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公営企業の本質 -- 本質把握のための基本的接近 --

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(1)公営公益企業の本質 一本質把握のための甚本的接近 一. 堀. 田. 和. 宏. 公営公益企業の特質及びその本質はどこに存するか。 これが本稿展開の根 底にあるわれわれの問題意識である。 公企業とは何であるか。 公益企業とは 何であるか。 それぞれの一 般企業と区別される特質及び本質は既に多くの先 覚によって分析され究明されてはいる。 しかしながら, だからといって, 公 営公益企業の特質は公企業の特質と公益企業の特質とを単につなぎ合せるこ とによっては把握され得ないであろう。 本来, 公益企業は公益事業の私企業形態として概念されるものである。 し たがって,(私営)公益企業の特質及び木質と公企業の特質及び本質とを接木 して公営公益企業を概念すること自体まったく無意義であると同時に誤れる ものでさえある。 公益企業を概念する時, そこには既に公営とは異質の私党 公益企業が概念されているからである。 公営公益企業という時には, 従来の 公益企業概念はほとんどそのままではその意義を有さず, 同じ公益企業とい う用語でもその内容は似て非なるものとなるのである。 それというのは, 公 益企業は公益事業の私企業形態を概念しているからである。 公営 公益 企業(ここにいう公営とは国家経営に限定する)の特質及び木質の把 捏のためには, まず第一に, 公益事業はそれが「公」という経営主体の登煽によっていか に規定され, いかなる特質を具現するものとして現れるか, 第二に, 公企業が公益事業を営むということによって公営企業の特質とは 別にいかなる特質を具現するに至るであろうか。 これら二つの点を究明することが必要であろう。(本稿ではこの内第一の点に. - 50 (50) -.

(2) 限定する) かかる意味において, 公営公益企業の特質及びその木質を把握するという ことは今後の課題である。 竹中龍雄博士は, 近著「公益企業料金論」において, この種問題に対して 貰軍なる道標を打ち立てられている。 すなわち,. 「公営公益企業の本質は公. 企業の側にある」と結論ずけられている。 公営公益企業の重心は公益企業的 側面よりも公企業的側而にその比重が大であると解せられる。 われわれはこの道標に導かれながら, われわれなりのそこに至る論理を追 求してゆき, 公営公益企業の本質把握に接近したいのである。 ただ, 本稿に おいては, 問題提起に始って 問題提起に 終るという危険があり, よくいっ て, 本質把握の基本的接近態度を打ち出すに止まるであろう。 公営公益企業 の発展, 現実の在り方, それらの国際比較分析等々, 詳細にして精緻な分析 吟味を果し終えたわけではないからである。 したがって, 帰納的にも, また 演繹的にもなんら具体的解明をなし得るものではない。 今後の課題である。 あくまで問題接近のための序論にすぎない。 論述過程は次の通りである。 1.. 公益企業が営む公益事業には社会公共性が存するのみでなく, いま一つ 経 済 公共性 I> C国家公共性の基本的側面)という 一側面が本来的に内存して いること。 これによって公益企業概念の歴史限定性を明らかにする。. 1.. 在来の公益企業概念に「公営」を接木して公営公益企業を概念するとい うような誤りを犯さないために, 公益企業概念は公益事業の私企業体につ いての概念であることを改めて明らかにする。. 1.. 公益企業概念は私営公益企業概念であり, 公益企業概念はある特定時期 の経済構造を反映している。 したがって, 社会公共性という性格のものと して特質付けられていたにすぎないこと。 経済構造の変容及び「公」とい う経営主体が登場すれば, 公益事業に本来的に内存するいまひとつの公共 性が国家公共性として現れることを明らかにする。. - 51 (51) -.

(3) かくて, 公益企業概念の変容をも, 私営から公営への変化に応じて, 発展 的理解の上で把握することができるということを理解する。 以上によって, 何故公営公益企業の本質は公企業に存し, 公益企業の側面 よりも公企業の側面にその比重が大であるかという点が明らかとなろうし, さらに, 近時公益企業に国家公共性が加味されることが濃厚となったと同時 に持続的であるという事態をも論理的に説明されることになろう。 (註) (1)経済活動に必需という意味の公共性である。 具体的にこの経済公共性を発揮 させるには, 政治的, 行政的局面が必然的に介在してくる。 発揮させるのは国 家権力であるからである。 かかる諸局面を同時に把えることにより国家公共性 と概念され得る。 ー, 公営公益企業の特質把握の前提的理解 公益企業は 一般に次の如く理解されている。 すなわち, 公益企業は市民 生 活に必需のサービスを自然的独占企業を通して提供するが故に特殊の直接的 公共統制に 服する企業であると。 ここにいう公益とは市民 生活に必需のサ ー ビスを提供するという限りでの公益• 公共性である。 公益の具休的内容はこ のような意味で国家公益•公共性に対するに社会公益•公共性であると理解 されているのである。 たしかに, 公益企業において理解されている公益とは消費生活における必 需性を充足させるという社会公共性に存した。 いうまでもな<' 公益企業制度ひいてはその公益企業概念は優れて歴史的 範疇である。 例えば,公益企業統制が発達したのはまず都市においてであり, ついで州において公益企業統制が完成されたものである。 あるいはまた, 公 益企業統制の確立に際する裁判所の判決の拠点はパプリック・インクレスト に存したのであった。 公益企業制度の 生成の歴史が 公益企業の「社会公共 性」を端的に物語っておるのである。 しかしながら, 公益企業の供給するサ ー ビス自体はひとり社会公共性のみ - 52 C 52) -.

(4) を具有するものであろうか。 公益企業とは公益事業の私企業体を指称したものである。 もっとも, 公益 企業概念の方が公益事業概念よりも先んじて登場していたかも知れないが, 論理的には公益事業の私企業休が公益企業である。 かかる企業群が生産するサ ー ピスそれ自体のファンクシ ョンは消費生活に とっての必寄性を充足させるという意味の社会公共性のみに終るものではな い。 いうまでもなく, 社会生産上必'揺のサ ー ビスをも同時に提供しておるの であり, この限りで生産活動の必需性をも充足させるものでなければならな い。 消費生活に必術であって, 生産活動に必需ではないという論拠を示した ものは存在しないであろう。 いな, それを論証すべくもないのである。 冗言 を要しまいが,例えば,必需性という概念である。 これを仮りに価格の需要弾 力性,あるいは所得の弾力性という点から理解するならば,消費生活にとって の必孟性と生産活動にとっての必需性の相述は硯れてはこないであろう。 い ずれも 一般に非弾力的という性質を有することが明らかになるにすぎない。 そもそも, 必孟性ありやなしやの論議は無意味なのである。 なんとなれば. . .. 「必需性」という概念は経済発展の程度, 経済思想, 社会政策, 社会思想等 々により「必需性の枠」の広さは変化するからである。. 「必需性」は, 公益. 企業制度生成の基準としては, これら諸要素の函数であるが故に固定的なも のではないのである。 娑·するに, (一)公益企業制度はパプリック・ インクレスト を有するサ ー ビ スという観点より形成され, 社会公益を主体とした公共性を具有するものと 観念されたこと。 にも抱らず(二)公益企業が実際に提供するサ ー ビスそれ自 体は消四生活のみならず生産活動にとって必裾のものであること。 以上の二 点をまず迎解しなければならない。 公益企業は 一 つには社会公共性を有するものとして 一般私企業から隙れて 制度化され統制されたものである。 ところが, 硯在公益企業と称される企業 1抒は本来的に国民の消費及び生産活動に必需のサ ー ビスを提供している。 社. - 53 C 53) -.

(5) 会公共性と経済公共性という二面の公共性が内在しているのである。 現段階 においてはこの二面の公共性が著しく顕現するに至っていることは多くを語 る必要はない。 むしろ問題は何故かかる諸点をいま改めて理解しなければならないかであ る。 それは公営公益企業の本質把握を誤らないためである。 すなわち, 公益企業制度及びその概念は優れてアメリカにおける歴史的社 会的経済的産物なのである。 この制度の登場の契機は 一つには私企業経営で はあるが, 事業内容にパプリック・インタレストが 存するという 観念であ り, この観念より特殊に制度化されたものが公益企業であった。 かくて, そ の公共性という点においても社会公共性という 一面が強調された。 理論的に は部分的,. 一. 面的といい得るかかる理解にそのまま固執する場合には, 公営. という公共性を有する公益企業は, 公営という点から社会公共性とは異質の 公共性を付加されることになる。 つまり, 公益企業の公共性を社会公共性に 限定し, これと異質の国家公共性はその公共性を本来的に有すると考えられ る公経営が行われることによってつけ加えられると見倣されてくる。 そこで は, 私営と公営とが対比されるのではなくして, 公益企業の社会公共性と公 営という経営主体の公共性とが対比されることになる。 実は, 公営公益企業の特質を把握するには, 一つは, 公益事業の私企業化と 公益事業の公企業化とを対比させ, 所有 構造がいかにして公益事業の内容を 規定し, その独自の特質を形成するに至るかという点を見究めねばならない のである。 公益事業が 一般産業と区別される点は, 生産活動に必需のサ. ー. 一. つは消費生活及び社会. ビスを提供するところに存する。 公益事業の生産する. サ ー ビスの社会的, 経済的ファンクションに基づく社会的経済的公共性によ って他と区別されるのである。 生産の社会的性質が著しく大であるというこ とである。 したがって, その限りにおいて, まず, 公益事業概念が把握され, ついで, 公益事業の私企業体である公益企業が概念されるべきなのである。 あたかも公益企業が本来的に社会公共性以外の公共性を有しないものの如 - 54 C 54) -.

(6) く考えてはならない。. 「公益企業の特質は何か」を分析するに当ってはまず. なによりも公益事業が具有するサ ー ビスの社会的, 経済的ファンクシ ョンに 照らして公益事業の特質を見究めることが肝要である。 そののちに, アメリ ヵ資本制社会において,近代民主主義国家において登場したところの公益企 業制度及ぴその概念を規定してゆくべきである。 普逼の中から特殊を理解し てゆかねばならない。 公益企業制度及びその概念は私営公益企業制度に依拠 して理解され特殊規定されたものである。この点に深く留意すべきであろう。 かかる理解態度をもたない限り, 公営公益企業の本質は正しく把握でき得 ない。 公営公益企業はあくまで公益事業の公営体と概念すべきものであり, この公営体によって公益事業それ自体の具有する公共性が特殊規定され現象 するのである。 単に 公営体であるが 故に「公営」からくる 公共性(国家公共 性)が社会公共性に加味されるものではない。 国家公共性は公益事業のサー ビスの中に本源的に内在しておるものである。 以上, 要するに,公益事業の公共性の二面性を理解することが公営公益企 業の本質把握のための前提となるのである。 二, 公益企業概念の歴史限定性 しからばつぎに, 公益事業の有する公益の二面性は公益企業においては何 故国家公共性は消え失せ, 社会公共性に限局されて理解されているのであろ うか。 公益企業概念は歴史限定性を有しているものであること,これである。 「歴史限定性」の論証がわれわれの問題意識えの接近の系口となる。 以下, 公益企業概念の限界を明らかにし,何故浬家公共性は理念されず,社会公共 性に限局されたかを浮き彫りにするであろう。 そののち,在来の公益企業制 度の, したがって,公益企業概念の変容の必然性を論証することになろう。 公益企業の 特質を 何に求めるかについては種々の 見方が存するようであ る。 例えば, 公益企業の供給するサ ー ビスの 必需性に 求める立場, あるい は,企業の自然独占的性格に求める立場などである。 もっとも妥当な見方と - 55 (55) -.

(7) されているのは公益企業の特質をサー ビスの消費大衆にとっての必需性と, それが自然独占的企業に よって 供給されるという 特殊性に 求める立場であ る。 要するに,. 一. つはサ ー ビスの消費生活にとっての必需性と,. 一. つは企業. の自然独占性に求められる。 この二つの特性が公益企業制度を生成させるに 至った生成要因であるとされる。 われわれの疑問は次の点にある。 公益企業制度はアメリカ資本主義の発展 期における私企業経営に対する国家の一統制方法ないし形態であったという 認識に欠けているのではないかということである。 むろん, 公益企業は典型 的に私営公益企業に存したという如き事実認識は行われてはいる。 しかし, 問題は公益企業制度の形成要因自体の中に歴史的特殊的要因が存しなければ ならないという 点である。 われわれの理解では, 公益企業制度の形成要因に 一. つ「私的独占資本の形成」があると考えられる。 著しく生産の社会的性質. を有するサ ー ビスを私的独占が供給するというところに公共統制の契槻が存 したのである。 かかる意味から, 自然的独占という要因はこれをそのまま容 認することはできない。 自然的独占の概念は独占の技術的側面の把握であっ て, これだけでは私資本の独占という側面が見失われてしまうのである。 暫時, この「自然的独占」の概念に ついて吟味してみたい。 一. 般に自然的独占とは次の如く理解されている。. 公益企業の市場においてはサー ビスの価格の非柔軟性はこれを保持するこ とはできない。 なんとなれば,. 一. つは公益企業の市場は地域的に限定された. 市場であること。 第二には, サ ー ビスという製品には掏質性が存し, そこで 製品差をつけにくいということ。 したがって競争手段としては「価格」以外 には存在しないということである。 そこでしかも, 第一の地域限定的市場ということからマ ー ケット・エリア が限定され, その枠内でのマ ー ケット ・シ ェアを裔めねばならない。 さらに は, 固定費部分の早期回収という要件が存するがために, 価格競争はそれが 熾烈に行われることになり価格競争が破減的と なって 独占体を形成せしめ - 56 C 56) -.

(8) る。 他方ではまた, 差別価格適用による「利益増分」えの期待という要因が 独占的市場を形成する 一 つの要因でもあると。 われわれは より 適切に 独占範疇に おける自然的独占を把握しなければな らない。 自然的独占概念の古典であるイリ ー の所説を 見よう。 (R. T. Ely Monopolies and Trusts, 1912) イリ ー によれば, 自然的独占は社会的独占と対比され, 両者の区別の基準 点は「独占力の源泉」に求められる。 すなわち, 社会的独占は社会的取決め から生ずる独占であって, 政府を通じての社会の意思の表現であり, 社会的 人為的容隠の結果形成される独占である。 対するに自然的独占は自然的諸力 に依拠したところの独占である。 ここで留意すべきは, 自然的諸力に依る独 占として自然的独占はまず概念されておるものであって, 決して経済的諸力 に依る不可避的独占とは概念されていないことである。 さて, 自然的独占には三つの形態が存する。 一つは原材料の供給における なんらか特別の制限から生ずるもの。 二つは秘密から生ずるもの。 三つは事 業に固有の特殊財産から生ずるもの。. 一. 及び 二の形態は要するに生産要素や. 生産技術あるいは製品それ自体が即稀少性を有し, 競争過程を経ずに本来的 に独占として生成しておるものを指していると見倣される。 第三の形態が公 益企業制度生成の論理的根拠をなすものであるが, この形態は競争過程を通 して独占体形成が必至であり不可避であるというものである。 自然的諸力に 依拠するだけでは独占体になり得ないというわけである。 いま, それはさておき, 第三の(イリーによれば第二の) 事業に固有の特殊 財産とは何であるか。 それは土地と設備である。 かくて, 事業を独占体たら しめるものは特殊な土地と特殊な設備という性格である。 土地, 設備の特殊 性から次の如き特性が自然的独占には認められる。 ー, 土地の好適な点と線を有する条件の存在からの独占。 二, サ ー ビスはプラントと結びついて提供される。 二, 収穫逓増の法則に 服する。 - 57 (57) -.

(9) まず, 第一の特殊は自然的独占の第一形態と同類のものであり, 要するに 独占不可避性から生ずる独占ではない。 自然的独占の論理の主張点は競争の 破滅性•独占の不可避性を論証するにある。 競争過程に参加せず, 独占的用 具• 手段を事前に所有 しているものは問題の外なのである。 第三の収穫逓増法則である。 この法則が作用するのは土地設備の物的特殊 性からであるか。 そうではない。 土地設備の物的特殊性ではな<' む しろそ の量的特殊性から生ずるにすぎなく, さらに, 単に量的特殊性だけでなく, 土地設備が資本と して多量に固定されることから生ずるものである。 固定資 本比率及びその絶対量が大であるがために, 収穫逓増の法則が働くのであろ う 。 なんら特殊の土地設備から説明される性質のものではない。 この限りに おいて,. 一. 般私企業における固定資本比率増大に伴う収穫逓増法則の貫徹と. 質を異にするものではない。 さらに, この収穫逓増法則には 一定の時代的限 界が存する。 公益事業の公営化の一 つの要因には逆に「収穫逓減の法則の作 用」という要因が存するということをいえば充分であろう。 ただこの収穫逓増法則が作用することによって結合・統合の利益が得られ るが故に独占化傾向を有するという点は 一面的ではあるが評価されねばなら ない。 実は, この収穫逓増法則を持続的に作用させんと して独占化傾向が生 ずるのである。 そこで, 独占の真因は「利得における増分」である。 資本家 独占にある。 この独占が持続的であるためになんらかの補完的条件が作用す るにすぎない。 第二のサービスがプラントと結びついて提供されるという特殊はこれを如 何に解すべきであるか。 端的にいって, サ ー ビスとプラントが結びついてい るということが即設備の特殊性に基づくものではないことは余りにも明白で ある。 サ ー ビスの特性からプラントが結びついてくるにすぎない。 したがっ て, プラント自体が直ちに自然独占の 一 つの特性を 構成するものではないで あろう。 かくて, 公益企業の自然独占性を自然的諸力に依拠させてすべてを理解 し - 58 (58) -.

(10) ようとすることは不可能なのである。 要するに, 自然的独占の形成には次の諸条件が考えられるということであ る。 (一) 市場がサ ー ビス供給の特性から地域的に限定されること。 (二) にもかか わらず, 資本の固定化が危大であること。. 同 したがって, 固定資本部分を. 迅速に回収し, 同時に収穫逓増法則に基ずかんがために結合統合へ傾向せ ざ るを得ないということである。 すなわ知 公益企業の自然的独 占性はいかにしても自然的諸力に依拠させ るのみでは形成され得ず, したがっては概念され得ないということである。 そこには根本的に経済的 モ メ ント が介在しているのである。 自然的諸力は独占体形成の真因ではない。 独占体の早期生成化を説明する ものにすぎない。 早期生成化を説明するものは十分条件としての補足条件と しての公益事業のサ ー ビスから派生する技術的特性なのである。 決して自然 的諸力が独占の不可避性を論証するものではない。 資本制の下では, 独占は なによりも競争を前提として概念されねばならない。 競争なくして独占はあ り得ない。 公益企業もその例外ではない。 競争はいう までもなく利 潤追求 目 的に基ずくものである。 公益企業にあっては, それがための条件として, 市 場が限定的であること, 固定資本が危大であることからして固定資本の早期 回収といわゆる市場占拠率を絶対的に高めねばならない。 ここに 一般私企業 の競争から独占形成への過程と区別される点はサ ー ビスの特性から脈生する rlJ場の限定性に存する。 かくて, 市場の争奪がとりわけ激化し熾烈となり, これにさらに競争手段に価格競争以外には存在しないというサ ー ビスの性質 から競争は破減的様相を呈するに至るのである。 われわれは 自然的独占の諸条件を軽視するものではない。 ただ, これら諸 条件が存在するだけでは決して独占を形成するものではなくして, これら諸 条件は私企業の利 潤追求 目 的に根 ざ す競争過程突入という本来的契機の補足 条件にすぎないということを理解したいのである。 - 59 ( 59 ) -.

(11) 公益企業は自然的独占を通 じ て必需のサ ー ビスを供給す る が故に公共統制. . . . .. に 服す る のではな<' 私的独占を通 じ て必需のサ ー ビスを供給す る が 故に公 共統制に 服す る のであ る 。 私的独占が「自然的独占」的な技術的諸条件を具 備してい る が故に社会的取決めにおいて独占体形成を黙められたものが公益 企業であ る 。 まさにイ リ. ー のいう社会的独占であ る 。. 独占を技術的側面から把握す る だけに終って経済的範疇において理解しな いということは誤りであ る 。 公益企業生成の要因に自然独占性を挙げ る なら ば, 公益企業を正し く 歴史的社会的に把握す る ことにはならないであ ろ う。 もう 一 つの生成要因 ー市民 生活にとってのサ ー ビスの必需性ーは 一応優れて 歴史的社会的把握であ る のと対称的であり, この限りで把握態度のスタ ン ド ・ ボ イ ン トに同 一性を欠 く ことにな ろ う。. ............... 要す る に, 自然的独占は決して公益企業生成の真因ではなく, 私的独占形 成化の特殊技術的条件にすぎないのであ る 。 公益企業はなによりも制度とし. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .. て認められた私的独占体であ る 点にその特質が存す る 。 自然的独 占性は私的 独占体の解除のでき得ない論拠ないし根拠であ っ て, 「公益企業」それ自体 を説明す る ものではない。 公益企業の公共性において 何故 社会公共性が 理念され, 他の経済公共性 (国家 公共性) は理念されなかったのであ ろ うか。 先に鰍れた如< ' 公共性に は二つの面が存す る 。 これを同時に公益企業のサ ー ビスのファ ン ク シ ョ ン 自 体は具有してい る ものであ る 。 これが何故一面の社会公共性だけが公益企業 に観念され る のであろ うか。 それに答え る ためには, 公益企業は私的独占の 経営体であ る ことを確認していなければならない。. つ まり,. 公益企業は私営. の公益事業を営む企業休であり, 私営の独占企業であ る ということから公益 企業の公共性は限局されて く る のであ る 。 ー, 私企業体であ る 以上, 特殊の公共統制に 服す る とはいいながら, の枠 内で利 潤追求活動は保障されねばならない。 サ. ー. 一. 定. ビス統制ならびに料金. 統制に 服す る 以上, それに対す る 保障や保護を要求し 得 る ものでさえあ る 。 - 6 0 C 60) -.

(12) いわんや 目 的々に 一般経済活動の必需性に応え る 必要を有しない。 公益企業 のサ ー ビスが公共性を強く具有してい る にすぎないのであって, 本来的には 私企業体としての公益企業は 利潤追求 目 的 以外の 目 的を有す る ものではな い。 ここにおいては, 公益企業の有す る 経済公共性 (国家公共性)は企業の側 か ら 目 的々に発揮され る 筈はない。 か か る 論理からは社会公共性においても 「然り」といいえ る 。 そこで公益企業が私企業休であ る 以上, 目 的々にいか な る 公共性をも認識しこれを自ら発揮す る ものではないということになり, 問題の答えにはならない。 1) 実は社会公共性に限局された根本的理由は次の 点に存す る 。 二, 公益企業制度の生成当時のアメ リ カの私企業活動に対す る 非千渉主義 に依 る のであ る 。 いうまでもなく, アメリカ資本制経済は現在においても自 由経済主義をその基調としてい る が, 当時においてはまったくの自由放任経 済主義を原則としていたのであ る 。 具体的な 一つの表現は私的独占•公的独 占 の排除政策であり, 自 由競争政策の維持であった。 公益企業制度は 「自然 独 占 」 の論述中述べた如く私的独占の容認に伴う統制という点に 一つの特質 を有す る 。 そこで, 公益企業制度は自 由経済主義の例外的制度として映 る か も知れない。 しかし, このような見方は表面的にすぎ る 。 実は私的独 占 排除 政策の一 曝を構 成す る ものであ る 。 私的独 占 排除のために法的独 占を形成す る ことに通 じ ていたのであった。 あ る いは また, 独 占統制の 一 手法であっ た。 一般の私的独占は国家権力によって除去され, 公益企業は国家権力によ って統制を受けたのであ る 。 十九世 紀後期の ア ン テ ィ. ・. トラ ストとこの限り. で無緑のものではないといえ る 。 公益企業制度の確立は国家の経済活動に対 す る 一つの干渉形態を成すのであ る が, しかし, この干渉は非千渉主義の貫 徹のための最少限の干渉なのであった。 自 由経箔主義の貫徹のための独占統 制であった。 できう る 限り経済活動は私企業の自 由活動に委ね, この自 由活 動によって一国の経済活動が円 滑に行え る よう独 占体規制ないし解除を行う に止まったのであ る 。 この政策の基調には私企業の自 由競争活動が経済活動. - 61 ( 61 ) -.

(13) をもっとも円 滑なら しめるという経済思想が存 したこというまでもない。 したがって, 私的独 占 体の統制という ネ ガ チ ィ プな経済政策より出なかっ たのであり, 公益企業のサ ー ビスの統制を経済政策 目 的より 目 途するという こ とではな く , 独 占 休統制を主 目 的と していたのである。 サ ービスの経済公 共性は結果として確保されていたわけである。 一 般経済活動に対する干渉・統 制のために公益企業を統制するという如きはもちろ んの こ と, 公益企業のサ ー. ビスを これがために規制する こ とは考慮の外であった。 ベ ー シ ッ ク ・サ ー. ビスを供給する公益企業が統制を受けるからといって, こ れが経済諸活動の ためにするものではなかった。 レッ セ ・ フ ェ. ー. ルの時代における統制は経済. 公共性 (国家公共性)に根ざ した積極的経済政策より出たものではなかった。 統制はあ く まで私的独 占 体統制に存したのである。 その意図はレ ッ セ ・ フ ェ ールを保障するという消極的経済政策の統制にあったわけである。. 一. 国の経. 済活動は自律的に調整されるものであって, 他律的に積極的経済政策によっ て調整されるものではなかった。 か く て, 公益企業と ユ. ー サ ーである一. 般企. 業との間にはなんら経済政策的調整が介在する ことは考えられなかったので ある。 ただ, そ こ で私的独 占に対する消費者保護が理念されただけである。 以上, 要するに経済公共性 (国家公共性)が公益企業統制に理念されなかっ た理由は自由経済主義の思想にあったといえる。 JI) こ のように見て く ると, 公益企業に社会公共性が存するという理念は歴史限定性を余儀な く されると いう ことになる。 すでに過去のものでありその歴史的任務を終えたものであ るといいうる。 な ぜならば, 経済公共性 (国家公共性)を見えな く させていた経済構 造及び 経済思想が変化を遂げ , こ れら変化が公益企業に内在する国家公共性を換起 し現象せ しめるに至るからである。 経済構造の変化とは端的にいって自由競 争経済から独 占経済への移行であり, 経済思想の変化とは経済構 造の変化に 伴って国家の経済に対する非千渉主義から積極的干渉主義への移行を示し, 独 占 体排除攻策から独 占 体を前提と した経済政策へ, つまり, 独 占体統制意 - 62 ( 62 ) -.

(14) 図の変化であり, 国家の経済リーダ ーシップの確闊への変化である。 (註) 1 ) た だ し , 公共性が理念される程度の差には私営と公営との差が大き な ウ エ イ トを 占 める 。 前者は利潤の制約は受けても, 後者の 如 き 利潤の 否定される こ と は ないからである 。 2 ) 国家公共性が公益企業に 理念されな か っ た 理 由 を 理解する こ とがで き たと し て も , とい って, 以上の諸点が社会公共性が私営公益企業に 観念された ことを 積極的に説明 し うる ものではない。 こ れを明らかにする た めには, ア メリカの 民主主義社会に お ける社会理念及び公益概念を吟味 し な ければならない。 公益 企業の サ ー ビ スの私的所有と その サー ビ スの 社会的性質の矛盾から く る公共統 制とい う ことでは答えにはなら ない。 なぜなら, こ の 理解は公益企業統制の本 質を 理解 させてはくれるが, し か しいま われわれが問題と している 「社会公共 .. 性の 理念」 の登場の説明にはなら ないからである 。 本 稿では, 何故国家公共性 が理念されな か っ た かを吟味するに止める。 三 , 公営公益企業の本質 は 何 故公企業の側 に 存 す る か そもそも, 国家は本来的に経済機拒を所有してい ろ ものである。 したがっ て, 国家と経済との関係は本源的である。 いかなる経済制度にあっても, 生産は社会的生産である。 社会的生産とい うのは生産の基礎が社会であり, 生産の 目 的が社会の再生産であるというこ との意味である。 ところ が私有尉産制度の資本制経済社会においては, 個別 の自由私企業によって生産が行われるために, 生産が社会を基礎にして行わ れることが示されなくなり, さらに, 利潤追求 目 的の故に生産の 目 的が社会 の再生産であることは隠されてしまう。 しかしながら, 資本制生産社会においても, これが 一つの経済制度として 存続しうる。 それは資本制生産様式にあっても結果においては生産が社会の 再生産であるという最終 目 的を達成することができるからに外ならない。 国 家はここにいう「社会」 を総括したとこ ろ の一形態である。 国家は決して社 会と対置されるもの, 社会とは区別されるものではない。 資本制経済社会においては, いまいう意味の国家は生産活動を拘束するも のではない。 ただし, 自由私企業の競争によって 「見え ざ る手」が社会の再 - 63 C 6 3 ) -.

(15) 生産 を 保障す る 限 り に お い て で あ る 。 一 た び生産が そ の 最終 目 的 を 果 し え な い 時 に は , 社会 は こ れ を 要求 し な け れ ば な ら な い 。 資本制経済社会 に お け る 国家の 経済 に 対す る 千渉 を こ の よ う な 意 味で把 え ね ば な ら な い 。 国家の経済 に 対す る 関 係 は , し た が っ て , 本来的 で あ り , 国家の 経済千渉 は 生産 と 社会 と を 本来的在 り 方 に 結 びつ け る も の で あ る 。 要す る に , 国家は社会 の 総体で あ り , 生産は社会 を 基礎 に し て , 社会の 再 生産の た め に 営 ま れ る 。 そ の 限 り で 社会 の 総体 と し て の 国家 は 経済の 本源的 主体で あ る 。 資本制経済社会 に お い て は ,. 「見え ざ る 手」 の 作用 し な い , 作. 用 し え な い部 分及 び 時期 に お い て , 主体的行動 を 行 う こ と が本 旨 で あ る 。 「 見 え ざ る 手」 の 作用 し え な く な る , つ ま り , 生産 と 社会 と が 本来的 関連に お い て 結 びつ か な い と い う こ と の重大 な 契機 は 独 占 の 発生 ・ 形成 に 存 す る 。 こ れ は 独 占 が資本主義的生産の 無政府性 を 激化 さ せ ,. 市場の 掏衡は こ れ を. 「見 え ざ る 手」 に よ っ て 達成 さ れ え な く な る か ら で あ る 。 国家は 「 自 ら の 手」 を 用 い て 生 産 を 社会 と 本来的 に 関連 さ せ ね ば な ら な く な る 。 公益企業 は 優 れ て 生産活動上必需の サ ー ビ ス を 提供す る も の で あ る 。 こ の 限 り で 経済公共性 を 本来的 に 具有 し て い る 。 一般私企業の独 占 形成 は 資本制 生産の 無政府性 を 激化 さ せ る 。 国家は 「 自 ら の 手」 の 用 具 と し て公益企業の 経済公共性を積極的 に 利 用 す る に 至 る の で あ る 。. 「 見 え ざ る 手」 が作用 し え. な く な っ た が た め に , 国家は 「国家の手」 に よ っ て 「見え ざ る 手」 に 置 き 代 え よ う と す る 。 こ の 際, 公益企業の 優れ て具有す る 「経済公共性」 が役立て られる こ と にな る。 公益企業制度の生成 は 国家千渉の 一つ の 表現で あ っ た 。 国家千渉 の 本質は 公益事業の私的所有 と そ の サ ー ビ ス の 社会的性質の 矛盾 の 止揚 に 存す る 。 そ こ で , そ の 意図 と し て は 「 見 え ざ る 手」 を 最 大 限 に 作用 さ せ る た め の最少限 の 干渉 の 域 に 止 ま っ て い た の で あ る 。 消極的な 経済統制政策で あ っ て 「 見 え ざ る 手」 に よ り 経済 を 回復す る こ と , そ の た め の干渉 で あ っ た 。 し か し ながら,. 一. 般の 独 占 形成 は 独 占 禁止法で も っ て 止む も の で は な か っ - 6 4 ( 64 ) -.

(16) た。 ここにおいては,. 「見えざる手」 を 「 国家の手」 におき代え ざ るを得な. い。 独占体排 除 による自 由競争経済ではな< , 独占経済を前提とした経済へ の積極的 テ コ 入れを必要と い 積極的経済統制・ 経済計画化政策を余儀なく されたのである。 そのための一 つの用具が公益企業 に 内在するサ ー ビスの経 済公共性なのである。 社会的生産が独占の登場 に よって疎外されるに至ると, 国家はその本来的経 済機能を果さねばならない 。 私営公益企業に対しても, 国家は公益企業が内在 的 に 具有する経済公共性に 訴え,これを強く現象させねばならない のである。 さら に, 本源的に経済槻能を有する国家が経済公共性を具有する公益事業 を自ら営むに至ると, 私営であるが 故 に 収益性 において制約を受けざ るを得 ない経済公共性(国家公共性) を自らの本来的経済機能の名の下 に 経済公共性 をそのまま具象せしめ, 公益事業を 「 国家の手」の完全な用具になしうるの である。 すなわち, 国家の本源的経済楼能である「社会的生産の確保」のた めに公益事業のサ ー ビスの経済公共性を手段として利用するのである。 要するに, 国家の本来的機能として経済機能が存し, と同時に 公益事業そ れ自体の中にも経済公共性が顕著であり, これが国家によって制約なく現象 するのである。 この限りにおいて, 「公営公益企業は公企業の側面 に そ の本 質がある」と概念されるのである。 いうところの真意は公営公益企業の本質 は経済公共性 (国家公共性) に存するということである。. 四, 結. び. おもうに, 公益企業の供給するサ ー ビスは消費生活のみならず, 経済活動 にとっても必需の性格を有している。 した がって, サ ー ビスの社会的, 経済 的フ ァ ンクションは二 つの公共性を内在しておるものである。 公益事業を営 む私企業が独占化傾向 を示すに従い, 私的所有とそのサー ビスの社会的経済 的公共性の矛盾は公共統制 によって解決されねばならなくなる。 しかしなが ら, その公共統制の理念は自 由経済思想に支えられて国家公共性に基づく統 - 6 5 ( 65 ) -.

(17) ................. 制 と は 刑念 さ れ ず に 単 に 社会公共性 と 理念 さ れ た も の で あ っ た 。 と こ ろ が他方,. 一. 般の 私企業部 門 に お け る 独 占形成 は. 1). も は や こ れ を 阻止. す る こ と は で き ず , 独 占形成 を 与件 と し て 国家 は 「 自 ら の 手 」 に よ る 経済政 策 を 推進せ ざ る を 得 な い 。 こ こ に お い て , 公益企業の い ま 一 つ の 側面 ー 経済 公益性が要求 さ れ る の で あ る 。 そ れ は 積販的経済政策の 用 具 と し て で あ る 。 さ ら に , 国家が公益事業 を 自 ら 経営 す る に 至や , 公益事業は 経済公共性を 制 約 な く 現象 せ し め る 。 国家の公共性が本来的経済機能 に お い て 見 出 さ れ る と 同時 に , 公益事業そ れ 自 体の 中 に ひ そ む 経済公共性が 国 家経済主体の 経営 目 的 に 照応 し て 現象 す る の で あ る 。 か く て , 公益事業の 公企業体は 経済公共 性 に お い て 統一 さ れ , そ こ で初 め て , 公営公益企業の 本質は 公企業の 側 に 存 す る 一 つ ま り , 国家公共性 の 側 面 に 存 す る 一 と 結論 し う る の で あ る 。 近時, 公益企業概念 の 変容が問題視 さ れ て い る よ う で あ る 。 こ の 変容 は 主 と し て 経済構造 の 変 化 , し た が っ て は 経済思想 の 変化 に 根 ざ す も の で あ る と 理解 さ れ る 。 公益企業制度及 び そ の 概 念 は 歴 史的社会 的 産物 な の で あ る 。 ゆ え に 経済構洒 ・ 経済思想の 変化 は 当 然 に 公益企業制度及 び そ の概念 を 規定 せ ず に は お か な い。 わ れ わ れ の理解で は , 経済構造 · 経済思想 の発展変容を疾槻 と し て , 公益 企業 に は 少 く と も 三つ の 類型が 存す る と い え る 。 こ の 三つ の類型 を歴史的 に 把握 し , こ れ を 発展的 に理解す る か ど う か は 直も に こ れ を 論証 し 得 な い 。 と り わ け ア メ リ カ について は そ う であ る 。 た だ し , 西 ヨ. ー. ロ ッ パ に お け る 公益. 企業統制 の発展 を 見 る 場合 に は , 三 つ の 類型 を 発展 史的 に 把 握 す る こ と が 可 能 で あ り , ま た 妥当 の よ う に 思 わ れ る 。 こ の 三 つ の 類型 と は 何 か 。 端的 に い っ て , そ れ は 公益事業の具有 し て い る 二 つ の 公共性の 現象形態 に 係 ら し め た 類型で あ る 。 こ れ を 規定す る も の は , 一. つ は 経済構造の 変容及 び 経済思想 の 変化 で あ り , 二つ は ( こ れ ら 変化 を 某. 盤 と し た ) 経営主体の 国家へ の 移行 と い う こ と で あ る 。 す な わち,. 一. つ は , 公益事業が私企業体に よ っ て 営 ま れ る 公益企業。. - 66 ( 6 6 ) -.

(18) においては, 私営であることから, さら に 根本的 には経済構 造, それに照応 する経済思想の特殊性 ( 自 由経済主義) から社会公共性のみが理念され課せら れた公益企業。 第二 には, 中間形態としての公益企業。 独占経済の登場とい う モ メ ントに基づき公益企業の経済公共性が具象された企業。 したがって, 積極的経済数策のー用具として理念される公益企業。 第三 には, 国家が自ら 公益事業を営むことによって公益事業の経済公共性が制約なく現象する公営 公益企業。 以上の三つの類型が存すると考えられる。 これらを簡単 に 第一 型から第三 型までを発展史的に 理解することはできない。 ただ, 第一型から第二型への 発展の本質的 モ メ ントは経済 構 造の変化及 びこれ に 伴う経済思想の変化 に求 められる。 私的独占形成を直接的契槻とした私的資本と社会的生産の矛盾の 顕現化である。 社会生産の甚礎である国家はこの種矛盾を止揚することを命 ぜられるのである。 それがためのー用具と し て経済公共性を特に有する公益 企業 に対して統制内容を拡大強化するか, 自らの手でここれを行うかするの である。 後者が公営公益企業である。 公営公益企業概念は公益企業概念とは区別される類型である。 それは経済 公共性 (国家公共性) に おいて他と区別されるのである。 一つは経営主体の国 家公共性,. 一. つは公益事業の経済公共性が経営主体の公共性に 規定されて現. 象するという意味 に おいてである。 以上, われ われは公営公益企業の本質を公企業側面 において理解する論拠 を示したと同時に , さ ら にこの公営公益企業概念を公益企業の類型の一つと して発展的 に理解することをも示した。 (註) (1)積極的に論考しなか っ たが, 公益企業の私的独 占 と サ ー ビ ス の社会的性質 と の矛盾 と い う 面 と , い ま 一つ, 一般の私的 独 占 と 社会的生産 と の矛盾 と い う 面 は こ れを区別しなければなら ぬ. 1964. 8. 15. - 67 ( 67 ) -.

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