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古今和歌集・雑体の「誹諧歌」--「誹(ひ)諧」は「俳諧」にあらず---香川大学学術情報リポジトリ

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古今和歌集・雑体の「誹譜歌」

−「誹潜」は「俳誇」に.あらず−

竹 岡 正 夫

は じ め に

かつて学生紅下記のような発間をしたところ、次のような答があった。 問日、梅に.来るはいかなる小鳥か? 答云、螢なり。 問日、萩の花に慕ひ寄るはいかなる獣か? 答云、鹿なりと聞けり。

こころ 問日、春と秋とは、それぞれいかなる気持のする季節ぞや?

答云、春は心うきうきと浮き立ち、秋は心さびしく憂愁の季節なり。 問日、月はし、ずれの季節の景物なりや? 答云、そは秋の景物なり。‥……etC. つまり、これが日本人叫般の自然観の型なのである。そしてそれを最も洗練さ れた図柄で端的に表現しているのが、花札の絵模様である。 このような日本人の自然観の・−・般的な型ほ.古典に.より歴史的社会的に.形成さ れてきたもので、その原点は、まず何といっても最初の勅撰和歌集である古今 和歌集に.あるということができよう。周知のよう紅、紀貫之の「■仮名序..】に.よ ると、延審5年(905)の成立後、和歌は勿論のこ.と、代々の各方面の古典にも 深甚の影響を与え.、日本人の自然観や恋愛観(古今集紅は恋の歌が5巻あり、 あらゆる型の恋が和歌の形に表現されている)などの「典型」の形成の重要な 基盤となって今日にまで至っているのである。 ところが、明治51年(1898)、時に引歳の正岡子規が一・種のプロパガンタとし て「’歌よみに与ふる書」の申で、当面の打倒目標である柱間派などいわゆる旧 派の和歌とともに.、当時までの輝やける偶像であった古今集とその代表歌人紀 貫之を敵地な調子でこきおろし、打倒し去って、その代わりに.、若者や素人に

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ほ容易にその歌境に入れる、つまりわかりやすい万葉集を大いに称揚した。そ の影響であろうか、万葉集についてこほ、狩代「万葉学」と称されるまで学問研 究も進められ、専門の学会さえ結成されるなど、その成果は冒ざましいものが あるが、・一方、古今集の方は、古典中の古典として平安時代以来その研究や注 釈の類も最も多いのにもかかわらず、近代以後、不当といってよいはどに軽ん ぜられ、その注釈類も啓蒙書の類ばかりで、元禄時代の契沖の注釈『古今余材 抄Jはどの実証的・考証的研究もなく、本居宣長の『高■今集遠鏡』はどの文法 的に精確な口語訳も、最近の佐伯梅友博士の注釈を除いては皆無といってよ く、かといって香川真樹の『古今集正義』はどのすぐれた文学的センスもな い。要するに今日の学問に堪え得るような注釈書は奇妙なことに満天の星の中 に−、ニぐらいしかないといってよい現状である。

以下、既発表の拙論の要旨をも兼ねて、ニ、三の実例をかんたんにあげよ

う。 「仮名序」の冒頭には、古来有名な、 ◇ 花紅鳴く鴬、水に住む垂旦至の声を聞けはいづれか歌を詠まざりける0 という−蘭がある。その中の「かはづ」は今日に至るまで専ら秋に・鳴く河鹿と 決めてかかっていたが、例えば、 ◇ 宵毎に重さ些至のあまた鳴く田にほ水こそ増され雨ほ降らねど(伊勢物語・ 108段) の一一例を引くだけでも、普通の蛙を「かはづ」と称した事実が知られよう。「か はづ」とは、「かへる」の文学用語、歌語であったのである。 ◇ いにしへより、かく伝はるうちにも、雌よりぞ広まりにける。‥・・

ひじり かの御時に、旦堕皇茎竺旦壁柿木の人麿なむ歌の聖なりける。

「ならの御時」「ならの帝」とあれば文句なしに平城天皇と解してしまうものだ から、上記の文章は歴史的に合わなくなる。するとそれは貫之の歴史的無知と して片づけてしまうのである。例えば、 ○ 貫之は万葉集の撰集を平城天皇の御代と考へ、その有名な作家人まろ赤人 も平城天皇の御代の人と考へ、宛も延事の御代に貫之らが古今集を撰するや うに.思って時代錯誤をしたのであらう。(至文堂刊。藤村作博士)

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古今和歌集・雑体の「誹滑歌」 17 という式である。これも大和物語の150・151・152段や、 なら ◇ 諾楽宮御宇大八島国勝宝応兵聖武太上天皇(諾楽の宮にあめの下の大八島 を・さ 国都めたまひし…)(日本霊異記・中・第一・話) ならをさ ◇ 諾楽宮細字太八州国之帝姫阿倍天皇御代(革製申宮に大八洲国御宇めたま ひレ…‥)=称徳天皇(同・下・第一話) の例を見れば、「奈良時代の静」と解すべきことが了解されよう。 又柿本人暦を「おはきみつのくらゐ」とすることも、これを直ちに平安時代 ふうに「正三位」と解し、それでは人麿に合わないというので、「みつ」ほ「む つ」の誤写(斎藤茂吉)、「みみつ」とある写本もあるので「三三つ」即ち「六 つ」の洒落(久曽神昇博士)、もと「おはきみ」とだけあったのを、『礼記』の 「三公」を「おはきみ」というので昔の英人が「三つの位」と傍に注記したの がまぎれこ.んだ(西下経一博士)などと、落語もどきの臆測も行なわれ、結局 今日普通には「貫之の無知か成ほ歌の先人をわざとあがめたものか。.」(藤村作 博士)と説明されているのである。これは、①平安時代の位階制でほ.なく、天 武天皇14年制定の位階制に従うぺきこと、⑧万葉集でほ「補木塑慶人麻呂」と 記されてあり、「朝臣」が奈良時代と平安時代とは異なっていて、、大武15年の八 色の姓では第2等の称であるが、古今集では5位以上の老の称し方であるこ と、④縁者に「小錦位柿木臣狽」(日本書紀・天武10年12月)・「従五位下柿本

まな 枝成」(余材抄所引、文徳実録)があり、古今集真名序では五位以上を言う「大

夫」と称してル、ることなど検討の上論ぜられるべきである。 さらに「仮名序」の申で和歌の「さま」を、 ◇(1)そへ歌一大さざきの帝をそへ奉れる歌「難波津に.咲くやこの花冬こ もり今は春べと嘆くやこ.の花」 (2)かぞへ歌−−「咲く花軋思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいる も知らずて」 (3)なずらへ歌−−「君にけさ朝の霜のおきていなほ恋しき毎に消えやわ たらむ」 あー)そ まさこ 極)たとへ歌¶「わが恋ほよむとも尽きじ荒磯海の浜の央砂はよみ尽く すとも」

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(5)ただこと歌−−「いつほ.りのなき世なりせばいかばかり人の言の菓う れしからまし」 (6)いはひ歌仙「この殿ほむべも富みけりさき草の三つば四つばに.殿造 りせり」 の「六つのさま」に分けている、古今集理解の上でほ大変重要な貫之の論も、 詩経大序の風・戚・比・興・雅・頒のいわゆる「大義」の説紅無理に.こ.じつけ て解そうとし、解しきれぬものだから、貫之の「六つのさま」が「もともと故 意にこじつけたのだから、しひて穴ぐるに.も及ばなからう。」(金子元臣『古今 和歌集評釈』)とか、「六種としようが為の名目で、しかも牽強附会する事さへも できないものだといふべきである。」(窪田空穂『古今和歌集評釈』)とかいうふ うに、今日全く一・顧の価値も与えられていない始末である。しかし、こ.れほ.空 海の文学論書『文鏡秘府論』にも所引の王昌齢その他の「景・情相兼」を最善 とした六朝時代の詩論に.もとづき、「景」と「僧」との布置配合という基準から 解釈すれば、みごとな分類となっていることがわかり、「六」という数も「六義」 の数に合わさんがためのものでほなく、必然的な数であることが諒解できるの である。すれば当然集中の1100首に余る歌はこの観点から根本的に改めて解釈 しなおさなくてほならなくなる。この「六つのさま」を解明しようとする注釈 や論ほ.きわめて多いのに、驚くべきことには、貫之の用語である「■さま」の意 味・用法の実証的・帰納的な研究すら未だかつて−・皮もなされたことがなく、 論者の慈恵により「体」「風体」「姿」「スタイル」などと論じ立てられているので ある。

一首一首の解釈となると、もっとひどい。例えば、貫之の、

ふ ◇ 夏の夜の臥すかとすればはととぎす鳴くひと声に.明くるしののめ(夏・

15占) という優れた歌が、 ○ 夏の夜である。ちょっと横になったかと思うと、はととぎすのひと声がす ぐに.聞こえて、それ紅催されるかのように、東の空がしらじらと明けほじめ る。(小学館・日本古典文学全集・小沢正夫氏) と「口語訳」されている。「夏の夜の」という微妙で張りつめた、古昔の歌人な

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古今和歌集・雉体の「誹譜歌」 19 どの讃嘆おくあたわざるこの置き方が、「の」を「指定の助動詞」とする特殊 な文法学説を適用したのであろうか、「夏の夜三重旦。」と無惨にも切って歌の調 子も歪曲してしまい、「…・…明くるしののめ。」と体言で終わる「喚体」を、全く 認識のしかたも異なる「東の空が‥・明けほじめる。」と「述体」紅変えてしまっ ているなど、貫之の歌とほ似ても似つかぬ、だらけた「口語訳」になってしま

っている。まして、その「鑑賞」として、

○ 空がはととぎすの声に目を覚まされると、擬人化したものだろう。貫之ら しい機知のある歌である。 とほ初心者を誤まらしめるものである。 こうして、古今集は、上述のごとき解釈や鑑賞の結果、いよいよくだらない 下手な歌の集に・されていくのである。古今集がくだらないのでほなく、解釈者 がついに.真価を解明し得ず、似而非文学紅してしまっているといえよう。 〔既発表の拙論〕 1「古今和歌集における助動詞『けり』の用法」(『香川大学教育学部研究 報告欝1部』25号、昭和42年) 2 「古今集仮名序に.おける疑義五題」(同書・24号、昭和45年)

5 「古今和歌集仮名序の『六つのさま』」(『佐伯梅友先生盲稀記念国語学論集』

昭和44年) 4 「暑今和歌集中の助動詞『らむ』の意味と用法」(『解釈』1占8号、昭和 44年) 5 「古今和歌集に.おける『脊飾』の表現」(『表現研究』11号、昭和45年) 占 「古今集・雑上における好色的戯咲歌.」(『国文学言語と文芸』7d号、昭 和48年) 1「誹譜歌」についての諸説 以下、引用の注釈書ほ下記のように略記する。 ○ 契沖『竜今余材抄』→余材抄 ○ 賀茂襲渕『古今和歌集打聴』→打聴 ○ 香川景樹『竜今和歌集正義』→正義 ○ 金子元臣『古今和歌集評釈』→金子評釈

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○ 窪田空穂『古今和歌集評釈』→窪田評釈 ○ 藤村作『古今和歌集』(至文堂刊)→至文 ○ 西下経一・『古今和歌集新解』→新鮮 ○ 谷 鼎『古今和歌集評解』→評解 ○ 佐伯梅友『古今和歌集』(岩波、日本古典文学大系)→大系 ○ 小沢正夫『古今和歌集』(小学館、日本古典文学全集)→全集 ○ 窪田章一・郎『古今和歌集』(角川文庫)→文庫 古今和歌集20巻のうち、第19巻は「雑体」として「短歌」「旋頭歌」とともに 58首の「誹語歌」を収める。このうち「’短歌」とは今日言う「長歌」のことで、 なぜそれを「短歌」と称するのかについては、古来数多くの論議があるが、こ れも今日一腰に「■長」を「短」と写し誤まったものぐらいで片づけている。私 見に.よれば、これほ、漢詩に「短句」(一句の長さの短いもの)というのがあ り、これにならった命名と考えられる。詳細は別稿。 ところで、このうちの「誹詩歌」は古来「併給歌」と全く同じとされ、後世の 俳語文学の先蹴をなすものとされて文学史などにも種々論が展開されてル、る。 ところで、どうして「誹語」とあるのを「俳語」と断定するかに/ついては、 例えば北村季吟の『教端抄』の、

ヒカヘシ ○ 誹ノ、字書に、壁のこゑなし。醜鏡の法に・て切に・て読む也。誹ノ、、ハ・ヒ

カヘシ ノ切となり。(ノ、の子音と、との母音との反切でととなるから、「誹」はとと

もノ、イとも読まれる) とする延約説による「■口伝」のごときを除くと、次の二つの場合がある。(以 下、漢文ほ読み下し文に.改める。) A 「誹語」=「俳語」と無条件に.解するもの と

○ 但レ誹語ヲ以デ多ク掴譜卜称シ、而モ非卜称スル粂、不審。…俊頗自筆

本にほ.俳語と書く也。(藤原清輔、勘記) ハイカイカ ○ 誹讃歌(寂恵本古今和歌集、束常緑・宗祇両度聞古) ○ ただ誹詰と二字あるときは、はいがいと濁りてよむなり。この誹藷歌を

ざれ歌といふ。利口したるやうの事也。又、ほいかいといふ事、世間には

あれたる様なる詞などをいふと思へり。此の集の心さらに.しからず。ただ

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古今和歌集・姓体の「誹譜歌」 21 恩ひよらぬ風情をよめるを誹静といふなりと申されし。されど歌あらき事 をもまじへたるなり。(古今栄雅抄) ○ 誹は俳に.て戯の義。歌の調子は一般にまじめなものであるがそれに.対し て、ユ・−マーのあるものをいふ(重文) はいかいか ○ 誹詩歌−・万葉集巻十六の戯れの歌の系統のもので、正格な改まった歌に. 対して、ひとふし笑いを含んだもの。(大系) O 「誹譜」(俳静とも書く)とほ「■滑稽」の意で、中国の詩で用いられた用 語である。(全集) ○ 誹藷は俳語とも書く。滑稽の意。内容や言葉に.笑をもつ歌で、笑は古今 集の歌人に愛された重要な要素である。ここでは特に恋歌が多く収められ ている。(文庫) B 「誹」ほ「俳」の字の誤写、又は下の「諸」の字につられて人ベンを言ベ ンに香いたとするもの ○ 誹は俳の字なるを、なだらかなる草書の相似たれば、誹となれるなるべ し。(余財抄)

ザツゲクワカフ ○ はいがいの字、俳ほ雑戯也。譜は和也、合也、と云ひて、をかしきたは

れ歌をいへり。さて、かの国に.も俳語とつづきたる言ほなけれど、此の国 にはやくかくいひし故にここ.に.はとりて書かれしにや。〔細注:史記に.、滑稽 ほ俳語也と云ふ注ほあれど、其の伝の本文には見えず。唐の杜甫の詩に俳静体と云 ふ事も見えたれば、 から国に.ははやくよりある言也。されど今のさまに.は必ずかな と へる事にもあらぬやう也。.〕今の本に誹語と有るほ、うつしあやまれる也。… コトザマ ワザヲギ さて是にえらぺるほ、常ざまの歌とすこし異体にて、俳優がましき心詞な 皐をえらぴたり。(打聴) 0 史記の註紅、「滑稽俳語也」とあって、をかしいたほれ言を、俳静とい ふ。唐の杜甫の詩紅も俳語体がある。ここに.誹語と書いたのほ、下の語の 字の偏によって、上の俳の字の偏をも言偏に作ったもので、かういふ例 は、熟革によくあることである。…撰者等が、俳静と認めた標準は、きは めて曖昧で、今より推することは頗る困難である。(金子評釈) ○ ほいがいか。史記の注濫.、「滑稽俳語也」とあり、又唐の杜甫の詩にも俳

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譜体といふがある。「誹語歌」ほその内容から見て、この「俳静」といふ漢 語を取ったものと分る。「誹」ほ「俳.」の誤で、書写の際、その草書体が、 下の「譜」に.引かれて誤ったのだらうといほれてゐる。(窪田評釈)

○● ○ 正しくほ俳静と書くべきであるが、誤ったままで伝えている。滑稽味を

帯びた歌のこと。(評解) ○ 併給歌のこと。誹は音ヒで訓ほ「そ・しる」であるから誤りであるが、凍 土においても既紅この字が用いられているという。俳も潜もともに訓は 「たわむれ」である。誹藷歌とは歌をよんだ時の実際的態度に.よるもので

いい ほ.なく、歌の表に「たわむれ」が出ている謂である。古今集にいおけるそれ

は上品なしゃればかりで、卑俗なものやあくどいものほ.ない。(新解) 何らの根拠もなく「俳静」と解してしまう結果、『金子評釈』の言う ように 「俳誇と認めた標準ほへ きはめて曖昧で、今より推することほ頗る困難であ る。」つまり、古今集のこれらの歌がどうして「俳語」なのか、すこぶる理解困 難だということに.なるのである。 なお、参考のために、平安末期の「誹語」の論の代表例を以下引く。 ○ 次に.誹讃歌といへるものあり。これよく知れるものなし。又髄脳に・も見 たることなし。古今についてたづぬれば、ざれこと歌といふなり。よく物 いふ人のざれこと歌といふなり。よく物いふ人のざれたはぶるるがごと し。(俊敏髄脳) ○ 誹譜歌 滑稽也。…誹、 音非也。俳ノ音無シ。俳ノ字ヲ用フ可レ云々。 然リト雑モ古今・拾遺等皆以テ誹ノ字ヲ用フ。尤モ不審ナ・リ。(藤原清輔 『奥義抄・上』) ○ 問云、誹語歌、委趣如何。答云、漢書云、誹治者滑稽也。滑、妙義也。稽、 ′ヽ 調不尽也。史記・滑稽伝・考物云、滑稽、酒器也。言フココロノ\、俳優者、ロヨリ

ンゴト 出ダシテ章ヲ成シ、詞、窮メ掲キズ。滑稽ノ酒ヲ吐ク若キ也。‥・誹言皆の字は、

ひとへ わざこととよむ也。是によりてみな人、偏に戯言と思へり。かならずしも

然らぎるか。今案ずるに、滑稽のともがらは、道を非として、しかも遺を

成す也。又誹譜ほ王道を非として、しかも妙義を述べたる歌也。故に是を なぞら 滑稽に准ふ。その趣、弁説利口あるものの言語の如し。火をも水にいひな

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古今和歌集・雑体¢「誹踏歌」 2−5 すなり。或は狂言に.して妙義をあらはす。此の中、又心にこめ、詞にあらほ れたるなるぺし。・・lせ今・誹詩歌云、「難渡なる長柄の椅も造るなり今ほ わが身を何にたとへむ」是等心弁説也。・‥古今歌云「世中の憂きたび毎に 身を投げば深き谷こそ浅くなりなめ」是等詞弁説世。・・・古今歌云「もろこ しの吉野の山に.こもるとも遅れむと恩ふわれならなくに」是等心利口也。 むつ …「睦言もまだ尽きなくに明けにけりいづらは秋の長してふ夜ほ」是等詞 利口也。…「世中はいかに苦しと思ふらむここらの人に恨みらるれば」是 等心狂也。…「春の野の繁き草葉のつま恋ひに飛び立つ雉のはろろとぞ泣 く」是等詞狂也。おはむね、此おもむきに過ぎず。これらにて心得ぺし。 但し、弁説・利口、くほしくいへばわかれたることなきもの也。 問云、誹譜の趣、釈の如くならば、古今に他部にも誹語の心ある歌まま侍 り。いかが。答云、おのおのあひまじほれり。そのゆゑほ、誹語の心ある

かの 歌を尽くして入れば、彼部すぐれて多かりぬべければ、よろしきにしたが

ひてはからひ入れたる也。四季・雑部に.もこの会釈はあること也。(同・ 下) 以上、いずれに.しても、古今集の「■誹語歌」を「ノ\イカイ歌」と読んで、「俳 讃歌」として−歌を見ていくのであるが、上に㌧見てきたごとく、その根拠はきわ めて薄弱で、到底学問的とはいえず、にわかには従いかねるのである。その何 よりの証拠は、古今集の「誹語歌」ほ.「■俳言替歌」では解釈できないと注釈者自 ら嘆じている実状である。 2 「誹譜」rの真義 りゆうきようぷんL.んちようりゆう 中国の古代の文学論の代表とされる、梁の劉紋の『文心離龍』の第15茸は 「請謁」となっており、氾文潤氏の注に、 00 000 0 隋書経薄志総集類、有衰淑誹諮文十巻、是撰誹語集之姶。其文存者、有 難九錫文勧進牒、紀山公九錫耳、大蘭王九錫文、常山王九命文。(隋書経薄 志・総集類に衰敵の「誹詩文」十巻があり、これが「’誹静集」を撰ずる最 初である。その文章で今日存するものは、難九銘文…がある。) とあって−、以下、「魔山公九錫文」の例を掲げていろ。ここに中国の文学に.串け

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る「誹語」の最初の例を見ることができるのである。 「誹譜」の字義を調べると、平安時代の字書『類衆名義抄』には、

◇ 誹ソジル、音ヒ。

◇ 譜 ヤハラカナリ、ヤノ、ラグ、トトノフ、トフラフ、カナフ、クタフ、ト ナフ、ヒトシ、ヒサシ とある。『文心離龍』「語喜隠」の説明に、

かいかい ◇ 譜之言、皆也。辞浅会俗、皆悦笑也。(「語」というのは「皆」の意味であ

る。つまり卑俗なことばは大衆に受けて、「皆」なが面白がって笑うというわ けだ。−『世界古典文学全集』25・興膳宏氏訳) と見え.る。諸橋轍次博士の『大漢和辞典』には、 ○ 誹 ヒ そしる。〔説文〕誹、諺也。ム人言非声。〔段注〕誹之言非也。言非其 実。〔説文通訓定声〕放言日諾、微言日誹、日義。〔広雅、釈請ニ〕誹、嚢也。〔広

雅、釈諮三〕誹、恵也。

○ 語 カイ、ガイ・‥・…⑳たはむれ。じやうだん。おどけ。〔荘子、遥遠遊〕斉譜 者、志怪者也。〔漢書、東方朔伝〕上以朔口言皆辞給、好作問之。〔文心願龍、 譜隠〕(前掲) とあって、「誹誇」は、

○ 誹静 ヒカイ おどけてわる口をきく。〔北史、文苑、柳暫伝〕性嗜酒、言

誹譜、由是弥為太子所親押。 と説明されている。なお、「俳譜体」については、 ○ 詩の−・体。俳謡歌詭を主とした体。俳体。〔文体明弁、歌語詩〕按、詩衛風 洪奥篇云、善戯誰今、不為譜今、此謂言語之間耳、後人因此浜而為詩、故有 俳詩体。 又「俳語」については、 ○ 俳譜 ハイカイ ①おもしろみや、をかしみのある言詞。俳優のせりふの

類。〔北史、李文博伝〕好為俳静雄説、人多愛抑之。〔唐書、鄭棄伝〕索本書

詩、語多俳語。 とある。 かくして、「誹譜」ほ、古今集に関する限りは「ヒカイ」と読むぺきで、「ハイ

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古今和歌集・雑体の「誹琴歌」 25 カイ.」と読むべき根拠は全くなく、その革義も、おどけで悪口を言ったり、又 大衆受けのするような卑俗な貫辞を用いたりする意と解さざるを得ないのであ る。「俳静体」の詩が中国にあるところから、それ紅結びつけて誤解を招いたも のと考えられ挙のである9「誹準」はしたがって一般に解されているような「滑 措」「戯咲.」を主とするものではない。 古今集の他の巻紅も「誹」や「語」の歌は見られるが、撰者はそれを「誹 諺」を主産とする歌とは考えていないのであって、巻19の「誹静歌」に収め る歌こそ「誹静」.を主題とする歌としているのである。題材より見れば当然、

○ 四季や恋その他になろうが、「雉体」紅入れている以上は、その表現のしかたに

観点を置いているのであって、そこの識別は明確に・しておく必要があるJO『全 集』が、 ○ 本巻に収められた誹語歌ほ縁語や掛詞、卑俗な語句、擬人法などを意識的 に」削、て滑稽味を出そうとしたものである。もっとも他の巻にも同傾向のも のがあり、誹藷歌とそうでないものとの間紅明瞭な区別ほ認められない。 とするのは、もとより「誹言皆敵」が明確に理解されていないことを示すもので あり、縁語や掛詞・擬人法まで「■滑稽味を出そうとしたもの」と説明している など、古今集の特性さえ正しく理解されてはいないのではないかと疑問に思わ れるのである。 古今集に.おける−・般の和歌は、詩に種々の表現技法・句法があるのと同様に・、 文学としての表現の型、これを貫之は「さま」と言うのであるが、その「さま」 をとっており、「■猟」の世界に属するのに対し、「誹詩歌」はその「さま.」紅・おい ても型破りであり、対象のとらえ方や用語に・おいて、おどけた態度が認められ、 まさた卑俗そのもので、到底「雅」の世界に鳳す畠とほ.いえない歌なのセあ る。「誹誇歌」が、戯咲歌をも含む「雉歌」の部札入れられないで、「短歌」「旋頭 歌」とともに「’雑体」に収められているゆ左んも、さような「歌隠」を異にす るところに.あぁ占捷老が−鹿、文学としで中国の轟にも匹敵する「和歌」と考 えているのほ巻18の「雑歌」までの、歌数ももようど10DO首(伊達家本等)の 敵であって・、この「雑体」の敵は左・の点別種と着えていためではあるまいか。

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ノ5 「誹譜歌」の例2首とその解釈 〔1〕◇ 梅の花見把.こそ・来つれ魔のひとくひとくといとひしもをる(題知ら ず、詠み人知らず、1011) 誹讃歌の最初に掲げられている歌である。今日、私たちは普通、小鳥の鳴き声 は「ゼーチク、ピーチク,pitiku,pitiku」と聞きとるが、こ「の歌でほ党の鳴 く き声を「ヒトク、ヒ寸ク、Fitoku,Fitoku」と聞きとって、これを「人来、人 来。」(人が来る)と解してこ歌紅しているのである(亀井孝氏「春鷲嘲」国語学 ・59)。「ヒ」の子音は今日では声門音〔b〕であるが、この当時ほ両唇音〔◎〕 の音であり、さらに.この歌の場合、「ひ・.」と仮名書きして:いても実際に.ほ「−ぴ」 「ぴ−−」「こトー」といった音をも表わし得たので、そのように.も読まれたと思わ れる。駕ほこのころ、まだ「■ホー・ホケキョウ」(法、法華経)と有難くは鳴かな かった。『顕註密勘』(藤原顕昭・定家の古今集注釈)に.は鷺が鳴き果てに「切り 声」でほやく鳴く声ほ「ひとく、ひとく」と鳴くように聞え、又「キジキクキ リテクテク」と聞えると言っており,『両度聞書』紅はJ■とびなきする」声とあ る。大和物語・175段紅も党の鳴き声を、 お ◇ よもぎ生ひて荒れたる宿を億の旦皇iと鳴くや誰とか待たむ と詠んでいる。万葉集ではカラスの喝き声を、

く ◇ からすとふ大をそ鳥のまさでに.も来まさぬ君をr■セロク」(=子ろ来。)とそ

鳴く(14・5521) と詠んでいるのほ、古今のこの誹讃歌と相通じる。なお古今集・賀には千鳥の 鳴き声をめでたく「ヤチヨ」(八千代)と聞いており、さらに.藤原顕昭の仮名序

た 注の中紅.ほ、ほととぎすは「タッチタバラン」(食って腸ばらん)、輝は「クック

よ ショシ」(美し好し)、こおろぎは「ツヅリサセ」(はころぴを縫いつづれ)と鳴く

と言っている。 鷲といえは、和歌の世界では春を告げる鳥として、その鳴き声は大いに.待望 し賞翫すべきものとされている。そしてさように詠むのが「’雅」の歌である。 ◇ 党の谷より出づる声なくほ春来るこ.とを誰か知らまし(春上・14、大江千里) のごとくである0さように優雅窄ものとされている億の鳴き声を、まことに・無 風流紅も俗っぽい擬音語で聞きと っているところ、その声を「人来、人来」と

(13)

古今和歌集丁雑体のイ誹滑歌.」 27 おどけて聞いて鴛を非難しているところがまさにイ誹茸」である。『窪田評釈』 が、 ○ 梅の花を女、梵をそこへ通って来る男といふ感じ方ほ、当時の生活気分 と、自然物を擬人する心から醸し出されて、次欝に濃厚なも¢となりつつゐ たと思はれる。此の歌もそれで、男女相違?てゐる所へ、欝三者が閲<して 来た感を、男としての鷲が感じたと見たものであらう。当時の人には.、その 意味で笑ひとほいへ、微かな昔笑を誘ったものと恩ほれる。 と評しているのは「俳譜歌」として無理に附会しての解で、これで蜂他の部の 歌との区別も困難になってしまうのも当然である。『全集』が末尾鱒「をる」匹 ついて、「…ほなぜであろう、などを適宜補って訳す。」として「鷺が『ヒトク、 ヒトク』と私を特に嫌うとはどうしたことだろう。」と訳しているのなどほ勝手 な誤解である。

いくはくたをさ 〔2〕◇ 幾許の田を作ればかはととぎすしでの田長を朝な朝な呼ぶ(1q15、

藤原敏行) こ.の・一首のどこに「俳謝」(正しくは「誹語」)があるのやら−「トでのたをさ」の 解釈とあいまって今日なお正解のない歌である。古来種々の鋭があるが、ここ には.最近の主な説を引くにことどめる。 ○ 時鳥の濁声を、人のいふやう軋「死出甲田良」と聞取って∴その余りにも がら 柄軋合ほないところに滑稽味を感じたもので奉る。時烏の声を死出の田長と

聞取り、それを承認したのは、田長に監督されてゐる臆しい農夫で、そこに

は滑梧味などでほなく、むしろ反対な感があったのであらうが、立場を異に する廷臣に・よって.、滑稽味のも甲とされたのである。(窪田評釈) ○ はととぎすは、どれはどの田を作っているから、毎朝、「しでの牢をさ」と 叫んでいるのカ㍉ほととぎすの鳴き声を、シデノタオサと聞き、ほととぎす が「おれほしでの田長だぞ」と叫んで農夫た■学を督励していると見たのであ る。田長は農夫のかしら。(大系)

かしら O 「■しで(死出)の田長」ほ「■冥途の農夫の貌」の意で、ほととぎすの異名。

はととぎすの鳴き声は.レデノタオサと聞えるといわれる。農夫・漁師も本集 の和歌の素材把なるが、「いくばくの田」という現実と結びついたとらえ方は

(14)

誹意欲め世界セある∨。(全集) ○ どれはどの田を作っているというので、はととぎすは、「しでのたをさ」と 大声をあげているめか。「しでのたをさ」ほ鳴く声で、この鳥の異名ともな る、。それに.「一死出の由長」の意をもたせたもの。冥途を在来する鳥と考えら れ、また初夏の田聴ころに鳴くのそ、田の長(農夫の頑)の意ももたせた。 (文庫) 以上の諸解はいかに.も牽強附会の感があり、「たをさ」「■よぶ」など正しく癒せて いるとはとても思えない。古くは.はととぎすが「■過時不熟」と鳴くともいわれ ていたのが、これらの注釈は蘭ととぎすが自ら「yデノタオサ」と「一大声をあ げでいる」などとと.じうけて解しているのセある。 いま、当時め「しでのたをさ」の用例を探すと、次のようである。 いもかどせな ひぢがさ

◇ 婦が門 夫が門 行き過ぎかねてや わが行かば 肱笠の 肱笠の 雨も

し で た を き し で た を さ や降らなむ 之天多乎左 雨宿り 笠宿り 宿りてまからむ 之天多乎左 (催馬楽・4る) ◇ (前略)はととぎすのかたをかきて、 な はととぎす汝が鳴く里のあまたあればなはうとまれぬ思ふものから

と言へり。この女、けしきをとりて、

けさいほり 名のみ立つしやのたをさほ今朝ぞ鳴く庵あまたとうとまれぬれほ 時は五月紅なんありける。勇、返し、 庵多きしでのたをさはなほ栽むわが住む里紅声し絶えずは(伊勢・45段) ◇ 御前近き橘の香のなつかしき紅、はととぎすの、ニ芦ばかり鳴きて渡る。 (茄)「宿紅通はば」とひとりどち給ふも、飽かねば、北の宮紅、ここに渡り 姶ふ日なりければ、橘を折らせて聞え給ふ。 忍び音や君も汝く らむかひもなきしでのたをさに心通ほば(源氏・晴蛤) ◇ ほととぎす由鳴き渡るを、女房、 とぎすしでのたをさとむべも言ひけり 早苗植うる折にしも鳴くはと 又誰にか、 はととぎす雲居なる音紀聞ゆれどし呼りもあへず田子由たもとほ など言びてぞ見ける。(栄花・御裳着「太皇太后宮田一権衡魔」)

(15)

古今和歌集・雑体の「誹漕歌」 29 さて、当時のr■しで」という語め語義ほ次の2種しか考えられない。

しで (1)「死出」と解する。「三途の川」に対する冥途紅ある死出の山の名であ

る。 はととぎすを冥途の鳥とすること陀ついてほ、『金子評釈』が『十王経』の説 を紹介している。『十王経』とは平安末期(一説、平安初期とも)の偽経『仏説 地蔵菩薩発心因経十王経』の略称で、(以下、漢文は読み下し文に改める) ○ 十王経に「■・一切衆生命終ノ時二臨ンデ、閤羅法王、薙卒ヲ遣ハy、…三魂 アタカ ヲ縛シ、門関ノ樹下工至ラyム。樹王制辣有り、宛モ鋒刃ノ如y。ニ鳥栖掌、 一ヲ無常鳥卜名ヅケ、ニヲ抜目鳥卜名ブタ。我、汝ノl白星二化シテ課醜卜成 ル。怪語ヲ示シ、別都頓宜寿卜鳴ク。云々,」とあるに.拠ったので、玉篇に 「戚搬鳥ハ、今ノ郭公」とある。 これに.もとづいて、 ◇ しでの山越えて釆つらむはととぎす恋しき人の上語らなむ(拾遺集・哀傷、 伊勢) ◇ 明け方に初音聞きつるはととぎすしでの山路のことを問はばや(建礼門院 右京大夫集) などと詠まれており、はととぎすほ冥途から死出の山を越えて通って来る鳥と されているのである。集中の、 ね ◇ 亡き人の宿隠通はばはととぎすかけて音紅のみ泣くと告げなむ(哀傷・855、 詠み人知らず) の歌も、同じく解されて小る(ただし、この歌ほ冥途に.ある亡き人の宿之解す る必要はない)。こうして−藷注いずれもこ.の歌の「↓でのたをさ」をも「死出の 田島」と解そうとしているのであるが、それでは「田をさ」(はととぎす自身) や「呼ぶ」(大声で名のる)などがすっきり解釈できぬことほ前に見たとおりで あり、第一・、「死出の山の田長」も意味が通じない。

し (2)「毒づ,」の連用形と解する。

『時代別国革大辞典・上代編』匿次のごとく説明がある◇

.ユフ ○ しづ〔垂〕(動下ニ)下げる。垂らす。条奄の場合.に木綿などを垂らすこと

を表わすのに用いた例がほとんどである。も/ダル(四段)に対する他動詞。

(16)

しでt.でユキテ 「於下枝、取垂<志殿>白丹寸手・青丹寸手而」(記神武)「後れに.し人を思ほく しでサキ エフしで シデサキ 四海の崎木綿取り之泥て幸くとぞ思ふ」(万1051)…「木綿之天の神が前なる イナ しで 稲の穂の諸穂に之弓.よこれちふもなし」(琴歌語)…垂ルとシヅとは意味が近 ユフニヰテ いが、レゾほはとんどが神を祭る場において、木綿や和幣を下げる場合に用 いられる点、ずっと意味が狭いようである。 なお、用例

いそかみをとこしで ◇ 石の上ふるや壮士の太刀もがな組の緒志天て宮路通ほ.む(神楽歌・22)

しでおほなほみ ◇ 皆人の志天ほさかゆる大藩見いざわがともにネ申の坂まで(同・54)

ゆふしで00しで ◇ 木綿志天の神の幸田に.稲の穂の諸穂に志天よこれちはもなし(同・5占)

ゆふ 神事紅木綿などを垂らす意私用いられる語で、最後の例のように「木綿しでの

神の幸田」という場合のあるのほ注目すべきである。 「をさ.」という語はへ さとをさえたち ◇ 五十戸長が課役はたらば(万葉・5847) さとをさと ◇ しもと取る里長が声は寝屋処まで来立ち呼ばひぬ(同・892) をさ ◇′浮浪人之長(霊異記・下・14話、前田本) ◇ 看督長 カトノヲサ (色実字類抄) ◇ 里茸 サトノヲサ (同)

かしら などと用いられており、・一群の人々の上に立って統御あるいは支配する頭をい

たをさ う。すれば「田長」と曙農民の間で、田植えや稲刈りなどする際の統率者で、

田の神事をもつかさどった者と考えられる。即ち、田植えでいえば、田櫨えを するに際して豊穣を祈って田のまわりや、 たづねいほり ◇ 鶴が音の聞ゆる田屠に庵してわれ旅なりと妹に告げこそ(万葉・2249)

かナみいほ∵つ ◇ 春霞たなびく田居に鹿築きて秋田刈、るまで恩ほしむらく(同・2250)

のように春から田屠に/設けられている「いは」などに木綿をとりしで、田植え 時や収穫時の神事紅おいてその中心となる統率者と解される。はとと・ぎすの鳴 くころがちょうど田植えのころで、「しでの田長」があちこちの田植えの神事に 招かれて、まさ紅てんてこ舞いの忙しさの最中である。そんな時期に経ととぎ

しで すが顔早くから鳴くのを、そ由ひっばりだこで東奔西走の「垂幣の田長.」紅、

早く自分の田の田植えの神事も興行してくれとしきりに呼んでいると見立てて

(17)

古今和歌集・姓体の「誹譜歌」 51 いくはく いるのである。どうせ、はととぎすの作っでいる田なんか、「幾許」もあるまい に、というのが上二句である。鳥の鳴く声をこのように人を呼んでいると見立

よぷ て−る例は、春上に「喚子鳥」く29)の例もあった。

「しでの田をさ」を以上のように解すると、先掲の催馬楽・4るの歌も、梅雨 の頃に忙しげに雨の中を東奔西走している「しでの田をさ」の姿に寄せて歌っ たものと解される。伊勢物語・45段の歌2首も、物語から切り離して解する と、やほり「■庵あまた」「庵多き一」(上記の万葉・2250の歌など参照)とある ことから、これははととぎすのことではなく、上述した意味での「’しでの田を さ.」のことと解することができる。それが、原因はなお未詳であるが、おそら く古今集のとの敏行の歌か、あるいは前掲の『十王経』にもとづく「死出.」の 思想かに結びついて、はととぎすに関連しで説話化されたものと考えられる。 その後の源氏物語・栄花物語の例もともに同様に考えられる。こ・のこ・ろに・なる と、「■はととぎす」が一名「しでのたをさ」とも称されていたのであろうか。 はととぎすといえ.ば、篤と同様に.、 ◇ わが宿の他の藤波咲きにけり山はととぎすいつか来鳴かむ(夏・155) と、憤慨の的とされ、慕われた鳥である。集中の夏の部ではこの155の歌から 1占4の歌まではととぎすを賞する歌ばかりである。そのように優雅なものとさ れているはととぎすの鳴き声を、とんでもない俗事に結びつけて聞きなし、「幾 ばくの田を作ればか。」とおどけてはととぎすをなじっているところが全く「誹 藷」そのものである。 以上、2首の解釈に.とどめておいたが、古来どこに.「俳譜」味があるのかと種 種疑問に.されてきた古今集の「誹譜歌」も、文字どおり「誹静」(俳語ではな い)という観点から見直していくと、全部の歌が上例のように.見事に.、しかも すなおに.解釈できるのである。 − 1974.7.7−− 〔追記〕校了間際に山内洋一・賂氏「ひ・とくひとく」(『国文学致』朗、昭49・る)を拝見◇ それによれば,「ホ−ホケキョ」の初例は明応8年(1499)の蓮如上人の言葉に・「法 ほきゝよとなく也」とある例の由である。 − 9・12■−

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