 偽 る こ と が で き な い ものであり、人を感化することができるのである。 )孔子は言われた。 「礼譲 (つまり、 偽ることのできない仁の徳の現れとしての譲り合う心) で(政治を行え ば )国を治めることができよう。何の難しいことがあ ろうか。礼譲で国を治めることができないのであれ ば 、礼があっても どうしようもないのだ。 」 集注:   「讓」とは、 「礼の実」 (「問、讓者、礼之実也。莫是辞譲之端発於本 心之誠然、故曰、讓是礼之実。曰、是。若玉帛交錯、固是礼之文、而 擎跽曲拳、升降俛仰、也只是礼之文、皆可以偽為。惟是辞譲方是礼之 実、這却偽不得。既有是実、自然是感動得人心。若以好争之心、而徒 欲行礼文之末以動人、 如何感化得他」 、「仁者、 人之本心也」 、つまり、 「辞 讓」は礼の実質であり仁の徳の現れであって、偽ることができないも のだから、人を感化することができる、ということ)である。 「何有」 ( 何 か 有 ら ん ) は、 難 し く な い と い う こ と で あ る。 こ の 文 の 意 味 は こ うである。礼の実(つまり、偽ることのできない仁の徳の現れである 譲り合う心)で国を治めるのであれ ば 、何の難しいこともないが、そ う で な け れ ば 、 そ の「 礼 の 文 」( つ ま り、 あ る 一 定 の 基 準 に よ る 等 級 の違いを表すおじきなどの様々な外面の礼儀作法)が備わっていても、 どうしようもないのだ。まして国を治めることなどとてもできないの だ。   (「問、不能以礼讓為国、如礼何。諸家解義、却是解做如国何了。曰、 是如此。如諸家所説、則便当改作如国何。大率先王之為礼讓、正要朴 実 頭 用。 若 不 能 以 此 為 国、 則 是 礼 為 虛 文 爾、 其 如 礼 何。 」 と あ り、 先 王 が「 礼 譲 」 を 行 っ た の は、 「 礼 譲 」 は 礼 の 実 で あ っ て 治 国 に 役 に 立 つと考えられたからだ、という朱子の考えが読み取れる。 )   讓者、禮之實也。何有、言不難也。言有禮之實以為國、則何難之有、 不然、則其禮文雖具、亦且無如之何矣、而況於為國乎。

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『論語集注』 (朱熹撰)の日本語訳(里仁第四   後半)―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―    孫   路易 第十四章 子曰、不患無位、患所以立。不患莫己知、求為可知也。 孔 子 は 言 わ れ た。 「 官 職 が 得 ら れ な い の で は な い か と 心 配 す る の で は なく、官職についてからその与えられた仕事をうまくこなせないので はないかと心配するのだ。他人に自分のことを知られていないのでは ないかと心配するのではなく、ひたすら道理(つまり事物の属性)に 基づいて平々凡々に仕事をやっていくのだ。 」 集注:   「立つ所以」は、 「其の位に立つ所以の者を謂ふ」 (「不患無位、患所 以立。猶云不怕無官做、但怕有官不會做。若有致君沢民之具、達則行 之、 無 位 非 所 患 也 」、 つ ま り、 官 職 に つ い た 後 に そ の 与 え ら れ た 仕 事 をうまくこなせるかどうかというようなこと)である。 「知らる可き」 (「可知」 、 ここでは「可見知」の意)は、 「以て知らる可きの実を謂ふ」 (「所謂求為可知、只是尽其可知之実、非是要做些事、便要夸張以期人 知、這須看語意。如居易以俟命、也只教人依道理平平做将去、看命如 何 」、 こ こ で は、 つ ま り、 他 人 が 自 分 の こ と を 知 っ て い る か ど う か を 気にせず、ただ道理(つまり事物の属性)に基づいて平々凡々に仕事 を や っ て い く だ け と い う こ と ) で あ る。 程 子( 前 出 ) が 言 っ た。 「 君 子 は た だ そ の 自 分 自 身 に あ る も の を 求 め る だ け だ。 ( つ ま り、 た だ 仁 の徳が行動に現れるように努めるだけ、ということ) 」   所以立、謂所以立乎其位者。可知、謂可以見知之實。○程子曰、君 子求其在己者而已矣。 第十五章 子 曰、 參 乎、 吾 道 一 以 貫 之。 曾 子 曰、 唯。 子 出、 門 人 問 曰、 何 謂 也。 曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。 (「 吾 が 道 」 は「 一 以 て 之 を 貫 く 」( 「 太 極 便 是 一、 到 得 生 両 儀 時、 這 太極便在両儀中、生四象時、這太極便在四象中、生八卦時、這太極便 在八卦中」 「忠是一、恕是貫」 「一以貫之、猶言以一心応万事。忠恕是 一貫底注脚、 一是忠、 貫是恕底事」 「一是一心、 貫是万事。看有甚事来、 聖 人 只 是 這 個 心 」、 つ ま り、 孔 子 は 事 を 処 置 す る に お い て、 万 事 を す べ て「 忠 」 の 心 を も っ て 処 置 す る と い う こ と ) で あ る。 「 夫 子 の 道 」 は「忠恕のみ」 (「忠是体、恕是用、只是一個物事」 「忠字在聖人是誠、 恕字在聖人是仁」 「主於内為忠、見於外為恕。忠是無一豪自欺處」 「忠 者、 誠 実 不 欺 之 名 」「 自 家 若 有 一 毫 虚 偽、 事 物 之 来、 要 去 措 置 他、 便 都 不 実、 便 都 不 合 道 理 」、 こ こ で は、 つ ま り、 た だ ほ ん の 少 し も 自 分 を 欺 か な い 心 を も っ て 万 事 を「 理 」( つ ま り 事 物 の 属 性 ) に 基 づ い て 処 置 す る だ け と い う こ と。 ほ ん の 少 し も 自 分 を 欺 か な い 心 は「 忠 」、 万事を「理」に基づいて処置することは「恕」 、「恕」は「忠」の現れ、 ということ)である。 )孔子は言われた。 「参よ、私の道は一をもって

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第五十一号(二〇二一・三) 貫 く こ と だ。 」 曽 子 は 言 っ た。 「 は い。 」 先 生 が 出 て 行 か れ る と、 同 門 が 曽 子 に 尋 ね た。 「 ど う い う 意 味 で す か。 」 曽 子 は 言 っ た。 「 先 生 の 道 は忠恕だけです(つまり、ただほんの少しも自分を欺かない心をもっ て 万 事 を「 理 」( つ ま り 事 物 の 属 性 ) に 基 づ い て 処 置 す る だ け と い う こと) 。」 集注:   「參」は、 「所」 「金」の反。 「唯」は上声(第三声。ここでは、つま り 返 事 の「 は い 」 の 意 ) で あ る。 「 參 乎 」 と は、 曽 子 の 名 前 を 呼 ん で それを告げることである。 「貫」は、 「通」 (「忠恕一貫。忠在一上、恕 則貫乎万物之間」 「一以貫之、猶言以一心応万事」 、つまり、一つの心 を も っ て あ ら ゆ る 事 物 に 対 応 す る と い う こ と ) で あ る。 「 唯 」 と は、 速答して疑わないことである。聖人の心は、 「渾然として一理にして、 泛く応じ曲に当たり、用各々同じからず」 (「忠是一、恕是貫。忠只是 一箇真実。自家心下道理、直是真実。事事物物接於吾前、便只把這箇 真実応副将去。自家若有一毫虚偽、事物之来、要去措置他、便都不実、 便都不合道理。若自家真実、事物之来、合小便小、合大便大、合厚便 厚、合薄便薄、合軽便軽、合重便重、一一都随他面分応副将去、無一 事 一 物 不 当 這 道 理 」、 つ ま り、 ほ ん の 少 し も 自 分 を 欺 か な い 心 を も っ て あ ら ゆ る 事 物 を そ の そ れ ぞ れ の「 理 」( つ ま り 事 物 の 属 性 ) に 基 づ いて処置するということ)である。   曽子はその「用」のところ(つまり具体的な事を処置すること)に おいて、そもそもすでに事に従って(その事の属性を)精察して(事 の性質に応じて事を処置することを)力行していたのであろうが、そ の「体」が一つ(つまり、ただほんの少しも自分を欺かない心をもっ て事を処置しているだけということ)であることをまだ知らないだけ である。孔子は、曽子が真の努力を積み重ねることが久しくて、もう すぐ会得することになろうことを知っていて、 そこで(曽子の名前を) 呼 ん で( 「 吾 が 道 は 一 以 て 之 を 貫 く 」 と ) 告 げ た の で あ る。 曽 子 は や はり孔子の言おうとすることを心に分かっていて、すぐに「はい」と 受 け 答 え て 疑 う こ と が な か っ た。 「 己 れ を 尽 く す 」( 「 尽 己 」、 つ ま り、 ほ ん の 少 し も 自 分 を 欺 か な い 心 を も つ ) こ と を「 忠 」 と 言 い、 「 己 れ を 推 す 」( 「 推 己 」、 つ ま り、 「 理 」( つ ま り 事 物 の 性 質 ) に 基 づ い て 事 を処置する)ことを「恕」と言う。 「而已矣」とは、 「あるかぎりを出 して余すところがない」という意味の言葉である。孔子の「一理渾然 と し て、 泛 く 応 じ 曲 に 当 た る 」 は、 譬 え て 言 え ば 、「 天 地 の 至 誠 息 む こと無くして、万物各々其の所を得るなり」 (「天地生物之心是仁、人 之稟賦、接得此天地之心、方能有生。 」「這箇是天之生物之心、無停無 息、春生冬藏、其理未嘗間断。到那万物各得其所時、便是物物如此。 」 「 亦 只 以 這 実 理 流 行、 発 生 万 物。 牛 得 之 為 牛、 馬 得 之 而 為 馬、 草 木 得 之 而 為 草 木 」、 つ ま り、 天 地 の 仁 の 心 が 間 断 な く 働 い て い て、 そ こ で 万 物( つ ま り 様 々 な 動 物 や 植 物 な ど ) を 生 じ た ) と い う こ と で あ る。 こ れ よ り ほ か に、 も と も と 別 の 方 法 が な く て、 「 亦 ま 推 す を 待 つ こ と 無 し 」( 「 惟 曽 子 将 忠 恕 形 容 得 極 好。 学 者 忠 恕、 便 待 推、 方 得。 才 推、

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『論語集注』 (朱熹撰)の日本語訳(里仁第四   後半)―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―    孫   路易 便有比較之意。聖人更不待推。 」「忠恕一貫。聖人與天為一、渾然只有 道理、自然応去、不待尽己方為忠、不待推己方為恕、不待安排、不待 忖度、不待覩当。如水源滔滔流出、分而為支派、任其自然、不待布置 入那溝、入這瀆。故云曽子怕人暁不得一貫、故借忠恕而言」 、つまり、 天 地 の 仁 の 心 が 間 断 な く 働 く こ と は、 あ た か も 一 つ の 水 源 が 流 れ て 行って自然に沢山の支流に分れると同じように、万物を生じる過程に おいて一つの理が自然に様々な事物の理(つまりそのそれぞれ異なっ た属性)に分れて様々な動物や植物を生ずるのであって、聖人も事を 処置することにおいてはただ自然に理(つまり事物の属性)に基づい て事を処置するだけで、 己を尽くす (「尽己」 ) とか、 己を推す (「推己」 ) とかを意識することはない、ということ)である。曽子はこのことを 分かっていたものの、言い表すのが難しかったから、そこで、学ぶ者 の「 忠 恕 」 を 為 す 為 の「 尽 己 」「 推 己 」 の 項 目 を 借 り て そ れ を 明 ら か にして、人が分かりやすいように説明しようとしたのである。思うに、 「 至 誠 息 む こ と 無 き 」 と は「 道 の 体 」 で あ っ て、 そ こ で「 万 殊 」( 「 只 是此理散為万殊」 「不知万殊各有一理」 、つまり、万物にはそれぞれ異 なる「理」 (つまり属性)が備わっているということ)が「一理」 (つ まり「仁義礼智」 )を本としているのであり、 「万物各々其の所を得る」 と は「 道 の 用 」 で あ っ て、 「 一 理 」 が そ こ で「 万 殊 」 と な っ て い る の である。このことを見れ ば 、孔子のいう「一以て之を貫く」の実の意 味が分かるようになるのである。 「中心を忠と為し、如心を恕と為す」 と い う 人 も い る が( 「 中 心 為 忠、 如 心 為 恕。 此 語 見 周 礼 疏 」 と あ る )、 こ れ も 意 味 が 通 じ る の で あ る。 程 子( 前 出 ) が 言 っ た。 「 己 を 尽 く し て( 「以己」はつまり「尽己」 )外物に及ぼすのは、仁である。己を推 して外物に及ぼすのは、 恕である。 「道を違 (さ) ること遠からず」 (『中 庸』に「忠恕違道不遠、施諸己而不願、亦勿施於人」とある)という のがこのことである。 「忠恕」は「一以て之を貫く」であり、 「忠」は 「 天 道 」( つ ま り「 一 理 」) で あ り、 「 恕 」 は「 人 道 」( つ ま り「 万 殊 」 の「 理 」 に 基 づ い て 事 を 行 う こ と ) で あ る。 「 忠 」 と は「 ほ ん の 少 し も 自 分 を 欺 か な い 」 と い う こ と で あ り、 「 恕 」 と は「 忠 」 を 行 う も の ということである。 「忠」 は本体であり、 「恕」 は本体の働きであり、 「大 本 」 と「 達 道 」( 「 忠 是 大 本、 恕 是 達 道。 忠 者、 一 理 也。 恕 便 是 條 貫、 万殊皆自此出来。雖万殊、却只一理、所謂貫也」 、つまり、 「一理」と 「 万 殊 」 の こ と ) で あ る。 こ の「 忠 恕 」 が「 道 を 違( さ ) る こ と 遠 か ら ず 」 の「 忠 恕 」 と 異 な る の は、 「 動 く に 天 を 以 て す る の み 」( 「 如 明 道 説 動 以 天 之 類、 只 是 言 聖 人 不 待 勉 強、 有 箇 自 然 底 意 思 」、 つ ま り、 孔子は、 「尽己」 「推己」を意識して行うことがなく、ただ自然に万物 の理(つまり属性)に基づいて事を処置するだけ)という点である。 」 また言った。 「『詩経』周頌にいう「維れ天の命、於(ああ)穆として 已 ま ず 」( 「 天 命、 即 天 道 也。 不 已、 言 無 窮 也 」、 つ ま り、 天 の 気 が 巡 り流れることは、 窮まりがない、 ということ)は「忠」であり、 『易経』 乾卦・彖伝にいう「乾道変化して、各々性命を正す」 (「変者、化之漸。 化 者、 変 之 成。 物 所 受 為 性、 天 所 賦 為 命 」、 つ ま り、 天 は そ の 気 が 巡 り流れて時間をかけて地や禽獣草木や人間を造化して、同時に地や禽

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第五十一号(二〇二一・三) 獣 草 木 や 人 間 に そ れ ぞ れ 異 な っ た「 性 」( つ ま り 属 性 ) を 賦 与 し た、 ということ)は「恕」である。 」また言った。 「孔子は人に教えるには それぞれその人の能力に応じて異なった教え方を用いるのであり、 「吾 が道は一以て之を貫く」の意味は、ただ曽子だけが理解することがで きるのであり、孔子がそこで(曽子に)告げたのである。曽子が「門 人」 (「問、門人、是夫子之門人否。曰、是也。夫子説一貫時、未有忠 恕、及曽子説忠恕時、未有体用、是後人推出来」 、ここでは、つまり、 孔子の門人で、曽子の同門のこと)に「夫子の道は忠恕のみ」と告げ たのは、 また孔子が曽子に告げたようなものである。 『中庸』 にいう 「忠 恕、 道を違 (さ) ること遠からず」 、これはつまり 「下学して上達」 (「下 学者、事也。上達者、理也。理只在事中。若真能尽得下学之事、則上 達 之 理 便 在 此 」「 下 学 只 是 事、 上 達 便 是 理。 下 学 上 達、 只 要 於 事 物 上 見理、 使邪正是非各有其辨。若非仔細省察、 則所謂理者、 何從而見之」 、 つまり、事物を徹底に仔細に考察研究してそれによって事物の理(つ ま り 属 性 ) を 会 得 す る こ と ) と い う 意 味 で あ る( 『 論 語 』 憲 問 に「 不 怨天、不尤人、下学而上達。 」とある) 。   (「理一分殊」 は朱子哲学における最も重要な命題の一つである。 「理 一分殊」は即ち本章の集注にいう「一理」 「万殊」のことである。 「理 一 分 殊 」 に つ い て、 「 人 物 之 生、 天 賦 之 以 此 理、 未 嘗 不 同、 但 人 物 之 稟受自有異耳。如一江水、你將杓去取、只得一杓、將椀去取、只得一 椀、至於一桶一缸、各自隨器量不同、故理亦隨以異。 」(人間や物が生 ずるには、天がそれらにこの理を賦与するのが全く同じであるが、た だ 人 間 と 物 が 稟 受 す る に は そ れ ぞ れ 異 な る と こ ろ が あ る だ け で あ る。 例え ば 、大きな川の水を汲む場合、柄杓で汲むと柄杓いっぱいの水を 得、椀で汲むと椀いっぱいの水を得、担桶いっぱいの水や甕いっぱい の水を得るに至っても、それぞれ器によって得た水の量が異なるので あり、 だから理もまたよって異なるのである。 )と朱子は説明している。 「 一 理 」 は 即 ち「 仁 義 礼 智 」 の こ と で あ り、 自 然 界 の あ ら ゆ る 物 体 に 生まれながら備わるものであるが、それには道徳の項目と事物の属性 という二重の意味が含まれている。 「仁義礼智」 は、 人間においては 「明 徳」 (つまり先天的道徳)とされる一方、 「目は見る、耳は聴く」のよ うな身体に備わる様々な機能・能力(つまり属性)をも意味するので あり、無生物においては道徳項目の意味を失って物体の属性(つまり 機 能・ 能 力 ) だ け を 意 味 す る こ と に な っ て い る の で あ る。 「 万 殊 」 は 即ち、それぞれの事物にそれぞれ異なった属性が備わっているという ことである。 )   參、 所 金 反。 唯、 上 聲。 ○ 參 乎 者、 呼 曾 子 之 名 而 告 之。 貫、 通 也。 唯者、應之速而無疑者也。聖人之心、渾然一理、而泛應曲當、用各不 同。   曾子於其用處、蓋已隨事精察而力行之、但未知其體之一爾。夫子知 其真積力久、將有所得、是以呼而告之。曾子果能默契其指、即應之速 而 無 疑 也。 盡 己 之 謂 忠、 推 己 之 謂 恕、 而 已 矣 者、 竭 盡 而 無 餘 之 辭 也。 夫子之一理渾然而泛應曲當、譬則天地之至誠無息、而萬物各得其所也。

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『論語集注』 (朱熹撰)の日本語訳(里仁第四   後半)―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―    孫   路易 自此之外、固無餘法、而亦無待於推矣。曾子有見於此而難言之、故借 學者盡己、推己之目以著明之、欲人之易曉也。蓋至誠無息者、道之體 也、萬殊之所以一本也。萬物各得其所者、道之用也、一本之所以萬殊 也。以此觀之、一以貫之之實可見矣。或曰、中心為忠、如心為恕。於 義亦通。○程子曰、以己及物、仁也。推己及物、恕也。違道不遠是也。 忠 恕 一 以 貫 之、 忠 者 天 道、 恕 者 人 道。 忠 者 無 妄、 恕 者 所 以 行 乎 忠 也。 忠 者 體、 恕 者 用、 大 本 達 道 也。 此 與 違 道 不 遠 異 者、 動 以 天 爾。 又 曰、 維天之命、於穆不已。忠也。乾道變化、各正性命。恕也。又曰、聖人 教人各因其才、吾道一以貫之、惟曾子為能達此、孔子所以告之也。曾 子告門人曰、夫子之道、忠恕而已矣。亦猶夫子之告曾子也。中庸所謂 忠恕違道不遠、斯乃下學上達之義。 第十六章 子曰、君子 喻 於義、小人 喻 於利。 孔 子 は 言 わ れ た。 「 君 子 は 事 に 当 た っ て、 「 理 」( つ ま り 事 物 の 性 質 ) に基づいて事を処置するのであり、為すべきことを為し、為すべきで ないことを為さない、 これだけしか考えないのだが、 小人は事に当たっ て、このようであれ ば 自分に有利、このようであれ ば 自分に有利でな いとあれこれ仔細に計算してこだわる、これしか頭にないのだ。 」 集注:   「 喻 」は、 「暁」 (「 喻 義 喻 利、只是這一事上。君子只見得是義、小人 只 見 得 是 利 」、 こ こ で は、 つ ま り、 た だ そ れ だ け 見 て い る こ と、 そ れ だけしか頭にないこと、ただそれだけを考えていること)のような意 味である。 「義」とは、 「天理の宜しき所」 (「義者、宜也。君子見得這 事合当如此、那事合当如彼、但裁處其宜而為之、則何不利之有。 」「君 子之於事、見得是合如此處、處得其宜、則自無不利矣。 」「君子只知得 箇当做與不当做、当做處便是合当如此。 」「君子則更不顧利害、只看天 理当如何」 、つまり、事に当たっては「理」 (つまり事物の性質)に基 づいて事を処置することであり、為すべきことを為し、為すべきでな い こ と を 為 さ な い の で あ れ ば 、 当 然 不 利 な こ と は な い、 と い う こ と ) である。 「利」とは、 「人情の欲する所」 (「小人則只計較利害、如此則 利、 如此則害」 、 つまり、 事に当たって、 このようであれ ば 自分に有利、 このようであれ ば 自分に有利でないとあれこれ仔細に計算してこだわ る、 と い う こ と ) で あ る。 程 子( 前 出 ) が 言 っ た。 「 君 子 が 義 を 重 ん じ る こ と、 小 人 が 利 を 重 ん じ る こ と、 両 者 は 同 じ く ら い 執 着 で あ る。 そ の 理 由 を 深 く 知 っ て い る か ら こ そ、 そ こ で 篤 く 好 む の で あ る。 」 楊 氏( 前 出 ) が 言 っ た。 「 君 子 に は 命 を 捨 て て 義 に 殉 死 す る 人 が い る の で あ る。 利 の こ と で 言 え ば 、 人 間 の 欲 に は 生 よ り も 望 む も の は な く、 憎 む も の に は 死 よ り も 憎 む も の は な い か ら、 ( 利 を 重 ん じ る 人 間 は ) 誰 が 自 ら 進 ん で 命 を 捨 て て 義 に 殉 ず る の だ ろ う か。 ( 君 子 が ) そ の 知 る の が 義 だ け で あ る の は、 利 の 利 で あ る 所 以 を 知 ら な い か ら で あ る。

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第五十一号(二〇二一・三) 小人は、これに正反対である。 」   喻 、猶曉也。義者、天理之所宜。利者、人情之所欲。○程子曰、君 子之於義、猶小人之於利也。唯其深 喻 、是以篤好。楊氏曰、君子有舍 生而取義者、以利言之、則人之所欲無甚於生、所惡無甚於死、孰敢舍 生而取義哉。其所 喻 者義而已、不知利之為利故也。小人反是。 第十七章 子曰、見賢思齊焉、見不賢而內自省也。 孔子は言われた。 「他人の「賢」 (「見人之善、而尋己之善。見人之悪、 而尋己之悪。如此、方是有益」 、ここでは、つまり、 「他人の善なると こ ろ 」「 他 人 の 善 行 為 」 と い う こ と ) を 見 る と、 自 分 に も そ の よ う な 善なるところがあることを望み、 他人の 「不賢」 (つまり悪なるところ) を見ると、自分にもそのような悪なるところがあるのではないかと心 配するのだ。 」 (朱子哲学における「善悪」の概念には、 「循理」 (つまり、理に従う こ と、 理 に 適 う こ と ) は 即 ち「 仁 」、 即 ち「 善 」 で あ り、 「 背 理 」( つ ま り、 理 に 背 く こ と、 理 に 違 う こ と ) は 即 ち「 不 仁 」、 即 ち「 悪 」 で ある、という意味が含まれている。本稿末尾の付録に「 「性」 「理」に ついて」という内容を付記している。 ) 集注:   「 省 」 は、 「 悉 」「 井 」 の 反( つ ま り、 「 省 み る 」 の 意 )。 「 思 齊 」( 斉 しからんことを思う)とは、自分にもそのような善なるところがある ことを望むことである。 「内自省」 (内に自ら省みる)とは、自分にも そのような悪なるところがあることを心配することである。胡氏(前 出 ) が 言 っ た。 「 他 人 の 善 な る と こ ろ と 他 人 の 悪 な る と こ ろ、 そ の 違 いを見て、自分にもそのような善なるところまたはそのような悪なる ところがあるのではないかを欠かさず省みれ ば 、ただ他人を羨むだけ で自ら自暴自棄になることもないし、ただ他人を責めるだけで自責す るのを忘れることもないのだ。 」   省、 悉 井 反。 ○ 思 齊 者、 冀 己 亦 有 是 善。 內 自 省 者、 恐 己 亦 有 是 惡。 ○ 胡 氏 曰、 見 人 之 善 惡 不 同、 而 無 不 反 諸 身 者、 則 不 徒 羡 人 而 甘 自 棄、 不徒責人而忘自責矣。 第十八章 子曰、事父母幾諫。見志不從、又敬不違。勞而不怨。 孔 子 は 言 わ れ た。 「 父 母 が 過 ち を 犯 し た 時 は、 恭 し い 態 度 と 敬 愛 の あ る顔、そして柔らかい口調で、よく気をつけて穏やかに諫め、乱暴に 無理矢理に干渉することをしない。諫めを聞き入れられなけれ ば 、父 母を更に敬愛して孝行し、父母の機嫌がよくなったら、また父母を怒

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『論語集注』 (朱熹撰)の日本語訳(里仁第四   後半)―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―    孫   路易 らせないように婉曲な言葉遣いで道理に従って諫める。父母の多くの 人々に対して罪を犯すことを防ぐ為に繰り返し諫め、流血するまで父 母に鞭打ちされたほどの苦労をしても、父母を怨んだりはしない。 」 集注:   こ の 章 の 内 容 は『 礼 記 』「 内 則 」 の 記 述 と 互 い に 表 裏 を な す も の で ある。 「幾」は、 「微」 (「幾、微也。只是漸漸細密諌、不恁峻暴、硬要 闌 截 」、 つ ま り、 よ く 気 を つ け て 穏 や か に 諫 め、 乱 暴 に 無 理 矢 理 に 干 渉 し な い と い う こ と ) で あ る。 「 微 諫 」 は、 つ ま り『 礼 記 』 内 則 篇 に いう「父母過ち有れ ば 、気を下し色を怡 ば しめ、声を柔かにして以て 諌 む 」( 父 母 が 過 ち を 犯 し た 時 は、 恭 し い 態 度 と 敬 愛 の あ る 顔、 そ し て柔らかい口調で諫める) ということである。 「志の従わざるを見ては、 又た敬して違わず」は、つまり『礼記』内則篇にいう「諌めの若し入 れられざる時は、起に敬し起に孝し、悅べ ば 則ち復た諌む」 (「起、猶 更 也 」( 鄭 玄 の 注 )、 つ ま り、 「 起 」 は「 更 に 」 の 意。 諫 め を 聞 き 入 れ られなけれ ば 、更に敬愛し更に孝行して、父母の機嫌がよくなれ ば ま た諫める)ということである( 「又敬不違、不違、是主那諫上説。敬、 已是順了、又須委曲作道理以諫、不違去了那幾諫之意也。 」「又敬不違 者、上不違微諫之意、切恐唐突以觸父母之怒。下不違欲諫之心、務欲 置父母於無過之地。其心心念念只在於此。若見父母之不従、恐觸其怒、 遂止而不諫者、 非也。欲必諫、 遂至觸其怒、 亦非也。 」とあり、 つまり、 一時的に父母に従うのだが、諫めることを忘れず、父母の機嫌がよく なったら、また父母を怒らせないように婉曲な言葉遣いで道理に従っ て諫めるということ) 。「労して怨みず」は、つまり『礼記』内則篇に いう「其の罪を郷黨州閭に得る與(よ)り、寧ろ熟諫す。父母怒りて 悅 ば ずして、之を撻ち血を流すとも、敢て疾怨せず、起に敬し起に孝 す 」( 「 二 十 五 家 為 閭、 四 閭 為 族、 五 族 為 黨、 五 黨 為 州 」( 鄭 玄 の 説 )。 つまり、父母が多くの人々に対して罪を犯すことを防ぐ為に、婉曲な 言葉遣いで穏やかに諫めるのである。父母が怒って鞭打ちし、流血す るまで鞭打ちされても怨まず、更に敬愛し更に孝行する)ということ である( 「諫了又諫、被撻至於流血、可謂労矣。 」とあり、つまり、繰 り返し諫めることで流血するまで鞭打ちされた、ということで、苦労 したと言える、ということ) 。   此章與內則之言相表裏。幾、微也。微諫、所謂父母有過、下氣怡色、 柔聲以諫也。見志不從、又敬不違、所謂諫若不入、起敬起孝、悅則復 諫也。勞而不怨、所謂與其得罪於 鄉 黨州閭、寧熟諫。父母怒不悅、而 撻之流血、不敢疾怨、起敬起孝也。 第十九章 子曰、父母在、不遠遊。遊必有方。 孔子は言われた。 「父母が健在している時は、 (冬に親が暖かく過ごせ るように、夏に親が涼しく過ごせるように、晩に親がぐっすり眠るよ

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第五十一号(二〇二一・三) うに、朝に親にご機嫌を伺うように世話をしなけれ ば ならないから、 ) 遠くへは行かない(つまり、親元を遠く離れて長期間帰らず、便りが 疎ら、こういうことをしないということ) 。(どうしても遠く離れなけ れ ば な ら な い 事 情 が 生 じ た 場 合 は、 ) 遠 く へ 行 く な ら ば 必 ず 自 分 の 行 方を親に告げるのだ(つまり、必ず親が自分の居るところを知ってい て心配することがなく、自分を呼び戻せ ば 必ず家に戻れてしくじりが ないようにしておく、ということ) 。」 (「 為 人 子、 須 是 以 父 母 之 心 為 心。 父 母 愛 子 之 心 未 嘗 少 置、 人 子 愛 親 之 心 亦 当 跬 步 不 忘。 」 と あ り、 つ ま り、 子 供 が、 父 母 が 子 供 の こ と を 大切に思っていると同じように自分も親のことを大切に思っていなけ れ ば ならない、ということである。また「如或有事勢須当遊、亦必有 定 所。 」 と あ り、 つ ま り、 ど う し て も 親 元 を 遠 く 離 れ な け れ ば な ら な い事情が生じた場合は、また必ず自分の行方を親に告げなけれ ば なら ない、ということである。 ) 集注:   「遠く遊ぶ」 とはつまり、 親元を遠く離れて長期間帰らず、 「定省」 (「温 凊定省、 這四事亦須実行方得」 、つまり 「温凊定省」 という四つの事。 「温」 と は 冬 に 親 が 暖 か く 過 ご せ る よ う に 世 話 す る こ と、 「 凊 」 と は 夏 に 親 が 涼 し く 過 ご せ る よ う に 世 話 す る こ と、 「 定 」 と は 晩 に 親 が ぐ っ す り 眠 る よ う に 世 話 を す る こ と、 「 省 」 と は 朝 に 親 に ご 機 嫌 を 伺 う こ と ) が長い間行われず( 「凡為人子之礼、 冬温而夏凊、 昏定而晨省」 (『礼記』 「曲礼」 )。鄭玄の注は「定謂安其床衽也。省、 問其安否何如。 」である) 、 「音問」 (「東南数千里、 渺然巨浸、 西北遂為寇所據。四方音問一信不通、 以 此 故 也 」、 つ ま り 便 り の こ と ) が 疎 ら、 と い う こ と で あ る。 た だ 自 分が親のことを思い続けるだけでなく、また親が自分のことをずっと 心 配 し て い る こ と を 恐 れ る の で あ る。 「 遊 べ ば 必 ず 方 有 り 」 と は、 例 え ば 、自分が東へ行くと親に告げたからには、決して方向を変更して 西へ行くことをしないというようなことである。親が必ず自分の居る ところを知っていて心配することがなく、自分を呼び戻せ ば 必ず家に 戻れてしくじりがない、 ということを望んでいるからである。范氏 (前 出 ) が 言 っ た。 「 子 供 が、 父 母 が 子 供 の こ と を 大 切 に 思 っ て い る と 同 じように自分も父母のことを大切に思っているなら ば 、親孝行と言え るのだ。 」   遠遊、則去親遠而為日久、定省曠而音問疎。不惟己之思親不置、亦 恐親之念我不忘也。遊必有方、如己告云之東、即不敢更適西。欲親必 知己之所在而無憂、召己則必至而無失也。范氏曰、子能以父母之心為 心則孝矣。 第二十章 子曰、三年無改於父之道、可謂孝矣。 本章は 「學而」 第十一章の後半の内容と全く同じである。本稿では 「學

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『論語集注』 (朱熹撰)の日本語訳(里仁第四   後半)―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―    孫   路易 而」第十一章の朱子解釈の日本語訳を、少し形を変えて記述する。 (父が在世の時には、その子供の志を観察するのだ。つまり、父は賢 人(つまりある専門的な才能または技術に長けて善を行う人)である ため、その子供は不肖者(つまり才能がなく悪を働く人)であっても、 悪を行えないのだが、しかしその子供の志(ここでは、つまり悪を働 こうとする心)を分かるし、父は不肖者であるため、その子供は賢人 であっても、その父に善を行わせることはできなくて、時にはやむを 得ず父に従ってしまうのだが、その子供の志(ここでは、つまり善を 行 お う と す る 心 ) も 分 か る、 と い う こ と で あ る。 父 が 没 世 の 後 に は、 その子供の行いを見るのだ。つまり、父が生前に行っていた事は理に 適うものであれ ば 、改めないのであるが、父が生前に行っていた事に 理に背くところがあれ ば 、当然それを改めるのであるが、一般的に言 え ば 、父が生前に行っていた事に大した過ちがなけれ ば (つまり、理 に 背 い て 人 に 害 を 与 え る よ う な と こ ろ が な け れ ば )、 そ の 父 親 へ の 親 愛を表す為に(つまり、父の小さな過ちが人に大きく取り上げられる こ と を 避 け る 為 に )、 す ぐ に 改 め る こ と を し な く て 良 い、 と い う こ と である。 )孔子は言われた。 「三年を過ぎてからその父生前の行ってい た事を改めるのであれ ば 、親孝行と言うべきだ。 」 ( 朱 子 の い う「 賢 人 」 に つ い て は、 本 稿 末 尾 に「 「 聖 人 」 と「 君 子 」 と「賢人」の違いについて」を付録している。 ) 集注:   胡氏 (前出) が言った。 「すでに 「首篇」 (つまり 「學而」 第十一章) に 見 え、 こ の 章 は 重 複 し て い る の だ が、 そ の 半 分( つ ま り 前 半 部 分 ) を脱落している。 」   胡氏曰、已見首篇、此蓋複出而逸其半也。 第二十一章 子曰、父母之年、不可不知也。一則以喜、一則以懼。 孔 子 は 言 わ れ た。 「 父 母 の 年 齢 は、 覚 え な く て は い け な い。 父 母 の 長 寿 を 喜 ぶ 一 方 で、 父 母 が こ の 世 に い る 日 が 多 く な い こ と を 恐 れ る の だ。 」 集注:   「知」は、 「記憶する」のような意味である。常に父母の年齢を覚え て い る の で あ れ ば 、「 既 に 其 の 寿 を 喜 び、 又 た 其 の 衰 え を 懼 る 」( 「 一 則以喜、一則以懼。只是這一事上。既喜其寿、只這寿上又懼其来日之 無 多。 注 中 引 既 喜 其 寿、 又 懼 其 衰、 微 差 些。 如 此、 却 是 両 事 矣 」、 つ まり、 「一には則ち以て喜び、一には則ち以て懼る」とは、 「父母の長 寿 を 見 る と 喜 ぶ。 父 母 の 老 衰 を 見 る と 懼 れ る 」 の こ と で は な く、 「 父 母の長寿を喜ぶ一方で、父母がこの世にいる日が多くないことを恐れ

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第五十一号(二〇二一・三) る」ということ)であって( 「孔安国曰、 見其寿考則喜、 見其衰老則懼」 (『 論 語 集 解 』「 里 仁 」) )、 「 愛 日 」( 「 事 父 母 自 知 不 足 者、 其 舜 乎。 不 可 得而久者、事親之謂也。孝子愛日」 (『法言』 「至孝」 )の李軌の注「無 須 臾 懈 心 」、 つ ま り、 子 供 が、 父 母 に 仕 え る こ と を ほ ん の 少 し の 間 で も怠らない、ということ)の真心を、自ずと間断なく持ち続けること ができるのである。   知、猶記憶也。常知父母之年、則既喜其壽、又懼其衰、而於愛日之 誠、自有不能已者。 第二十二章 子曰、古者言之不出、恥躬之不逮也。 孔 子 は 言 わ れ た。 「 昔 の 人 々 が 言 葉 を 軽 々 し く 口 に 出 さ な い の は、 そ の言葉の実行を伴わないことを恥じたからだ。 」 集注:   「 古 者 」 と 言 わ れ て い る の は、 現 在 で は そ う で は な い と い う こ と を 表しているのである。 「逮」は、及ぶことである。 「行の言に及 ば ざる は、恥ず可きこと甚しき」 (「人之所以易其言者、以其不知空言無実之 可恥也。若恥、則自是力於行、而言之出也不敢易矣。這箇只在恥上」 、 つまり、人が言葉を軽々しく口に出すのは、その言葉の実行を伴わな いのを恥じるべきことを知らないからであり、この「恥」を知ること こそ肝要である、ということ)である。古の人々が言葉を軽々しく口 に出さなかったのは、 この為である。范氏(前出)が言った。 「君子は、 口に出す言葉に対しては、やむを得ない時に出すのである。言うのが 難 し い の で は な く て、 そ れ を 実 行 す る の が 難 し い か ら で あ る。 「 人 其 の行わざるを惟(おも)ふや、是を以て軽く之を言ふ」 (「集注引范氏 説最好。只縁軽易説了、便把那行不当事。非践履到底、烏能言及此」 、 つまり、言葉を軽々しく口に出すから、そこで実行を真剣に取り扱う ことをしないのだ、ということ)である。もしも実行する通りに言い、 言う通りに実行するのであれ ば 、言葉を口に出すのはきっと安易では ないはずだ。 」   言古者、以見今之不然。逮、及也。行不及言、可恥之甚。古者所以 不出其言、為此故也。○范氏曰、君子之於言也、不得已而後出之、非 言之難、而行之難也。人惟其不行也、是以輕言之。言之如其所行、行 之如其所言、則出諸其口必不易矣。 第二十三章 子曰、以約失之者、鮮矣。 孔 子 は 言 わ れ た。 「 事 に 当 た っ て は 常 に そ の 事 に 専 心 し て 心 が そ れ 以 外の事に乱されないようにしていても過失を犯す、このような人は殆

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『論語集注』 (朱熹撰)の日本語訳(里仁第四   後半)―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―    孫   路易 どいない。 」 集注:   「 鮮 」 は、 上 声( 第 三 声、 つ ま り「 少 な い 」「 殆 ど な い 」 の 意 )。 謝 氏(前出) が言った。 「侈然として以て自放せざるを之れ約と謂ふ。 (「問、 以約失之者鮮。凡人須要検束、令入規矩準縄、便有所據守、方少過失。 或是侈然自肆、未有不差錯。曰、説得皆分明。 」「思慮不放肆、便是持 志。 動 作 不 放 肆、 便 是 守 気。 」「 這 約 字、 又 不 如 此、 只 凡 事 自 收 斂 」、 つ ま り、 「 約 」 と は、 「 侈 然 と し て 自 肆 す 」( お ご っ て 恣 に す る ) こ と をしないことであるが、それには「思慮が放肆でない」と「動作が放 肆 で な い 」 の 二 重 の 意 味 が あ り、 こ こ で は、 「 事 に 当 た っ て は 自 ら 心 を 収 斂 す る 」 と い う 意 味。 )」 尹 氏( 前 出 ) が 言 っ た。 「 凡 そ 事 約 な れ ば 則ち失ふこと鮮しは、止だ倹約を謂ふのみに非ざるなり。 (「倹、謂 節制、非謂倹約之謂。只是不放肆、常收斂之意。 」「收斂此心、不容一 物、也便是敬。 」「問尹氏其心收斂不容一物之説。曰、心主這一事、不 為他事所乱、便是不容一物也」 、つまり、 「約」とは「倹約」だけを意 味 す る の で は な く、 こ こ で は、 「 心 を 収 斂 す る 」 と い う 意 味 で あ り、 即ち事に当たってはその事に専心して心がそれ以外の事に乱されない ということ。 )」   鮮、上聲。○謝氏曰、不侈然以自放之謂約。尹氏曰、凡事約則鮮失、 非止謂儉約也。 第二十四章 子曰、君子欲訥於言而敏於行。 孔 子 は 言 わ れ た。 「 君 子 は、 言 葉 を 軽 々 し く 口 に 出 す こ と を 慎 む よ う に心がけ、実行を力行して怠らないように心がけるのだ。 」 集注:   「行」は、去声(第四声、ここでは、つまり「実行」の意)である。 謝 氏( 前 出 ) が 言 っ た。 「 放 言 は 易 し。 故 に 訥 な ら ん こ と を 欲 す。 力 行は難し。故に敏ならんことを欲す。 (「問、言懼其易、故欲訥。訥者、 言之難出諸口也。行懼其難、故欲敏。敏者、力行而不惰也。曰、然」 、 つまり、言葉を口に出すのが易しい、だから言葉を慎むことを心がけ、 実行は難しい、 だから力行して怠らないことを心がける、 ということ。 ) 胡氏 (前出) が言った。 「「吾が道は一で貫く」 (つまり第十五章のこと) からこの章までの十章は、皆曽子の弟子が記録したものではないかと 思う。 」   行、去聲。○謝氏曰、放言易、故欲訥。力行難、故欲敏。○胡氏曰、 自吾道一貫至此十章、疑皆曾子門人所記也。 第二十五章 子曰、德不孤、必有鄰。

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第五十一号(二〇二一・三) (「徳」 (ここでは、つまり善徳または悪徳のこと)を備えている人は 孤立することがないから、善人にも悪人にも必ずそれぞれその人物に 応じての仲間がいるのだ。 )孔子は言われた。 「「有徳者」 (つまり善徳 を備えている人のこと)には必ずその善徳に応じてのその人物に従う 仲間がおり、それは恰も家の周りに隣人がいるようなものだ。 」 ( 人 間 は 誰 に も 生 ま れ な が ら「 仁 義 礼 智 」 の 徳 が 備 わ る の で あ る が、 人によって稟受した気質がそれぞれ異なるが故に、実際それぞれ異な る 徳 が 備 わ っ て い る と い う こ と に な る。 そ の 備 わ っ て い る 徳 が 人 に よ っ て そ れ ぞ れ 異 な る こ と を、 こ こ で は、 「 徳 を 備 え て い る 人 」 と 表 現する。朱子のいう「徳」については、本稿末尾に「徳について」を 付録している。 ) 集注:   「鄰」は、 「親」 (「問、徳不孤、必有鄰。鄰是朋類否。曰、然。非惟 君 子 之 徳 有 類、 小 人 之 徳 亦 自 有 類。 」「 朋、 同 類 也 」、 こ こ で は、 つ ま り仲間のこと)である。 「徳は孤立せず、 必ず類を以て応ず」 (「德不孤、 是善者以類応。謝楊引繋辞簡易之文、説得未是。 」「吉人為善、便自有 吉 人 相 伴、 凶 徳 者 亦 有 凶 人 同 之、 是 徳 不 孤、 必 有 鄰 也。 易 中 徳 不 孤、 謂不只一箇徳、蓋内直而外方、内外皆是徳、故不孤是訓爻辞中大字」 、 つ ま り、 『 易 』 に い う「 徳 不 孤 」 と こ こ の い う「 徳 不 孤 」 は 同 義 で は なく、ここでは、善人にも悪人にも必ずそれぞれその人物に応じての 仲間がいる、ということ)である。だから、 「有徳者」 (「又問、如此、 則不必問年之高下、但有徳者皆尊敬之。曰、若是師他、則又不同。若 朋友中徳行底、 也自是較尊敬他」 、つまり、 善徳を備えている人のこと) は、必ずその善徳に応じてのその人物に従う仲間がおり、恰も家の周 りに隣人がいるようなものである。   鄰、猶親也。德不孤立、必以類應。故有德者、必有其類從之、如居 之有鄰也。 第二十六章 子游曰、事君數、斯辱矣。朋友數、斯疏矣。 子 游 は 言 っ た。 「 君 主 に 仕 え て、 君 主 を し つ こ く 諫 め る と、 辱 め ら れ るのである。朋友を善に導こうとしてしつこく善を進めると、疎まれ るのである。 」 (「 問、 集 注 引 胡 氏 一 段、 似 專 主 諫 而 言。 恐 交 際 之 間、 如 諂 媚 之 類、 亦是数、不止是諫。曰、若説交際處煩数、自是求媚於人、則索性是不 好底事了、是不消説。以諫而数者、却是意善而事未善耳。故聖人特言 之以警学者」とある。しつこく諫めるというのは、思いは良いものの、 ただそのしつこくすることが良くないだけである。ここでは、 聖人 (つ まり孔子)が特にそれを言って学ぶ者を戒めたとされている。 )

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『論語集注』 (朱熹撰)の日本語訳(里仁第四   後半)―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―    孫   路易 集注:   「數」は、 「色」 「角」の反。程子(前出)が言った。 「数は、煩数な り(つまり繰り返ししつこくすることである) 。」胡氏(前出)が言っ た。 「 君 主 に 仕 え て 諫 め を 聞 き 入 れ て も ら え な け れ ば 、 辞 職 し て 去 っ ていくべきである。友人を善に導いてその好意を受け入れられなけれ ば 、 善 を 進 め る こ と を 止 め る べ き で あ る。 繰 り 返 し し つ こ く す る と、 言う方は「軽」 (「以諫而数者、却是意善而事未善耳」 、つまり好意的) であるが、聞く方は嫌がるのである。そこで、ほまれを求めて反って 辱められ、 親しくしようとして反って疎遠されるのである。 」范氏(前 出) が言った。 「君臣と朋友は、 どれも 「義」 (「義者、 天理之所宜。 」「義、 便事事合宜」 、ここでは、つまり何事も適宜(つまり道理に適うこと) であるということ)で結 ば れるものである。だからそのこと(つまり しつこく諫めると、嫌われるということ)は同じである。 」   數、色角反。○程子曰、數、煩數也。胡氏曰、事君諫不行、則當去。 導友善不納、則當止。至於煩瀆、則言者輕、聽者厭矣、是以求榮而反 辱、求親而反疏也。范氏曰、君臣朋友、皆以義合、故其事同也。 付録:   朱子哲学にいう 「気」 「理」 「性」 「徳」 「道」 「敬」 「君子」 「賢人」 「聖 人」など、これらの諸概念の具体的な内容の要旨を、最後に付記する。   「気」については、 「朱子にあっては、恐らく、気が三種類の存在様 態で存在していると考えられていたのであろう。即ち、太極としての 気、陰陽としての気、五行(質)としての気、という三つの存在様態 である。朱子のいう気は、実際は陰陽二気を指すと思われる。形而上 的な存在である太極も気ではあるが、それが形而下的な存在としての 陰陽二気と混同されるのを恐れて朱子は、太極は気だと言うのを、な るべく避けようとした。また、太極は気ではあるが、占める空間的な 場がなく、直ちに陰陽二気になってしまうものだから、無形から有形 へと変化するという過程において言え ば 、太極が先に存在するが、実 際 の 生 成 順 序 に お い て は、 時 間 的 な 先 後 は な い。 」( 「 朱 子 の「 太 極 」 と「気」 」前掲、五七~八頁)とあり、 「鬼神・神は、理ではなく、気 の作用・働きを意味する概念である。これが鬼神・神の基本義である が、気をも意味するのである。しかし、この気は、凝固しても形質を 形成しない極めて清らかな気であって、凝固して五行(質)を構成す る陰陽の気そのものではない(鬼神は、陰陽の気と五行の質を意味す る場合もある) 。」 (「朱子の「神」 」前掲、一三六~七頁)とある。   「 理 」「 性 」 に つ い て は、 「 理 は、 人 間 の 意 図 の 如 き も の が 全 く な い 自然なるもの、本然の性(仁義礼智)または貧富・貴賤・死生・寿夭 などといった運命的な規定、行為の準則や事物の扱い方や物の使い方、 人間に内在する仁義礼智といった道徳の徳目、事物に内在するそのど ういう働きをするかを決めるものとしての機能・能力、事物の働きの あるべき様としての準則、といった内容を有する概念である。これら の内容が集まって一つの体系を構築しているのであるが、その体系の

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第五十一号(二〇二一・三) 全体をも理と呼 ば れるのである。 」( 「朱子の「理」 」前掲、四二頁)と あ り、 「 仁 義 礼 智 信 は、 「 五 常 の 性 」、 つ ま り 人 間 に 内 在 す る 道 徳 の 徳 目であると同時に、物の固有属性、つまり事物に内在するそのどうい う働きをするかを決めるものとしての機能 ・ 能力でもある。 「五常の性」 と 物 の 固 有 属 性 は、 い ず れ も 理 で あ る の で、 「 性 即 理 」 と 言 え る こ と は否めないのであろう。 」(同上)とある。   「徳」については、 「徳也是有是気而後有是徳(徳はつまり、このよ う な 気 が あ っ て そ れ か ら そ の 気 に 応 じ て の 徳 が あ る の だ )」 (『 朱 子 語 類 』、 九 十 頁 )、 「 因 気 偏、 這 性 便 偏 了。 然 此 處 亦 是 性。 如 人 渾 身 都 是 惻 隠 而 無 羞 悪、 都 羞 悪 而 無 惻 隠、 這 箇 便 是 悪 徳。 ( 気 が 偏 っ て い る が 故に、この性が偏ってしまうのだ。しかしこの偏ったものも性である。 例え ば 、人はすべてが惻隠であって羞悪がなく、またすべてが羞悪で あって惻隠がないのであれ ば 、これがすなわち悪徳である。 )」 (同上、 七一~二頁) 、「愛是惻隠。惻隠是情、其理則謂之仁。心之徳、徳又只 是 愛。 ( 愛 は 惻 隠 で あ る。 惻 隠 は 情 で あ り、 そ の 理 は つ ま り そ れ を 仁 という。 「心の徳」とは、 徳はまたただ愛のこと、 という意味である。 )」 ( 同 上、 四 六 五 頁 )、 な ど と あ る。 「 情 」 は「 性 」 の 現 れ で あ り、 「 徳 」 は「情」だから、 「徳」は「性」の現れである。だが、 「性」には「本 然 の 性 」( つ ま り「 理 」) と「 気 質 の 性 」( 稟 受 し た 気 の 影 響 で 形 成 さ れた「性」 )があり、 「徳」は「気質の性」の現れである。 「徳」は「明 徳」と同一の概念ではない。 「明徳」については、 「有是理而後有是気、 有是気則必有是理。但稟気之清者、為聖為賢、如宝珠在清冷水中。稟 気之濁者、為愚為不肖、如珠在濁水中。所謂明明徳者、是就濁水中揩 拭 此 珠 也。 ( こ の 理 が あ っ て そ れ か ら こ の 気 が あ る か ら、 こ の 気 が あ れ ば 必ずその中にこの理があるのだ。ただ気の清らかなものを稟受し た者は聖人であり賢人であるから、真珠が清らかな冷たい水の中にあ るようなものである。濁った気を稟受した者は愚者であり不肖者であ るから、真珠が濁った水の中にあるようなものである。いわゆる「明 徳を明らかにす」とはつまり、濁った水の中でこの真珠に付着してい る 濁 り を 拭 き 取 る こ と で あ る。 )」 ( 同 上、 七 三 頁 )、 「 或 問、 明 徳 便 是 仁義礼智之性否。曰、便是。 (ある人がお尋ねした。 「明徳はすなわち 仁義礼智の性であるか。 」先生は答えられた。 「その通りだ。 」) 」(同上、 二六○頁) 、などとある。 「明徳」は即ち「仁義礼智」の「性」であり 「理」そのものであって、 「本然の性」である。 「仁義礼智の性」は「明 徳」であるが、 「徳内便有此仁義礼智四者。 (徳にはつまりこの仁義礼 智の四者がある。 )」 (同上、二六二頁) 、「仁義礼智、性之四德也。 (仁 義礼智は、性の四つの徳である。 )」 (『四書章句集注』 、三五五頁) 、な どとあるように、 「仁義礼智」を単に「徳」と言う場合もある。   「道」については、 「學而第一」の十四章に「凡言道者、皆謂事物当 然 之 理、 人 之 所 共 由 者 也。 ( だ い た い 道 と い う も の は、 す べ て、 事 物 の当然の理であり、 人々の共通のよるところのものを指すのである。 )」 とあり、これは即ち、仁義礼智、つまり道徳の徳目及び事物の固有属 性としての機能・能力であるが、特に、行為の準則や事物の扱い方や 物の使い方を「道」とする、という意味である( 「朱子の「理」 」前掲、

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『論語集注』 (朱熹撰)の日本語訳(里仁第四   後半)―『論語集注』を主とする朱子の『論語』解釈―    孫   路易 三九頁) 。   「君子」については、 「君子は徳の実行を行う人の呼称である。端的 に 言 え ば 、 つ ま り、 事 物 の「 理 」( つ ま り、 人 間 に は 誰 で も 生 ま れ な がら仁義礼智の性が備わっているという道理、及び動植物や無生物の 固有属性としての能力・機能)を究明し、そしてその「理」に従って 言 動 を 行 う 人 の こ と を「 君 子 」 と 呼 ぶ、 と い う こ と で あ る。 「 理 」 を 究明するその過程においては、常に、思慮を集中させるという心的状 態、及び牽強付会をしないという心構えを保つ。これが「君子」の特 徴である。 」( 「朱子の「君子」 」前掲、 (十三)頁)とある。 「常に、思 慮を集中させるという心的状態、及び牽強付会をしないという心構え を保つ」ことは即ち、 「居敬」 「持敬」 「主敬」のことである。   「聖人」 と 「君子」 と 「賢人」 との違いについては、 「聖人」 とは、 「故 上知生知之資、是気清明純粹、而無一毫昏濁、所以生知安行、不待学 而能、如堯舜是也。 」( 『語類』 、六六頁)とあるように、そのうまれな が ら 稟 受 し た 気 は 清 明 で 純 粹、 ほ ん の 少 し の 濁 り も な い も の で あ り、 つまりうまれながらその心がほんの少しの濁りもない透き通った透明 体となっている、このような人のことである。 「君子」とは、 「君子者、 成徳之名也。所貴乎君子者、有以化其気稟之性耳。不然、何足以言君 子。 ( 君 子 と は、 徳 の 実 行 を 行 う 人 の 呼 称 で あ る。 君 子 を 貴 重 な 存 在 とするのは、その気の稟受が形成した性を変化したからというこのこ とによるものである。そうでなけれ ば 、どうして君子と言えるのだろ う か。 )」 (『 語 類 』、 五 七 八 ~ 九 頁 ) と あ る よ う に、 そ の う ま れ な が ら 稟 受 し た 気 に は 多 少 の 濁 り が 付 着 し て い る が、 「 変 化 気 質 」 つ ま り 学 ぶことを通してその心をほんの少しの濁りもない透き通った透明体に 変えた、このような人のことである。 「賢人」については、 「君子不器、 事事有些、非若一善一行之可名也。賢人則器、獲此而失彼、長於此又 短 於 彼。 賢 人 不 及 君 子、 君 子 不 及 聖 人。 ( 賢 人 は 器 で あ り、 こ れ を 得 てあれを失い、これには長けるがまたあれには欠けるのである。賢人 は君子に及 ば ず、君子は聖人に及 ば ないのだ。 )」 (『語類』 、五七八頁) 、 「 器 者、 各 適 其 用 而 不 能 相 通。 成 德 之 士、 体 無 不 具、 故 用 無 不 周、 非 特為一才一芸而已。 (「器」とは、それぞれその使い道に適しているも の の、 互 い に 通 用 す る こ と が で き な い、 こ う い う も の で あ る。 「 成 德 之士」 (つまり君子)は、 「体」 (「君子者、才徳出衆之名。徳者、体也。 才 者、 用 也 」、 こ こ の い う「 体 」 は つ ま り 仁 義 礼 智 の 徳 の こ と ) は す べて身に備わっていて、だから、 「用」 (つまりその徳の実行)は、あ らゆる事にあたって行われるものであって、特に一つの才能や一つの 技芸だけに行われるものではないのだ。 )」 (『論語集注』 、『全集』第六 冊、 七 八 頁 ) と あ る よ う に、 「 賢 人 」 と は つ ま り 一 つ の 才 能 や 一 つ の 技芸だけに長ける(つまりある専門的な才能または技術に長けるとい う こ と )、 こ の よ う な 人 の こ と で あ る。 そ れ 故 に、 「 君 子 」 は「 聖 人 」 に次いで「賢人」より上位に位置付けられているのである。また、 「聖 人 」 と「 賢 人 」 の 違 い に つ い て は、 「 但 聖 人 則 皆 自 然 流 行 出 来、 学 者 則須是施諸己而不願、而後勿施於人、便用推將去。聖人則動以天、賢 人則動以人耳。 」( 『語類』 、六八六~七頁) 、「聖人是因我這裏有那意思、

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第五十一号(二〇二一・三) 便去及人。如未飢、未見得天下之人飢。未寒、未見得天下之人寒。因 我之飢寒、便見得天下之飢寒、自然恁地去及他、便是以己及物。如賢 人以下、知得我既是要如此、想人亦要如此、而今不可不教他如此、三 反五折、 便是推己及物、 只是争箇自然與不自然。 」( 『語類』 、 六九一頁) とあり、 つまり、 「聖人」はすべての行為が自然に行われるものであり、 こ れ に 対 し て、 「 賢 人 」 の 場 合、 そ の 行 為 は 他 人 に 及 ぼ す べ き か ど う かを繰り返し考えた後に他人に及ぼすものであって自然に行われるも のではない。 「君子」と「賢人」は、 「君子器ならず」 (「人心至霊、均 具万理、是以無所往而不知。然而仁義礼智之性、苟以学力充之、則無 所施而不通、謂之不器可也。至於人之才具、分明是各局於気稟,有能 有不能。 」( 『語類』 、五七八頁) 、つまり、ここでは、 「器ならず」とは 天下の万事万物について知ることができることで、学ぶことを通じて 仁義礼智の性が十全になってそれをあらゆる事物に施して通用すると いうことであり、人に「才」があるかどうかはその人の稟受した気に その 「才」 の部分があるかどうかによるのである、 ということ) と 「賢 人則ち器」との違いがあるが、 「若中庸所謂忠恕、只是施諸己而不願、 亦勿施於人。此則是賢人君子之所当力者。 」( 『語類』 、六九九頁)とも あり、両者にはその行為が「聖人」のように自然に行われるものでは ないという共通点もあるのである。

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